2021年8月31日 (火)

第120回「海程香川」句会(2021.08.21)

朝顔.jpg

事前投句参加者の一句

            
明かり消す蝉声ひとすじ射しこむかに 田中 怜子
凌霄の残像として妣ありぬ 新野 祐子
かなかなや菅義偉の三白眼 高橋美弥子
油滴天目手の平の晩夏光 荒井まり子
ジンクスの右足から履く溽暑かな 中野 佑海
鯨鳴き夜が潮に挟まれゆく 中村 セミ
氷カリンッ冷めやらぬ日韓戦 藤川 宏樹
銀漢や一億人が欠けて往く 豊原 清明
夕蝉や猫背におどろく己が影 佐藤 稚鬼
与太殿やハエが手をするはげ頭 田中アパート
須磨浦に風の散骨晩夏光 樽谷 宗寛
蝉の殻老いて人間くさく生き 久保 智恵
炎天や母の日傘に影ふたつ 銀   次
斑猫と屋島古道を探鳥す 野澤 隆夫
夏の帯ざらついている恋心 石井 はな
赤黒のクレヨンえがく原爆忌 増田 天志
カーブミラーの奥の青さよ芒原 松本 勇二
生キルノカ終ワレナイノカ蟬生まる 桂  凜火
義母逝きて最期の教え「死を想え」 滝澤 泰斗
蛍の夜を茫茫と籠に飼ふ 小西 瞬夏
かばかりと成らぬばかりの蚊の痒さ 鈴木 幸江
指先の痛みを試す合歓の花 河野 志保
平べったい老身ですが熱帯魚 すずき穂波
ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み 植松 まめ
空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ 榎本 祐子
油蝉最終章も近くなり 漆原 義典
ブロンズの肉の林に歩み入る 兵頭 薔薇
風を褒める巡礼青田波立てり 竹本  仰
体内を野生馬過ぎる晩夏光 重松 敬子
八月を抱き分けあわん鐘の音に 松本美智子
棒アイス猫のくしゃみしほどの旅 夏谷 胡桃
ダルマさん転んだ先のあきあかね 十河 宣洋
梅花藻や夜をゆるやかにひらきをり 三枝みずほ
青柿に真紅の車還り来る 高橋 晴子
髪洗ふ光の下に立ちたくて 亀山祐美子
シートベルトに括られ西瓜熟れけり 河田 清峰
天吼えて雨水平に野分かな 三好三香穂
武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる 矢野千代子
みーんみんみんヒロシマかなかなかな 島田 章平
露草の色満つところ微笑仏 津田 将也
母の遺影を掛け直しおり夏座敷 大西 健司
龍神の祠つくつく法師かな 福井 明子
もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる 稲葉 千尋
頂に立つと重なる夏の山 吉田亜紀子
虹消えてひとまず老いに戻りけり 田口  浩
夏の我が俳句2Bのごとくかな 寺町志津子
瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人 若森 京子
病養う葉月朝星葉虫居て 野田 信章
白さるすべり近くて遠い母の駅 吉田 和恵
狗尾草束ね信心厚からず 谷  孝江
蝉しぐれ一歩届かずバス発車 山本 弥生
逆上がり一生出来ず虹の反り 小山やす子
目に見えぬ遺伝子きょうも冷奴 伊藤  幸
頬杖という舟あり夜を濾す途中 佐孝 石画
冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺 伏   兎
ひまわり咲く体外受精児の父となり 増田 暁子
深草の百夜(ももよ)通ひや秋の蝶 松岡 早苗
とうすみの身体を抜けて風になる 高木 水志
パンの耳切り落としたる敗戦日 菅原 春み
霧立ちし山の覚醒鳥兜 飯土井志乃
厨から蛍袋へ逃げましょう  川崎千鶴子
炎帝の深部体温上昇中 野口思づゑ
朝焼や潮水かけて船浄め 森本由美子
親許は全部遺品に蝉の殻 山下 一夫
父の忌の蝉の中から水こぼれ 男波 弘志
今日も雨後の衣を更へにけり 柴田 清子
ゆらゆらと母の胎内天の川 藤田 乙女
法師蝉直線で啼き点で消ゆ 佐藤 仁美
ねむたげなほうのほたるがわたしです 月野ぽぽな
あやかしのパラダイスなり天の川 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「パンの耳切り落としたる敗戦日」。「パンの耳」を「切り落とし」という行為は日常のありふれたものであるが、「敗戦日」とあわされたとたん、なにか不穏な残酷な空気を醸し出す。日常と非日常の混沌が表現された。

松本 勇二

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」家系を繋いでいくことの大切さ深さを思う。お盆の月なればこその思い。季語「胡瓜揉み」により油っ気のないさらっとした句に仕上がった。作者の静かな暮らしぶりも見えてくる。

福井 明子

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」胡瓜揉みを食卓にのせる。ささやかな夏の夕暮れの暮らしの一場面から、人が生きつないでゆかねばならぬ息遣いがあります。特選句「滴りのリズム山河は生きている(増田天志)」山河は生きている、と一気に言い切ったところがさわやかであり、そこに今、「生かされている」という感慨が伝わります。

津田 将也

特選句「武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる」。「武州」は現在の東京都、埼玉県のほとんどの地域、神奈川県の川崎市、横浜市の大部分の地域をさす。正しくは「武蔵の国」と称され、武州はその異称である。季語「南風(みなみ」、俳句では陰鬱な雨がちの梅雨に吹く南風を「黒南風(くろはえ)」、梅雨明け後の盛夏の南東季節風を「白南風(しろはえ)」と言う。三夏の季語である。また「まぜ」「まじ」とも詠まれる。縄文時代の「乳房土偶」の国宝は六体あるが、そのうち五体はどれも豊満な肉体と乳房を誇る立体的土偶だが、もう一つは、さいたま市「真福寺」で出土した円板を貼り付けて造形したような平たい土偶である。顔や目と口、乳首などが円板状に表現されユーモラス的にかわいい。盛夏の武州、心地のよい乾いた季節風にいじられ、土偶の乳首も尖って見えてくる。特選句「とうすみの身体を抜けて風になる」。「とうすみ」は糸蜻蛉のこと。「豆娘」と字をあてることもあるが、俳句ではあまり見ない。灯油を浸して火を点す細い灯芯に似ているところから、「灯芯蜻蛉(とうしんとんぼ)」「とうすみ(=灯心のこと)」とも詠まれている。「身体を抜けて風になる」の繊細な比喩的表現により、佳句になった。平易な表現がよく、これぞ俳句の感がある。

若森 京子

特選句「石畳鎖骨に響く巴里祭(菅原春み)」まず、石畳の多いパリーの風景を浮かべたが日本でも最近の都会は土が少なくなっている。そこで多勢の人間が動いている。巴里祭を又違った角度から視て面白い。特選句「滴りのリズム山河は生きている」。「滴りのリズム」で自然界の命を思う。そこから宇宙へと拡がり「山河は生きている」の力強い発語となったのであろう。

増田 天志

特選句「鯨鳴き夜が潮に挟まれゆく」ポエムだなあ。なるほど、鯨の潮吹きは、絵によると、Y字形。夜の闇は、挟まれる。句意は、生きることの悲哀。孤立無援。

島田 章平

特選句「梅花藻や夜をゆるやかにひらきをり」。「梅花藻」の見頃は7月下旬(梅雨明け頃)〜8月下旬。梅の花に似た小さな花をつける。澄み切った水面に、月光を浴びて優しく揺れる梅花藻。コロナ禍の中で傷つけられた心や体が梅花藻の戦ぎの中に癒される。

稲葉 千尋

特選句「凌霄花美男のままで出棺す(若森京子)」季語と中七下五のギャップ良し。特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」禅宗妙心寺派の本山と冬瓜のスープの取り合せの妙、見事。

 
小山やす子

特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」夏が過ぎても未だ身内にたぎる力を感じている…。それを野生馬過ぎると表現されているのは素敵です。

豊原 清明

特選句「夕蝉や猫背におどろく己が影」瞬間、じっとしている定位置のイメージ。いい句。問題句「秋立ちぬ感染リスクという妖怪(森本由美子)」現在の状況を「妖怪」と捉えた一句。感染リスク、人間皆のテーマか。

男波 弘志

「生キルノカ終ワレナイノカ蝉生まる」いつ終わってもいい、そういいきれる瞬間に違う何かが降りてくる。対立概念からの脱却が許されない矛盾。そこにこそ、存在そのものが在るのかもしれない。蝉生まる、が生そのもなので少し損をしている。生と死の狭間にある何かを据えるべきだろう。秀作。「ブロンズの肉の林に歩み入る」肉そのもののブロンズ、精悍なる騎士だろうか、裸婦だろうか、敢えて無季にしたところに妙味がある。秀作。「虹消えてひとまず老いに戻りけり」華やぎに溺れない確かな美意識が老いの真骨頂だろうか。虹、それ以上の何かと交歓している。世阿弥のいう 老いの花 だろうか。秀作。「瑠璃蜥蜴ガサッとわたしは未亡人」何故ルリトカゲなのだろうか、この華やぎはなんであろうか、青楼の女、それとは違う、ふてぶてしいまでの存在感がある。瑠璃色がガッサと落ちてきてしまった、もうそこに居るしかない。秀作。

大西 健司

特選句「風を褒める巡礼青田波立てり」山中そして海辺の径を経巡る巡礼の、青田を前にした安堵感が胸に沁みる。思わず風を褒めたのだろう。

桂  凜火

特選句「眠い日の向日葵ちぐはぐ時計です(高木水志)」辛すぎると眠くなるように思う。ちぐはぐさは、今の世情をよくつかんでいると思いました。特選句「武州南風(みなみ)土偶の乳房尖りたる」土着的でエロスが感じられました。

伏   兎

特選句「ジンクスの右足から履く溽暑かな」ムシムシとした暑さのせいで、朝から嫌な予感にとらわれているのかも知れない。靴の履き方にも神経を尖らせている様子が目に浮かび、共感。特選句「平べったい老身ですが熱帯魚」若々しく肉感的な金魚にくらべ、華奢なからだの熱帯魚。キラキラしながらも、どこか淋しいこの魚に、老人の矜持みたいなものが投影され、惹かれた。入選句「ひまわりはゴッホの先生種搾る」向日葵といえばゴッホという、マンネリ感を逆手に取った目からウロコの面白さ。入選句「眠い日の向日葵ちぐはぐ時計です」体内時計がすこし狂っていそうな、夏の終わりの疲労感。太陽の下たっぷり遊んだ充実感も息づいている。

中野 佑海

特選句「油滴天目手の平の晩夏光」国宝級の油滴天目茶碗でなくても模倣品でも吸い込まれる様な小宇宙。ずっと観ていたいです。そこから、放たれる光は爛熟の極み晩夏の光。もう、秋が来るのかな。特選句「棒アイス猫のくしゃみほどの旅」中に小豆餡の入ったミルクアイス。大好きでめっちゃ大事に食べてるのに何故かあっと言う間終わってしまう。楽しい時間て猫のくしゃみほどのの長さなんですね。「鬼 水になるべく午睡せり」何時までも鬼でいるのはくたびれる。昼寝をして元の人間に戻れるのなら、どんなに嬉しいか。それが叶わないならせめて、水になって、無かったことにならないものか。「蝉の殻老いて人間くさく生き」だんだん年を取って行くにつれ、柵みばかりをかぶって、考え方が硬くなる。せめて、蝉の殻を脱ぐようにもっと柔らかく自由に人間らしく生きて行きたいもんだね。「カーブミラーの奥の青さよ芒原」ふっと曲がったら反対側は夏草の原っぱ。風に吹かれて自由に生きている芒。私は原っぱとは反対側に生きている。「かばかりと成らぬばかりの蚊の痒さ」こんなにも痒いなんて、もう、我慢できない。「秘められし大地の滾り彼岸花(飯土井志乃)」本当は大地は煮えたぎっているんだ。そのうめきが彼岸花。納得。「露草の色満つところ微笑仏」ふと見つけた道端の露草。花のなかから出ているおしべとめしべ。まるで微笑仏の様な愛らしさ。「あやかしのパラダイスなり天の川」天の川は本当は百鬼夜行のカーニバル。「雷雨来る魂どもる斜陽館(夏谷胡桃)」私が斜陽館に行ったときも土砂降りの雨の夕方。太宰治の感性を「魂どもる」とは、その通りと思いました。

十河 宣洋

特選句「鬼 水になるべく午睡せり(田口 浩)」鬼の採り様によってさまざまな読みができる。かくれんぼの鬼ならかわいい子供。鬼婆なら、寝ているときの安らかな顔が見える。この人にもこんな安らかな顔があるんだという想い。他にもあるが他は省略。特選句「目が合って少しバタバタする噴水(河野志保)」公園の噴水が風で揺れる様子が楽しい。

三枝みずほ

特選句「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」反戦反核の強い思い。戦争に限らず、私たちは「みーんみんみん」の只中にいる時、声の大きさによって自分の意思を決めていないだろうか。情報操作されていないか、「かなかな」が事後のものにならぬよう考えなければならない。特選句「狗尾草束ね信心厚からず」信心が"厚くない"と言えるのは、信心があるからこそだ。素朴なものを想う心に溢れている。

谷  孝江

特選句「吾を包み籠むおととしの揚花火」。「おととしの」で少しばかり切なさを感じました。昨年も今年も地味な揚花火で夏が終りました。五つ六つばかり見えたでしょうか。夜空を焦がすような花火にもう一度出合いたいものです。

藤川 宏樹

特選句「逆上がり一生出来ず虹の反り」逆上がりは出来たけど蹴上がりには苦労し、暗くまで練習したことを思い出しました。マラソン、トライアスロンにもかつて挑みましたが、一生無縁と思ってた俳句に今頃になって夢中になるとは・・・。作者は「逆上がり」に「虹の反り」を付ける素敵な方、諦めないで。きっと出来るようになりますよ。

夏谷 胡桃

特選句「髪洗う光の下に立ちたくて」光の下に立ちたいなぁ。まわりが暗くくらく沈んでいくような鬱な気分です。髪洗ってシャキッと外に出たい。いつかいい知らせを待つ気持ち。特選句「パンの耳切り落としたる敗戦日」日本が戦争に負けて正式に第2次世界大戦が終わったのは、9月2日の降伏文書に日本が調印した日。各国では9月が戦勝記念日とのこと。戦争は終わった終戦記念日もいいけれど、敗戦日も覚えておきたいですね。パンの耳がいい。切り落としたパンの耳が美味しくて、台所に立ってパンの耳を齧りながら敗戦日を思う。

去年から地元の「草笛」という俳句超結社の会員になりました。この夏の大会で、評論賞をいただきました。「飯島晴子論 ひとりぼっちょの楽しみ」というのを冬に書いていて応募したのです。 まずは嬉しかったです。

田中 怜子

特選句「もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる」粒がそろってないということは自分が育てたのか(都会なら貸農園)。一寸育ちが今一かなと、まあまあかなと言いつつ、がぶっと噛むと、しぶきが飛びちる。みずみずしい、といいながら食べている姿が目に浮かびます。特選句「シートベルトに括られ西瓜熟れけり」たぶん冷房がない、もしくはつけてない古い車に大きな西瓜がでんと。しかもシートベルトで抑えている。車内の熱気と黒光りする、または縞柄の西瓜が目に浮かびます。

川崎千鶴子

特選句「ひまわり咲く体外受精の父となり」季語が清潔で明るく、「体外受精」と言う難しい言葉を昇華させています。本当に本当におめでとう御座います。こころよりお祝い申し上げます。特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」奔放な血が体中をめぐる老いた晩夏のある日の事でしょうか。若い方でしたら御免なさい。

高木 水志

特選句「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」日本の夏の原風景と、人類が忘れてはならないヒロシマの記憶。後世に伝えていかなければならない原爆の恐ろしさ。

樽谷 宗寛

特選句「龍神の祠つくつく法師かな」龍神の祠で修行僧が読経をしているのでしようか?妙なる響きさえ感じました。

香川句会の皆様こんにちは。皆様には、香川句会の吟行や総会でお世話になりました。大阪句会在籍の、樽谷寛子(俳号宗寛)です。皆様の力作『青むまで』拝読させていただきました。わたくしは、三方を葛城金剛、和泉連山に囲まれ高野山への、かつての宿場、三日市町の近くに住まいしております。雉や蛙が鳴き先日松の木に、カラスが子を生みました。只今四方八方から、蝉時雨が家の中を突き抜けている状態です。そのような中で、散策や7月から村人達の菜園に参加している専業主婦であります。先日、野﨑様と短い会話の途中[俳句の神様が句会にはいらっしゃる]とおっしゃり、その言霊が入会させていただくきっかけとなりました。[ゆっくりと進歩]を願う私くし。俳句を通し皆様との繋がりを深めてゆきたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。

佐藤 仁美

特選句「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」 ごく日常の料理の味が、祖母から、母へ、そして子どもへと、受け継がれていく。それを「ささやかに」と表現したのがバチンと心に届きました。この日常の、何と有り難いことでしょうか!コロナ禍でつくづく感じます。特選句「ねむたげなほうのほたるがわたしです」全部ひらがなで、「ねむたげなわたし」が、可愛くてほっこりしました。

河野 志保

特選句「ダルマさん転んだ先のあきあかね」 リズミカルでコミカル。心地よい句。すってんころりん、ばったり出会ったあきあかね。こんなふうに秋を見つける作者に思わずにっこり。

野澤 隆夫

特選句「かなかなや菅義偉の三白眼」。「すが」とスマホに入れたら「菅義偉」が出てきて驚いた!ヒグラシの鳴き声の儚い感じがぴったり。もう一つの特選句。「炎天や母の日傘に影ふたつ(銀次)」なんかドラマチックで物語性があります。さて、どんな進展があるのだろう!

すずき穂波

特選句「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」衝撃的な句でした。直球で投げて来られ、心に響き渡る句。茂みから出し抜けに出て来た「瑠璃蜥蜴」は、寡婦でなく後家でなく「未亡人」という何だか美化された象徴そのもの。このきらきらした象徴が彼女の悲嘆をギリギリのところで支えてくれているのかも……、などと思いを馳せました。特選句「厨から蛍袋へ逃げましょう」なんと可愛いらしい逃げ方ですこと‼家族間のちょっとしたトラブルでしょうか?円満解決には、もってこいの賢い方法ですね。見習いたいと思いました。

漆原 義典

特選句は「母の遺影を掛け直しおり夏座敷」です。盆に亡母を迎える心境です。私も母の遺影にそっと触れました。素晴らしい句をありがとうございました。

新野 祐子

特選句「遺影そこへ戻す戦死の伯父若し(大西健司)」伯父さんの遺影をいつ、どこへ、どんな理由で移したのでしょう。そして「そこへ戻す」の『そこ』とは、どんなところ?小説の一場面のようで、あれこれ想像してみます。入選句「夕蝉や猫背におどろく己が影」疲れていたのか、打ちひしがれたのか、はやまた年取ったのか。胸張って生きているつもりなのにー。「銀漢や一億人が欠けて往く」むごいコロナ。無辜なる人々に感染し時に命を奪います。今だからこその句と。

増田 暁子

特選句「平べったい老身ですが熱帯魚」熱帯魚が素晴らしいです。老いてもまだまだ他の人を楽しませて、自分もまた輝くつもりだと。特選句「頬杖という舟あり夜を濾す途中」うとうとしながら船を漕ぎ、夜明けになったを「夜を濾す途中」と言う表現に感心しました。「ひまわりはゴッホの先生種搾る」発想が素敵ですね。「逆上がり一生出来ず虹の反り」私も出来ないですが、虹の反りの比喩が抜群にすばらしいです。「とうすみの身体を抜けて風になる」身体を抜けて風の表現がとうすみ蜻蛉とぴったりです。「ドン・ジョヴァンニの序曲始まる紅葉山(重松敬子)」比喩の紅葉山が素晴らしいです。

野田 信章

好作二題。「子に遺すものなし鉄砲百合の花」の句は鉄砲百合の質感を通して、素直な境涯の述懐も清夏の一句として読めるところがよい。遺されるべきものとは何かとしずかに問いかけてくるものがある。「父の忌の蝉の中から水こぼれ」の句は、父情に満ちてたおやかな句調ではあるが、蝉の体内から直に発せられた生理的な「水こぼれ」と即物的に感受することで、忌日の父への想念にも新たなものが加味されてくるのかもと読んでいるところである。  今回は特選はありませんでしたが、好作七句の中から二句について書きました。

鈴木 幸江

特選句評「生キルノカ終ワレナイノカ蟬生まる」表記(カタカナ、平仮名、漢字)の使い分けが良く効いている。蝉の生態には学ぶこと多しと幼いころから思っていたのだが未だ学びきれていない。多分一生学びきれないで終わりそうだ。地下生活を三年から十七年もし地上では一か月足らずの命。老年を眼前にして蝉のごとくガラスのような美しい翅をもち、死ぬ直前までミンミンと鳴いたり、バタバタできたらそれもよい死に様と何故かこの頃は思える。この句に蝉に共鳴して鳴く作者を見た。特選句評「空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ」些細なことに好奇心が動いた作者。何を思って指の匂いを嗅ごうとしたのだろうか。人間だって年齢により、性により、風土により匂いは違うだろう。万物に些細な差のあることの大事さを感じたのだろうか。コロナ禍の今、私に目覚めと欲しい感性だ。

中村 セミ

特選句「体内を野生馬過ぎる晩夏光」夏の終わりだが、まだ衰えぬ暑光が、物憂い感覚で身体で感じる中、いつまでも走り続ける野生馬のように、どこまで、この、倦怠感は続くのだろうか、と、勝手に読ませていただきました。もしかすれば、真反対の意味かもしれませんが、と、お断りしておき、特選です。

吉田 和恵

特選句「ひまわり咲く体外受精児の父となり」子を産めば間違いなく母となりますが、父とは認知のプロセスを経てのことですから、ブラックな面もあると言えなくもないですが、体外受精児となるとそこはクリアーして、ひまわり咲く感じなのでしょうか。しかし、それはそれで、ブラックな点もあるかも。よくわかりませんが。

石井 はな

特選句「ひまわり咲く体外受精児の父となり」 熱望していた子供を授かった喜びと、子供をいとおしく思う気持ちが伝わります。おめでとうと言いたくなりました。 そのお子さんが分かるようになったら、この句を詠んであげて下さい。ご両親の深い愛情が伝わると思います。 俳句はこんな力も有るのですね。

月野ぽぽな

特選句「怒りとは光なりけり夏燕(佐孝石画)」。「なりけり」としっかりと断定された、一見正反対のように思える「怒りとは光」。何度となく口ずさむうちに、自分の感情(怒り)を偽らずに受け入れることが、より深い自分(光)と繋がる大切な過程なのだな、と腑に落ちた気がした。IKARIと (ℍ)IKARI の音の相似による韻律が言葉にエネルギーを与え、夏燕がそのエネルギーを受け止めている。  東京四季出版『俳句四季』9月号(8月20日発売)の「俳句と短歌の10作題詠・九月を詠む」へ寄稿しました。もしも機会がありましたらご覧いただけたら嬉しいです。

滝澤 泰斗

特選句「須磨浦に風の散骨晩夏光」海のない信州に生まれ墓は上田にあるが、死んだら生まれ故郷の山にでも散骨をと思っていたが、この句を詠んで、気持ちが揺らいだ・・・特選句「蜘蛛ひそかに見ている逆さ原爆忌(竹本 仰)」八月という月の句に一句は戦争と平和に関する句を選びたいと・・・原爆忌に関する三句ほどの中から最終的に、見たてがユニークなこの句にしました。共鳴句選句は以下の四句。「枇杷は黄に姿見の水脈(みお)ゆたかなり(矢野千代子)」海程長崎大会で豊かに実った鮮やかな枇杷を思い出しながら、詠ませていただいた。姿見に映し出された生命観の豊かさと枇杷の黄が響き合って素晴らしい。「風を褒める巡礼青田波立てり」まなかいに浮かぶ明確な情景にこちらも風を褒めその景色を心ゆくまで味わうことができた。見事。「病養う葉月朝星葉虫居て」病には自然界に自ずから備わっている治癒力を信じて治す。取り合わせに感心した。「ひまわり咲く体外受精児の父となり」新しいテーマに果敢に挑んだ句。私には書けない句と認識しながらも惹かれました。

高橋美弥子

特選句「髪洗ふ光の下に立ちたくて」美しい月の夜に髪を洗う女性を想いました。やさしい香りの漂う一句です。共鳴しました。問題句 「摩訶不思議父母遠ざかる八月(十河宣洋)」父母遠ざかる八月の措辞がとてもよいのだが、それに対して摩訶不思議という上五がもったいない気がしました。

松岡 早苗

特選句は「みーんみんみんヒロシマかなかなかな」ヒロシマの悲劇を、蝉の声だけで強烈に訴えかけてきます。夏から初秋へと音色を変えつつ続く蝉声は、愚かな戦争を繰り返す人類への警鐘とも、悲惨な最期を遂げられた方々への哀切極まりないレクイエムとも聞こえてきます。特選句「厨から蛍袋へ逃げましょう」暗い厨に蛍が紛れ込んでいたのでしょうか。蛍袋の中でぽうっと光る様が想像され、やわらかく幻想的な風情に惹かれました。また、主婦としての日常から逃れ、ゆっくりと王朝文学の世界にでも浸ってみたいような気分にもなりました。

榎本 祐子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」冬瓜のスープから禅寺の妙心寺への飛躍が面白い。「なんだか」という道筋も読者を無理なく導いてくれる。「なんだか妙~」の字面には遊び心も潜んでいるようで楽しい。

竹本  仰

特選句「鬼 水になるべく午睡せり」選評:『伊勢物語』第六段の芥川伝説に、男が苦労して盗んだ少女を鬼に食べられてしまうという話があった。安吾が『文学のふるさと』で絶賛した話である。で、ここでは男の純情と、少女の純粋さが語りつくされているのだが、さて、鬼は?ということになると、どうなのかと、小生は大いなる疑問を持ち、かつて〈ティンカーベルは死せず鬼澄む芒かな〉という奇体な句を作ったことがある。その鬼とこの鬼が酷似している気がした。パクッと食べた少女がまだ夢の中に住んで、澄んでいるのだ。つまり、芥川伝説を逆さまにしたのであるが、鬼は少年に帰ろうと夢の中では試みていたのでは?と、わけのわからぬ鑑賞をして、楽しんでいたのである。特選句「白さるすべり近くて遠い母の駅」選評:母という謎。もっとも近い所にこそ深い謎がある。そういうことではないのか。しかし、そういう作者もまた、深い謎だと思われているのかもしれない。というか、われわれ一人一人がそれぞれに十分深い謎なんだろうなとも思う。と、奇妙な或る思いに誘ってくれた句でありました。特選句「目に見えぬ遺伝子きょうも冷奴」選評:鷗外『舞姫』では、少女エリスを裏切っていく豊太郎が自分を振り返るのに、自分ならぬ自分に苦しめられる。その自分ならぬ自分とは、恐らく日本人の同族意識のようなものだったのだろうが、日本人をピンポイントで突いた設定だったように思う。解けないXがある。Xを求めよという問題と同時に、Xには解がないことを証明せよという困った問題も思い出す。その解がない日常の一景を出せと言われれば、こんな句なのかなあ、と感心した。

みなさん、お変わりありませんか?非常事態宣言出ました。出たら、淡路島にどっと観光客がふえる仕組みです。このジンクスは今回も破られず、商売繁盛のもようですが、今回はこの狭い島に毎日十人以上の感染者がずっとこの一週間継続中。人口十万ちょっとの田舎でこの増え方は、どうなんでしょね。非常識事態宣言発令中、というところ。まあ、人間のやることです、コロナになめられても仕方ないのかな。いま、淡路島では、コロナよりも人間を怖れる事態が続いています。いつもありがとうございます。みなさん、お元気で。また。次回!

植松 まめ

特選句「白さるすべり近くて遠い母の駅」母と娘は永遠のテーマだろう。私も価値観の違いから母を疎ましく思ったこともあった。白さるすべりが美し過ぎる。特選句「霧立ちし山の覚醒鳥兜」かって行った上高地を思い出した。綺麗でも鳥兜の花を摘まないようにと係りの人が言っていた。

久保 智恵

特選句「子に遺すものなし鉄砲百合の花」私も何も遺すものはなし。鉄砲百合が目に焼きつきます。特選句「摩訶不思議父母遠ざかる八月」お盆の感覚が私と重なります。

伊藤  幸

特選句「蜘蛛ひそかに見ている逆さ原爆忌」戦争を始めたのも惨事を繰り広げたのも悼んでいるのも人間。その人間を見ている冷ややかな蜘蛛の眼差し。アイロニーとも。

菅原 春み

特選句「蛍の夜を茫茫と籠に飼ふ」とりとめもなく蛍の夜を飼ふという措辞に魅了された。しかも籠に飼うふとは。特選句「ゆらゆらと母の胎内天の川」最も明るくて美しい天の川の時期、幸せなゆったりとした胎児の将来までも明るく晴れやかな予感。

野口思づゑ

「夏の月禍・祭典分けており」禍と祭典の間の・必要性がよくわかりませんが「分けており」が効いていると思います。「夕蝉や猫背におどろく己が影」ショーウィンドーに映った自分の姿とか、同じような経験よくします。単に蝉でなく夕蝉が現実感を出しています。今回は特選句は特に選びませんでした。

シドニーはロックダウンが延長され、9月末までになってしまいました。また私の住んでいる地域は、近所は問題がないのですが地区の端っこに感染者が多いため、地区全体が夜間外出禁止になってしまいました。とはいっても、別に夜出歩く事は全くなかったのですが。5キロ圏内の生活にかなり飽きてしまいました。香川県も、早く収束するといいですね。

亀山祐美子

特選句『親許は全部遺品に蝉の殻』「全部遺品に」の「に」が総てを語っています。この捉え方は今までにもあったかもしれませんし、「蝉の殻」が付き過ぎと言えるくらい付き過ぎです。しかし、こう並ぶと「蝉の殻」が総てを包み込み作者の落胆慟哭敬愛を余すことなく伝える。合掌。

吉田亜紀子

特選句「須磨浦に風の散骨晩夏光」故人の供養には様々な方法がある。海洋散骨だろうか、私はまだ出会った事がないので経験がない。だけれど、この句は、光景が見えた気がするのである。「風」から、清々しい気持ちいい風。遺族の優しい気持ち。「晩夏光」から、キラキラと骨が舞う美しい光景。故人の強い生きざま。願いと光景と俳句が一体となった素晴らしい作品だと思いました。特選句「夏山を幾重越えれば故郷や(樽谷宗寛)」切に故郷を想う。「幾重」という言葉から故郷への強い想いが分かる。また、「夏山」が加わって、力強く、ダイナミックにこの句を感じました。

佐孝 石画

特選句「指先の痛みを試す合歓の花」緑中にぼんやりと灯るように咲く合歓の花。その朦朧とした花合歓のオーラに「痛み」を見た作者の詩性に大いに共感する。繊細な花蕊たちは風に揺れながら、何か身体の奥に潜む感情を必死に解放しようとしていうように見える。その疼きのような花合歓の揺れに作者はすうっと染み込んでいき、瞬間的に自身の指先の痛みの感覚の記憶と重なり合っていく。合歓自身、はじめて花という「指先」を得た歓喜のような躁状態で、なかば自傷的に痛みを「試す」に至ったのだろう。そんな花合歓のトランス状態を、視覚から痛覚へと導きながら紐解いた作者の感性に脱帽する。

重松 敬子

特選句「赤黒のクレヨンえがく原爆忌」胸に迫る一句です。もう、あってはならないこと。赤と黒の対比がその悲惨さを表現しています。戦争反対を言うだけではなく、我々にでも出来ることがあるのでは・・・・・。

荒井まり子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」突然の妙心寺が面白い。きっと澄んだ精神世界でしょう。 

山本 弥生

特選句「親許は全部遺品に蝉の殻」故郷を離れて都会に住み親も亡くなり空家になった生家は全てが遺品になってしまった。遺愛の庭樹の蝉の殻さえも遺品の一つである。

飯土井志乃

特選句「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」何気ない日常とその喪失を描く。地を這う蜥蜴に己を託し、ふり返りし日々は瑠璃色に光る、その喪失は「ガサッ」と跡形もなく崩れて後「私は未亡人」と自己を突き離す強さ、この一句を私は忘れないだろうと大切な一句になりました。

三好三香穂

「油滴天目手の平の晩夏光」天目茶碗の光は宇宙のようである。手に取りじっくり鑑賞している様子。そこに晩夏光、手の平の宇宙はまた違う輝きを放つ。「石畳鎖骨に輝く巴里祭」ヨーロッパの街並は石畳。歩くとガタガタして、コツコツと硬く体に響く。それを鎖骨で受け止めた所が面白い。さて、今年の巴里祭はいかがでしたでしょう。パリの空も遠くなってしまった。「夏の帯ざらついている恋心」麻の帯だろうか。恋心は芽生えたのだが、何故かざらついている。若い頃のような一途な恋はもうない。様々な感情が混沌と、打算も含んでザワザワしている。「もろこしにも味噌っ歯ありて笑ってる」店頭にあるトウモロコシはきれいに歯が揃っているが、畑で採れたものは様々。黒い歯もあり笑っている様に見える。ほのぼのとしている。

銀   次

今月の誤読●「ジンクスの右足から履く溽暑かな」。いつもは右足から靴を履くのに、その日に限って左足から履いてしまった。ドアの前に行って気づいたが、履き替えるのがめんどうでそのまま外に出た。とたんムッとする熱風が頬を打った。街に出るとビール箱の上で老人がしきりになにかを叫んでいる。「コロナによって世界は浄化され、正しき者のみ生き延びるだろう」というようなことを言っている。オレは50セントコインをやつの足下に投げた。するとやつはそれを投げ返してきて「わたしは乞食ではない」と言った。「へえ、それじゃ何者だい?」「予言者だ」「ふーん、それじゃ明日の天気を教えてくれ」。やつはギラギラした目でオレをにらみつけた。にらみ返してやろうかと思ったがめんどうなのでやめた。しばらく行くと四十過ぎのストリートミュージシャンが「未来のわたしを信じたい」と歌っていた。うんざりだ。おめえに未来なんざあるもんか、と思いつつ先ほどの50セント玉をギターケースに入れてやった。暑い。なんだかクラクラする。目の前にあったドラッグストアに入り、ビタミン剤とコーラを買った。早速ビタミン剤を四、五十粒ほど手のひらに取り出し、コーラでそれをあおった。あとはゴミ箱に捨てた。ドラッグストアを出て十歩ほど歩くと、これまでに経験したことがないほどのめまいに襲われ、スローモーションのようにオレは倒れた。これが熱中症というやつか。オレの目の前を人々の足が行き過ぎる。だれも助けてくれようとはしない。薄れていく意識のなかで、オレはもがいていた。右足と左足の靴を履き替えようと。

寺町志津子

特選句「虹消えてひとまず老いに戻りけり」七色の虹に、ふと若き日がよみがえり、気分まで若返ったのもつかの間、虹が消えると本来の年を実感。微妙な感覚を実に巧みに詠まれたと思います。「油滴天目手の平の晩夏光」油滴天目茶碗とそれを持っている手の平に差し込む晩夏光。お茶室のなんと言えぬ静寂さも伝わって好きな句です。「蝉の殻老いて人間くさく生き」老いて人間くさく生きに共鳴。私自身のことを言われている様で苦笑しました。蝉の殻の季語も働いていると思います。「逆上がり一生できず虹の反り」私そのままのようで、頂きました。「法師蝉直線で啼き点で消ゆ」法師蝉の鳴き方は言われてみれば、御句のとおりですね。

高橋 晴子

特選句「赤黒のクレヨンえがく原爆忌」赤黒のみの強調で原爆への効果は充分。クレヨンが勝手に描いたような表現で人間のしてしまった行動を訴えている。

松本美智子

特選句「とうすみの身体を抜けて風になる」俳句初者ですので季語を調べました。それで,なるほど・・・・・「風を抜けて」という表現がぴったりです。颯爽と秋風の中を飛んでいる様子が思い浮かびます。

矢野千代子

特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」はっきり説明出来ないのですが、「なんだか妙心寺」で、これは頂かなくては!という妙な心境です。妙心寺の字もいいのですが、はっきり説明出来ないところが又良いのですね。久しぶりに妙心寺を訪ねたくなりました。

田口  浩

特選句「パンの耳切り落したる敗戦日」この句<パンの耳切る終戦日>と軽く日常を詠みながしたものではない。作者はその日の思いをしっかりと<耳切り落したる敗戦日>と受けとめている。<切り落したる>には精神のゆれがあるし、また<終戦日>ではなく<敗戦日>に戦争は二度とごめんという覚悟が感じられる。「狗尾草束ね信心厚からず」<狗尾草>が活きているし<厚からず>巧妙である。「ひまわり咲く体外受精の父となり」<ひまわり咲く>は父の愛。「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」「ダルマさん転んだ先のあきあかね」わたしは本来、小さな詩に魅了されることが多い。

山下 一夫

特選句「目が合つて少しバタバタする噴水」噴水の前で切れていると読解。思い募る人と目が合ってしまったときのドギマギがユーモラスに描かれており楽しい。問題句「終戦日猫の爪詰むぱちんばちん(高橋美弥子)」猫は飼ったことないのですが、お互いの怪我や屋内の損傷を避けるためにぜひ必要な措置のようです。そのことと終戦日の対応に含み(例えば、猫が戦前の日本で、詰んでいるのが連合国とか)がありそうですが、「ぱちんぱちん」でちょっと分からなくなります。でも気にかかる句です。「ささやかにつなぐ家系や胡瓜揉み」ややつき過ぎにも見えますが、謙遜を裏打ちしている自信も感じられて味わい深い。「空蝉を集めた指の匂い嗅ぐ」そういえば空蝉にはフライビーンズ(花豆、油豆とも)感があります。こんがりした匂いがしそうです。「秘められし大地の滾り彼岸花」。「滾り」というのがスケールが大きくていい感じです。群生をそんな目で見てみたいと思います。「本当の自分と出会うサングラス」匿名の状況で自分の本性を確認したということでしょうか。SNSでのバッシングなども連想します。「瑠璃蜥蜴ガサッと私は未亡人」亡き夫の存在を直感した、それとも自身の性を意識する相手に出会ったか。ドラマ性を感じます。

河田 清峰

特選句「銀漢や一億人が欠けて往く」日本人が皆天の川の星になったようで淋しい。もう1つ特選句「冬瓜のスープ煮なんだか妙心寺」禅宗寺の妙心寺で食した精進料理が思い出される。

野﨑 憲子

特選句「青柿に真紅の車還り来る」かつて柿の木は、嫁ぐ折に新婦が持参し、その柿の木と共に生涯を過す習わしがあったとか・・。車は真っ赤なポルシェか、はたまたエスティマか、この作品の奥に、晩夏のロマンを感じます。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今年の「海原金子兜太賞」奨励賞に本句会の仲間である河田清峰さんと伏兎(三好つや子)さんが選ばれました。おめでとうございました。詳しくは、リンクから「海原」のウエブサイトをご覧ください。https://kaigen.art/news/  

8月句会は、香川県がまん延防止等重点措置対象地域になった為高松での句会は中止し事前投句による通信句会のみの開催といたしました。猛暑の中繰り広げられているパラリンピックの選手の方々の雄姿に深く感動するこの頃です。闇が深ければ深いほど立ち上がった時の光は遍く一切を照らすということを強く感じております。皆様、時節柄、御身くれぐれもご自愛ください。

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