2020年7月26日 (日)

第108回「海程香川」句会(2020.07.18)

ヨット.jpg

事前投句参加者の一句

                     
掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう 藤川 宏樹
祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ 島田 章平
提灯の火がぬめる褥(しとね)の沼 中村 セミ
ホームレス耐え難きを耐え崩れ落ち 田中アパート
竹落葉パントマイムのとめどなく 稲葉 千尋
ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴 野澤 隆夫
昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ 月野ぽぽな
舟虫群れる星占いを糧として 森本由美子
引っ越しにリヤカー借りる青蛙 増田 天志
ノースリーブに刺青がちらり漣す 滝澤 泰斗
ウイルスに悲鳴をあげて梅雨の魚 豊原 清明
一日の空白にゐて冷奴 小西 瞬夏
最初はグー後の人生七変化 寺町志津子
土砂降りの七夕の夜半徘徊す 石井 はな
田水もろていま青蛙生まれたよ 河田 清峰
沼島(ぬしま)よりポルカのリズム梅雨入りす 矢野千代子
父の背は鹹かった日韓の海つづく 若森 京子
意味求める辛い朝ですトマト切る 竹本  仰
母の遺影また笑ってら宵涼し 銀   次
まんのうと何度も言って青田風 松本 勇二
人恋うれば遠のいて行く霹靂神(はたたがみ) 小山やす子
一心に蝉木に語る心を語る 野口思づゑ
深々と逆さに落ちて梅雨の底 稲   暁
まだ過去の鏡見ている半夏生 藤田 乙女
あわあわと梅雨の昼月訃が届く 榎本 祐子
けじめつけにきてががんぼみて帰る 桂  凜火
夏の朝遠くに人を待たせたり 柴田 清子
描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ 三枝みずほ
考(ちち)の声夜店覗けばよみがえる 新野 祐子
葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな 野田 信章
梅雨空に俯く人のブーメラン 高木 水志
病みもせず静かに逝きし雲の峰 佐藤 仁美
太古より放蕩の血筋トマト熟む 十河 宣洋
父と娘の隙間ギャグ程に遠雷 中野 佑海
麦秋や県道を行くコンバイン 松本美智子
誰も存(い)ず光の縞柄とんぼ池 増田 暁子
ふるさとの風の重さよ栗の花 高橋美弥子
相棒って何向日葵のことですか 谷  孝江
卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり 大西 健司
止まり木に老人の影砂時計 田口  浩
光ギヤマンに屈折す沖縄忌 伊藤  幸
郭公がポトリ落とした喉仏 吉田 和恵
夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ 鈴木 幸江
一湾をさらりと舐めし夕立かな 松岡 早苗
オンライン夏休みは象見るんだ 夏谷 胡桃
青葡萄眠り足りない日の愛し 荒井まり子
水中花になつてしまふまでの雨 亀山祐美子
大雨や金魚に酸素欠乏す 菅原 春み
教わった通りに螢殺めおり 男波 弘志
ひそやかに白い夜明けを稲の花 小宮 豊和
雨蛙ぴょんと跳ねたり潦 田中 怜子
百足虫出た世界大戦重戦車 漆原 義典
コロナざれて無職省略的な居間 久保 智恵
せんせいの言の葉いちまい雨に濡れて 佐孝 石画
どくだみをたどって過去に行ける道 河野 志保
友の忌やベンチで食らう柏餅 重松 敬子
躁と鬱もみくちゃにして髪洗う 伏   兎
荒梅雨の夜や海底にゐる如し 高橋 晴子
少し猫背のかの花火師は風の王 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「止まり木に老人の影砂時計」実に地味で静かな句。そして無季。コロナ渦のなかかろうじて開けていた、地方都市のスナックの仄暗さを思う。ポツンといる老人の侘しさが沁みてくる。砂時計が侘しさをなおつのらせる。隣の「傘持たぬ親子三人工場街」こちらもよく似て地味で侘しくて無季。気にかかる句。「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」ゲームのキャラクターのよう、昭和の侘しさと対極。「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」引っ越しに「に」にこだわった。

十河 宣洋

特選句「梅雨の日曜母という名の潮騒(中野佑海)」潮騒の心地良さに浸っている。鬱陶しい梅雨。その日曜日、お母さんと一緒に過ごしている。時々出るお母さんの小言も潮騒のように心地いい。 特選句「提灯の火がぬめる褥の沼」褥の沼の取りようで句意が変りそうである。褥のような沼と取ると沼の広がりとそこに映る提灯の明りが作り出す夜の風景が見えてくる。褥が沼のようだと読むと、この句は急に色っぽいあやしい光を作り出す。どう読むかは、読み手の感性である。私は後者。 問題句「郭公がポトリ落した喉仏」郭公と喉仏の関係の意味が取れない。飛躍しすぎていないだろうか。

小西 瞬夏

特選句「トルソーの全き容夏の空(男波弘志)」手足のないトルソーが全き容であるという真理。頭をガーンと殴られた思いがした。足りないものについ目がいってしまうが、そうではなくてその存在そのものが完全で、すべてであるのだ。夏の空がひろびろと、この真理の大きさを受け止めている。

増田 天志

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」スト―リ―展開が、素晴らしい。老成の花火師は、風を読む。

藤川 宏樹

特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」用事を果たせずに帰ってくる日常のなんでもなくてありそうなことを、うまく言いえているなぁと感心しました。

森本由美子

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ」いまのカオテックともいえる日々の中で、青葉に心を託すひとときに救いを感じた。作者にとって描くとは瞑想することなのだろう。特選句「教わったとおりに蛍殺めおり」誰の心にも潜む弱者への無意識な殺意を巧みにとらえ一行詩としている。問題句「俳人は廃人なるや青芒(小宮豊和)」直感で詠んでいるのか、長い俳人生活の末に行き着いた想いなのか。

島田 章平

特選句「まだ過去の鏡見ている半夏生」烏柄杓の生える頃、まだ梅雨はあけず、じとじと暗い日が続きます。今年の様にコロナ禍に水害が重なるとやりきれません。私達が見ているのはいつも過去の鏡。未来を変えるのは今だと言う事に気が付かなければ。

松岡 早苗

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」:「肺」という即物的な表現が印象的で、ニセアカシアとの取り合わせもおもしろいと思いました。肺胞のようにぶら下がった白い花房の芳香が、昼下がりのけだるい空間を埋めていくようです。特選句「意味求める辛い朝ですトマト切る」:「三角関数勉強して何になるの?」「どうして学校に行かないといけないの?」与えられた価値観に反発したくなるやっかいな思春期。大人になるためにもがいている子どもに、親は黙ってご飯をつくるしかない。もう戻りたくもないし戻れもしないきらきらした思春期を思い出しました。問題句「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな(野田信章)」:「不知火海五月」という力強く勢いのある表現から、「いのちかな」へと一気に流れるリズムが、初夏の命のきらめきを見事に表現。佳句と思いながらも、「牡蠣」のもつ冬のイメージが邪魔をして、結局選びませんでした。頭が固いステレオタイプな自分自身への問題提起です。

松本 勇二

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」虚構ながら喉仏に存在感がありました。

滝澤 泰斗

特選句「号令はイヤ万緑の風が鳴る(三枝みずほ)」今月のナンバーワンの一句に選びました。一読した時の印象では、上五にやや引っ掛かりながらも、万緑の風が鳴るで、即、選びました。それは、私の心の中に「風が吹いたから」でした。バルト三国の一番北の国エストニアの第二の国歌と言われている「平和の子守歌」があります。その中の詩に・・・風が吹いている 私のこころの中に・・・ という、歌詞があります。一九八九年ソビエトからバルト三国は独立を果たしていきます。大きなうねりになったのは、三国2百万の人々はヴィリニウスからタリンまで手を繋いで「人間の鎖」を作り、ソビエトの圧政に抗議し、血を流すことなく、三国ともに独立を果たしました。歌による独立を成し遂げ、世界から称賛されました。その歌の冒頭に くらい闇の向こうから あの日見知らぬやつやってきて 美しい祖国悲しみに震え 寒い冬の時代乗り越えて と、付きます。そして、号令はイヤ に納得しました。昨今の香港の姿を見ると、余計にこの句が身に染みました。みんな何よりも、自由が欲しいのです。師も言いました。俳諧自由と・・・もう一つの特選は迷いに迷って「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」対峙の句は「掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう」甲乙つけがたし、髪洗うの季語で、まさにかみ一重・・・でも正直に言いますと、前者は実感できるが、後者はできない差とでも言おうか・・・ともに、見事な句で感心しました。後者の なう は、変化球でいう手元ですっと抜ける感じが絶妙でした。「一日の空白にゐて冷奴」空白にゐて は、一日の中でたまたま何もしない時間ができたのか、丸一日、何も予定がないのかと、いろいろ考えたが、カレンダーに何の予定の書き込みがない一日の空白が豆腐の白とを勝手に重ねて詠みました。「トルソーの全き容夏の空」夏の空に立ち上がる積乱雲。その積乱雲が青い空の部分をトルソに見立てた。あるいは、雲の形状そのものがトルソになったか。スケールの大きな句になりました。「山の田の太陽を踏み水すまし」小さな昆虫を題材にして、大きな句にしました。感心しきり・・・「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」年齢のギャップ、男と女のギャップ、駄洒落や笑いのツボなどギャップが雷の光と音のズレを生じているように、微妙にずれる感覚を上手に切り取りました。「光ギヤマンに屈折す沖縄忌」爆撃、銃撃、火炎放射器など銃器が発する光はいびつなガラスを通して屈折するように、記憶はストレートでありながら、認められない心情で屈折する。あんなに痛めつけられた沖縄に基地がある限り、戦後は終わっていないし、いわんや、屈折をや・・・「茣蓙で寝る浜の番屋や夏の月」出来すぎなほど美しい光景が想像できました。十七音の力を感じました。「人消えて青空群れている夏野」満蒙青少年義勇兵で、シベリア抑留を経験された熊本の画家・宮崎静夫さんの絵を思わせる句。死者の霊や面影が空一面を覆う。あの、喜怒哀楽を共にした兵はもとより、親兄弟も今はいないな寂しき夏野。

若森 京子

特選句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」父と娘の関係を上手にまとめている。親父ギャグもあり‶遠雷〟の措辞が微妙な関係を想像させる。特選句「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」八月が近づくとヒロシマの句が多く見られるが、‶俯瞰してみるヒロシマ〟次第に遠のいていく様にも思うが、‶卵生の夏〟の季語により、又リアルに我々に近づく様に思う。 

小山やす子

特選句「水中花になつてしまふまでの雨」九州初め全国の異常気象は私達を恐怖に陥れました。表現が詩的だと思いました。

高木 水志

特選句「相棒って何向日葵のことですか」話し言葉が詩的になっていると思う。思いつけそうで思いつかない。

中野 佑海

特選句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ」この異様な明るさは最早神掛かっているとしか考えられません。このノリでこの難局を乗り切って頂ければよろしいんではないでしょうか。 特選句「一日の空白にゐて冷奴」またこの白々とした静寂。まるでお茶をたてて喫しているかのような落ち着き。たった一皿の豆腐を食すという行為にもそれに集中する為の儀式があるかのように。 「成吉思汗メニューのなかに素麦飯」ジンギスカン料理は、羊の肉という、好悪の分かれるこのにおい。付けられるたれの味も羊の肉の個性に負けない突込みでこの上ご飯が肉とたれの個性をやん わり受け止める白米ではなく、負けじ魂満載の麦飯とは。果たして、私の胃袋はこの戦いに終止符を打つことができるのか。「麦茶炊く休校明けて空青く」麦茶の匂いは暑い夏空。それなのに近頃 の空は心張棒が抜けている。「ゆうやけこやけそれから僕らのホームタウン(増田暁子)」夕焼け小焼けが殊更良く似合うのが僕の生まれた町なのさ。って、浪花節だよ人生は。「一心に蝉木に語る心を語る」 自分の悩みを聞いて欲しくて、やっと土から這い上がって来ただなんて、そんな時間勿体なくないのか?大空を駆け巡ってそんな悩みは落っことしておいでよ。「まだ過去の鏡見ている半夏生」も う今年も半分すぎた。でもなお気になる過去を引きずっている。気が長いね。よく覚えていられるね。「水中花になってしまうまでの雨」この雨は地上を皆花に変えてしまうんです。ちょっと後ろ めたい心も。「不知火五月牡蠣立ち食いのいのちかな」昔はたくさんの牡蠣を惜しげもなくバクバク食べていた。不知火の海の汚染された海の今はどうなのか。命はそれでもなお続き、世界は美し い。「コロナざれて無職省略的な居間」ココロナウイルス禍で職もなくなり、どこにも行くところも買うことも無くなり、人との交わりも少なくなり、部屋の中もどんどん無機質になっていく。今 月もコロナ感染者の増加は一向に止まらず。どんな世界になっていくのかな?取り敢えずマスクです。

稲葉 千尋

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」こんな楽しい句をいただき嬉しいです。青蛙だから生きている。そして、リヤカーのなつかしさ、情景が見えます。「太古より放蕩の血筋トマト熟む」特選にしたかったが、「熟む」が「食む」だったら特選。

寺町志津子

特選句「孝の声夜店覗けばよみがえる」一読、父への思いがこみ上げてきた。子どもの頃、父が毎年必ず連れて行ってくれるお祭りがあった。郷里広島の三大祭りの一つである「とうかさん」。毎年六月の第一金曜日の夜から三日間、市の中心部にある日蓮宗「園隆寺」稲荷大明神のお祭りで(稲荷を「とうか」と音読み)、市の中央通りが歩行者天国となり、夜店がぎっしりと建ち並んだ。また、「とうかさん」は別名「浴衣祭り」とも言い、広島ではこの日から浴衣を着始める風習がある。父共々母手縫いの浴衣を着て、父と手をつなぎ覗いた電灯のついた夜店の数々。日頃超多忙な父とのひとときは無上に嬉しく、「海ほおずき」を買って貰えることも楽しみであった。揚句を一読して蘇った父との思い出。若き日の父の声が鮮やかに耳元に。私と同様の経験、思いを抱かれている作者、俳句の力に共感と感謝の思いでいる。

桂  凜火

特選句「騙し絵のそこは肉筆さくらんぼ(伏兎)」どうして「そこは肉筆」なんだろうという疑問がこの騙し絵をリアルなものにしていて、しかも「さくらんぼ」ですから騙されてもいいという気分になります。特選句「相棒って何向日葵のことですか」怒っていますね。でも怒り方がやさしい向日葵のことですかなんて問いかけられたら素敵ですね。ユーモラスでかわいい問いかけがすきでした。

夏谷 胡桃

特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」友の墓に柏餅を持っていったのかしら。いま、お墓に食べ物置いて行ってはだめなので、持ち帰りベンチで食らいつく。友は死に自分は腹が減る。腹が減るのが生きるということ。俺はどこまでも生きてやる、とは言ってないけど、死と生の景色が見えました。

佐藤 仁美

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」いつも笑っている、明るいお母様だったのでしょう。「また笑ってら」が、楽しい思い出と、亡くなってしまった寂しさ悔しさと、複雑な気持ちを現していて、心にじいんと届きました。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」幼い時に庭のドクダミを見て、近寄りがたかった感覚を思い出しました。生け垣の下、少し暗い所にたくさん生えていたドクダミ。その奥に入れば、過去に戻れるんじゃないか…。「たどって」が味わい深いです。

佐孝 石画

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合せつつ」滅入ることも多い日々の暮らしから少し脇道へと足を踏み入れた時の1シーン。ふと見上げるとまばゆい「青葉」。葉裏に日の光を透過し、あたかもしばらく会っていなかった幼年時代の友のはずんだ話し声のように、まなうらを光のベールが包む。ふたたび眼を開き、光を辿り葉を辿り、そのまばゆさを追いかける。そして「呼吸」を胸の内の鈍色のキャンバスに「描いてゆく」。僕もかつて「葉脈のせせらぎに沿い午後の空想」という句を作った。木を葉を下から見上げるという行為は、もしかしたら木々の内部(胎内)から空を見上げる密やかな祈りの光景なのかもしれない。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」この句については語るべき言葉が見つからない。THE俳句。以下はこちらの蛇足である。友の忌」と「柏餅」、そして「ベンチで食らう」という行為が並べられているだけで圧倒的臨場感を読み手にもたらす。俳句は叙述ではないということを、一本の俳句で証明してくれているかのようだ。あえてこの句のニュアンスについて述べると、「柏餅」や「ベンチ」のもつ日常浮遊感と、「友の忌」に対する作者の違和感との親和がもたらした心象風景。「柏餅」は青々とした葉で真白い餅を包むが、その葉自体は食用ではなくただの装飾、香りづけでしかない。ただ、その素朴な風貌に対し、手にした時のその重量感、存在感は口にすることをややためらうほどの緊張感をもたらす。そんな違和感覚と友の死をまだ受け入れきれていない作者の心情が結び合う。公園のベンチで「食らう」のは「餅」でもあり「友」でもあり、友と過ごした日々の感触を忘れはじめているもう一人の「わたし」なのかもしれない。

増田 暁子

特選句「一湾をさらりと舐めし夕立かな」大きな景の句で、中5の舐めしがとても良いと思います。夕焼けが綺麗です。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」むかし共と一緒に食べた柏餅、子供の頃の思い出でしょうか。二人の顔が見えるようです。

田中 怜子

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」とおしむ気持ちが伝わるのと、田んぼにいる小さな生き物への優しさが伝わってくるすがすがしいところがいいです。うらやましいですね。

河田 清峰

特選句「病みもせず静かに逝きし雲の峰」こうありたいものだなあと思う。

高橋美弥子

特選句「ひそやかに白い夜明けを稲の花」稲の花がよく描けていると思いました。夜明け「を」としたところ、助詞の使い方がお上手と思います。問題句 「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな」調べがブツブツと切れているのですこしわかりにくい。「不知火」だけで季語になるのだが、あえて不知火海と書いて「しらぬい」と読ませる意図はどこにあったのでしょうか。

矢野千代子

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」リヤカーとはなつかしい。身近な運搬手段ですもの。「梅雨寒や競馬新聞丸められ」リアルな景です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」何気ない景ですが、焦点が合っていますね。「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」五月蠅がよく合っています。「麦秋や県道を行くコンバイン」県道もいろいろです。「郭公がポトリ落とした喉仏」カッコーの声が聞こえそう。「夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ」夏痩の奥さまへの何よりの一句。「白靴より砂の零るる独語かな」独語がすてきです。「不知火(しらぬい)五月牡蠣立ち食いのいのちかな」‶いのち〟の重さー。

谷  孝江

特選句「教わった通りに螢殺めおり」私の幼なかった頃はたくさんの螢が夜のくらがりの中でそれこそ乱舞していました。何匹かの螢を捕まえて戻り、それを蚊帳の上へ放ち眠ったものです。朝見ると捕まえてきた螢は全部死んでいました。可哀想と思いながらも度々同じことを繰り返していたものです。教わった遠りに捕まえてきて死なせていたのですね。遠い昔に心が痛みます。

鈴木 幸江

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」我が家も仏間に亡き義父母、亡父、そして、師の写真を並べている。しかし、微笑んでいるのは義母のみ。きっと、素敵な笑顔のお写真なのだろう。ぶっきら棒は、物言いにお互いの深い愛情が滲み出ている。宵の涼しさにホッとするほど、日中は暑かったのだ。自然現象と日常の人間関係が溶け合い、そして、愛の世界が浮き彫りになった。特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」心理学では、睡眠を取らない状況を人為的につくり、脳と精神にどのような影響を与えるかという実験が行われている。すると、幻覚、幻聴、精神の病を起こすそうだ。私も睡眠の大切さは身に染みていて、刺激の強すぎる環境は避けて暮らしているのだが、ふと、眠れない夜がある。でも、この頃は、それも味わい深い“いのち”の声として受け止めることができるようになった。作者はそのような心情を“青葡萄”の瑞々しさと香りを味わうように過ごしているのだ。焦りのない素敵な時間が流れている。これからも、このようなゆったりとした心で過ごされることを願わずにはいられない。問題句評「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」まず、“卵生の夏”の措辞に感心した。創造性たっぷり。かつ、三鬼の名句も浮かんでくる。詩的世界の持つ融合の妙が新しい世界を生む可能性を感受させてくれている。卵で生まれてくるという飛躍感。ヒロシマ(原爆体験)に人間の愚かさへの確信をみる。卵から“俯瞰”を鳥の視線と解釈させ、コロナ禍に反省を迫られている人類の今に繋がる。“俯瞰”からは、AIの存在も浮かんでくる。かなり、独断的な感想と思うので問題句にさせていただいた。✓した句:「まだ過去の鏡みている半夏生」「郭公がポトリと落とした喉仏」「人消えて青空群れてる夏野」「教わった通りに螢殺めおり」「夏帽子頷くたびに夕触れる」「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」

榎本 祐子

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」猫背、花火師という物語性。そして実は風の王であるという。この展開が面白くてワクワクする。

伊藤  幸

特選句「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」葬後の森というからには火葬後と思われる。親族を火葬場で見送り、ふと森に目をやると蠅が群がっていた。いつもなら不快に感じるのであるが、今日はやけにあの蠅の手足でさえも愛おしい。作者の愛する親族を失ったやりきれない寂しさが伝わってくる。

菅原 春み

特選句「一切を呑む大落下大瀑布(田口 浩)」大瀑布のダイナミックさが無駄のないことばで詠まれていて感激です。那智の滝を思い出しました。特選句「白靴より砂の零るる独語かな(小西瞬夏)」砂浜か砂丘を歩いている老人の独語だろうか、景色が見えるようです。

野口思づゑ

特選句「最初はグー後の人生七変化」誰かの言葉に、生まれる時は誰も皆同じ・・・とありましたがそれを最初はグーと上五に置き、その後の様々な人生を、土で色が違う紫陽花で表した、季語が巧みに使われた句だと感心。特選句「けじめつけに来てががんぼみて帰る」相手に決着をつけるつもりだったのにふっとそれほどの相手でないと気持ちの整理がついたのか、自分が独り相撲を取っていたのであってたいしたことはないと知ったのか、そんな拍子抜けしたような気持ちがががんぼでよく表現されていると思った。

野澤 隆夫

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」夏真っ只中の若い人、やはり女の人を想像します。漣が効いてます。もう一つ。特選句「沼島よりポルカのリズム梅雨入りす」おのころ島からポルカに乗って梅雨入りの発想が面白い!

吉田 和恵

特選句「梅雨寒や競馬新聞丸められ(大西健司)」競馬やイギリス貴族の趣向で始まったと言われますが、ギャンブルの魔力は仲々のもののようで、丸められた競馬新聞はどこか哀しい。一方,往年の裕ちゃんファン。「裕次郎(ゆう)ちゃんの声かと白いハンカチを」の白いハンカチはかわゆくて可笑しい。

石井 はな

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみは子供の頃から身近にありました。その香りは独特で印象的です。香りは記憶を刺激して過去への道に誘ってくれます。どくだみに導かれて過去への道を見つけたのですね。

月野ぽぽな

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」ノースリーブにちらり、ということは、しっかりと見えているのではなく、その人の腕や首筋が動くと辛うじて見える微妙な位置に刺青があるのだろうか。健康的にエロスが適度な私情を持って描かれ気持ち良い。

三枝みずほ

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」日が暮れて風が通るころふと母を感じる。人が持っている明るい哀愁に胸を打つ。問題句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」"ギャグ程に遠雷"が表現方法としてどうなのか。だがこの表現方法が面白かった。父と娘の隙間だからこそギャグ程にが活きてくるのだろう。

漆原 義典

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」私の家の近くでも郭公がよく鳴きます。郭公の鳴き声の威勢の良さ天真爛漫さに、いつも元気をもらっています。中7下5のポトリ落とした喉仏は情景を大変良く表現していると思います。ちょっととぼけた表現に作者の観察力の鋭さが感じ取れます。素晴らしい句をありがとうございました。

中村 セミ

特選句「トルソーの全き容夏の空」トルソーは、頭や手足のない胴体だけの彫像(マネキンで胴体だけのもの)。それが店先で服を着ていたり、そのままだったり、置いてあったりするが、夏の空の下で夏と一体となって過ごしているように思う。全き容が、いいたい事だろうと思うし、ここが不思議な感じがして面白い

亀山祐美子

特選句『まだ過去の鏡見ている半夏生』『どくだみをたどって過去に行ける道』二句とも「過去」を懐かしむ。過去があって今がある。当たり前だが、人生の後半に来たからこその振り返り。がむしゃらにつき進んだ歳月を懐かしむ気にさせたのは荒い雨の音なのか、身を包む湿気のせいなのか。雨音は後を振り向かせる音なのかも知れない。コロナ禍。豪雨禍。お見舞い申し上げます。まだまだ気が抜けません。皆様ご自愛くださいませ。句評楽しみにしております。

竹本  仰

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」ニセアカシアは昼過ぎもいいですが、夕景の中にあってももいいですね。あの大仰な樹の揺れと、おずおずとした白い花。何というか、青春をつらぬく揺れとでも申しましょうか。昔、西郷輝彦に『星のフラメンコ』という名歌があり、「?好きなんだけど 離れてるのさ」の一節を思い出しました。そして、そのニセアカシアの疲れは甘く、その渋く苦い甘さも青春で、またよい。そんな風に味わいました。特選句「葬後の森の五月蠅親しき手足かな」この森は土葬なんでしょうか?そう取りました。小生の家の近くにも土葬の森があります。そこの草木の育ち方は芸術的です。ハーモニーがありながら凄まじく、雨の夜などその横を通りすぎた部外者は、何だこの森?と一様に思うようです。火葬のあっけなさに比べ、何かすり寄って来るその気配。養老孟司氏はヨーロッパの土葬の墓地に解剖教室にもあった死者の懐かしい匂いを嗅いだと言っていました。死者がそこにある感覚、そんな大事な文化を我々は失いつつあります。コロナに勝つ、も大事ですが、向こうに逝った人々もまた大切ですよね。特選句「ふるさとの風の重さよ栗の花」青春が束ねられている、そう思いました。栗の花のあの悩ましい匂い、そのルーツはつねに故郷に向かいます。我々のこころの故郷ですが、そこに帰らなければ今の自分はないという、そんなどうしようもなさ。でも、その風の中に身を浸してみることがもっとも大事と作者は言っているように感じました。特選句「教わった通りに蛍殺めおり」現代を風刺しているように受け取りました。M※問題が今、その遺された妻の証言で浮上していますが、政治的な問題は二の次にして、人間を何の深げもなく圧殺してゆく、この恒例が我々の傍にいつもあるということは紛れもないことです。善人には悪人が見えないが、悪人にはすべて見えている、というその構造を思い出します。たやすく学校にも職場にもその政治性は浸透して来ます。その政治性のふくむ惨たらしい現実をこそ問題としなければ、とふと勘違いも甚だしく感じた句でありました。

わが寺院の池もひと月前には、朝のうち睡蓮が見事に咲いていましたが、今は鯉が、昔からのが三尾、近所の方が川でみつけた大きいのが一尾、妻が徳島で買った小さいのが一尾、水面をうねらせて元気よく泳いでいます。コロナ禍の中、日々すみやかに過ぎてきましたが、鯉の餌やりの後に「ああぁぁぁ」というあくび一声をあげ、生きているのを実感しています。寺院は年中自粛だなあ、とふと。そうなんです、その感覚で生きている一族の端くれなんですね。まあ、いいか、これも、これで楽しいし。みなさまも、自粛生活ですね、お元気で。また、来月もお願いいたします。

荒井まり子

特選句「ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴」晴れ間の笑に遠くは小松左京の日本沈没の翳りを感じられたか。問題句「雨音も嘘も流れる雲も激情(佐孝石画)」三つのもの畳み掛け。二つ目の嘘に効果あり

銀    次

今月の誤読●「太古より放蕩の血筋トマト熟む」ここに一枚の写真がある。着流し姿のジさまと、その膝に抱かれた四、五歳の頑是ない子(わたし)がいる。お互いに同じ写真を見つめてる。なにげないひなたぼっこ、そう見える。だがその会話はなんともおぞましいものだった。おぼろげに憶えている。こんなふうだった。「どや、ええやろ。ワシのオナゴや。京都の芸子や。ええオナゴやで」。当時はなんとも思わなかったが、いまにして思えばサイテーのクソじじいだ。オレのジさまは女狂いの果てにのたれ死んだ。一時は村で一、二を争う大地主で、干物や乾物でも村一番のなんの何某という名の知れた店を切り盛りしていた。晩年、最後に会ったのは安アパートの一室で、立てかけた三味線を取り出して「これ、ええ音すんねん」と端唄だか小唄だかを唄ってみせた。それっきりだった。恥のさらしついでにオヤジの話もしておこう。オヤジは一言でいえば青白い男だった。笑うことのない男だった。だがそのぶん実直で、陰気だがまず間違いのない男だと衆目の一致するところだった。クリーニング店を営んでいたが、三軒ほどの支店を出して、まずまず親戚のおぼえも目出度かった。だがその男が狂った。競馬に入れあげたのだ。惚れたのはタオバジョーという牝馬だ。バカオヤジはビギナーズラックで勝っただけなのにそのメスに運命を感じたのか、宇治や京都にまで足を伸ばしてその馬券を買いまくった。むろん負け続けた。支店ははがれるように銀行に持ってかれるし、オヤジは弟子筋の店で雇ってもらってアイロンがけしていた。おふくろはとっとと別れて飲み屋の店を開き、それなりに成功していた。さてさてさて、放蕩三代。おあとに控えしはあたしでござんすが、どう考えてもつまんねえ。俗に飲ム、打ツ、買ウ、と申しますが、あたしゃその程度のニンゲンでござんす。飲ム、はい飲みます。でも死なない程度にね。打ツ、はいバクチは大好きでござんす。でも命ギリギリは賭けたことがねえ。血で血を洗うような勝負をしたことがねえ。外国のカジノにもよく出入りしますが、まあ大した勝負はしてません。買ウですか、これは最初に童貞を捨てたのが売春婦でして、その女と二年ほど恋人関係がつづきました。まあ、ひととおりのことはしましたが、わたしのはジさまやオヤジのような気迫がなかった、滾る血がなかった、破滅への覚悟がなかった。それを良しとも否ともいえない。ただこれだけはいえる。オレの右手には芯まで熟したはちきれんばかりのトマトがある。いつ握り潰してもいいんだぜ。

新野 祐子

特選句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」年毎に脅威を増す水禍、どうすれば防ぐことができるのでしょうか。新しい疫病と自然災害は、これからの世界において最も深刻な問題です。俳句もこの現実を無視しては作れないでしょう。この句はずしりと胸に迫りました。入選句「七夕の星も水魔にさらわれて」「水中花になってしまふまでの雨」特選句と同様の感慨です。二句とも不安感を「もの」に託して詠み、詩に昇華させているなと思いました。

河野 志保

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」 作者の温かい眼差しを感じる句。誕生の姿が生き生き伝わる。「田水もろて」に自然の中での命の結び付きも思った。

田口  浩

特選句「一日の空白にゐて冷奴」独言である。たとえば「空白」と言うことばを得て作句を試みるとき、季語の中から「冷奴」を選んだとする。この時点で「空白」に対して「冷奴」がどのような働きをするのか、作者はおおよそ見えているものである。上五の「一日の」は季語が決まったとき案外労せずに出たのではないかと思う。作者がこの句に対して腸を絞ったのは「にゐて」の三字だったのではないだろうか。肩の力が抜けたとき、すうと降りて来た授かりもののような「にゐて」はそれほどにいい。その上で「冷奴」が懐かしく一句を決めている。―あと次のような句がこころに残った。「郭公がポトリ落した喉仏」托卵を思って?喉仏〟がおもしろい。「オンライン夏休みは象見るんだ」:「象を」でないところが味。後の絵日記が見えてくる。「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」躁鬱を詠み切って爽快。「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」:「茗荷の子」いいですねぇ。

男波 弘志

「ひまわりのひと頃よりの憂ひかな」この表現に至りつくまでの修練が思われます。歩いて来た来し方が観えています。秀作です。「意味求める辛い朝ですトマト切る」‶です〟、の肉声が刃に沁みている。ふと、岩に沁みいる蝉の声 が浮かんだ。秀作です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」‶けじめつけに〟と ‶ががんぼ〟巫山戯ているのか?そうではない。風狂、俳諧、そこには死に物狂いの笑いがある。秀作です。「ゆっくりと夏山に気後れしたり」この距離感、夏山の擬人化だろうか。自我が脱落している。秀作です。

高橋 晴子

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」青葡萄の清涼感が効いて、寝不足の妙な感覚を生かしていて共感する。問題句「蛇衣を脱ぐはま新な明日のため」自分の思いをまっさらな気分になったと、両者を響きあわせればいい句になる。兜太は季語や定型を身につけた上での自由律だからリズム感がある。

豊原 清明

問題句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバディ」勢いで一気に書いたように思える。一気にばっと書いているような印象。それがとても良い。好きな一句。特選句「終焉ってこんな色かも夕焼け小焼け(重松敬子)」夕焼け小焼けに終焉の街を見ている瞳。好きな一句。

野田 信章

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」の句は、若さ故の「眠り足りない日」かと多分に回顧的にも読めるところだが、そこには充実感のある日常の一コマとしての時間の確かな把握がある。これも「青葡萄」の物象感あってのことかと読まされる。

伏    兎

特選句「一日の空白にゐて冷奴」生きていることが実感できない環境を生きているのだろうか。漠然と一日を漂っているような作者の心象がひしひしと伝わってくる。特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」前半の切羽詰まった様子と、後半のとぼけた雰囲気のミスマッチが面白い。覚悟してやって来たものの、何も言えずに帰ってきた自らを、焦れったく思っているのかもしれない。入選句「深々と逆さに落ちて梅雨の底」「水中花になってしまふまでの雨」これでもか、これでもかと降り続ける昨今の豪雨がみごとに捉えられ、共感した。

柴田 清子

特選句「一日の空白にゐて冷奴」自分が気付いている空白、それとも気付いていない空白もあるが、冷奴のあの感触でもってさらりと日常の断面に触れている。特選句「母の遺影まだ笑ってら宵涼し」遺影に向っての、つぶやきの笑ってらの『ら』ぶ母からの愛、母への心情が溢れている。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみの花なら人生の喜怒哀楽の全てを受け入れてくれる花と思う。どくだみの花をたどってタイムスリップするなんて、巧みな心引きつける句ですね。

小宮 豊和

「我と来て空に消される夏の蝶」句全体のリズムがどこかなつかしいのは一茶のおかげ。でもリズムがなつかしいのと良い句であるのとは無関係、いや決してプラスには働かない。「我と来て空に消えゆく友の夢」他もやってみたが大同小異だった。手直しもいまのところ失敗。

稲    暁

特選句「教わった通りに螢殺めおり」素材は「螢」だが、読者の思いはそこに止まらない。人生の喩として読ませる迫力を持つ作品だと思う。問題句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」まさに「梅雨の底」にいる感じ。よく分かるが、欲を言えばもうひとひねり欲しい気もする。

松本美智子

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」:「どくだみ」の花や葉の形はとても不思議な魔力を持っているように思います。どくだみの茂る道をたどっていくと過去の自分に会いに行けるようなそんな気がしてきます。

野﨑 憲子

特選句&問題句「夏の朝遠くに人を待たせたり」凝縮した心情表現に圧倒された。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

空蟬
空蝉やぞめきの中の水平線
野﨑 憲子
空蝉のなかはひかりだったと子は
三枝みずほ
校庭の蟬のぬけがらひと並べ
松本美智子
空蟬や刹那の刹は殺のよう
藤川 宏樹
空蝉やしっかり溜めた野望あり
中野 佑海
振子をとめて空蟬と共にゐる
野﨑 憲子
空蟬のゾンビと化して徘徊す
島田 章平
空蝉や仮寝の宿に月明り
銀   次
空蝉を脱ぎて空蝉裸ん坊
野澤 隆夫
藪蘭
ヤブランの風吹くすこしやさしい顔
三枝みずほ
母性のように藪蘭に日暮あり
田口  浩
藪蘭や分かりあえずに別れた日
松本美智子
藪蘭の咲いてためらひ傷疼く
島田 章平
藪蘭や正座ができて正坐する
鈴木 幸江
句会場藪蘭またぎバッタ跳ぶ
野澤 隆夫
身を守る物総て重荷に藪蘭に
中野 佑海
プチトマト
マドンナの瞼垂れたりプチトマト
藤川 宏樹
たくさんの失敗があるプチトマト
三枝みずほ
机上にあってプチトマトとか訃のはがき
田口  浩
ご自由にお持ちくださいプチトマト
鈴木 幸江
戦前という今プチトマト未熟
島田 章平
しなやかに自転車漕ぐ娘プチトマト
野澤 隆夫
オロナミン
梅雨に倦(う)みコロナに倦みてオロナミン
野澤 隆夫
異文化や犬のお礼のオロナミン
鈴木 幸江
オロナミン王長嶋は生きている
銀   次
どんな時も楽しむんだよオロナミンC
野﨑 憲子
自由題
夏の海へとまっすぐの線をひく
三枝みずほ
道ならぬ恋の終りや女滝
島田 章平
気兼ね無く仲間と集う芋の露
中野 佑海
ようやくに一歩踏み出す夏日向
銀   次
母を見る見捨てる天の蟻地獄
田口  浩
色づきた隣で枯れる濃紫陽花
松本美智子
銀漢や銀の男でいいですか
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ禍の中、サンポートホール高松の和室にて7月句会を開催しました。参加者は、9名でしたが、30畳の広さの会場でゆったりと熱い句会を開くことができました。

後半の袋回し句会では、鈴木幸江さんが持ってきてくださったプチトマトも兼題に上がり佳句が量産されました。来月は、お盆と重なる為、一週間遅れの開催となります。

2020年6月26日 (金)

第107回「海程香川」句会(2020.06.20)

紅白の蓮の花.jpg

事前投句参加者の一句

                      
手を振れば白詰草の斜面かな 河野 志保
三密も壇蜜もパレットの朱色 大西 健司
蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり 中村 セミ
夏に入る余計なものはみな捨てて 銀   次
人食つた水母やヒトの食つておる 藤川 宏樹
朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル 島田 章平
鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る 十河 宣洋
だるま食堂紫陽花咲いたら開きます 中野 佑海
狼に新型蛍テロルかな 田中アパート
触れてきて触れられてきて野の茨 谷  孝江
老人と悲しい蛇に呼ばれたり 田口  浩
中村哲の轍ゆきけり蟻の列 桂  凜火
すべりひゆ母を遠野に置きしまま 小西 瞬夏
飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ 伊藤  幸
母と毒読みまちがえる桜桃忌 新野 祐子
ちっぽけな自分が好きで青葡萄 小山やす子
一人でも生きてゆけます蘇鉄咲く 石井 はな
田水沸く皆んなそろっていた頃の 松本 勇二
赤ちんに武勇のあまた紙兜 伏   兎
堰切って埋まる六月予定表 野口思づゑ
家中の鏡を覗く緑の夜 榎本 祐子
夏うぐいす変ロ長調の恋唄よ 漆原 義典
自主規制青唐辛子とじゃこを煮る 荒井まり子
拉致の子の父の無念や夏の月 藤田 乙女
五月闇寄る辺なき街動き出す 松本美智子
目玉焼きのように睨んで梅雨の月 小宮 豊和
時鳥町内行事予定表 亀山祐美子
生きるとは息をすること緑濃し 高橋 晴子
徒(いたずら)に青梅打つや俄雨(にわかあめ) 佐藤 仁美
長生きの母に提げゆく初鰹 稲葉 千尋
緊急事態宣言解除冷奴 高橋美弥子
雨蛍牛飼い二代目の蓬髪 野田 信章
竹落葉己が自由になるために 増田 暁子
かき氷ふたつの山を崩す匙 豊原 清明
夏椿剪る亡き母の誕生日 菅原 春み
玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす 鈴木 幸江
蚊柱の向こうの妻が見えません 佐孝 石画
梅雨空に孫が小さく立っていた 滝澤 泰斗
六月の赤ん坊ふるふる水の星 吉田 和恵
熱兆すときの体感合歓の花 月野ぽぽな
木洩れ日は緑に揺れる紙芝居 増田 天志
一蝉となり一空海の海となり 竹本  仰
麦秋を回収車来て積み残す 松岡 早苗
「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり 寺町志津子
老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり 矢野千代子
給付金届かぬままに梅雨に入る 稲   暁
青嵐父の青シャツ小さかり 河田 清峰
新緑を沁み込ませたや母の膝 久保 智恵
桜桃忌無人の対向電車過ぐ 重松 敬子
髪洗う沖の昏さを知っていて 男波 弘志
笹の花かえる家ないひゃくねん後 夏谷 胡桃
アスパラガス我が余世の青い旋律 若森 京子
掌にほっこり茶碗葛櫻 田中 怜子
六月のマスク古ぼけたピカソ 高木 水志
鴉めが猫を威嚇す麦の秋 野澤 隆夫
ハンカチが白いもう空をわすれそう 三枝みずほ
言いたい事いっぱいあるよね葱坊主 柴田 清子
大螢縄文色の空耳よ 野﨑 憲子

句会の窓

滝澤 泰斗

特選句「中村哲の轍ゆきけり蟻の列」中村医師の追悼句。葬送の悲しく切ない景が見えていただきました。特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まず、リズムがいい。朝昼晩の持ってきた動物のバリエーションと雰囲気がぴったり。それでも、最後が少し働く日本人を思わせるホタルの取り合わせの妙。関心しました。問題句「一蝉となり一空海の海となり」説明しきれない句の力を感じつつ、大変気になる一句として問題句にしました。「方丈記拾い読みして梅雨に入る(高橋晴子)」「天清和コロナ一息「論語」読む(野澤隆夫) 」「カミユ読む鉄片のごと夏落葉(重松敬子)」この三句には共通して本が出てくるところ。昨今の外出自粛の社会の相が詠まれて現代俳句ならではと思い、いただきました。「赤ちんに武勇のあまた紙兜 」今ではこんな景はないと思うが、昭和の戦後の、まさに、我の昭和の景に親父、お袋が見えました。「老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり」肥後守は祖父から教わった言葉であり、祖父が使っていたものを小学校時代に形見のような形で譲ってもらった記憶に結びつきました。「髪洗う沖の昏さを知っていて」沖の昏さとは?そして、その昏さを知りながら髪の毛を洗う行為とは?その意味で「一蝉となり一空海の海となり」に通じる不思議な魅力を感じました。

十河 宣洋

特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」野ばらに触れてきたと軽く読めばそれでいい。デイトの後の楽しい中の少し現実的な話になにか心に残るものもあると言ったところ。 もう一つは、噂話などの触れたくない話と言うこともある。色々に読めて楽しい。特選句「一蝉となり一空海の海となり」無我の時間。蝉となって鳴いている。空海の教えの中の一宗徒となって無心に鳴いているのである。

榎本 祐子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野。自然界の神々、異界の者たちと人間が交じり合うその地。自身をこの世に有らしめてくれた母は遠野という原郷に在り、時空を超え繋がっている。素朴な「すべりひゆ」も象徴的。

小山やす子

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う(若森京子)」夕べに開き朝萎んでしまう夕顔当たり前なのにコロナ騒動の今優雅な花は国の行く末を暗示するかに…。いいと思います。 本文

小西瞬夏

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」:「覗く」という動詞が効いている。しかも「家中」である。何を見ようとしているのか。または見たくないのか。「家」という社会においての最小の単位。その中で繰り広げられるできごとをいろいろと想像してみる。そして、結局は映っているのはありのままの自分であることに気付くのだ。

増田 天志

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の樹木に囲まれる洋館は、夜更けも、緑の闇と静寂に満たされる。幻想的かつ絵画的な作品。

豊原 清明

問題句「狼に新型蛍テロルかな」金子兜太先生の名句のもじりと思われる。「テロルかな」は実に怖い。現実に起こっていることだから、仕方ないが。特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」現代の実感と思う。「触れてきて触れられてきて」にそれが出来なくなった、ウィズ・コロナという社会批評か。「野の茨」が良い。

田中アパート

特選句「いらしてね虞美人草という店よ」こんなこと一夜は言われてみたい。

夏谷 胡桃

特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」六月はいちばん好きな月です。山法師に野ばら、紫陽花など好きな花が次々咲きます。水を含んだ緑がきれいです。ようこそ地球へ。子どもたちが生き生きと育つようにと願うしかありません。「ふるふる」が赤ん坊の動きと姿、水をたたえた星を融合させて良かったと思いました。問題句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まるで私ではないか、と思ったのです。

矢野千代子

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」:「田水沸く」から老若男女が元気に声をかけ合う、そんなエネルギッシュな活力ある人々の姿が彷彿とうかんで思わず笑みがこぼれました。

高木 水志

特選句「葉にふれる風よはなればなれです(三枝みずほ)」新しい葉っぱの生命力が感じられる。

佐孝 石画

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」難解な句だ。読みもぶれると思う。しかし何故か惹かれる。読みとしては、①蛇と作者が対峙した状態で、蛇から作者が「老人」という嘲りの言葉を直接浴びせられているという情景と、②「と」という語が並列(立)の作用をして、老人と蛇と両方に作者が何かしら「呼ばれ」ているという風景の二通りの解釈に落ち着くと思われる。①②の解釈には大きな隔たりがあり、誤読を誘うという点では失敗作と言われても仕方ない句ではある。僕が強く惹かれたのは「呼ばれたり」という幻想、妄想だ。作者は実際「呼ばれたり」などしていない。おそらく出会っただけなのだ。この「出会い」というごくありふれた事実を、「呼ばれたり」という音声を伴う聴覚への刺激に変換し、出会いの一瞬のニュアンスを「呼ばれたり」と言語化肉声化することで、読み手は、日常に転がるさまざまな「出会い」が、実は不可思議な化学反応であると説得させられるのである。「出会いとは呼ばれることなのだ」と強引に納得してしまうのである。僕はこの作品を一読後、②の解釈でしか受け止めなかったし、老人と蛇とに呼ばれているだけの方が深いなと思っているのだが、ひょっとしたら、この解釈は決定的に少数派かも知れない。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」僕は社会(批評)性のある句は読みも詠みも何故か避けてしまうきらいがある。それは俳句は「呟き」だと思っているからかもしれない。言葉とも言えない溜息なようなものが、身に纏う外気と縺れ合いながら混然となり、沈殿していく風景。その混濁した情念のようなものが、まばゆい日常の風景とシンクロし、一紡ぎの言葉となっていく。俳句の短さは自らの内部を見つめるひとびとの溜息の容量と親和している気がする。そんな「呟き」に対して、社会(批評)性とは、外に向けられた「叫び」のような気がして、少し身を引いてしまうのだろう。この句に惹かれたのは、「ハンカチが白い」という再発見した事実と「もう空を忘れそう」という直感との溶け合いに日常感覚がある点だ。もう少し踏み込んで言うと「日常漂泊感」。

 金子先生の言う「定住漂泊」とは、その風景が日常から染み出てこそ共振する世界だと思っている。この句の世界の向こうには「コロナ」による物質的精神的にも閉じ込められた閉塞感にも繋がっているように思うのだが、僕がこの句を評価するのは、「コロナ」のような社会現象を取り払っても、読み手の様々な人生の1シーンと寄り添う親和性にある。強く言えば、一面的になりやすい、よそ行き・はったりの俳句にはない、普遍性、永遠性がここにはあるということ。

若森 京子

特選句「サーカスの青水無月の無観客(男波弘志)」コロナで無観客の多い中、この一句は透明感があり、何か幻のサーカスの様な虚しい美しさがある。特選句「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」やはりコロナからくる無人の対向電車を思うが、太宰治の忌と響き合ってそこからストーリーが拡がってゆく様で惹かれた。

竹本  仰

自句自解「一蝉となり一空海の海となり」この自句についてですが、簡単に言えば自画像でしょうか。十年前、高野山で修行に入った時、三十代後半の同じ行者(修行中の僧はそう呼ぶ決まり)で、名古屋から来たA氏に出会いました。彼はちょうどその一年前に結婚し、妻子を家に残しての行者となりました。元々、寺院とは関係なく大工仕事に専念していたようですが、何となく拝むのが好きであったようです。そのお父さんが癌で余命一か月となった時、お願いだから私の死ぬ前にお見合いを一つしてくれんかと頼まれ、渋々とにかくお相手と会ったようです。その時、彼は正直に、父の最期のお願いで来ました、父が死んだら、徒歩で四国参りをしてお坊さんになるつもりですと話したそうです。その相手の方も納得して、そう、もし、うまく四国参りをやり遂げたら、また会いましょうと。その後、お父さんが亡くなり、当初の予定通り、四国遍路を四十五日間歩き詰めで終えたそうです。まあ、そのお相手に電話しようかと連絡すると、あんた、まだ生きとったん?と。何となく、この人はどこかで死ぬんではないかと予感したようでした。その後、とんとんと話が進み、結婚したという事でした。で、そのAさんの拝み方が、実に印象的で、ひと言でいえば、人間じゃない、蝉だ、と思いました。多分、私自身、高野山の修行で、これだけは忘れられないと思います。その後十年経ったいま、ああ、おれも蝉になったな、と思うことがしばしばあり、どこへ向かっているのだと問いかけると、あの海鳴りの絶えない室戸岬が思われてならず、ああ、空海の海に向かっているような気がすると、そういう感懐でしょうか。まあ、長い解説となりましたが、初案は「一山となり切って一法師蝉」でしたが、これは美化しているなと自省し、この句となりました。以上です。→問題句としても興味深く、自句自解をお願いしました。

稲葉 千尋

特選句「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」ほんとうにそうですね。言いたい事はいっぱいある。政治、職場、妻にも、でも本当の事を言うとそれで終り、だから適当にやってます。

藤川 宏樹

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」強い日差しの下、皆んなで田植えしたのでしょう。私には田植えの経験がないが、新しい物好きの父が一早く買ったテレビ。相撲、プロレス、野球を近所の人皆んな集まり、夜は電気を消して見たのを思い起こした。このコロナ禍、人の熱がより強く懐かしく感じられる。

鈴木 幸江

「人食つた水母やヒトの食つておる」まず、日本語の“人”と“ヒト”をとても効果的に使い分けているのに感心した。“人”は自ら創った文明社会に縛られて生きる生きものだ。“ヒト”は生物学的分類上の種名である。水母を食べるのは、生物界の宿命である食物連鎖における行為。この二つの現実の間に人間は生きている。何故か私は、現代人とAIの関係が連想され、警告を受けているような気分になった。そういうことでもあったのか!と。私の妄想は、AIに食われる人間の姿だけど・・・。特選句「葉にふれる風よはなればなれです」“はなればなれです”の平仮名表示が活きている。“葉にふれる風”の現象を見たとき、作者の心に生じた想いに惹かれる。こんな風に私も自然現象との出逢いの中でもっと驚き暮らしてゆきたい。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い(榎本祐子)」まず、私には未知の体験なのでそのことが嬉しかった。そこに、世界の事実がもう一つ隠れているのではないかと想像した。この状況の背景に思いが馳せられ、現代社会の弱者と位置付けられている人たちの姿が世界レベルで、次から次へと浮かんできた。それから、次にこれが、この作者自身の日常でもあるのかと思うと、人が生きることの闇まで感じられ、日常詠の醍醐味を久しぶりに味わった。問題句「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない」五七五のリズムを無視した、一行詩のジャンルに近い作品だけど、二物衝撃的飛躍の大きさに俳句と重なるもの感じた。実体験でもあることも感じられ、作り物ではない可能性に惹かれた。ただ、作者が何を伝えたいのかがよくわからず、読み手に負担がかかり過ぎるので問題句にした。“記憶”という脳機能の真実の発見体験だとは思うが、何故ここで虫が登場するのかが気になった。作者にとって虫のような出来事だったということか?記憶が混乱しているということか??した句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」「五月闇寄る辺なき街動き出す」「スズメバチ捕獲器水の星閑か(大西健司)」「苺月火薬庫をみて呆けたり(桂 凜火)」「一蝉となり一空海の海となり」

寺町志津子

特選句「麦秋を回収車来て積み残す」:家庭ゴミを積み込んで去っていった回収車。日頃のいつもの風景ですが、その回収車は麦秋を積み残していったと言う。麦秋と回収車の取り合わせの新鮮さ、それでいてのさりげなさに心から感動しました。作者はきっと全身全霊、詩的感覚をお持ちなのだと思われます。また、今回は、当然ながら「非常事態宣言」中や、解除された後の心情の句が多数あり、微苦笑しながらいずれも共感しました。ことに、「堰切って埋る六月予定表」に即共鳴、元気もいただき、感謝です。

新野 祐子

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の夜が家中の鏡を覗くわけですね。何と美しい詩情でしょう。特選句「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」鉄片のごとという硬質なイメージが今の緊迫した日常に合っていると思いました。入選句「蠍座の尾からアマビエやってきた(野﨑憲子)」「植えし田に風行き渡る登校児(小山やす子)」「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」コロナ禍という言葉を用いないで、時世を鮮やかに切り取っていますよね。今月は時事俳句はどうあればよいか考えさせられました。勉強になりました。

中野 佑海

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」こんな風にあくせくしない宮沢賢治を地で生きてみたい気がします。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」心躍る気がするのは何故でしょうか?青臭いのに加熱すると甘味の増えるアスパラガス。年取っても気になることには、ホットな心を保っていたいな。並選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」朱に交われば赤くなるの三密版。「触れてきて触れられてきて野の茨」眼で見た事ばかりが全てではない。触角も磨いておこう。「六月の半濁音符の遠い月(佐孝石画)」梅雨の豪雨が我が運命のツキを遠ざける?「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」勿論かむ派。てんと虫待てーッ。私も連れてって。「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない(竹本 仰)」忘れるような事は私にとってそれ程大した事じゃない。「赤チンに武勇のあまた紙兜」この頃赤チンが無くなって、膝小僧の赤黒くかさぶたを付けた悪戯坊主を見なくなって寂しい。「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」月が目玉焼なんて美味しそう。二個三個?「似ているけど近くて遠い額紫陽花(藤田乙女)」雨の降って、傘差してると良く判らないよね。違う人に挨拶したりして。でも、良いよね、緩くて。コロナウィルスは今までの常識を破壊したかも。会社にあくせく通わなくても、遅刻しても、大して気にされない。今月も、楽しい俳句有難うございました。

吉田 和恵

特選句「笹の花かえる家ないひゃくねん後」笹は、何十年に一度花を咲かせて枯れると言います。主を失くした家、そして耕作放棄地には笹がじわりじわりと勢力を伸ばしています。百年どころか近い将来家まで取り囲まれそうな現実が、この作品に共鳴します。

松本 勇二

特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』季語の斡旋が秀抜です。一面の水色が作者を励ましているようです。「まっいいか」と言えることが生きて行く上でとても大切です。

増田 暁子

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」蚊帳に棲む兎とは亡き妻とか自分の分身か。仄かに消えるとは寂しいですね。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い」コロナ禍の永い閉じ籠り生活を表す状態をコップが生臭いとは、感嘆です。

重松 敬子

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉(田口 浩)」日々健やかかに歳を重ねてきた、おおらかな暮らしぶりが目に浮かびます、大きい葉がとても良い。

田中 怜子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」この方は、結婚か仕事で実家を離れているのでしょう。それが遠野という民話の、そして姥捨ての風習もあったという土地なのである。母親も元気ではいるようだけど、年々健康等を案ずる気持ちになってきている。しかし視点をかえると、産土は野草やひべりひゆが広がる豊かな地で、隣近所のつながりもあり、まだ大丈夫かなという気持ちと土地の豊かさ、ご本人が懐かしく思っていることがうかがえる。

竹本 仰
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」波郷「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」を思い出しました。田舎から上京した青年の都会の夏の発見という所でしょうか。でも、この句は家、そして私の発見、という眼目があり、そこが面白い。たとえば、夏祭りから家に戻ると家の風景が何かヘンと思う、あの感覚を思い出しました。ここにも似た経験があり、おそらく緑の夜を外で呼吸し、帰ってみると、家の中にも緑はあるじゃないか、その証拠に家中の鏡をのぞきこむ、そんな少女のような体験ではと思います。家の中のみどりの発見、とても新鮮な感じがします。特選句「もう一人の私がそこに居る木下闇(柴田清子)」日常の中で、意識的にか無意識的にか、つい置き去りにしてしまった「私」、それを思い出させる季節になったということでしょうか。そういう原点を思う新鮮な句だなと。ふいにこの間思い立ち、断捨離で捨てるン百冊の本を決めているとき、古いラジカセがあり昔のテープを動かすとポプコンの曲が流れてきました。今思うと昭和五十年前後の憧れや傷みがぎゅっと詰まった世界がそこに見え、特に女性の歌唱力が凄いのに驚きました。そして、ふいに小生の「もう一人の」自分をふりかえり、なんというか、人生の遠近感を体感したというか。そんな句なのかなと。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」:「寄る辺なき」ここに共感いたしました。もともと街は寄る辺なきものだという感覚、そんな街がふと本来の寄る辺なさに気づいて、それでも寄る辺なきままに動き出す、そんな見方ではないかと。コロナ禍にちなんだヒトの本質みたいなものを突いているなあと。賑やかさと寂しさと、その入り混じったものと「五月闇」は共鳴していますね。そう言えば、カミュ『ペスト』でも始まりにオランという街について、寄る辺なき賑やかな街とわざわざ触れていて、何か半世紀後の世界中の未来都市を予測して書かれたものかなと思われるフシがありました。ここも、そんな街でしょうか。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」反抗期のわたしと父、そんなものを連想させられました。時間と共に乗り越えてゆくと、たちまち小さくなってゆく乗り越えられたもの。人生、その繰り返しで、ふいに最後は小さくなってゆく自分に気づくもの。そこまで連想の域は広がるように思え。学生時代、田舎に帰省するたびに経験した、親や家の小ささ、あれは何でしょうね。アリスにも、自分の大きさがわからないのでわたしは自分がわからないの、と書かれていました。修司の短歌の下句に「勝ちしものこそ寂しきものを」というフレーズがあったのを思い出しました。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」:「沖の昏さ」に惹かれました。この昏さは、暗さと違っていて、明日を連想させるニュアンスです。だから、どういう明日かを知っているのに、という響きがありますね。髪を洗うのは、そういう明日への闘いの誓いという感じにとらえられ、このへんが面白いところです。或いは、万葉に天智天皇の新羅への出陣の船出に額田王が「熱田津に船乗りせむと月待てば」と詠んだあの心境も本音はかくかと思われ、何だか古風な日本女性の腕っぷしみたいなものも感じられ、その本質の明るさがあるようにも思いました。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」小生が中一の頃、なぜか教室でハンカチ検査のようなものがあり、その時、担任の体育の先生が、ほう、きみのは、たいへんきちんと折りたたまれて、いいハンカチだ、みんな、これを見習いなさい、と言われすごっく有頂天になった、そんなことを思い出しました。結局は、母だ、あの母がこんなところにと、思いがけない教室への母の登場に戸惑いもありましたが。しかし、こんなことを言うと、母は恥ずかしがり、それを見る自分も恥ずかしいと、そんな忖度からとうとう言い出せず、今日まで来て、母は当年96歳、天然健康体で三十年以上薬ひと粒も飲まず、さっそうと生きており。そんな母だから、あのハンカチだったのかとも。ハンカチにまつわる有頂天、人類の或るすばらしさをこの句に垣間見たような次第でした。問題句「竹落葉己が自由になるために」このままでも十分よい句です。が、「竹の花」という選択肢にも小生は引かれます。竹に花が咲くと、その一帯の竹が総枯れになってしまうと聞きました。生命の新陳代謝の烈しさですね。そこに自由が来ると、また、これも面白いものかと。問題というより、ふとした思い付きです、作者には何の文句もありません。十分よい句です。以上です。

新型コロナ、宗教界でも議論百出で、この間もご詠歌の淡路島の会議に出たら、すごい議論でありました。行くか、待つか、ふと『ゴドーを待ちながら』を連想して。みなさんは、いかがお過ごしですか? 

大西 健司

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野は遠野物語の遠野か、ただ単に遠いところと捉えるのか。「置きしまま」に作者の思いが溢れている。私は遠いところと読んだ。路傍に咲く黄色い花が母を思い出させるのだろう。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」おしゃれな父の姿が好ましい。小さいととらえたのは父の姿だろうか。嵐に立つ年老いた父の姿が美しくせつない。

久保 智恵

特選句「拉致の子の父の無念や夏の月」胸に詰まり苦しいです。

桂 凜火

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」兎が蚊帳に棲むなんてメルヘンですね でもちょっと怖い でも消えてしまう その辺の不思議さとかわいさと怖さの塩梅がすきでした。特選句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」こんなに素直な自己愛を語られると嫌味なくそうですよねと笑えてしまいます。青葡萄もわかりやすくていいと思います。以上です。盛会をお祈りしています。

河田 清峰

特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチの夏がきたのに長いあてもない自粛は続く、長梅雨のいまでもなお...空をわすれそうがやるせない!

谷 孝江

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」何か切ない様な、なつかしい様な、そんな思いが残ります。近年、若い人々の農離れの話がよく言われます。雪解けが始まると家族みんなが農作業に勤しんだ事なども、遠い昔の事になりつつあります。<皆んなそろっていた頃の>作者の思いが込められていて心打たれる一句です。

松岡早苗

特選句「カミユ読む鉄片のごと夏落葉」:「鉄片のごと」という比喩が、斬新で印象的。不条理に抗った作家カミユとの取り合わせも絶妙。「太陽が眩しかったから」と答えた『異邦人』の主人公の、純粋で特異な感受性がよみがえってくる。特選句「一蝉となり一空海の海となり」 羽化を終え空高く飛翔する一匹の蝉。眼前には海原。ふっと、大志を抱き唐へ渡った若き空海の姿が立ち上がってくる。空間的、時間的な広がりの中に、命が輝きを放つ。「一蝉」と「一空海」の対、「~となり」のリフレインが、句柄をゆったりと格調高いものにしている。

【自己紹介】 (香川県さぬき市在住)「海程香川」に加えていただきありがとうございます。退職後俳句を始めて五年になりますが、頭も心も錆び付くばかり。今後は、先輩諸氏の瑞々しい感性や切れ味鋭い表現をカンフル剤として、句作に励んでまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 
野田 信章

「穂麦鳴る塚に金環眠らせて(松岡早苗)」「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」「落し文しずかに喋る人が好き」の句群と「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」の句群が混在しているこの句会が頼もしく思えてきた。前段の句に定型感覚に根ざした本格を志向する姿勢を認めつつも、後段の句にある日常感覚に根ざした口語発想の指向性もまた捨て難しと思う。このことは不易と流行の相においても考察されることであろうが、今の私にとっては後段の句の示唆してくれることに重きを置きながら本格を指向したいと思うところである。共に物象感を生かしつつ韻律性の確保されていることに注目したい。

三枝みずほ

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉」大きい葉と長寿の組み合わせが新鮮だった。六月の葉はみずみずしく夏に向けての生命力にあふれている。 本日はお世話になり、ありがとうございました。久しぶりに皆様にお目にかかれてうれしかったです。やはり楽しいですね! 句会。様々な鑑賞や作品に触れられるのは勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。

中村 セミ

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」僕は若い頃は自分が見世物小屋の鼻から口へとヘビを通す妖しい山奥の女だと思い、若い頃の夢は、まるで「貴方は全てのプレゼン・オプションで落ち、待っているのは、あの自分の家へ帰る最終電車ですよ」と云われた。徐々に何かがはがれいくように、年を経る事によって、老人という哲学的な塊(カタマリ)に囚れ、フト、アスファルトの熱い路面をはう、白い壁を昇る蛇に、魂を奪われるように「俺もおまえも いつ迄生きる」と云われたようだ。と読むのは僕だけだろうか。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」幼い頃、母につれられ夜の連絡船に乗った事がある。当り前の事だが夜の海は黒い。暗いではなく向うの方迄黒だ。まっ黒なのだ。それが沖の昏さとすれば大人になって色々思い出す度に、が、髪洗うだろう。「色々どうでもいい事を限りなくとりとめもなく、思い出す度に、母といた、あの連絡船は、まっ黒い海のドロドロとした油の様な道筋を一体僕等をどの島へ何の為に運んできたのか、もうどうでもいい事は思い出したくないのに」髪は洗うのだ、と言っていると読みました。 別解 髪洗う という夏の季語と、沖の昏さがよくマッチしている。それにしても沖の昏さがとてもいい。

稲   暁

特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」洗い髪と暗い海の照応に強く惹かれる。「沖の昏さ」は何の喩なのだろうか?問題句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』両句ともささやかな自己肯定の句。好感を持つ一方で、作句法としてはやや安易かな?とも思うが・・・。

河野 志保

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」田に水が入るまぶしい季節。親しい人達との活気にあふれた日々がよみがえる。コロナの影響か、それとも遠い記憶か、作者の懐古がまっすぐ伝わった。「田水沸く」が情景をより鮮明にしていると思う。

伏   兎

特選句「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」短気な人と呑気な人の違いを、飴で知る目からウロコの発見句。天道虫との取り合わせが軽妙かつ魅力的。特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」植えたばかりのみずみずしい青田が目に浮かび、水をごくごく吸って育つ稲の苗を感受。「六月」と「水の星」が響き合い、ふるふるのオノマトペも快い。入選「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」野草の一つでもあるすべりひゆを煮物にして食べ、滋味あふれるおいしさに感動したことがある。「すべりひゆ」「母」「遠野」が醸しだす心象に惹かれる。入選「似ているけど近くて遠い額紫陽花」紫陽花の咲いている街角で、心に深く思っている人とそっくりな姿を、偶然見かけたのだろうか…。今、話題のショートストーリー風の言語感覚があり、注目した。

野澤 隆夫

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」声に出して読んでみても調子のいい、面白い句です。河馬→ナマケモノ→ホタル。夜になると輝く。楽しい句です。特選句「赤ちんに武勇のあまた紙兜」令和の前の前が昭和。昭和も遠くなりました。この句は正に昭和の句です。チャンバラごっこの昭和が懐かしいです。もう一つ特選句「麦秋を回収車来て積み残す」つい先週までは 私の住んでる亀田南町は一面〝麦の秋〟。回収車が持ち帰りを忘れたかの如く大いなる麦畑でした。今週に入ってからは田植えで水没しかえるが騒がしく鳴いてます。

亀山祐美子

特選句『すべりひゆ母を遠野に置きしまま』「遠野」が地名でも「遠い場所(実家・施設・病院・他界)」でも読み手の自由。ここにある母との距離感罪悪感切なさが「すべりひゆ」と云う季語に込められている。雑草であり薬草であり食べられる草。母そのもので在るかのような地味な「すべりひゆ」が支える世界観。飢饉の際の非常食だと認識すれば「遠野」と云う地名の迫り方が一層危機感を増す秀句。母に対し子どもとしての至らなさに臍をかむ。特選句『髪洗う沖の昏さを知っていて』「髪を洗う」私は「沖の昏さを知っている」ではなく「知っていて」と表記する。「知っていて何も出来ない」私は唯々「髪を洗う」まるで禊ぎのように。悔恨。懺悔。怒濤のように押し寄せる罪悪感。贖罪。自分の中に在る見てはならない深淵を意識した、内向的だが深い一句。特選句二句。まるで対のように胸に響いています。 顔を見て句座を囲める幸い。久々に楽しい時間をありがとうございました。戻りつつある日常に感謝。皆様の句評楽しみにしております。

漆原 義典

特選句「堰切って埋まる六月予定表」新型コロナウィルス禍による移動制限がやっと解除となりましたが、その喜びを、堰切ってと、上手く表現していると感動しました。素晴らしい句をありがとうございました。

菅原 春み

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う」はかなげで幽玄な夕顔の白い花がたたまれる、詩的発火に納得です。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」コロナ禍とはいわず、寄る辺なき街といったところにリアリティを感じました。

男波 弘志

「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」不思議な関係性。説明を拒んでいる。「田水沸く皆んなそろっていた頃の」沸く、そこに芯の関係性がある。田水張る、でも句は成立するが、家族とはもっと深いものだ。以上、どちらも秀作です。

野口思づゑ

特選句「一蝉となり一空海の海となり」蝉の空と、海、の地球と、人間の知的な霊性が組み込まれたスケールの大きな句。圧倒されました。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」そういえばアスパラガス、思い浮かべると音楽が聞こえてきそう。きっと明るい余生だと思います。「滋さん死す夏形容詞にとりまかれ」形容詞に色々な思いが込められている。

柴田 清子

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」老人と悲しい蛇に共通した何かがある。それが何かはわからないままに、この一句に引き込まれる。特選句「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」玉ねぎを吊すそれだけで人物の生活、あらゆる全てが滲み出してくる凄い句と思った。特選句「六月のマスク古ぼけたピカソ」古ぼけたピカソ 発想が奇抜。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチからの切替えがすばらしい。

藤田 乙女

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」 コロナにより閉店していた食堂が開くのでしょうか?「紫陽花咲いたら開きます」がきっぱりして前向きで、気持ちを明るく爽やかな気分にしてくれます。特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』 こんな気持ちで日々を過ごせたらと羨ましく思いました。

石井 はな

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」紫陽花の開花に合わせてお店を開く。コロナの影響でしょうか、長い休みを紫陽花の開花と共に、また始める。未来への希望と明るい光を感じます。家族で営む?食堂の生き生きとした様子が目に浮かびます。

島田 章平

特選句「夏に入る余計なものはみな捨てて」断捨離。人は毎日毎日時間を捨てて生きている。そして生まれ変わっている。捨てることで新しい命が生まれる。「夏に入る」と言う初句に、再生の明るさがある。

田口  浩

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」すべりひゆが遠野に咲いている。否、咲いていないかも知れない。とにかくそこえへ「母」と言うカードを挟む。すると言葉のマジックで「置きしまま」に深遠な意味が現れる。なかなかのマジシャンである。「夏に入る余計なものはみな捨てて」「いらしてね虞美人草といふ店よ」「熱兆すときの体感合歓の花」「髪洗う沖の昏さ知っていて」「ハンカチが白いもう空をわすれそう」これらの作品、どれも俳句独特の世界を持っていよう。すばらしい。

高橋美弥子

特選句「熱兆すときの体感合歓の花」熱が出そうなときのなんかほわんとした感じと、合歓の花のほわほわした感じが呼応する。五感を俳句にきちんと詠み込んでいて好きな句です。

小宮 豊和

「落し文しずかに喋る人が好き」静かな良い句である。一読してそう感じる。しかし読み手にはへその曲った人も居る。あえて難癖を付ければ作者が好きと言ったから良い句になるとは限らない。また何に感動したのかはっきりしない。事件性が薄くて伝達力が不足だ。などいろいろある。たぶん伝えたいことは「以心伝心した本音」ではないだろうか。季語はそのまま、中七下五を右のフレーズに入れ替えるのはどうだろう。

松本美智子

特選句「天金の書のあり梅雨めく午後のあり(谷 孝江)」「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」どちらも情景が浮かぶ句でした。どちらも音を踏んでいて読んでいて耳にここちよかったです。

高橋美弥子

特選句「梅雨空に孫が小さく立っていた」何か不思議な感のする句です。誰かの絵を見ている気がします。あまり暗くない梅雨空、小さく立っていた、という突き放したような表現、孫の存在感をありありと感じさせます。小さくがいいんだろうと思います。ある一瞬の把握が全てを物語っていて俳句の面白さを感じます。

野﨑 憲子

特選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」パレットの朱色はお日さまの色。巷で言われている三密と真言密教の三密をかけ、女優の壇蜜さんも取り込んだ意欲作。密教の究極は?艶〟と言わんばかりに。問題句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」軽妙な北の交響詩。巧過ぎる!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雨漏り
記憶が随分雨もりしてきた
中村 セミ
雨もりのソラシドレミファ新茶飲む
野﨑 憲子
雨もりの音にハミング子もり歌
野澤 隆夫
雨漏りのごとき仕事で夏に入る
中野 佑海
雨洩りや洗面器か馬尻かと
鈴木 幸江
雨漏るや鰆の焦げのアルミ箔
藤川 宏樹
雨もりのしみを広げる海の家
亀山祐美子
ビールが旨い屋上を夜の風
島田 章平
風強し風の気になる人だから
鈴木 幸江
銀河系のとつぱづれから青嵐
野﨑 憲子
風が削られてゆく石の型(かた)となる
中村 セミ
ドッジボール最後の一人は青田風
中野 佑海
若葉風プードル今朝は石かじる
野澤 隆夫
髪流し風に追ひつくとうがらし
亀山祐美子
新茶
茶茶茶新茶緑茶番茶一茶兜太
島田 章平
一本の奥歯を残す新茶かな
亀山祐美子
格差の世一茶新茶を買ふたかや
鈴木 幸江
イケメンが崩れかけてる宇治金時
藤川 宏樹
プードルの散歩疲れや新茶くむ
野澤 隆夫
無観客
無観客ゴッホのような星月夜
藤川 宏樹
穴を掘り下げてゆくほど無観客
三枝みずほ
ユーチューバーのお祭り騒ぎ無観客
中野 佑海
麦は穂に謡再開無観客
野澤 隆夫
無観客青水無月の風騒ぐ
亀山祐美子
自由題
お盆持つ夏満月を持つように
鈴木 幸江
恋猫のマンドレイクの根の悲鳴
中村 セミ
兄さんは海へ梅の実がなつた
野﨑 憲子
人間になる石ぬくし青水無月
亀山祐美子

【句会メモ】

アマビエ.png

四か月ぶりの高松での句会でした。久々の生の句会に一日中ハイテンションでした。何よりも、ご参加の皆様の笑顔が嬉しかったです。句会ってお祭りですね。コロナウイルスの一日も早い終息を願っています。来月も句会が開けますように!!

冒頭の紅白の蓮の写真は栗林公園で島田章平さんが撮影されたものです。

2020年5月24日 (日)

第106回「海程香川」句会(2020.05.16)

虹1.jpg

事前投句参加者の一句

オーイオーイと宙(そら)割って穀雨の列車 伊藤  幸
顔真黒な我を溺れる薄暑かな 豊原 清明
声高な正義白い花咲く蛇いちご 増田 暁子
行く春やキリンの首の一つ分 河田 清峰
人であることを忘れるほど桜 月野ぽぽな
一人づつ呟きに来る冷蔵庫 小山やす子
一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮 若森 京子
かしこまって父と苺をつぶし合う 竹本  仰
ハーモニカつばめのように帰れない 夏谷 胡桃
本当は遠泳したい鯉のぼり 野口思づゑ
ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな 石井 はな
新緑や歯と歯ぶつかる音がして 河野 志保
筍や五月の空を昇る意志 小宮 豊和
春昼の獏に利き足舐められる 伏   兎
ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく 銀   次
茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに 野田 信章
いま芽吹くブナはますらお触れてみる 新野 祐子
雲雀来て言い足らぬ空ありまして 佐孝 石画
麦秋や列島女人の寛ぐ態 高橋 晴子
亡き母の着物取り出す更衣 漆原 義典
さざなみのルーズソックス 卒業す 矢野千代子
無症状蒲公英絮毛感染者 藤川 宏樹
曳き波に十六歳の切手貼る 中村 セミ
昼暗し日本くらし春の猫 稲葉 千尋
待合に時計のくるふ蝶の昼 小西 瞬夏
素因数分解しても春キャベツ 増田 天志
初夏のジュゴン祈りのようにかな 桂  凜火
万緑や十指に余ることばかり 寺町志津子
不作為の未必の故意の春流れ 滝澤 泰斗
行く春がするりと抜ける日々なりき 田中 怜子
この時季に「第九」歌ふかコロナの禍 野澤 隆夫
流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる 十河 宣洋
黒猫の舌は退屈みどりの日 高橋美弥子
茶髪のひとりは百日紅にもたれ 久保 智恵
山藤の空に溶け入る時間帯 柴田 清子
白鷺の頸の仕組みと襞マスク 森本由美子
アパートの躊躇い傷となる金魚 男波 弘志
春夕焼めくるといつも泣いている 榎本 祐子
しづかさや山羊の聲なく草茂る 鈴木 幸江
模造紙を広げ夏蝶呼びよせる 三枝みずほ
花つけしトマトあしたの靴選ぶ 菅原 春み
麦笛を吹くたび貨車のやってくる 重松 敬子
もしかして君はともだち夏来る 高木 水志
うがい手洗い観音さまの聖五月 荒井まり子
目覚めては恋に恋する夏の蝶 藤田 乙女
家に居て山椒魚のようにかな 吉田 和恵
木になろか石にならうか風薫る 亀山祐美子
葉ざくらとなりまた別のこころざし 谷  孝江
間違いは誰にもあって薔薇を買った日 田口  浩
観光立国崩壊しつつ夏来たる 稲   暁
霾るや祈る空海長安に 島田 章平
熊野暗緑蝶々は海の遺書ならん 大西 健司
スヌーピーってすごく哲学こどもの日 中野 佑海
角だすもすずめになれぬカタツムリ 田中アパート
鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝 松本美智子
田水張る仏間に風を入れてから 松本 勇二
くちなはの口に飛び込む大日輪 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「さざなみのルーズソックス 卒業す」ルーズソックスのさざ波は上手い。教員時代、ルーズソックスには色々悩まされてきたので、この捉えに共感する。このさざ波はソックスそのものの波というより、それを身につけている少女の心のさざ波であり、周りの人たちの立てる波でもある。特選句「間違いは誰にもあって薔薇買った日」俳諧味の強い作品。これくらい大らかな人が好きである。薔薇を買ってその日のデートは上手くいったのか。最近は花束などよく見かけるが、私の時代は花は贅沢なものと言う感覚が強い。それを買って彼女に届けたのだから結果は見えている。それが間違いだったと、苦笑いしている程度の軽さである。

豊原 清明

特選句「ハーモニカつばめのように帰れない」ハーモニカを吹く人の哀歌か?もうこの時代から昔の時代には帰れないという、当たり前のことだが、「帰れない」に共鳴。問題句「脆弱なマスク聖人新世紀(藤田乙女)」:「新世紀」と聞いて、いま「新世紀」やったと再確認する。「マスク星人」が意味ありげ。もう終わりのような世界を客観で描く。

桂  凜火

特選句「もしかして君はともだち夏来る」新しい出会いの時、気が合うかなと期待と不安が入り混じる。そんなドキドキ感が伝わりました。「もしかして」という導入部分が好きです。「夏来る」の季語もよくあっていると思います。特選句「木になろうか石にならうか風薫る」新緑の中でじっと風に吹かれていると、自分も木や石に同化できるような気分になることがありますが「木になろうか石になろうか」と書くことでその気分がよく出ていると思います。ふと金子先生の「酒止めようか、どの本能と遊ぼうか」のフレーズを思い出しました。

若森 京子

特選句「春夕焼めくるといつも泣いている」夕焼は大変センチメンタルな情感を湧かせてくれるが、特に春の季節は感情の起伏の激しい時の様だ。「めくるといつも泣いている」の措辞がとても上手い。特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」子供にとってスヌーピーが大変哲学的であるとの発見に驚いた。「子供の日」の句では、私にとって新しい出会いだった。

小山やす子

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」心踊る花の世も終わり葉桜の季節となり又違った角度から自分を見詰め直した新鮮さが伝わって来ます。

増田 天志

特選句「春昼の獏に利き足舐められる」吉兆なのか。それとも、悪夢の予兆なのか。無用の用に、想像力は、喚起される。

中野 佑海

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」自宅にいると、冷蔵庫が何故か気になるのです。何か食べたいわけでもない無いのですが。直ぐ何か探しに行って、欲しいものは行ってから探すくらいの。あれって、一種の鬱憤ばらし?ブツブツ言いながら結局は麒麟か朝日か鳥居さん探していませんか?内の冷蔵庫はいつもばりばり入っているので、結局、食べたいものを探し出してむしゃむしゃ。自宅待機の日数とともに、下腹が。特選句「人であることを忘れるほど桜」桜の俳句は逃しません。咲き始めたら、近くの民家の一本桜、神社の一本桜。好きなだけ触って、眺めて、匂って、酔うほどに堪能。今年はうまい具合に咲き出してから、寒い日が続き一か月近くも楽しみました。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」列車は空気も何もかもなぎ倒して進んで行く。でも、絶対信号機がカンカン鳴ったら、手を振り見てしまう。「ハーモニカつばめのように帰れない」小さい頃はハーモニカを上手くチュルチュル吹いていたけど、今は口も手も上手く連動していかない。燕返しのように。「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」さらさらと鳴る葉擦れの音の涼しさよ!「筍や五月の空を昇る意志」出ました上昇志向。つくしは龍に、たけのこは鯉幟の竿に、麦は麒麟に、私は冷酒で天国かはたまた地獄か!「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」一体全体どういうシチュエーションなのか?学校休校の折親孝行ですね。でも、5月の空にモップと雑巾は結構シュールだ。「行く春がするりと抜ける日々なりき」今年は京都も吉野も弘前も桜を思う存分観に行くぞと思いきや、近場で終わりました。こんなにゆっくり誰もいない観光地って有り?残念。「老い集うベンチ青葉風の糖度(小山やす子)」ばあさんたちは甘いもの大好き。必ず煎餅、飴ちゃん、饅頭、等々。忘れません。「こんなにも甘い甘茶の灌仏会(田中怜子)」灌仏会の甘茶って本当に甘いよね。仏さまって本当に優しいんだろうなって思います。 

矢野千代子

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」まず、「田水張る」「仏間」で、ふだんの生活習慣などが彷彿とうかびます。その景がそのまま詩になり、こころにひびく作品になりました。

小西 瞬夏

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」最初は問題句候補でした。それが、なんども読むうちに、童話的な世界感と、子どもたちのたくましさ、健気さのようなものが感じられ、一行詩的ではありますが、心にすとんと落ちてきました。

鈴木 幸江

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」滑稽の中に、日常の真実と発見が二つも入っていて、お見事。私も子供のころ少し酸っぱい苺に牛乳と砂糖を掛けて、それ仕様の特別な匙で家族で潰しながらよく食べた。その時の人の姿が過不足なく描写されている。人とは滑稽な生き物であることを再確認した。“かしこまって”に苺に対する敬意があるのだ。“つぶし合う”の措辞にささやかな罪の意識と闘志も必要だったことが伝わってくる。今の甘い苺をそのまま食べるとき、そういう食べ方をしていた頃を不思議と思い出す。あの時の違和感の謎が解けた思い。今している様々なことも、時が経てばその謎が解ける日が来るかもしれない。長生きをせねば。特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」たらたらとした結句に気持ちがよく出ている。言葉でどう表現しようが気持ちをそのまま伝えることなどできない。それほど人の気持ちは今、一瞬、その時のもので奥深い。言葉にはならない部分が残る。身体の表現を加えてもうまく伝わらない。雲雀だってそうだ。空高く必死で鳴いているだろうがきっと同じ思いでいることだろう。ある必死さに、同じ生きるものとして哀れを感じつつも力も頂いた。問題句「曳き波に十六歳の切手貼る」夏の砂浜の引く波に十六歳の時買った切手を貼って流した。そのイメージの世界に作者の淡い青春の苦悩が偲ばれる。でも、“十六歳の切手”と“貼る”の措辞がどこか投げやりで、まことに勝手なことだと思うが、残念な気がしてしまった。チェックした句「顔真黒な我を溺れる薄暑かな」「蛙溺れて生尽くす朝夏草(豊原清明)」「春夕焼めくるといつも泣いている」「角だすもすずめになれぬカタツムリ」「くちなはの口に飛び込む大日輪」

藤川 宏樹

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」十六歳がまだ憧れだったころに見た“The Sound of Music”。ガラス張りの四阿屋で電報配達夫の彼と踊る“Sixteen Going on Seventeen”。人生の目標が夜空の星ほど遠かった当時から半世紀を過ごしたが、「十六歳の切手貼る」に座席の固さまで蘇った。作者の思いから離れた鑑賞になると思うが、俳句の力を実感した。

佐孝 石画

特選句「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」鮮やかな若葉を風になびかせ、新樹らは佇つ。「山笑う」の語があるように、それらの立ち姿は快活でリラックスしているかのように見える。しかし彼らの実態は、固い冬芽を破り、己が内蔵を引きずり出さんばかりに転生した、苦悶の果ての絶唱。「新緑」に硬質な響きを感じ、「歯」のぶつかり合いという幻想を見た作者の感性に、大いに共感する。ちなみに、僕も30年ほど前に「軋る音して欅青葉の窯出しです」という句を作ったが、この句のような「痛み」「焦燥感」にまでは食い込んでいなかったように思う。特選句「流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる」:「蝶」の存在自体、「流離」でもありそうだが、この句の場合、「ふうっと」に臨場感をともなってくる。それは作者の流離感覚との共振。かつて金子兜太先生が「定住漂泊」とことばしたその感覚。景物に憑依し憑依されることで、日常から少し離れた異空間へと「流離」するその感覚の裏側には、やはり動かぬ「生」と「死」という基軸があるように思う。その振り幅のなかで、現在地を振り返りつつ、日々「にんげん」は暮らす。浮沈しながら飛ぶ蝶の軌跡に「流離」があるのではない、「流離」を感じてしまう自分も含めた「にんげん」の不思議に作者は呆然とするのだ。

夏谷 胡桃

特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」。ふだんは畑仕事をしているわたしだけど、あしたは仕事で大事な人に会うのよ。大事なのは靴よね。初夏らしい靴はないかしら。そうだマニキュアも塗って…。ああ、爪に土が入っている爪が割れている。急いで爪の手入れしなくちゃ。特選「田水張る仏間に風を入れてから」。遠野にやっと春が来ました。田水を張っているところです。長く閉ざされていた仏間の戸を開けて風を通します。古民家には無駄に大きな仏間があります。昔は法事も祝い事もその部屋に人が集まったのでしょうが、いまは料理屋の座敷で行います。もう人の賑わいのない仏間です。遠野の春の風を入れると、仏間に飾ってある亡き人たちが笑った気がしました。物語がイメージできるふたつの俳句でした。

滝澤 泰斗

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」コロナ禍のテレワークかゴールデンウィークか、家族がみんな揃っている午後、大人も子供も銘々が冷蔵庫の前に来て、何かを取るか、見るかしてぶつぶつ呟いてゆく日常の中の一コマをうまく切り取ったと思いました。特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し(重松敬子)」いささか気障ですが、南フランス・エクサン・プロバンスのセザンヌのアトリエを思い出しました。セザンヌがスケッチをしている静物の果物や野菜。そして、裸婦像の絵など雑然とした部屋の佇まいの窓辺に夏の日差しが短めに・・・洒落た句です。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」印象的な句に違いありませんが、オーイオーイの主体がわからず、取れませんでしたが、気になる一句でした。

大西 健司

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」何でも無い光景だが、絵本の中の一行のように心に残る。でも俳句としては未完だろう。だけど定型に収めると魅力が消えそうな気もする。そんな危うさで特選に。

伊藤  幸

特選句「指十本足し算引き算鯉幟(亀山祐美子)」ステイホームだ自粛だと叫ばれる今日この頃、このような句に出逢うとホッとする。幼児が指を使い懸命に足し算引き算する様子が景として浮かび上がり思わず笑みが込み上げてくる。特選句「くちなはの口に飛び込む大日輪」余り好まれぬ蛇と地上に光をもたらす太陽との取合せが見事にコラボして、物理的にはあり得ぬ口に飛び込むという発想が功を奏している。

野澤 隆夫

特選句「素因数分解しても春キャベツ」春キャベツを素因数に分解したらとの発想が面白い!そんなこと考えもしないし…。素数に分解してもやはり春キャベツ。さて素数って…。2・3・5・7・11・13・17…。もう一つの特選句は「不作為の未必の故意の春流れ」現政権の政治の流れがまさにその通りと指摘されてる。「不作為」と「未必の故意」…そうですね。

高橋美弥子

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父親と苺を食べようとすると、なんだかかしこまってしまう。なんかこんな時がわたしにもあったなあと思いました。家族の日常をこんなふうに切り取れていて、好きな句です。問題句「 張りぼての青空泳ぐ鯉のぼり(石井はな)」張りぼての青空、は折り紙か何かのことを言っているのか、特別な意味があるのか、どちらなのか読みきれませんでした。子どもが作った鯉のぼりのように素直に読めばよかったのかな・・・。

中村 セミ

特選句「旱星てのひらに水うごきだす(小西瞬夏)」旱星は、雨のないひでり続きの夜に見える強い光りの星の事とある。晩夏の季語。調べて見れば旱星の句はかなりある。この句も<てのひらに水うごきだす>で旱星との対比をよく出していて面白いと思う。特選句「少年は夏の匂いを落として行った(伊藤 幸)」まるで、西脇順三郎の詩の様で、<夏の匂いを落とす>は何を示しているか考える楽しさに集約されているように思う。僕にはよく分からないが、夏の匂いは、確実に形として作者の頭の中に残っているだろう。恋愛かもしれないし、ちょっとしたアルバイトの経験かもしれない等々―人生の一つの経験として、こういった事もあったと、おそらく作者(誰かしらないが)60代の方が云っているのだろうと推測しました。「人であることを忘れるほど桜」桜がたわわと果実の如たれ下っているのを見ると悲しく嬉しく、何とも云えぬ気持になる。生きていてよかったに尽きる白い桜。

松本 勇二

特選句「うがい手洗い観音さまの聖五月」今や必須の日常であるうがい手洗いと、合わせた観音様の距離感が巧み。どこか明るい作者像も見えてくる。

稲葉 千尋

特選句「蟻をみて今日五〇〇円稼ぎます(夏谷胡桃)」唐突に見えますが蟻を見て今日もがんばるぞの気持が見えます。五〇〇円が楽しい。

榎本 祐子

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛を吹くたびに、貨車はどこからかやって来て目の前を過ぎ、どこかへ去って行く。時間が流れるように、又は郷愁のように。人の姿が見えない貨車に作者の孤心を思う。

寺町志津子

今月の、コロナ禍による異常な暮らしの日々やその思いに関する作品の数々に、コロナ禍の一刻も早い終息を願いながら、いずれも実感的に共感いたしました。特選に頂いた「田水張る仏間に風を入れてから」。作者のお宅は、代々、稲作を業とされているお家と想像されますが、作者のお宅では、ご仏壇に手を合わせて、先ず、ご先祖様のご冥福をお祈りし、同時に、本年も豊作であるよう手を合わせられ、ご先祖様が居心地のよいよう仏間に風を通してから作業にいかれるご様子に、ご先祖様を大切にされ、真摯に田仕事をされている光景が、鮮やかに目に浮かび、心打たれました。きっと、代々その様にして耕作を続けてこられたことでしょう。とても爽やかな気分になりました。

田中 怜子

特選句「五月来と海は両手を広げ待つ(菅原春み」目の前に海が広がる気持ち良い句で、今の鬱屈した世情を開放する。「はかま脱ぎ笊にもつれる土筆かな(森本由美子)」笊にしんなりと茶色のつくしが目に浮かびます。もつれると表現したのがおもしろい。「家に居て山椒魚のようにかな」山椒魚といったのがおもしろい。どろんどってり、小さな目はくるくると動いて、今の世とは真逆な動きがいいですね。「田水張る仏間に風を入れてから」さーっと、気持ちよい風が流れてくる、そして仏間とは、地方の折り目正しい生活ぶりが窺われます。

島田 章平

特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し」。「智恵子抄」を思わせる一句。まだ、若い智恵子の鮮やかな姿が浮かんで来ます。見事な作品ですね。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」。多分、まだ亡くなって時間が立っていないのでしょう。亡き母の遺品の整理で、母の箪笥を開けた時に、思い出のある母の着物。思わず手に取って、母の思い出を忍びます。心情溢れた佳作です。

河野 志保

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と娘を想像した。「かしこまって」がユーモラスで幸せな場面を演出していると思う。温かい気持ちになる句。

重松 敬子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」本当にスヌーピーは、子供の漫画には珍しく哲学的ですね。我が家でも子供たちが好きでした。哲学とは思わず、実は哲学を楽しんでいた、みたいな・・・・。子供達の応しゅうの理屈っぽい面白さ。うまく一句にまとまっていると思います。

伏   兎

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」穀雨のなか、車両をいくつも繋げ、野山を走っていく風景は絵本的で、ユートピアを感じる。上五のオノマトペに、宮沢賢治の世界を彷彿させるものがあり、注目。特選句「カプチーノデカルト妻に春惜しむ(中野佑海)」カプチーノ、デカルト、妻という想定外の取り合わせに面食らったが、鑑賞する側の心に化学反応を起こさせる巧みな句。春ならではのアンニュイも漂い、趣深い。入選句「曳き波に十六歳の切手貼る」高校時代のそれぞれの一年は、大人になってからの一年と厚みが違う。この句の十六歳は高校二年生の三学期だろうか。多感な世代の気分が描かれ、心に刺さった。

田口  浩

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」:「新は深なり」と言う。この句<また別のこころざし>の発想が新しい。<葉ざくら>から、このような世界を生む感性がうらやましい。「老い集うベンチ青葉風の糖度」<青葉風の糖度>を見てうれしくなった。「アパートの躊躇い傷となる金魚」ソウトモソウトモソウダンベ と掛け声ならぬアイヅチを打つ。「木になろか石にならうか風薫る」風薫る、はこう言う風であろう。「鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝」夏の朝がいい。巧みな作品であろう。

石井 はな

特選句「茅花流し逢へないのかなもう君に(野﨑憲子)」平静の時ならば「もう逢へないのかな」も、軽い別れに感じるだろうと思うのですが、今の新型コロナに覆われている時には、心にずしんと響きます。入院したまま面会も出来ず、死に目にも火葬にも立ち合えず別れを迎えてしまった方々の気持ちに思いが至ります。 

田中アパート

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」不要不急の私には・・・・?なぜ曳き波なのか一日中考えたのですが。

月野ぽぽな

特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」雲雀の囀りはただ事ではありませんね。途切れる間なく鳴くのは「言い足りないほどの空」だからなのですね。「言い足りないほどの空」の詩的措辞が効いていて俳句的切れの形を取らずとも一句に密度を生み出していると感じます。言いさした感じも、雲雀の饒舌さを思わせたり、ちょっととぼけた俳味を生み出すのに効果的。

竹本 仰

特選句「万緑や十指にあまることばかり」いい季節となると、表の快さと同時に裏面の濃いゆううつも有り余って寄せて来る。若い頃だと五月病、それは若い年齢とは限らない。否、若さがあればいつだって五月病はある。養老孟司氏が言っていましたが、不安というのは消えない、それは生きている証しだからと。生きているからこその不安、正直にひたるしかないか。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」トマトに黄色い花がつく、その微妙な頃合いを、では人は?人は人とのつながりの中に開花する。その清新な思いが、靴につながってくる。この辺のストーリーが面白い。そういえば、『風と共に去りぬ』でも『野火』でも、軍靴の出来が悪いと、すぐ底がぬける、ぬけると一気に兵士は気力を失うとあった。そんなことを思い出した。特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」貨車はその音のようにカシャカシャという音を立てて過ぎ去る。何だか過ぎ去ると、妙にさびしいのはなぜかといつも思う。だが、この句は麦笛を吹くと、貨車のやってくる予感がするというのだ。このワクワク感、たまりませんな、と言いたいのを感じる。若さはいつもそうやって来るからだ。人がいない貨車でも、旅立ちのふと湧きあがる瞬間を感じる。あこがれの原形のようなものを感じさせる句だ。特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田に水を張ると、なにかひと安心だ。非常に清々しく、その水面に万物が吸い込まれてゆくような快感がある。この恵みはどうにもこうにも祖先の目線と合った同じものとしか思えない。自分も祖先になりきって、同じ清々しさを味わおう、その先はけっこう辛いのだけれど。そんな心持ちを感じた。以上です。

今回は、コロナと郷愁とが目立ちましたが、何というのか、それって融合できないのかな、みたいなヘンなことを思いましたが、これも獏に足をなめられたのかも。コロナも終息への期待大なる世相ですが、みなさま、重々お気を付けください。昨夜、コロナの元凶はお前だ、みたいな夢を見て、やっぱりそうだったのかと反省する自分がいて、目が覚めました。その時示された赤い文字がまだ残っています。いやはや。サンポートホール高松での句会の復活を祈っております。

菅原春み

特選句「ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな」味わい深い景だ。春に夕闇が忍びよんでいるのか、春の終わりか、なんとも茫漠とした感じがいい。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」亡くなった母上の着物を取り出し、思わず羽織ってみたのか、あのときの思い出に浸ったのか、静かだ滋味あ滋ふれる季語で詩的発火した。

野田 信章

特選句「昼暗し日本くらし春の猫」春は猫の季節。個的内向きには「昼暗し」で納まっていたものが「日本くらし」と視野を拡大せねばならないところに今日のわれらの生と句作りの一態があることを示唆してくれるものがある。「非常の日常令和の月おぼろ(荒井まり子)」の一句も将に今日の句として味読しました。特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」コロナ騒動の蟄居状態の中でこの句を読んでいると、動画の機関車トーマスの一場面も想起されて屈託のない応援歌として読めた。二十四節気の「穀雨の列車」としての起用には意外性のおもしろさもあり、一句の鮮度を高めていると思う。

野口思づゑ

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と子にあるちょっとした距離、それでも仲の良さが感じられる微笑ましい句。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」ちょうど友人たちと、メールで母が残した着物が話題になっていました。皆が、処分すべきなのでしょうけどなかなかできずの悩みを抱えていたのですが、この方はお母様の着物を身につけられのですね。お母様を思い出す情感が伝わってきます。

 香川県は自粛が解けたようでよかったですね。これで来月の句会の希望が見えてきましたね。シドニーも3段階の規制解除が今日から始まり、5人までの来客が許されたので週末に友人が来る予定です。そちらは新緑が美しい頃でいい季節ですよね。こちらは日が短くなり、朝晩はぐっと冷え込みます。ストーブを出しました。

高木 水志

特選句「老い集うベンチ青葉風の糖度」長い間友達として交流してきたお年寄りたちの楽しい会話を青葉の香りが優しく包み込む風景が見えて心地よい。

森本由美子

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」緑うねる農業地帯、SLらしき列車がどこからともなく。穀雨という季語選びと、メルヘンを越えた自由な発想にひかれました。特撰句「人であることを忘れるほど桜」油断すると異次元につれていかれそうな溢れる妖しさを詠んでいるのでしょうか。準特撰句「かしこまって父と苺をつぶし合う」めったに向き合うことのない父と娘。苺をつぶすごとに、そのフレッシュな香りが会話の代わりに空間を満たしていく様子がうかがえます。きりっとして好感のもてる句です。

日本はかなり大幅に自粛をといてゆくようですね。NY はまだだいぶ時間がかかりそうです。どちらにしてもこれからの道のりは厳しいことでしょう。そんな中いろいろお世話をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。Eメールで投句できるのはとてもありがたく思います。

小宮 豊和

特選句「一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮」この句、肉塊が各一メートルの間隔をとって並んでいるというのだ。そのことに作者の感情はほとんど動いていないように思う。感染を避けるためだけの肉体の配置だ。作者の感覚は季語、紫木蓮に凝縮する。この紫木蓮は評者の知る限りでは、これ以上適切な表現は無い。色彩感覚、生命感覚、生きるということの悲しさ、いとおしさが伝わってくる。

増田 暁子

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」16歳の自身に手紙を描いているのか。曳き波がとても良いですね。特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母(松本勇二)」いつも遠くで雉子のような祖母。慈愛に満ちた姿が眼に浮かびます。

新野 祐子

特選句「声高な正義白い花咲く蛇いちご」:「私の責任で」などと言って正義を振りかざす為政者と、(誰が名付けたのか蛇だなんて)可憐に咲くいちごの花の対比が、今の情況を表す例えとして冴えているなと思いました。入選句「本当は遠泳したい鯉のぼり」同じことを私の身体が熱望しています。入選句「脆弱なマスク星人新世紀」殺菌すればするほど強い菌が現れるのが自然界の仕組みなのではないでしょうか。新型コロナの出現は人間のおごりの証しかな、などと考えたりします。土と共に生きて免疫力を得ることが、これから大事なのかもしれませんね。生き物はすべて土に還りますから。

河田 清峰

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛と貨車が郷愁さそって懐かしい。もう一つの特選句「いま芽吹くブナはますらお触れてみる」:「二十日月男を箸で突いてやろ(大石悦子)」の句を思い出した!よろしくお願いいたします。

谷  孝江

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」詩情豊かな句でしょう。遠い昔の記憶の中に戻ってゆきました。毎日コロナの不安の中にいて、ほっと一息つける句に出合えて嬉しかったです。ありがとうございます。

稲   暁

特選句「茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに」晩春・初夏となっても街はマスクを付けた人達で溢れている。新型コロナウイルスの脅威はまだまだ止まない。問題句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」確かにスヌーピーは哲学犬的雰囲気を持っていると私も思う。彼は現在のパンデミックをどう捉えているのだろうか?

久保 智恵

特選句「行く春やキリンの首の一つ分」優しくほっとします。

漆原 義典

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」讃岐平野の田んぼでは、ため池からの灌漑用水で、6月に入ると田水を張り、田植え真っ盛りになります。私もその頃田植えをします。この句は私の心境です。中7の仏間に風の言葉に感動しました。ありがとうございました。

三枝みずほ

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田水を張ることと仏間に風を入れることが人と自然との交わりを思わせる。儀式めいたものではなく、とても素朴な繋がりを感じた。

亀山祐美子

先月以上にコロナ禍の句が多かった。日本列島どっぷり。句評をしようにも「何やらわからぬ不安感が押し寄せて来る」ものに共感した。特選句『待合に時計のくるふ蝶の昼』中七の「時計のくるふ」の「くるふ」の平仮名三文字が秀逸。不安感を煽る。秒針の時を刻む音が耳朶に響く。待合は病院の待合に違いない。楽しい待ち合わせ場所のはずが無い。蝶を「夜の蝶」と解釈するのは深読み過ぎるか。ともあれコロナ禍に「くるふ」人の世を二重三重に包む冷徹な蝶の複眼が鮮やかな秀句。『チューリップ歌って笑って娘たち(吉田和恵)』『花つけしトマトあしたの靴選ぶ』は明るくて好きな一句です。「蟻をみて今日五百円稼ぎます」は何だかあざと過ぎて好きになれなかった。 ☆まだまだ続く自粛。暑くなったり、寒くなったり着たり脱いだり。俳句のおかげで何とか持っています。句評楽しみに致しております。皆様ご自愛くださいませ。

高橋 晴子

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」冷蔵庫でこれだけ人間を表現出来るとは思わなくて、さしたることは何もいっていないのに面白くて共感した。いろんな声が聞こえてきて不思議な句だ。問題句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』:「コロナの禍」という表現が正しいかどうかは一応問題外として、いつ誰が「第九」を歌おうと「第九」は単なる音楽?何か〟悪いことをしているような正義感ぶった姿勢こそ問題。たとえ密をいわれているのでも最大の注意を払って普通の人が普通に歌っているのであれば悪くはない。こういう一人一人の余計な御節介が。正義感ぶる心が、問題を生むといいたい。?「俳句をやるような人はその位で四の五の言うな〟と言いたい。もっと大らかに、こんな時季だからこそ、「第九」結構ですね。

松本美智子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」:「スヌーピー」といった俳句にはおよそ詠めない言葉をうまく「こどもの日」という季語と結び付けていると思います。本当にアニメのなかには奥が深いなあと考えさせられるものがありますね。 

荒井まり子

特選句「無症状蒲公英絮毛感染者」終わりの見えない今日。感染しても無症状があると。恐ろしい。蒲公英の絮がコロナウィルスと重なる。ウィルズコロナ、アフターコロナに戸惑うばかり。 

男波 弘志

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」老いには老いの花がある。成熟の花が。世阿弥のことばだが。「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」扉を開ける、その行為を人は繰り返している。深夜に開く扉にも何かがある。「間違いは誰にもあって薔薇を買った日」間違い記念日、とは凄まじい生への執着を感受すればよい。

吉田 和恵

特選句「一メートルづつ離れ臠紫木蓮」コロナはともかく、このところ木蓮の花が肉塊に見えて仕方ありません。問題句「白つつじ行方不明のままに在る(田口 浩)」白つつじは実体の曖昧さを感じさせる花です。哲学的表現は嫌いではありませんが、ちょっと違和感を覚えます。

藤田 乙女

特選句「もしかして君はともだち夏来る」は日常的なありふれた言葉だけれど、この句の中で 遣われるととても繊細で機微があり、「君はともだち」とつながることによって未来への希望や生きとし生けるものへの細やかな愛を感じます。とても爽やかな句だと思います。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」 新型コロナウィルスの非常事態宣言による自粛の日々、コロナ鬱と除菌マニアになりそうですが、この句は明日への明るい希望を抱かせてくれます。明日出かけるための靴選び、たくさんの楽しみでわくわくし胸が膨らんできます。様々な靴の色や形、それに合う洋服、帽子、行く場所まで想像し、心が弾みます。

野﨑 憲子

特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母」雉子は、日本の国鳥。大地の精霊を目の当たりにするような一句である。きっと作者も、おばあちゃん子だったのだろう。特選句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』第九とは、世界中で愛されているベートーベンの「交響曲第9番」の合唱の事。作者は、新型コロナウイルスの終息が見えない中、たまたま耳にした合唱に感動したのだ。「喜びの歌」こそ力だと・・。問題句「体感は桜バイオリンはキリン(十河宣洋)」句稿の中で、一番奇天烈なのに、句姿も調べも、とても魅かれる作品である。「俳句は理屈じゃない」と、兜太先生がよく話された。「バイオリンはキリン(麒麟)」なのである。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今月も、新型コロナウィルス感染警戒の為に、サンポートホール高松での句会は中止しました。 しかし、事前投句は、魅力あふれる作品満載でした。これからがますます楽しみです。

6月の句会は、非常事態宣言が解かれましたので、開催の予定です。いつもより大きい(30畳敷・窓有)和室での 句会です。時節柄、ご参加の方々は、マスク着用をご遠慮なくしてくださり、ご自身に合った感染予防のいで立ちでお集まりください。当分の間、見学及び飛び入り参加の受付は控えさせていただきます。

Calendar

Search

Links

Navigation