2018年8月28日 (火)

第86回「海程香川」句会(2018.08.18)

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事前投句参加者の一句

即興のピアノ蟷螂の匂いせる 大西 健司
夏至の母畑に翳のとどまりて 稲葉 千尋
鼻にそばかす濃くなり君はジギタリス 中野 佑海
触れてくる君の肉球熱帯夜 新野 祐子
胃がん切りもう三年か冷やし酒 野澤 隆夫
どのぐらい泳げば水になれるだろう 月野ぽぽな
子の墓を洗えば重い石となり 中村 セミ
天晴れにいのちの仲間蝉かばね 鈴木 幸江
柔らかき女神の首は虹なるか 増田 天志
ひとといることさえ微熱蝉の穴 河田 清峰
殴りあうような会話や白雨くる 重松 敬子
新盆や秩父音頭が口を衝き 高橋 晴子
秋暑し崩れし窓から昭和の声 漆原 義典
門火燃ゆいのち死なずと兜太の書 藤田 乙女
水茄子の水のごとくに生きし姉 寺町志津子
焦がれたる切っ先油蝉を描く 桂  凛火
シベリアの五万柱に苧殻(おがら)焚く 小宮 豊和
あちこちに頭ぶつけて夏が行く 伊藤  幸
赤潮の無声映画の酔いを知る 豊原 清明
余白とうものがまだあり螢飛ぶ 谷  孝江
オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑 田口  浩
ぶら下がる蜘蛛の自由の一次元 山内  聡
猛暑去り茗荷の花に来ましたよ 谷  佳紀
玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉  若森 京子
人と人すきまがあって揚羽くる 河野 志保
背泳ぎの背の崖っぷち手術台 三好つや子
きちきちや島端にいること知らず 菅原 春み
<北欧にて>夏の日の運河に軍艦泳ぐ女(ひと)  田中 怜子
蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ 柴田 清子
逆白波ことば選るごと崩れたつ 矢野千代子
恍惚と吸ひたり夜の水蜜桃 高橋美弥子
月曜のトーストの耳 原爆忌 藤川 宏樹
ひろしま忌日陰日陰へ走る水 島田 章平
雲なき葬後胡瓜を齧り味噌嘗めて 野田 信章
立秋へ左の踵他人めく 松本 勇二
永久に少女の口尖らせている炎天 竹本  仰
豪雨のおち喜雨も無きこち神むら気 野口思づゑ
ボールペンのインクから水終戦日 男波 弘志
忘却の桃がひとつ腐っていく 夏谷 胡桃
一億総活躍きゅうり切るわたし 三枝みずほ
石といふ石の白さよ藤は実に 亀山祐美子
夏柳おいどこへゆく酔っ払ひ 銀   次
受けて立つ十七音の大花火 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「展翅板の色褪せ夏の水動く(大西健司)」展翅板上の死と、夏の水動くという生イメージとの対照。色褪せに、感性の技。作者独特の世界が、構築出来ている。

中野 佑海

特選句「蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ」蓮の実って飛ぶんですか?初めて聞きました。是非とも見てみたいです。連れて行ってください。この弛い感がとっても心地良い。特選句「月曜のトーストの耳 原爆忌」上五、中七まではただ 忙しい月曜の朝の、焦げたパンの耳と原爆で火傷し折れ曲がった人の手足が妙にシンクロして、胸に突き刺さります。皆様の俳句が凄過ぎて付いて行けません。後からゆっくり参ります。放っておいて下さい。少しいじけモードの佑海です。

谷  佳紀

毎回、規定に従って特選や問題句を選んでいますが、他の句に取り替えてもいいぐらいなものです。いつものことながら、これでよいのかなあと思いつつ、やはりこれかなぁと選びました。特選句「失敗は突然わかる夏の月(河野志保)」 普遍的なことであるように書かれていますが、失敗のわかり方は色々で実際は「失敗だと突然わかった」というのが事実でしょう。しかし表現としてはこう書かなければならないのだろうと思いますし、支持しようと思うのです。また問題句「即興 のピアノに蟷螂の匂いせる」:「蟷螂の匂いせる」と書いてありますが、蟷螂の匂いってどんな匂いだろう?匂いを嗅ごうと思いませんしもちろん嗅いだこともありませんからわかりません。「匂い」は否定なのかな、肯定なのかな、「臭い」では ないのだから肯定かなと思いつつ「匂い」がわからないから「蟷螂」に具体感を感じません。その上にわからないなりに私は「かまきり」と書きたくなるのです。このほうが自分の生活ですからなんとなく具体的な感じがするからです。そういうこ とでは「溶ける蛇たちまち秋の水たまり(田口浩)」「人と人すきまがあって揚羽くる」もそうで、とりあえず受入れようということであり、こう書かなければならない必然性を感じたりもして、自分では良し悪しの判断が出来ません。興味を持つ けれど本当のところはわからない、判断保留という選句なのです。これはずいぶん前からのことであり、自分は選句をしてはいけないのではないかと、迷いの多い責任を持てない選句になっています。

田中 怜子

特選句「八月やムンクの叫ぶ橋の上(島田章平)」読んで、この暑さをユーモをこめて歌っているブラックユーモアもある。

若森 京子

特選句「人と人すきまがあって揚羽くる」大変気持の良い句。人間関係丁度この程度が良いのでは、「揚羽くる」の措辞が的確に決まっている。特選句「夏の日の運河に軍艦泳ぐ女」北欧の旅吟らしいが、日常の中に戦争と平和が渾然とし てある。ふと疎開中の尾道にて日立造船の軍艦の横で泳いでいた事を思い出した。

稲葉 千尋

特選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」不思議な句である。シベリアに行ったのだろうか、いや行っていないと思う。親または親族の誰かにシベリアの抑留で亡くなったのであろう。そして全抑留死の人に呼びかけているのであろう。特選 句「ボールペンのインクから水終戦日」確にそんな事あると思う。終戦日いや敗戦日。

田口  浩

特選句「猛暑去り茗荷の花に来ましたよ」私はこう言った傾向の句が好きだ。猛暑が去って茗荷の花、この茗荷の花はよく利いている。(作者の家から少し離れたところにある、家庭菜園に咲いているのだろうか)。「やぁ久しぶり、暑か ったねぇ。やっと出てきましたよ」と植物に声をかけるこころ・・・。私はこう言った感じの句が好きだ。勿論句としては難もある。〈猛暑去り〉の〈去り〉がそれだ。これだと〈茗荷の花に来ましたよ〉の〈よ〉が都合よすぎて、しっくりこない 。一句はこう投げ出して、ここからが推敲である。一週間も舌頭に転がしていると、ふいに、この句に合うぴったりのことばが出てくる。私はこう言った作品が好きだ。俳句とはそう言うものであろう。

男波 弘志

特選句「蓮の実の飛ぶところなら見たいなあ」言えば、只事、実は万物は只事で進行している。そこに写生論の核がある。「溶ける蛇たちまち秋の水たまり」蛇の情念が「たまり」に顕れている。なくならない業。「どのぐらい泳げば水に なれるだろう」僕も、さかなの流線形に魅せられている。いつしか体に鰭が生まれている。「失敗は突然わかる夏の月」あっけらかんとした、月、もう失敗そのものが終っている。「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」にんげんのぶざまさ、迷い、夏 のおわりにもついていかない、何か、にんげんはにんげんを去れない。「猛暑去り茗荷の花に来ましたよ」それだけのこと、それを詠うことも俳諧。「髪洗うとき半身は違う星(月野ぽぽな)」鮮烈さ、そこが上手すぎるが、詩情は豊かだ。「つく つくし半熟卵を崩している(田口 浩)」崩れてゆく時間、いや、秋の白紙、その準備かも知れぬ。「石という石の白さよ藤は実に」賽ノ河原、あだし野念仏、田園に死す。一切が死だ。

河田 清峰

河田 清峰◆特選句「草に花ひとりに慣れてしまいけり(柴田清子)」ふたりのときは厄介者てまのかかるひとと思っていたけれど一人になるとかえってきて欲しくなる未練の溢れた句。しまいけりと言い切りながらそう思えない草「に」 のせいかもしれない草の花と言い切ら無かった良さでたと思う!もう一つ「門火燃ゆいのち死なずと兜太の書」他界といわず「いのち死なず」といったのが良かった。先生は立禅している時百名のひとの名を唱えると言う。人は死してもその人が忘 れない限り生き続けると思う。まして書があればそののちの人にまでも…兜太の書が広がりをもった下五となったと思う…

漆原 義典

特選句「恍惚と吸ひたり夜の水蜜桃」水蜜桃を食べる楽しそうな顔が浮かびます。恍惚と夜がいいです。楽しい句をありがとうございます。

松本 勇二

特選句「廃仏毀釈心の下の方に炎天(谷 佳紀)」廃仏毀釈と心の下の方に炎天、という二物の配合はとても新鮮でした。廃仏毀釈を体験した人々の心中が書けているようにも思います。問題句「夏空やお母さんじゃないとだめな日(三枝 みずほ)」詩情豊かな作品で共感します。「おかあさんじゃ/ないとだめな日/夏の空」の語順にすれば定型感が増してくるように思われます。

新野 祐子

特選句「その虹の畢りの色を知っている(男波弘志)」:「畢り」という措辞に心が奪われてしまいました。虹のおわりの色ってどんなでしょう。考えてもみなかったことでもあります。特選句「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」冬でも春 でも秋でもなく、まさしく夏なんですね。季語が動かないってこういう句かな。入選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」シベリア抑留という悲惨な歴史をいつまでも伝えなくてはと、改めて思わされます。入選句「髪洗うとき半身は違う星」異空間 に連れていかれる心地。と手詩的です。問題句「草に花ひとりに慣れてしまいけり」:「草の花」なのではないでしょうか。これなら私は特選句に選びました。

島田 章平

特選句「受けて立つ十七音の大花火」:「受けて立つ」の気風が心良い。闇に開く大花火、そして瞬時にして射干玉の闇。闇が深いほど光は鮮やか。言霊の輝きもまた然り。暗い闇に輝いてこそ魂は輝きます。安易な言葉に自己満足せずに 、心の昏い深い谷間から湧き出る様な言葉の魂を生み出したいもの。思えば思うほど我が未熟・・・。

藤川 宏樹

特選句「オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑」春先でも飛行機を降りると眼鏡が曇るほど蒸し暑い沖縄に季節感は薄い。小柄で浅黒い男がハブの瓶詰めを小脇に泣いている。風土、風習、文化、基地。オキナワに「残る」諸々への思いが男を 泣かせるのか、湿った空気と黄味がかった光を感じる。

高橋美弥子

特選句「一億総活躍きゅうり切るわたし」:「一億総活躍時代」とは言えど、わたしはいったい活躍しているだろうか。日々の些事に追われて、社会との隔たりを時折感じることがある。作者は、きっと日々に忙殺されながら自分に言い聞 かせるようにきゅうりを切る。でもこれがいまのわたしなんだ、これでいいんだと。時事問題を重く語らずに軽やかな一句に仕立ててあり、共鳴しました。問題句「展翅板の色褪せ夏の水動く」展翅板は、だんだん色褪せて行くものだとおもうので すが、それに対して「夏の水動く」という措辞の因果関係がよくわからなかったです。自己紹介:8月からお世話になります。高橋美弥子と申します。句歴はまだ2年にも満たない初心者ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。→ブログ を見てのご参加、ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。

月野ぽぽな

特選句「背泳ぎの背の崖っぷち手術台」:「背泳ぎの背」の見えない不確かさ、そして言葉選択の冴え切った「崖っぷち」への飛躍を経て、手術台にいる時の不安・決心・諦念などの心情が、斬新に力強く伝わってくる。

鈴木 幸江

特選句「下足札ひょいと晩夏の鞄かな」オーソドックス、いいではないか。物と副詞と季語と切れ字をしっかり働かせ、人間の作り出した世界の中で、滑稽にも真面目に生きる日本人のどこか懐かしい昭和の日常を表出させている。この人 の暮らし振りについて行きたくなる今の私がいた。問題句「廃仏毀釈心の下の方に炎天」廃仏毀釈は明治新政府の神道の国教化政策であった。日本の独自性を海外へアッピールするための国策であったと私は思っている。日本仏教にも、日本文化に 馴染んで溶け込んでいった長い歴史があることを無視した国策であった。作者にも、深い日本仏教に対する思いがあるのだろう。どんな思いか知りたい。テーマは忘れてはいけない歴史的出来事だと共感するが、どんな思いが分からず問題句とさせ ていただいた。「一億総活躍きゅうり切るわたし」現代日本では、労働することこそ価値あることで、考える時間も、家事や育児をする時間もおざなりにされている気がする。この歳になり、もう、何もしたくない気分によくなる私は疲弊している のだろうか。世界の状況は危機的である。今こそ考える時間がほしい。そう思う私は、“きゅうり切るわたし”をそういう時代への批判精神と取りたいのだが。作者は、きゅうり切ることもひょっとしたら労働と考えているのかとも思え、問題句に した。

谷  孝江

特選句「どのくらい泳げば水になれるだろう」誰にもが一度は何かに憧れを持った時期があると思います。空になりたい、雲に、蝶に、鳥に、風に・・・と。幼い頃は私も空想の中に遊んだものです。が、やはり水ですね。水が一番です。 しなやかで強くて命を育ててくれる力を持っています。泳げませんけれど水になって遠い国まで行けたら良いな、なんて子供みたいに、たのしく思いを膨らませています。ありがとう。

大西 健司

東海地区現代俳句協会青年部主催 第一回JAZZ句会LIVEin名古屋が七月二八日に開催された。まさに台風が伊勢に上陸したその日。迷いに迷って出かけた。十四時から十七時近くまで。何しろ青年部は現在三人、何が出来るのかいささか危 惧するところ。案内のチラシには「俳人がその場で俳句を詠み、ミュージシャンがそれを音にする。またミュージシャンの即興音楽を、俳人が一句にしたてる。」「俳句の達人と音楽の達人が一堂に会して、魂をぶつけ合うライブです。」なかなか かっこいいでしょ。新人賞受賞の赤野四羽氏がミュージシャンということもあり実現したもの。参加者は二十歳から八十代後半の方まで。まったくどのようなものか想像もつかずおそるおそる出かけたが、実に小さい店にめいっぱい詰め込んでのコ ラボ句会が実に熱い。 苦し紛れの一句を即興で音楽にしてくれる。ジャズの真骨頂である即興性の豊かさに、アルコールOKだからなお痺れる。生演奏の迫力に痺れっぱなし。 ちなみに二十歳の彼女は初心者ながら所属は「屍派」とか、マスコ ミを賑わす北大路翼氏のところという。もうこれだけで頭の中はパニックを起こしている。そこで一句。

しかばね派とデニムのシャツの鳥渡る 「鳥渡る」は席題。席題に季語はいかがなものかと思いつつの苦し紛れの一句。ところが屍だけに音楽が実に刺激的。俳句の出来の悪さを忘れさせる演奏。 みんなジャズに酔いしれ、台風のことを忘れてのひととき。第二回が気に掛かるところ。 余談ですが報告です。

ところで今回の特選句「ひとといることさえ微熱蝉の穴」ですが「ひとといることさえ微熱」この感覚の冴えにひかれた。人と人との出会いの空気感、少し重い空気の流れなどを思いつついただいた、

伊藤  幸

特選句「円陣の哮りフェンスに糸蜻蛉(藤川宏樹)」今年の甲子園は久しぶりに湧かせてくれました。 連日超満員の観客の声援の中、小さな存在の糸蜻蛉登場。実景か作為あってか不明ですが、いずれにせよ糸蜻蛉の存在が効いています。特選句「弟を背負ひ焼き場に立つ素足(島田章平)」焼き場に既に亡くなっているであろう弟を背負い毅然とし て立っている少年の写真がアメリカで報道された。戦争の悲惨さを写真を見ずとも俳句で物語る、これも伝承方法のひとつであろう。

野口思づゑ

特選句「水茄子の水のごとく生きし姉」水茄子の水、平たく言えば茄子の水分という事なのに、句にこのように入れるとその水分の清潔感、透明感が際立つ。きっと控えめに、でも皆から慕われたそんなお姉様だったのだろう。特選句「逆 白波ことば選るごと崩れたつ」北斎が描いたような立派な波が砕けている様を見て、自分が推敲を重ねているようだなぁ、と感じたのですね。実際にどのような波を見たらこんな的確な句が生まれるのでしょう。

竹本  仰

特選句「焦がれたる切っ先油蝉を描く」純で強烈な空腹感を感じました。油蝉の声、その訴えに呼応するかのように、濃いめの鉛筆が焦がれた切っ先に変貌していく、そういう瞬間の燃焼がうまく表現されていると思います。そういう必然 性の姿が描かれています。特選句「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」今だったら、玉砕と言わず自爆テロということになるんでしょうか、自爆テロは、あくまでも自分の意志で選んだんだという、かなり意図的な政治組織の背景を感じさせるも のなのに対し、玉砕は、自分の意志ですらなく、忖度されたもの、むしろ死ぬのが当然だという暗黙の合意の美化、でしょうか。この心性は脈々と今も過労死へと流れ込んでいるようにも。そして、それとは対極にあるかと思える、命のゆくえを無 くした感のある、「誰でもよかった」殺人。玉砕とこの殺人とは、非なるようでいて、似たものと感じられるのは、私だけなんでしょうか?命を失くせ、とささやくものが、どの時代にもひょいと出現して知らんぷりしているような、不思議な仮面 を感じます。というような、諸々の連想をいただきました。特選句「手足なき水着を風に干す晩夏」その手足は、どこへ行ったんだという、エレジーを見つめている「私」を描いた詩なんでしょう。人間の若さ、そして時間はどこへ?昔、南河内万 歳一座を主宰する内藤氏の『さらば、青春』という劇を観たのを思い出しました。現代家庭の中にあり孤立したお父さんが、「いったい、あの時代は、あいつらは、どこへ行っちまったんだ?」と叫びつつ、お父さん仮面に変身する、激烈なる高低 の幻想シーンが舞台を真紅に染めましたが、何かしら、そういう嘆きの一抹が、この風の中に感じられるようで、共感しました。特選句「雲なき葬後胡瓜を齧り味噌嘗めて」恙なく、実に整然と終わった葬式。それでいいのか?そんなもんなのか? 故人へのきれいな賛辞、家族のつましいお礼の言葉、参列者の粛々とした焼香とお別れ。だが、そんなものではないだろう?と、言いたいのでは。かつて、土葬の時代は、そうではなかったろう、汗水流してよろめきつつ棺をかつぎ、穴を掘り、土 を落とし、帰っては深夜に及ぶ酒盛りがあり……寂しさは、決して論理的なものではなく、詩的で、暴力的ですらあるかもしれない。現代人の寂しさは、もっと寂しいかも、と思う。特選句「ボールペンのインクから水終戦日」ボールペンから水は 、もちろん出ませんが、インクの先に、書いて、さらに書こうとする先に、水を感じたということで、平和の味をかみしめる、その意外な表現の仕方に好感を持ちました。あえて言うなら、平和の味覚というものがあれば、それを味わえている人は 、味わえていると感じる人は、どれくらいいるんだろうかという詩かとも。その総数が、本当の国を愛する人の総数かもしれない。と、妙に反省をさせられる句でありました。以上です。

まる二月空くと、俳句愛、感じさせられました。生きて生かされて、ではなく、生かされて生きて、という不文律のようなものを感じます。いつも、ありがとうございます。 残暑、たいへんきびしいですが、みなさま、お元気で、また来月、お願いいたします。

寺町志津子

特選句「門火燃ゆいのち死なずと兜太の書」いささか材料が揃いすぎている感がないわけではないが、一読、心に染み通り、句姿に品格もあり、即特選、と決めさせて頂いた。常日頃、「命は死なない」と言われていた兜太師。今や、今生 には姿亡き兜太師ではあるが、師の命は、あの筆太でどっしりとして力強く、味わい深い兜太師の書に宿っている。と読んだ。〝門火燃ゆ〟が、何とも物悲しく切ない。何度も読み返していると,在りし日の兜太師のお姿が見えて来て,感無量であ った。

桂  凛火

特選句「人と人すきまがあって揚羽くる」人と人が立っている多分親しい間柄なのだろう。でも微妙に気持ちの行き違いか何かで近しいのに心理的距離がある微妙な空間があくことがある。黒揚羽が、そんな隙間をひらひらととすり抜けて いったのだろう。美しくてクールは蝶がよく似合うと思いました。心理の微妙な齟齬が上手く表現されたと思います。特選句「ひろしま忌日陰日陰へ走る水」:「日陰へ日陰へ走る水」まるで意志をもつもののように書かれているけれど水はただ流 れているだけ。そのありさまの描写を捕らえた表現にリアリティがあると思いました。水を求めて亡くなった大勢の人のことが彷彿として、ひろしま忌とのとりあわせがよく効いていると思います。

野澤 隆夫

特選句「下足札ひょいと晩夏の鞄かな」すぐに渥美清をイメージしました。トラさんがどこか田舎町の銭湯に飛び込んだ風景です。先日、矢崎泰久『句々快々「話の特集句会」交遊録』(本阿弥書店)を読みました。〝蚊柱の眼に入りて湯 の帰り〟(風天)と続くようです。特選句「一億総活躍きゅうり切るわたし」アベノミクスの第2ステージ。たしか「一億総活躍社会」を目指すと宣言しました。タレントの菊池桃子さんも国民会議の有識者の一人。作者は台所で〝きゅうり〟を切 っています。問題句「オキナワの蛇屋が酔うて泣く残暑」米軍普天間飛行場の辺野古移設を反対した沖縄県の翁長雄志知事が8日死去。蛇屋さんも酔うて泣くという凄絶さ。

柴田 清子

「どのくらい泳げば水になれるだろう」この句に、胸ぐらをぐひと掴まれた。内容も、一句を作り上げている言葉もやさしい。しかしながら、じわじわと人間であることの重さのようなものが伝わって来る特選です。「かたちから近づいて くる魚かな」特選です。俳句である制約や枠を意識せずに沸いて来た句かと思った。自在に自分を放ちているところより出来る句がとってもいい。

山内  聡

特選句「停車場に部活の声と山法師(伊藤 幸)」バス停で降りると近くには体育館か運動場。そして山法師が白く鮮やかに咲いている。部活の声が響く中、山法師が涼しく白をたたえている。面白い取り合わせだと思います

野田 信章

「夏の日の運河に軍艦泳ぐ女」は北欧の前書きあって自立する句。並列的ではあるが二物の配合には際立つものがあって、北欧の短い夏の一景が印象的である。「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」は時間の経過では消し去ることのでき ない胸奥の「玉砕」の二文字―しゃぼん玉の彼方に追悼の念がこもる。澄明な句。「蓮の蕚ねむる特攻兵士の額(若森京子)」は「蓮の蕚」の形態の物象感によって自立している句として読んだ、「額」は「ぬか」とルビを付したい。粘着力のある 句。他にも、主題の上では、日本の八月とは重たいものだと思わせる句が散見された。それぞれに意義ある句として拝読した。

重松 敬子

特選句「あちこちに頭ぶつけて夏が行く」待ち遠しい季節のはずなのに、この異常な暑さには、、、、。我が家でも、夜は冷房なしが普通だったのが、今年は夜通しエアコンのお世話に。身体に良い訳がありません。私達は夏を、すっつか り嫌われものにしてしまいました。頭ぶつけてが上手い。夏の恐縮ぶりが手に取るよう。

三好つや子

特選句「豪雨のおち喜雨も無きこち神むら気」突然やってくる「ゲリラ豪雨」に加えて、「ゲリラ雷雨」に泣かされたこの夏ならではの作品。都都逸のような節まわしが感じられ、「神むら気」という着地が巧みです。特選句「髪洗うとき 半身は違う星」髪に指を入れ洗っているとき、自分が自分でないような気分に陥ることがあります。「半身は違う星」の表現に、すこしナルシズム感もあり、惹かれました。入選句「水茄子の水のごくに生きし姉」母性のかたまりのような形の水茄 子。いつもニコニコと、家族のために生きてきた姉の人生を誇らしく思う、作者の気持ちに共感。

夏谷 胡桃

特選句「八月や少し老いたるおもてなし」夏は来客が多い季節です。おもてなしに張り切っても前とはちがうと感じます。デザートが手作りできなかったり、花がいけられなかったり。最近では無理はしないと思っています。やわらかい言 葉で日常をとらえていると思いました。

花巻・遠野の吟行に来ていただいた皆様、お元気ですか。楽しい時間をありがとうございました。遠野は秋の装いをはじめました。我が家は朝の気温が10度ないことありました。これから冬に向かいますが、秋が短く輝いていいのです。食べ 物も美味しい。機会があったら、またお出かけください。→こちらこそ!素晴らしい思い出をたくさん有難うございました。四国はまだ残暑の中です。またお目にかかる日を楽しみにしています!

三枝 みずほ

特選句「どのぐらい泳げば水になれるだろう」庵治の海でこの夏はよく泳いだ。心理的なことかもしれないが、沖へ泳ぐほど水温が低く、足先がヒヤッとする感覚。足の冷たさを感じながら泳いでいると、人間から遠ざかるような、また戻 ってくるような不思議な往来がある。この句は個を突き詰めて、水という生命の源にいく。「だろう」が解釈の幅を広げていて、興味深かった。

河野 志保

特選句「きちきちや島端にいること知らず」温かさあふれる句。きちきちに「行き止まりだけど、まだ飛ぶ気かい」と話しかけているよう。作者は島端を知らないきちきちを羨んでいるのかも知れない。

菅原 春み

特選句「シベリアの五万柱に苧殻焚く」亡くなったシベリア抑留者を迎えるための苧殻の火。 戦争の悲惨さをあらためて感じる。特選句「ひろしま忌日陰日陰へ走る水 」淡々と走る水を描いているところにかえって、無差別殺戮の原爆の 脅威を覚える。 過ちを二度と繰り返さないためにできることは?

小宮 豊和

コメント一句「ままごとは二役花茣蓙ひとりっ子(三枝みずほ)」良い句であると思う。中七について、「二役」は、「ふたやく」と読むのが普通であると思うので八音である。七音にした方が一句全体の語呂が良くなると思う。たとえべ 「花」をやめて「茣蓙の」などとするのはどうだろうか。

藤田 乙女

特選句「玉砕という言の葉はるかしゃぼん玉」玉砕という戦争中に使われた言葉に戦後生まれの戦争を知らない私はただ悲劇ということを連想します。しかし、その感じ方も現実味のない想像の中でのことでしかありません。シャボン玉の ように中身が空っぽですぐに消えてしまう、そんなものかもしれません。死体の転がっているところを死体のひとつひとつを跨ぎながら戦火を逃れたという90代の方からまだ積み上げられた死体を焼く臭いが忘れられないと直接話を聞いたとき戦 争という言葉が私の中で単なる言葉ではなく現実味を帯び事実に近づきました。戦争を知らない者がこれからますます増え戦争の事実が風化していく中、戦争に関わる言葉をシャボン玉にしてはいけないと強く感じました。玉砕という言葉の重み( 事実を隠す美名として使われ、それによって多くの命が切り捨てられることになった)とシャボン玉の軽さとが妙にマッチし、深く考えさせられる句でした。

亀山祐美子

特選句はありません。おもしろいと思う句を選びましたが、これは絶対と言うものがありませんでした。多分私の夏バテが選り好みに拍車をかけているのでしょう。悪しからずご容赦くださいませ。皆様の句評楽しみにしております。

中村 セミ

特選句「余白とうものがまだあり螢飛ぶ」暗闇の余白の事を書いてゐる内容と思う。螢が線を描くように黒いキャンバスの中で光の筋で模様を描く。作者は、黒いキャンバスの光の筋以外の黒い部分に何かを物想っている内容と読みました 。面白い。

豊原 清明

特選句「即興のピアノ蟷螂の匂いせる」感覚俳句。ずっと続くと、飽いてくるが、感覚を覚まさねば。「蟷螂の匂い」と「即興のピアノ」の組み合わせの成功。光っている句。これがいいと思う。蟷螂にピアノ音が似合う。もっと俳句を書 きたいと思わせる。問題句「殴りあうような会話や白雨くる」:「ような」が気になった。型が出来て、型に嵌めている。型通りと言う印象。でも、「殴り合う」と「会話」「白雨」が好きです。無意識下と感じた。

高橋 晴子

特選句「星辰の静寂深し敗戦忌(小宮豊和)」言わずに語るのはこういう句だろう。心が直に伝わってくる。しみじみとしたいい句だ。特選句「立秋へ左の踵他人めく」暑かった夏もそろそろ先が見えてきた。とはいえ名ばかりの立秋。も うひとつ自分の体に和感を覚えていて〝他人めく〟と表現した処に面白味がある。ひょっとしたら〝左の踵〝の方が好調なのかもしれない。〝立秋へ〟の受け取り方でどう感じても面白いとおもう。問題句「夏霧に山川草木吾も人(鈴木幸江)」吾 も人とはどういうことなのか。山川草木と同格にするのなら〝人吾も〟だし、目のつけ処はいいのだが、中途半端な表現で、下手をすると〝吾も人〟当り前で、やっぱり変。

野﨑 憲子

特選句「鼻にそばかす濃くなり君はジギタリス」ジキタリスとは、別名〝狐の手袋〟螢袋に似た可憐な花である。しかし、強心剤として利用される劇毒を持つ。多分、作者の身近な可愛い娘さんか誰かの逞しく育ってゆく姿をスケッチした ものと思う。下五の〝ジギタリス〟の斡旋が見事である。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

今朝の秋
今朝の秋犬は屁(おなら)を二つする
鈴木 幸江
今朝の秋赦されたとは思わざる
鈴木 幸江
はんなりと恋の通ひ路けさの秋
増田 天志
今朝の秋分水嶺はここにあり
野﨑 憲子
残暑
でっけえ西瓜まだ引き摺ってゐる残暑
銀   次
ペコちゃんの首降り止まぬ残暑かな
増田 天志
つまらない話など残暑お見舞
柴田 清子
草むらへ鉄路伸びゆく残暑かな
増田 天志
秋天
一芸を持てぬ貧乏秋の空
藤川 宏樹
笑うふり泣くふり帰るふり秋天
男波 弘志
秋天に肌出し過ぎや中華まん
藤川 宏樹
決め事も秘め事も無し秋っ晴れ
中野 佑海
鰯雲
ボクサーの減量続くいわし雲
増田 天志
いわし雲ところどころが波の音
柴田 清子
いわし雲行ったり来たりしてわたし
鈴木 幸江
鰯雲どうしても憎しみが要る
男波 弘志
鰯雲いきなり船頭小唄かな
野﨑 憲子
思いの丈スローないわし雲に透け
中野 佑海
カーラジオ
いまさっき何か言ふたぞカーラジオ
銀   次
月天心もうカーラジオ消しましょう
柴田 清子
カーラジオ残暑見舞いにキャンディーズ
藤川 宏樹
ぐるるるるカーラジオから赤い月
野﨑 憲子
昭和
新宿の催涙弾よ吾が昭和
銀   次
灯籠に流しをりけりああ昭和
銀   次
生き急ぐ友あり昭和の晩夏光
増田 天志
この部屋は昭和でうまってゐる晩秋
柴田 清子

【通信欄】&【句会メモ】     

本句会の仲間、新野祐子さんが句集『奔流』を上梓なさいました。表題の如く気合漲る句集から一句。「奔流のいつかうわみずざくらかな」

 句集『奔流』の、お問い合わせは、野﨑まで。

今回が、「海程香川」としての初めての句会でした。「」が移動しましたが、句会自体は、これまで通り超結社の句会「海程香川」として押し通させて頂きます。そして、ますます多様性を深め広げていきたいと念じています。今回は、大津から増田天志さんも参加され、賑やかで楽しい句会でした。

次回は、サンポートホール高松の句会場が取れず、本句会の仲間である藤川宏樹さんのご厚意で「ふじかわ建築スタヂオ」での初句会となります。ご参加楽しみにしています。

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