2019年5月31日 (金)

第95回「海程香川」句会(2019.05.18)

屋島.jpg

事前投句参加者の一句

紫木蓮不惑は夢の傘寿なる 小宮 豊和
茅花流し男の無理を聞く羽目に 柴田 清子
紀州犬の名前はカムイ桃の花 大西 健司
はらみ馬夕星ひとつずつ開く 月野ぽぽな
蟹の穴音の世界の真ん中に 亀山祐美子
水羊羹ほどの交わり日々好日 寺町志津子
薫風や書道ガールが墨弾く 漆原 義典
花ってムッとする君の抱き癖に抱かれて 中野 佑海
抽象画記す夏滝あ・ううう 豊原 清明
ねんごろに洗ふ足裏や夏に入る 高橋美弥子
聖五月マリアの血液型はA 島田 章平
初夏をものやわらかく詩人去る 田口  浩
父母ヶ浜ピクトグラムの跳ぶ日暮れ 佐藤 仁美
大人だと誰が決めるの花なずな 河野 志保
麦の秋母の秘密を問わぬまま 藤田 乙女
芽吹き山青年の眉の濃ゆきこと 田中 怜子
降伏も万歳の手も夏空へ 三枝みずほ
兄といて鯨の赤い肉に雨 男波 弘志
春愁が天麩羅油はねさせる 新野 祐子
憲法日ことばを差別せぬと師よ 吉田 和恵
葱坊主叩いてひとつ齢をとる 谷  孝江
出口なき真昼のようで捕虫網 三好つや子
雑貨屋のキラキラの塵若葉風 野口思づゑ
細胞のかーんと喜ぶ新樹光 重松 敬子
でで虫は悲の渦ゆるめては生きる 若森 京子
遺影の君はすこし上向きすいかずら 野田 信章
惜春や湿りを帯びる棚の古書 増田 天志
父の日のあの世へ続く廊下かな 菅原 春み
フクシマへ友帰りなん鳥曇 高木 水志
タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと 榎本 祐子
背を走る一騎の逃げ馬寺山忌 銀   次
執拗な紋白蝶よ喉かわく 矢野千代子
麦秋の海恋ふ孤り独り恋ふ 高橋 晴子
茶柱のぶっきら棒に柏餅 藤川 宏樹
葉桜やわたくしという薄くらがり 稲葉 千尋
平成のあれこれ牛蛙がおんがおん 伊藤  幸
新潟はどんなとこだろ粽解く 野澤 隆夫
韮餃子プラっとパリに行きたしや 桂  凜火
夫鼾恐いものなき昼寝かな 鈴木 幸江
信長の馬面なんじゃもんじゃの花 河田 清峰
あの世の声ききようもなく新樹光 竹本  仰
ホタルニ カマフナ」ホツキヨクセイヘ ハシレ 野﨑 憲子

句会の窓

藤川 宏樹

特選句「水羊羹ほどの交わり日々好日」小津安二郎の映画の世界を感じました。句会では 「私なら、ういろう」の冗句も出ましたが、「やはり水羊羹がほどよく、絶妙」との意見にまとまりました。 「交わり」「日々好日」の選択も素晴らしく、見事にやられました。

佐藤 仁美

特選句「遺影の君はすこし上向きすいかずら」:「すいかずら」を調べると「2つ並んで 香りの良い花を開く。」とありました。仲よき夫婦が、先に逝った君は上を向いているのに、遺された 私は、まだ下をむいてるよ…と私には伝わってきました。こんな大切な人に巡り逢えたのは、人生の宝 ですね!特選句「タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと」なんと飄々とした句でしょうか!私もこんな風 に、旅立ちたいものです。

若森 京子

特選句「背を走る一騎の逃げ馬寺山忌」一九八〇年代、私の青春時代、東北から奇才、 天才と云われた寺山修司は、その当時、新星として、劇作家、歌人として現れた。どこか、負の部分が 感じられ、危う気な登場だったが、燃え尽きる様に若い四十代で逝ってしまった。<背を走る一騎の逃 げ馬>が、この作者とぴったり重なる様だ。

稲葉 千尋

特選句「はつなつの乳房はやわらかい半島(月野ぽぽな)」初夏になると薄着になり胸のふくらみが目立つようになり「やわらかい半島」の喩良し。

増田 天志

特選句「葱坊主叩いてひとつ齢をとる」まだまだ、おぬしの世話にはならないよと、独 り言。

豊原 清明

特選句「さみだれるチャップリンの厚化粧(増田天志)」五月雨と白黒映画のチャップリンの化粧の取り合わせが見事。問題句「大人だと誰が決めるの花なずな」花なずなに、大人への反感のようなものを表現している。

高橋美弥子

特選句「はらみ馬夕星ひとつずつ開く」ワーグナーのオペラ「タンホイザー」のアリア「夕星の歌」を思った。「おお、お前、優しい夕星よ」とバリトンで唱われる(訳詞)。夕星とは金星、宵の明星のことであるが、ここではひとつずつ開くとなっているので、あえて限定せず星がひとつひとつやさしいひかりを出産を控えた母馬に注いでいるかのように、そしてここまで育て上げた牧場主や厩務員や、馬たちに関わるすべての人達のやさしいまなざしが、星のひかりに潤むようにも見えてくる。どうか、無事に生まれておいで、そして立っておくれ、母子ともに無事であっておくれ。ひとつずつ開くの措辞が時間軸を表現するので、出産までの時間ともとれる。昔、マチカネタンホイザという競走馬がいた。とても好きだった。ふっとそんなことを思ったりもした(話が逸れてすみません)。 問題句「櫻花のあと水木の白冴え冴えたり(田中怜子)」櫻花を「にぎわい」と読ませるところに少し無理があるように思った。桜が散れば、水木(花水木?)の季節になるのは、季節のうつろいというものであり、もしも花水木の白が青空に冴え渡る様子を詠むのであれば、あえて櫻花という表現がは必要か否か。  

松本 勇二

特選句「父の日のあの世へ続く廊下かな」:「父の日」という唐突な配置が新鮮でした。それにしても不気味な廊下です。問題句「赤ん坊のヨガのポーズ鳥雲に(菅原春み)」取り合わせの絶妙な一句です。「ヨガ」を「ヨーガ」とすれば中七になり、リズムが良くなるように思います。

田中 怜子

特選句「薫風や書道ガールが墨弾く」書道ガールが踊るがごとく墨汁たっぷりの大筆をふりまわしている姿、集中している汗ばんでいる横顔まで目に浮かびます。リズム感も気持ちがいい。薫風もきいています。特選句「父母ケ浜ピクトグラムの跳ぶ日暮れ」映像が浮かびました。夕焼け、逆光の人影、まるで絵文字のような。そして、水面に絵文字が映る。静かできれいですね。

島田 章平

特選句「はらみ馬夕星ひとつずつ開く」。母馬の胎内に芽生えた命。日々鼓動は大きくなり命が逞しく育っている。夕暮れの牧場。薄闇の中にひとつずつ輝きを増す春の星。命と命が宇宙の中でつながる。美しい句です。

鈴木 幸江

特選句「春の虹砂糖ぷっぷっと溶けにけり(榎本祐子)」何か料理をしているのだろうか。窓の外には明るい春の虹が掛かっている風景が浮かぶ。平穏な日常の一齣に愛おしさを込めた作品だ。“ぷっぷっ”の措辞からは料理の億劫さも伝わってきて共感。“春の虹”からは人の営みとして料理することの深い意味を捉えようとしている作者の心構えも感じられる。肯定否定、入り混じった心理が人間らしく、上手く表出されている。問題句「抽象画記す夏滝あ・ううう」“あ・ううう”の鑑賞に迷いがあった。抽象画とは対象の写実性の再現ではなく、事物の本質や心象を点、線、色などで表現しようとする絵画(広辞苑)とのこと。作者の心には、夏の滝は、自然の造形物として感動をもって“あ・ううう”と捉えられたのか。それとも作者の抽象画として留めようとするときの表現者としての苦しみから出た感嘆詞なのか、どちらか分からず問題句とした。

野澤 隆夫

特選句「茅花流し男の無理を聞く羽目に」:「茅花流し」とは梅雨の先触れとなる季節風とか。「男の無理を…」に、ドラマを感じました。少なくとも5話位の話があるよう。特選句「春愁が天麩羅油はねさせる」春だからこその耽る物思い。天麩羅油をはねさせる愁いとは…。「春愁」は、「男のつれなさについて、女が使うことが多い」と電子辞書版「角川大歳時記」に出てましたが…。問題句 「ホタルニ カマフナ」 ホッキョクセイヘ ハシレ」カタカナ書きのこの句もドラマがあります。4月から朝日新聞の土曜日「be」毎週連載の小説「火の鳥」(手塚治虫の構想、桜庭一樹さん執筆)に 出てくるセリフみたいで…。

野田 信章

「椎若葉ふいに父似の声を出す」の句。句調までも父に似てしまうことの面映ゆさ。その唐突感のある可笑しさを、それとなく諾うのが、椎若葉との出合いであろうかと読める句。この時期の椎の森は金色にかがやく。「問われれば答える用意ゆすらうめ」の句。「ゆすらうめ」の小粒の色感の配合が小気味よい。そこに一句の自恃性もあり、相手によっては啖呵を切るその様も伺える句。甲乙つけ難しの感で特選は遠慮しました。

寺町志津子

特選句「細胞のかーんと喜ぶ新樹光」。今月も素晴らしい句が数多くあったが、掲句は、 一目心に留まり好きな句になった。瑞々しい若葉に覆われた初夏の樹木。その樹木の光に、作者の細胞 が、かーんと喜んだ、と言う。実に明るく、楽しく、爽やかな句である句を解剖すれば、「細胞のカー ンと喜ぶ」の表現の新鮮さ、新樹光との取り合わせの妙であるが、新樹光にカーンと喜ぶ細胞を持って おられる作者の瑞々しい感性に感銘すると同時に、読み手に明るさ、楽しさ、爽やかさを供して頂き、 嬉しい限りの句である。

中野 佑海

特選句「はつ夏のアーテイストなりパテイシエ(寺町志津子)」もう既に「はつ夏」という言葉が夏みかんを想像させて、あの透けるようなオレンジ色と一緒になって、私の口の中に飛び込んで来るのです。プルプルのぜりー。そして、麗しのふわふわカステラ。本当にケーキは芸術作品だと思います。見てるの最高。食べると止められなくなります。特選句「タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと」このゆるっとした表現で、死へと誘う力技。つい作者の意図に飲み込まれても良いかなという気持ちにさせられます。小さいころ、タンポポの絮を吹いて、耳に入ると耳が聞こえなくなるって、母に言われていました。だから、出来るだけ触らない様に、飛ばさないように、人に迷惑を掛けないように生きてきて(ここはちょっと?)、でも、もう死んでいくんだから、したい事して死んで行ってもいいかなと。自信を(何の)持って生きていきます。(やっぱり、行きたいんやね)。おー!不思議な人生エール。 毎回皆様の、丁々発止の意見交換に今月は参加出来ず残念でした。また、来月を楽しみにしています。

田口  浩

特選句「花ってムッとする君の抱き癖に抱かれて」句意を理解するなら<花ってムッとする君に抱かれて>これで充分。しかし作者はそんな半端なことを詠んでいるのではない。<抱き癖>と言う面妖なワサビを利かせて、一句の世界をプワーとひろげて見せてくれたのである。たとえばムッとする花を想像してたのしい。バニラの匂いのする朴の花か、花粉のベトベトする南瓜の花か、それとも大柄なピンクの薔薇か、等々である。そして抱かれて辟易しているのは、男か?女か?・・・・・。「海程香川」こんなおもしろい句を見せてくれるから休むわけにはいかない。特選句「遺影の君はすこし上向きすいかずら」この句から何を感じるかが大切である。すこし上向きの遺影の、何を見て偲んでいるのだろう。山野に自生する蔓性の小低木、忍冬の花を、何故平仮名のすいかずらにしたのだろう。そう言う何故が穏やかに見えてくる、いい作品だと思う。

三好つや子

特選句「蟹の穴音の世界の真ん中に」誰からも気づかれない、小さな穴での静かな営み。それが、音の溢れる世界の真ん中にあるという、謎めいた詩情に共感。特選句「細胞のかーんと喜ぶ新樹光」 細胞と新樹光をつなぐ「かーんと喜ぶ」の言い回しが、こころに深く、快く刺さりました。問題句「抽象画記す夏滝あ・ううう」何かしら切羽詰まった状態がして、面白そうな句ですが、作者の思いがいまいち伝わってきません。 

野口思づゑ

特選句「水羊羹ほどの交わり日々好日」理想的なまじわりですね。特選句「惜春や湿りを帯びる棚の古書」し〜ん、と音が聞こえてくるようなしっとりとした画を見ているよう。「 木の芽晴親不孝号親乗せて」面白い発想だと感じました。「 麦の秋母の秘密を問わぬまま」同じ思いを多くの人がすると思います。季語が効いている。

谷  孝江

特選句「蟹の穴音の世界の真ん中に」何となくあーっそうだよね。と感じました。家の中、外の世界、音が溢れています。その中に、ポツンと蟹の穴、なんて面白いです。今月も俳句たのしく読ませていただきました。先日友人より歳と共に読む、書く、詠むが大切だよ、と教えてくれました。出来るだけそれに近づけようと努力しています。たくさんの句の中より十句選は、とてもきびしいですが、それも読む中の一つかと頑張っています。六月もたのしみにしています。ありがとうございました。

大西 健司

特選句「切通し抜けて五月の空に会う(重松敬子)さわやかな一句。鎌倉の切通しがまず思われる。鮮やかに広がる五月の空の見事さを「会う」と捉えたことを評価したい。

竹本  仰

特選句「紫木蓮不惑は夢の傘寿なる」不惑とは四十ならず、これから届く、夢にも思わなかった夢のような八十歳のことだよ、という心だろうか。夢の傘寿というのがいいと思う。女性の句ではないだろうか?その夢の形が、紫木蓮とよく合っている、ここがすばらしい。それと、不惑ということ自体は少しも滅びていない、たしかにあるはずだという、その姿勢が良いと思った。特選句「細切れの時間愛せよ初夏の母(三枝みずほ)」初夏の母と限定しているところからすると、何か事情があるのだろうか。病、あるいは老いか、などと考えた。残りの時間がそれほどないのか。何となく「ゴンドラの唄」を思い出す。この歌は、中山晋平が母親を亡くして、悲しみに暮れるまま旅の途上で作ったというが、そんな響きを感じた。特選句「はつなつの乳房はやわらかい半島」乳房は初夏やわらかくなるものだろうか?とにかくそういう実感と、そのやわらかさこそ色んなものを結びつける親和力になるというのだろう。清岡卓行の名文『失われた両腕』にはミロのヴィーナスについて、その両腕がないことで、かえって関係性を探し求める想像力を刺激して、いっそういとおしくさせるとあった。仮にその腕を連絡船とするなら、乳房は寄港地である半島か。そんなこと思った。淡路島吟行まで、あと一週間と少しです。大変、楽しみにしております。よろしくお願いいたします。

桂  凜火

特選句「出口なき真昼のようで捕虫網」の措辞に心ひかれた。明るすぎる昼の明るさにふと目眩のような迷いのようなものに捕らわれることがある。それは捕虫網人を捕らえる見えない不安のシンボルのようだ。とても上手い表現だと感心するとともに同じような感覚を共有できたようでうれしい気がしました

高木 水志

特選句「憲法日ことばを差別せぬと師よ」兜太先生はいつも私たちにことばの大切さを教えてくださった。憲法の改正は国民の自由や権利を知らず知らずに制限する方向に行かないように、私たちはしっかりと考えていかなければと思う。

亀山祐美子

特選句「ねんごろに洗ふ足裏や夏に入る」海辺か川辺で水遊びを満喫したのか、はたまた畑仕事か田植えの準備を終えたのか、自分の足裏か子どもの足裏。ひょっとしたら介護中なのかもしれない。「ねんごろに洗う足裏や」はよくあるフレーズかも知れないが色々と想像力を膨らまさせてくれる。「夏に入る」で満足感と期待感を十二分に伝える。明るく丁寧な生活が伺える佳句。

月野ぽぽな

特選句「葉桜やわたくしという薄くらがり」葉桜の陰翳の中にいて、わたくし、という存在、心と体の有り様をふと感じている。薄くらがり、がちょうどいい塩梅で効いている。

柴田 清子

特選句「兄といて鯨の赤い肉に雨」この句への細いコメントは、私には出来ないけれど、はっきり言えるのは、この句が一番好きであること。特選句「でで虫は悲の渦ゆるめては生きる」でで虫のあの渦を悲ととらえたことと強い断定が一句を確かなものにした。

男波 弘志

特選句「はらみ馬夕星ひとつずつ開く」星の明滅、それはもう母馬の心音そのものだろう。 特選句「蟹の穴音の世界の真ん中に」蟹の穴音の世界の真ん中に静寂は音そのものの世界。瞑想とは、音を聴き澄ますことかも知れない。

三枝みずほ

特選句「タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと」球形を崩しつつ、0へ近づいてゆく。タンポポの絮が新たな芽吹きをも連想させ、死を明るく受け止めている。特選句「はらみ馬夕星ひとつずつ開く」生命誕生の不思議、神秘。大宇宙との繋がりに共感。

新野 祐子

特選句「でで虫は悲の渦ゆるめては生きる」かたつむりの殻に悲の渦があるという捕らえ方、初めて見ました。それをゆるめるという表現も。よく見るとかたつむりはちょっと気持ちの悪い生き物ですが、この句によってとても親しみと哀切を感じます。入選句「葉桜やフロイスの靴響く城」司祭のフロイスという名前の響きと靴音の響きが、美しい葉桜の緑の中に映えています。ここは長崎でしょうか?訪ねてみたくなります。入選句「タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと」下五が、「黄泉路へと」という意外性に引かれました。なぜ冥土を黄泉というのか考えさせられました。「黄」と「光」は同系の文字なんですね。入選句「雑貨屋のキラキラの塵若葉風」中七がいいですね。古臭くない若やいだ懐かしさがあります。小ぎれいなコンビニが立ち並ぶ今の風景を、味気無いと思う人は少なくないことと。

小宮 豊和

「繭蝶やおひとりさまを漂流す」私の独断と選り好みにちかい見解で、あまり必然性はないが、「繭蝶や」を「繭籠り」としたらどういう変化が起るか考えてみたい。まず繭を作る美しい昆虫は蝶以外にも存在するので、蝶に限定しなくてもいいのではないかという考え方、それに籠るという言葉は、自分の殻を作って安住し、外からの影響が少なく、貴重な孤独を楽しむ雰囲気がでてきて、中七、下五に繋がるのではないかという思いが絡まっている。もちろんもとの句のままで良いという意見もかなりあると思われるが、

銀   次

今月の誤読●「タンポポの絮を吹き吹き黄泉路へと」。あれ、なんだってオレはこんなとこにいるんだ? だいたいココはどこなんだ? んー……、あっ、そうか。最後におぼえているのは、オレの運転するクルマが崖から落っこちたってことだ。てーと、オレは死んじまったのか。そんでもってこんなとこを歩いているのか。そーかー。いまごろママや子どもたちはさぞかし悲しんでいるだろうな。ごめんよ。でも生命保険たっぷりかけてあっから、すまんがそれでカンベンしてくれ。オレは大丈夫だ。てか、ま、大丈夫じゃなかったんだけどな。でもココは悪くない。ぜんぜんOK。どこからかすんげえ光が差し込んでてさ。あたり一面真っ白々。それでいてまぶしくないんだ。暑くもなく寒くもなく、ちょうどいいかげんだ。足もとはフワフワしてて、まるで毛足の長い上等の絨毯を踏んでるみたいだ。いい匂いがするなって思って見上げれば、頭上には黄金のリンゴが垂れ下がっている。あー、落ち着くなあ。現世のオレが死を怖がってたなんて、ほんとウソみたいだ。黄泉路がこんなに心地よいとは。おっ、鳥が飛んで行く。犬が走ってく。まあそんなに急ぐなよ。いずれこの小さな旅は冥土にたどり着く。あの小さな点のような光がたぶんそれだな。冥土か。そこもノンビリとした世界だろうさ。さっきからオレのカラダをふんわり包み込んでるのはタンポポの綿毛だ。オレの人生を、オレの死を祝福してくれてるようだ。なんちゅうか、いまここにいるオレは無上の至福ってか、そういう感じなんだ。とっても暖かく、こころは満ち足りている。キリスト教も仏教もねえんだ。ここにきてわかった。死とは、成仏とはやさしさに包まれることなんだ。まあ、のんびりいこうぜ。生きたカイもあった。死ぬるもそう悪くない。見まわせば無数の人々が歩いてる。死刑囚も子どもらも、赤ん坊だっている。それらが冥土をめざして歩いてく。タンポポの綿毛が舞っている。よく来たねと迎えるように。

吉田 和恵

特選句「春の虹砂糖ぷっぷと溶けにけり」紅茶に角砂糖をポトンと入れシュワシュワと溶けていく様を春の虹に重ねて‥‥美しい心象ですね。ちなみに私のがさつな生活感では春の虹はさしづめ蜃気楼かな?失礼しました。

河田 清峰

特選句「フクシマへ友帰りなん鳥曇」帰れる友と帰りたくとも帰れない私たちの哀れを誘う鳥曇であろう!

高橋 晴子

特選句「ヘリオトロープ恋はいつしか乾く紙(若森京子)」面白い感覚に驚ろいた。問題句「櫻花(にぎわい)のあと水木の白冴え冴えたり」‶櫻花‶に‶にぎわい‶と仮名をふる感覚はついていけない。日本語は正しく、そんな無理な使い方をしなくても、言いようはいくらでもある。

榎本 祐子

特選句「はらみ馬夕星ひとつずつ開く」子を宿す地上の馬と夕星の幻想世界。お腹の仔と星が交感しているよう。「ひとつずつ開く」との表現が秀逸。

伊藤  幸

特選句「雑貨屋のキラキラの塵若葉風」本来なら店屋であるからして清潔にしておくべきところ、塵をキラキラと表現した作者の感性に一票。下語の若葉風も効いている。

菅原 春み

特選句「麦の秋母の秘密を問わぬまま」こころから共感します。特選句「惜春や湿りを帯びる棚の古書」ライブラリを立ち上げた身としては。まさにそうだと。

藤田 乙女

特選句「水羊羹ほどの交わり日々好日」執着せず、拘らず、さっぱりしていて心は柔軟で、そんな生き方ができたら素敵だと羨ましく思えました。私は、水羊羮が大好きなのですが、これから水羊羮を食べる時には、きっとこの句を思い出し、日々の自分の生きる姿勢を反省することになりそうです。 特選句「平成の一万日をつばくらめ」平成を日にちにすると一万日を越えるのですね。自分と家族の一万日の日々をしみじみと振り返りました。忘れられないたくさんの出来事がありました。私事ですが、この平成の31年間に4回だけつばめが我が家にやってきました。そのうち2回は、父と母の死があり、後の2回は、二人の子どもの誕生がありました。私にとってつばめは、人の誕生を告げる幸せの鳥であると共に、人の魂をあの世へ連れて行く哀しみの鳥でもあります。この句から、人の生死に関わる深い思いや感情が湧き出てきました。

野﨑 憲子

特選句「執拗な紋白蝶よ喉かわく」儚げな紋白蝶に、執拗に追いかけられて喉が渇いてしまった。そんな作者に蝶は何かを伝えたかったのだ。「恋人は蝶の変態宙にいる」の<蝶>にも惹かれた。問題句「ねばねばの青松毬に返杯す(矢野千代子)」青松毬は新松子。夏場には姿が見えない。<ねばねば>に未生のいのちを思う。その若い青松毬にお酒を勧められ返杯するというのである。何と面妖なと感じる一方で、森羅万象の真ん中に立った作者と松毬の交感の場面を垣間見た思いがした。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

新緑
人生一瞬新緑という傷を持ち
鈴木 幸江
新緑にわたしの影を置いて来る
田口  浩
新緑や廃病院の手術室
銀   次
子をほめる新緑の風吹きにけり
三枝みずほ
新緑のドア開きます大空へ
藤川 宏樹
カプセル
カプセルに母金色の産毛かな
野﨑 憲子
出張のカプセルホテル明易し
島田 章平
カプセルに素足で入っていいですか
柴田 清子
砂漠へと落ちしカプセル覚醒す
佐藤 仁美
カプセルを売って俳句を詠んでいる
鈴木 幸江
新緑や島のことばは優しくて
三枝みずほ
五月雨や塩飽諸島とふ大鯨
野﨑 憲子
蜃気楼を浮くひょうたん島ひとつ
島田 章平
扇子一本持って軍艦島に入る
田口  浩
夏霞溶けゆく空と浮島と
佐藤 仁美
追ひかけて尚追ひかけて恋螢
柴田 清子
カプセルの中に虹の子そして螢
野﨑 憲子
歌舞伎町チャイナドレスの朝螢
銀   次
ぶつかつて大きくなつて螢
野﨑 憲子
ごめんなさい螢の宿は休みです
島田 章平
再会の君は螢のままである
田口  浩
フクシマや蛍のいない世はそこに
鈴木 幸江
浮世絵の暗き光の蛍かな
佐藤 仁美
牛蛙
語り口清らのままに牛蛙
藤川 宏樹
牛蛙俳句のリズム整わぬ
鈴木 幸江
人間に戻る日近し牛蛙
野﨑 憲子
にんげんを無視して夢の牛蛙
田口  浩
牛蛙鳴いて恋人募集中
柴田 清子
戦争はいやだと叫べ牛蛙
島田 章平
床の間に金縛りとや牛蛙
銀   次
牛蛙鳴かねば石になっちゃうぞ
柴田 清子

【通信欄】&【句会メモ】

今日は「天地悠々 兜太・俳句の一本道」の上映会でした。ご入場の方々と、豊かな素晴らしい時間を過ごすことができました。月野ぽぽなさんのゲストトークも感謝に満ちた深いお話で、とても感動いたしました。ありがとうございました。お手伝いをしてくださった方々にも心からお礼を申し上げます。そして明日からは、淡路島吟行です。次回の作品抄で、その時の作品をご紹介させていただく予定です。お楽しみに!

令和になって初めての句会は、鈴木幸江さんの全句朗読から始まり、いつものように、熱く自由な意見が飛び交いとても豊かな句会でした。冒頭の絵は、藤川宏樹さんの屋島のスケッチです。6月は、また、サンポートホール高松の会場が取れず「ふじかわ建築スタヂオ」での句会をお願いいたしました。藤川さんよろしくお願い申し上げます。

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