2023年8月27日 (日)

第142回「海程香川」句会(2023.08.19)

812.jpg

事前投句参加者の一句

父母(ちちはは)のゆるい溺愛夜の蝉 三好つや子
寝返りのきのうに戻る熱帯夜 増田 暁子
大西日『はだしのゲン』の居る床屋 松岡 早苗
たつぷりと水撒き八時十五分 あずお玲子
みぞおちに螢遊ばせ仁王像 増田 天志
白百合の揺れを招きと思いけり 河田 清峰
色褪せし紫陽花かたちをとどめおき 三好三香穂
薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ 小西 瞬夏
余世とは白い紙切きれ金魚玉 谷  孝江
幻覚と想って生きた黒い雨 田中アパート
八月の椅子置けば八月の影 月野ぽぽな
大人びた子の眼差や晩夏憂し 森本由美子
白雨来て病室という函包む 大浦ともこ
クレヨンの笑みがはじける夕焼かな 高木 水志
真夜の蝉鳴く急がねば果たさねば 時田 幻椏
装甲車がとなりをはしる平和 薫   香
孫が擂りひりひり辛し夏大根 野田 信章
知らぬ子の手の握りくる夏祭 菅原 春み
夏合宿飛び散る墨や琵琶湖炎ゆ 漆原 義典
炎天の影へばりつく無縁墓 松本美智子
長生きせな翔平アーチ夏雲に 塩野 正春
夜の蟬自意識をぶら下げている 榎本 祐子
掌に取れば花烏瓜さんざめく 新野 祐子
積乱雲 常に冷めてる頭のすみ 田中 怜子
定家葛ひそかに兜太ヘ蔓延びぬ 疋田恵美子
二棟分更地完了虹二重 亀山祐美子
ぺらぺらと舌の奔放てんぐ茸 川崎千鶴子
あめんぼう飛んで恋句のありどころ 男波 弘志
ちちははと同じ手順の墓掃除 佐藤 仁美
眠られぬ今宵外に出よ星涼し 柾木はつ子
「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み 寺町志津子
散々に敗れて清し夏の空 山下 一夫
薔薇ばらバラばらBARAバラ薔薇 地球 島田 章平
青蜥蜴ガラスの箱は狭かろう 菅原香代子
家系図に余白たっぷり夜の桃 津田 将也
風鈴の風に色あり青い海 稲葉 千尋
一人居の のりたまごはん夏座敷 荒井まり子
さつき見た夢かき消えて蝉シャワー 福井 明子
花火連発口開け仰け反る十二階 山本 弥生
鬼やんまと少年風の熊野かな 大西 健司
自分さがし鰻ぬるぬるぬるぬらり 岡田ミツヒロ
人類の一人宇宙の一流星 風   子
猛暑日の裏は極寒愛しテラ 滝澤 泰斗
打ち水やパン屋の猫の名はオバケ 向井 桐華
すすき手を振る次の世へ次の世へ 十河 宣洋
夏草や古書の湿りの蚊を挟む 豊原 清明
アマリリス廊下の奥が懺悔室 桂  凜火
色褪せた水着は私の抜け殻 柴田 清子
若き農婦のボブが素敵さ茄子に汗 伊藤  幸
結論は明日にしませうソーダ水 吉田 和恵
目隠しを外せばピカドンの 夏野 若森 京子
弄ぶ風は魔術師桐一葉 佳   凛
AIに育てられしか水中花 野口思づゑ
魂の話よ夏の満月よ 石井 はな
夕立や同じ角度に傾く傘 山田 哲夫
向日葵咲く午後から風が強い場所 河野 志保
夕焼けにギヤマン並べる美学かな 重松 敬子
問いだけでいいのほんとは桃なんて 竹本  仰
背に掛けて海の匂いの夏帽子 稲   暁
怯(ひるむ)もの去りゆく心悲しくて 鈴木 幸江
炎昼なり青春の彼の地新宿よ 銀   次
麦茶飲みほす全方位の青空 三枝みずほ
ニンゲンガイキスギナンダ蝉骸 藤川 宏樹
晩夏ゆく切符渡して海の上 中村 セミ
どの窓からも和泉連山蝉時雨 樽谷 宗寛
愛想なき君オクラを柔らかく茹でる 岡田 奈々
トマト噛むその混沌を得るために 佐孝 石画
長き夜や日記とラヂオ深夜便 川本 一葉
白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ 松本 勇二
秋刀魚焼くかぎり孤独はありません 淡路 放生
老年やジュリー素のまま水羊羹 植松 まめ
絶滅か進化か蜘蛛の糸ゆらり 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。幸せな気持ちにさせられます。こういう生き方、人生観を持ちたいものです。

増田 天志

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ」。感性の作品。昭和の匂いぷうんと、懐かしい。

小西 瞬夏

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。シンプルなつくり方、そして八月のリフレイン。それがより悲しみを増幅させている。椅子に座る人や、椅子を並べるイベントなどのことは言わず、影だけに思いが託されている。

月野ぽぽな

特選句「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。人混みの中お母さんと間違えたのでしょうか。きっと優しくそのまま握らせてあげていたことでしょう。目の高さに屈んで、驚く子を安心させてあげながら、近くにいるはずのお母さんを一緒に探してあげたことでしょう。私たちは皆深いところで繋がっています。

豊原 清明

特選句「人類の一人宇宙の一流星」。「一流星」がいいと思った。人類、地球感覚で捕らえるところに視野の広さ。問題句「スニーカーの紐縺れてしまって巴里祭(伊藤 幸)」。紐縺れに創作を感じた。現代的な俳句と思って。日常の細かな描写が好きなので、ひかれました。

桂  凜火

特選句「夏合宿飛び散る墨や琵琶湖炎ゆ」。書道部の部活動の様子でしょうか 琵琶湖での大会なのかもしれないですが臨場感がよくでていていいなと思います。「琵琶湖炎ゆ」が雄大で素敵です。

岡田 奈々

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。いくつからが余生か知らないが、全く何も決まっていないし、何をしても良いし、空中に浮かぶ金魚玉の様に自由に生きよう。特選句「薔薇ばらバラばらBARAバラ薔薇 地球」。みんなバラバラ。何を考え、何をしようとしているのか、地球は哲学。「寝返りのきのうに戻る熱帯夜」。この所寝付けなくて、1時間おきに時計を見たりして。なかなか時も進まず。つい、昨日の事など、思い出したり。「クレヨンの笑みがはじける夕焼けかな」。めちゃくちゃ可愛い今日も良い一日を有難う。「孫が擂りひりひり辛し夏大根」。夏大根は誰が擂っても辛い。「夜の蝉自意識をぶら下げている」。何故か夜も鳴く蝉。あれを自意識過剰と言うのですね。「「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み」これって自由研究?「油照引越荷物遺品めく」。ゆらゆらと、湯気立ち、荷物までも溶けて無くなってしまいそう。「トマト噛むその混沌を得るために」。トマト噛むと中身が飛び散って、そこら中がトマトの赤い汁と種でとんでもない事に。また、洗い物増やして。なに哲学者ぶってごまかしても赦さないわよ。「郭公托卵数字ばかりの日経新聞」。読者は何も知らないと思って、数字でごまかさないでください。

男波 弘志

「晩夏ゆく切符渡して海の上」。旅の一場面を只切り取ったようにも見えるが、それほどやさしい一行詩ではないだろう。先ず身の内に所有しているものを手放す、そのことに深い述懐が潜んでいる。余りにも小さな紙切れがこれからの羅針盤になってゆく、それを手渡す、託す、そのことによって無一物の自己が旅人となったのである。これが列車ではなく船であったことが一層晩夏を引き寄せている。上5の「ゆく」が聊かわかりにくい繋がりではある。「晩夏光」でも句としては成立するのではないか。秀作。

大西 健司

特選句「色褪せた水着は私の脱け殻」。どこからか出て来た若い頃の水着。そんなお気に入りの水着も色褪せてしまっている。それはあたかも私の抜け殻。「よくこんな水着入ったよね」そんな声が聞こえてきそう。どこか哀しくておかしい。

稲葉 千尋

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。『はだしのゲン』置いてあるだけで素晴しい床屋さん。理屈はいらない。そんな床屋さんに、小生も行きたい。

十河 宣洋

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。毎年原爆の慰霊のニュースを見ている。アメリカの蛮行を見る思いである。たっぷりと撒く水は現在の日本の豊かさの象徴のように見える。 特選句「Tシャツを空のかたちにしておかむ(小西瞬夏)」。爽やかな夏の風景。おおらかな風景がいい。

三枝みずほ

特選句「目隠しを外せばピカドンの 夏野」。一字空けの空白が惨状が起きたことを想起させ、きのこ雲の下にいた者の夏野へ読者を引きずり込む。戦前この目隠しが様々な方法で行われたが、今なお繰り返すこの目隠しの正体は何だろうか。知らないということの恐ろしさが伝わる一句。不都合なものを見ようとしないのは人間の本質なのかもしれない。

野口思づゑ

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。夕方の床屋に他の雑誌に混ざり『はだしのゲン』もあった、というそれだけの光景とはいえ、その話題が世相を反映する漫画を置いている床屋の人柄、西日を受け輝いている雑誌が目に浮かぶ。中7の『はだしのゲン』の「居る」で、作者は中沢啓治さんの存在を近く、現実的に捉えていると知る。「 自分さがし鰻ぬるぬるぬるぬらり」。ぬぬぬの字だけでヌルヌル感が伝わってくる。いつか自分が掴めますように。

樽谷 宗寛

特選句「身の芯に届く暑さとなりにけり(柴田清子)」。毎日毎日猛暑。芯まで届く暑さでした。うまく表現なさっています。私一度に好物のアイスキャンディー3本食べ、身の芯の暑さが一時的に消滅しました。

福井 明子

特選句「みぞおちに蛍あそばせ仁王像」。忿怒の形相で立ちつくす仁王像。そのみぞおちへの視点がしなやか。蛍は「いのち」や「明暗」、そんな不確かなイメージ。躍動する剛強な胸の筋肉の真下に蛍をあそばせるなんて。その斬新さに、涼しさをいただきました。特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす(島田章平)」。平仮名表記には、8月の敗戦の語り部と、語りえなかった亡き人々の無念をも包み込む力を感じます。見えないものの「ほのほ」。その「ほてり」があります。

津田 将也

特選句「鉄柵のアールヌーボー秋立ちぬ(松岡早苗)」。「アールヌーボー」とは、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した美術運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由な曲線を取り入れ、組み合わせ、従来の様式に囚われない装飾性や、鉄・ガラスといった当時の新素材などを積極的に活用しているのが特徴。アールヌーボーの鉄柵に対し、「秋立ちぬ」の季語がよい。付近の建造物なども、もちろんアールヌーボーなのだろう。特選句「はんざきのどろりと動く夜の底(月野ぽぽな)」。「はんざき」は山椒魚の異称である。イモリに似て、山間の渓流や洞窟などに棲む。体長一メートルとも呼ばれる「大山椒魚」は、天然記念物として保護されているが、小さいものを料理して食べると、山椒の香りがするのでこの呼び名があるようだ。夜の渓流の暗黒の底でうごめく山椒魚の様子を「どろりと動く」と巧みな言葉で捉え、これが大物級であることが、自ずと読み手に伝わる。

鈴木 幸江

特選句評「クレヨンの笑みがはじける夕焼かな」。画材としてのクレヨンには、独特の質感があり、親しみやすい温みがある。「笑み」という言葉が明るい気持ちへ向かおうとする作者への共鳴を導いてくれる。私にもある同じ経験を思い出させてくれた。どんな色の「夕焼」を描いたのだろうか、あんな色か、こんな色かと想像するのも楽しかった。「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。果たしてこの子は、見知らぬ人だと承知でしたことか、勘違いでしたことか、どちらもあり得る。このドラマ性が素敵だ。人の心の美しさが思われ救われた。グローバル化の世界も、不安な子どもの世界も背景に感受できた。「薔薇ばらバラBARAバラ薔薇 地球」。多様な表現形式をもち、多義性のある日本語を連続させて、言葉がある混沌を生み出す。何を対象として捉えようとしているのか分からぬその不可解さ。作者は現在の地球の混沌を表出させようとしているのだろうと思った。比喩が“バラ”なら悪くはないと思った。今回は特選句を3句採ってしまった。お盆サービスではないが、大変な世になったという想いをお持ちの方は多いことと思い、そして、この3句にはまだ言葉にはならぬが、明るい可能性の光が見えていただいた。

柾木はつ子

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。 上五、中七、下五の素材の組み合わせがとても巧みだと思いました。読み手に色々な思いを抱かせてくれる素晴らしい作品だと思います。私には上五の「大西日」が人類の未来への警鐘を鳴らしているように思えました。特選句「長生きせな翔平アーチ夏雲に」。世の中忌々しき事ばかり、ついついため息が出ますが、そんな中、掲句のようなスカーッとした出来事があると気分も晴れやかになります。長生きもしたくなりますよね。もっともっと明るい話題が増えますように!

若森 京子

特選句「油照引越荷物遺品めく(菅原春み)」。特選句「夏の闇独り居チャットふふふ」。二句共、現代の暗い部分に焦点を当てている様に思う。「油照引越荷物遺品めく」は、老人の孤独死を想像するし、「夏の闇独り居チャットふふふ(塩野正春)」は、若者の一人籠りの姿を思う。

山田 哲夫

特選句「鬼やんまと少年風の熊野かな」。今週台風が上陸したばかりの熊野だが、この句の「風」は台風ではあるまい。私には熊野の山野を爽やかに吹き抜けてゆく夏の風が想像される。「鬼やんまと少年」という提示が確かな存在感を揺るぎなくさせていると思った。

三好つや子

特選句「白百合の揺れを招きと思いけり」。ギリシア神話の女神ヘラの乳から生まれたという白百合(鉄砲百合)は、キリスト教で聖母マリアに捧げる花としても知られています。そんな百合の神秘さをリリカルに捉え、魅せられました。特選句「八月の椅子置けば八月の影」。戦争の悲惨さを知る人が少なくなり、原爆投下された広島や長崎はもちろん、戦争でぼろぼろになったあの頃の日本のことが、風化しつつある昨今、心に迫ってくる作品。「鬼やんまと少年風の熊野かな」。夏の自然の中で逞しく成長してゆく少年像、さらに風の熊野という詩情ゆたかな表現力。「AIに育てられしか水中花」。水の中で美しさと愛らしさを振りまく、フェイクな花の淋しさに共感しました。

河田 清峰

特選句「ちちははと同じ手順の墓掃除」。いつのまにか嫌っていた父母の真似をしている姿を思う。

風   子

特選句『麦秋の戦渦ピカソの「泣く女」(疋田恵美子)』。ピカソのゲルニカを観た感動がまた蘇りました。戦争の悲惨さ残酷さを繰り返す人間、あのマチエールの美しい絵を描く人間、どちらも人間のなせる技なのが不可思議です。

松本美智子

特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。ヒロシマの語り部さんも高齢になり戦禍を後生に継承するすべがだんだんと薄れていくように思います。でも、未だに戦争は過去のものではないのです。いつも苦しむのは子どもに女に・・・弱い立場のものです。語り部さんはその熱い思いを業火の炎をはき出すごとく語り継ぐのでしょう。ひらがな表記にした効果とそうでない場合と・・・「八月の語り部が炎吹き出す」どのような効果があるのか?句会で皆さんの意見を聞きたいと思いました。そんな、魅力的な句であると思います。 ♡島田章平さん(作者」より→この句は浮かんだ瞬間にひらがな表記でした。漢字は浮かんできませんでした。説明はうまくできませんが・・・。ご選評を頂けて嬉しいです。

寺町志津子

特選句「爆心地ここぞ世界を変へるのは(野﨑憲子)」。大変嬉しく、有り難い御句です。広島はふる里です。広島市民の「核無き世界」への思いは一入ではありません。核なき世界になるよう願い、祈リながら暮らしております。「麦茶飲み干す全方位の青空」。景がよく見え、作者の満ち足りた思いも良く伝わって、明るい気分になりました。

伊藤  幸

特選句「定家葛ひそかに兜太蔓延びぬ」。螺旋状に這い上がり白い香りのよい花を咲かせ後に黄色に変わる定家葛。旧兜太邸又は墓碑もしくは句碑から兜太蔓と名付けられた新しい品種?の茎が出たものと思われる蔓。どのような花を咲かせどのような実をつけるか楽しみである。

菅原 春み

特選句「白雨来て病室という函包む」。白雨で映像が浮かび上がります。病室のなかでの身動きできない状況が肌で感じられます。特選句「はんざきのどろりと動く夜の底」。はんざきと夜は切り離せない。しかもどろり、夜の底では体感まで感じられて身動きできなくなる。

藤川 宏樹

特選句「チェストパスされし純情睡蓮花(岡田奈々)」。「チェストパスされし」ボール、「純情」のボールを胸でドスンと・・・。勝手ながら「純情」は恋の実直な告白と捉えました。「睡蓮花」が青春の一場面を後押しています。

植松 まめ

特選句「父母のゆるい溺愛夜の蝉」。上手く評はできないがとても惹かれる句です。特選句『「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み』。こんな純粋な時代が自分にもあったんだと思い出させてくれる句、大好きです。

吉田 和恵

特選句「アマリリス廊下の奥が懺悔室」。「戦争が廊下の奥に立っていた」―渡辺白泉のパロディーと思いますが、アマリリスがぴったり。曲が聞こえてきそうです。

塩野 正春

特選句「梅を干すベランダUFOはまだ来ない(榎本祐子)」。えっ? UFO を釣る餌は梅干しなのか、そうかもしれない。これまでは音(音楽)や光のリズムが良く使われていたのだが新しい発想があの甘酸っぱく香る梅干しだったとは! この句をUFO専門家に見せてあげたい。兜太師匠もびっくりの発想。現代俳句はこうありたい。特選句「雲とそら翼の日の丸それだけ(薫香)」。今日8月15日終戦記念日の日に味わった句が美しい。戦後といわれて長く日の丸も君が代も、青空までも虐げられてきた。日の丸をこんなに美しく取り上げた句はついぞ見なかった。青い空も日の丸もこれからは堂々と生きたい。似た句(筆者が感じることだが)「人生のずるずる錘や原爆忌(若森京子)」が出句され共感を覚えた。が、日本の未来をより感じさせる前者を特選にした。

野田 信章

特選句「愛想なき君オクラを柔らかく茹でる」。の「愛想なき君」のフレーズには男の身勝手な言い分にして本音の込もったところが窺える。そのことを、具体的な調理の手際よさによって反転してくれる修辞の鮮やかさがある。この軽い意外性こそ日常の景の一端の確かさと読んだ。原句は「愛想無き」だが、「愛想なき」としていただいた。

川崎千鶴子

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。「余生」とはただの空白の白い紙切れで、未来の無い透明な「金魚玉」と。楽しみの無い老いの感慨を嘆いている。老いを的確に表現して、なんとも寂しい句です。「寝返りのきのうに戻る熱帯夜」。寝床に入れば寝苦しく、寝返りをうつと昨日と同じ熱帯夜だった。表現のすばらしさ。

山本 弥生

特選句「孫が擂りひりひり辛し夏大根」。お母さんのお手伝いが出来るようになった孫の擂ってくれた夏大根。老いたりと云えども味覚もしっかり分かる。猛暑に気合を入れてくれて有難う。

荒井まり子

特選句「郭公托卵数字ばかりの日経新聞(増田暁子)」。取り合わせが斬新、面白い。新聞が俳句になるなんて。

松岡 早苗

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。余生を「白い紙切れ」と言い切っているのが印象に残りました。自由な時間はたっぷりあるものの、現役を退き社会とのつながりの薄れた、いわば紙の切れっ端のような存在。寂しさはあるが、それでも残された年月を心豊かに生きたい。水槽の中でゆったり泳ぐ美しい金魚のように。特選句「八月の椅子置けば八月の影」。晩夏から初秋へと移りゆく頃の気だるさや寂しさが、「椅子の影」という繊細な映像と、「八月」のリフレインによって感覚的に伝わってきました。

川本 一葉

特選句「眠られぬ今宵外に出よ星涼し」。暑くて眠れない夜本当に外に出たことが何回もありました。今年はなかなか咲かない朝顔が気になって明け方も外に出てました。私のことか、と思うような句でしたし、命短し恋せよ乙女のように調べがとても良いと思いました。

岡田ミツヒロ

特選句「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。戦争の影が日増しに濃くなる軍拡日本。「ほのほふきだす」は、戦争の惨劇の生き証人たる語り部の子孫の安寧、人類の未来を願う魂の湧出した姿。特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。盛大に煙を上げ、ジュージュー燃える秋刀魚、いまは秋刀魚を焼く、そのことだけ。それ以外は何もない。そして、秋刀魚が焼き上がってから宴のあとのように、じんわりと孤独がやってくる。

銀   次

今月の誤読●「宅配の柩を置いて行く炎天(淡路放生)」。ちょうどお盆というとき、わが家のチャイムが鳴った。玄関に出てみると、宅配人がいて、サインをくれという。わたしはいうとおりにして品物を受け取った。それは白木でつくられた真新しい柩であった。金色の飾り金具がところどころに施されていて、真昼の太陽を受けキラキラ輝いている。それにしても妙なものが送られてきたものだと蓋を取ってみると、そこに父さんがいた。ちゃんと経帷子を着て、ご丁寧に鼻の穴に脱脂綿までつめている。周囲は花で飾られ、おまけに三途の川の渡し賃のつもりか模造の六文銭まで胸元に置いている。「あきれた」わたしはため息まじりにつぶやく。父さんがいう「どうだ、驚いたか」。「驚かないよ、毎度のことだ」とわたし。「母さんはどこ?」「すぐそこまで来ている。もうすぐ着くだろう」といってるあいだに、喪服を着た母さんが白いハンカチで汗をふきふき「暑い暑い」といいながらご登場と相なった。「おれも暑いよ」と父さん。そりゃそうだろう、狭い柩のなかに閉じ込められてはるばる運ばれて来たんだから。両親はよく冗談好きの夫婦だといわれるが、程というものがある。うちの父母はその程というものを知らない。クリスマスのとき、父さんは本格的なサンタクロースの衣装を誂え、特注のソリに乗り、それをトナカイのぬいぐるみを着た母さんにひかせてやって来た。とまあ、それはほんの一例。数えあげればキリがないが、ちょんまげと丸まげで来たこともあれば、全身を包帯で巻いた格好で来たこともある。両親いわく「わたしらはごく当たり前の面白みのない世間というもののなかに暮らしている。せめてジョークぐらいは命がけでやらないと生きてるかいがない」。わたしにはさっぱりわからない理由だが、まあ、本人たちが満足しているなら、それでよかろうとも思う。だが迷惑であることも事実だ。ただ今回ばかりはそうでもなかった。というのも、父さんがその晩、熱中症で死んだからだ。冗談じゃなくほんとうに死んだのだ。死に装束を着て、棺桶をかたわらに死んだ。おまけに母さんは喪服を着て泣きべそをかいている。坊さんがやって来て「これはまあ手まわしのいい」とつぶやいたのは、命がけのジョークを生きがいとする父さんにとっては本望だったのかもしれない。

増田 暁子

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。八月の椅子に誰が座って、影になっているのか。恐ろしい時代を思い返す。特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。食べることに貪欲であれば生きる楽しみがあり、孤独はありませんよね。

佳   凛

特選句「爆心地ここぞ世界を変へるのは」。爆心地だからこそ世界を変えようと。核反対 戦争反対を、叫び続けて78年、一向に変わらぬ世界、本当にほんとうに、無念です。 一傍観者であってはならないと、思いながら何も出来ずにいます。さぁ今日からは、世界平和を願い声をあげよう。

淡路 放生

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。作者の覚悟と涼しさを感じる。緊迫感があろう。

新野 祐子

特選句「鶏頭や保護司たずねる鉄工所(三好つや子)」。人生のドラマを描くのも俳句。この句、大変ドラマチックです。「静寂の縁を通りて赤蜻蛉」。そうか、赤蜻蛉はそんなところを通過してやってくるのか。妙に納得。「結論は明日にしませうソーダー水」。結論なくて生きなくてもいいのかも、すぐ覆したりしますから。物事にもよるか。

高木 水志

特選句「人類の一人宇宙の一流星」。作者のダイナミックな物の見方に共感した。類想感はあるが海程香川らしい俳句だと思う。

時田 幻椏

特選句「父母のゆるい溺愛夜の蝉」。ゆるい溺愛 に好感、成る程と思います。特選句「家系図に余白たっぷり夜の桃」。家系の広がりを期待し許す余白に、エロティシズムまで感じます。夜の蝉 と 夜の桃 夜のイメージの強烈さを改めて思い知ります。問題句「愛想無き君オクラを柔らかく茹でる」。大変気になる句ですが、この破調を良しとするか・・?

田中 怜子

特選句「白雨来て病室という函包む」。激しい雨が、まだ明るいから白雨としたのか、雨の激しさで白く見えたのか。たちまちに病院を包んでしまうという一瞬の景を読んだのか。雨の音、しぶき、病院の建物さえ函のごとくになる、自然のすさまじさか、昨今の気候変動なのか。特選句「長き夜や日記とラヂオ深夜便」。あるある、と思った。何故か眠れないとき、スマホをみてしまう。目がつかれる。ラジオ深夜便なんて、かなりお年を召した人か。今まで生きてきた人生感などもにじみ出ている。

大浦ともこ

特選句「一人居ののりたまごはん夏座敷」。広い座敷に一人でいる状況には孤独感がただよいますが、「のりたまごはん」の具体的でユーモラスな中七で一人を楽しんでいる明るい一句になっているところが好きです。特選句「結論は明日にしませうソーダ水」。ふわっとなげやりな感じが夏の終わりの今にしっくりときました。季語のソーダ水の泡の消えゆく様子とも響きあっています。

稲   暁

特選句「たっぷりと水撒き八時十五分」。 8月6日の朝のことだろう。作者は路にか、庭にか、たっぷりと水を撒く。そして、運命の時刻を迎える。抑えた表現の中に万感籠めた作品と読んだ。

竹本  仰

特選句「知らぬ子の手の握りくる夏祭」。これとは反対に、知らぬ母親の膝に乗ったという幼いころの失態を思い出しました。多分寝ぼけてたんでしょうね。母親の膝に戻るつもりが、違う母親だったという。だがあの時代は寛容だった、そのまましばらく本人が気づくまで置いてくれたのですから。今じゃそうはいかないでしょう。そういう一時代前を思わせる風景です。親と間違えて小さい手が握りに来た。何ともくすぐったい感触ですが、夏祭が見ず知らずとも横のつながりを育む場であること、それが今にも続いていることを思い出させる句ですね。特選句「宅配の柩を置いて行く炎天」。一読、〈はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる〉という塚本邦雄の歌を思い出し、時代の推移とでも言うべき対照を感じました。たしかに今や柩が宅配便で届くのに何の不自然でもありませんが、邦雄の短歌がまだまだ奥深い無言の資本主義の笑いを連想させるのに対し、ネット社会の簡明な直截性を感じさせます。そしてどうしても置き去りにされた柩には、置き去りにされた生がいま死となって運び去られるような乾ききった感触だけが残ります。死もまた流通の中に位置づけられ、その中身が空っぽになってゆくような、そんな時代感も嗅がずにはいられないと思えました。今ウクライナで、一つ一つの市民の遺体が掘られながら土に埋葬されてゆくあの湿り気に比して、清潔簡潔明瞭なる最近の葬儀の合理性、ふと何だろうと引っ掛かります。特選句「トマト噛むその混沌を得るために」。食む、ではなく、噛む。物事を抽象化すれば美しくシンプルになるのだろうけれど、物事を直で感じた時にはまず混沌があるのでは、と思います。そういう直感そのものの良さがよく出ていて、何だか嬉しく感じた句でありました。以前、仏道修行に明け暮れ、高野山から帰った後、或る用事で海に行ったとき、ふいに踏み込んだ磯を思い出しました。履物の足首まで浸かって感じた海。修行していた感覚と凄いぶつかり合いを感じました。その時は、この混沌!と、信じられないくらい興奮したのでしたが、多分、この混沌に近いものではないかと、この句の「混沌」を読みました。

自句自解「問いだけでいいのほんとは桃なんて」について。相聞歌というつもりでしょう。相聞というのは、互いに問いかけ、互いに聞き分けることで成り立ちます。桃が欲しいの、と言えば、すぐ桃を用意してくれた。でも、桃じゃないの、なぜ僕に?というそこをもう少し味わって欲しかったのに。そんな微妙なすれ違いの風景でしょうか。という情愛過多気味のつぶやきというところですね。→高松の句会で、自句自解のリクエストがあり竹本さんにお願いしました。感謝です!

中村 セミ

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇にあふ」。虚無感があって、まるで、眠狂四郎をかんじました。僕はその短い詩から何かを感じる読み方しかしないので、そういうことです。「積乱雲 常に冷めてる頭のすみ」。の積乱雲の正体はなにか。「家系図に余白たっぷり夜の桃」。の家系図に余白も面白いと思う。

河野 志保

特選句「たっぷりと水撒き八時十五分」。今年もこの日この時間が巡ってきた。被爆者の苦しみを思い、たっぷりと水を撒く作者。「八時十五分」に込めた鎮魂と平和の希求がまっすぐに伝わる。

島田 章平

特選句「たつぷりと水撒き八時十五分」。句のどこにも「ヒロシマ」とは書かれていない。しかしこれは紛れもなく、八月六日のヒロシマ。時間だけの表現がその緊張感を際立たせている。秀句。

滝澤 泰斗

特選句「父母(ちちはは)のゆるい溺愛夜の蝉」。巷の耳目を集めている事件で二つの事件に注目している。一つは、福原愛さんの子供を取合う事件、そして、もう一つは、札幌の首切り殺人事件。作者には申し訳ない気分だが、いの一番の掲句を詠んだ時、後者の事件に結びついてしまった。ことの真相は全く分からないが、親と娘の愛憎が縺れにもつれた始まりは、ゆるい溺愛からか・・・夜の蝉の鳴声は現実から逃れたい呻きに聞こえた。特選句「夏草や古書の湿りの蚊を挟む」。うまいなぁ・・・感心の一句。「はちがつのかたりべがほのほふきだす」。流石に八月・・・八月ならではの句が揃った。『麦秋の戦禍ピカソの「泣く女」』 。八月の日本の原爆忌、敗戦忌の類句ながら、麦秋からウクライナ侵攻が想起された。「ゲルニカ」としないで「泣く女」にしたところが良かった。「白雨来て病室という函包む」。白雨で快癒の兆しが感じられた。「色褪せた水着は私の抜け殻」。人も脱皮を繰り返しながら生きている感じが上手に表現された。「結論は明日にしませうソーダ水」。議論が膠着することはよくある。ちょっととぼけた諧謔がいい。

あずお玲子

特選句「静寂の縁を通りて赤蜻蛉(佐藤仁美)」。蜻蛉のホバリングを思いました。ホバリングをしながら静寂の縁を探しているのなら楽しい。きっと大きな目で見極めているのでしょうね。特選句「白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ」。今は常に白湯のごときに物静かで波風とは無縁の祖父も、かつては向田邦子の父親のように絶対君主で女遊びの一つもある人だったのでしょうか。赤く艶やかな、そして甘酸っぱいゆすらの実が、生きている限り決して消えない火種のように思えて面白い取り合わせです。

薫   香

特選句「大西日『はだしのゲン』の居る床屋」。幼い頃は床屋に行って居ましたが、必ずと言っていいほど漫画がたくさん置いてありました。その中に「はだしのゲン」を置く床屋さんを想像しました。なんかいいですね。特選句『「おーい雲!」呼びかけてみる夏休み』。夏休みの開放的な気分と、これからの期待半分のんびり半分で、思わず呼びかけてかけてみたというところでしょうか?

榎本 祐子

特選句「かなかなや身体に泉飼ふ如く(あずお玲子)」。かなかなの鳴き声は、身の内に湧く思い、情に共鳴する。そのような情感を泉と言い、それを「飼ふ」とは、自身への慈しみの心のようで少し切なく美しい。

山下 一夫

特選句「薄青き耳たぶをもて蛇に会ふ」。「薄青き耳たぶ」のイメージが鮮烈。それだけで異界的な雰囲気が漂いますが「蛇」の登場でさらに強調されます。異界の不思議な光景とも現実の人間関係等を踏まえた心象の象徴的な表現とも見えますが、「会ふ」た後もただでは済まない展開が予感され、奥深く感じます。特選句「白雨来て病室という函包む」。世界中に病室は無数にあるわけですが「函」と言い切ったことで個別性が生まれていると思います。「白雨来て」から抜き差しならない運命の到来、「包む」から慈しみなどが滲み出てくる感じをしみじみ味合わせていただきました。問題句『ソーダフロート「趣味、俳句です」が正面(藤川宏樹)』。一読、意味の把握できなさにつかまりました。三読、インタビューや自己紹介をし合う場面で対面対話する人の間に、おそらく注文されたソーダフロートがあるのだと読解。「趣味、俳句です」を「正面」に押し立てているのは、作者か相手か三人称の世界なのか判然としませんが、いずれにせよなかなかに冒険的な企てなのではないでしょうか。

谷  孝江

特選句「秋刀魚焼くかぎり孤独はありません」。夫を亡くして二十年余り、一度も秋刀魚を焼くことはありませんでした。秋刀魚は一人ぼっちで食べるものじゃないとの思い込みみたいなものがあったからです。でも、焦げ具合など気を付けながら焼いた秋刀魚は格別です。今は、一尾の秋刀魚ですが年に一度か二度の楽しみを楽しんでいます。一日一日を感謝しながら・・・・・・・。

森本由美子

特選句「絶滅か進化か蜘蛛の糸ゆらり」。このテーマを結論づけるのは馬鹿げている、不必要と思いながらも、不安感が僅かずつ膨らんでゆく気もする。<蜘蛛の糸ゆらり>がそんな深層心理をよく表現している。

佐藤 仁美

特選句「向日葵咲く午後から風が強い場所」。向かい風にも力強く咲くひまわりに、けなげさを感じます。特選句「背に掛けて海の匂いの夏帽子」。背中の帽子は夏の名残ですね。

向井 桐華

特選句「身の芯に届く暑さとなりにけり」。本当にその通りの暑さだなと思います。熱中症になったことがありますが、何日も体の中の熱が取れず、皮膚を冷やしたり解熱剤飲んだりしても無駄だなと思いました。まさにその時のことを思い出しました。問題句「熟成の血はビーカーへ浮いてこい(川崎千鶴子)」。読む側に力が無いだけかも知れませんが、画が浮かびませんでした。

重松 敬子

特選句「八月の椅子置けば八月の影」。一枚の絵画を見ているような誌情あふれる一句。気怠い夏の昼下がりを想像します。

柴田 清子

特選句「打ち水やパン屋の猫の名はオバケ」。季語が、適切であって、たたき込むように言い切って楽しい内容の一句に仕上っている。

石井 はな

特選句「余生とは白い紙切れ金魚玉」。もう余生だからと半ば投げやりと諦めに気持ちが行きそうですが、白い紙切れ‼ でこれから何でも書き込めるなんて、励まされます。金魚玉の季語も気持ちの良い取り合わせです。

菅原香代子

特選句「アマリリス廊下の奥が懺悔室」。教会にはなぜか アマリリスが植っていた記憶があります。その中の薄暗い先にある懺悔室への畏れと秘密めいた雰囲気を感じました。 「みぞおちに蛍遊ばせ仁王像」。夜の本堂に静かに佇む仁王像、その懐に遊ぶ蛍への慈愛を感じました。

亀山祐美子

特選句「背に掛けて海の匂いの夏帽子」。走った勢いなのか海で一日楽しんだつば広の夏帽子のあご紐がズレて背中に落ちている。海と空の青さまで想像させてくれる明るくて楽しさを伝えてくれる上手い佳句。

野﨑 憲子

特選句「掌に取れば花烏瓜さんざめく」。烏瓜の花は夜にひらく。美しいレースの衣を纏った白い花である。果実の形状からか花言葉は、佳き便り。作者の掌で烏瓜の花はどんなお喋りをしているのか。特選句「炎昼の影ばかりなり皮膚を欲る(三枝みずほ)」。一読、爆心地が浮んできた。そこには今でも焼けただれた影が犇めいているように思えてならない。大いなるいのちの混沌の影だ。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

蜻蛉
投了の覚悟ゐずまひ赤蜻蛉
藤川 宏樹
時の扉一斉にひらき赤とんぼ
野﨑 憲子
伝言板へ「先に行くよ」と赤とんぼ
野﨑 憲子
蓮に蜻蛉この瞬間は真昼
薫   香
ダイドコにとんぼ放したのは誰れだ
銀   次
蜻蛉の行き交ふ人生何周目
あずお玲子
赤とんぼ明日は明日の風のまま
島田 章平
蜻蛉追う薬の如き時間かな
中村 セミ
憧れは蜻蛉のやうに直線直角
三好三香穂
百日紅
ちちははもわれも無名や百日紅
島田 章平
百日紅百日燃ゆ恋したき
三好三香穂
百日紅こぼるる過疎の町
あずお玲子
淋しいとは言はない白いさるすべり
柴田 清子
母子手帳は四冊風の百日紅
野﨑 憲子
だらだらと未練げに咲くな百日紅
銀   次
百日紅あいつがここにいたころは
藤川 宏樹
お薬手帳/母子手帳
八月の女囚健気や母子手帳
銀   次
母子手帳賜はる星月夜きれい
あずお玲子
お薬手帳忘れましたと残暑
島田 章平
初盆や母の遺品に母子手帳
島田 章平
父の名は空白秋の母子手帳
柴田 清子
草の花
草の花おーいそろそろでておいで
島田 章平
草の花牧野博士の精密画
三好三香穂
無器用な暮らしもよろし草の花
あずお玲子
草の花機嫌をとってゐるところ
柴田 清子
雨降って泥跳ねて泣いて草の花
銀   次
生きものに縄張りのあり草の花
野﨑 憲子
蟷螂
カマキリになるなら死んだ方がまし
柴田 清子
蟷螂の貌のひえびえとして無味
あずお玲子
枯蟷螂きのふのままに止まりをり
三好三香穂
蟷螂の両手広げロシア見る
中村 セミ
蟷螂飛んだ歌舞伎役者のやんちゃ
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】何度か、「海程香川」の吟行に参加してくださった宮崎県小林市の永田タヱ子さんが他界されました。90歳の誕生日を迎えられたばかりで、十日に、御自宅で亡くなっていたそうです。お一人住まいでした。自ら車を運転し、鹿児島の刑務所へ今も俳句を教えに出かけていらっしゃいました。130歳まで生きる!って言われ、とてもお元気だったそうです。伊吹島吟行で軽トラの荷台に乗った永田さんの満面の笑みが忘れられません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

【句会メモ】八月句会は、お盆前と重なり、一週間開催を遅らせました。猛暑の中、九名の方が集まり、四時間半の熱い句会が展開されました。八月という日本にとって最も重い月に、平和を願う、渾身の作品が多く寄せられました。これからの句会がますます楽しみです。

2023年7月23日 (日)

第141回「海程香川」句会(2023.07.08)

713.jpg

事前投句参加者の一句

水やりの子に七月の雨笑う 松本美智子
死なないよニセアカシアは揺らぎおり 竹本  仰
扇風機共に老ゆれどわが戦友 柾木はつ子
白杖にすれ違う朝水無月尽 向井 桐華
感情を抑えきれずに薔薇は咲く 月野ぽぽな
太宰忌の自分史編集割引キャンペーン 新野 祐子
梅雨星や勝ちて得しもの我になし 稲   暁
蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ 三好三香穂
凌霄花走る短き導火線 亀山祐美子
母にまた母いて嬉し初鰹 菅原 春み
弟かも知れぬほうたる私す あずお玲子
四畳半一間扇風機が猫背 藤川 宏樹
白黒の振り子ちぎれて梅雨明ける 岡田 奈々
夏に棲むニュープリンスリーダーズ水底に 中村 セミ
は・は猿田彦串刺しの鮎がぶりかな 樽谷 宗寛
<ワグナーの楽譜を見る>湖畔の夏線描の音符リズム美し 田中 怜子
隣街旅人気取りのサングラス 山本 弥生
左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨 田中アパート
迫りくる借景の山吾と緑 薫   香
青畳魂寄れば飯を食う 十河 宣洋
兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に 岡田ミツヒロ
夕立や我あたふたと地蔵となる 若森 京子
思いきり泣いて忘れて古代蓮 伊藤  幸
ベネチア派の絵画一幅梅雨晴れ間 滝澤 泰斗
太陽をまともに受けて流し雛 小山やす子
梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛 三好つや子
掴まらぬ冷素麺や兜太の句 塩野 正春
夏ひばり残光浴びて地を這いぬ 森本由美子
静脈の力強さや聖五月 重松 敬子
どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける 高木 水志
空蝉や生きる正解たずねみる 増田 暁子
春夕焼西へ西へと高速バス 菅原香代子
病葉や妣の写真は色あせて 漆原 義典
持ち主の逝きし日傘が老いてゆく 銀   次
子燕や着こなしてをり一張羅 佳   凛
背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ 大浦ともこ
笹百合愛づるその眼差しの非戦かな 野田 信章
風切羽上手に使い夏に入る 榎本 祐子
五指ゆがむ老のすきまを砂時計 飯土井志乃
指濡るる礎の刻銘沖縄忌 河田 清峰
夏山や溺れし蟻の足つまむ 豊原 清明
青柿や迷路の果てぬ不登校 山下 一夫
立葵つま先立ちの半世紀 松本 勇二
白日傘から嘘がはみ出している 柴田 清子
青野までぶつかってゆく子の寝相 三枝みずほ
Jijijijiji セミよそんなに寂しいか 島田 章平
母配る身ほとりの風丸団扇 川本 一葉
人は無口で枝豆になお塩を振る 大西 健司
不可解な虫の世界に人も棲む 鈴木 幸江
瓶ビールの泡が好きなる百一歳 稲葉 千尋
夏の恋わかってほしい口内炎 津田 将也
書物という空蝉死後も山河在り 山田 哲夫
青蛙ひとみに雲の流れゆく 増田 天志
獰猛な黒い伏字に蠅とまる 桂  凜火
山奥の水源にあり夢の跡 佐藤 稚鬼
香水をつかひきつたる體かな 小西 瞬夏
郭公の声の近くに棲んでゐる 谷  孝江
白南風や百の板戸を開け放つ 松岡 早苗
父の日の座して半畳モノクロに 荒井まり子
「おー」「おー」と亡師(し)の声秩父緑濃し 寺町志津子
白湯という甘露ありけり夏きざす 石井 はな
空見たくひっくり返へりたる海月 風   子
モト彼の話する人蚊を叩く 野口思づゑ
国境がそこにただあり向日葵畑 吉田 和恵
花合歓の風速0の思考かな 佐孝 石画
つついたら愛に傾くグラジオラス 河野 志保
旅夢想彼処に水葱や百済仏 福井 明子
しろよひらうきもつらきもむなしくと 時田 幻椏
向日葵を供う最後の飼犬に 植松 まめ
軽からぬ蛍手渡す子から母 疋田恵美子
海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな 男波 弘志
梔子の香りに溶けて道忘れ 川崎千鶴子
愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「人は無口で枝豆になお塩を振る」。情景がよく描写されている。それにより、その奥にあることばにならない感情が伝わってくる。散文的な書き方ではあるが、「で」「なお」に工夫があって一句となっている。

増田 天志

特選句「笹百合愛づるその眼差しの非戦かな」。非戦と反戦。どう違うのか。どちらも、闘い取るものではあるが。

松本 勇二

特選句「風切羽上手に使い夏に入る」。作者ご自身の風切羽です。どのような風でも上手く切り抜け、夏を迎えられたようです。特選句「青野までぶつかってゆく子の寝相」。寝相の悪さを「青野までぶつかって」と喩えてあっぱれです。感覚の冴えを感じます。

福井 明子

特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。青柿に果てない問いの深さが込められています。しかしながら、かたくなな青柿も、やがておのずからなる熟しを目指します。そんな願いをいただきました。特選句「書物という空蝉死後も山河あり」。かたちあるものはすべて骸(むくろ)、わが命が尽きても、そこに在り続ける山河。おおらかなリズム感。何度も口づさみたくなります。 

佐孝 石画

特選句「あじさいの全ての色を諦める(男波弘志)」。痺れた。「全ての色を諦める」というフレーズがよくぞ降りてきたと思う。「あじさい」の物語として提示されているが、読み手はまず、自分の境涯に照らし合わせて味わうことになるだろう。諦めたことへの讃嘆か、それとも悔悟か。また、咲き誇る紫陽花についてか、枯れはじめた紫陽花か。おそらくこのような読み手の逡巡こそ、短詩型文学である俳句の真骨頂なのだと思う。さらに深読みすれば「色」は単なるカラーにとどまらず、仏教用語の「色・しき」(物質的存在の意)にも通じる。いずれにせよ「全ての色を諦める」という世界は、圧倒的に美しく、せつない。そして、作者の紫陽花という自然物への憧憬と、己が人生へのゆるやかな肯定が見えてくる。

豊原 清明

特選句「モト彼の話する人蚊を叩く」。モト彼と彼女を観察しているひとの視線が、良かったです。問題句「夏の彩り反核カレー注文す(稲葉千尋)」。「夏の彩り」が、ちょっと気になりましたが、パワーを感じて良いと思いました。

十河 宣洋

特選句「Jijijijiji セミよそんなに寂しいか」。爺が蝉になっているようで楽しい。言葉遊びが過ぎるという向きもあると思うが、それはそれ。歳をとるといつの間にか周りから知人が減っている。寂しいかと問われることも少ない。特選句「書物という空蝉死後も山河在り」。厳しい指摘のように思う。書物が空蝉だという。書棚に放置された本へ鎮魂のように思えた。山河は瑞々しいのだが持ち主が枯れ始まっている。

大西 健司

特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。ちょっと素っ気ないと思いつつも、どこかユーモラスな一両電車にひかれ特選にいただいた。ただなぜ海牛にあめふらしとルビを振ったのか、ただひらがなであめふらしでいいように思うがどうだろう。

岡田 奈々

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。読むたびに笑いがこみ上げてきます。小学生のころ家にあった、重い鉄の扇風機。真っ直ぐに立てても、直ぐ頭が重くて下がってくる。猫背という借辞が、ぴったり過ぎて笑えてしょうが無い。持ち主も年取って、猫背で。哀愁とおかしみとで、ゴリコリ鳴る扇風機の音まで、哀しく聞こえてきそうだ。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー(田中アパート)」。梅雨の蒸し暑さでべっとりした私。シャワーの格別の気持ち良さがよく分かる。「かたつむりのどこまでもどこまでもひとり旅」。ひらがなばかりで書かれているので、かたつむりのゆらゆら這う様子と、所在無い私が重なる。「母少しおこらせたままラムネ玉」。何が母を怒らせたのか。爆発寸前で止まった、詰まったラムネ玉のように機嫌悪い悪い。「夏に棲むニュープリンスリーダー水底に」。要らなくなった英語の教科書。もしかしたら、英語なんてするもんか。って放り投げた教科書が、死体のようにユラユラ浮かんできた。40年後。「蓼食う虫ずらりと並ぶバツ印」。お見合いサイト。どうやって意思を表明するか知らないが、どれも私好みではない。と、私も言われてる。「青畳魂寄れば飯を食う」。座敷に皆で座れば、生き御魂も、亡くなった人も、老いも若きも宴会宴会。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。冷や素麺のなかなか捕まらないのと兜太先生の俳句の難解さが、よく合っている。「大南風放置自転車張り倒す」。なぎ倒された自転車。風にアッパーカット喰らったのね。「夏の恋わかってほしい口内炎」。口内炎は此方の予定に関係なく出来ちゃいます。また、疲れると余計。でも、これって誰になにをわかってほしいのか、分からない所が面白い。痛さだけが無性に伝わる。

藤川 宏樹

特選句「海牛ほどの一両電車かな」。木製床、天井扇風機ぶんぶん、大正生まれ。高松市街を撮り鉄人気のコトデンが走ります。あまたの踏切で朝夕渋滞。のろのろ具合は海牛ほど、色合まで似ている名物電車です。「海牛」を「あめふらし」と読ませるもまた妙なり。

若森 京子

特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。一読して単純に懐かしい一家団欒の風景を思った。現在の核家族で時間差のある淋しい食卓と真逆の家族の懐かしい暖かい色彩を感じる。特選句「旅夢想彼処に水葱や百済仏」。夢の中で初めて体験する様な不思議な世界にひき込まれた。水葱と百済仏の対比も現実と彼岸の狭間をさまよっている様で、これが夢想の旅なのか。

滝澤 泰斗

『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。朝日新聞俳壇欄の選は毎週金曜日に朝日新聞東京本社と並びの浜離宮ビルの一室で行われていた。金子先生が選者に加わった頃は山口誓子を筆頭に、稲畑汀子、川崎展宏、そして、わが師・金子兜太先生。先生のお出ましは最も遅く、昼近く。そして、夕方5時頃まで、当時の投句葉書約7千通に目を通し、選をされていらした▶当時、朝日新聞社は歌壇の四選者も含め、選者の慰労を兼ねて順番に海外旅行にお連れしていた。当方に、その担当ということで、お鉢が回ってきた。お役目とは言え、金曜の午後3時は極力他の仕事を入れず、俳歌壇詣でで、金子先生と雑談をすることがルーティーンワークだった▶午後3時頃になると、他の選者は既に居なく、俳壇担当記者と金子先生だけ・・・先生の一服入れる時を見計らっての時だった。ドアを開ける、掲句の通りの「おー」おー」の声に招かれた。先生との話は旅行の話が主で、俳句の話は記憶にないが至福の時に違いはなかった。私にとってはその時の会話と先生ご夫妻をご案内した旅が、朝日を辞した先にあった「海程」への道筋だった。特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空」。高温湿潤が夏のイメージだが羽根ペンとインク壜の取り合わせが、美しいすがすがし夏空を想起させた。気持ちのいい作品。「母にまた母いて嬉し初鰹」。母や父を題材にした句に弱いところがあると認識しつつ・・・やはり、選んでしまう。「四畳半一間扇風機が猫背」。扇風機、其れも、やや古びた扇風機のある景はコマーシャルではないが、「昭和かよ」と思いつつも、掲句のごとき、愛惜の情を惜しまず。「静脈の力強さや聖五月」。静脈が聖母マリアの聖五月なら動脈はイエスの五月かと理屈はともかく静脈が脈を打っているような力強さを感じた目の確かさに、聖五月の季語を充てて見事な一句に仕上げた。「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。平和記念公園の「平和の礎」を、涙を拭った指でその刻銘をなぞる。沖縄の悲劇は涙を枯らさない。「青柿や迷路の果てぬ不登校」。不登校とあるから中学、高校生か、思春期は万人に来て、迷路もあれば横道もある、時に袋小路に陥りどうにも身動きができない時もある。齢重ねて、人は、そんな若かりし頃を冷静に見る目も養ってくる。共鳴しました。「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ、クリミア半島がソ連時代のウクライナ地方だった頃、ひまわり畑が延々と続く様に驚嘆したことがあった。それが、2014年、プーチンによって強引にロシア領に併呑され、更に、2022年ウクライナ東部の穀倉地帯を分割するごとく線を引いた。為政者にとっての国境の意味とそこに住む人の生活の場である国土の境は全く違う。

月野ぽぽな

特選句「静脈の力強さや聖五月」。動脈の力強さ、ではなく、静脈の力強さ、とすることで、力強さが増強しますね。聖五月もよく効いて、一句が生命力そのものとなっています。

稲葉 千尋

特選句「神鏡に父似の貌や青葉木菟(河田清峰)」。おそらく作者自身の貌であろう。それを父似としたのが良かった。季語も。特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。海牛もアメフラシもよく似ているように思う。一両電車さもあらんと思う。発想が良い。

桂  凜火

特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。自分のことかこの日本のことかいやいや世界のことか平和でつつがないともいえるけれど一皮めくれば、つま先立ちの不安定な危なかっしい時代だったのかもしれないと振り返りました。

増田 暁子

特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。一人の兵士に父母妻子が居る現実。戦するな。特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。逝く人の日傘も老いてきたのか。寂寥の思い。

樽谷 宗寛

特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。はじめて知りました。調べてみました。私にとつて新しい出合いでした。

塩野 正春

特選句「湖畔の夏線描の音符リズム美し」。いささか俳句としてのリズムに欠ける感はするがその内容に惹かれました。ワーグナーの楽譜との添え書きがありますが音楽の素養のない私も楽譜の美しさに感動します。この音符の羅列、時に整然と、時に乱れて表現される二次元の線描から素晴らしいメロディーが生まれることが想像できません。西洋音楽に限らず和楽の謡曲、長唄などなどの音符表現も素晴らしいものがあり、長い世代を繋いで生き延びています。音楽という世界を繋ぐツールを俳句に引き込んだ着眼に感激します。 特選句「香水をつかひきつたる體かな」。“香水を使い切った”とはなんという大胆な表現でしょう。香水を使って己の肉体を美貌を誇示し、そして今はリアルな体、いや、體を残して生き生きしておられるという事でしょうか? 平易な言葉を使ってこんなにもリアルに深く体やこころの変化を詠まれておられ、現代俳句の本質に迫る句と考えます。問題句「静脈の力強さや聖五月」。静脈とは何か、キリストやアダムとイブの静脈か、それとも己の静脈か。確かに絵画などで静脈が太く描かれる場合がありますが、ご自分の静脈を重ねておられるのかどうか、今一ヒントが欲しい気がします。季語‘聖五月’と‘静脈’は不思議によく合います。

津田 将也

特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。下界からの刺激や印象を受け容れる力、物を感じとる力など、作者の、この感受性を特に褒めたい。特選句「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。蟻が俳句に登場したのは、比較的新しく、大正以降といわれる。どこにでもいて、人間には身近な存在。①女王蟻。」②羽を持ち繁殖期にだけ出現する羽蟻(オス)。働き蟻(オス)。この三者が組織化された集団生活を営んでいる。特に働き蟻は、女王蟻や仲間のため、灼けつくような夏の炎天下を厭わずに働く。俳句で、「蟻」は夏の季語。「蟻の列」「蟻の道」「蟻の塔」「山蟻」などの季語を使っての、多くの俳句が詠まれている。この句の、「溶ける溶ける」のリフレインが好ましい。

柴田 清子

特選句「麦茶飲むそんな日常賜りぬ(野口思づゑ)」。残されたあと僅かを、こんな平常心の日常をすごせたら、どんなに幸な人生であったと思えるかも。そう思いたいから。

山田 哲夫

特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。「ほうたる」の舞う様に今は亡き弟の魂ではないかと感じ、何時までも手元に大切にしておきたいという想いとらわれるところに共感。特選句「野遊びの続きのような家庭かな(重松敬子)」。「野遊びの続きのような」という比喩からこの家族の家庭での明るく伸びやかで屈託のない生活の様子が想像されてくる。比喩の手柄か。

鈴木 幸江

特選句評「母少しおこらせたままラムネ玉(三枝みずほ)」。“まま”の語意の①に、物事のなりゆきに随うさま、というのがある。“なりゆきのまま”にその場をやり過ごすときは、どこか正しくないことをしている感情と情況が多いのだが、この句に登場する母はなぜか幸せそうだ。“ラムネ玉”の不可知な動きとガラスの透明感が善く効いている。特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。目的と理由があって小部屋で扇風機を下向きに設定しているのだ。それをいきなり“猫背”と表現し、ぴったりと思わせる。俳句の底力、アニミズム万歳である。

男波 弘志

特選句「夕立や我あたふたと地蔵となる」。あたふとたとしている人間であるので、この人は仏にはなれてはいないのだが、何かの瞬間に人を超越した気分になることがある。しかし我々愚鈍な人間によりそうには、先ずもって人間そのもののにならなくてはならない。よく教えるとかいいますが、そんなことは人間だけが考えていることであって、虫でも魚でも、草でも鳥でも、そんな大それたことを考えてはいない。教える必要もなければ、教えて貰う必要もない。あたふたとしている自分がそのまま地蔵になって、人間の醜態を合わせ鏡になって見せているのだろう。夕立ちは往来の人々が右往左往するのに十分な自然の脅威をみせている。なかなか巡り合えない玉句であります。

島田 章平

特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。見事な省略。住所しか書いていないのに、白雨に煙る京都の街が鮮やかに見える。

谷  孝江

特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。切ない思いが一杯に胸に広がりました。主人を亡くした時、十歳年下の弟に先立たれた時、言いようのない淋しさに包まれました。もう十年以上も前のことです。その年の夏、螢が一匹窓辺に止まっているのに気付いた時の嬉しさは言いようのないものでした。来てくれていたのだ、言葉には出せませんでしたが、励まされました。「しっかりと生きて行かなきゃ」「どこかで見ていてくれる人があるから」今だにあの日のあの時の事が私の体に沁みついて忘れられないでいます。

田中 怜子

特選句『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。「おー」という先生の応答なつかしいですね。あのずばずば力強い批評の言葉がなつかしい。 先生が危惧しておられた安倍政権の延長線上の今日の政治状況、軸となる方がいないことに寂しいですね。と思う反面、何時までも恋々と頼るな!特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。いすみ鉄道にしても地域住民や、ローカル線に愛着持つ人々の優しいまなざしをうけて、田園地帯をえっちらおっちら走ってくる一両電車! あめふらしのように彩ゆたかな、子供が好きな電車がいいですね。特選ではないのですが、「四畳半一間扇風機が猫背」。の猫背の扇風機、この夏スイスに行き、ルツエルンの情けないベッドだけ部屋の机の上に、TOSHIBA製のずんぐりむっくりの扇風機がありました。首のない猫背です。その扇風機にブラウス等をかけて乾かしました。

河田 清峰

特選句「かたつむりどこまでもどこまでもひとり旅(飯土井志乃)」。ふりかえらない前向きな姿が良かった。以上よろしくお願いいたします。山形吟行楽しみです。

植松 まめ

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昔よく聞いていたフォークソング「神田川」の老後版かな。古びてなお律儀に仕事をしている扇風機。扇風機が猫背に哀愁がある。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ終わらぬウクライナ戦に心は痛む。必要なのは武器ではない停戦への働きかけだと思う。国と国との思惑で引かれた国境そこに住んでいたために起きた災禍、向日葵畑は美しいのに…………。

川本 一葉

特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。夢の跡とは何だろう。思い出のことだろうか、水源という宝のことだろうか。上流と辿って水源を探したことが幾度かある。夢というのは眠っているときに見る夢のことかもしれない。想像が膨らむ句だと思う。

川崎千鶴子

特選句「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老いると指はゆがんで、その隙間を砂時計の砂がさらさら落ちる。または時がさらさら抜けていくという意か?見事な表現で素晴らしいです。「書物という空蝉死後も山河あり」。書物のように空蝉には詩が生まれ、物語が生まれ。空蝉にはそういう特別な存在感にあふれている。そして長く長く空蝉のまま存在し自然の景となり、山河と悠然とある。

三枝みずほ

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。長寿を謳歌するとはこういうことだろう。瓶ビールを共に飲む人がいることに百一年間の人生があり、生き様がみえてくる。

三好つや子

特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。正解のないものに正解を求めようとして、一生を棒に振ることも。そんな愚かで、愛すべき人間の姿が句に込められているようで、心に刺さりました。空蝉の存在感をうまく表出しています。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー」。汗まみれのからだが浴びるシャワーの快感。ムシムシした暑さを増幅させる「無」と「私」のリフレイン、それがシャワー後のなんだか滝に打たれたような境地ともつながり、注目。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老のすきまという表現がすごい。「青野までぶつかってゆく子の寝相」。元気いっぱいの寝相が浮かび、幸せな気分になりました。「書物という空蝉死後も山河あり」。空蝉の捉え方に独自性があり惹かれましたが、推敲すればさらに光ると思います。「あめんぼが鳴いたと耳がそう言った(銀次)」。そういう頑固一徹な耳に、すこし淋しさがあり、詩情を感じます。

野口思づゑ

特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。ただ数、として駆り出されているのではとすら思えるように戦場に送り出される兵士たち。ご家族の行き場のない、踠き苦しむ状態が「蜘蛛の囲」で映像のように表現されている。「兵士生る」時家族の苦悩も「生まれる」のである。特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。もしかしたら私たちが目にする蝉は今「他界」にいる姿なのかもしれない。となるとその変遷の証拠のような空蝉は現世の道理を知っているのでは、と思える気がしてきた。

松岡 早苗

特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。お母様もおばあ様もご健在の作者がうらやましいです。親孝行できる相手がいる幸せ。三世代そろって賑やかに初物に舌鼓を打つことができる喜び。「嬉し」と言い切ったところがとてもいいと思いました。「海牛ほどの一両電車かな」。春風の中、海沿いの単線をトコトコやってくる一両の電車。海牛のようにカラフルなその電車が行ってしまうと、突然空は黒い雲におおわれ、雨の匂いがしてきました。そんなメルヘンチックな想像をしてしまいました。

河野 志保

特選句「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。沖縄戦戦没者への思いが切々と伝わる。刻まれた名前を、指を濡らしなぞる哀しさよ。非戦の誓い新たに。

高木 水志

特選句「白湯という甘露ありけり夏きざす」。夏の初めの頃に白湯を飲んでリラックスをしている様子が見えてくる。

石井 はな

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。親しい友人、家族が亡くなり時間が止まってしまった様に感じても、遺品の日傘は確実に古びてゆく。記憶が薄れていく寂しさが残された日傘に象徴されて、悲しみが増します。

中村 セミ

「誘蛾灯涼しくみえていのちかな(十河宣洋)」。誘蛾灯の灯りは虫達の寄り所であるが、はいったら、でれぬ地獄、死のみ待つという、現代に通ずる、それは場所よりも心情というか,人間関係に、そういうものを感じるあったりする。特選としたい。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。も気になった。「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。なぜ溶けるかわからないが、自分が溶ける事を言っているのではないか、何かにつまっき、あんなに、働き蟻であった自分が,簡単に溶けるというかのごと、きこえてしまった。

亀山祐美子

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。深い愛情を感じます。

風   子

特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空(増田天志)」。羽根ペンで書き物をしている珈琲館の女主人がいました。若くはなかったその人の洗練された美しさに見惚れ、ひたすら憧れていた私はまだ若かった。彼女は若い頃、パリで絵描きの恋人と暮らしていたと、同時期パリにいた知り合いの絵描きに聞きました。

向井 桐華

特選句「静脈の力強さや聖五月」。 ドクドクと音が聞こえて来る。 最近入院を経験したので、その時の事が色々思い出されて共感しました。特選句「向日葵を供う最後の飼犬に」。静かな哀しみと向日葵の黄色のコントラスト。余計な言葉がひとつもない。最後の飼犬としたことで、作者の背景が見える。

佳   凛

特選句「蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ」。他にも沢山良い句がある中で、どうしても、譲れなかった特選句です。私も毎朝、蜘蛛の囲を取り除くのがしごとです。でも取り忘れた所に、何時も誰かが、ぎゃーと吠えているので、とても共感して頂きました。

榎本 祐子

特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。青畳の清浄空間に魂が寄る景から一変して「飯を食う」との日常。その落差の内に実を感じました。

寺町志津子

今月もバラエテイに富み、心惹かれる句が多く、迷いに迷った選句でした。 特選句「枇杷の実や三歳児姉となる朝(大浦ともこ)」。誕生されたのは妹さんだったのでしょうか?弟さん だったのでしょうか?姉となるお子さんの胸膨らむ思いに温かないじらしさを感じました。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。ご長寿のご家族なのですね。この句にも温かなご家庭が伺われ、明るい思いで頂きました。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り(島田章平)」。尾崎放哉ばりで面白いとは思いましたが「?」の思いもいたします。

伊藤  幸

特選句「愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ」。人間とはまことに愚かな生き物。そしてまた可愛い生き物。最後良ければ全て良し、神様は笑っておられることでしょう。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。嬉しと初鰹が溶け合って功を奏している。長寿大国日本、元気で長生きされますように。

あずお玲子

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昭和の狭い下宿先でしょうか。これといった家財道具もなく、古い扇風機が窮屈そうに回っている。起こしても起こしてもなぜか少し下向きで、それを見ている私自身も猫背であることに気付く。何がどうしたということが一切なく、しかも助詞以外はすべて漢字で淡々と読み下ろしていく期待感が、「凪のお暇」(黒木華のドラマの方)のように、今は人生のほんの一時のお暇期間であるよという明るさも内包しているようにも思えて、大変楽しく読ませていただきました。特選句「父の日の座して半畳モノクロに」。父親が座っている半畳程の場所がモノクロに見えている。父親はこの場所でいつも無口に胡座をかいていたのでしょうか。父の日に(もしかしたらもう居ない父親と)同じ場所に座って、父親の圧倒的な存在感と作者の喪失感を手に取り、その思いを場所と色で表している作品と思います。

柾木はつ子

特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。燕尾服が一番似合うのは正に燕そのもの。しかも一張羅。他に着るものとてありません。掲句の作者のセンスに感服です。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。向日葵と言えば半世紀ほど前に観たソフィア・ローレンの映画を思い出します。あの時から私の頭には向日葵は哀しく切ない花と言うイメージがこびりついて離れません。戦争の悲劇…同じ様な事が日本人にもあったそうですね。そして今もその地で繰り返されているであろうことを… 。

野田 信章

問題句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。は、一応入選とした上での問題句とした。白寿を超えて百一歳になられた方への賛意の込もった句である。私もやがて百一歳に達するかと生の意欲を鼓舞される句柄である。故にここは「缶ビールの泡が好きだと百一歳」と断定的に書き切りたいところである。なお「缶ビール」の方が顔のクローズアップの効果ありとも勝手に想うところである。

新野 祐子

特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。遠く高いところを見続けて五十年。素敵な生き方ですね。思わず自分の来し方を振り返ってしまいます。

重松 敬子

特選句「郭公の声の近くに棲んでゐる」。郭公の声で始まる日々の暮らし。作者の日常が様々想像できて大きな広がりを見せる秀句。

疋田恵美子

特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。少年少女の不登校、最近特に報じられていますが、宮崎県研修センターでも、この件に取り組んでいます。

岡田ミツヒロ

特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。トイレなし、洗面台なし、夏は西日で炎え上る四畳半一間。ずんぐりとした扇風機が更に背を丸め、申し訳なさそうに生ぬるい風を送ってくる。共に暮らしたあの「猫背」の扇風機よ。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。白日傘を嘘っぽいものと見做す視点が面白い。確かに、白日傘は、白々しい傘なのかも知れません。白色の虚構性に着目した意欲的試み。

大浦ともこ

特選句「jijijijijiセミよそんなに寂しいか」。視覚にまで訴えてくる俳句。jとiの羅列のオノマトベと「寂しい」が共鳴しあっています。特選句「香水をつかひきつたる體かな」。西洋画の横たわる(あまり若くない)裸婦のようなイメージが浮かびました。體といいきるところも潔くて好きです。

薫   香

特選句「背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ」。小さくしてお姉ちゃんになった子が、揺り篭を覗き込みたくて、一生懸命背伸びしている様子が目に浮かびます。いわさきちひろの世界ですね。下五のさくらんぼが一層かわいらしさを強調しています。私の大好きな果物ですので余計に惹かれました。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。日傘は太陽から自分を隠すように、いろいろな物から隠れているように思います。それでも白日傘なので隠しきれず、嘘がはみ出してしまっているなんて。こんな句が読めたら素敵です。

竹本  仰

特選句「摑まらぬ冷素麵や兜太の句」。:そうなんです。まったく同感。いい句はつかまえられないですね。これはどの句を指してということもないんだろうけれど、例えば〈果樹園がシャツ一枚の俺の孤島〉なんていう句、非常に気に入ってるんですが、なぜ、と問われれば、むつかしい。だがそれは恋愛に似たものであるかもしれない。つかまえたくともつかまらない。それゆえに惹かれてゆく何か、その何かは実に微妙な何かなんですが、つるっと円い箸にしたために逃してゆくそうめん、その感じなんですね。特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。一張羅。ここに惹かれました。人間にも一張羅があるんだろうけど、人生、けっこう一回こっきりの一張羅を示せと言われれば、どうだろう?渥美清や高倉健や、川谷拓三ならわかるが。子燕がいつの間にか一張羅を着こなしている、それが一生一回だけのものなんだろうけど、と何かぐっと来ましたね。特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。都会的な感覚のひとにはわからないかもしれない、そういう境地かと思いつつ。何をたしかめに山奥の水源に行ったんだろうと、そこにひっかかって、それで何となく、これはこれはご同輩、という感じで感じ入りました。いったい今まで何をしてきたんだろうという感覚でしょうか。そういうひんやりと自分をさましてゆく感覚が好ましく思えます。立原道造的なこの感じ、いいです。以上です。♡夏ってこんなに暑いものだったかと呆れながら、小耳にはさむと、今世紀の終わりには5度も平均気温が上がるとのこと。となると、そのころ7月は毎日四十度越えですか。しかし、地球史的には、今は間氷期らしいですから、わが人類の繁栄がしぼんでゆくと、氷河期に入るということになりますか。何となく大き過ぎて大変だあとしか言えませんが、我々もさまよえる恐竜の一種なのかもしれません。出来るうちに、せめて咆え続けて…と思っています。

小山やす子

特選句「虹の橋つつましく渡る余命かな(増田暁子)」。歳を取ると日ごとに老いてもつつましく控え目になる気持ちよくわかります。

稲   暁

特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。主観的すぎるかな?と思いつつも、読めば読むほど惹かれる作品です。エイヤッと、特撰句にしました。

三好三香穂

「じじばばに謎の言の葉ふりやまず」。なんごを話し始めた孫、じじばばには何を言っているのか?ばかりだが、楽しいはてななのです。「書物という空蝉死後も山河在り」。なくなった人の書棚には、その人の生き様、人柄が、まざまざと残っている。「白湯という甘露ありけり夏きざす」。朝起きて、1杯の白湯を飲む。これに勝る健康法はない。「野遊びの続きのような家庭かな」。私たちの家庭もこうして始まった。

時田 幻椏

特選句「持ち主の逝きし日傘が老いて行く」「梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛」。     両句とも微妙なニュアンスを確かな視点で表現した秀句と思います。問題句「左京区東大路過丸太町上る聖護院。白雨」。魅力的な句ですが 。 が気になりました。これも又良し、とも思いますが・・。

山本 弥生

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。大正生れの戦前、戦中、戦後を生き抜き元気でやさしい御家族に囲まれ、御自宅で好物の缶ビールを召上っておられる「泡が好きなる」に、お幸福な美しいお顔が浮びます。

山下 一夫

特選句「ミニトマト誘われ上手とも違う(柴田清子)」。上五と以下の関係が謎なところに関心が惹かれます。ミニトマトが指示する情景は房の状態かとも想像。そこが一見「誘われ上手」と見えるということかもしれません。そうすると、コケットリーはあるが実はうぶであったり、皮(防御)が硬くて生半可な咀嚼(誘い)は跳ね返すが果肉は甘い妙齢の女性を詠んでいるかなどと妄想は膨らんでいくのでした。特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。上五は招集などの後に兵役に就いたと理解。必然的に身近な人たちも銃後という抜き差しならない立場に絡めとられてしまう。16の句ではないが、思いがけず蜘蛛の囲にまとわりつかれたときの不快感が生々しい。リアルな実感を想起させる反戦の一句。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り」。この選評はメールに横書きしているのですが、この句はやはり横書きしてこそのものかと。「b」の音韻の連打に加えて英字表記部分がマンガ的な排気の連なりやバイクそのものにも見えて面白く、成功しているように見えます。

漆原 義典

特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。私の亡父は大正9年の生まれで、生きていたら今年103歳です。父が晩酌で瓶ビールをうまいなあと飲んでいた情景を思い出しました。 瓶ビールと百一歳がよく合っていますね。心温まる句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。聖護院と言えば大根。否、長い間歴史の表舞台にあった京のある特定された地点に夕立という設定が印象を強くする。

松本美智子

特選句「あじさいの全ての色を諦める」。毎年、我が家の狭い玄関先の敷地に咲く紫陽花を俳句にしようとがんばってみるのですが・・・なかなか類想類句の域を出ずあの鞠のようなかたちのまま枯れてしまっている花の様子の表現もどうすればいいか・・悩んだこともありましたが「全ての色をあきらめた」この表現がまさにぴったりだと思いました。私もまた紫陽花の句、挑戦してみます。

銀   次

今月の誤読●「夕立や我あたふたと地蔵となる」。そのとき夕立が来た。滝のごとくとよくいうが、それ以上に強烈な夕立であった。近くに建物などのない、田園地帯のド真ん中にいたわたしは、ただなすがままに雨に打たれつづけた。おかげでわたしは地蔵になった。雨はやがてあがった。だが、どうしたことか、わたしは地蔵になったままであった。少し驚いたが、そのうちまあいいだろう、という気になった。幸いなことにわたしは独り身である。心配する者もいない。ここでこうして地蔵になったのもなにかの縁だ。このままでもかまいはしない。職業・地蔵、か。うん、悪くない。やがて日が暮れ、空には満天の星が広がった。ああ、なんて美しいんだろう。気持ちがどんどん清しくなっていくのがわかる。ただ星を見るだけで煩悩が遠のいていく。こんな気分ははじめてだ。朝になった。近所のおばあだろう、花を持ってきて、わたしの足元においた。ありがたいことだ。おまけに両の手をあわせて拝んでくれた。わたしはいま聖なるものを見ているのだ。その姿のなんと可憐で愛らしいことか。おばあはしばらくして立ち去り、花だけが残った。わたしのまわりが少し華やいだ。これでいっそう地蔵らしくなったかしらん。そのうち登校する子どもたちの姿を目にした。いい風景だ。なかには悪童もいて、わたしの頭をピシャリ叩いていく者もいるが、それはそれでいいのだ。なんとも愉快で、一緒に走ろうかなんて気にもなったが、地蔵だけにそれはムリだった。残念。まあ、全部が全部いいことずくめではないが、わたしはこうなったことに満足している。それから何年か経ったのち、風のウワサに聞いたところでは、こうしたことはよくあるようで、つまずいた途端だとか鳥に頭をつつかれた途端だとかで、地蔵になるケースはままあることらしい。まさかという御仁もいようが、当のわたしがいうのだ、たぶんそれは本当だ。

菅原香代子

特選句「枇杷の実や三歳児(みとせご)姉となる朝(あした)」。枇杷の実と幼い子ども、兄弟が生まれた感動が伝わってきます。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。金子兜太先生への深い思慕を感じます。

野﨑 憲子

特選句「空見たくひっくり返へりたる海月」。可愛い海月の姿を想像し、思わず笑ってしまった。人類は戦争を止められず、色んな問題を抱え混迷の淵に佇っているのに、なんたる天衣無縫。<生まれて来てよかったな>と感じる瞬間が、安らぎが、ここにはある。 

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

蓮の葉にコロンと溜まる神の水
薫   香
さみだるるるるるるるるる水の音
薫   香
打たないで七月八日の水鉄砲
島田 章平
水切りす仁淀ブルーや夏休み
藤川 宏樹
風が笑つて水が笑つて晩夏
野﨑 憲子
ずぶ濡れの青水無月の鳥居かな
あずお玲子
なめくじらのたりといっそ水になれ
銀   次
もがいても分からぬ明日章魚水母
岡田 奈々
ブラックホールほらあの大蛸の根つこだよ
野﨑 憲子
蛸が好き母は今でも無口なり
植松 まめ
三度目の恋はいつから始めます?
薫   香
三椏の花来た道を忘れたの
島田 章平
三畳の次男の下宿片陰る
藤川 宏樹
夜の訪問者ノックは三つ蟇
野﨑 憲子
三面鏡の右側に違う人いる
中村 セミ
夏の太陽三段跳びでわが胸へ
野﨑 憲子
夏野菜カレー大盛三皿目
あずお玲子
三味線を弾く女師匠や路地の奥
銀   次
素麺
天下平穏富士より落つる流しそうめん
銀   次
素麺がいつものバスでやってくる
岡田 奈々
素麺つるる空に星があるやうに
野﨑 憲子
素麵を干したる景の清(すが)しさよ
三好三香穂
素麺のたれをつくりしうす明り
中村 セミ
なすソーメンかき込む夫のランチかな
植松 まめ
島素麺来る来る少年野球団
藤川 宏樹
索麺冷す忘れてよあんな彼
島田 章平
どこまでも流されていく素麺や
薫   香
羊羹
羊羹とあられ交互に夏の恋
岡田 奈々
羊かんのベタベタ広げ我の過去
中村 セミ
手作りの水羊羹と娘を待ちぬ
植松 まめ
モトカレなんか水羊羹おかはり
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】今回の句会報に、山形吟行(10月29日~10月31日)のチラシを同封させていただきました。コロナ禍前から願っていた吟行が現実のものになりつつあります。山形を愛し、山形で生活されている新野祐子さんも全行程、ご参加くださるとのこと。最高に嬉しいです。全国から集まられた方々と、ご一緒に吟行や句会を存分に楽しみたいと存じます。そして、若々しくエネルギッシュな岡田奈々(旧俳号、中野佑海)さんが、幹事をお引き受けくださり着々と準備が進んでいます。参加定員は先着15名前後です。皆さま、奮ってご参加ください。

【句会メモ】今回の事前投句の参加者は73名、高松での句会は9名の方が集まりました。事前投句の合評から袋回し句会へと熱く楽しくあっという間の5時間近くの句会でした。次回は、お盆前に付き、高松での句会のみ第3週の土曜日に開催します。今からとても楽しみです。

2023年6月25日 (日)

第140回「海程香川」句会(2023.06.10)

611.jpg

事前投句参加者の一句

慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声 島田 章平
二つに折る樋口一葉五月雨るる 藤川 宏樹
旅へ行く力くださいサングラス 津田 将也
眠ろうか青き血潮の兜蟹 鈴木 幸江
迷う夏ピエログラフの壺ばかり 中村 セミ
連山は空より青く夏に入る 風   子
父の日や岸田今日子のゐる酒場 岡田ミツヒロ
初蝉やレモンの切口まあるくて 河田 清峰
海月浮く薄い下着を脱ぐ途中 月野ぽぽな
睡蓮や睦まじき日のちらし寿司 岡田 奈々
山桜屋島の嶺も昏れ急ぐ 佐藤 稚鬼
梅雨に入る樺美智子が疼いてる 滝澤 泰斗
青水無月芸人はただ山羊を連れ 大西 健司
地下室のチェロ無伴奏蝉生まる 桂  凜火
魔女っ子の巧みな仕掛け時計草 佳   凛
ぞっとぞくぞく羊歯裏の胞子見ん 川崎千鶴子
青蔦や若き二人の逃避行 石井 はな
独りという大きな雨が十薬に 河野 志保
眼借時前歯一本ぐらつきぬ 亀山祐美子
聖土曜ナイトシネマは昭和座で 柾木はつ子
<六甲山にて>山上の讃美歌蛇衣を脱ぐ 樽谷 宗寛
老鶯と気持の通うゆるい坂 柴田 清子
雨気孕む木花白花伊豆人よ 野田 信章
ガラスペンで描く毀れやすい夏 榎本 祐子
麦笛を吹いて夕日に染まりけり 稲   暁
小糠雨蕗の佃煮薄味に 山本 弥生
■■■■■螢■■■■■■■■ 田中アパート
びしょ濡れの音符が弾む虹の橋 漆原 義典
麦の秋非戦非核の「ゲルニカ」や 疋田恵美子
忘れない静かに笑う君と夏 薫   香
少年にもどる卒寿や蜘蛛ずもう 三好つや子
月に水沸く気配あり河骨開く 森本由美子
カレンダー思いきり剥がすと夏 重松 敬子
MRIに映る黒穂を抜きに抜く 新野 祐子
どくだみは密かな息を繰り返す 佐藤 仁美
百年を生き白南風を待ちて逝く 時田 幻椏
腕が出て駐車券とる青葉若葉 菅原 春み
性別はないの恋する蝸牛 松本美智子
泰山木高きに咲きて早稲田森 三好三香穂
天気良し素顔涼しく郷を出る 山下 一夫
妻が趣味かも知れぬ人蛍の夜 寺町志津子
後朝をこぼれて軽き蛍かな あずお玲子
裸足で走るなり父に背くなり 小西 瞬夏
交響曲は世界平和や蛙の夜 稲葉 千尋
抱卵の遠い眼差し夜が明ける 松本 勇二
体温あり緋牡丹のいま咲き誇る 増田 暁子
尺蠖が落しどころを探りいる 山田 哲夫
夕河鹿月日の皺を濃く生やす 豊原 清明
黒猫の闇へ戻りし月見草 川本 一葉
枇杷小粒いつも誰れかに文書いて 谷  孝江
しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年 若森 京子
詩歌以て世の平らかや業平忌 塩野 正春
それはミサイルかペチュニア咲きこぽれ 向井 桐華
空蝉へ空いっぱいの星詰める 十河 宣洋
心太ひと突き須弥山の遠し 荒井まり子
ミニトマトそれでも人は夢を抱く 伊藤  幸
憂い顔つき過ぎであり梅雨曇り 野口思づゑ
母の日やちちのちちそのちちの母 吉田 和恵
蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま 飯土井志乃
繰り返します 砂時計さらさらと 田中 怜子
夏蝶や新造船のアラブ文字 松岡 早苗
校庭にアンネの薔薇と金次郎 植松 まめ
ほろ苦き蕗の煮物や母の愚痴 菅原香代子
凄まじい夕焼けなんだわたしだよ 竹本 仰
萍のうつうつ滾るもののあり 福井 明子
水中り手招きをする夢の母 丸亀葉七子
ご意見はご無用に願います水中花 銀   次
豆飯や笑い話にしましょうよ 高木 水志
夏の子の口笛ひゆうと薄荷色 大浦ともこ
枇杷の実の雨を見ており黒を着て 男波 弘志
心地良く僕が剥がれていく夜明け 佐孝 石画
神さまはよく泣く風鈴みてる子も 三枝みずほ
紫陽花の気まま三女は留学中 増田 天志
この星の声を叫べよ蛇の衣 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「青水無月芸人はただ山羊を連れ」。「青水無月」というみずみずしい季語に取り合わされたのが「芸人」。またそれが山羊を連れているという景。感動とか発見とかではないところの、今までにはなかったものを見たような新鮮さがありました。不思議に印象に残る一句。

松本 勇二

特選句「睡蓮や睦まじき日のちらし寿司」。幸福な家族の営みをスイレンが祝福しているようです。特選句「MRIに映る黒穂を抜きに抜く」。MRI画像に映る悪しき影を黒穂に喩えて秀逸です。

福井 明子

特選句「アトリエのさびしき鉄路かたつむり(桂 凜火)」。ある日、少年がわたしに向かっていいました。「かたつむり、きらいだよ。ぬめぬめしとるから」。意外でした。雨の日のかたつむりは庭木のところどころに現れ、生気を得たように触角をしなやかに動かせています。わたし、子どもってかたつむりが好きなんだとばかり思っていました。アトリエとは、こころの世界、鉄路とは、貫くもの、信念でしょうか。そこにぬめぬめはりついてゆっくりたどるもの。人はさびしいです。「わたし好きです、かたつむり」。

十河 宣洋

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる(河野志保)」。地球が宇宙に浮かんでいるということが分って成立する作品。でも今は学習済みだから、既知の分野である。地球としゃぼん玉の関係が面白い。特選句「心地良く僕が剥がれていく夜明け」。しっかりした睡眠がとれている、というと何かの宣伝のようだが、こう言う朝がある。一日心地よく仕事の出来る一日である。問題句「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」。問題句としてとるか、あきれた句と取るかは読み手次第。作者の意欲を買って一言。好作である。好き嫌いはあるが、作者の意欲がいい。二句並べてどちらが良いかというと、蛍の方がいい。理由は蛍の持つロマンチックな雰囲気が伏字に色を作るが、夢は読み手に情景が固定されない。夢それぞれが動いてしまう。このあたりが長年俳句に使い込まれた季語の力のように思う。

藤川 宏樹

特選句「憂い顔つき過ぎであり梅雨曇り」。句作り懸命のあまり季語と他がつき過ぎでは面白みを損なうと言われます。俳句に限らず間合いをうまくとるのは難しいが、「つき過ぎ」の忌み言葉を上手く使って一句をなし、意表を突かれました。

大西 健司

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。もう岸田今日子を知ってる人はかなりの年なんだろうなと思いつついただいた。私の場合はよく見る再放送の時代劇で目にする、何とも愛らしくて憎らしいその母親象が大好きだ。しかしこの句の岸田今日子はもう少し若い頃の彼女なのかも知れない。さまざまな人の集う酒場にそんな女性がいたのだろうか、何とも気にかかる句だ。父がそんな彼女のファンだったのだろうか。あちらの世界で一緒に呑んでいればどんなに幸せなのだろう。

月野ぽぽな

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。シャボンと地球。大きさは途方もなく違いますが、ともに球体。この自由自在な映像感覚に共感します。宇宙に浮かぶ地球、その地球に浮かぶシャボン玉にズームインする楽しさ。そして再び宇宙にズームアウトしてゆくと、地球が宇宙に浮かぶシャボン玉のように見えてきます。

桂  凜火

特選句『蝸牛「むかしはもっと速かった(岡田ミツヒロ)」』。なんか昔と違うなんて、のろまな体と心なのかと感じることが多くなりました。蝸牛だって同感なんですよね。

岡田 奈々

特選句「月に水沸く気配あり河骨開く」。以前、淡路島吟行で、長泉寺さんに参らせて頂き、そのおりに初めて拝見した「河骨」の可憐さが忘れられません。特選句「ちちのひのちちはデンデケデケデケで(島田章平)」。1960年代を初めてレコードでベンチャーズのエレキギターを聞いて、のぼせていた世代。いつまでもあの音は耳を離れません。「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。ご愁傷様です。が続きます。「ぼうふらや宮の手水を借り暮らし」。この宮は一瞬皇居かとおもいました。どうせなら、高級な手水鉢が良いです。「魔女っ子の巧みな仕掛け時計草」。本当に時計草は手が込んでいます。真ん中の雄蘂と雌蘂の色に魔女の妖しさあり。「ぞっとぞくぞく羊歯裏の胞子見ん」。羊歯裏の胞子のあの粒々感。ちょっとさぶいぼが。「ガラスペンで描く毀れやすい夏」。青春の毀れ易き心が素直に読み取れる。「麦笛を吹いて夕日に染まりけり」。懐かしい子供の頃が思い出が。「小糠雨蕗の佃煮薄味に」。降っているかどうか分からない雨と、薄味の蕗の佃煮が母を思い出させます。「カレンダー思いきり剥がすと夏」。夏は思い切り良くやって来る。髪思い切り良く短くしよう。

風   子

特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。季語が付きすぎず、面白いバランスになっていると思いました。「カレンダー思いきり剥がすと夏」「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており(津田将也)」「太極やゆるやかに薔薇の首切る(榎本祐子)」「稲妻や深淵の井に落ちてゆく」「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。この6句で、どれを特選句に選ぶか迷いました。

河野 志保

特選句「新緑に汽笛がばっと流れ込む(高木水志)」。躍動感のある鮮やかな句。一読でひかれた。「流れ込む」がすべてを表す簡明な表現で凄いと思う。

津田 将也

特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。夏蝶の不可視の飛翔形と、船体にペイントされた可視のアラブ文字の字形。この二つをつき比べての相似の面白さ、愉快さ。特選句「豆飯や笑い話にしましょうよ」。『せっかくいただく豆御飯なのよ・・・ネッ、あなた!』と笑みかけながら目で諫める私。

疋田恵美子

特選句「幼子のおしゃべりうれしい枇杷に雨粒(伊藤 幸)」。幼い子供のおしゃべりは無邪 気でとても可愛い。側にずーと居たくなる。下句は自然の中の小さな瞬時を捉え見事。特選句「萍のうつうつ滾るもののあり」。世界情勢の不安定化が、人々に与える苦しみと怒りのようでもあります。

川崎千鶴子

特選句「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。表記と発想が見事です。感嘆の声です。『蝸牛「むかしはもっと速かった」』。蝸牛に「もっと速かった」と事の表現。そしてそれを表現したのは蝸牛とは、見事さと老人の声のようで素晴らしいです。「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」も見事です。

豊原 清明

特選句「この齢で蛙化(かえるか)に会ふグワッググワッ(塩野正春)」。ユーモア感覚が好きです。おどけている姿に、ふふと。特選句「この星の声を叫べよ蛇の衣」。何かを訴えている一句。

男波 弘志

「柿若葉せんせいの掌がありました」。今はもうなくなってしまった生家の庭にあった柿の木、先生のてのひらまでの通学路、無常観を超えた明るさが良い。秀作。「抱卵の遠い眼差し夜が明ける」。子を抱いていてもある漠然とした不安、生とはそういうものなのだろう。秀作。「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。些細な日常を拾い上げる作者の眼差しがやさしい。メールではなく手書きなのが甚だ良い。秀作。

岡田ミツヒロ

特選句「旅へ行く力くださいサングラス」。人生の旅、観光旅行もあれば流浪の旅もある。「旅に行く力」は生きる力。年々衰えゆく身体。灼熱の太陽に立ち向かうサングラスの不動明王の如き存在感、サングラスに祈るという発想に思わず唸った。特選句「びしょ濡れの音符が弾む虹の橋」。「びしょ濡れの音符」の哀愁が句の世界へ誘った。雨空を翔けてゆく音符たち、それはどうしても届けたい願いのメロディーの一粒一粒。「虹の橋」の着地がほっと心を和ませる。

若森 京子

特選句「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。海月の美しい浮く姿からの感受であろう。少し艶めかしい表現だが、作者の体感を通して瞬時の生理感を捉えている。個的な感性に惹かれた。特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。あっそうなんだと気付かされた。儚いしゃぼん玉の様に、宇宙に浮く青く美しい地球も、人間の文明、五悪によって儚い星になりつゝある様に思えてならない。

「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」は、俳句から余りにも懸け離れた作品だと思います。今迄は無視してきましたが、黒い■が並ぶと目障りに感じてきましたので書かせて頂きます。「海程香川」と名の付く限り金子兜太先生の俳句に対する熱い意志を継いでいる集団だと信じております。先生の「定型、季語など文化遺産を包含しつゝ基本は自分の作りたいものを作る、自由に個性を発揮する様に」を心して長い間書いてきました。日本語には、片仮名、平仮名、漢字と他国にない豊富な文字が存在し、それを駆使していかに最短定型の中で詩的に自分の生きざまを表現するか。俳人である以上、言葉との格闘にエネルギーを注いています。この様に■の表現には詩もなければ解釈の方法もありません。又、別のジャンルで発表すれば、共鳴者もいる事でしょう、私は俳句だと認めません。同じ志の集団でありたいと願っております。

 
山田 哲夫

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。「しょっぱいからだ」は、汗まみれで生きてきた生き様の象徴とみた。汗まみれの労働の日々の苦しさや辛さが伴った人生を見事乗りこえて、汗して生きることの尊さとその喜びの大きさを感慨深く感得している晩年の作者の想いが滲み出た句だと感じた。「喜雨にまみれて晩年」という表現の巧みさに脱帽。

鈴木 幸江

特選句評「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。一葉は私の家郷の隣町に暮らしていたこともある。そして、古語文と古典の知を巧みに操り読み手に謎を残す、誰も真似のできぬ名文小説を何作も書き上げ、二十代の若さで逝ってしまった。とても気になる文人だ。そのことが「二つに折る」の修辞に上手く表現されていると思った。もちろん『五月雨』という恋の三角関係の小説の謎の結末もよく効いている。問題句評「樋口一葉入会金に日焼けの娘(藤川宏樹)」。一葉は一家を養うために小説を書いた。お金と文学、今もその両立は悩ましい問題である。それぞれにどう生きていくかの人生の大問題になっていることだろう。この日焼けの若い女性は、日向でアルバイトでもして入会金を稼いだのであろうか。そんなことを考えてしまった。でも、作者には、別の意図があるのかもしれない。謎だらけで問題句とした。

石井 はな

特選句「忘れない静かに笑う君と夏」。思い出の君との思い出の夏を、静かに深く思う気持ちが伝わります。

稲葉 千尋

特選句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。中七下五がとても佳い、後朝にぴったり。「大山蓮華夫婦茶碗の欠けてをり」。兜太邸の大山蓮華を想い出す。

田中 怜子

選ぶのに苦労しました。いいな、と思う句が多くて・・。特選句「梅雨に入る樺美智子が疼いている」。60年安保の時でした。連日国会議事堂を囲んで抗議デモ、美智子さんは亡くなってしまいました。記憶が薄れて・・・は言い訳になりませんね。その時の首相だった戦犯岸氏は退陣に、そしてその孫が昨年銃弾に倒れた。その闇も疼いたままですね。特選句「腕が出て駐車券とる青葉若葉」。白い腕がにゅーっとでて、意外白くて。青葉若葉の季節を満喫する。若者たちの喜びが感じます。あと、「連山は空より青く夏にいる」。も経験した景色、なつかしいような、おだやかな一時はいいですね。「清明やかざせば透ける指の骨」。これも、ふと手のひらを開いて、生まれる前の可愛い手の骨が感じられ、きれい、喜びも感じられます。

島田 章平

特選句「■■■■■螢■■■■■■■■」。【返句】暗闇が好きで蛍に生まれたの

三好つや子

特選句「尺蠼が落しどころを探り入る」。落としどころは、政治がらみのニュースでよく耳にする言葉。この句の中で、結着のつかない事案をめぐる議員たちの動きと、いつも何かを測っていそうな尺取虫の動きとが絡み合い、共感しました。特選句「夏の子の口笛ひゆうと薄荷色」。 夏を迎えた少年や少女の健やかな姿。それは、美しい緑色と爽やかな香りを放つミントそのもの。聴覚と視覚と嗅覚の一体化がみごとな作品。「ちちのひのちちはデンデケデケデケで」。子どもや孫のプレゼントに気をよくし、古いエレキギターを引っぱりだして弾いているのかも。オノマトペが効果的。「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。一生懸命頑張ってきたことが報われたのでしょう。私の晩年もこうありたいと、願うばかりです。

樽谷 宗寛

特選句「行くでない母の叱責春の雷」。行くでないが心に響きます。しかもお母様の一言。まるで春の雷。共鳴しました。

あずお玲子

特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。この句の最後「おばあちゃま」に魅せられました。この一言で作者との親密度が伺えます。蜘蛛の巣に捕われることは有りがちでしょうが、それがおばあちゃまで、又だと。助けに行かないではいられません。特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。その船の名は蝶の軌跡のような軽やかなアラビア文字で表記されているのですね。船と蝶の大きさ、重さ、色の対比。もしかしたら優雅な客船でポアロを乗せてナイル川を下っているのかも。

寺町志津子

特選句「老鶯と気持ちの通うゆるい坂」。今回も、心惹かれる句が多数ありましたが、この御句が特に心に染みました。 失礼ながら、作者の方もいささか良いお年かな(間違っていましたら、お詫び申し上げます)、と思いながら、 景も良く見え、お優しく詩心豊かな作者を想像しました。「短夜よ思いに言葉追いつけぬ」。まるで私のことのようで、実感ひときわです。不思議な句「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」。両句とも同じ作者の方と思われますが、解釈不能でした。字句での御句を知りたいです。 

時田 幻椏

特選句「青水無月芸人はただ山羊を連れ」。青水無月と言う季感を無理なく抱えこむ風情を良しと思います。特選句「ほろ苦き蕗の煮物や母の愚痴」。家庭を支える母への信頼、理解と励ましに共感。問題句「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。この上なく興味を引く句ながら、下5の工夫でもっと怪しさと奥行きを獲得出来るのでは。

伊藤  幸

特選句「夏の子の口笛ひゆうと薄荷色」。夏の涼風を感じさせるようなポエム。下五の薄荷色が見事に夏に溶け込んで郷愁さえ感じられる。

植松 まめ

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。大正生まれで田舎暮らしの父は下戸で洒落た酒場に行った事がない。色っぽい岸田今日子の様なママがいたらもう卒倒するだろう。特選句「目借時前歯一本ぐらつきぬ」。眠くて眠くてつい夢心地で硬い煎餅を齧ってしまい前歯がぐらついた。あれ程医者から硬いものを食べる時は気を付けてと言われていたのに。今の政局もうとうとしていたら軍事費が二倍になり大増税になりかねない。くわばら、くわばらだ。

塩野 正春

特選句「太極や緩やかに薔薇の首切る(榎本祐子)」。薔薇も生き物、その幹を切る仕草にためらいや尊厳の心が覗く。太極の本来は宇宙を含む万物を陰と陽に分別する意義らしいが、この句の場合はそれから派生する、太極思想を取り入れた行動や所作、例えば太極拳など、を意味すると解釈します。薔薇に限らないが花を切るには勇気が要る。 特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。この句は昭和生まれの男性の作と思われる。もし子供たちがこんな酒場に連れ出してくれたら最高だ。今もテレビの“影の軍団”とかいうリバイバル版に出演されていますが、その怪しげな、魅惑的な声、仕草は耳から頭から離れない。 こんな方のいる酒場、もう一度行ってみたい! 問題句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。この句の問題点、はっきり言って、ない。昔々、源氏物語に遡って、男女の行為を尻目に蛍が漂う。という事か? 兜太師流に言うと、その種の本能と遊ぶことか。齢は取りたくない。句が問題なのでなく私への問いかけです。

榎本 祐子

特選句「心地良く僕が剝がれていく夜明け」。夜明けは再生の時。「剝がれていく」の生々しい皮膚感覚と陶酔感が魅力的です。

谷  孝江

特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。なんて可愛いらしいおばあちゃまでしょう。「まったくもう」と言いつゝお世話を欠かさないご家族、良いですね。でも、時には、とんでもない蜘蛛が近づいてくることだってアリです。いつもどこでも気配りの行き届いたご家族の中でお過しのご様子嬉しい限りです。暖かい気配りの中での老後、お幸せですね。

高木 水志

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。夏の日照りが続いた後に久々に降った雨が、年老いた作者自身の身体に当たる。晩年の切実な言葉に光を感じて特選にした。

増田 暁子

特選句「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。中7、下5の措辞にひとりで生きられぬ人間の繋がりを感じます。枇杷小粒が素晴らしいです。特選句「ミニトマトそれでも人は夢を抱く」。中7、下5の言葉に胸をわしづかみされました。平な言葉で心打ちます。

野口思づゑ

「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。問題句よりながら情景が浮かびます。「裸足で走るなり父に背くなり」。まるで小説のようです。

河田 清峰

特選句「柿若葉せんせいの掌がありました(佐孝石画)」。叱られたり、誉められたりして、喜び悲しんでくれた大きい先生の掌が見えるようです。

向井 桐華

特選句「麦笛を吹いて夕日に染まりけり」。夕日に染まる句はたくさんあるのですが、麦笛を吹いているのはもちろん作者なのでしょうが、いろんな光景が浮かぶ。牧歌的で広がりのある句です。問題句「■■■■夢■■■■■■■■」。作者からの挑発ともとれることば遊びはいつまで続くのでしょうか?チャットGTPで俳句を作る時代が来たとしても読むのが人である以上、受け容れがたい人がいても仕方が無い。

佐孝 石画

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。「大きな雨」の解釈に戸惑う。雨滴なのか雨天の状況なのか。しかし、その逡巡こそがこの句の魅力であるのだと言いたい。雨を大小と捉え、それを孤独の喩に置き換える力技。ただ雨を受けるだけの十薬の姿と、日常という「雨」を浴び続ける、「独り」の人間の姿が見えてくる。

重松 敬子

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。我々は誰もいずれ独りになる。作者の人生に対する心構えを感じます。

紫原 清子

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。十薬が咲く頃の孤独の有り様を雨で、大きくクローズアップして謳っていて共感出来た。

漆原 義典

特選句「青蔦や若き二人の逃避行」。青蔦と逃避行を結びつけるのは、すごいです。若い二人の情念が伝わります。

>吉田 和恵

特選句「山上の讃美歌蛇衣を脱ぐ」。山上の讃美歌と蛇衣の取り合せに意外性があり妖しさが際立っている。

佐藤 仁美

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。シャボン玉も地球も浮かんでいますね。どちらも美しいけど、危うい状況を感じます。

松本美智子

特選句「郭公が父呼ぶ母呼ぶ虹を呼ぶ(十河宣洋)」。郭公の鳴き声を父母を呼ぶ声と捉えたところがおもしろいと思いました。郭公は托卵して他の鳥に子育てをしてもらうとか残酷なことに卵からかえった郭公は巣から元々の卵を落として、独り占めするのだそうです。そして、自分の子と信じて育ての鳥は、えさを運び続ける。自然の摂理とはいえ、何とも切ないことです。でも、子育てできないのなら誰かの力を借りて誰かに託すこともアリ!!!人間の世界も然り・・・悲しげな郭公・・・本当は何を望んでいるのでしょうか。

佳   凛

特選句「詩歌以て世の平らかや業平忌」。業平の時代も 大変な時代だったと思いますが、今の時代は、流れが速すぎて、心のゆとりを持つ事が困難な時代。せめて 歌を詠む時だけでも、華やかにゆったりしたいものです。今の私も俳句に出会い、毎日充実しています。ありがとうございました。

竹本  仰

特選句「地下室のチェロ無伴奏蝉生まる」。蝉が地上へ出るまでどうしているのだと、気になりませんか。それは桜が花開くまで、桜はどうしているのだという疑問と同じで、より本質を問いかけているのだと思います。人間に当てはめれば、おかあさん、僕は生まれるまでどうしていたの、と同じで。ひょっとしたらですけど、人に悟りというものが生まれる初めはそんな地下からでは、という問いを抱いたことのある人って居ません?幼虫時代の蝉がもぞもぞしている様子は面白いものだろうなと思います。セロ弾きのゴーシュがカッコーや猫と格闘しているように、何かドラマ以前のドラマを見ているような。そういえば、プルーストも長編小説の最後で、はじまりはじまり…と言っていたような。特選句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。きぬぎぬ。それは重い重いものよと教えてくれるのが、王朝文学でしたが、あくまで女性の真摯さには男は叶わなかったのだろうなと思います。ただし、恋愛に生のあかしを求めた和泉式部くらいになると、〈物思へば沢の蛍も我身よりあくがれ出づる魂かとぞみる〉とそれは実に超然と実存主義の蛍にまでなってしまうのです。というようなノリで「こぼれて」にやられました。特選句「心地良く僕が剥がれてゆく夜明け」。何となく、夏の夜明けだとわかり、季語がなくとも季感があります。カミュの『異邦人』の読書会をいま近所の四人ほどでしています。わからない事が二つ、なぜ主人公は相手のアラブ人を撃ったのか、またなぜ死刑になることを喜んで迎えたのか、ということでした。一つ目はまず置き、二つ目は、主人公は独房の中で、生きることは、「生き返ること」だとの感じに目ざめたのです。世界で初めてのように。その感覚っていうのが、この感じに似てるなあと思いました。あの作品では「世界の優しい無関心」に気づいたとありました。いい人生?そんな匂いがしました。以上です。 ♡この間、モンテーニュの『エセー』を読んでいたら、「賢明な読者は、しばしば、他人の書物の中に、作者がそこに描いたと自認する完璧さとは違ったものを発見し、それに一段と豊富な意味と相貌とをつけ加える。」とあり、ふむふむと大いに共感しました。こういうのを実践家というのかと。実践家になれずとも、そのマネだけでもしたいものだと、叶わぬ星を見つけたように思ったことでありました。今月はいい句が多かったと思います。活字からみなさんのやる気、いただいています。ありがとうございます。

三好三香穂

「連山は空より青く夏に入る」。平命な言葉でこの季節の風景を切り取っている。讃岐山脈の姿がくっきりと見えます。「ちちのひのちちはデンデケデケデケで」。私達の世代はデンデケデケデケデケ。「交響曲は世界平和や蛙の夜」。田植えの季節は蛙の大合唱。世界平和の大合唱とも思える。『蝸牛「むかしはもっと速かった」』。私も今脚の故障を抱えている。もっとスタスタ歩けていたのにと、カタツムリの気持ちがよく解ります。「空蝉へ空いっぱいの星詰める」。小さな空蝉に星を詰めるなんて、なんて破天荒な!

滝澤 泰斗

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。一つの親父の残像・・・母は帰らぬ父を責めた・・・大人になって思う。岸田今日子の様なタイプの女性がカウンターの向こうで時折怪しい笑みをこちらに向けられたら一気に自信は揺らぐ・・・困ったものだ。男は。特選句「行くでない母の叱責春の雷 」。親父のようになってほしくない母は私をいつまでも籠の中に入れておきたかった。十八の春・・・東京は学生運動で荒れていた。デモから帰るとアパートに灯が。「いけね、消し忘れたか」とドアに鍵がかかっていない・・・「鍵まで忘れたか」と、ドアを開けると、母親が正座して待っていた・・・止めてくれるなおっかさん。背中のいちょうが泣いていると嘯いても、後の祭り青春の思い出を引っ張り出された。「旅へ行く力くださいサングラス」。日本ではあまりかけないサングラスを外国に出るとかけたくなる。確かにサングラスには妙な力がある。感心の作。「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。妙な色っぽさ・・・何だろう。「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており」。作者は平和な頃のアフガンを知っているのか。知っているとすれば相当のお年と思うが・・・アフガンを含めた、いわゆるシルクロードの緑陰は様々な職業が入り乱れ、屈託のない平和な日常が活き活きとしてあった。中でも歯医者は直す医者ではなく、抜け落ちた歯を入れ歯にする職人だ。中国の緑陰の看板は「牙」とある。「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。中七というのか あわて・・る・・な・・より花びらの声を中七と思うが、その あわて・・る・・な・・の文字の間に込められた意味を思う。面白くいただきました。 本文

川本 一葉

特選句「どくだみは密かな息を繰り返す」。言われてみれば、あの独特な匂いは息なのかもしれません。小さな息でも存在感のあるあの匂い。ハート型の可愛らしい葉っぱと、少しの汚れなどその白に収めてしまうような深い白。そしてその息は繰り返すのです。生命力を現す素晴らしい句だと思いました。

田中アパート

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。そんな酒場なら行ってみたいネ。特選句「紫陽花の気まま三女は留学中」。うらやましい。寄り道、道草、途中下車、上等(シルクロード、ルート66、オーストラリア横断、モロッコ、インド他どこへでも行ってらっしゃい、若いうち)

丸亀葉七子

特選句「ご意見はご無用に願います水中花」。気が短くなった老の身は聞き下手になってしまった。すぱっと言い切って痛快痛快の句。特選句「大山蓮華夫婦茶碗の欠けてをり」。「おおやまれんげ」の花の名前も立派。咲いた花も美しい。欠けた夫婦茶碗とのとり合わせが面白い。夫婦の歴史が見えそう。

銀   次

今月の誤読●「心地よく僕が剥がれていく夜明け」。朝起きて、顔を洗いに行ったときだ。両手で顔をこすっていると、洗面器にポトリとなにかが落ちた。そっと拾い上げてみると、肌の一部だ。気にはなったが、さほどではなかった。あらためてこすりはじめると、なにかが崩壊するように、ポロポロポロと一気に顔の肌が剥がれ、洗面器はそのカス(とでもいうしかない)でいっぱいになった。鏡に顔を近づけてみると、顔はまだらになっていて、古い肌と新しい肌が、あたかもジグソーパズルのように入り交じっているのだ。僕になにかが起きている。それは確実だ。僕は古い肌をひとつひとつ指で剥いていった。それはかさぶたを剥がすようで、なんとも心地よい作業だった。古い顔から新しい顔が誕生した、そんな気分だった。思い立って、僕はパジャマと下着を脱いで風呂場に入った。シャワーを浴びてみた。思ったとおり、シャワーは次々と古い肌を洗い流し、まっさらな肌をもたらせた。脱皮? そう、そうなのだ。僕は脱皮したんだ。僕は以前の僕とは違った、まったく新しい僕になったんだ。そう思うと、強烈な快感と恍惚が押し寄せ、うっとりと目をつむった。バスタオルを腰に巻いてキッチンに行った。生まれ変わった僕を見て、かあさんはどんな顔をするだろう? 驚くだろうか? 「かあさん」僕は声をかけた。かあさんは僕をチラと見て、普段どおりの顔で「なんですか、だらしのない。さっさと着替えて朝食を食べなさい」。僕はあっけにとられた。僕は昨日の僕じゃないのに。「僕、変わったと思わない?」「思わないね。相変わらずのやせっぽちだよ」。ガッカリだ。かあさんはいつも本気で僕を見ていないんだ。・・・少年よ。そう落ち込むな。成長とは常にそうしたものなのさ。

荒井まり子

特選句「母の日やちちのちちそのちちの母」。思わず母の日があって良かったと。命を繋いでもらっている妻にも、少し感謝をと思う。

管原香代子

「初夏のまぶしさ素顔にそばかす」。夏のまぶしさとそばかすの取り合わせがとにかく爽やかです。爽やかな一陣の風を感じます。「手品師の手より鳩飛ぶ聖五月」。五月の晴れた空に真っ白な鳩が飛び出し手いく様が目に浮かびます。

薫   香

特選句「ぼうふらや宮の手水を借り暮らし」。ぼうふらの気持ちになったことが無く、ぼうふらにしてみたら手水鉢を借りて暮らしているというになるのだなあと、妙に納得しました。特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。私もよく蜘蛛の巣に捕らわれるのですが、年を取ると目も薄くなり「また~」というように厭きられるのかもしれない。ただおばあさんじゃなく、おばあちゃまというのが、チャーミングでかわいらしい。わたしもこんな風に呼ばれるおばあちゃまになりたいです。

野田 信章

特選句「豆飯や笑い話にしましょうよ」。それがなかなかできねえんだよなぁとの念が強いからこそ、この一句が心に沁みるのかも知れない。この一膳の豆飯の前なら坐ってみたいとそう思わせるものは、ほんのりと塩気のある大人の味がする句柄だからだと思う。

山本 弥生

特選句「旅へ行く力下さいサングラス」。コロナ禍で、旅行も諦めていたが、コロナも少し落ち着いて来たので戦中派とは云え元気な間にサングラスの力を借りて若返り別人気分で一泊旅行でもしてみたい。

新野 祐子

特選句「心太ひと突き須弥山の遠し」。心太と須弥山の距離感に味わいがあり魅かれました。「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており」。アメリカ軍が撤退したアフガニスタン、少しは暮らしやすくなったのかなぁと、あれこれ想像させてくれます。

菅原 春み

特選句「百年を生き白南風を待ちて逝く」。お見事な生き方です。あやかりたいような。特選句「この星の声を叫べよ蛇の衣」。地球の声を真摯にきけというメッセージに感動です。季語がそのたびごとに大きくなる蛇の衣を配置したことで一層真に迫ります。

中村 セミ

特選句「心地良く僕が剥がれていく夜明け」。心地良く僕が剥がれていく夜明けなんか夢から離れていくような表現かとおもわれる。どうも剥がれるとか言う言葉にすぐ,飛びついてしまう。でも,いい感じので,特選です。「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」も薄透明なエロスをかんじさせる作品かと思う。

森本由美子

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。長い人生の旅にもまれ、噛みごたえのある古漬沢庵のように仕上がった肉体と精神、自分の存在を愛おしみながら、肯定しながら生きつづけている姿勢が伝わってきます。

柾木はつ子

特選句「この齢で蛙化に会ふグワッググワッ」。「蛙化」ってオタマジャクシがカエルに孵ること?アラ古稀世代の私は最初そう思ったのですが、調べて見ると「蛙化現象」と言ってZ世代がよく使う言葉なんだそうですね。なるほど言われてみれば、自分にもそう言う事ありますね。人間心理の不可思議さ…勉強になりました。特選句「空蝉へ空いっぱいの星詰める」。なんとみずみずしい感性なのでしょう!美しい形の蝉の殻の中が空っぽでは可哀想です。もしこんな蝉の殻があったら、大切に飾っておきたいと思いました。

三枝みずほ

特選句「性別はないの恋する蝸牛」。パートナーを得たことを純粋に喜びたい。そこに境界線はいらないだろう。恋する蝸牛の殻がふと重たく、さびしい。梅雨の晴れ間、お身体ご自愛ください。

山下 一夫

特選句「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。手にした五千円札の肖像と梅雨という時節から樋口一葉の小説「五月雨」を連想されたのでしょうか。上五下五はそこで描かれている主人公の葛藤や煩悶と絶妙に響き合っているように思われ、味わい深いです。特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。本句会参加者の父であれば、確実に昭和以前の生まれと思われ、昭和も恋しの句と読解。「岸田今日子」一発で決まりなところ「ゐる」「酒場」のダメ押しも効いています。岸田今日子さん、リアルタイムは老け役しか知らなかったのですが、ビデオで映画「砂の女」観て、その若かりし頃の妖艶な美貌に参りました。問題句「蜘蛛の巣にまた捕らわれしおばあちゃま」。下五の親しみを込めた呼び方から幾分縮んでしまわれて可愛げが増した高齢女性を思い描きます。視界も狭くなっているのか、庭などを歩いていて度々蜘蛛の巣をひっかけてしまうのでしょうか。「捕らわれし」はちょっと大げさ過ぎるかもと考えたり、あるいは「蜘蛛の巣」はオレオレ詐欺等の暗喩かとも。そうすると下五の呼称は茶化しているようにも見えていただけない、などと結構楽しませていただきました。

稲   暁

特選句「夏の子の口笛ひゅうと薄荷色」。特選句は、意味が少々分かりにくくても大胆で斬新な発想の句を選ぶべきか?それとも分かりやすくて共感できる句にすべきか?いつも迷ってしまう。今回は口笛が薄荷色という独自の感覚に注目した。言われてみれば確かにそんな気がします☀

野﨑 憲子

特選句「神さまはよく泣く風鈴みてる子も」。長引くロシアによるウクライナ侵攻は、反撃に継ぐ反撃で泥沼化し核使用の怖れまで生じている。この美しい星には、人類だけではなく森羅万象の色んな生きものが生かされている。その全てが危いのだ。このファンタジーを感じる作品の奥に、深い悲しみが秘められているように思えてならない。神様を泣かせてはならない。<風鈴みてる子>の平和もいつ崩れるかも知れない。巧みな句跨りに感服した。

今回で百四十回を迎えました。お陰様で、ご参加の方々も増え、ますます多様性に満ちた句会へと進化してまいりました。ありがとうございます。いつもいつでも本句会の原点は、兜太先生の目指された、「俳諧自由」と「古き良きものに現代を生かす」であります。何よりも、美しい日本の言葉の調べを大切にして参りたいと存じます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ふるさとは緑の大地と言ってみる
銀   次
紫陽花や緑に透けてガラスペン
藤川 宏樹
新緑や神様の座す力石
あずお玲子
万緑や透き間から吹く未来風
野﨑 憲子
緑ふる振られて菊池寛通り
島田 章平
借景の山よ緑よ栗林よ
薫   香
みどりよ水輪よ瀕死の星を埋め尽くせ
野﨑 憲子
音の無い鉄橋緑野の紙芝居
岡田 奈々
あおくんときいろちゃんで緑なす
三好三香穂
虹二重君が恋しやほうやれほ
島田 章平
虹二つ背(せびら)に彼の鬼の顔
三好三香穂
朝の虹フルスイングの願いごと
岡田 奈々
虹の根に躓き時の透き間に落っこちる
野﨑 憲子
空かける虹の麓に行きたくて
薫   香
あのひかりもうすぐ虹になるらしい
あずお玲子
あの虹に一万両の値をつけよ
銀   次
夏帽子
捨てません君の凹みの夏帽子
島田 章平
行く先を決めない朝の夏帽子
岡田 奈々
連絡船のデッキに佇つや夏帽子
野﨑 憲子
夏帽子目が合ったわね逃避行
薫   香
夏帽子手にぶらんぶらんさせて帰路
あずお玲子
なりゆきのなつかしきひと夏帽子
藤川 宏樹
夏帽子おぶわれし子の水っぱな
銀   次
紫陽花
紫陽花の洋館へまた鴉けふ
あずお玲子
雨雨雨踊り始める額の花
野﨑 憲子
乾ききりをり青絵の具七変化
あずお玲子
白紫陽花心変わりはしませんわ
薫   香
紫陽花やプリズム放つ銀髪に
岡田 奈々
街路樹の裾に紫陽花ラッタッタ
三好三香穂
色なんて違うさ人も紫陽花も
島田 章平
紫陽花やゆがみガラスに富太郎
藤川 宏樹
枇杷
だしぬけに嘘だしぬけに枇杷の種
島田 章平
青きビワの実一押しのYouTube
岡田 奈々
もう一つ約束のあり枇杷の実飛ばす
野﨑 憲子
転がって行方知れずの枇杷の実よ
銀   次
枇杷の実や好きなことだけやってきた
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

「海程香川」句会は、今回で140回を迎えました。ご参加各位のお陰様で、ますます多様性に満ちた魅力溢れる作品が集まってまいりました。「句会の窓」では、記号を多用する作品に対しての貴重なご意見が色々出てまいりました。ありがとうございます!こういうぶつかり合いの中から、世界最短定型詩の未来風が吹いてくる予感があります。これからも、一回一回の句会を大切に、熱く渦巻く句会を目指して参りたいと念じています。今後ともよろしくお願いいたします。

今回の高松での句会は、岡山から小西瞬夏さんも参加され、とても楽しく豊かな時間を過すことができました。<袋回し句会>には参加者全員の作品掲載ができませんでしたが、それは参加者のみぞ知る (^_-)-☆ 盛会でした。

Calendar

Search

Links

Navigation