2024年6月24日 (月)

第151回「海程香川」句会(2024.06.08)

紫陽花1.jpg

事前投句参加者の一句

      
<台湾淡水にて>モモタマナ野犬と人の午睡かな 田中 怜子
すずらんのふるえ大地の母音とも 十河 宣洋
絹脱げば鳥の塒となる晩節 若森 京子
紫陽花や雨を目覚めの合図とす 菅原香代子
唐揚げが口よりも大きくて夏 柴田 清子
正面なき遺影からすうりの花 藤川 宏樹
やんばるの骨やんばるの夏ぐれに 島田 章平
雲一つ泳がせておく麦の秋 飯土井志乃
アマリリス開く明日は佳いことありそうだ 樽谷 宗寛
眠れない夜や鯉のぼり泳ぐ音 え い こ
会へぬまま出でし病院さみだるる 柾木はつ子
ハンカチにキリストくるむ雨の昼 三枝みずほ
新樹光大津絵鬼の余所余所し 荒井まり子
生まれたて豆粒ほどの青蛙 佳   凛
夏つばめ決め球えぐいほど曲がる 山下 一夫
蝌蚪の紐鼻むづがゆくなりにけり 丸亀葉七子
葬送の果ての麦秋レゲエかな すずき穂波
雨匂ふ夜や何かを踏みつける 松本美智子
薫風や薩婆訶薩婆訶(そわかそわか)と僧の声 大浦ともこ
六月の五色あられのような鳥 男波 弘志
青嵐やさらっと味のある言葉 山田 哲夫
紅茶くるくる春愁の匙ひかる 松岡 早苗
外つ国の赤きリキュール夏の月 花舎  薫
六月のまあ美味そうな赤ん坊 吉田 和恵
養花天初老に席譲る大老人 野口思づゑ
水まいて蝶も蜥蜴も虹の色 福井 明子
父の日の乞われ踏む背の弾力よ 新野 祐子
指先が梅雨にうずくや「赤報隊」 田中アパート
故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華 滝澤 泰斗
心療内科触れば閉じます含羞草 増田 暁子
瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ 鈴木 幸江
黄はあやめ一途に南下して知覧 野田 信章
足首の美しき少女や新樹光 植松 まめ
頭の中でいつも鳴る曲麦の秋 榎本 祐子
アマリリス負の感情を折りたたむ 向井 桐華
ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇 薫   香
過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野 川本 一葉
蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す 河野 志保
初螢つつみし掌からこもれ火 漆原 義典
地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ 森本由美子
むらさきのかの人麦の風になる 大西 健司
緑蔭の母百年のあくびかな 竹本  仰
新緑や親子で食べる親子丼 菅原 春み
高野より鎮まる河骨酒も飲む 岡田 奈々
伝書鳩飛ばす家裏青田風 津田 将也
一片の夏雲万年筆で書く便り 重松 敬子
やわらかな思想あつまる田植かな 松本 勇二
母を詠む師の句碑ひそか苔の花 塩野 正春
五月雨やためしに息をとめてみる 銀   次
蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し 疋田恵美子
なつかしき使いの帰りとおせんぼ 小山やす子
麦秋のこの心地良い知らんぷり 佐孝 石画
開けられぬ扉の重さ桜桃忌 藤田 乙女
二の腕の足らぬ筋肉冷奴 亀山祐美子
牛蛙一言申し添えました 綾田 節子
和やかな伝言ゲーム若葉風 桂  凜火
栓抜いた戦争流れ出して夏 岡田ミツヒロ
少女らの無念は今も沖縄忌 稲   暁
ほうたるを呼ぶやくちびる尖らせて 小西 瞬夏
螢舞う子を抱き途方に暮れた日も 伊藤  幸
八月の裏から裏へ紙魚走る 三好つや子
若き日のあなたの影よ鮎踊る 寺町志津子
サイダーの泡が溢れて駆け出した 高木 水志
水を這ふはんざきの骨平べつた 和緒 玲子
青葉騒雨夜の電話とまらない 河田 清峰
出して見るだけの水着よ三面鏡 山本 弥生
森の夜に万の眼や河鹿笛 石井 はな
登山道で振り向く君や夏の風 末澤  等
山峡に目刺しのごとく鯉のぼり 三好三香穂
アマリリス二足の一つにハイヒール 時田 幻椏
まほろばや北斗七星から螢 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。「裏」という言葉に、表には表れない部分、また裏があるからこそ表に意味がある、そんな意味を感じた。裏から裏、表にはいかない部分に「紙魚」が走る。そのことが「八月」と響きあって、不穏な空気感、またけっして表には表れない動きを具体的に描写している。いつ戦争が始まってもおかしくないような、そんな恐ろしさ。

十河 宣洋

特選句「詩のように走る老人五月晴れ」。爽やかな初夏の訪れを感じる。毎朝ランニングをしている人の中に、お年を召した人も見かける。平和な初夏である。特選句「頭の中でいつも鳴る曲麦の秋」。麦秋の気持ちのいい風景を思う。いつも鳴る曲は思い出の曲でもある。鼻歌が出て来そうな陽気である。

松本 勇二

特選句「夏つばめ決め球えぐいほど曲がる」。決め球はシンカーでしょうか。当世の言葉を使って勢いのある句になっています。そして、夏燕もえぐい角度で曲ります。

桂  凜火

特選句「火蛾踏んで太極拳はやさしい手(和緒玲子)」。残酷なようだが、気付かれないことはないことになる。自分の行為を意識しないで行うこと、なにかしらの無意識な残酷の上に人は生きていることを感じました。特選句「亡き人も思えば側に白目高(石井はな)」。思えば側にいてくれると感じられることがまずとても素敵ですが、白目高との取り合わせがなんとも心癒されます。

福井 明子

特選句「新樹光大津絵鬼の余所余所し」。年月を経た茶渋色の大津絵の鬼はおどけた表情をしていて一度お目にかかれば忘れられません。眼前のこの新樹光に、あの鬼が迷い込んだなら。そんなとまどいを「余所余所し」という言葉にされたのでしょうか。取り合わせの妙に魅かれました。

岡田 奈々

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。うふっ夏はやっぱり唐揚げ。フーフー言いながら、口に油付けながら押し込む。あー夏だね。ビールが旨い。特選句「六月のまあ美味そうな赤ん坊」。ぷりぷりして、ちょっと暑さで赤ら顔して、鼻に汗。もう見るからに活きのよさそうな、利かん気な赤ちゃん。もう、赤ちゃんて絶対可愛いですよね。「青麦の香のみ残れる過疎地かな(森本由美子)」。あの妙に青臭い夏の匂いもう、田も耕されていないんだね。「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。雨を心待ちする紫陽花の気持ちと、辛いことがあって、そこから立ち直ってまた、大人になる少年の心持ちが重なる。「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。詩のように走るってどんなのか。楽しそうなのか、フラフラしているのか、想像は尽きない。「雲一つ泳がせておく麦の秋」。晴天ではなく雲が一つあるだけで、絵になる。「時の日や時間に追われぬそんな居場所」。はい。そんな場所探してます。「黄はあやめ一途に南下して知覧」。青い菖蒲ではなく、黄色の菖蒲。一条の光が導くのは知覧。一途に一途に。「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ(島田章平)」。いちごにも志はある。ほんの薄暑程度のエントロピーでもいちごでもこの暑い気持ちが革命の引き金になるのだ。「三日月をカリッと噛んだ夏の匂い」。三日月のおせんべい食べたら暑い風が吹いてきた。以上、宜しくお願いします。

塩野 正春

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。この句微妙な患者の心理をついて います。触れられたくない処こそ心療内科医が探し当てるわけですが、そこに届けば心が閉じてしまいます。「醒めし今外科医は初蛍だった(若森京子)」。外科の手術がうまくいって、麻酔が覚めた今の心境は初蛍に出会ったような心境、患者だった読み手の喜びが伝わり、感動します。

野田 信章

特選句「高野より鎮まる河骨酒も飲む」。霊場の高野山としずかな対峙を見せている一茎の河骨の黄の鮮明さー諧謔的な反骨精神の裏打ちのある一句として読んだ。特に「静」でなく「鎮」の表記によって比喩的にもどっしりとした「河骨」の存在感はある。これと作者の肯定的な日常観の「酒を飲む」との結句が響き合う一句として読めた。

藤川 宏樹

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。夏休み、日焼けした肩をランニングにのぞかせ、大好物の唐揚げにかぶりつく子が浮かんできます。ジューシーな唐揚げの歯ごたえ、喉越しまで甦ってきます。

島田 章平

特選句「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。「あ」の韻が快く響く。リズムがよく元気がでる。

男波 弘志

「五月雨やためしに息をとめてみる」。中7からの感慨は豊満な何かを暗示していよう、しかしそれが五月雨で成就するのであろうか、もっと映像として顕せないだろうか、いまふと浮かん像は「青蛙」だった。序でだが、俳句は即物詩、であり、映像詩、である。その覚悟があってこそ17音が躍動するのであろう。秀作。「水を這ふはんざきの骨平べつた」。叡かに俳諧の詩であろう。歌仙のなかにある付け合い、その意味を理解していなければこの句の中にある真の凄みはわからないであろう。俳の聖は俳句など金輪際創ってはいない。歌仙の発句を常に生み出していた。俳句は俳諧の属性に過ぎぬ。この極めてあたりまえなことを看過している作者があまりに多すぎる。自分のはこの句座に居る一座の顔ぶれが花のように浮かんでいる。秀作。

花舎  薫

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。古くなった書物は紙が乾燥して色褪せ、時に端々が崩れて破れていることもある。そんな本を手に取ってページをめくると、小さな紙魚がするすると走るように逃げていくのに出くわしたりする。もう干からびて死んだも同然の書物に小さな生をみるとき、それはハッとさせられる瞬間である。濡れたようにひんやりと冷たい銀色は暑く乾いた空気を裂くように走る。ここには古書とは書かれていない。紙魚が走るのは八月。それは日本人にとっていろいろな意味で死を考える月、死者を思い自分の生を考える月である。普通ならば暑さを避けて陰から陰へというところだが、書物と繋がる裏から裏へという表現が使われている。人目につかない裏側に忘れ去られた人々の歴史やストーリーが息づいているということだろうか。視覚的であり奥深い内容で、かつ一読すれば忘れない巧みな言葉の選択がなされ、とても魅力的な句だと思った。

若森 京子

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。人間の繊細で微妙な病いを診療する診療内科のメタファとして触れたら閉じる含羞草を持って来たのに惹かれた。特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河(十河宣洋)」。うっとおしく嫌な耳鳴りも、このような詩にすると案外楽しいかも知れない。難聴の私も詩にしてみよう。

津田 将也

特選句「母を詠む師の句碑ひそか苔の花」。掲句の、母を詠んだ俳句の作者は金子兜太です。彼の生家は、秩父皆野町皆野にあり、「壺春堂(こしゅんどう)」と言います。医師で俳人(伊昔紅(いせきこう))の実父・金子元春さんのかつての住宅兼医院で、現在は登録有形文化財になっています。今も、ここに弟の千侍(せんじ)さんが「金子医院」を営み、父の医業を継承し護っています。庭には、兜太の「おおかみを龍神と呼ぶ山の民」の句碑があります。母を詠んだ句は、皆野町有志が建立した兜太句碑八基の内の一つで、「夏の山国母いて我を与太という」の句碑です。『母は、秩父盆地の父のあとを、長男の私が継ぐものと思い込んでいたので、医者にもならず、俳句という飯の種にもならなさそうなことに浮身をやつしている私に腹を立てていた。碌でなしぐらいの気持ちでトウタと呼ばずヨタと呼んでいて私もいつか慣れてしまっていた。いや百四歳で死ぬまで与太で通した母が懐かしい』と。母を偲んだときの兜太の述懐があります。(兜太・自選自解99句より)※平成二十一年・「兜太・産土の会」有志により建立されたこの句碑は、秩父皆野町皆野・円明寺(明星保育園)境内に「常の顔つねの浴衣で踊りけり」(父・伊昔紅)の句碑と共に在ります。

鈴木 幸江

特選句評「麦秋のこの心地よい知らんぷり」。黄金の麦畑の存在としての美しい独自性を強い共鳴をもって捉えていると感心した。“知らんぷり”という悪く評価されがちの行為に善も潜むことに気づかせて頂いた。私もとても心地よくなった。問題句評「時の日や時間に追われぬそんな居場所(綾田節子)」。多くの人がそんな居場所を求めていることだろう。今流行のマインドフルネスなどもそんな必要性から注目されている。ただ、私の勝手な思いだが、“時間”を“時計”として欲しい。私にとって時間という概念には、時計時間とは別に経験・体験の時間もあり、そんな時間は私にとって宝物である。そのことを大切に意識したいと思うので、こんな我儘なことを書きました。

末澤  等

特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。 海の色、とりわけ瀬戸の海の青色グラデーションを『青の朧の襲(かさね)召せ』という表現で表したことは素敵だと感じていただきました。

滝澤 泰斗

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。つい一週間前に黒竜江省北部を旅して360度見渡せる農耕の大地に立ち、79年前の不可侵条約を破って攻めてきたソ連軍による開拓団崩壊の声は阿鼻叫喚だった。あるいは、事前に配られた青酸カリによる強いられた死は声なき声か。守るべき関東軍に見捨てられた開拓団農民の慟哭。特選句「黄はあやめ一途に南下して知覧」。戦争は15歳の少年を満州に送り鍬と銃を取らせて国境に張り付かせ、未来の日本を担う優秀な大学生を知覧に集め飛行機での体当たりを強いた。可憐なあやめに送られ沖縄の海に散って行った。見事な反戦句。共鳴句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。6/23 沖繩忌を想起。沖縄の犠牲に応えない政府の辺野古や基地問題を遠くから見つめるしかない無力感に苛まれる「父の日や父の日記の父の文字」。母の日ほどに注目されない父の日が父三連発で溜飲を下げた。父さんも頑張れ。

柴田 清子

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。を思い出している。今の止めやうのない戦争を「栓を抜く」と言う、軽いタッチで詠いながら、戦争のない平和を願う重い一句に仕上げている。

漆原 義典

特選句「雲一つ泳がせておく麦の秋」。おおらかな雰囲気が感じられます。良い句をありがとうございます。 

和緒 玲子

特選句「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」。何か踏んではいけないものを踏んでしまった足裏の違和感と罪悪感を、我が事のようにありありと感じて頂いた。そこはかとなく匂っていた雨の匂いも勢いもより強くなったのではないだろうか。季語は?などと問うのは野暮だろう。

松本美智子

特選句「やわらかな思想あつまる田植えかな」。「やわらかな思想」と対局にある「○○な思想」を想像してみました。すると太古の昔から思いを馳せながら田植えする姿は、人や自然に優しく柔らかなものに違いありません。平和を願うばかりです。

え い こ

特選句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。沖縄の山原地方にヤンバルクイナの骨がおちている光景は沖縄の明るくて気候と悲しい歴史、位置関係の運命や 自然の豊かさなどすべてを語りかけてくれるようです。特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。瀬戸内で育ったわたし(たち)は 瀬戸の光景はふるさとのようなものです。青の朧という 表現と に心うたれました。たくさんの種類の青があるという意味かと思いましたが <襲召せ>という日本語を初めて見ました。

大西 健司

特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。いつからかしらないが母俳句に心動かされるようになっている。今回もまたこの句をいただいた。母の百年のあくびが何ともいい。緑陰に憩う長生きの母の姿が実に愛らしい。

榎本 祐子

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月という特別な二重の意味を持った月。生命力に溢れる輝かしさと、辛い記憶の季節。紙魚は、あまり目に触れる事のない生き物だが確かにいる。八月の裏から裏へと繋がって存在している。

豊原 清明

特選句「蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し」。この句を作った人の記憶が、よく描かれていて、いいなと思いました。問題句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。葬送の儚さ、悲しみ。「麦秋レゲエかな」と詠むところが好き。

樽谷 宗寛

特選句「心電図ピコピコ鳥獣戯画の青蛙(塩野正春)」。ピコピコのオノマトペ蛙の擬人化が面白いです。

石井 はな

特選句「少女らの無念は今も沖縄忌」。沖縄の終戦は未だです。少女に象徴された無念に心動かされます。

植松 まめ

特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。耳鳴りから耳のさすらいそして青山河へとつなぐ言葉に惹かれました。耳鳴りからも詩が生まれるとは感動です。特選句「老年やふとサボテンが咲きにけり(吉田和恵)」。老年とサボテンちょっと不思議な取り合わせですがこの句を一読して、財津和夫がリーダーのチューリップの「サボテンの花」を思いました。「サボテンの花」はもう50年も前の歌ですが今も好きな歌でよく聴いています。あれは別れの歌だったがこの句は何かの出会いがあったのでしょうか。わが家でも2年前100均で買ったサボテンがやっと白い花をつけました。

松岡 早苗

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。「田植」と「思想」の取り合わせがおもしろく、「やわらかな思想」にも目が行く。能登の白米千枚田のような棚田が浮かぶ。大型の田植え機が入らず棄てられるはずの田んぼに、子どもや学生、主婦や起業家など様々な人が集まり、手作業で田を植える。効率や生産性は二の次。泥まみれの和やかで素敵な光景。特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月の燃えるような日射しの裏側には、拭うことのできない暗く悲惨な戦争の記憶が紙魚のように存在している。紙魚は生き続け、世界の各地で戦争が続く。詩句であり警句でもある。

河野 志保

特選句「牛蛙一言申し添えました」。一読してほっこり、かわいい句。とぼけたような「一言申し添えました」がぴったりだと思う。牛蛙の声が聞こえてきそう。

すずき穂波

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」この句の「キリスト」は十字架。ネックレスだろうか。日頃は首にかけているが、「雨の昼」と薄暗さがあるので、宗派の異なるお葬式か何かに出席されたのではないか。しめやかで、静粛な心持ちが現れている。「ハンカチ」のさらりとした季語であるにもかかわらず、複雑な感情が醸し出されていて、心惹かれました。特選「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」匂うような雨に、源氏の「雨夜の品さだめ」を思った。夜更けのひそひそ話に耳を傾けていたら、何かを踏んづけてしまったか?「何か」はきっと、ぬめぬめとしたものだ。ちっちゃな、ちっちゃな「鵺」のような、得体のしれないものか。ともあれ 夜中のひそひそ話には、近寄らないに限る。

三好つや子

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。思想というほど大袈裟なものではないにしても、田植えという労働には、脈々と受け継がれてきた結のこころがあります。そういう思いをこの句から感受。特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらふ紫陽花(すずき穂波)」。梅雨が似合う紫陽花。私たちが花と思っている部分は、咢が変化したもので、小さな粒の集まりが花だとか。日ごとに色が微妙に変わるなど、紫陽花の神秘さを、思想家と夢想家という言葉がうまく引き出しています。「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。頭にまとわりつく、虫の声のようで、さざ波のようで、梢をぬける風のような音。私も耳鳴りなので、惹かれました。「むらさきのかの人麦の風になる」。一読して、らふ亜沙弥さんへの追悼句だと思いました。お会いしたことはありませんが、「何をもってフツウミミズにフトミミズ」など、彼女のユニークな作風に注目していました。ご冥福をお祈りします。

野口思づゑ

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」。実際には聞いたことのない、薩婆訶の僧の声が聞こえて来そうでした。特選句「蛍舞う子を抱き途方に暮れた日も」。どのような事情があったのでしょうか。「唐揚げが口よりも大きくて夏」。唐揚げの大きさが夏と関連するのかどうか。それなのに夏を感じさせる一句。「会へぬまま出し病院さみだるる」。患者の具合か、事情からか、何かの理由で見舞いが叶わなかった心情が「さみだるる」の下5によく表現されている。

岡田ミツヒロ

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。広々とした夏野、そこに立てば少年期青年期の様々な情景が蘇る。懐しい父母や友の声が心地よい風の中に聞こえてくる。みな元気で溌溂としていた時代。特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。マスクなどせず、伸び伸びとあくび。樹々の精気を深々と吸い込む。百才の生命力が力強い。

伊藤  幸

特選句「養花天初老に席譲る大老人」。大老人の表現にクスッと笑みが込み上げてきます。雲が花を養うという養花天の季語もピッタリです。特選句「紅茶くるくる春愁の匙ひかる」。歌いだしたくなるような句です。もの憂げな気分も楽しい歌に変えてしまうのは小さなスプーンが光りながら生き物のようにくるくる回っているからではないでしょうか?

田中 怜子

特選句「故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華」。戦後78年、国策で渡満し、中国人から安くとりあげた土地を耕す・・・客観的に見れば酷いことをしてたのだが、あの頃は日本国民も広い土地をもって希望をもっていたのでしょう。そして、世界に国土をめぐる争いが続いている。この方もどういう思いだったのか、話を聞いてくれる人たちと思う存分気持ちを吐露してほしいですね。特選句「山峡に目刺しのごとく鯉のぼり」。日本の原風景と、子供の成長を寿ぐ世の中になって欲しいですね。

山田 哲夫

特選句「雲へ話して麦わら帽子落っこちて(三枝みずほ)」。童子の会話の一フレーズのようでありながら、微妙にメルヘンの世界へ誘ってくれるような句で心惹かれた。柔らかな詩心がないとこうした一句には成りがたいと思った。

河田 清峰

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。始まると止まらない戦争が哀しい。

三好三香穂

「雲一つ泳がせておく麦の秋」。気持ちのよい句。よい天気で青空がひろがっている。ポッカリ一つの雲もさも自分が泳がせているように錯覚。神のような振る舞いですね。ウクライナカラーですね。「父の日や父の日記の父の文字」。私も、父がなくなってから、父の日記を捲ってみたことがあり、癖のある父の字に、妙に父を感じたことがあります。「やわらかな思想あつまる田植かな」。農耕民族である日本人、柔らかに自然を受け入れて、営営と暮らしてきました。「出してみるだけの水着よ三面鏡」。10年前の、あるいは20年前の捨てられない水着、中々捨てられません。スイミング、あるいは水中ウヲーク始める日がくるでしょうか⁉️

柾木はつ子

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」仏教語で「薩婆訶」とは祝福とか、幸あれとかいった祈りの呪文だそうですが、まさにこの爽やかな薫風の中で響く言葉は身も心も清浄にしてくれるような気がします。「そ」で韻を 踏んでいるのも効いていると思いました。特選句「三年目は微妙なじかん百日紅(三好つや子)」。「石の上にも三年」とか「三年目の何とか」よく言われますが、人が何か変化を求める時とかある決断をしようと思うのがこの時期なのでしょうか?「微妙なじかん」の表現に作者の心の揺れが感じられて興味をそそられました。

三枝みずほ

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。口よりも大きい唐揚げを食べることが、生きる為の力とすれば野性味を帯びた一句となり夏も効いている。獣のように肉を食いちぎる力は生命を欲る活力そのもの。

時田 幻椏

問題句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花」。意味わからず、情況つかめず。「足首の美しき少女や新樹光」。単に足首フェチなだけなのですが・・。良く解らぬままに、特選句を選び得づ、でした。父は考なのか父なのか、放飼の措辞で宜しいのか、百年のあくびは?などと思って要ります。

荒井まり子

問題句「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。五月晴れの元、どの様な詩なのだろう?この年齢になるまでの百人百態面白い。

高木 水志

特選句「水を這ふはんざきの骨平べつた」。渓流の岩石の下や洞窟の中に身をひそめて、目の前に現れた昆虫や魚、蛇などを丸飲みするはんざき。そのはんざきが岩陰からのそりと出てきて水の中をゆっくりと動いている様子を見て、はんざきの骨が平べったいと気づいたことが面白いと思った。

山下 一夫

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。何よりも口より大きい唐揚げというのがシンプルに面白い。また、夜店の買い食いや海水浴のお弁当、暑気払いなどの飲み会でのアテ等唐揚げが付き物の夏の行事がさまざまに連想されて楽しいです。特選句「二の腕の足らぬ筋肉冷奴」。二の腕はいわゆる力こぶ(上腕二頭筋)があるところ。ここは少し鍛えるとすぐに大きくなり、逆に使わなかったりダイエットするとすぐに萎みます。ところが二の腕の骨を挟んだ裏側は、鍛えてもなかなか筋肉がつかないし、ダイエットしてもタプタプのままです。掲句では日ごろ使わず日光も当てない二の腕の見てくれや触感を冷奴に喩えたと見え、秀逸かつユーモラス。また、いじらしい女ごころ?も垣間見えるようで楽しめました。問題句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。一読意味が判然しないのですが、何かを暗示している気配が濃厚です。誤読を覚悟でいうと「絹脱げば」は絹の靴下を脱ぐの省略で女性の性的な含みのある行動、「晩節」は晩年の節操。「鳥」は男か。総合すると、年配の女性が恋愛的な勝負に出たが都合よく利用されただけに終わってしまったという自嘲かと。当方の投影に過ぎないとすればすみません。

菅原香代子

「雨匂う夜や何かを踏みつける」。しっとりとした雨と何かわからないものの取り合わせが絶妙です。

佐孝 石画

特選句「五月雨やためしに息をとめてみる」。一瞬通り過ぎてしまいそうな柔らかな抒情風景だが、「ためしに息をとめてみる」という感覚には、何か後を引くものがある。その感覚の向こう側にあるものは、やはり「死」の世界なのだろう。「五月雨」の空気が水中を想起させ、水中で「息をとめてみる」幻想を連想させたのだろう。それだけでは茶目っ気のある軽い諧謔にとどまりそうだが、徐々に「雨」が「人」の翳へと変容し、その翳の中で揺れ動く一人の人間のたじろぎ、哀愁が見えてくる。「息をとめてみる」とは、少なからぬ「死」への願望であり、一度「死」を受容することで、また日常へと帰還していく、作者の転生、再生の物語でもある。

新野 祐子

特選句「地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ」。ウクライナ・パレスチナのみならず紛争中の国々、地震や水害に被災した国々と、現在の世界の悲愴な様相が想起され、胸に迫ります。

疋田恵美子

特選句「知らぬことの幸せ多し梔子の花(藤田乙女)」。知らない事は幸いなことで雑念は不要、下五で言い得ています。特選句「ナルシスのように伯父死す夏の川(新野祐子)」。ギリシャ神話の美少年、素敵な伯父さまでしたでしょうね。飯田龍太さんの、いとこさんの事を思い出してしまいました。

山本 弥生

特選句「 父の日や父の日記の父の文字(岡田ミツヒロ)」。父亡き後、数年経て父の日に父の日記を読み、何とも懐しい父の姿が想い出されて生前には気付かなかった父への深い想いが甦って来た。

森本由美子

特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。すぐれた詩情と物語性をもった句と思う。葬送の余韻にオーヴァーラップして、後拍にアクセントのあるレゲエのリズムが韻をふむように刻まれてゆく。哀しみを麦秋の中に溶かし込むように。

吉田 和恵

特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花(すずき穂波)」。思想も、夢想も、紫陽花の花びらのように、それを取り巻く人達がいて。そんな時代が、いつかまた訪れるのでしょうか。

川本 一葉

特選句「生まれたて豆粒ほどの青蛙」。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズに「豆粒ほどの小さな犬」と言う物語があります。透明感と水と風を感じます。そんな世界観を現していて、物語を紡ぐ句だと思いました。

薫   香

特選句「すずらんのふるえ大地の母音とも」。小さなスズランの花も根っこは大地に繋がっており、震えは大地に繋がっていくという壮大な景色を見せていただきました。

竹本  仰

特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」:シルクの服を脱ぐと、そこがいつの間にか鳥のねぐらに。そうか、これが晩年か。何十年の流れが濃縮されている。それにしても、この鳥はめざめたら、どこへ旅立つのだろうか。晩説とはいえ、この楽しみ、好奇心、人生のワクワクは最後の最後まで。これを曲線にすれば、二次関数だったか、あの形を思い出した。特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」:葬儀の後のあの現実の見え方というのは、変に明るい。たとえば伊東静雄の詩の〈死んだ女(ひと)はあつちで/ずつとおれより賑やかなのだ/でないと おれの胸がこんなに/真鍮の籠のやうなのはなぜだらう…〉「田舎道にて」のような違和感がある。人間とか生きものとか、そんなものを学ばせてくれたように思える瞬間があるのだ。特選句「ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇」:薔薇の最期を詠っているのか。昨日まで咲いていたのがいきなりいなくなる。旅立ちというにふさわしい終り方をするのだが、ふいに今声をかけられたようにそんな薔薇に気づいたのは自分を選んでくれた気がしたのだ。薔薇(そうび)汝病めり…『田園の憂鬱』をなぜか思い出した。逝く人は自分を語らない、語るのは悼む人だけだ、とそんなことを思い出させた。 以上です。みなさん、いつもありがとうございます。よろしくお願いします。

菅原 春み

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。栓抜いたという比喩が卓抜です。改めて納得した次第です。特選句「森の夜に万の眼や河鹿笛」。季語の河鹿笛が効いています。森の中に潜むさまざまな生き物を想像します。

大浦ともこ

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」。キリストをハンカチにくるんだのは何故なのだろうか、静かな危うさのようなものを感じる。「雨の昼」の物憂い感じとも響きあっています。特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。絹を塒とする鳥のイメージと人生の終盤の取り合わせは不思議で好もしい。どう詠んでいいのかよくわからないところも魅力的です。

亀山祐美子

特選句『緑陰の母百年のあくびかな』。大きな木の下でくつろぐご長寿のお母様のあくびを眺められる幸せ。穏やかな時間。羨ましいです。

向井 桐華

特選句「足首の美しき少女や新樹光」。陸上の選手であろうか。すっと伸びた脚の、その足首の美しさ。まばゆい光とそのコントラストがとても丁寧に描けていて素敵な句です。問題句「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ」。「いちご白書」を「いちご薄暑」としなくても無季の句としたほうが良かったのではないかと思いました。

銀   次

今月の誤読●「緑陰の母百年のあくびかな」。母は今年で百歳になる。老いてますます盛ん、などという慣用句があるが、まさしく母はその言葉にもっともふさわしい実例といえよう。食欲は旺盛、食後にはビールを飲み干しカッカと笑う。むろん足腰も丈夫で、日課の散歩は欠かさない。散歩から帰るとたいてい縁側に坐る。縁側には少々くたびれた座布団が置いてあり、そこが母の定位置なのだ。縁側の母にお茶と甘納豆やセンベイといった茶菓子を持っていくのがわたしの役目だ。初夏のよく晴れた昼下がりのことだ。母はお茶を手に座布団に坐っている。わたしはその横でボンヤリと庭をながめている。と、突然母が「フワッ」と声を発した。わたしはなんだろうと隣にいる母を見た。なんのことはない、ただのあくびだった。だがそのあくびがなかなかおさまらない。どころか、どんどん大きくなって、母のまわりの空気に異変が起きた。空気が大風となって母の口に激しく流れ込みはじめたのだ。と、その口に湯飲みが吸い込まれた。次いで菓子盆が、扇風機が、庭の盆栽がと、まるで巨大な掃除機のようにあたりのモノというモノ、冷蔵庫から洗濯機、時計、椅子、机、なにもかもが母の口に流れ込むのだ。わたしは母のカラダを抱きしめてなんとか難を逃れたが、妻や子が母に飲まれるのは止められなかった。それでも母のあくびはまだつづく。やがて歩いていた通行人や走っていたクルマ、近所の家、遠くの家、ビルが電車が、船が飛行機が、山が川が、あまつさえ海が、国会議事堂がホワイトハウスがクレムリンが、議論が駆け引きが戦争が、ああ、時代が歴史が文化が文明が母のあくびに吸い込まれていく。かくして最後に残ったわたしだったが、やがてあえなく飲み込まれた。ふと気づけば、抱きついていたはず母さえも、母に飲み込まれていたのであった。ここはどこだ? 母の体内か? そうするとわたしの抱きついている母はだれなのだ? と、どこからか、「フウ」というため息にも似た声がし、つづいて「ああ、いい天気だ」という声がした。

野﨑 憲子

特選句「若き日のあなたの影よ鮎踊る」。鮎の踊る清流をみつめていると一瞬若き日の影が過る。川の流れに身を任せ日輪に抱かれ月光に抱かれた至福の日々が蘇る。<あなたの影>の演歌的はフレーズが胸に沁みた。鮎は年魚。一年の命をいのちのかぎり生きている。特選句「蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す」。駅舎の天井に張った蜘蛛の巣だろうか。始発から終電まで乗り降りを繰り返す人の営みと、それを天井から眺めている蜘蛛の対比が、鋭い。蜘蛛の巣が天網にも見えてくる。さすれば銀河鉄道の駅だろうか。問題句「アマリリス二足の一つにハイヒール」。問題句というよりこの奇想に驚いた。あのラリラリラリラの真っ赤なアマリリスが靴を履いているのだ。二足とあるから、そのうちの一輪はハイヒールでどんなダンスを踊るのか。ただ、<二足の一つに>が、少しわかり難かった。が、ワクワクする作品。♡新茶を飲んだら、色んな雑事から開放された。句会という最高に楽しい場を創らせていただける嬉しさ。今後とも、よろしくお願い致します。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

桜桃忌
爪切って夜の深きを桜桃忌
三枝みずほ
桜桃忌泣きたい午後は墨を磨る
すずき穂波
降り始めの埃の匂い桜桃忌
藤川 宏樹
濁流に消ゆる花束桜桃忌
稲   暁
酒場ルパンの火の酒を酌む桜桃忌
銀   次
回転ドアに恋を阻まれ桜桃忌
岡田 奈々
桜桃忌中途半端な恋でした
野﨑 憲子
ちりちりと炙ってみたし夏の箱
銀   次
もう箱入娘にあらず夏の海
稲   暁
箱を出てオオムラサキになりました
野﨑 憲子
母の味妻手づくりの箱の鮓
島田 章平
黒い箱目に見えぬもの隠したる
薫   香
夕立晴線路添ひゆく箱男
すずき穂波
百葉箱りゅんりゅんからすうりの花
和緒 玲子
水無月
青水無月遠い昔を連れてくる
すずき穂波
水無月の雑多匂いて中華街
和緒 玲子
水無月や星のくしゃみと吾のあくび
薫   香
水無月やそろそろ腹が減ってきた
藤川 宏樹
人類哀し青水無月の帆影
野﨑 憲子
走り切って雲時計の針が消える
三枝みずほ
雲助も行者もくぐる茅の輪かな
すずき穂波
隠し事のひとつやふたつ今日の雲
薫   香
夏雲を呼ぶや少年うずくまる
三枝みずほ
先生と呼ばれ振り向く夏の雲
藤川 宏樹
ソフトクリームの空中散歩はぐれ雲
岡田 奈々
色即是空空即是色雲の峰
島田 章平
日傘
さよならの合図は日傘を三度振る
銀   次
少女期のはや過ぎ行きし日傘かな
稲   暁
顔ひとつ忘れ白日傘ひらく
三枝みずほ
白日傘集いてどうでもいい話
和緒 玲子
純粋にはもう戻れない白日傘
すずき穂波
照る照る坊主を日傘に吊す雨予報
岡田 奈々
夕浜に影のあつまる白日傘
野﨑 憲子
銀座ゆく男の日傘午後三時
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

今回の高松の句会には、広島からすずき穂波さんがご参加くださいました。お陰様で、事前投句の合評も、袋回し句会も、いつにも増して刺激的で楽しく豊かな時間でした。

月に一度の、この句会から、混迷の世界へ向けて渾身の愛の句が多産されますように!!今後ともよろしくお願いいたします。

2024年5月22日 (水)

第150回「海程香川」句会(2024.05.11)

芍薬.jpg

事前投句参加者の一句

蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅 藤川 宏樹
せんなしや急がば回れの蛇にあう 鈴木 幸江
憲法記念日俺は自由だ オーレ! 島田 章平
すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら 和緒 玲子
木蓮のひとひらこれは風よりの 谷  孝江
白髪のばっさりショート聖母月 松岡 早苗
捨てられぬセピアの葉書花の雨 植松 まめ
街角は透明な蚊に刺されてる 中村 セミ
心電図因幡の白兎が小躍りす 十河 宣洋
朝靄に抱かれほっこり山笑う 末澤  等
積み上げし積木ぐらぐら昭和の日 岡田ミツヒロ
常備軍持たぬてふてふ共和国 河田 清峰
集まって空のお守や桐の花 高木 水志
軍港を増やして守るお国かな 稲   暁
取り繕う嘘を言いつつ四月馬鹿 滝澤 泰斗
箱庭のちひさな母につきあたる 小西 瞬夏
あどけなき手書きの地図や夏燕 大浦ともこ
表面は卯浪に任せ海深し 川本 一葉
時は去りゆたけき吾のルピナスよ 疋田恵美子
紅梅落花水面に寄せ来たる 佐藤 稚鬼
月朧柩に入れる眼鏡拭く 菅原 春み
鳥雲に入る海底は獣道 菅原香代子
化野や今日も濡れ咲く著莪の花 増田 暁子
春雷や忘れてた母だったこと 薫   香
黒揚羽昼の浮力と重力と 三好つや子
霾や爆音もなくしんしんと 森本由美子
曇天は心の重り春の山 石井はな
三盗を知り先ずは路傍の菫草 時田 幻椏
確かむる一芯ニ葉茶摘みの子 佳   凛
思うことわたしをはみ出して陽炎 月野ぽぽな
海の日のジャズ集団の静かな老い 重松 敬子
逃げ水を海岸通りで追いかけた 榎本 祐子
束の間をこぼれはじめし螢かな 男波 弘志
もう結構ってさくら日向の少女です 三枝みずほ
青鷺や震え一路の門超えて 豊原 清明
地に穀雨君の彈き語りのように 野田 信章
菜の花の真ん中はいつだって雨 柴田 清子
病室は人ゐて無言春の昼 柾木はつ子
婚活を拒否する息子夏みかん 藤田 乙女
春眠の乙女唇にピアスして 樽谷 宗寛
蜜蜂はチェロ弾くごとく分蜂す 松本 勇二
海のいろ脱いで上陸渡り蝶 津田 将也
鞦韆や子は説得を拒みおり 大西 健司
咲かぬ芍薬愛って誓うものなんだ 岡田 奈々
花筏君へ内緒の文託す 山本 弥生
立小便かわずさわがす色即是空 田中アパート
知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒 伊藤  幸
鳥帰る戦無き国俯瞰して 塩野 正春
涅槃図の隠れ上手な濡れねずみ 荒井まり子
躓いて躓いて花びら流れ去る 山田 哲夫
脳外科手術ゴリゴリ蘖の音かしら 若森 京子
下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先 花舎  薫
鯉のぼり空がとっても広いから 吉田 和恵
奥の間の暗がりに転がった紙風船 銀   次
花は葉に怒りが透けていくように 佐孝 石画
聖五月暴虐に抗する学生等 田中 怜子
雉鳴くや鎮守の森の影法師 漆原 義典
隊列はもう葬列に麦の秋 山下 一夫
草の花花小さくて花の色 福井 明子
鳩になり鷹になり汗だくのシャツ え い こ
ジャスミン茶ほわりほんわり蝶の昼 向井 桐華
強面の山羊うずくまる草いきれ 桂  凜火
人間に飽きてきてをりよなぐもり 亀山祐美子
青き踏む近江ふわふわしゃれこうべ 飯土井志乃
燃えかすは煩悩だろう啄木忌 新野 祐子
街角にジャズにレゲエ春の宵 三好三香穂
吾子の手と象舎の記憶若葉風 松本美智子
万緑の中にわれ在りわれ眠る 竹本  仰
櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「海の日のジャズ集団の静かな老い」。港町のジャズバーだろうか。バンドのメンバーも年をかさねている。それでも静かにジャズを奏でている。その一人ひとりに醸し出されるそれぞれの物語。そんな老いの重さがジャズの演奏にのってずっしりと、でも軽やかに感じられる。

松本 勇二

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。新しいサンダルに足を入れた時の感覚をうまく言葉にあらわしています。

月野ぽぽな

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。近しい人が他界されたのかもしれないが、一読、自分のメガネだと思った。いつか必ず来る日を静かに覚悟し、人生の大切な友であるメガネを磨く。一緒に連れて行くからね。この景色が月朧と出会い、情感と達観が浮かび上がってくる。

十河 宣洋

特選句「地に穀雨君の彈き語りのように」。春のしっとりとした時間。弾き語りのようにしみじみと心に響いてくる雨の音が心地いい。イルカの名残り雪が私には響いてくる。特選句「花は葉に怒りが透けていくように」。桜の少し喧騒が耳に付いた時期が終っていくような思いが込められている。

岡田 奈々

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。新しく買ったばかりのサンダル。もう直ぐ夏が来るウキウキとした気分が溢れてる。素足の輝きが若さを誇っている。特選句「憲法記念日俺は自由だ オーレ!」。この型破りの自由さと、駄洒落が素敵。「せんなしや急がば回れの蛇にあう」。どうしようもないよね。蛇がそこを通りたいって言うんだから。『演劇の「涙」がんばる豆の花(津田将也)』。劇の中涙出せるのは、並大抵の努力ではありません。「表面は卯浪に任せ海深し」。大したことない波だと思わせて、中は結構速く流れている。陰の努力が目覚ましいってか?「傷つけど傷つけど天へ雲雀よ(銀次)」。海だけじゃなく、空では一生懸命目立たない雲雀も頑張ってるんだ。でも、そろそろ頑張って傷つくなんて、非生産的なことやめて、楽しく生きようぜ。何も天使になる必要は無いんだもの。「青葉浴茶の湯の中に風の浴」。野点して、青葉の清しさ。風の心地良さ。このくらいゆったり風流に暮らしたいものです。「蜜蜂はチェロ弾くごとく分蜂す」。自然界は巣分かれするにも滑らかに踊るように楽しく。人も見習いたい。「蟇鳴くやほんに人の世可笑しかろ(岡田ミツヒロ)」。ほら、蛙にまで、笑われているじゃないか。反省反省。お金とか、物とか、義理人情とか、もっと拘束されない私はあるのかな?「街角にジャズにレゲエに春の宵」。はい。決まりました。結局、自然界から食べさせて頂き、歌と踊りと浮かれて暮らす。皆で踊ろ。難しいことは抜き。以上、今月も楽しくて為になる御句の数々。めちゃくちゃ面白かったです。香川句会最高。で、宜しくお願いします。

福井 明子

特選句「春墓所跳ねて歩いて鴉二羽(榎本祐子)」。昔は鴉といえば墓場、というイメージがありました。それも遠くなりました。今や、鴉はどこにでもいて、じっと上から見つめられているような気もいたします。春の墓参の折見かけた鴉の動きに、いずれ自身もたどるであろう行く末を思うまなざしがあります。眼前の二羽の鴉は、すべてわかっているのかも。

佐孝 石画

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。「母だった」という措辞には、作者の内面的な時空の奥行を感じさせる。現在も「母」であるはずだが、子育てに全てを捧げていたころの記憶がじんわりと蘇ってきたのだろう。パラノイアではないけれど、老いに従って、かつての自分と今日の自分が、ふと混在してくることが多々ある。それは何人もの過去の自分と共存していく、おぼろげな世界。そのおぼろげながら優しい瞬間が、「春雷」の一閃によってもたらされたのだろう。

豊原 清明

特選句「憲法記念日俺は自由だ オーレ!」。「オーレ!」は俺にかかっていますが、掛け声として響く。反体制。決まりからも自由だと、自らに、励ましているよう。問題句 「母親は印紙のような春キャベツ(中村セミ)」。母親の紹介句。手書きのこまめで雑ではなく、何でも印紙のようにこなす、しっかりした母とも思えるし、逆に、のっぺらぼうのような母さんとも読める。

樽谷 宗寛

特選句「せんなしや急がば回れの蛇にあう」。共鳴しました。上、下の句の取り合わせが良い。山川草木生きとし生きる物に教えられ気づかされることの多々ありましましたが、なかなか俳句は作れませんでした。

高木 水志

特選句「人間に飽きてきてをりよなぐもり」。黄砂で視界を遮られ、何となく憂鬱な気持ちになっている。人間に飽きてきているといった作者の心情に霾晦があっている。

稲   暁

特選句「童心を灯せよ瓦に雨、雨、春(佐孝石画)」。童心は灯すべきもの、言われてみれば確かにそうだ!特選句「ジャスミン茶ほわりほんわり蝶の昼」。私はジャスミン茶は、あまり飲まないが、ほわりほんわりという表現にやられてしまった。

え い こ

特選句「一滴の響きわたるや山青葉(亀山祐美子)」。静かという 無のような空間に広がる空をかくすような森林 澄み渡る空気が感じられました。肺が浄化されたようです。特選句「海いろ脱いで上陸渡り蝶」。アフリカ?から 蝶々が飛んできた 強さ 美しさの表現が巧みですね。海にいろを脱ぐ いつかこのような表現ができるまで、勉強したいです。問題句「絵本読み母のふりして水中花」。問題というより、最後の水中花は松坂慶子さんの 愛の水中花 を聞かれているのでしょうか?勉強不足で理解できませんでした。ごめんなさい。♡みなさま、初めまして。同級生の野﨑さんの熱意と魅力に、軽装で小舟に乗って、俳句という海にでてしまいました。急いでいま、準備やら勉強しているところです。よろしくお願いします。

榎本 祐子

特選句「束の間をこぼれはじめし蛍かな」。蛍の命の時間は短い。その間に命を滴らす哀れと健気を思う。

島田 章平

特選句「鳥雲に入る海底は獣道」。空から海底を俯瞰した壮大な句。「海底は獣道」の発想が鋭い。

伊藤  幸

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。上語と下五のフレーズに初夏らしい清々しさが感じられる。現代俳句の忘れ掛けていた新しい感性を呼び覚ましてくれたような気がして嬉しい気分にさせてくれました。特選句「千年の山桜千年の孤独(菅原香代子)。掲句も又上語と下後のフレーズが調和していて落ち着いた雰囲気で魅力的に仕上がっている。宮崎の銘酒で「百年の孤独」という麦焼酎があるがそれとは別と考えたい。

河田 清峰

特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。富めるものは武器と救援物資を送り貧者の葬列は終わらない。

藤川 宏樹

特選句「街角は透明な蚊に刺されてる」。この「透明な蚊」とはブーンの羽音、街にたむろしているワル?それなら、刺され吸われているのは何?想いは膨らみ、わからないながら妙に惹かれるものがありました。

松岡 早苗

特選句「すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら」。涼やかな金魚鉢に逆の「淫らさ」を発見されている佳句。なるほど、金魚の鮮やかな朱色、ふくよかな腹、泳ぐときの尾びれのヒラヒラと、人を魅了し幻惑するような淫らさがありますね。「みづ」と平仮名にされているところまで配慮がなされている。特選句「鳩になり鷹になり汗だくのシャツ」。時にはハト派、時にはタカ派になりしながら、人はその時どきを懸命に生きているのですね。ただ、そんな主義主張や処し方よりも、汗だくの身体に感じる素朴な充足感、人間くささこそ、生きている証だと教えられた気がします。

花舎  薫

特選句「鳩になり鷹になり汗だくのシャツ」。無害の優しい鳩になったり獲物を狙う対戦モードの鷹になったりと忙しい日はシャツも汗だくに。多分人間関係でも仕事関係でもそうなのだろう。少々振り回されてはいても、それなりに一生懸命な日々。発想が面白く新鮮でありながら理解し難い句とはなっていない。

野田 信章

特選句「海の日のジャズ集団の静かな老い」。一読後、<どれも口美し晩夏のジャズ一団/海峡痩せ楽器乱打の少年寝る(兜太句)>の海とジャズと青春の世界を想起させた。それは正に戦後処理を残しつつも、復興期にさしかかった昭和三十年代前期の高揚感とも重なるものがある。この前段を踏まえた上での掲句として読んだ。七月十五日の「海の日」のジャズ愛好者の集いとしての景が展く。しかも、「集団」としての「静かな老い」との情景の把握には来し方のさまざまな方の年輪の積み重なりの人生の豊穣さをも現出させている。「海の日」の一句として印象的な句である。

植松 まめ

特選句「積み上げし積木ぐらぐら昭和の日」。長々と政権の座に居座り続けてある政党。裏金問題をはじめとして様々な問題がここにきて噴き出してきた。経済の停滞は失われた三十年とも言われている。明日はもっと良くなると信じていた昭和の繁栄の時代が遠く遥かになってしまった。特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。美しい麦秋のなかを行く隊列それは軍隊かあるいは避難民なのか。その隊列が葬列に変わっているというこの句。ウクライナやガザの惨状と犠牲となる人々をおもい何も出来ない自分の無力を恥じる。

男波 弘志

『演劇の「涙」がんばる豆の花』 。一見どんな花でもいいようだが、豆の花のけなげさが相即であろう。演劇の深部が「がんばる」であるのか?そこにまだ幼年の、そして一行詩としての弱さがある。秀作。「街角は透明な蚊に刺されてる」。はたして刺すで金輪際だろうか?そこが腑に落ちればいいのだが、つまり「無心に十分に刺す」あの刺す、ではない別の次元があるのではないか、蚊そのものが別次元に「通っている」そういうことでも表現は成立するだろう。秀作。「箱庭のちひさな母につきあたる」。上から俯瞰している箱庭の母につきあたる、とはどういうことだろうか、それは作者がもう箱庭の中のひとりになっているのだろう。思い出を意のままに手中にしている、その執着こそが生そのものだろう。準特選。「春雷や忘れてた母だったこと」。親子の距離が離れていることがあたりまえの生活のなかで、鳴った「春雷」に呼び覚まされたのは、傘を持って娘を探しに家を飛び出したあの日だろうか。秀作。「思うことわたしをはみ出して陽炎」。内容は非常に豊満であろうが、陽炎は少し答えを出し過ぎていないだろうか、思いは見せつけるものではなかろう、つまりもっと暗喩が描けないだろうか、と思う。冷たい春の草、などを連想してみればまた別の乾坤がひらけるだろう。秀作。「白鉄線花の間中のうすみどり(佳凛)」。一行詩はこれでいいと思う、この覚悟が備わっているからこそものが見えるのであろう。子規の写生論には現在の時間軸しかないのだが、しかし時空を拡げて行くためには現在を見つめ、現在を知り得なければなるまい。秀作。

津田 将也

特選句「地に穀雨君の彈き語りのように」。「穀雨」は、四月二十日ごろに降る雨のこと。百穀をうるおす春雨のころ、という意味がある。雨は、ほんの三粒ほどを散らして止む雨から、土塊(つちくれ)を溶かしてしまうほどの大仰な雨まで、千差万別だ。そんな雨の様子を「君の彈き語りのように」と比喩している、この感性がよい。

桂  凜火

特選句「海のいろ脱いで上陸渡り蝶」。海を越えて渡ってくる蝶の力強い羽ばたきが見えるようです。本当にたくましい。海のいろを脱ぐという措辞が素敵でした。

山田 哲夫

特選句「表面は卯波に任せ海深し」。一読してこれは菩薩のような心境が読み込まれた句のように感じた。我々凡人は卯波のように揺れ動く日常の営みの中に身を置き、こころを悩ませてあくせくと生きている。悟りを開いた菩薩はそうした人間の姿に限りなき愛惜と憐憫を抱きながらも深い海のような静かな何者をも受け入れる広い心でじいっと見守ってくれている。そう思うと、日々の営みにも気持ちが楽になり、明日への希望も湧いてくる。作者は滔滔たる深い海の様子にそれを感じ取っているのだと思った。

岡田ミツヒロ

特選句「地に穀雨君の弾き語りのように」。生きていくことは心を潤すことであること、弾き語りのメロディーの中にやさしく響いてくる。「穀雨」が効果的。特選句「隊列はもう葬列に麦の秋」。ウクライナに現われた戦争という化物、生者の隊列は、ほどなく死者の葬列と化す。次々と人身御供の隊列。近い将来の日本の姿を暗示する様な昨今の不穏さ。

菅原香代子

「捨てられぬセピアの葉書花の雨」。上ー中句が見事です。セピア色としっとりとした柔らかい雨との組み合わせが絶妙です。「逃げ水を海岸通りで追いかけた」。子供のころの思いでしょうか。夏の暑さと子供の無邪気さを感じます。

和緒 玲子

特選句「箱庭のちひさな母につきあたる」。大人になって初めて自分が実は箱入り娘であったと気付いた時のことかと読んだ。家族に守られ大切に育てられての自分。そして母親もまた同じように大切に守られ育った人だったと。母親の深い愛情とそれを真っすぐに受け入れた作者。ポジティブに捉えたい。特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。読みが違うかもしれないが、老いて子供に戻った母は雷をとても怖がった。そんな母を宥めながら、この人は私の母親なんだなと改めて思った。あれも確か春だった。こんな思い出をついだぶらせてしまった。

大西 健司

特選句「茅花流し帰りたいよお母さん(野﨑憲子)」。予選でいただいたが一度ははずした。魅力はあるが、この切ない呟きだけで一句が成立するのか迷ったため。ある種五月病の類いだろうか。そうでなくても母の胸に戻りたい思いはそれぞれにあるもの。危うさを覚えつつだが最後は是とした。

柴田 清子

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。一瞬の春の雷に、呼び覚まされた母との事。一つや二つ読み手に、思い出させる母恋ひの春雷の季語の置き方に感心させられました。

三好つや子

特選句「川風や女神輿はひとやすみ(重松敬子)」。男たちが担ぐものとされていた神輿に、鉢巻きをいなせにねじる女の担ぎ手も、ちらほら見かけるようになった現代。女だけで担ぐ神輿もあると思います。川風がみやびな趣を広げ、この句に彩を添えています。特選句「青き踏む近江ふわふわしゃれこうべ」。淡いみどりに包まれた近江の春を楽しんでいるのでしょう。しかし、その 一方で、地中に横たわる歴史の闇に、作者は思いを馳せているのかも知れません。「蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅」。画数が多く、凸凹した語感が、句意に合っていて、面白い。「終業のいびきや蘖出てくるぞ(三枝みずほ)」。肉体労働を終えたあとの、地響きのような大きないびき。好感度の高い骨太の句です。

新野 祐子

特選句『櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」』。「俳句造型論」をダイナミックな櫻島に見立てたのがおもしろい!薄暑というのも合ってますね。盛夏とかではなくて。

吉田 和恵

特選句「燃えかすは煩悩だろう啄木忌」。啄木に煩悩とはショック。それが燃え尽きて燃えかすとは言い得てもっとショック。

川本 一葉

特選句「知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒」。とてもよくわかります。失敗したときすぐに突っ込まれたくない、というの。破調もあまり気になりませんでした。

薫   香

特選句「下ろしたてのサンダル生まれたてのつま先」。夏を前に新しいサンダルに足を滑り込ませた時に、見えるつま先が生まれたてだという表現に心掴まれました。特選句「千年の山桜千年の孤独」。見事な桜が目に浮かびます。ただ千年生きてきたという事は、周りに誰も居なくなるという事で、それはそれでとてつもなく長い孤独が待っているという事なのですね。♡今月の句会では、私のつたない句に皆さんがいろいろな解釈をして下さり、とても面白い体験をさせて頂きました。俳句の面白さの一面を見たような気がします。ありがとうございました。

竹本  仰

特選句「すこやかに揺れて金魚のみづ淫ら」:すこやかと淫ら、一見反対に見える両者だが、これは生きものの両面ではないだろうか。金魚の水、あれは金魚が作り出したものではないか。だから、水ではなく「みづ」なのではないか。みづからみづみづしく揺れる原形のような動きが感じられて、これこそ写生ではないか。特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」:柩に入れるものって、本当に様々です。ユニークなのでは、お酒を注いだり、ボートレース券や馬券だったり。ここでは、故人によく見えるように、眼鏡を拭いてあげているのですね。そうしていると、死って何?生って何?という感じにとらわれたのでしょうか。でも、きれいにして、いい所に行ってほしいという願いからなんでしょうね。というか、ここに若干の好奇心が働いているのが感じられるところが面白いです。特選句「菜の花の真ん中にいつだって雨」:菜の花というと、どうしても背景に、青い海、晴れた空、と想像してしまいがちです。がここでは、菜の花の中心はいつでも雨なのだと言っています。個人的には、それは実は涙なんでは、と思っています。菜の花が泣いている?これは楽しい想像です。「ママ、何で菜の花は泣いてるの?」なんて言われたら、どうします?絵本の世界がふいに現れてくるようなワクワク感、いいなあと思いました。♡久々のリアル香川句会、何年ぶりでしょうか。わたくし初の香川句会には、天志さんがいましたね。今回は、藤川さん高校時代の「真善美」の書、彫刻、絵画など拝見でき、いい少年の息吹と出会った感じがしました。「真善美」、その筆勢は少年剣士の心意気のような、なまな叫びがあり、青葉の季節にぴったりの感ありました。いいものを、ありがとうございました。もちろん、句会も面白く、昔よりパワーアップしていて、何より、みなさんの流れ、溌溂として躍動していました。ここが香川句会の源なんだと確かめた次第です。行けて、良かった、高松はいいなあ、満喫です。これからも、よろしくお願いします。→ 淡路島からのご参加有難うございました。久々に句座をご一緒できて嬉しかったです!

荒井まり子

特選句「白髪のばっさりショート聖母月」。実感と共感。髪は女の命と昔は言われたが段々と億劫になる。母の眼差しがいい。

菅原 春み

特選句「積み上げし積木ぐらぐら昭和の日」。まさに積み木がぐらぐらしています。昭和の日に改めて気づかれたのですね。特選句「鳥帰る戦無き国俯瞰して」。一見平和に見える戦の無い日本をも鳥は俯瞰しているのでしょうか?季語が効いています。

中村 セミ

特選句「奥の間の暗がりに転がった紙風船」。紙風船が私とすれば、男でも、おんなでも、夫婦のあいて方の家で、同居すれば、家のなかの暗がりに転がっていく時もあろう,かと思う作品かなと思う。私は、そう、鑑賞させていただきました。

山本 弥生

特選句「つばくらめ天寿十年延びて古稀(新野祐子)」。令和の現代、古稀はまだまだ現役です、世の為人の為にお役に立ちたき事は沢山有ります。増々元気が湧いて来ます。

三枝みずほ

特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。自身の中の母という存在を呼び起こすのに春雷は必然だろう。母子の楽しかった記憶だけではなく母であるがゆえの苦しい時期もあったのではないか。喜びと苦しみの間のこの葛藤が人間を悩ますが、生命の謳歌とも捉えられるのは春雷だからこそ。

漆原 義典

特選句「白髪のばっさりショート聖母月」。聖母月と白髪のショートヘアピッタリ合いますね。爽やかな句をありがとうございます。

鈴木 幸江

特選句評「あどけなき手書きの地図や夏燕」。何てったって、〝手書きの地図〟がいい。今時、手書きの地図に出会うと幸せを感じてしまう。それがまた“あどけない”ときたら、その姿の可愛らしい。スマホ頼りの自分がなんか情けなくなってくる。亡父も夫も地図を巧みに描く。そのことを人に頼りにもされていた。地図を描くこの子の瑞々しい才能は、将に海を渡ってくる燕の如しである。特選句評「菜の花の真ん中はいつだって雨」このユニークな残念感はどこか幸せだ。残念にも、ちょっと幸せがあるなんて、素晴らしい発見。正直、どんな状況に作者がいるのかは、よく分からない。一面の菜の花畑の真ん中で雨に打たれているかのようなちょっと残念な日常生活を送っているのだろう。天気雨のようでいて妙に湿気っぽいところがよい。さては、涙雨か。

三好三香穂

「木蓮のひとひらこれは風よりの」。便りとか、贈り物とか、次に来る言葉を思い巡らせる楽しさがあります。連歌なら、次の7、7をどう表現しましょうか?

末澤  等

特選句「捨てられぬセピアの葉書花の雨」。年度変わりの春の雨の日に、年賀状や挨拶状を整理していた際に昔の思い出の詰まった葉書が出てきた時の情景、心情を上手く表していますね。私も実体験しました。特選句「春雷や忘れてた母だったこと」。母親の介護の真っ只中で、普段は忘れていた昔のお母さんの姿が、春雷によってハッと思い出さされた情景、心情がリアルに浮かんできました。

佳   凛

特選句「燃えかすは煩悩だろう啄木忌」。毎年除夜の鐘で、消した煩悩も一夜明ければ、新たな悩み 苦しみを作り出してる自分、反面煩悩が自分をつくり、生きる糧とも言えるのだと思います。再び啄木の生き様を、読んでみたくおもいました。

滝澤 泰斗

「常備軍持たぬてふてふ共和国」「軍港を増やして守るお国かな」「鳥帰る戦無き国俯瞰して」。掲句の三句はミクロに、マクロにニッポンをシニカルに活写していると思った。大きな拍手を送りたい。「聖五月暴虐に抗する学生等」「隊列はもう葬列に麦の秋」。そして、批判精神は遠くアメリカ、ヨーロッパに飛ぶ。海程の後継、ここにありと言った感が強い。他に共鳴した句は「霾や爆音もなくしんしんと」。しんしんという言い方が少し気になるが、爆音もない不気味さを上手く掬った。「海の日のジャズ集団の静かな老い」。私も二つの合唱団に所属して大声を張り上げているが・・・みんな歳をとった感が日に日に増している・・・。「海のいろ脱いで上陸渡り蝶」。何とも・・・うまいなぁ。どれも特選に推したいが、甲乙つけがたし。

田中 怜子

特選句「若葉風演劇部室 あえいうえおあお(植松まめ)」。5月にはいり、学校にも慣れてくる頃。演劇部の少女たちが発声練習と発音練習している。あえいうえおあお と。少女らのはつらつさや笑い声までも伝わってくるようだ。そこに気持ちの良い若葉風が樹木をざわめかしてふいてくる。今の子は、こんなにのびのび楽しんでいるかしら。特選句「川風や女神輿はひとやすみ」。これも神輿を担いで一休み、笑い転げている元気な女性たちの火照った顔に川風がすーっと気持ちよい一時。

時田 幻椏

特選句「黒揚羽昼の浮力と重力と」。蝶の危うい飛翔を見ながらも、黒揚羽ならではの存在の確かさを表現するために浮力と重力と言う漢字術語を二つ斡旋する妙。注目句(問題句)「夢幻泡影青岬の考よ(樽谷宗寛)」「蹲踞躊躇ひ蹴躓き白躑躅」「一切合切腹は決まらず春霞(末澤 等)」。漢字を遊ぶ、私も好きな手法なので楽しく拝読。宜しくお願い致します。♡自句自解「三盗を知り先ずは路傍の菫草」。SNSの検索では、野球の三塁盗塁までですから、我が三盗はポピュラーでは無いのかもしれませんが、昔から花・本・女 女性を盗む事を三盗と呼んで、前の持ち主よりも愛で大切にするならば盗む事も許される、と言われています。先ずは謙虚に、路傍の荒草の花から、と言う程の句です。いつか美しき女性を盗んでみたいものです。

石井 はな

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。大切な身近な方が亡くなられたのだとお察しします。向こうでも困らない様に必需品の眼鏡を丁寧に拭いている姿に、悲しみと寂しさが深く感じられます。

向井 桐華

特選句「化野や今日も濡れ咲く著莪の花」。景がよく見える。説明的でなくそこにある景色を描いているところが良いなと思いました。著莪の花は好きな花です。

銀   次

今月の誤読●「麦秋や綺麗なままの体操着(松岡早苗)」。体育の時間。クラスのみんなはドッジボールに興じている。あちこちで歓声があがり、笑い声が飛び交っている。そのかたわらに少女がいる。ただひとり、膝をかかえて坐っている。彼女はぜん息持ちで、仲間に加われないでいるのだ。いつもの光景だ。生徒たちが騒がしくボールのやりとりをしているとき、少女のまわりだけは、あたかもバリアーにつつまれたように静寂が支配している。そのとき突然、ピカッと稲光が走る。次いでゴロゴロと不気味な音が鳴り、バンとさほど遠くないところに落雷した。一気に空は青黒い雲におおわれ、滝のような雨がザッと降ってきた。先生はピーッとホイッスルを鳴らし「避難しろ!」と命じた。生徒たちは我先にと校舎の軒先に駆け込んだ。ただ少女はひとり、ギュッと膝をかかえ込んだまま動かない。雷はだんだん近づいてくる。先生は大声で少女の名前を呼んだ。生徒たちも口々に少女の名前を呼んだ。だが彼女は動かない。雨が彼女を打ちつけた。すさまじい雨である。一気に髪はビショビショに濡れそぼり、体操着はカラダに張りついた。とたん雷は少女の背後に落ち、その姿はまるでブロンズ像のように浮かび上がった。生徒たちは悲鳴をあげた。だが少女は平然と髪をかきあげ、顔をあげ、気持ちよさそうに雨に打たれていた。少女の顔に笑みが浮かんでいた。

増田 暁子

特選句「地に穀雨君の弾き語りのように」。静かで穏やかな弾き語りのような穀雨。しみじみと心に染み入ります。特選句「知らんぷりという思いやり躑躅に雨粒」。ありがたい思いやり。季語の躑躅の雨粒もさりげなく素敵です。

大浦ともこ

特選句「月朧柩に入れる眼鏡拭く」。近しい方がなくなった時のしみじみと悲しい気持ちが静かに伝わってきます。特選句「草の花花小さくて花の色」。わずか11文字のシンプルな字面の中に〝花〟という文字が3つありそこにまず心惹かれます。ささやかな草の花をじっとみている作者の視線が優しいです。

柾木はつ子

特選句「下ろし立てのサンダル生まれたてのつま先」。「生まれたてのつま先」がいいですね。なんとも可愛らしいつま先が浮かんでまいります。同時に待ちに待った解放の夏がやってきたというワクワク感も感じられて素晴らしいと思いました。特選句「人間に飽きてきてをりよなぐもり」。私が人間でいることに飽きてきているのか、それとも社会の中の人間どもに飽きてきているのか、どちらなのでしようか?どちらとも言えるし、或いは両方かも知れませんね。掲句の作者はたぶん疲れていらっしゃるのでは?あらゆることに…「よなぐもり」が頷けます。

山下 一夫

特選句「春眠の乙女唇にピアスして」。「春」と「乙女」には佐保姫やフローラなどの女神、「眠」には白雪姫やいばら姫を連想します。それが唇ピアスの口を大きくあけて(たぶん)居眠りしている。神話やメルヘンのイメージに現代や現実の対比が面白いです。特選句「空に浮く磨かぬ鏡余寒かよ(島田章平)」。上五中七が「余寒」の形容として秀逸でそこまでで完結してもよいほどなのですが、語尾に謎の「かよ」です。俳句的には詠嘆の「かな」でしょうが、突っ込みや不平の物言いで用いられる若者言葉をあえて持ってきた果敢さをいただきます。やや品が不足する感は否めないもののこちらの方ががぜん面白いです。問題句『櫻島薄暑ドーンと「俳句造型論」』。「黒い桜島折れた銃床海を走り 兜太」が意識されていると受け止めました。戦後俳句界でいろいろあって兜太師が「俳句造型論」を提唱した頃に詠まれたもののようです。掲句は桜島の存在感と兜太師やその業績は互角としているようで納得。ただ、季語「薄暑」はなくてもよいかと。兜太師の主張には俳枕的な地名は季語に匹敵するというのもあります。

松本美智子

特選句「黒揚羽昼の浮力と重力と」。一物仕立ての俳句として、黒揚羽の様子がよく分かる俳句だと思います。紋白蝶でもなく蜆蝶でもなく、堂々とした黒揚羽の悠然としたとび方を想像させる秀句だと思いました。

亀山祐美子

特選句「病室は人ゐて無言春の昼」。当たり前といえば当たり前の情景。親しい者同士の間合い。無言の平安。気の置けなさを「春の昼」という希望に満ちた季語が支える佳句。

藤田 乙女

特選句「傷つけど傷つけど天へ雲雀よ(銀次)」。傷ついても傷ついてもひたむきに進もうとする姿に共感し、励まされました。特選句「千年の山桜千年の孤独」。 千年の山桜は千年の間に生まれてはまた滅びゆく多くの生きとし生けるものを見続けてきたのでしょう。山桜の思いが胸に迫りました。

野﨑 憲子

特選句「もう結構ってさくら日向の少女です」。お日さまを総身に浴び溌溂とした少女が見える。「いい加減ほっといてよ!」と、構ってくる仲間や家族に言っているのか。<さくら日向>の華のある風情に引き込まれた。特選句「吾子の手と象舎の記憶若葉風」。一読、今はない栗林動物園を思った。今は、栗林公園の正面玄関横の駐車場あたりに在った動物園。爽やかな季節に、幼い手を引いて象さんに会いに行ったのが昨日のことのように思われる。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

烏賊墨
蛍烏賊食し心も青光る
末澤  等
身を切って逃るる烏賊よ生きのびよ
銀   次
烏賊すみ好きの妻はおはぐろ可愛かり
樽谷 宗寛
烏賊墨が自慢白南風のキッチンカー
和緒 玲子
半夏生の手土産にしようイカスミを
柴田 清子
いかすみで誘ふデートやパリー祭
島田 章平
烏賊の墨自慢でないという自慢
藤川 宏樹
烏賊墨吐いてふるさとを出て立夏
三枝みずほ
虎杖
虎杖に待ち伏せられてゐる日昏
柴田 清子
酸模グツグツ母の料理は魔女のごと
岡田 奈々
ひざ小僧の傷のなごりよ虎杖の花
銀   次
虎杖や踏みこめぬまま話終ふ
和緒 玲子
虎杖の折れ口きらりあとは空
野﨑 憲子
虎杖齧り頂き目差す風の衆
野﨑 憲子
いたどりや祖母・母・子・孫土佐に生る
大浦ともこ
母の背負籠朝採りの虎杖
樽谷 宗寛
虎杖の花彼女には隠し事
島田 章平
優しさは夕焼のこす小豆島
竹本  仰
夕凪に馴染みて島の人となる
大浦ともこ
豊島美術館で水が生まれた夏
薫   香
夏の空棚田の島の等高線
藤川 宏樹
島めしはガパオライスよ青嵐
岡田 奈々
バナナ
夫婦の間sweet spot!と置くバナナ
竹本  仰
バナナ出してそれでおさまる口げんか
島田 章平
バナナケーキを焼く思い出ぽろぽろ
薫   香
生れてきた意味はいづこぞバナナ食む
野﨑 憲子
バナナ売り切れ寅さんいたらいいのになあ
樽谷 宗寛
母のいない夏休みなりバナナなり
岡田 奈々
正座して老女の咲かすあやとりの花
銀   次
老いたのし愛語ひとひら又ひとひら
野﨑 憲子
老僧の八重歯ハニカム梅桃(ユスラウメ)
大浦ともこ
老い二人五月の石に腰かけて
野﨑 憲子
老いるってどらやきの中のあんこ
三枝みずほ
老いてこそ深まる魅力山粧う
末澤  等
長寿大学美少年老い易く
藤川 宏樹
「俳句造型論」老境に曝書かな
樽谷 宗寛
老眼を花眼と呼びぬ蝉時雨
和緒 玲子
チョイワルは老いてももてる村芝居
島田 章平
涼しさのようにゆっくり老いてゆく
柴田 清子
渋い顔すんなバナナ一本やる
三枝みずほ

【通信欄】&【句会メモ】

平成22年11月に始まった本会も、お陰様で、150回を迎えました。これからも、作品第一で、多様性に満ちた句会を目指して参りたいと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は、河内長野市から樽谷宗寛さん、淡路市から竹本 仰さんがご参加くださり、いつにも増して熱く楽しい句会になりました。

2024年4月25日 (木)

第149回「海程香川」句会(2024.04.13)

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事前投句参加者の一句

さくら咲くことばが文字になるように 佐孝 石画
嘘つきは馬鹿正直に四月馬鹿 野口思づゑ
涅槃西風積木組んではまた崩す 榎本 祐子
母遠忌貝母すくっと自然かな 樽谷 宗寛
きのうまで建ってた病院霾ぐもり 新野 祐子
ふらここを揺らし涙が止まらない 重松 敬子
夕桜あなたのいない十年目 藤田 乙女
蘖も傷も抱えし樹齢百 川本 一葉
山羊の眼の冷徹春田打つ時も 松本 勇二
青き踏むたび蹉跌それも故郷 山下 一夫
夏の日に「いわざらこざら」口が開く 中村 セミ
ここででももととるおととしじみ汁 藤川 宏樹
藪椿せめぎ合わねば淋しくて 津田 将也
逝く逝った逝ってしまった雨の慕情 田中アパート
桜咲く自由な空に見守られ 末澤  等
ムスカリやパーマし染めて九十の母 岡田 奈々
新宿二丁目原色にて朧 大浦ともこ
己が座の何処とかまわず仏の座 時田 幻椏
この国に来やんせ大和の花回廊 塩野 正春
春昼の快楽孤島のベンチャーズ 十河 宣洋
野球部の陣どる廊下春の雨 松岡 早苗
手をふれば母は辞儀せり花朧 花舎  薫
岐阜蝶の孵化のただ中われ老いる 若森 京子
さっぱりと生きて菫の傍にいる 高木 水志
MRI不意に食べたき蓬餅 佳   凛
チューリップ散る日めくりのように散る 吉田 和恵
九重斑雪野含羞むような日差しかな 野田 信章
雪柳縺れてとけず戦長引く 森本由美子
冨士に桜裾野に戦車の這いずりぬ 滝澤 泰斗
ひらがなの囀りヒーローの食いしん坊 荒井まり子
歌舞の音曲谺す花の象頭山 丸亀葉七子
蝶の昼ふっと忘れる現住所 三好つや子
春風と張り合ふ突っ走る鼻面 すずき穂波
蓬摘んでてのひらまでをあるきおり 男波 弘志
甘え捨て白湯の甘さよ梅一輪 薫   香
拘りは冷凍保存春の雷 石井 はな
桜を嫌う桜もあらん花の冷え 竹本  仰
樹の渦をひらく五月の鳥たちよ 三枝みずほ
暮れなずむ花はだんだん雲になり 三好三香穂
魂を浮かべて遊ぶ鞦韆に 松本美智子
鶏鳴やたちまち冥き紅椿 亀山祐美子
花の雨彼岸の友と酒を酌む 銀   次
さくらさくらくらくらさくら花見山 桂  凜火
眉墨のポキリ折れたり花の冷え 向井 桐華
春昼の乳房とりあう子豚たち 月野ぽぽな
水飲む手さくら受くる手祈りの手 和緒 玲子
人が群れ山がもぞもぞ花の昼 山田 哲夫
日は昇るいま結界として桜 大西 健司
飛花落花お国訛りの長電話 山本 弥生
蛇穴を出づ愛犬鼻を逆立てる 疋田恵美子
春風や一期一会と鳴る雨戸 鈴木 幸江
四月馬鹿みんなで言おう「ばかやろう」 島田 章平
春陰や墓石の銘に「愛」の文字 植松 まめ
一語一語泡立つやうに豆の花 小西 瞬夏
チューリップたがいちがいの掌を合わせ 福井 明子
恋歌の包みに花の菜ひとつ 河田 清峰
すみれすみれレコード盤が捨てられぬ 伊藤  幸
春の暮ささやかな父情綴る 豊原 清明
麦刈って遠い明日へ向くをとこ 谷  孝江
フィナーレの手を振るさくらまたさくら 岡田ミツヒロ
葱坊主なにも言うなと眼がうごく 増田 暁子
このままで何も言わずにゐて桜 柴田 清子
目を覚ませ夫よ雲雀の高鳴ける 柾木はつ子
鳥曇りガザの幼子等飛んで来よ 田中 怜子
人生まあこんなもんよと亀鳴けり 綾田 節子
花筏出発時間はいつですか 漆原 義典
ガザ飢えて我の無力を我怒る 稲   暁
迷い猫探すチラシや春愁 菅原 春み
犬ふぐり猫の体操すごいだろう 河野 志保
えつ今日ですか?百千鳥の真言 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「春昼の乳房とりあう子豚たち」。命の塊のような子豚たちの映像がはっきりと浮かび上がる。乳房をとりあうことが「今」を生きることである。圧倒的な映像の力で、小さな悩みなどを吹き飛ばすように、読者に活力を与えてくれる一句。

松本 勇二

特選句「MRI不意に食べたき蓬餅」。MRI検査を受けられたのでしょうか。何とも言えない音響の中で、ふいに頭をよぎったのが蓬餅です。この大いなる展開に意表をつかれました。

岡田 奈々

特選句「花筏出発時間はいつですか」。花筏にもタイムテーブルがあったんですね。私も乗り遅れ無いよう。遅くも早くも無く、この世を楽しかったと思い残す事無く、あの世への筏に飛び乗れますように。特選句「魂を浮かべて遊ぶ鞦韆に」。ぶらんこの浮遊感は大好きです。見たら必ず乗ります。「さくら咲くことばが文字になるように」。桜って本当に喋る必要無いくらい多弁です。「藪椿せめぎ合わねば淋しくて」。なんだかんだいちゃもん付けて対抗してたのは淋しかったからなのね。「あきまへんヴギウギロスや弥生尽(島田章平)」。趣里のいかにもな大阪弁と派手な百面相が毎日のお楽しみやったのに。また、とても上手な(笠置シヅ子より)歌と踊りは毎週の楽しみでした。ハァアア!「おしゃべりと時間のあわいを木の芽風」。女三人寄って、主人の事など好き勝手言ってる井戸端会議。ここにも季節は確実にやって来る。「手をふれば母は辞儀せり花朧」。桜の花の下に大好きな母が立っていて、私が手を振れば何故かお辞儀してくれるけど、私って判ってない?もしくはもう母はこの世の人では無い。桜はこの世とあの世を近づける。「MRI不意に食べたき蓬餅」。分かるわー。私も先日、あのめちゃくちゃうるさい機械の中に30分。もう絶対入りたくないと思って、本当疲れてしまいました。蓬餅のあの強烈な香りと苦みと甘さ。そのくらいでないと、桜餅では対抗できません。「暮れなずむ花はだんだん雲になり」。桜か雲か、雲か桜か。最期は溶けて分からなくなりそう。「一語一語泡立つやうに豆の花」。豆は花まで素敵です。

福井 明子

特選句「魂を浮かべて遊ぶ鞦韆に」。人ひとりの内部の、どこに魂というものがあるかは分からない。が、「魂」は確かにあって、鞦韆の揺れ、そのたわみに自在に浮かべて遊ぶという。春の風にひろがる幻想的で魅力的な空間。魅かれました。

十河 宣洋

特選句「甘え捨て白湯の甘さよ梅一輪」。達観した人生である。白湯の暖かさと梅の香りがさらに豊かな時間を作ってくれる。特選句「人が群れ山がもぞもぞ花の昼」。花見の客をもぞもぞは好い。落着かない花見の頃の様子。山どころか日本中がもぞもぞである。旭川は桜の開花予報は連休になりそうである。もぞもぞがやがやである。

三枝みずほ

特選句「少女だった頃の匂いの養花天(榎本祐子)」。春の気候は変わりやすい。冷える日、暑い日、長雨…この繰り返しで花が咲くという。桜が咲く頃の混沌とした匂いの中に、あの日の少女の憂鬱と不安それでも生きていこうとする明るさが混在している。

津田 将也

特選句「一語一語泡立つやうに豆の花」。豆の花(春の季語)には、「そら豆の花」「豌豆の花」があるが、この句は前者であろう。花は一様に蝶形で、「そら豆の花」には、白または薄紫があり、翼弁に黒い斑点がある。一読して「比喩」が巧みで、つぎつぎと咲き誇る花の様子をドラマ的にも・映像的にもしている。

松岡 早苗

特選句「涅槃西風積木組んではまた崩す」。私の人生も振り返ってみれば、積み木崩しのようなものであったのかも知れないと、妙に納得させられ心に残る御句でした。特選句「手をふれば母は辞儀せり花朧」。遠く霞む満開の花の下、手を振る私に対して他人行儀にお辞儀する母。もしかしてお母様は認知症を患っていらっしゃるのでしょうか。若く美しかった人もいずれは老いる世の定め。自分の母親であれば老いの現実はなおさら切ないですね。小町の「花の色は移りにけりないたづらに・・・」の歌なども浮かびました。何気ない一場面を的確に切り取り、言外に「もののあはれ」をにじませた佳句だと思いました。

鈴木 幸江

特選句評「山羊の眼の冷徹春田打つ時も」。ちょっと前までは、日本のあちらこちらで牛や馬が田植え前の田んぼを耕していたことだろう。今は、耕運機だろうが。山羊は、そんな人と家畜か機械の作業を冷徹な眼で見ていると作者は言う。心には別の次元で生きている生きものとしての人間の自己を重ねているのだろう。その想いに自己というものの本質を感受しているとして特選とした。特選句「新宿二丁目原色にて朧」。若かった頃(40年以上前)、夫の高校時代の友人が新宿二丁目で洗濯屋さんをしていた。言わずもがなのゲイバーのメッカであった。注文はドレスばかりとのこと。さて、今はどんな変身を遂げているのだろうかと、「原色にて朧」の措辞により勝手に想いを巡らした。すると、なんと平安時代の王朝文化の香りとの景色がちょっとだけ覗けた。とても、愉快で新鮮であった。

月野ぽぽな

特選句「春風や一期一会と鳴る雨戸」。春の強風に雨戸が鳴っている光景だ。往々にして人との出会い、更には人と風景との出会いについて言われる「一期一会」を、春風と雨戸の出会いについて言ったこと、それを「一期一会と鳴る雨戸」と表現したことに感覚の冴えがあり、俳諧味もある。春の訪れを喜び、同じようで二度と同じではない季節の巡りを愛おしむ心が伝わる。

桂  凜火

特選句「さっぱりと生きて菫のそばにいる」。この心境はうらやましい限りです。 まだまださっぱりとはいかないので理想的です。特選句「麦刈って遠い明日へと向くをとこ」。男の本質を表しているような句です。明日へと向くがいいですね。男もがんばれ。

綾田 節子

特選句「犬ふぐり猫の体操すごいだろう」。猫は飼っていないので、どんな体操か分からないのですが、想像しただけで可笑しく、犬ふぐりの上で暴れてるような?楽しい俳句これからもよろしく。

塩野 正春

特選句「MRI不意に食べたき蓬餅」。この句にすごく同感します。MRIの検査を受けられた気持を代弁しています。かなり心配な状態であの暗い洞窟に、半ば強制的に入れられた時、たとえ悪いが棺桶に入る気持ちです。トン トン トン、別れのミュージックが聞こえます。生きているか? それとも死ぬか?そんな時不意に思い浮かべる蓬餅。MRI検査を無事通過した時のうれしさを想像させてくれます。特選句「春昼の乳房取り合う子豚たち」。この句の素晴らしいところは、子豚たちのたくましい生命力もさることながら、人間の世界に食い込んだ(豚)の存在です。何故豚とヒトが共存することになったか、私には定かでないが、その動物の存在に敬意を払わざるを得ないからです。長生きをすれば代替の臓器が欲しい!そんな勝手な欲望を満たしてくれる可能性があります。私の身近にも心臓の弁を豚のそれで生きながらえた人が居ます。元気な子豚たちに拍手します。ある上級職の人が、牛や豚を飼う人たちより君たちは素晴らしい・・・と訓示したと報道されていますが、この方が豚以下の知識しかないと断言できます。

松本美智子

特選句は「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。でお願いします。今年はさくらの開花がいつもより遅れてたからか「さくら」「桜」「花万朶」「花筏」などの句が多かったです。どの句も心動かされましたが、この句はとても秀逸だと思いました。さくらの美しさと手を対比し、日常の生活における「手」に焦点をあて非日常にある争いに思いを寄せる気持ちをうまく昇華していると思いました。これは余分のコメントですが・・・今回松本が投句した「三角に吹いても丸くしゃぼん玉」も世の中 すべてしゃぼん玉のように「丸くなあれ」と祈りを込めたつもりですが・・・なかなかうまくいきません。この句のように美しく作れたらいいのに・・・と思います。

野田 信章

特選句「岐阜蝶の孵化のただ中われ老いる」。春の女神とも愛称される「ギフチョウ」の孵化を見守る心音の込もった句である。生きもの同士の交感を通して見詰められているわがいのちの一態ー自愛の念が美しい。多様な老い様のある中で、この句にはこの句なりの結実ありと読んだ。映像で見ると黒地に白のすじ模様のある美しいアゲハチョウである。九州ではお目にかかれない。ぜひ拝見したいものである。

三好つや子

特選句「樹の渦をひらく五月の鳥たちよ」。小鳥たちの囀りに呼応するかのように、五月の空へ葉や枝をひろげる樹が、まるで一つの森のような姿に感じられました。生命の鼓動を紡いだ詩情が素晴らしい。特選句「えっ今日ですか?百千鳥の真言」。四方八方から聞こえてくる鳥の声に、ふと今日死ぬのかも、と思ったのではないでしょうか。そんな予言に慌てず、騒がず受け入れようとする、飄々とした心境に、興味がつきません。「涅槃西風積木組んではまた崩す」。一読して、穂積隆信の体験記「積木くずし」が浮かび、親子関係のむずかしさに共感。「麦刈って遠い明日へ向くをとこ」。明日に向かって一歩一歩歩んでほしい。被災地の人々への直球のエールに惹かれました。

花舎  薫

特選句「一人来て夫に土産や花のこと(佳凛)」。一人来て、とあるので、お墓参りでしょうか。違っていたら、ごめんなさい。ご主人を勝手に殺して?しまって。衒いなくシンプルな表現で感情を読み込んだこの句に惹かれました。何の目的でどこに来ていて何をしているのか書かれていない。省略の美ですね。夫を失ったことにもう自分の中でけりをつけられた頃なのでしょう。日常の些細なことを静かに語りかけている。そこに生前の愛情も窺える。ちょっと寂しくて穏やかな春の日です。「チューリップ散る日めくりのように散る」。チューリップの最後は大きな花びらが透き通って紙のように薄くなり、はらりと落ちます。暦との組み合わせがいいですね。「拘りは冷凍保存春の雷」。春の雷が不安感を呼び起こすのでしょうか?冷凍保存と季語の組み合わせの意外性。「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。モンタージュスタイルの綺麗な句。「遅ザクラどちらかと言えば不幸です」。若い作者なら御愁傷様。桜のカタカナ表記が嘆きの表現に一役。意図してのことか、中七の字余りでさえはっきりしない気持ち(性格?)が出ている。幸せになってね。         ♡初参加の弁:この度、香川句会に参加させていただきとても感謝しています。私の俳句は英語で言うところのWIP(Work In Progress)。進行中や作業中とも訳せますが、私の場合は模索中と言った方がいいかもしれません。他の学びと同様に完成することはないですが、そのプロセスを楽しみたいです。今後ともよろしくお願いします。 

若森 京子

特選句「西行の花を尋ねて逝きし母(増田暁子)」。「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」と有名だが,吉野の西行庵を思う時、桜の好きだった母の死は、きっとそこへ尋ねて行ったのであろう、と母への美しい追悼の句としている。この感性が好きだ。特選句「蝶の昼ふっと忘れる現住所」突然に襲って来る認知症、最近私の周りに余りにも多く、自分にもとの恐怖さえ持っている。その心情を直に一句にしている。

山田 哲夫

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。「さくら咲く」という単純なことが、比喩ひとつでこんなに詩的な言語空間を創出できるのかと、思わず頷いてしまった。「ことばが文字になる」ときは、一つのことばから様々な要因が働いて多くのことばが爆発的に派生してくることは、漢字の例をとってみても容易に想像出来る。満開のさくらを見ながら、ことばと文字との有り様を想像できる作者の思考の柔軟さと自由さに感心した。

島田 章平

特選句「春昼の乳房とりあう子豚たち」。改めて掲載句を読んでみると、土の匂いのする句が少ない。どうしても観念的な句が多い。掲句は、そのような句の中で、唯一土の匂い、命の匂いがする。母豚と子豚、まさに命の原点を技巧なく描いた秀句。

増田 暁子

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。次々咲くさくらを愛でる言葉ができるとき、桜を待ち侘びる日本人の美しい文字ができるように感じました。特選句「富士に桜裾野に戦車の這いずりぬ」。長い間守ってきた平和をどうしようとしているのか。どうしたら良いのかもっと相談して欲しい。「フィナーレの手を振るさくらまたさくら」。散る桜の様子が見える。中ほどのさくらまたさくらがとても良く、情景が溢れている。

樽谷 宗寛

特選句「蝶の昼ふつと忘れる現住所」。ありますあります。切ないことですが経験しました。昼の蝶が私を優しく救ってくれました。

植松 まめ

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。しっとりと美しい句、ことばが文字になるように咲くさくら、それを文字にするのはむつかしい。特選句「春の暮ささやかな父情綴る」。ささやかな父情に惹かれた。母性、父性はよく聞くが父情とは辞書で探しても出て来ない。飯田龍太に「冬ふかむ父情の深みゆくごとく」父親の愛は静かで深い。気になる句「いぬふぐり猫の体操すごいだろう」。この猫は多分雄猫。漫画『じゃりン子チエ』でチエちゃんが飼っている小鉄のような猫か?滅茶苦茶強くてそう言えばよく体操もしていた。(わが愛猫もあやかって小鉄と名をつけた)

大西 健司

特選句「涅槃西風積木組んではまた崩す」。この風が吹くと寒さがまた戻ると言われている。そんな季節のように積木を組んではまた崩す。そんな来し方をふと思い起こしているのだろう。

榎本 祐子

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。桜の開花と、思いが形象化されてゆく事とを重ねて美しい。

新野 祐子

特選句「ガザ飢えて我の無力を我怒る」。凄惨を極めるガザ攻撃は民族浄化に他なりません。心穏やかに俳句を作る心境になれない日々を送っているのは、皆様ご同様のことと。この句、無季ですが、まっすぐに胸に響いてきました。問題句「迷い猫探すチラシや春愁」。はじめ入選句にしたのですが、このことって「春愁」なんて生やさしいことではありませんよね。私にとっては危機です。全身全霊で探します。

藤川 宏樹

特選句「野球部の陣どる廊下春の雨」。廊下の奥に立ってゐる戦争より、春雨で野球部が陣どりざわつく廊下の方がずっと良い。

野口思づゑ

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。そういえば満開の桜の下にいると言葉が聞こえてくるような感覚にもなります。素晴らしい感性です。特選句「桜を嫌う桜もあらん花の冷え」。桜は誰もが好きで歓迎し喜ぶと、はなから思い込んでいました。「桜を嫌う」上5がまずとても新鮮。そして嫌うのが桜となれば、自身が嫌なのか、身内を嫌うのか、仲間を嫌うのか、など人間や人間関係の複雑な思いが句に込められています。

稲   暁

特選句「逝く逝った逝ってしまった雨の慕情」。思いがけず逝ってしまった八代亜紀を追悼する一句。亜紀さんは優れた歌手であるだけでなく、気さくな人でボランティア活動などにも熱心に取り組んでいたと聞く。惜しい人を亡くしたものだ。

和緒 玲子

特選句「爪切りのあと啓蟄の爪匂う(月野ぽぽな)」。確かに爪を切ったその瞬間から爪は伸び始める。啓蟄という季語との取り合わせによって対比が生まれ、その対比のなんと楽しいことか。むくむくと伸びている、切りそろえた爪(たぶん足?)を匂うと表現されたこと。愉快です。特選句「笑えればいいよと春の空家かな(松本勇二)」。財布と家は春に買うに限る、というのは冗談ですが、穏やかに笑って暮らせればそれだけで充分といった心持ちでしょうか。身につまされる思いがします。こんな春の捉え方もあるのだな。

河野 志保

特選句「桜咲く自由な空に見守られ」。「自由な空に見守られ」た桜の愛らしさよ。同時に平和への願いも感じられる句。作者は世界の戦火に思いを巡らせているのではないだろうか。

滝澤 泰斗

春のお彼岸、また、今年はいつもより早いイースターだったせいか、人を悼む句が目についた。その中の次の二句を特選にしました。特選句「鶏鳴やたちまち冥き紅椿」。鶏鳴やで、イエスが弟子のペトロに言った言葉を想起させ、ゲッセマネの園で捕らえられた一夜の出来事を思い出させてくれたような一句。特選句「目を覚ませ夫よ雲雀の高鳴ける」。こちらは雲雀・・・慟哭が切ない。「さくら咲くことばが文字になるように」。美しい桜がいっせいの咲き、感嘆の言葉が文字になるようにあふれ出てくる感じを上手く掬った。「山羊の眼の冷徹春田打つ時も」。確かに、山羊の目は、いつも冷徹に見える。気づきの一句。「青き踏むたび蹉跌それも故郷」。十八の春にふるさとを飛び出した。その思いとは裏腹に、ゴールデンウィークに襲われた望郷の念は、幾星霜を経てもふるさとへ向かう・・・。「どこへ行こうか春の小川に紙の舟」。とても気持ちのいい一句。いただきました。ふるさとの千曲川に注がれる小さきせせらぎの記憶・・・。「飛花落花お国訛りの長電話」。望郷の思いを募らす句が追い打ちを掛ける。母が健在な頃になると、季節の花の便りを電話で聞いたものだ。

田中 怜子

特選句「母遠忌貝母すくっと自然かな」。ふたりの間にいろいろあったかもしれないが、うつむく地味な貝母に母をたくして懐かしむ。静かな懐古。「野球部の陣どる廊下春の雨」。今大谷選手のでる試合でTVは占拠されていて、かたや大国に虐められている国があるので忌々しい感じがするが。この句は若者が狭いところで仮に雨宿りしていて、若者の汗やおしゃべりなど熱気がむんむんしてくるような廊下が目に浮かぶ。「春昼の乳房とりあう子豚たち」。すさまじい取り合い、乳を吸う音や、母豚の満足そうな顔も目に浮かぶけど、何か月か経って人間の胃に…残酷だ!

三好三香穂

「花月夜終の住処のビルの街」。昨今は、高松市街地に、やたらとマンションが建つ。年老いれば、バリアフリーで便利な市街で過ごす選択も、あるでしょう。終の住処と読んでいるので、そのような方と、お見受けします。世相句とでも申しましょうか?「手をふれば母は辞儀せり花朧」。生きている母、たぶん施設に見舞って、帰りがけ。では、また、と、手を振ると、丁寧なお辞儀で返してくれた。私のことをよくは理解していないのかしら?淋しい。「雪柳縺れてとけず戦長引く」。終わりの見えない戦争、よく言い表しています。「眉墨のぽきり折れたり花の冷え」。花の冷えと眉墨の折れる動作がよくあっていると、思います。あるある日常を、うまく切り取っていると思います。

豊原 清明

特選句「さくらさくらくらくらさくら花見山」。同じような手法の中ではこの句が一番、胸に来ました。ひらがなは柔らかい。好き。問題句 「さっぱりと生きて菫の傍にいる」。「さっぱりと生きて」に作者の元気さが伝わり、いいなと思います。

疋田恵美子

特選句「蘖も傷も抱えし樹齢百」。古木に蘖、登山の際に見かける景色ですがなかなかの風情です。特選句「花会式ちんたらちんたら西の京(樽谷宗寛)」。前のことですが京都に桜見物に行った時のこと、華道家元池坊の看板を目にして懐かしく思いました。

山本 弥生

特選句「眉墨のポキリ折れたり花の冷え」。花冷えの朝、老いたりと云えども、少しお洒落をして出かけようと思い、眉墨を濃い目に引こうとしたら折れてしまった。逆に吉兆の知らせだと思い直して念入りに眉を引いた。

河田 清峰

特選句「己が座の何処とかまわず仏の座」。最後は仏の座の花にまみれていたいとの思いがよく分かる。

吉田 和恵

特選句「思考朦朧歯痛の叫びムンクの春(滝澤泰斗)」。ムンクの「叫び」は、人の心の奥深くにある不安や怖れを暗示しているようで魅かれるのですが、それ程の歯痛とは、お気の毒です。ちなみに私は目下歯痛より腰痛に泣いてます。

石井 はな

特選句「ふらここを揺らし涙が止まらない」。ブランコに乗りながら何に思いを馳せているのでしょう。ブランコって不思議と子供の頃や心の奥に連れて行ってくれるし、あの揺れは心のリハビリですね。

男波 弘志

「さくら咲くことばが文字になるように」。四季の巡りが順調であり、齟齬のないことは誠に麗しいことだ。秀作。「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。このままでも十分に詩芯が伝わってくるが、さくら受く、を概念から具象にする手もある。この一行詩はどう映像化するか、そうできたか、そこに一切がある。これは決して写生の問題ではなく、過去から現在、現在から未来へ時空を貫く映像美が創れるか、だと思う。子規が唱えた写生論には現在しか含まれていない。だからこれは方法論の一つに過ぎない。芭蕉の発句を精読すればそのことは明瞭である。「水飲む手 落花受くる手祈りの手」これで時間軸が過去から未来へ貫かれたのではないか、静謐さでは原句が勝っているようだが、何を捨て、何を拾うか、あとは覚悟の問題であろう。一応、功罪相半ばだと付け加えておく。準特選。

伊藤  幸

特選句「岐阜蝶の孵化のただ中われ老いる」。岐阜蝶という固有名詞が生きています。これから光の世界に生まれ出ようとする生命と朽ちてゆく生命との対比がさみしさを募らせます。特選句「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。人間の手が如何に大事を担っているか再認識させられる一句です。当たり前のように使っている我が手につい感謝してしまいました。

 
漆原 義典

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。ことばによる会話が、文字となり文章となる過程を、さくら咲くことと重ねていることに感動しました。

荒井まり子

特選句「新宿二丁目原色にて朧」。若い頃、三十年ばかり東京に住んだが、皆急ぎ足で、新宿のみならず、喧噪の中、得体の知れない街に思え、居場所はなかった。正に二丁目は映像どおり原色にて朧。私にはいつまでも遠い街。

岡田ミツヒロ

特選句「逝く逝った逝ってしまった雨の慕情」。もう十分生きたのだろう。椿が落ちるように逝ってしまった。多くの人の心にその歌声を残し。「逝く」からの畳かけごとに哀惜の奥へ奥へと引き込まれる。特選句「手をふれば母は辞儀せり花朧」。一つの光景が即座に眼前に現われた。母は私の幼時から挨拶を繰り返し教えた。そして成人した私を遠くから真っ直ぐに見て会釈した。その懐しい光景がいま鮮明に蘇った。

佳   凛

特選句「歌舞の音曲谺す花の象頭山」。長い間、閉まって居た金丸座に、華やかな桜と一緒に、歌舞伎も再開され、讃岐にも、観光客が戻りウキウキワクワクする人達が増えそうです。

丸亀葉七子

特選句「藪椿せめぎ合わねば淋しくて」。肩を触れ合って何か囁きあっている椿の姿が見える。特選句「新宿二丁目原色にて朧」。新宿二丁目が生き生きと喧騒していて眩しいネオンの街。だけれどかすみを喰って朧おぼろとしている住民たち。

薫   香

特選句「さっぱりと生きて菫の傍にいる」。生きていると悲しい事や辛い事、苦しい事もあるからこそさっぱりと生きていきたいという私の理想です。ただ美しいものの傍に居たいという思いは忘れずに。特選句「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。いろいろな動作の中からこの三つを選択したことと、最後に祈りを持ってきたことに心掴まれました。思わず自分の手を見つめてしまいました。

竹本  仰

特選句「青き踏むたび蹉跌それも故郷」:故郷とは何か、それを問い詰めたものでしょうか。坂口安吾は「文学のふるさと」で、故郷は振り返るものだが、帰るところではない、と言っていました。自己に甘んじるな、ということでしょうか。挫折こそが原点。寺山修司〈ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべしすでに自由を怖じぬわれらに〉。自由とは傷ついてこそ得られるものなのかとも思えます。特選句「水飲む手さくら受くる手祈りの手」:〈袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風や解くらむ 貫之〉と、水によって四季のめぐりをあらわしたように、この句は手によって春をあらわしているように思えたのと、生きている実感が端的に手で表現できているところに、感心しました。特選句「花万朶前世でお会いしましたね(花舎 薫)」:満開の桜の恐ろしさといえば、「櫻の樹の下には」とか「桜の森の満開の下」でしょうか。桜の魔力というのは、死を幻想させるか、狂気に駆り立てるか。そういえば、『櫻の園』でも死んだ子供が見えたとか見えなかったとか、ロシアの夜桜の陰鬱なところが出てきます。そういう延長線上に、この句もあるかなと思いました。見える筈もない前世の記憶がよみがえるなんて、でも桜の下でなら・・・と思わせるところがあり、面白いと思いました。以上です。今年は当たり年で、「長」と名の付くものが四つほど四月から出来て、会議のつづく毎日です。したがって、仕事とダブって、四苦八苦。これから一年間の長いトンネル、通り抜けを祈って、忍の一字です。みなさん、お元気ですか。よろしくお願いします。

向井 桐華

特選句「春昼の乳房とりあう子豚たち」。実景がしっかり見える句だと思います。ひしめき合うように子豚たちがお母さんの乳房をとりあう姿はとても微笑ましい。能登の大地震では、ミルクを破棄せざるを得なくなった哀しいニュースがあったが、このような句に出会うととてもほっとします。問題句「穴という穴のひらきて夕櫻(野﨑憲子)」。読みに迷いました。美しい夕桜に作者の毛穴すべてが開いたのか、桜の開くさまを穴という穴という措辞を使ったのかがわかりませんでした。→昔、天保山の夕暮れ、初桜寸前の櫻樹の幹々や枝々が真紅に染まっているのをみたことがありました。拙句は、櫻樹の開花の様を表現しました。

中村 セミ

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。感性の瑞々しさをかんじる。桜咲く言葉ってなんだろうと思ってしまう。こんないい俳句にまた、あいたいです。

柾木はつ子

特選句「富士に桜裾野に戦車の這いずりぬ」。まさに『戦争と平和』の象徴のような光景。しかもうっかりするとその不気味ささえもつい忘れてしまいそうな自然さ・・・これが日本の現実なのですね。特選句「一語一語泡立つやうに豆の花」。豆の花の咲き様を見事に表現されていて素晴らしいと思いました。

銀   次

今月の誤読●「このままで何も言わずにゐて桜」。わたしは両親とともにクルマでお花見に出かけた。といっても近場の公園や河川敷ではなく、着いたところはわたしのおうちからうんと離れた場所だった。海に面した切り立った断崖。その崖の突端に確かに一本の桜があった。お花見といえばそういえなくもないが、それにしてもヘンな場所を選んだものだ。父はクルマからレジャーシートを持ち出し、もくもくとそれを広げはじめた。母は水筒とバスケットから出したお弁当を、シートの上に丁寧に並べていく。両親は(クルマのなかでもそうだったように)一言も喋らない。黙っているのはわたしも同様で、あたかもだれかに命じられたかのようにただクチをつぐんでいた。「空気を読む」とでもいうか、いまは沈黙すべきときだというのが幼いわたしにもわかっていた。母が弁当のふたを取り、「さあ、お食べ」とわたしにいった。小ぶりのおにぎり、半分に切ったゆで卵、串に刺したプチトマト、タコの形に細工したウィンナとから揚げ、なにもかもが祭壇にまつる供物のように華やいで見えた。そのときわたしは思った、子どもごころにも「これが最後の食事」になることを。父のハアハアという荒い息、母はブルブルと震え、目にいっぱい涙を浮かべている。父は母をジッと見つめ、母は時折コクンコクンとうなずいた。わたしたちの頭上には満開の桜があり、それをすかして真っ青な空が広がっている。くまのぬいぐるみのような雲。そして崖下から聞こえてくる穏やかな波の音。そのすべてが禍々しかった。どれくらい時間が経っただろう。父は突然「ワッ」と叫び、お弁当をシートごと引きずっていき、崖から投げ落とした。わたしはおそるおそる、四つんばいになって崖っぷちに近づき、下をのぞき込んだ。そして見たのだ。一瞬だがほんとうに見たのだ。岩の上にわら人形のように横たわっているわたしたち三人の死体を。だがまばたきもしない間にその幻影は消えた。父は「やめた!」と大声を出した。母はわたしを力いっぱい抱きしめ、「帰ろ」といいつつ大泣きに泣いた。そしてわたしは両親と一緒におうちに帰った。クルマの車窓から振り返ると、一陣の突風が吹き、桜がザッと散った。

森本由美子

特選句「開花宣言今年も初めての老後(若森京子)」。日本人にとって桜は心張り棒のようなもの。齢80を過ぎ、今年も天気予報と開花宣言情報に一喜一憂し、思う存分桜を楽しむことが出来た。気持ちを新たにして、来年の花時までまた歩みを続けてみよう。そんな心情が伝わってくる。

大浦ともこ

特選句「手をふれば母は辞儀せり花朧」。親しみを込めて手を振る”わたし”に丁寧にお辞儀をする母・・どういう情景なのか想像をして、それから少し寂しさが伝わってきます。季語の花朧がしっくりときます。特選句「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。上五中七下五の”手”にそれぞれの役目を担わせ読むものを納得させる強さがあります。季語も効果的に使われていてリズムも気持ちが良い。

重松 敬子

特選句「フィナーレの手を振るさくらまたさくら」。フィナーレの華やぎが心に浮かびます。無駄な言葉なく、さくらを上手につかった秀句。

時田 幻椏

特選句「嘘つきは馬鹿正直に四月馬鹿」。「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。両句とも心地良いリフレインを頂きました。

高木 水志

特選句「チューリップたがいちがいの掌を合わせ」。チューリップの色とりどりに咲く景色を想像して、人々の願いが届けられることを連想しました。

山下 一夫

特選句「笑えればいいよと春の空家かな」。誰かが言った「笑えればいいよ」との少し諦めや虚ろさの伴う受容を漂わせるフレーズを「春の空家」に例えていると受け止めました。やや難解ですがじわじわきます。特選句「水飲む手さくら受くる手祈りの手」。上五に飢餓に追い込まれている人々の手、中七に幸せを享受する又は繊細な感受性を備えた人々の手、下五は上五に対する中七の人々の思いと理解しました。昨今の悲惨な情勢への血の通った思いが伝わってきます。問題句「落花静かテーブルにある小指かな(竹本 仰)」。静かに花散るひととき、テーブル上の手の小指をしみじみと見ていると読め、事情は不明ながら魅力的。しかし、どうしても切断された小指も連想してしまい不気味なテイストを感じてしまいます。「ある」は「見る」の方がよいかなどと思います。

菅原 春み

特選句「新宿二丁目原色にて朧」。原色にて朧という発想に新鮮な驚きを。特選句「手をふれば母は辞儀せり花朧」。朧の状態になっても尚、丁寧にお辞儀するご母堂。なんとも哀しいが、花朧に救いが。母娘(子)のほのぼの感がいいです。

末澤  等

特選句「さくら咲くことばが文字になるように」。私にとって、桜が少しずつ咲いてゆく様子が、俳句作りの際に頭の中で言葉になってゆく状況がピッタリ表わされていると思いました。

野﨑 憲子

特選句「春風と張り合ふ突っ走る鼻面」。一読後、この鼻面が夢にまで出て来た。得体の知れない、この何かの鼻面が春風と競い合っている。春風と鼻面。せめぎ合う破調の中句。昔の友の記憶を辿れば一番に浮かんで来るのが鼻面である。頑張れ!と思わず叫んでしまった。特選句「菜の花のルールきみには届かない(高木水志)」。<菜の花のルール>を、私は草木の正しさと取りたい。戦争の映像を見ていると、野のあちこちに地雷が埋め込まれ、いつ爆発するかも知れない。被害を受けるのは無辜の人類だけではない。生きとし生けるもの全てに被害が及ぶ。大自然のルールを詩に表現したらどうなるか?今、世界最短定型詩に、もっとも求められているものではないだろうか。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雨しとど車を飾る花吹雪
三好三香穂
つなぐ手の疼きわづかに花の冷え
和緒 玲子
花ひとひらふたひら三つの月が舞い降りる
野﨑 憲子
盗掘のヒエログリフや花の冷え
藤川 宏樹
花散れば水底の少女よみがえる
銀   次
世の中を空けたるごとく開く桜
藤川 宏樹
花筏押してバタ足いかがです?
薫   香
仏飯の少し乾きて花曇
大浦ともこ
身のうちのはためきやまず花の山
野﨑 憲子
仏壇の黒ひかりして花万朶
大浦ともこ
冬山に出づる夕月道しるべ
末澤  等
おじ様の穴出ず桜日和かな
岡田 奈々
出港の出船入船椿咲く
島田 章平
陽炎の奥から出づる黒猫よ
野﨑 憲子
四月
四月来る子の捨てられるランドセル
島田 章平
あくびしてくしゃみをしたらもう四月
薫   香
舌下錠ざらり四月の社員寮
和緒 玲子
四月のZZZことばになんかできないよ
野﨑 憲子
水はねて川横ぎって来る四月
銀   次
放鳩の四月一粒万倍日
大浦ともこ
四ン月や山むくむくと千の彩(いろ)
三好三香穂
硝子
ピーマン切って中を硝子にしてあげた
藤川 宏樹
硝子戸に映る真実四月馬鹿
島田 章平
コーラーの瓶より花瓶沖縄忌
島田 章平
硝子玉弾けるように咲く牡丹
岡田 奈々
Z
Zの子会社やめるってよ黒南風
和緒 玲子
春キャベツ捲く新聞やXYZ
藤川 宏樹
Xの投句炎上四月馬鹿
島田 章平
Z世代の春眠あわてふためかず
岡田 奈々
 
躑躅
ポッとつつじが進路指導の高低差
岡田 奈々
朝市のおばあ早起きつつじ咲く
島田 章平
躑躅燃ゆスマホ忘れてしまつたの
野﨑 憲子
春つつじ麗らかすぎて思案する
末澤  等
自尊心賭けたる戦白躑躅
藤川 宏樹
つつじが昇華して福耳にピアス
和緒 玲子

【通信欄】&【句会メモ】

今回の高松での句会は14名の参加。午後1時から午後6時過ぎまで、事前投句の合評と、袋回し句会を楽しみました。もう少し、前半の事前投句の合評を圧縮してはとの意見と、勉強になるからこのままでの意見に分かれています。一応、終了時間は午後5時に決めていますが、会場主の藤川宏樹さんのご厚意に甘えて時間延長させていただいております。ご参加の皆さんと話し合いながら、より実りある楽しい句会への道を探っていきたいと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

あと少しで五月。お正月を過ぎたばかりと思ったら、もう、一年の半分近くが経っていました。次回は、150回の句会になります。一回一回を大切に多様性に富んたもっともっと熱い句会へと進化させていきたいと存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

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