2024年9月27日 (金)

第154回「海程香川」句会(2024.09.14)

平.jpg

事前投句参加者の一句

 
<三鷹・太宰治展>子には笑み御せぬ心に木下闇 田中 怜子
生きている今日を楽しむ祈りです 飯土井志乃
虫干しや妣に着せたい燕柄 樽谷 宗寛
電柱が遠くまで立つ晩夏かな 中村 セミ
「行ってきま~す」の響く九月よ抜ける空 岡田 奈々
秋蝶の翅のよごれを耳打ちす 小西 瞬夏
浮世とは水面のネオン西鶴忌 岡田ミツヒロ
青瓢めくりめくページの薄い疵 桂  凜火
白鷺と案山子の会話風の中 川本 一葉
初月や瓦せんべいバリと噛む 河田 清峰
秋暑し総理になりたい人だらけ 稲   暁
全景が奴の縄張り茸の子 河西 志帆
花野だろう廃止路線の向こう側 吉田 和恵
シベリアも遠くなりけり令和秋 田中アパート
さるすべりわが師肺腑の面影に 疋田恵美子
引つ越しの荷に背凭れて遠花火 大浦ともこ
万の星岩場に踏ん張るちんぐるま 増田 暁子
数式をはみでる女西鶴忌 三好つや子
青白き喜雨に引かれて遍路道 末澤  等
田田邑田杜田プロペラ秋の風 山下 一夫
沖はもう秋ですアラン・ドロン死す 若森 京子
父機嫌良し栗ご飯やわらかめ 野口思づゑ
行き道を犬にゆだねて花野原 花舎  薫
じいちゃんに少年の雨ずつとある 三枝みずほ
ひび割れの身体呑み込む初嵐 高木 水志
百メートル水は煙となりて滝 三好三香穂
ため息を吐くかに開く蓮の花 佳   凛
縄文の眼窩に潜む虫の声 森本由美子
秒針の音ひと粒ひと粒秋思 月野ぽぽな
笹舟に少女を置いてそっと吹く 銀   次
夫婦とは和紙を重ねるように月 佐孝 石画
日輪が飛び込む秋や海の底 菅原香代子
旧友(とも)逝くやかなかなかなかな一斉に 綾田 節子
秋蝶ときついご意見低く来る 松本 勇二
アマゾンのゲバラTシャツ盆の月 大西 健司
スーパームーン落ちていそうなアルマジロ 鈴木 幸江
昨日・今日・明日やフィボナッチの秋思 藤川 宏樹
住む町の親しい暗さ鈴虫路地 津田 将也
訥々の婿こそよけれ葉月の婚 野田 信章
百日紅はにかみ立ちし妣がいる 漆原 義典
黒葡萄ガザに和平はとおくあり 植松 まめ
天の川抜き手をきって兜太居士 十河 宣洋
難聴のふと立ち止まるちちろ虫 山本 弥生
直情を飼い慣らしてゐる茄子を煮る 福井 明子
美少年老いても余韻生身魂 島田 章平
少しでいいのかき氷と立ち話 薫   香
ガラス皿ことさら透けて台風来 伊藤  幸
風の盆胡弓の音色ゆらゆらり 滝澤 泰斗
ふたり居てちゃんと哀しい星月夜 すずき穂波
金継ぎのかたき曲線カンナ咲く 和緒 玲子
包装紙きつちり畳む母の秋 菅原 春み
一瞬を一瞬むすぶ夏の波 河野 志保
粉々のポテトチップス野分来る 松岡 早苗
曼珠沙華眼の奥底の父の顔 豊原 清明
べったら市味見の顔のむつかしく 塩野 正春
新藁やかの日の父の背の匂い 向井 桐華
青蔦や静脈瘤を切る決断 松本美智子
つばめ帰る私雨の狭庭かな 新野 祐子
枯れて逝く樹もあり炎暑我が倦怠 時田 幻椏
鉈彫りの仏のおわす荻の声 荒井まり子
恋しさは我への未練秋の風 藤田 乙女
オクラ食えばオクラの味の祈りかな 竹本  仰
水中花問いつづけるということを 男波 弘志
恐竜になったつもりの羽抜鶏 重松 敬子
ひとまはり小さくなりたる山九月 亀山祐美子
死にそびれし母にやさしき秋の風 榎本 祐子
誰とでも仲良くなれそうな秋天 柴田 清子
釣瓶落し渚に拾ふ螺旋眼 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「じいちゃんに少年の雨ずつとある」。生きてきた長さに関係なく、少年時代は誰にも輝いています。何も言わなくなったじいちゃんにも必ずそれがあります。

月野ぽぽな

特選句「誰とでも仲良くなれそうな秋天」。もしかしたら、人付き合いに対しての普段の苦手意識が背景にあるのかもしれない。そんな意識をスッキリと拭ってくれるのが秋の青空。大きく開かれた心の風景に、秋天を無理なく重ねる措辞も心地よい。大丈夫、みんなと仲良くなれますよ。

小西 瞬夏

特選句「じいちゃんに少年の雨ずつとある」。口語で書かれていることが独り言のようでもあり、「ある」がしっかりと切れて韻文のリズムを持つ。虫取りをしていて降ってきた雨、田んぼでお手伝いをしていたときの雨、そして黒い雨、などの広がりを持つ。

すずき穂波

特選句「花野だろう廃止線路の向こう側」。廃線というと雑草が生茂り行手が見えない景を思うところだが、花野を想像しているこの作者。柔らかい眼差しだが、おそらく現代社会を痛烈に批判している、その裏返しの詠みなのだと思う。

桂  凜火

特選句「秋天が破れて落ちるパレスチナ(岡田ミツヒロ)」。どこまでも澄む秋空、突然にやぶれ落ちるような藪から棒の感じが今のパレスチナではないかと思われ共感しました。

樽谷 宗寛

特選句「秋蝶ときついご意見低く来る」。そうだそうだと納得しました。

豊原 清明

特選句「全景が奴の縄張り茸の子」。広い土地が広がる。「奴」とは誰か。地主か、政治家か。それとも、自然のことなのか。「全景が」が意味ありげ。特選句「夢中の宇宙ひまわり爆ぜて巻き込んで(岡田奈々)」。「夢中の宇宙」が良いと思った。宇宙のひまわりという風に読みました。問題句「不知火や赤子生まれるとき灯る」。赤子生まれるときの光の感受が、伝わって来る。

福井 明子

特選句「縄文の眼窩に潜む虫の声」。土偶のことでしょうか。眼窩に果てない昏さが広がります。そこに虫の声を潜ませた一句に、こころが動きました。まだ暑さの鎮まらない秋、それでも虫たちは懸命に鳴きかわしています。闇夜に、するりと涯ない縄文世界を覗くような神秘と、どっしりとした力強さをおぼえます。

大西 健司

特選句「引っ越しの荷に背凭れて遠花火」。どこか切ない景にひかれる。

津田 将也

特選句「風の盆胡弓の音色ゆらゆらり」。富山市八尾の「おわら風の盆」は、胡弓や三味線が哀調ある音色を奏でながら、「越中おわら節」の唄に合わせて町を情緒ゆたかに流します。唄は、民謡というジャンルに属しており、民謡で胡弓を用いるのは、全国でもとても珍しく、富山を象徴付ける楽器になっています。この句では「音色ゆらゆらり」のオノマトペが効果的です。

柴田 清子

特選句「渋谷八月スクランブルと婚礼と(野田信章)」。渋谷スクランブルを、俳句で詠う発想の新しさ、八月も婚礼も何度読んでも違和感のない一句に納まっている特選です。特選句「ふたり居てちゃんと哀しい星月夜」。「哀しい」の本質を星月夜の季語で、甘い調べにのせているところが気に入りました。

岡田 奈々

特選句「夫婦とは和紙を重ねるように月」。夫婦はあれこれあって、上手くくっ付いているのか、いないのか。剥がれそうで剥がれない。月のように、満月があったり、朔月だったり。壊れ易い物なのです。特選句「初月や瓦せんべいバリと噛む」。陰暦八月に出る初めての月。季節は秋。秋と言えば当然、私の大好きな食欲の秋。瓦せんべいバリと噛める歯を維持するのが、理想です。「生きている今日を楽しむ祈りです」。毎朝、今日も素晴らしい事が起こります様にと「鏡よ鏡」をしています。「白鷺と案山子の会話風の中」。白鷺はよく田んぼにやってきます。案山子と笑い合うためだったのですね。「全景が奴の縄張り茸の子」。言われてみれば、本当その通り。納得の事実。「万の星岩場に踏ん張るちんぐるま」。急峻な岩場に群れ咲くちんぐるまの花の可憐さ。そして、秋が来て、花が落ちても、頑張ってる様子に励まされます。「数式をはみでる女西鶴忌」。数式をはみ出ているのは、女ではなく、西鶴自身では。「田田邑田杜田プロペラ秋の風」。秋風に乗って、プロペラあるように、山里をクルクル気持ち良く旋回してみたい。田や杜や邑の上を。「じいちゃんに少年の雨ずっとある」。風貌は一見、年取って、大人しそうに見えるけど、中身はヤンチャしてた頃となんら変わりは無いのです。「べったら市味見の顔のむつかしく」。何故かもの知ったげに難しそうな顔をして、もったいぶってみたいのです。べったら漬けは大好きです。もったいぶらず早く食べよ。

菅原香代子

特選句「死にそびれし母にやさしき秋の風」。酷暑を乗り越えようやく秋を迎えたお母様への深い愛情を感じます。「酔芙蓉感情線の枝分かれ」。夕方に赤く色を変える酔芙蓉のような気持ちの揺れと感情線の細かい枝分かれが奇妙にマッチしていると思います。

若森 京子

特選句「縄文の眼窩に潜む虫の声」。色々な昆虫の化石が出てくるが人間より歴史は古い。縄文人と現代人の秋の感傷を一句の中に混在させている面白さに惹かれた。特選句「美少年老いても余韻生身魂」。昔、美少年だった面影を少し残している人の余韻はほのかに広がっていく。「生身魂」の季語がよく効いていると思う。

十河 宣洋

特選句「グラジオラス切手確かに貼りました(松本勇二)」。笑いを含みながらなんとなく気になる思い。だんだんこういうことが多くなる日常である。特選句「花火果てそれぞれの夜に戻ります(佐孝石画)」。打ち上げ花火とは限らない。庭先で家族で楽しんでいる花火とも取れる。とにかく、いつもと違う時間を過ごしたのである。それぞれの夜は、それぞれの時間である。テレビもあれば風呂もビールもある。受験生は勉強の始まる時間でもある。

河西 志帆

特選句「電柱が遠くまで立つ晩夏かな」。当たり前のようで、そうではない物が見えます。それを教えてくれている様に思えます。特選句「じいちゃんに少年の雨ずっとある」。そんなじいちゃん、ばあちゃんがいいなあ〜若く見られようとするなんて、バカみたいだね。私もそんな雨で居たい。特選句「ふたり居てちゃんと哀しい星月夜」。今まで沢山読んできて、この「ちゃんと」に会えて幸せです。此処に、さまざまといろいろが詰まっているんですね。「敗戦忌診察台に仰向けに(菅原春み)」。この台には、大体が仰向けになるのに、「えっ」って思える、この日です。「コンクリート斫(はつ)られてゆく炎暑(松岡早苗)」。昔、実家の建築の仕事に出ていました。斫る!私もやりましたよ。「夫婦とは和紙を重ねるように月」。私は、重ねる前に別れてしまったので、この句の深さを知る事ができませんでしたが、月が凄い。「住む町の親しい暗さ鈴虫路地」。暗さに親しさがある!惹かれました。ただ、この路地がよく見えなかった。ごめんなさい。「不知火や赤子生まれるとき灯る」。本当に見て来たように言えるから、面白い。それを信じる事ができるからやめられないんですね。♡初参加の弁「だから俳句はやめられない!上田から沖縄のおばあに、なりかけてきました。ずっと憲子さんに誘って頂いて、遅い参加ですが、どうぞ仲間に入れてください。松山、高松!大切な時間を遊んでくれた俳友に感謝です。志帆」

佳   凛

特選句「包装紙きつちり畳む母の秋」。そうですね、昔の人は、たとえ包装紙であろうと、きちきちんと始末していました。私の母もそうでした。勿論普段着のタンスの中も、きちんとしていました。停電であろうと、何が何処にあるか、把握していました。この句に出会い又、自分自身を見つめ直す事ができました。ありがとうございました。以上です。

河野 志保

特選句「電柱が遠くまで立つ晩夏かな」。作者の記憶にある景色なのだろうか。なぜか夏の終わりの風情を感じた。シンプルな句姿にも好感。

島田 章平

特選句「夏は逝くささやくように黄昏のジャズ(重松敬子)」。掲句から、兜太師の「どれも口美し晩夏のジャズ一団」「子は胸にジャズというものさびしき冬」が心に浮かんだ。ジャズの持つ深い寂しさが「夏は逝く」の上句に現れている。

三好つや子

特選句「夫婦とは和紙を重ねるように月」。嬉しいとき、悲しいときも、互いの手を離さず歩んできた夫婦の有り様を和紙に喩えた表現が、心に深く沁みました。月で終えたところも風情があり、見事。特選句「恐竜になったつもりの羽抜鶏」。恐竜の中の獣脚類は、鳥の先祖だとか。羽が抜けた哀れな体を奮い立たせ、凛と歩いてゆく姿に、恐竜の遺伝子が息づいていそうで惹かれます。「不知火や赤子生まれるとき灯る」。不知火という自然現象と、出産という生命現象が響き合い、神秘的な詩情を生み出しています。「鉈彫りの仏のおわす荻の声」。水辺の荻の葉や穂のそよぐ音と、円空仏の取り合わせに、秋ならではの趣を感じました。

男波 弘志

「電柱が遠くまで立つ晩夏かな」。感じがよく出ています。秀作。「秋蝶の翅のよごれを耳打ちす」。何のために、誰へ、の詮索はいらないだろう。ある人間の業を嗅ぎ取ればよい。秀作。「彼岸への水澄む柔らかな拒絶(若森京子)」。作品は中7下5で完結しています。彼岸への意味性の負荷は却って全体を弱らせています。そこが決まれば特選ですが。秀作。

和緒 玲子

特選句「秒針の音ひと粒ひと粒秋思」。まず秒針の音を粒と表現する感性に脱帽。秋思ならではの秒針の音なのでしょう。この粒は砂時計の砂のように、溜まっては崩れを繰り返す漣のようなものかもしれないと思いました。静かの中にあって音が見えるような美しい一句です。

疋田恵美子

特選句『「行ってきま~す」の響く九月よ抜ける空』。今日は、自分の得意とするスポーツの試合、元気な声が響きます。特選句「万の星岩場に踏ん張るちんぐるま」。白い可憐なちんぐるま、テレビで何度となく見ます。高山の日当たりのよい場所に群生し、花が終われば綿毛となり風にそよぐ様子。中央アルプスで見たい花です。

新野 祐子

特選句「水中花問いつづけるということを」。何か問題に遭遇すると、ゆきつくところは「人間って何?」。自問自答は、死ぬまで続きます。「問いつづけるということを」に「水中花」は絶妙な配合。例えば「合歓の花」でも「アマリリス」でも「河骨や」でもダメ。この句は一読しただけで胸に響いてきました。

藤川 宏樹

特選句「父機嫌良し栗ご飯やわらかめ」。いつもしかめっ面の親父が今日はいつになくご機嫌。好物のやわらかめ栗ご飯のおかげか。父を交えた昭和の食卓、懐かしい風景。

鈴木 幸江

特選句「秋蝶の翅のよごれを耳打ちす」。一読、何のことやら?ワイドショーのことかな?と思い気になりつつも落選にしてしまった。再読し、その世俗性に深いものを感受。急遽特選に変更した。己の過去に汚れを持たぬ人はおそらくいないであろう。しかし、秋の蝶の翅の〝よごれ〟は必死に生きた証。闘った証でもある。〝よごれ〟から〝破れ〟が連想されその哀れは、私の中で極に到った。かつ〝耳打ち〟の措辞も優しき行為として伝わってきて、作者の深い情けと愁いに共鳴した。

末澤  等

特選句「<三鷹・太宰治展>子には笑み御せぬ心に木下闇」。兎角表情と内心を違えることが多いですが、特に我が子に対してはその程度が大きくなる自分の状況を非常に上手く表してくれています。特選句「万の星岩場に踏ん張るちんぐるま」。7月の立山山行の折、まさしくこの状況に出会いました。天の川の空のもとで岩場に咲いていたチングルマは、可愛くてけなげでした。(写真は末澤 等さん撮影の立山のチングルマです)

末澤さん.png

伊藤  幸

特選句『「行ってきま~す」の響く九月よ抜ける空』。口語体が生きています。夏休みが終わり今日から新学期。見送る親の安堵感と期待感が伝わってくるようです。特選句「訥々の婿こそよけれ葉月の婚」。今日日の結婚式は新郎より新婦が堂々としているとよく耳にしますが掲句からも世慣れしていない純朴な新郎の姿に応援したくなるような作者の気持ちが窺えてつい微笑んでしまいました。

滝澤 泰斗

特選句「秋蝶ときついご意見低く来る」。きついご意見程後で効いてくる、いわば、ローブロウ、あるいは、ボディーブロウのように来て、そのきつさも相当なもの納得の着眼点。特選句「直情を飼い慣らしてゐる茄子を煮る」。直情径行は若さ故と思う事しばし・・・思い出しても恥ずかしいことは多々あるが、年を経るに従ってその扱いかたにも慣れ、反芻し、言い方を変える術や目つき、顔つきを変えることまで身に着けかたを会得してゆく・・・一拍置く、呼吸の茄子を煮る景がいい。共鳴句『「風船と少女」裁ったる秋の空(藤川宏樹)』。バンクシーの代表的な絵。一般的な解釈は赤い風船を取ろうとする少女だが、ハート型の風船を、バンクシーは少女を借りて、「希望」を手放して見える・・・それを裁ったるとした表現にあっぱれ。「無一物や光浄土へかたつむり(大西健司)」。最期には、すべてを断捨離してあちらに行きたいものだ。「少しでいいのかき氷と立ち話」。確かにと二物配合の納得の一句。「浮世とは水面のネオン西鶴忌」。この句も納得の一句。「旧友(とも)逝くやかなかなかなかな一斉に」。学生時代に同じ釜の飯を食った友の年賀状でステージⅣの癌と知り、心配していたが、半年後、Facebookで死を知った。そんなことが珍しくない歳になった事を知る。去年の秋には元気だったのに・・・。

松岡 早苗

特選句「秋蝶の翅のよごれを耳打ちす」。耳打ちなさっているのは初老のご夫婦でしょうか。自分たちの来し方も重ね合わせながら、秋蝶の翅の傷みをしみじみ哀れみ、また慈しんでいるように感じました。特選句「風残り口笛残らざる花野(大浦ともこ)」。「口笛残らざる」には、若き日の自分を回想、または亡き人を追想しているイメージがあって、眼前の光景や時間にとどまらない広がりや深さをこの句から感じました。

岡田ミツヒロ

特選句「じいちゃんに少年の雨ずっとある」。雨は思わぬアクシデント。予定変更、それに伴う慌しさ。感情の揺らぎ。それ故、雨の記憶は特に印象が強く後まで残る。「じいちゃん」の雨の記憶の中には、今も少年が佇んでいる。特選句「毎日が敬老の日よ花岡家(野口思づゑ)」。この「敬老の日」は、休日と敬老の二つ重ね。勿論、休日が主意で、敬老はつけ足し。形式的な「敬老の日」を、「花岡家」のネーミングがメルヘンの世界に昇華している。

榎本 祐子

特選句「縄文の眼窩に潜む虫の声」。縄文人も虫の声を聞いていたのではないかと思います。今聞いている虫の声が遠い記憶を呼び覚ます。

山下 一夫

特選句「沖はもう秋ですアランドロン死す」。世紀の二枚目アランドロン。その評判のきっかけはルネ・クレイマンの代表作「太陽がいっぱい」の主演からのようです。当方的には俳優アランドロンはほぼこの映画のイメージのみです。地中海のどこまでも青い海と空に対比する主人公のドロドロとした怒りや嫉妬、野心等が、役者の美貌と影のある表情にも同居し、青春の重ぐるしい一側面が見事に映像化されています。掲句もこの作品を踏まえており、アランドロンの死に託して青春の夏は過ぎたこと、やがて冬が来ることに思いを馳せているように見えます。特選句「スーパームーン落ちていそうなアルマジロ」。球体つながりながらアルマジロが落ちているとの飛躍が面白い。突飛なイメージですが、特別な満月であるスーパームーン下であればあり得るのかもしれないと思わされます。また、中七まででの切れもあるかもしれません。そんなトリッキーな雰囲気があふれる楽しい句です。問題句「ふたり居てちゃんと哀しい星月夜」。やや逆説を含んだような言い回しが妙に気に掛かり、いろいろと想像を膨らませられそうなのですが、「居て」との表記がどうも現実の人が二人いると連想させがちと思います。「いる」であれば、もう片方の不在(例えば、妻と亡夫)についての読みも誘えるのではないでしょうか。 ♡「海程香川」句会は、通信紙面に劣らず賑やかで活気がありました。日ごろ参加している句会と比較するといろいろとやり方が異なることや当方にはややテンポも速かったことから、少し目を白黒させながらではありますが、楽しく濃密で刺激的な時間を過ごさせていただきました。大変勉強にもなりました。また、通信句会に参加して3年余りを経て、お句とお名前しか知らなかった香川の多士済々の方々にお目に掛かれたこと、袋回し句会のお題「山口・周防」では、皆様の挨拶のお句から暖かいお気持ちをいただきましたことなど忘れられない思い出となりました。すぐにとはなりそうにありませんが、必ずまた出席させていただきたいと思っております。どうぞ皆様によろしくお伝えくださいませ。

森本由美子

特選句「直情を飼い慣らしている茄子を煮る」。人間は時々無意識に又は意識的に自身の生き様を観察し、時にはちょっと軌道修正をしたりまあいいかと呟いたりする。とどのつまりは自分の基準に従った自然体でいることを愛している。茄子の惣菜作りはその延長。直情とはありのままの感情と解釈した。

三枝みずほ

特選句「誰とでも仲良くなれそうな秋天」。仲が良いの定義は人それぞれだが、秋天の下ではそんな細かい事は気にしない。和をもって人間を謳歌したい。空は世界中に繋がっており、この祈りがじんわりと人々の心に届くことを思う。

綾田 節子

特選句「不知火や赤子生まれるとき灯る(増田暁子)」。不知火は季語と、聞いた事のあるだけでしか知りませんが、不知火と言う不思議が、この句の不思議さにつながり納得させられます。

高木 水志

特選句「電柱が遠くまで立つ晩夏かな」。夏休みの旅行先で見かけた景色だろうか。電柱が等間隔で続いている風景に、晩夏のどこか物寂しい感じが合っていると思う。

野口思づゑ

今回は特選句、絞り切れませんでした。『「行ってきま〜す」の響く九月よ抜ける空』。明るくて爽やかな表現で、九月が好きになりそうな句です。「白露と板書一気に子らの静まりぬ(新野祐子)」。どうして子供達が静まったのか、わからないようで、それでいて理解できる魅力があります。「物干しのシーツに蜻蛉の影踊る」。情景が目に浮かびました。

漆原 義典

特選句「虫干しや妣に着せたい燕柄」。妣を想う心が感じられます。素晴らしい句をありがとうございます。私も妣の句をよく詠みます。今月も詠んでいます。

石井 はな

特選句「浮世とは水面のネオン西鶴忌」。水面に映るネオンの儚さと煌めき、ゆらゆらと揺蕩う様は浮世そのものです。

中村 セミ

特選はなく、「この星の果て見られている地蔵堂(福井明子)」。の解読ストーリーは、カーク船長ひきいるUSSAエンタープライズは、星暦2554年地球に似た惑星アオイゴラスの調査をする事になった。アオイゴラス人が地上からいなくなり、ある物体が,地上を占領している、からであつた。転送し、地上におりてみると、至る所に、雨乞いのための地蔵堂があり、温度も,50度ちかく、この星人は,地下にすんでいた。星の破壊が,進んでいたのだ。今地上は地蔵堂が石の温度を高くして、ひそやかに、星の行く末をみている。と、カークは,日誌にかいた。宇宙探査はすすむ。ということです。

川本 一葉

特選句「花火果てそれぞれの夜に戻ります」。花火の後を描きながら、花火の美しさまで想像できる。毎日の暮らしがあるからこそ異次元の美である花火から目を離せない。市井の人への眼差しも優しい。

竹本  仰

特選句「花野だろう廃止路線の向こう側」:廃止路線。鉄道でしょうか、あの向こうにはもう行くことのないかつて遊んだ野原が、今は花野になってるのだろうか。ノスタルジーですね。もう誰も思い出すこともないはずの、かつての野、かつての時代、どこへ行ってしまったんだ、あの冒険の日々は。いくら政治家が地方再生と言ったって、そこにはのぼってくるべくもない向こう側。せめては花野となって、かつての幼い友が来るのを待っているその心境の中に浸かっていたい。瞬時の感傷が生んだ、かつての日本が見えているようで、倉本聰の「昨日、悲別で」を連想しました。特選句「笹舟に少女を置いてそっと吹く」:笹舟にかつての自分であり、また親しくした少女の思い出がそっと乗り、それを見送っているということなんでしょうか。そっと息を吹き、吹き送った思いが伝わってきたような。グリーグの曲に少年を懐かしんで作ったのがありましたが、少女に対してはこの感じかな、と思いましたね。特選句「ストレッチャー夏蝶真下より見え(三枝みずほ)」:緊急事態でしょうか。思ってもみなかった展開、その前では気づかなかった日常の裏側が嫌というほどくっきり見えるもの。先月、軽い検査のつもりで病院に行ったら、即時入院ということで救急の部屋に移されましたが、カーテン一つ隣には骨折したばかりの女性が唸りながら、ああどうしよう状態。行きたいトイレにも行けず、他院に搬送される束の間の看護師さんとの会話が聞きたくなくとも聞こえてきます。すぐそこにトイレはあるのに行けない、間もなく救急車が来る、ほんの数分の。そういう時の垣間見えた裏側の風景が、ふと思い出されました。以上です。♡この八月下旬、高熱に悩まされ、一週間足らず入院していました。肺炎球菌感染症というやつで、やっとニ三日前からかつての健康が帰ってきた感触に。じつに一か月ぶりの感覚です。入院の日に、なぜか町内会の文書を作りはじめ(町内会長だったのです)、ああこんな落ち着いてものを考えられるのは、病室のベッドだけだなあ、と妙に感動しました。そして、長いこと俳句はお留守に。健康じゃないと、考えられもしないんですね。廊下のコーナーに『君たちはどう生きるか』の漫画があり、読みふけりました。ほんとうに入院で色んな面、救われた気がしました。同室の方はもう歩けない人ばかりでしたが、これも十数年後の自分かもと学び。こんなにいい入院はなかったです。皆さんもお体、たいせつに。次回もよろしくお願いします。→こちらこそです! 御身くれぐれもご自愛ください。

塩野 正春

特選句「夫婦とは和紙を重ねるように月」。何という美しい光景。 確かに夫婦はお互い知らないことが多く和紙の様に皺や朧で隠されている部分があります。完全な透明などありえないから長続きする。妻あるいは夫が亡くなられれば残像がカバーします。月が間に入ってやはりクリアでなくも、同じ光景が楽しめます。ポエムですね。特選句「秒針のひと粒ひと粒秋思」。眠れない夜かな? 時計の秒針きっちりとリズムを刻んでくれます。その快いリズムに海馬が安らぎ今、秋の光景を浮き出してくれます。まもなくアルファ深睡眠に入るでしょう。

野田 信章

特選句「ひび割れの身体吞み込む初嵐」。酷暑、炎暑の一夏をほうほうの態で越えてきた老身には正しく心身共に、この「ひび割れの身体」との修辞に共感するばかりである。ようやくの秋の風光のやさしさも情緒的かと思えるときがある。このような時に出合ったこの句には「初嵐」という自然のきびしさ初々しさがある。養生的には荒治療ともおもえるこの句柄の中に込められた能動的な再生の意力に賛同するところである。

田中 怜子

特選句「天の川抜き手をきって兜太居士」。兜太先生が亡くなり、それが当然のようになってきて久しぶりに宇宙の天の川を抜き手をきって泳ぐ、若かりし頃の先生を大きくとらえて心広がります。特選句「風の盆胡弓の音色ゆらゆらり」。いつか参加してみたい祭り。菅笠を目深にかぶり、頬と唇しか見えない女性の姿、胡弓の音の抒情など、風さえ感じられます。

時田 幻椏

残念ながら、特選句を選べませんでした。問題句「田田邑田杜田プロペラ秋の風」。遊び心を感じながらも読み切れず。

重松 敬子

特選句「電柱が遠くまで立つ晩夏かな」。見慣れた景色も、秋の気配で詩情がただよいます、ほつと幸せな気持ちになりました。

増田 暁子

特選句「肉体の残渣するりと衣被(河田清峰)」。するりと剥ける里芋の皮と肉体の残渣。何となく納得できる。特選句「お静かに南海トラフが目を覚す(吉田和恵)」。目覚めないことを切に願ってます。 お静かにがとても楽しいです。「訥々の婿こそよけれ葉月の婚」。なるほどと思いました。落ち着いた婿殿はきっと娘を幸せに・・

河田 清峰

特選句「包装紙きっちり畳む母の秋」。今でも畳んでくれた包装紙が残ってます!昔の人は物を大事していたと感心します!

向井 桐華

特選句「粉々のポテトチップス野分来る」。ポテトチップスと野分の取り合わせがおもしろいと思いました。

大浦ともこ

特選句「じいちゃんに少年の雨ずつとある」。まず”少年の雨”という表現に惹かれます。誰にも少年の雨は静かに、激しく降り続けているのかなと郷愁を帯びた感慨を抱きました。特選句「住む町の親しい暗さ鈴虫路地」。親しいという言葉の持つ物懐かしさが、決して栄えてはいないであろう町と溶け合っている。鈴虫の声も。

山本 弥生

特選句「包装紙きっちり畳む母の秋」。戦後に育った母は何でも大切にするように躾られていて包装紙も大切にきちんと畳んで取って置き、猛暑を無事に越えて母にもようやく凌ぎ易い秋の訪れにほっとしている。

荒井まり子

特選句「恐竜になったつもりの羽抜鶏」。恐竜が好きで三年前に福井の恐竜博物館へ娘に連れて行ってもらった。地球の歴史を思う時、鳥の先祖は恐竜?とも、羽抜鶏の様を思うとほほえましい。メルヘンチックか?

稲   暁

特選句「行き道を犬にゆだねて花野原」。行き先は犬任せ。花野ならではの景だが、今年は猛暑日続きなので…。特選句「笹舟に少女を置いてそっと吹く」。この笹舟を私は文字通り笹で作った舟と解釈した。幻想の世界の魅力。

三好三香穂

「子には笑み御せぬ心に木下闇」。何か心配事をかかえていることを木下闇と表現し、だからこそ、子の前では明るくふるまう。私もつくり笑いかも知れないが、よくそういう時があります。笑っていれば、笑いの力は偉大で、作り笑いも脳は本物の笑いと錯覚するそうです。「水澄むや数多の罪を隠せしまま(塩野正春)」。数多くの罪を隠したまゝ、水が澄んでしまって何事もなかったように見えてしまう。世の中にはそんな事が数多ありますねェ。「夫婦とは和紙を重ねるように月」。多少の凹凸がありながら、補いあうように月日を重ねていく。言いえて妙だと思っていただきました。「少しでいいのかき氷と立ち話」。私もいつもそう思っています。山盛りは見ただけでキーンとなります。終りのない話にはつきあえません。「新藁やかの日の父の背の匂い」。働き者だった父。労働の後、幼い頃おんぶしてもらった父の匂い。匂いの記憶はいつまでも残ると言います。

松本美智子

特選句「ブラハ残照アザーンのバリトン安らけく(滝澤泰斗)」。一読で情景がぱーっと広がってきました。一度もアザーンの歌声が響くような所には 行ったことはありませんが,荘厳な歌が広がってきました。無季の句と思いますが,中東の地域は日本のようなはっきりとした季節の区分もないでしょう。それよりも「残照」とすることで景色が見えてきました。 私もこのような雄大な句が詠みたいです。

亀山祐美子

特選句はありません。逆選句「大井戸に大きな蓋をして厄日」。面白いとは思いますが散文そのもので俳句とは思えない「大井戸の大きな蓋の厄日かな」では納得し得ない作者の意図が知りたい。

銀   次

今月の誤読●「引つ越しの荷に背凭れて遠花火」。「夜逃げって言葉は知っていたけど、ほんとうに夜に逃げるんだね」とわたしが言うと、パパは「すまん」とアタマを下げた。わたしたち親子三人はいま、古びたトラックの荷台に、持ち出し可能だった家財道具を積み、別の町に向かおうとしている。ママが言う。「もういいのよ。あなたが騙す側じゃなく、騙される側だったのがよかったっていうか……」と小さく笑う。でもその笑い声には少し淋しさが混じっている。それを感じとったのか、パパはまた「すまん」とアタマを下げた。ここは町外れの小高い丘。「町にお別れしよう」と言い出したのはママだった。トラックを止めて、わたしたちは荷台に横並びになって、いままで住んでいた町の灯を見下ろしている。わたしはまだ中学生だから、詳しいことはわからないが、パパは手形詐欺とかいうのにあって、持っていた小さな町工場や家を騙し取られて、こんなふうに町を出なければならなくなったのだ。「長い人生だもの、こういうのもアリかもね」とママ。「いや、ぜんぶオレのせいだ」とパパ。わたしはさよならも言わず別れてきた友だちの顔を思い浮かべて、鼻がグスッとした。みんながそれぞれの思いで、ただ黙りこくって町の灯を見ていた。と、遠くの夜空に一輪の大きなキクの花が咲いた。わたしたちは「あっ」と声を上げ、それをあと追いするようにドーンという音を聞いた。「花火だ!」と言ったのも同時だった。わたしたちはここ何日か、会社のことや家のことなんかで忙しく、今夜が花火大会であったのを忘れていたのだ。しばらく花火を見ていた。急に声を上げ泣き出したのはパパだった。そのパパの背中をそっと引き寄せ、肩を抱いたママ。わたしはふたりの邪魔にならないように、ひざっ小僧を抱いていた。パパはひとしきり泣いて、突然「さあ、次行こう!」と拳を上げ陽気に叫んだ。わたしとママも「おお!」と応じて拳を上げた。運転席に乗り込んだわたしたちは花火に送られながら、再びクルマを走らせた。行く手には花火ほどではないが、小さく、でも明るく、わたしたちを見下ろすように、夏の星、こと座のベガが静かに輝いている。

菅原 春み

特選句「黒葡萄ガサに和平は遠くあり」。黒葡萄が効いています。いつになったら和平が訪れるのでしょうか。特選句「縄文の眼窩に潜む虫の声」。暑さで虫までもが縄文土器の眼窩に隠れているのでしょうか? 眼窩とまでいったところが心憎いです。

植松 まめ

特選句『「行ってきま〜す」の響く九月よ抜ける空』。子育てをしていたころ、夏休みが終わり子供達が元気に登校するのを見るとほっとしたものです。「行ってきま〜す」が良いですね、子供は宝ですね。特選句「美少年老いても余韻生身魂」。昔からジュリーこと沢田研二のファンでした。美青年の面影を引きずることなく、無理な若づくりもせず今もコンサートのステージに立っています。芸能人が言わないような政治的な発言もします。九条を護ろうと発言もしています。

吉田 和恵

特選句「死にそびれし母にやさしき秋の風」。死にたい死にたいと言う母にも、死ぬ気のしない兜太さんにも秋の風はやさしいのです。

薫   香

特選句「笹舟に少女を置いてそっと吹く」。少女を卒業しようとする心持が、心もとない笹舟と、そっと吹くという言葉に込められているように思います。特選句「金継ぎのかたき曲線カンナ咲く」。自然に出来た割れ目によって紡ぎ出される曲線はぎこちなく、それでいて心に残り、カンナのように凛としています。

野﨑 憲子

特選句「大井戸に大きな蓋をして厄日(柴田清子)」。結語の<厄日>に至る躍動感のある調べと<大>の字が、もう一つ別の世界を暗示しているように感じてならない。この稿を書いている本日、九月二十三日は、世界平和を願ってやまなかった金子兜太先生のご生誕から百五年となります。この美しい水の星に大厄日が来ないように、一回一回の句会を大切に、大いなる智慧の井戸を掘り抜きたい、本会から愛語の句群を世界へ向けて発信して行きたいと切に念じています。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

山口(周防)
秋遍路いつか讃岐に周防より
山下 一夫
元彼の山口さんとコスモスと
柴田 清子
周防灘越えて明日の人づくり
末澤  等
はつ秋の萩に置き来し影ひとつ
稲   暁
ういろうにやさしき周防透けてくる
薫   香
山口や月の直下の瑠璃光寺
島田 章平
周防灘の無月や全灯点る船
大浦ともこ
月光にあまやかされて果実熟る
大浦ともこ
白い月居てくれて良かった今日は
薫   香
月歩く私と歩く遠き日よ
三好三香穂
どの石も歌つてゐるよ十三夜
野﨑 憲子
李白杜甫満月の夜の屋台酒
稲   暁
為政者は強弁堂々昼の月
山下 一夫
手の中に何にもないのお月さま
柴田 清子
帰省の月下戦争を語る父
藤川 宏樹
まあるく我を満たしてくれる月化粧
岡田 奈々
水中に月を沈めて悶えせし
銀   次
今日からは十月の空歩こうよ
柴田 清子
流星を追って告白上の空
山下 一夫
空高し紙飛行機は文の反故
大浦ともこ
懐を大きく広げ秋の空
末澤  等
鶏が空をめざしてはばたけり
植松 まめ
空っぽの昨日と今日と木下闇
薫   香
空しくてああ一水の天の川
島田 章平
空の青海の青とも秋の影
野﨑 憲子
空海の海や鯨の恋の声
島田 章平
曼珠沙華
通りゃんせ橋のたもとの曼珠沙華
銀   次
死ねるなら死んでもいいわ曼珠沙華
柴田 清子
曼珠沙華疎遠となりぬ友あまた
大浦ともこ
戦争がそこまで来てる彼岸花
稲   暁
曼珠沙華こんなにも赤さびしいなんて
和緒 玲子
なにもない少女のあの日曼珠沙華
植松 まめ
曼珠沙華ふとフィボナッチの青影
野﨑 憲子
曼珠沙華昨日へ手紙書きました
島田 章平
青年よ唐黍食って話そうか
島田 章平
青ふくべ自転車降りて歩き出す
野﨑 憲子
好きでした青りんごかじる君のこと
薫   香
余生とは風の意のまま青芒
島田 章平
青嵐や雲の破片を吹き飛ばす
末澤  等
秋晴や車夫の揃ひの脚絆青
和緒 玲子
新蕎麦の青きにほひと出汁の香と
大浦ともこ
青い味です浅漬大根です
柴田 清子
秋暑し静脈瘤の青むらさき
和緒 玲子
感傷の青ずんでくる夜長かな
山下 一夫

【通信欄】&【句会メモ】

九月句会には、山口県から山下一夫さんがご参加くださいました。お土産の外郎(ういろう)も袋回し句会のお題になり、今回は、参加者15名が全て後半の袋回し句会にも顔を揃え、色んな句が生まれました。全作品を掲載できず残念ですが、大いに盛り上がった句会でした。

『海原』九月号の巻頭作家招待席(五十頁)に高松句会場主の藤川宏樹さんが登場されました。 藤川さんデザインの『ごみ箱を空に』を下記に紹介させていただきます。(クリックすると大きくなります)おめでとうございました。

藤川さん.jpg

冒頭の写真は、末澤 等さん撮影の「立山雄山から見た室堂平」です。

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