2024年7月26日 (金)

第152回「海程香川」句会(2024.07.13)

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事前投句参加者の一句

キンポウゲ小声の意見から聞いて 松本 勇二
恋文は未完のままや夏つばめ 大西 健司
風ひとつ向日葵あわてて花ひらく え い こ
梅雨空が裂けゆくアコーディオン鳴り 中村 セミ
さくらんぼ老いの琴線きゆんきゆんと 樽谷 宗寛
スカートがマリリンみたい夏の海 綾田 節子
庫廻す紙魚の一切経回る 河田 清峰
無秩序な俗世ノウゼンからまりて 福井 明子
この星の涙の行方梅雨出水 佳   凛
おにぎりよ石か岩か月か蜥蜴か 豊原 清明
貧血かも私に足りぬ深紅の薔薇 塩野 正春
世の中にけものありけりはなやぐ夕日 十河 宣洋
笹の葉さらさら今日から新しき頁 伊藤  幸
梅雨ふかし軍国の世の迫り来て 稲   暁
新刊書肺腑にみどりの染み入りて 増田 暁子
蝸牛町の臍なる古本屋 岡田ミツヒロ
どくだみの性善説を疑はず 吉田 和恵
合歓の花西施が頬の火照りとも 田中 怜子
ほうたるに致死量の闇横たわる 榎本 祐子
日は昇り冷やし中華を始めます 三好三香穂
背を向けているのはわたし日輪草 藤田 乙女
父の硯と母の茶杓を生きる 薫   香
終活の本三冊目青しぐれ 菅原 春み
影剥ぐようページめくって酷暑 三枝みずほ
旅に出たし陽炎の線路歩めり 銀   次
登れども登れどもなほ山滴る 末澤  等
むかしむかし少女に羽が夏ふとん 重松 敬子
海になろうか空になろうか花桐 佐孝 石画
ささやかなのぞみを胸に茅の輪かな 漆原 義典
紫陽花の匂いは今朝も雨と泥 菅原香代子
風鈴六つ一人暮らしの母に似て 松本美智子
耳打の頬のよりくる花菖蒲 亀山祐美子
AIの都知事前線停滞す 藤川 宏樹
栗の花少し小柄な但馬牛 津田 将也
夏至の満月ハートにパックしてみるの 岡田 奈々
幸福(しあはせ)の秤やはらか胡瓜揉む 大浦ともこ
くうかいのあおぞらまんじゆしやげのみち 島田 章平
百日紅未来へ隠遁すると言う 鈴木 幸江
小豆粥炊いて夏越の祓かな 向井 桐華
常温の麦茶の夕餉共に老い 山本 弥生
青梅雨の薄光に生れ絶対音感 すずき穂波
えごの花AIは吾に遠くあり 疋田恵美子
朝飯は食べたか今朝の虹見たか 和緒 玲子
美容師の饒舌な指髪洗ふ 川本 一葉
殺し切るまで行く戦猛暑なる 滝澤 泰斗
お針子のリリコソプラノ夜の秋 松岡 早苗
憂きことの多き時代や土壜割 植松 まめ
みちのくと呼ばれフクシマと呼ばれさみだるる 高木 水志
アリスさんトンネルくぐれば夏です 田中アパート
螢茶屋行電車顔なしさんも居た 野田 信章
火種果て夕顔やはらかく閉づる 小西 瞬夏
叱られた自分置き去り遠雷や 野口思づゑ
蚤の市レースショールに異国の香 森本由美子
鬱気満つ泰山木の香の外は 時田 幻椏
鳳仙花隣町まで母借りに 三好つや子
瘋癲日記踏まれて死なん青しぐれ 桂  凜火
青い無花果考え違いしてしまふ 柴田 清子
夏野傾く強情っぱりのまま老いて 若森 京子
算盤のおさらい虚し麦こがし 荒井まり子
別れのぐだぐだ危険な暑さにくらくら 花舎  薫
底紅の離れし時空夜明けたり 飯土井志乃
寂しい人ばかりを誘う蛍かな 河野 志保
羊水の中の静けさ夏の月 石井 はな
梵鐘のぐるりの冷えや山椒魚 男波 弘志
杉皆伐亡霊のごと竹煮草 新野 祐子
裸足ですこんな別れでいいですか 竹本  仰
夏至の手を繋ぐこの世に乗り合わせ 月野ぽぽな
火の鳥の巣よ七月の迷宮(ラビリンス) 野﨑 憲子

句会の窓

綾田 節子

特選句「蛍茶屋行き電車顔なしさんもいた」。来年の旅は長崎にしたいと思いました。この句から。私が蛍茶屋行の電車に乗って顔なしさんを確認できるかは分かりませんが、蛍茶屋と顔なしさんが儚く融合され、被曝され亡くなられた方の事を仰ってるのでしょうか?特選句「裸足ですこんな別れでいいですか」。ドラマのワンシーンのようです。ビックリして何も履かず追いかけて立ち止まり、去って行く人に投げかけた言葉と思います。振り向いたのでしょうか? 

松本 勇二

特選句「草笛や終活少しづつ進む(山本弥生)」。終活へのしみじみとした思いが「草笛」という季語を通して伝わります。作者の淡々とした生き様が見えてきます。

桂  凜火

特選句「重そうに還骨ふわっと温かい(竹本 仰)」。還骨という言葉は初めて知りました。骨上げのことがとてもリアルに思い出されます。骨になった方への畏敬と温かみが感じられました。

大西 健司

特選句「スカートがマリリンみたい夏の海」。この句の可愛らしさと危うさに惹かれる。少しおどけて見せている初老の女性の可愛らしい仕種、そしてこんなふうに呟く愛しさ。マリリン・モンローを知っている世代の夫婦が夏の海で戯れている光景と、素直に読むべきだと自分に言い聞かせながらいただいた。

樽谷 宗寛

特選句「火の鳥の巣よ七月の迷宮」。情熱的で神秘的な火の鳥が好きでいただきました。世界の解決困難な問題に飛び回っている7月少しは巣で休息しましょう。火の鳥さん。特選句「朝飯は食べたか今朝の虹みたか」。遠く離れた肉親や友達の気遣い。虹みたかの希望。心の温かさが伝わりくる。わたしもコロナ羅患後朝食をいただけたら今日一日変わりなく過ごせるといまでは確信しています。そして日頃からの人とのつながり、自然からずいぶん助けられました。好句です。

岡田 奈々

特選句「夏至の手を繋ぐこの世に乗り合わせ」。夏至の手が何なのか分かりませんが、居合わせた人としっかり手つなぎ、今のこの時を皆で生きていこうよ。っていう感じが、凄く素敵。特選句「笹の葉さらさら今日から新しき頁」。上句のさらさらが、今までの色々あったことを流して新しい時を始めようという気概が生きる力を沸き立たせてくれる。「キンポウゲ小声の意見から聞いて」。大きな声が通る世でなく、小さい声でも上げていって、皆で生きる世に。「恋文は未完のままや夏つばめ」。書きかけては止めてしまう。恋文とは自分の中だけのもの。けれどやっぱり相手に伝えたい。つばめよ伝えてよ。という、甘いお話し。昔は信じていた。「無秩序な俗世ノウゼンからまりて」。俗世が一見無秩序に見えても、ノウゼンカズラが絡まって見えても、結局最後がある。ノウゼンカズラが花咲、枯れて、落ちるよに。「退場の役者めきたるソーダ水」。シュワッと華々しく現れても最後はシュッと静まる、劇の終わりの寂しさよ。「どくだみの性善説を疑はず」。どくだみはそのままでは凄く臭く、でもあんなに八面六臂。役に立つのです。「登れども登れどもなお山滴る」。山は人を素直にしてくれる。「幸福の秤やはらか胡瓜揉む」。幸福には柔軟性があって、胡瓜揉み出来るだけで、幸せなのです。「小豆粥炊いて夏越えの祓いかな」。小豆粥炊いて夏を乗り切る。昔の人の知恵に感謝です。

福井 明子

特選句「蝸牛町の臍なる古本屋」。「古本屋」の佇まいを、町の「臍」と表したところに魅かれます。深く湿って、本自体が体臭をまとう書架が浮かびます。誰もその生態を深く知らずに葉陰にひそと棲息する「蝸牛」。渦巻き状の殻を背負う哲学的無限さに、臍が重ねられ、古本屋に限りない「ものがたり」が始まってゆくようです。

十河 宣洋

特選句「梅雨空が裂けゆくアコーディオン鳴り」。二句一章の面白さがある。梅雨の終り頃の印象だろうか。爽やかな感じがする。特選句「まくなぎは昨日の風の突起物(三好つや子)」。目の前をうるさく付き纏うまくなぎである。払っても払ってもだめ。昨日の風が置いて行ったお土産のように邪魔である。

月野ぽぽな

特選句「火種果て夕顔やはらかく閉づる」。夜を咲き、朝方にしぼむ夕顔を、火種が果てたから閉じる、としたところが見どころです。この花の妖艶さを言い得ています。 ♡ぽぽなさんの第一句集『人のかたち』が左右社から七月尽に上梓されます。満を持しての刊行ですね。おめでとうございます!拝読させていただくのを楽しみにいたしております。

鈴木 幸江

特選句評「裸足ですこんな別れでいいですか」。いいんです。それがいいんです。裸足のまま立っている姿に、自然のあるがままのこのひとの人生が浮き彫りになっている。あるがままに生きて、訪れたその別れ。切なくもあるがお互いにそんな関係を許しあい肯定的に捉えようとしている想いが口語調から伝わってくる。口語表現をうまく活かしていると感心した。

漆原 義典

特選句「鳳仙花隣町まで母借りに」。下五の <母借りに>の表現に衝撃を受けました。4年前に亡くなった私の母は、亡くなるまで2年間隣町の介護施設に入所していました。母の一時帰宅のため、母を迎えに行く情景が思い出されました。心に深く沁みる素晴らしい句をありがとうございます。

松岡 早苗

特選句「恋文は未完のままや夏つばめ」。この句の青春性に惹かれた。夏空に若い燕の姿がすがすがしく眩しい。特選句「競走馬死すと一行夏薊(大西健司)」。疾走する馬の美しい姿が目に浮かぶ。栄光か挫折か、いずれにしろ懸命に駆け抜けた生涯にちがいない。その死を告げるたった一行の記事。人の人生とも重なる。寂しくも鮮やかな「夏薊」が切ない。

え い こ

特選は「どくだみの性善説を疑はず」。「ささやかなのぞみを胸に茅の輪かな」。です。 理由はいずれも深い共感を覚えたところです。 特に「どくだみの性善説を疑はず」。は わたしも全く同じです。母にドクダミは飲むと色が白くなるとか、体の毒を出してくれるとか聞いて、幼き頃は毎日のように飲まされた記憶があります。今でも草抜きをしていても ドクダミはぬきません。「ささやかなのぞみを胸に茅の輪かな」。は茅の輪くぐりという季語を最近知り、ことばの響きが気にいったのと、わたしも神社で茅の輪くぐりをしたいと思っています。ささやかなのぞみはわたしにもあります。

河野 志保

特選句「羊水の中の静けさ夏の月」。「夏の月」の輪郭のあやしさや湿り気が、「羊水」とどこか溶け合ってひかれた。生命の神秘的な静けさを感じた。

伊藤  幸

特選句「螢茶屋行電車顔なしさんも居た」。八月六日は長崎原爆忌。百年以上も長崎の街を走り続ける電車に亡き被爆者の霊とも思われる乗客がいたという少々怖いような話でもあるが過ちは二度と繰り返してはならぬという戒めでもあろう。特選句「夏至の手を繋ぐこの世に乗り合わせ」。袖振り合うも多生の縁。見ず知らずの他人同士でも何らかの繋がりがあるというもの。出会いは大切にしたいですね。助け合っていきましょう。

高木 水志

特選句「青梅雨の薄光に生れ絶対音感」。絶対音感という言葉の響きに青梅雨の灰色がかった白を取り合わせたことで面白い空間ができたと感じた。

藤川 宏樹

特選句「人入れて家よみがえる額の花(月野ぽぽな)」。近くの空き家は生気のない家であったが人が入ったら、見事に息を吹き返したように感じられた。額の花はあたかも集まる人のように賑やかに咲く。まさしく家とともによみがえり、楽しげである。

植松 まめ

特選句「恋文は未完のままや夏つばめ」。初々しい恋の句が好きだ。夏つばめと未完の恋文、青春時代は永遠だ。特選句「みちのくと呼ばれフクシマと呼ばれさみだるる」。みちのくと言う美しいことばそして原発事故以後フクシマと片仮名で呼ばれる福島あの事故の教訓が忘れられようとしている。人も国も、いや国は忘れたふりをしているのだろう。さみだるるに作者の心情が、忘れてはならない。秀句「幸福の秤やはらか胡瓜揉む」。幸せの度合いは人によって違うが秤やはらかの表現に惹かれた。胡瓜揉みは母の味庶民の夏の料理だ。「糠床のナスとキュウリやわが平和」にも通じるものが。

塩野 正春

特選句「夏野傾く強情っぱりのまま老いて」。人生100年とか、長生きする人は多いですね。元気な人程強情っぱり、人の言うこと聞かず医者の言うこと聞かず。若い人はほとほと手を焼いているのですが、本人はいたって満足している。夏野傾くは尋常な夏でない事か、それでも老人は強い、生きる。特選句「羊水の中の静けさ夏の月」。何という壮大な景色か! 宇宙に漲るすべてを羊水と例える。物理学ではこの漲る物質、エネルギー物質に議論がなされている。ダークマターとか提案する学者もいる。とにかく真空は存在しない。これを羊水と例えた素晴らしい発想です。 月はエネルギー満ちる空間で静かに育てられている。

榎本 祐子

特選句「みちのくと呼ばれフクシマと呼ばれさみだるる」。みちのくも、フクシマも象徴的な呼び名。その裏では生な生活が営まれている。切っても切れない両方の世界観が五月雨のなかにある。

津田 将也

特選句「まくなぎは昨日の風の突起物」。「まくなぎ」は、二ミリくらいのユスリ科の昆虫だ。夏の夕方、野道などで群れて飛んで来る。人の目の前をつきまとうので「めまとい」とも呼び、甚だ小うるさい。まくなぎを「昨日の風の突起物」だと見た作者の、すこし特異な表現態度を支持したい。

すずき穂波

特選句「瘋癲日記踏まれて死なん青しぐれ」。谷崎潤一郎の小説『瘋癲老人日記』を下敷きにしてあるのだろう。あの小説は、すこぶる戯画的で滑稽のカナシミが漂うものだが、この句には、滑稽感はない。むしろ「青しぐれ」の季語により人間の性(サガ)の「あわれ」や哀しみをそこはかとなく表し、例えば梅雨の午後の縁側で古い日記をひろげているような薄暗い印象美を醸し出している。この句の「踏まれて」もこの世で生きていく上の試練の意と読める。谷崎の狙いから、少しだけずらしてあるところ。それは、やはり季語がその大きな役割を果たしているのだと思う。しっとり湿り気のある老境の句だ。

向井 桐華

特選句「さくらんぼ老いの琴線きゅんきゅんと」。老いというものは誰にも訪れるものですが、琴線がきゅんきゅんするような心躍ることは素敵です。特選句「人入れて家よみがえる額の花」。季語「額の花」が効いていると思いました。問題句「梵鐘のぐるりの冷えや山椒魚」。上五中七がすごく気になる。もう少しかみ砕いてみたい気持ちになった。

和緒 玲子

特選句「橋くぐる金魚の町をひとしきり(三枝みずほ)」。橋をくぐったら金魚の町がひらけている。その金魚の町をひとしきり(歩いてでしょうね)楽しむ。「橋くぐる」「金魚の町」「ひとしきり」という平易な言葉が過不足なく来るべきところに並んでいて、しかも物語がある。脂っこくないところも好きです。

花舎  薫

特選句「この星の涙の行方梅雨出水」。地球規模で起きている災害をみれば、梅雨の出水はこの星が流している涙だと言っても誇張しすぎとか感傷的とは言えないのではないか。涙はこれからもっともっと流されるのか、そしてそれは出水にとどまらないところまで行ってしまうのか。「行方」に込められた憂慮に共感。句のリズムも良いと思った。

若森 京子

特選句「新刊書肺腑にみどりの染み入りて」。心底みどりが沁み込んだの措辞に、新刊書に対する感動が伝わってくる。素直に㐂こびが表現されているのに好感を持った。特選句「緑陰に入ればトトロのバスを待つ(吉田和恵)」。トトロのバスに乗るとあの不思議な世界に入って行ける。現実から逃れて夢の国へ。トトロのバスを待つ作者に共鳴する。

小西 瞬夏

特選句「新刊書肺腑にみどりの染み入りて」。緑の中で新刊書を読んでいるのだろうか。「新刊書」と「肺腑」の出会いが新鮮。息をするように言葉が体にしみ込んでくる感覚がよい。

疋田恵美子

特選句「電車は満員さくらんぼのバランスで(河野志保)」。届くさくらんぼの箱、バランス良く並ぶ美しさ喜びで胸踊る。上品なお嬢様達の姿が浮かびます。特選句『「頑張れよ」心に沁みる暑中見舞い(伊藤 幸)』私も同じように声かけしたいお方がいます。

三枝みずほ

特選句「背を向けているのはわたし日輪草」。太陽を向いて咲く日輪草と太陽に背を向けているわたし。直視出来ない現実に苦しみつつ、生きることへの希望と葛藤を思う。やがて日輪草とわたしは一つとなって、太陽の光を受けるのだろう。

豊原 清明

特選句「梅雨空が裂けゆくアコーディオン鳴り」。 「梅雨空が裂けゆく」とアコーディオンの音と、二物衝撃かと思い、一句に魅力を感じました。特選句「競走馬死すと一行夏薊」。「競争馬死すと一行」が非常に好きで選びました。競争馬、死んでも一行、人もまた。と、思うと、寂しくなりました。問題句「世の中にけものありけりはなやぐ夕日」。正直、長いと思いました。でも、魅力があり、「ありけりはなやぐ夕日」は面白く思い、選びました。

三好つや子

特選句「蝸牛町の臍なる古本屋」。本を愛する主人と、本を愛する客が居て、町の人々に親しまれている古本屋。「町の臍」という借辞が、この町そしてこの店の存在感を動かざるものにし、惹かれました。特選句「栗の花少し小柄な但馬牛」。この句から農業高校の畜産科の生徒たちの、牛を育て、牛に学ぶひたむきな姿を感じました。栗の花の斡旋がよかったと思います。「電車は満員さくらんぼのバランスで」。遠足児がわんさか乗り込んできたのでしょうか。動きがあって、面白い句。「父と同じ老斑かざし夏燕(松本勇二)」。父そっくりに老いた自分の前を、夏燕が過ぎていった。そんな景のかもしだす想いに共感。「朝飯は食べたか今朝の虹見たか」。こういうことが言えない現代の人間関係を、嘆いているのかも知れません。

佐孝 石画

特選 なし。並選「夏暁の水辺白豹現れさう(すずき穂波)」。白豹の感覚はいい。「水辺」までイメージを絞れたのが、作品に切れ味を出した。「おりました」ぐらいにして、実際にいた方が臨場感が出たかもしれない。「さう」の歴史的仮名遣いはあまり効いていない気がする。「どくだみの性善説を疑はず」。「性善説」の妄想良し。助詞「の」を、「は」にすると迫力が出るかもしれない。歴史的仮名遣い「はず」は、くさ味が出る気がする。「鳳仙花隣町まで母借りに」。背景に切ないストーリーが見え隠れする。ディテール不足の感もあるが、連作だとこの句も活きてくるのだろう。「羊水の中の静けさ夏の月」。夏の月と羊水の配合にセンスを感じる。「静けさ」はやや予定調和であり、句幅を狭くしている。「裸足ですこんな別れでいいですか」。裸足のまま別れざるを得ない、そのシチュエーションに後を引くものがある。

田中 怜子

特選句「スカートがマリリンみたい夏の海」。気持ちよい海風がスカートを翻す。笑い声をあげながら若い女性がスカートを手で押さえる。砂浜のベージュと海の青さがまぶしい。マリリンさんは、悲しさの深い顔だったけど。特選句「競走馬死すと一行夏薊」。競走馬は走る力の極限まで調教されて、神経質、ぴりぴりしているようですね。その死は楽になることなのか、悲しいですね。薊の花は静かに赤く咲いている。

増田 暁子

特選句「スカートがマリリンみたい夏の海」。マリリンのスカートと夏に海の開放感がぴたりとあってとても素敵。特選句「緑陰に入ればトトロのバスを待つ」。トトロのバスは森の影からスッと現れますね。そんな森へ行きたいです。

河田 清峰

特選句「杉皆伐亡霊のごと竹煮草」。山を切り開き裸山に残る竹煮草が山崩れを哀しんでいるようである。

吉田 一惠

特選句「夏野傾く強情っぱりのまま老いて」。強情を貫いたと自嘲気味ですが、ご立派。ある意味で前衛ですね。

川本 一葉

特選句「夏野傾ぐ強情っぱりのまま老いて」。後悔のような、宣言のような。どちらにしても夏野という大きな場所で自分を見つめている作者。いいんです、もうそのままで。特選句「海になろうか空になろうか花桐」。落ちる場所を逡巡して風に吹かれている花桐。海の広がりと空の広がりとなんとも大きな景の気持ち良い句です。

野田 信章

問題句「夏至の手を繋ぐこの世に乗り合わせ」。この句の「夏至の手を繋ぐ」という、この修辞には構想の心情の感ありと、読んだ。そのことが、「この世に乗り合わせ」と結句されると世話物風の感慨調に傾いてしまうかと思う。ここは一先ず、「夏至」という天体の運行を受けて、「惑星に乗り合わせ」などの展開を期待したいところでもある。

野口思づゑ

特選句「笹の葉さらさら今日から新しき頁」。さらさらの笹の葉と、新しさのさらさらが、すっきりと心に響きました。「スカートがマリリンみたい夏の海」。明るくて楽しい句です。「さつきまで雨粒だつたはずの虹」。そう言われればそうですね。「夏の朝烈女のように鳥叫ぶ」。時々鳥のギャーと喚くような大声を聞きます。これからは烈女を思い浮かべそうです。「裸足ですこんな別れでいいですか」。どんな別れだったのか、ドラマがあります。

岡田ミツヒロ

特選句「影剥ぐようページめくって酷暑」。「影剥ぐ」「ページめくって」の独創的表現に、じりじりと灼けつくような暑さが身体感覚として伝わってくる。特選句「むかしむかし少女に羽が夏ふとん」。その昔、少女の時代、背には羽があり、大空への夢があった。やわらかい夏ふとんが、その羽と夢をふんわり包んでくれた。

松本美智子

特選句「AIの都知事前線停滞す」。厳密に言うと「前線」は季語にはならないと思うのですが「AIの都知事」の近未来的な語句と似合っていると思い特選に選びました。どんな世界にも(俳句の世界)もAIが暗躍している今.将来的には都知事も総理大臣もAIがとって替わるかもしれませんね。恐ろしい世界になりそうです。そのときは,気候も操作することができるようになっているかもしれません。都知事選のあの「ごたごた」と梅雨が晴れるか晴れないかすっきりしない天気を「ネタ」に「痛快な俳句」だと感じ入る一句でした。

菅原香代子

「蝸牛町の臍なる古本屋」。言葉の組み合わせが決まっています。「登れども登れども山滴る」。夏の山の雰囲気がよくでていると思います。

薫   香

特選句「幸福の秤やはらか胡瓜揉む」。幸せは人夫々でいいんだと思わせてくれて、胡瓜の手触りが伝わってきました。

竹本  仰

特選句「夏至の満月ハートにパックしてみるの」:夏至。パック。とくると、これはシェークスピアではないか。楽しい饗宴のような舞台が始まってくる。「真夏の夜の夢」、昔、近鉄アート館で蜷川幸雄の舞台を観たとき、月光のかわりに砂が落ちてきていた。何だかだまされたようないい舞台だった。あのわくわく感は何だろう。そのわくわく感、よく伝わってきました。特選句「鳳仙花隣町まで母借りに」:寺山修司の「身毒丸」を思い出す。売られていった母を買い戻すという切ないお話だったが、武田真治の息子が、白石加代子の母親に完全に食われていた舞台であった。そういう母子の情愛を描こうとした句だと思う。ということは、母に会えたのだろうか。それは無理だろう、恐らく思い出に浸りに出かけるのだろうが、鳳仙花、隣町という設定が妙にリアルで面白いなと感じた次第です。特選句「羊水の中の静けさ夏の月」:羊水の中は本当は静かじゃないと思う。編集者であった坂本龍一の父親から叱咤激励されて書き上げたという三島由紀夫の「仮面の告白」では、自分が産湯に浸かったとき、すぐ近くで機関車が駆け抜ける音がしたという記述が出ていた。そんな連想からすると、まだしも羊水の中は静かだったのだろうか。でも静かとは言えないのでは、というのも、うちの母親など胎教のためにつねに朗読を繰り返していたというから、これは母親がぐっすり寝ている深夜、ふと目を覚ました胎児の、まだ見ぬ月に臨んでいるところなんだろうかと思う。ふとした静けさの中にこの世に生まれてくる前の、真理の予感というか、そんなものじゃないだろうか。この胎児はすでに哲学しているのではなかろうか。以上です。♡みなさん、炎熱の夏が来ました。どうにかして、乗り切りましょう。次回もよろしくお願いします。

柴田 清子

特選句「裸足ですこんな別れでいいですか」。迷っているような揺れているようでありながら、ありのままの動かない自分を表はしている責任ある裸足であると思った。

飯土井志乃

特選句「父の硯と母の茶杓を生きる」。作者の生きる姿勢が真っすぐ伝わって迷いなく選ばせていただきました。気負いある言葉や句は苦手になりましたのは寄る年波のせいでしょうか、選句に戸惑う昨今で自分好みにのみ選句が片寄る感がして申し訳なく思っています。

森本由美子

特選句「青い無花果考え違いしてしまふ」。<考え違いしてしまふ>は日常生活についてまわる現象ーちょっとしたことから、後悔を伴うものまでさまざま。上五の<青い無花果>が、気がついて考え直しているデリケイトな瞬間をくっきり想像させる。

滝澤 泰斗

特選句「そらとりくかぜとうみバリトンの夏(島田章平)」。バリトンが夏ならテノールはと突っ込みを入れたくなるが・・・それはさておき、合唱を楽しんでいるものにすると・・・バリトンの夏と言い切られると黙って項垂れるところはある。バリトンのあのふくよかな音色は大草原の沃野に朗々と響かせるに相応しい。そんなことを考えると俺が俺がと前に出たがるテノールは草木が繁茂する春か・・・それから、バリトン以外をひらがなにした結果、バリトンの夏のカタカナと漢字の効果も際立っている。特選句「蝸牛町の臍なる古本屋」。最近の都会ではとんとカタツムリにお目にかからない。そして、本屋、それも、小さな町や村の文化的拠点だった古本屋も町から消えつつある。その意味で、古き良き時代の消えゆく昭和をしみじみと感じさせてくれる一句になった。以下、共鳴句「白い夏ヒンドゥー少女の透衣の胸(津田将也)」。夏のインドをシンボリックに表現すると、あのタージマハールの白亜の建物と、行き交う白い服の少女・・・確かに一つのインドの顔だ。加えて、胸が透けて見えそうな衣をゆったりと着た少女の健康的なエロティシズムを纏っている。「貧血かも私に足りぬ深紅の薔薇」。足りないものは、真っ赤な薔薇の様な情熱か、かたまた情念か、それを貧血かとユーモラスに客観視した。アーケイックスマイルの作者まで想像して楽しんだ。「ほうたるに致死量の闇横たわる」。蛍は絶滅危惧種かどうかはともかく、人間の残酷な仕業を告発している視点がいい。「幸福(しあはせ)の秤やはらか胡瓜揉む」。何ともいい句。お礼を言いたくなるような一句。「競走馬死すと一行夏薊」。そんな記事を私も見ました。「沖縄を救えぬ痛み蝉しぐれ(稲暁)」。六月が来るとやり切れない沖縄、美ら海水族館までの道中は米軍の基地巡りの沖縄。ジュゴンが住むという辺野古の海をアメリカの顔を見ながら平気で埋め立てする日本政府。何年経っても米兵に少女らが性暴力に合う沖縄。そして、それを隠蔽する外務省。そんなひどい目に合っている姿を呆然と見ているわたし・・・沖縄に修学旅行で行っても、辺野古でシュプレヒコールを叫んでも救えない痛みをどうやって共有し、連帯できるか。また、考えている。「羊水の中の静けさ夏の月」。プールに放り投げられて、突然、ざわめきが消えた幼き日の体験を思い出した。喧噪の地球と対照的な夏の月が一句を締めた。

山本 弥生

特選句「ささやかなのぞみを胸に茅の輪かな」。若い日は茅の輪をくぐってお願い事も遠大な希望であったが、年を重ねてささやかに自分の健康祈願のみにした。

稲   暁

特選句「火の鳥の巣よ7月の迷宮(ラビリンス)」。謎めいた句だがイメージは鮮明。そこに惹かれました。特選句「殺し切るまで行く戦猛暑なる」。ガザ・ウクライナどうなってしまうのでしょうか?

新野 祐子

特選句「キンポウゲ小声の意見から聞いて」。そうですね、これなら世の中今よりずっと良くなるはずです。特選句「合歓の花西施が頬の火照りとも」。芭蕉の句の西施さんとはガラリとちがうイメージですが、美しさに変わりはありませんね。

荒井まり子

特選句「朝飯は食べたか今朝の虹見たか」。何げない親子の会話を昭和の昔は黒電話をかけるのも時を考えた。手紙を書く程でもないと、今はメールで気軽に送れる。唯一、有り難い。

菅原 春み

特選句「夜濯ぎや流浪の民を憂いつつ(若森京子)」。まったく共感する句です。さらに夜濯ぎをしているところがリアリティを感じさせられます。特選句「夏至の手を繋ぐこの世に乗り合わせ」。平和を願う句をこのように平易に語られたら、戦はおこらないはずなのに。 夏至の手がとても胸を打ちます。

三好三香穂

「笹の葉さらさら今日から新しき頁」。今日から新しき頁ーが、とてもさわやか。何かを節目に、いつでも新しい自分に、切り替えることができる。そうありたい。「朝飯は食べたか今朝の虹見たか」。こんな愛ある言葉がけを、周りの人達にしてきただろうか?これこそ愛。「大夕焼け憤怒のようなこの地球」。温暖化による自然災害、加えて戦争。太陽が激怒している。

末澤  等

特選句「影剥ぐようページめくって酷暑」。「影はぐ」と「酷暑」との対比が上手く、また酷暑のなかで「影をはぐようにページをめくる」との言い回しも非常に上手で、情景が浮かぶようだと思って取らせていただきました。

石井 はな

特選句「ささやかなのぞみを胸に茅の輪かな」。戦争・自然災害を始め私達の周りにはネガティブな事しかないのかしらと思ってしまいます。でも、ささやかな望みを胸に秘めて茅の輪をくぐる、そんな小さな積み重ねで世界は変わっていくかもと思わせる、そんなほっとする句です。

佳   凛

特選句「梅雨ふかし軍国の世の迫り来て」。梅雨明けが長引くような、予感。報道などで、世界中がいらいらしています。日本もしかりです。子供達の未来は?幸せは続くのでしょうか?とても不安です。

銀   次

今月の誤読●「寂しい人ばかりを誘う蛍かな」。小さな灯りが夜の闇に揺れる。蛍だ。わたしは深夜、その蛍に触れるために小川に下ってゆく。もうこの時間になるとあんなに大勢いた蛍見物の人たちは去り、あたりは静寂に包まれている。わたしはこの静けさを乱さないようにと川原に腰を下ろす。そしてスローモーションのように両の手を小さく広げる。空気をかき乱してはいけない。じっと動かずにいる。そうすると好奇心にかられたように、蛍のほうからわたしに近づいてくるのだ。それがわたしの蛍の楽しみ方だ。あるときふと思った。この姿ってなにかに似ている。そうだ、仏さまの印相だ。あの穏やかなお姿によく似ている。そう思いつくと、なんだかおかしくてクスクスと笑ってしまった。そのときのこみ上げてきた幸せな感情をいまも覚えている。もとよりわたしはさほど宗教に関心があるわけではない。というよりほとんど宗教とは無縁の無神論者だ。ただ夫を亡くしてから、ときどき、ほんのときどきだが、神だか仏だかの存在を感じることがある。わたしが蛍を求めてこの小川に来るのは、その恩寵にちょっとだけでも触れたいという思いなのかもしれない。そう思い思いあたりを見まわすと、小川の向こう岸にもこちらの岸にも何人かの人たちがいて、ぼんやりと蛍をながめている姿が目に入る。その人たちはたいてい動かない。ただじっと坐って蛍を見ているのだ。それはじつに美しい人間のありようだ。人間の営みはほとんどが喧騒のなかにある。ただときに静かに、ただただ沈黙のなかに恍惚を感じることがあるのだ。そしてその恍惚のなかに無量の寂しさを感じる。それは決して不幸な感情ではなく、絶対の幸福なのだ。

重松 敬子

特選句「蝸牛町の臍なる古本屋」。住んでみたい町です。作者や町の人々のスローライフが目に浮かんで来ます。

太 郎

特選句「火の鳥の巣よ7月の迷宮(ラビリンス)」。言い得て妙。我が誕生月、7月はラビリンス。特選句「合歓の花西施が頬の火照りとも」。雨を降り止ませ、合歓の花を頬紅の刷毛に、これも言い得て妙。問題句「退場の役者めきたるソーダ水」「どくだみの性善説を疑わず」。きっと良い句なのでしょうが・・意味を取り込めず、是非作者にお詠みになられた思いを御聞きしたいものです。 ♡自句自解を作者の方にお願いしました。「退場の役者めきたるソーダ水(松岡早苗)」。強いて言えば、夏の終わりのソーダ水。少し気の抜けたソーダ水を、夏果ての感傷に浸りながらなんとなくストローでかき回している。そんなイメージで創りました。「どくだみの性善説を疑わず」どくだみの匂いは独特で、なかなか好きになれませんが、本来、どくだみは善い人(?)と思うのでありました。難しいことはわかりません。では、このへんで。松岡早苗さん、吉田和恵さん、有難うございました。

男波 弘志

男波 弘志「背を向けているのはわたし日輪草」。燃え上がる群落を見て、それが厭わしく思えるのは歳のせかもしれないが、自らの意思で背くのであればそこには何かの訣別の意味があろう。向日葵の語感が失われているのは大変残念である。日輪草ではゴッホの向日葵は見えてこない。其処がこの句の弱さであろう。序でだがコスモスを秋桜に読み替えたときも同様のことがおこる。もうそこにはコスモスの可憐さは存在していない。秀作。「電車は満員さくらんぼのバランスで」。この句は自分には決して創れないので敢えて採らせて頂いた。こういう遊び心と余裕がないと俳諧の精神へは到らないであろう。秀作。「栗の花少し小柄な但馬牛」。<世の人の見つけぬ花や軒の栗>と詠嘆したのはかの俳の聖であるが、この可憐な牛の顔にもきっと哀惜の念を持たれたことだろう。秀作。「青い無花果考え違いしてしまふ」。どうしてここに詩が生まれたのか、先ず以ってそこを掘り下げるべきであろう。若さからの<考え違い>では全く話にならない。そんな短絡的なことではなかろう。むしろある成熟した思惟がそのままズレてしまったのである。後戻りが赦されぬほどの長大な時間の思惟がズレてきたのである。青い無花果の中に在る凄絶さがそれを煽っているのであろう。準特選。

藤田 乙女

特選句「むかしむかし少女に羽が夏ふとん」。昔の少女は羽があるように自由な心で様々な夢を持ち続け、夢を追いかけて日々を過ごしていたように思います。少女時代へ回帰させる素敵な句でした。特選句「裸足ですこんな別れでいいですか」。裸足の別れとはどんな状況での別れなのか、とても興味を持ち惹かれ、様々に思いを巡らす句でした。

大浦ともこ

特選句「美容師の饒舌な指髪洗ふ」。指の動きを饒舌と表現していることに意表を突かれました。美容師という具体的な職業を詠んだのもよかったと思います。特選句「お針子のリリコソプラノ夜の秋」。この句もお針子という職業に寄せるイメージが湧きます。リリコソプラノの響きは大人っぽくて可愛らしい。季語の夜の秋と相まって素敵な一句となっています。

野﨑 憲子

特選句「世の中にけものありけりはなやぐ夕日」。夕日の中を愛犬と散歩しているのだろうか、それとも猪の親子がヌタ場で転げ回って寛いでいるのだろうか、満ち足りた時の流れを感じる。多様性に満ちたこういう世界が広がって行けたらと切に願う。特選句「海になろうか空になろうか花桐」。薄紫の桐の花の落花をスローモーションで観ているような作品。そのかみの空海が空海になる前に呟いた言葉のようにも思えてくる。どちらの作品も平明で味わい深い。問題句「緑の夜打ち身の青の迫り来る(新野祐子)」。<打ち身の青の迫り来る>とは、漠然としているが、どこかなまなましくて不思議なエロティシズムを感じる魅かれる作品である。連作で読みたいと思った。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

まつろはぬ者も集きて山車を舁く
大浦ともこ
軽自動車に巨人卯の花腐し
藤川 宏樹
矢車草あれこれそれで通じ合う
岡田 奈々
前籠に西瓜自転車でばあちゃん家
和緒 玲子
ずぶ濡れを笑う自転車万緑へ
三枝みずほ
空っぽの車に夏雲が乗りこむ
野﨑 憲子
プール
シュレッダかける少女やプール熱
藤川 宏樹
夏休み心はすでにリヴァプール
島田 章平
プールに飛び込むどこへ行ってもこの世
野﨑 憲子
空と吾と廻るプールにプカプカと
薫   香
かき氷匙もガラスもブロカント
大浦ともこ
スタヂオに氷柱(こおり)AI語尾やさし
藤川 宏樹
氷いちごや絵心のなき染みとなり
岡田 奈々
氷菓食むついでのやうにタイ土産
和緒 玲子
短夜やグラスの氷割れる音
島田 章平
かき氷うっかり絶交してしまふ
三枝みずほ
花氷うしろ姿のありにけり
野﨑 憲子
青嵐
太陽とぶつかる肩や青嵐
三枝みずほ
青嵐洗ひざらしのリネン白
和緒 玲子
青嵐傘の骨は折れたけど吾は
薫   香
青嵐小石でつくる太陽系
藤川 宏樹
青嵐なんでも楽しめといふ呪文
野﨑 憲子
青嵐屈みて靴の紐結ぶ
大浦ともこ
黙契のものの影あり青嵐
野﨑 憲子
「なるほど」「確かに」ひまわり暮る迷路
藤川 宏樹
また道に迷ってしまふ昼寝覚
島田 章平
迷宮の扉をひらく青嵐
野﨑 憲子
迷う夏真っ向勝負の恋をして
岡田 奈々
迷ひつつ書肆から酒肆へ路地の裏
大浦ともこ
円を描きずっと迷っているよ
三枝みずほ

【通信欄】&【句会メモ】

先月の島田章平さんの歌句集『百歳の母 ほたるの宿』豊原清明さんの詩集『荒磯海のシンとジン』に続き、今月末には、月野ぽぽなさんの第一句集『人のかたち』が、左右社から上梓されます。満を持しての待望の句集です。おめでとうございます! ますますのご健吟とご活躍を心からお祈りいたしております。

猛暑の中、今回の参加者は13人。いつものように熱く豊かな句会でした。少し、終了時間が遅くなっているので、次回から袋回し句会の開始時間を午後2時半と設定してみようと思います。次回に限り、第3土曜日の開催です。

2024年7月16日 (火)

第153回「海程香川」句会(2024.08.17)ご案内

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梅雨最中の曇天の午後でしたが、十三人で句座を囲み、今回も楽しく熱い句会でした。次回は、会場の都合で、高松での句会は、第三土曜日の17日開催となります。事前投句の投句締切は、いつも通り第一土曜日です。ご参加楽しみにいたしております。

最近、句会終了時間が遅くなり、やむなく途中で帰られる方がいらっしゃいますので、次回から、事前投句の合評を、少しスピードアップして、午後2時半には、袋回し句会に移れるように努めてみます。月末頃には、<今月の作品集>を更新しますので、お楽しみに!

では、2024年8月句会のご案内を・・

日時
2024年08月17日(土)
場所
ふじかわ建築スタヂオ☆☆ 高松市番町2丁目5-5
時間
午後1時 ~ 午後5時

事前投句は、通信句会形式です。投句締切は、8月3日(土)(必着)です。ご参加楽しみに致しております。

事前投句作品
2句
会費
500円

連絡先:noriko_n11☆yahoo.co.jp(☆を@に変換してください)

句会当日は suncatwave☆ezweb.ne.jp (☆を@に変換してください)

へご連絡ください。

「海程香川」代表 野﨑憲子

2024年6月24日 (月)

第151回「海程香川」句会(2024.06.08)

紫陽花1.jpg

事前投句参加者の一句

      
<台湾淡水にて>モモタマナ野犬と人の午睡かな 田中 怜子
すずらんのふるえ大地の母音とも 十河 宣洋
絹脱げば鳥の塒となる晩節 若森 京子
紫陽花や雨を目覚めの合図とす 菅原香代子
唐揚げが口よりも大きくて夏 柴田 清子
正面なき遺影からすうりの花 藤川 宏樹
やんばるの骨やんばるの夏ぐれに 島田 章平
雲一つ泳がせておく麦の秋 飯土井志乃
アマリリス開く明日は佳いことありそうだ 樽谷 宗寛
眠れない夜や鯉のぼり泳ぐ音 え い こ
会へぬまま出でし病院さみだるる 柾木はつ子
ハンカチにキリストくるむ雨の昼 三枝みずほ
新樹光大津絵鬼の余所余所し 荒井まり子
生まれたて豆粒ほどの青蛙 佳   凛
夏つばめ決め球えぐいほど曲がる 山下 一夫
蝌蚪の紐鼻むづがゆくなりにけり 丸亀葉七子
葬送の果ての麦秋レゲエかな すずき穂波
雨匂ふ夜や何かを踏みつける 松本美智子
薫風や薩婆訶薩婆訶(そわかそわか)と僧の声 大浦ともこ
六月の五色あられのような鳥 男波 弘志
青嵐やさらっと味のある言葉 山田 哲夫
紅茶くるくる春愁の匙ひかる 松岡 早苗
外つ国の赤きリキュール夏の月 花舎  薫
六月のまあ美味そうな赤ん坊 吉田 和恵
養花天初老に席譲る大老人 野口思づゑ
水まいて蝶も蜥蜴も虹の色 福井 明子
父の日の乞われ踏む背の弾力よ 新野 祐子
指先が梅雨にうずくや「赤報隊」 田中アパート
故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華 滝澤 泰斗
心療内科触れば閉じます含羞草 増田 暁子
瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ 鈴木 幸江
黄はあやめ一途に南下して知覧 野田 信章
足首の美しき少女や新樹光 植松 まめ
頭の中でいつも鳴る曲麦の秋 榎本 祐子
アマリリス負の感情を折りたたむ 向井 桐華
ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇 薫   香
過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野 川本 一葉
蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す 河野 志保
初螢つつみし掌からこもれ火 漆原 義典
地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ 森本由美子
むらさきのかの人麦の風になる 大西 健司
緑蔭の母百年のあくびかな 竹本  仰
新緑や親子で食べる親子丼 菅原 春み
高野より鎮まる河骨酒も飲む 岡田 奈々
伝書鳩飛ばす家裏青田風 津田 将也
一片の夏雲万年筆で書く便り 重松 敬子
やわらかな思想あつまる田植かな 松本 勇二
母を詠む師の句碑ひそか苔の花 塩野 正春
五月雨やためしに息をとめてみる 銀   次
蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し 疋田恵美子
なつかしき使いの帰りとおせんぼ 小山やす子
麦秋のこの心地良い知らんぷり 佐孝 石画
開けられぬ扉の重さ桜桃忌 藤田 乙女
二の腕の足らぬ筋肉冷奴 亀山祐美子
牛蛙一言申し添えました 綾田 節子
和やかな伝言ゲーム若葉風 桂  凜火
栓抜いた戦争流れ出して夏 岡田ミツヒロ
少女らの無念は今も沖縄忌 稲   暁
ほうたるを呼ぶやくちびる尖らせて 小西 瞬夏
螢舞う子を抱き途方に暮れた日も 伊藤  幸
八月の裏から裏へ紙魚走る 三好つや子
若き日のあなたの影よ鮎踊る 寺町志津子
サイダーの泡が溢れて駆け出した 高木 水志
水を這ふはんざきの骨平べつた 和緒 玲子
青葉騒雨夜の電話とまらない 河田 清峰
出して見るだけの水着よ三面鏡 山本 弥生
森の夜に万の眼や河鹿笛 石井 はな
登山道で振り向く君や夏の風 末澤  等
山峡に目刺しのごとく鯉のぼり 三好三香穂
アマリリス二足の一つにハイヒール 時田 幻椏
まほろばや北斗七星から螢 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。「裏」という言葉に、表には表れない部分、また裏があるからこそ表に意味がある、そんな意味を感じた。裏から裏、表にはいかない部分に「紙魚」が走る。そのことが「八月」と響きあって、不穏な空気感、またけっして表には表れない動きを具体的に描写している。いつ戦争が始まってもおかしくないような、そんな恐ろしさ。

十河 宣洋

特選句「詩のように走る老人五月晴れ」。爽やかな初夏の訪れを感じる。毎朝ランニングをしている人の中に、お年を召した人も見かける。平和な初夏である。特選句「頭の中でいつも鳴る曲麦の秋」。麦秋の気持ちのいい風景を思う。いつも鳴る曲は思い出の曲でもある。鼻歌が出て来そうな陽気である。

松本 勇二

特選句「夏つばめ決め球えぐいほど曲がる」。決め球はシンカーでしょうか。当世の言葉を使って勢いのある句になっています。そして、夏燕もえぐい角度で曲ります。

桂  凜火

特選句「火蛾踏んで太極拳はやさしい手(和緒玲子)」。残酷なようだが、気付かれないことはないことになる。自分の行為を意識しないで行うこと、なにかしらの無意識な残酷の上に人は生きていることを感じました。特選句「亡き人も思えば側に白目高(石井はな)」。思えば側にいてくれると感じられることがまずとても素敵ですが、白目高との取り合わせがなんとも心癒されます。

福井 明子

特選句「新樹光大津絵鬼の余所余所し」。年月を経た茶渋色の大津絵の鬼はおどけた表情をしていて一度お目にかかれば忘れられません。眼前のこの新樹光に、あの鬼が迷い込んだなら。そんなとまどいを「余所余所し」という言葉にされたのでしょうか。取り合わせの妙に魅かれました。

岡田 奈々

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。うふっ夏はやっぱり唐揚げ。フーフー言いながら、口に油付けながら押し込む。あー夏だね。ビールが旨い。特選句「六月のまあ美味そうな赤ん坊」。ぷりぷりして、ちょっと暑さで赤ら顔して、鼻に汗。もう見るからに活きのよさそうな、利かん気な赤ちゃん。もう、赤ちゃんて絶対可愛いですよね。「青麦の香のみ残れる過疎地かな(森本由美子)」。あの妙に青臭い夏の匂いもう、田も耕されていないんだね。「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。雨を心待ちする紫陽花の気持ちと、辛いことがあって、そこから立ち直ってまた、大人になる少年の心持ちが重なる。「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。詩のように走るってどんなのか。楽しそうなのか、フラフラしているのか、想像は尽きない。「雲一つ泳がせておく麦の秋」。晴天ではなく雲が一つあるだけで、絵になる。「時の日や時間に追われぬそんな居場所」。はい。そんな場所探してます。「黄はあやめ一途に南下して知覧」。青い菖蒲ではなく、黄色の菖蒲。一条の光が導くのは知覧。一途に一途に。「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ(島田章平)」。いちごにも志はある。ほんの薄暑程度のエントロピーでもいちごでもこの暑い気持ちが革命の引き金になるのだ。「三日月をカリッと噛んだ夏の匂い」。三日月のおせんべい食べたら暑い風が吹いてきた。以上、宜しくお願いします。

塩野 正春

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。この句微妙な患者の心理をついて います。触れられたくない処こそ心療内科医が探し当てるわけですが、そこに届けば心が閉じてしまいます。「醒めし今外科医は初蛍だった(若森京子)」。外科の手術がうまくいって、麻酔が覚めた今の心境は初蛍に出会ったような心境、患者だった読み手の喜びが伝わり、感動します。

野田 信章

特選句「高野より鎮まる河骨酒も飲む」。霊場の高野山としずかな対峙を見せている一茎の河骨の黄の鮮明さー諧謔的な反骨精神の裏打ちのある一句として読んだ。特に「静」でなく「鎮」の表記によって比喩的にもどっしりとした「河骨」の存在感はある。これと作者の肯定的な日常観の「酒を飲む」との結句が響き合う一句として読めた。

藤川 宏樹

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。夏休み、日焼けした肩をランニングにのぞかせ、大好物の唐揚げにかぶりつく子が浮かんできます。ジューシーな唐揚げの歯ごたえ、喉越しまで甦ってきます。

島田 章平

特選句「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。「あ」の韻が快く響く。リズムがよく元気がでる。

男波 弘志

「五月雨やためしに息をとめてみる」。中7からの感慨は豊満な何かを暗示していよう、しかしそれが五月雨で成就するのであろうか、もっと映像として顕せないだろうか、いまふと浮かん像は「青蛙」だった。序でだが、俳句は即物詩、であり、映像詩、である。その覚悟があってこそ17音が躍動するのであろう。秀作。「水を這ふはんざきの骨平べつた」。叡かに俳諧の詩であろう。歌仙のなかにある付け合い、その意味を理解していなければこの句の中にある真の凄みはわからないであろう。俳の聖は俳句など金輪際創ってはいない。歌仙の発句を常に生み出していた。俳句は俳諧の属性に過ぎぬ。この極めてあたりまえなことを看過している作者があまりに多すぎる。自分のはこの句座に居る一座の顔ぶれが花のように浮かんでいる。秀作。

花舎  薫

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。古くなった書物は紙が乾燥して色褪せ、時に端々が崩れて破れていることもある。そんな本を手に取ってページをめくると、小さな紙魚がするすると走るように逃げていくのに出くわしたりする。もう干からびて死んだも同然の書物に小さな生をみるとき、それはハッとさせられる瞬間である。濡れたようにひんやりと冷たい銀色は暑く乾いた空気を裂くように走る。ここには古書とは書かれていない。紙魚が走るのは八月。それは日本人にとっていろいろな意味で死を考える月、死者を思い自分の生を考える月である。普通ならば暑さを避けて陰から陰へというところだが、書物と繋がる裏から裏へという表現が使われている。人目につかない裏側に忘れ去られた人々の歴史やストーリーが息づいているということだろうか。視覚的であり奥深い内容で、かつ一読すれば忘れない巧みな言葉の選択がなされ、とても魅力的な句だと思った。

若森 京子

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。人間の繊細で微妙な病いを診療する診療内科のメタファとして触れたら閉じる含羞草を持って来たのに惹かれた。特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河(十河宣洋)」。うっとおしく嫌な耳鳴りも、このような詩にすると案外楽しいかも知れない。難聴の私も詩にしてみよう。

津田 将也

特選句「母を詠む師の句碑ひそか苔の花」。掲句の、母を詠んだ俳句の作者は金子兜太です。彼の生家は、秩父皆野町皆野にあり、「壺春堂(こしゅんどう)」と言います。医師で俳人(伊昔紅(いせきこう))の実父・金子元春さんのかつての住宅兼医院で、現在は登録有形文化財になっています。今も、ここに弟の千侍(せんじ)さんが「金子医院」を営み、父の医業を継承し護っています。庭には、兜太の「おおかみを龍神と呼ぶ山の民」の句碑があります。母を詠んだ句は、皆野町有志が建立した兜太句碑八基の内の一つで、「夏の山国母いて我を与太という」の句碑です。『母は、秩父盆地の父のあとを、長男の私が継ぐものと思い込んでいたので、医者にもならず、俳句という飯の種にもならなさそうなことに浮身をやつしている私に腹を立てていた。碌でなしぐらいの気持ちでトウタと呼ばずヨタと呼んでいて私もいつか慣れてしまっていた。いや百四歳で死ぬまで与太で通した母が懐かしい』と。母を偲んだときの兜太の述懐があります。(兜太・自選自解99句より)※平成二十一年・「兜太・産土の会」有志により建立されたこの句碑は、秩父皆野町皆野・円明寺(明星保育園)境内に「常の顔つねの浴衣で踊りけり」(父・伊昔紅)の句碑と共に在ります。

鈴木 幸江

特選句評「麦秋のこの心地よい知らんぷり」。黄金の麦畑の存在としての美しい独自性を強い共鳴をもって捉えていると感心した。“知らんぷり”という悪く評価されがちの行為に善も潜むことに気づかせて頂いた。私もとても心地よくなった。問題句評「時の日や時間に追われぬそんな居場所(綾田節子)」。多くの人がそんな居場所を求めていることだろう。今流行のマインドフルネスなどもそんな必要性から注目されている。ただ、私の勝手な思いだが、“時間”を“時計”として欲しい。私にとって時間という概念には、時計時間とは別に経験・体験の時間もあり、そんな時間は私にとって宝物である。そのことを大切に意識したいと思うので、こんな我儘なことを書きました。

末澤  等

特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。 海の色、とりわけ瀬戸の海の青色グラデーションを『青の朧の襲(かさね)召せ』という表現で表したことは素敵だと感じていただきました。

滝澤 泰斗

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。つい一週間前に黒竜江省北部を旅して360度見渡せる農耕の大地に立ち、79年前の不可侵条約を破って攻めてきたソ連軍による開拓団崩壊の声は阿鼻叫喚だった。あるいは、事前に配られた青酸カリによる強いられた死は声なき声か。守るべき関東軍に見捨てられた開拓団農民の慟哭。特選句「黄はあやめ一途に南下して知覧」。戦争は15歳の少年を満州に送り鍬と銃を取らせて国境に張り付かせ、未来の日本を担う優秀な大学生を知覧に集め飛行機での体当たりを強いた。可憐なあやめに送られ沖縄の海に散って行った。見事な反戦句。共鳴句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。6/23 沖繩忌を想起。沖縄の犠牲に応えない政府の辺野古や基地問題を遠くから見つめるしかない無力感に苛まれる「父の日や父の日記の父の文字」。母の日ほどに注目されない父の日が父三連発で溜飲を下げた。父さんも頑張れ。

柴田 清子

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。を思い出している。今の止めやうのない戦争を「栓を抜く」と言う、軽いタッチで詠いながら、戦争のない平和を願う重い一句に仕上げている。

漆原 義典

特選句「雲一つ泳がせておく麦の秋」。おおらかな雰囲気が感じられます。良い句をありがとうございます。 

和緒 玲子

特選句「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」。何か踏んではいけないものを踏んでしまった足裏の違和感と罪悪感を、我が事のようにありありと感じて頂いた。そこはかとなく匂っていた雨の匂いも勢いもより強くなったのではないだろうか。季語は?などと問うのは野暮だろう。

松本美智子

特選句「やわらかな思想あつまる田植えかな」。「やわらかな思想」と対局にある「○○な思想」を想像してみました。すると太古の昔から思いを馳せながら田植えする姿は、人や自然に優しく柔らかなものに違いありません。平和を願うばかりです。

え い こ

特選句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。沖縄の山原地方にヤンバルクイナの骨がおちている光景は沖縄の明るくて気候と悲しい歴史、位置関係の運命や 自然の豊かさなどすべてを語りかけてくれるようです。特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。瀬戸内で育ったわたし(たち)は 瀬戸の光景はふるさとのようなものです。青の朧という 表現と に心うたれました。たくさんの種類の青があるという意味かと思いましたが <襲召せ>という日本語を初めて見ました。

大西 健司

特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。いつからかしらないが母俳句に心動かされるようになっている。今回もまたこの句をいただいた。母の百年のあくびが何ともいい。緑陰に憩う長生きの母の姿が実に愛らしい。

榎本 祐子

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月という特別な二重の意味を持った月。生命力に溢れる輝かしさと、辛い記憶の季節。紙魚は、あまり目に触れる事のない生き物だが確かにいる。八月の裏から裏へと繋がって存在している。

豊原 清明

特選句「蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し」。この句を作った人の記憶が、よく描かれていて、いいなと思いました。問題句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。葬送の儚さ、悲しみ。「麦秋レゲエかな」と詠むところが好き。

樽谷 宗寛

特選句「心電図ピコピコ鳥獣戯画の青蛙(塩野正春)」。ピコピコのオノマトペ蛙の擬人化が面白いです。

石井 はな

特選句「少女らの無念は今も沖縄忌」。沖縄の終戦は未だです。少女に象徴された無念に心動かされます。

植松 まめ

特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。耳鳴りから耳のさすらいそして青山河へとつなぐ言葉に惹かれました。耳鳴りからも詩が生まれるとは感動です。特選句「老年やふとサボテンが咲きにけり(吉田和恵)」。老年とサボテンちょっと不思議な取り合わせですがこの句を一読して、財津和夫がリーダーのチューリップの「サボテンの花」を思いました。「サボテンの花」はもう50年も前の歌ですが今も好きな歌でよく聴いています。あれは別れの歌だったがこの句は何かの出会いがあったのでしょうか。わが家でも2年前100均で買ったサボテンがやっと白い花をつけました。

松岡 早苗

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。「田植」と「思想」の取り合わせがおもしろく、「やわらかな思想」にも目が行く。能登の白米千枚田のような棚田が浮かぶ。大型の田植え機が入らず棄てられるはずの田んぼに、子どもや学生、主婦や起業家など様々な人が集まり、手作業で田を植える。効率や生産性は二の次。泥まみれの和やかで素敵な光景。特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月の燃えるような日射しの裏側には、拭うことのできない暗く悲惨な戦争の記憶が紙魚のように存在している。紙魚は生き続け、世界の各地で戦争が続く。詩句であり警句でもある。

河野 志保

特選句「牛蛙一言申し添えました」。一読してほっこり、かわいい句。とぼけたような「一言申し添えました」がぴったりだと思う。牛蛙の声が聞こえてきそう。

すずき穂波

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」この句の「キリスト」は十字架。ネックレスだろうか。日頃は首にかけているが、「雨の昼」と薄暗さがあるので、宗派の異なるお葬式か何かに出席されたのではないか。しめやかで、静粛な心持ちが現れている。「ハンカチ」のさらりとした季語であるにもかかわらず、複雑な感情が醸し出されていて、心惹かれました。特選「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」匂うような雨に、源氏の「雨夜の品さだめ」を思った。夜更けのひそひそ話に耳を傾けていたら、何かを踏んづけてしまったか?「何か」はきっと、ぬめぬめとしたものだ。ちっちゃな、ちっちゃな「鵺」のような、得体のしれないものか。ともあれ 夜中のひそひそ話には、近寄らないに限る。

三好つや子

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。思想というほど大袈裟なものではないにしても、田植えという労働には、脈々と受け継がれてきた結のこころがあります。そういう思いをこの句から感受。特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらふ紫陽花(すずき穂波)」。梅雨が似合う紫陽花。私たちが花と思っている部分は、咢が変化したもので、小さな粒の集まりが花だとか。日ごとに色が微妙に変わるなど、紫陽花の神秘さを、思想家と夢想家という言葉がうまく引き出しています。「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。頭にまとわりつく、虫の声のようで、さざ波のようで、梢をぬける風のような音。私も耳鳴りなので、惹かれました。「むらさきのかの人麦の風になる」。一読して、らふ亜沙弥さんへの追悼句だと思いました。お会いしたことはありませんが、「何をもってフツウミミズにフトミミズ」など、彼女のユニークな作風に注目していました。ご冥福をお祈りします。

野口思づゑ

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」。実際には聞いたことのない、薩婆訶の僧の声が聞こえて来そうでした。特選句「蛍舞う子を抱き途方に暮れた日も」。どのような事情があったのでしょうか。「唐揚げが口よりも大きくて夏」。唐揚げの大きさが夏と関連するのかどうか。それなのに夏を感じさせる一句。「会へぬまま出し病院さみだるる」。患者の具合か、事情からか、何かの理由で見舞いが叶わなかった心情が「さみだるる」の下5によく表現されている。

岡田ミツヒロ

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。広々とした夏野、そこに立てば少年期青年期の様々な情景が蘇る。懐しい父母や友の声が心地よい風の中に聞こえてくる。みな元気で溌溂としていた時代。特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。マスクなどせず、伸び伸びとあくび。樹々の精気を深々と吸い込む。百才の生命力が力強い。

伊藤  幸

特選句「養花天初老に席譲る大老人」。大老人の表現にクスッと笑みが込み上げてきます。雲が花を養うという養花天の季語もピッタリです。特選句「紅茶くるくる春愁の匙ひかる」。歌いだしたくなるような句です。もの憂げな気分も楽しい歌に変えてしまうのは小さなスプーンが光りながら生き物のようにくるくる回っているからではないでしょうか?

田中 怜子

特選句「故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華」。戦後78年、国策で渡満し、中国人から安くとりあげた土地を耕す・・・客観的に見れば酷いことをしてたのだが、あの頃は日本国民も広い土地をもって希望をもっていたのでしょう。そして、世界に国土をめぐる争いが続いている。この方もどういう思いだったのか、話を聞いてくれる人たちと思う存分気持ちを吐露してほしいですね。特選句「山峡に目刺しのごとく鯉のぼり」。日本の原風景と、子供の成長を寿ぐ世の中になって欲しいですね。

山田 哲夫

特選句「雲へ話して麦わら帽子落っこちて(三枝みずほ)」。童子の会話の一フレーズのようでありながら、微妙にメルヘンの世界へ誘ってくれるような句で心惹かれた。柔らかな詩心がないとこうした一句には成りがたいと思った。

河田 清峰

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。始まると止まらない戦争が哀しい。

三好三香穂

「雲一つ泳がせておく麦の秋」。気持ちのよい句。よい天気で青空がひろがっている。ポッカリ一つの雲もさも自分が泳がせているように錯覚。神のような振る舞いですね。ウクライナカラーですね。「父の日や父の日記の父の文字」。私も、父がなくなってから、父の日記を捲ってみたことがあり、癖のある父の字に、妙に父を感じたことがあります。「やわらかな思想あつまる田植かな」。農耕民族である日本人、柔らかに自然を受け入れて、営営と暮らしてきました。「出してみるだけの水着よ三面鏡」。10年前の、あるいは20年前の捨てられない水着、中々捨てられません。スイミング、あるいは水中ウヲーク始める日がくるでしょうか⁉️

柾木はつ子

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」仏教語で「薩婆訶」とは祝福とか、幸あれとかいった祈りの呪文だそうですが、まさにこの爽やかな薫風の中で響く言葉は身も心も清浄にしてくれるような気がします。「そ」で韻を 踏んでいるのも効いていると思いました。特選句「三年目は微妙なじかん百日紅(三好つや子)」。「石の上にも三年」とか「三年目の何とか」よく言われますが、人が何か変化を求める時とかある決断をしようと思うのがこの時期なのでしょうか?「微妙なじかん」の表現に作者の心の揺れが感じられて興味をそそられました。

三枝みずほ

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。口よりも大きい唐揚げを食べることが、生きる為の力とすれば野性味を帯びた一句となり夏も効いている。獣のように肉を食いちぎる力は生命を欲る活力そのもの。

時田 幻椏

問題句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花」。意味わからず、情況つかめず。「足首の美しき少女や新樹光」。単に足首フェチなだけなのですが・・。良く解らぬままに、特選句を選び得づ、でした。父は考なのか父なのか、放飼の措辞で宜しいのか、百年のあくびは?などと思って要ります。

荒井まり子

問題句「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。五月晴れの元、どの様な詩なのだろう?この年齢になるまでの百人百態面白い。

高木 水志

特選句「水を這ふはんざきの骨平べつた」。渓流の岩石の下や洞窟の中に身をひそめて、目の前に現れた昆虫や魚、蛇などを丸飲みするはんざき。そのはんざきが岩陰からのそりと出てきて水の中をゆっくりと動いている様子を見て、はんざきの骨が平べったいと気づいたことが面白いと思った。

山下 一夫

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。何よりも口より大きい唐揚げというのがシンプルに面白い。また、夜店の買い食いや海水浴のお弁当、暑気払いなどの飲み会でのアテ等唐揚げが付き物の夏の行事がさまざまに連想されて楽しいです。特選句「二の腕の足らぬ筋肉冷奴」。二の腕はいわゆる力こぶ(上腕二頭筋)があるところ。ここは少し鍛えるとすぐに大きくなり、逆に使わなかったりダイエットするとすぐに萎みます。ところが二の腕の骨を挟んだ裏側は、鍛えてもなかなか筋肉がつかないし、ダイエットしてもタプタプのままです。掲句では日ごろ使わず日光も当てない二の腕の見てくれや触感を冷奴に喩えたと見え、秀逸かつユーモラス。また、いじらしい女ごころ?も垣間見えるようで楽しめました。問題句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。一読意味が判然しないのですが、何かを暗示している気配が濃厚です。誤読を覚悟でいうと「絹脱げば」は絹の靴下を脱ぐの省略で女性の性的な含みのある行動、「晩節」は晩年の節操。「鳥」は男か。総合すると、年配の女性が恋愛的な勝負に出たが都合よく利用されただけに終わってしまったという自嘲かと。当方の投影に過ぎないとすればすみません。

菅原香代子

「雨匂う夜や何かを踏みつける」。しっとりとした雨と何かわからないものの取り合わせが絶妙です。

佐孝 石画

特選句「五月雨やためしに息をとめてみる」。一瞬通り過ぎてしまいそうな柔らかな抒情風景だが、「ためしに息をとめてみる」という感覚には、何か後を引くものがある。その感覚の向こう側にあるものは、やはり「死」の世界なのだろう。「五月雨」の空気が水中を想起させ、水中で「息をとめてみる」幻想を連想させたのだろう。それだけでは茶目っ気のある軽い諧謔にとどまりそうだが、徐々に「雨」が「人」の翳へと変容し、その翳の中で揺れ動く一人の人間のたじろぎ、哀愁が見えてくる。「息をとめてみる」とは、少なからぬ「死」への願望であり、一度「死」を受容することで、また日常へと帰還していく、作者の転生、再生の物語でもある。

新野 祐子

特選句「地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ」。ウクライナ・パレスチナのみならず紛争中の国々、地震や水害に被災した国々と、現在の世界の悲愴な様相が想起され、胸に迫ります。

疋田恵美子

特選句「知らぬことの幸せ多し梔子の花(藤田乙女)」。知らない事は幸いなことで雑念は不要、下五で言い得ています。特選句「ナルシスのように伯父死す夏の川(新野祐子)」。ギリシャ神話の美少年、素敵な伯父さまでしたでしょうね。飯田龍太さんの、いとこさんの事を思い出してしまいました。

山本 弥生

特選句「 父の日や父の日記の父の文字(岡田ミツヒロ)」。父亡き後、数年経て父の日に父の日記を読み、何とも懐しい父の姿が想い出されて生前には気付かなかった父への深い想いが甦って来た。

森本由美子

特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。すぐれた詩情と物語性をもった句と思う。葬送の余韻にオーヴァーラップして、後拍にアクセントのあるレゲエのリズムが韻をふむように刻まれてゆく。哀しみを麦秋の中に溶かし込むように。

吉田 和恵

特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花(すずき穂波)」。思想も、夢想も、紫陽花の花びらのように、それを取り巻く人達がいて。そんな時代が、いつかまた訪れるのでしょうか。

川本 一葉

特選句「生まれたて豆粒ほどの青蛙」。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズに「豆粒ほどの小さな犬」と言う物語があります。透明感と水と風を感じます。そんな世界観を現していて、物語を紡ぐ句だと思いました。

薫   香

特選句「すずらんのふるえ大地の母音とも」。小さなスズランの花も根っこは大地に繋がっており、震えは大地に繋がっていくという壮大な景色を見せていただきました。

竹本  仰

特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」:シルクの服を脱ぐと、そこがいつの間にか鳥のねぐらに。そうか、これが晩年か。何十年の流れが濃縮されている。それにしても、この鳥はめざめたら、どこへ旅立つのだろうか。晩説とはいえ、この楽しみ、好奇心、人生のワクワクは最後の最後まで。これを曲線にすれば、二次関数だったか、あの形を思い出した。特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」:葬儀の後のあの現実の見え方というのは、変に明るい。たとえば伊東静雄の詩の〈死んだ女(ひと)はあつちで/ずつとおれより賑やかなのだ/でないと おれの胸がこんなに/真鍮の籠のやうなのはなぜだらう…〉「田舎道にて」のような違和感がある。人間とか生きものとか、そんなものを学ばせてくれたように思える瞬間があるのだ。特選句「ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇」:薔薇の最期を詠っているのか。昨日まで咲いていたのがいきなりいなくなる。旅立ちというにふさわしい終り方をするのだが、ふいに今声をかけられたようにそんな薔薇に気づいたのは自分を選んでくれた気がしたのだ。薔薇(そうび)汝病めり…『田園の憂鬱』をなぜか思い出した。逝く人は自分を語らない、語るのは悼む人だけだ、とそんなことを思い出させた。 以上です。みなさん、いつもありがとうございます。よろしくお願いします。

菅原 春み

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。栓抜いたという比喩が卓抜です。改めて納得した次第です。特選句「森の夜に万の眼や河鹿笛」。季語の河鹿笛が効いています。森の中に潜むさまざまな生き物を想像します。

大浦ともこ

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」。キリストをハンカチにくるんだのは何故なのだろうか、静かな危うさのようなものを感じる。「雨の昼」の物憂い感じとも響きあっています。特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。絹を塒とする鳥のイメージと人生の終盤の取り合わせは不思議で好もしい。どう詠んでいいのかよくわからないところも魅力的です。

亀山祐美子

特選句『緑陰の母百年のあくびかな』。大きな木の下でくつろぐご長寿のお母様のあくびを眺められる幸せ。穏やかな時間。羨ましいです。

向井 桐華

特選句「足首の美しき少女や新樹光」。陸上の選手であろうか。すっと伸びた脚の、その足首の美しさ。まばゆい光とそのコントラストがとても丁寧に描けていて素敵な句です。問題句「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ」。「いちご白書」を「いちご薄暑」としなくても無季の句としたほうが良かったのではないかと思いました。

銀   次

今月の誤読●「緑陰の母百年のあくびかな」。母は今年で百歳になる。老いてますます盛ん、などという慣用句があるが、まさしく母はその言葉にもっともふさわしい実例といえよう。食欲は旺盛、食後にはビールを飲み干しカッカと笑う。むろん足腰も丈夫で、日課の散歩は欠かさない。散歩から帰るとたいてい縁側に坐る。縁側には少々くたびれた座布団が置いてあり、そこが母の定位置なのだ。縁側の母にお茶と甘納豆やセンベイといった茶菓子を持っていくのがわたしの役目だ。初夏のよく晴れた昼下がりのことだ。母はお茶を手に座布団に坐っている。わたしはその横でボンヤリと庭をながめている。と、突然母が「フワッ」と声を発した。わたしはなんだろうと隣にいる母を見た。なんのことはない、ただのあくびだった。だがそのあくびがなかなかおさまらない。どころか、どんどん大きくなって、母のまわりの空気に異変が起きた。空気が大風となって母の口に激しく流れ込みはじめたのだ。と、その口に湯飲みが吸い込まれた。次いで菓子盆が、扇風機が、庭の盆栽がと、まるで巨大な掃除機のようにあたりのモノというモノ、冷蔵庫から洗濯機、時計、椅子、机、なにもかもが母の口に流れ込むのだ。わたしは母のカラダを抱きしめてなんとか難を逃れたが、妻や子が母に飲まれるのは止められなかった。それでも母のあくびはまだつづく。やがて歩いていた通行人や走っていたクルマ、近所の家、遠くの家、ビルが電車が、船が飛行機が、山が川が、あまつさえ海が、国会議事堂がホワイトハウスがクレムリンが、議論が駆け引きが戦争が、ああ、時代が歴史が文化が文明が母のあくびに吸い込まれていく。かくして最後に残ったわたしだったが、やがてあえなく飲み込まれた。ふと気づけば、抱きついていたはず母さえも、母に飲み込まれていたのであった。ここはどこだ? 母の体内か? そうするとわたしの抱きついている母はだれなのだ? と、どこからか、「フウ」というため息にも似た声がし、つづいて「ああ、いい天気だ」という声がした。

野﨑 憲子

特選句「若き日のあなたの影よ鮎踊る」。鮎の踊る清流をみつめていると一瞬若き日の影が過る。川の流れに身を任せ日輪に抱かれ月光に抱かれた至福の日々が蘇る。<あなたの影>の演歌的はフレーズが胸に沁みた。鮎は年魚。一年の命をいのちのかぎり生きている。特選句「蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す」。駅舎の天井に張った蜘蛛の巣だろうか。始発から終電まで乗り降りを繰り返す人の営みと、それを天井から眺めている蜘蛛の対比が、鋭い。蜘蛛の巣が天網にも見えてくる。さすれば銀河鉄道の駅だろうか。問題句「アマリリス二足の一つにハイヒール」。問題句というよりこの奇想に驚いた。あのラリラリラリラの真っ赤なアマリリスが靴を履いているのだ。二足とあるから、そのうちの一輪はハイヒールでどんなダンスを踊るのか。ただ、<二足の一つに>が、少しわかり難かった。が、ワクワクする作品。♡新茶を飲んだら、色んな雑事から開放された。句会という最高に楽しい場を創らせていただける嬉しさ。今後とも、よろしくお願い致します。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

桜桃忌
爪切って夜の深きを桜桃忌
三枝みずほ
桜桃忌泣きたい午後は墨を磨る
すずき穂波
降り始めの埃の匂い桜桃忌
藤川 宏樹
濁流に消ゆる花束桜桃忌
稲   暁
酒場ルパンの火の酒を酌む桜桃忌
銀   次
回転ドアに恋を阻まれ桜桃忌
岡田 奈々
桜桃忌中途半端な恋でした
野﨑 憲子
ちりちりと炙ってみたし夏の箱
銀   次
もう箱入娘にあらず夏の海
稲   暁
箱を出てオオムラサキになりました
野﨑 憲子
母の味妻手づくりの箱の鮓
島田 章平
黒い箱目に見えぬもの隠したる
薫   香
夕立晴線路添ひゆく箱男
すずき穂波
百葉箱りゅんりゅんからすうりの花
和緒 玲子
水無月
青水無月遠い昔を連れてくる
すずき穂波
水無月の雑多匂いて中華街
和緒 玲子
水無月や星のくしゃみと吾のあくび
薫   香
水無月やそろそろ腹が減ってきた
藤川 宏樹
人類哀し青水無月の帆影
野﨑 憲子
走り切って雲時計の針が消える
三枝みずほ
雲助も行者もくぐる茅の輪かな
すずき穂波
隠し事のひとつやふたつ今日の雲
薫   香
夏雲を呼ぶや少年うずくまる
三枝みずほ
先生と呼ばれ振り向く夏の雲
藤川 宏樹
ソフトクリームの空中散歩はぐれ雲
岡田 奈々
色即是空空即是色雲の峰
島田 章平
日傘
さよならの合図は日傘を三度振る
銀   次
少女期のはや過ぎ行きし日傘かな
稲   暁
顔ひとつ忘れ白日傘ひらく
三枝みずほ
白日傘集いてどうでもいい話
和緒 玲子
純粋にはもう戻れない白日傘
すずき穂波
照る照る坊主を日傘に吊す雨予報
岡田 奈々
夕浜に影のあつまる白日傘
野﨑 憲子
銀座ゆく男の日傘午後三時
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

今回の高松の句会には、広島からすずき穂波さんがご参加くださいました。お陰様で、事前投句の合評も、袋回し句会も、いつにも増して刺激的で楽しく豊かな時間でした。

月に一度の、この句会から、混迷の世界へ向けて渾身の愛の句が多産されますように!!今後ともよろしくお願いいたします。

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