2023年6月25日 (日)

第140回「海程香川」句会(2023.06.10)

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事前投句参加者の一句

慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声 島田 章平
二つに折る樋口一葉五月雨るる 藤川 宏樹
旅へ行く力くださいサングラス 津田 将也
眠ろうか青き血潮の兜蟹 鈴木 幸江
迷う夏ピエログラフの壺ばかり 中村 セミ
連山は空より青く夏に入る 風   子
父の日や岸田今日子のゐる酒場 岡田ミツヒロ
初蝉やレモンの切口まあるくて 河田 清峰
海月浮く薄い下着を脱ぐ途中 月野ぽぽな
睡蓮や睦まじき日のちらし寿司 岡田 奈々
山桜屋島の嶺も昏れ急ぐ 佐藤 稚鬼
梅雨に入る樺美智子が疼いてる 滝澤 泰斗
青水無月芸人はただ山羊を連れ 大西 健司
地下室のチェロ無伴奏蝉生まる 桂  凜火
魔女っ子の巧みな仕掛け時計草 佳   凛
ぞっとぞくぞく羊歯裏の胞子見ん 川崎千鶴子
青蔦や若き二人の逃避行 石井 はな
独りという大きな雨が十薬に 河野 志保
眼借時前歯一本ぐらつきぬ 亀山祐美子
聖土曜ナイトシネマは昭和座で 柾木はつ子
<六甲山にて>山上の讃美歌蛇衣を脱ぐ 樽谷 宗寛
老鶯と気持の通うゆるい坂 柴田 清子
雨気孕む木花白花伊豆人よ 野田 信章
ガラスペンで描く毀れやすい夏 榎本 祐子
麦笛を吹いて夕日に染まりけり 稲   暁
小糠雨蕗の佃煮薄味に 山本 弥生
■■■■■螢■■■■■■■■ 田中アパート
びしょ濡れの音符が弾む虹の橋 漆原 義典
麦の秋非戦非核の「ゲルニカ」や 疋田恵美子
忘れない静かに笑う君と夏 薫   香
少年にもどる卒寿や蜘蛛ずもう 三好つや子
月に水沸く気配あり河骨開く 森本由美子
カレンダー思いきり剥がすと夏 重松 敬子
MRIに映る黒穂を抜きに抜く 新野 祐子
どくだみは密かな息を繰り返す 佐藤 仁美
百年を生き白南風を待ちて逝く 時田 幻椏
腕が出て駐車券とる青葉若葉 菅原 春み
性別はないの恋する蝸牛 松本美智子
泰山木高きに咲きて早稲田森 三好三香穂
天気良し素顔涼しく郷を出る 山下 一夫
妻が趣味かも知れぬ人蛍の夜 寺町志津子
後朝をこぼれて軽き蛍かな あずお玲子
裸足で走るなり父に背くなり 小西 瞬夏
交響曲は世界平和や蛙の夜 稲葉 千尋
抱卵の遠い眼差し夜が明ける 松本 勇二
体温あり緋牡丹のいま咲き誇る 増田 暁子
尺蠖が落しどころを探りいる 山田 哲夫
夕河鹿月日の皺を濃く生やす 豊原 清明
黒猫の闇へ戻りし月見草 川本 一葉
枇杷小粒いつも誰れかに文書いて 谷  孝江
しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年 若森 京子
詩歌以て世の平らかや業平忌 塩野 正春
それはミサイルかペチュニア咲きこぽれ 向井 桐華
空蝉へ空いっぱいの星詰める 十河 宣洋
心太ひと突き須弥山の遠し 荒井まり子
ミニトマトそれでも人は夢を抱く 伊藤  幸
憂い顔つき過ぎであり梅雨曇り 野口思づゑ
母の日やちちのちちそのちちの母 吉田 和恵
蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま 飯土井志乃
繰り返します 砂時計さらさらと 田中 怜子
夏蝶や新造船のアラブ文字 松岡 早苗
校庭にアンネの薔薇と金次郎 植松 まめ
ほろ苦き蕗の煮物や母の愚痴 菅原香代子
凄まじい夕焼けなんだわたしだよ 竹本 仰
萍のうつうつ滾るもののあり 福井 明子
水中り手招きをする夢の母 丸亀葉七子
ご意見はご無用に願います水中花 銀   次
豆飯や笑い話にしましょうよ 高木 水志
夏の子の口笛ひゆうと薄荷色 大浦ともこ
枇杷の実の雨を見ており黒を着て 男波 弘志
心地良く僕が剥がれていく夜明け 佐孝 石画
神さまはよく泣く風鈴みてる子も 三枝みずほ
紫陽花の気まま三女は留学中 増田 天志
この星の声を叫べよ蛇の衣 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「青水無月芸人はただ山羊を連れ」。「青水無月」というみずみずしい季語に取り合わされたのが「芸人」。またそれが山羊を連れているという景。感動とか発見とかではないところの、今までにはなかったものを見たような新鮮さがありました。不思議に印象に残る一句。

松本 勇二

特選句「睡蓮や睦まじき日のちらし寿司」。幸福な家族の営みをスイレンが祝福しているようです。特選句「MRIに映る黒穂を抜きに抜く」。MRI画像に映る悪しき影を黒穂に喩えて秀逸です。

福井 明子

特選句「アトリエのさびしき鉄路かたつむり(桂 凜火)」。ある日、少年がわたしに向かっていいました。「かたつむり、きらいだよ。ぬめぬめしとるから」。意外でした。雨の日のかたつむりは庭木のところどころに現れ、生気を得たように触角をしなやかに動かせています。わたし、子どもってかたつむりが好きなんだとばかり思っていました。アトリエとは、こころの世界、鉄路とは、貫くもの、信念でしょうか。そこにぬめぬめはりついてゆっくりたどるもの。人はさびしいです。「わたし好きです、かたつむり」。

十河 宣洋

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる(河野志保)」。地球が宇宙に浮かんでいるということが分って成立する作品。でも今は学習済みだから、既知の分野である。地球としゃぼん玉の関係が面白い。特選句「心地良く僕が剥がれていく夜明け」。しっかりした睡眠がとれている、というと何かの宣伝のようだが、こう言う朝がある。一日心地よく仕事の出来る一日である。問題句「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」。問題句としてとるか、あきれた句と取るかは読み手次第。作者の意欲を買って一言。好作である。好き嫌いはあるが、作者の意欲がいい。二句並べてどちらが良いかというと、蛍の方がいい。理由は蛍の持つロマンチックな雰囲気が伏字に色を作るが、夢は読み手に情景が固定されない。夢それぞれが動いてしまう。このあたりが長年俳句に使い込まれた季語の力のように思う。

藤川 宏樹

特選句「憂い顔つき過ぎであり梅雨曇り」。句作り懸命のあまり季語と他がつき過ぎでは面白みを損なうと言われます。俳句に限らず間合いをうまくとるのは難しいが、「つき過ぎ」の忌み言葉を上手く使って一句をなし、意表を突かれました。

大西 健司

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。もう岸田今日子を知ってる人はかなりの年なんだろうなと思いつついただいた。私の場合はよく見る再放送の時代劇で目にする、何とも愛らしくて憎らしいその母親象が大好きだ。しかしこの句の岸田今日子はもう少し若い頃の彼女なのかも知れない。さまざまな人の集う酒場にそんな女性がいたのだろうか、何とも気にかかる句だ。父がそんな彼女のファンだったのだろうか。あちらの世界で一緒に呑んでいればどんなに幸せなのだろう。

月野ぽぽな

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。シャボンと地球。大きさは途方もなく違いますが、ともに球体。この自由自在な映像感覚に共感します。宇宙に浮かぶ地球、その地球に浮かぶシャボン玉にズームインする楽しさ。そして再び宇宙にズームアウトしてゆくと、地球が宇宙に浮かぶシャボン玉のように見えてきます。

桂  凜火

特選句『蝸牛「むかしはもっと速かった(岡田ミツヒロ)」』。なんか昔と違うなんて、のろまな体と心なのかと感じることが多くなりました。蝸牛だって同感なんですよね。

岡田 奈々

特選句「月に水沸く気配あり河骨開く」。以前、淡路島吟行で、長泉寺さんに参らせて頂き、そのおりに初めて拝見した「河骨」の可憐さが忘れられません。特選句「ちちのひのちちはデンデケデケデケで(島田章平)」。1960年代を初めてレコードでベンチャーズのエレキギターを聞いて、のぼせていた世代。いつまでもあの音は耳を離れません。「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。ご愁傷様です。が続きます。「ぼうふらや宮の手水を借り暮らし」。この宮は一瞬皇居かとおもいました。どうせなら、高級な手水鉢が良いです。「魔女っ子の巧みな仕掛け時計草」。本当に時計草は手が込んでいます。真ん中の雄蘂と雌蘂の色に魔女の妖しさあり。「ぞっとぞくぞく羊歯裏の胞子見ん」。羊歯裏の胞子のあの粒々感。ちょっとさぶいぼが。「ガラスペンで描く毀れやすい夏」。青春の毀れ易き心が素直に読み取れる。「麦笛を吹いて夕日に染まりけり」。懐かしい子供の頃が思い出が。「小糠雨蕗の佃煮薄味に」。降っているかどうか分からない雨と、薄味の蕗の佃煮が母を思い出させます。「カレンダー思いきり剥がすと夏」。夏は思い切り良くやって来る。髪思い切り良く短くしよう。

風   子

特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。季語が付きすぎず、面白いバランスになっていると思いました。「カレンダー思いきり剥がすと夏」「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており(津田将也)」「太極やゆるやかに薔薇の首切る(榎本祐子)」「稲妻や深淵の井に落ちてゆく」「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。この6句で、どれを特選句に選ぶか迷いました。

河野 志保

特選句「新緑に汽笛がばっと流れ込む(高木水志)」。躍動感のある鮮やかな句。一読でひかれた。「流れ込む」がすべてを表す簡明な表現で凄いと思う。

津田 将也

特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。夏蝶の不可視の飛翔形と、船体にペイントされた可視のアラブ文字の字形。この二つをつき比べての相似の面白さ、愉快さ。特選句「豆飯や笑い話にしましょうよ」。『せっかくいただく豆御飯なのよ・・・ネッ、あなた!』と笑みかけながら目で諫める私。

疋田恵美子

特選句「幼子のおしゃべりうれしい枇杷に雨粒(伊藤 幸)」。幼い子供のおしゃべりは無邪 気でとても可愛い。側にずーと居たくなる。下句は自然の中の小さな瞬時を捉え見事。特選句「萍のうつうつ滾るもののあり」。世界情勢の不安定化が、人々に与える苦しみと怒りのようでもあります。

川崎千鶴子

特選句「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。表記と発想が見事です。感嘆の声です。『蝸牛「むかしはもっと速かった」』。蝸牛に「もっと速かった」と事の表現。そしてそれを表現したのは蝸牛とは、見事さと老人の声のようで素晴らしいです。「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」も見事です。

豊原 清明

特選句「この齢で蛙化(かえるか)に会ふグワッググワッ(塩野正春)」。ユーモア感覚が好きです。おどけている姿に、ふふと。特選句「この星の声を叫べよ蛇の衣」。何かを訴えている一句。

男波 弘志

「柿若葉せんせいの掌がありました」。今はもうなくなってしまった生家の庭にあった柿の木、先生のてのひらまでの通学路、無常観を超えた明るさが良い。秀作。「抱卵の遠い眼差し夜が明ける」。子を抱いていてもある漠然とした不安、生とはそういうものなのだろう。秀作。「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。些細な日常を拾い上げる作者の眼差しがやさしい。メールではなく手書きなのが甚だ良い。秀作。

岡田ミツヒロ

特選句「旅へ行く力くださいサングラス」。人生の旅、観光旅行もあれば流浪の旅もある。「旅に行く力」は生きる力。年々衰えゆく身体。灼熱の太陽に立ち向かうサングラスの不動明王の如き存在感、サングラスに祈るという発想に思わず唸った。特選句「びしょ濡れの音符が弾む虹の橋」。「びしょ濡れの音符」の哀愁が句の世界へ誘った。雨空を翔けてゆく音符たち、それはどうしても届けたい願いのメロディーの一粒一粒。「虹の橋」の着地がほっと心を和ませる。

若森 京子

特選句「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。海月の美しい浮く姿からの感受であろう。少し艶めかしい表現だが、作者の体感を通して瞬時の生理感を捉えている。個的な感性に惹かれた。特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。あっそうなんだと気付かされた。儚いしゃぼん玉の様に、宇宙に浮く青く美しい地球も、人間の文明、五悪によって儚い星になりつゝある様に思えてならない。

「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」は、俳句から余りにも懸け離れた作品だと思います。今迄は無視してきましたが、黒い■が並ぶと目障りに感じてきましたので書かせて頂きます。「海程香川」と名の付く限り金子兜太先生の俳句に対する熱い意志を継いでいる集団だと信じております。先生の「定型、季語など文化遺産を包含しつゝ基本は自分の作りたいものを作る、自由に個性を発揮する様に」を心して長い間書いてきました。日本語には、片仮名、平仮名、漢字と他国にない豊富な文字が存在し、それを駆使していかに最短定型の中で詩的に自分の生きざまを表現するか。俳人である以上、言葉との格闘にエネルギーを注いています。この様に■の表現には詩もなければ解釈の方法もありません。又、別のジャンルで発表すれば、共鳴者もいる事でしょう、私は俳句だと認めません。同じ志の集団でありたいと願っております。

 
山田 哲夫

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。「しょっぱいからだ」は、汗まみれで生きてきた生き様の象徴とみた。汗まみれの労働の日々の苦しさや辛さが伴った人生を見事乗りこえて、汗して生きることの尊さとその喜びの大きさを感慨深く感得している晩年の作者の想いが滲み出た句だと感じた。「喜雨にまみれて晩年」という表現の巧みさに脱帽。

鈴木 幸江

特選句評「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。一葉は私の家郷の隣町に暮らしていたこともある。そして、古語文と古典の知を巧みに操り読み手に謎を残す、誰も真似のできぬ名文小説を何作も書き上げ、二十代の若さで逝ってしまった。とても気になる文人だ。そのことが「二つに折る」の修辞に上手く表現されていると思った。もちろん『五月雨』という恋の三角関係の小説の謎の結末もよく効いている。問題句評「樋口一葉入会金に日焼けの娘(藤川宏樹)」。一葉は一家を養うために小説を書いた。お金と文学、今もその両立は悩ましい問題である。それぞれにどう生きていくかの人生の大問題になっていることだろう。この日焼けの若い女性は、日向でアルバイトでもして入会金を稼いだのであろうか。そんなことを考えてしまった。でも、作者には、別の意図があるのかもしれない。謎だらけで問題句とした。

石井 はな

特選句「忘れない静かに笑う君と夏」。思い出の君との思い出の夏を、静かに深く思う気持ちが伝わります。

稲葉 千尋

特選句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。中七下五がとても佳い、後朝にぴったり。「大山蓮華夫婦茶碗の欠けてをり」。兜太邸の大山蓮華を想い出す。

田中 怜子

選ぶのに苦労しました。いいな、と思う句が多くて・・。特選句「梅雨に入る樺美智子が疼いている」。60年安保の時でした。連日国会議事堂を囲んで抗議デモ、美智子さんは亡くなってしまいました。記憶が薄れて・・・は言い訳になりませんね。その時の首相だった戦犯岸氏は退陣に、そしてその孫が昨年銃弾に倒れた。その闇も疼いたままですね。特選句「腕が出て駐車券とる青葉若葉」。白い腕がにゅーっとでて、意外白くて。青葉若葉の季節を満喫する。若者たちの喜びが感じます。あと、「連山は空より青く夏にいる」。も経験した景色、なつかしいような、おだやかな一時はいいですね。「清明やかざせば透ける指の骨」。これも、ふと手のひらを開いて、生まれる前の可愛い手の骨が感じられ、きれい、喜びも感じられます。

島田 章平

特選句「■■■■■螢■■■■■■■■」。【返句】暗闇が好きで蛍に生まれたの

三好つや子

特選句「尺蠼が落しどころを探り入る」。落としどころは、政治がらみのニュースでよく耳にする言葉。この句の中で、結着のつかない事案をめぐる議員たちの動きと、いつも何かを測っていそうな尺取虫の動きとが絡み合い、共感しました。特選句「夏の子の口笛ひゆうと薄荷色」。 夏を迎えた少年や少女の健やかな姿。それは、美しい緑色と爽やかな香りを放つミントそのもの。聴覚と視覚と嗅覚の一体化がみごとな作品。「ちちのひのちちはデンデケデケデケで」。子どもや孫のプレゼントに気をよくし、古いエレキギターを引っぱりだして弾いているのかも。オノマトペが効果的。「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。一生懸命頑張ってきたことが報われたのでしょう。私の晩年もこうありたいと、願うばかりです。

樽谷 宗寛

特選句「行くでない母の叱責春の雷」。行くでないが心に響きます。しかもお母様の一言。まるで春の雷。共鳴しました。

あずお玲子

特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。この句の最後「おばあちゃま」に魅せられました。この一言で作者との親密度が伺えます。蜘蛛の巣に捕われることは有りがちでしょうが、それがおばあちゃまで、又だと。助けに行かないではいられません。特選句「夏蝶や新造船のアラブ文字」。その船の名は蝶の軌跡のような軽やかなアラビア文字で表記されているのですね。船と蝶の大きさ、重さ、色の対比。もしかしたら優雅な客船でポアロを乗せてナイル川を下っているのかも。

寺町志津子

特選句「老鶯と気持ちの通うゆるい坂」。今回も、心惹かれる句が多数ありましたが、この御句が特に心に染みました。 失礼ながら、作者の方もいささか良いお年かな(間違っていましたら、お詫び申し上げます)、と思いながら、 景も良く見え、お優しく詩心豊かな作者を想像しました。「短夜よ思いに言葉追いつけぬ」。まるで私のことのようで、実感ひときわです。不思議な句「■■■■■螢■■■■■■■■」「■■■■夢■■■■■■■■」。両句とも同じ作者の方と思われますが、解釈不能でした。字句での御句を知りたいです。 

時田 幻椏

特選句「青水無月芸人はただ山羊を連れ」。青水無月と言う季感を無理なく抱えこむ風情を良しと思います。特選句「ほろ苦き蕗の煮物や母の愚痴」。家庭を支える母への信頼、理解と励ましに共感。問題句「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。この上なく興味を引く句ながら、下5の工夫でもっと怪しさと奥行きを獲得出来るのでは。

伊藤  幸

特選句「夏の子の口笛ひゆうと薄荷色」。夏の涼風を感じさせるようなポエム。下五の薄荷色が見事に夏に溶け込んで郷愁さえ感じられる。

植松 まめ

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。大正生まれで田舎暮らしの父は下戸で洒落た酒場に行った事がない。色っぽい岸田今日子の様なママがいたらもう卒倒するだろう。特選句「目借時前歯一本ぐらつきぬ」。眠くて眠くてつい夢心地で硬い煎餅を齧ってしまい前歯がぐらついた。あれ程医者から硬いものを食べる時は気を付けてと言われていたのに。今の政局もうとうとしていたら軍事費が二倍になり大増税になりかねない。くわばら、くわばらだ。

塩野 正春

特選句「太極や緩やかに薔薇の首切る(榎本祐子)」。薔薇も生き物、その幹を切る仕草にためらいや尊厳の心が覗く。太極の本来は宇宙を含む万物を陰と陽に分別する意義らしいが、この句の場合はそれから派生する、太極思想を取り入れた行動や所作、例えば太極拳など、を意味すると解釈します。薔薇に限らないが花を切るには勇気が要る。 特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。この句は昭和生まれの男性の作と思われる。もし子供たちがこんな酒場に連れ出してくれたら最高だ。今もテレビの“影の軍団”とかいうリバイバル版に出演されていますが、その怪しげな、魅惑的な声、仕草は耳から頭から離れない。 こんな方のいる酒場、もう一度行ってみたい! 問題句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。この句の問題点、はっきり言って、ない。昔々、源氏物語に遡って、男女の行為を尻目に蛍が漂う。という事か? 兜太師流に言うと、その種の本能と遊ぶことか。齢は取りたくない。句が問題なのでなく私への問いかけです。

榎本 祐子

特選句「心地良く僕が剝がれていく夜明け」。夜明けは再生の時。「剝がれていく」の生々しい皮膚感覚と陶酔感が魅力的です。

谷  孝江

特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。なんて可愛いらしいおばあちゃまでしょう。「まったくもう」と言いつゝお世話を欠かさないご家族、良いですね。でも、時には、とんでもない蜘蛛が近づいてくることだってアリです。いつもどこでも気配りの行き届いたご家族の中でお過しのご様子嬉しい限りです。暖かい気配りの中での老後、お幸せですね。

高木 水志

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。夏の日照りが続いた後に久々に降った雨が、年老いた作者自身の身体に当たる。晩年の切実な言葉に光を感じて特選にした。

増田 暁子

特選句「枇杷小粒いつも誰かに文書いて」。中7、下5の措辞にひとりで生きられぬ人間の繋がりを感じます。枇杷小粒が素晴らしいです。特選句「ミニトマトそれでも人は夢を抱く」。中7、下5の言葉に胸をわしづかみされました。平な言葉で心打ちます。

野口思づゑ

「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。問題句よりながら情景が浮かびます。「裸足で走るなり父に背くなり」。まるで小説のようです。

河田 清峰

特選句「柿若葉せんせいの掌がありました(佐孝石画)」。叱られたり、誉められたりして、喜び悲しんでくれた大きい先生の掌が見えるようです。

向井 桐華

特選句「麦笛を吹いて夕日に染まりけり」。夕日に染まる句はたくさんあるのですが、麦笛を吹いているのはもちろん作者なのでしょうが、いろんな光景が浮かぶ。牧歌的で広がりのある句です。問題句「■■■■夢■■■■■■■■」。作者からの挑発ともとれることば遊びはいつまで続くのでしょうか?チャットGTPで俳句を作る時代が来たとしても読むのが人である以上、受け容れがたい人がいても仕方が無い。

佐孝 石画

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。「大きな雨」の解釈に戸惑う。雨滴なのか雨天の状況なのか。しかし、その逡巡こそがこの句の魅力であるのだと言いたい。雨を大小と捉え、それを孤独の喩に置き換える力技。ただ雨を受けるだけの十薬の姿と、日常という「雨」を浴び続ける、「独り」の人間の姿が見えてくる。

重松 敬子

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。我々は誰もいずれ独りになる。作者の人生に対する心構えを感じます。

紫原 清子

特選句「独りという大きな雨が十薬に」。十薬が咲く頃の孤独の有り様を雨で、大きくクローズアップして謳っていて共感出来た。

漆原 義典

特選句「青蔦や若き二人の逃避行」。青蔦と逃避行を結びつけるのは、すごいです。若い二人の情念が伝わります。

>吉田 和恵

特選句「山上の讃美歌蛇衣を脱ぐ」。山上の讃美歌と蛇衣の取り合せに意外性があり妖しさが際立っている。

佐藤 仁美

特選句「しゃぼん玉地球と一緒に浮かんでる」。シャボン玉も地球も浮かんでいますね。どちらも美しいけど、危うい状況を感じます。

松本美智子

特選句「郭公が父呼ぶ母呼ぶ虹を呼ぶ(十河宣洋)」。郭公の鳴き声を父母を呼ぶ声と捉えたところがおもしろいと思いました。郭公は托卵して他の鳥に子育てをしてもらうとか残酷なことに卵からかえった郭公は巣から元々の卵を落として、独り占めするのだそうです。そして、自分の子と信じて育ての鳥は、えさを運び続ける。自然の摂理とはいえ、何とも切ないことです。でも、子育てできないのなら誰かの力を借りて誰かに託すこともアリ!!!人間の世界も然り・・・悲しげな郭公・・・本当は何を望んでいるのでしょうか。

佳   凛

特選句「詩歌以て世の平らかや業平忌」。業平の時代も 大変な時代だったと思いますが、今の時代は、流れが速すぎて、心のゆとりを持つ事が困難な時代。せめて 歌を詠む時だけでも、華やかにゆったりしたいものです。今の私も俳句に出会い、毎日充実しています。ありがとうございました。

竹本  仰

特選句「地下室のチェロ無伴奏蝉生まる」。蝉が地上へ出るまでどうしているのだと、気になりませんか。それは桜が花開くまで、桜はどうしているのだという疑問と同じで、より本質を問いかけているのだと思います。人間に当てはめれば、おかあさん、僕は生まれるまでどうしていたの、と同じで。ひょっとしたらですけど、人に悟りというものが生まれる初めはそんな地下からでは、という問いを抱いたことのある人って居ません?幼虫時代の蝉がもぞもぞしている様子は面白いものだろうなと思います。セロ弾きのゴーシュがカッコーや猫と格闘しているように、何かドラマ以前のドラマを見ているような。そういえば、プルーストも長編小説の最後で、はじまりはじまり…と言っていたような。特選句「後朝をこぼれて軽き蛍かな」。きぬぎぬ。それは重い重いものよと教えてくれるのが、王朝文学でしたが、あくまで女性の真摯さには男は叶わなかったのだろうなと思います。ただし、恋愛に生のあかしを求めた和泉式部くらいになると、〈物思へば沢の蛍も我身よりあくがれ出づる魂かとぞみる〉とそれは実に超然と実存主義の蛍にまでなってしまうのです。というようなノリで「こぼれて」にやられました。特選句「心地良く僕が剥がれてゆく夜明け」。何となく、夏の夜明けだとわかり、季語がなくとも季感があります。カミュの『異邦人』の読書会をいま近所の四人ほどでしています。わからない事が二つ、なぜ主人公は相手のアラブ人を撃ったのか、またなぜ死刑になることを喜んで迎えたのか、ということでした。一つ目はまず置き、二つ目は、主人公は独房の中で、生きることは、「生き返ること」だとの感じに目ざめたのです。世界で初めてのように。その感覚っていうのが、この感じに似てるなあと思いました。あの作品では「世界の優しい無関心」に気づいたとありました。いい人生?そんな匂いがしました。以上です。 ♡この間、モンテーニュの『エセー』を読んでいたら、「賢明な読者は、しばしば、他人の書物の中に、作者がそこに描いたと自認する完璧さとは違ったものを発見し、それに一段と豊富な意味と相貌とをつけ加える。」とあり、ふむふむと大いに共感しました。こういうのを実践家というのかと。実践家になれずとも、そのマネだけでもしたいものだと、叶わぬ星を見つけたように思ったことでありました。今月はいい句が多かったと思います。活字からみなさんのやる気、いただいています。ありがとうございます。

三好三香穂

「連山は空より青く夏に入る」。平命な言葉でこの季節の風景を切り取っている。讃岐山脈の姿がくっきりと見えます。「ちちのひのちちはデンデケデケデケで」。私達の世代はデンデケデケデケデケ。「交響曲は世界平和や蛙の夜」。田植えの季節は蛙の大合唱。世界平和の大合唱とも思える。『蝸牛「むかしはもっと速かった」』。私も今脚の故障を抱えている。もっとスタスタ歩けていたのにと、カタツムリの気持ちがよく解ります。「空蝉へ空いっぱいの星詰める」。小さな空蝉に星を詰めるなんて、なんて破天荒な!

滝澤 泰斗

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。一つの親父の残像・・・母は帰らぬ父を責めた・・・大人になって思う。岸田今日子の様なタイプの女性がカウンターの向こうで時折怪しい笑みをこちらに向けられたら一気に自信は揺らぐ・・・困ったものだ。男は。特選句「行くでない母の叱責春の雷 」。親父のようになってほしくない母は私をいつまでも籠の中に入れておきたかった。十八の春・・・東京は学生運動で荒れていた。デモから帰るとアパートに灯が。「いけね、消し忘れたか」とドアに鍵がかかっていない・・・「鍵まで忘れたか」と、ドアを開けると、母親が正座して待っていた・・・止めてくれるなおっかさん。背中のいちょうが泣いていると嘯いても、後の祭り青春の思い出を引っ張り出された。「旅へ行く力くださいサングラス」。日本ではあまりかけないサングラスを外国に出るとかけたくなる。確かにサングラスには妙な力がある。感心の作。「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」。妙な色っぽさ・・・何だろう。「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており」。作者は平和な頃のアフガンを知っているのか。知っているとすれば相当のお年と思うが・・・アフガンを含めた、いわゆるシルクロードの緑陰は様々な職業が入り乱れ、屈託のない平和な日常が活き活きとしてあった。中でも歯医者は直す医者ではなく、抜け落ちた歯を入れ歯にする職人だ。中国の緑陰の看板は「牙」とある。「慌てるな、あわて・・る・・な・・花びらの声」。中七というのか あわて・・る・・な・・より花びらの声を中七と思うが、その あわて・・る・・な・・の文字の間に込められた意味を思う。面白くいただきました。 本文

川本 一葉

特選句「どくだみは密かな息を繰り返す」。言われてみれば、あの独特な匂いは息なのかもしれません。小さな息でも存在感のあるあの匂い。ハート型の可愛らしい葉っぱと、少しの汚れなどその白に収めてしまうような深い白。そしてその息は繰り返すのです。生命力を現す素晴らしい句だと思いました。

田中アパート

特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。そんな酒場なら行ってみたいネ。特選句「紫陽花の気まま三女は留学中」。うらやましい。寄り道、道草、途中下車、上等(シルクロード、ルート66、オーストラリア横断、モロッコ、インド他どこへでも行ってらっしゃい、若いうち)

丸亀葉七子

特選句「ご意見はご無用に願います水中花」。気が短くなった老の身は聞き下手になってしまった。すぱっと言い切って痛快痛快の句。特選句「大山蓮華夫婦茶碗の欠けてをり」。「おおやまれんげ」の花の名前も立派。咲いた花も美しい。欠けた夫婦茶碗とのとり合わせが面白い。夫婦の歴史が見えそう。

銀   次

今月の誤読●「心地よく僕が剥がれていく夜明け」。朝起きて、顔を洗いに行ったときだ。両手で顔をこすっていると、洗面器にポトリとなにかが落ちた。そっと拾い上げてみると、肌の一部だ。気にはなったが、さほどではなかった。あらためてこすりはじめると、なにかが崩壊するように、ポロポロポロと一気に顔の肌が剥がれ、洗面器はそのカス(とでもいうしかない)でいっぱいになった。鏡に顔を近づけてみると、顔はまだらになっていて、古い肌と新しい肌が、あたかもジグソーパズルのように入り交じっているのだ。僕になにかが起きている。それは確実だ。僕は古い肌をひとつひとつ指で剥いていった。それはかさぶたを剥がすようで、なんとも心地よい作業だった。古い顔から新しい顔が誕生した、そんな気分だった。思い立って、僕はパジャマと下着を脱いで風呂場に入った。シャワーを浴びてみた。思ったとおり、シャワーは次々と古い肌を洗い流し、まっさらな肌をもたらせた。脱皮? そう、そうなのだ。僕は脱皮したんだ。僕は以前の僕とは違った、まったく新しい僕になったんだ。そう思うと、強烈な快感と恍惚が押し寄せ、うっとりと目をつむった。バスタオルを腰に巻いてキッチンに行った。生まれ変わった僕を見て、かあさんはどんな顔をするだろう? 驚くだろうか? 「かあさん」僕は声をかけた。かあさんは僕をチラと見て、普段どおりの顔で「なんですか、だらしのない。さっさと着替えて朝食を食べなさい」。僕はあっけにとられた。僕は昨日の僕じゃないのに。「僕、変わったと思わない?」「思わないね。相変わらずのやせっぽちだよ」。ガッカリだ。かあさんはいつも本気で僕を見ていないんだ。・・・少年よ。そう落ち込むな。成長とは常にそうしたものなのさ。

荒井まり子

特選句「母の日やちちのちちそのちちの母」。思わず母の日があって良かったと。命を繋いでもらっている妻にも、少し感謝をと思う。

管原香代子

「初夏のまぶしさ素顔にそばかす」。夏のまぶしさとそばかすの取り合わせがとにかく爽やかです。爽やかな一陣の風を感じます。「手品師の手より鳩飛ぶ聖五月」。五月の晴れた空に真っ白な鳩が飛び出し手いく様が目に浮かびます。

薫   香

特選句「ぼうふらや宮の手水を借り暮らし」。ぼうふらの気持ちになったことが無く、ぼうふらにしてみたら手水鉢を借りて暮らしているというになるのだなあと、妙に納得しました。特選句「蜘蛛の巣にまた捕われしおばあちゃま」。私もよく蜘蛛の巣に捕らわれるのですが、年を取ると目も薄くなり「また~」というように厭きられるのかもしれない。ただおばあさんじゃなく、おばあちゃまというのが、チャーミングでかわいらしい。わたしもこんな風に呼ばれるおばあちゃまになりたいです。

野田 信章

特選句「豆飯や笑い話にしましょうよ」。それがなかなかできねえんだよなぁとの念が強いからこそ、この一句が心に沁みるのかも知れない。この一膳の豆飯の前なら坐ってみたいとそう思わせるものは、ほんのりと塩気のある大人の味がする句柄だからだと思う。

山本 弥生

特選句「旅へ行く力下さいサングラス」。コロナ禍で、旅行も諦めていたが、コロナも少し落ち着いて来たので戦中派とは云え元気な間にサングラスの力を借りて若返り別人気分で一泊旅行でもしてみたい。

新野 祐子

特選句「心太ひと突き須弥山の遠し」。心太と須弥山の距離感に味わいがあり魅かれました。「アフガンの緑陰入れ歯屋も来ており」。アメリカ軍が撤退したアフガニスタン、少しは暮らしやすくなったのかなぁと、あれこれ想像させてくれます。

菅原 春み

特選句「百年を生き白南風を待ちて逝く」。お見事な生き方です。あやかりたいような。特選句「この星の声を叫べよ蛇の衣」。地球の声を真摯にきけというメッセージに感動です。季語がそのたびごとに大きくなる蛇の衣を配置したことで一層真に迫ります。

中村 セミ

特選句「心地良く僕が剥がれていく夜明け」。心地良く僕が剥がれていく夜明けなんか夢から離れていくような表現かとおもわれる。どうも剥がれるとか言う言葉にすぐ,飛びついてしまう。でも,いい感じので,特選です。「海月浮く薄い下着を脱ぐ途中」も薄透明なエロスをかんじさせる作品かと思う。

森本由美子

特選句「しょっぱいからだ喜雨にまみれて晩年」。長い人生の旅にもまれ、噛みごたえのある古漬沢庵のように仕上がった肉体と精神、自分の存在を愛おしみながら、肯定しながら生きつづけている姿勢が伝わってきます。

柾木はつ子

特選句「この齢で蛙化に会ふグワッググワッ」。「蛙化」ってオタマジャクシがカエルに孵ること?アラ古稀世代の私は最初そう思ったのですが、調べて見ると「蛙化現象」と言ってZ世代がよく使う言葉なんだそうですね。なるほど言われてみれば、自分にもそう言う事ありますね。人間心理の不可思議さ…勉強になりました。特選句「空蝉へ空いっぱいの星詰める」。なんとみずみずしい感性なのでしょう!美しい形の蝉の殻の中が空っぽでは可哀想です。もしこんな蝉の殻があったら、大切に飾っておきたいと思いました。

三枝みずほ

特選句「性別はないの恋する蝸牛」。パートナーを得たことを純粋に喜びたい。そこに境界線はいらないだろう。恋する蝸牛の殻がふと重たく、さびしい。梅雨の晴れ間、お身体ご自愛ください。

山下 一夫

特選句「二つに折る樋口一葉五月雨るる」。手にした五千円札の肖像と梅雨という時節から樋口一葉の小説「五月雨」を連想されたのでしょうか。上五下五はそこで描かれている主人公の葛藤や煩悶と絶妙に響き合っているように思われ、味わい深いです。特選句「父の日や岸田今日子のゐる酒場」。本句会参加者の父であれば、確実に昭和以前の生まれと思われ、昭和も恋しの句と読解。「岸田今日子」一発で決まりなところ「ゐる」「酒場」のダメ押しも効いています。岸田今日子さん、リアルタイムは老け役しか知らなかったのですが、ビデオで映画「砂の女」観て、その若かりし頃の妖艶な美貌に参りました。問題句「蜘蛛の巣にまた捕らわれしおばあちゃま」。下五の親しみを込めた呼び方から幾分縮んでしまわれて可愛げが増した高齢女性を思い描きます。視界も狭くなっているのか、庭などを歩いていて度々蜘蛛の巣をひっかけてしまうのでしょうか。「捕らわれし」はちょっと大げさ過ぎるかもと考えたり、あるいは「蜘蛛の巣」はオレオレ詐欺等の暗喩かとも。そうすると下五の呼称は茶化しているようにも見えていただけない、などと結構楽しませていただきました。

稲   暁

特選句「夏の子の口笛ひゅうと薄荷色」。特選句は、意味が少々分かりにくくても大胆で斬新な発想の句を選ぶべきか?それとも分かりやすくて共感できる句にすべきか?いつも迷ってしまう。今回は口笛が薄荷色という独自の感覚に注目した。言われてみれば確かにそんな気がします☀

野﨑 憲子

特選句「神さまはよく泣く風鈴みてる子も」。長引くロシアによるウクライナ侵攻は、反撃に継ぐ反撃で泥沼化し核使用の怖れまで生じている。この美しい星には、人類だけではなく森羅万象の色んな生きものが生かされている。その全てが危いのだ。このファンタジーを感じる作品の奥に、深い悲しみが秘められているように思えてならない。神様を泣かせてはならない。<風鈴みてる子>の平和もいつ崩れるかも知れない。巧みな句跨りに感服した。

今回で百四十回を迎えました。お陰様で、ご参加の方々も増え、ますます多様性に満ちた句会へと進化してまいりました。ありがとうございます。いつもいつでも本句会の原点は、兜太先生の目指された、「俳諧自由」と「古き良きものに現代を生かす」であります。何よりも、美しい日本の言葉の調べを大切にして参りたいと存じます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ふるさとは緑の大地と言ってみる
銀   次
紫陽花や緑に透けてガラスペン
藤川 宏樹
新緑や神様の座す力石
あずお玲子
万緑や透き間から吹く未来風
野﨑 憲子
緑ふる振られて菊池寛通り
島田 章平
借景の山よ緑よ栗林よ
薫   香
みどりよ水輪よ瀕死の星を埋め尽くせ
野﨑 憲子
音の無い鉄橋緑野の紙芝居
岡田 奈々
あおくんときいろちゃんで緑なす
三好三香穂
虹二重君が恋しやほうやれほ
島田 章平
虹二つ背(せびら)に彼の鬼の顔
三好三香穂
朝の虹フルスイングの願いごと
岡田 奈々
虹の根に躓き時の透き間に落っこちる
野﨑 憲子
空かける虹の麓に行きたくて
薫   香
あのひかりもうすぐ虹になるらしい
あずお玲子
あの虹に一万両の値をつけよ
銀   次
夏帽子
捨てません君の凹みの夏帽子
島田 章平
行く先を決めない朝の夏帽子
岡田 奈々
連絡船のデッキに佇つや夏帽子
野﨑 憲子
夏帽子目が合ったわね逃避行
薫   香
夏帽子手にぶらんぶらんさせて帰路
あずお玲子
なりゆきのなつかしきひと夏帽子
藤川 宏樹
夏帽子おぶわれし子の水っぱな
銀   次
紫陽花
紫陽花の洋館へまた鴉けふ
あずお玲子
雨雨雨踊り始める額の花
野﨑 憲子
乾ききりをり青絵の具七変化
あずお玲子
白紫陽花心変わりはしませんわ
薫   香
紫陽花やプリズム放つ銀髪に
岡田 奈々
街路樹の裾に紫陽花ラッタッタ
三好三香穂
色なんて違うさ人も紫陽花も
島田 章平
紫陽花やゆがみガラスに富太郎
藤川 宏樹
枇杷
だしぬけに嘘だしぬけに枇杷の種
島田 章平
青きビワの実一押しのYouTube
岡田 奈々
もう一つ約束のあり枇杷の実飛ばす
野﨑 憲子
転がって行方知れずの枇杷の実よ
銀   次
枇杷の実や好きなことだけやってきた
藤川 宏樹

【通信欄】&【句会メモ】

「海程香川」句会は、今回で140回を迎えました。ご参加各位のお陰様で、ますます多様性に満ちた魅力溢れる作品が集まってまいりました。「句会の窓」では、記号を多用する作品に対しての貴重なご意見が色々出てまいりました。ありがとうございます!こういうぶつかり合いの中から、世界最短定型詩の未来風が吹いてくる予感があります。これからも、一回一回の句会を大切に、熱く渦巻く句会を目指して参りたいと念じています。今後ともよろしくお願いいたします。

今回の高松での句会は、岡山から小西瞬夏さんも参加され、とても楽しく豊かな時間を過すことができました。<袋回し句会>には参加者全員の作品掲載ができませんでしたが、それは参加者のみぞ知る (^_-)-☆ 盛会でした。

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