2025年4月25日 (金)

第160回「海程香川」句会(2025.04.12)

一の坂川の櫻.JPG

事前投句参加者の一句

             
春日遍照(へんじょう)かろやかな翼そこここに 十河 宣洋
生きている春の野芥子と寄り添いて 河田 清峰
あらいやだつまらぬ庭に与太と鮫 田中アパート
しんがりはいつも道草遠足子 柾木はつ子
絶筆九句詠み尽くせない枯野かな 滝澤 泰斗
養花天遺品にまじる刺繡糸 三好つや子
歳時記の春のページに開き癖 和緒 玲子
春耕や地球を起こすチャイムかな 漆原 義典
足入れて抜けず俳句は春泥 塩野 正春
壺春堂ゆるっと春陽のつづまやか 桂  凜火
鈍臭き吾も母なり土筆摘む 植松 まめ
ガジュマルのこれは臍の緒だと思う 河西 志帆
逝く人に寄せ書しゃぼん玉とんだ 伊藤  幸
チューリップ咲いた些細な嬉しき日 佳   凛
日田二月闇は母体の若さかな 野田 信章
風光る手水のひかり小さな手 末澤  等
四肢弛む朝湯に浸りたり 鶯鳴く 田中 怜子
春の昼ゆつくり欠けるナフタリン 小西 瞬夏
ポケットにちびた半券花の冷え 向井 桐華
湯上がりの爪やわらかし春三日月 月野ぽぽな
ふらここに風の始まり待つ少女 花舎  薫
春銀河までの地図なら描いてある 榎本 祐子
死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな 竹本  仰
ゆっくりと歩けばゆっくり花の冷え 柴田 清子
満開の花の力を吸い込みぬ 重松 敬子
花の東京百姓一揆のトラクター往く 新野 祐子 
この道でまたすれ違う桜かな 河野 志保
春来る忌日も来る波のよう 山下 一夫
脊梁山脈一粒の桜の実 島田 章平
ぺんぺん草と猫背の白昼夢 荒井まり子
出替やお礼のことば鼻づまり え い こ
尾骶骨疼く朧夜鍋磨く 大西 健司
前線とう戦のことば花戦ぐ 藤川 宏樹
野遊びやことばになるまでは鬣(たてがみ) 若森 京子
ふうせん乱舞叫喚とも狂歌とも違ふ すずき穂波
一菜の夕餉の滋味や五月来る 松岡 早苗
童心桜冷たいね風つらいよね 豊原 清明
春泥や地図に無き道遠廻り 山本 弥生
チューリップ箍という文字解体す 福井 明子
マニュキア剝げ銃持つ女性ウクライナ 森本由美子
花守となりながら櫂となりながら 男波 弘志
菜の花や風を歩いて来てをりぬ 亀山祐美子
つくしんぼ一人笑えばみな笑う 吉田 和恵
囀や小高き墓に眠る君 川本 一葉
いぬふぐり楚々と野にあり内弁慶 増田 暁子
さくらさくら黙読が声になる 三枝みずほ
裏返す心を背負う花の冷え 高木 水志
福寿草花も名も逝き黄蝶生れ 時田 幻椏
野仏や春風胸にあふれたる 石井 はな
行く春は仔羊放たるるごとし 大浦ともこ
夜桜や罪深いほど非日常 野口思づゑ
塩ふつて肉うるおいぬ夕桜 菅原 春み
迷宮をうしろ姿の修司の忌 銀   次
泣くまでは大きく息を吸って花 佐孝 石画
軍港となりし波止場や春嵐 稲   暁
東風吹かばメリーポピンズふうわり 薫   香
花筏母の忌日が巡りくる 遠藤 和代
産土や雉がぎらぎら向こう岸 松本 勇二
風光る描く余生の自由画帳 藤田 乙女
山笑ふうふふあははにわっはっはあ 三好三香穂
日和ってないで泥臭く決め葱坊主 岡田 奈々
去(こ)・今(こん)・来(らい)つがいめじろのせわしさよ 疋田恵美子
土筆野は消えサッカー場となりにけり 樽谷 宗寛
いのちにも〆切あつておぼろの夜 各務 麗至
りんご咲く山の校舎の歌声に 津田 将也
くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて 岡田ミツヒロ
車窓に瓦礫しろき花びら降りやまず 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。「なりながら」のリフレインによるリズム。「花守」と「櫂」がパラレルに存在しているという不可思議。それらは人間と物でありがながらも本質は同じかもしれないと思わせる。俳句形式の力である。

豊原 清明

特選句 「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。「さくらかな」と平仮名で書けば、何言っても許されますが、やはり、死ねぬ、生けぬは多くの人がかかっている悩みの一つ。特選句「さくらひとひらどちらかは空っぽの手(三枝みずほ)」。「空っぽの手」が好きです。心は空っぽにしたくない。問題句「ポケットにちびた半券花の冷え」。高橋千尋さんの詩集に「ちびた鉛筆」を読んだばかりで、鉛筆を連想してしまった。半券が印象的。

榎本 祐子

特選句「さくらさくら黙読が声になる」。さくらさくらと、その昂揚は自ずと声になる。原初の祈りや歌の体験のように。

十河 宣洋

特選句「あらいやだつまらぬ庭に与太と鮫」。与太と鮫がいいね。今頃は兜太さんもお母さんに与太などと呼ばれているかも。与太と言われながら、梅林に来た鮫を眺めている。そんな風景。つまらぬ庭は作者の自宅の庭。つまらない庭と謙遜している。特選句「東風吹かばメリーポピンズふうわり」。童話の世界。傘をさしているイメージが私の頭の中に定着している。優しい家庭教師が東風に乗ってやってくる。春の訪れである。

福井 明子

特選句「花の東京百姓一揆のトラクター往く」。「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む美し都、君が咲く花の都」という歌がヒットしたのは私が若かった頃。その「花の東京」に、トラクターで乗り込み、命・食・農を守ろうというデモ行進の報道を観ました。十七音に、骨太な「今」が映しだされ、息遣いがみなぎってきます。

島田 章平

特選句「風光る手水のひかり小さな手」。鮮やかな句。少女の小さな手が画面にクローズアップされる。

津田 将也

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。中七下五におけるユニークな発想がよい。チューリップも、まるで箍を外したかのように花びらを散らせている。

松本 勇二

特選句「春の昼ゆつくり欠けるナフタリン」。いつのまにか空っぽになっている防虫剤の袋を思います。ナフタリンを使ってとてものどかに仕上げています。

柴田 清子

特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。女性の平均寿命に手が届こうとしている今、こんなにもアッケラカンと『命の〆切』なんて言はれると、人事のように思えてしまった。『おぼろの夜』が、しみじみと〆切を、考え込む雰囲気にしてくれた。特選句「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。一九五二年、黒澤明監督の『生きる』志村喬主演の映画最后のぶらんこのシーンを思い出した。夜のぶらんこの揺れが、いのちの重さと思えて、この句が好きです。特選です。

岡田 奈々

特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。楽しい皆で楽しいのが一番。つくしんぼが出ただけで嬉しい。特選句「生きている春の野芥子と寄り添いて」。痛そうな雑草の野芥子も柔らかくて食べられるとは。皆生きている。寄り添って生きている。「四肢弛む朝湯に浸りたり 鶯鳴く」。朝湯に花を見ながら、鶯鳴くを聞く。こんな極楽あろうか。最高です。「春銀河までの地図なら描いてある」。ゆるゆるとタケコプターでも付けて参りますか。道々色んな星によりながら。出来れば道連れが欲しいものです。「春泥や木箱に夢を詰めし頃」。子供の頃、泥でお団子やおにぎり作って、お菓子の箱に詰めてママゴトしたのは楽しかったな。大人の事情など何も解さず、遊び呆けていた。「一菜の夕餉の滋味や五月来る」。手を込めて作ったおかず。一つでも本当に心に躰に染み込んで来ます。そして、総ての物の芽が盛んになる五月が来ます。美味しいものが沢山。「ものの芽に紛れこんでる後ろ指」。あっ!チクッと刺さる刺の先。「万愚節職業欄にスナイパー(新野祐子)」。撃ちたいものは貴方のハート。「沈丁花夜の広さを知っている(河野志保)」。暗闇でも分かるくらいの白さと香り。何処までも漂って、闇をあぶり出す。「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。いのちは最後はおぼろの中に居るようになって、意識を無くして逝くのかな。

疋田恵美子

特選句「壺春堂ゆるっと春陽のつづまやか」。桜一色の秩父を堪能し、全身に兜太先生の気を頂いた先生の生家なつかしく思います。特選句「写メールの大和三山さくらさくら」。大和三山のある橿原市は、宮崎市との姉妹都市でもありまして桜の頃にぜひ行ってみたい場所です。

石井 はな

特選句「前線とう戦のことば花戦ぐ」。春には天気予報の時に毎日桜前線と聞きます。でも前線という言葉は戦場の最前列の事です。そよぐの漢字が戦ぐと知った時の大きな違和感を思い出しました。戦場の言葉が平和な状況に使われていくのは、平和な時か不穏な時か、どっちなんだろう。

大西 健司

特選句「この道でまたすれ違う桜かな」。繰り返し繰り返しの日々に出会う桜との交感、ほんのすれ違いであろうともそこには暖かいものが生まれる。この桜には花の頃ではなくそれぞれの季節毎に見せる表情があるのだろう。そして我もまた。

三枝みずほ

特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。産声、幼子の泣き声、それらは一瞬の沈黙の後、息を吸って大きく泣き始めます。息を吸うことにより生まれる一瞬の黙、泣くという人間の本能、根源を思い出しました。花という季語によって、あたかも産声のような、もしくはどこかへ忘れてしまった泣き声が聞こえてきました。特選句「ものの芽に紛れこんでる後ろ指(三好つや子)」。ものの芽の時季の心の不安定さを感じました。木の芽に春の訪れを思いつつ、それらが後ろ指に見えてくる不気味さ、不安。後ろ指という実態のないものと、ものの芽との取り合わせの妙。

田中 怜子

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。今年も、京都平野神社、京都御所のさまざまな桜を楽しんできました。花筏には縁がなかったけど。桜の華やぎに胸がざわつく季節も終わろうとしています。特選句「軍港となりし波止場や春嵐」。先島諸島等は着々と、思いたくはないけど、何かが構築されてきているのを感じます。春嵐、黄砂を巻き上げて、妙に突風になったり、不安や見通しの悪さを感じてしまいます。

 
男波 弘志

「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて」。山火と藁焼いて、の取り合わせはふつうは蛇足になるだが、胸の火と山の炎は全く違った表情をしている。飛鳥のころの真乙女の恋と観てもいいし、ひとつの創作に対する才華の瞬きとしてもいいだろう。秀作。

河西 志帆

特選句「春の昼ゆっくり欠けるナフタリン」。母の箪笥の隅に、痩せて袋だけになったのを片付けた日の事、、その匂いも思い出しています。「湯上がりの爪やわらかし春三日月」。爪の中に、白い三日月ができると、洋服を買ってもらえるって、皆さん、知っていましたか?「春銀河までの地図なら描いてある」。この素気なさが好きです。ありっこないのを、絶対にありそうに言うところです。「車窓に瓦礫しろき花びら降りやまず」。瓦礫という文字は切ないですね。福島で見た時も、今も、そこらじゅうに、降りやまず積まれ!「霾や行き先のなき除染土よ」。あの黒い袋はどこに隠してあったんですか。そしてその袋は私たちの知らないところで増え続けているんですよね。「子供には子供の悩み春の雲」。そうですよね。ありましたよ確かに。でも、、春の雲で救われた気がしました。「沈丁花夜の広さを知っている」。やっぱり、、夜の広さを知っているんだと言われたら、見逃す訳にもいかなくなりました。

月野ぽぽな

特選句「塩ふつて肉うるおいぬ夕桜」。「塩ふつて肉うるおいぬ」に発見があります。日常を大切に生きている息遣いが見えてきて魅力的です。夕桜がしっとりとその生活を祝福しています。

竹本  仰

特選句「凛と立つ母の欲望春日傘(銀次)」:何をしに母は行くんでしょうか。母にも母の生きがいがあって、それを痛いほど分かり始めたゆえのこの言葉でしょうか。多分、今、母となってやっと分かることなんだけれど、その凛とした生き方は、将来の自分の姿でもあろうかとも思いやっているのでは、と読みました。特選句「春泥や地図に無き道遠廻り」:梶井基次郎の「路上」という作品を連想。学校の帰り道、ふと普段歩かない近道をしようとして道なき道を選んだところ、崖のような場に出て、ぬかるみに足を取られるままスキーのように滑ってみたら、突端に。一瞬の後悔と命の危険をないまぜに飛ぶと、何のことは無い、すとんと着地する。あまりのあっけなさに、無限の寂しさを感じる。さて、帰宅して鞄を開けてみると、いつの間にか泥が紛れこんでいた。という短編。青春は常に近いつもりの回り道、そして泥しか残らないなんて。それでもいいじゃないか。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラがタラの地の泥を握りしめるシーン、あれもそんなだったなあ。人生、勉強だらけだ。特選句「さくらさくら黙読が声になる」:黙読はさくらがしているのか。それともさくらと私の両方が互いにしているの?その読みあう沈黙の果て、ふいに声だけが誰のものだか聞こえてきた。でも、誰の…?何というか、創造というものの過程を垣間見たような、そんなおごそかな感じがしました。以上です。♡先日は香川句会のみなさん、ありがとうございました。藤川さん、野﨑さん、奈々さん、銀次さん、島田さん、各務さん、…ありがとうございました。吉永小百合さんも。花冷えのなか、好天に恵まれ、とてもいい小旅行が出来ました。また、日程がうまく合えば、お伺いしたいと思います。みなさん、これからもよろしくお願いします。

植松 まめ

特選句「迷宮をうしろ姿の修司の」。寺山修司が亡くなって40年が過ぎたが今もファンは多い。迷宮と、うしろ姿の修司。とても惹かれた句だ。特選句「ポケットにちびた半券花の冷え」。久し振りに着たコートのポケットを探るとくしゃくしゃのコンサートの半券が出てきた。一緒に行ったあの人は今はどうしているだろうか?花の冷えが切ない。

大浦ともこ

特選句「春星や積み木を片すとき鈴音(和緒玲子)」。積み木を片していたら思いがけず鈴の音がした・・そんなノスタルジックなひとこまと季語の春星が響き合っていて美しと思います。特選句「さくらさくら黙読が声になる」。さくらの花びらが言葉が散るように散ってゆく様子が目の前に広がりました。

若森 京子

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。なかなか巧妙な一句。箍を外すとばらばらになるが、その字を解体する。少しロジックのすぎる句だが、それをチューリップが上手に受けている。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。つい最近、長年の友人が膵臓癌で三ヶ月の命と宣告された。非常にショックを受け、この一句に今は一番リアリティを感じる。

高木 水志

特選句「ふうせん乱舞叫喚とも狂歌とも違ふ」。良く晴れた空に向かって色とりどりの風船が飛んでいく様子を人の叫びや狂歌と比べたところが面白いと思った。風船のゆらゆらと上がっていく様子が目に浮かぶ。

伊藤  幸

特選句「しんがりはいつも道草遠足子」。そうそう、私もそうでした。あっちキョロキョロこっちキョロキョロ、気付いたらいつもしんがり。幼い頃の遠足、今でも忘れられません。春らしい楽しい句です。特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。英霊も入学児にもさくらさくら卒入学の門出のシーズン、眩しい桜ですが戦争で失った命が桜だなんてとんでもない。死んで花実が咲くものかですね。

樽谷 宗寛

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。評はさておき一読して何か深いものを感じました。

塩野 正春にも生きるわけにもさくらかな」。余生を生きるにもそれなりの理由が欲しい。 死ぬにはさらにきっかけが欲しい。桜は毎年咲いてくれ、生きる喜び、死ぬ理由を与えてくれる。人生のリズムを作ってくれる。特選句「春泥や木箱に夢を詰めしころ(松本勇二)」。新しい門出の引っ越しに、私の時代に木箱はなく、藁で編んだ柳行李に詰めた。今でもネットで買えるらしく懐かしい。様々な夢と希望がいっぱい詰まった箱が行き来する春のはじめ。この頃は段ボールが主流だ。

野口思づゑ

特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。命の締め切りですか。そう捉えた事ありませんでした。季語がその方の人生観、今を示しているようで興味深い。

遠藤 和代

特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。つくしの植生を面白くとらえていていいです。つくしってそういえば一本見つかれば、そこらあたりに必ず何本か連なって生えているな、と。よろしくお願いいたします。

野田 信章

特選句「喉と喉花の冷たさまであるく(男波弘志)」。首や首筋でなく「喉と喉」と言われて見ると多分に生理的な感応を覚える。そのことが「花の冷たさまであるく」という修辞の展開と相俟って二人の濃密な時間と心情の熱さの世界を現出させている。桜の景に即した一句の簡潔さがよい。句の若さもここに在るとおもう。

三好つや子

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。風がきらめき、水が走り、緑が芽となり葉となる春。万物がめまぐるしく変化するさまを鬣という言葉が、見事に捉えています。特選句「花守となりながら櫂となりながら」。日々花に寄り添い見守ることと、漕ぎ手にとってよき櫂というのは、どこか似ていると気づかされました。主役をしっかり支える脇役としての誇りを句にし、惹かれます。「春日遍照かろやかな翼そこここに」。生きとし生けるものに注がれる春の光。遍照の位置がよく、さわやかな仏心に深感。「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。なんだか「上を向いて歩こう」を口ずみたくなる一句ですね。春の淡い感傷がもたらす詩情に心がきゅん。

藤川 宏樹

特選句「黄蝶の黄の字の形して止まる(柾木はつ子)」。「黄」が蝶に見えるなどなかったが、対称な字の形に触角が生え、羽が生え、蝶になって止まる。やがて黄蝶がひらひら羽ばたき飛んでゆく。そういう不思議な体感をさせてもらった。

和緒 玲子

特選句「行く春は仔羊放たるるごとし」。春の初めに生まれた仔羊を、柵外に出して自由に遊ばせるのだろう。仔羊の可愛らしい表情とちゃめっけのある動きは春そのものだと思います。仔羊の柔らかさと「放たるるごとし」と固い語感で終わらせているアンバランスさ。行く春を惜しむ気持ちとその後に続く夏への覚悟(命を育てていく事)の様に読めます。以上です。よろしくお願いします。

花舎  薫

特選句「春の昼ゆつくり欠けるナフタリン」。ナフタリンという言葉を久しぶりに聞いた。衣服用の防虫剤として使われなくなっているが、昔は箪笥や収納箱を開けるとナフタリンの匂いがしたものだ。春は時間の流れが遅い。暖かい陽気にナフタリンが暗闇でゆっくりと静かに溶けている(だろう)イメージが浮かぶ。「欠ける」としたのも意図してのことだろう。丸い錠剤が白い月が欠けるように縁から減っていく。気付かぬうちに。懐かしい名称も追想感を与えており、ほのぼのとしていてどこか愁いのある句である。

吉田 和恵

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。春の野で鬣をなびかせて存分に走り回った、その後に出てくることばとは。壮快な気分にさせてくれます。

河野 志保

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。野遊びで生まれた感覚や野性のようなものを感じた。作者はそれを鬣のように誇らしく掲げている。まるでことばにすることを拒むように。

各務 麗至

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。死ぬのにも生きるのにもわけ(理由)があって・・・、といって生きている限り無碍に死ぬわけにもいかず、死んでなるか、が、桜ふぶきや満開の桜に感応したのかも知れない。特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。泣いても「花」のおさない姿が彷彿とする。「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。特選句か問題句か、昭和世代の私は一人郷愁哀愁にひたることになる。

新野 祐子

特選句「足入れて抜けず俳句は春泥」。大いに共感しました。たしかに春泥。泥沼では決してありませんからね。♡肌寒い日々でしたが、ようやく桜が見頃になってきました。3月30日、百姓一揆に参加した時、東京は満開でしたから、役三週間遅れの山形です。身も心も軽くなった感じです。俳句を教えてくれた芳賀さん(「海程」に入っていました)が『カフカ俳句』をおもしろく読んでいるとのこと。九堂夜想さんとの対談もあるのですね。私も購入してみようと思っています。

漆原 義典

特選句「花筏母の忌日が巡りくる」。母を偲ぶ心が、桜の花びらが流れる花筏に表現され素晴らしい句です。ありがとうございます。私は母の句が好きです。

荒井まり子

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。「さいたさいたチューリップ」の歌が思わず頭をよぎる。幼い頃と箍を解体の取り合せが時空を隔てかろうじて繋がっている。思いが深い。

綾田 節子

特選句「尾骶骨疼く朧夜鍋磨く」。疼くと磨く、そして磨くのは鍋、そして朧夜。取り合わせの妙と言うのでしょうか諧謔もあり最高。特選句「花守りとなりながら櫂となりながら」。櫂をどのようにとれば宜しいのでしょうか、花守と櫂の取り合わせが、何とも美しい余韻を残し、一生忘れられない一句になりそうです。

菅原 春み

特選句「菜の花や風を歩いて来てをりぬ」。なにげない春の風景が爽やかです。菜の花と風を歩くの取り合わせも気持ちがいいです。特選句「囀や小高き墓に眠る君」。囀が亡くなってしまった大切な君を守ってくれるようです。最近たてつづけに大切な君をふたり亡したため、共感することしきりです。

桂  凜火

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。花守になり、櫂になりどこに行くのだろうか。はかなきものではあるが生きていく決意のようなものがある。美しいが、切ない感じがした。

河田 清峰

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。桜さえ傍にあればなにもかも忘れられる。

松岡 早苗

特選句「養花天遺品にまじる刺繍糸」。お母様の遺品でしょうか。「刺繍糸」から生前の生活ぶりがうかがえます。刺繍糸の光沢が花の美しさと響き合い、そこに亡き人を偲ぶ思いが加わることで、「養花天」の半晴半陰の風情がくっきりと表現されていると思いました。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。命の「〆切」という捉え方が斬新で印象に残りました。命の終焉と朧夜との取り合わせに、はかない美しさを感じました。西行法師の「ねがはくは花のしたにて春死なむ…」の歌も思い起こされました。

末澤  等

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。日本人といえば「桜」。歌にもありますように、桜の花から元気・活力をもらい、また桜の花になぞらえて人生を語ることがいかに多いことか。「桜」は日本人のふるさとであることを端的に上手く表現していましたので、いただきました。

柾木はつ子

特選句「マニュキュア剥げ銃持つ女性ウクライナ」。先だってNHKでウクライナの女性兵士のルポ番組がありましたが、それを見ていて意外だったのは、戦場という極限の状況で女性兵士達が髪をピンクに染め、マニュキュアをし、平常と変わらぬオシャレをしていたことでした。普通に考えたら、そのような状況で女らしくオシャレをする余裕などとても考えられませんが、そういう状況だからこそ、たとえ一時でも今の現実を忘れていられる。そうすることで辛うじて心の平衡を保っていられるのではないだろうか?何れにしろ、大変衝撃的な報道でした。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。誰も自分の命の〆切がいつなのか分からない。まだ少し間があると思っていてもそれは突然やってくるかもしれない。いつ割れてしまうかもしれない薄氷の上を歩いていくような危うさを常に抱えながら生きている。それでも大概の人々は日々楽天的に生きている。

稲   暁

特選句「迷宮をうしろ姿の修司の忌」。俳人として出発した寺山修司だが、その後の活動はまさに後ろ姿のみを見せつつ、迷宮をさまよったと言えるだろう。

時田 幻椏

我が俳句の勉強のために、次の3句の自句自解を恐縮ですが御願い致します。句意を正しく理解し、参考にしたいと存じます。「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて」「花守となりながら櫂となりながら」「ついに二本の木である風は光ろうと」。よろしくお願いいたします。       

「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて(桂凜火)」。自分の胸のうちにある熾火のようなものに自分でも知らぬ間に火がついて 気付いた時には山火の業火のようになっていたというようなことです。感覚で作るので自分の句を説明するのは難しいですね。最近の山火事にヒントを得ました。「花守となりながら櫂となりながら(男波弘志)」。いつもいつもお世話になっております。有難いご質問にお答えいたします。花守の一行詩で表現したいことは暗喩のことです。他の作品も同じ意識で創っております。この暗喩の世界をいち早く成就させているのは絵画でしょう。そこでは具象から抽象の世界へと拡がっています。何故それがこれほどひとを惹きつけるのか、おそらくそれは無意識相へこころが渉入しているからだと思います。櫂の如き花守、でもなければ、花守の如き櫂、でもない世界つまり、櫂と花守が混沌としていてどちらがどちらなのかの分別がつかない状態です。印象派が光を発見したときのそれを観たひと達の混乱、いったいこの光は何処にあるのか?対象にあるのか、作者の中にあるのか?空の向こう側にあるのか?またこの光は昼なのか?朝なのか?夕方なのか?時間軸さえも光によってわからなくなっています。実はこの混乱は決して混乱ではなく、「混沌」なのです。人間の狭小な分別心があらゆるものを引き裂いていますが、それを元の混沌に還してあげるのがあらるゆ表現者のなすべきことだと痛感しております。だからこの花守は花守であって花守ではないのです。櫂のようにたゆたいながら花守のように濡れながら、個としての存在すらそこにはないのだと思います。「ついに二本の木である風は光ろうと(竹本 仰)」。時田様、ご質問、ありがとうございます。訳の分からない句に、また訳の分からないコメントをしますが、よろしくお願いします。・大袈裟に言えば、二本の木は、人間存在のかたちを思っていたのかなと思います。たまたま五月にハイキングした友のことを思い出し、その友はもう亡くなったのですが、思えば思うほど、我々は二本の木だったんじゃないかなと。相手がいなくなっても、相変わらず二本の木、生と死を分かっても、いやむしろ生と死を分かったからこそ、対等に二本の木として変わらず存在しているのだという気がして仕方ないというか。もう戻れない時間ではありますが、いつまでもこういう形で互いに存在し続けているのかという心でしょうか。『詩経』の中では、木は神が降りてくる場所だと信じられていたと言います。別にそれを知っていて作った訳ではありませんが、なるほど人間の意識下にはそのように醸成されたイメージが棲みついてるのだろうかと、ふと思いました。ご清聴ありがとうございます。

滝澤 泰斗

特選句「菜の花や風を歩いて来てをりぬ」。ゴールデンウィーク前後の北信濃の菜の花群を思い出した。実に美しく地球を賛美している。中七の表現がうれしい。特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。古今東西の文人墨客を狂わして来たさくらの深淵な存在感を上手く表現した。共鳴句「ゆっくりと歩けばゆっくり花の冷え」「花守となりながら櫂となりながら」。二句とも言葉のリフレインが効いて、心地よい

山本 弥生

特選句「風光る描く余生の自由画帳」。現在、米寿を過ぎた者は、色々と余生には、あれもしたい、これもしたいと想像を巡らし描いてみても現実は厳しい。すっかり身体がついていけない。画帳に描いて楽しむだけになっている。余生とは、こんなものですよ。

岡田ミツヒロ

特選句「足入れて抜けず俳句は春泥」。ずばり「俳句は春泥」の切り口が爽快。わが身に照らし実感が籠る。特選句「裏返す心を背負う花の冷え」。良好な関係が一事を機に暗転する。裏返る心理を「花の冷え」が作者の人間性をも包摂し、しっかと受け止め、揺るぎない。

松本美智子

特選句「スカーフに壺春堂の香 帰京する(森本由美子)」。先日、兜太先生をしのぶ会の際の句ですね。「壺春堂」で先生の息吹を感じられたのでしょうね。私も先日、子規堂を訪れたときに,そこに子規が座っているように感じられました。機会があれば秩父にも訪れてみたいと感じられる句でした。

田中アパート

特選句「絶筆九句詠み尽くせない枯野かな」。不条理俳句の傑作である。

向井 桐華

特選句「白木蓮なぜ戦争は終わらぬか(福井明子)」。白木蓮を選んだ事でこの句は生き生きした。

藤田 乙女

特選句「養花天遺品にまじる刺繡糸」。生前刺繍糸を使って素敵な作品を作り上げたであろう故人の方の人となりと作品が満開の桜の美しさと相まって目に浮かぶようでした。特選句「凛と立つ母の欲望春日傘」。思わず『あんぱん』の松嶋菜々子さんの姿を想像してしまいました。

佳   凛

特選句「風光る描く余生の自由画帳」。余生とは残された人生と言われている。作者は、そうではない一度白紙に戻り、束縛されない人生を送る予定。それは、絵画かも知れない、又言葉を紡いでも良い、きっと楽しい自由画帳になるでしょう。頑張って下さい。

山下 一夫

問題句「凛と立つ母の欲望春日傘」。立っているのは母なのかその欲望なのか判然としませんが、それが春日傘のものと見たいような見たくないような秘密の雰囲気に合致しているとも言えそうです。特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。開き気味のつくしの穂先を見つめていると笑った顔のよう。そう気づくと群生もみな笑っており、いつしかメルヘンの住人となっているのでした。特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。大きく息を吸って咲き、泣くがごとく散るのですね。いずれも動作の暗喩ですが、その範疇での飛躍も決まっていて秀逸です。

増田 暁子

特選句「絶筆九句詠み尽くせない枯野かな」。先生の絶句は想いいろいろ心に染み入ります。

亀山祐美子

特選句「歳時記の春のページに開き癖」。開き癖がつくほど「春のページ」を繰る。待春。冬の厳しさ長さが偲ばれる。思いが行動になる。行動が結果に繋がる。披瀝された事実に裏打ちされる思いに深く共感する。

薫   香

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。なんだかとても重い句なのですが、気になる句でした。特選句「ついに二本の木である風は光ろうと」。これもよく解らないのですが、気になる句でした。

川本 一葉

特選句「歳時記の春のページに開き癖」。歳時記が春を選んだような、開き癖というのもとってもよくわかる。こういう句は読んだことなく全部読み終わってなんとなくまたこの句に帰ってきてしまう。そんな不思議な魅力を感じました。

え い こ

特選句「逝く人に寄せ書しゃぼん玉とんだ」。亡くなった方の魂はわたしも、ときどき感じますし、いると信じているので、共感をもちました。

野﨑 憲子

特選句「白蛇(はくじゃ)に触れ白蛇になりきる春宵(伊藤幸)」。弁財天の化身でもあるという白蛇に触れ、白蛇になりきるという作者。乙巳(きのとみ)の今年、瑞祥の句としていただいた。春宵の季語に艶あり。「勿忘草を束ね肥後守ふところに(荒井まり子)」。小刀の肥後守の出て来る物騒な作品ながら、<勿忘草を束ね>があまりにも切ない。今回も、佳句満載で、大きな元気を頂きました。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雲雀
ひばりよひばり見えるか遠い戦争
銀   次
聞こえきて口の渇きや揚雲雀
和緒 玲子
揚雲雀鳴き止み落つるショーなりき
三好三香穂
ひきこもる窓ほんのすこしの雲雀かな
竹本  仰
青春て密でありんす揚雲雀
藤川 宏樹
ひばり追いかけ辿り着く春の背中
薫   香
あんぱん
餡パンの歯形は妻か春の風
竹本  仰
惜春や餡に届かぬ一口目
藤川 宏樹
アンパンを二つ並べて山笑う
岡田 奈々
何が嬉しくて春日に皆あんぱん
和緒 玲子
施設の母の「あんぱんこうて来て」
薫   香
春風に吹かれあんぱん飛んでった
銀   次
あんぱんや土佐のはちきん心意気
末澤  等
カラーコン人差し指に風光る
藤川 宏樹
煌めきは光にあらず春の闇
各務 麗至
行く春の光一縷をカンバスに
和緒 玲子
闇いつも光の向かふ夕雲雀
和緒 玲子
光る一滴春田を猪駆け抜けた
竹本  仰
おならとも雄叫びとも夕光ゲのさくらさくら
野﨑 憲子
八重桜透かして見てる光と影
末澤  等
春一番光となって壊れけり
各務 麗至
湿っぽい
湿っぽい=裏山に埋められた人体模型
銀   次
さくらちる湿っぽい夜の月嚇(かっ)と
竹本  仰
木道に水芭蕉咲く湿地帯
三好三香穂
湿っぽい貴女の目元黄水仙
末澤  等
春落日水平線からアンパンマン
野﨑 憲子
雛じまい丁寧に包む平穏を
岡田 奈々
花見とう国中宴会する平和
岡田 奈々
鳥雲に古墳平らにして緑
和緒 玲子
ほど良く忘れ道は平らにさくら
薫   香
手の平や軋み燃え立つ花のジャズ
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

今回は、淡路島より竹本 仰さんが高松の句会にご参加くださり、いつにも増して楽しく熱い句会になりました。冒頭の写真は山口県の山下一夫さん撮影の「一の坂川(後河原)の櫻」です。竹本さん、山下さんありがとうございました。

【通信欄】今回の<今月の誤読>は、作者の銀次さんが入院中でお休みです。手術も成功し、近々退院されるそうなので、ご安心ください。

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