2024年3月25日 (月)

第148回「海程香川」句会(2024.03.09)

雛あられ.jpg

事前投句参加者の一句

        
留守電の奧をゆったり春の川 松本 勇二
甘えれば古里の雪温きかな 塩野 正春
冴返る辺野古の土砂に骨数多 島田 章平
春寒や獅子のたてがみ犬に生ゆ 鈴木 幸江
雨垂れの耳に朗らか菜花かな 岡田 奈々
河津桜耳たぶほのと息づけり 大西 健司
春の昼団地の児等の拾円市 山本 弥生
冴返る姉の遺品の推理本 植松 まめ
春塵や繰ることもない電話帳 松岡 早苗
愛しすぎてじゃまたねって枯茨 伊藤  幸
良い人に飽きてふらここ小半時 和緒 玲子
空は芯まで青し山頭火の野糞 稲   暁
残雪や稚児歩きして下山道 末澤  等
手水舎の柄杓の渇く余寒かな 河田 清峰
ねこやなぎ子鬼の前歯が生へ替はる 吉田 和恵
遍路の句残し寅さんまたも旅 岡田ミツヒロ
二月堂より春鹿のやはきこゑ 渡辺 貞子
紅梅の落花水面に吹きよせる 佐藤 稚鬼
農に生き青麦匂う背筋あり 森本由美子
午前二時かき集めたる君の音 薫   香
啓蟄や深爪肉を突き始む 滝澤 泰斗
日和見を競い合ってる目高かな 三好つや子
まっすぐな階段がある春の月 銀   次
九条の国冬の噴井のみどりかな 野田 信章
祖母も母も笑い上戸桜餅 野口思づゑ
白梅りんりんりん介護うつ五年 向井 桐華
ミモザ咲くいのち犇く国境線 桂  凜火
冬の蚊の吹けば飛び立ちまた戻り 時田 幻椏
頬染めてスカートに手を春疾風 漆原 義典
森を抜け天文台へ二月尽 松本美智子
蜃気楼このやるせない未來地図 若森 京子
白梅や時に言葉が邪魔になる 柴田 清子
連ねたるインクの莟春まつり 男波 弘志
蟇俯瞰浮遊の我が身なり 疋田恵美子
水温む異人さんも一緒よ笑い声 綾田 節子
ふり返り妻をまちゐる梅日和 佳   凛
古雛が光の中にいる時間 月野ぽぽな
空の青海へと繋ぐ野水仙 風   子
おっさんの呟きに似る涅槃西風 荒井まり子
大朝寝遍路の鈴の遠ざかる 丸亀葉七子
蟻穴を出て歩兵怖々陽を浴びる 豊原 清明
陽を吸って首を産みゆく椿山 山下 一夫
坂道を龍馬も子規も菜の花忌 川本 一葉
遠雪嶺教室一列目の顔です 佐孝 石画
春の木の歩幅となって少女来る 三枝みずほ
心胸を未来形へと変える春 藤田 乙女
集散すこれでいいのだ猫の恋 藤川 宏樹
蕗味噌の香り立ちます集会所 樽谷 宗寛
しんしんと骨降りし道墨溢れ 中村 セミ
大甕はころがして拭く 春一番 津田 将也
猫の恋うずらの卵丸呑みのよう 十河 宣洋
昨日より少し前向き風光る 山田 哲夫
理科室の鍵じやらじやらと遅日かな 小西 瞬夏
弔いもなく無縁仏に春の雨 田中アパート
伊豆の地に馴染み麗らか朝寝かな 寺町志津子
手水舎に蝶のまぎれてもう正午 谷  孝江
三月や動きたくない水も居る 河野 志保
もしかして怒つているかも雛達よ 柾木はつ子
鳥の恋祈り覚える十六歳 増田 暁子
遠屋島一人舞台の冴返る 福井 明子
猫の死を一切見せず春の山 菅原 春み
桃の咲くころ婆は象形文字めけり 飯土井志乃
ぽつねんと雲を見ている雨水かな 重松 敬子
風花に大口開けて楽しめり 田中 怜子
春浅い眠りの先の夜汽車かな 竹本  仰
春の土生まれた朝に飛び立とう 高木 水志
鮨十貫昼酒一献春うらら 亀山祐美子
涅槃西風乗換駅で待ってます 榎本 祐子
花吹雪浴びて今年の夢ひらく 三好三香穂
喪の家のひそとにぎはふ花ミモザ 大浦ともこ
病床の空より花を仰ぎけり 小山やす子
一人より二人の孤独春の海 石井 はな
いぬふぐりデモで会う人みな友に 新野 祐子
壺すみれ賑やか過ぎる水の星 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「陽を吸って首を産みゆく椿山」。首を産むが抽象過ぎて分かりにくいが、椿が咲く頃の状況を思った。私の地方は椿は自生しないが椿が咲いている山の気分が伝わってくる。首は椿の首とも取れるし、それを見に行く人の首とも取れて面白い。山がざわざわと動きだしたような気分。特選句「梅咲いて昨日の風を塗り直す(佐孝石画)」。昨日より暖かい風が吹き始めた。昨日はなんとなく風が冷たいと感じていたのだが。という気分。塗り直すが面白い表現である。

松本 勇二

特選句「一人より二人の孤独春の海」。二人の孤独のほうが大きいと気づいた作者。二人して、しずかに空を見上げているような映像が浮かびます。

柴田 清子

特選句「農に生き青麦匂う背筋あり」。農に一生をかけた気骨が青麦と男の背筋で詠い込まれている。

山田 哲夫

特選句「ねばならぬ事の放擲鳥雲に(柾木はつ子)」。人の日常の中で際限なく追い掛けてくる「ねばならぬ事」。社会が複雑化すればするほど、重要な仕事や立場に置かれれば置かれるほど、又、几帳面に全てをこなそうとすればするほどこれが増え、終にはその幾つかを選択し、幾つかを放擲せざるをえなくなる。現代を生きる我々は誰しもそういう現実に向き合い、思い思いにまたは無意識的に「放擲」を余儀なくされて生きている。その放擲を意に解せぬ人もいれば、なんとかしなくてはと足掻く人、気にしながらもやり過ごす人、すぐに忘れてしまう人、など世の人は様々。この句には、そういう現実に対し決して顔を背けず、現実を直視して、しっかり整理選択して諸事を処理していこうとする作者の真摯な姿勢がほの見えて、強く共感させられるものをかんじた。下五の「鳥雲に」がよく効いている。

樽谷 宗寛

特選句「ねこやなぎ小鬼の前歯生え替わる」。草田男の万緑の中やの句を想う。ねこやなぎに小鬼の前歯の取り合わせが面白い。

岡田 奈々

特選「挨拶はいつも小走り春一番(河野志保)」。新学年が始まって、学校に行く子。きちんと時間に起きられる子は普通に挨拶するけど、いつもきちきちに起きて慌てて学校に。旗振りのおじさんに小走りで、「おはようございます。」私は挨拶する人ももういなかったな。校門も締められそう。特選句「三月や動きたくない水も居る」。何しろ子供時代の私は、動いたり、挨拶したり、笑顔を見せたりするのが大の苦手。「河津桜耳たぶほのと色づけり」。若さって良いね。「良い人に飽きてふらここ小半時」。どんなに好きでも腹立つ時はある。「農に生き青麦匂う背筋あり」。農家のおじさんの仕事を見ていたら大きく動いているわけではないが、細々した作業の上に作物が育つんだね。「日和見を競い合ってる目高かな」。目高の動きが面白い。「ふり返り妻を待ちゐる梅日和」。梅の香が馥郁と香る昼下がり。夫婦揃って散歩は一番のリクリエーション。「大朝寝遍路の鈴の遠ざかる」。子供時代の私は朝寝坊大好き。祖母の家で、寝ていて鈴のなるのを聞いていた春。「桃の咲くころ婆は象形文字めけり」。桃の花の晴れやかさと、その下で、農作業をしている婆の屈み具合が絶妙な対を成している。「雛の間や大和ことばの息づかい」。秘やかにお話しされている男雛女雛の艶やかさと睦まじさ。

月野ぽぽな

特選句「空は芯まで青し山頭火の野糞」。「大頭の黒蟻西行の野糞 兜太」へのオマージュとして、やはり旅を命とした放浪の山頭火を配して成功していると思います。定型感を残した破調も山頭火とマッチします。そしてそして、読後に「うんこのように」産まれた定住漂白の兜太師も脳裏に登場する悦びがありました。

島田 章平

特選句「二月堂より春鹿のやはきこゑ」。美しい調べの句。小鹿を呼ぶ母鹿の優しい声が聴こえてくる。

福井 明子

特選句「一人より二人の孤独春の海」。一人よりは二人、寄り添えば孤独じゃないよね。…それが、違うのです。いよいよ他者との距離を感じ孤独感が増すのです。孤独とは、誰もが一生抱え持つ自由でもあるのかもしれません。この妙を、広大な春の海の器にくるんだ一句。胸に落ちました。

藤川 宏樹

特選句「大甕はころがして拭く 春一番」。太古からずっと欠かせぬ大甕。水を貯め冬の生活を支えた大甕。春の支度に洗い終え、ゴロゴロころがし拭いている景。生暖かい春一番に干し物がはためいている背景。北斎描く画が浮かび楽しめました。

植松 まめ

特選句「冴返る辺野古の土砂に骨数多」。県民の民意を聞くこともなく辺野古の海は埋め立てられてゆく、そして埋め立ての土砂には沖縄戦で亡くなった人達の骨が混じっている。冴返るの季語が鋭い。特選句「蜃気楼このやるせない未来地図」。未来図の主宰であった鍵和田?子師の句に「未来図は直線多し早稲の花」の名句がある。若々しい希望溢れる句であるが、特選句にしたこの句は今の世情を詠んでいるのだろう未来に希望がもてない政治に希望がもてない。蜃気楼の様な不確かな時代だ。「理科室の鍵じやらじやらと遅日かな」。中学校時代の恩師を思い出しました。私はよく理科室に遊びに行っていました。面白い先生でした。季語の遅日がいいなと思います。

男波 弘志

「立春の人差し指から爪を切る」。このままでも十分ではありますが、もっと暗喩を与えた方が重層性が生まれるだろう。たとえば「きさらぎ」とすればどこかに屈折感があろう。秀作「赤い実に樹氷まるで胎児のよう」。内容は極めて豊満ではあるが、韻文詩の切れが叡かに不足していると思う。たとえば「赤い実を囲いし樹氷胎児のよう」どちらが好みかは、どこまで韻文詩を貫く覚悟があるか、否か、  であろう。しかし17音の一行詩に韻文精神がなくなったとき、俳句の形式美はもうないであろう。俳句そのものも無くなっているであろう。秀作

大西 健司

特選句「空は芯まで青し山頭火の野糞」。山頭火がさぞ苦笑していることだろう。未だに野○○を書くことを若い人はどう見るのだろう。そう思いつつ「空は芯まで青し」と書く事により、えも言われぬ爽快感があるのを否定できない。季節は初夏の頃だろう。山頭火の青い山が思われる。こういう句が好きなのは困ったもんだ。

小西 瞬夏

特選句「春浅い眠りの先の夜汽車かな」。春の浅い眠りのなか、ぼんやりとうつつと夢とをいったりきたり。その先に夜汽車があるということは、これから眠りに入るところなのだろうか。その夜汽車はどこからきて、どこに行くのか。自分自身の無意識の中に入っていくようである。

豊原 清明

特選句「蟇俯瞰浮遊の我が身なり」。選句表読んで、蟇が飛び込んで来るように思いました。言葉が、決まって、気持ち良い句に思いました。問題句『ドッペルゲンガー「思いのまま」とう梅ありて(伊藤 幸)』。バラバラなようでいて、繋がりがあると思いました。「ドッペンゲンガー」で取ったので、こちらの鑑賞がぼんやりしてます。選句のこちらの問題かと思って。

疋田恵美子

特選句「伊豆の地に馴染み麗らか朝寝かな」。理想の地で暮らす、最上の幸を思います。特選句「空の青海へと繋ぐ野水仙」。能登半島の一日も早い復興をお祈りするばかりです。北陸本線の旅で見ました、斜面一面の水仙が特に印象的でした。その景色が思い出され頂きました。

河田 清峰

特選句「ミモザ咲くいのち犇めく国境線」。華やかに力強く咲くミモザでも国境は無くせないのだろうか?鳥や雲のように自由に行き来したいものだ。いつも句会報ありがとうございます!兜太祭行って来て下さい!

鈴木 幸江

特選句評「啓蟄や深爪肉を突き始む」。子供の頃は、私もよく深爪を何故かしてしまったものだ。その指がちょっと物に触れるだけでとても痛かった。自分でしでかしたちょっとした失敗の痛みの大きさに驚いたものだ。私は未だ「啓蟄」という季語をうまく消化できない。自分の才能のなさに直面している今日この頃。しかし、失敗することが人生のプラスになってゆく過程をこの句の「啓蟄」から感受した。失敗しつつ成長してゆくいのちの有態を表現していると勝手に解釈して特選。「切り離せないものに風船と子供(柴田清子)」。この句も子供の頃の生々しい思いを蘇らせてくれた。風船はとても大切なものだから空へ逃がしてはいけないと、ちょっとした油断から飛んで行ってしまってからその大切さに気が付いた切ない経験がある。あの時の生の思いは、決して忘れてはいけないときっと作者は伝えたいのだろうと思った。同感である。

野田 信章

特選句「鳥の恋祈り覚える十六歳」。「鳥の恋」、この季感に寄せての作者の思いの込もった句である。難しい年頃を迎えて、祈るということを覚え初めた者への期待と不安感の込もった眼差しが限りなく美しい。

河野 志保

特選句「春塵や繰ることもない電話帳」。ふとした日常の気付きが憂いを帯びた一句になった。「春塵」という季語が、時代の流れと一種の感傷を際立たせていると思う。

塩野 正春

特選句「一人より二人の孤独春の海」。詠まれてみると確かに二人の方が孤独を感じることも多い。私ならこうするんだがと、胸にストレスを抱えて生きていく。かといって一人になればさらに悲しむ人間の性(さが)。特選句&問題句「古雛が光の中にいる時間」。古雛の立場に立って、果たして光に長く当たった方がよいのか、暗闇にじっとしている方がいいのか迷う。作者は問題を出してから逃げた感じ。古雛は例えば私のような老人なのか。だとしたら光はあまりいらないかも。句を受け取った人が考える自由度が多く迷う。

松岡 早苗

特選句「空は芯まで青し山頭火の野糞」。「野糞」で終わる句ですが、とても爽やかですっきりとした読後感がありました。「人間よ自然に帰れ」ではないですが、自然と人間が共鳴する幸福感があふれているように感じました。特選句「まっすぐな階段がある春の月」。「まっすぐな階段」と「春の月」の取り合わせ。人造物と自然物の対比、直線の剛と曲線の柔のコントラストが絶妙。月光に浮かぶ階段は、幻想的、心象的な美しさを醸し出していると思いました。

薫   香

特選句「春の風滅多矢鱈とふわふわす(小西瞬夏)」。春の風を思い出してみると、心がほどけそうな、ふわふわした感じを滅多矢鱈と言う言葉をチョイスして詠んでいるのがとっても素敵です。特選句「つきまとう春愁信号は青(森本由美子)」。なんとなく物思いにふけることが多い春は、振り払っても振り払っても思いは押し寄せる。信号は進めの青なのにね。

末澤  等

特選句「日と風と鳥くすぐりて山笑ふ(風子)」。「くすぐりて」を季語「山笑う」にかぶせることで、嫋やかな春の訪れを非常に上手く表現していると思います。

風   子

特選句「古雛が光の中にいる時間」。雛の箱の闇からつかの間光の中に…静かな時間が流れる。「白梅りんりん介護うつ五年」。自然の中に心を遊ばせて、のきれい事だけではない俳句。白梅はりんりんと輝いています。今しかできない俳句が素晴らしい。「鮨一貫昼酒一献春うらら」。町でお会いして、お誘いを受ければ喜んでお相伴いたします。春ですもの。

佐孝 石画

特選句「三月や動きたくない水も居る」。水溜りか、川か。少し暖かくなってきて、散歩にも出かけたのかもしれない。春めいて、草木は青み初め、河川は雪解けを受けて流れを速くしていく。そこにふと自分に似た天邪鬼な水を見つけたのだろう。「動きたくない水」。水に意思を感じ、共鳴していくその感性に、強く共感した。

田中 怜子

特選句「凍て空に米兵自裁の身を焦す(新野祐子)」。地味な句だけれど、良心がそうさせたのですね。上の命令に唯々諾々でなく、己の考えをもっていた兵士なのですね。「春の昼団地の児等の拾円市」。団地住まいの子どもらの声、誇り、元気が伝わります。「雛の間や大和ことばの息づかい」。ひっそりと息づかいがあるような感じわかるな~。この家の女性たちの思いの歴史が重層している、怖いような。「涅槃西風乗換駅で待ってます」。こんな風に吹かれるなんて気持ちがいい。懐かしさも感じます。

高木 水志

特選句「春の原発もう妊れぬ水の音(三枝みずほ)」。原発の恐ろしさは東日本大震災で知った。

山本 弥生

特選句「春塵や繰ることもない電話帳」。スマホのお陰で必要な電話番号は入力していて令和の現代では電話帳を繰って番号を探す事も無くなった電話帳を大事に保管している。季語の春塵がよく効いている。

漆原 義典

特選句「祖母も母も笑い上戸桜餅」。笑い上戸と桜餅が決まっています。桜餅を食べながら、祖母と母が笑い、傍で娘さんが笑っている。ほのぼのと温かい、幸せ一杯の家族が良いですね。

三好三香穂

「農に生き青麦匂う背筋あり」。日本の農業はどうなるのでしょうか?自給率は低いし、もしもの時は、飢餓になるやも知れません。こういう爽やかな人がもっと増えて欲しいです。「水温む異人さんも一緒よ笑い声」。ウーフという制度があり、世界の若者は、これを利用して旅に出る。6時間の労働と、寝食との交換、金銭は一切介さないで。我が家には、この制度でもう何百人もの若者異人さんが滞在しては、また旅立つ。まさに日常風景を詠んでいただいた感じです。 「大朝寝遍路の鈴の遠ざかる」。春は眠い。若い頃は大朝寝ができましたね。今はせいぜい9時起床で、大朝寝。お遍路の鈴を聞きながら、昼過ぎまで寝てみたいものです。「鮨十貫昼酒一献春うらら」。飲んべえの憧れです。「一人より二人の孤独春の海」。心が、通わなくなれば、そういうこともあるわねえ。お一人様は自由そうです!

若森 京子

特選句「鳥の恋祈り覚える十六歳」。この明るい一句に哀切を覚える感性に魅かれた。鳥の恋の純粋で真剣に命をかける姿に圧倒される。祈る十六歳は初恋をしたのであろうか誰もが通ってきた道。現実の厳しい未来が待っている。特選句「空は芯まで青し山頭火の野糞」。兜太先生の「大頭の黒蟻西行の野糞」を思い出した。タイムスリップして西行のしゃがむ側を大蟻が歩いていたのであろうと。この句も当時放浪していた山頭火をリアルに感じられる。

伊藤  幸

特選句「九条の国冬の噴井のみどりかな」。熊本の市街地に緑豊かな湧水湖があ り年中を通して貴重な水生動物や野鳥を見ることができる。戦の絶えぬこの世界で戦争放棄を憲法で定めた日本の平和が永遠に続きますよう祈るばかりである。特選句「蜃気楼このやるせない未來地図」。暴動、テロ、侵攻、混乱する世界。まさに先の見えない未来地図だ。

津田 将也

特選句「二月堂より春鹿のやはきこゑ」。春になると鹿は、冬毛の脱毛により毛並み・毛色がまだらに色褪せて醜くなる。雌鹿は子を孕み、動作が鈍く、大儀そうになっている。雄鹿は角が抜け落ちるので、人の目には一段と哀れにうつる。作者が春鹿を詠むに、細く弱く鳴く鹿の「やはきこゑ」に耳を留めたことで、まだ寒いが・・春の足音・息吹がかすかに感じられる「早春」の季節感を表せた。

三好つや子

特選句「おっさんの呟きに似る涅槃西風」。お彼岸になると、大阪の四天王寺では多くの人で賑わいます。そんな境内の隅っこにある屋台で、焼き栄螺やおでんをつまみ、酒を飲みながら、人々を見ている中年男が浮かびました。涅槃西風が吹く頃の、あたたかで、すこし哀しい光景をみごとに切り取り、味わい深い。特選句「坂道を龍馬も子規も菜の花忌」。日本が近代化してゆく時代の坂道を、高い志で生きたヒーローたちの青春群像、まさに司馬遼太郎の世界が一句に凝縮され、心に刺さりました。「三月や動きたくない水も居る」。何をするにも億劫なこの季節ならではの気分をユーモラスに捉えています。「春の原発もう妊れぬ水の音」。福島第一原発での、浄化されずにいる汚染水に思いを馳せました。目を逸らすことのできない重いテーマに、共感。

中村 セミ

特選句「おでん炊く善と悪とを綯い交ぜに(植松まめ)」。おでんの鍋のなかには、どうであれ、色々入ってる。闇鍋といって,電気を消して,食べる物もある。社会の集団の中も色々な方がおり、個人の善悪いりまじり、おでんを炊く様だとよんだようにも、かんじられる。蛇足だが鍋から,ぶくぶく気泡も上がる時もあると思うが、気泡に濁点、をつけると希望になることもある。

銀   次

今月の誤読●「春の木の歩幅となって少女来る」。春の日の気持ちのいい昼下がり。ボクは公園のベンチに腰掛けて本を読んでいた。ふと顔を上げると木立のなかから一人の少女が歩いてくるのが目に入った。薄汚れた白いブラウスとはき古したジーンズを身につけているが、その顔は驚くほど美しい。少女はまっすぐにこちらのほうにやってくる。目の前に立つと、アゴをクイと動かし「そこ、坐っていい?」と訊く。ボクはコクンと大きくうなずいた。もう本どころではない。ただドギマギしてチラチラと少女のほうをうかがうばかりだ。しばらくたって少女はふいに「わたし妹がいるの」と話しはじめた。ボクは会話がはじまったことにホッとして「うん」と少し身をのりだした。その「妹の話」は有り体にいって少々うさんくさいものだったが、彼女の美しい声でとつとつと語られると説得力にあふれたもののように聞こえた。なんでも、その妹は、もともと病弱でひ弱だったのだが、最近になって大きな病いにかかり家をでることができなくなったのだという。一日中家に閉じこもって粗末なベッドに横たわるしかないのだ。天涯孤独の姉妹は頼る身よりもなく、食べ物も身のまわりの世話も少女の手にゆだねられているのだ。小半時も話を聞いていただろうか、少女は唐突に「お金、くれない?」と切り出したのだ。ボクはハッとわれに返って「もちろん」とポケットを探り探りして持ち金をぜんぶ彼女にわたした。少女はスッと立って「ありがと」といったきり歩きだした。春の野を、別のカモを探して。

野口思づゑ

特選句「一人より二人の孤独春の海」。大共鳴句です。私も同じ趣旨の句を作ったことがあるのですが、一人の孤独は当たり前、でも二人でいれば幸せ、との思い込み、世間ではかなり強そう。ただ二人でいても互いに気持ちが噛み合わない、考えが違い過ぎる時などの寂しさ、または何らかの事情で二人が社会から孤立してしまった場合などの孤独感は、一人の時より強くなる。ほとんどの人が幸せな気持ちになる春の海を前にしたらその寂寥感はいっそう強まる。特選句「春の木の歩幅となって少女来る」。春の明るい陽光を背に木から木へスキップで跳んでいる少女の姿が浮かびます。まるでフランスの印象派絵画。

荒井まり子

特選句「白梅りんりん介護うつ五年」。薬を服用していた暮しの右往左往。白梅が眩しい。

和緒 玲子

特選句「手水舎に蝶のまぎれてもう正午」。初蝶であろうか、手水舎を行ったり来たり。その動きを時間が経つのも忘れて見入ってしまった。ひらひらと儚げで、かつそう見えてこちらが誘われているようでもある蝶の翅の動きがスロー再生のよう。美しい夢のような調べから、下五で一気に我に返ったような感覚である。手水に常に流れ落ちる水音も聞こえる。

寺町志津子

「竜の玉風の便りに友の訃ぞ」。年を重ねるにつれ訃報が多くなって心沈みますが、ことに友の死は堪えます。「花吹雪浴びて今年の夢ひらく」。景がよく見え、元気を頂きました。春らしく明るい前向きな御句も多く、心暖まりました。

桂  凜火

特選句「春の雨みている石の女神たち(月野ぽぽな)」。石彫の視線を描くというのは新鮮でした。石は大理石なのかもしれない。春の雨の中、やわらかな息遣いすら聞こえるような白くて美しい女神たちの姿が目に浮かびます。特選句「古雛が光の中にいる時間」。時間をこんなふうに止めることができていることに感動しました。古い雛がもつ長い時間と今が交錯することができていてすばらしいと思いました。

綾田 節子

特選句「白梅や時に言葉が邪魔になる」。季語と中七下五が上手くかみ合っていて、白梅の美しさを感じます。特選句「いぬふぐりデモで会う人みな友に」。季語が上手いですね。デモは志が皆一緒ですものね。

岡田ミツヒロ

特選句「つきまとう春愁信号は青」。春愁とは、生きているということ、そして生きている信号は青!さあ行くか、春愁よ。特選句「春の原発もう妊れぬ水の音」。太古より海の幸を生み育み人を養ってくれた母なる海、だがトリチウムの海は不妊の海。「水の音」は、海の、魚たちの怨嗟の呻きであり未来の扉の閉ざされゆく音・・・。

菅原 春み

特選句「冴返る辺野古の土砂に骨数多」。臨場感があり、ことばもでない現実をよんでいるのかと。特選句「農に生き青麦匂う背筋あり」。こういった背筋はなんとも懐かしく、日本人の原風景かとも。

稲   暁

特選句「みな消えてしずかの地球涅槃西風(榎本祐子)」。作者は、核戦争のあとの地球を想像しているのだろう。静まり返った地球に空しく吹く涅槃西風が不気味だ。 特選句「泣き虫な魔女のじゅうたん落椿(山下一夫)」。泣き虫な魔女とはどんな魔女なんだろう。季語もよく効いている。

柾木はつ子

特選句「白梅や時に言葉が邪魔になる」全くその通り!言葉では自分の思いを的確に伝えることが出来ない時がありますね。そんな時は黙って微笑むだけ…。特選句「昨日より少し前向き風光る」。春はとかくに気持ちが不安定になりがちですね。でも今日は陽の光が燦々と降り注ぎ風も心地よく感じられます。そんな時は何か希望が湧いてきますね。この気持ちよく分かります。

重松 敬子

特選句「まっすぐな階段がある春の月」。まっすぐな階段が、春の到来を感じさせます。冬を越えた安堵感、世界中が好転するような気分になってしまいます。

竹本  仰

特選句「ミモザ咲くいのち犇く国境線」。国境というのはつねに厳しい現実であると思います。そして国境線も有るようで無いような、つねに揺れ動くものです。それとは対照的にミモザの花はほんのり優しく自然で、ここに寄ってごらんよと語りかけてくるようです。何の配慮もためらいも要らないのです。一つしかない国歌に対し、さまざまな民謡や愛の歌があるように、平和を欲する貴い声もまた現実です。朝ドラでも見られたように歌手の前線兵士慰問でも、淡谷のり子やマリリン・モンローが熱く彼らの心を打ったようです。慰問とはいうけれど、現実にはそれも或る戦いではなかったか。ミモザの花も戦っているのだな、と思わせました。特選句「春の木の歩幅となって少女来る」。はて、どこかで見たような、あの歩き方は…。と、ほんの時たま見かける近所を散歩する或る女性に思ったことがあります。学生時代の知り合いの方にそっくりすぎて、気がつけばその姿を復唱している自分がいます。その感じは、ほんとに違った空気が動いているという感じです。何かドキッとさせる感じでしょうか。歩く姿というのは不思議です。本人はまったく気づいていないのですが、二人とはいないただ一つだけの歩き方をしているのです。波郷の句に〈バスを待ち大路の春をうたがはず〉というのがあります。春が来たと思わせるような歩幅の歩き方、間違いなく存在するのでは、と思います。特選句「一人より二人の孤独春の海」。相手がいる方がより強く感じてしまう孤独。一人の孤独ではない、より痛切な孤独。先日、ミッシェル・ビュトールの『心変わり』という文庫本を読みました。パリに妻子がありながら、ローマにいる恋人に、相手にも知らせずに会いにゆくという、そんなパリからローマ行きの列車の中の数時間を描いたものでした。その間じゅう、恋人に、妻に、そして何よりも自分に語りかけるその言葉の連続なのですが、決められた時間のその車室に居ながら、もう救いがたく茫洋と孤独にさまよう姿が印象的で、その感じを思い出しました。本当は一人芝居なんだよ人間は、と感じてしまう。この句では、二人、春、という孤独とはコントラストにある語を使いながら、孤独を際立たせている点がいいなと思いました。

三寒四温とはいうけれど、毎日がほんとに異なる顔をした日常に戸惑います。春ってこんなだったけか。たぶん、去年の春とも、今までの春とも違うのでしょうが、そう言えば今年はこちらのイカナゴ漁が解禁日とともに一日で漁を終えたというのが話題になっています。大幅なイカナゴの減少で、来年のためにそうしたのだということです。そんな貴重なイカナゴのぬた和えをご近所さんからいただきましたが、その小骨が歯にひっかかり、取ってみると、なんとまあ透明な粒状の小片がありました。ありがとう、と思わず言ったことでした。いつもと違う春、でも春、そんな一日一日の発見を大事にしたいと思っております。みなさん、お元気で。

滝澤 泰斗

特選句「良い人に飽きてふらここ小半時」。良い人は、まじめで、地味で、人に対しやさしく、危なげないイメージがあるが、見方を変えると、それ故に、わくわくする魅力に乏しく、スリルも無い。そして、ぼんやりするブランコでの小半時。この辺に来ると付きすぎ感満載だが、良い人で一句を生むことはなかなか難しいと思われるが、その佇まいを上手にものにした感が強い。特選句「祖母も母も笑い上戸桜餅」。寒い冬から抜け出て、陽光輝く時期の春の感いっぱいの笑い声が絶えない気持ちの良さでいただいた。桜の木に行っちゃうと、薄ら寒さや、さくら散るのイメージで、せっかくの笑い上戸が活きなくなるところに桜餅を持ってきて、無事着地と言ったところ。「冴返る辺野古の土砂に骨数多」。とにかく、都道府県の中で身につまされる県は沖縄を置いて他にない。国は、何が何でもアメリカしか見ていない。西村寿行氏の「蒼茫の大地・滅ぶ」ではないが、沖縄は独立を勝ち取れと言いたくなる。「戦またムンクの口開く2月尽(増田暁子)」。ムンクが描く「叫び」は本人が叫んでいるのではなく、自然の大きな力に耳を塞いでいる・・・と。パレスチナとユダヤの戦いはかれこれ100年続き、プーチンのウクライナ侵攻に耳を塞ぎ、驚きのあまり開いた口は2年も閉じずにいる。「九条の国冬の噴井のみどりかな」。冬で枯れずに沸き出でる豊かな井戸と素晴らしい緑野の日本は戦争を放棄しているのに・・・ミサイル配備だの、オスプレイだのとどういうことと反意の句と受けっとった。「ミモザ咲くいのち犇く国境線」。幸せの黄色いハンカチやゴッホのひまわりに感じる黄色の温もりのように黄色いミモザは春を呼ぶ花だが、皮肉にも、ネタニエフの狂気から逃れようとパレスチナの難民が殺到している国境に咲き誇っている。      

滝澤さんがAmazonから電子書籍『満州棄民史開拓団教師の逃避行』出されました。スマホパソコンで見て読む本です。スマホにkindleというアプリをインストールし書名を入力すれば読めるそうです。滝澤さんの恩師の体験談を元に書かれた本です。高橋たねをさんも、満州から命からがら引き揚げてきたと聞いています。もう戦争は懲り懲りです。紙の本しか読んだことがありませんが、何とか挑戦してみたいと思います。既に読まれた方が、無料で読めるとも話されていました。

吉田 和恵

特選句「壺すみれ賑やか過ぎる水の星」。人種だの宗教だの国境だのと喧しいこと。地球という豊かな星で、いちばんおバカな生きものは人間かも知れない。壺すみれはふと思うのです。

榎本 祐子

特選句「春浅い眠りの先の夜汽車かな」。春浅い眠りの意識の奥にある夜汽車の仄灯りは、郷愁のような心地良さで深い眠りの世界へ連れていってくれる。

時田 幻椏

特選句「立春の人差し指から爪を切る(津田将也)」。「まっすぐな階段がある春の月」。口語体の何気ないそっけなさが新鮮でした。特選に準ずる一句「良い人に飽きてふらここ小半時」

新野 祐子

特選句「空は芯まで青し山頭火の野糞」。読めば読むほどいい感じ。山頭火の句に「飯のうまさが青い青い空」があります。糞は米が異なったものですね。この句は山頭火の句に匹敵するなぁ、と思いました。

山下 一夫

特選句「春雷や馬の臭いを嗅ぎに行く(大西健司)」。舞台は農村かと思われますが、自分の趣味に引き付けて春雷の音に馬群の蹄音を聞きつけた競馬狂が競馬場に向かう情景と読んでしまいます。いずれにせよ「臭」と「嗅」の重複が生々しく臭覚の記憶を喚起。ああ早く行きたい。特選句「地味な子の何処まで飛ばす石鹸玉(和緒玲子)」。地味な子にも夢はありそれだからこそ遠大と受け止めました。石鹸玉で遊ぶ子をあえて「地味な」と形容することで「石鹸玉」との対比や通底などの意味的なつながりを生み出すことに成功していると思います。問題句「春の木の歩幅となって少女来る」。全体として伸びやかな生命感が心地よい句なのですが「春の木の歩幅」が謎。成長が加速して急速に身長が伸びてきた前思春期女子を寿いだものでしょうか。

亀山祐美子

特選句『春塵や繰ることもない電話帳』携帯電話が普及し検索すれば何でも答え てくれる便利な世の中になった。もはや電話帳は用をなさない。街角の公衆電話だろうか。繰ることもない電話帳に春塵が薄っすらと溜まっている。以前携帯を忘れ人様に携帯を借りたことがある。手元に緊急連絡帳があり事なきを得た。二三の家の電話番号なら覚えているが携帯となると自分のものさえ危うい。便利になった分段々と人間が馬鹿になりつつある。特選句『三月や動きたくない水も居る』三月水ぬるむ季節。自然界が動き出す季節。山河の水が連鎖的に動き出すがそこに留まりたい水だっているはずだ。私と同じように。卒業就職転勤等々人も動く。新しい生活に向かう人も多い。留まりたい自分と期待感溢れる自分。やるせなさが伝わる。

川本 一葉

特選句「留守電の奥をゆったり春の川」。家電話にかけて留守電。お母さんの声でのアナウンスでしょうか。家の風景匂い、その周りの風景、そして匂い、音、記憶がぐるぐる廻ってる。そんな作者の望郷の心が見えるようです。

三枝みずほ

特選句「九条の国冬の噴井のみどりかな」。社会性のある言葉を詩へ昇華させた。冬の噴井の揺らぎや音を静かに聞けば、九条がどういうものかがわかるだろう。この静謐な世界に流れる意志をみどりとして感受したい。

飯土井志乃

今月は好きな句が多くて一句に決められませんでした。来月が楽しみです。皆さまの選句を読ませていただいてその選句力に学ばせていただく昨今です。

森本由美子

特選句「留守電の奥をゆったり春の川」。急ぎの用件でないのは確か。せわしさのない口調は春の川のうねりのよう。LINEやWhatsupによって必要以上にせかされない時代が懐かしく思い出される。

松本美智子

特選句「大甕はころがして拭く 春一番」。大きな甕を使って何を作っているのでしょうか。「春」と甕の形や雰囲気が合っていると思います。季語の「春一番」の埃をふいているのでしょうか。ころんと転がって拭かれている大きな甕の中身を想像します。「つきまとう春愁信号は青」。問題句ではありませんが・・・「春愁」の気の重い感じを表すのなら信号はなぜ「青」なのか「赤」「黄」を選ばずに「青」なのか作者に聞いてみたくなってひっかかった句であります。

佳   凛

特選句「祖母も母も笑い上戸桜餅」。今迄 色々な事があったでしょうが、何と平和でしょう。桜餅を食べて笑い転げてる.日本中に世界中に笑いが広がる事を、願っています。まずは、近くへ笑いを広げたいと思います。

大浦ともこ

特選句「白梅りんりんりん介護うつ五年」。自然の生命力に圧倒されそうになる日々を送られているのか・・・りんりんりんが心に響きます。特選句「春の木の歩幅となって少女来る」。少女の瑞々しい柔らかさと『春の木の歩幅』という表現がとてもしっくりとして、何度も口ずさみたくなります。

野﨑 憲子

特選句「集散すこれでいいのだ猫の恋」。<猫の恋>とくれば、先ず浮かんでくるのが「恋猫の恋する猫で押し通す(永田耕衣)」だ。とにかく変節しない。恋焦がれたものへ一直線で突っ走る。ある意味、人生の奥義のような一句だ。「俳句は理屈じゃないよ」と話された兜太先生の声も聞こえてくる。世界平和への鍵は、世界最短定型詩である俳句のように強く感じている。不器用ながらも、その幻の一句へ一句へと逸る私よ。これでいいのだ。よくぞ『天才バカボン』!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

三月
三月や研修棟のゆるき坂
和緒 玲子
三月やランドセル君さようなら
漆原 義典
指輪とり三月家庭裁判所
藤川 宏樹
三月は二月を捨てた女なり
銀   次
三月はギザギザハート光れよ君
野﨑 憲子
雨やどりして三月のオムライス
野﨑 憲子
三月や転勤拒否のいごっそう
島田 章平
半べその母の照れ泣き入り彼岸
島田 章平
半々に割る発想やどだい無理
末澤  等
そろり出す夫に半額春キャベツ
藤川 宏樹
鍵っ子と犬半分こ桜餅
和緒 玲子
雲雀
新校舎混じって届く雲雀声
末澤  等
揚雲雀魅入り忘我の首痛し
岡田 奈々
揚げ雲雀見上ぐる夫の喉仏
三好三香穂
約束はひばりの落ちたあのあたり
銀   次
揚雲雀時もどりゆく瀬戸の橋
渡辺 貞子
読点が多すぎるひと揚雲雀
藤川 宏樹
夕雲雀そして人類ゐなくなる
野﨑 憲子
雲雀鳴く後期高齢くそくらえ
稲   暁
雲雀笛やんだ公文へ行かなくちゃ
和緒 玲子
花ミモザ
ままごとのママ役ふたり花ミモザ
和緒 玲子
花ミモザ君の笑顔が浮かばない
末澤  等
ブギウギを歌へば若し花ミモザ
島田 章平
学生も娼婦も居たりミモザ館
銀   次
大笑いして誰が誰だか花ミモザ
岡田 奈々
沈丁花
先生の良からぬ噂沈丁花
和緒 玲子
沈丁花愛想するより御洒落して
岡田 奈々
私はあなたの半分沈丁花
三好三香穂

【通信欄】&【句会メモ】

今月も岡山から小西瞬夏さんと瞬夏さんのお母様がご来高され、稲暁さんも久々のご参加で午後1時~午後6時近くまで句会を存分に楽しみました。桜の花の開花にはまだ間がありますが、今月のお菓子の桜餅も句会に華を添えてくれました。

3月22日から長瀞で開催の「海原」兜太祭へ行ってまいりました。先生のお墓参りもできて良かったです。ご生家の壺春堂では、先生が小学三年生の時に書かれた作文帖や通信簿(全甲でした)など、前に行った時にはなかった展示品も増え、管理されている方々の真心を感じました。句会も二回開かれ楽しんでまいりました。兜太祭の前日、私は、「海程」秩父道場があった上長瀞の養浩亭に泊りました。この養浩亭も、兜太祭の会場の長生館も、渋沢栄一が命名したとのことでした。兜太祭に参加された「海原」の連衆や荒川の流れに大きな元気をもらって帰りました。

2024年2月23日 (金)

第147回「海程香川」句会(2024.02.10)

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事前投句参加者の一句

                                                                                                                                                                                                                                      
建国日語るにマフラー長すぎる 三好つや子
雪降らぬ地にて語る被災地の雪 野口思づゑ
二月堂夢の中より豆を撒く 渡辺 貞子
オリオンの統ぶる夜空や霜の声 稲   暁
海女と息合わせて寝落つ冬の宿 若森 京子
冬の能登自傷のごとき崖崩れ 森本由美子
梅の花むしろ近所だ中韓は 山下 一夫
座して眠るあの雪嶺のたいらな師 佐孝 石画
クレヨンのはみ出している鬼の面 藤田 乙女
掌に仏のごとき海鼠かな 榎本 祐子
潰れた家と屍隠す風花 菅原香代子
悴むや青空と語を見失ふ 佐藤 稚鬼
冬空があまりにも青すぎて敬礼 銀   次
<沖縄の私宅監置>コンクリの穴より早緑の滴るよ 田中 怜子
トキめきの鍵と出会うよ梅蕾 岡田 奈々
寒雀空を見上げることにする 松本 勇二
簪の影が立っている梅の花 中村 セミ
白鳥がゐる白鳥がゐる赤光 小西 瞬夏
知らんぷり氷上に猫降り損ね 山田 哲夫
村八分聞かず言わざる梅見ざる 田中アパート
やさしくなれるかな白いセーターなら 月野ぽぽな
覚めぬ木を二月の風の揺れ起こす 風   子
にびいろの野良猫朧ごと拾ふ 和緒 玲子
冬夕焼け灯り始めしビルの街 山本 弥生
地の涯に春来る静か光の輪 十河 宣洋
風花に紛れて逝くよたましひも 柾木はつ子
鳥に人にそれぞれ居場所冬の島 桂  凜火
ヒョウ柄のバナナに威嚇されており 鈴木 幸江
冬山の樹相ゆたかに吾を満たす 野田 信章
腎臓を一つ無くして除夜の鐘 滝澤 泰斗
挙げる手に応える手あリ息白し 福井 明子
健さんを気取る夫としるこ食ふ 吉田 和恵
海女小屋の囲炉裏の消し炭春を待つ 増田 暁子
節分へ岩の中なるオニオコゼ 河田 清峰
沖晴れてをり一月の山が鳴く 柴田 清子
寒鯉の犇めきあへる地震の夜 石井 はな
声忘れ母の眼は澄み初氷 薫   香
落ち椿躓くほどに老いました 谷  孝江
猫となる気概じゆうぶん猫柳 佳   凛
豆撒くや生かされてよくこの日まで 寺町志津子
劇場の匂いかすかに雪催い 竹本  仰
霜柱うるるうるると鳴り始む 高木 水志
縁尋機妙疑う寒の片目野良 時田 幻椏
昭和百年意識的楽観や「スリム」 疋田恵美子
許されぬ人間として流氷期 綾田 節子
一日の口直しだから冬満月 河野 志保
軍港に雨を見ている開戦忌 重松 敬子
今日の邂逅風花と記します 新野 祐子
漆黒として奥行はあるのです 男波 弘志
夜空からちぎれたこころ粉雪降る 飯土井志乃
はじめましては立春の鼓動です 三枝みずほ
春立つやしつけ糸解き草履履く 菅原 春み
待ってるよあの子の席に日脚伸ぶ 松本美智子
いくさなぞしてる場合か去年今年 三好三香穂
こうのとり電柱に来て風が鳴る 小山やす子
冬すみれ母百日の心電図 荒井まり子
水軍の裔とか海鵜はぐれ飛ぶ 大西 健司
いそぐことあらへんやろう たねをの忌 島田 章平
手紙だと「元気よ」と言う寒見舞 津田 将也
繭玉の向うはダム湖追憶す 樽谷 宗寛
二股大根の涅槃一人鍋 藤川 宏樹
小児科にまはるモビール春隣 大浦ともこ
枯れざるは無頼の流儀作家死す 岡田ミツヒロ
機嫌よきハシビロコウや春隣 植松 まめ
妣と見る野地に芽を出す蕗の薹 漆原 義典
登山口は僕の伸び代冬霞 末澤  等
春海や全身汗の流れ水 豊原 清明
終活のはじめはフリマ寒卵 向井 桐華
接吻の間のことと落椿 川本 一葉
銀輪漕ぐ小さな逃亡二ン月の 伊藤  幸
ちりしくや紅の浄土の久女の忌 亀山祐美子
甲矢(はや)番ふ指に力や春近し 松岡 早苗
源流は日輪の巣よ兜太の忌 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「劇場の匂いかすかに雪催い」。雪が降りそうな湿気を含んだ気配になにかが匂ってくる。それが「劇場の匂い」だという意外性。場末の古びた劇場の映像が浮かび上がり、昭和感のあるノスタルジックな世界に浸る。

月野ぽぽな

特選句「小児科にまはるモビール春隣」。色とりどりのモビールが静かに揺れ動き、それを目で追う幼子たちとその親たち。回復の願いの満ちる空間に、春を待つ心の満ちた季語がよく合います。

十河 宣洋

特選句「やさしくなれるかな白いセーターなら」。甘い作品だがたまにはこういう作品があってもいい。人が持つ心の二面性。そんな思いを考えさせられて面白い。なかなか、照れくさくて優しくなれないという人は多い。特に日本人は優しさを表現するの下手である。本当は心の優しい人である。白セーターでなくてもいいんだがちょっぴり冒険しようかという気持。特選句「海女と息合わせて寝落つ冬の宿」。芭蕉さんは遊女と一つ家に寝たが、海女さんと寝たのは芭蕉より粋である。

松本 勇二

特選句「登山口は僕の伸び代冬霞」。登山口を伸びしろと見立てる感性が光りま す。何歳になっても伸び代あると思わせる、溌溂とした一句です。

佐孝 石画

特選句「漆黒として奥行はあるのです」。作者が最初に出会ったイメージは「漆黒」か「奥行」か。季語がない分、非常に観念的な詩になっているが、「漆黒」、「奥行」が共に暗喩的な響きを持ちつつ、読み手の既視感覚を誘う。そして「漆黒として奥行はある」という、なかば暴力的な断言が、じわりと妙な実感と迫力を絞り出してくる。「奥行」にはもちろん、人生、情念の揺れ幅にも通じることだろう。この観念と迫力は西東三鬼の「中年や遠くみのれる夜の桃」を彷彿とさせる。

福井 明子

特選句「聖観音真っ正面にして四温(柴田清子)」。仏さまと真向い、両の掌を合わせる。その時、遠つ世からなにか壮大なエネルギーを身に受けるような気がする。四温という簡潔な響きに、凍てつく堂から、湧くようなぬくみが漂ってくる一句。特選句「ちりしくや紅の浄土の久女の忌」。 昭和21年1月21日は杉田久女の忌日。一途さゆえに、紆余曲折の多かった人生。ちりしく紅のイメージは、過酷な最後に、せめて清楚なあたたかさを、との願いが込められていると思います。

藤川 宏樹

特選句「知らんぷり氷上に猫降り損ね」。決して猫好きではない私が、今月は「猫」を何故か三匹とってしまった。寒さを嫌い、炬燵で丸くなる猫が氷上へトライ。だが着地に見事失敗。すましてとりなす様が眼に浮かぶ。「知らんぷり」がうまく言い当てている。

風   子

特選句「クレヨンのはみ出している鬼の面」。園児の色とりどりの鬼の面が目に浮かぶようです。「建国日語るにマフラー長すぎる」。マフラーは何の比喩か。分からぬまま、その思いに引っ掛かりました。「猫となる気概じゅうぶん猫柳」。ちょっとあざといかな、と思ったのですが気概に免じて。「接吻の間のことと落椿」。絶妙に落椿で救われた。落椿が美しい。

津田 将也

特選句「やさしくなれるかな白いセーターなら」。それは、もう、なれるでしょう!あなたなら、きっと・・・。特選句「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。鈍色(にびいろ、にぶいろ)とは、濃い灰色の猫のことです。平安時代に、この灰色という名称が定着しました。朧(おぼろ)は、春は昼も夜も空気中に水分が多いので、物がかすんで見えることが多くあり、このため俳句では、昼を「霞」夜を「朧」と表現します。朧は、月が出ていなくても発生し得るので、月が出ている夜の朧のときは「朧夜・朧の夜」などと使います。結句の「朧ごと拾ふ」は、この句での大収穫の措辞になりました。問題句「豆撒くや生かされてよくこの日まで」。とても佳い句です・・が、私なら、「生かされてよくこの日まで豆を撒く」と書きたい。

岡田 奈々

特選句「湯豆腐の湯だまりにいのちのかけら(銀次)」。湯豆腐をあー美味しかったといって皆で堪能した後、何故かわらわらと小さな箸で取れない豆腐の残り。本当、細部にまで命は宿っていますが、豆腐の欠片にそれを感じる作者の感受性の細やかさに感じ入った。特選句「銀輪漕ぐ小さな逃亡二ン月の」。小学生低学年の子が自転車で家出かな?小さな逃亡者は何から逃げようとしたのかな。背景が心に迫る。「冬の芽に少年の血が巡りゆく(高木水志)」。若さ故の憤り、それとも願望。「ブロッコリーの森に迷える小鳥たち(重松敬子)」確かにブロッコリーは森に見える。ミクロの大冒険。「クレヨンのはみ出している鬼の面」。幼稚園から必ず持って帰ってくる子の作った鬼の面。クレヨンの油の匂いのおまけ付き。懐かしい。「やさしくなれるかな白いセーターなら」。絶対成れると思う。私も白いセーター大好き。必ず毎年買う。だって、すぐ、くすんで、毛玉出来るから。私の殺気を吸い取ってくれているのかな。「ヒョウ柄のバナナに威嚇されており」。ヒョウ柄のと言うことは買って4、5日経過。そろそろアルコールくさくなってきた。早く食べてよって言われている。「健さんを気取る夫としるこ食ふ」。健さんのように格好良くはないけど、一緒にお汁粉食べる人がいるのが幸せ。「縁尋機妙疑う寒の片目野良猫」。「縁尋機妙」という言葉初めて知りました。でも、小さい頃から何にも良いことの無かったこの猫さんは猫不信になっても仕方ないよね。「登山口は僕の伸び代冬霞」。山は一つ一つ違う体験が出来る。そして、積み重ねることで、また、次の山へと。良いな山は。

松岡 早苗

特選句「掌に仏のごとき海鼠かな」。掌の一見してグロテスクな海鼠を、「仏のごとき」と捉えていることに衝撃を受けました。堅い骨も棘も持たず海底の堆積物を食べて穏やかに暮らしている海鼠。考えてみると確かに仏のような存在なのかもしれません。特選句「やさしくなれるかな白いセーターなら」。白色には、新たな出発のイメージがあり、清らかな広がりや希 望も感じられます。心にすっと爽やかな風が入ってくるようでした。

河野 志保

特選句「漆黒として奥行はあるのです」。見る、聞く、触れる、食す…いろんな場面に「奥行」はある。その存在は「漆黒」だという。見えないはずなのに見えている、と言うか見えている気になっている空間、といったことだろうか。不思議な説得力にひかれた。

島田 章平

特選句「潰れた家と屍隠す風花」「沖晴れてをり一月の山が鳴く」。2句とも『能登震災』を詠んだ句。しかし、表現はまったく違う。「潰れた家、屍」」というリアルな句と、もう一句はどこにも震災の表現はない、しかし、「一月の山が鳴く」という表現に恐ろしい凄みがある。 「沖」と「山」の対比、そして「泣く」ではなく「鳴く」に作者の写生眼の深さを感じる。

疋田恵美子

特選句「梅の花むしろ近所だ中韓は」。隣国韓国(北も含め)中国は、元より、地球上の全ての人々が仲良く平和であることを切に願う。世界平和の為、日本も多いに活動してほしいと思います。特選句「<スリム>快挙月で豆撒く日もあろう(森本由美子)」。月面着陸に成功した探査機「スリム」への喜びの句として頂きました。

柴田 清子

特選句「掌に仏のごとき海鼠かな」。掌に海鼠を乗せる行為。その海鼠が仏のようであると言う捉え方発想がすばらしいです。「人日の水なし暖なし能登人(びと)よ(野田信章)」。「非戦ヒセン非戦ヒセン百千鳥(野﨑憲子)」など、十七文字短い故に、訴えてくるものの大きさに驚いています。自分には、出来ない仲間の一句一句を、大切に読ませてもらって、佳年にしたいと思いました。

鈴木 幸江

特選句評「消印を押されたままの末黒野や(男波弘志)」。私は、切手に押された消印の意味を妙にいろいろと考えてしまう。〝いつ押されたのだろうか?この仕事をする人はどんな気持ちでこの消印を押したのだろうか?“などなど。使用済みの印と知るとなんだか辛くなる。そして、こんな自分はいったい何者なのだろうかと・・・。”末黒野”は情の強さを表現している季語。能登の震災火災跡の光景が浮かび辛くなったのは、私だけではないであろう。「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。幻想的な美の世界を感受させていただいた。これは日本文化としておおいの大切な美意識と考えている。後世へも伝えたく思い特選とした。問題句評「春寒しバナナを黒くして悔し(山下一夫)」。表現は違うがこの作者の気持ちはよく分かる。兜太師への想いを感じた。拙句「ヒョウ柄のバナナに威嚇されており」も、先生は、ちょっと熟したバナナがお好き、ということを知ったときに、つくづく先生は先生だと実感した思い出がある。(因みに私は青いのが好き。)”春寒し”の季語がよく効きました。でも、ちょっと”悔し”は無くてもいいかな、と思って問題句にしました。

大西 健司

特選句「寒鯉の犇めきあへる地震の夜」。どんな小さな地震でも動物は敏感に反応をする。水底に固まっている寒鯉もやはり犇めきあう、それはあたかもか弱い人間の心の揺らぎのようだ。

桂  凜火

特選句「機嫌よきハシビロコウや春隣」。本格的な春が待たれます。 気の滅入るニュースもおおいこの頃なので機嫌よきものといるのはいいですね。ハシビロコウは妙に人間的なのでとても好感がもてました。

山田 哲夫

特選句「腎臓を一つ無くして除夜の鐘」。十数年前に同じ体験をした私にとっては、この句の作者の喪失感が痛いほど分かる気がする。理屈ではなく、生な実感として身体が覚えている感じは、何とも微妙で言葉にしては表しがたい気がする。「除夜の鐘」の下五がよく効いている。

綾田 節子

特選句「恋の猫理屈じゃないよ走る猫(佳凛)」。そうですよ、理屈じゃないですよ猫も人間も。猫の走る姿が動画のようです。特選句「幼子のけんけんぱーや春隣り(藤田乙女)」。真冬は元気の良い子供と言っても、外遊びも?でも少し暖かくなれば、春隣りが効いてます。子供の頃を懐かしみました。

男波 弘志

「寒雀空を見上げることにする」。そうすることにする この簡潔さと潔よさ 生きるとはそうゆうことなのだろう戦争をやめることにする それを実行できない世界の指導者は 人間をやめるべきだろう そんな人間が人間でいられる理由など どこにもない 特選

植松 まめ

特選句「父母(ちちはは)の面影恋し老いの春(寺町志津子)」。親離れが早かった私は父母への想いが淡泊であったが、ふた親を亡くし自分が老いを感じるようになると父母を恋しく思う気持が強くなった。特選句「オリオンの統ぶる夜空や霜の声」。犬を飼って居たころは夜遅くに犬とよく散歩をした。特に冬のオリオン座を仰ぐと心が洗われる様な気がした。

末澤  等

特選句「冬空があまりにも青すぎて敬礼」。これまでの登山のなかでこのようなシチュエーションに幾度か経験しましたが、私的には「背筋伸び」が精一杯で、「敬礼」までは思いつきませんでした。上手く表現されていると思います。

寺町志津子

「痛みとは生きてる証し沈丁花」。生々しい痛みに耐えておられる作者の一日も早いご快復をお祈り申し上げます。「幼子のけんけんぱーや春隣」。幼子さん達の明るく可愛いお声が聞こえるようです。♬♬「もう直ぐハールですねえ」。「いそぐことあらへんやろう たねをの忌」。たねをさんとお親しかった方の御句でしょうか? 素っ気ない表現に、お親しかった良き俳友を失った寂しさ、悔しさがジンと伝わってきました。

滝澤 泰斗

特選句「いそぐことあらへんやろう たねをの忌」。晩年の高橋さんに大阪で二度ほどお会いした。笠智衆さん然とした佇まいが印象的な方でした。ですので、エピソードも無いのですが、上五中七がその少ない邂逅の中で、如何にも、たねをさんが言いそうな言葉を持ってきたな、と、感心しきり。特選句「機嫌よきハシビロコウや春隣」。ケニアはマサイマラ国立公園の午後はサファリを休んで夕方までホテルで休息を取る。そんな退屈な午後を楽しませてくれるのはアフリカ独特の動物たち、中でもこのハシビロコウという鳥というか、鳥獣は出色だ。何を思ってか、ずーっと同じ姿勢で、長い時間、微動だにせず、ただ、目だけが生きている。それでいて、こちらを飽きさせない力に満ちていながら、不機嫌そうに見える・・・だからか、ある種の緊張もあってみていられる。時として、機嫌が良く見えたのは、目の動きが多少ユーモラスに見えたか・・・。「座して眠るあの雪嶺のたいらな師」。また、先生の忌日がやってくる。もう六年かと、この句の言わんとしていることも含め様々に思い出される。「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。朧ごと拾う。季語が生きた。「人日の水なし暖なし能登人(びと)よ」。応援句を作るが、もう少し時間が要る。「軍港に雨を見ている開戦忌」。忘れてはいけない。戦争を知らない世代は、戦争を語った親や先人の言ったことを語り継ぐこと。その意味でもこの句のように、戦争を始めた日は忌日という感覚を大切にしたい。「枯れざるは無頼の流儀作家死す」。同じ年の生まれ、同じ学校ということもあり、何かにつけて意識した伊集院静。早い死を悼む。

樽谷 宗寛

特選句「源流は日輪の巣よ兜太の忌」。素晴らしい。源流、日輪、兜太と勢揃い。いただきました。私は雪女になって一句。「雪女の敬慕の情や兜太の忌(樽谷宗寛)」

豊原 清明

問題句「海女と息合わせて寝落つ冬の宿」。前田普羅句集を思い出す。生涯の句をうすい一冊に納めた、ふらんす堂『前田普羅句集 雪山』をこの句、「冬の宿」で思い出し、また再読したくなった。特選句「堕天使の横顔平か蜜柑むく(桂 凜火)」。この「堕天使の」を今月の句会に直感で選びましたが、「堕天使」は悪魔であり、ちょっと怖いなあと思います。「蜜柑むく」で選びました。

若森 京子

特選句「劇場の匂いかすかに雪催い」。〝劇場の匂い〟という言葉に色々今迄に演じて来た歴史を思い興味を持った。特選句「登山口は僕の伸び代冬霞」。登山口から、どんどん登って行くのを、僕の伸び代との表現が面白い。

三好つや子

特選句「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。キジトラか、ハチワレか、クロなのか・・・毛の色がまだはっきりしない仔猫に懐かれ、連れ帰ってしまったのでしょう。飼うことにどこか躊躇している作者の心情も投影され、惹かれました。特選句「人日の水なし暖なし能登人よ」。地震と津波で、ライフラインを断たれてしまった能登の人々の痛々しさが、心に迫ってきます。日常の生活を一刻もはやく取り戻していただきたい。「冬の芽に少年の血が巡りゆく」。深くて、しずかで、熱いことばを紡いだ、聡明感のある表現。「猫になる気概じゅうぶん猫柳」。ツンツンしたり、デレデレしたり。そんな気ままな振るまいを許す、猫好きのための猫の句。

田中 怜子

特選句「自販機の灯りに浮かぶ冬の雨(石井はな)」。孤独な都会人にほっとするような温かみがあるのでは。その灯の中で雨が走っている、体験してますね。 特選句「いそぐことあらへんやろう たねをの忌」。たねをさんとは一度もお目にかかってないのですがなんとなく、たねをさんらしいのではないか、と。そして、忘れられることなく、ほっこりとした句にたねをさんを偲ぶことは良き事だな、と。

山本 弥生

特選句『手紙だと「元気よ」と言う寒見舞』。何十年来の友達からの寒見舞の手紙が来た。電話なら声を聞けば健康状態も分るが丁寧に手紙でくれた「元気よ」が、お互いに高齢なので逆の事も想像して気になる。

河田 清峰

特選句「川向うも同じ町名菜花咲く(谷 孝江)」。昔は川もなく戦もなく仲良くしてたのでしょう。

中村 セミ

特選句「ビルよりも硬し大寒の青空(月野ぽぽな)」。寒い時の青空が冷たく固い物に映っている。この青空は、一種の心情風景かと思う。海や空や夜は,昔から、宇宙と繋がっている。切れるような俳句も、不思議な絵を見るように、何かと,繋がっているのだろう。

和緒 玲子

特選句「軍港に雨を見ている開戦忌」。呉でしょうか、横須賀でしょうか。まるで自分が土砂降りの中、すぐ目の前の巨大な船を見上げているような錯覚を覚えました。装飾も無く淡々とした景の表現が、より多くのことを語っているように思います。

伊藤  幸

特選句「建国日語るにマフラー長すぎる」。現代人の感覚ですね。ストレートで好感が持てます。特選句「枯れざるは無頼の流儀作家死す」。戦後の無頼的姿勢を示した作家を無頼派と言ったらしいが現在でもその姿勢を貫く作家が絶えない。私もその読者の一人。永遠に枯れることなき流儀であろう。

漆原 義典

特選句「声忘れ母の眼は澄み初氷」。この句で4年前に亡くなった私の母が蘇りました。澄んだ母の眼と初氷が、静寂な情景を良く詠んでいると思います。上五の<声忘れ>が、一層の静寂さを感じさせます。素晴らしい句をありがとうございます。

亀山祐美子

特選句「クレヨンのはみ出している鬼の面」。事実のみを並べ感情を廃している分読者の想像を刺激する佳句。文句なく明るく伸びやか。一読顔がほころぶ。「沖晴れてをり一月の山が鳴く」「冬すみれ母百日の心電図」「三号車窓際枯野行列車(小西瞬夏)」「ビルよりも硬し大寒の青空」

 
岡田ミツヒロ

特選句「 漆黒として奥行はあるのです」。知覚できるのは、事物の表層でしかない。人の心にしても深層は窺い知れず、極限状況に於て、その実相を見る。特選句「夜空からちぎれたこころ粉雪降る」。星空の美しさも、いまや心に届かない災禍の街。降りしきる雪の無情。

吉田 和恵

特選句「いそぐことあらへんやろう たねをの忌」。たねをさんの名は聞くばかりで存じあげませんが、お人柄を彷彿とさせます。

菅原香代子

特選句「声忘れ母の目は澄み初氷」。凛とした母親への深い愛情を感じます。「父母の面影恋し老いの春」。亡き両親を思い出しその歳に近づいた自分への感慨を感じます。

野口思づゑ

今回は特選絞り切れませんでした。「痛みとは生きている証し沈丁花(三好三香穂)」。季語が効いています。「さあ来いよカモン・ベイビー 青鮫忌(島田章平)」。リズムが良い。「落ち椿躓くほどに老いました」。ユーモラス、そして実感がこもっている。「あなたからハンコをもらう春支度(三好つや子)」。離婚届の印鑑をもらい、これから第二の人生の春が始まるのか、それともやっと結婚の同意を受けルンルンの新婚生活が始まるのか。

渡辺 貞子

先日は瀬戸の海を渡り懐しい、ふる里の景色を楽しみ乍ら一日を娘に連れられて楽しむ事が出来ました。暖い皆さまお仲間に混じり楽しいひと時をありがとうございました。いつも仲良くしていただいている娘の幸せな様子を思いました。転勤族の夫と主に、あちこち転々と致しましたが、やっと古里に老を過しており娘の監督のもとに送るの日々でございます。何かとお世話になる事と存じますが、よろしくお願い申し上げます。楽しい一日でございました。ありがとうございました。うれしゅうございました。

野田 信章

特選句「冬の能登自傷のごとき崖崩れ」。一読、冬の日本海に突き出した腕(かいな)そのものの自傷行為の悲に重ねた映像による把握として読んだ。そこに、この地ならではの惨に耐えて生きる能登人(びと)への心情のこもった感のはたらきも在ると思える。

三枝みずほ

特選句「源流は日輪の巣よ兜太の忌」。源流は水源であると同時に万物の源である。それらが日輪の巣であるという把握に驚いた。古来より日輪は命の象徴として様々なものを産み育ててきた。すべての始まりを、源を、「日輪の巣」と表現したこのダイナミックな暗喩は、兜太の忌であるからこそ共鳴出来、また多様な解釈が許される。

山下 一夫

特選句「知らんぷり氷上に猫降り損ね」。猫が、高い所から一瞬動きを止めた後に飛び降りる姿、そこが氷上で滑ってあがく姿、姿勢を整えてしっかり爪を立てて何事もなく歩き去る姿がありありと浮かんできて思わず笑ってしまいます。後悔や反省、自嘲とは無縁に生きる動物は清々しい。特選句「劇場の匂いかすかに雪催い」。今にも雪が降りだしそうな空の気配や満ちている気配に劇場を共鳴させ「匂い」との臭覚表現を持ってきているところ、景の雄大さが憎い。問題句「ヒョウ柄のバナナに威嚇されており」。熟してきて茶色の斑点(スウィートスポット又はシュガースポットと言うらしい)が出てきたバナナのヒョウ柄への喩えは初見でなるほどです。ググると菓子・東京バナナの柄を指すことが多い様子。猛獣から威嚇というのも面白い。冷気にあてず早く食べきらないといけませんね。

菅原 春み

特選句「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。朧ごと拾ふというところに深く納得し感動しました。特選句「声忘れ母の眼は澄み初氷」。眼の澄んだ母と初氷のとりあわせは秀逸です。人は機能を失ったぶんだけ、さらなるものを得るとか。

森本由美子

特選句「冬すみれ母百日の心電図」。晩年を生きていらっしゃる母上の察しきれないデリケートな心の動きを心電図に喩えているのか。冬すみれは作者がそれとなく寄り添う姿を暗示させる。

薫   香

特選句「いそぐことあらへんやろ たねをの忌」。ご本人を存じあげませんが、方言の持つあたたかさとおおらかさに包まれて緊張が解けるような心地よさが伝わってきました。特選句「きさらぎやそれでもいのちふくらんで(福井明子)」。春にはまだ少しある如月という季節でも、枝の先の芽は確実に膨らんでいる様が、ひらがなの持つ軟らかさとともにすっと胸に沁みました。

竹本  仰

特選句「海女と息合わせて寝落つ冬の宿」:歌人・浜田康敬の作品に<野に歌声放ち休日、出前そば持たぬ少年と活字拾わぬ我と>というのがあり、それと似た世界の良さを感じました。冒険を休んでいる冒険家じゃないですけれど、冬の間仕事が無い海女さんが民宿で働いているのか、それも風情ですね。夜、何だか静かすぎて寝息さえ聞こえそうなその闇の中に海女さんが昔の夢でも見ているんだろうか。北原ミレイ「石狩挽歌」のフレーズ「〽わたしゃ娘ざかりの夢を見る…」というような深い眠りが感じられました。特選句「掌に仏のごとき海鼠かな」:輪廻転生の果てというか、いつか仏になるために今はこの姿なのではなかろうか。と、ふと手のひらのナマコに人知れぬ愛着と憐れみを感じたのでは、と思いました。あるいは、これは前世での自分なのかもしれず、この出会い、何かしらゆかしいものである、という感慨でしょうか。ユーモラスな出会いの姿に、この世の仕組みを感じ、感じ入ったということではないかと、受け取りました。特選句「冬山の樹相ゆたかに吾を満たす」:老いの肯定のように感じます。例えば枯木と一言でいいますが、あれもそんなざっとしたものでなく、一枝一枝がそれぞれの形と情を持ったもので、空の形象を見事にあらわします。そんな豊かさは、人の内面と似つかわしく、その年齢にならねば味わえない種のものかもしれません。少し先走った言い方をすると、よい春を迎えるためには、冬という演出を経なければならないのか、ともふと思います。以上です。♡もう春一番の時期となりました。春一番の一は、まず一歩の一、踏み出しましょう、まず一歩。みなさん、よろしくお願いします。

新野 祐子

特選句「挙げる手に応える手あり息白し」。何気なくて人と人との良き交感が描かれています。「息白し」に生きとし生けるものの哀歓を見れずにはおれません。三橋敏雄の「手をあげて此の世の友は来りけり」。を連想しました。入選句「にびいろの野良猫朧ごと拾ふ」。「朧ごと」が眼目ですね。「寒鯉の犇めきあへる地震の夜」。地上だけでなく空にあるもの。水中に生きるものも、みな天変地異の犠牲となります。「受け入れて乗り越える」。口で言うのは簡単ですが、とても難しいことですね。考えさせられました。

松本美智子

特選句「寂しくて朧に母を呼びもどす(和緒玲子)」。あまり情景の浮かばないセンチメンタルな句は俳句として「有りか無しか」いつも迷ってしまいます。自作するときも、選ぶときも・・でも、この句はちょうどその微妙なラインをうまくバランスをとって「朧夜」の気分を表した秀句であると思いました。

川本 一葉

特選句「寂しくて朧に母を呼びもどす」。朧という不確かなものに縋るような想い。もう会えない人にどうしても会いたくなるとき、あります。美しい、とも思いました。

榎本 祐子

特選句「落ち椿躓くほどに老いました」。嘆くでも、抗うでもなく「老いました」の肯定が大人です。落ち椿の彩りも控えめにして効果的ですね。

重松 敬子

特選句「劇場の匂いかすかに雪催い」。観劇の高揚感がただよいます。雪を配することにより、日常と切り離されたひとときの喜びが伝わってきます。

高木 水志

特選句「はじめましては立春の鼓動です」。やわらかな立春の訪れを「はじめまして」で表現している。立春ならではの、どきどきする感覚がうまく表現されている。

荒井まり子

特選句「嫌いなものは嫌い?豆撒くぞ(十河宣洋)」。?の使い方が効果的で十二分に面白い。場面が見えてくる様。アッハッハァ。

三好三香穂

「風花に紛れて逝くよたましひも」。ちらほらと落ちてきては消えていく、溶けていく風花。どこか遠くに連れていってくれそうにも思う。そんな心情をよく表しています。「今日の邂逅風花と記します」。これも風花。あまり雪の降らないここ香川では、降っても、風花。特別なこと、天からの贈り物を戴いたような幸せを感じるのです。「接吻の間のことと落椿」。落ち椿はある日ある時突然ポトン。それが接吻の間のことと、捉えたことが面白い。どういう事だろうと、考えがぐるぐる回って面白い。

塩野 正春

特選句「浮き寝鳥翔ばず沈まず生きましょう(若森京子)」。この乱れた時世を静かに平和に生き抜くための悟り・・とも見える句。達観した生き方とでも言いましょうか。水に流されつつも焦らず動かず生きて行ければこの上ない幸せかな? 敵が来れば死んだふりもできる。 特選句「お多福の面追う節分の動悸(荒井まり子)」。幼き頃の初恋を思い出したのかな。お面をつければ怖くない・・とは言うものの相手は恋するあの子。ドキドキします。豆は優しくぶつけるか? 捕まえたらどうしよう?何を言おうか、あれこれ考えてしまいますね。老いた私にもこんな思い今でもあります。

柾木はつ子

特選句「冬の能登自傷のごとき崖崩れ」。地球が悲鳴を上げて至るところで自らを傷つけて行っているのでしょうか?その中で生きる私達は恐れおののきながら、それでも明日に希望を持って生きるしかありません。命の果てるその日まで。特選句「待ってるよあの子の席に日脚伸ぶ」。思ってもみなかった災害のためにクラスの子供達が離ればなれになって学ばなければいけない現実…けれど必ず元のクラスに戻って共に学べる日が来る事をお祈りしたいと思います。

銀   次

今月の誤読●「青空の澄み切っている孤独なり(三枝みずほ)」。わたしは病床にいる。看護師が「窓のカーテン、開けましょうか?」という。わたしが生返事したとたん、サッと陽光が差し込む。窓越しに見えた風景にわたしは驚く。そこには見事に晴れ上がった空があったからだ。その空の青いことといったら、まるで手練れの左官の塗ったような濃淡のない、真性の「青」だった。わたしはその青を全身で受け止めようと、両手を広げ、起き上がろうとする。だがカラダはわずかしか動かない。看護師が再びいう。「ムリしちゃダメよ。あなたは昨日まで死んでいたんだから」。そう言い残して看護師は出て行く。わたしは魅入られたように、その青から目が離せない。少しでも窓に近づきたい。近づけばその青に触れられる。なんの根拠もないが、それがわたしが生還した証しのような気がしたのだ。わたしは気力を振り絞って、カラダを動かし始める。ベッドの上をじりじり、わずかずつわずかずつ、わたしは窓に近づく。全身が汗にまみれている。何時間たっただろうか。ようやく窓にたどり着いたわたしは、両の手を差しのばした。触れた、と思ったとたん、そこにはガラスがなく、わたしはもんどり打って窓の外に放り出される。落ちる。わたしは落ちた。だがそれは地上に向かってではなく、空に向かってだ。青のまっただなかへ、そのもっとも深いところへと、わたしは落ちていく。そして叫ぶ。「生きている!」と。この声をだれが聞くだろうか。

谷  孝江

特選句「いくさなぞしてる場合か去年今年」。そうです!いくさなどしている場合ではありません。今、目の前で幼い子たちが食べる事にも事欠き、大人たちの爭いで傷を負うているのです。私達の年代を生きてきた人間は誰もが持っている消すことの出来ない事実です。人間として当然受けられる平和、三度の食事、小さな喜び、それさえ持って行かれるなんて許せません。教育を、食事を、子供たちに・・・それが、大人の務めです。

増田 暁子

特選句「覚めぬ木を二月の風の揺れ起こす」。春ですよ!と呼んでいる風と木々。早春の景色が見えます。特選句「はじめましては立春の鼓動です」。中7からの表現で春よこい!の気分が溢れます。問題句「ブロッコリーの森に迷える小鳥たち」。ブロッコリーの森に迷う小鳥、の意味がわかりません。詳しく説明が欲しい。▼ お問い合わせの件、ブロッコリーの、もこもこを森にたとえ、不安定な子供達の心理を想像して作りました。重松敬子。→重松様、有難う存じます。

藤田 乙女

特選句「トキめきの鍵と出会うよ梅蕾」。鍵でドアを開けるとどんな世界が広がるのでしょう。わくわくドキドキのときめきの鍵を持ちたいです。心が明るく弾む句です。特選句「鳥に人にそれぞれ居場所冬の島」。どんな時にも自分の居場所が必ずどこかにあるのは心の支えとなりますね。同時に自分の居場所を大切にして生きていかなければと思いました。

時田 幻椏

特選句「海女と息合わせて寝落つ冬の宿」。一読、「奥の細道」の「一家に遊女も寝たり萩と月」の芭蕉の句を思い起こします。海女と言う事で遊女以上に生なリアリティーを喚起させてくれます。特選句「にびいろの野良猫朧ごと拾う」。句を読み進める程に鈍色の世界がドラマティックに抱え取る事が出来ました。

石井 はな

特選句「冬の能登自傷のごとき崖崩れ」。元日の能登の震災は衝撃でした。被災された方々が一日も早く立ち直られる事を祈ります。その災害の様子を自傷と表現された事が深く心に響きました。自傷・・・重い言葉です。

向井 桐華

特選句「春立つやしつけ糸解き草履履く」。新しい着物のしつけ糸をほどいて、草履を履いてお出かけでしょうか。うきうきした気持ちが伝わってきます。特選句「 寂しくて朧に母を呼びもどす」。わかります。自分にも同じようなことがあります。やっぱり母親を求めますよね。共鳴句です。

稲   暁

特選句「軍港に雨を見ている開戦忌」。軍港とはどこの港でしょうか?高松港も軍港化しつつあるとも聞きます。

佳   凛

特選句「待ってるよあの子の席に日脚伸ぶ」。まだまだ学校へ行けないお子さんがいらっしゃるのですね。いろいろな事が、過密になり大人も子供も住みにくくなりました。目標は一つでも行く道は、いくらでもあります。どうか、挫けずに、頑張って下さい。

大浦ともこ

特選句「にびいろの野良猫朧ごと拾うふ」。朧ごと拾ふという表現に惹かれます。野良猫に向ける優しい眼差しが伝わってきました。特選句「霜柱うるるうるると鳴り始む」。うるるうるるというオノマトベに意表を突かれました。自然への小さな発見を掬い取っていていいなぁと思います。

野﨑 憲子

特選句「甲矢(はや)番ふ指に力や春近し」。立春間近の、一番弓を引き絞る緊迫感が伝わってくる。作者はルビを記していなかったので、そのまま貼り付けた。かつて高橋たねをさんの通信句会の世話人をした折、「希臘」という語がでてきた。私が、ルビを振りましょうか?と尋ねたら、たねをさんは「ギリシア」と読めないようなら俳人で無いと言われた。でも、此の句にはあった方がよかったかも知れない。狙った的のその奥までも射貫く句をと念じる私の共鳴句。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

猫の恋
エッシャーの階段尽きず猫の恋
藤川 宏樹
四、五日は行方知れずや猫の恋
植松 まめ
風の名を呼べば恋猫ふり返る
和緒 玲子
恋の猫眼鏡ケースを踏み逃げる
島田 章平
東大寺二月堂脇猫の恋
渡辺 貞子
兜太忌・たねを忌
まっすぐに水脈ひく小舟兜太の忌
渡辺 貞子
兜太忌のアベ一族を倒すまで
島田 章平
波は私で私は波で兜太の忌
野﨑 憲子
たねをの忌深夜のシヤドーボクシング
野﨑 憲子
句会は楽しいですね兜太の忌
漆原 義典
笑ふたな風船とばすたねをの忌
島田 章平
雪だるま誰も通らぬ通学路
島田 章平
能登晴れて涙の顔の雪だるま
島田 章平
「がんばろう」鉢巻まいた雪だるま
島田 章平
接吻のシヅ子アイスケ雪が降る
島田 章平
雪花やシェパードは耳ピンと立て
植松 まめ
初スキーパウダースノウまきあげて
三好三香穂
農夫あり草履をなうや雪静か
銀   次
春雪が甘酸っぱいねべそをかく
藤川 宏樹
早春
早春は裸の馬に乗って来る
銀   次
早春や足指さえも待ち焦がれ
末澤  等
早春賦口ずさみつゝ軒に干す
三好三香穂
早春やいかなご待ちし瀬戸の海
漆原 義典
早春ほろり粘菌が入れ替はる
野﨑 憲子
空耳が落つる椿の繰り言か
和緒 玲子
灯台の灯に水仙の浮かぶ島
島田 章平
花の雨逢瀬の宿の夕しづか
和緒 玲子
お騒がせな人と言はれて花ミモザ
野﨑 憲子
川風に初花ふるへゐてひとつ
和緒 玲子
平気で嘘をついては風花
野﨑 憲子
フリージアの花を束ねて君の手へ
植松 まめ
男木島のかおりを纏う花水仙
末澤  等
いい匂ひ踵をあげて幼なの梅
三好三香穂
早春や手紙は明日の自分宛
和緒 玲子
早春のゆりかご光に包まれて
薫   香
春早しいつもの席を退かぬ猫
島田 章平
祭壇に早春のこゑ集まれり
渡辺 貞子

【通信欄】&【句会メモ】

2月20日は金子兜太先生のご命日でした。あっという間に6年が経ちました。師は、「平和」を何より願われていました。不穏な空気の満ちてゆく世界へ 、これからも多様性と愛に溢れた「平和の俳句」を、ご参加の方々と共に熱く発信してまいりたいと念じています。

今回は、岡山から小西瞬夏さんとお母様の渡辺貞子さんがご参加くださり、いつにも増して楽しく豊かな句会になりました。袋回し句会の最高点句は、渡辺さんの作品でした。 今後ともよろしくお願いいたします。

2024年1月25日 (木)

第146回「海程香川」句会(2024.01.13)

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事前投句参加者の一句

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
深紅のドレス聖夜のアリア美(は)しき息 時田 幻椏
見慣れぬ漢寒灯の門叩く 樽谷 宗寛
青・色・信・号・点・滅・冬夕焼 藤川 宏樹
書き出しは船出のように初日記 津田 将也
空耳や絵本へ還る冬の蝶 大西 健司
冬眠の薄目喪中の寒オリオン すずき穂波
初春やぱちんと弾ける龍の玉 桂  凜火
独楽廻し競いし少年皆八十路 山本 弥生
壮年や海苔篊黒く林立す 野田 信章
雪だるま犬語の通訳ならできる 綾田 節子
反戦は普段の言葉ちゃんちゃんこ 岡田ミツヒロ
スクラムはこわれやすくて大旦 松本 勇二
きつと父三越からの蜜柑来る 川本 一葉
幼な子のブーツの中のでっかい宇宙 伊藤  幸
朝酒や髭も剃らずに去年今年 滝澤 泰斗
悴むや青空と語を見失ふ 佐藤 稚鬼
能登訛の初電話急 アメージング・グレース 塩野 正春
手袋の中の手汚れ思想なし 小西 瞬夏
寒月や離ればなれの鴉呼ぶ 高木 水志
おあとがよろしいようでと勝手に死んだ 田中アパート
初鏡問われる余生の交差点 増田 暁子
風花やたった二歳の猫(こ)を葬る 植松 まめ
ニュース聴く耳に重ねて夕時雨 石井 はな
山茶花も私の声も風のもの 河野 志保
朔の地震とともに戸締りす 中村 セミ
超美味の初夢獏にくれてやる 柾木はつ子
炎上の果てぬ地震国戦さなお 河田 清峰
初明り車窓の富士の太りたる     <あずお玲子改め> 和緒 玲子
逝くときは獣も冬の星を見る 小山やす子
冬ぬくし出窓のミケの大あくび 向井 桐華
うすらびに耳を澄ませば初声す 新野 祐子
空が青すぎて山茶花散り急ぐ 柴田 清子
元日の地震ブリキのバケツ打つ 荒井まり子
雪降ると言いて別れの手を握る 稲   暁
冬木立ベテルギウスの赫赫と 大浦ともこ
年明くる言葉浮かべてめしを食む 豊原 清明
冬ざるるコトデンの黄の遠きこと 銀   次
自分軸無いまま生きて冬薔薇 藤田 乙女
冬の波が運ぶ烈風鬼の家 菅原香代子
兆しあり冬木並んで突っ立つ意志 山田 哲夫
既読とはならぬ世へ打つ初LINE 藤野 安子
独り言己に聞かす初燈 飯土井志乃
ふゆゆふやけあかあかあかやああ天志 島田 章平
朝焼けの冬連山や胸沸る 末澤  等
〆のシャンパンならぬ終活竜の玉 岡田 奈々
未来問う鍋を突いて突っついて 鈴木 幸江
青春切符駄々っ子天志身罷りぬ 田中 怜子
衣摺れの音折りたたみ納棺す 森本由美子
老年楽しどの本能もまだ少し 十河 宣洋
遠き日の石鹸カタリ冬銀河 松岡 早苗
寒雀東京はビル持て余し 菅原 春み
書置きのような聖地や寒卵 男波 弘志
四肢折れば木偶アンニュイな冬日向 若森 京子
コンビニの灯へなんとなく大晦日 重松 敬子
おとついの時雨のせいにする懈怠 三好つや子
愚痴なれど元日避けて欲しかった 野口思づゑ
始まりは麦の一粒シュトーレン 吉田 和恵
あきらめの今日布団の柄が派手すぎる 榎本 祐子
いそがしい落葉涙が間に合わない 竹本  仰
枯野刈りたればひよこりと萌芽 福井 明子
浦安舞ふ巫女のひとみに初日さす 漆原 義典
天城より 朝焼けの富士 年明くる 寺町志津子
ゆきあいのひととながむる初日の出 亀山祐美子
山茶花の白叱られて励まされ 薫   香
初日の出平穏なりしありがたし 三好三香穂
母眠る林檎の匂いがする雪です 佐孝 石画
大はしゃぎ永久凍土溶けだした 山下 一夫
干されたる産着は淑気纏いけり 松本美智子
くに言葉忘れさぬきのあん雑煮 佳   凛
狗日なり機体炎上死者五人 疋田恵美子
紙面繰るたび冬の日を傷つける 三枝みずほ
ペン買ひにゆかな明日は雪らしき 谷  孝江
たつたひとつの神獣鏡から風花 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「バスがくるおばばひとりと風邪の児と(谷 孝江)」。実景でもあり、民話の世界のようでもある。映画のワンシーンのように映像を見せながら、心情の説明がないので、読者は邪魔されずに余計に余韻に浸ることができた。「おばば」という言い方と、子どもが風邪をひいているという設定がよい。

松本 勇二

特選句「衣摺れの音折りたたみ納棺す」。納棺に幾度か臨場しましたが、衣摺れの音が妙に耳に残っています。そこを取り上げた作者の感覚の冴えを称えたいと思います。淋しい所作の中にある冷静な視線も光ります。

十河 宣洋

特選句「遠景に海苔篊老人たち歌う(野田信章)」。私は山国育ちなので海のことはよく知らない。ネットや写真でその雰囲気を見たりする。この句もそうである。海苔の養殖に精を出す人々。遠景の風景は懐かしくもあり、親しみを感じた作者である。老人たち歌うは、仕事をしながら歌うというより、その作業を見ながらの歌である。実際の歌というよりその歌声に込められた歴史性を感じる。

豊原 清明

問題句「たつたひとつの神獣鏡から風花」。よく書かれていて、幻想小説のような世界が好きなので、点を入れました。こういう俳句が好きなのです。特選句「冬ぬくし出窓のミケの大あくび」。ミケが大あくびしたとしか、書かれていないけど、その省略・凝縮が、魅力的。俳句が好きな理由です。

福井 明子

特選句「バス待ちのベンチ冷たし能登の地震(向井桐華)」。あの元旦の地震を、どう句にしたらいいのかと思いあぐねていた時、この一句にたどりつき、身の近いところからの思い、そう、この場所のこのベンチの冷たさから想いを馳せる具体の姿勢に共感しました。特選句「くに言葉忘れさぬきのあん雑煮」。さぬきのあん雑煮、その色彩の鮮やかさ、豊かな味の混ざり合いは絶妙だと思います。くに言葉を忘れてしまうほど、私もさぬきの地に住み古しました。さぬきは本当にいいところです。

藤川 宏樹

特選句「幼な子のブーツの中のでっかい宇宙」。幼なき日の長靴、新しい長靴はみんな大きくぶかぶか。足はあちこち自由に動き長靴の中は余裕の「宇宙」。やがて足が大きくなり窮屈に、いつの間にか長靴の「宇宙」がなくなってしまいました。

綾田 節子

特選句「手に触れるまでの旅です六花です(佐孝石画)」。北海道土産の六花亭のチョコが何故か浮かんできました。作者は北海道の方でしょうか、仰るとおり手に触れた途端に美しい六角形の結晶は消えてしまうのですね。特選句「母眠る林檎の臭いがする雪です」。作者は母上の眠る地からは離れていらっしゃるのでしょうか、無臭の雪から林檎の臭い、雪は作者の郷愁を誘ったのでした。問題句「おあとがよろしいようでと勝手に死んだ」。作者は、亡くなった方とは親しく、そして怒っているのですね。勝手が効いてます、好きな句です。どなたが亡くなられたのでしょうか。  ♡初参加させて頂く綾田と申します。母方は生粋の讃岐人でして、そのご縁で、お仲間入りさせて頂くことになりました。独りよがりの勝手な句が多く、なんだ?と思われる事も多々とは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

島田 章平

特選句「母眠る林檎の匂いがする雪です」。亡くなられた母への挽歌。「林檎の匂い」と言うフレーズに作者の母への恋慕の情が浮かぶ。

岡田 奈々

特選句「幼な子のブーツの中のでっかい宇宙」。クリスマスブーツは大人でも嬉し楽しで、子ならでは。あの頃が懐かしいな。父は必ずでかいのを枕元に置いといてくれた。特選句「あきらめの今日布団の柄が派手すぎる」。もう、死にそうな感じ。もしくは、結婚したく無い人と政略結婚。もう、自殺しようと煉炭に火を付けて、さあ寝ようという時のシチュエーション。など、面白過ぎて、妄想が膨らむ。「青・色・信・号・点・滅・冬夕焼」。青色信号って、点滅したっけ。あ、歩行者の方ね。私は絶対駆けていって、足躓くタイプ。「空耳や絵本へ還る冬の蝶」。冬の蝶が本の中に潜り込んで冬越ししているのが、素敵。「雪だるま犬語の通訳ならできる」。100歩譲って雪だるまが犬語の通訳出来るとしよう。貴方はどうやって、雪だるまと交信を?「葛湯吹く昨夜の嘘を吹くように(十河宣洋)」。寒い日の葛湯。旨いよね。お婆ちゃんが、せなかを丸めて、少し眼をしょぼつかせながら、嘘とも本当とも判らない話しをしてくれた後、皆で飲んだ葛湯。あの頃は何でも興味あったな。毎日お話しせがんでた。「おあとがよろしいようでと勝手に死んだ」。なんか、山形駅に来なかった。天志さんだ。「ポインセチア動脈硬化すすむ街」。ポインセチアの葉脈が立派過ぎて。街の幹線が詰まっている様子と重なる。「レのキイは枝に隠れた雪のよう(伊藤 幸)」。ドに隠れて少しはにかみ屋のレ。「紙面繰るたび冬の日を傷つける」。紙を捲る度、冬の日は明るくなったり暗くなったり。まるで我が人生を一日ずつ繰っているようだ。楽しい日があったり、がっかりの時があったり。でも、また、新しい日がやって来る。

風   子

特選句「愚痴なれど元旦避けて欲しかった」。本当によりにもよって元旦の大地震。 日々寒さの中の被災地の様子にただ胸が痛いです。「書き出しは船出のように初日記」。私は日記を書かない。「過去のことは夢と同じ」と思っているからなんて、実はただのズボラ。それが証拠にメモもズボラで何時も「何時だった?何処だった?」と右往左往しています。日記を書かれる人は尊敬です。

柾木はつ子

特選句「たつたひとつの神獣鏡から風花」。いにしえの中国から渡ってきた銅鏡の一種と知りました。遙か古代のロマンが風花と共に現代に運ばれて来たような時空を超えた物語を紡いでくれるような作品だと思いました。特選句「元日の地震ブリキのバケツ打つ」。ブリキのバケツをけたたましく打ったような突然の衝撃!日本国民並べて同じような衝撃を受けたことでしょ う。正に当意即妙を得た作品だと思います。

大西 健司

特選句「元日の地震ブリキのバケツ打つ」。投句が遅かった人たちはこの元日の地震を重く受け止め、それぞれに書いている。ただ単なる傍観者である私たちはどう書けばいいのか悩ましい。そんな中掲句は「元日の地震」とたんたんとその事実を述べ、それ以上は何も思いは述べない。元日の地震という現実がそこにはあり、そして、それとは別に誰かが意思を持ってブリキのバケツを打つ。何のためかはわからない。ただ打つという行為。私はこの昭和感のあるバケツにこだわって特選にいただいた。

柴田 清子

特選句「母眠る林檎の匂いがする雪です」。深い眠りにつく母。母が雪か、雪が母か、美しい一句です。

田中 怜子

特選句「書き出しは船出のように初日記」。何故か5年日記を買おうかしらと、私はその船出ができなかったけど。特選句「くに言葉忘れさぬきのあん雑煮」。嫁いできて、日々忙しく生活しているうちにさぬきの人に。あん雑煮にもなじんできて。

男波 弘志

特選句「手袋の中の手汚れ思想なし」。多神教、八百万の神、神仏習合、何もかもを受け入れる思想は実は無宗教ではいかと感じています。つまり視点を縦横に移動できる、一つの教義に執着しない、この柔軟性がいま世界には必要なのだ。アメリカの民主主義も畢竟一神教の範疇にある。日本人が外国へ旅行していて「宗教をもっていないことが大変恥ずかしかった」と語った人が随分いるようですが、何故多神教の知恵が身の内に在ることに気が付かないのでしょうか?もし外国の人からそういうことをいわれたら「わたしは一つの宗教、一つの考えで生きているのではありません。日本にはたくさんの神や仏がいます。皆めいめいに生きたいように生きています。それで齟齬がおこらないのが日本という国の大いなる知恵なのです」と答えるでしょう。「おあとがよろしいようでと勝手に死んだ」。落語の神様、古今亭志ん生は破天荒な人だとよくいわれている。関東大震災のとき酒屋に飛び込んで勝手にウヰスキーを3本ラッパ飲みにしたそうだ。これで酒の飲み納めだと思ったそうだが。おかげで勘定をおかないで済んだとか、どうも勝手に死ぬわけにはいかなかったようだが。自分が死ぬときのはすーっと何かが解けるように逝きたいものである。

樽谷 宗寛

特選句「冬夕焼芭蕉兜太天志嗚呼残照(島田章平)」。天志様も他界なさいました。私は大阪句会や香川吟行でご一緒しました。嗚呼本当にもうお会いできないんだ。冬夕焼けに残照に出あうたびお作者のため息深まります。ちなみに喪中30通近く、来年から年賀状はやめにしました。天志様のご冥福をお祈り致します。

三枝みずほ

特選句「手に触れるまでの旅です六花です(佐孝石画)」。その手に触れたいと想いを巡らせる時間が旅だという把握に共鳴した。定住漂泊。特選句「あきらめの今日布団の柄が派手すぎる」。あきらめることを突きつけられた時、絶望とともにあるのは派手な布団の柄。〈絶望の虚妄なることまさに希望に相同じい〉ハンガリーの詩人の一行をふと思う。

鈴木 幸江

特選句「バスがくるおばばひとりと風邪の児と」。真の豊かさとは何だろうと考えねばならない今。この句に出会って、最初は辛さと不幸を想ったが、直ぐにこのふたりは幸せかもしれないと思った。何事も見方を変えれば正反対の感情が湧いてくる。その可能性を再認識させていただいた。特選句「こぞり立つ鋭き肺よ冬の芽よ(男波弘志)」。肺は外気と体内が交わる臓器である。そこでどんな出来事が起きているのか計り知れない。“こぞり立つ鋭き肺”を持つ作者の感性が感受した世界とは・・・・・。そして、その世界が“冬の芽”であるということは・・・・・。未来を洞察する力のあることが伝わってくる。

植松 まめ

特選句「逝くときは獣も冬の星を見る」。難病の猫の虎徹(こてつ)が逝ってしまいました。胸に刺さります。特選句「干されたる産着は淑気纏いけり」。玉のような赤ちゃん(古い言い方でしょうか?)の誕生おめでとうございます。本当に淑気纏いけりですね。問題句「手袋の中の手汚れ思想なし」。今の自民党の裏金問題渦中の議員の事でしょうか?思想なしでは政治家ではありません。

和緒 玲子

特選句「母眠る林檎の匂いがする雪です」。臥せっているのか亡くなってしまったのか。静かな午後を雪が降りだして、微かに林檎の匂いが混じる。少し甘く懐かしくもある匂い。母とのあれやこれやの思い出も押し寄せる。特選句「紙面繰るたび冬の日を傷つける」。薄くか弱い冬の日差し。頁を捲るたび紙の角が日差しに切り傷をつけてしまう。繊細な感覚。

末澤  等

特選句「自分軸無いまま生きて冬薔薇」。調べてみますと、『冬薔薇』とは冬枯れの中にポツリと咲きだした花を指す言葉だそうです。このことを頭に入れてこの句を読むと、まさしく自分を言い当ててくれているようです。どうにかして早く自分軸を探り当てたいと思い、特選句に選ばさせて頂きました。♡初参加の弁。これまで俳句は、プレバトで見て楽しむ程度で、触れたこともなかったですが、70 歳の年にご縁があり、昨年 11 月の句会から参加させていただいております。句会の時間は、耳と頭がフル回転で非常に疲れますが、ボケる暇がありません。続けてゆくことができるか分かりませんが、頑張ってゆこうと思います。皆さん宜しくお願いします。

若森 京子

特選句「青春切符駄々っ子天志身罷りぬ」。この一句そのままの亡き天志さんへの追悼句として頂きます。特選句「紙面繰るたび冬の日を傷つける」。平明な一行であるが、日常繰り返してきた重い意識が甦える。

山田 哲夫

特選句「四肢折れば木偶アンニュイな冬日向」。「四肢折れば」まで読んで、作者は骨折か?と思ったが、もしそうであったなら、痛い、痛いと、とてもアンニュイな状況に実を委ねている気持ちなどにはならないのではと、今一度読みなおしてみたら、この「折れば」には、作者の意思が働いていることに気がついた。自分の意志でわざわざ骨折する者はいないだろうから、作者は自分で手足を折り曲げて「このままの格好ではまるで木偶だな。まあいいか。」などと冬の日差しを浴びながら悦に入っているのだ。忙しい現代人の生活には、時にはこういうひとときこそ大切ではなかろうか。

すずき穂波

特選句「いそがしい落葉涙が間に合わない」。「涙が間に合わない」経験、誰しも身に覚えあるのではないだろうか?泣いているうちにいつの間にか気持ちが軽くなっていく。そんな「裏感情」のキメの細やかさ。特選句「ペン買ひにゆかな明日は雪らしき」。文体と感情の流れが、ゆるらかにくっつき合っていて心地いい。家居の作者、その存在がしんと浮かび上がり、ポッと(脳細胞が?)ひらく。

松岡 早苗

特選句「血管図真青に広げ山眠る(亀山祐美子)」。よく晴れた冬の日、葉を落とした裸木が青空に枝を広げている様子でしょうか。「血管図」という比喩が鮮烈でいただきました。特選句「ふゆゆふやけあかあかあかやああ天志」。平仮名の羅列と「あ」音の繰り返しが、悲しさ切なさを倍増させているようです。冬の夕焼けのようにあっけなく逝ってしまわれた天志さんが悼まれます。

塩野 正春

特選句「既読とはならぬ世へ打つ初LINE」。悲しいかな現実にある話しですね。 ラインの相手が突然消え失せるとは。生命、特に我々人間の命と命をつなぐ現実の武器ラインが響きます。”俳句の空間とデジタル”を繋げた素晴らしい句ですね。 ラインが(虚)の空間まで繋げてくれれば、この世は素晴らしいことでしょう。私たちも生きる意義や夢があるということですね。特選句「干されたる産着は淑気纏いけり」。新春の淑気、これに勝る表現は見当たりません。 お寺、神社いろいろありますが、赤ちゃんの産着は素晴らし淑気です。 この世、乱れた世ではありますが、に生を受けた赤ちゃんに未来を託したいです。

河野 志保

特選句「逝くときは獣も冬の星を見る」。動物を看取った時のことだろうか。冬の星に帰る命との別れ。悲しみの瞬間が荘厳さを湛えた1句になった。「獣」とは人間も含めた生き物全てを言っているのかもしれない。

高木 水志

特選句「いそがしい落葉涙が間に合わない」。落葉が次々に落ちていく。身近な人が次々と亡くなっていく。涙も出ないくらい悲しんでいる作者の様子が浮かぶ。

三好つや子

特選句「反戦は普通の言葉ちゃんちゃんこ」。令和になり、砲弾のなか泣き叫ぶ子どもの姿が、日常的なニュースになる昨今。うかうか老いてるときじゃない、もっと反戦に向き合わなければ、と武者震いしている作者を想像し、心に響きました。特選句「老年楽しどの本能もまだ少し」。一読して、兜太先生の「酒止めようかどの本能と遊ぼうか」の句が浮かびます。豪快に俳句人生を全うされた兜太先生にはかなわないけれど、私なりに老いを楽しんでいますよ、先生。と、冬空に呼びかけているように感じられ、感動。「ふゆゆふやけあかあかあかやああ天志」 「青春切符駄々っ子天志身罷りぬ」 増田天志さんが亡くなられ、海原の句会で追悼句をたくさん目にしました。この句もそうですが、天志さんの俳句を語るときの、青年のような一途な表情を思い出し、胸にジーンときました。

野口思づゑ

特選句「うすらびに耳を澄ませば初声す」。静かに年が明けた。静かに鳥の鳴き声が聞こえてくる。落ち着いた句です。特選句「ペン買いにゆかな明日は雪らしき」。雪のため外出ができなくなりそうだ、という事で買っておくべきがパンといった食料、必需品でなくペン、という事で書くことを大切にしている作者が偲ばれる。「初鏡問われる余生の交差点」。「余生の交差点」とは一体何なのか、どんな状態なのか興味をそそられる。

河田 清峰

特選句「未来問う鍋を突いて突っついて」。先行き不安な人生に鍋を突っついていくしかない未来がみえる。

中村 セミ

特選句「空耳や絵本へ還る冬の蝶」。冬の蝶の羽音を聞いたのだろか,絵本に蝶がいなくなり久しい、本当は、まだ帰ってないのだろと思う。そこに、不思議な感性を感じる。

吉田 和恵

特選句「老年楽しどの本能もまだ少し」。軽い飢餓感は老年も楽しくするのでしょうか。♡今、アラン編みに挑み頭と指の錆取りをしているところです。

榎本 祐子

特選句「青春切符駄々っ子天志身罷りぬ」。駄々っ子に親しみが込められていますね。青春切符に天志さんを感じます。

津田 将也

特選句「初春やぱちんと弾ける龍の玉」。庭や垣根ではよく見かける「龍の玉」。初夏のころは淡紫色の小花を咲かせ、花後、珠状の実をつける。これが冬とともに熟し碧い「龍の玉」になる。よく弾むので、子供たちが「弾み玉」とも呼び、いろんな遊びに使った。今ではもう見かけない「初春」の、俳句の中だけのものになりました。特選句「レのキイは枝に隠れた雪のよう(伊藤 幸)」。「中七」以下の措辞が格別です。定型句でのリズムが活かされており、これが読者の「読み」を肯定的にみちびきます。

増田 暁子

特選句「衣擦れの音折りたたみ納棺す」。納棺の場面の音、動作などリアルに思い出しました。辛いですが美しいですね。特選句「いそがしい落葉涙が間に合わない」。なんの涙なのか、落葉の速度は悲しみよりズンと早く余計辛いですね。一瞬の切り取りが詩になって情景が浮かびます。「母眠る林檎の匂いがする雪です」。甘酸っぱい母の匂いは最高だった。 

藤野 安子

特選句「見慣れぬ漢寒灯の門叩く」。この句の主人公は〝男〟ではなく‶漢〟。その漢が門を叩いている。そんな強い表現がなされているにもかかわらず、何故か現実離れした印象を受ける。〝見慣れぬ〟と云う言回しのせいかもしれない。そして、あまり使わない季語の‶寒灯〟が効果を上げている。一読し、急逝された天志さんが思い浮んだ。死後の世界に幾つかの門扉があるとしたなら、天志さんには極楽浄土への門が開かれたと固く信じている。

ご挨拶。初めまして、私は昨年十月、急逝された増田天志さん主宰の大津「まほろば句会」で四年間余りお世話になっていました。当「海程香川句会」の野﨑憲子さん岡田奈々さんからは「まほろば句会」へ毎月欠かさず投句をしていただいておりました。あの天志さんの自由奔放なキャラクターで進められる句座は本当に楽しく、また勉強もさせていただきました。そんな句座に香川からの投句は一層花を添えてくれました。本当にありがとうございました。年も押し迫った十二月二十六日。「天志さんを偲ぶまほろば句会」が開かれる運びとなり、急遽、香川から憲子さんが参加してくださり、しめやかでありつつも、和やかな追悼句会を催すことができました。「海程香川」の憲子さんとは、天志さんが繋げてくださった句縁だと感謝しております。今度、憲子さんからのお誘いもあり、「海程香川」の栄えある初句会へ拙句を投句させていただいた次第です。句縁とは異なもの。今後、益々の「海程香川句会」のご盛況を心から念じております。

伊藤  幸

特選句「書き出しは船出のように初日記」。はてさて今年はどんなことに出逢うだろうとワクワク。初日記はまさに船出のような気分です。作者にとって今年が佳き年となりますように。特選句「壮年や海苔篊黒く林立す」。手も足も悴む冬はアサクサノリの季節。黒く輝く海苔のびっしり生えた粗朶の林立する様を血気盛んな働き盛りの壮年と表現した見事な技に脱帽。

滝澤 泰斗

特選句「深紅のドレス聖夜のアリア美(は)しき息」。クリスマスの一部始終を切り取った感があるが、上、中、下が心地よく響き合っている。美しき息とあるから、教会によっては、教会を出て、教会に来れない方のお宅の玄関先でクリスマスキャロルを歌う事をするシーンを想像した。教会でのミサを上げた後、正装の深紅のドレスのまま出かけたことも連想される。深紅はまたクリスマスの花ポインセチアの深紅にも通じて結構でした。特選句「<句集『青草』佐孝石画へのオマージュとして>こぞり立つ鋭き肺よ冬の芽よ」。こぞり立つ冬の芽とは何だろうと想像した。冬の日の松の芽が一斉に上向きに立ち、まさに松が大いなる深呼吸をして緑の濃さを一層増すように賛美している。「書き出しは船出のように初日記」。大旦はどんな書き出しになったかはともかく、汽笛一声、徐に、大らかに大きな船が埠頭を離れる景。お正月に気持ちの良い句に出会った。「冬眠の薄目喪中の寒オリオン」。紅白歌合戦だ、年越しぞばだ、年賀状だ、孫がはるばるやってきて・・・などというなんだか慌ただしい正月もあれば、そんな時代はとうに過ぎ、昨年亡くなった身内のいない正月をじっと耐える正月もある。喪中の正月を詩情豊かに描いた。「衣摺れの音折りたたみ納棺す」。映画「おくりびと」のワンシーンのごとく・・・音折りたたみという表現に感服。「レのキイは枝に隠れた雪のよう」。音階のレをこういう風に詠まれると、途端にレが違う意味を持っていると錯覚しそうだ。着想の妙というか、面白い。私は半音のファとシが気になるが、隠れた雪という表現にはなかなか追いつけない。「書置きのような聖地や寒卵」。書置きの聖地とは・・・エルサレムにあるユダヤ人の聖地はかつての神殿の壁。その裏にイスラム教を唱えたムハンマドが昇天した岩のドームがある。そして、そこから、さほど遠くないキリストが昇天したゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会・・・どれもこれも書置きされたような場所にあるが、寒卵の季語が見事にフォローしている。

石井 はな

特選句「煩悩を幾つか減らし除夜の鐘(藤田乙女)」。毎年の除夜の鐘です。108の煩悩の幾つかが減っていると嬉しいです。減った分の音は違うのかしら?

稲   暁

特選句「自分軸無いまま生きて冬薔薇」。まるで私のことを言われているようだ。美しい冬薔薇との対比が印象的。

重松 敬子

特選句「初明り車窓の富士の太りたる」。年始めの期待感。一新したすがすがしさ、吸う空気さえ、新しい匂い、味がします。今年も良き年でありますように!

竹本  仰

特選句「空耳や絵本へ帰る冬の蝶」。生きるとは、生き延びること。生きるとは、抗うこと。何となく、そんな響きを背後に感じました。原色の原郷へ帰るこころみ、それは不可能なんだけれども、それが終の夢なんではなかろうか。そういえば小生にしてからが、年末から手塚治虫の『ふしぎな少年』を耽読し、「時間よ、とまれ!」と太田博之演じたTVドラマのあの叫びを、日本中の少年たちが人類全面核戦争寸前のキューバ危機の一九六二年に叫んでいたなんて、と何とも言えない感慨を覚えました。時間よ、とまれ!そして出来るなら、もう一度あそこへ。特選句「青春切符駄々っ子天志身罷りぬ」。青春十八きっぷ。増田天志さんと初対面の時、野﨑さんから彼はそうやって琵琶湖の国から来たんだというのを聞き、ああ、そうか、同じような時間旅行者がいるんだと、ぐいっと惹きつけられたのを覚えています。そのときは、どういう表情をして車窓にたたずんでいたんだろうな、という想像をふとしたのでした。私も若い頃は鈍行愛好者で、東京から大分まで乗り継ぎ二日間の旅をした記憶があります。そう、その時の感触からして、彼は時間を旅行していたのに違いないのです。わずか十七文字のため、否、わずか十七文字だからこそ遠路が要るのだ、と語っていたように勝手に解釈しました。あの駄々っ子の顔は紛れない時間旅行者の顔だったのだと、あらためて思い出しました。特選句「母眠る林檎の匂いがする雪です」。たしか宮沢賢治の詩に、「そこは林檎の匂いがして」というフレーズがあったような。うろ覚えで申し訳ありませんが、その賢治の詩と同じような匂いを思い出しました。多分、この母はもう年老いて昔の母ではない母なのかと思いますが、眠っている時だけはあの自分が感じた林檎の匂いがした母に戻っていると思えたのでしょう。多分、童話の原点というかふるさとは、こういう境地から来るのでしょうね。

増田天志さんの句、どなたか存じませんが、ありがとうございました。年始早々、激震の列島ですが、負けぬよう、野﨑さん、そしてメンバーのみなさん、本年もよろしくお願いします。

山本 弥生

特選句「くに言葉忘れさぬきのあん雑煮」。生国を出てさぬきに住んだ年月の方が長くなり故郷訛りで話す相手も無く、すっかりさぬき人となり、お正月の雑煮も讃岐の、餡雑煮で祝うようになった。

漆原 義典

特選句「青春切符駄々っ子天志身罷りぬ」。増田天志さんが、海程香川句会に参加されるため、大津から青春十八切符で高松に来られ、俳句に対する情熱を熱く語っておられた姿が思い出されます。中七の駄々っ子天志が良いですね。天志さんご指導ありがとうございました。

寺町志津子

特選句「書き出しは船出のように初日記」。これから始まる一年の期待と不安の交錯した気持ちが伝わります。「幼な子のブーツの中のでっかい宇宙」。成人した長男も、子どもの頃、靴の中に石ころ、だんご虫等を入れて帰っていました。「冬眠の薄眼喪中の寒オリオン」。(私には)解釈の難しい句。

桂  凜火

特選句「ふゆゆふやけあかあかあかやああ天志」。ひらがな表記の工夫がうまく最後のああ天志は効果と感じました。天志さんのイメージと冬夕焼けはよくあっていて抒情的な美しさがかなしみをよく伝えています。

荒井まり子

特選句「ゆきあいにひととながむる初日の出」。スマホに往生している暮らしに元日の地震。報道で目にし、いたたまれない。上五の<ゆきあいのひと>に、しみじみと静かな時間を感じる。これでいい。

時田 幻椏

特選句「おとついの時雨のせいにする懈怠」。懈怠の言い訳に一昨日の時雨、同じ意味ながら音の近い倦怠と言うよりもアンニュイと言いたくなる気分を素直に感じます。「ふゆゆうやけあかあかあかやああ天志」。ふゆゆうやけあかあかあかやああと平仮名で詠み天志と造語で受ける危うさ、嗚呼天志か最後まで平仮名で詠み切って欲しかった、「てんし」とは言えないのでもう一工夫必要とは思うのですが。「レのキイは枝に隠れた雪のよう」。枝に隠れた雪のイメージが出来ず、枝に積もった雪、雪に隠れた枝の方が素直なのでは無いでしょうか。いや、この危うさがレのキイなのかも知れませんが。申し訳御座いません。

菅原 春み

特選句「逝くときは獣も冬の星を見る」。きっと獣も人も植物も冬の星を見て逝くような気がして、特選に。特選句「衣摺れの音折りたたみ納棺す」。衣摺れの音だけが響くという切り取りかたが秀逸です。

岡田ミツヒロ

特選句「マトリョーシカ閉じ込められしままの冬(榎本祐子)」。マトリョーシカのつぶらな瞳、それにはロシア国民の平和への願いが宿っているようだ。マトリョーシカの春の一日も早きことを。特選句「干されたる産着は淑気纏いけり」。赤ん坊の清浄無垢、それを包む産着は、淑気を呼び、まさに天使の衣、遙かなる我が聖なる時よ。

森本由美子

特選句「干されたる産着は淑気纏いけり」。心を洗い流してくれるような句です。産着は人間の未来への想いを仄かに象徴しているのかもしれません。

佐孝 石画

特選句「紙面繰るたび冬の日を傷つける」。難解な句だ。しかし「分からない」ということは、その作品の魅力、広がりにも通じる。それらの部類でも概ね良句の場合、じわりじわりと作品世界が読み手の既視世界に浸透してきて、見過ごせないものとなって来る。「紙面繰る」という書籍を読み進める行為と、冬の日、そして「傷つける」という暗喩の関連性、響き合い。この句の幻想の中心、発火点となるのは、「傷つける」という、なかば自虐的、自傷的な行為。この行為の冥さが、主人公のキャラクターを燻り出し、その場の情念だけでなく、これまでの人生への悔悟までも想起させる。その冥さに対して、「冬の日」の眩しさ、明るさ、そして「紙面」の白さ、未来性。それらは哲学用語にある「タブラ・ラサ」を想起させる。乱暴に言えば、主人公は紙面を繰るたびに、新たな世界へ転生し、またあらためてかつての自分を回顧する。「冥」から「明」への無限ループ。そのフラッシュバックが「傷」につながるのだろう。この句からは、そのように輪廻転生めいた白日夢を見せられた感じがする。

新野 祐子

特選句「逝くときは獣も冬の星を見る」。うちの十九歳の犬が逝ったのは朝だったけれど、瞳に朝の星が映っているように見えました。生きもの、みんなそうやって、この世を去るのかな。詩的だな。特選句「書き出しは船出のように初日記」。こちらは、海が遠いので船を目にするのは一年で一回もないけれど、大海に出る船というのは憧れでもあります。初日記にはふさわしいな、と。♡昨日句会報届きました。天志さんへの皆さまの思い。胸に沁みました。余りにも早い、ご逝去、残念でなりません。あの吟行からちょうど一か月ですね。こちらは今日雪が降りあたりが白くなり、夜でも、ほの明るい感じです。寒くなってきますので、お身体に気を付けて過ごしましょうね。→ 十一月の〆句会の句会報到着後いただいたFAXです。ありがとうございました。       

  悼  天志さん    芭蕉考遺しひっそり銀漢へ     祐子

大浦ともこ

特選句「始まりは麦の一粒シュトーレン」。麦の実りから始まる17文字に自然の営みへの賛歌、丁寧な暮らしぶりが窺えて好もしく思います。特選句「枯野刈りたればひよこりと萌芽」。自然への愛着が素直に心に響きます。ひよこりというオノマトベも句の温かみと響きあっています。

薫   香

特選句「レのキイは枝に隠れた雪のよう」。ドとミに挟まれたレは、きりっとしたはかなさを併せ持つ隠れた雪のようなんて素敵です。特選句「老年楽しどの本能もまだ少し」。まだ老年にはまだ少しありますが、未来がこんな風に思えるようになりたいなと選ばせていただきました。

野田 信章

特選句「冬ざるるコトデンの黄の遠きこと」。万物の枯れ極まった澄明感の中で、遠ざかりつゝも消えない「コトデンの黄」の一点の景が美しい、「コトデン」に寄せる作者の土着感の結実が伺える句である。

山下 一夫

特選句「ニュース聴く耳に重ねて夕時雨」。情景としては夕刻のテレビまたはラジオのニュース報道の音声ににわかに降ってきた雨の音が重なったというだけのことなのですが、荒涼とした寒々しさが無性に漂います。昨今の内外における痛ましい出来事の連続と時雨が見事に共鳴しています。特選句「想い出を積んで蜜柑のピラミッド(藤野安子)」。ひとりコタツのアンニュイな時間をそれだけはたくさんある蜜柑を積んで紛らしている人を思い浮かべます。想い出と蜜柑の比喩関係は甘酸っぱい、それぞれの実の中には多くの房があり、その房の中にはさらに果汁の入った袋(「砂じょう」というらしい)など。ピラミッドはある種の墓と考えると終わった恋が関係しているかなどと妄想が膨らみ楽しいです。問題句「鉄塔の亡夫よ冬の太陽よ(すずき穂波)」。鉄塔と亡夫の関係がわかりません。冬の太陽は冬至に近く生命の衰え(再生も含みますが)と関係するのでこれは亡夫と関係がありそうです。亡夫は鉄塔のように大きな存在であったが、亡くなってからは太陽を背にしての影のようにさらに巨大になっているということでしょうか。やっぱりわかりませんが、ただならぬ存在感です。 

松本美智子

特選句「紙面繰るたび冬の日を傷つける」。今回の地震は元旦に起こったこともあり衝撃的でしたし陳腐な言い方ですが自然の脅威に抗うことのできない人間の小ささに愕然とするしかなかったです。それを句にと考えましたが,対象が大きすぎて私にはできませんでした。この句は日常の生活にあって遠き被災地を悼む心をよく表しているなと思いました。

川本 一葉

特選句「空耳や絵本へ還る冬の蝶」。何という俳句でしょう。物語を秘めていて、淋しくて美しくて、胸が痛くなります。こういう句を私も作りたいです。特選句「既読とはならぬ世へ打つ初LINE」。とてもよくわかります。夫や祖母や、友だち。私もLINEを打ちたい。もう一度話したい。だから一期一会という言葉があるのでしょうか。 

向井 桐華

特選句「風花やたった二歳の猫を葬る」。しみじみと訴えかけてくる句です。猫を「こ」と読ませることには賛否分かれるかもしれませんが、我が家にも二歳の猫(こ)がおり、もしもこの子が死んでしまったら思うと、この句を特選に推したいと思いました。下五の字余りが効いているし、風花が哀しみを増す。

疋田恵美子

特選句「冬夕焼芭蕉兜太天志嗚呼残照」。お三人の俳人のお名前をあげ、功績と尊敬の念。特に嗚呼残照が良いと思います。特選句「天城より 朝焼けの富士 年明くる」。天城山から眺める朝焼けの富士山なんて幸いな事でしょう。爽やかな新年のスタート。

菅原香代子

特選句「バス待ちのベンチ冷し能登の地震」。道が崩れてバスは来ない、人もいない 、冷たさ、悲しみが伝わってきます。「超美味の初夢獏にくれてやる」。ユーモアに溢れる新春らしい句です。

佳   凛

特選句「既読とはならぬ世へ打つ初LINE」。あの世とは、楽しい所なのでしょうか?行ったきりで、便りも来ない。メールをしても既読にならないもどかしさ。とっても とっても良く解ります.切ないくらい伝わって来ます。でも元気を出して頑張りましょう。自分自身にも、言い聞かせています。ありがとう。

野﨑 憲子

特選句「ふゆゆふやけあかあかあかやああ天志」。美しい調べでありながら型破りな天志さん好みの追悼句です。昨年の〆句会の冒頭、ご参加の皆さまへ、天志さんの急逝を告げ、黙祷していると、高松の句会へ来てくださった折の色んな思い出が浮かんできて胸がいっぱいになりました。私は色の中で一番赤が好きですが、天志さんも、いつもどこかに、赤を感じる俳人でした。

今回、天志さんが主宰されていた「まほろば句会」の藤野安子さんがご参加くださいました。昨年末の大津での「追悼まほろば句会」は、悲しくも心温まる句会でした。もう十年近く前、崇徳上皇の御廟がある四国霊場第八十一番札所白峰寺へ行きたいと言われ、高松での句会の翌日に、ご案内しました。その車中で「句会の世話人は産婆さんだよ。句会で佳句が沢山生まれたら、それが何よりの世話人冥利だからね。」とお話でした。この言葉は、今も、私の中で大きく膨らんでいます。「溢るる愛語サンバ産婆よ風花(憲子)」どんなに煮詰まっている時も、皆さまからのご投句に大きな元気をいただいています。「海程香川」は、混迷の人類へ向けて、五七五の愛語の、奇跡みたいな作品を発信し続ける、とびっきり自由で楽しい場でありたいと切に願っています。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

風花
風花や男の業を癒すよに
銀   次
風花や波止場に移動図書館来
大浦ともこ
風花や落ちて来たのは誰かしら
薫   香
山風花上から下から登山道
末澤  等
日溜まりを風花が行くブラタモリ
藤川 宏樹
言ひ訳の途中まなじりを風花
和緒 玲子
お茶しませんか風花にかこつけて
和緒 玲子
風花を纏う少女よ素足なり
岡田 奈々
をととひ君は犀になつたと風花
野﨑 憲子
風花や天志は竜神になつた
野﨑 憲子
風花や父の匂ひのパチンコ屋
島田 章平
誉められる頭のかたち風の花
藤川 宏樹
初句会
菓子並べ色とりどりに初句会
銀   次
初句会というみかんの香に包まれる
三枝みずほ
初句会吾が句に諭されし輩
藤川 宏樹
手土産の酒は「凱陣(がいじん)」初句会
大浦ともこ
お日さまに逢いにきました初句会
野﨑 憲子
笑つて笑つて笑つて初句会
島田 章平
一月
一月の地平線非戦貫く
三枝みずほ
大阪に買ふ豚まんや一月尽
大浦ともこ
一月の三番館へ小津映画
藤川 宏樹
口数の少なき女よ一月の水
岡田 奈々
一月や母のブキウギもう聴けぬ
島田 章平
一月のジルバよ波音は紫
野﨑 憲子
一月の竜の落し子私の子
島田 章平
一月や悩みの種を放り投げ
末澤  等
水仙
純心の勁き刃や白水仙
銀   次
水仙のにほひ不埒であどけなし
大浦ともこ
凪ぎてみな海に傾く水仙花
大浦ともこ
喇叭水仙死んでも放しませんでした
藤川 宏樹
水仙のちかく心臓横たへる
和緒 玲子
愛語とは透きてゆくもの黄水仙
野﨑 憲子
水仙に埋もれて死んでいけたらば
薫   香
人去りてはや水仙の匂ふ家
和緒 玲子
餡子
ピーマン切って中を餡子にしてあげた
藤川 宏樹
餡子煮るすこし反省したあとの
三枝みずほ
餡蜜が冷たすぎたの別れたの
島田 章平
お多福の中はこしあん初句会
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

今年の元旦は、能登大地震から始まり、不穏な幕開けでしたが、初句会に、3名の初参加の方がいらして嬉しかったです。昨秋急逝された増田天志さんの追悼句が今回も沢山集まりました。兜太先生、たねをさん、天志さんと、他界が賑やかになるばかりで悔しいですが、この世も負けていられません。皆様と共に、ますます熱く渦巻く句会に進化してまいりたいと存じます。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

13日の句会の2日後に、銀次さん(ミュージカル劇団「銀河鉄道」上村良介主宰)が、お部屋で倒れているところを劇団員の方が見つけ緊急入院しました。インフルエンザでした。快方に向かっているそうですが、他にも治療を要するところがあり一か月程入院されるので、残念ですが、「今月の誤読」は、お休みです。他にも、体調を崩し選句をお休みされている方がいらっしゃいます。一日も早いご全快を祈念いたしております。厳しい寒さが続いています。皆さま、御身くれぐれも大切にご自愛ください。

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