第107回「海程香川」句会(2020.06.20)
事前投句参加者の一句
手を振れば白詰草の斜面かな | 河野 志保 |
三密も壇蜜もパレットの朱色 | 大西 健司 |
蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり | 中村 セミ |
夏に入る余計なものはみな捨てて | 銀 次 |
人食つた水母やヒトの食つておる | 藤川 宏樹 |
朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル | 島田 章平 |
鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る | 十河 宣洋 |
だるま食堂紫陽花咲いたら開きます | 中野 佑海 |
狼に新型蛍テロルかな | 田中アパート |
触れてきて触れられてきて野の茨 | 谷 孝江 |
老人と悲しい蛇に呼ばれたり | 田口 浩 |
中村哲の轍ゆきけり蟻の列 | 桂 凜火 |
すべりひゆ母を遠野に置きしまま | 小西 瞬夏 |
飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ | 伊藤 幸 |
母と毒読みまちがえる桜桃忌 | 新野 祐子 |
ちっぽけな自分が好きで青葡萄 | 小山やす子 |
一人でも生きてゆけます蘇鉄咲く | 石井 はな |
田水沸く皆んなそろっていた頃の | 松本 勇二 |
赤ちんに武勇のあまた紙兜 | 伏 兎 |
堰切って埋まる六月予定表 | 野口思づゑ |
家中の鏡を覗く緑の夜 | 榎本 祐子 |
夏うぐいす変ロ長調の恋唄よ | 漆原 義典 |
自主規制青唐辛子とじゃこを煮る | 荒井まり子 |
拉致の子の父の無念や夏の月 | 藤田 乙女 |
五月闇寄る辺なき街動き出す | 松本美智子 |
目玉焼きのように睨んで梅雨の月 | 小宮 豊和 |
時鳥町内行事予定表 | 亀山祐美子 |
生きるとは息をすること緑濃し | 高橋 晴子 |
徒(いたずら)に青梅打つや俄雨(にわかあめ) | 佐藤 仁美 |
長生きの母に提げゆく初鰹 | 稲葉 千尋 |
緊急事態宣言解除冷奴 | 高橋美弥子 |
雨蛍牛飼い二代目の蓬髪 | 野田 信章 |
竹落葉己が自由になるために | 増田 暁子 |
かき氷ふたつの山を崩す匙 | 豊原 清明 |
夏椿剪る亡き母の誕生日 | 菅原 春み |
玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす | 鈴木 幸江 |
蚊柱の向こうの妻が見えません | 佐孝 石画 |
梅雨空に孫が小さく立っていた | 滝澤 泰斗 |
六月の赤ん坊ふるふる水の星 | 吉田 和恵 |
熱兆すときの体感合歓の花 | 月野ぽぽな |
木洩れ日は緑に揺れる紙芝居 | 増田 天志 |
一蝉となり一空海の海となり | 竹本 仰 |
麦秋を回収車来て積み残す | 松岡 早苗 |
「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり | 寺町志津子 |
老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり | 矢野千代子 |
給付金届かぬままに梅雨に入る | 稲 暁 |
青嵐父の青シャツ小さかり | 河田 清峰 |
新緑を沁み込ませたや母の膝 | 久保 智恵 |
桜桃忌無人の対向電車過ぐ | 重松 敬子 |
髪洗う沖の昏さを知っていて | 男波 弘志 |
笹の花かえる家ないひゃくねん後 | 夏谷 胡桃 |
アスパラガス我が余世の青い旋律 | 若森 京子 |
掌にほっこり茶碗葛櫻 | 田中 怜子 |
六月のマスク古ぼけたピカソ | 高木 水志 |
鴉めが猫を威嚇す麦の秋 | 野澤 隆夫 |
ハンカチが白いもう空をわすれそう | 三枝みずほ |
言いたい事いっぱいあるよね葱坊主 | 柴田 清子 |
大螢縄文色の空耳よ | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 滝澤 泰斗
特選句「中村哲の轍ゆきけり蟻の列」中村医師の追悼句。葬送の悲しく切ない景が見えていただきました。特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まず、リズムがいい。朝昼晩の持ってきた動物のバリエーションと雰囲気がぴったり。それでも、最後が少し働く日本人を思わせるホタルの取り合わせの妙。関心しました。問題句「一蝉となり一空海の海となり」説明しきれない句の力を感じつつ、大変気になる一句として問題句にしました。「方丈記拾い読みして梅雨に入る(高橋晴子)」「天清和コロナ一息「論語」読む(野澤隆夫) 」「カミユ読む鉄片のごと夏落葉(重松敬子)」この三句には共通して本が出てくるところ。昨今の外出自粛の社会の相が詠まれて現代俳句ならではと思い、いただきました。「赤ちんに武勇のあまた紙兜 」今ではこんな景はないと思うが、昭和の戦後の、まさに、我の昭和の景に親父、お袋が見えました。「老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり」肥後守は祖父から教わった言葉であり、祖父が使っていたものを小学校時代に形見のような形で譲ってもらった記憶に結びつきました。「髪洗う沖の昏さを知っていて」沖の昏さとは?そして、その昏さを知りながら髪の毛を洗う行為とは?その意味で「一蝉となり一空海の海となり」に通じる不思議な魅力を感じました。
- 十河 宣洋
特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」野ばらに触れてきたと軽く読めばそれでいい。デイトの後の楽しい中の少し現実的な話になにか心に残るものもあると言ったところ。 もう一つは、噂話などの触れたくない話と言うこともある。色々に読めて楽しい。特選句「一蝉となり一空海の海となり」無我の時間。蝉となって鳴いている。空海の教えの中の一宗徒となって無心に鳴いているのである。
- 榎本 祐子
特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野。自然界の神々、異界の者たちと人間が交じり合うその地。自身をこの世に有らしめてくれた母は遠野という原郷に在り、時空を超え繋がっている。素朴な「すべりひゆ」も象徴的。
- 小山やす子
特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う(若森京子)」夕べに開き朝萎んでしまう夕顔当たり前なのにコロナ騒動の今優雅な花は国の行く末を暗示するかに…。いいと思います。 本文
- 小西瞬夏
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」:「覗く」という動詞が効いている。しかも「家中」である。何を見ようとしているのか。または見たくないのか。「家」という社会においての最小の単位。その中で繰り広げられるできごとをいろいろと想像してみる。そして、結局は映っているのはありのままの自分であることに気付くのだ。
- 増田 天志
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の樹木に囲まれる洋館は、夜更けも、緑の闇と静寂に満たされる。幻想的かつ絵画的な作品。
- 豊原 清明
問題句「狼に新型蛍テロルかな」金子兜太先生の名句のもじりと思われる。「テロルかな」は実に怖い。現実に起こっていることだから、仕方ないが。特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」現代の実感と思う。「触れてきて触れられてきて」にそれが出来なくなった、ウィズ・コロナという社会批評か。「野の茨」が良い。
- 田中アパート
特選句「いらしてね虞美人草という店よ」こんなこと一夜は言われてみたい。
- 夏谷 胡桃
特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」六月はいちばん好きな月です。山法師に野ばら、紫陽花など好きな花が次々咲きます。水を含んだ緑がきれいです。ようこそ地球へ。子どもたちが生き生きと育つようにと願うしかありません。「ふるふる」が赤ん坊の動きと姿、水をたたえた星を融合させて良かったと思いました。問題句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まるで私ではないか、と思ったのです。
- 矢野千代子
特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」:「田水沸く」から老若男女が元気に声をかけ合う、そんなエネルギッシュな活力ある人々の姿が彷彿とうかんで思わず笑みがこぼれました。
- 高木 水志
特選句「葉にふれる風よはなればなれです(三枝みずほ)」新しい葉っぱの生命力が感じられる。
- 佐孝 石画
特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」難解な句だ。読みもぶれると思う。しかし何故か惹かれる。読みとしては、①蛇と作者が対峙した状態で、蛇から作者が「老人」という嘲りの言葉を直接浴びせられているという情景と、②「と」という語が並列(立)の作用をして、老人と蛇と両方に作者が何かしら「呼ばれ」ているという風景の二通りの解釈に落ち着くと思われる。①②の解釈には大きな隔たりがあり、誤読を誘うという点では失敗作と言われても仕方ない句ではある。僕が強く惹かれたのは「呼ばれたり」という幻想、妄想だ。作者は実際「呼ばれたり」などしていない。おそらく出会っただけなのだ。この「出会い」というごくありふれた事実を、「呼ばれたり」という音声を伴う聴覚への刺激に変換し、出会いの一瞬のニュアンスを「呼ばれたり」と言語化肉声化することで、読み手は、日常に転がるさまざまな「出会い」が、実は不可思議な化学反応であると説得させられるのである。「出会いとは呼ばれることなのだ」と強引に納得してしまうのである。僕はこの作品を一読後、②の解釈でしか受け止めなかったし、老人と蛇とに呼ばれているだけの方が深いなと思っているのだが、ひょっとしたら、この解釈は決定的に少数派かも知れない。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」僕は社会(批評)性のある句は読みも詠みも何故か避けてしまうきらいがある。それは俳句は「呟き」だと思っているからかもしれない。言葉とも言えない溜息なようなものが、身に纏う外気と縺れ合いながら混然となり、沈殿していく風景。その混濁した情念のようなものが、まばゆい日常の風景とシンクロし、一紡ぎの言葉となっていく。俳句の短さは自らの内部を見つめるひとびとの溜息の容量と親和している気がする。そんな「呟き」に対して、社会(批評)性とは、外に向けられた「叫び」のような気がして、少し身を引いてしまうのだろう。この句に惹かれたのは、「ハンカチが白い」という再発見した事実と「もう空を忘れそう」という直感との溶け合いに日常感覚がある点だ。もう少し踏み込んで言うと「日常漂泊感」。
金子先生の言う「定住漂泊」とは、その風景が日常から染み出てこそ共振する世界だと思っている。この句の世界の向こうには「コロナ」による物質的精神的にも閉じ込められた閉塞感にも繋がっているように思うのだが、僕がこの句を評価するのは、「コロナ」のような社会現象を取り払っても、読み手の様々な人生の1シーンと寄り添う親和性にある。強く言えば、一面的になりやすい、よそ行き・はったりの俳句にはない、普遍性、永遠性がここにはあるということ。
- 若森 京子
特選句「サーカスの青水無月の無観客(男波弘志)」コロナで無観客の多い中、この一句は透明感があり、何か幻のサーカスの様な虚しい美しさがある。特選句「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」やはりコロナからくる無人の対向電車を思うが、太宰治の忌と響き合ってそこからストーリーが拡がってゆく様で惹かれた。
- 竹本 仰
自句自解「一蝉となり一空海の海となり」この自句についてですが、簡単に言えば自画像でしょうか。十年前、高野山で修行に入った時、三十代後半の同じ行者(修行中の僧はそう呼ぶ決まり)で、名古屋から来たA氏に出会いました。彼はちょうどその一年前に結婚し、妻子を家に残しての行者となりました。元々、寺院とは関係なく大工仕事に専念していたようですが、何となく拝むのが好きであったようです。そのお父さんが癌で余命一か月となった時、お願いだから私の死ぬ前にお見合いを一つしてくれんかと頼まれ、渋々とにかくお相手と会ったようです。その時、彼は正直に、父の最期のお願いで来ました、父が死んだら、徒歩で四国参りをしてお坊さんになるつもりですと話したそうです。その相手の方も納得して、そう、もし、うまく四国参りをやり遂げたら、また会いましょうと。その後、お父さんが亡くなり、当初の予定通り、四国遍路を四十五日間歩き詰めで終えたそうです。まあ、そのお相手に電話しようかと連絡すると、あんた、まだ生きとったん?と。何となく、この人はどこかで死ぬんではないかと予感したようでした。その後、とんとんと話が進み、結婚したという事でした。で、そのAさんの拝み方が、実に印象的で、ひと言でいえば、人間じゃない、蝉だ、と思いました。多分、私自身、高野山の修行で、これだけは忘れられないと思います。その後十年経ったいま、ああ、おれも蝉になったな、と思うことがしばしばあり、どこへ向かっているのだと問いかけると、あの海鳴りの絶えない室戸岬が思われてならず、ああ、空海の海に向かっているような気がすると、そういう感懐でしょうか。まあ、長い解説となりましたが、初案は「一山となり切って一法師蝉」でしたが、これは美化しているなと自省し、この句となりました。以上です。→問題句としても興味深く、自句自解をお願いしました。
- 稲葉 千尋
特選句「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」ほんとうにそうですね。言いたい事はいっぱいある。政治、職場、妻にも、でも本当の事を言うとそれで終り、だから適当にやってます。
- 藤川 宏樹
特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」強い日差しの下、皆んなで田植えしたのでしょう。私には田植えの経験がないが、新しい物好きの父が一早く買ったテレビ。相撲、プロレス、野球を近所の人皆んな集まり、夜は電気を消して見たのを思い起こした。このコロナ禍、人の熱がより強く懐かしく感じられる。
- 鈴木 幸江
「人食つた水母やヒトの食つておる」まず、日本語の“人”と“ヒト”をとても効果的に使い分けているのに感心した。“人”は自ら創った文明社会に縛られて生きる生きものだ。“ヒト”は生物学的分類上の種名である。水母を食べるのは、生物界の宿命である食物連鎖における行為。この二つの現実の間に人間は生きている。何故か私は、現代人とAIの関係が連想され、警告を受けているような気分になった。そういうことでもあったのか!と。私の妄想は、AIに食われる人間の姿だけど・・・。特選句「葉にふれる風よはなればなれです」“はなればなれです”の平仮名表示が活きている。“葉にふれる風”の現象を見たとき、作者の心に生じた想いに惹かれる。こんな風に私も自然現象との出逢いの中でもっと驚き暮らしてゆきたい。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い(榎本祐子)」まず、私には未知の体験なのでそのことが嬉しかった。そこに、世界の事実がもう一つ隠れているのではないかと想像した。この状況の背景に思いが馳せられ、現代社会の弱者と位置付けられている人たちの姿が世界レベルで、次から次へと浮かんできた。それから、次にこれが、この作者自身の日常でもあるのかと思うと、人が生きることの闇まで感じられ、日常詠の醍醐味を久しぶりに味わった。問題句「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない」五七五のリズムを無視した、一行詩のジャンルに近い作品だけど、二物衝撃的飛躍の大きさに俳句と重なるもの感じた。実体験でもあることも感じられ、作り物ではない可能性に惹かれた。ただ、作者が何を伝えたいのかがよくわからず、読み手に負担がかかり過ぎるので問題句にした。“記憶”という脳機能の真実の発見体験だとは思うが、何故ここで虫が登場するのかが気になった。作者にとって虫のような出来事だったということか?記憶が混乱しているということか??した句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」「五月闇寄る辺なき街動き出す」「スズメバチ捕獲器水の星閑か(大西健司)」「苺月火薬庫をみて呆けたり(桂 凜火)」「一蝉となり一空海の海となり」
- 寺町志津子
特選句「麦秋を回収車来て積み残す」:家庭ゴミを積み込んで去っていった回収車。日頃のいつもの風景ですが、その回収車は麦秋を積み残していったと言う。麦秋と回収車の取り合わせの新鮮さ、それでいてのさりげなさに心から感動しました。作者はきっと全身全霊、詩的感覚をお持ちなのだと思われます。また、今回は、当然ながら「非常事態宣言」中や、解除された後の心情の句が多数あり、微苦笑しながらいずれも共感しました。ことに、「堰切って埋る六月予定表」に即共鳴、元気もいただき、感謝です。
- 新野 祐子
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の夜が家中の鏡を覗くわけですね。何と美しい詩情でしょう。特選句「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」鉄片のごとという硬質なイメージが今の緊迫した日常に合っていると思いました。入選句「蠍座の尾からアマビエやってきた(野﨑憲子)」「植えし田に風行き渡る登校児(小山やす子)」「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」コロナ禍という言葉を用いないで、時世を鮮やかに切り取っていますよね。今月は時事俳句はどうあればよいか考えさせられました。勉強になりました。
- 中野 佑海
特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」こんな風にあくせくしない宮沢賢治を地で生きてみたい気がします。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」心躍る気がするのは何故でしょうか?青臭いのに加熱すると甘味の増えるアスパラガス。年取っても気になることには、ホットな心を保っていたいな。並選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」朱に交われば赤くなるの三密版。「触れてきて触れられてきて野の茨」眼で見た事ばかりが全てではない。触角も磨いておこう。「六月の半濁音符の遠い月(佐孝石画)」梅雨の豪雨が我が運命のツキを遠ざける?「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」勿論かむ派。てんと虫待てーッ。私も連れてって。「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない(竹本 仰)」忘れるような事は私にとってそれ程大した事じゃない。「赤チンに武勇のあまた紙兜」この頃赤チンが無くなって、膝小僧の赤黒くかさぶたを付けた悪戯坊主を見なくなって寂しい。「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」月が目玉焼なんて美味しそう。二個三個?「似ているけど近くて遠い額紫陽花(藤田乙女)」雨の降って、傘差してると良く判らないよね。違う人に挨拶したりして。でも、良いよね、緩くて。コロナウィルスは今までの常識を破壊したかも。会社にあくせく通わなくても、遅刻しても、大して気にされない。今月も、楽しい俳句有難うございました。
- 吉田 和恵
特選句「笹の花かえる家ないひゃくねん後」笹は、何十年に一度花を咲かせて枯れると言います。主を失くした家、そして耕作放棄地には笹がじわりじわりと勢力を伸ばしています。百年どころか近い将来家まで取り囲まれそうな現実が、この作品に共鳴します。
- 松本 勇二
特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』季語の斡旋が秀抜です。一面の水色が作者を励ましているようです。「まっいいか」と言えることが生きて行く上でとても大切です。
- 増田 暁子
特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」蚊帳に棲む兎とは亡き妻とか自分の分身か。仄かに消えるとは寂しいですね。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い」コロナ禍の永い閉じ籠り生活を表す状態をコップが生臭いとは、感嘆です。
- 重松 敬子
特選句「六月に長寿褒められ大きい葉(田口 浩)」日々健やかかに歳を重ねてきた、おおらかな暮らしぶりが目に浮かびます、大きい葉がとても良い。
- 田中 怜子
特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」この方は、結婚か仕事で実家を離れているのでしょう。それが遠野という民話の、そして姥捨ての風習もあったという土地なのである。母親も元気ではいるようだけど、年々健康等を案ずる気持ちになってきている。しかし視点をかえると、産土は野草やひべりひゆが広がる豊かな地で、隣近所のつながりもあり、まだ大丈夫かなという気持ちと土地の豊かさ、ご本人が懐かしく思っていることがうかがえる。
- 竹本 仰
- 特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」波郷「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」を思い出しました。田舎から上京した青年の都会の夏の発見という所でしょうか。でも、この句は家、そして私の発見、という眼目があり、そこが面白い。たとえば、夏祭りから家に戻ると家の風景が何かヘンと思う、あの感覚を思い出しました。ここにも似た経験があり、おそらく緑の夜を外で呼吸し、帰ってみると、家の中にも緑はあるじゃないか、その証拠に家中の鏡をのぞきこむ、そんな少女のような体験ではと思います。家の中のみどりの発見、とても新鮮な感じがします。特選句「もう一人の私がそこに居る木下闇(柴田清子)」日常の中で、意識的にか無意識的にか、つい置き去りにしてしまった「私」、それを思い出させる季節になったということでしょうか。そういう原点を思う新鮮な句だなと。ふいにこの間思い立ち、断捨離で捨てるン百冊の本を決めているとき、古いラジカセがあり昔のテープを動かすとポプコンの曲が流れてきました。今思うと昭和五十年前後の憧れや傷みがぎゅっと詰まった世界がそこに見え、特に女性の歌唱力が凄いのに驚きました。そして、ふいに小生の「もう一人の」自分をふりかえり、なんというか、人生の遠近感を体感したというか。そんな句なのかなと。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」:「寄る辺なき」ここに共感いたしました。もともと街は寄る辺なきものだという感覚、そんな街がふと本来の寄る辺なさに気づいて、それでも寄る辺なきままに動き出す、そんな見方ではないかと。コロナ禍にちなんだヒトの本質みたいなものを突いているなあと。賑やかさと寂しさと、その入り混じったものと「五月闇」は共鳴していますね。そう言えば、カミュ『ペスト』でも始まりにオランという街について、寄る辺なき賑やかな街とわざわざ触れていて、何か半世紀後の世界中の未来都市を予測して書かれたものかなと思われるフシがありました。ここも、そんな街でしょうか。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」反抗期のわたしと父、そんなものを連想させられました。時間と共に乗り越えてゆくと、たちまち小さくなってゆく乗り越えられたもの。人生、その繰り返しで、ふいに最後は小さくなってゆく自分に気づくもの。そこまで連想の域は広がるように思え。学生時代、田舎に帰省するたびに経験した、親や家の小ささ、あれは何でしょうね。アリスにも、自分の大きさがわからないのでわたしは自分がわからないの、と書かれていました。修司の短歌の下句に「勝ちしものこそ寂しきものを」というフレーズがあったのを思い出しました。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」:「沖の昏さ」に惹かれました。この昏さは、暗さと違っていて、明日を連想させるニュアンスです。だから、どういう明日かを知っているのに、という響きがありますね。髪を洗うのは、そういう明日への闘いの誓いという感じにとらえられ、このへんが面白いところです。或いは、万葉に天智天皇の新羅への出陣の船出に額田王が「熱田津に船乗りせむと月待てば」と詠んだあの心境も本音はかくかと思われ、何だか古風な日本女性の腕っぷしみたいなものも感じられ、その本質の明るさがあるようにも思いました。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」小生が中一の頃、なぜか教室でハンカチ検査のようなものがあり、その時、担任の体育の先生が、ほう、きみのは、たいへんきちんと折りたたまれて、いいハンカチだ、みんな、これを見習いなさい、と言われすごっく有頂天になった、そんなことを思い出しました。結局は、母だ、あの母がこんなところにと、思いがけない教室への母の登場に戸惑いもありましたが。しかし、こんなことを言うと、母は恥ずかしがり、それを見る自分も恥ずかしいと、そんな忖度からとうとう言い出せず、今日まで来て、母は当年96歳、天然健康体で三十年以上薬ひと粒も飲まず、さっそうと生きており。そんな母だから、あのハンカチだったのかとも。ハンカチにまつわる有頂天、人類の或るすばらしさをこの句に垣間見たような次第でした。問題句「竹落葉己が自由になるために」このままでも十分よい句です。が、「竹の花」という選択肢にも小生は引かれます。竹に花が咲くと、その一帯の竹が総枯れになってしまうと聞きました。生命の新陳代謝の烈しさですね。そこに自由が来ると、また、これも面白いものかと。問題というより、ふとした思い付きです、作者には何の文句もありません。十分よい句です。以上です。
新型コロナ、宗教界でも議論百出で、この間もご詠歌の淡路島の会議に出たら、すごい議論でありました。行くか、待つか、ふと『ゴドーを待ちながら』を連想して。みなさんは、いかがお過ごしですか?
- 大西 健司
特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野は遠野物語の遠野か、ただ単に遠いところと捉えるのか。「置きしまま」に作者の思いが溢れている。私は遠いところと読んだ。路傍に咲く黄色い花が母を思い出させるのだろう。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」おしゃれな父の姿が好ましい。小さいととらえたのは父の姿だろうか。嵐に立つ年老いた父の姿が美しくせつない。
- 久保 智恵
特選句「拉致の子の父の無念や夏の月」胸に詰まり苦しいです。
- 桂 凜火
特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」兎が蚊帳に棲むなんてメルヘンですね でもちょっと怖い でも消えてしまう その辺の不思議さとかわいさと怖さの塩梅がすきでした。特選句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」こんなに素直な自己愛を語られると嫌味なくそうですよねと笑えてしまいます。青葡萄もわかりやすくていいと思います。以上です。盛会をお祈りしています。
- 河田 清峰
特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチの夏がきたのに長いあてもない自粛は続く、長梅雨のいまでもなお...空をわすれそうがやるせない!
- 谷 孝江
特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」何か切ない様な、なつかしい様な、そんな思いが残ります。近年、若い人々の農離れの話がよく言われます。雪解けが始まると家族みんなが農作業に勤しんだ事なども、遠い昔の事になりつつあります。<皆んなそろっていた頃の>作者の思いが込められていて心打たれる一句です。
- 松岡早苗
特選句「カミユ読む鉄片のごと夏落葉」:「鉄片のごと」という比喩が、斬新で印象的。不条理に抗った作家カミユとの取り合わせも絶妙。「太陽が眩しかったから」と答えた『異邦人』の主人公の、純粋で特異な感受性がよみがえってくる。特選句「一蝉となり一空海の海となり」 羽化を終え空高く飛翔する一匹の蝉。眼前には海原。ふっと、大志を抱き唐へ渡った若き空海の姿が立ち上がってくる。空間的、時間的な広がりの中に、命が輝きを放つ。「一蝉」と「一空海」の対、「~となり」のリフレインが、句柄をゆったりと格調高いものにしている。
【自己紹介】 (香川県さぬき市在住)「海程香川」に加えていただきありがとうございます。退職後俳句を始めて五年になりますが、頭も心も錆び付くばかり。今後は、先輩諸氏の瑞々しい感性や切れ味鋭い表現をカンフル剤として、句作に励んでまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
- 野田 信章
「穂麦鳴る塚に金環眠らせて(松岡早苗)」「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」「落し文しずかに喋る人が好き」の句群と「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」の句群が混在しているこの句会が頼もしく思えてきた。前段の句に定型感覚に根ざした本格を志向する姿勢を認めつつも、後段の句にある日常感覚に根ざした口語発想の指向性もまた捨て難しと思う。このことは不易と流行の相においても考察されることであろうが、今の私にとっては後段の句の示唆してくれることに重きを置きながら本格を指向したいと思うところである。共に物象感を生かしつつ韻律性の確保されていることに注目したい。
- 三枝みずほ
特選句「六月に長寿褒められ大きい葉」大きい葉と長寿の組み合わせが新鮮だった。六月の葉はみずみずしく夏に向けての生命力にあふれている。 本日はお世話になり、ありがとうございました。久しぶりに皆様にお目にかかれてうれしかったです。やはり楽しいですね! 句会。様々な鑑賞や作品に触れられるのは勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
- 中村 セミ
特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」僕は若い頃は自分が見世物小屋の鼻から口へとヘビを通す妖しい山奥の女だと思い、若い頃の夢は、まるで「貴方は全てのプレゼン・オプションで落ち、待っているのは、あの自分の家へ帰る最終電車ですよ」と云われた。徐々に何かがはがれいくように、年を経る事によって、老人という哲学的な塊(カタマリ)に囚れ、フト、アスファルトの熱い路面をはう、白い壁を昇る蛇に、魂を奪われるように「俺もおまえも いつ迄生きる」と云われたようだ。と読むのは僕だけだろうか。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」幼い頃、母につれられ夜の連絡船に乗った事がある。当り前の事だが夜の海は黒い。暗いではなく向うの方迄黒だ。まっ黒なのだ。それが沖の昏さとすれば大人になって色々思い出す度に、が、髪洗うだろう。「色々どうでもいい事を限りなくとりとめもなく、思い出す度に、母といた、あの連絡船は、まっ黒い海のドロドロとした油の様な道筋を一体僕等をどの島へ何の為に運んできたのか、もうどうでもいい事は思い出したくないのに」髪は洗うのだ、と言っていると読みました。 別解 髪洗う という夏の季語と、沖の昏さがよくマッチしている。それにしても沖の昏さがとてもいい。
- 稲 暁
特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」洗い髪と暗い海の照応に強く惹かれる。「沖の昏さ」は何の喩なのだろうか?問題句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』両句ともささやかな自己肯定の句。好感を持つ一方で、作句法としてはやや安易かな?とも思うが・・・。
- 河野 志保
特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」田に水が入るまぶしい季節。親しい人達との活気にあふれた日々がよみがえる。コロナの影響か、それとも遠い記憶か、作者の懐古がまっすぐ伝わった。「田水沸く」が情景をより鮮明にしていると思う。
- 伏 兎
特選句「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」短気な人と呑気な人の違いを、飴で知る目からウロコの発見句。天道虫との取り合わせが軽妙かつ魅力的。特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」植えたばかりのみずみずしい青田が目に浮かび、水をごくごく吸って育つ稲の苗を感受。「六月」と「水の星」が響き合い、ふるふるのオノマトペも快い。入選「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」野草の一つでもあるすべりひゆを煮物にして食べ、滋味あふれるおいしさに感動したことがある。「すべりひゆ」「母」「遠野」が醸しだす心象に惹かれる。入選「似ているけど近くて遠い額紫陽花」紫陽花の咲いている街角で、心に深く思っている人とそっくりな姿を、偶然見かけたのだろうか…。今、話題のショートストーリー風の言語感覚があり、注目した。
- 野澤 隆夫
特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」声に出して読んでみても調子のいい、面白い句です。河馬→ナマケモノ→ホタル。夜になると輝く。楽しい句です。特選句「赤ちんに武勇のあまた紙兜」令和の前の前が昭和。昭和も遠くなりました。この句は正に昭和の句です。チャンバラごっこの昭和が懐かしいです。もう一つ特選句「麦秋を回収車来て積み残す」つい先週までは 私の住んでる亀田南町は一面〝麦の秋〟。回収車が持ち帰りを忘れたかの如く大いなる麦畑でした。今週に入ってからは田植えで水没しかえるが騒がしく鳴いてます。
- 亀山祐美子
特選句『すべりひゆ母を遠野に置きしまま』「遠野」が地名でも「遠い場所(実家・施設・病院・他界)」でも読み手の自由。ここにある母との距離感罪悪感切なさが「すべりひゆ」と云う季語に込められている。雑草であり薬草であり食べられる草。母そのもので在るかのような地味な「すべりひゆ」が支える世界観。飢饉の際の非常食だと認識すれば「遠野」と云う地名の迫り方が一層危機感を増す秀句。母に対し子どもとしての至らなさに臍をかむ。特選句『髪洗う沖の昏さを知っていて』「髪を洗う」私は「沖の昏さを知っている」ではなく「知っていて」と表記する。「知っていて何も出来ない」私は唯々「髪を洗う」まるで禊ぎのように。悔恨。懺悔。怒濤のように押し寄せる罪悪感。贖罪。自分の中に在る見てはならない深淵を意識した、内向的だが深い一句。特選句二句。まるで対のように胸に響いています。 顔を見て句座を囲める幸い。久々に楽しい時間をありがとうございました。戻りつつある日常に感謝。皆様の句評楽しみにしております。
- 漆原 義典
特選句「堰切って埋まる六月予定表」新型コロナウィルス禍による移動制限がやっと解除となりましたが、その喜びを、堰切ってと、上手く表現していると感動しました。素晴らしい句をありがとうございました。
- 菅原 春み
特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う」はかなげで幽玄な夕顔の白い花がたたまれる、詩的発火に納得です。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」コロナ禍とはいわず、寄る辺なき街といったところにリアリティを感じました。
- 男波 弘志
「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」不思議な関係性。説明を拒んでいる。「田水沸く皆んなそろっていた頃の」沸く、そこに芯の関係性がある。田水張る、でも句は成立するが、家族とはもっと深いものだ。以上、どちらも秀作です。
- 野口思づゑ
特選句「一蝉となり一空海の海となり」蝉の空と、海、の地球と、人間の知的な霊性が組み込まれたスケールの大きな句。圧倒されました。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」そういえばアスパラガス、思い浮かべると音楽が聞こえてきそう。きっと明るい余生だと思います。「滋さん死す夏形容詞にとりまかれ」形容詞に色々な思いが込められている。
- 柴田 清子
特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」老人と悲しい蛇に共通した何かがある。それが何かはわからないままに、この一句に引き込まれる。特選句「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」玉ねぎを吊すそれだけで人物の生活、あらゆる全てが滲み出してくる凄い句と思った。特選句「六月のマスク古ぼけたピカソ」古ぼけたピカソ 発想が奇抜。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチからの切替えがすばらしい。
- 藤田 乙女
特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」 コロナにより閉店していた食堂が開くのでしょうか?「紫陽花咲いたら開きます」がきっぱりして前向きで、気持ちを明るく爽やかな気分にしてくれます。特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』 こんな気持ちで日々を過ごせたらと羨ましく思いました。
- 石井 はな
特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」紫陽花の開花に合わせてお店を開く。コロナの影響でしょうか、長い休みを紫陽花の開花と共に、また始める。未来への希望と明るい光を感じます。家族で営む?食堂の生き生きとした様子が目に浮かびます。
- 島田 章平
特選句「夏に入る余計なものはみな捨てて」断捨離。人は毎日毎日時間を捨てて生きている。そして生まれ変わっている。捨てることで新しい命が生まれる。「夏に入る」と言う初句に、再生の明るさがある。
- 田口 浩
特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」すべりひゆが遠野に咲いている。否、咲いていないかも知れない。とにかくそこえへ「母」と言うカードを挟む。すると言葉のマジックで「置きしまま」に深遠な意味が現れる。なかなかのマジシャンである。「夏に入る余計なものはみな捨てて」「いらしてね虞美人草といふ店よ」「熱兆すときの体感合歓の花」「髪洗う沖の昏さ知っていて」「ハンカチが白いもう空をわすれそう」これらの作品、どれも俳句独特の世界を持っていよう。すばらしい。
- 高橋美弥子
特選句「熱兆すときの体感合歓の花」熱が出そうなときのなんかほわんとした感じと、合歓の花のほわほわした感じが呼応する。五感を俳句にきちんと詠み込んでいて好きな句です。
- 小宮 豊和
「落し文しずかに喋る人が好き」静かな良い句である。一読してそう感じる。しかし読み手にはへその曲った人も居る。あえて難癖を付ければ作者が好きと言ったから良い句になるとは限らない。また何に感動したのかはっきりしない。事件性が薄くて伝達力が不足だ。などいろいろある。たぶん伝えたいことは「以心伝心した本音」ではないだろうか。季語はそのまま、中七下五を右のフレーズに入れ替えるのはどうだろう。
- 松本美智子
特選句「天金の書のあり梅雨めく午後のあり(谷 孝江)」「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」どちらも情景が浮かぶ句でした。どちらも音を踏んでいて読んでいて耳にここちよかったです。
- 高橋美弥子
特選句「梅雨空に孫が小さく立っていた」何か不思議な感のする句です。誰かの絵を見ている気がします。あまり暗くない梅雨空、小さく立っていた、という突き放したような表現、孫の存在感をありありと感じさせます。小さくがいいんだろうと思います。ある一瞬の把握が全てを物語っていて俳句の面白さを感じます。
- 野﨑 憲子
特選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」パレットの朱色はお日さまの色。巷で言われている三密と真言密教の三密をかけ、女優の壇蜜さんも取り込んだ意欲作。密教の究極は?艶〟と言わんばかりに。問題句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」軽妙な北の交響詩。巧過ぎる!
袋回し句会
雨漏り
- 記憶が随分雨もりしてきた
- 中村 セミ
- 雨もりのソラシドレミファ新茶飲む
- 野﨑 憲子
- 雨もりの音にハミング子もり歌
- 野澤 隆夫
- 雨漏りのごとき仕事で夏に入る
- 中野 佑海
- 雨洩りや洗面器か馬尻かと
- 鈴木 幸江
- 雨漏るや鰆の焦げのアルミ箔
- 藤川 宏樹
- 雨もりのしみを広げる海の家
- 亀山祐美子
風
- ビールが旨い屋上を夜の風
- 島田 章平
- 風強し風の気になる人だから
- 鈴木 幸江
- 銀河系のとつぱづれから青嵐
- 野﨑 憲子
- 風が削られてゆく石の型(かた)となる
- 中村 セミ
- ドッジボール最後の一人は青田風
- 中野 佑海
- 若葉風プードル今朝は石かじる
- 野澤 隆夫
- 髪流し風に追ひつくとうがらし
- 亀山祐美子
新茶
- 茶茶茶新茶緑茶番茶一茶兜太
- 島田 章平
- 一本の奥歯を残す新茶かな
- 亀山祐美子
- 格差の世一茶新茶を買ふたかや
- 鈴木 幸江
- イケメンが崩れかけてる宇治金時
- 藤川 宏樹
- プードルの散歩疲れや新茶くむ
- 野澤 隆夫
無観客
- 無観客ゴッホのような星月夜
- 藤川 宏樹
- 穴を掘り下げてゆくほど無観客
- 三枝みずほ
- ユーチューバーのお祭り騒ぎ無観客
- 中野 佑海
- 麦は穂に謡再開無観客
- 野澤 隆夫
- 無観客青水無月の風騒ぐ
- 亀山祐美子
自由題
- お盆持つ夏満月を持つように
- 鈴木 幸江
- 恋猫のマンドレイクの根の悲鳴
- 中村 セミ
- 兄さんは海へ梅の実がなつた
- 野﨑 憲子
- 人間になる石ぬくし青水無月
- 亀山祐美子
Posted at 2020年6月26日 午後 04:05 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]