2025年5月26日 (月)

第161回「海程香川」句会(2025.05.10)

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事前投句参加者の一句

俳句てふ極楽強き蜂棲めり 岡田ミツヒロ
農耕の血はうすめられ紫木蓮 松本 勇二
新樹光きらりゆうらり吹かれけり 各務 麗至
星蝕やひかがみしづかなる五月 小西 瞬夏
雨だれのよう藤の花藤の花 月野ぽぽな
ふらここやなんにもしないでと言はる 藤川 宏樹
傷ひろげた揚羽励ますマンドリン 津田 将也
シャラシャラと心の自販機夏の貌 岡田 奈々
老鶯や空にはやはり襞がある 川本 一葉
古本屋の吉本ばなな穀雨かな 大西 健司
新緑や雨の匂いのアッサムティー 松岡 早苗
草萌ゆる平飼い卵の五つ六つ 疋田恵美子
声満ちる校庭に降る桜かな 石井 はな
うたた寝や昭和百年目の風船 桂  凜火
右手から気抜けしてゆくさつきあめ すずき穂波
国難とふ干しぜんまいの祈りかな 荒井まり子
焼け原の自棄っぱちの一心 豊原 清明
遥か安房(あわ)の灯青き二、三は鰯の眼 野田 信章
誰彼に電話したい日菜種梅雨 野口思づゑ
自撮りして五月の我貌違和異相 時田 幻椏
積乱雲フルート奏者登場す 森本由美子
雨音の沁みる憲法記念日よ 河田 清峰
熱っぽい沈黙続く躑躅かな 河野 志保
蕊切つて百合つまらなくなりにけり 和緒 玲子
一枚の色となりけり風車 佳   凛
都わすれ鼻緒の切れた下駄下げて 銀   次
読み聞かせ緑夜の雫なる母よ 三枝みずほ
目つむれば「われに五月を」修司の忌 稲   暁
まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ 佐孝 石画
夕焼けが絵本のような過疎の村 綾田 節子
水の中レタス剥ぐよう吾を解く 薫   香
魂はからだを抜けて夏の蝶 松本美智子
喧嘩して短き黙やわらび餅 樽谷 宗寛
母乳くっくん春鳥はみなみどり 福井 明子
戦争の話は法度夏の家族 重松 敬子
花冷えや歯並び悪い深海魚 塩野 正春
俎板も桶も束子も干して夏 大浦ともこ
泊まってけ寂しげな目や子供の日 滝澤 泰斗
すずめのこ一瞬口づけアスファルト え い こ
背負うもの束ね小舟に菖蒲添えて 伊藤  幸
五月の空になったやさしい尾白鷲 十河 宣洋
春落日にわとりまだまだ戻らない 植松 まめ
麦の秋讃岐平野はオセロ盤 漆原 義典
ふらここの真下銀河は創世記 島田 章平
夕桜いつかの吾とすれ違う 三好つや子
花馬酔木きみは嘘泣きうまくなり 増田 暁子
若葉風吹くたび光る山の峰 末澤  等
少年の美しきうなじよ柿若葉 向井 桐華
ふらここや自分のせいと呟いた 高木 水志
八十八夜ここまで生きて一服す 若森 京子
統一の五十周年嗚呼ホーチミン 三好三香穂
憲法記念日ぽちたまわたしにコメのめし 吉田 和恵
うりずんや犬は哀しい顔をする 河西 志帆
存在と無印良品サングラス 田中アパート
幻影のアメノウズメや花の闇 柾木はつ子
悼むとき芹の根っこの縺れよう 榎本 祐子
なれるなら手放す赤い風船に 柴田 清子
春風か 美男がバスに軽やかに 田中 怜子
俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず 山下 一夫
褌一丁の漢ぞくぞく修羅落し 新野 祐子
ブレーキ痕ヒロシマロシアかたつむり 竹本  仰
曇天のうすき木の影雉走る 亀山祐美子
弁当の紐飛ばされる春の海 遠藤 和代
生涯の失せ物探す麦の秋 藤田 乙女
八月の水に手を置くいつまで置く 男波 弘志
半島に休火山あり燕くる 菅原 春み
火の鳥の幼な眠るや真蛇の巣 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「五月の空になったやさしい尾白鷲」。オジロワシが空になったと感受した感覚の冴えをたたえます。

小西 瞬夏

特選句「蕊切つて百合つまらなくなりにけり」。一句一章。よくばらず、ちいさな発見をあっさりと、しかしきちんと言い留めた。花粉をまき散らし、周りをよごしてしまう蕊だが、それがないとあの百合の醸し出すものがなくなって、ただのきれいな白い花になってしまう。「つまらなく」という気分、そして百合の本質をしっかりと書いていると思う。

十河 宣洋

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。解放感が一杯。スカッとした気分が出ている。特選句「花冷えや胡蝶蘭の白つんとして(薫香)」。花冷えでなんとなく気分は落着かない。部屋の胡蝶蘭は真っ白に花を付けている。つんと澄ましている気分が面白い。

福井 明子

特選句「星触やひかがみしづかなる五月」。しずかなる五月、に魅かれました。草木の萌えいずる春の最中に、静謐なものへのまなざしとして、星触、ひかがみ、という言葉に触れ、見えないものへの想いがふくらんでゆきます。

樽谷 宗寛

特選句「半島に休火山あり燕くる」。句がすつきりしてる。燕がよいです。

津田 将也

特選句「幻影のアメノウズメや花の闇」。俳句で「花の闇」という言葉(春の季語)は、春の夜の美しさ、儚さ、静寂さ、非日常、といった要素を同時に表現しています。「幻影」は、感覚や記憶の錯覚によって、実際には存在しないのに、あるかのように見えるものを指すことや、もう一つは、過去の自分の幼少期の姿や思い出を指す場合があります。今、作者の心の中には、季語「春の闇」によって感じている「アメノウズメ」の幻影がはっきりと影像化(影像=絵画などに表された神仏や人の姿)されています。

すずき穂波

特選句「八月十五日水に手を置く(男波弘志)」。簡素な句だ。それだけにかえってじ〜んと来る悲しみ。この水は現代の水。生活の中の日々の水。例えば洗面器に満たした静かな朝の水。その上にそっと手を置いたのではないか。手のひらに吸い付いてくるような水の感触を感じた時の句だと思う。戦争の海に沈んで逝った人の、原爆下の川に水を求めて逝った人の、その水を静かに深く我が身に感じているのではないか。

柴田 清子

「八月十五日水に手を置く」。「八月の水に手を置くいつまで置く」。 どちらも特選です。忘れてはならない八月十五日、なくてはならない水。でもって心にずっしりと、考えさせられる、重たい重たい句です。

佐孝 石画

特選句「古本屋の吉本ばなな穀雨かな」。かつてのベストセラーが複数冊佇む、古本屋によくある風景。店内の匂いと湿度、そして冷んやりとした暗さ。「古本屋」「吉本ばなな」「穀雨」の即物的な配合には玄人の手腕を感じた。ただ、音感としては「古書店」とする方向性もあったと思う。

桂  凜火

特選句「なれるなら手放す赤い風船に」。作者は、風船になりたいのだろうか。変わった願望だが、もしなれるなら何を手放すというのだろう不思議だが、妙に切ない句だと思った。特選句「悼むとき芹の根っこの縺れよう」。人を悼むという行為にまつわる様々を芹の根っこの縺れようとたとえたところが絶妙だと思う。

男波 弘志

「俎板も桶も束子も干して夏」。大変潔い表現に惹かれました。うだるような暑さではなく、五月の頃を思った。その方が景は鮮明だろう。もし八月にこの句を読んだらそうは感じなかっただろう。その意味で言えば「夏」を「首夏」としたほうがより句意は明瞭であろう。秀作

藤川 宏樹

特選句「一枚の色となりけり風車」。色鮮やかな風車が風を受け、勢い良く一斉に色を失い回っている。行ったことない恐山で、風車が一枚の色となる景が浮かんで来ている。

松本美智子

特選句「蘂切って百合つまらなくなりにけり」。この句を詠んだとき,「まさに・・・ほんと!!同感!!」と感動をおぼえました。百合のおしべのあの紅い花粉は周囲のものに色が付いたらのかない,のかない・・・百合の花の生命力の源ですから百合にしたらお節介なことですし、人間の都合で自然美を歪めてしまっている罪悪感もありつつ・・・それでもやっぱりあんな頑固な汚れは我慢ならず・・・いつもおしべの紅い花粉の部分取ってしまっています。でも、どこか締まらないぼんやりした百合になってしまって少しがっかりしてしまうのでした。百合さん、つまらないなんてごめんなさい。でも、本当に「つまらない」花になってしまっているの・・・いつもありがとうございます。

大西 健司

特選句「花冷や歯並び悪い深海魚」。〝歯並び悪い深海魚〟ってなに?から始まるが、どこか気になる一句。この深海魚はお籠もり感強めの私か誰かだろう。だけどやっぱり深海魚がにゃっと笑って歯並びが悪いんだよなってつぶやいていてほしい。

榎本 祐子

特選句「星蝕やひかがみしづかなる五月」。緑旺盛な中にひっそりとあるひかがみ。星蝕の文字のもつ視覚的な美しさや、音感もひかがみと響きあう。

伊藤  幸

特選句「うたた寝や昭和百年目の風船」。うたた寝に目が覚めてふと見上げると風船が浮かんでいた。ただそれだけのことであるが昭和百年が効いている。「昭和は遠くなりにけり」などとは言わせない。昭和生まれの私たちにとって昭和はマダマダ生きているのだ。特選句「褌一丁の漢ぞくぞく修羅落し」。修羅落しとは雪が解けて川が増水した頃、運ぶために伐採した木材を上から滑らせること。現在ではあまり見られなくなったそうだが男達が雄々しく叫び声をあげながら大自然の中逞しく生きる姿が目に浮かぶようである。実景でなくともこのような句は後世にまで残したい句である。

岡田ミツヒロ

特選句「憲法記念日ぽちたまわたしにコメのめし」。日本国憲法は米のめしだ。戦争していたのでは、めしが食えない。それは前の戦争で実証済みだ。わざわざ憲法を改えて、欲しがりません勝つまでは、とはあまりに寒すぎる。特選句「九条の空みどりごの指差して(三枝みずほ)」。爆音のない静かで美しい九条の空、そこには、崇高な理念と子供らの未来が輝いている。戦争の最大の犠牲者は意思表示もできない子供ら。平和への願いが胸に沁み入る。

和緒 玲子

特選句「春落日にわとりまだまだ戻らない」。散文的ではあるが描写が効いている。字余りに作者の優しい眼差しを感じる。

島田 章平

特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。「八月と水」、日本人にとっては、忘れがたい組み合わせ。「いつまでも置く」の結句に、平和への強い意志が表れている。

川本 一葉

特選句「農耕の血は薄められ紫木蓮」。紫木蓮の赤はなるほど血のようである。そしてその赤はしばらく経っているかの赤。農地を離れるのは農耕の血が薄められているに違いな い。もう一つ特選句「芯切つて百合つまらなくなりにけり」。黄色い芯の花粉は服などにつくとなかなかのかない。それで花屋さんで買った百合は芯が切られている。黄色い芯がないと百合じゃない、 私も常々感じていたことを俳句にしてくれた。思わず「そうです」と呟いた。

若森 京子

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。日本人は農耕民族なのだが、その血統も次第にうすくなり農家を継ぐ人も少なくなっている。一句の中の季語の紫木蓮の美しい花が、その血の色の様に思えるのも不思議。特選句「ブレーキ痕ヒロシマロシアかたつむり」。まず一句のリズムの良さ。ヒロシマとロシアに強いブレーキ痕があり、季語の〝かたつむり〟が、いかにも柔らかく無関心の様に置かれているのが妙に惹かれた。

疋田恵美子

特選句「星蝕やひかがみしづかなる五月」。若き頃のような活発な活動から今は遠のき静かな別邸での暮らしのように思えます。特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。私の故郷そのものです。

各務 麗至

「魂はからだを抜けて夏の蝶」。何か書こうとしたけれど・・・・、何か超えたものがあって、どうも書ききれないな、と。特選。「老鶯や空にはやはり壁がある」。青空に見えるのはカーテンかも知れないし、真空とか暗黒とか人間原理では計り知れない宇宙空間は壁かも知れませんね。若い溌溂とした声の鶯では思いつかなかったのかも知れません。(壁としての選です)

植松 まめ

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。うまく評は出来ませんがとても惹かれた句です。特選句「母乳くつくん春鳥はみなみどり」。身内から赤ちゃんの便りが無くなって久しい。乳臭いわが子を抱きしめた時代が懐かしい。春鳥はみなみどりがいいと思う。

塩野 正春

特選句「農耕の血は薄められ紫木蓮」。いやはや国の農業政策の悲惨さは目に余ります。まさに日本米流通が混乱の極みです。車を売るために米農家を犠牲にするとは何たる事、さらにこれら両者が関税の為つぶされるとは。 吾が国の為政者どもは原始の時代の狩猟を農業に転換した血の努力を亡くそうとしている。俳句で詠むことは何の力にもならないが発信したい。金子兜太師匠の思いに沿って。特選句「蜜蜂の分蜂ダイナミックな別れかな(植松まめ)」。不思議な生命体蜜蜂。蜜蜂の行動はノーベル賞を得たほどの不可解な行動ながら、花など他の生命体と協働して自然をコントロールする。一個の巣に女王蜂は一匹、多くの働き蜂が育てる。そのうちもう一匹の女王蜂を育て始め、元の巣を集団で別れる。誠にふしぎな行動で科学者も解明できていない。私は仕事で蜜蜂につくダニの駆除剤を研究したことがあるのでこの句は大変興味深い。問題句「国難とふ干しゼンマイの祈りかな」。干しゼンマイは太古の昔から保存食として大切にされてきた。飢饉のとき、武者が戦争するとき、籠城の時など、壁に塗り込んだり縄に綯ったりして非常時に備えた記録がある。神事にもささげられた。ただ、この句の国難が今の日本を表していて、干しゼンマイ的な救いを求めているのか、なかなか理解しにくい。句は力強い。

月野ぽぽな

特選句「囀りのみどりきみどり手芸箱(三好つや子)」。囀の中お裁縫をしているのでしょうか。みどりきみどりは、鳥の鳴き声とも思えますし、周りの木々のようにも思えます。手芸箱の色かもしれませんしその中にある糸たちかもしれません。中七のこの感覚の融解感と上五から流れる音律の良さが、小気味よい意外性を持つ下五に辿り着くとふわっと日常の幸福感が立ち上ってきます。人生って素敵です。

岡田 奈々

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。楽しいのか嬉しいのか哀しいのか、がっかりなのか、憎らしいのか人間の感情を素直に出さず、暗に出す。正に麻薬のような辞められない止まらない極楽なのか?です。特選句「うたた寝や昭和百年目の風船」。馬車馬のように奔りすぎた百年。あっという間に萎みます。「素手で抜く杉菜忘れたいことばかり(福井明子)」。スギナは早い内なら、土筆として愛でても食べても最高ですが、スギナに成るのはすぐで、幾ら抜いてもどんどん生えてくる。結構硬くて、抜きにくい。忘れたくなるようなことは早く処理しようね。「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。だんだん農家の方は歳を取り、子供にも継がさず、放棄田ばかりになり農家の数は減る。一方紫木蓮はどんどん濃く逞しく生い茂る。本当は欲な事を考えなければ、農家も続いて行くはずなのに。「春の土うわさ話が匂い立つ(高木水志)」。春の土は草いきれがもわっとして活気がある。うわさ話ももわっとしたところから湧き出てくるのか。「陽炎える野辺の送りは順列です(吉田和恵)」。陽炎が出来るほどの日中の野辺の送りは勘弁して欲しいです。死者の葬送の列には明らかに順番があります。親族、縁者、会社、自治会、友人、他人(こんな人居たっけ)。「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。確かに百合の花粉は散ると凄い色が着きます。けれどそれを取ってしまうと、無防備な状態です。毛を刈った犬みたいな。「喧嘩して短き黙やわらび餅」。喧嘩してぷんぷんしながらお互いに違う方向き、食べるわらび餅。可笑しくて笑ったら、きな粉が飛んで、とんでもない事に。「俎板も桶も束子も干して夏」。暖かくなったら、何でもかんでも洗って干したく成ります。奇麗になりそうな気がして。「地球儀のくるりと廻し燕来る(川本一葉)」。燕の飛び方はその通りだと思います。日本で巣立つた燕は何処までも帰るのかな。今は来なくなった燕今も時々思います。

河田 清峰

特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す(綾田節子)」。生きている限り亡くなった人たち忘れられない。

石井 はな

特選句「誰彼に電話したい日菜種梅雨」。なんとなく人恋しくて誰かと話したい、声が聞きたい日って有りますよね。歳を重ねて身の回りが寂しくなると余計にそう思うのかもしれません。

竹本  仰

特選句「遥か安房の灯青き二、三は鰯の眼」:何となく背景の安房の海の広さを感じさせていて、迫力があります。その青い日の中に見出したいのちのありかに心躍らされているようで、作者の心の動きと呼応し合っているなと思いました。何でしょう、希望みたいなものをひそかに求めていた心にパッと一瞬火が付いた感じなのかなあ。特選句「まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ」:想像力が遠くの新芽もはぐくんでいる。ヘンな言い方ですが、芽は見ることによって芽になるというか。シャッターを切って、やっとその瞬間が残されていくというような。本当は見えないものまでそこに写り込んでいるわけで、そんな見えないものまで見えてくるというのが発見ではないでしょうか。作者のまたたきが写り込んでいる句ですね。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」:「吾」と「我」の違いって何だろうと、今回調べてみましたら、「吾」の方は儀式のようなところで頂いたものを器にしまい大事に守るような字の成り立ちで、「我」の方はもともとノコギリの形で何か切っちゃうというところが始まりらしいですね。そういう見方でいくと、何か懸命に守って来たかつての私、あれは何なんだろうなという問いがここにあるようですね。それも巡りあうのではなくて、すれ違う。ここに厳しさと淋しさがあるのでしょうが、とても現実を感じさせます。二度とは会えぬきみ=私、当たり前だが、わたしは今のわたしでしかない。そんなすれ違う風を、その音を感じたような気がしました。以上です。♡日々、勉強。と、よく感じます。何でもかんでも勉強が大事だなと思います。世界は広すぎてわからないことだらけだから、虫が生きてゆくように何とかむしむしとくっ付いていきたいと思います。みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。

増田 暁子

特選句「水の中レタス剥ぐよう吾を解く」。繊細な感性に感嘆しました。 下5の言葉が沁み入ります。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」。すれ違うのは若い無鉄砲な頃か、それとも悩み多き頃か。懐かしい自分がいた様な想いでしょうか。

漆原 義典

特選は「誰彼に電話したい日菜種梅雨」です。菜種梅雨の雰囲気が、上五の誰彼によく表現されています。素晴らしい句ありがとうございます。

柾木はつ子

特選句『目つむれば「われに五月を」修司の忌』。彼の作品はあまり読んでいませんが、寺山修司と言う名前だけで青春の懐かしい日々が蘇ってまいります。五月を渇望し、五月に逝った修司。私もまた一年で最も輝かしく、生気溢れる五月に逝くことを願っているのですが…特選句「俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず」。工具の使い方次第で面白くもつまらなくもなってしまう。なるほどと納得させられました。

河野 志保

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。この「強き蜂」は作者自身のことであろうか。俳句という極楽をやみくもに嗅ぎ回り謳歌する。私もこの蜂のようでありたいと思った。

三枝みずほ

特選句「熱っぽい沈黙続く躑躅かな」。沈黙に熱っぽさを感じ取る作者の鋭さ。特選句「焼け原の自棄っぱちの一心」。荒々しい表現の中に語感や言葉選びの繊細さが光る。字足らずのリズムも自棄っぱちの心情に沿ってくる。

豊原 清明

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。好いなと思うのは、明らかに「俳句」を楽しんでいる人が創った句と、伝わるから。羨ましい。問題句「すずめのこ一瞬口づけアスファルト」。すずめのこの柔らかなイメージを感じます。現は「アスファルト」。厳しい暮らしかな?

荒井まり子

特選句「背負うもの束ね小舟に菖蒲添えて」。一読、藤沢周平の世界に引き込まれた。「平凡でいい。ひたむきに生きよう」と。市井の人々に向ける眼差しが優しい。

三好つや子

特選句「星蝕やひかがみしずかなる五月」。全方向に光が満ち、若々しくまぶしい五月のさなか、老いてゆく星があり、老いてゆく私が居る。この句から抗うことのできない時間の流れを感じました。特選句「熱っぽい沈黙つづく躑躅かな」。とある事案を前に不気味な沈黙が横たわる会議室。誰かが声を発すれば次々と意見が飛び交い、収束がつかなくなる、そんな直前の静けさを巧みに詠んでいます。「夕焼けが絵本のような過疎の村」。原石鼎ゆかりの奈良県東吉野村を歩いたときの景色が、この句と重なりました。「母乳くっくん春鳥はみなみどり」。くっくんというオノマトペが、原始の本能をくすぐります。「娑婆遮那と旦那前世のつばくらめ」。娑と婆、遮那と旦那のように部首がおなじで、かつ語の響きの似た漢字の配列に注目しました。

松岡 早苗

特選句「白南風やにぎりこぶしのやわらかさ(小西瞬夏)」。拳には本来硬いイメージがありますが、白南風の明るい輝きのもとでは柔らかく感じられるのでしょうね。「白南風」に突き出す「にぎりこぶし」、そしてその「こぶし」の「やわらかさ」。絶妙な取り合わせで梅雨明けの空気感を表現していると思いました。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」。満開の桜には、不思議な妖しさがあります。まして薄暗い逢魔が時、過去の自分が向こうから歩いてくることもありそうなと、すっと納得させられ、ざわざわっとした余韻が心に残る御句でした。

末澤  等

特選句「読み聞かせ緑夜の雫なる母よ」。「緑夜の雫なる母」とは如何なる母なのか良くは分かりませんでしたが、その言葉の使い方が素晴らしく感じました。

野田 信章

特選句「悼むとき芹の根っこの縺れよう」。芹摘みの景に重ねて展けてくる作者の心情の景が垣間見えてくる。中句以下の修辞を通して、故人との関わりの深さ、その葛藤のさまが察知されるところである。再読していると、それらの歳月の重たさも芹の水の流れと重なってゆき、澄明感を湛えているようにも思えるところがある。昔日の芹摘みの水辺のさまが蘇って、この句を味読しています。

新野 祐子

特選句「雨だれのよう藤の花藤の花」。とてもシンプルで韻律が何とも心地よいです。特選句「熱っぽい沈黙続く躑躅かな」。「熱っぽい沈黙」が、朱や赤や紫の情熱的な色のつつじを、いみじくも言い表していますよね。

高木 水志

特選句「ふらここの真下銀河は創世記」。すごくダイナミックな光景だと思って取りました。ビッグバンがブランコの真下にあったのなら驚きです。

菅原 春み

特選句「ひとつずつ島潰されて三月十日(滝澤泰斗)」。大空襲で貴重な島が潰されていったのですね。淡々と書いているだけに哀切を禁じをえません。特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。八月も肝に命じておきたい敗戦日の月です。水に手を置くという動作が何を意味するかを考えています。被爆したらすぐに水を飲んではいけないといわれていますが、やけどをした心身を癒やすための水を置くでしょうか。

亀山祐美子

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。畳みかける様なリズムが好きです。何か大きな集まりがあったのか、全て洗い上げ日の光に当てる清潔感。安堵感。たとえ日常の景だとしても同じ充実感や満足感が伝わります。昔ながらの木製の俎板や桶。棕櫚の束子が見え懐かしさを感じます。何気無い日常の一コマを『夏』の季語が支える佳句。

森本由美子

特選句「八月の水に手を置くいつまでも置く」。八月は特に日本人にとって終わりのない鎮魂の月。<水に手を置く>という表現の静粛さと詩情に心を打たれました。

向井 桐華

特選句「蕊切つて百合つまらなくなりにけり」。つまらなくなってしまったと言い切る度胸というか勇気というか、そこに惚れてしまいました。感服です。

薫   香

特選句「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。ただこれだけのことなのに、そうなのよねと共感しました。素晴らしいです。特選句「読み聞かせ緑夜の雫なる母よ」。緑夜の雫というフレーズに心を掴まれました。

銀   次

今月の誤読●「ふらここや自分のせいと呟いた」。ぼくは自分のベッドで寝ていた。なにやらパチパチはぜるような音がして目が覚めた。もうそのときは部屋じゅう火の海で天井にも火がまわっていた。ぼくは一瞬なにが起きているのかわからずボーッとその炎を見つめていた。しばらくしてわれに返ったぼくはワッと叫んで飛び起きた。「火事だ! 火事だ!」と叫んで廊下に出た。そこもまたあちこちから火の手が上がり、炎の川のようだった。ぼくは必死で両親の寝室のドアを叩いた。「火事だよ!」。父さんと母さんが慌てて出てきた。父さんが「逃げろ!」とぼくと母さんの手を取って玄関から庭に走り出た。振り返るとすでに家はゴウゴウと炎をあげ、燃え上がろうとしていた。やがて近所の人が集まりはじめた。父さんと母さんは庭に坐り込みブルブル震えている。お隣の奥さんが母さんの肩を抱いて「大変な目にあったわねえ」と声をかけた。母さんはイヤイヤをするように首を振り「わたしのせいに違いないわ。ちゃんと台所の火の始末をしていれば……」と涙声でいった。「違う!」と父さんが大声でいった。父さんは膝の上に置いた拳を握りしめ、「違う、わしだ。わしが仏壇の線香を消し忘れたんだ」と悔しそうに泣いていた。ぼくは両親やそれを取り巻いている近所の人々から離れ、道一本隔てた町内公園へと歩いていった。ブランコに腰を下ろし、ユラユラと揺らした。えーと、とぼくは呟いた。父さんも母さんも知らないんだ。ぼくが自分の部屋で、マッチ棒を使ってキャンプファイアーごっこをしていたことを。そしてもう一度、えーとといい、燃え盛るぼくんちを見つつ、ごくごく小さな声で「黙っとこ」と自分にいい聞かせた。遠くから消防車のサイレンが聞こえた。

野口思づゑ

特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。家々がまばらで、人間の活動も感じられない、だからこそ夕焼けが美しく、影絵のように今存在しているものたちが浮き出ている。その光景を絵本のページと捉えたセンスが光っている。特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す(綾田節子)」。そう来ましたか。亡き母は、自分が生きている限り私の心の中で生きている。お母様に対する思いが溢れています。「囀りのみどりきみどり手芸箱」。リズミカルで春のウキウキ感が伝わってくる。♡毎月力作ばかりで選ぶのも簡単ではありませんが、楽しい作業ですよね。では句会報などお待ちしています。今月もお世話になります。

稲   暁

特選句「俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず」。ねぎぼうず、の抑えが効いています。作者が心から俳句を楽しんでいる様子が窺えます。

吉田 和恵

特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。八月の水といえば被爆者が求めた水を想う。時が経ち、いつまでその水を想っていられるだろうか。自戒も込めてきびしく問いかけられている。

山下 一夫

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。勤勉や協調という美徳と保守や斉一性という桎梏。農耕民族である日本人の特徴とされてきましたが、昨今はリアリティが薄れてきています。農村と共にあるイメージが強く、よどんだ血のような色という感じがしないでもない紫木蓮が効いています。特選句「星触やひかがみしづかなる五月」。遥か天空の星触と身近なひかがみは対比的でありながら、しづかで密やかである点で通じています。それらと爽やかで明るい五月とのアンサンブルがとてもオシャレです。問題句「どんぶり一杯蕨食らえば同志なり(新野祐子)」。何人かで蕨採りにいってたくさん採れたのでしょうか。蕨はうまくあく抜きをしないと食中毒を起こします。そんなものを各自?どんぶり一杯食べるなんて豪傑ぞろい。しかし、どうせならフグ三昧で同志を確かめ合いたいものです。

田中 怜子

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。今回の米不足についても、減反政策のつけ、また都会では農地がどんどん宅地化(相続税のために)。私は怒っているけど、この方は“農耕の血はうすめられ”とうたっている。紫木蓮の美しさに諦めも感じられる。でも、本当に国は、日本にとって必要なことを考えなければいけませんね。それは我々自身が真剣に考えなければいけませんね。特選句「ひとつずつ島潰されて三月十日(滝澤泰斗)」。これを読んで、先の第一回「海原」高松&小豆島大会で帰りは福田港から姫路まで船で帰った時のことが思い出されました。通り過ぎる小さな島が削りに削られて、島の形を呈してなかった。東京では、あちこち再開発と称して、スカイスクレーパーが林立、島を潰して虚構のビル群へ。私の目には、その建物群からガラスが砕かれきらきら舞い落ちてくる光景が浮かんできます。「自撮りして五月の我貌違和異相」。これには同感しますよ。私は自撮りはしませんが、自分の写真は撮ってもらいません。「花冷えや歯並び悪い深海魚」。水族館で出会う魚の顔の可愛さ、歯並び悪いのも愛嬌で、どんな生き物もよくみると可愛いものですね。

綾田 節子

特選句「虹立つや離島に移動図書館来(大浦ともこ)」。少し前の新聞で読みました。記憶が定かではありませんが安藤忠雄さんが寄贈したとか?季語がとても効いています。

大浦ともこ

特選句「白南風やにぎりこぶしのやわらかさ(小西瞬夏)」。にぎりこぶしをやわかいと表現したのが新鮮です。人の手の持つ優しさと季語の白南風もひびきあっています。特選句「八月の水に手を置くいつまでも置く」。八月は特別な月と思い、その八月の水に手をじっと置く動作は祈りの様だなと思う。

え い こ

特選句「雨だれのよう藤の花藤の花」。藤の花の繰り返しで、藤棚に溢れている藤が頭の中に映像として、浮かびました。

滝澤 泰斗

特選句「木の元に鬼無生(きなせ)のおやきもさくらかな(樽谷宗寛)」。北信濃の鬼無里(きなさ)という村がある。長野から大町に抜ける街道の狭隘なところにその鬼無里はあり、北信濃のソウルフードのおやきの名産地でもある。私の生まれ故郷からそう遠くもない。花盛りの北信濃の風土記俳句に感心しきり。特選句「新緑や雨の匂いのアッサムティー」。目にも鮮やかな新緑は茶の緑かどうかはともかく、雨上がりを想像させる雨の匂いがいっそう色濃く気分を爽快にしてくれる。そこにアッサムティーはつきすぎの感もあるが、アッサムの茶畑に一気連れ出してくれた。

河西 志帆

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。木の匂いがして、包丁の疵の残る俎板が懐かしいです。薄暗い台所にあるものをお天気にパッと干していた母を覚えています。郷愁となりつつある「道具」たち!そこに光が当たりました。「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。白い服に花粉がつくと、本当にどうしようもなくなります。でも、それは私達の勝手ですよね。つまんないよ。って、百合も言っていそうです。

三好三香穂

「七十を過ぎてもちゃん付け花は葉に(柾木はつ子)」。共感句。花は葉に、は、盛り過ぎかもしれませんが、句を爽やかにしています。実際は黄落かも知れないけど、最近は、みんなお若い!花が散り葉っぱが出てきたところ位で留まりたいものです。

藤田 乙女

特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す」。母と娘の濃い血の繋がりや深い愛や他人にはわからない情念と言うような感覚が強烈に心に迫ってくる句でした。

遠藤 和代

特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。絵本のようなが抽象的過ぎるかなと思ったけれど、作者が一番言いたかったことかな?現代社会の光景が浮かぶ句。

佳   凛

特選句「言の葉の創る力や風光る(藤田乙女)」。句を詠む時の言葉は、いろいろ考えるのに、喧嘩した時の、言葉の無防備さ、後悔する事も度々。この句を詠んで改めて考えました。

時田 幻椏

「八月の水に手を置くいつまで置く」「八月十五日水に手を置く」。同様の句意と思いますが、正しく理解したいと思いますので、作者の自句自解をお願いしたいと思います。宜しくお願い致します。この夏77歳の誕生日を迎えます。半世紀のブランクを超えて75歳の誕生日から描きだした油絵をこの機に、「我貌展」と名付けて個展を開こうと計画しています。俳句に先行された油絵が27年後にやっと追い付きそうです。

先ず以ってこの質問をされたことに深く敬意を抱いております。よほど俳句表現を突き詰めない限りこのような問いは出てこないでしょう。誠に麗しいことでございます。初めにお伝えしたいことは「戦争俳句」についてですが、こういった題材は普遍性を生むことが大変難しいと思います。つまりこういう凄惨なことが在った、そういうところで止まってしまうからです。にんげんが生きてゆく為に必須なことは未来への一歩でしょう。「世界が平和にならなければ個人の幸福はありえない」と詩人の宮沢賢治は高らかに宣言しておりますが、自分もこの考えに諸手を挙げて賛同しております。「あやまちは繰り返します秋の暮れ」三橋敏雄 この一行詩は現代の世界情勢をみると実に芯を突いていると思いますが、しかしここからどうやったら未来への一歩が踏み出せるでしょうか?時間が凝固したまま身動きがとれないでしょう。ここから自句の話になりますが、「八月十五日水に手を置く」ここに描かれたものは顕かに昭和二十年の八月十五日です。終戦日への鎮魂でしょう。ただここにいつまでも止まっていても人類の未来は拓けてきません。どうやってひとりひとりが水平線へ向かって一歩を踏み出すかですが、そこでどうしても必要なのが次の一行詩なのですが「八月の水に手を置くいつまで置く」ここには戦争そのものは提示しておりません。八月の中に在るあらゆるものが綯交ぜに没入しています。そこで何を感じ取るかは読み手に全てを委ねております。片言隻語の一行詩が最も力を発揮するのは暗喩です。ですから戦争をはっきり提示した前句はいまだ直喩の状態ですから自由に歩き出すことが出来ないのです。「いつまで置く」この問いの答えは作者には微塵もないのです。なにひとつ誰かに押し付けてはおりません。いつそこから、水のゆらぎから手を離してもいいのです。否、手を離して踏み出すために、そのために背後にあるのが「八月」なんだと思います。この八月は決して戦争を思い出す為だけにあるのではありません。もっと豊穣なるいのちの盛りが、熾烈に海からも空からも湧き出ております。勿論自身が気の鎮まるまで水に手を置いていればいいんでしょう。しかしそれが戦争に対してだけの祈りだったとしたら、そこには普遍的な祈りなどどこにも無いでしょう。もっともっと深いとこから出てきた祈り、ただただ何かを慈しむ、ただただ隣の人に寄り添う、そういう祈りでなければならない。そういう祈りへ昇華しなければならない。これがこの二つの一行詩を推敲した過程です。謹んでお伝えいたします。 不尽  男波弘志 拝  。

野﨑 憲子

特選句「まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ」。一読、<遠くの新芽>に眼が釘付けになった。この一行詩が縦横無尽に広がって行き、生きとし生けるものの<眼>に、平和への祈りにも見えて来る。兜太師が「俳句をしゃぶれ」とよく話されていた。平明で美しく、味わい深い佳句である。問題句「老鶯や空にはやはり襞がある」。高松の句会では、<襞>派と<壁>派に別れた。というか、<壁>派は、皆読み違えていた。私も同じ。壁だからこその飛躍を私は感じた。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

風天が啖呵切ってる虹の上
島田 章平
風五月バイク百台疾走す
三好三香穂
風光り凛とたたずむ二月堂
末澤  等
風薫る街路樹食べる虫になる
遠藤 和代
音ずれるピアノ首振る扇風機
藤川 宏樹
「新玉あり」と爺の達筆淡路風
岡田 奈々
親指って支えてばかり土筆んぼ
藤川 宏樹
親指を握りしめる朝の夏
薫   香
息きらしつつ梅雨晴れの父母の墓
渡辺 貞子
親の顔見たいと貴女(きみ)は言う
末澤  等
母の忌や刃を入れる親の芋
島田 章平
夜店
ほろ酔ひでアジアの雑踏夜市かな
三好三香穂
ウルトラマンのお面が歩く夜店かな
野﨑 憲子
百円玉入れて夜店のルーレット
銀   次
夜店の灯放射熱線吐くゴジラ
藤川 宏樹
何か分らぬとにかく並ぶ夜店かな
岡田 奈々
梅雨
だるま食堂梅雨はホップな暖簾にす
岡田 奈々
禿頭のてっぺんにポッリ梅雨来たる
銀   次
梅雨晴れ間出てゆく船の眠たさう
野﨑 憲子
梅雨ふかし戦前とふは今のこと
島田 章平
梅雨晴れ間ポンポン音す隣かな
三好三香穂
夏潮
海に線パッチワークに夏の潮
三好三香穂
ふる里に老を過せし夏の潮
渡辺 貞子
夏の潮真黒き闇に香り立つ
末澤  等
夕べ夏潮親指を置いてみる
野﨑 憲子
夏潮や今は遠くに壇ノ浦
島田 章平
夏潮へ地図のない航海
銀   次
下手な句と下手ウマな絵や夏の潮
藤川 宏樹
潮汁ぷくぷく五月病に喝
岡田 奈々

【通信欄】&【句会メモ】

今回は、岡山の小西瞬夏さんとお母様の渡辺貞子さんが、志度からは初参加の遠藤和代さんが高松の句会においでになり、楽しく豊かな句座となりました。瞬夏さんは新句集『けむりの木』を、参加の方々に謹呈してくださいました。ありがとうございました。

今回の袋回し句会も、非公開希望の方が複数いらっしゃいました。全ての方の作品を紹介できず残念です。とても熱い句会でした。

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