2023年9月28日 (木)

第143回「海程香川」句会(2023.09.09)

会報.jpg

事前投句参加者の一句

梅酒(うめざけ)に梅の実ありし考(ちち)ありし 稲葉 千尋
うるわしのくずきり母は母のまま 伊藤  幸
もう人を寄せつけぬ色秋の海 風   子
吊るランプ ルシャランプロのランプ点く 中村 セミ
遠花火時空のくびき解きたし 石井 はな
涼しさや海峡を翔ぶ白鳥座 稲   暁
原爆忌あの日あの時あの場所に 増田 天志
片蔭に右頬腫らすゴスロリさん 田中 怜子
濁音で逢いに来るひと葉鶏頭 男波 弘志
二歳兒の憂い顔って草の花 森本由美子
朝顔の浴衣や老女紅を引く 銀   次
震災忌師はいかに魂つくりしか 新野 祐子
蜩を纏えば響く僕の骨達 高木 水志
お月さまずっと一人のファルセット 河野 志保
群衆の中の孤独や赤い羽根 重松 敬子
私からあんたを引くと秋の風 柴田 清子
銀河美し地球を鬱にさせごめん 増田 暁子
廃校やおおむね晴れて蕎麦の花 佐藤 仁美
そこここに夏ものがたり草の影 榎本 祐子
彦星やまだ良きこともありぬべし 疋田恵美子
襞に入るひかり帰さず鶏頭花 月野ぽぽな
ぎこちなきギブスの右手藤は実に 河田 清峰
ひっそりと初恋の色稲の花 漆原 義典
泣いたまま夏の影出て歩きだす 桂  凜火
台風圏東京で買うゴムブーツ 津田 将也
手話の少年ときに精霊飛蝗かな 大西 健司
阿国一座に人攫いゐて蓑虫鳴く 淡路 放生
夏帽子で始まる恋もここ神戸 樽谷 宗寛
夏休み終わるよ戻れ家出猫 植松 まめ
バラ多彩そよぎそれぞれに重さあり 佐藤 稚鬼
ほゝづきをあつさり鳴らし妻の昼 小西 瞬夏
大亀の道中祈願秋遍路 鈴木 幸江
燃え滓の花火の軸の引き揚げ記 福井 明子
ひがんばな満開といふさみしさに 佳   凛
革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星 竹本  仰
教頭の流すそうめん皆で取る 松本美智子
水滴の大きく響く無月かな 亀山祐美子
氷菓子ざくざくかじる野の子供 豊原 清明
白靴脱ぐあのねぇって言ったきり 三枝みずほ
またお前か朝蝉の死んだふり 菅原香代子
ひまわりや皆うなだれて黒くなり 三好三香穂
居待月めがねが一つ辞書の上 山田 哲夫
落鮎や糾(あざ)う事無き歳の恋 時田 幻椏
郷愁をぽちっとカートへ夜の秋 松岡 早苗
終戦日知らずに彷徨う更級郷 滝澤 泰斗
我が手だけ見暮らし古希に秋ですね 岡田 奈々
降り初めし木犀の雨金の雨 川本 一葉
今日まで四さい明日は五歳の僕 薫   香
夏満月の澄みよう妻の忌をかさね 野田 信章
月涼し夫婦茶碗の欠けしまま 荒井まり子
落蝉の空を掴んだままの手の 佐孝 石画
朝顔のたとえば巡礼夜を渡る 吉田 和恵
露の身や未だ果たせぬ断捨離行 柾木はつ子
マトリョーシカ秋思の影の大中小 三好つや子
さすらいの飢餓月匂う子供らよ 若森 京子
艶々の茄子売る人の手元見る 小山やす子
魂送り母のかたちで手を合はす 野口思づゑ
袂ゆらす秋風越中おはら節  丸亀葉七子
いわしぐもどこにことばを置忘れ 菅原 春み
新涼の古都ヘプバーンの襟足 藤川 宏樹
語るまい黙して独り蝉しぐれ 田中アパート
つっかけで転んで二百十日かな 向井桐華 向井 桐華
あめゆじゆとてちてけんじや ゆきのひとわん 島田 章平
一世紀を越えし優勝汗と泥 山本 弥生
胸痩せて秋蝶の影平らなる あずお玲子
残暑ですねえ「処理水」ですよ海神さま 岡田ミツヒロ
平泳ぎ地球の裂け目見つける手 十河 宣洋
メガトンてふ永久の単位や原爆忌  塩野正春 塩野 正春
乗り継いで吟行の地は秋時雨 川崎千鶴子
盂蘭盆会父という字のもたれ合う 松本 勇二
鬼灯の逃げも隠れもせぬ色に 谷  孝江
父見舞ふ野分のことや母のこと 大浦ともこ
露けしや短調がちの兄の唄 山下 一夫
蘇る青春の恋梨を剥く 藤田 乙女
釣瓶落し時の鎖を解き放て 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「水滴の大きく響く無月かな」。ふと試合前のボクサーを、想起する。この感性の世界が、好き。手なれた作句ですね。

小西 瞬夏

特選句「居待月めがねが一つ辞書の上」。小説家か詩人、俳人か。いや普通の人かもしれない。辞書の上、めがね、その映像で人物を想像させる。物思いにふけりながら月を待っているその時間は特別のものになってくる。季語と日常の素材が置かれているだけで、ひっそりと一つの世界を作っている。

松本 勇二

特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。なんでもぽちっとして届くのを待つ時代。期待通りの郷愁が届いたようです。特選句「平泳ぎ地球の裂け目見つける手」。平泳ぎの手の動きの形容に鮮度と実感がありました。

月野ぽぽな

特選句「マトリョーシカ秋思の影の大中小」。ロシアの有名な民芸品であるマトリョーシカ。人形の中から人形が出て、その人形の中から人形が出て、と入れ子構造になっている。母を意味するmaterを由来とし、その形態から子孫繁栄や豊かさの象徴とされているこの人形の、秋思の影、の措辞から、現在進行形のロシアの状況が思い起こされ、元の意味とは裏腹であるからこその深い哀しさが現われてくる。大中小、と限りなく現われてくる人形の影に、人間であるゆえの絶え間ない煩悩の生成を思う。

十河 宣洋

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。二人三脚で過ごしてきた二人。あんた一人で過ごしてきたんじゃないよ。まあこれからもよろしくと言ったところ。特選句「教頭の流すそうめん皆で取る」。小さな学校のイベントである。今日は流しそうめん。教頭が流し始める。生徒は箸と茶碗を持って待っている。私もこういう小さな学校にいたことがある。お母さんたちが手伝いに来て楽しそうに見ている。

福井 明子

特選句「平泳ぎ地球の裂け目見つける手」。平泳ぎの手は、ただひたすら泳ぐという意志のためだけに機能する水?きの役割。水の中の手の角度が「地球の裂け目」とつながる感覚に、すっぽりと入りこんでしまいました。

稲葉 千尋

特選句『残暑ですねぇ「処理水」ですよ海神さま』約束をホゴにして勝手に処理水として海に流す。海神さんは怒っている。

豊原 清明

特選句「露の身や未だ果たせぬ断捨離行」。「断捨離行」の儚さと「露の身」が好き。秋は断捨離に合うし、ただ断捨離するのと、物を売って断捨離すべきか?わからない。問題句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。「秋の海」に共感、書かれてしまった感。

岡田 奈々

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。やはりあんたがいないとつまんない。喧嘩出来るのもあんたが面白いことしてくれるから。特選句「うるわしのくずきり母は母のまま」。くずきりは掛けるタレによって味は変わるけど、中身は変わらない。母も家族それぞれに対応は変わっても、一人の人間としての個性はある。けれど、母には母の優しさを求めてしまう。「遠花火時空のくびき解きたし」。時や場所に囚われない遠い花火。何時現れ、何時消えるか分からない。期待感と喪失感。まあ、それが人生?『「神田川」のメロディーにのる茄子胡瓜』。恋が何かまだ、分からない。すれ違う二人茄子君と胡瓜さん。「濁音で逢いに来るひと葉鶏頭」。ダミ声で足音までうるさい。そう、貴方です。おまけに時々鶏冠立てていませんか?「して町は雨後の軽さに処暑の夕(あずお玲子)」。斯くして夕立の後は涼しさで、身が軽くなったような気がします。但し、昨今の雨は車が軽くなりそうで、危ない危ない。「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。革命革命と口角泡飛ばし、議論していると思ったら、最後は喧嘩か。どうせ男どものやる事なす事潰すことしか考えていないじゃあなかか。「月涼し夫婦茶碗の欠けしまま」。澄み切った仲秋の名月一人酒を呑んでいる。「マトリョーシカ秋思の影の大中小」。マトリョーシカの箱の中身はきっちり憂いが大中小に区別されて収納されております。貴方は大が良いですか?それとも小にしますか?お好みの憂い事お出しいたします。ホーホホホホ。「いわしぐもどこにことばを置き忘れ」。鰯雲の穴あきのようにぽつぽつと抜け落ちる我が記憶。頑張って調べて拾いに行きます。

河田 清峰

特選句「今日まで四さい明日は五歳の僕」。94さいの方かな?何歳でも誕生日は考えさせられる日。80さいの姉から誘われて姉弟四にんで毎年誕生会をしています。

塩野 正春

特選句「またお前か朝蝉の死んだふり」。いい句ですね。死んだふりする虫やカナヘビなどの動物いますが、毎朝巡り合えるのはうれしいですね。恐らく、おしっこかけられ飛んでいく様が目に浮かびます。特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。ひかり帰さずがいいですね、光をひかりとされたことで柔らかな表現になりますね。伝統俳句でもすごい句だと思います。

若森 京子

特選句「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医(三好つや子)」。蜻蛉の目は複眼が大きく頭が全て眼の様に見える。その真剣な眼差しに子供から見れば普段手にするトンボの様に見えたのであろう。比喩が面白い。特選句「阿国一座に人攫いゐて蓑虫鳴く」。一読して、懐かしい句。暗くなるとサーカスに攫われるので早く帰る様に、と云われたものだ。<蓑虫鳴く>の季語が効いている。

三枝みずほ

特選句「廃校やおおむね晴れて蕎麦の花」。廃校という置き去られてしまうものと群生する蕎麦の花との対比。おおむね晴れていると言い聞かせるように自分自身を納得させるように現状を受け止める。おおむね晴れているという措辞は哀しみ傷みがあるからこその表現だろう。

滝澤 泰斗

猛暑、酷暑の八月の異常な夏から台風一過、涼しい秋がやってくる九月の移ろいの中、この時期ならではの季節感の句が目についた。特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。病気療養中の年老いた父への見舞い風景はよくあるシーン。どんな話をすればいいのかの迷いに、時候の事や母の事になるのも普通だが、何故か息子や娘の愛惜が滲む。特選句「新涼の古都ヘプバーンの襟足」。その昔、二人のヘプバーンがいた。「映画の友」だったか、「スクリーン」だったかの評論に「本物のヘプバーン」とキャサリン・ヘプバーンを称賛して、オードリーを蔑んだ記事を目にしたことがある。冗談じゃない、あの「ローマの休日」をキャサリンには演じられない。ヘプバーンの襟足に目は行かなかったが、可憐な王女ヘプバーン様は、二の腕に「わが命 ヘプバーン」と刻みたかった。風の盆の句に交じって「先生も復習(さら)う山村盆踊り」。何時の海程の大会だったか、兜太先生が秩父音戸をみんなと踊ったことを思い出した。先生の真面目な顔で踊る姿が忘れられない。問題の「汚染水」や核問題から「処理水や汚染水だの夏の陣」。『残暑ですねえ「処理水」ですよ海神さま』。八月は甲子園の高校野球、世界水泳、世界陸上、バスケットワールドカップなどなど目白押しそんな中から「やつと終わつた八月のノーサイド」。自分が合唱をやっていることもあるが、月を一人のファルセットと詠んだ新鮮さを買った。「お月さまずっと一人のファルセット」。

樽谷 宗寛

特選句「句集『百年』の黙読処暑の雲うごく(野田信章)」。季語と句集『百年』の取り合わせが良い。「ダラダラとノンベンダラリとぽっち夏(田中アパート)」。惹かれました。私のこの夏の日常でした。

藤川 宏樹

特選句「胸痩せて秋蝶の影平らなる」。いよいよロマンスグレーを過ぎて全面の白髪頭に、胸は痩せ正に秋蝶の影のごとく平らになりました。寂しい限りです。この秋に体を鍛え、少しは逞しくなりたいと思います。

風   子

特選句「メガトンてふ永久の単位や原爆忌」。原爆忌の句として素直に頷けます。

津田 将也

特選句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。晩秋の秋の海は、いち早く変貌し、暗い色彩の冬を受けいれようとはじめている。「もう人を寄せつけぬ色」には、それらの実感がこもっており、ゆるがない。特選句「駅ビルへ響くツピーと四十雀(佐藤仁美)」。四十雀は一五センチくらいの留鳥で、腹の中央には黒い筋がある。平地から山地まで広く分布しているので、偶には都市の駅やビルへもやって来て「ツーツーピー」を繰り返し鳴き、人たちの耳目を楽しませてくれる。問題句「ぎこちなくギブスの右手藤は実に」。句の、「ギブス」の表記は「ギプス」が正しい。ドイツ語で(Gips)、石膏を意味する。私の入選句にしたい句でもあったので、「ギプス」と読み替えたうえ、入選句とさせていただいた。

新野 祐子

特選句「燃え滓の花火の軸の引き揚げ記」。今夏、満州や韓国からの引き揚げ記を二、三読みました。「燃え滓の花火の軸」という比喩、見事です。「夏帽子で始まる恋もここ神戸」「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。この酷暑を忘れ、しんと心が静まりました。

男波 弘志

「私からあんたを引くと秋の風」。哀しみを主とする覚悟なのか、哀しみに耐えきれぬ恨みか、いづれも人間そのものであろう。秀作

山田 哲夫

特選句「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。人間誰しも自分の心の内にそっと温めて置きたい思い出や情景があると思うのは私だけだろうか。この句に詠まれた「夏満月」の澄んだ情景は、亡き妻を偲ぶ作者の、男ごころをじーんとさせて止まない、かけがえのないこころの風景に他ならない。この句には、そうした自分を落ち着いた眼差しで眺める穏やかな作者こころのありざまを感じて何とも捨てがたい魅力を感じる。

あずお玲子

特選句「我が手だけ見暮らし古希に秋ですね」。自分と家族、その周りに精一杯の暮らし。気付けば古希を迎える作者。ただそれだけではなく、季節の移ろいを肌で感じ取る繊細さも持っていて、その心の豊かさに感心する。下五の軽やかさが素敵。「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医」。作者の自解を是非お聞きしたいです。→ 作者の三好つや子さんに自句自解をお願いしました。 拙句が目に止まり、光栄です。心身ともに発達途上の病児を治すには、色んな知識が必要だと思います。1万の個眼を持つといわれる蜻蛉。そんな蜻蛉の眼があれば、子どもの小さな変化にも気づくことができるかも。小児科にかかわる人は、医師でなくとも、そういう気持で向きあっていると思い、蜻蛉にたとえてみました。ありがとうございました。

大西 健司

特選句「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。これは問題句だろうと思いながらもあえて特選とした。何ともいえない味わいがあり、この方言がいい。内容はいまいち不明なところもあるがこれもまた魅力。

伊藤  幸

特選句「群衆の中の孤独や赤い羽根」。「赤い羽根募金お願いします」毎年十月 になると街頭で共同募金が行われる。群衆に交じって幾ばくかのコインを募金箱に入れ見渡せば周りは楽しそうなカップルや親子連れ。ふと寂寥感に苛まれる自分がそこに佇っているのに気づく。自分は独りなのだ。なんとなく共感を覚える句でした。

鈴木 幸江

特選評「蜻蛉の目で歩み寄る小児科医(三好つや子)」。私も複眼を持つことに憧れる。蜻蛉のあのような大きな複眼を持ったら、物事を多面的に見る能力が付随してくるのではないだろうかと期待する。小児科医に、もし、子どもの病の多様性を多面的に診る力があったならどれ程助けになるだろうか。きっと、この小児科医は、カミと呼ばれることだろう。特選句評「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。どんな細やかな良心の光をも逃さぬ感性が私にも欲しいものだ。“襞に入るひかり帰さず“に鶏頭花の新しい価値評価を創造的に、美として力強く感受している作者の感性も素晴らしい。

植松 まめ

特選句「涼しさや海峡を翔ぶ白鳥座」。とても大きな景色が描かれていて海峡を翔ぶと星座が擬人化されていて臨場感がある。特選句「地虫鳴く〈国が決めた〉という標語(森本由美子)」。原発の汚染水放出や軍事費を二倍にするため税金を上げるという政府の勝手な政策がどんどん押し切られている国民は地虫のようにひ弱なこえで鳴くだけでいいのか。気になる句。「郵便受けに果し状が来る九月」。何の果し状か気になるなあ。時代劇でもあるまいにと思うが面白い。

松岡 早苗

特選句「男はつらい女はもっと星今宵(柴田清子)」。映画の中の寅さんやさくらさん、たくさんのマドンナたちが浮かんできました。映画と切り離して鑑賞しても、軽妙さの中に、人生の哀歓やロマンが感じられる素敵な御句です。特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。平明でありながら深く心打たれる御句です。何の変哲もない場面描写が、かえって父子の深い絆や心の交流をありありと感じさせ、ぐっときました。

石井 はな

特選句「幾たびも洗ふ両の手八月来(松岡早苗)」。八月は特別な月です。原爆、終戦… 人間の業を洗い流すように手を洗う。洗い流したいと切に思います。

佐孝 石画

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。「あんた」がいない喪失感を、このように軽やかな引き算で喩えている作者の心情を思う。滑稽で少し自虐的な口語表現だからこそ、残された作者の深い哀切が滲んでくる。引き算でのこったのは「秋の風」。そして「私」。暑い夏の終わりを告げる涼しげな「秋の風」が、「あんた」のいない切ない現実をふと引き寄せる。この一流のポップソングに多くの読者は共感し、惹きつけられるだろう。

柴田 清子

特選句「バラ多彩そよぎそれぞれに重さあり」。私には、バラがそよぐ、揺れるなんて思った事がないし思えない、今も。この句を読んで始めて花に向き合った人それぞれの思い、胸の内の深さが「そよぐ重さ」であると、とらえているところが、魅力的。私の知らなかった『バラそしてバラ』を感じさせてくれた句でした。

高木 水志

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。何となく寂しさを感じる俳句。秋の風は肌身に冷気をもって吹きすぎる。心の寂しさを感じる。

三好つや子

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。秋風の捉え方にぞくっと惹かれました。愛なのか、しがらみなのか、結論を先延ばしにしてぐずぐずと暮らす夫婦や、カップルの冷ややかな関係が、リアルに伝わってきます。特選句「またお前か朝蝉の死んだふり」。たぶん蝉のことではなく、朝になっても動こうとしない妻、あるいはてきぱきと働かない部下、ひょっとしたら言い訳ばかりしている自分自身に叱咤しているのかも知れません。「手話の少年精霊飛蝗かな」。原っぱでよく見かけるバッタが、「精霊飛蝗」ということを知りました。この漢字の雰囲気が、手話をする少年とどこかマッチしていて、興味深いです。「落蝉の空を掴んだままの手の」。夏の申し子である蝉の、生命を全うした姿が美しい一方で、物哀しさを誘います。

川本 一葉

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭の襞。およそ花ではないみたいなあの襞。植物なのに動物的な、少しグロテスクな。その花が光を帰さない。物語を孕んでいるようなぞくぞくする句だと思いました。とっても惹かれました。

柾木はつ子

特選句 「私からあんたを引くと秋の風」。夫婦でしょうか?それとも恋人?あるいは友達かも?相棒がいないと秋風のように寂しい気持ちを引き算で表現した所が面白いです。特選句「ひがんばな満開といふさみしさに」。彼岸花は満開になると華やかなのになぜか昏くさみしい感じがします。よく捉えておられると思いました。

河野 志保

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。ぶっきらぼうに表現された恋心に好感。恋よりもっと熟成された愛情の表出かもしれない。「秋の風」がぴったりで素敵な句。

淡路 放生

特選句「彦星やまだ良きこともありぬべし」。―「彦星」は七夕のこと。「まだ良きこともありぬべし」いいですねぇ。「まだ」が実にさりげなくてよい。好きな句です。

山本 弥生

特選句「父見舞ふ野分のことや母のこと」。歳を重ねて両親の御恩が分かる娘になり長期入院を重ねて居られるお父様を時々見舞われ、いつの間にか今年も野分の時期となり、留守の家の事や、特に高齢のお母様の事等気がかりになっておられる事の近況を報告して安心して頂いた。

疋田恵美子

特選句「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。蒼地に朝顔の浴衣いいですね私も花火の夜同じ浴衣で楽しみました。特選句『残暑ですねぇ「処理水」ですよ海神さま』。海神様は何と申されましょうか。原点に問題があり声を聴き取る心を持たねば、同じ誤ちが生じます。

増田 暁子

特選句「お月さまずっと一人のファルセット」。スーパームーンのお月さま、本当に素晴らしい姿がずっとファルセットで皆さんを魅了しました。ファルセットがぴったりでした。特選句「盂蘭盆会父という字のもたれ合う」。盆供養で、父上との絆を字の形から思い浮かべられたのでしょう。もたれあうが素敵です。

岡田ミツヒロ

特選句「もう人を寄せつけぬ色秋の海」。核融合水の海洋放出。太古以来、人の生活生命を支え続けてきた母なる海、海はいま絶望と怨嗟の色に染まり人を寄せつけない決意を示している。特選句「私からあんたを引くと秋の風」。歳月を重ねる「あんた」の呼称が定着した。「あんた」の重量感、存在感。引き算されれば、ガランドウ。秋の風が吹き抜けるだけ。まさにズバリそのものの句。

三好三香穂

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。秋の風は心地良いのか、寒いのか?いなくていいのよという脅しか?

大浦ともこ

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。”あんた”ってどんな人だろうか?など少しなげやりな感じの一句の中のいろいろな思いを想像できて面白い句と思いました。特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭花の形状や質感が詩的に表現されていて、作者の繊細なまなざしが心に響きました。

竹本  仰

特選句「ひがんばな満開といふさみしさに」:彼岸花の満開だなんて、何と珍しい。そういう表現が、ですね。咲いてさみしいのは桜だって同じですが、さみしさは違います。その落差と言いましょうか、さみしさの向こうにあるものが。だから何というのか、意外としっかりしたさみしさではなかろうか。さみしさを余りよくないことだと教えられた価値観から見れば、古典の世界など見るべきものは無いのかもしれませんが、その価値観の向こうにあるもの、涼しくっていいものでは?特選句「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」:澄みよう、ここにやられました。今となっては、色んなことがよく見えてくる、妻も自分も、ああだったんだな、笑えちゃうが…等々。でもこれはもう、贅沢な哲学の時間でしょう。そんな偉人やむつかしい思考じゃなくて、ありのままで生きることを確かめるという。死んではいないよ、お互いに。と、そういう声が聞こえるように思いました。「さすらいの飢餓月匂う子供らよ」:月匂う、これはちょっと出てきそうにない表現です。運命というか、そういう大きなものを抱えたというか。ただ私たちもまた、さすらいの飢餓の隣人であり、何万と戦災の孤児がうろつく国であったのであり、また今も一枚ドアを開け違えればそうなってしまう所にいるのではありませんか。ふとそう思わせてくれましたが。

 酷暑はいつ終わるのか。残暑とくっつけると、残酷暑ということですが、みなさんはいかがでしょうか。みなさん、いい句を作りますね。あらためてそのことに感心しました。汲々と暮らす毎日で、いい句には無縁だなと反省。ところで、淡路島の人は、暮らす、という語を使わないのです。なぜでしょう?昔、地元の劇団に台本を書いた時、「どう暮らしていくんだ?」というセリフにクレームが。そんな「暮らす」なんて誰が言うか?と。そういえば、私の故郷大分では「生活」とか「暮らし」とは言わず「いのちき」と言うのです。「お前はどういのちきしちょるんか?」という具合。いのちのタネみたいなニュアンスでしたか。だから、子供心に生活はどこも必死なものだという感触が残りました。時々、独り言で方言を使っており、故郷に帰ると、異様なくらい聞き耳を立て、方言を聞きもらすまいとしている自分がいます。これも心の滋養だというように。また、みなさん、よろしくお願いします。

中村 セミ

特選句「泣いたまま夏の影出て歩きだす」。一言でいうと、幽体離脱かとも思うが、夏の影ともあるので,時に気象の世界でも、秩序が温暖化で狂い今まででは,違うことが、おこりはじめている。36度はいつまでつづく、等等。

菅原香代子

特選句「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。妙に毒毒しくまた生々しさも感じました。「老父居て入道雲の余白かな」。昔の元気だった頃の父を入道雲で表して今を余白とするその組み合わせが絶妙です。

野田 信章

特選句「二歳兒の憂い顔って草の花」。二歳兒の愛らしさの中にも、ふっと見せる瞬時の表情を「憂い顔って草の花」と感受することの独自性、「憂い」ともはっきり言えないような、名もない草の花にどうかするほかないような微妙さが言い止められている。この生ぶな感受が素晴らしいのだ。<三つ子の魂百まで>のその前期の句として、この句ありとも読んだ。

田中 怜子

特選句「句集『百年』の黙読処暑の雲うごく(野田信章)」。句集「百年」 そういう時間をもちたいですね。書に目を通し、先生の世界にひたり余韻で満たされている。ふと空を見上げると処暑の雲の動きにほっとする反面、寂しさも感じる。いい時間ですね。特選句「高野山往還彩る大毛蓼(樽谷宗寛)」。 高野山という舞台もいいし、大毛蓼の赤い花序が揺れている、行きたくなりました。 句稿の中「吊るランプ ルシャランプロのランプ点く」の<ルシャランプロ>ってなんですか? また「ラウニィ行く秋の船には蒸気積み」の<ラウニィ>もなんですか? 言葉書きが欲しい。 

作者の中村セミさんにお尋ねしました。→<ルシャランプロ>ですが、56年前の詩にルシャランプロの日曜市 夜店のランプかたちならんだ、縁日からとっています。また,造語です。地域はありません。あなたの心に存在したら,嬉しいです。<ラウニィ>ですが、遠く海の沖にある悲しい少年,少女のはいるラウラアスラウという施設がある島の名前です。蒸気は、仙人が霞を,食べるように少年達がたべるものです。 

川崎千鶴子

特選句「二歳兒の憂い顔って草の花」。二歳児のふとした憂い顔を「草の花」の例えに感嘆です。「お月様ずっと一人のファルセット」。月はずっとひとりで輝き無月になったり、満月になったりしている、それをファルセットと表現したすばらしさ。「夏満月の澄みよう妻の忌をかさね」。何回かの忌を重ねるうちにいろいろな胸の内は夏の満月のように澄んできましたといただきました。

漆原 義典

特選句「夏帽子で始まる恋もここ神戸」。青春の喜びが湧き上がり、清々しい気持ちにさせてくれました。夏帽子が強烈です。うれしくなる句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「革命ちゅうは鼻血じゃなかか飛んだ星」。革命はロマンならず鼻血とうそぶく。しかし、私にとっては死ぬまでロマンです。おそらく・・・。山形吟行の盛会をお祈りいたします。

佳   凛

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。襞に入った光を吸収してしまう、深みのある、鶏頭花なのですね。ここまで観察すると相手も答えて呉れるのですね。日常の忙しさの中に、こんな時間を取れる幸せ、俳句って本当に豊な心を育んでくれることを、知りました。

榎本 祐子

特選句「風籟のハモニカ僕に満ちし秋(岡田奈々)」。ハモニカの鳴っているような風の音に満たされてゆく作者。自然の内に身を置く充足感が心地よい。

山下 一夫

特選句「私からあんたを引くと秋の風」。「あんた」というはすっぱな言葉遣いと風流の真骨頂とも言える季語とのミスマッチ感が絶妙で印象的。「私」は「あたい」の方が良さそうにも見えますが、掲句の方がいい具合に不協和音を増幅するとも言えそうです。特選句「ほゝづきをあっさり鳴らし妻の昼」。日常の一情景の描写なのですが妙に生々しい雰囲気が漂います。ほおずきを鳴らすのはなかなか難しく息と唇と舌と歯を巧みに使わなければなりません。ちなみに当方は種を抜くところからうまくできません。それを「あっさり」というのは相当で、下五には「昼下がりの・・」を連想してしまうからでしょうか。巧みな一句です。問題句「教頭の流すそうめん皆で取る」。謎の情景です。行為は昔ならともかくコロナ禍以降の昨今では御法度。上意下達に関する寓意があるとして、校長が流すのならともかく教頭ではリアリティがありません。よほど好かれている教頭がいて、その言葉や情報を教員皆がありがたがるということでしょうか。では「そうめん」とは、と妄想は広がるのでした。

菅原 春み

特選句「幾たびも洗う両の手八月来(松岡早苗)」。八月は特別意味のある月だ。二足歩行になった人間が自由に使える両手でさまざまなものを作ってきた。平和を願うばかりだ。特選句「遠花火遠縁が住んでるあたり」。あるあるの風景をここまでていねいに切り取ったと。遠くがふたつ。それでも穏やかな夜だ。

野口思づゑ

「処理水や汚染水だの夏の陣」。実際は汚染であっても処理水と誤魔化している、いや科学的に処理されている水なのだと、その呼び方の違いに実は重要な争点が隠されている。それを見事についた句だと思う。「朝顔の浴衣や老女紅を引く」。若い頃は艶かしいお仕事をされていたのでは、といったお年寄りを想像してしまいました。「群衆の中の孤独や赤い羽根」。赤い羽をつけ社会の一員としての役目を果たしてる自分、でも群衆の中でのより強く感じる孤独がよく表現されている。

稲   暁

特選句「鬼灯の逃げも隠れもせぬ色に」。 秋が来て赤く色づき熟した鬼灯。「逃げも隠れもせぬ色」が意表を突いて絶妙。

森本由美子

特選句「水滴の大きく響く無月かな」。全てが地球とは関わりのない宇宙で起きている現象と感じさせる。水滴も響きも。幻想と空想が混じり合った世界。

銀   次

月の誤読●「バケツまんぱいに夏雲をちょうだい(三枝みずほ)」。という言葉がわたしのクチから出たとたん、手にしたバケツのなかに霧のようなものが立ちこめた。最初はそれがなんなのかわからなかったが、よくよく見ればそれはまさしく雲だった。神のしわざか誰れのしわざかわからぬが、別に願ったワケではない。ただちょっといい感じの句になりそうだと口にしただけだ。まさかほんとうにそんなことが叶おうなどとは思いもしなかった。次いでアタマに浮かんだのは、さて、これをいったいどうしたものか、ということだ。正直、こんなものをもらっても困る。だいいち、掃除中なのにバケツが使えないではないか。しばし考え、(ちょっと惜しい気はしたが)捨てちまおうとバケツを逆さにして振ってみた。だが雲はしっかとバケツに入り込み、こぼれさえしないのだ。ふむ、どうしたものか。ふと思い立ち、リビングに持っていってテーブルの上に飾ってみたが、どうもインテリアとしてはふさわしくない。寝室に持っていったが場違いだった。書斎にも、風呂場にも、トイレにも置いてみたが、どこも似合わない。どうもバケツがよくなかったようだ。金魚鉢にしとけばよかったのにと思ったが、それだと俳句としてどうか。などと考えている場合ではない。わたしは掃除中なのだ。さっさとこの問題を終わらさなければ、買い物にいけなくなってしまう。と、ここで思いついたのが、バケツをほかのものでそれこそ「まんぱい」にしてしまうことだ。ふつうに考えれば、まあ水だろうな。そこで「雲の入ったバケツを水でまんぱいにする作戦」を実行することにした。さっそく、バケツを庭に持ってゆき、ホースで水を入れることにした。万端用意し、蛇口をひねり、さあ、いましも水をというところで、ふとうしろに気配を感じた。振り返ってみると、真っ白な洋服を着た女の子が立っていた。その子は少し哀しそうな声で「それいらないの?」と訊いてきた。わたしが「えーと、まあ」と曖昧な返事をしていると、彼女はその雲をつまみ上げて、ひらり、空へと舞い上がっていった。わたしは空っぽになったバケツを前に、なんだかいけないことをしたような気がして、しばらく立ちつくしていた。

佐藤 仁美

特選句「白靴脱ぐあのねぇって言ったきり」。子育て真っ最中の一場面。ほのぼのします。特選句「素麺の合間に流るる葡萄かな(松本美智子)」。流しそうめんの楽しそうな、会話や笑い声が聞こえてくるようです。

向井 桐華

特選句「ほゞづきをあつさり鳴らし妻の昼」。ほおずきを鳴らすのはなかなか難しいですね。それをあっさりと鳴らす奥様とびっくりする旦那様。このご夫婦の日常が見えてくるような微笑ましく、素敵だなと思いました。問題句「 あめゆじゆとてちてけんじや ゆきのひとわん」。オマージュと言う域を超えてしまっている。

桂  凜火

特選句「濁音で逢いに来る人葉鶏頭」。濁音で逢いに来る人はどんな人だろう 年の若くない思い人だろうか、逢いにくるのだから 異性だろうが ちょっとひっかかる「濁音」で句に広がりできているなあとおもいました。葉鶏頭も味わいがありますね。

時田 幻椏

特選句「襞に入るひかり帰さず鶏頭花」。鶏頭の花の質感が如実です。成る程と思いました。特選句「胸痩せて秋蝶の影平らなる」。夏痩せをした身体と心情の切なさが如実です。「群衆の中の孤独や赤い羽根」。月並み、当たり前の情緒ながらも・・良いですね。「男はつらい女はもっと星今宵」。こんななにげない感性も良いですね。問題句「梅酒に梅の実ありし考ありし」。ありし? 私は良く解らないのですが、梅の実も今は無い。梅の実が梅酒に在るならば、「梅の実のあり考ありし」になるのでは。

藤田 乙女

特選句「落鮎や糾(あざ)う事無き歳の恋」。恋の想いは生涯を終えるまでずっと持ち続けるもの。実際の対象がいない私は中国時代劇ドラマのヒロインになりきってドラマの時間だけは心をときめかせ、恋に恋して幸福感に浸っています。 特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。秋の夜、ふとした時やある刹那急に郷愁を感じ、またすぐに消えてしまうことがあります。それを「ぽちっとカートに」としたのが「言い得て妙」な表現だと感心しました。

薫   香

特選句「して町は雨後の軽さに処暑の夕(あずお玲子)」。なんだか音読したらしっくりくる句でした。情景も浮かび、その時の気持ち良さも伝わってきました。特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。こんな風に肩の力を抜いて俳句が詠めたら素敵です。なんだかぽちっとしたくなりました。

松本美智子

特選句「郷愁をぽちっとカートへ夜の秋」。秋の夜長ついつい,ネットで買い物をしてしまうことが・・・ふるさとの懐かしい味を求めてぽちっとカートにいれてしまう「秋の夜」ではなく「夜の秋」としたところに奥行きを感じました。

野﨑 憲子

特選句「郵便受けに果し状が来る九月(淡路放生)」。凛と漲る作者の決意を感じる意欲作。宮本武蔵を思った。特選句「落鮎や糾う事無き歳の恋(時田幻椏)」。「男根は落鮎のごと垂れにけり(金子兜太)」が浮んできた。この句は、師が、毎日芸術賞特別賞を受賞し、その記念スピーチで披露し大好評だったと、同年の「海程」全国大会の主宰挨拶で楽しそうに話されていた。当時九十歳。ご自身の加齢についてもポジティブだった。作者も、師を偲んで創られたのだろう。昨日のことのようだ。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋刀魚
おーいおやじもう一杯やさんま食ふ
島田 章平
秋刀魚焼く父は下戸なり酒一合
植松 まめ
ふるさとの荷はひしおの香秋刀魚焼く
大浦ともこ
さんま焼く芦屋生まれの晴子さん
増田 天志
皿からはみ出すさんまお前もか
薫   香
横たわる秋刀魚の覚悟網の上
銀   次
芭蕉
芭蕉はらり躱して龍は宵っぱり
あずお玲子
古里の寺に吹くなり芭蕉風
植松 まめ
歩むほど地霊登りゆく芭蕉
野﨑 憲子
月を釣る旅人ひとり芭蕉かな
野﨑 憲子
秋の昼天志が芭蕉説いてゐる
増田 天志
花すすき仮面の乱舞乱舞かな
野﨑 憲子
芒原特急通過待つ鈍行
藤川 宏樹
駄々っ子の龍が芒をなぎ倒し
あずお玲子
芒原秒針狂ひずっと午後
あずお玲子
どの服を着て逢おうかな花すすき
柴田 清子
帽子舞う追いかけて追いかけてすすき原
銀   次
芒野や日蔭の石の青光る
野﨑 憲子
にんげんをひと皮むけば花すすき
増田 天志
溺れるやうに歓喜のやうに芒
野﨑 憲子
花すすき対角線に道できる
増田 天志
昨日より日のつれなくて花芒
大浦ともこ
をりとればひとのおもさのすすきのほ
島田 章平
すすきの向こうに四万十川晩夏
薫   香
小鳥(来る)
小鳥が一羽小鳥が二羽と子守唄
銀   次
青滲むオランダイル小鳥来る
大浦ともこ
小鳥来る窓に猫の眼が光る
植松 まめ
小鳥来るおくどはんかて生きたはる
増田 天志
小鳥が来ないからこっちから行っちゃおう
柴田 清子
小鳥くるダリの手の上髭の上
島田 章平
小鳥来るどこへお出掛けけんけんぱ
薫   香
舞ひ上がるぴえろの帽子小鳥来る
野﨑 憲子
別れとは駅で抱き合ふ秋の蝶
島田 章平
秋の駅魔が差したとは言わせない
野﨑 憲子
文化祭の歓声いまも秋の駅
野﨑 憲子
月見草ひとりぼっちの志度の駅
薫   香

【通信欄】&【句会メモ】

9月23日は、金子兜太先生のご生誕百四年。香川でも曼珠沙華があちこちで花ひらいていました。師が話していらした「いのちの空間」を思いました。国境も、性別も、現世も、他界も、時の縛りもない空間です。そこから出て来る五七五の愛語に、世界を変える力があるかも知れない、という思いがますます強くなってまいりました。これからも一回一回の句会を大切に熱く渦巻いてまいりたいです。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は、久しぶりに、大津から増田天志さんが、青春18切符で高松の句会へ! そして、佐藤稚鬼さんご夫妻や、三枝みずほさんも、ご参加くださり、総勢13人の盛会でした。天志さんは、来月の山形吟行に因み、芭蕉が山寺で詠んだ「閑さや岩にしみ入る蟬の声」への熱い考察をお話くださいました。ありがとうございました。

2023年8月27日 (日)

第142回「海程香川」句会(2023.08.19)

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事前投句参加者の一句

父母(ちちはは)のゆるい溺愛夜の蝉 三好つや子
寝返りのきのうに戻る熱帯夜 増田 暁子
大西日『はだしのゲン』の居る床屋 松岡 早苗
たつぷりと水撒き八時十五分 あずお玲子
みぞおちに螢遊ばせ仁王像 増田 天志
白百合の揺れを招きと思いけり 河田 清峰
色褪せし紫陽花かたちをとどめおき 三好三香穂
薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ 小西 瞬夏
余世とは白い紙切きれ金魚玉 谷  孝江
幻覚と想って生きた黒い雨 田中アパート
八月の椅子置けば八月の影 月野ぽぽな
大人びた子の眼差や晩夏憂し 森本由美子
白雨来て病室という函包む 大浦ともこ
クレヨンの笑みがはじける夕焼かな 高木 水志
真夜の蝉鳴く急がねば果たさねば 時田 幻椏
装甲車がとなりをはしる平和 薫   香
孫が擂りひりひり辛し夏大根 野田 信章
知らぬ子の手の握りくる夏祭 菅原 春み
夏合宿飛び散る墨や琵琶湖炎ゆ 漆原 義典
炎天の影へばりつく無縁墓 松本美智子
長生きせな翔平アーチ夏雲に 塩野 正春
夜の蟬自意識をぶら下げている 榎本 祐子
掌に取れば花烏瓜さんざめく 新野 祐子
積乱雲 常に冷めてる頭のすみ 田中 怜子
定家葛ひそかに兜太ヘ蔓延びぬ 疋田恵美子
二棟分更地完了虹二重 亀山祐美子
ぺらぺらと舌の奔放てんぐ茸 川崎千鶴子
あめんぼう飛んで恋句のありどころ 男波 弘志
ちちははと同じ手順の墓掃除 佐藤 仁美
眠られぬ今宵外に出よ星涼し 柾木はつ子
「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み 寺町志津子
散々に敗れて清し夏の空 山下 一夫
薔薇ばらバラばらBARAバラ薔薇 地球 島田 章平
青蜥蜴ガラスの箱は狭かろう 菅原香代子
家系図に余白たっぷり夜の桃 津田 将也
風鈴の風に色あり青い海 稲葉 千尋
一人居の のりたまごはん夏座敷 荒井まり子
さつき見た夢かき消えて蝉シャワー 福井 明子
花火連発口開け仰け反る十二階 山本 弥生
鬼やんまと少年風の熊野かな 大西 健司
自分さがし鰻ぬるぬるぬるぬらり 岡田ミツヒロ
人類の一人宇宙の一流星 風   子
猛暑日の裏は極寒愛しテラ 滝澤 泰斗
打ち水やパン屋の猫の名はオバケ 向井 桐華
すすき手を振る次の世へ次の世へ 十河 宣洋
夏草や古書の湿りの蚊を挟む 豊原 清明
アマリリス廊下の奥が懺悔室 桂  凜火
色褪せた水着は私の抜け殻 柴田 清子
若き農婦のボブが素敵さ茄子に汗 伊藤  幸
結論は明日にしませうソーダ水 吉田 和恵
目隠しを外せばピカドンの 夏野 若森 京子
弄ぶ風は魔術師桐一葉 佳   凛
AIに育てられしか水中花 野口思づゑ
魂の話よ夏の満月よ 石井 はな
夕立や同じ角度に傾く傘 山田 哲夫
向日葵咲く午後から風が強い場所 河野 志保
夕焼けにギヤマン並べる美学かな 重松 敬子
問いだけでいいのほんとは桃なんて 竹本  仰
背に掛けて海の匂いの夏帽子 稲   暁
怯(ひるむ)もの去りゆく心悲しくて 鈴木 幸江
炎昼なり青春の彼の地新宿よ 銀   次
麦茶飲みほす全方位の青空 三枝みずほ
ニンゲンガイキスギナンダ蝉骸 藤川 宏樹
晩夏ゆく切符渡して海の上 中村 セミ
どの窓からも和泉連山蝉時雨 樽谷 宗寛
愛想なき君オクラを柔らかく茹でる 岡田 奈々
トマト噛むその混沌を得るために 佐孝 石画
長き夜や日記とラヂオ深夜便 川本 一葉
白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ 松本 勇二
秋刀魚焼くかぎり孤独はありません 淡路 放生
老年やジュリー素のまま水羊羹 植松 まめ
絶滅か進化か蜘蛛の糸ゆらり 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。幸せな気持ちにさせられます。こういう生き方、人生観を持ちたいものです。

増田 天志

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ」。感性の作品。昭和の匂いぷうんと、懐かしい。

小西 瞬夏

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。シンプルなつくり方、そして八月のリフレイン。それがより悲しみを増幅させている。椅子に座る人や、椅子を並べるイベントなどのことは言わず、影だけに思いが託されている。

月野ぽぽな

特選句「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。人混みの中お母さんと間違えたのでしょうか。きっと優しくそのまま握らせてあげていたことでしょう。目の高さに屈んで、驚く子を安心させてあげながら、近くにいるはずのお母さんを一緒に探してあげたことでしょう。私たちは皆深いところで繋がっています。

豊原 清明

特選句「人類の一人宇宙の一流星」。「一流星」がいいと思った。人類、地球感覚で捕らえるところに視野の広さ。問題句「スニーカーの紐縺れてしまって巴里祭(伊藤 幸)」。紐縺れに創作を感じた。現代的な俳句と思って。日常の細かな描写が好きなので、ひかれました。

桂  凜火

特選句「夏合宿飛び散る墨や琵琶湖炎ゆ」。書道部の部活動の様子でしょうか 琵琶湖での大会なのかもしれないですが臨場感がよくでていていいなと思います。「琵琶湖炎ゆ」が雄大で素敵です。

岡田 奈々

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。いくつからが余生か知らないが、全く何も決まっていないし、何をしても良いし、空中に浮かぶ金魚玉の様に自由に生きよう。特選句「薔薇ばらバラばらBARAバラ薔薇 地球」。みんなバラバラ。何を考え、何をしようとしているのか、地球は哲学。「寝返りのきのうに戻る熱帯夜」。この所寝付けなくて、1時間おきに時計を見たりして。なかなか時も進まず。つい、昨日の事など、思い出したり。「クレヨンの笑みがはじける夕焼けかな」。めちゃくちゃ可愛い今日も良い一日を有難う。「孫が擂りひりひり辛し夏大根」。夏大根は誰が擂っても辛い。「夜の蝉自意識をぶら下げている」。何故か夜も鳴く蝉。あれを自意識過剰と言うのですね。「「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み」これって自由研究?「油照引越荷物遺品めく」。ゆらゆらと、湯気立ち、荷物までも溶けて無くなってしまいそう。「トマト噛むその混沌を得るために」。トマト噛むと中身が飛び散って、そこら中がトマトの赤い汁と種でとんでもない事に。また、洗い物増やして。なに哲学者ぶってごまかしても赦さないわよ。「郭公托卵数字ばかりの日経新聞」。読者は何も知らないと思って、数字でごまかさないでください。

男波 弘志

「晩夏ゆく切符渡して海の上」。旅の一場面を只切り取ったようにも見えるが、それほどやさしい一行詩ではないだろう。先ず身の内に所有しているものを手放す、そのことに深い述懐が潜んでいる。余りにも小さな紙切れがこれからの羅針盤になってゆく、それを手渡す、託す、そのことによって無一物の自己が旅人となったのである。これが列車ではなく船であったことが一層晩夏を引き寄せている。上5の「ゆく」が聊かわかりにくい繋がりではある。「晩夏光」でも句としては成立するのではないか。秀作。

大西 健司

特選句「色褪せた水着は私の脱け殻」。どこからか出て来た若い頃の水着。そんなお気に入りの水着も色褪せてしまっている。それはあたかも私の抜け殻。「よくこんな水着入ったよね」そんな声が聞こえてきそう。どこか哀しくておかしい。

稲葉 千尋

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。『はだしのゲン』置いてあるだけで素晴しい床屋さん。理屈はいらない。そんな床屋さんに、小生も行きたい。

十河 宣洋

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。毎年原爆の慰霊のニュースを見ている。アメリカの蛮行を見る思いである。たっぷりと撒く水は現在の日本の豊かさの象徴のように見える。 特選句「Tシャツを空のかたちにしておかむ(小西瞬夏)」。爽やかな夏の風景。おおらかな風景がいい。

三枝みずほ

特選句「目隠しを外せばピカドンの 夏野」。一字空けの空白が惨状が起きたことを想起させ、きのこ雲の下にいた者の夏野へ読者を引きずり込む。戦前この目隠しが様々な方法で行われたが、今なお繰り返すこの目隠しの正体は何だろうか。知らないということの恐ろしさが伝わる一句。不都合なものを見ようとしないのは人間の本質なのかもしれない。

野口思づゑ

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。夕方の床屋に他の雑誌に混ざり『はだしのゲン』もあった、というそれだけの光景とはいえ、その話題が世相を反映する漫画を置いている床屋の人柄、西日を受け輝いている雑誌が目に浮かぶ。中7の『はだしのゲン』の「居る」で、作者は中沢啓治さんの存在を近く、現実的に捉えていると知る。「 自分さがし鰻ぬるぬるぬるぬらり」。ぬぬぬの字だけでヌルヌル感が伝わってくる。いつか自分が掴めますように。

樽谷 宗寛

特選句「身の芯に届く暑さとなりにけり(柴田清子)」。毎日毎日猛暑。芯まで届く暑さでした。うまく表現なさっています。私一度に好物のアイスキャンディー3本食べ、身の芯の暑さが一時的に消滅しました。

福井 明子

特選句「みぞおちに蛍あそばせ仁王像」。忿怒の形相で立ちつくす仁王像。そのみぞおちへの視点がしなやか。蛍は「いのち」や「明暗」、そんな不確かなイメージ。躍動する剛強な胸の筋肉の真下に蛍をあそばせるなんて。その斬新さに、涼しさをいただきました。特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす(島田章平)」。平仮名表記には、8月の敗戦の語り部と、語りえなかった亡き人々の無念をも包み込む力を感じます。見えないものの「ほのほ」。その「ほてり」があります。

津田 将也

特選句「鉄柵のアールヌーボー秋立ちぬ(松岡早苗)」。「アールヌーボー」とは、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由な曲線を取り入れ、組み合わせ、従来の様式に囚われない装飾性や、鉄・ガラスといった当時の新素材などを積極的に活用しているのが特徴。アールヌーボーの鉄柵に対し、「秋立ちぬ」の季語がよい。付近の建造物なども、もちろんアールヌーボーなのだろう。特選句「はんざきのどろりと動く夜の底(月野ぽぽな)」。「はんざき」は山椒魚の異称である。イモリに似て、山間の渓流や洞窟などに棲む。体長一メートルとも呼ばれる「大山椒魚」は、天然記念物として保護されているが、小さいものを料理して食べると、山椒の香りがするのでこの呼び名があるようだ。夜の渓流の暗黒の底でうごめく山椒魚の様子を「どろりと動く」と巧みな言葉で捉え、これが大物級であることが、自ずと読み手に伝わる。

鈴木 幸江

特選句評「クレヨンの笑みがはじける夕焼かな」。画材としてのクレヨンには、独特の質感があり、親しみやすい温みがある。「笑み」という言葉が明るい気持ちへ向かおうとする作者への共鳴を導いてくれる。私にもある同じ経験を思い出させてくれた。どんな色の「夕焼」を描いたのだろうか、あんな色か、こんな色かと想像するのも楽しかった。「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。果たしてこの子は、見知らぬ人だと承知でしたことか、勘違いでしたことか、どちらもあり得る。このドラマ性が素敵だ。人の心の美しさが思われ救われた。グローバル化の世界も、不安な子どもの世界も背景に感受できた。「薔薇ばらバラBARAバラ薔薇 地球」。多様な表現形式をもち、多義性のある日本語を連続させて、言葉がある混沌を生み出す。何を対象として捉えようとしているのか分からぬその不可解さ。作者は現在の地球の混沌を表出させようとしているのだろうと思った。比喩が“バラ”なら悪くはないと思った。今回は特選句を3句採ってしまった。お盆サービスではないが、大変な世になったという想いをお持ちの方は多いことと思い、そして、この3句にはまだ言葉にはならぬが、明るい可能性の光が見えていただいた。

柾木はつ子

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。 上五、中七、下五の素材の組み合わせがとても巧みだと思いました。読み手に色々な思いを抱かせてくれる素晴らしい作品だと思います。私には上五の「大西日」が人類の未来への警鐘を鳴らしているように思えました。特選句「長生きせな翔平アーチ夏雲に」。世の中忌々しき事ばかり、ついついため息が出ますが、そんな中、掲句のようなスカーッとした出来事があると気分も晴れやかになります。長生きもしたくなりますよね。もっともっと明るい話題が増えますように!

若森 京子

特選句「油照引越荷物遺品めく(菅原春み)」。特選句「夏の闇独り居チャットふふふ」。二句共、現代の暗い部分に焦点を当てている様に思う。「油照引越荷物遺品めく」は、老人の孤独死を想像するし、「夏の闇独り居チャットふふふ(塩野正春)」は、若者の一人籠りの姿を思う。

山田 哲夫

特選句「鬼やんまと少年風の熊野かな」。今週台風が上陸したばかりの熊野だが、この句の「風」は台風ではあるまい。私には熊野の山野を爽やかに吹き抜けてゆく夏の風が想像される。「鬼やんまと少年」という提示が確かな存在感を揺るぎなくさせていると思った。

三好つや子

特選句「白百合の揺れを招きと思いけり」。ギリシア神話の女神ヘラの乳から生まれたという白百合(鉄砲百合)は、キリスト教で聖母マリアに捧げる花としても知られています。そんな百合の神秘さをリリカルに捉え、魅せられました。特選句「八月の椅子置けば八月の影」。戦争の悲惨さを知る人が少なくなり、原爆投下された広島や長崎はもちろん、戦争でぼろぼろになったあの頃の日本のことが、風化しつつある昨今、心に迫ってくる作品。「鬼やんまと少年風の熊野かな」。夏の自然の中で逞しく成長してゆく少年像、さらに風の熊野という詩情ゆたかな表現力。「AIに育てられしか水中花」。水の中で美しさと愛らしさを振りまく、フェイクな花の淋しさに共感しました。

河田 清峰

特選句「ちちははと同じ手順の墓掃除」。いつのまにか嫌っていた父母の真似をしている姿を思う。

風   子

特選句『麦秋の戦渦ピカソの「泣く女」(疋田恵美子)』。ピカソのゲルニカを観た感動がまた蘇りました。戦争の悲惨さ残酷さを繰り返す人間、あのマチエールの美しい絵を描く人間、どちらも人間のなせる技なのが不可思議です。

松本美智子

特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。ヒロシマの語り部さんも高齢になり戦禍を後生に継承するすべがだんだんと薄れていくように思います。でも、未だに戦争は過去のものではないのです。いつも苦しむのは子どもに女に・・・弱い立場のものです。語り部さんはその熱い思いを業火の炎をはき出すごとく語り継ぐのでしょう。ひらがな表記にした効果とそうでない場合と・・・「八月の語り部が炎吹き出す」どのような効果があるのか?句会で皆さんの意見を聞きたいと思いました。そんな、魅力的な句であると思います。 ♡島田章平さん(作者」より→この句は浮かんだ瞬間にひらがな表記でした。漢字は浮かんできませんでした。説明はうまくできませんが・・・。ご選評を頂けて嬉しいです。

寺町志津子

特選句「爆心地ここぞ世界を変へるのは(野﨑憲子)」。大変嬉しく、有り難い御句です。広島はふる里です。広島市民の「核無き世界」への思いは一入ではありません。核なき世界になるよう願い、祈リながら暮らしております。「麦茶飲み干す全方位の青空」。景がよく見え、作者の満ち足りた思いも良く伝わって、明るい気分になりました。

伊藤  幸

特選句「定家葛ひそかに兜太蔓延びぬ」。螺旋状に這い上がり白い香りのよい花を咲かせ後に黄色に変わる定家葛。旧兜太邸又は墓碑もしくは句碑から兜太蔓と名付けられた新しい品種?の茎が出たものと思われる蔓。どのような花を咲かせどのような実をつけるか楽しみである。

菅原 春み

特選句「白雨来て病室という函包む」。白雨で映像が浮かび上がります。病室のなかでの身動きできない状況が肌で感じられます。特選句「はんざきのどろりと動く夜の底」。はんざきと夜は切り離せない。しかもどろり、夜の底では体感まで感じられて身動きできなくなる。

藤川 宏樹

特選句「チェストパスされし純情睡蓮花(岡田奈々)」。「チェストパスされし」ボール、「純情」のボールを胸でドスンと・・・。勝手ながら「純情」は恋の実直な告白と捉えました。「睡蓮花」が青春の一場面を後押しています。

植松 まめ

特選句「父母のゆるい溺愛夜の蝉」。上手く評はできないがとても惹かれる句です。特選句『「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み』。こんな純粋な時代が自分にもあったんだと思い出させてくれる句、大好きです。

吉田 和恵

特選句「アマリリス廊下の奥が懺悔室」。「戦争が廊下の奥に立っていた」―渡辺白泉のパロディーと思いますが、アマリリスがぴったり。曲が聞こえてきそうです。

塩野 正春

特選句「梅を干すベランダUFOはまだ来ない(榎本祐子)」。えっ? UFO を釣る餌は梅干しなのか、そうかもしれない。これまでは音(音楽)や光のリズムが良く使われていたのだが新しい発想があの甘酸っぱく香る梅干しだったとは! この句をUFO専門家に見せてあげたい。兜太師匠もびっくりの発想。現代俳句はこうありたい。特選句「雲とそら翼の日の丸それだけ(薫香)」。今日8月15日終戦記念日の日に味わった句が美しい。戦後といわれて長く日の丸も君が代も、青空までも虐げられてきた。日の丸をこんなに美しく取り上げた句はついぞ見なかった。青い空も日の丸もこれからは堂々と生きたい。似た句(筆者が感じることだが)「人生のずるずる錘や原爆忌(若森京子)」が出句され共感を覚えた。が、日本の未来をより感じさせる前者を特選にした。

野田 信章

特選句「愛想なき君オクラを柔らかく茹でる」。の「愛想なき君」のフレーズには男の身勝手な言い分にして本音の込もったところが窺える。そのことを、具体的な調理の手際よさによって反転してくれる修辞の鮮やかさがある。この軽い意外性こそ日常の景の一端の確かさと読んだ。原句は「愛想無き」だが、「愛想なき」としていただいた。

川崎千鶴子

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。「余生」とはただの空白の白い紙切れで、未来の無い透明な「金魚玉」と。楽しみの無い老いの感慨を嘆いている。老いを的確に表現して、なんとも寂しい句です。「寝返りのきのうに戻る熱帯夜」。寝床に入れば寝苦しく、寝返りをうつと昨日と同じ熱帯夜だった。表現のすばらしさ。

山本 弥生

特選句「孫が擂りひりひり辛し夏大根」。お母さんのお手伝いが出来るようになった孫の擂ってくれた夏大根。老いたりと云えども味覚もしっかり分かる。猛暑に気合を入れてくれて有難う。

荒井まり子

特選句「郭公托卵数字ばかりの日経新聞(増田暁子)」。取り合わせが斬新、面白い。新聞が俳句になるなんて。

松岡 早苗

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。余生を「白い紙切れ」と言い切っているのが印象に残りました。自由な時間はたっぷりあるものの、現役を退き社会とのつながりの薄れた、いわば紙の切れっ端のような存在。寂しさはあるが、それでも残された年月を心豊かに生きたい。水槽の中でゆったり泳ぐ美しい金魚のように。特選句「八月の椅子置けば八月の影」。晩夏から初秋へと移りゆく頃の気だるさや寂しさが、「椅子の影」という繊細な映像と、「八月」のリフレインによって感覚的に伝わってきました。

川本 一葉

特選句「眠られぬ今宵外に出よ星涼し」。暑くて眠れない夜本当に外に出たことが何回もありました。今年はなかなか咲かない朝顔が気になって明け方も外に出てました。私のことか、と思うような句でしたし、命短し恋せよ乙女のように調べがとても良いと思いました。

岡田ミツヒロ

特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。戦争の影が日増しに濃くなる軍拡日本。「ほのほふきだす」は、戦争の惨劇の生き証人たる語り部の子孫の安寧、人類の未来を願う魂の湧出した姿。特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。盛大に煙を上げ、ジュージュー燃える秋刀魚、いまは秋刀魚を焼く、そのことだけ。それ以外は何もない。そして、秋刀魚が焼き上がってから宴のあとのように、じんわりと孤独がやってくる。

銀   次

今月の誤読●「宅配の柩を置いて行く炎天(淡路放生)」。ちょうどお盆というとき、わが家のチャイムが鳴った。玄関に出てみると、宅配人がいて、サインをくれという。わたしはいうとおりにして品物を受け取った。それは白木でつくられた真新しい柩であった。金色の飾り金具がところどころに施されていて、真昼の太陽を受けキラキラ輝いている。それにしても妙なものが送られてきたものだと蓋を取ってみると、そこに父さんがいた。ちゃんと経帷子を着て、ご丁寧に鼻の穴に脱脂綿までつめている。周囲は花で飾られ、おまけに三途の川の渡し賃のつもりか模造の六文銭まで胸元に置いている。「あきれた」わたしはため息まじりにつぶやく。父さんがいう「どうだ、驚いたか」。「驚かないよ、毎度のことだ」とわたし。「母さんはどこ?」「すぐそこまで来ている。もうすぐ着くだろう」といってるあいだに、喪服を着た母さんが白いハンカチで汗をふきふき「暑い暑い」といいながらご登場と相なった。「おれも暑いよ」と父さん。そりゃそうだろう、狭い柩のなかに閉じ込められてはるばる運ばれて来たんだから。両親はよく冗談好きの夫婦だといわれるが、程というものがある。うちの父母はその程というものを知らない。クリスマスのとき、父さんは本格的なサンタクロースの衣装を誂え、特注のソリに乗り、それをトナカイのぬいぐるみを着た母さんにひかせてやって来た。とまあ、それはほんの一例。数えあげればキリがないが、ちょんまげと丸まげで来たこともあれば、全身を包帯で巻いた格好で来たこともある。両親いわく「わたしらはごく当たり前の面白みのない世間というもののなかに暮らしている。せめてジョークぐらいは命がけでやらないと生きてるかいがない」。わたしにはさっぱりわからない理由だが、まあ、本人たちが満足しているなら、それでよかろうとも思う。だが迷惑であることも事実だ。ただ今回ばかりはそうでもなかった。というのも、父さんがその晩、熱中症で死んだからだ。冗談じゃなくほんとうに死んだのだ。死に装束を着て、棺桶をかたわらに死んだ。おまけに母さんは喪服を着て泣きべそをかいている。坊さんがやって来て「これはまあ手まわしのいい」とつぶやいたのは、命がけのジョークを生きがいとする父さんにとっては本望だったのかもしれない。

増田 暁子

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。八月の椅子に誰が座って、影になっているのか。恐ろしい時代を思い返す。特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。食べることに貪欲であれば生きる楽しみがあり、孤独はありませんよね。

佳   凛

特選句「爆心地ここぞ世界を変へるのは」。爆心地だからこそ世界を変えようと。核反対 戦争反対を、叫び続けて78年、一向に変わらぬ世界、本当にほんとうに、無念です。 一傍観者であってはならないと、思いながら何も出来ずにいます。さぁ今日からは、世界平和を願い声をあげよう。

淡路 放生

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。作者の覚悟と涼しさを感じる。緊迫感があろう。

新野 祐子

特選句「鶏頭や保護司たずねる鉄工所(三好つや子)」。人生のドラマを描くのも俳句。この句、大変ドラマチックです。「静寂の縁を通りて赤蜻蛉」。そうか、赤蜻蛉はそんなところを通過してやってくるのか。妙に納得。「結論は明日にしませうソーダー水」。結論なくて生きなくてもいいのかも、すぐ覆したりしますから。物事にもよるか。

高木 水志

特選句「人類の一人宇宙の一流星」。作者のダイナミックな物の見方に共感した。類想感はあるが海程香川らしい俳句だと思う。

時田 幻椏

特選句「父母のゆるい溺愛夜の蝉」。ゆるい溺愛 に好感、成る程と思います。特選句「家系図に余白たっぷり夜の桃」。家系の広がりを期待し許す余白に、エロティシズムまで感じます。夜の蝉 と 夜の桃 夜のイメージの強烈さを改めて思い知ります。問題句「愛想無き君オクラを柔らかく茹でる」。大変気になる句ですが、この破調を良しとするか・・?

田中 怜子

特選句「白雨来て病室という函包む」。激しい雨が、まだ明るいから白雨としたのか、雨の激しさで白く見えたのか。たちまちに病院を包んでしまうという一瞬の景を読んだのか。雨の音、しぶき、病院の建物さえ函のごとくになる、自然のすさまじさか、昨今の気候変動なのか。特選句「長き夜や日記とラヂオ深夜便」。あるある、と思った。何故か眠れないとき、スマホをみてしまう。目がつかれる。ラジオ深夜便なんて、かなりお年を召した人か。今まで生きてきた人生感などもにじみ出ている。

大浦ともこ

特選句「一人居ののりたまごはん夏座敷」。広い座敷に一人でいる状況には孤独感がただよいますが、「のりたまごはん」の具体的でユーモラスな中七で一人を楽しんでいる明るい一句になっているところが好きです。特選句「結論は明日にしませうソーダ水」。ふわっとなげやりな感じが夏の終わりの今にしっくりときました。季語のソーダ水の泡の消えゆく様子とも響きあっています。

稲   暁

特選句「たっぷりと水撒き八時十五分」。 8月6日の朝のことだろう。作者は路にか、庭にか、たっぷりと水を撒く。そして、運命の時刻を迎える。抑えた表現の中に万感籠めた作品と読んだ。

竹本  仰

特選句「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。これとは反対に、知らぬ母親の膝に乗ったという幼いころの失態を思い出しました。多分寝ぼけてたんでしょうね。母親の膝に戻るつもりが、違う母親だったという。だがあの時代は寛容だった、そのまましばらく本人が気づくまで置いてくれたのですから。今じゃそうはいかないでしょう。そういう一時代前を思わせる風景です。親と間違えて小さい手が握りに来た。何ともくすぐったい感触ですが、夏祭が見ず知らずとも横のつながりを育む場であること、それが今にも続いていることを思い出させる句ですね。特選句「宅配の柩を置いて行く炎天」。一読、〈はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる〉という塚本邦雄の歌を思い出し、時代の推移とでも言うべき対照を感じました。たしかに今や柩が宅配便で届くのに何の不自然でもありませんが、邦雄の短歌がまだまだ奥深い無言の資本主義の笑いを連想させるのに対し、ネット社会の簡明な直截性を感じさせます。そしてどうしても置き去りにされた柩には、置き去りにされた生がいま死となって運び去られるような乾ききった感触だけが残ります。死もまた流通の中に位置づけられ、その中身が空っぽになってゆくような、そんな時代感も嗅がずにはいられないと思えました。今ウクライナで、一つ一つの市民の遺体が掘られながら土に埋葬されてゆくあの湿り気に比して、清潔簡潔明瞭なる最近の葬儀の合理性、ふと何だろうと引っ掛かります。特選句「トマト噛むその混沌を得るために」。食む、ではなく、噛む。物事を抽象化すれば美しくシンプルになるのだろうけれど、物事を直で感じた時にはまず混沌があるのでは、と思います。そういう直感そのものの良さがよく出ていて、何だか嬉しく感じた句でありました。以前、仏道修行に明け暮れ、高野山から帰った後、或る用事で海に行ったとき、ふいに踏み込んだ磯を思い出しました。履物の足首まで浸かって感じた海。修行していた感覚と凄いぶつかり合いを感じました。その時は、この混沌!と、信じられないくらい興奮したのでしたが、多分、この混沌に近いものではないかと、この句の「混沌」を読みました。

自句自解「問いだけでいいのほんとは桃なんて」について。相聞歌というつもりでしょう。相聞というのは、互いに問いかけ、互いに聞き分けることで成り立ちます。桃が欲しいの、と言えば、すぐ桃を用意してくれた。でも、桃じゃないの、なぜ僕に?というそこをもう少し味わって欲しかったのに。そんな微妙なすれ違いの風景でしょうか。という情愛過多気味のつぶやきというところですね。→高松の句会で、自句自解のリクエストがあり竹本さんにお願いしました。感謝です!

中村 セミ

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇にあふ」。虚無感があって、まるで、眠狂四郎をかんじました。僕はその短い詩から何かを感じる読み方しかしないので、そういうことです。「積乱雲 常に冷めてる頭のすみ」。の積乱雲の正体はなにか。「家系図に余白たっぷり夜の桃」。の家系図に余白も面白いと思う。

河野 志保

特選句「たっぷりと水撒き八時十五分」。今年もこの日この時間が巡ってきた。被爆者の苦しみを思い、たっぷりと水を撒く作者。「八時十五分」に込めた鎮魂と平和の希求がまっすぐに伝わる。

島田 章平

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。句のどこにも「ヒロシマ」とは書かれていない。しかしこれは紛れもなく、八月六日のヒロシマ。時間だけの表現がその緊張感を際立たせている。秀句。

滝澤 泰斗

特選句「父母(ちちはは)のゆるい溺愛夜の蝉」。巷の耳目を集めている事件で二つの事件に注目している。一つは、福原愛さんの子供を取合う事件、そして、もう一つは、札幌の首切り殺人事件。作者には申し訳ない気分だが、いの一番の掲句を詠んだ時、後者の事件に結びついてしまった。ことの真相は全く分からないが、親と娘の愛憎が縺れにもつれた始まりは、ゆるい溺愛からか・・・夜の蝉の鳴声は現実から逃れたい呻きに聞こえた。特選句「夏草や古書の湿りの蚊を挟む」。うまいなぁ・・・感心の一句。「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。流石に八月・・・八月ならではの句が揃った。『麦秋の戦禍ピカソの「泣く女」』 。八月の日本の原爆忌、敗戦忌の類句ながら、麦秋からウクライナ侵攻が想起された。「ゲルニカ」としないで「泣く女」にしたところが良かった。「白雨来て病室という函包む」。白雨で快癒の兆しが感じられた。「色褪せた水着は私の抜け殻」。人も脱皮を繰り返しながら生きている感じが上手に表現された。「結論は明日にしませうソーダ水」。議論が膠着することはよくある。ちょっととぼけた諧謔がいい。

あずお玲子

特選句「静寂の縁を通りて赤蜻蛉(佐藤仁美)」。蜻蛉のホバリングを思いました。ホバリングをしながら静寂の縁を探しているのなら楽しい。きっと大きな目で見極めているのでしょうね。特選句「白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ」。今は常に白湯のごときに物静かで波風とは無縁の祖父も、かつては向田邦子の父親のように絶対君主で女遊びの一つもある人だったのでしょうか。赤く艶やかな、そして甘酸っぱいゆすらの実が、生きている限り決して消えない火種のように思えて面白い取り合わせです。

薫   香

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。幼い頃は床屋に行って居ましたが、必ずと言っていいほど漫画がたくさん置いてありました。その中に「はだしのゲン」を置く床屋さんを想像しました。なんかいいですね。特選句『「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み』。夏休みの開放的な気分と、これからの期待半分のんびり半分で、思わず呼びかけてかけてみたというところでしょうか?

榎本 祐子

特選句「かなかなや身体に泉飼ふ如く(あずお玲子)」。かなかなの鳴き声は、身の内に湧く思い、情に共鳴する。そのような情感を泉と言い、それを「飼ふ」とは、自身への慈しみの心のようで少し切なく美しい。

山下 一夫

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ」。「薄青き耳たぶ」のイメージが鮮烈。それだけで異界的な雰囲気が漂いますが「蛇」の登場でさらに強調されます。異界の不思議な光景とも現実の人間関係等を踏まえた心象の象徴的な表現とも見えますが、「会ふ」た後もただでは済まない展開が予感され、奥深く感じます。特選句「白雨来て病室という函包む」。世界中に病室は無数にあるわけですが「函」と言い切ったことで個別性が生まれていると思います。「白雨来て」から抜き差しならない運命の到来、「包む」から慈しみなどが滲み出てくる感じをしみじみ味合わせていただきました。問題句『ソーダフロート「趣味、俳句です」が正面(藤川宏樹)』。一読、意味の把握できなさにつかまりました。三読、インタビューや自己紹介をし合う場面で対面対話する人の間に、おそらく注文されたソーダフロートがあるのだと読解。「趣味、俳句です」を「正面」に押し立てているのは、作者か相手か三人称の世界なのか判然としませんが、いずれにせよなかなかに冒険的な企てなのではないでしょうか。

谷  孝江

特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。夫を亡くして二十年余り、一度も秋刀魚を焼くことはありませんでした。秋刀魚は一人ぼっちで食べるものじゃないとの思い込みみたいなものがあったからです。でも、焦げ具合など気を付けながら焼いた秋刀魚は格別です。今は、一尾の秋刀魚ですが年に一度か二度の楽しみを楽しんでいます。一日一日を感謝しながら・・・・・・・。

森本由美子

特選句「絶滅か進化か蜘蛛の糸ゆらり」。このテーマを結論づけるのは馬鹿げている、不必要と思いながらも、不安感が僅かずつ膨らんでゆく気もする。<蜘蛛の糸ゆらり>がそんな深層心理をよく表現している。

佐藤 仁美

特選句「向日葵咲く午後から風が強い場所」。向かい風にも力強く咲くひまわりに、けなげさを感じます。特選句「背に掛けて海の匂いの夏帽子」。背中の帽子は夏の名残ですね。

向井 桐華

特選句「身の芯に届く暑さとなりにけり」。本当にその通りの暑さだなと思います。熱中症になったことがありますが、何日も体の中の熱が取れず、皮膚を冷やしたり解熱剤飲んだりしても無駄だなと思いました。まさにその時のことを思い出しました。問題句「熟成の血はビーカーへ浮いてこい(川崎千鶴子)」。読む側に力が無いだけかも知れませんが、画が浮かびませんでした。

重松 敬子

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。一枚の絵画を見ているような誌情あふれる一句。気怠い夏の昼下がりを想像します。

柴田 清子

特選句「打ち水やパン屋の猫の名はオバケ」。季語が、適切であって、たたき込むように言い切って楽しい内容の一句に仕上っている。

石井 はな

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。もう余生だからと半ば投げやりと諦めに気持ちが行きそうですが、白い紙切れ‼ でこれから何でも書き込めるなんて、励まされます。金魚玉の季語も気持ちの良い取り合わせです。

菅原香代子

特選句「アマリリス廊下の奥が懺悔室」。教会にはなぜか アマリリスが植っていた記憶があります。その中の薄暗い先にある懺悔室への畏れと秘密めいた雰囲気を感じました。 「みぞおちに蛍遊ばせ仁王像」。夜の本堂に静かに佇む仁王像、その懐に遊ぶ蛍への慈愛を感じました。

亀山祐美子

特選句「背に掛けて海の匂いの夏帽子」。走った勢いなのか海で一日楽しんだつば広の夏帽子のあご紐がズレて背中に落ちている。海と空の青さまで想像させてくれる明るくて楽しさを伝えてくれる上手い佳句。

野﨑 憲子

特選句「掌に取れば花烏瓜さんざめく」。烏瓜の花は夜にひらく。美しいレースの衣を纏った白い花である。果実の形状からか花言葉は、佳き便り。作者の掌で烏瓜の花はどんなお喋りをしているのか。特選句「炎昼の影ばかりなり皮膚を欲る(三枝みずほ)」。一読、爆心地が浮んできた。そこには今でも焼けただれた影が犇めいているように思えてならない。大いなるいのちの混沌の影だ。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

蜻蛉
投了の覚悟ゐずまひ赤蜻蛉
藤川 宏樹
時の扉一斉にひらき赤とんぼ
野﨑 憲子
伝言板へ「先に行くよ」と赤とんぼ
野﨑 憲子
蓮に蜻蛉この瞬間は真昼
薫   香
ダイドコにとんぼ放したのは誰れだ
銀   次
蜻蛉の行き交ふ人生何周目
あずお玲子
赤とんぼ明日は明日の風のまま
島田 章平
蜻蛉追う薬の如き時間かな
中村 セミ
憧れは蜻蛉のやうに直線直角
三好三香穂
百日紅
ちちははもわれも無名や百日紅
島田 章平
百日紅百日燃ゆ恋したき
三好三香穂
百日紅こぼるる過疎の町
あずお玲子
淋しいとは言はない白いさるすべり
柴田 清子
母子手帳は四冊風の百日紅
野﨑 憲子
だらだらと未練げに咲くな百日紅
銀   次
百日紅あいつがここにいたころは
藤川 宏樹
お薬手帳/母子手帳
八月の女囚健気や母子手帳
銀   次
母子手帳賜はる星月夜きれい
あずお玲子
お薬手帳忘れましたと残暑
島田 章平
初盆や母の遺品に母子手帳
島田 章平
父の名は空白秋の母子手帳
柴田 清子
草の花
草の花おーいそろそろでておいで
島田 章平
草の花牧野博士の精密画
三好三香穂
無器用な暮らしもよろし草の花
あずお玲子
草の花機嫌をとってゐるところ
柴田 清子
雨降って泥跳ねて泣いて草の花
銀   次
生きものに縄張りのあり草の花
野﨑 憲子
蟷螂
カマキリになるなら死んだ方がまし
柴田 清子
蟷螂の貌のひえびえとして無味
あずお玲子
枯蟷螂きのふのままに止まりをり
三好三香穂
蟷螂の両手広げロシア見る
中村 セミ
蟷螂飛んだ歌舞伎役者のやんちゃ
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】何度か、「海程香川」の吟行に参加してくださった宮崎県小林市の永田タヱ子さんが他界されました。90歳の誕生日を迎えられたばかりで、十日に、御自宅で亡くなっていたそうです。お一人住まいでした。自ら車を運転し、鹿児島の刑務所へ今も俳句を教えに出かけていらっしゃいました。130歳まで生きる!って言われ、とてもお元気だったそうです。伊吹島吟行で軽トラの荷台に乗った永田さんの満面の笑みが忘れられません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

【句会メモ】八月句会は、お盆前と重なり、一週間開催を遅らせました。猛暑の中、九名の方が集まり、四時間半の熱い句会が展開されました。八月という日本にとって最も重い月に、平和を願う、渾身の作品が多く寄せられました。これからの句会がますます楽しみです。

2023年7月23日 (日)

第141回「海程香川」句会(2023.07.08)

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事前投句参加者の一句

水やりの子に七月の雨笑う 松本美智子
死なないよニセアカシアは揺らぎおり 竹本  仰
扇風機共に老ゆれどわが戦友 柾木はつ子
白杖にすれ違う朝水無月尽 向井 桐華
感情を抑えきれずに薔薇は咲く 月野ぽぽな
太宰忌の自分史編集割引キャンペーン 新野 祐子
梅雨星や勝ちて得しもの我になし 稲   暁
蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ 三好三香穂
凌霄花走る短き導火線 亀山祐美子
母にまた母いて嬉し初鰹 菅原 春み
弟かも知れぬほうたる私す あずお玲子
四畳半一間扇風機が猫背 藤川 宏樹
白黒の振り子ちぎれて梅雨明ける 岡田 奈々
夏に棲むニュープリンスリーダーズ水底に 中村 セミ
は・は猿田彦串刺しの鮎がぶりかな 樽谷 宗寛
<ワグナーの楽譜を見る>湖畔の夏線描の音符リズム美し 田中 怜子
隣街旅人気取りのサングラス 山本 弥生
左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨 田中アパート
迫りくる借景の山吾と緑 薫   香
青畳魂寄れば飯を食う 十河 宣洋
兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に 岡田ミツヒロ
夕立や我あたふたと地蔵となる 若森 京子
思いきり泣いて忘れて古代蓮 伊藤  幸
ベネチア派の絵画一幅梅雨晴れ間 滝澤 泰斗
太陽をまともに受けて流し雛 小山やす子
梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛 三好つや子
掴まらぬ冷素麺や兜太の句 塩野 正春
夏ひばり残光浴びて地を這いぬ 森本由美子
静脈の力強さや聖五月 重松 敬子
どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける 高木 水志
空蝉や生きる正解たずねみる 増田 暁子
春夕焼西へ西へと高速バス 菅原香代子
病葉や妣の写真は色あせて 漆原 義典
持ち主の逝きし日傘が老いてゆく 銀   次
子燕や着こなしてをり一張羅 佳   凛
背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ 大浦ともこ
笹百合愛づるその眼差しの非戦かな 野田 信章
風切羽上手に使い夏に入る 榎本 祐子
五指ゆがむ老のすきまを砂時計 飯土井志乃
指濡るる礎の刻銘沖縄忌 河田 清峰
夏山や溺れし蟻の足つまむ 豊原 清明
青柿や迷路の果てぬ不登校 山下 一夫
立葵つま先立ちの半世紀 松本 勇二
白日傘から嘘がはみ出している 柴田 清子
青野までぶつかってゆく子の寝相 三枝みずほ
Jijijijiji セミよそんなに寂しいか 島田 章平
母配る身ほとりの風丸団扇 川本 一葉
人は無口で枝豆になお塩を振る 大西 健司
不可解な虫の世界に人も棲む 鈴木 幸江
瓶ビールの泡が好きなる百一歳 稲葉 千尋
夏の恋わかってほしい口内炎 津田 将也
書物という空蝉死後も山河在り 山田 哲夫
青蛙ひとみに雲の流れゆく 増田 天志
獰猛な黒い伏字に蠅とまる 桂  凜火
山奥の水源にあり夢の跡 佐藤 稚鬼
香水をつかひきつたる體かな 小西 瞬夏
郭公の声の近くに棲んでゐる 谷  孝江
白南風や百の板戸を開け放つ 松岡 早苗
父の日の座して半畳モノクロに 荒井まり子
「おー」「おー」と亡師(し)の声秩父緑濃し 寺町志津子
白湯という甘露ありけり夏きざす 石井 はな
空見たくひっくり返へりたる海月 風   子
モト彼の話する人蚊を叩く 野口思づゑ
国境がそこにただあり向日葵畑 吉田 和恵
花合歓の風速0の思考かな 佐孝 石画
つついたら愛に傾くグラジオラス 河野 志保
旅夢想彼処に水葱や百済仏 福井 明子
しろよひらうきもつらきもむなしくと 時田 幻椏
向日葵を供う最後の飼犬に 植松 まめ
軽からぬ蛍手渡す子から母 疋田恵美子
海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな 男波 弘志
梔子の香りに溶けて道忘れ 川崎千鶴子
愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「人は無口で枝豆になお塩を振る」。情景がよく描写されている。それにより、その奥にあることばにならない感情が伝わってくる。散文的な書き方ではあるが、「で」「なお」に工夫があって一句となっている。

増田 天志

特選句「笹百合愛づるその眼差しの非戦かな」。非戦と反戦。どう違うのか。どちらも、闘い取るものではあるが。

松本 勇二

特選句「風切羽上手に使い夏に入る」。作者ご自身の風切羽です。どのような風でも上手く切り抜け、夏を迎えられたようです。特選句「青野までぶつかってゆく子の寝相」。寝相の悪さを「青野までぶつかって」と喩えてあっぱれです。感覚の冴えを感じます。

福井 明子

特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。青柿に果てない問いの深さが込められています。しかしながら、かたくなな青柿も、やがておのずからなる熟しを目指します。そんな願いをいただきました。特選句「書物という空蝉死後も山河あり」。かたちあるものはすべて骸(むくろ)、わが命が尽きても、そこに在り続ける山河。おおらかなリズム感。何度も口づさみたくなります。 

佐孝 石画

特選句「あじさいの全ての色を諦める(男波弘志)」。痺れた。「全ての色を諦める」というフレーズがよくぞ降りてきたと思う。「あじさい」の物語として提示されているが、読み手はまず、自分の境涯に照らし合わせて味わうことになるだろう。諦めたことへの讃嘆か、それとも悔悟か。また、咲き誇る紫陽花についてか、枯れはじめた紫陽花か。おそらくこのような読み手の逡巡こそ、短詩型文学である俳句の真骨頂なのだと思う。さらに深読みすれば「色」は単なるカラーにとどまらず、仏教用語の「色・しき」(物質的存在の意)にも通じる。いずれにせよ「全ての色を諦める」という世界は、圧倒的に美しく、せつない。そして、作者の紫陽花という自然物への憧憬と、己が人生へのゆるやかな肯定が見えてくる。

豊原 清明

特選句「モト彼の話する人蚊を叩く」。モト彼と彼女を観察しているひとの視線が、良かったです。問題句「夏の彩り反核カレー注文す(稲葉千尋)」。「夏の彩り」が、ちょっと気になりましたが、パワーを感じて良いと思いました。

十河 宣洋

特選句「Jijijijiji セミよそんなに寂しいか」。爺が蝉になっているようで楽しい。言葉遊びが過ぎるという向きもあると思うが、それはそれ。歳をとるといつの間にか周りから知人が減っている。寂しいかと問われることも少ない。特選句「書物という空蝉死後も山河在り」。厳しい指摘のように思う。書物が空蝉だという。書棚に放置された本へ鎮魂のように思えた。山河は瑞々しいのだが持ち主が枯れ始まっている。

大西 健司

特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。ちょっと素っ気ないと思いつつも、どこかユーモラスな一両電車にひかれ特選にいただいた。ただなぜ海牛にあめふらしとルビを振ったのか、ただひらがなであめふらしでいいように思うがどうだろう。

岡田 奈々

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。読むたびに笑いがこみ上げてきます。小学生のころ家にあった、重い鉄の扇風機。真っ直ぐに立てても、直ぐ頭が重くて下がってくる。猫背という借辞が、ぴったり過ぎて笑えてしょうが無い。持ち主も年取って、猫背で。哀愁とおかしみとで、ゴリコリ鳴る扇風機の音まで、哀しく聞こえてきそうだ。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー(田中アパート)」。梅雨の蒸し暑さでべっとりした私。シャワーの格別の気持ち良さがよく分かる。「かたつむりのどこまでもどこまでもひとり旅」。ひらがなばかりで書かれているので、かたつむりのゆらゆら這う様子と、所在無い私が重なる。「母少しおこらせたままラムネ玉」。何が母を怒らせたのか。爆発寸前で止まった、詰まったラムネ玉のように機嫌悪い悪い。「夏に棲むニュープリンスリーダー水底に」。要らなくなった英語の教科書。もしかしたら、英語なんてするもんか。って放り投げた教科書が、死体のようにユラユラ浮かんできた。40年後。「蓼食う虫ずらりと並ぶバツ印」。お見合いサイト。どうやって意思を表明するか知らないが、どれも私好みではない。と、私も言われてる。「青畳魂寄れば飯を食う」。座敷に皆で座れば、生き御魂も、亡くなった人も、老いも若きも宴会宴会。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。冷や素麺のなかなか捕まらないのと兜太先生の俳句の難解さが、よく合っている。「大南風放置自転車張り倒す」。なぎ倒された自転車。風にアッパーカット喰らったのね。「夏の恋わかってほしい口内炎」。口内炎は此方の予定に関係なく出来ちゃいます。また、疲れると余計。でも、これって誰になにをわかってほしいのか、分からない所が面白い。痛さだけが無性に伝わる。

藤川 宏樹

特選句「海牛ほどの一両電車かな」。木製床、天井扇風機ぶんぶん、大正生まれ。高松市街を撮り鉄人気のコトデンが走ります。あまたの踏切で朝夕渋滞。のろのろ具合は海牛ほど、色合まで似ている名物電車です。「海牛」を「あめふらし」と読ませるもまた妙なり。

若森 京子

特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。一読して単純に懐かしい一家団欒の風景を思った。現在の核家族で時間差のある淋しい食卓と真逆の家族の懐かしい暖かい色彩を感じる。特選句「旅夢想彼処に水葱や百済仏」。夢の中で初めて体験する様な不思議な世界にひき込まれた。水葱と百済仏の対比も現実と彼岸の狭間をさまよっている様で、これが夢想の旅なのか。

滝澤 泰斗

『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。朝日新聞俳壇欄の選は毎週金曜日に朝日新聞東京本社と並びの浜離宮ビルの一室で行われていた。金子先生が選者に加わった頃は山口誓子を筆頭に、稲畑汀子、川崎展宏、そして、わが師・金子兜太先生。先生のお出ましは最も遅く、昼近く。そして、夕方5時頃まで、当時の投句葉書約7千通に目を通し、選をされていらした▶当時、朝日新聞社は歌壇の四選者も含め、選者の慰労を兼ねて順番に海外旅行にお連れしていた。当方に、その担当ということで、お鉢が回ってきた。お役目とは言え、金曜の午後3時は極力他の仕事を入れず、俳歌壇詣でで、金子先生と雑談をすることがルーティーンワークだった▶午後3時頃になると、他の選者は既に居なく、俳壇担当記者と金子先生だけ・・・先生の一服入れる時を見計らっての時だった。ドアを開ける、掲句の通りの「おー」おー」の声に招かれた。先生との話は旅行の話が主で、俳句の話は記憶にないが至福の時に違いはなかった。私にとってはその時の会話と先生ご夫妻をご案内した旅が、朝日を辞した先にあった「海程」への道筋だった。特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空」。高温湿潤が夏のイメージだが羽根ペンとインク壜の取り合わせが、美しいすがすがし夏空を想起させた。気持ちのいい作品。「母にまた母いて嬉し初鰹」。母や父を題材にした句に弱いところがあると認識しつつ・・・やはり、選んでしまう。「四畳半一間扇風機が猫背」。扇風機、其れも、やや古びた扇風機のある景はコマーシャルではないが、「昭和かよ」と思いつつも、掲句のごとき、愛惜の情を惜しまず。「静脈の力強さや聖五月」。静脈が聖母マリアの聖五月なら動脈はイエスの五月かと理屈はともかく静脈が脈を打っているような力強さを感じた目の確かさに、聖五月の季語を充てて見事な一句に仕上げた。「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。平和記念公園の「平和の礎」を、涙を拭った指でその刻銘をなぞる。沖縄の悲劇は涙を枯らさない。「青柿や迷路の果てぬ不登校」。不登校とあるから中学、高校生か、思春期は万人に来て、迷路もあれば横道もある、時に袋小路に陥りどうにも身動きができない時もある。齢重ねて、人は、そんな若かりし頃を冷静に見る目も養ってくる。共鳴しました。「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ、クリミア半島がソ連時代のウクライナ地方だった頃、ひまわり畑が延々と続く様に驚嘆したことがあった。それが、2014年、プーチンによって強引にロシア領に併呑され、更に、2022年ウクライナ東部の穀倉地帯を分割するごとく線を引いた。為政者にとっての国境の意味とそこに住む人の生活の場である国土の境は全く違う。

月野ぽぽな

特選句「静脈の力強さや聖五月」。動脈の力強さ、ではなく、静脈の力強さ、とすることで、力強さが増強しますね。聖五月もよく効いて、一句が生命力そのものとなっています。

稲葉 千尋

特選句「神鏡に父似の貌や青葉木菟(河田清峰)」。おそらく作者自身の貌であろう。それを父似としたのが良かった。季語も。特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。海牛もアメフラシもよく似ているように思う。一両電車さもあらんと思う。発想が良い。

桂  凜火

特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。自分のことかこの日本のことかいやいや世界のことか平和でつつがないともいえるけれど一皮めくれば、つま先立ちの不安定な危なかっしい時代だったのかもしれないと振り返りました。

増田 暁子

特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。一人の兵士に父母妻子が居る現実。戦するな。特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。逝く人の日傘も老いてきたのか。寂寥の思い。

樽谷 宗寛

特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。はじめて知りました。調べてみました。私にとつて新しい出合いでした。

塩野 正春

特選句「湖畔の夏線描の音符リズム美し」。いささか俳句としてのリズムに欠ける感はするがその内容に惹かれました。ワーグナーの楽譜との添え書きがありますが音楽の素養のない私も楽譜の美しさに感動します。この音符の羅列、時に整然と、時に乱れて表現される二次元の線描から素晴らしいメロディーが生まれることが想像できません。西洋音楽に限らず和楽の謡曲、長唄などなどの音符表現も素晴らしいものがあり、長い世代を繋いで生き延びています。音楽という世界を繋ぐツールを俳句に引き込んだ着眼に感激します。 特選句「香水をつかひきつたる體かな」。“香水を使い切った”とはなんという大胆な表現でしょう。香水を使って己の肉体を美貌を誇示し、そして今はリアルな体、いや、體を残して生き生きしておられるという事でしょうか? 平易な言葉を使ってこんなにもリアルに深く体やこころの変化を詠まれておられ、現代俳句の本質に迫る句と考えます。問題句「静脈の力強さや聖五月」。静脈とは何か、キリストやアダムとイブの静脈か、それとも己の静脈か。確かに絵画などで静脈が太く描かれる場合がありますが、ご自分の静脈を重ねておられるのかどうか、今一ヒントが欲しい気がします。季語‘聖五月’と‘静脈’は不思議によく合います。

津田 将也

特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。下界からの刺激や印象を受け容れる力、物を感じとる力など、作者の、この感受性を特に褒めたい。特選句「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。蟻が俳句に登場したのは、比較的新しく、大正以降といわれる。どこにでもいて、人間には身近な存在。①女王蟻。」②羽を持ち繁殖期にだけ出現する羽蟻(オス)。働き蟻(オス)。この三者が組織化された集団生活を営んでいる。特に働き蟻は、女王蟻や仲間のため、灼けつくような夏の炎天下を厭わずに働く。俳句で、「蟻」は夏の季語。「蟻の列」「蟻の道」「蟻の塔」「山蟻」などの季語を使っての、多くの俳句が詠まれている。この句の、「溶ける溶ける」のリフレインが好ましい。

柴田 清子

特選句「麦茶飲むそんな日常賜りぬ(野口思づゑ)」。残されたあと僅かを、こんな平常心の日常をすごせたら、どんなに幸な人生であったと思えるかも。そう思いたいから。

山田 哲夫

特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。「ほうたる」の舞う様に今は亡き弟の魂ではないかと感じ、何時までも手元に大切にしておきたいという想いとらわれるところに共感。特選句「野遊びの続きのような家庭かな(重松敬子)」。「野遊びの続きのような」という比喩からこの家族の家庭での明るく伸びやかで屈託のない生活の様子が想像されてくる。比喩の手柄か。

鈴木 幸江

特選句評「母少しおこらせたままラムネ玉(三枝みずほ)」。“まま”の語意の①に、物事のなりゆきに随うさま、というのがある。“なりゆきのまま”にその場をやり過ごすときは、どこか正しくないことをしている感情と情況が多いのだが、この句に登場する母はなぜか幸せそうだ。“ラムネ玉”の不可知な動きとガラスの透明感が善く効いている。特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。目的と理由があって小部屋で扇風機を下向きに設定しているのだ。それをいきなり“猫背”と表現し、ぴったりと思わせる。俳句の底力、アニミズム万歳である。

男波 弘志

特選句「夕立や我あたふたと地蔵となる」。あたふとたとしている人間であるので、この人は仏にはなれてはいないのだが、何かの瞬間に人を超越した気分になることがある。しかし我々愚鈍な人間によりそうには、先ずもって人間そのもののにならなくてはならない。よく教えるとかいいますが、そんなことは人間だけが考えていることであって、虫でも魚でも、草でも鳥でも、そんな大それたことを考えてはいない。教える必要もなければ、教えて貰う必要もない。あたふたとしている自分がそのまま地蔵になって、人間の醜態を合わせ鏡になって見せているのだろう。夕立ちは往来の人々が右往左往するのに十分な自然の脅威をみせている。なかなか巡り合えない玉句であります。

島田 章平

特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。見事な省略。住所しか書いていないのに、白雨に煙る京都の街が鮮やかに見える。

谷  孝江

特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。切ない思いが一杯に胸に広がりました。主人を亡くした時、十歳年下の弟に先立たれた時、言いようのない淋しさに包まれました。もう十年以上も前のことです。その年の夏、螢が一匹窓辺に止まっているのに気付いた時の嬉しさは言いようのないものでした。来てくれていたのだ、言葉には出せませんでしたが、励まされました。「しっかりと生きて行かなきゃ」「どこかで見ていてくれる人があるから」今だにあの日のあの時の事が私の体に沁みついて忘れられないでいます。

田中 怜子

特選句『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。「おー」という先生の応答なつかしいですね。あのずばずば力強い批評の言葉がなつかしい。 先生が危惧しておられた安倍政権の延長線上の今日の政治状況、軸となる方がいないことに寂しいですね。と思う反面、何時までも恋々と頼るな!特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。いすみ鉄道にしても地域住民や、ローカル線に愛着持つ人々の優しいまなざしをうけて、田園地帯をえっちらおっちら走ってくる一両電車! あめふらしのように彩ゆたかな、子供が好きな電車がいいですね。特選ではないのですが、「四畳半一間扇風機が猫背」。の猫背の扇風機、この夏スイスに行き、ルツエルンの情けないベッドだけ部屋の机の上に、TOSHIBA製のずんぐりむっくりの扇風機がありました。首のない猫背です。その扇風機にブラウス等をかけて乾かしました。

河田 清峰

特選句「かたつむりどこまでもどこまでもひとり旅(飯土井志乃)」。ふりかえらない前向きな姿が良かった。以上よろしくお願いいたします。山形吟行楽しみです。

植松 まめ

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昔よく聞いていたフォークソング「神田川」の老後版かな。古びてなお律儀に仕事をしている扇風機。扇風機が猫背に哀愁がある。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ終わらぬウクライナ戦に心は痛む。必要なのは武器ではない停戦への働きかけだと思う。国と国との思惑で引かれた国境そこに住んでいたために起きた災禍、向日葵畑は美しいのに…………。

川本 一葉

特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。夢の跡とは何だろう。思い出のことだろうか、水源という宝のことだろうか。上流と辿って水源を探したことが幾度かある。夢というのは眠っているときに見る夢のことかもしれない。想像が膨らむ句だと思う。

川崎千鶴子

特選句「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老いると指はゆがんで、その隙間を砂時計の砂がさらさら落ちる。または時がさらさら抜けていくという意か?見事な表現で素晴らしいです。「書物という空蝉死後も山河あり」。書物のように空蝉には詩が生まれ、物語が生まれ。空蝉にはそういう特別な存在感にあふれている。そして長く長く空蝉のまま存在し自然の景となり、山河と悠然とある。

三枝みずほ

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。長寿を謳歌するとはこういうことだろう。瓶ビールを共に飲む人がいることに百一年間の人生があり、生き様がみえてくる。

三好つや子

特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。正解のないものに正解を求めようとして、一生を棒に振ることも。そんな愚かで、愛すべき人間の姿が句に込められているようで、心に刺さりました。空蝉の存在感をうまく表出しています。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー」。汗まみれのからだが浴びるシャワーの快感。ムシムシした暑さを増幅させる「無」と「私」のリフレイン、それがシャワー後のなんだか滝に打たれたような境地ともつながり、注目。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老のすきまという表現がすごい。「青野までぶつかってゆく子の寝相」。元気いっぱいの寝相が浮かび、幸せな気分になりました。「書物という空蝉死後も山河あり」。空蝉の捉え方に独自性があり惹かれましたが、推敲すればさらに光ると思います。「あめんぼが鳴いたと耳がそう言った(銀次)」。そういう頑固一徹な耳に、すこし淋しさがあり、詩情を感じます。

野口思づゑ

特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。ただ数、として駆り出されているのではとすら思えるように戦場に送り出される兵士たち。ご家族の行き場のない、踠き苦しむ状態が「蜘蛛の囲」で映像のように表現されている。「兵士生る」時家族の苦悩も「生まれる」のである。特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。もしかしたら私たちが目にする蝉は今「他界」にいる姿なのかもしれない。となるとその変遷の証拠のような空蝉は現世の道理を知っているのでは、と思える気がしてきた。

松岡 早苗

特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。お母様もおばあ様もご健在の作者がうらやましいです。親孝行できる相手がいる幸せ。三世代そろって賑やかに初物に舌鼓を打つことができる喜び。「嬉し」と言い切ったところがとてもいいと思いました。「海牛ほどの一両電車かな」。春風の中、海沿いの単線をトコトコやってくる一両の電車。海牛のようにカラフルなその電車が行ってしまうと、突然空は黒い雲におおわれ、雨の匂いがしてきました。そんなメルヘンチックな想像をしてしまいました。

河野 志保

特選句「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。沖縄戦戦没者への思いが切々と伝わる。刻まれた名前を、指を濡らしなぞる哀しさよ。非戦の誓い新たに。

高木 水志

特選句「白湯という甘露ありけり夏きざす」。夏の初めの頃に白湯を飲んでリラックスをしている様子が見えてくる。

石井 はな

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。親しい友人、家族が亡くなり時間が止まってしまった様に感じても、遺品の日傘は確実に古びてゆく。記憶が薄れていく寂しさが残された日傘に象徴されて、悲しみが増します。

中村 セミ

「誘蛾灯涼しくみえていのちかな(十河宣洋)」。誘蛾灯の灯りは虫達の寄り所であるが、はいったら、でれぬ地獄、死のみ待つという、現代に通ずる、それは場所よりも心情というか,人間関係に、そういうものを感じるあったりする。特選としたい。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。も気になった。「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。なぜ溶けるかわからないが、自分が溶ける事を言っているのではないか、何かにつまっき、あんなに、働き蟻であった自分が,簡単に溶けるというかのごと、きこえてしまった。

亀山祐美子

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。深い愛情を感じます。

風   子

特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空(増田天志)」。羽根ペンで書き物をしている珈琲館の女主人がいました。若くはなかったその人の洗練された美しさに見惚れ、ひたすら憧れていた私はまだ若かった。彼女は若い頃、パリで絵描きの恋人と暮らしていたと、同時期パリにいた知り合いの絵描きに聞きました。

向井 桐華

特選句「静脈の力強さや聖五月」。 ドクドクと音が聞こえて来る。 最近入院を経験したので、その時の事が色々思い出されて共感しました。特選句「向日葵を供う最後の飼犬に」。静かな哀しみと向日葵の黄色のコントラスト。余計な言葉がひとつもない。最後の飼犬としたことで、作者の背景が見える。

佳   凛

特選句「蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ」。他にも沢山良い句がある中で、どうしても、譲れなかった特選句です。私も毎朝、蜘蛛の囲を取り除くのがしごとです。でも取り忘れた所に、何時も誰かが、ぎゃーと吠えているので、とても共感して頂きました。

榎本 祐子

特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。青畳の清浄空間に魂が寄る景から一変して「飯を食う」との日常。その落差の内に実を感じました。

寺町志津子

今月もバラエテイに富み、心惹かれる句が多く、迷いに迷った選句でした。 特選句「枇杷の実や三歳児姉となる朝(大浦ともこ)」。誕生されたのは妹さんだったのでしょうか?弟さん だったのでしょうか?姉となるお子さんの胸膨らむ思いに温かないじらしさを感じました。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。ご長寿のご家族なのですね。この句にも温かなご家庭が伺われ、明るい思いで頂きました。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り(島田章平)」。尾崎放哉ばりで面白いとは思いましたが「?」の思いもいたします。

伊藤  幸

特選句「愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ」。人間とはまことに愚かな生き物。そしてまた可愛い生き物。最後良ければ全て良し、神様は笑っておられることでしょう。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。嬉しと初鰹が溶け合って功を奏している。長寿大国日本、元気で長生きされますように。

あずお玲子

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昭和の狭い下宿先でしょうか。これといった家財道具もなく、古い扇風機が窮屈そうに回っている。起こしても起こしてもなぜか少し下向きで、それを見ている私自身も猫背であることに気付く。何がどうしたということが一切なく、しかも助詞以外はすべて漢字で淡々と読み下ろしていく期待感が、「凪のお暇」(黒木華のドラマの方)のように、今は人生のほんの一時のお暇期間であるよという明るさも内包しているようにも思えて、大変楽しく読ませていただきました。特選句「父の日の座して半畳モノクロに」。父親が座っている半畳程の場所がモノクロに見えている。父親はこの場所でいつも無口に胡座をかいていたのでしょうか。父の日に(もしかしたらもう居ない父親と)同じ場所に座って、父親の圧倒的な存在感と作者の喪失感を手に取り、その思いを場所と色で表している作品と思います。

柾木はつ子

特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。燕尾服が一番似合うのは正に燕そのもの。しかも一張羅。他に着るものとてありません。掲句の作者のセンスに感服です。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。向日葵と言えば半世紀ほど前に観たソフィア・ローレンの映画を思い出します。あの時から私の頭には向日葵は哀しく切ない花と言うイメージがこびりついて離れません。戦争の悲劇…同じ様な事が日本人にもあったそうですね。そして今もその地で繰り返されているであろうことを… 。

野田 信章

問題句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。は、一応入選とした上での問題句とした。白寿を超えて百一歳になられた方への賛意の込もった句である。私もやがて百一歳に達するかと生の意欲を鼓舞される句柄である。故にここは「缶ビールの泡が好きだと百一歳」と断定的に書き切りたいところである。なお「缶ビール」の方が顔のクローズアップの効果ありとも勝手に想うところである。

新野 祐子

特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。遠く高いところを見続けて五十年。素敵な生き方ですね。思わず自分の来し方を振り返ってしまいます。

重松 敬子

特選句「郭公の声の近くに棲んでゐる」。郭公の声で始まる日々の暮らし。作者の日常が様々想像できて大きな広がりを見せる秀句。

疋田恵美子

特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。少年少女の不登校、最近特に報じられていますが、宮崎県研修センターでも、この件に取り組んでいます。

岡田ミツヒロ

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。トイレなし、洗面台なし、夏は西日で炎え上る四畳半一間。ずんぐりとした扇風機が更に背を丸め、申し訳なさそうに生ぬるい風を送ってくる。共に暮らしたあの「猫背」の扇風機よ。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。白日傘を嘘っぽいものと見做す視点が面白い。確かに、白日傘は、白々しい傘なのかも知れません。白色の虚構性に着目した意欲的試み。

大浦ともこ

特選句「jijijijijiセミよそんなに寂しいか」。視覚にまで訴えてくる俳句。jとiの羅列のオノマトベと「寂しい」が共鳴しあっています。特選句「香水をつかひきつたる體かな」。西洋画の横たわる(あまり若くない)裸婦のようなイメージが浮かびました。體といいきるところも潔くて好きです。

薫   香

特選句「背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ」。小さくしてお姉ちゃんになった子が、揺り篭を覗き込みたくて、一生懸命背伸びしている様子が目に浮かびます。いわさきちひろの世界ですね。下五のさくらんぼが一層かわいらしさを強調しています。私の大好きな果物ですので余計に惹かれました。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。日傘は太陽から自分を隠すように、いろいろな物から隠れているように思います。それでも白日傘なので隠しきれず、嘘がはみ出してしまっているなんて。こんな句が読めたら素敵です。

竹本  仰

特選句「摑まらぬ冷素麵や兜太の句」。:そうなんです。まったく同感。いい句はつかまえられないですね。これはどの句を指してということもないんだろうけれど、例えば〈果樹園がシャツ一枚の俺の孤島〉なんていう句、非常に気に入ってるんですが、なぜ、と問われれば、むつかしい。だがそれは恋愛に似たものであるかもしれない。つかまえたくともつかまらない。それゆえに惹かれてゆく何か、その何かは実に微妙な何かなんですが、つるっと円い箸にしたために逃してゆくそうめん、その感じなんですね。特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。一張羅。ここに惹かれました。人間にも一張羅があるんだろうけど、人生、けっこう一回こっきりの一張羅を示せと言われれば、どうだろう?渥美清や高倉健や、川谷拓三ならわかるが。子燕がいつの間にか一張羅を着こなしている、それが一生一回だけのものなんだろうけど、と何かぐっと来ましたね。特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。都会的な感覚のひとにはわからないかもしれない、そういう境地かと思いつつ。何をたしかめに山奥の水源に行ったんだろうと、そこにひっかかって、それで何となく、これはこれはご同輩、という感じで感じ入りました。いったい今まで何をしてきたんだろうという感覚でしょうか。そういうひんやりと自分をさましてゆく感覚が好ましく思えます。立原道造的なこの感じ、いいです。以上です。♡夏ってこんなに暑いものだったかと呆れながら、小耳にはさむと、今世紀の終わりには5度も平均気温が上がるとのこと。となると、そのころ7月は毎日四十度越えですか。しかし、地球史的には、今は間氷期らしいですから、わが人類の繁栄がしぼんでゆくと、氷河期に入るということになりますか。何となく大き過ぎて大変だあとしか言えませんが、我々もさまよえる恐竜の一種なのかもしれません。出来るうちに、せめて咆え続けて…と思っています。

小山やす子

特選句「虹の橋つつましく渡る余命かな(増田暁子)」。歳を取ると日ごとに老いてもつつましく控え目になる気持ちよくわかります。

稲   暁

特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。主観的すぎるかな?と思いつつも、読めば読むほど惹かれる作品です。エイヤッと、特撰句にしました。

三好三香穂

「じじばばに謎の言の葉ふりやまず」。なんごを話し始めた孫、じじばばには何を言っているのか?ばかりだが、楽しいはてななのです。「書物という空蝉死後も山河在り」。なくなった人の書棚には、その人の生き様、人柄が、まざまざと残っている。「白湯という甘露ありけり夏きざす」。朝起きて、1杯の白湯を飲む。これに勝る健康法はない。「野遊びの続きのような家庭かな」。私たちの家庭もこうして始まった。

時田 幻椏

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いて行く」「梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛」。     両句とも微妙なニュアンスを確かな視点で表現した秀句と思います。問題句「左京区東大路過丸太町上る聖護院。白雨」。魅力的な句ですが 。 が気になりました。これも又良し、とも思いますが・・。

山本 弥生

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。大正生れの戦前、戦中、戦後を生き抜き元気でやさしい御家族に囲まれ、御自宅で好物の缶ビールを召上っておられる「泡が好きなる」に、お幸福な美しいお顔が浮びます。

山下 一夫

特選句「ミニトマト誘われ上手とも違う(柴田清子)」。上五と以下の関係が謎なところに関心が惹かれます。ミニトマトが指示する情景は房の状態かとも想像。そこが一見「誘われ上手」と見えるということかもしれません。そうすると、コケットリーはあるが実はうぶであったり、皮(防御)が硬くて生半可な咀嚼(誘い)は跳ね返すが果肉は甘い妙齢の女性を詠んでいるかなどと妄想は膨らんでいくのでした。特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。上五は招集などの後に兵役に就いたと理解。必然的に身近な人たちも銃後という抜き差しならない立場に絡めとられてしまう。16の句ではないが、思いがけず蜘蛛の囲にまとわりつかれたときの不快感が生々しい。リアルな実感を想起させる反戦の一句。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り」。この選評はメールに横書きしているのですが、この句はやはり横書きしてこそのものかと。「b」の音韻の連打に加えて英字表記部分がマンガ的な排気の連なりやバイクそのものにも見えて面白く、成功しているように見えます。

漆原 義典

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。私の亡父は大正9年の生まれで、生きていたら今年103歳です。父が晩酌で瓶ビールをうまいなあと飲んでいた情景を思い出しました。 瓶ビールと百一歳がよく合っていますね。心温まる句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。聖護院と言えば大根。否、長い間歴史の表舞台にあった京のある特定された地点に夕立という設定が印象を強くする。

松本美智子

特選句「あじさいの全ての色を諦める」。毎年、我が家の狭い玄関先の敷地に咲く紫陽花を俳句にしようとがんばってみるのですが・・・なかなか類想類句の域を出ずあの鞠のようなかたちのまま枯れてしまっている花の様子の表現もどうすればいいか・・悩んだこともありましたが「全ての色をあきらめた」この表現がまさにぴったりだと思いました。私もまた紫陽花の句、挑戦してみます。

銀   次

今月の誤読●「夕立や我あたふたと地蔵となる」。そのとき夕立が来た。滝のごとくとよくいうが、それ以上に強烈な夕立であった。近くに建物などのない、田園地帯のド真ん中にいたわたしは、ただなすがままに雨に打たれつづけた。おかげでわたしは地蔵になった。雨はやがてあがった。だが、どうしたことか、わたしは地蔵になったままであった。少し驚いたが、そのうちまあいいだろう、という気になった。幸いなことにわたしは独り身である。心配する者もいない。ここでこうして地蔵になったのもなにかの縁だ。このままでもかまいはしない。職業・地蔵、か。うん、悪くない。やがて日が暮れ、空には満天の星が広がった。ああ、なんて美しいんだろう。気持ちがどんどん清しくなっていくのがわかる。ただ星を見るだけで煩悩が遠のいていく。こんな気分ははじめてだ。朝になった。近所のおばあだろう、花を持ってきて、わたしの足元においた。ありがたいことだ。おまけに両の手をあわせて拝んでくれた。わたしはいま聖なるものを見ているのだ。その姿のなんと可憐で愛らしいことか。おばあはしばらくして立ち去り、花だけが残った。わたしのまわりが少し華やいだ。これでいっそう地蔵らしくなったかしらん。そのうち登校する子どもたちの姿を目にした。いい風景だ。なかには悪童もいて、わたしの頭をピシャリ叩いていく者もいるが、それはそれでいいのだ。なんとも愉快で、一緒に走ろうかなんて気にもなったが、地蔵だけにそれはムリだった。残念。まあ、全部が全部いいことずくめではないが、わたしはこうなったことに満足している。それから何年か経ったのち、風のウワサに聞いたところでは、こうしたことはよくあるようで、つまずいた途端だとか鳥に頭をつつかれた途端だとかで、地蔵になるケースはままあることらしい。まさかという御仁もいようが、当のわたしがいうのだ、たぶんそれは本当だ。

菅原香代子

特選句「枇杷の実や三歳児(みとせご)姉となる朝(あした)」。枇杷の実と幼い子ども、兄弟が生まれた感動が伝わってきます。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。金子兜太先生への深い思慕を感じます。

野﨑 憲子

特選句「空見たくひっくり返へりたる海月」。可愛い海月の姿を想像し、思わず笑ってしまった。人類は戦争を止められず、色んな問題を抱え混迷の淵に佇っているのに、なんたる天衣無縫。<生まれて来てよかったな>と感じる瞬間が、安らぎが、ここにはある。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

蓮の葉にコロンと溜まる神の水
薫   香
さみだるるるるるるるるる水の音
薫   香
打たないで七月八日の水鉄砲
島田 章平
水切りす仁淀ブルーや夏休み
藤川 宏樹
風が笑つて水が笑つて晩夏
野﨑 憲子
ずぶ濡れの青水無月の鳥居かな
あずお玲子
なめくじらのたりといっそ水になれ
銀   次
もがいても分からぬ明日章魚水母
岡田 奈々
ブラックホールほらあの大蛸の根つこだよ
野﨑 憲子
蛸が好き母は今でも無口なり
植松 まめ
三度目の恋はいつから始めます?
薫   香
三椏の花来た道を忘れたの
島田 章平
三畳の次男の下宿片陰る
藤川 宏樹
夜の訪問者ノックは三つ蟇
野﨑 憲子
三面鏡の右側に違う人いる
中村 セミ
夏の太陽三段跳びでわが胸へ
野﨑 憲子
夏野菜カレー大盛三皿目
あずお玲子
三味線を弾く女師匠や路地の奥
銀   次
素麺
天下平穏富士より落つる流しそうめん
銀   次
素麺がいつものバスでやってくる
岡田 奈々
素麺つるる空に星があるやうに
野﨑 憲子
素麵を干したる景の清(すが)しさよ
三好三香穂
素麺のたれをつくりしうす明り
中村 セミ
なすソーメンかき込む夫のランチかな
植松 まめ
島素麺来る来る少年野球団
藤川 宏樹
索麺冷す忘れてよあんな彼
島田 章平
どこまでも流されていく素麺や
薫   香
羊羹
羊羹とあられ交互に夏の恋
岡田 奈々
羊かんのベタベタ広げ我の過去
中村 セミ
手作りの水羊羹と娘を待ちぬ
植松 まめ
モトカレなんか水羊羹おかはり
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】今回の句会報に、山形吟行(10月29日~10月31日)のチラシを同封させていただきました。コロナ禍前から願っていた吟行が現実のものになりつつあります。山形を愛し、山形で生活されている新野祐子さんも全行程、ご参加くださるとのこと。最高に嬉しいです。全国から集まられた方々と、ご一緒に吟行や句会を存分に楽しみたいと存じます。そして、若々しくエネルギッシュな岡田奈々(旧俳号、中野佑海)さんが、幹事をお引き受けくださり着々と準備が進んでいます。参加定員は先着15名前後です。皆さま、奮ってご参加ください。

【句会メモ】今回の事前投句の参加者は73名、高松での句会は9名の方が集まりました。事前投句の合評から袋回し句会へと熱く楽しくあっという間の5時間近くの句会でした。次回は、お盆前に付き、高松での句会のみ第3週の土曜日に開催します。今からとても楽しみです。

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