2015年4月30日 (木)

「海程」創刊のことば 金子兜太

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われわれは俳句という名の日本語の最短定型詩形を愛している。何故愛しているのか、と訊ねられれば、それは好きだからだ、と答えるしかない。日本語について、あるいは最短定型詩の特性についての論理的な究明のあと、この詩形を愛するにいたった―といった廻りくどい道行きもさりながら、 ともかく肌身に合い、血を湧かせるからだ、といいたい。まず愛することを率直に肯定したい。

ともかく、愛することから出発し、愛する証しとしても、現在ただいまのわれわれの感情や思想を自由に、しかも一人一人の個性を百パーセント発揮するかたちで、この愛人に投入してみたい。愛人の過去に拘泥するよりも、現在のわれわれの詩藻の鮮度によって、この愛人を充たしてやりたい。これが、本当の愛というものではないか。

だから、くどいようだが、何よりも自由に、個性的に、この愛人をわれわれの一人一人が抱擁することだ。愛人はそのうちの誰れに本当のほほえみを送るか、それは各人の自由さ、個性度、そして情熱の深さによることだと思う。

このため、われわれは、この愛人にかぶせられている約束というものに拘泥したくない。ここに季語・季題という約束がある。この約束が長い年月形成してきた自然についての美しく、含蓄に富んだ言葉の数々は、立派な文化遺産であって、確かに俳句の誇りである。愛人は美しい自然の言葉によって装おわれ、また自ら美しい言葉を産みつづけた。しかし、現在ただいま、愛人を依然として自然の言葉だけによって装うことは、かえってこの人をみすぼらしくすることではなかろうか。自然とともに、社会の言葉でも装ってやりたい。自然と社会の言葉によって、絢爛と装い、育ぐくんでやりたい、とわれわれは願う。

最後にいいたい。最高の愛し方は、純粋に愛するということだ。愛人を取り巻く、いわゆる俳壇政治なるものは、いつの世にも愚劣であるが、いつまでも絶えることがない。われわれは、この政治や政略の外に愛人を置いてやりたい。俳壇政治を無視して、純粋に愛してゆきたい、と願う。

愛人に向って、われわれは、現在ただいまの自由かつ個性的な表現を繰返し、これによってこの美しい魔性を新鮮に獲得しようというわけなのだ。

火山の噴くやうに 加藤楸邨「海程」創刊号より

兜太君と僕とでは誰が見てもその作風がちがふ。作風がちがふのに相伴なふのは妙ではないかといふ説があるさうだが、これは古い殻にとらわれた短見といふものである。僕はいつも人間が自分の生きたといふ証明をするところに俳句が生き、俳句が生きるところにはじめて結社なり雑誌なりが成立つのだと考えてゐる。この願ひに立つ絶対自由な人間が、同じ願ひにつながる人間同志、相呼び相通ふところに始めて本当の意味の“ながれ”が生き、そこで個々の特性を通して新しい前進が行なはれるのだと思ふ。兜太が兜太の人間に徹した句を詠み楸邨が楸邨の人間に徹した句を詠むとき、始めてお互を尊敬しあふことができるのだ。その逆に先づ結社や雑誌があって人間がそれに規制されるのは同じ制服をたよりにした外形上のつながりであって、古い殻に過ぎない。

だから僕等のつながりはこの無形の願ひに於てなのであって、これを古い殻に泥んだ目で見られたのでは意味がない。僕等はながい間お互の勉強の場としてきた寒雷でこの無形のつながりを育て、その上に立ってお互の仕事を進めてきた。褒めるときも難ずる時も、何か生きる爪あとを俳句を通して生かさうとする願ひの上に立ってやってきたので、作風の相違こそむしろ発展の契機として尊重しあってきたものなのである。今度『海程』が出発するのを肉身的な切実さで感じてゐるのも、その願ひの上に立って文学史的な役割を認めるからに外ならない。

俳句に人間をといふ願ひを把持して約二十年前僕は出発した。草田男氏や波郷氏と共に難解派とか人間探求派とかいふ名で呼ばれ、今の君達が立たされたのとよく似た批判の場に立たされたのがそれである。この努力を通して基底となった手法は、大まかに規定するなら写生的なもの又はその展開が主であったといってよいであらう。近代人の知性とか意識とかは、事象描写の裏に沈められ、花に於ける香りの如きものとして、一応事象の底に融けた上で生きるのが理想であった。私はこれを自分の文学史的な役割と考へてきたわけであり向後もその線上に生きたいと念ずる。連句の手法でべた付といふのは前後の句を殺してしまふ。僕等は制服を着て整列するのではなく、おのれを生かしきる希ひの上に蕉風連句にいふ匂付によって刺激しあひ、生かしあひたいと念ずる。この「俳句に人間を」の方向には当然もう一つの大きな側面が実験せられないままに或は実験しても手こずったままに残されてしまってゐたと思ふ。つまり知性とか意識とかを殺し去ることなく、これを駆使し構成することによって更に新しい俳句の世界を開拓してゆく方向である。手法の上でいふなら近代詩がすでに果して俳句が果しきれてゐない方向であり、思想的にいふなら個にもとづき個にとどまるのでなく、もう一歩ひろい社会的基盤を生かすために、知的なもの意識のはたらきを殺さない態度である。兜太君の造型論はさういふ俳句的役割を負ったものと僕は考へてゐる。さういふ文学史的使命を負ふものでないなら、単なるモダニズムの頽廃に終ってしまふ外はないであらう。兜太君の俳句を、植物的に受容する態度のものから、積極的に知的意識的に形成してゆく、いはば動物的な性格のものと見たのは(僕が以前朝日新聞に書いた紹介)この意味なのである。

僕はこの方向は大きな意味を持つものであるだけに非常な困難を伴なふものだと考へてゐる。失敗の危険を孕むかもしれないが、これが成功したら、この短詩型には更に大きな近代詩としての豊潤さが期待されよう。これはできないことだとか、俳句の役割ではないと言ってやらないでゐればいつまでもできないで終る。やってみなければ新しい途は決して生れないのである。崩壊の危機を持つことによってのみ若々しい前進が生れる。真の伝統は単に変化をおそれて墨守するものではなく、生み出してゆくべきものなのだから。

火山の噴出のやうに新しいものが生れる奔騰の中には、さまざまの夾雑物が含まれてこよう。完成した立場の人々の忌憚に触れることも多いと思ふ。しかし、やむにやまれぬ勢ひはとどめてとどまるものではない。おそれず、いぢけず、ゆたかに、力づよく思ひきってやりぬいてゆくほかはない。往々にしてこの夾雑物のみを非難して、「何故にこの噴出をしなければならないのであるか」といふ根源が見失なはれる場合も起ることと思ふ。しかし、他からの指摘をまつまでもなく自分の吐いたものの始末は自分で責を負ふ凛然たる自己批判の精神こそこの運動を生かす大切な力だと信ずる。

正直に言って、兜太君の作品は既成の魅力よりは可能性を孕むといふ期待の魅力の方がかかってゐると思ふ。僕はこの孕まれた可能性が一句一句現実のものになって、一誦三嘆、今までの俳句には見られない魅力になる日を信じて待つ。雑誌の機関車になると作者としての消耗が起りがちで、多かれ少なかれ宗匠化してゆく傾向をとりがちなものだが、知世子にいはせると心臓に針金の植はった兜太君のことだから、心配は要らないだらう。一にも二にも作品第一、時によっては、自分の組立てた俳論などは爆砕してもいいから、踏み出していってほしいものである。

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