2021年10月2日 (土)

第121回「海程香川」句会(2021.09.18)

コスモス7.jpg

事前投句参加者の一句

列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ) 若森 京子
夕菅に兄の隠した涙壺 伊藤  幸
首太き僧の早足いわし雲 飯土井志乃
服・リュック新し新秋のダンボール 川崎千鶴子
星のごと花の散りぼふ廃教会 兵頭 薔薇
秋ついり中村哲の壁画消ゆ 高橋美弥子
すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本  仰
秋茜岩塩甘き婚記念 重松 敬子
健次の忌水に溺れる魚あり 伏   兎
晩夏光波が綴じゆく砂の本 銀   次
人になる前の息遣う秋の蝶 桂  凜火
旅人は昼寝の村を通り過ぎ 夏谷 胡桃
秋霖の森の人影プーシキンか 田中 怜子
八月や騙されそうで笑っちゃう 高木 水志
爽やかや孫投げしボール胸で受け 漆原 義典
眼中に人工レンズ茱萸熟れる 榎本 祐子
お代わりの梅干し茶漬け今朝の秋 荒井まり子
涼新た黒にゆきつく靴鞄 亀山祐美子
赤面症の葉っぱが二、三夏櫨に 野田 信章
片腕のランナー傾ぐ秋暑し 松本美智子
青柿に決断迫ることいくつ 高橋 晴子
秋の音ゆるゆる老いる絹のつや 森本由美子
歓声無くバックネットに蝉の殻 大西 健司
マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ 島田 章平
打ち水や昭和の路地裏に私 中野 佑海
ラムネ飲む天の川を胸に入れ 十河 宣洋
刈田跡の株断面の甘美かな 稲葉 千尋
鱧好きの妻鱧の貌して眠りけり 樽谷 宗寛
顔のない狐が笑う沼すすき 久保 智恵
アフガンのニュース見終えて西瓜切る 津田 将也
石段を一足下りる秋思かな 小山やす子
旅先の古書店めぐり風の盆 田口  浩
暁闇の茸眼裏まで真白 福井 明子
夜の秋アクリル越しのきつねそば 菅原 春み
濡れている目玉のあとや空蝉よ 増田 暁子
八十路なお父母を恋う秋思かな 寺町志津子
炎天下大人の下の子の悲鳴 滝澤 泰斗
故郷へ足踏み込めぬ秋彼岸 山本 弥生
どう救う蝙蝠の子の地に落ちて 新野 祐子
下駄ばきに来て流星群の廃校 すずき穂波
マスクして美女も醜女もわかりません 三好三香穂
暁を覚めている母蓮の実飛ぶ 男波 弘志
湿原のような感情月あかり 月野ぽぽな
大谷く~ん君への想い緋のカンナ 植松 まめ
他所行きに袖通すはいつ山装う 野口思づゑ
思念とは濯ぐものですか驟雨 佐孝 石画
朝という月の眠りを待っている 河野 志保
サヌカイトどこ叩いてももう秋か 柴田 清子
夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま 稲   暁
地図の道とぎれてからの花野道 山下 一夫
山寺の輪郭溶かし秋時雨 佐藤 仁美
草むらをほろほろと人虹の根へ 三枝みずほ
夕風に騒めく稲穂民の声 藤田 乙女
秋燕ゆくり光を浴び放題 豊原 清明
淡淡とビールの売り子段段を 藤川 宏樹
用の無き部屋も灯され盂蘭盆会 吉田亜紀子
噴水に頂点のある旅ごころ 佐藤 稚鬼
通いつめこの家のヒモとなりにけり 田中アパート
刈り入れや黄泉の家族が二三人 松本 勇二
チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる 谷  孝江
モデルナの接種一発昼花火 野澤 隆夫
羊雲どれも淋しい私です 吉田 和恵
ことばとは言の葉つぱか栗の毬 鈴木 幸江
にさんかい頭をぶつけキリン鳴く 中村 セミ
秋暑しプリンの底の遠さかな 松岡 早苗
ひまわりや無限に有るという負担 石井 はな
毀れゆく人間ばかり鰯雲 河田 清峰
青鬼灯吸うや爪先立ちて少女 小西 瞬夏
瀬戸内の島は飛び石おにやんま 増田 天志
ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。香川産の素晴らしい石。心地よい音は自然の神秘ですね。サヌカイトを叩いて季節の移ろいを感じているところがいいです。そして空気の澄み切った秋にこそ、サヌカイトの音が最も美しく響き渡るのでしょう。

増田 天志

特選句「にさんかい頭をぶつけキリン鳴く」。いさぎよし。俳句とは、何か、自分で、決めれば良い。俳句の可能性を展くのは、君の感性だよ。頑張れ。

小西 瞬夏

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。健次の「水の女」を思い出した。健次と水はなぜかしっくりくる。雨の描写も多かった。魚が水に溺れるという、健次もそんな生き方だったかもしれない。そんな生き様を肯定していうようにも感じられる。

 
島田 章平

特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。いでたちは、トンボ眼鏡に、ステテコに腹巻。名前は「トンボの寅」。

若森 京子

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。自分自身、日によって又、季節によって体内のエネルギーは違う。夏から秋にかけては少しメンタルの面でも低くなっていく様に思う。その表現を詩的に「すこしあかりを落とす」。と云ったこの一行。静寂の中に虫の声がひびいている。特選句「思念とは濯ぐものですか驟雨」。急に雨が激しく降り、すぐに止む。思考と云うものは、その中で洗われたり濯がれたり又乾く、の繰り返しの様に思う。この比喩が美しく詠われている。

 
十河 宣洋

特選句「下駄ばきに来て流星群の廃校」。流星の観測などという大げさではない。話題づくりに外へ出てみた。近くの廃校のグランドへ来たのである。懐かしく見慣れた校舎と流星もいいと思う。特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。何となく既視感があるのだが、それが俳句だったのか推理小説だったのか、それとも夢だったか分からない。林檎のナイフの残る慌しさが不安感を残す。読後の気分はハイカラ。

中野 佑海

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネのあの清涼感を天の川を胸に入れたとは、素敵な表現です。こんな詩を作ってみたいです。特選句「薊の棘冷たくショットバーは閑」。いつもの会社帰りに立ち寄るあの店、寡黙なバーテンダーの居る店、誰にでもお気に入りの店はあるはず。なのに緊急事態宣言下では足は遠のくばかり。なんか益々みんな寡黙に成っちゃうね。「首太き僧の早足いわし雲」。いつもはちょっと態度のでかいあの坊さん何をそんなに急いでいるんだい。いわし雲の隙間から落っこちちゃうよ。「種間寺はたねまじとよむ踊りかな」。久しぶりに八十八か所の遍路思い出しました。安産祈願の底の抜けた柄杓は今でも覚えています。考え様によっては、歩き遍路は踊り?「秋ついり中村哲の壁画消ゆ」。一番に中村哲さんの絵が消されるとは。やはり、中村哲さんを殺害したのは「タリバン」だったのですね。「青柿に決断迫ることいくつ」。若者に寄るな、歌うな、騒ぐな、暴れるな、マスク付けろと言っても無駄。「マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ」。戦艦大和よ、蘇れ。「旅先の古書店めぐり風の盆」。越中おわら風の盆。一度行って観たかったな。旅先でゆっくり古書店もめぐってみたいな。と私の望みを思い出しました。何時叶うのか。「山寺の輪郭溶かし秋時雨」。私の散歩道に大きな屋根のお寺がある。それが溶けてしまいそうな程の雨。あっいけない。私の足が溶けちゃった。ほんと、足だけでなく、心も腐るよね、この長雨。「淡淡とビールの売り子段段を」。あのアルプススタンドを呼ばれるままに、辺りに気を遣いながら、「タッタッ」と凄いです。私はいっぺんでビールぶちまけています。以上。宜しくお願いします。

松本 勇二

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。身体の中に灯っている灯りの照度を少し下げると書く感性や凄し。季語、虫の声も上手い。秋を迎えた安堵感が句全体に漂っている。

稲葉 千尋

特選句「首太き僧の早足いわし雲」。西行か一遍か親鸞かと色々思う楽しみがあり、いわし雲は効いている。特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。石の名前を持ってきた手柄、きっと良い音でしょう。

久保 智恵

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。文句なしに好きです。特選句「人になる前の息遣う秋の蝶」感覚が好き。問題句「羊雲どれも淋しい私です」。淋しすぎます。同感ですが・・。

小山やす子

特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。何か不安なことがあって夜汽車で発つもまぎらわす様に林檎にナイフを入れしままがいいです。

豊原 清明

特選句「爽やかや孫投げしボール胸で受け」。孫と遊べて嬉しい気持ち。孫のボールを胸で受け止めて痛かったかな?痛くても耐えてボールを投げる。ボールを受け止めたよろこびか。問題句「八十路なお父母を恋う秋思かな」。八十になって、父母を恋う人。人の心理の一つだと思う。歳を取れば余計に思うのかも知れない。

夏谷 胡桃

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。はじめ天の川に胸までつかったのか、涼しそうなイメージを持ちました。カン違い。天の川を胸にいれたのですね。身体も弱る夏の暑さでしたが、過ぎてしまえば懐かしい。その夏の思い出のような俳句だと思いました。

藤川 宏樹

特選句「アフガンのニュース見終えて西瓜切る」。アフガン駐留米軍の撤退とそれに伴う混乱が報道される中、9.11から20年目の夏が終わった。まるで蜘蛛の糸に群がり垂れる群衆のように米軍機にすがりつくアフガンの人々。それを日常の画面のひとつとして見ている我々。その現実の対比が「西瓜切る」に見事に表現されていると感じ入りました。

佐藤 仁美

特選句「首太き僧の早足いわし雲」。知識だけでなく、修行で身体も鍛えた僧が、秋の日に早足でお勤めに励んでいる様子が目に浮かびました。骨身を惜しんだら、いけないなぁと 改めて思いました。特選句「顔のない狐が笑う沼すすき」。ススキを「顔のない狐」と現したのが素敵です。

大西 健司

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。芥川賞作家で、熊野大学を立ち上げた中上健次のことだろう。「水に溺れる魚」は社会に抗い、埋没していく自分。もがけばもがくほどどうしょうもない日々。若くして亡くなった健次への思いを深めながらの感慨。

寺町志津子

特選句「延命処置否と言う母つくつくし(増田暁子)」。一読、亡母の終末を思い出しました。生への執着と人間の尊厳とのせめぎ合い、あるいは、母には看病する者への配慮もあったかも知れず、残される者にも辛い決断で、兎にも角にも奇跡が起こらないか、念じ、祈ったことも思い出しました。人生最大と思われるほどの複雑な寂寥感。下五つくつくしに余韻が残りました。

谷  孝江

特選句「刈り入れや黄泉の家族がニ三人」。機械化の進んだ最近の農作業では田植えも刈り入れも人手をあまり必要としなくなったでしょうがやはり刈り入れどきは忙しく嬉しくてという季節でしょうね。黄泉からも手伝ってくださる家族がいらっしゃるなんで何とお幸せでしょう。

亀山祐美子

特選句「毀(こわ)れゆく人間ばかり鰯雲」。コロナ禍の渦中出口の見えない閉塞感は集団生活を阻害された大多数の人間の精神を徐々に蝕み・毀す(こわす)予兆。しかも動植物や自然さえ例外ではない何か大きなものに巻き込まれゆく不安定感を「鰯雲」の集団的な季語を据え訴える。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。多島美を讃えコロナ禍のなか前進しかしない蜻蛉しかも勇ましい「鬼やんま」に不退転の決意を表明する佳句と評価するのは穿ち過ぎだろうか。

中村 セミ

特選句「人になる前の息遣う秋の蝶」。おそらく、この蝶は、死んでいき、人に生まれ変わるのだろう の様な弱った蝶を、見た作者の気持ちがどんなものだろうか、気になった。

福井 明子

特選句「すこしあかりを落とす身中虫の声」。身中にも「あかり」があるのですね。その光度を落とす、夜のしじま。虫の声があまねく沁みとおります。特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。未知なるものへ向かう終章への花野道に心が留まります。調べの自然さが、無辺の彼方へ抱かれる大いなるものを感じさせてくれます。

三好三香穂

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。波によって綴じられる本のように見えた砂浜。とらえ方が、新鮮です。はっとした1句です。「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネのしゅわしゅわが、天の川。身体が宇宙になった瞬間。「八十路なお父母を恋ふ秋思かな」。人として当たり前のこと。

津田 将也

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。夏の終わりが近くなると、しだいに影もながくなり、空の色・雲の形などに秋の気配が感じられるようになる。この時季の光のことを「晩夏光」と言い、季語である。海波がつくり出す浜砂の造形物。繰り返す営みの中には美しいポエトリーがあり、誰もが感じることができる。その造形物の一つが「砂の本」なのである。特選句「赤面症の葉っぱが二、三夏櫨に」。夏櫨(ナツハゼ)は、美しい花と黒い実をつける落葉低木の植物、ブルベリーの仲間だ。[ヤマナスビ]とも呼ばれ、食せば、甘酸っぱい。秋でなく、春から初夏にかけて紅葉するので、この時季の庭木の鑑賞用や生け花として人気がある。この句、「赤面症の・・・」という比喩的表現が成功して、紅葉の「走り」を巧く描写し得ている。余談だが、「櫨紅葉」は晩秋の季語。別の名は「琉球櫨(リュウキュウハゼ)」と呼ばれ、江戸時代にはこの実が和蝋燭の原料になり多くで栽培された。一方、木枝は天皇の位当色である黄櫨染(こうろぜん)の染めに使用された。

野口思づゑ

特選句「星のごと花の散りぼふ廃教会」。過疎地などで、使われる事のなくなってしまった教会を見ると、何年か前はきっと多くの信者が集まり礼拝の後は皆で語らった大切な場所だったに違いないと寂しさを感じます。その廃教会を明るく「星」「花」で表現されて句にされている作者に感心いたしました。「樹木葬きっと小鳥も来るだろう」。樹木葬に憧れているので、小鳥に是非行ってもらいたい。「カーナビに吾の家なし虫時雨」。運転者には不便かもしれませんが、視点を変えれば恵まれた所にお住まいだと思います。

樽谷 宗寛

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。8月12日は忌日と思い出しました。作家であり釣りびと。生存なさっていたら、溺れる魚に手をすぐ様差しのべたに違いない。大きな健次像が浮かび上がってきました。

田中アパート

特選句「マンゲツノヨニフジョウスル ヤマトヨリ」。山本五十六宛でしょうか。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。昔、ドロメンを糸にくくりつけて空に飛ばしていると、おにやんまがめちゃくちゃとれたもんです。昆虫たちもスケベいや好色なんですかな。問題句「マスクして美女も醜女もわかりません」。なんていうことをぬかしてけつかるんでございますか。ごめんなさい。「旅先の古書店めぐり風の盆」。古書店めぐりは優雅ですね。八尾風の盆は昼間は退屈・暇です。八尾の風の盆でいそがしい時宮田旅館では女優の柴田理恵はお手伝いをしていたらしいです。(学生時代)親類らしいですな。

川崎千鶴子

特選句「秋の音ゆるゆる老いる絹のつや」。老いは着実にゆるやかにやって来ます。特に秋には熟々感じます。この句の素晴らしさは見事なのは「絹のつや」と思います。なんとなく老女の照りがみえてきます。素晴らしいです。「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。外食の「きつねそばと」「夜の秋」とてもが響き合っています。「アクリル越し」が昨今の情勢を表して感嘆です。「しなやかに起ち上がる夜の芋虫」。芋虫がしなやかに起ちあがるとはなんとも素敵です。 どう言うことかと考えると少し艶めいてくるので、これ以上は沈黙です。

高木 水志

特選句「思念とは濯ぐものですか驟雨」。思念という言葉は抽象的なものだが、驟雨という季語と取り合わせることで、具体的な形が見えてくる。心の叫びがひしひしと伝わってくる。

田中 怜子

特選句「秋ついり中村哲の壁画見ゆ」。中村哲さんが殺され、あっというまに米軍が逃げ混沌の状況のアフガン、ため息です。「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。列車で岡山から香川に行ったとき、鈍色の海面に島がぽこぽこ浮いていて、それを思い出しました。ダイナミックに飛び石ですか。それこそ筋斗雲のごとく瀬戸内を駆け回りたいですね。オリンピックもパラリンッピックもよくみてないのですが、片腕のランナー傾ぐとは本当にそうだ、と思いました。車椅子やブレードですか、本当に機械の力を借りて、筋斗雲のごとくすっ飛びますね。

鈴木 幸江

特選句評「どう救う蝙蝠の子の地に落ちて」。新型コロナウイルスは、蝙蝠が原因だろうと言われている。人と野生動物との暮らしの接近が原因の感染症の発生が近年多いと学んだ。しかし、蝙蝠に罪はない。この事実を大きな問題点として倫理観を込めてこの句は提示している。これからの,我々の生き方に係る大切なテーマとして共鳴した。

男波 弘志

「晩夏光波が綴じがゆく砂の本」。壮大な物語が横たわっている,嘗て波打ち際をどれだけの人が歩いただろうか、どれだけの人が砂に足跡を残しただろうか。そして、どれだけの足跡が洗われたであろうか。即物に徹するなら「晩夏光波が綴じゆく本砂に」であろう。功罪相半ばではある。「縦笛の小指二学期始まりぬ」。縦笛と子供の取り合わせがよく効いています。日常、ここを抑えていなければ精神の風景は決して育たない。「どう救う蝙蝠の子の地に落ちて」造化に従い造化に還る、蝙蝠の親に戻す以外術はあるまい。刹那の戸惑い、これも人間の業、兵器を作るのも人間、落っこちた鳥を救うのも人間、救いようがないのは人間。「用の無き部屋も灯され盂蘭盆会」。日常にある不思議、その日ばかりは家中が灯籠のように灯されている。全て秀作です。

増田 暁子

特選句「虫しぐれ星座は神の透かし彫り(増田天志)」。神の透かし彫りの言葉に共鳴しています。星座の表現が素晴らしい。特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。心残りの出発でしょうか。林檎にナイフを入れたまま の下句が何とも胸を打つ。上手い表現ですね。「人になる前の息遣う秋の蝶」。感性に感心します。小さき者への慈しみですね。「もうずっと少女のままよ秋の蝶」。生命の終わりへの惜別を感じます。「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。よくある光景ですが、アクリル越しが良いですね。「車椅子は筋斗雲(きんとうん)か露万朶」。車椅子が好きな時に空を跳べたらと思う気持ちが胸に沁み入ります。「刈り入れや黄泉の家族がニ三人」。気づくと手伝いの家族が増えているような。忙しい時は猫だけではなくて。「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。瀬戸内の島々の美しさには感激です。おにやんまがピッタリです。

すずき穂波

特選句「トンネルの昏きひかりを草笛吹く」。過疎の、廃線の、夏草に覆われ、朽ちかけているトンネル、その入口。涼風が気持ちいいが、通り抜けるには、ちょっと心細い?「草笛吹く」がその微妙な心情を表している~と共鳴。特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」サヌカイトは讃岐岩(かんかん石、聲石)の名、スマートで聴き心地よい何と素敵な名前の石でしょう。叩けば秋天高く響くのでしょうね、シンプルに素直に秋は今年も到着したようです‼

三枝みずほ

特選句「八月や騙されそうで笑っちゃう」。八月という季語の斡旋により平和や社会への不安が感じ取れる。誰に騙されるのか、戦前にもあった報道による思考の統一化とともに民の分断を思う。この句は理屈っぽく重くなりがちなテーマを軽いタッチで描きつつ、真理をついているのではないか。根底にある作者の静かな怒りがみえる。

☆海程香川句会は、多様性に富んでいるから句稿を拝見するのが楽しいです。今回の特選句のような社会性を帯びた句もあれば、伝統的な作風や混沌とした不思議な作品もある。本当にいいものはこういう土壌からなると思いました。切磋琢磨していきたいですね。→ まったく同感です!

野澤 隆夫

特選句「マンゲツノヨニフジヨウスル ヤマトヨリ」。「宇宙戦艦ヤマト」の指令が入るファンタジー性がカタカナで書かれ、面白い!こういった俳句もできるのですね。もう一つの特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。蜻蛉にもチョイ悪のがいるのかと。そんな悪が今日もきたのに感動しての作句。感性がいいです。

石井 はな

特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。どんな経緯なのでしょうか?ぬけぬけと言っているのが、ほのぼのと愛情を感じます。

重松 敬子

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。夏の終わりには,一抹の寂しさを感じる。子供の頃も今も変わらない。波が消し行く思い出を,平易な言葉で情感豊かに表現できていると思います。

竹本  仰

特選句「ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華」。雨あがりの曼珠沙華ならこんな感じかと思う。みずみずしく濡れた花びらの赤い反り、あれはたしかに「ノン」と言っている。曼殊沙華のかつてのイメージからすると、異色の絵が出てきたという感じである。しかも、その「ノン」は軽く、かえって人を爽やかにする「ノン」だろう。あの整然としているようで実は乱雑な咲き方、その辺の呼吸も見事に生かされているのではないかと思った。特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。安部公房『砂の女』では、ハンミョウ(みちおしえ)が地図から外れるガイドとして登場する。普通の話は、そこで失踪した、ということで終わるのだが、そこからの話だから値打ちがあったのだと思う。それは『罪と罰』も然り。殺人からスタートする話なんてありえなかったからだ。そこから先には何があるの?与謝野晶子なら「なにとなくきみに待たるるここちして」と素敵な恋を待っていたのだろうが、この句のこの先には何が待っていたのだろうかと思うと、少しミステリーな味わいがあり、何も見えないという魅力があるところもいいと思った。特選句「青鬼灯吸うや爪立ちて少女」。鬼灯の笛をつくるため、精一杯に背伸びしている。この背伸びが自分だったのだという回顧の句かと見た。一句に凝縮された人生の句なんだろうなと感心した。と同時に、獰猛な純粋性とでもいうべきものが感じられた。問題句「暁闇の茸眼裏まで真白」。この茸、ひょっとして夢に出たもの?茸好きな人なら、そういう夢に陶酔して、その匂いを吸い込んでいたということもあるだろう。それは往々にして、覚醒ののち、色彩に転化される。というようなことかなと。本当に謎を感じた句である。

毎回、ありがとうございます。台風一過、ちょうど神戸のある病院に検査入院していて、看護師の方、清掃の方から、淡路島に帰れる?と声を掛けられ、そうなんですか?と、いたってのんびりした本人でした。無事に帰られて、爽やかな夕刻の散歩を楽しんでいます。いい季節です。小豆島がまた情緒たっぷりな夕景色を楽しませてくれます。みなさん、また、よろしくお願いいたします。

桂  凜火

特選句「夕風に騒めく稲穂民の声」。民の声が届いて欲しいですね。とても共感しました。騒めく稲穂は控えめでいいですね。

吉田 和恵

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。我慢強いお兄さんの涙を「夕菅の涙壺」と過剰とも思えるウエットな言葉で表わされています。お兄さんに対する想いが伝わってくるようです。

伊藤 幸

特選句「列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ)」。文句なし佳句。コロナコロナと大騒ぎしている人間たちを他所に見て、蜻蛉は今年も元気に生まれ飛び回っている。長命であるが故の人間のなんと悲しい性。

滝澤 泰斗

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。一読して、パット・ブーンの「砂に書いたラブレター」あるいは、「想い出のサントロペ」のメロディーが過った。ひと夏の出来事が淋しく時の彼方に沈んでゆく様が描けた。特選句「歓声無くバックネットに蝉の殻」。オリ・パラも含め、何もかもコロナで無観客が続いた2021年の夏を象徴する時事俳句と受け取った。メダリストはもとより競技者はⅠOCや政府の目くらまし使われたような感覚はまさしく蝉の殻かと・・・。以下、共鳴句「アフガンのニュース見終えて西瓜切る」。シルクロード上の国で行きそびれたアフガンには40年来の思いがあり、アメリカの撤退は歓迎すべきことだが、イスラム原理主義の傍若無人ぶりのタリバンを支持できない。大国の覇権主義の狭間で喘ぐアフガンで中村哲さんが敷いた灌漑水路の先で豊かに実った瓜をみんなが笑って食む日が一日も早く来る日を祈る。「夏の夜の問解くが如星座降る」。一つの問いに数多の解がある・・・夏の夜、星座となるとマンネリになりがちなところを振り向かせてくれた。「虫しぐれ星座は神の透かし彫り」。「夏の夜の問解くが如星座降る」の星座をこちらは透かし彫りにしてふりむかせてくれた。「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。様々なドラマにワンシーンを想起させてくれ楽しい一句。十七文字に無限の広がりをかんじさせてくれた。

松岡 早苗

特選句「夜の縁の玻璃の向こうに秋の雨(佐孝石画)」。硝子を濡らす冷たい秋の雨。雨音を聞きながら夜の深い淵に沈潜していくような感覚。透明感もあってとても素敵です特選句「濡れている目玉のあとや空蝉よ」。抜け殻の目玉の跡が濡れているところに、蝉の羽化時のすさまじいエネルギーの残滓を見て取り、鮮烈な感動を覚えているのでしょうか。下五の「空蝉よ」は、空蝉への呼びかけとも自分自身への詠嘆とも取れ、対象に深く没入してこそ生まれる佳句と感服いたしました。

吉田亜紀子

特選句「ノンと言ふ少年が棲む曼珠沙華」。 「ノン」と「曼珠沙華」。この組み合わせが面白い。「ノン」という言葉から外国の少年だろうかと推測される。そこに、日本や中国に多いという、「曼珠沙華」。お洒落でもあるなぁと思いました。特選句「チョイ悪の蜻蛉らしきよけふもくる」。この句も面白い。「チョイ悪」と「蜻蛉」。今回は、言葉の組み合わせが面白いなと感じながら拝見しました。

野田 信章

特選句「列島はコロナ東雲(しののめ)に滾る蜻蛉(あきつ)」。の「列島はコロナ」とはいつ終熄するともわからぬ現実の哀切感がある。その中においても季節の移ろいの何と正確なことかと驚かされることもある。東の空がほのかに白んでくるころのたなびく雲の設定が美しい。そこに「滾る蜻蛉」の群れとは滾々(こんこん)の音感を呼び覚ましてくれる生命力の漲りがある。実際にこのような夜明けの景に出合うときはわがいのちのよみがえりを覚えるときでもある。

柴田 清子

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。水に溺れる魚そのものに特選を与えたいです。迷はず特選としました。この句の深い部分、核心に触れる能力感覚はないけれど。特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。こんな句に出逢うなんて。内容が強烈、季語がすっとんだのかなあ。それでも、魅力ある特選句とさせてもらった。

田口  浩

特選句「通いつめこの家のヒモとなりにけり」。―このヒモ存外役に立つ。便利な男かも知れない。「通いつめ」巧いです。「健次の忌水に溺れる魚あり」。―中上健次と言えば和歌山熊野を思う。「水に溺れる魚あり」とは、彼の近代差別との闘いかも知れない。この句とは関係ないのだが、四方田犬彦の『貴種と転生・中上健次』をしきりに読みたいと思う。「暁を覚めている母蓮の実飛ぶ」―この句、聖も感じるが妖もあろう。「暁を覚めている」のあかつきをそう読みたい。「蓮の実飛ぶ」がその感じをもたらして深い。「向日葵は皆後ろ向きうふふふふっ」―笑っている何かが、向日葵にいまにも悪さをしそうな気配。向日葵の正面でなく、スキだらけの背後を捕らえておもしろい。「延命処置否と言う母つくつくし」。―「つくつくし」でも一句であるが、淋しさが勝ちすぎないか?ここは逆にパッと明るいものを置いたほうが、母の気質が表れよう。勿論これはこれでいいのだが・・・・。

菅原 春み

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。いかにも健次にふさわしい瑣事だ。魚が水に溺れるなどの発想が驚きです。特選句「草むらをほろほろと人虹の根へ」。ほろほろと人がいい。虹の根はいく人たちはいったいどこへいくのか? 黄泉の国?

植松 まめ

特選句「晩夏光波が綴じゆく砂の本」。とても詩的で好きです。晩夏は物悲しくもあり人を詩人にします。トワ・エ・モワの「誰もいない海」を聞きたくなりました。特選句「星のごと花の散りぼふ廃教会」。も美しい詩のようです。そうでした俳句はいちばん短い詩だったのですね。

銀   次

今月の誤読●「首太き僧の早足いわし雲」。ボクたちはその人のことを「おしさん」と呼んでいた。おそらく村人の呼ぶ和尚さんがナマってそうなったのだろう。短躯で目鼻立ちの大きい、快活な人だった。ボクたちが登下校で歩いていると、うしろからやってきて、追い抜きざまアタマをポンポンと撫でてゆくのが常だった。「痛えなあ、なにすんだよ」と文句をいってもおしさんは「仏さまのおすそ分け」と笑って早足でいってしまう。ある日のことボクたちは仕返しをしようと企んで、おしさんを草原に潜んで待ち伏せた。おしさんがやってきた。ボクたちはワッと飛び出し、口々に「仏さまのおすそ分け!」と叫んで、青く剃った彼との頭部を飛び上がるようにして叩いた。逃げようとしたら、うしろからおしさんの大声で笑う声がした。振り返ると、真顔になったおしさんが両手を合わせて「ありがたや」とつぶやいているのが聞こえた。なんだか肩透かしにあったようで、ボクたちは妙にガッカリした気分になった。夏休みはおしさんのお寺の本堂で勉強会をするのが習わしだった。そんなとき、おしさんは「ちょっと休もう」と言い出した。そして「聴いてみるか?」と黒いLP盤を取り出しプレイヤーにセットした。聴いたことのない音楽だった。「なんだコレ?」と見交わすボクらに、おしさんが「コルトレーンという人の『至上の愛』という曲だ」といった。ボクはそのワケのわからない曲に耳を傾けながら、寝転んだ。ご本尊さまと風に揺れる天蓋、そしてジャズ。いまから思えばなんとゴージャスな夏だったろう。おしさんの訃報を聞いたのはボクが東京の大学に通っているときだ。なんでも脳梗塞で亡くなられたそうだ。ボクはCDラックからコルトレーンを取り出し、久しぶりに「至上の愛」を聴いた。カーテンを開けると、秋空をせかせかと足早にいくおしさんのうしろ姿が見える。もういいのに。そんなに急がなくても、行くところは決まってるのに。

山下 一夫

特選句「嗅ぎて放る檸檬眼球揺れしまま(小西瞬夏)」。眼球が揺れるほど鮮烈な檸檬の香が伝わってくるようです。臭覚色覚、放るという動作と身体感覚が詰め込まれていて、とても生々しくダイナミックな句です。特選句「草むらをほろほろと人虹の根に」。「ほろほろと」を「ぱらぱらと」と解しました。なぜ人がそのように草むらをゆくのか。「虹の根」から、幸を求めてなのかもしれませんが、情景からは身に染みるようなさみしさが伝わってきます。大変に心情の喚起力が強い佳句と思います。問題句「鱧好きの妻鱧の貌して眠りけり」。そうそうとは思うものの、やはり口外してしまってはいけないのでは?相手も「酒くらい夫信楽焼の狸のよう」とか思っているかも。「健次の忌水に溺れる魚あり」。賢治の間違いかと思うも中上健次と了解。いろいろな含みを連想する。「青柿に決断迫ることいくつ」。時熟が肝要。あるいは「青柿」は「青ガキ」か。「いなびかりできることならほめてほし」。親や目上がやたら威張っていたのはどの辺の世代まででしょうか。

河野 志保
特選句「噴水に頂点のある旅ごころ」。噴水を眺めるゆるやかな時間にふと湧いた旅ごころ。コロナ禍の今だからこその感情か。さりげない発見が魅力的な句。

山本 弥生

特選句「用の無き部屋も灯され盂蘭盆会」。長引くコロナ禍にて今年のお盆にも孫達も帰れず空部屋のままであるが、仏様へのご供養に全部の部屋に電気をつけて明るくして皆が居るような気持になり無事を祈った。

新野 祐子

特選句「健次の忌水に溺れる魚あり」。九二年八月に急逝した中上健次さんでしょうね。作者は中上さんの愛読者なのでしょう。全作品を読み通して(?)なぜ「水に溺れる魚」という措辞を用いたか、ぜひお聞きしたいものです。「故郷へ足踏み込めぬ秋彼岸」フクシマを思い浮かべますが、他にも豪雨や地震によって多くの方々が故郷へ帰れない、この災害多発の現在。何とか、これ以上の気候変動を押さえることはできないでしょうか。切実さが伝わります。

伏   兎

特選句「虫しぐれ星座は神の透かし彫り」。満天の星と、虫の声が響く山の夜を想像。とりわけ神の透かし彫りという表現が美しく、鳥肌が立った。特選句「瀬戸内の島は飛び石おにやんま」。瀬戸内海の島々を遠くに、蜻蛉の群れる秋の野原が目に浮かぶ。ノスタルジー感が止まらない句だ。「湿原のような感情月あかり」。蒼い月の光が照らしだす湿原に込められた、作者の心象がミステリアスで、惹かれる。「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。誰かを傷つけてまでも、夢を追いかけてゆく気持ちなのかも知れない。シュルレアリズムの絵画のようで、共感。     ☆自句自解「健次の忌水に溺れる魚あり」。以前、新聞で中上健次のことを熱く語る記事があり、興味を持ちました。まっとうに暮らしている人には決して理解できない、あえて不幸を招くような生き方をする登場人物たち…私には水に溺れる魚のように感じられました。

藤田 乙女

特選句「ラムネ飲む天の川を胸に入れ」。ラムネと天の川の取り合わせがいいなあと思いました。天の川を胸に入れるという表現が凄いと感じました。特選句「大谷く~ん君への想い緋のカンナ」。私も大谷選手のファンで毎日試合結果をチェックしています。その想いは緋のカンナというのがぴったり当てはまります。他のいろいろな花を当てはめてみましたがしっくりきません。まさしく緋のカンナです。

森本由美子

特選句「サヌカイトどこ叩いてももう秋か」。万物は秋に浸る。サヌカイトのマジカルな響きに反応するように。下五に愁いが。問題句「いなびかりできることならほめてほし」。上五と中七・下五の響きあいが感じとれません。

榎本 祐子

特選句「夕菅に兄の隠した涙壺」。夕菅の花は涙を溜めるには良い形をしている。誰にも見つけられないように、群生するそのどこかに隠すのにも適している。こっそりと涙を流す兄という立場も切ない。

漆原 義典

特選句「マスクして美女も醜女もわかりません」。全く同感です。目は口ほどにものを言うとよく言いますが、笑みを浮かべた口元がいいですね。コロナ時代をよく表現した句だと思います。

高橋 晴子

特選句「暁を覚めている母蓮の実飛ぶ」。覚めている母を感じ思いやっている作者の心を感じる。蓮の実飛ぶは着きすぎだが想像力のたまものとして可とする。

河田 清峰

特選句「夜汽車発つ林檎にナイフ入れしまま」。なぜか哀しい別れのようで好きな句です。

松本美智子

特選句「黒猫の大きなあくび秋暑し(高橋美弥子)」。のんびりとした光景が想像できる句です。黒猫の黒がまだ暑い残暑をよりいっそう、暑くしていると思います。

高橋美弥子

特選句「夜の秋アクリル越しのきつねそば」。コロナ禍の食事の場面も様変わりしました。この句は、夜の秋に対して「きつねそば」を持ってきたところがいいと思いました。問題句「樹木葬きっと小鳥も来るだろう(若森京子)」。季語「小鳥来る」の本意とはほんの少しかけ離れた使い方のような気がしたが何故か気になる句です。

稲   暁

特選句「地図の道とぎれてからの花野道」。地図にはない小道に秋の草花が咲き溢れている。楽しさが目に浮かぶ。

野﨑 憲子

特選句「銀河ふるふる足の無いダンサーに(高木水志)」。「東京パラリンピック2020」の開会式に光る義足で踊ったプロダンサー 大前光市さんの事。感動の演技だった。<銀河ふるふる>の措辞が素晴らしい。問題句「炎天下大人の下の子の悲鳴」。とても惹かれた作品。コロナ禍の中も絶えることない無差別テロ。負傷した子供に大人が覆いかぶさる景に胸が張り裂けそうになる。「銀河ふるふる」の世界も、「炎天下」の世界も、青い水惑星<地球>の上の出来事なのだ。戦の火種の縄張りは生きものの悲しい性。しかし愛の風はいつもいつでも世界の隅々まで吹き渡っている。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

にしひがし青栗吹かれぽつぽつり
三好三香穂
栗羊羹どうせ冴えない街を出る
藤川 宏樹
モンブランちょっと考え甘くない
中野 佑海
傘寿におなりか振り向くと栗の毬(いが)
田口  浩
堂々と文字をまちがう栗の毬
三枝みずほ
父さんはイラチで早起き栗ご飯
野﨑 憲子
引き算
晩年の引き算の憂愁秋深し
銀   次
濃紺のリボンや清し女高生
銀   次
引き算の引くが身に入む齢かな
柴田 清子
余白の美引き算の妙桐一葉
三好三香穂
引き算の引き算の果て 鈴虫
野﨑 憲子
秋蝶や引き算の果て消えちゃった
三枝みずほ
引き算は糸瓜の水を採る以前
田口  浩
リボン
小鳥来る赤いリボンのある窓辺
柴田 清子
リボンてふ雑誌楽しみ遠き秋
三好三香穂
リボンほどけゆくよう空耳の昼
三枝みずほ
ついと結ばれて秋のリボンの嘶く
野﨑 憲子
靴のリボンの解けし秘書来曼珠沙華
中野 佑海
秋刀魚
晩秋や身に引くもののなかりけり
柴田 清子
をかしみは我らの根っこ秋刀魚燃ゆ
三枝みずほ
二輪足す五輪七輪秋刀魚の目
藤川 宏樹
路地裏の秋刀魚が逃げてゆくところ
柴田 清子
秋刀魚焼く汝れも身を処す陽だまりか
田口  浩
大漁旗なびかせし夢秋刀魚船
野﨑 憲子
自由題
のっそり渡る猫に釘付け朝の露
中野 佑海
水澄むと命洗はれゐたりけり
柴田 清子
わが老いに金粉を播く秋の天
田口  浩
生かされて釣瓶落しの真ん中に
野﨑 憲子
片陰り五剣山は半裸かな
佐藤 稚鬼
塗下駄をきしらせ水打つひとの妻
佐藤 稚鬼
ここは天国かい狐の剃刀
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ感染者が少なくなり2か月ぶりに高松での句会ができました。生の句会はこの時期リスクもありますが、緊張感も増し、とても充実した楽しい句会になりました。サンポートホール高松七階の和室の窓際には薄紫の藪蘭が風に揺れとても爽やかな半日でした。

句会は年11回の開催で、次回は11月20日に開催します。今から楽しみです。

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