2016年9月29日 (木)

第65回「海程」香川句会(2016.09.17)

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事前投句参加者の一句

秋風を不貞寝し奴の蛻(もぬけ)かな 藤川 宏樹
小鳥来る養蜂業の若嫁に 稲葉 千尋
水曜日のカンパネラ野分兆しおり 大西 健司
月光ノナカノコサレテヰル手紙 小西 瞬夏
大風のちょうさ祭りや君がいて 髙木 繁子
白桃を噛むオフィーリアの耽美かな 疋田恵美子
木陰より覗く猫の目鰯雲 菅原 春み
アフリカの乳房に流れ雨の粒 夏谷 胡桃
打水にかそけき秘境蝶尿る 三好つや子
ダリアよりすこし淫らに口ひらく 月野ぽぽな
締め切りの期限に追われ秋茜 古澤 真翠
手放した楽器鳴ります十三夜 三枝みずほ
紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり 矢野千代子
手の中に何にもないのお月さま 柴田 清子
子落ち葉拾う親を泣かせて雲が往く KIYOAKI FILM
水蜜桃暮らし話せば口荒し 桂  凛火
朝の蛇老躯快心ストレッチ 町川 悠水
無印のやうないち日小鳥くる 谷  孝江
日盛りに中島みゆき檄飛ばす 野澤 隆夫
窓開けよ九月のくうき洗い立て 野口思づゑ
砂蟹の残せし秋の曼陀羅図 河田 清峰
微量なる毒薬欲しき雨月かな 重松 敬子
特攻花とう薄黄の唇よ 野田 信章
永遠は蟻を見ていた頃の時間 河野 志保
鬼やんま風の向かうに山ひとつ 亀山祐美子
新涼や肩をすべりし肌襦袢 藤田 乙女
茄子胡瓜行水の子のはち切れる 中野 佑海
恋は秋色織りなす繊手思うままに 由   子
薄味で粋に生きるって夏落葉 若森 京子
鬼虎魚(おこぜ)本気になって嘘を付く 鈴木 幸江
虫の音の伽藍に埋む我が街や 田中 怜子
青鷺にボクサーにさびしい銀河 伊藤  幸
刈田風老女の背筋ピンと伸び 漆原 義典
穴惑いせし蛇どちは寝言いう 寺町志津子
曼珠沙華そげんにウチば憎とかね 増田 天志
青空ヲ撃ツキラキラト鶏頭 竹本  仰
熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ 中西 裕子
紅ひくや西日のをんな四畳半 銀   次
無言劇百有り夜のかたつむり 小山やす子
何せむと山芋買ひ来誕生日 高橋 晴子
大いなるお尻が坐る花野かな 野﨑 憲子

句会の窓

中西 裕子

特選句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」で鬼ヤンマの力強さと山の対比、大きな句だと思いました。「晩夏光鋳物屋ストーブのみ造る(伊藤 幸)」の晩夏光もストーブのみ作るの、一途さが好きです。「朝の蛇老躯快心ストレッチ」の朝の蛇も縁起がいいのかな、気持ち良くストレッチして清々しい感じがしました。久々連月参加。袋回しでも知らないことばがたくさんでて、皆様の教養の深さに驚くばかり、またまた勉強になりました。

大西 健司

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」方言俳句の難しさは重々承知しているが、この句は成功している。実に味があり、読み手それぞれの物語が広がる。映画のワンシーンのようだ。

野澤 隆夫

今月の句会用紙の書体が読みやすいです。特選句一選「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」上五と中七、下五が軽妙に呼応。尾崎士郎の『人生劇場』青春編、五木寛之の 『青春の門』筑豊編、石川さゆりの演歌?ボソッとしたつぶやきみたいで面白いです。ニ選「鬼虎魚本気になって嘘を付く」鬼虎魚と嘘を付く人の、それも本気でつく人との取り合わせがなんともユーモラスです。今月の句会翌日、「海程」香川句会のブログ掲示板で案内のあった墨華書道展の解説を聞き「九月尽甲骨木簡心旅(漆原義典)」もなかなか情緒があるかなぁ…と思いました。

伊藤 幸

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」漢字の魅力、中身の諧謔、全てサクセス! 何でもないてば何でもないに兎に角面白い。 特選句「月光ノナカノコサレテヰル手紙」句意はどうであれ、これまた片仮名の成功例。戦死した兵の手紙か、はたまた恋文か定かではないが内容は重い(気がする)。月光と手紙の漢字が句を浮き立たせている。

漆原 義典

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」はすぐに特選句にしました。表現されている内容は強烈ですが、熊本弁と思われる会話調とうまく調和され、ほんわかな気分となりました。会話をうまく使い表現されている素晴らしい句だと思い特選句とさせていただきました。感動をありがとうございました。

増田 天志

特選句「手の中に何にもないのお月さま」天国の門の狭さよ月今宵。

中野 佑海

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」ちょっと世を拗ねて、不貞腐れて夏を怠惰に過ごしたけど、もう良いか!秋風も吹き始めたし一丁ここは何か事をはじめてやるかな。頼もしいあんたに戻って良かった!!言葉の並びが面白かったです。特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」蟻がパン屑や小さい虫の死体を営営と運ぶ様子を飽きることなく見ていた幼き頃、自分の命に限りが有るなんて、考えた事もなく、誰かに邪魔をされることも無き、夏の1日。私がこの世の中心にいた頃。この緩き時が永遠に続くと思っていた小さい時を思い出しました。

鈴木 幸江

特選句「曼殊沙華そげんにうちば憎とかね」曼殊沙華を主人公の擬人法の句として読んだ。この花は、毒があるとか、お墓の傍に咲いているとかで、あまり縁起のよくない花としてイメージされている。でも、それは勝手に人間が思っていることで、天然である曼殊沙華にしてみれば、どうでもいいこと。こんなセリフで応戦したくなる気も分かる。私も、このセリフ一度句会で使ってみたいものだ。問題句「幾万の玄き目月と黄みがかる(藤川宏樹)」実は、自句自解を承ってしまった。私の解は、少し心に傷を持つ人びとの玄い瞳がたくさんあり、そこに、黄みがかってゆく月が映り込んでゆく風景を思い描いた。どこか、狂気を帯びてゆく夕暮れ時が感じられた。そのためには、「月と」が「月に」の方がいいように思った。

夏谷 胡桃

特選句「無印のやうないち日小鳥くる」:「無印のような」が少し既視感がありましたが、「小鳥くる」でいいいなぁとストンと胸に来ました。無印のようないち日が欲しいです。今は仕事柄、毎日事件で、印だらけです。でも、この12月で仕事を辞める決心をしたので、こんな日が来ることを願っていただきました。特選句「鶏頭の大きな赤にぶち当たる」鶏頭の花なんて古臭いと思っていました。でも、鶏頭の花も品種改良されたのか、ずいぶん大きい花や昔より華やかな様相なものが増えた気がします。この夏、私もそんな鶏頭と散歩の時に出会っては驚いていたので、共感して特選です。

河田 清峰

特選句「手の中に何にもないのお月さま」ひろげた手のひらに月のひかり輝いている!それと裏腹な何にもないの!の表記がそれで充分満ちていると思わされる好句である。自句自解「梟の耳のなきよう野分立つ」梟の顔の右左に動く様が野分を感じさせた句でした!ちなみに梟の耳は目の横にあるそうな

若森 京子

特選句「鶏頭花胸中に人殺めては(谷 孝江)」鶏頭花の深い真紅を見ている時、思わずの作者の発語に驚くが、思いの中で人を殺める事は人生の中であると思う。特選句「おおかたは夕化粧きれいな関係(柴田清子)」このロジックのない言葉の中に〝夕化粧〟の措辞からか人間の、特に女性の魔性の心理が感じられる。〝きれいな関係〟で又思いが増幅され、魅力ある一句。

小西 瞬夏

特選句「無印のやうないち日小鳥くる」ささやかな、なんでもない一日の倖せを思う。いつもこのような境地でありたい。

藤川 宏樹

特選句「手の中に何にもないのお月さま」見開きページに一行の童話です。岩崎ちひろの挿絵がはまります。加減乗除、試行錯誤の繰り返し、「やっと一句」の私には真似出来ません。肩の力が抜けた自然体、柔らかい。合わせて「鬼虎魚本気になって嘘を付く」も気に入りました。

三好つや子

特選句「バレリーナの高き跳躍林檎傷む(小西瞬夏)」優美に踊れば踊るほど、悲鳴を上げていそうな足の先。そんなバレリーナの痛みにも似た、みずみずしい林檎の捉え方にぐっときました。特選句「月光ノナカノサレテヰル手紙」この手紙に遺書めいたものを感じました。人生の最後をどんな言葉で締めくくったのか・・・カタカナ表記がいっそうミステリアスです。問題句「大いなるお尻が坐る花野かな」大いなるお尻とはどんなお尻なのか、とても面白い句ですが、作者の思いを伝える工夫がもっと必要だと思います。

町川 悠水

秀句、佳句が目白押しなので迷いました。そのなかには、最初は目に留めなかったものの、二度目三度目で釘付けになるものもあって、浅学を思い知らされたことでした。特選句「晩夏光鋳物屋ストーブのみ造る」何がどう佳いかは説明不要の秀句。特選句「くもりなき一眼レフにある秋思(三枝みずほ)」讃辞を送りたい句。恐れるのは類句の有無。特選にはしなかったものの、優劣をつけがたかったのが「犬の糞結界のごとそこから秋(中野佑海)」「ダリアよりすこし淫らに口ひらく」「鬼虎魚本気になって嘘を付く」の三句。並選ながら「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」は、方言のぴったり感に痺れました。曼珠沙華は時に嫌われる花。私も埼玉で広い土地の中古住宅に住んだ時、一隅に突然曼珠沙華が開花した折には驚きました。でも、あの造形美は極上。このほかにも佳句が沢山ありましたが、そこには破調の句が多く、五七五に収めた方が品格もむしろ上ると見えて惜しまれたのが、「来し方の透かし彫りかな夕すすき(三好つや子)」、「夕立が来そうなアスファルトだ走れ(月野ぽぽな)」、「おおかたは夕化粧きれいな関係」の三句でした。ともあれ、この稿をまとめた後も楽しませてもらえる作品が揃っていて、感謝です。

月野ぽぽな

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」中七下五の訛りの言葉が、本心の吐露として効いています。曼珠沙華の赤も効いています。

稲葉 千尋

特選句「朝の蛇老躯快心ストレッチ」何んと気持ちの良い俳句。こんな作者に会いたい。朝の蛇が佳い。特選句「日盛りに中島みゆき檄飛ばす」中島みゆきの歌、大好きです。毎日聞いてもあきない。元気がでます。

柴田 清子

「紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり」を特選に。この句の中に、日本の祖母がゐて、母がゐる。大きく世の中が変って、暮し方が変っている今だからこそ、四季のうつろいの中の大切な自然との共存の大切を思うし思はされた句です。しみじみと、つくづくと、内容のいい句だなあと思っています。「永遠は蟻を見ていた頃の時間」この句のどの部分からも入ってゆけないけれど、わかろうとすればするほど、理解に苦しむ、そしてこの句から離れなくなってゆく小気味よさが、魅力。

三枝みずほ

特選句「短夜の銃から人が離れない(月野ぽぽな)」銃が中心となり、それに群がる人。とても怖い世界を見てしまったような・・・一昔前ならそれは遠い世界のお話だったかもしれないが、今はこれが現実で、その真っ只中に私たちはいる。銃社会、戦が始まれば、ゆっくり眠れなくなり、命も儚い。言葉の持つ力、季語の力を再認識させられた作品だった。好きな作品がいっぱいあって、選句に迷いました!今回も大きな刺激を頂き、勉強になりました。ありがとうございました。

野口思づゑ

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」一心不乱に見える蟻を余計な事は何も考えずに、こちらも一心不乱になって見る事ができたその頃、永遠の時はあるのだ、と思えた。特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」思わず唸ってしまう。自然災害に見舞われた経験を述べているのだと解釈。一度だけでも打撃なのにそれを繰り返されれば、その災難はあたかも個人的恨みを買っての攻撃ではと思われるほど理不尽である。曼珠沙華の後ろにいる創造主に土地の言葉でこのように言われたら、相手は猛省し、もう災難に襲われることはないだろう、と願う。問題句「短夜の銃から人が離れない」夏の夜、何か誘惑するものがあるのか。正直意味はわからないのだが、どこかに怖さがあり、それに妙に引かれる。

重松 敬子

今回も個性的な句が多く、大変勉強になりました。特選句、問題句共に「薄味で粋に生きるって夏落葉」夏落葉がぴったりこないように思います。あくまでも、私の感覚です。上5中7が、含蓄するところ大なりと言えるので少し残念に思います。

桂 凛火

特選句「青鷺にボクサーにさびしい銀河」青鷺にボクサーにの並列が新鮮でした。「さびしい銀河」も甘いけれど詩的で魅力的な一句でした。どちらもさびしい銀河を身内に抱いているということなんでしょうか、青鷺っていつも孤独そうで、でもシャンとしてて、リングでたちつくすボクサーににているかもしれません。明日のジョーを思い出しました。

竹本 仰

特選句「紫蘇もんで平らに寝落つ自然なり」石垣りんさんの詩に「シジミ」がありました。引用します。「夜中に目をさました。/ゆうべ買ったシジミたちが/台所のすみで/口をあけて生きていた。∥「夜が明けたら/ドレモコレモ/ミンナクッテヤル」∥鬼ババの笑いを/私は笑った。/それから先は/うっすら口をあけて/寝るよりほかに私の夜はなかった。」どうでしょう?何だか、この敬虔さが、ここにもひしと感じられ、「平らに寝落つ」というのは、「もまれたのはむしろ私の方、おやすみ」というつぶやきが聞こえるようで、面白かったです。ちなみに、石垣りんさん自身の肉声の「シジミ」を聞いたことがありました。ゾワ~ッとしました。・特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」ふいにこんな言葉を言われると、追い詰められてしまいます。見透かされたというか、ああ、ここに谷(きわ)まれりというか。ま、要するに、ドスを突き付けられた感のこの言葉が、しかも曼珠沙華を何気なく見ていたそばから、まさに「来タ~ッ!」なんでしょう。すると、曼珠沙華がみるみる変容していくではありませんか。してみると、曼珠沙華の影から刺客、そして修羅場、このドラマ感がたまりません。これは、絶対、方言でなければ成り立たない舞台でしょう。そういえば、笹沢左保作・木枯紋次郎シリーズ第一弾は「彼岸花は散った」だったか。ということは、曼珠沙華―彼岸花路線には、女の一徹と血が結びついているということだったのか。以上です。:字体が変わりましたね。好きです。(字体のことですよ)忙しいお彼岸が終わり、しかし、今年は、ここ淡路島では雨天多く、稲刈りが出来ないと、どの通りでも口々に。農村ですね、つくづく。読書の秋でもあります。楽しみです。ところで、みなさん、台風は大丈夫でしたでしょうか?これも、因果なんでしょうか、年ごとに、想定というものが、吹き飛ばされてゆくような、そんな世の中であります。また、来月まで、みなさま、お元気で。

田中 怜子

特選句「秋風を不貞寝し奴の蛻かな」ふとんがもりあがって秋風がすっと入ってくる感じと、2人の関係がおもしろい。特選句「茄子胡瓜行水の子のはち切れる」茄子の色、胡瓜が水の勢いでコロコロ回っているさま、子どもの同じように元気な様子が伝わる。

古澤 真翠

特選句「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」作者がどなたか一目瞭然。俳句を芸術だと知らしめていただきました。益々のご健吟を お祈り申し上げます。

疋田恵美子

特選句「味覚障害蝶一頭の舌恋し(若森京子)」初老の身には過去の後遺症が出始めます。身体左右の違いに気づく今。特選句「熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ」先日の台風に柿の実が庭を彩りました。下5がいいですね!

河野 志保

特選句「手放した楽器鳴ります十三夜」」鑑賞…手放した楽器って何だろう。楽器が鳴りだすってどういうことだろう。月光が音色を奏でるのか、月明かりそのものが音楽なのか。想像膨らむ魅力的な句。「十五夜」ではなく「十三夜」というところに寂寥感も漂い印象的。:曼珠沙華が咲いて、秋らしくなりましたね。 私が平城宮跡で毎年目する曼珠沙華は、咲くとすぐ切られてその場に放置されます。 事情はわかりませんが残念です。今年もやっぱりそうでした。それでは、季節の変わり目、どうぞご自愛ください。

寺町志津子

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」炎天下、一心にエサを運ぶ蟻。わが身より大きなエサを、単独作業の蟻あり、協働の蟻あり。時間の経つのも忘れて見飽きなかった頃。言われてみれば、あれが「永遠」というのか、と妙に納得。若かったなあ!!

由   子

今月は感情表現のまっすぐな句を選びました。心を寄せられる気分なのかも。特選は「曼珠沙華そげんにウチば憎とかね」。怒り、悔しさがよく分かります。脳裏に景色が浮かびます。問題句は「アフリカの乳房に流れ雨の粒」で。言葉づかいが面白いと感じました。比喩かもしれませんが、日本を連想する単語が欲しかったです。

菅原 春み

特選句「一族に割って入りたる油蝉(谷 孝江)」油蝉の特性がでているような。おもしろい 。特選句「病の子背中で聞くよ虫時雨(中西裕子)」背中で聞くが圧巻です。状景が見えます。以下並選句「噛み砕く種の苦さよ秋遍路(増田天志)」秋遍路ならではの所作か?枇杷の 種でも噛んでいるのか。実直な句。「短夜に尾を持つごとく寝返りぬ(河野志保)」寝返りに尾とはとてもユニークな表現。「雨音や獣の匂いのして新涼(中野佑海)」獣の匂いに意外性がありいいです。「くもりなき一眼レフにある秋思」くもりなきにしびれますね。「 笑い声分け合っている良夜かな(重松敬子)」こんな良夜もほのぼのします。問題句「アフリカの乳房に流れ雨の粒」? え、どこがアフリカの乳房?

亀山祐美子

特選はありません。気になったのは「大いなるお尻が座る花野かな」せっかく「大いなる」「お尻」と韻を踏んでいるのだが、「お尻」なら「座る」だろう。「坐る」なら「尻」だろう。気の使いようが中途半端だ。微苦笑を誘うなら「お尻」で十分だが、生命力を押し出すなら「尻坐りをる」「尻坐りたる」「尻の居座る」等とすべきだ。ここがこの句の肝で評価の分かれ目だと思う。彼岸に志々島の小野蒙古風師の句碑へ献花に行きました。あいにくの雨で大楠へは行けませんでした。翌日は伊吹島で芸術祭の準備に明け暮れました。ハードな二日間でした。母がまた写真展示をします。お忙しいでしょうがお立ち寄り頂ければ幸いです。

小山やす子

特選句「打水にかそけき秘境蝶尿る」神秘な気がします。特選句「ダリアよりすこし淫らに口ひらく」ダリアをじっと観察するとこんな感情がでそうな・・・。

藤田 乙女

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」永遠ではない「時」1日が、ひと月が、そして、1年があっという間に過ぎていきます。過去も先のことも何も考えず目の前のことだけを見つめることができたのは、短いけれど、貴重なる至福の時間だったかもしれない。人生というものを深く考えさせられる良い句だとおもいました。「恋は秋色織りなす繊手思うままに」恋って素敵ですね。この句を読んだらわくわくドキドキしてきました。

高橋 晴子

特選句「手放した楽器鳴ります十三夜」面白い感覚。「十三夜」の引き出した幻の表現。実際に鳴っているような気がする。不思議である。ただ、〈鳴ります〉の〈ます〉では、時間の経過がよくわからない。〈鳴りだす〉位にしたら音がきこえてくるのだが。特選句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」迫力があって鬼やんまらしさがよく出ている。作者の気力を感じさせてくれる。問題句:一句にしぼれないので、今回省略します。言葉遣いが変な句が多いなあ。

野田 信章

猛暑、炎暑、異暑の夏百日を乗り越えた一二三句。これは貴重なことだと拝読中である。今夏のこの体感を引き摺る身が共感し共有し得る句を選句の対象にしました。硬い表現の句には今夏のきびしい暑さにも耐え得る真情の直なる表出があり生理的実感に根ざしたものがある。その人間臭が魅力とも言える。片や軟らかい表現の句には夏百日を潜り抜けてふわっと浮上した感のあるさわやかさ平明さが魅力となっている。この二様の自立こそ最短定型詩ならではのものかと味読している次第である。秋の大気の中で、わが志向性を問い正してくれるものもこの二様の作句群の中に在ると思う。

KIYOAKI FILM

特選句「落鮎の身(しん)のおもたさ不安なる(矢野千代子)」:「不安なる」がよく伝わってきます。時代の不安もあるかもしれないです。「身のおもたさ」が迫力もって、表れてくる。問題句「短夜の銃から人が離れない」:「短夜の銃」が怖い。重々しいが、この世の時代の大きな問題と思う。「人が離れない」ので、皆、議論している姿と思った。「短夜」に何か、感じることがありました。早く、銃を捨ててもらいたいです。

谷 孝江

特選句「永遠は蟻を見ていた頃の時間」「熟れきれぬ柿の実落ちる片恋よ」懐かしくて切なくて、もう取り戻すことのない遥かな私がそこにいます。俳句っていいですね。短い言葉のなかに色々の、自分だけの世界に浸ることができるのです。たくさんの句の中からたくさんたくさん楽しませていただきました。ありがとう。

野﨑 憲子

特選句「アフリカの乳房に流れ雨の粒」:「アフリカの乳房」という上五に圧倒されました。私は、この言葉を、アフリカという人類の故郷、その地に根ざす生きとし生けるものの母性の象徴に捉えました。その豊満な乳房を伝う雨粒は、まさにいのちそのもの。句の中に、光の渦巻を感じる佳句です。問題句「鬼やんま風の向かうに山ひとつ」上手い句で、リズム感も抜群です。しかし、下五の「山ひとつ」が映像としてしか作用していないように思います。私にはこの作品から「風」が感じられないのです。気合の入った作品だけに、もう一歩の飛躍を望みたいです。

 

昨年から、金子兜太先生と、いとうせいこう氏の選による『平和の俳句』が東京新聞の一面に毎日掲載されています。わたしも、時折、応募しています。七月に、昨年の掲載句を集めたアンソロジーが小学館から刊行されました。その帯文の、いとう氏の言葉「これは軽やかな平和運動です」は、至言だと思います。目線を足下に置き、国境という垣根を越え、地球を丸ごと愛する気持ちを表現してゆくことの大切さを思います。俳句をしない一般の人々の心底をも揺るがしやまない愛語を、世界最短定型詩で表現して行きたいと切に願うこの頃です。 

(本文、一部省略)

袋回し句会

今年米・新米
三合で五人ほころぶ早稲の飯
野澤 隆夫
雲いろいろ風のいろいろ今年米
野﨑 憲子
団子
孫作るだんごの丸は5ミリなり
漆原 義典
団子盛る留学生や鼻の稜
藤川 宏樹
宵闇や団子お化けとなるところ
柴田 清子
里海
里海やチッ素リン酸食ふて牡蠣
河田 清峰
里海に手紙流していわし雲
中西 裕子
里山をはろかにす酒ぬくめけり
柴田 清子
里海に浮きの流れや下弦月
藤川 宏樹
蟋蟀
ちちろ鳴く国会議事堂にゴジラ
野﨑 憲子
ちちろ鳴く水一杯の美味かりし
河田 清峰
留学生
学園に留学生来て金木犀
中西 裕子
留学生「いちにいさんし」星月夜
鈴木 幸江
その一人秋刀魚のやうな留学生
柴田 清子
塩辛とんぼ・とんぼ
塩辛とんぼ風が握手をしてゆけり
野﨑 憲子
わたしには過ぎた夫です塩辛とんぼ
鈴木 幸江
カヌー
カヌー勝つスロバキアの川母として
漆原 義典
傷心のふたりで秋のカヌー漕ぐ                                                                  
鈴木 幸江
九月の山鳩さびしくて鳴くんじゃない
野﨑 憲子
雲上の月まなうらに施無畏かな
河田 清峰
星月夜散歩まだかとわんわんわん
野澤 隆夫

句会メモ

九月のサンポートホール高松での句会は、午後午後1時から先月から始めた事前投句の全句朗読・・鈴木幸江さんのお声、凛としていて素敵ですよ!・・の後の合評は、ベテランの見事な鑑賞や初学の方の斬新な解釈に、大きく相槌を打つ人や、メモを取る人など、徐々に熱を帯びつつ午後2時半からの、<袋回し句会>へ。様々な<お題>に真向う事三十分で生れて来た作品の数々をご覧ください。句稿が配られる頃には、句会の熱気も最高潮になり、あっという間の四時間弱でした。句会報の読後にお送りくださった竹本 仰さんのメールを以下に・・世界最短定型詩は大切な部分を削るほどに、色んな読み方が可能です。快哉、快哉・・ですね。

「大いなるお尻が坐る花野かな」について。選句の理由は、与謝野晶子「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」を本歌としたる、ン十年後に詠まれたものだという、そういう設定が気に入ったからです。どうなんでしょう?もし、そうであれば、リアリズムを重んじるような見方は、意味がなくなる訳で、むしろこのパロディの意匠にふさわしい衣装なんだと、私にはそのフィット感が、大変好ましく思われたのです。そんな点からいえば、今回の中で一番笑えた句で、快哉、快哉(よいかな、よいかな)と心地よい状態になりました。ところで、子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」の句について、私見を漏らしますと、あれは、絶大なる青春回想句なのではないかと思えてなりません。病故に嵩じる嗟嘆の大きさ、それではないのかと。そうですね、中島敦さんの「山月記」のあの虎になった李徴の、憤懣やるかたない歎き、あの息吹きをさらっと流したものではないのかと。ということで、拙句「青空ヲ撃ツ」は、この子規への反歌ということだったのです。いつもながらの妄想癖を自嘲しつつ、いちおう、子規を指定の賛美歌ということになりましょうか。

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