2020年7月26日 (日)

第108回「海程香川」句会(2020.07.18)

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事前投句参加者の一句

                     
掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう 藤川 宏樹
祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ 島田 章平
提灯の火がぬめる褥(しとね)の沼 中村 セミ
ホームレス耐え難きを耐え崩れ落ち 田中アパート
竹落葉パントマイムのとめどなく 稲葉 千尋
ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴 野澤 隆夫
昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ 月野ぽぽな
舟虫群れる星占いを糧として 森本由美子
引っ越しにリヤカー借りる青蛙 増田 天志
ノースリーブに刺青がちらり漣す 滝澤 泰斗
ウイルスに悲鳴をあげて梅雨の魚 豊原 清明
一日の空白にゐて冷奴 小西 瞬夏
最初はグー後の人生七変化 寺町志津子
土砂降りの七夕の夜半徘徊す 石井 はな
田水もろていま青蛙生まれたよ 河田 清峰
沼島(ぬしま)よりポルカのリズム梅雨入りす 矢野千代子
父の背は鹹かった日韓の海つづく 若森 京子
意味求める辛い朝ですトマト切る 竹本  仰
母の遺影また笑ってら宵涼し 銀   次
まんのうと何度も言って青田風 松本 勇二
人恋うれば遠のいて行く霹靂神(はたたがみ) 小山やす子
一心に蝉木に語る心を語る 野口思づゑ
深々と逆さに落ちて梅雨の底 稲   暁
まだ過去の鏡見ている半夏生 藤田 乙女
あわあわと梅雨の昼月訃が届く 榎本 祐子
けじめつけにきてががんぼみて帰る 桂  凜火
夏の朝遠くに人を待たせたり 柴田 清子
描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ 三枝みずほ
考(ちち)の声夜店覗けばよみがえる 新野 祐子
葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな 野田 信章
梅雨空に俯く人のブーメラン 高木 水志
病みもせず静かに逝きし雲の峰 佐藤 仁美
太古より放蕩の血筋トマト熟む 十河 宣洋
父と娘の隙間ギャグ程に遠雷 中野 佑海
麦秋や県道を行くコンバイン 松本美智子
誰も存(い)ず光の縞柄とんぼ池 増田 暁子
ふるさとの風の重さよ栗の花 高橋美弥子
相棒って何向日葵のことですか 谷  孝江
卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり 大西 健司
止まり木に老人の影砂時計 田口  浩
光ギヤマンに屈折す沖縄忌 伊藤  幸
郭公がポトリ落とした喉仏 吉田 和恵
夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ 鈴木 幸江
一湾をさらりと舐めし夕立かな 松岡 早苗
オンライン夏休みは象見るんだ 夏谷 胡桃
青葡萄眠り足りない日の愛し 荒井まり子
水中花になつてしまふまでの雨 亀山祐美子
大雨や金魚に酸素欠乏す 菅原 春み
教わった通りに螢殺めおり 男波 弘志
ひそやかに白い夜明けを稲の花 小宮 豊和
雨蛙ぴょんと跳ねたり潦 田中 怜子
百足虫出た世界大戦重戦車 漆原 義典
コロナざれて無職省略的な居間 久保 智恵
せんせいの言の葉いちまい雨に濡れて 佐孝 石画
どくだみをたどって過去に行ける道 河野 志保
友の忌やベンチで食らう柏餅 重松 敬子
躁と鬱もみくちゃにして髪洗う 伏   兎
荒梅雨の夜や海底にゐる如し 高橋 晴子
少し猫背のかの花火師は風の王 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「止まり木に老人の影砂時計」実に地味で静かな句。そして無季。コロナ渦のなかかろうじて開けていた、地方都市のスナックの仄暗さを思う。ポツンといる老人の侘しさが沁みてくる。砂時計が侘しさをなおつのらせる。隣の「傘持たぬ親子三人工場街」こちらもよく似て地味で侘しくて無季。気にかかる句。「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」ゲームのキャラクターのよう、昭和の侘しさと対極。「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」引っ越しに「に」にこだわった。

十河 宣洋

特選句「梅雨の日曜母という名の潮騒(中野佑海)」潮騒の心地良さに浸っている。鬱陶しい梅雨。その日曜日、お母さんと一緒に過ごしている。時々出るお母さんの小言も潮騒のように心地いい。 特選句「提灯の火がぬめる褥の沼」褥の沼の取りようで句意が変りそうである。褥のような沼と取ると沼の広がりとそこに映る提灯の明りが作り出す夜の風景が見えてくる。褥が沼のようだと読むと、この句は急に色っぽいあやしい光を作り出す。どう読むかは、読み手の感性である。私は後者。 問題句「郭公がポトリ落した喉仏」郭公と喉仏の関係の意味が取れない。飛躍しすぎていないだろうか。

小西 瞬夏

特選句「トルソーの全き容夏の空(男波弘志)」手足のないトルソーが全き容であるという真理。頭をガーンと殴られた思いがした。足りないものについ目がいってしまうが、そうではなくてその存在そのものが完全で、すべてであるのだ。夏の空がひろびろと、この真理の大きさを受け止めている。

増田 天志

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」スト―リ―展開が、素晴らしい。老成の花火師は、風を読む。

藤川 宏樹

特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」用事を果たせずに帰ってくる日常のなんでもなくてありそうなことを、うまく言いえているなぁと感心しました。

森本由美子

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ」いまのカオテックともいえる日々の中で、青葉に心を託すひとときに救いを感じた。作者にとって描くとは瞑想することなのだろう。特選句「教わったとおりに蛍殺めおり」誰の心にも潜む弱者への無意識な殺意を巧みにとらえ一行詩としている。問題句「俳人は廃人なるや青芒(小宮豊和)」直感で詠んでいるのか、長い俳人生活の末に行き着いた想いなのか。

島田 章平

特選句「まだ過去の鏡見ている半夏生」烏柄杓の生える頃、まだ梅雨はあけず、じとじと暗い日が続きます。今年の様にコロナ禍に水害が重なるとやりきれません。私達が見ているのはいつも過去の鏡。未来を変えるのは今だと言う事に気が付かなければ。

松岡 早苗

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」:「肺」という即物的な表現が印象的で、ニセアカシアとの取り合わせもおもしろいと思いました。肺胞のようにぶら下がった白い花房の芳香が、昼下がりのけだるい空間を埋めていくようです。特選句「意味求める辛い朝ですトマト切る」:「三角関数勉強して何になるの?」「どうして学校に行かないといけないの?」与えられた価値観に反発したくなるやっかいな思春期。大人になるためにもがいている子どもに、親は黙ってご飯をつくるしかない。もう戻りたくもないし戻れもしないきらきらした思春期を思い出しました。問題句「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな(野田信章)」:「不知火海五月」という力強く勢いのある表現から、「いのちかな」へと一気に流れるリズムが、初夏の命のきらめきを見事に表現。佳句と思いながらも、「牡蠣」のもつ冬のイメージが邪魔をして、結局選びませんでした。頭が固いステレオタイプな自分自身への問題提起です。

松本 勇二

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」虚構ながら喉仏に存在感がありました。

滝澤 泰斗

特選句「号令はイヤ万緑の風が鳴る(三枝みずほ)」今月のナンバーワンの一句に選びました。一読した時の印象では、上五にやや引っ掛かりながらも、万緑の風が鳴るで、即、選びました。それは、私の心の中に「風が吹いたから」でした。バルト三国の一番北の国エストニアの第二の国歌と言われている「平和の子守歌」があります。その中の詩に・・・風が吹いている 私のこころの中に・・・ という、歌詞があります。一九八九年ソビエトからバルト三国は独立を果たしていきます。大きなうねりになったのは、三国2百万の人々はヴィリニウスからタリンまで手を繋いで「人間の鎖」を作り、ソビエトの圧政に抗議し、血を流すことなく、三国ともに独立を果たしました。歌による独立を成し遂げ、世界から称賛されました。その歌の冒頭に くらい闇の向こうから あの日見知らぬやつやってきて 美しい祖国悲しみに震え 寒い冬の時代乗り越えて と、付きます。そして、号令はイヤ に納得しました。昨今の香港の姿を見ると、余計にこの句が身に染みました。みんな何よりも、自由が欲しいのです。師も言いました。俳諧自由と・・・もう一つの特選は迷いに迷って「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」対峙の句は「掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう」甲乙つけがたし、髪洗うの季語で、まさにかみ一重・・・でも正直に言いますと、前者は実感できるが、後者はできない差とでも言おうか・・・ともに、見事な句で感心しました。後者の なう は、変化球でいう手元ですっと抜ける感じが絶妙でした。「一日の空白にゐて冷奴」空白にゐて は、一日の中でたまたま何もしない時間ができたのか、丸一日、何も予定がないのかと、いろいろ考えたが、カレンダーに何の予定の書き込みがない一日の空白が豆腐の白とを勝手に重ねて詠みました。「トルソーの全き容夏の空」夏の空に立ち上がる積乱雲。その積乱雲が青い空の部分をトルソに見立てた。あるいは、雲の形状そのものがトルソになったか。スケールの大きな句になりました。「山の田の太陽を踏み水すまし」小さな昆虫を題材にして、大きな句にしました。感心しきり・・・「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」年齢のギャップ、男と女のギャップ、駄洒落や笑いのツボなどギャップが雷の光と音のズレを生じているように、微妙にずれる感覚を上手に切り取りました。「光ギヤマンに屈折す沖縄忌」爆撃、銃撃、火炎放射器など銃器が発する光はいびつなガラスを通して屈折するように、記憶はストレートでありながら、認められない心情で屈折する。あんなに痛めつけられた沖縄に基地がある限り、戦後は終わっていないし、いわんや、屈折をや・・・「茣蓙で寝る浜の番屋や夏の月」出来すぎなほど美しい光景が想像できました。十七音の力を感じました。「人消えて青空群れている夏野」満蒙青少年義勇兵で、シベリア抑留を経験された熊本の画家・宮崎静夫さんの絵を思わせる句。死者の霊や面影が空一面を覆う。あの、喜怒哀楽を共にした兵はもとより、親兄弟も今はいないな寂しき夏野。

若森 京子

特選句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」父と娘の関係を上手にまとめている。親父ギャグもあり‶遠雷〟の措辞が微妙な関係を想像させる。特選句「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」八月が近づくとヒロシマの句が多く見られるが、‶俯瞰してみるヒロシマ〟次第に遠のいていく様にも思うが、‶卵生の夏〟の季語により、又リアルに我々に近づく様に思う。 

小山やす子

特選句「水中花になつてしまふまでの雨」九州初め全国の異常気象は私達を恐怖に陥れました。表現が詩的だと思いました。

高木 水志

特選句「相棒って何向日葵のことですか」話し言葉が詩的になっていると思う。思いつけそうで思いつかない。

中野 佑海

特選句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ」この異様な明るさは最早神掛かっているとしか考えられません。このノリでこの難局を乗り切って頂ければよろしいんではないでしょうか。 特選句「一日の空白にゐて冷奴」またこの白々とした静寂。まるでお茶をたてて喫しているかのような落ち着き。たった一皿の豆腐を食すという行為にもそれに集中する為の儀式があるかのように。 「成吉思汗メニューのなかに素麦飯」ジンギスカン料理は、羊の肉という、好悪の分かれるこのにおい。付けられるたれの味も羊の肉の個性に負けない突込みでこの上ご飯が肉とたれの個性をやん わり受け止める白米ではなく、負けじ魂満載の麦飯とは。果たして、私の胃袋はこの戦いに終止符を打つことができるのか。「麦茶炊く休校明けて空青く」麦茶の匂いは暑い夏空。それなのに近頃 の空は心張棒が抜けている。「ゆうやけこやけそれから僕らのホームタウン(増田暁子)」夕焼け小焼けが殊更良く似合うのが僕の生まれた町なのさ。って、浪花節だよ人生は。「一心に蝉木に語る心を語る」 自分の悩みを聞いて欲しくて、やっと土から這い上がって来ただなんて、そんな時間勿体なくないのか?大空を駆け巡ってそんな悩みは落っことしておいでよ。「まだ過去の鏡見ている半夏生」も う今年も半分すぎた。でもなお気になる過去を引きずっている。気が長いね。よく覚えていられるね。「水中花になってしまうまでの雨」この雨は地上を皆花に変えてしまうんです。ちょっと後ろ めたい心も。「不知火五月牡蠣立ち食いのいのちかな」昔はたくさんの牡蠣を惜しげもなくバクバク食べていた。不知火の海の汚染された海の今はどうなのか。命はそれでもなお続き、世界は美し い。「コロナざれて無職省略的な居間」ココロナウイルス禍で職もなくなり、どこにも行くところも買うことも無くなり、人との交わりも少なくなり、部屋の中もどんどん無機質になっていく。今 月もコロナ感染者の増加は一向に止まらず。どんな世界になっていくのかな?取り敢えずマスクです。

稲葉 千尋

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」こんな楽しい句をいただき嬉しいです。青蛙だから生きている。そして、リヤカーのなつかしさ、情景が見えます。「太古より放蕩の血筋トマト熟む」特選にしたかったが、「熟む」が「食む」だったら特選。

寺町志津子

特選句「孝の声夜店覗けばよみがえる」一読、父への思いがこみ上げてきた。子どもの頃、父が毎年必ず連れて行ってくれるお祭りがあった。郷里広島の三大祭りの一つである「とうかさん」。毎年六月の第一金曜日の夜から三日間、市の中心部にある日蓮宗「園隆寺」稲荷大明神のお祭りで(稲荷を「とうか」と音読み)、市の中央通りが歩行者天国となり、夜店がぎっしりと建ち並んだ。また、「とうかさん」は別名「浴衣祭り」とも言い、広島ではこの日から浴衣を着始める風習がある。父共々母手縫いの浴衣を着て、父と手をつなぎ覗いた電灯のついた夜店の数々。日頃超多忙な父とのひとときは無上に嬉しく、「海ほおずき」を買って貰えることも楽しみであった。揚句を一読して蘇った父との思い出。若き日の父の声が鮮やかに耳元に。私と同様の経験、思いを抱かれている作者、俳句の力に共感と感謝の思いでいる。

桂  凜火

特選句「騙し絵のそこは肉筆さくらんぼ(伏兎)」どうして「そこは肉筆」なんだろうという疑問がこの騙し絵をリアルなものにしていて、しかも「さくらんぼ」ですから騙されてもいいという気分になります。特選句「相棒って何向日葵のことですか」怒っていますね。でも怒り方がやさしい向日葵のことですかなんて問いかけられたら素敵ですね。ユーモラスでかわいい問いかけがすきでした。

夏谷 胡桃

特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」友の墓に柏餅を持っていったのかしら。いま、お墓に食べ物置いて行ってはだめなので、持ち帰りベンチで食らいつく。友は死に自分は腹が減る。腹が減るのが生きるということ。俺はどこまでも生きてやる、とは言ってないけど、死と生の景色が見えました。

佐藤 仁美

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」いつも笑っている、明るいお母様だったのでしょう。「また笑ってら」が、楽しい思い出と、亡くなってしまった寂しさ悔しさと、複雑な気持ちを現していて、心にじいんと届きました。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」幼い時に庭のドクダミを見て、近寄りがたかった感覚を思い出しました。生け垣の下、少し暗い所にたくさん生えていたドクダミ。その奥に入れば、過去に戻れるんじゃないか…。「たどって」が味わい深いです。

佐孝 石画

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合せつつ」滅入ることも多い日々の暮らしから少し脇道へと足を踏み入れた時の1シーン。ふと見上げるとまばゆい「青葉」。葉裏に日の光を透過し、あたかもしばらく会っていなかった幼年時代の友のはずんだ話し声のように、まなうらを光のベールが包む。ふたたび眼を開き、光を辿り葉を辿り、そのまばゆさを追いかける。そして「呼吸」を胸の内の鈍色のキャンバスに「描いてゆく」。僕もかつて「葉脈のせせらぎに沿い午後の空想」という句を作った。木を葉を下から見上げるという行為は、もしかしたら木々の内部(胎内)から空を見上げる密やかな祈りの光景なのかもしれない。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」この句については語るべき言葉が見つからない。THE俳句。以下はこちらの蛇足である。友の忌」と「柏餅」、そして「ベンチで食らう」という行為が並べられているだけで圧倒的臨場感を読み手にもたらす。俳句は叙述ではないということを、一本の俳句で証明してくれているかのようだ。あえてこの句のニュアンスについて述べると、「柏餅」や「ベンチ」のもつ日常浮遊感と、「友の忌」に対する作者の違和感との親和がもたらした心象風景。「柏餅」は青々とした葉で真白い餅を包むが、その葉自体は食用ではなくただの装飾、香りづけでしかない。ただ、その素朴な風貌に対し、手にした時のその重量感、存在感は口にすることをややためらうほどの緊張感をもたらす。そんな違和感覚と友の死をまだ受け入れきれていない作者の心情が結び合う。公園のベンチで「食らう」のは「餅」でもあり「友」でもあり、友と過ごした日々の感触を忘れはじめているもう一人の「わたし」なのかもしれない。

増田 暁子

特選句「一湾をさらりと舐めし夕立かな」大きな景の句で、中5の舐めしがとても良いと思います。夕焼けが綺麗です。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」むかし共と一緒に食べた柏餅、子供の頃の思い出でしょうか。二人の顔が見えるようです。

田中 怜子

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」とおしむ気持ちが伝わるのと、田んぼにいる小さな生き物への優しさが伝わってくるすがすがしいところがいいです。うらやましいですね。

河田 清峰

特選句「病みもせず静かに逝きし雲の峰」こうありたいものだなあと思う。

高橋美弥子

特選句「ひそやかに白い夜明けを稲の花」稲の花がよく描けていると思いました。夜明け「を」としたところ、助詞の使い方がお上手と思います。問題句 「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな」調べがブツブツと切れているのですこしわかりにくい。「不知火」だけで季語になるのだが、あえて不知火海と書いて「しらぬい」と読ませる意図はどこにあったのでしょうか。

矢野千代子

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」リヤカーとはなつかしい。身近な運搬手段ですもの。「梅雨寒や競馬新聞丸められ」リアルな景です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」何気ない景ですが、焦点が合っていますね。「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」五月蠅がよく合っています。「麦秋や県道を行くコンバイン」県道もいろいろです。「郭公がポトリ落とした喉仏」カッコーの声が聞こえそう。「夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ」夏痩の奥さまへの何よりの一句。「白靴より砂の零るる独語かな」独語がすてきです。「不知火(しらぬい)五月牡蠣立ち食いのいのちかな」‶いのち〟の重さー。

谷  孝江

特選句「教わった通りに螢殺めおり」私の幼なかった頃はたくさんの螢が夜のくらがりの中でそれこそ乱舞していました。何匹かの螢を捕まえて戻り、それを蚊帳の上へ放ち眠ったものです。朝見ると捕まえてきた螢は全部死んでいました。可哀想と思いながらも度々同じことを繰り返していたものです。教わった遠りに捕まえてきて死なせていたのですね。遠い昔に心が痛みます。

鈴木 幸江

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」我が家も仏間に亡き義父母、亡父、そして、師の写真を並べている。しかし、微笑んでいるのは義母のみ。きっと、素敵な笑顔のお写真なのだろう。ぶっきら棒は、物言いにお互いの深い愛情が滲み出ている。宵の涼しさにホッとするほど、日中は暑かったのだ。自然現象と日常の人間関係が溶け合い、そして、愛の世界が浮き彫りになった。特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」心理学では、睡眠を取らない状況を人為的につくり、脳と精神にどのような影響を与えるかという実験が行われている。すると、幻覚、幻聴、精神の病を起こすそうだ。私も睡眠の大切さは身に染みていて、刺激の強すぎる環境は避けて暮らしているのだが、ふと、眠れない夜がある。でも、この頃は、それも味わい深い“いのち”の声として受け止めることができるようになった。作者はそのような心情を“青葡萄”の瑞々しさと香りを味わうように過ごしているのだ。焦りのない素敵な時間が流れている。これからも、このようなゆったりとした心で過ごされることを願わずにはいられない。問題句評「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」まず、“卵生の夏”の措辞に感心した。創造性たっぷり。かつ、三鬼の名句も浮かんでくる。詩的世界の持つ融合の妙が新しい世界を生む可能性を感受させてくれている。卵で生まれてくるという飛躍感。ヒロシマ(原爆体験)に人間の愚かさへの確信をみる。卵から“俯瞰”を鳥の視線と解釈させ、コロナ禍に反省を迫られている人類の今に繋がる。“俯瞰”からは、AIの存在も浮かんでくる。かなり、独断的な感想と思うので問題句にさせていただいた。✓した句:「まだ過去の鏡みている半夏生」「郭公がポトリと落とした喉仏」「人消えて青空群れてる夏野」「教わった通りに螢殺めおり」「夏帽子頷くたびに夕触れる」「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」

榎本 祐子

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」猫背、花火師という物語性。そして実は風の王であるという。この展開が面白くてワクワクする。

伊藤  幸

特選句「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」葬後の森というからには火葬後と思われる。親族を火葬場で見送り、ふと森に目をやると蠅が群がっていた。いつもなら不快に感じるのであるが、今日はやけにあの蠅の手足でさえも愛おしい。作者の愛する親族を失ったやりきれない寂しさが伝わってくる。

菅原 春み

特選句「一切を呑む大落下大瀑布(田口 浩)」大瀑布のダイナミックさが無駄のないことばで詠まれていて感激です。那智の滝を思い出しました。特選句「白靴より砂の零るる独語かな(小西瞬夏)」砂浜か砂丘を歩いている老人の独語だろうか、景色が見えるようです。

野口思づゑ

特選句「最初はグー後の人生七変化」誰かの言葉に、生まれる時は誰も皆同じ・・・とありましたがそれを最初はグーと上五に置き、その後の様々な人生を、土で色が違う紫陽花で表した、季語が巧みに使われた句だと感心。特選句「けじめつけに来てががんぼみて帰る」相手に決着をつけるつもりだったのにふっとそれほどの相手でないと気持ちの整理がついたのか、自分が独り相撲を取っていたのであってたいしたことはないと知ったのか、そんな拍子抜けしたような気持ちがががんぼでよく表現されていると思った。

野澤 隆夫

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」夏真っ只中の若い人、やはり女の人を想像します。漣が効いてます。もう一つ。特選句「沼島よりポルカのリズム梅雨入りす」おのころ島からポルカに乗って梅雨入りの発想が面白い!

吉田 和恵

特選句「梅雨寒や競馬新聞丸められ(大西健司)」競馬やイギリス貴族の趣向で始まったと言われますが、ギャンブルの魔力は仲々のもののようで、丸められた競馬新聞はどこか哀しい。一方,往年の裕ちゃんファン。「裕次郎(ゆう)ちゃんの声かと白いハンカチを」の白いハンカチはかわゆくて可笑しい。

石井 はな

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみは子供の頃から身近にありました。その香りは独特で印象的です。香りは記憶を刺激して過去への道に誘ってくれます。どくだみに導かれて過去への道を見つけたのですね。

月野ぽぽな

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」ノースリーブにちらり、ということは、しっかりと見えているのではなく、その人の腕や首筋が動くと辛うじて見える微妙な位置に刺青があるのだろうか。健康的にエロスが適度な私情を持って描かれ気持ち良い。

三枝みずほ

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」日が暮れて風が通るころふと母を感じる。人が持っている明るい哀愁に胸を打つ。問題句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」"ギャグ程に遠雷"が表現方法としてどうなのか。だがこの表現方法が面白かった。父と娘の隙間だからこそギャグ程にが活きてくるのだろう。

漆原 義典

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」私の家の近くでも郭公がよく鳴きます。郭公の鳴き声の威勢の良さ天真爛漫さに、いつも元気をもらっています。中7下5のポトリ落とした喉仏は情景を大変良く表現していると思います。ちょっととぼけた表現に作者の観察力の鋭さが感じ取れます。素晴らしい句をありがとうございました。

中村 セミ

特選句「トルソーの全き容夏の空」トルソーは、頭や手足のない胴体だけの彫像(マネキンで胴体だけのもの)。それが店先で服を着ていたり、そのままだったり、置いてあったりするが、夏の空の下で夏と一体となって過ごしているように思う。全き容が、いいたい事だろうと思うし、ここが不思議な感じがして面白い

亀山祐美子

特選句『まだ過去の鏡見ている半夏生』『どくだみをたどって過去に行ける道』二句とも「過去」を懐かしむ。過去があって今がある。当たり前だが、人生の後半に来たからこその振り返り。がむしゃらにつき進んだ歳月を懐かしむ気にさせたのは荒い雨の音なのか、身を包む湿気のせいなのか。雨音は後を振り向かせる音なのかも知れない。コロナ禍。豪雨禍。お見舞い申し上げます。まだまだ気が抜けません。皆様ご自愛くださいませ。句評楽しみにしております。

竹本  仰

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」ニセアカシアは昼過ぎもいいですが、夕景の中にあってももいいですね。あの大仰な樹の揺れと、おずおずとした白い花。何というか、青春をつらぬく揺れとでも申しましょうか。昔、西郷輝彦に『星のフラメンコ』という名歌があり、「?好きなんだけど 離れてるのさ」の一節を思い出しました。そして、そのニセアカシアの疲れは甘く、その渋く苦い甘さも青春で、またよい。そんな風に味わいました。特選句「葬後の森の五月蠅親しき手足かな」この森は土葬なんでしょうか?そう取りました。小生の家の近くにも土葬の森があります。そこの草木の育ち方は芸術的です。ハーモニーがありながら凄まじく、雨の夜などその横を通りすぎた部外者は、何だこの森?と一様に思うようです。火葬のあっけなさに比べ、何かすり寄って来るその気配。養老孟司氏はヨーロッパの土葬の墓地に解剖教室にもあった死者の懐かしい匂いを嗅いだと言っていました。死者がそこにある感覚、そんな大事な文化を我々は失いつつあります。コロナに勝つ、も大事ですが、向こうに逝った人々もまた大切ですよね。特選句「ふるさとの風の重さよ栗の花」青春が束ねられている、そう思いました。栗の花のあの悩ましい匂い、そのルーツはつねに故郷に向かいます。我々のこころの故郷ですが、そこに帰らなければ今の自分はないという、そんなどうしようもなさ。でも、その風の中に身を浸してみることがもっとも大事と作者は言っているように感じました。特選句「教わった通りに蛍殺めおり」現代を風刺しているように受け取りました。M※問題が今、その遺された妻の証言で浮上していますが、政治的な問題は二の次にして、人間を何の深げもなく圧殺してゆく、この恒例が我々の傍にいつもあるということは紛れもないことです。善人には悪人が見えないが、悪人にはすべて見えている、というその構造を思い出します。たやすく学校にも職場にもその政治性は浸透して来ます。その政治性のふくむ惨たらしい現実をこそ問題としなければ、とふと勘違いも甚だしく感じた句でありました。

わが寺院の池もひと月前には、朝のうち睡蓮が見事に咲いていましたが、今は鯉が、昔からのが三尾、近所の方が川でみつけた大きいのが一尾、妻が徳島で買った小さいのが一尾、水面をうねらせて元気よく泳いでいます。コロナ禍の中、日々すみやかに過ぎてきましたが、鯉の餌やりの後に「ああぁぁぁ」というあくび一声をあげ、生きているのを実感しています。寺院は年中自粛だなあ、とふと。そうなんです、その感覚で生きている一族の端くれなんですね。まあ、いいか、これも、これで楽しいし。みなさまも、自粛生活ですね、お元気で。また、来月もお願いいたします。

荒井まり子

特選句「ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴」晴れ間の笑に遠くは小松左京の日本沈没の翳りを感じられたか。問題句「雨音も嘘も流れる雲も激情(佐孝石画)」三つのもの畳み掛け。二つ目の嘘に効果あり

銀    次

今月の誤読●「太古より放蕩の血筋トマト熟む」ここに一枚の写真がある。着流し姿のジさまと、その膝に抱かれた四、五歳の頑是ない子(わたし)がいる。お互いに同じ写真を見つめてる。なにげないひなたぼっこ、そう見える。だがその会話はなんともおぞましいものだった。おぼろげに憶えている。こんなふうだった。「どや、ええやろ。ワシのオナゴや。京都の芸子や。ええオナゴやで」。当時はなんとも思わなかったが、いまにして思えばサイテーのクソじじいだ。オレのジさまは女狂いの果てにのたれ死んだ。一時は村で一、二を争う大地主で、干物や乾物でも村一番のなんの何某という名の知れた店を切り盛りしていた。晩年、最後に会ったのは安アパートの一室で、立てかけた三味線を取り出して「これ、ええ音すんねん」と端唄だか小唄だかを唄ってみせた。それっきりだった。恥のさらしついでにオヤジの話もしておこう。オヤジは一言でいえば青白い男だった。笑うことのない男だった。だがそのぶん実直で、陰気だがまず間違いのない男だと衆目の一致するところだった。クリーニング店を営んでいたが、三軒ほどの支店を出して、まずまず親戚のおぼえも目出度かった。だがその男が狂った。競馬に入れあげたのだ。惚れたのはタオバジョーという牝馬だ。バカオヤジはビギナーズラックで勝っただけなのにそのメスに運命を感じたのか、宇治や京都にまで足を伸ばしてその馬券を買いまくった。むろん負け続けた。支店ははがれるように銀行に持ってかれるし、オヤジは弟子筋の店で雇ってもらってアイロンがけしていた。おふくろはとっとと別れて飲み屋の店を開き、それなりに成功していた。さてさてさて、放蕩三代。おあとに控えしはあたしでござんすが、どう考えてもつまんねえ。俗に飲ム、打ツ、買ウ、と申しますが、あたしゃその程度のニンゲンでござんす。飲ム、はい飲みます。でも死なない程度にね。打ツ、はいバクチは大好きでござんす。でも命ギリギリは賭けたことがねえ。血で血を洗うような勝負をしたことがねえ。外国のカジノにもよく出入りしますが、まあ大した勝負はしてません。買ウですか、これは最初に童貞を捨てたのが売春婦でして、その女と二年ほど恋人関係がつづきました。まあ、ひととおりのことはしましたが、わたしのはジさまやオヤジのような気迫がなかった、滾る血がなかった、破滅への覚悟がなかった。それを良しとも否ともいえない。ただこれだけはいえる。オレの右手には芯まで熟したはちきれんばかりのトマトがある。いつ握り潰してもいいんだぜ。

新野 祐子

特選句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」年毎に脅威を増す水禍、どうすれば防ぐことができるのでしょうか。新しい疫病と自然災害は、これからの世界において最も深刻な問題です。俳句もこの現実を無視しては作れないでしょう。この句はずしりと胸に迫りました。入選句「七夕の星も水魔にさらわれて」「水中花になってしまふまでの雨」特選句と同様の感慨です。二句とも不安感を「もの」に託して詠み、詩に昇華させているなと思いました。

河野 志保

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」 作者の温かい眼差しを感じる句。誕生の姿が生き生き伝わる。「田水もろて」に自然の中での命の結び付きも思った。

田口  浩

特選句「一日の空白にゐて冷奴」独言である。たとえば「空白」と言うことばを得て作句を試みるとき、季語の中から「冷奴」を選んだとする。この時点で「空白」に対して「冷奴」がどのような働きをするのか、作者はおおよそ見えているものである。上五の「一日の」は季語が決まったとき案外労せずに出たのではないかと思う。作者がこの句に対して腸を絞ったのは「にゐて」の三字だったのではないだろうか。肩の力が抜けたとき、すうと降りて来た授かりもののような「にゐて」はそれほどにいい。その上で「冷奴」が懐かしく一句を決めている。―あと次のような句がこころに残った。「郭公がポトリ落した喉仏」托卵を思って?喉仏〟がおもしろい。「オンライン夏休みは象見るんだ」:「象を」でないところが味。後の絵日記が見えてくる。「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」躁鬱を詠み切って爽快。「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」:「茗荷の子」いいですねぇ。

男波 弘志

「ひまわりのひと頃よりの憂ひかな」この表現に至りつくまでの修練が思われます。歩いて来た来し方が観えています。秀作です。「意味求める辛い朝ですトマト切る」‶です〟、の肉声が刃に沁みている。ふと、岩に沁みいる蝉の声 が浮かんだ。秀作です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」‶けじめつけに〟と ‶ががんぼ〟巫山戯ているのか?そうではない。風狂、俳諧、そこには死に物狂いの笑いがある。秀作です。「ゆっくりと夏山に気後れしたり」この距離感、夏山の擬人化だろうか。自我が脱落している。秀作です。

高橋 晴子

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」青葡萄の清涼感が効いて、寝不足の妙な感覚を生かしていて共感する。問題句「蛇衣を脱ぐはま新な明日のため」‶―は―のため〟という常套的な使い方は詩の表現としては最低。蛇が衣を脱ぐのは単なる成長であって、まっさらな明日というのは作者の思い。‶蛇衣を脱ぐ〟は季語として生かして、自分の思いをまっさらな気分になったと、両者を響きあわせればいい句になる。兜太は季語や定型を身につけた上での自由律だからリズム感がある。

豊原 清明

問題句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバディ」勢いで一気に書いたように思える。一気にばっと書いているような印象。それがとても良い。好きな一句。特選句「終焉ってこんな色かも夕焼け小焼け(重松敬子)」夕焼け小焼けに終焉の街を見ている瞳。好きな一句。

野田 信章

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」の句は、若さ故の「眠り足りない日」かと多分に回顧的にも読めるところだが、そこには充実感のある日常の一コマとしての時間の確かな把握がある。これも「青葡萄」の物象感あってのことかと読まされる。

伏    兎

特選句「一日の空白にゐて冷奴」生きていることが実感できない環境を生きているのだろうか。漠然と一日を漂っているような作者の心象がひしひしと伝わってくる。特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」前半の切羽詰まった様子と、後半のとぼけた雰囲気のミスマッチが面白い。覚悟してやって来たものの、何も言えずに帰ってきた自らを、焦れったく思っているのかもしれない。入選句「深々と逆さに落ちて梅雨の底」「水中花になってしまふまでの雨」これでもか、これでもかと降り続ける昨今の豪雨がみごとに捉えられ、共感した。

柴田 清子

特選句「一日の空白にゐて冷奴」自分が気付いている空白、それとも気付いていない空白もあるが、冷奴のあの感触でもってさらりと日常の断面に触れている。特選句「母の遺影まだ笑ってら宵涼し」遺影に向っての、つぶやきの笑ってらの『ら』ぶ母からの愛、母への心情が溢れている。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみの花なら人生の喜怒哀楽の全てを受け入れてくれる花と思う。どくだみの花をたどってタイムスリップするなんて、巧みな心引きつける句ですね。

小宮 豊和

「我と来て空に消される夏の蝶」句全体のリズムがどこかなつかしいのは一茶のおかげ。でもリズムがなつかしいのと良い句であるのとは無関係、いや決してプラスには働かない。「我と来て空に消えゆく友の夢」他もやってみたが大同小異だった。手直しもいまのところ失敗。

稲    暁

特選句「教わった通りに螢殺めおり」素材は「螢」だが、読者の思いはそこに止まらない。人生の喩として読ませる迫力を持つ作品だと思う。問題句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」まさに「梅雨の底」にいる感じ。よく分かるが、欲を言えばもうひとひねり欲しい気もする。

松本美智子

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」:「どくだみ」の花や葉の形はとても不思議な魔力を持っているように思います。どくだみの茂る道をたどっていくと過去の自分に会いに行けるようなそんな気がしてきます。

野﨑 憲子

特選句&問題句「夏の朝遠くに人を待たせたり」凝縮した心情表現に圧倒された。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

空蟬
空蝉やぞめきの中の水平線
野﨑 憲子
空蝉のなかはひかりだったと子は
三枝みずほ
校庭の蟬のぬけがらひと並べ
松本美智子
空蟬や刹那の刹は殺のよう
藤川 宏樹
空蝉やしっかり溜めた野望あり
中野 佑海
振子をとめて空蟬と共にゐる
野﨑 憲子
空蟬のゾンビと化して徘徊す
島田 章平
空蝉や仮寝の宿に月明り
銀   次
空蝉を脱ぎて空蝉裸ん坊
野澤 隆夫
藪蘭
ヤブランの風吹くすこしやさしい顔
三枝みずほ
母性のように藪蘭に日暮あり
田口  浩
藪蘭や分かりあえずに別れた日
松本美智子
藪蘭の咲いてためらひ傷疼く
島田 章平
藪蘭や正座ができて正坐する
鈴木 幸江
句会場藪蘭またぎバッタ跳ぶ
野澤 隆夫
身を守る物総て重荷に藪蘭に
中野 佑海
プチトマト
マドンナの瞼垂れたりプチトマト
藤川 宏樹
たくさんの失敗があるプチトマト
三枝みずほ
机上にあってプチトマトとか訃のはがき
田口  浩
ご自由にお持ちくださいプチトマト
鈴木 幸江
戦前という今プチトマト未熟
島田 章平
しなやかに自転車漕ぐ娘プチトマト
野澤 隆夫
オロナミン
梅雨に倦(う)みコロナに倦みてオロナミン
野澤 隆夫
異文化や犬のお礼のオロナミン
鈴木 幸江
オロナミン王長嶋は生きている
銀   次
どんな時も楽しむんだよオロナミンC
野﨑 憲子
自由題
夏の海へとまっすぐの線をひく
三枝みずほ
道ならぬ恋の終りや女滝
島田 章平
気兼ね無く仲間と集う芋の露
中野 佑海
ようやくに一歩踏み出す夏日向
銀   次
母を見る見捨てる天の蟻地獄
田口  浩
色づきた隣で枯れる濃紫陽花
松本美智子
銀漢や銀の男でいいですか
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ禍の中、サンポートホール高松の和室にて7月句会を開催しました。参加者は、9名でしたが、30畳の広さの会場でゆったりと熱い句会を開くことができました。

後半の袋回し句会では、鈴木幸江さんが持ってきてくださったプチトマトも兼題に上がり佳句が量産されました。来月は、お盆と重なる為、一週間遅れの開催となります。

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