2025年2月23日 (日)

第158回「海程香川」句会(2025.02.08)

梅円形.jpg

事前投句参加者の一句

                                                                                                                                             
<熊野古道を歩く>中辺路の王子むっつり春を待つ 増田 暁子
水仙や削ぎ落としたる美を極む 漆原 義典
叔母へ出る母の訛りよ雛の間 和緒 玲子
どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば 小西 瞬夏
墓に雪寒さ嫌いの父母に会う 滝澤 泰斗
虚無という青絨毯のボート漕ぐ 桂  凜火
ジョーカーを引く大寒の星条旗 岡田ミツヒロ
入院や鞄の中は吾の匂ひ 川本 一葉
寒明や意地を通すもここらまで 柾木はつ子
蝋梅を手折る媼に香をもらう 河田 清峰
22円惜しんで仕舞う世間かな 田中アパート
闇に蝋梅星いくつも花びら 福井 明子
震度六ウルフムーンや胸パクや 疋田恵美子
逝けば皆深交を謂ふ干柿の粉 時田 幻椏
仕舞には鬼をもてなす節替り 森本由美子
父の忌や伊豫に初雪はらはらり 向井 桐華
絨毯にきのう転がっていた平和 伊藤  幸
象の棲むからくり時計日脚伸ぶ 大浦ともこ
凛として山登りゆく冬桜 末澤  等
着膨れて剥落の音あるくたび 若森 京子
帰るとこあるっていいな冬の虹 竹本  仰
放射線防護の志士の出初めかな 新野 祐子
立春や鍵挿すやうに配架せり 三枝みずほ
白ばかり生ける山茶花開戦日 綾田 節子
へへへへと横列に鳥春を待つ 野口思づゑ
暁をかける駿足福男 三好つや子
息白しだれの素顔も知らざりし 亀山祐美子
指ではじくちょっときれいな冬銀河 十河 宣洋
ひとひらの曇天としてゆりかもめ 月野ぽぽな
風吠ゆる鰤大根の染みぐあい 重松 敬子
冬落暉はらからという水溜まり 佐孝 石画
天と地と金子兜太と臥竜梅 島田 章平
白て二百色あんねん雪をんな 藤川 宏樹
一病を隠し目深に冬帽子 佳   凛
川鵜冷え荒ぶる神のごとく反る 松本 勇二
ぽろろ山茶花告白するならストレート 津田 将也
副作用かくすウィッグや初鏡 え い こ
鍾乳洞のごとき古書店雪催 菅原 春み
テレビ笑っているだけの昼ごまめ噛む 野田 信章
山眠る皆前向いて夜行バス 花舎  薫
僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校 豊原 清明
春来る昭和平成令和生き 山本 弥生
満作が眠りの精に恋をした 吉田 和恵
働いて働いて餅焦がしけり 河西 志帆
風花や悔いきりきりと指の先 松岡 早苗
悠久の仏がつまむ寒昴 銀   次
挿絵には無名の林春隣り 男波 弘志
まう春と書いて明るくなつてきた 各務 麗至
空き家の山茶花ただただ赤くいて 薫   香
<パティシエの重ねしフォルム春浅し 山下 一夫
空即是色春の鴉は空を見る 榎本 祐子
マスク取りピカソが出てくる不思議かな 田中 怜子
うすらひやてんしのはねをときはなつ 松本美智子
こつんと冬芽おずおず歩むホビットに 高木 水志
山笑うなら私だって笑っちゃおう 柴田 清子
席を立つ冬夕焼を揺らすため 河野 志保
塔和子その名仮とか月の道 三好三香穂
素寒貧なり横目の比良八講 荒井まり子
老犬も心ブギウギ春隣 稲   暁
寡黙なる母のことばが風花に 植松 まめ
ステンドの提灯ともりし我が枯野 中村 セミ
沈黙のカウンセリング梅一輪 塩野 正春
括られて大器晩成だぞ白菜 岡田 奈々
複写機の送り出す翳紋黄蝶 大西 健司
草履編む不立文字の炉辺の僧 樽谷 宗寛
生きもののいのちはひとつ薄氷(うすらひ) 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。からくり時計の中に象がいるという不思議。実際にあるのかもしれないけれど、「棲む」というからには、ただそこに人形の象がいるというよりもそこで息づいているという象なのだろう。「日脚伸ぶ」という季語と取り合わされることで、見えない時間の流れを生き物のように造形した句であると思う。

松本 勇二

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。古書店の比喩が見事です。古書店が神秘的な空間に思えてきました。

福井 明子

特選句「わたくしを捨てて拾って冬の道(佐孝石画)」。散歩を日課にされているのでしょう。ことさら冬の散歩道は、こころが寡黙になります。自問自答の坩堝にはまり込んでいくような、そんな一歩一歩が句の中に立ちあがっています。だれもが、「わたくし」という存在を「捨てて拾って」歩み続ける。生きていることの真理に満ちた一句をいただきました。

月野ぽぽな

特選句「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。「私だって笑っちゃおう」の発語が楽しく、春の弾む気分に合っていますね。冬を抜けて春を迎えた山の様子に、人の心情が反映された詩の言葉「山笑う」。一句が言葉遊びのように見えて、単に言葉遊びに終わらないのは人間という、自然の力と言葉の力に大きく影響を受ける私たちのありようそのものを暗喩しているからなのだと思いました。

豊原 清明

特選句「へへへと横列に鳥春を待つ」。先日、渡り鳥の大群を見たが、一句に籠るのは「春を待つ」である。特選句「帰るとこあるっていいな冬の虹」。帰宅したい人が冬虹を観賞しての一句と思い、共感する。家は大切。問題句「初鏡肌の調子も絶好調」。問題句ではありません。ただ、選ばないといけないので、票入れます。前向きな姿勢がいいなと思って。

岡田 奈々

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日(河西志帆)」。高校生の時スカートを布団に敷いて、寝ていたのを思い出しました。何故かずれるんです。建国記念の日2月11日は初代神武天皇の即位の日。決して日本が出来た日では無いのに、しゅるっと紀元節、建国記念の日となっている。何かすっきりしません。スカートもテカテカ。特選句「初鏡肌の調子も絶好調(十河宣洋)」。良いですね。斯く有りたいです。肌もということは、人生もということですね。ラッキー。「中辺路の王子むっつり春を待つ」。本当は早く春になって欲しいのに、子難しい顔をしていかにも鷹揚そうな風をするのは男子大好きですよね。「叔母へ出る母の訛りよ雛の間」。雛人形を飾る部屋で、叔母と母が若き頃の姉妹に戻り、お国訛りで自分たちだけの世界にひたっているのが、いかにも揺ったりと春らしい。「床板の一枚軋む霜夜かな(松岡早苗)」。寒さ厳しい頃何故か家の何処かピシ、パリつと音がする。「絨毯にきのう転がっていた平和」。平和が日常だと思っていたのに、どんどん遠のいていくようなこの頃。「指ではじくちょっときれいな冬銀河」。冬銀河はまるでハープのような音を出すのかな。「冬落暉はらからという水溜まり」。冬の夕日の淡い輝きのような繋がりが同胞なのか?「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。今にも落ちてきそうに積み上げられた本、本、本。薄暗い本屋。おまけに外は外で雪の降りそうな暗さ。お後がよろしいようで。早く帰ろう。「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。貴方が席を立つだけで、まるで地球が揺れるほどの影響力があるのね。

藤川 宏樹

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日」。きっちりと「寝押し」しても、その線は微妙にずれるものだ。連休を取るよう他の祝日は法で定められるが、「建国記念の日」は政令でこの日と定められ、動かない。飛び石になる今年の休みのずれが寝押しの線のずれと妙に呼応し、おもしろい。

十河 宣洋

特選句「悠久の仏がつまむ寒昴」。大きな仏さまというか、お釈迦様が見える。孫悟空がお釈迦様の手のひらの上を飛んでいたような印象を持つ。昴も仏様の大きなお心の中では摘まめるような気がする。悠久の時間を感じる。特選句「わたくしを捨てて拾って冬の道」。捨てないでと彼氏に縋っているのではない。それは歌謡曲の世界。冬の道を歩きながらの思索である。自分とは何か。何者だろうと思索は尽きない。哲学の道は京都だけはない。どこも哲学の時間になるのである。

桂  凜火

特選句「絨毯にきのうころがっていた平和」。本当にその通りだとはっとさせられました。当たり前のようにあることのありがたさに気づくのは、往々にして失ったあとであることも。

津田 将也

特選句「中辺路の王子むっつり春を待つ」。「王子」とは、熊野の神様の御子神を御祀りした場所のこと。中辺路に限らず、参詣道の村々にある。中辺路は紀伊田辺から山中に分け入り、熊野三山(本宮・新宮・那智)を巡る道。京都あるいは西日本から参詣する道筋のうちで、もっとも頻繁に使われた。静謐かつ、神秘的、不思議に存在する王子が春を待つ。なるほどに、「むっつり」といった言葉の雰囲気がふさわしい。 

樽谷 宗寛

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。言葉に無駄なく簡潔な作品にひかれました。

松本美智子

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。1月に「労働の対価は薄し餅を焼く」と投句しました。常套句を使用してしまい,どうもしっくりしなかったのですが、この句は「そうだ!こう表現したらしっくりくる・・・」と納得の一句です。今の若い人たちの生きにくさ「頑張っても給料があがらない」「真面目にはたらいても浮かばれない」といった閉塞感を表現したくて「薄い対価」と「ぷっくりとふくらんだ餅」を対比して作りましたうまくいきませんでした。この句は私の句を添削してくださったように思います。働いた後の餅・・・それは全く焦がしたくありません。♡句会では,皆さんお元気でしたか。本当にご無沙汰しています。一人でくすぶっていたらいい俳句もできないと思いますが・・・なかなか,叶わず・・・今年は頑張って参加できる時を探りたいと思います。よろしくお願いします。寒波過ぎるまで,我慢ですね。ご自愛ください。→句座をまたご一緒できる日を心待ちにいたしております。

大西 健司

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。何とも繊細な感覚。掌には葉っぱが一枚そっと乗っている。ただそれだけなのだが、ピュアな瞳が見えてくる。一枚だけのあと一字開けたい。

島田 章平

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。まさに現代の句。「働いて働いて」のフレーズに言いようのないやるせなさが滲みでる。焦げた餅が悲しい。

柴田 清子

「働いて働いて餅焦がしけり」。この句の説明や解説は、出来ないけれど、とにかく胸に迫って来る特選句です。「まう春と書いて明るくなってきた」。この作者の春の迎え方が、とっても楽しい気分にさせてくれました。これはもう春ですね。特選です。

三好つや子

特選句「闇に蝋梅星いくつも花びら」。東洋的でどこか西洋的な言葉の響きが感じられ、蝋梅の花の色はもちろん質感までも、深く伝わってくる不思議な味わい。特選句「複写機の送り出す翳紋黄蝶」。コピーするときのガラスの下をすばやく走るもの、それを紋黄蝶と捉えた表現にハッとしました。複写機という無機質なものを介して、躍動感あふれる春の光と影を詠んだ句に、感動が止まりません。「白梅の匂いあなたの剛直球」。寒さをものともせず凛と咲く白梅の清々しい香りは、聡明でこころが真っ直ぐな人を想像させます。そんな人が発する言葉はまさに剛直球。「白て二百色あんねん雪をんな」。おふくろ的な雪女もいれば、キャリアウーマンっぽい雪女、ひょっとしてマイノリティーもいるかも知れない。多様性の時代ならではの句だと思います。

植松 まめ

特選句「老犬に頬舐められる御慶かな(菅原春み)」。物価が高い油が高いぶつぶつ文句は言うが政治は一向に動かないが、それでもお正月は来る。老犬に頬舐められるだけでもうれしい。特選句「括られて大器晩成だぞ白菜」。我が家は秋白菜の苗を10本植えたが、どうしたことかほとんど結球せずに葉っぱは鶏の餌となったが後からうえたミニ白菜が結球してくれ毎日の食材になっている。「焚火跳び越せ海の女の声激し」。これは三島由紀夫の『潮騒』を句にしたのか?  吉永小百合がヒロインの映画も良かった。

大浦ともこ

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。昨日は転がっていた平和が今日は脆くも失せてしまう・・平和という日常の危うさ、心もとなさを突き付けられる。絨毯という言葉を選んだのも良かったと思います。特選句「立春や鍵挿すやうに配架せり」。図書館での描写でしょうか、鍵挿すやうに本を的確に丁寧に配架していく様子が覗えて好もしいです。季語は立春が良いのかなと少し思いましたがやはり立春で良いと思いました。

河西 志帆

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。明日の事は分からないと、最近しみじみ思います。会いたい人には会いに行こう。やりたい事を諦めないように!特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。夕焼けを見るために立ったんじゃない、揺らすためなんだよ。問題句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。この句の持つ深い意味と、その影になりそうな日の丸が見えて、悩ましいんです。凄い句だ!

滝澤 泰斗

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。勝手な解釈?思い違い?どなたかの言う誤読かもしませんが、このはらからはパレスチの同胞・・・落暉はどこに沈む夕陽かと考えると、地中海の西。そして、水溜まりは、イスラエルの地図を俯瞰すると、あのガザが浮き上がる。パレスチナの同胞は毎日、落暉を見つめて、同胞が被ってしまった運命を呪う。特選句「白ばかり生ける山茶花開戦日」。ここで言う山茶花は白。その白は、白い布に包まれた骨壺を首から下げて船から降りてくる葬列。すべては1941年12月8日のトラ・トラ・トラから始まり、この開戦が無ければ、沖縄も広島も長崎も、そして、ソ連の参戦に拠る満蒙の悲劇も、残留孤児問題も、シベリア抑留も無かった・・・とは、穿ち過ぎだろうか。共鳴句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。全くもって、アメリカの民意はジューカーを引いてしまった思いだ。「絨毯にきのう転がっていた平和」。戦争が廊下の奥に立っていた・・・に通じるものを感じた。戦争と平和は紙一重。危ういものだ。「一病を隠し目深に冬帽子」。発熱に、コロナかインフルエンザかわからずに行く発熱外来へはこれにマスクして、まるで、犯罪者の体だった。この一句とは背景が違うだろうが、妙な共感があって、深刻なのに、笑ってしまった。「平和呆けの吾に言問ふ憂国忌」。その現場にいたわけではないが、人生の中で、忘れられない出来事の一つに三島の割腹事件がある。文学者三島の凄さはわかるが、何やら軍服まがいの楯の会の三島は違和感の極みだった。この句の作者同様、事あるごとに三島の思考を思うこと多し。「種を選る男「ふるさと」口遊む」。こんなホッとする句を詠みたいものだ。

松岡 早苗

特選句「空即是色春の鴉は空を見る」。鴉の目に春の空はどのように映っているのでしょうか。一切が「空」であるとしても、春という輝きに満ちた季節は確実に巡り来て、屋根の鴉は変わらず黒い。一見とぼけているようで、生きることの根源についてしみじみ考えさせられます。般若心経の深遠な教えと卑俗な鴉、明るい春の色と鴉の黒という対照的な取り合わせもよく効いていると思いました。特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。「冬夕焼を揺らす」という措辞に魅かれました。この句が内包する繊細な感性は、若者特有のもののようにも感じました。理想と現実、自負と不安といった思春期ならではのアンビバレントな心の揺らぎを背景に置いて読むと、ひときわ切ないです。

若森 京子

特選句「句姿は愉快にへこむ紙風船(河野志保)」。最近、作句する時、やはり年齢を意識せざるを得ない。この一句の様に力まず情感の漂う句姿に憧れる。特選句「括られて大器晩成だぞ白菜」。括られて、で始まる一句。括られた白菜の姿と大器晩成の言葉が感覚的にぴったりとした表現に惹かれた。

伊藤  幸

特選句「逝けば皆深交を謂ふ干柿の粉」。親戚や友人が一人逝き二人逝き、これまで疎遠になっていた者同士が励まし合い慰め合い親交を深めてゆく。長兄から最近「元気か?」とよく電話あるがそれもそのせいだろうか。干し柿が時間を経て甘くなり表面に粉を吹く、下語の措辞が効いている。特選句「素寒貧なり横目の比良八講」。数十年前「掌に三百円聖夜きらびやか」という句を詠んだことがある。「比良八講」法会と作者の関り有無は定かでないが「素寒貧なり」という悲しい響きは当時を思い出し心に沁みる。とは言いつつも掲句に何処か余裕を感じるのは私だけだろうか。佳句であるのは確かだ。

高木 水志

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。寂しさの中にちょっとの優しさが覗いているような俳句だと思います。下校という言葉のイメージで、無季ではあるけれど詩情を感じます。

男波 弘志

「ひとひらの曇天としてゆりかもめ」。<として>、の説明が表現からなくなればもっと高みへ出ていくだろう。秀作。「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。下校、が季語と同じだけの質量をもっている。加えていえば春にも夏にも出てゆける振幅を備えている。読み手によって無限の鑑賞が成り立つ。そのあたりが無季の拡がりであろう。推敲をする場合にも当季に関わりなく広い視野で四季を俯瞰するべきだろう。特選。

花舎   薫

特選句「虚無という青絨毯のボート漕ぐ」。ボートに見立てた青い絨毯は自分の世界だろう。喪失感、虚無感を抱きながらも、圧倒されそうに巨大な海を小さなボートがゆっくり滑っていく。そこにかすかな希望も見える。感覚的でありながら鮮やかに映像が浮かぶ。特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。奇しくもこちらも絨毯の句。寝っ転がってごろごろできる暖かく安全な自分の居場所。その平穏を突然奪う戦争や災害、あるいは犯罪による被害。ここでは心の平穏というもっと小さな平和かもしれない。いつもそこにあって顧みなかったものが無くなって気付く。失うことが如何に簡単かということに。平和が「絨毯に転がっていた」という表現に新鮮さを感じた。

野田 信章

特選句「複写機の送り出す翳紋黄蝶」。「複写機」というメカニッカルな無意識の動きでありながら、それを「送り出す翳」と直感するところは有情的でするどい。読みもその「翳」が即「紋黄蝶」だと断定的に読めるところがよい。その上で、一色のあざやかな蝶ではない、やや地味の「紋黄蝶」の配合に込められた作者の心情の裏打ちにも触れ得る心地がする。

新野 祐子

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。どんな分野の古書を扱っているお店なのでしょう。鍾乳洞のような、なんて。「雪催」を配して、とても深遠な雰囲気。惹かれました。 ♡野﨑さんより本の紹介をと、ありましたので書かせていただきます。私の今月の二句「放射線防護の志士の出初めかな」「3・11消防士らの勲なお」は、『孤塁―双葉郡消防士たちの3・11 吉田千亜著(岩波現代文庫)』を読んで作ったものです。こんなに泣かされた本はかつてありませんでした(悔し涙というべきです)。そうですよね。原発事故は、世界で三番目。日本では、初めてですから。この本が一人でも多くの人に読まれることを願います。あの日を忘れないでほしいから。→ 『孤塁』のご紹介ありがとうございました。原発事故の怖さを目の当たりにし言葉を失いました。

三枝みずほ

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。まるで象が春をつれて来るような感覚、その眼差しに温かみを感じた。冬の厳しさに耐えてきたこその発見だろう。秒針の音とともにもうすぐ家中が春の光で溢れる。

野口思づゑ

特選句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。個人名も、国名もあげず、深刻な時事問題を季語を巧みに使って一句として見事に完成させている。特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。餅を焼いているのをつい忘れて家事をしていたら餅が焦げてしまった、というより、ずっと仕事に励んできた人生だったのに、もしかしたらやり過ぎ、過ちがあったのかも知れないといった、一見シンプルな句ながら、後悔も読み取れるふくみのある句。「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。私も笑います。♡私は香川県はいつも温暖な県、を思っていたのですが、なんだか寒そうですね。こちらは30度前後でそれなりに夏です。どうか風邪など、くれぐれもお気をつけて。

河田 清峰

特選句「マスク取りピカソが出てくる不思議かな」。マスクしてると誰か分からなく困ります。早くマスクを失くしたい。

薫   香

特選句「句姿は愉快にへこむ紙風船」。なんだか本当にそうだなあと思えて。特選句「象起きて刹那のパオン初時雨(松本勇二)」。今にも聞こえてきそうで。

榎本 祐子

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。昨日は平和だったが、今日や明日は分からない。「転がっていた」とは、偶然にも、幸運にもとも読める。平和の象徴のような絨毯がとても危うい。

竹本  仰

特選句「息白しだれの素顔も知らざりし」:「顔を持った連中がぼくより孤独でないなどという保証は何処にもないのだ。面の皮にどんな看板を下げていようとその中身は、いずれ難破船の漂流者と選ぶところはないはずである」と安部公房の『他人の顔』の一節にありましたが、ただ「息白し」にどこかに希望をつなごうとしている作者の眼は感じました。特選句「冬落暉はらからという水溜り」:歩いているんでしょうね。冬の夕方の光景って、何か忘れていたものを思い出させますよね。それも一雨来た後の道に夕日が染めて、心をしきりに傷ませる。重荷というのか、悩みとか病とか、昔はあんなに四六時中一緒に暮らしていたのに今となっては…何だろう?という心中の声を感じました。特選句「沈黙のカウンセリング梅一輪」:劇的な構成だなと思いました。答えが返ってこないカウンセリングと、咲き出ようとする白梅の新鮮な香と…。何かが始まるんだろうけれど、でも始まらないもどかしさを越えた静けさ。その水脈を見つけるために、一緒に覗きこもうとしている息づかいだけがある空間。芝居にしたら、きっと面白いだろうな。『ゴドーを待ちながら』をふと連想しました。 ♡大寒波がやっと一息ついたかなと思いました。夏の猛暑につづき、春先の大雪、これも温暖化の一歩ずつの足あとのようですが、変わり続づける四季を前に立ち尽くし見届けるのも俳句の使命なのかもな、等と思っています。変化し続けるのが生きるってことなのでしょうが、この先もホンロウホンロウの毎日なのか、俳句もそこでの一つの挑戦だと思って書き記したいと思います。みなさん、いつもありがとうございます。よろしくお願いします。

吉田 和恵

特選句「父の忌や伊豫に初雪はらはらり」。雪国では、初雪が来ると身構えますが、伊予では、初雪が父御の思い出まで連れて来るのですね。ちなみに私は松山で四年間学生時代を遊びました。♡明日の夢より今日のパン・・・・・明日のパンより今日の俳句・・・・?????・・なんのこっちゃ!毎日寒いですね。(投句時) ・・只今、積雪は一メートルほど。雪見には見頃ですよ。(2025.2.10)

柾木はつ子

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。古書店のイメージは奥が深くて薄暗い、正に鍾乳洞のようなところという印象です。しかも未知の探検にワクワする場所。「知」の探検に心躍る場所…比喩が言い得て妙だと思いました。特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。「一所懸命生きてきたのになぁ、ドジな俺(私かも)…」そこはかとなく漂う哀感に共感を覚えます。

銀   次

今月の誤読●「湯の中の茶葉はゆるゆる春の雪(榎本祐子)」。食卓の上に湯飲みが一コ置かれている。どうやら淹れたての煎茶のようである。ほのかに湯気がたちのぼっている。いかにもおいしそうだ。そこに父さんが入ってくる。「おや」とその湯飲みに気づき、それに手を伸ばそうとする。と、とたん父さんはまるで凍りついたように、そのままストップモーションする。母さんがそれを見とがめ「あら、どうしたの? 熱いの?」と湯飲みを取ろうとする。と、母さんもまたそこでストップモーションしてしまう。娘はいぶかしそうにふたりを見て、「飲まないの? じゃああたしがいただくわ」と手を出す。と、またもや娘もその姿勢のままで止まってしまう。三人が三人ともまるで時間が止まったかのように、まったく動かない。動いているのは湯飲みの湯気と窓の外にチラホラ降る雪だけだ。「おはよう」と息子がキッチンに入ってくる。息子はあたかもポーズをとったように動かない三人を見て驚くが、思いついたように自分のポケットからスマホを取り出す。そしてパシャリと家族の写真を撮る。息子はその写真をSNSにアップする。コメントは一言。「一家団欒」。

増田 暁子

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日」。線がずれているズボンと建国記念日との取り合わせに違和感を感じている作者。特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。絨毯の産地の中東諸国には平和がいつも有ったのかは疑問ですが、今よりは、もっとマシだったと思う。平和は普通に転がっていた時を思う。深いですね。

漆原 義典

特選句は「白梅の匂いあなたの剛直球(竹本 仰)」です。春の近づきを告げる白梅の匂い、下五の剛直球が力強く季節感をよく表しています。<あなたの>がやさしく素敵です。素晴らしい句をありがとうございます。

菅原 春み

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。冬の入日という冬落暉の季語とのとりあわせが絶妙です。はらからを水溜まりとした実感も複雑な関係を言い得て妙です。特選句「天と地と金子兜太と臥竜梅」。 兜太先生の亡くなった命月にはスケールの大きい天と地に思いを馳せ、お好きだった臥竜梅をおいたところに溢れる作者の気持ちが。名詞だけを並べたところにも迫力があります。

岡田ミツヒロ

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。転がっていて一見頼りなさそうな平和、昨日までいたが、今はいない。白泉のあの名句への序章のようだ。特選句「白て二百色あんねん雪をんな」。二百通りもの雪をんなの衣裳、今日はどれにしようかしら。自在な発想で斬新な雪をんな像を現出した。

佐孝 石画

特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。「ちょっと失礼」と一言ことわりを入れ、席を立つ。その理由は「冬夕焼を揺らすため」。そんな不条理に痺れた。カミュの『異邦人』の「太陽のせい」を想起させる。席を立つシチュエーションも、会議であったり、授業であったり、映画館であったり、電車の中であったり、想定はいろいろだが、席を立つことで生まれる、座っていた「空間」が後を引くように存在感を濃くしていく。自分がいた場所といない場所。そんなことを思い起こすとき、生じてくる喪失感は、実は誰しもが日常で共有する感覚なのではなかろうか。作者は夕焼けを「揺らすため」に意を決して腰を上げるのだが、そもそも冬夕焼はいつも揺れているものであり、人ひとりでそれを揺らそうなどというのは、下手な言い訳にもほどがある。この「揺らすため」は、目的そのものを示しているのではなく、誰か第三者にあるいは己に向けた言い訳のようにも思える。そして実は「揺らすため」ではなく「揺らされるため」だったのではとも思えてくる。拙句にも「自転車漕いであの夕焼を殴りに行く」があるのだが、振り返ると実際は「殴られに」行きたかったのだろうと思っている。

疋田恵美子

特選句「天と地と金子兜太と臥竜梅」。広々とした宇宙感、世界に名を馳せた金子兜太先生が見える。宮崎県にも、臥竜梅で有名な座論梅という名所があります。側にはゴルフ場も有り座論梅ゴルフ場と言います。兜太先生逝きあとも、会員皆さんで香り良い紅色の花を咲かし続けております。特選句「一病を隠し目深に冬帽子」。一病息災といいます。残された時間を、楽しく大切に生きることは何方にとっても大切と思います。

山下 一夫

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。中七以下は謎。上五との関係で、人生の終盤になってまとわりつき、時として往く手を阻みもする同胞関係のしがらみと受け止めました。うっとうしいことなのですが、季語の荘厳さが全肯定を求めてきます。特選句「テレビ笑っているだけの昼ごまめ噛む」。季語から「ごまめの歯ぎしり」を連想し、詠まれている光景にじんわりと鬱屈が滲みます。歯が丈夫そうな人も見え、ペーソスも漂います。問題句「マスク取りピカソが出てくる不思議かな」。「ピカソ」は「ピカソその人」ではなく「ピカソ絵画に描かれる人物の顔」かと。その省略の可否が気になるものの妙に納得もさせられます。最近、コロナ隆盛以来で初見からマスク顔しか見ていない人がいますが、たまたまそれを外す場面に出くわすと掲句のように一種シュールな感慨を確かに持つのです。

森本由美子

特選句「パティシエの重ねしフォルム春浅し」。とてもセンスの良い句と思います。洗練された映像が心を豊かにします。インスピレイションをありがとうございます。

河野 志保

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。少しずつ春の気配を感じる穏やかな日。「象の棲むからくり時計」が童話めいて楽しい。

時田 幻椏

特選句「川鵜冷え荒ぶる神のごとく反る」。川鵜の嫋やかな体躯を寒中に晒す中、その寒気に抗う川鵜の思わぬ動きに荒ぶる神を見る、印象極めて鮮明。特選句「風吠ゆる鰤大根の染みぐあい」。吠る風が良い。厳しい季節の中のささやかな日常、これも印象鮮明。

田中 怜子

特選句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。もう、本当に絶望と無力感です。星条旗が寒空にただただ旗めいている。特選句「雪月夜無人の家を照らしおり(銀次)」。こういう静かな世界があるんですね。

和緒 玲子

特選句「どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば」。感覚の冴えた句。冬を耐えている薔薇が儚く傾いた(朽ちた)途端、一面夕暮れが押し寄せる。夕暮れのどっとという質感と色が冬の薔薇のそれとの対比を明確にしており、夏の薔薇では成立しないのではないか。

末澤  等

特選句「満作が眠りの精に恋をした」。満作の花言葉の一つに、「幸せの再来」ということがあるそうです。この句は、幸せが再び訪れた際の安堵の気持ちを非常に上手く表現していると思います。

田中アパート

特選句「焚火跳び越せ海の女の声激し(岡田ミツヒロ)」。『おだまりローズ』白水社LLブックスを読んでいたら、レディ・アスター(ローズはレディ・アスターのメイド)は、T・Eロレンスと親友だった。<レディ・アスターはトランプ大統領と似ています>2人で、いきなり立ちあがって、バイクに飛び乗ったそうです。土煙に包まれて、猛スピードで、私道を走り去った(160ページ)なるほどで、DVD「アラビアのロレンス」をみることに。スピードの出しすぎからの事故死→ローレンスの葬儀 映画では、レディ・アスターもチャーチル首相もうつっていませんが、とにかくこの「アラビアのロレンス」は、恋や愛やなんぞまったくないのです。ロレンスにマーロンブランドで(本人ことわる)結局、ピーター・オトゥールできまり、他に、アリ首長にアラン・ドロン、モーリス・ロネもあがっていたらしいが、オマー・シャリフに、その方がよかった。ついでに、音楽モーリス・ジャールの関係か、「シベールの日旺日」との関係も、なつかしいですな。1962年制作で、60年以上前の作品でも名作です。「戦場にかける橋」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」他、デビット・リーンはいい映画を作ります。

重松 敬子

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。多感な少年のある日の出来事。この葉っぱが、何を意味するのか?彼にとって、大切な物であることは理解できる。

え い こ

特選句「蝶凍てて母の睫毛の白さかな」。蝶というのは、美しいですが、俳句の中ではその姿が絵のようにうかびます。亡骸もまつげに例えるのは勉強になりました。

山本 弥生

特選句「緋の蕪遺品の中のお菜箸(重松敬子)」。愛媛の特産品の「緋の蕪漬け」は、懐しく松山時代には亡母が漬けてよく届けてくれておりました。遺品となったお菜箸も(少し長目の)懐しくこの一句に沢山の想い出が込められています。

稲   暁

特選句「どつどゆふぐれ冬薔薇傾けば」。作者はあえて破調にしたのだろう。その破調が生きていて、「冬薔薇傾けば」の表現が躍動している。問題句「うすらひやてんしのはねをときはなつ」。大いに惹かれる句だが、全部ひらがなにしたのはなぜだろう?

向井 桐華

特選句「寡黙なる母のことばが風花に」。自分のことは後回しにしてでも、家族のことを想う母の背中。多くは語らない母のその背中を追いかけて追いかけて。もう届かないけど、母の言葉はこの風花になったんだね。

中村 セミ

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。とても、ユニークな例えですね、一度いってみたいです。古本屋さんの中が、鍾乳洞のように、上から何かが下りてきているのか、本が積まれそんな感じに見えるのかは、よくわかりませんが、また雪催もよく効いています。

佳   凛

特選句「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。この句を読んで若さが、はち切れそうな昔を、思い出しました。悲しい時も、苦しい時も、笑おうと、何かが、吹っ切れた気持ちです。私だって笑っちゃう。このフレーズ、大好きです。

野﨑 憲子

特選句「アルバムの先生元気花辛夷(月野ぽぽな)」。掲句の先生はもちろん金子兜太先生。辛夷の花の莟が膨らむ頃先生は他界された。私も、時おり先生のお写真を出しては元気をいただいている。辛夷の花の羽搏きまで聞こえてくる一句。特選句「こつんと冬芽おずおず歩むホビットに」。ホビット(Hobbit)は、トールキンの創作した架空世界中つ国の種族。『ホビットの冒険』や『指輪物語』にも登場する。身長が一メートル前後で、わずかに尖った耳をもつ。足裏の皮が厚く、毛に覆われているので、靴をはくことはない。かれらは、牧歌的な暮らしを好むという。冬芽がホビットの素足に触れたのだ。<おずおず歩む>姿が目に浮かんでくる作品。ファンタジーの世界が冬芽との出逢いで活写されている。 

「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ   宮沢賢治作「生徒諸君に寄せる」より)」

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

立春の水ごくごくと飲みにけり
稲   暁
ロールキャベツ啜る水に浮く詩人
藤川 宏樹
指切りの罪早春の水すくふ
島田 章平
半眼の鮫や真夜の水族館
島田 章平
水重く匂ふ朝焼け冬すみれ
和緒 玲子
遠くから水が流れて来て来て春に
柴田 清子
早春
早春や笑顔が広がる登山道
末澤  等
早春をどぶに捨てたる日もありし
銀   次
早春やもどかしがりて波音
野﨑 憲子
「二番目が好き」の字幕や春浅き
藤川 宏樹
秒針短針長針早春
柴田 清子
早春や老いが見つめる三里塚
島田 章平
早春の補助線探す水の星
藤川 宏樹
早春の雨きらきらと丘の道
稲   暁
二月(如月)
山なみに浮かびて光る二月堂
末澤  等
如月や龍太の川の谷深し
島田 章平
如月の朝のしづけさ先斗町
和緒 玲子
如月や鏡の奥に光射す
柴田 清子
如月の道草が好き青影
野﨑 憲子
兜太・たねを
選句さえ天衣無縫の兜太なりき
稲   暁
種を蒔く時には母を思ひ出し
島田 章平
兜太の忌人類はどこで間違ふ
野﨑 憲子
潮騒は星のことのは兜太の忌
野﨑 憲子
花いちもんめ互ひ違ひに雪をんな
和緒 玲子
ケチくさき男女の違い春の雪
稲   暁
春雷や互いの想い行き違う
末澤  等

【通信欄】&【句会メモ】

余寒厳しき中、10名の参加で句会を開きました。今月は、12日が高橋たねをさん、20日が、金子兜太先生のご命日なので、お二人のお名前も袋回しのお題に使わせていただきました。

世界平和を願ってやまなかった兜太先生の思いとは裏腹に、世界に、不穏な空気が漲ってまいりました。この小さな句会から渦巻く愛語の俳句を世界へ発信してゆく先に何かがあると念じながら精進してまいりたいと念じています。

2025年1月25日 (土)

第157回「海程香川」句会(2025.01.11)

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事前投句参加者の一句

                                                                                               
絶巓や鷹と肩組み風を待つ 松本 勇二
黒髪に戻りトランプ切る炬燵 藤川 宏樹
吉野のあばら家大鹿居座りて 樽谷 宗寛
林檎剥けない弟風を聴いており 大西 健司
AIの戦略方です待春 綾田 節子
一月の海一月の怒りかな 島田 章平
異界から掛け声われら初句会 山下 一夫
イエロウと言い〝捨て駒〟にされるなり  田中 怜子
湯けむりや開く扉に冬の虫 え い こ
革命を楽しみながら去年今年 滝澤 泰斗
しばらくは眼差しどれも暖炉の火 月野ぽぽな
底抜けて大通りには深雪かな 中村 セミ
爪ほどの悩み初日の揺るぎなく 和緒 玲子
二日はやどの煩悩も動きだす 十河 宣洋
毛糸玉ころがし母を近くする 河西 志帆
鍋底にめでたさ三度骨正月 塩野 正春
翅ひとひら切手めかして山眠る 松岡 早苗
鶴啼くや転調の後の虚空 森本由美子
初春や大鍋提げて娘の来る 河田 清峰
ワタシ何か言つたのかしら来ぬ賀状 野口思づゑ
生まれて来た訳問うてみる初空 柴田 清子
恐竜は鳥へと変わり冬麗 石井 はな
病院のベッドでヨブ記読初す 向井 桐華
鏡面の裏凍蝶のうつらうつら 榎本 祐子
元旦の俺の居場所は青い空 竹本  仰
乱世となるか昭和百年明けにけり 稲   暁
見尽くして冬青空を迷ひけり 三枝みずほ
紛争地の空しんどかろ白鳥来 新野 祐子
労働の対価は薄し餅を焼く 松本美智子
毎年のこれが最後と賀状書く 菅原 春み
冬麗の回転木馬騎士を待つ 桂  凜火
一富士の夢かねがねの仏の座 荒井まり子
饒舌のあとの静けさシクラメン 佳   凛
寒紅の息確かむる一指かな 小西 瞬夏
電飾の家向かい合い競い合い 時田 幻椏
初恋にして小走りは時雨かな 各務 麗至
妻の留守冬鳥がよく啼いてくれる 津田 将也
遥かなる伊予石手寺の初大師 山本 弥生
昆布巻きを買ひに車で行つたきり 吉田 和恵
初鏡今年の顔を授かりぬ 岡田ミツヒロ
冬風や古名啄む明石城 豊原 清明
夫逝かしめしひとに冬たんぽぽの黄が 野田 信章
乗り越えてゆく旋律のあり冬日 福井 明子
妻亡くしたとう寂しき背にも初日影 伊藤  幸
幸せナビの更新します初日の出 岡田 奈々
新年を抱いて哀しい白さかな 高木 水志
初硯筆に濃墨なじませり 漆原 義典
ゆるびゆく骨格じりじりと凍鶴 若森 京子
白杖の友は前向き冬菫 植松 まめ
雪雲や天使うつむくクレーの絵 大浦ともこ
明日はもう覚えていない柿落葉 河野 志保
堂々たる犬の野糞や冬日向 銀   次
とは言へど愛しき地球初山河 柾木はつ子
帰省です時間つぶしのブラックコーヒー 疋田恵美子
一年がはじまる青空がはじまる 薫   香
強くなり優しくなりたい鮫の群れ 増田 暁子
退院の夫の背中の冬日かな 重松 敬子
見えぬやさしさ触れぬやさしさ片時雨 佐孝 石画
ゆきちがふ人の濃淡日向ぼこ 亀山祐美子
餅を切るひとりの闇を離さずに 男波 弘志
間違いのように流され渋谷冬 花舎  薫
初日の出ばあばばあばの声響く 三好三香穂
冬の雨キャパのことばを持ち歩く 三好つや子
冬北斗浮かぶ山脈下山せり 末澤  等
鯨よくじら百年先の話しやうよ すずき穂波
戦争を銜へ一月の火の鳥 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「恐竜は鳥へと変わり冬麗」。季語の「冬麗」がなんとも効いている。恐竜から鳥への時間の流れ、大きなものから小さなものへの変化と相似性。鳥が懸命に、しかしたんたんときているさまが「冬麗」と響き合い、めでたい句でもあり、さり気なくこの世界を肯定している。

松本 勇二

特選句「一年がはじまる青空がはじまる」。年の初めの明るさや希望を青空に込めています。元気がもらえる一句でありました。

月野ぽぽな

特選句「白杖の友は前向き冬菫」。その境遇にめげず、明るく行動する友と冬菫の健気さと逞しさが響き合います。その友を敬うと共にその姿に励まされている作者を想像しました。

十河 宣洋

特選句「ワタシ何か言つたのかしら来ぬ賀状」。心配性の人が見える。よくあることで心配することはない。その程度の付き合いなら年賀状が来なくてもいいと思った方がすっきりする。親しい人なら電話もある。特選句「帰省です時間つぶしのブラックコーヒー」。久しぶりの帰省である。最初は歓待してくれたが時間と共に一人になる時間が多くなった。まあ、コーヒーでも飲んでゆっくりしようかという気分。

すずき穂波

特選句「戦争を銜へ一月の火の鳥」。ロシアの作曲家ストラヴィンスキーのバレー組曲を下敷にしている句だろう。このバレーはハッピーエンドに終わるが、ウクライナの行方はさて? 特選句「間違いのように流され渋谷冬」。20年近く前、渋谷の交差点近くのCafeに老いた母と入ったところ、そこは何と薄暗いネットカフェ。休憩のはずが顔を歪めたままの二人。とんだ東京見物の疲れきった1日を思い出した。

藤川 宏樹

特選句「ワタシ何か言つたのかしら来ぬ賀状」。郵便料の値上げもあり、今年は年賀状仕舞が多かった。私もそろそろ数を減らしたいが、もらった賀状には返事することにしている。やりとりしてきた賀状が来ないのは、何かあったかと気を揉むもんだ。

津田 将也

特選句「吉野のあばら家大鹿居座りて」。山の動物たちと共存する「吉野」だからこその一句。歴史深い山里をゆったりと流れる秋の時間までをも感じさせる。特選句「冬の雨キャパのことばを持ち歩く」。『写真はそこにある。私たちは、ただそれを撮るだけだ』『写真を撮る理由は、言葉で表現する必要がないものを表現するためだ』等々。(ロバート・キャパの言葉)

岡田 奈々

特選句「絶巓や鷹と肩組み風を待つ」。てっぺんに登って、鷹と肩組み出来たら、さぞ気持ちの上がる事でしょう。今年も山よ宜しく。特選句「元旦の俺の居場所は青い空」。最高です。心も躰も何隠す事無く、晴天です。「黒髪に戻りトランプ切る炬燵」。何だかんだと親に反抗してヤンチャしていた子。元の黒髪に戻り、親子揃って、あまつさえ、孫まで連れてきて、皆でトランプ出来る日が来るとは。感無量。「林檎剥けない弟風を聴いており」。弟は「自分はまだ包丁使えないし、林檎剥けないから、お姉ちゃん剥いて」と駄々こねてる。「ちっ、また弟風吹かしてる」姉もしたくない時も有る。「爪ほどの悩み初日の揺るぎなく」。本当こんな小っちゃな悩みで大仰な。取りあえず大きかろうが、小さかろうが、元旦はゆったりと。「毛糸玉ころがし母を近くする」。母が編んでくれたセーターを解いて毛糸玉にし、また編み始めた。ころころ転がった先に母が居そうな気がして。「鶴啼くや転調の後の虚空」。鶴の鳴き声で辺りの空気はガラッと変わってしまった。そして廻りに誰も居なくなったってか。上の人は言葉に気を付けてよね。「穭田に降り積む虚無と青春と(松本勇二)」。一度刈り取った稲にまたひこばえが、どんなに頑張っても二番成りは空虚。それが今の若い人のアルバイトばかりの空しいところか?「昆布巻きを買ひに車で行ったきり」。あの子は昆布巻きを買いに行くって、大金下げて何処まで行ったのやら。何日も帰って来ないよきっと。「二鷹の地住む暁闇の寝正月」。一富士はなかなかだけど、地に住む鷹には何とか夢で会いたいので、紅白歌合戦見てから、ずっと二日間寝て待ってます。夢で合いましょう。

塩野 正春

特選句「寒紅の息確かむる一指かな」。寒紅を付け今日も今年も生きて生きることを実感させる姿、おそらく鏡の前の仕草であろうが美しい。寒紅には何か哀しいニュアンスも感じさせる。特選句「初鏡今日の顔をさずかりぬ」。上記の特選句と似た句だが、初鏡が顔を授けるとはなんと素晴らしい表現だろう。作者は女性とお見受けしますが、男としてもこんな句を詠みたい。自句自解「鍋底にめでたさ三度骨正月」。宇田喜代子先生の現代俳句評論(骨正月)を読んだ。私にも昭和の頃の記憶が残っていた。鍋底の骨をきれいに味わった。スイスのフォンジュウも実際の食べ方は鍋底に張り付いた焦げたチーズを頂く。お客には出さない隠れメニュー、香りたかく旨い。「初春や世界の家族に母子手帳」。俳句として正直拙いと思うが、母子手帳を使いだしている国が50か国にも上ると聞く。親と子の絆が戻れば世界が平和になると信じる。

綾田 節子

特選句「寒雷や昭和残響今もなお(稲暁)」。季語が決まっていますね。私も昭和が懐かしく昨今、特に恋しい古い人間です。

島田 章平

特選句「絶巓や鷹と肩組み風を待つ」。まさに実景の持つ言葉の迫力。

柴田 清子

特選句「一年がはじまる青空がはじまる」。年の始めに思ふ、この先一年の祈りが、この青空の中にある。言葉はやさしく思いの深い句となっている。

樽谷 宗寛

特選句「初鏡今年の顔を授かりぬ」。好きな句。新年はじめの鏡に写っお顔。如何でしたか?よいところに目をつけられたと感心しています。

福井 明子

特選句「しばらくは眼差しどれも暖炉の火」。日常から火が消えて久しい。暖をとるのも、エアコンやヒーターであり、煮炊きもIHが幅を利かせている。そんなことを背景に、暖炉の火に皆の眼が注がれている情景を象徴的に句にされていると思いました。それは、かつて手をかざし火の前で暖を取った太古の記憶を、誰もがもっているからだと思います。

菅原 春み

特選句「異界から掛け声われら初句会」。先生が見守ってくださる、掛け声までかけてくださる初句会は素晴らしい。特選句「紛争地の空しんどかろ白鳥来」。白鳥の来る今でも紛争が続いている。空しんどかろに共感を。

豊原 清明

特選句「おんおんと除夜の浮寝や白鷗(男波弘志)」。二つの情景がぶつかり合い、「白鴎」に「浮寝」の情景が思い浮かぶ。特選句「琉球やお節お雑煮とも違う(河西志帆)」。「琉球」に行ったことのない、無学な自分だが、胸に留まる一句である。問題句「ぬぬ嘘じゃないよね初日から真蛇(野﨑憲子)」。「真蛇」に言葉の強さがあり、「ぬぬ嘘じゃないよね」に自己確認を感じる。

柾木はつ子

特選句「夫逝かしめしひとに冬たんぽぽの黄が」。昨年夫と永遠の別れをいたしました。まるで私に宛てて語りかけて下さっているような御句です。およそこの世で、愛する者との永遠の別れほど切ないものはないと思います。また人生のどん底に立たされた時、何より慰めてくれるのは、野に咲く花であったり、山や川、空、鳥の鳴き声…すべてが愛おしく、この美しい地球に今少し生きてみようという希望が湧いてきます。優しい思いやりの御句、ありがとうございます。特選句「堂々たる犬の野糞や冬日向」。この野糞の主はおそらく野良犬だと思いますが、この厳しい寒さの中で堂々たる糞をするほど元気なのでしょうか?「頑張って生きてね」と願わずにはいられません。

若森 京子

特選句「乗り越えてゆく旋律のあり冬日」。何か良い事を思いついた時、特に思う様な俳句が出来た日は、この様な冬の一日だ。特選句「餅を切るひとりの闇を離さずに」。餅を切るおめでたい行為と、ひとりの闇と云う発語との一句に、人間の性(さが)とか宿命を感じずにはいられない。

伊藤  幸

特選句「とは言へど愛しき地球初山河」。戦争に天災地変と まさに地球は崩壊寸前の状態にあるが人類にとってはこれ迄もこれから先もまだまだ崩壊してほしくない崩壊させてなならないこの地球。愛しい思いは皆同じ。世界が一つになり平和になることを願うばかりである。特選句「ゆきちがふ人の濃淡日向ぼこ」。人と擦れ違う時ふと「あゝこの人はどんな人生を送ってきたんだろう。家族はいるんだろうか。」等思うことたまにあるが決まってそういう時は気分的に少々余裕がある時。下語の「日向ぼこ」の措辞により作者の大らかさと深い洞察力が窺える。

男波 弘志

「初恋にして小走りは時雨かな」。しては説明に傾いてるだろう。「初恋は小走りに似て小夜時雨」この場合の、かな、は全体のやわらかな気配を消してしまっているだろう。秀作。「一年がはじまる青空がはじまる」。素直な表現でよく日常が出ています。初御空では日常は読みにくいでしょう。つまりその言葉自体がもう寿ぎの作品になっていますから。秀作。「強くなり優しくなりたい鮫の群れ」。青鮫の優しさに最初に気づいたのは兜太先生だろう。事柄だけの表現だが不思議に描写に至っているところがある。そこが手柄だろう。秀作。「間違いのように流され渋谷冬」。この句には不思議な世界観がある。冬が金輪際なのかが自分にはわからない。「間違いの渋谷林檎と流さるる」こんなことばが浮んだのだがまだまだ底が知れない。秀作。

吉田 和恵

特選句「毛糸玉ころがし母を近くする」。毛糸玉といえば猫を連想しますが、「母」となると諧謔ですね。それだけに編み物に勤しんだ母への想いも伝わってくるのです。

岡田ミツヒロ

特選句「一月の海一月の怒りかな」。原発汚染水の海洋放出を思った。放射能の海で囲まれた日本、ぞっとする未来図だ。特選句「爪ほどの悩み初日の揺るぎなく」。初日の雄大で神々しい姿の前には諸々の人の悩みなど爪ほどに縮小してしまう。

和緒 玲子

特選句「指の冷え小鳥の籠を吊るすとき(小西瞬夏)」。鳥籠という限られた空間の中で小鳥を飼うことへの、小さな違和感や罪悪感を持つ作者。その心情を指の冷えとだけに書き留めていて、一層読み手に想像をかき立てる。対照的な小鳥のつぶらな瞳まで見えてくる。

大西 健司

特選句「幸せナビの更新します初日の出」。俳句として上等かと言われると困ってしまうが、幸せナビがいいなあ。ほのぼのとした温みが何ともいい。初日の出にそっと手を合わせているのだろう。問題句「AIの戦略方です待春」。戦略方をどう捉えるのか、待春とどうかかわるのか判然としないが何ともいえない魅力がある。問題句としたがほぼ特選。

三枝みずほ

特選句「ゆるびゆく骨格じりじりと凍鶴」。年齢を重ねた骨格は次第に人間を離れ凍鶴へ同化してゆく。じりじりとの措辞に骨格と凍鶴が重なってゆく実感とリアリティがある。自身の老いを暗喩をもって切り込んだ一句。こういう飛躍があるから俳句は面白い。

野口思づゑ

特選句「毛糸玉ころがし母を近くする」。お母様に向かって毛糸玉を転がし、それを取ろうとするお母様と実際に距離が近づいたという情景より、毛糸玉が転がってしまった、その時に幼い頃の自分と母親とのあるシーンが思い浮かんだのでしょう。「昆布巻きを買ひに車で行ったきり」。どこかで寄り道をしているのでしょうか。それとも昆布巻き、って最近ではどこでも売られているわけでなさそうなのであちこち探しているのかもしれません。ちょっとユーモラスな句。「帰省です時間つぶしのブラックコーヒー」。若い頃父の故郷に行く機会があった。親戚の人々が土地の言葉で喋っていたのだが話に追いついていけない。だんだん睡魔に襲われていた頃従兄弟が外に連れ出してくれた。そんな事を思い出した。下五のブラックコーヒーが効いている。「間違いのように流され渋谷冬」。馴染みのある渋谷でしたが現在では、駅付近など工事中もあって混雑の迷路。そんな戸惑いがよく表現されている。♡今日は成人の日なのですね。穏やかな天気なのでしょうか。シドニーは、今まで比較的凌ぎやすかったのですが、今日は夏らしく空は青く、日差しの強い日になっています。句会報など楽しみにしています。またお世話になりますがよろしくお願いいたします。

中村 セミ

特選はありません。「初富士やわが青春の化石ふる(若森京子)」。に、ドキュメント話をつけました。富士山の裾野は、少し高いところから見ると、大きな鳥が羽根を広げているように、思う。その下の市長村を抱き抱えているようにも見える。そして、その鳥は、おそらくラドンしかないだろとおもわれる。歴史の記述にはないが、ラドンは日本全土をつぶすまえに、一休みで、そこに立つていた。その時噴火がはじまり、ラドンは粉々に砕け灰となり振り続けた。タイムスリップは、二千年以上まえである。だからいまだに、その後の富士山の再噴火で今の富士の形なったがラドンの灰で包まれている。ラドンの命は宿っている。おお、わたしのラドンと感慨深く話をしてくれるタイムトラベラーを知っている。    モキュメンタリー歴史講話より

河野 志保

特選句「革命を楽しみながら去年今年」。人生は起伏続きだと思う。それを「革命」と捉えたところが新鮮だった。力強く気持ちのよい句。

桂  凜火

特選句「乗り越えてゆく旋律のあり冬日」。何事かのへの強い決意が感じられる。思わず応援したくなりました。

増田 暁子

特選句「ゆるゆると市電の灯り除夜を邌る(花舎 薫)」。市電のゆっくり走る灯りが除夜の気忙しさと対照的に素敵な空間ですね。

松岡 早苗

特選句「爪ほどの悩み初日の揺るぎなく」。 初日の光を浴びると毎年清々しい気持ちになります。自然の荘厳さの前では自分の存在のなんとちっぽけなことか。ちっぽけな自分でもこうして生かされていることのありがたさをしみじみ感じさせてくれる初日です。特選句「妻の留守冬鳥がよく啼いてくれる」。この「冬鳥」は冬に渡ってきた白鳥や鶴なのでしょうか、それとも渡りの小鳥たちなのでしょうか。どちらにしても、賑やかな啼き声は、妻の留守の所在なさや寂しさを慰め、健気な命の営みを作者に届けてくれているようです。妻の留守だからこそいつもの啼き声もいっそう心に染み入るのかもしれません。「啼いてくれる」の「くれる」が味わい深さを生んでいるように思いました。

末澤  等

特選句「幸せナビの更新します初日の出」。年の初めにふさわしい句です。今年一年の幸せを祈って初日の出を見ている状況が、微笑ましく浮かんでくるようですね。

え い こ

特選句「寒紅の息確かむる一指かな」。お正月に7歳の孫が、わたしの古い口紅をだまって使っていました。あと、10ねんあまりて、これが似合うようになる姿を想像しながら、その口紅を、使ったのは、いつだったか いろいろ思い出したことと重なりました。あでやかなかわいさです。

佳   凛

特選句「乱世となるか昭和百年明けにけり」。乱世となる気配充分。 平和を願いつつ争うことを辞めない。何故?この先とても不安です。日本の舵取りは、大丈夫でしょうか?子供達の未来は?ただ、見ているだけの自分が、悲しい。

薫   香

特選句「生まれて来た訳問うてみる初空」。残りの人生の方が少なくなると、時々考えることがあります。特選句「おんおんと除夜の浮寝や白鷗」。「おんおんと」が何とも言えず好きでした。

佐孝 石画

特選句「餅を切るひとりの闇を離さずに」。ある程度硬くなってきた餅を包丁で切っていく。ザクッ、ガクッ。包丁とまな板と掌に響いていく強い断絶の感覚。搗き立ての餅の柔らかな混沌から変容し、個として確立し始めた「かたまり」を断ち切っていく時の感覚。それは「かすかな殺意」を帯びたものかもしれない。他者へあるいは自己への「断絶」願望。そのおぼろげな感覚に「ひとりの闇」を見たのかもしれない。下句の「離さずに」に、拭い切れない、にんげんの哀愁が滲む。

疋田恵美子

特選句「黒髪に戻りトランプ切る炬燵」。病気が回復され、家族団欒の幸せな様子が見えて良い。特選句「句を詠めば吾は少年初螢(岡田ミツヒロ)」。少年のような純粋な気持ちで作句いいですね。

河田 清峰

特選句「遥かなる伊予石手寺の初大師」。伊予の友に案内された石手寺が偲ばれます。初大師のお参りは叶いませんでしたが!

三好つや子

特選句「電飾の家向かい合い競い合い」。昼間ふつうの家と庭が、夜になって豹変するとはこのことでしょうか。凝った動きのするサンタやトナカイなど、派手さがエスカレートし、喧嘩寸前かもしれない状態をうまく捉えています。特選句「ゆきちがふ人の濃淡日向ぼこ」。それぞれ背負っているものが違う人生を濃淡と詠んだ、味わい深い表現。日向ぼこの着地もあざやかです。「二日はやどの煩悩も動きだす」。煩悩から逃れない私たちを、軽やかな句にした作者の聡明さに、一票投じました。「鶏日も狗日も猪日もなし戦地」。正月がない戦地をこういう言葉で紡ぐと、心にいっそう響きます。

漆原 義典

特選句「寒風や旅は最後と母の言ふ(大浦ともこ)」。上五寒風と、中七旅は最後が、母と良く響きあっています。私は母の句が好きです。素晴らしい句をありがとうございます。

森本由美子

特選句「乗り越えてゆく旋律のあり冬日」。永遠の時の調べの中から、score1ページ、その旋律には疼き、憂い、高揚、輝きなどが無秩序に織り込まれている。見えない惑星との契約どおり、ある冬の日旋律は透明な獣となり、頭上高く空を飛び永劫へと消える。

大浦ともこ

特選句「なつっこい仔牛と出会う元日草」。なつっこいという言葉の響きがとても暖かく季語の元日草と相まって小さな幸せをいただいたよう。特選句「とは言へども愛しき地球初山河」。いろいろ問題は山積していて、それはよくわかっているのだけどなお地球は愛しいという気持ちに共感します。初山河という大きな季語もとても気持ちが良い。

榎本 祐子

特選句「夫逝かしめしひとに冬たんぽぽの黄が」。「黄」のあたたかさ、励まし、お日様のようなたんぽぽの形状も、残された人に差し出された優しさを感じます。

滝澤 泰斗

特選句「絶巓や鷹と肩組み風を待つ」。絶妙の取り合わせで大きな自然を描けた。特選句「被爆八歳吶々語りき冬木の芽(野田信章)」。被団協の一人か?タイムリーな一句。下五の厳しい冬木の芽で決まり。共鳴句「イエロウと言い〝捨て駒〟にされるなり」。欧米を一週間も旅すると、一度や二度、たいへん不愉快な気分にさせられたことが多々あったこととこの一句が結びついてしまった。多分に情況の違いを感じつつも、戦前、アメリカに渡った日本人の苦労を伺い知る一句。今、流行りの壁、“人種の壁”根が深い。「労働の対価は薄し餅を焼く」。目の前で焼いている餅の薄さも気になる不思議?こういう餅の使い方に感心。「黄落や夫の命を風に聞く」。神宮外苑の黄楽の銀杏並木が風に揺れている。そして、最愛の人の命の行方を思う。涙が出るほど悲しい。でも、いい句です。

田中 怜子

特選句「なつっこい仔牛と出会う元日草(津田将也)」。ほっとするような出会い、福寿草もけなげに花開いている。この可愛い仔牛がどうなるか、いったん伏せて可愛さに心を寄せましょう。

山下 一夫

特選句「鏡面の裏凍蝶のうつらうつら」。おそらく実景ではないとして、鏡面の裏の凍蝶とは何かが気になります。鏡面に映っているのが自分の像だとしたら、その裏に潜んでいるのはナルチズム?それが「うつらうつら」というのは老境の自意識?などと妄想を誘う夢幻的な雰囲気が素敵です。特選&問題句「白蛇といふ一筆書きの呪文かな(三好つや子)」。蛇の肢体について一筆書きの呪文との見立ては言い得て妙なのですが、単なる「蛇」であればリズムも整うところ「白蛇」の必然性がどうもわかりませんでした。特選句「乗り越えてゆく旋律のあり冬日」。終末的なイメージが濃厚な季語「冬日」ですが、それを「乗り越えてゆく」という胆力と「旋律」の象徴性に惹かれます。当方的には個性や志、生き様等を連想します。

石井 はな

特選句「帰省です時間つぶしのブラックコーヒー」。実家を出て都会暮らし、仕事の忙しさも有って帰省は間遠になります。たまの帰省も我が家という感じが薄れ、何となく居場所の無い感じがして特に飲みたい訳でもないコーヒーを入れたりします。実家が自分から少し離れてしまった寂しさがしみじみ伝わる句です。

花舎  薫

特選句「鍋底にめでたさ三度骨正月」。二十日まで正月気分を味わい尽くしたその幸せを寿ぐ。美味しい料理を食べられるということがいかにめでたいことか。今年がいい年であってほしいと願うばかり。

野田 信章

特選句「餅を切るひとりの闇を離さずに」。「餅を切る」という修辞と相俟って松の内を過ぎつつある日常の現(うつつ)に向かわんとする気負いも伺える句柄である、中句以下の「ひとりの闇」の把握と述懐によって個我の能動的な結実の美しさも感得される句と読んだ。

新野 祐子

特選句「冬の雨キャパのことばを持ち歩く」。ロバート・キャパの『ちょっとピンボケ』を読んだのはもう四十年も前のこと。キャパを知っている最後の世代かもしれない私たち。キャパのさまざまな発言を振り返ってみたくなりました。「冬の雨」のしみじみ感がいいです。特選句「労働の対価は薄し餅を焼く」。餅を焼いてぷぅーっとふくれた瞬間の幸福感は何とも言えません。対価なんて考えようによっては何とでもなる、と思えてきますね。

竹本  仰

特選句「翅ひとひら切手めかして山眠る」。落ちていた翅なんでしょうね。多分死んだ残滓なのでしょうが、それが切手に見え、どこかに音信を伝えているように思え、どこなんだろうそれはと、山に問いかけている、そういう大きな絵柄なのだろうと見ました。そういう生死を越えた伝達の意志というか、面白いなあと感心しました。特選句「寒紅の息確かむる一指かな」。お化粧をしながら、自分の心持ちを、鏡の向こうの一指にたしかめる。何か大きなことが待ち構えているのかとも思えますが、そうではなく日々の平凡な仕草の中に、ふと自分の生き方を問い、なおかつこれでいいのだという自恃というか、矜持というか、そんなものを確かめている一瞬なのかなと思いました。特選句「ゆきちがふ人の濃淡日向ぼこ」。何かに似ているなあと思いながら、気づいたのは『奥の細道』の冒頭でした。「月日は百代の過客にして行き交ふ年もまた旅人なり。…」もちろん大きな時間の観念の違いはありますが、芭蕉がたどった日々の道行きはこの句のような感じじゃなかったかな、と思いました。日向で会いながら、影の部分に気づく。自分が自分にとって謎であるように、人は人にとっての謎があり、そういう人間世界の模様を気づかせているように思えました。♡今年の初句会ですね。思えば不思議なことにどこの地球上でも新年な訳で、誰にも見とおせない365日が来るのだと思うと、強烈に不安ではありますが、漕ぐ手は止めず、漂いつつも日々目標へ近づきたいと思います。今年の目標、万葉集全首に目を通すこと…出来るかな?そして、いつも初心でと思います。みなさま、よろしくお願いします。

高木 水志

特選句「ゆるびゆく骨格じりじりと凍蝶」。凍りつくような空気にまるで残り僅かな力を精一杯出して飛んでいるような冬の蝶に、自らの身体を重ねたのか。命の尊さを感じた。

松本美智子

特選句「見えぬやさしさ触れぬやさしさ片時雨」。「片時雨」の季語と上五中七の不器用な「やさしさ」とよく響きあっている秀句だと思います。

河西 志帆

特選句「妻の留守冬鳥がよく啼いてくれる」。啼いている、、、ではなく、啼いてくれるって!喋った事もないだろうその鳥に寄り添っているようで、妙に心に残るんです。特選句「指の冷え小鳥の籠を吊るすとき(小西瞬夏)」。高い何処に物を吊るのが、近頃きつくなりました。めまいなんかも起きそうだし、、飼っていた鳥を不注意で亡くした時、小鳥の指も私と同じに冷たかった。

山本 弥生

特選句「餅を焼く都会へ帰る子のために(松本美智子)」。令和の現代、都会に住む息子や娘はお正月だからと云ってあまりお餅を食べないと思うので何よりのお正月の御馳走としてお餅を焼いてお腹一杯食べさせて帰したいと母の愛情が溢れています。

時田 幻椏

特選句「林檎剥けない弟風を聞いており」特選句「初鏡今年の顔を授かりぬ」。2句共に、共感、イメージを素直に共有する事が出来ました。

亀山祐美子

特選句『初春や大鍋提げて娘の来る』。二人切りになり大きな鍋は処分した。正月子供たちが寄り集まるが人数に見合う鍋が無い。しかし、気の利いた娘が大鍋を提げてやってきた。ただそれだけのことに正月の団欒と歓声が聞こえる。食材や手土産を手分けして持参する。集い喜ぶ歓声と子の成長を改めて認識するお正月。この一年も幸多かれ。

稲   暁

特選句「戦争を銜へ一月の火の鳥」。作者はあえて破調にしたのだろう。反戦の思いに共感した。特選句「雑炊の混沌嬉し匙入れる(月野ぽぽな)」。あつあつの雑炊は冬のごちそうだが、それを混沌と表現したところが秀逸だと思う。感情語はふつう俳句に使うべきではないが、この句の嬉しは生きている。

向井 桐華

特選句「退院の夫の背中の冬日かな」。御夫婦のやさしい情景が伝わる佳句です。

三好三香穂

「穭田に降り積む虚無と青春と」。雪がうっすらと降り積もっている。それを虚無と青春と表現した。深い味わいのある句です。ひつじだがよい。「初鏡今年の顔を授かりぬ」。今年の顔はどんな顔だろうか。それぞれの年が改まった顔、皴を刻んでも、良い表情であれかしと思います。「ぬぬ嘘じゃないよね初日から真蛇」。初日からへびが出てくる幻想。飛行機からの風景が美しかったので、共有します。「とは言へど愛しき地球初山河」。年を経て、山河美しいこの風景が愛おしく、重ねてきた年月にしみじみとした感慨を覚える今日この頃です。「鯨よくじら百年先の話しやうよ」。大きな鯨は、百年以上の寿命があることでしょう。百年たったら私はもういないけど、世の中はどうなっているでしょうね!

銀   次

今月の誤読●「昆布巻きを買ひに車で行つたきり」。妻が家を出て行ったのは、一年ほど前の大みそかの日だった。「あら、おせちの昆布巻きがないわ」といったのが発端だった。それから慌ててエプロンを脱ぎ、財布をわしづかみにして「買ってくるから」と車に乗り込んだ。その言葉が最後だった。妻はそれっきり帰らなかった。もちろん最初のうちは捜しに捜した。警察にも行った。親戚の者や友人たちに頼んで、捜し人のビラを駅で一緒に配ったりもした。だがまあ、それも半年。気持ちが落ちつきはじめると、どうせ男と逃げたんだろうと、諦めが先に立つようになってきた。その妻が今日帰ってきたのだ。ちょうど一年後の大みそかに妻は帰ってきた。はじめはその女が誰なのか判らなかった。もともと妻はぽっちゃり体形だったのだが、目の前にいる女はうんとスリムになっていて、カラダの線がくっきりと、ま、はっきり言うと美しくなっていたのだ。肌は小麦色に日焼けし、全身は生命力に満ちあふれていた。「ただいま」という声でようやく妻だと気づいた。わたしはただアワアワと言葉にならない声を発するのが精一杯だった。「おせちは?」という妻の問いかけに、わたしは通販で買ったおせちを指さした。妻はその品々をひとつひとつ点検するように見ていった。「ど、どこに行っていたんだ?」とわたしはかろうじて妻に声をかけた。「最高においしい昆布巻きを買ってきたわ」と、それが彼女の返事だった。「あっ」という妻の声がした。「酢れんこんがないじゃないの」と怒ったような声でわたしを睨みつけた。その言葉を残して妻はふたたび玄関のドアを開け飛び出していった。呆然としたわたしは何気に妻の買ってきたという昆布巻きを口に入れた。驚いた。その味はというと、これまで口にしたどの味とも違って文字通り「最高」のおいしさだった。どんな料理も叶わない、それこそこの世のものとは思えない味わいだった。とたん、わたしは来年の大晦日が楽しみになってきた。わたしは次の日の正月、妻の残していった昆布巻きを食べつつ至福の時間を過ごした。そしていま思うのだ。この瞬間も妻は世界中を駆け巡り「この世で最高の酢れんこん」を探しているのだろう。町から町へと、村から村へと、そしてもしかしたら砂漠から砂漠へと。

重松 敬子

特選句「ゆるゆると市電の灯り除夜を邌る」。歳末の街の風景。ゆっくり行き交う市電の明かり。私にとっては郷愁です。

野﨑 憲子

特選句「初恋にして小走りは時雨かな」。物語の浮かんでくる句跨りの美しい調べに圧倒された。下五を時雨の3音で止めたい気持ちも少し。特選句「明日はもう覚えていない柿落葉」。ある地方では、嫁入りのときに柿の苗木を持参して嫁ぎ先の庭に植え、老いて死んではその枝で作った箸で骨を拾われるという。美しく肉厚の柿落葉に万感の思いが籠る。特選句「見尽くして冬青空を迷ひけり」。迷った果てに、早春の空の一角から未来風が吹いてくる予感を強く感じる。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

火の鳥となりゆく蛇よ初寝覚
野﨑 憲子
初春やちっちゃな姉の世話焼さん
三好三香穂
福の神お初にお目にかかります
三枝みずほ
初旅の鞄ほんのり潮の香
和緒 玲子
初夢の続を二度寝してしまふ
柴田 清子
一月
早いねえメッチャ早いね一月は行く
藤川 宏樹
一月や銃身青く凍りつけ
島田 章平
一月のひかりへ鳥籠が傾ぐ
和緒 玲子
一月の川ブルースが向こうより
三枝みずほ
一・一七(イチイチナナ)安全靴が踏むガラス
藤川 宏樹
満月にむかしばなしを聞かせをり
三枝みずほ
月満ちて産まれ来し児の柔らかき
三好三香穂
満潮やゆらり嬉しき初出船
島田 章平
満願の七十であり初日の出
岡田 奈々
寒満月私の中に誰かゐる
柴田 清子
鳥の声満ちて冬日の薄っぺら
和緒 玲子
AIに授ける愛や福娘
藤川 宏樹
福笑わたしは影が好きなのよ
野﨑 憲子
大福を連なって食ふ冬日かな
三枝みずほ
元日や福井を飛ばすオートバイ
島田 章平
冬日
冬日受く水で満たさるる娘
銀   次
冬日斜に人生の旅を打遣って
岡田 奈々
「運命」の一拍休止なり冬日
藤川 宏樹
鍵穴の冬日こぼれているところ
柴田 清子
手をつなぐ冬日麗らの老ひ二人
三好三香穂
冬日向帽子を脱げば童顔に
和緒 玲子
言の葉は蹠より湧く冬日
野﨑 憲子

【句会メモ】

令和7年初句会は、寒波襲来の中、11名で句座を囲み、楽しく豊かな時間を過しました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 乙巳(きのとみ)の今年が、安らかで、清新な未来風の吹く年になりますように‼

2024年11月25日 (月)

第156回「海程香川」句会(2024.11.09)

瓶が森.jpg

事前投句参加者の一句

                                                                       
うふふのふ眉刷毛万年青(まゆはけおもと)が咲いたのよ 植松 まめ
しんにょうに小さき河口小鳥来る 松本 勇二
ウエストの百までの道ふりかえる 中村 セミ
いたむ身を癒やす行火や姉心 え い こ
ノーベル賞核廃絶の鈴鳴らす 塩野 正春
ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる 津田 将也
熊野道冥く通草の蔓を引く 大西 健司
逆光に幻をみる冬の朝 石井 はな
小鳥来る、までは全角句読点。 藤川 宏樹
いつからか檸檬爆弾期限なし 各務 麗至
短日や一天自尊の蛇笏いて 樽谷 宗寛
天と地と海一色の野分かな 疋田恵美子
木枯一号くちびるの血の透きて 小西 瞬夏
八十路なり貰いし冬瓜持て余す 山本 弥生
一僧の秘めし一輪一葉忌 岡田ミツヒロ
祖父たちのフォーク公演菊日和 吉田 和恵
金木犀耳になじみの遠太鼓 亀山祐美子
鴇色の釦と胡桃置いてある 男波 弘志
ニーチェ読む友の余命や露うごく 河田 清峰
生き方は変えない黒いロングコート 柴田 清子
秋うらら自転車の空気抜けてます 綾田 節子
地獄には地獄の花が咲いている 稲   暁
芒原千年先が振り向いた 三好つや子
秋霖の馬濡れており許される 佐孝 石画
鰯雲ほどけるだけの愛なんて 高木 水志
まとまらぬ会議時雨の窓の音 松本美智子
生きるために殺す細胞銀河濃し 月野ぽぽな
蒼穹に冬木のてっぺん揺らぎおり 花舎  薫
蕎麦の花五体投地の膝頭 荒井まり子
秋日和鍬持つ老爺の立ち尿 銀   次
栗の意志棘殻皮ではね返す 滝澤 泰斗
星月夜大丈夫と声に出し 薫   香
マフラー外すフェイドインの小劇場 森本由美子
数独の森きいーんとわたし霧雨 すずき穂波
柿剥かれ切られて種の胚芽透く 時田 幻椏
締め切りに月下美人の知らんぷり 三好三香穂
ほれ込みすぎたから黒葡萄ばらばら 桂  凜火
シャッターの街や小柄な聖樹たち 松岡 早苗
秋夕焼一行詩のよう母生きて 増田 暁子
もどる家老犬老夫枯すすき 鈴木 幸江
磨崖仏じつと冬日を待つ朝 佳   凛
青北風に混線しそうな思考回路 伊藤  幸
幸福を飼育小春のリビングで 島田 章平
秋風や甲骨金文なぞる旅 漆原 義典
風紋に二十三夜の襞ほのか 大浦ともこ
草の花とはあまりにも大雑把 河西 志帆
毒毒と鼻血ふきだす憂国忌 田中アパート
音のなき投函秋思のはじめかな 野田 信章
新涼や風をいざなう水の音 末澤  等
竹の春何時迄土が持つことよ 豊原 清明
大綿の友軍のよう夕日照る 十河 宣洋
龍太絶筆の「雲母」照らす柿すだれ 岡田 奈々
小六月磁石のように父と母 向井 桐華
冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ 和緒 玲子
自然死とは野菊の道の行き止まり 若森 京子
外つ国の人もぞろぞろよされ節 福井 明子
丸いもの四角と思う秋思かな 野口思づゑ
去年とは違ふわたしのゐる時雨 柾木はつ子
金木犀むかしの恋のごと零れ 榎本 祐子
虫の音に溺れ死にするほど一人 新野 祐子
オリオン座いいな故郷って走っちゃお 竹本  仰
どんぐり銀行裏金預かります 三枝みずほ
狼と同じ地上に棲む月夜 河野 志保
戦争を止めぬ人間文化の日 藤田 乙女
若冲の群鶏の声照る紅葉 重松 敬子
生協もアマゾンも来る獺祭忌 菅原 春み
<三十代江川太郎左衛門>韮山の才気の坊や母さん子 田中 怜子
威張りつつ頼る年頃とろろ汁 山下 一夫
句読点うたねばならぶ吾亦紅 飯土井志乃
霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ」。独特の冬の初めの感覚。肌寒く、少し肌がピンと張り詰めるような気分。そんなときにはちょっとした匂いに敏感になるのかもしれない切り口にオリジナリティを感じた。

福井 明子

特選句「草の花とはあまりにも大雑把」。ひとかたまりになってふところにとびこんでくるような一句、いただきました。草の花、さまざまあります。先日まで犬蓼の花が咲き連なり見事でした。小さな草の花も懸命です。

松本 勇二

特選句「金木犀むかしの恋のごと零れ」。朝起きると全く見事に地を金色に染めている金木犀のような、突然の失恋であったのでしょうか。素晴らしい比喩です。

榎本 祐子

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。秋の夕焼けの鮮やかな色や一行詩で、母の生き様が窺えます。

岡田 奈々

特選句「秋うらら自転車の空気抜けてます」。行くぞーと飛び出したら、グラグラぽてっ。もう、自転車なんか放り出して、走るしか無いね!特選句「ほれ込みすぎたから黒葡萄ばらばら」。ヒャッホー!そんなに葡萄がばらばらに成る程の恋っていつのことやら。でも、良いですよね、当たって砕けやがれですよ。「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。死ぬ時は満足した良い顔をして、あの世とやらに旅立ちたいものだ。「霜踏めば喜悦の尾てい骨」。霜で滑ってしこたま尾てい骨打って。あの痛さ。もう、笑うしかないよね。「八十路なり貰いし冬瓜持て余す」。産直市で安いからと、一個買って、その量に驚愕したことがありました「祖父たちのフォーク公演菊日和」。私も先日大学のフォークソング部のライブに参加してきました。それでもアコースティックギター一本弾きながら、歌うってほんと菊日和にぴったりです。「こそばゆし赤い羽根ある左胸(和緒玲子)」。ちょっと恥ずかしいような誇らしいような気持ちがこそばゆいのひと言であらわされている。「柿剥かれ切られて種の胚芽透く」。柿を適当に切ると種の中が見える。あの乳白色の煌めきが宇宙の煌めき。「丸いもの四角と思う秋思かな」。本当のところ上手くいっているのに、一つ一つあげつらって文句付けて。まあ、それも愉しかれ。「どんぐり銀行裏金預かります」。良いですね。裏金も表金もどんぐりに換えて、どんどん森を増やしましょ!

月野ぽぽな

特選句「戦争を止めぬ人間文化の日」。文化の発展や自由と平和を称える日であるこの日に、戦争が行われている事実を合わせることで、人間世界のアイロニーを明るみに出しています。

十河 宣洋

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。「霧に白鳥白鳥に霧といふべきか 金子兜太」「芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏」甲府の文学館での兜太展への挨拶句。小鳥は作者か。おみごと。特選句「数独の森きいーんとわたし霧雨」。私は毎日、数独というかナンプレを楽しんでいる。あの楽しさはなかなか周囲のものに分からんらしい。わたし霧雨の気分がいい。ところでこの句、「と」は無くてもいいと思うがどうだろうか。あっても佳しである。

豊原 清明

特選句「逆光に幻をみる冬の朝」。「冬の朝」に幻想を持って来たかと思った。問題句一句 「さよならを言ったのは私火が恋しい(柴田清子)」。さよならと言って、凍った感じがよく出ている。

すずき穂波

特選句「秋霖の馬濡れており許される」。馬が初秋の長雨にしっとり濡れている。人の手によって繋がれているだろうその馬は、なされるがままであり静か。拘束をする側の人間が本来自由であるはずの馬に許されているのだ。人間社会と馬社会との見方も出来るが、ひょっとしたらこの馬、作者の配偶者の象徴ではないか?

男波 弘志

「秋霖の馬濡れており許される」。何を許されているのだろう、そう問うことが実は生きることの本体を離れてしまっている。雨に打たれても、風に破れても、星に砕けても、そこにある、ただある、それが生というものだろう。秀作。「骨になるまでの手続き星流る」。生の移りかわりを、手続き、という機械的な運びに置き換えているのが面白いが、その答えが、星流れ、ではその面白味が機能していないだろう。つまり自然の流れに抗ってみたりしている人間の滑稽さが浮かび上がってはこない。自分がふと浮かぶのは「糸瓜棚」とかそういう日常に近いものだろう。予選。「生協もアマゾンも来る獺祭忌」。正直忌日の一行詩は自分は創らない。創ったことがあるのは両親、祖母、恩師、だけ、弾みでそれ以外の忌日を創ることもあるがどれも駄目である。実際に面識もなく思い入れもそれほどなければ当然真面な一行詩はできない。誰の忌日でもなんとなく収まってしまう。それが忌日の句の難しさであろう。しかし掲句はなにか時代の転換点、結節点にいた人がさまざまなものを取り込んでは喜び、失敗している様がよく出ている。獺祭の宴があちこちに散らばっている。書籍も何もかも、ひとつもの足りないものがあるの、それは誌的情操であろう。秀作。

野田 信章

特選句「わが秋や土下座に似たる土いじり(津田将也)」。「わが旅や」と、慣用的な述懐ながら、この作者なりの一句に仕立て上げられているのは中句以下の具体的な把握にあると思う。「土下座」の語句の配合が大きく、歳月を経てもなお精出しての「土いじり」の活写が美しい。わが作句の志向性の上でも素朴さの基調をなす「土」について再考したいと思う。

樽谷 宗寛

特選はありません。問題句「青北風に混線しそうな思考回路」。青北風が素晴らしいですが少しごちゃごちゃ感ありと思いました。宜しくお願い致します。

島田 章平

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。掲句は金子兜太の代表作「霧の村石を投うらば父母散らん」と飯田蛇笏の代表作「芋の露連山影を正うす」を念頭に詠まれた佳句。他界から小鳥の声が聴こえてくるような・・。

河田 清峰

特選句「自然死とは野菊の道の行き止まり」。花の下で死ぬより野菊の道で自然死をしたい。そんな気持ちにさせられる句。

石井 はな

特選句「磨崖仏じっと冬日を待つ朝」。人々がありがたく見上げる磨崖仏も寒さに耐えて朝日のさすのをじっと待っている。そのおかしみが良いです。

和緒 玲子
特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。絶え間なく虫の音がする夜。その虫の音に溺れ死ぬとはなんと詩的な把握だろう。「溺れ死ぬ」の響きは暗いものでありながら、一人だからこその「溺れ死ぬほど」明瞭で清潔な虫の音なのだろうと解釈した。一読で覚えてしまう位に好きな句。

塩野 正春

特選句「鰯雲ほどけるための愛なんて」。鰯雲を恋に例えるのは素晴らしい。あの緩い形の定まらない雲はいうなれば密着したり離れたりと繰り返す恋の形だ。特に思春期の恋は柔らかい雲みたいなもの。熟年同士もこんな付き合い方が欲しくなる。私の友人(女性)は週末婚とかいうのを楽しんでいた。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。現実に細胞は生と死を繰り返している。皮膚の代謝や骨の破骨細胞と骨芽細胞の絶妙なバランスはよく知られている。植物も枯葉になることで次の年の栄養を蓄積するといわれる。下五の銀河(季語、秋)濃しで、このバランスが宇宙にも広がっていることを詠んでいる。星の生死がビッグバンを起こしたりブラックホールになったりを数十憶年毎に繰り返している。生きるために殺す事は自然界の、ある意味では神の業だろう。

河西 志帆

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。凄い孤独感を思いました。でも、だからって、そんなに深刻ではないんですよね。「戦禍あり地球冷ややかに傾く」。私達が知らないでいる戦争も、そこらじゅうにあって、きっと何処も終わらない。「去年とは違ふわたしのゐる時雨」。自分を変えられたらなあ〜と思ったり、打ち消したりしています。なんかいい事あったみたいですね。♡昨日の雨が嘘のようなお天気!6年生のマゴのエイサーに感動してほろりとしました。沖縄の運動会は明るいんです。

津田 将也

特選句「締め切りに月下美人の知らんぷり」。月下美人は晩夏の夜、二〇センチほどの強い芳香のある白い花を咲かせる。だけど、この花、夕方から咲きはじめ、朝には萎んでしまう。まるで、「あなたの締め切りになんか関わっちゃ居られない」とでも云った風趣に・・・。

野口思づゑ

特選句「小六月磁石のように父と母」。小津安二郎の映画に出てくる穏やかな老夫婦がご両親とはお幸せですね。磁石のように、きっと無理せず自然に寄り添っているご夫婦なのでしょう。季語の小六月の語感がとても効果的です。「芒原千年先が振り向いた」。過去でなく未来が振り向いた発想が面白い。「秋夕焼け一行詩のよう母生きて」。しっかりと信念を貫いての生き方が伝わって来ました。「虫の音に溺れ死にするほど一人」。凄絶です。♡シドニーは少し夏らしくなって来ました。香川もきっと秋らしい気温の日々だと思います。今月もまたよろしくお願いいたします。

花舎  薫

特選句「夫々に生きておんなじ月仰ぐ(新野祐子)」。別れを経て別々の人生を歩んでいる二人だろうか。事情があって違う土地で暮らしている二人かもしれない。月を見上げて相手のことを想う。あるいは月を見ているとその人を思い出す。「おんなじ」と強調した言葉に、繋がっていることの喜び、相手に対するどこか捨てきれぬ想い、そしてそれぞれが今ちゃんと生きていることへの誇らしい思い。月という物悲しくも美しい季語と呼応して、いろんな感情がこの気負いのないシンプルな句に込められている。

え い こ

特選句「冬ざくら遥か太古を偲びけり(柾木はつ子)」。気候が変わって、植物も開花期をまちがえているらしいです。太古の昔 大地に初期の桜はどんな季節にどのように芽吹いたのかな、とこの句をみて、思いを馳せました。特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。年齢を重ねると、さまざまな方々と別れ 離れ ふと寂しさにおそわれることがあります。だんだん 理解できてきた心境です。

大西 健司

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。ただもううまいもんだなあと感心しつつ、山梨行きたかったなあと悔いての特選。

鈴木 幸江

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。人それぞれだと思うが、私には亡き古今亭志ん朝の顔が浮かんだ。理由など言うのは、野暮というもの。止めておく。ご興味の御有りの方は、是非一席You Tubeでお試しあれ。リズムカルな江戸弁もなかなかいいものですよ。この作品は、京都方言でしょうか?さぬき方言でしょうか?“はる”という微妙な距離感のある敬語が素敵!

高木 水志

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。長い秋の夜に様々な虫の声が作者を包み込んでいる。

藤川 宏樹

特選句「柿剥かれ切られて種の胚芽透く」。柿を割るごとに包丁が通った種を目にする。林檎、蜜柑、葡萄、西瓜、ピーマン、柿。種にも様々あるが、柿の胚芽の透明感は殊更に美しい。この気付きに一句をなしたのは作者のお手柄です。

植松 まめ

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。うまいなあこんな句出来たらいいなあ羨望です。特選句「余呉びょうびょう破線乱れる帰燕かな(増田暁子)」。この句もうまいなあ普段は穏やかな余呉湖だが北へ帰る燕の前途の多難を暗示しているよう。

中村 セミ

特選句「余呉びょうびょう破線乱れる帰燕かな」。余呉は賤ヶ岳を隔て琵琶湖の北にある三方を山で囲まれた断層盆地で琵琶湖との水面落差45mある余呉町の湖のこと。びょうびょうは風を切る燕がここへ、帰ってくる様かと思う。厳しい状況でそこへ辿りつく人間の事をよんでいる。燕は夏季語だが、厳冬を思わせる人生句かと思う。♡新春特別自解スペシャル「ウエストの百までの道ふりかえる セミ」。ダルマの様な体になってしまった。昔はコケシのウエストだったのに、と思う。そんな時、自室にあるタンスの扉をあけると、あの若き20歳の75の腰回りから100以上に至るズボンや、背広が吊られている。人生の歴史というのは、ウエストの事ではないのか?「おお,ウエスト90前後のズボンが、何着もあるではないか!」どんなに、生活や、人生に弄ばれ苦しみ、この体が流されていったかが、よくわかる。だが、ヒッチコックも、偉い方々も,ダルマさん体型は多い。そうだ、このことに、自信と強い意志をもてば、いいのだ。と、最近悟った。

若森 京子

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。京都弁で柔らかく死を表現している一句。この様に眠るように死にたいものだ。一字空けは不要と思う。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。例えば手術等は、生きるために感染してゆく細胞を切除する。もっと角度を変えて,広い見方をすれば、戦争も自分の生きる欲望の為に他人を殺している。銀河濃い美しい宇宙でこの様な残酷なことが繰り返されているのです。

伊藤  幸

特選句「うふふのふ眉刷毛万年青(まゆはけおもと)が咲いたのよ」。上語「うふふのふ」が何とも言えず楽しかったので眉刷毛万年青がどのような花か検索したところ納得。この花によって掲句の話し言葉が生かされていると思う。特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。「霧に白鳥白鳥に霧と言うべきか 金子兜太」「芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏」いずれも秋の代表句。評するには余りに烏滸がましいので止めておきましょう。

各務 麗至

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。定型俳句なら、何か散文的でもあるけれど「ええ顔して秋をしんなり死んではる」でもよさそうだけど、「ええ顔してはる死んではる」の「はる、はる」や気持ちの籠もる「秋をしんなり」で、対峙する両者の関係や情景が見えてきて、『俳諧自由』や自由律や一行詩も許容するなら読み手次第で大きな豊かな広がりを齎すように思えました。特選句「星月夜大丈夫と声に出し」。感動や感激的「星月夜」を見上げて、淋しさや苦しさを知っての一所懸命の一人なら自分に言い聞かせたくなる言葉だろうし、友人や恋人や夫婦なら、「大丈夫?」と相手を心配する言葉だったり、「大丈夫一緒に頑張ろう」という言葉だったり・・・・。星は夫々でも月には満ち欠けもあるけれども、それこそ宇宙にしても人間にしてもそこにはきっと希望に満ちた力強い意志がある。♡長く個人誌に拘っていたのに、香川の文芸「青い鳥」誌を紹介され参加したのが始まりでした。そこから「海程香川」を教えられたり先の「青い鳥」誌では野﨑憲子の名に俳句作品に昔が蘇えり何度か書信の遣り取りがあったりしたのでした。いつもならそれでもそんなところで終わるのでしたが、そこが野﨑憲子の人柄からでしょう、今までの私にもないことで直感を信じて句会に参加させて貰うことになったのでした。十人ほどの句会でしたが、一人一人それぞれ熱い賛同の言葉やはたまた異論が展開したり・・・、だけどそこには笑い声があがったりで個人を尊重した和気藹々とはこのことでした。句会には先生がいて「こうしなさい」の色に染まるとばかり思っていた私には驚きでした。今まで味わったことのない楽しい面白い時間を過ごさせていただきました。感謝。またまた突然ですが今後も時折参加したいと思っています。その時は何卒よろしくお願い申し上げます。    

晩秋や私は一人でなかった  麗至

佐孝 石画

特選句「しんにょうの小さき河口小鳥来る」。この作品の実景がどこにあるのかが気になる。眼前に「河口」があるのか、「小鳥」が来ているのか、それとも「しんにょう」のある漢字を見ているのか。この実風景の捉え方で、この句の深度は変わってくると思う。もちろん「しんにょう」に「河口」があるという発見だけでも魅力的なのだが、作者は「河口」を目にする場所に立っていて、そこにちらほらと「小鳥」が来ている風景を実としたい。そしてその日に照らされた河口を眺めていると、「小さき」(河も鳥も自分も)を直感し、しんにょうにも河口があったのだという、不思議な既視感が、じんわりと遅れてやってくる。卵が先か鶏が先かではないけれど、俳句の場合、実景がはらむ共通感覚こそ、読み手と詠み手の細く長い橋になると信じている。

山本 弥生

特選句「いつのまに肉屋が更地十三夜(菅原春み)」。月の美しい十三夜に久し振りに散歩に出て商店街を通ってみたら、時々買いに行っていた馴染の肉屋さんが、いつも間にやら閉店して更地になっていて、とても寂しく思いました。少し離れた地に大型スーパーが開店して時代の流れには勝てないのだなァと思い乍ら帰った。

三好つや子

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。生きとし生けるものに翳りをもたらす秋。保護猫活動をはじめて十年、たくさんの死に立ち会ってきたせいか、とりわけ心に刺さりました。特選句「祖父たちのフォークの公演菊日和」。映画「いちご白書」の主題歌サークル・ゲームの動画をときどき眺め、フォークソングっていいなとおもう今日この頃。この句から白髪のポニーテールとジーパン姿が浮かび、胸がキュンとなります。菊日和も印象的。「風紋に二十三夜の襞ほのか」。風紋と二十三夜の言葉が醸しだす、幻想的な心象風景に惹かれました。「大綿の友軍のよう夕日照る」。ロシア軍の弾除けになっているとしか思えない、北朝鮮の兵士たち。はかない命運が大綿虫を通して、ひりひり伝わってきます。

漆原 義典

特選句「祖父たちのフォークの公演菊日和」。フォークは昭和28年生まれ71才になった私の青春です。フォーク好きの昔若者のフォーク公演良いですね。いつまでも青春を謳歌してほしいと思います。楽しい句をありがとうございます。

柾木はつ子

特選句「幸福を飼育小春のリビングで」。面白い発想ですね。「幸せ」はやって来るものではなく、手間隙かけて世話をしなければならないのですね。納得致しました。特選句「戦禍あり地球冷ややかに傾く(月野ぽぽな)」。地球の地軸は少しずつずれて行っているのだそうですが、温暖化もその一因で、やがて四季の変化も無くなるとか…人間が戦争などしている場合ではないよと作者は言いたかったのでは?「冷ややかに傾く」が不気味です。

疋田恵美子

特選句『龍太絶筆の「雲母」照らす柿すだれ』。山梨県笛吹市の「山廬」の景でありましょう。元気な内に一度行って見たい所です。特選句「韮山の才気の坊や母さん子」。「海原」全国大会に参加して、二日目に重要文化財江川邸を見学、解説者により、多くの事を知り感激しました。

竹本  仰

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」:出棺の際、故人の顔を拝見すると、とても安らかな表情をしていることに驚くことがある。というより引き込まれることがある。いいなあ、そのとき自分もこんな顔していられたらいいのにと思う。かつて路上で亡くなった一人住まいのご老人がいて、そんな時警察の捜査が入るため、家にも立ち入れず、二週間葬儀屋の冷蔵庫に入れられていた。さすがにお葬式の時はもう青ざめた顔になっていたが、それでも彼女の友達だった老女のお一人が声をかけた。「まあ、お化粧して、こんなきれいになって」と。何だか、とても救われた気がした。そう、誰もが救われる一言があるものだ。という気持ちで読んだ。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」:一見して、これはガンとの闘いのことだろうかという気がした。自身の体験でいえば、殊に化学療法と言われる抗がん剤治療ならば、悪性ガン細胞をやっつけるために体のいい部分まで痛めてしまう。手足の爪、二十枚がわずか一月で全部抜け落ちたこともあった。だがそういう時ほど、痛みの中に生きている実感をひしひしと確かめられるものなのだ。そう、もともと意識の及ばないところで生命はたえず闘っている。決して平和なんかではない。この句を読み、最初の手術の前夜に、銀河というものを身近に感じたのを思い出した。これまででも生きて来られて幸せだったんだという気がしていた。特選句「去年とは違ふわたしのゐる時雨」:去年も私は時雨に濡れていた、でもあの時とはどこかはっきり違う。荒井由実の唄に、〽悩みなき昨日の微笑み 訳もなく憎らしいのよ…、というのがあったが、それと同じで、過去の自分とクラッシュしている。そこからしか、未来は生まれないのだから、とても大事な、或る意味「脱皮」の瞬間なのかもしれない。決定的に今とは異なる「わたし」が向こうにいて、今の「わたし」でしかものは見られないのだが、明日の自分がいつの間にかこちらを見ている気がする。誰なんだ、わたし?この問いは意義深い。サルトルの『嘔吐』の主人公ロカンタンのいた町もそんな町ではなかったか。以上です。今年最後の句会でしたね。いい句が多くて選びきれない。海程のながれ、いつまでも。そして、いつまでも初心でいたいと思います。みなさま、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

吉田 和恵

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。どうしようもない孤独感というのか、ひしひしと伝わってきます。話し相手にでもなりましょうか、私でよければ。

滝澤 泰斗

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。棺桶の中を覗くのがとても苦手だ。そして、この会話調の言い方を遠巻きにして聞いているシーンに自分が居た光景はよくあることだった・・・ただ、秋をしんなり死んではるという言い方に惹かれて特選とした。特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。飯田蛇笏の句は教科書にあった「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」ぐらいしか知らず無知に近く、全くもって語れないが、師と並べた上五中七に小鳥来るとしたところが魅力的でいただきました。以下、共鳴句「ニーチェ読む友の余命や露うごく」。久しく忘れていたニーチェ・・・若いころニーチェにかぶれていたわけではないが、当時、流行っていた実存哲学の入口で出会った一人ではあった。掲句のニーチェと友の余命に確かに響き合うものがあって一句を成したところに、うまいもんだと共鳴しました。「戦争を止めぬ人間文化の日」。人と人との争いが戦争という、国や民族の規模に拡大した近世にあって、核兵器の傘の下で数と威力を誇ったり、それを背景にして脅したり、勝手に攻め込んで殺戮を繰り返す人間・・・文化の日は皮肉なパラドックス。

柴田 清子

特選句「秋うらら自転車の空気抜けてます」。身近な生活の一コマの秋一ト日を過ごす作者が、この秋うららの中に居て、とても好感の持てる一句と思いました。特選句「丸いもの四角と思う秋思かな」。丸いもの、四角とか、身近に使う言葉である故、この秋思に文句なしに入っていける自分がいます。秋思の根源が、ここにあるかと思って、楽しみました。

山下 一夫

特選句「小六月磁石のように父と母」。盤上に二つ並べた磁石は少し離れていても引き合ってぴちっとくっついたり、近づけようとしても反発し合って飛び離れたり。幼い頃は謎でした。今では理屈はわかっているものの、男女の比喩とするとやはり謎は残ります。小六月の斡旋はやや年老いた夫婦の雰囲気を醸していていい感じですね。特選句「どんぐり銀行裏金預かります」。かの政治家たちの悪行を端的に表す「裏金」ですが、宮沢賢治の世界が不思議にマッチします。語感にどこか間の抜けた感じがあるからでしょうか。詩性を残しつつも人間の愚かさへの風刺が痛烈です。問題句「泥になれ溺愛洪水ボランティア(竹本 仰)」。上五は命令形なのか「泥に慣れ」なのか。切れはどこに入るのか。ボランティアへの哀惜なのか批判なのか。いずれにせよ「溺愛」「洪水」という単語の並びに強力な引力があります。あれこれ考えているうちに、なんだかぬかるみで泥まみれになっているような感じが・・それが狙いだったのかも。

薫   香

特選句「生き方は変えない黒いロングコート」。こんな風に生きていきたいなと思いました。黒いロングコートも素敵です。特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂うシャツ」。だんだん良くなってきました。ぼんやりが効いてます。

河野 志保

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。お母様の生き方を「一行詩のよう」と捉えたところに惹かれた。大きくて淋しい秋の夕焼けとも響き合うと思った。

桂  凜火

特選句「どんぐり銀行裏金預かります」。裏金問題聞くたびにモヤモヤするのは私だけでしょうか。どんぐり銀行預かってみんなどんぐりにしてやってください。

新野 祐子

特選句「自然死とは野菊の道の行き止まり」。親しい人がポツリポツリとあの世に逝きます。自分もそれを見送る齢となりました。「野菊の道の行き止まり」かぁ。いいですね。みんな土に還っていくのですね。そうやって。

増田 暁子

特選句「風紋に二十三夜の襞ほのか」。風紋の美しさ。中7下5の感覚の素晴らしいと。特選句「生協もアマゾンも来る獺祭忌」。取り合わせの妙、上手い!

菅原 春み

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。俳句,短歌のようにきっぱりとしかも自由に生きた母親をこう表現したのは始めてみました。秋夕焼がさらに見事さを。特選句「狼と同じ地上に棲む月夜」。狼というとどうしても兜太先生を思い出してしまいます。日本にはいなくてもまだ同じ地上にいるかと思うと心強く、月もさらに美しく見えます。

岡田ミツヒロ

特選句「祖父たちのフォーク公演菊日和」。会場の歓声、孫たちの拍手喝采、今も青春の若々しい老人たち、想像するだけでも楽しくなってくる。特選句「生き方は変えない黒いロングコート」。服装は、人の生き方の反映、「黒いロングコート」から、ダンディで筋の通った意思が滲み出ている。背筋が伸びる一句。

松岡 早苗

特選句「丸いもの四角と思う秋思かな」。頭では分かっていてもどうにもならないのが自分の心。秋色のせいか丸いものにも角のとがりを見てしまう。共感しきり。特選句「威張りつつ頼る年頃とろろ汁」。初老の男性の姿を思い浮かべた。バリバリの現役時代があっただけに、自身の衰えや弱さをすぐには受け入れられない。少しずつ時間をかけての変容。「とろろ汁」との取り合わせが絶妙。

向井 桐華

特選句「芒原千年先が振り向いた」。千年先が振り向くほどの芒原ってどんな感じなのだろうと思いました。問題句「秋霖の馬濡れており許される」。上五中七がいいのですが、下五の「許される」をどう解釈したら良いか迷いました。

三枝みずほ

特選句「オリオン座いいな故郷って走っちゃお」。帰郷できる自分であること、故郷がまだあること、当たり前の日常があることを思う。走った先に何が見えるだろうか。

田中 怜子

特選句「夫々に生きておんなじ月仰ぐ」。そうなんですよね。夫々に生きていること、違いを認めよう。と世界がそう認識ほしいですよ。「暗き世の下枝(しずえ)の熟柿昼灯し」。旅の車窓から、葉のおちた柿の木の実が昼灯しのようでした。それなりに豊かだから、取ろうともしない、景色となっている。「虫の音に溺れ死にするほど一人」。みんな心の底ではそれを恐れているのでは。孤独にひたって、その意味を考えたいですね。

綾田 節子

特選句「八十路なり貰いし冬瓜持て余し」。大きな冬瓜が目に浮かびます。有難いけど分かる分かる。特選句「秋日和鍬持つ老爺の立ち尿」。昔懐かしく戴きました。今でもある風景なのでしょうね。

松本美智子

特選句「去年とは違ふわたしのゐる時雨」。しとしとと時雨が続く・・・私は佇む。確かに存在する。そこにいる・・・。時雨も私も同じようで違う。絶対的な存在と曖昧な要素をうまく表現した句だと感心しました。

大浦ともこ

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。ささやか乍ら豊かに生きたであろうことが伝わってきました。そのことを一行詩と表現するのが詩的で季語の秋夕焼とも響き合っています。特選句「幸福を飼育小春のリビングで」。幸福というものの危うさや脆さを飼育するという言葉で示唆しているように思います。小春のリビングとの対比も面白い。

森本由美子

特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。日々進歩を遂げる現代医学をテーマにした句かと思うが、自分自身数年前に受けた抗がん剤治療の今に至る副作用、精神的な影響を考えると、時々自分の身体に謝りたい気持ちに陥る。<銀河濃し>は<生きるために>が発信する他のさまざまな現象にまで想いを至らせる魅力を持っている。

三好三香穂

特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ」。今年の夏はとびきり暑かった。立冬も過ぎたのに、朝夕は冷えて来たものの、まだまだ冬到来という日はない。糊のきいたシャツも、まだまだ出番あり。夏の名残のある今日この頃。冬浅しと言う季語、シャツの糊に焦点を当てたところが良かったです。

銀   次

今月の誤読●「虫の音に溺れ死にするほど一人」。いい季節だ。わたしは四季のうち秋がもっとも好きだ。暑くもなく寒くもなく、ちょうどいいその心地よさ。部屋にはわたしひとり。ヒザには白秋の詩集。そして手には淹れたてのコーヒー。おまけに遠くから聞こえてくる虫の音。なんという五感の満たされようだ。いまわたしは人生のすべての幸せを味わっている。白秋に目を落とす。からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。何度も読んだ詩だ。からまつはさびしかりけり、たびゆくはさびしかりけり。わたしは明治大正の旅人たる白秋に思いをはせ。おや、虫の音が少し高くなってきたようだ。そうか、夜も更けたか。いいなあ、秋の虫の音。まさに抒情の詩人、白秋によく似合うBGMだ。そういえば、夕日はなやかに、こほろぎ啼く。という詩もあったなあ。あとどうつづくんだっけ? たぶん詩集「邪宗門」に載ってたはずだが、とわたしは本棚に向かう。と、虫の音がまたいっそう高くなった。はいはい、わたしの詩ごころをかき鳴らしてくれようってんだね。ありがとう。でもこのくらいがちょうどいいよ。あんまりうるさいのは苦手だからね。ふたたびわたしは読書にもどる。くだんの詩を見つけた。風のあと断章の六十六番だ。こほろぎ啼く。あはれ、ひと日、木の葉ちらし吹き荒みたる風も落ちて、とつづくんだ。白秋の季節に対する感覚の鋭さは、俳句にも通ずる。おいおい、虫くんたち、ちょっとうるさいよ。それじゃ、秋の風情もなにもあったもんじゃない。求婚歌か威嚇鳴きどうかしらないが、少しは遠慮をしろよ。わたしのこころの声に反応するかのように、虫の鳴き声は一段と、というより加速度的に高まってゆく。やがて、もはやどれがマツムシか、どれがスズムシかわからぬくらい、ただの騒音と化して、ウォンウォン、耳を聾さんばかりになった。わたしはパニックになった。なんだこれは。なにが起きたんだ。みるみるうちに部屋の外、壁面はもとより天井から床下まで、四方八方から、ウォンウォン、虫の音がかたまりとなって、打ちつけるように押し寄せてくる。ウォンウォン。わたしはおそるおそる窓に近づき、カーテンをサッと開けた。と、そこにはガラス戸にびっしりと張りついた、虫虫虫虫虫虫虫虫虫。数千数万の虫がわたしの目をのぞき込み、羽をすりあわせうごめいているのだ。そのうち、窓の戸の隙間から、一匹、二匹、十匹、二十匹、五十匹、百匹、千匹、万匹と部屋に入ってきて……。

亀山祐美子

特選句『鴇色の釦と胡桃置いてある』。何処にともいわず、鴇色の釦と胡桃が置いてあるとしか云っていない淡白さ。掌でも机の上でもベンチでもよい。釦と胡桃がピンクの淡さを競っている。二つの異質なものが響きあう平安。ただそれだけのことに心が穏やかになる。

稲   暁

特選句「芒原千年先が振り向いた」。荒野で千年の未来を幻視する。振り向いた未来の表情やいかに?

(一部省略、原文通り)

「海程香川」甲府吟行(二〇二四年十月二十八日~三十日)

吟行自選2句
笹茶飲む山廬は秋の雨の中
榎本 祐子
山峡の水の奔放芒照る
榎本 祐子
皆子遺影に向かい走るよ兜太の秋        
岡田 奈々
蛇笏に龍太厨房に入るハロウィーン
岡田 奈々
秋惜しむ老師(宋淵老師)の縁かな蛇笏さん
田中 怜子
秋天下ボテロの小鳥がのっしのっし
田中 怜子
直にあふ信玄像や秋の声
樽谷 宗寛
赤提灯は風林火山熱燗だ
樽谷 宗寛
軍事郵便に俳句びつしり月今宵
野﨑 憲子
秋の蛇笛吹川を渡りけり
野﨑 憲子

兜太展.jpg

ボテロ.jpg

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上段、「金子兜太展」会場の山梨県立文学館の前庭。中段、山梨県立美術館前庭の彫刻「ボテロの小鳥」。下段、山廬、飯田様ご自宅前の樹齢四百年の赤松の下にて、中央の男性が山廬文化振興会理事長飯田秀實氏。

袋回し句会

赤夕焼明日の君に会えるかも
末澤  等
店先の赤いりんごに呼ばれたり
柴田 清子
赤蕪中身の白の歯型かな
岡田 奈々
赤いマフラーに顔をうずめて街を出る
柴田 清子
赤ってね百色あんねんクリスマス
和緒 玲子
赤青黄コスモスカオス原爆忌
各務 麗至
寝たきりのままの一日赤のまま
島田 章平
夕日あかあか兵士はみんな泣いてゐる
野﨑 憲子
晩秋
晩秋の空に移ろう明日の僕
末澤  等
秋もあんたも早逝ってしまったの
柴田 清子
晩秋や地球まるごと大掃除
島田 章平
ドーンと雲抜けて晩秋富嶽かな
野﨑 憲子
ガラス隔てて手を振る母晩秋
薫   香
晩秋や私は一人でなかった
各務 麗至
霜天をスカイツリーの捻れかな
藤川 宏樹
隠し事なき母の生き方霜柱
岡田 奈々
霜月の日向を探すふたりかな
和緒 玲子
霜に目覚めて言の葉のふりやまず
野﨑 憲子
眠れない夜に強霜の愛語たち
野﨑 憲子
霜踏むや昔昭和であつた場所
島田 章平
霜月のするどき鉛筆なほ削る
各務 麗至
酒持ってあいつが来るぞ霜の音
銀   次
梟よ色なき世界を見張るべし
銀   次
梟や賢い私ホーホーと
三好三香穂
長生きをすると梟になっちゃう
柴田 清子
ほろすけホーなべて答えは足元に
野﨑 憲子
未生以前の記憶ひとつや梟
野﨑 憲子
梟の森母を捨ててきました
島田 章平
団栗
団栗やZ世代が婿になる
藤川 宏樹
どんぐりや僕らはみんな星の子だい
野﨑 憲子
下山道団栗蹴って膝笑う
末澤  等
油虫よくよく見れば柿の種
末澤  等
掌に馴染んでをりぬ柿狡し
和緒 玲子
もの忘れも楽しからずや柿たわわ
野﨑 憲子
柿すだれ思いがけないことばかり
野﨑 憲子
柿紅葉感激童子ここにあり
各務 麗至
柿食へば子規と兜太の笑ひ声
島田 章平
柿むきて吊してつまむお楽しみ
三好三香穂

【通信欄】&【句会メモ】

今年の〆句会は、初参加の観音寺の各務麗至さんを始め11人のご参加で、楽しく熱い句会になりました。12月はお休み月ですが、番外句会を開催することにしています。ブログには掲載しませんが、懇親会も兼ねて賑やかに本年の打ち上げをしたいと存じます。巻頭の写真は、末澤 等さんが十月に撮影された「瓶ヶ森から見た石鎚山」です。

夏の終りに、金子眞土様から、山梨県立文学館発行の『金子兜太展―しかし日暮れを急がない』の図録が届きました。毎回の句会報を、兜太先生のご霊前へ、送らせて頂いているからと存じます。図録のあまりの見事さに、山梨への吟行の思いがムクムク湧き上がり、十月末の「海原」全国大会の後に企画しました。岡田奈々さんに幹事をお願いし、兜太先生と深い親交のあった山廬へも訪問してまいりました。企画展には、机や椅子を始め先生ご愛用の品々、肉筆の日記や手紙、先生の血肉のような色紙の数々・・もう胸がいっぱいになりました。先生の平和への悲願も、頂いて帰りました。

今回の山梨吟行で、山廬へお邪魔できた事も、大きな収穫でした。山廬文化振興会の入り口には、蛇笏の誕生祝いに、山梨から銀座まで出かけて蛇笏の父上が求めてきた立派な掛け時計がかかり、龍太のご長男の振興会理事長の秀實様は、幼い頃、時計の螺子をご自身で巻かれ、その頃までは日々、時を刻んでいたと話されていました。そして、飯田家の玄関先には樹齢四百年の見事な赤松が鎮座し、その繊細な枝枝の美しさに目を奪われました。蛇笏も、龍太もこよなく愛した後山に流れる狐川は、護岸工事により、川底はコンクリートで覆われ、かつての風情が偲べなかったことのみ残念でした。ランチは秀實様の奥様のハヤシライス、笹茶、デザートと、とても美味しかったです。午後の句会も、途中から、秀實様も、いらして、最高に楽しく充実した時間でした。ご夫婦の素晴らしい笑顔が今も胸に残っています。奇しくも、兜太先生が、1967年に訪れた、10月29日と同じ日に山廬を訪問させていただきました。金子兜太展の図録をお送りくださった、金子眞土様、飯田秀實様ご夫妻、ありがとうございました。

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