2020年9月1日 (火)

第109回「海程香川」句会(2020.08.22)

天の川.png

事前投句参加者の一句

向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音 田口  浩
静物の永遠に冷たき盛夏かな 中村 セミ
ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を 島田 章平
パンもハムも薄く炎暑にバス満員 中野 佑海
私ならいいです蚯蚓鳴いてます 谷  孝江
蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席 増田 暁子
遠雷や今終ろうとするショパン 小山やす子
コロナの禍ぽんぽん鳴るは鳥威 野澤 隆夫
脳に書く逃げ惑った夏更級郷 滝澤 泰斗
七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす 若森 京子
心音の表裏を濡らし髪洗う 月野ぽぽな
真葛原の内に花あり姉ひとり 稲葉 千尋
鶏頭のでこぼこ坊主頭かな 小宮 豊和
八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書 矢野千代子
指切りて血を舐め尽くす新涼や 伊藤  幸
マスクして咳を飲みこむ老いの夏 田中アパート
ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり 榎本 祐子
夏の木のそばに風ある別れかな 河野 志保
さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける 竹本  仰
意味付はいらない鰻食べてゐる 柴田 清子
夕なずむ多摩川鰻釣らんと漢かな 田中 怜子
稲妻や腎の石をも打ち砕く 漆原 義典
貧と貪敦盛草の母衣白し 荒井まり子
モーツァルトに葱刻む音入れてみる 重松 敬子
豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず 野田 信章
タロットを出られぬ姉妹夜の秋 伏   兎
頬紅を少し濃くして今朝の秋 藤田 乙女
青空にメロンパン浮く敗戦忌 植松 まめ
八月の真白き紙に感電す 三枝みずほ
なほのこと道化てみせる今朝の秋 佐藤 仁美
師は今も戛戛と生きとりかぶと 高橋 晴子
空蝉は忘れられたる羽衣よ 石井 はな
老師の耳毛説法に蝸牛 藤川 宏樹
七月の琥珀透けたる翅音かな 松岡 早苗
<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを 新野 祐子
いらん子と言はれ育ちぬ葛の花 高橋美弥子
さるすべりいまだこのよにゐるわたし 鈴木 幸江
いもうとの硬い突起やひめりんご 大西 健司
雑踏の刹那に君を夏の蝶 松本美智子
牛を売り夏の終りのハーモニカ 松本 勇二
蟻も私も生きていたるが仕事 野口思づゑ
滝しぶきもらいに手を出す真炎天 十河 宣洋
月涼しからだの遠きところから 小西 瞬夏
雁や疲れた風邪を引かぬよう 豊原 清明
八十八夜祖母の好みし次郎長伝 寺町志津子
黒金魚ことばの眼鏡ふと外す 桂  凜火
沙羅の花終末時計また進む 夏谷 胡桃
そっときてそっと食してわらびもち 銀   次
空蝉や瞼殺していたりける 河田 清峰
稲光る卑弥呼の葬列丘越えて 増田 天志
洗濯屋老いて閉店白芙蓉 菅原 春み
生足(なまあし)で昇る階凌霄花 吉田 和恵
絵日記に使われぬ色夏終わる 男波 弘志
蜩や遺影の兵士まだこども 稲   暁
目を瞑って夏草は疾走していた 佐孝 石画
信号の黄色見ている終戦忌 高木 水志
空蝉は闇の欠片か陽のかけら 亀山祐美子
熊楠の萃点つるべ落しかな 野﨑 憲子

句会の窓

                                
松本 勇二

特選句「八月やことんと羽搏く甲子男(きねお)の書」:「夜這いかな山を斜めのむささびは  奥山甲子男」を直感しました。羽ばたいた署はこれとは違うかも知れませんが、あの野太い声が聞こえてきました。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」メロンパンを想起できる感性を称えたいと思います。

月野ぽぽな

特選句「ウィルスや兵士のように水を飲み(松本勇二)」健康を取り戻すためには水分の摂取は欠かせないが、それを「兵士のように」すると比喩することで、その状況が戦争のようであると読者に伝えることに成功している。即座に「新型コロナウイルス」との表記ではなく「ウイルス」に省略されていることに気づき、今この時期に書かれているから、という理由ではなく、この句の力によって、このウイルスが「新型コロナウイルス」であるということが確定する。

増田 天志

特選句「月涼しからだの遠きところから」常識と逆の発想が、俳句の神髄かも。熱き中枢から、涼しき周辺へ、着眼点の移動。周辺から、中枢へ。なるほど、感服、しきり。

小西 瞬夏

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」これは名句なのか、そうでないのか。どこか「流れゆく大根の葉のはやさかな」を思わせるような。一見「だからどうした」なのだが、ふたりとはどん な関係なのか、どこでなぜこのような状況にあり、そしてふたりは何を思うのか。そう考えてゆくと、ただならない句になってゆく面白さ。

佐孝 石画

特選句「震災孤児とそうでない孤児蛇を囲む(田口 浩)」上五中七を使い切って「震災孤児」と「そうでない孤児」とあえて丁寧に並記してあり、読み手はまずその区別に違和感を感じるかもしれない。「震災」と付することで、被災を免れた人々であっても、東北、阪神の大震災、近年の洪水、土砂崩れなど、メディアを通じて得たさまざまな映像がフラッシュバックしてくるに違いない。そして網膜に焼き付いている抗いようのない悲惨な映像の霧が明けると、様々な感情ごと置き去りとなった人々、「孤児」が徐々に立ち現れる。それに加えて「そうでない孤児」。つまるところ、この作品の登場人物は、すべての孤児、全世界の孤児とも言える。「孤児」たちが距離を取りながら「蛇」を囲み対峙する一見不気味な光景。「蛇」はしかし、そこに立つ「孤児」たちの忘れがたい記憶と、その未来に立ち向かう意志の象徴でもある。「蛇」はまた「孤児」であり、孤児たちは、様々な感情を背中に帯びながら、蛇を取り囲み、それぞれが蛇と入れ替わる。悲しく強い輪舞。そんな切ないメルヘンの一場面は山口薫の絶筆を想起させる。また、新興俳句の代表作家、高屋窓秋の句「星泣きの孤児月泣きの孤児地に眠る」に通じる、つめたく優しい世界がここにはある。

桂  凜火

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」季語の「新涼や」が、よかった。驚きに満ちている。止まらない血で汚れた唇が「新涼や」でひんやりと浄められる感覚が浮かびました。特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」不思議な句です 夏の木は何の木なのかわからないが、そばに風あるらしい、そんな場所で別れがある。だれと 何と?なんの手がかりもないから余計に虚無的で美しい。もしかしたら、この設定とは正反対のどろどろの別れを思う句なのかもしれないが「別れかな」が効いていてそそられてしまう句でした。

十河 宣洋

特選句「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻の好きな人である。土用の丑だけが鰻の日ではない。何時だっていいのである。意味付けはいらないに、少し風刺の意味を込めている。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」戦後とか敗戦とかいうとすぐ食べ物のはなしがでてくる。その意味では類想である。でも、空腹の想いがあったのは事実である。空腹は、夢を持たせてくれる装置のようにも思う。学生時代メロンパンは十二円であった。

小山やす子

特選句「夏雲の湧く心臓のど真ん中(柴田清子)」コロナ騒動のど真ん中この句に出会って元気を貰いました。有り難うございました。

中野 佑海

特選句「生も死も私も溶けむ瀬戸の明け(鈴木幸江)」香川に住んで何が良いかって、やっぱり瀬戸内海でしょう。この海の素晴らしさは何物にも代えがたいよね。いつまで見ていても飽きないし、このまま一つになってしまいたいくらいだ。特選句「八月の真白き紙に感電す」コピー用紙のあの白さは、八月の太陽のように眩しい。何もかも映して、そして、チョット静電気がびりっと感じられたりする。そして、立秋が来ると誰もいなくなった。「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」ぽぽなは月野ぽぽなさんかはたまたゲームのキャラクターかこれはかなり難問だ。が、どちらにしても気持ちよさそう。「ジーンズの腰つやめきてさくらんぼ(高橋美弥子」おいおいサクランボ見つめてばかりいないで、しっかり味わってくださいよ。「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」蜘蛛の糸に付いた雨粒の綺麗に並んだ様は気持ち良い位に一粒ずつ。今はコロナ禍でみなおひとり様。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻文句なく美味しい。まいうー「タロットを出られぬ姉妹夜の秋」タロット占いには嵌ります。何事も嵌り込み過ぎて、其れが無くては生きられない、何も選択出来ないことになっては、お終い。何事も姉妹でも付かず離れず。お気楽に。「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠の偉業には頭が下がります。つるべ落としが妙に合っている。「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し(島田章平)」小西瞬夏さんの俳句は一つの流れに落ち着かず次から次へと素敵な俳句の火を灯して下さいます。でも根底は人恋し。「老師の耳毛説法に蝸牛」何故か老師とおぼしき方の耳毛って耳からはみ出すくらい生えていますよね。もう他からの意見なんていらないのでしょう。蝸牛のように家も車も自分で完結。

豊原 清明

特選句「滝しぶきもらいに手を出す真炎天」この一句が句稿の中で面白く迫る。「もらいに」滝しぶきに、滝信仰を感じる。特選句「<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを」無知な僕はその人を知らないが、一句がとても心に残る。追悼句からその人を知らなくても感じることができると思う。

河野 志保

特選句「遠雷や今終わろうとするショパン」素敵な気分になる句。「今終わろうとする」がとてもロマンティック。甘い調べと遠雷の物悲しさが過多にならず調和している。恋の場面が浮かんだ。今日の私の場合は「男はつらいよ 第18作 寅次郎純情詩集」(寅さん史上とびきりの悲恋だと思う)。

重松 敬子

特選句「絵日記に使われぬ色夏終る」楽しかった夏休みも残り少なくなり、何となくもの哀しい思いが伝わってくる。使われなかった色がこの句に広がりをもたせ、秀句にしている。

藤川 宏樹

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」周り一体色を失った惨禍に蟹の赤が浮かぶ、的確な表現に感心しました。私も阪神震災翌日、三宮駅を闊歩する浮浪者に小脇のホカ弁、そのソーセージの赤が鮮明にいつまでも残った体験があります。目を引く赤い蟹が非常事態を実感させます。

増田 暁子

特選句「八月の真白き紙に感電す」中7、下5は戦争や原爆で亡くなった人びとと鋭敏に心を通じ、無念さや懐かしさを共有することと取りました。真白き紙がとても良いと思います。特選句「生足(なまあし)で昇る階凌霄花」凌霄花の花の色と階を昇る生足の取り合わせが、なんとも魅力的で官能的です。毎回のことですが本当に良い句が多くて迷いました。

中村 セミ

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」蛇が何かは別にして、このたたずみ、見ている時系列に隠れている状況が好きだ。二人は句を思い、この蛇を見ているのか。この蛇はきっとたくさんの悪い事をした揚句、水の中か空中かを泳ぎ去ってゆく。その感慨を二人に感じてしまう。―おそらくつくづく都市や人々を破壊してしまった何か、が去ってゆく時の思いだろうと思う。この二人はずうっとしばらくは見続けるのだろう。「八月の真白き紙に感電す」夏の光で真白の紙は放電している。それに気づいた人は感電するのだろう。

高橋美弥子

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」全体を平仮名表記にしたことで一句にやさしさとせつなさが漂います。百日紅は夏のカンカン照りの空へ元気に咲く花。その百日紅を見たときに、作者が生きてきた中での様々な感情の移ろいを投影しているように感じて共鳴しました。問題句「眼を奪うLEDの天の川(佐藤仁美)」そんな日が来るのかもしれない。いや、作者はそれを実際に見て眼を奪われたのかも。でもせっかくの「天の川」の季語の本意が薄れてしまうようにも感じます。

若森 京子

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音」二十歳の青春時代の危なっかしい気分がよく出ている。向日葵の季語が。夢・希望のシンボルとして書かれているが、それに引き金を引く行為は、その頃の精神状態の陰の部分としてであろう。「音」が、一句を詠い上げている。特選句「目を瞑って夏草は疾走していた」目を瞑って想う間に、夏は過ぎ去っていた実感だと思うが、「夏草は疾走していた」のフレーズが好きでした。

伊藤  幸

特選句「コーラシュワッ青葦つづく風の黙(松岡早苗)」オノマトペ「シュワッ」が効いている。若く力強い青葦を無音の晩夏の風が父親のように見守っているさまが窺える。

滝澤 泰斗

特選句「自閉症のキミとの日々よあの夏よ(松本美智子)」自閉症は様々な障がいのパターンがあり世界に2千万人以上の統計がある。日常の中で、特に電車の中で父親が付き添ってつかず離れず、人に迷惑をかけないように見守っている姿を何回か見たことがありそのシーン思い出しました。寝ているとき以外はいつも見守りが必要な中、夏のある日、好転への変化の兆しか、あるいはその逆か?心動かされました。特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」一仕事の終わり、牛を育て売るまでの忙殺された日々にはできなかったハーモニカを吹く。面倒見てきた牛がいなくなった牛舎と夏の終わりにか細いハーモニカの調べ・・・、懐かしい古き良き時代の昭和の寂寥感に共感しました。お彼岸の3月、9月は家族のための祈りの月、8月は戦争で亡くなった人への鎮魂。今回の投句にも多くの祈りの句を拝読しました。その中で印象的な句、以下の五句を選びました。「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」海の浅瀬であろうか、上向いて背泳ぎというより、空を見つめて浮かぶように七五年前の空を思い出して戦争を、敗戦を偲び、人を偲びつ。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」日本は敗けた。すさまじい空腹感が容易に想像つくが、空に浮かんだメロンパンは一般論でくくれない作者の思いに震えました。終戦忌を敗戦忌とする人が多く、これにも共感しました。「八月十五日ただ眼をひらき水風呂に」私は敗戦の日を知りませんが、敗戦の日の受け止め方として、あの戦争は何だったのか、刮目的に、そして、水を浴びて鎮魂する姿が想像されました。「敗戦忌父の褌ひるがえり」褌は金子先生の代名詞でもあり、トラック島で敗戦を迎えた金子先生と私の父の褌も思い出され、「ひるがえり」に、新しい時代の到来すらも感じさせてくれました。「蜩や遺影の兵士まだこども」小さいころ、どの友達の家の仏壇にも兵隊姿の遺影があった。そして、どの遺影も若く、子供の面影をたたえていた。印象的な反戦句でした。「いもうとの硬い突起やひめりんご」金子先生は「俺は人を見る時、上から下まで舐めるように見る」と・・・女性の体を果物に見立てる言い方はマンネリと言えばその通りだがエロスを感じさせる句は自分ではなかなか作れない。それだけに、魅かれる句ではある。

野田 信章

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ(谷 孝江)」の句は、久方ぶりの梅雨の晴れ間のことと読んだ。それも「こんなに晴れて」となると、それはもう誰かの忌日ゆえのことかと思案しても不思議でなくなる。離別を重ねているとその人の忌日も判然としなくなることも確かなこと。「誰の忌日ぞ」という呟きそのものが今を生き永らえている者の生の明かし(証)かと思えてくる。一句の韻律が醸している諧謔味も捨て難い。

柴田 清子

特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」一つ一つの言葉は易しい。その言葉のあつまりで、詩情の深い句に。別れに風をもって来たことで粋な別れの句となった。

田口  浩

特選句「信号の黄色見ている終戦忌」この句の場合、信号を見ているのは歩行者でもいいが、出来るなら運転席から見ている方が、味わいを深くするように思う。さらに言えば戦争を体験した人が、黄色の光の意味を拡大解釈して、自動車を発車するまでと限定する方が作者の立ち位地を感じられて面白い。「終戦忌」のウムを言わせぬ力をぶつけられて、心に残る俳句である。「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」私も若いころ友達を呼んでよくやった。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」敗戦の青空に浮く白い雲を見て、パンを想像したのだろう。メロンパンと言うから若い人かも知れない。「師は今も戛戛と生きとりかぶと」今生は病む生なりき、の鳥兜もいいが、こちらもいいですね。「戛戛と生きとりかぶと」は、師の風貌を眼前に見ているのですね。「いもうとの硬い突起やひめりんご」これは姉妹ですね。若いエロスに圧倒されます。「絵日記に使われぬ色夏終る」その色をいろいろ考えて見ました。愉しいヒトトキ。

野澤 隆夫

特選句「モーツァルトに葱刻む音入れてみる」面白い。ラーメン??葱を刻んでる作者。小生は今選句しつつムソルグスキーの「展覧会の絵」を聴いている!特選句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」小生の先輩にそっくりな人物。「かつかつ」として「毒性アリ」。「配牌やスパイめきたる守宮の目(重松敬子)」も特選。ギャンブルと江戸川乱歩の取り合わせが面白い。

稲葉 千尋

特選句「吉野暑し直完市の大わらい(矢野千代子)」稲葉直さん阿部完市さんの笑顔を思い出します。それぞれに違う笑顔よ。

大西 健司

特選句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」特選には「今朝の秋」二句をいただいた。残暑厳しいおりから暑苦しい句はさけた。まあそういうわけではないのですが、落ち着いた、心の機微を捉えた二句がじんわりと心に沁みた。問題句「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し」問題句というより特別賞あたりか、人名をうまく入れて楽しく仕上げている。八月らしく「八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書」には奥山甲子男さんが、「吉野涼し直・完市の語尾曳いて」には稲葉直さん阿部完市さんが、実になつかしい気持ちにさせられた。

寺町志津子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」終戦記念日のある八月。かつての太平洋戦争での少年航空兵や特攻隊員にも一入の思いがあるが、揚句は、現在なお戦乱の中にある中東のこども兵士のことと捕らえた。蜩の鳴き続ける夏真っ盛りの中、テレビか新聞かで報道された子ども兵士の遺影。「まだこども」の語に、作者の子ども兵士に対する言いようのない心の痛みが感じられ、実景であろう鳴き続ける蜩の声が一層哀しみを深めている。

伏   兎

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」理性が野生に追いつけず、暴走しがちな夏の午後の若さを見事に捉えられている。とりわけ中七と下五の表現が心に刺さる。特選句「水中花きずをちひさくする仕事(小西瞬夏)」」掲句から無言館の絵を修復する光景が目に浮かんだ。画家になる夢の途中で戦死した青年たちが遺した絵に、寄り添う人々のまなざしや息づかいを感受。入選句「黒金魚ことばの眼鏡ふと外す」黒金魚は黒出目金のことだろう。縁の太い老眼鏡をかけ、国語辞典を傍らに作句に没頭している姿を想像し、惹かれた。

三枝みずほ

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」冷蔵庫にはその人の本性や性格、生活スタイルが出る。いわば自分そのもの。それを他人に見せるという状況、心情にとても興味が湧いた。そもそも「さあどうぞ」と他人に開けるだろうか。何とも真夏の夜の不思議だ。

谷  孝江

佳い句たくさん見せていただきありがとうございました。どの句特選となると難しいです。十句どれもみんな私の中では特選です。「元二等兵コトシモ空蝉のゴトシ(若森京子)」昭和を生きてきた者には八月は一年の中では特別な月です。コトシモ空蝉のゴトシは心痛みます。決して空蝉なんじゃありません。黙していらっしゃるのです。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」も好きです。淋しさを人前に見せないで一人ハーモニカを吹いていらっしゃる姿が見えてきます。心の内も感じ取れる良い句だと思いました。九月もたくさんの佳句に出合えるのを楽しみにしています。

榎本 祐子

特選句「七月の琥珀透けたる翅音かな」梅雨が明け黒南風から白南風に、盛夏となる七月の空気感の表現が素敵です。

男波 弘志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」ここにある、いいです、は拒絶ではない。ありのままの謂だろう。「整える必要はない蠍座よ(河野志保)」不定形なものは自然界にはない。ありのままに一切がある。

島田 章平

特選句「脳に書く逃げ惑った夏更級郷」長野県更級郷。古くは「満濃開拓団」の村。おそらく多くの家族が大陸に渡り、またその内の多くが苦難の末に帰国を果たしたであろう。生き別れの家族、死別の家族、傷言えぬままに過ごした75年。帰国後、必死に耕した開拓の地も今は過疎化の波にのまれ、空き家ばかり。鮮やかな色で蘇るのは、亡くなった家族の事ばかりだろう。

石井 はな

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」夏の象徴のような向日葵に引き金を引く。それも二十歳の若者が。若者の鬱屈した気分とそれを囲む眩しい世界。70年代の映画を思わせます。

田中 怜子

特選句は、やはり8月として「蜩や遺影の兵士まだこども」今後の見通し、展望もなく妙な精神主義で、若者の命を無駄にした軍上層部に対する憤りがある。片道切符で戦場に行かせ、兵器を担ぐためにはある程度の体重がないといけないのに、また知的に4、5歳くらいの青年を兵士に駆り出したり、無茶苦茶。そして責任をおわない軍に対して怒り心頭です。でも、プロパガンダと愛国心等で国民も賛同していたんですよね。この句は静かな批判です。蜩の透明な鳴き声が心にしみいります。「腰幅で花野漕ぐ柔らかき背(十河宣洋)」色っぽいですね。「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」先日外苑前にあるイタリア料理・アクワ・パッツアでとさかと内臓のスープを食べました。とさかの触感、味はないですが、ぷりんぷりんとして、スープの味がとても美味しかったです。それを思い出しました。(内臓は苦手なのですが)「いらん子と言われ育ちぬ葛の花」は胸痛みますね。悩んで自分なりに、自分を肯定できるようになってからの述懐でしょうか? さまざまな気持ちの解消プロセスが見えるようです。「睡蓮咲く庭を残して友が去る(夏谷胡桃)」その家将来が、睡蓮の庭が壊されてしまうのではないか、という心配がわきあがりました。「洗濯屋老いて閉店白芙蓉」洗濯屋という生業が終えることに、子供が継がなかったのかしら、それともコロナ禍で事業がうまくいかなかったのかしら、とにかく老いた善良な一市民の姿が眼に浮かびました。安堵もしているのかしら、と。

新野 祐子

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」九州をはじめとする七月の豪雨、酷かったですね。特に、熊本県では二十四時間降水量が四〇〇ミリを越える所があったなんて、現実とはとても思えませんでした。蟹の赤が悲しく鮮烈です。被災地の一日も早い回復をお祈りします。入選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」人間長く生きてくると、身近なところで天寿、不慮の事故などで亡くなる人が多いものです。誕生日を祝うよりも故人を偲ぶ日の方が増えてくるのは淋しい。入選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」理屈などいらなくて、蜘蛛の囲に架かった雨粒はほんとうにきれいです。問題句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」兜太師のことでしょうね。先生と毒草の「とりかぶと」はマッチするかなと疑問でした。

夏谷 胡桃

特選句「敗戦忌父の褌ひるがえり(竹本 仰)」褌が白旗のようです。うれしい白旗。舅も褌でした。最初びっくりしましたが、パンツは、はかない人でした。特選「月涼しからだの遠きところから」からだの遠きところ。古代からのリズムがずんずんなっていくような、月の夜。体の中に音が鳴ります。ひとつの獣になって。

河田 清峰

特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売りが晩夏のハーモニカに効いている。

鈴木 幸江

特選句「パンもハムも薄く炎暑にバス満員」子規の写生論を土台に、独自の俳諧味を加えて進化を遂げた作品として特選に評価した。事物だけの描写句には時代の証拠としての力がある。現代の経済ファーストの社会を見事に表出させている。この私の解釈の背景には、コロナ禍の、あるファミレスでの体験と、東京の妹からの”電車が混んでいて、人に触れないよう注意している”とメールが届いたことが影響している。特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」”あなた”は、夫か妻か。微妙な夫婦関係を上手に口語を活用し捉えた作品として読んだ。必要以上に丁寧な物言いをする時、その人は相手との距離を感じている。わざと使うときは将に嫌味である。何かお腹に溜まっているものがありそうだ。夫婦の間にある溝を感じた。そして、どうぞここから新たな夫婦関係を築いていってくださいと応援したくなった。問題句「熊楠の萃点つるべ落としかな」熊楠は師も評価していた人物。”萃点”は熊楠の造語。物事のことわりが通過して交差する地点のこと。”つるべ落とし”は①急速に日が暮れることで十一月ごろ。②相場が急落すること。③木から落ちてきて人を食べる妖怪の名。と辞書にあった。もう、これだけで問題句だ。とても、大切なメッセージが含まれている予感がするのに、浅学のため、解釈が十分できなくてイライラしてしまった。今回は、人名の含まれた作品が、多く、子規や兜太師も、その人物を捉える表現がとても上手であったことを思い出した。

矢野千代子

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」一読して「誰の忌ぞ」があいまいだと思ったのですが、読み手各人が置きたい人を置くのもいい。そう、父母でもいいし、夫でも子供でもいいのでは?特選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」雨粒は長続きしないのが良い。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」おいしければそれだけで満足。「空蝉は忘れられたる羽衣よ」詩人ですね。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売るってどんな心情でしょう。あのうるんだ目を思います。

菅原 春み

特選句「七月の琥珀溶けたる翅音かな」琥珀の溶けるというところが並みの想像力には及ばぬ翅音のように思えた。特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に(野田信章)」映画のシーンを見るようにただただ映像が迫ってきた。

佐藤 仁美

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」お盆にお墓参りに行くと、百日紅の花が炎天下に鮮やかに咲いています。この世の私と、あの世の方達。鮮明な対比と、すべてひらがなの優しさとが入り交じった、少し寂しさも感じる素敵な作品です。

松岡 早苗

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」中七の「血を舐め尽くす」が強烈な印象を与えた。「血」と「新涼」の取り合わせも新鮮だが、身の涼感を舌先で貪欲にむさぼる中七の刺激的な表現に惹かれた。特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」一面泥に覆われたモノクロの世界に「赤い蟹」。悪夢のような豪雨禍にあってとても象徴的。自然の脅威へのおののき、うちのめされた絶望感、新たな再生への希望。いろいろなイメージで「赤い蟹」が迫ってくる。豪雨被害、心よりお見舞い申しあげます。

植松 まめ

特選句「青年は永久にほがらにサーフィンを」三浦春馬さん追悼の句です。爽やかでナイーブな素敵な俳優でした。永久にほがらにが故人の個性をよく描いていると思います。特選句「生足で昇る階凌霄花」真夏に咲く凌霄花はつる性で橙色の大きな花をつけます。高校時代に進路に迷ったころ何気なく見上げた凌霄花に力を貰ったことがありました。生足を裸足と理解しましたが、どうでしょうか?  (自己紹介)七月の「海程香川」の句会に何の知識も無く顔を出し今までの句会では出会ったことのない種類の俳句を拝見しカルチャーショックを受けました。皆さんについて行けるかどうか不安でありますが、野﨑代表をはじめ先輩の皆様よろしくお願いいたします。

竹本  仰

特選句「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」七十五年目の戦後、作者はその敗戦日の年の生まれでしょうか。だとしたら、「潮枯れ」の「潮」に格別な響きが出てきます。あの超過密の保育園から学校と、団塊の世代が延々とつづいた戦後の日本の、その「潮」の体内音を聴くように感じられるからです。そしてまた、「潮枯れ」には自分の親の世代へ重なってゆく老いの自覚も感じられ、帰るべきところに来たという感懐もあるように思えます。それが背泳ぎの海というところから、いつも何かに支えられてきたという、生きものの持つ体感がとても迫って感じられます。 特選句「月涼しからだの遠きところから」からだの遠いところって何処だ?そういう遊びとも策略ともとれる隔靴掻痒の感が、魅力ある句だなと。「月涼し」には何か乾いた或るさとりみたいな、そうですね、沙羅の花のような感じがしますし、それがからだの遠い辺境から来ているとなると、すごく面白い。しかも、あなたはどうです?という問いかけに遭ったような、面映ゆい距離感を感じます。小生の場合は、その遠いところを探したら、左足の薬指の爪かなとひとりごち、まあ、いつもいい加減な扱いをしてすいません、というか。そんな童話風のつづきをもたらしてくれたのが、ありがたい句だなと思った次第です。

荒井まり子

特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に」八月は敗戦の月。団塊の世代とはいえ、戦後の無い無い尽くしは今も記憶にある。今年はコロナも重なり特別のスペシャルになった。本土空襲、広島、長崎と被災された方々にとって、中七が恐怖の一瞬皆同じだったろうと。昭和は長過ぎた。新しい暮し等ついていけない。年寄りの僻みだろか。

野口思づゑ

特選句「八月の真白き紙に感電す」原爆忌、終戦記念日と八月は心を新たにする月であり、それは真白い紙なのかもしれない。その上今年はコロナ人災の特別な年に自然災害も加わり、大きな衝撃の月となっている。それを「感電す」で体感も加え巧みに表していると感心しました。「凹凸と育つ夫婦の晩夏光(中野佑海)」:「育つ」が面白い。仲の良いご夫婦なのでしょう。「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影の兵士はどの写真も悲しいものですが、それがまだ幼さの残った顔ですと尚更です。「信号の黄色見ている終戦忌」この信号だけは奇跡的に黄色から青になってもらいたいと心から願う。

稲   暁

特選句「心音の表裏を濡らし髪洗う」酷暑の日の洗髪の感覚が大胆な言葉遣いで表現されていて感心した。とても意欲的な作品だと思う。問題句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」本格的な秋の到来を待つ心が「頬紅を少し濃くして」に表れていて共感するが、今年は「今朝の秋」を感じる日はまだないように思われる。

高橋 晴子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影は年をとらない。自分がだんだん年をとっていくにつれ、遺影の兵士の若さが胸に迫る。?まだこども〟とつき放した言い方に、戦争へ追いやった人達への怒りがこみあげる。蜩が胸に沁みる。

漆原 義典

特選を「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」とします。盆の墓参りでお花を持ち参りました。盆の花には鶏頭の花が入っていますが、今まで鶏頭の花をそんなに注意して見ていませんでした。でこぼこ坊主頭と表現した作者の鋭い観察力に関心しました。私もこれからは花達を注意深く見るように心掛けたいと思います。素晴らしい句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」さあどうぞ。よく冷えた私の中身。それとも、この中に入ってごらんになります?猛暑にひと時の安らぎ?

高木 水志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」いつも控えめな人のセリフに「蚯蚓鳴く」を取り合わせたことで、なんとなく幸せな響きになっている。

藤田 乙女

特選句「雑踏の刹那に君を夏の蝶」雑踏の中に一瞬君を見たのでしょうか?その姿はすぐに蝶のように軽やかにいなくなってしまったのでしょうか?それは本当の姿?それとも幻?いや雑踏の中の君に蝶がひらひらと近づいてきたのでしょうか?そう思えたのでしょうか?いろいろ想像するのですが、いずれにしても儚いけれど思い続ける愛を感じて惹かれる句です。特選句「稲光る卑弥呼の葬列丘越えて」目の前に広がる夏の太陽の光を浴びた日本人の食を支える稲穂、それと稲作の農耕文化を発展させた卑弥呼を取り合わせることで、とても壮大で古代へのロマンを駆り立てられる句だと思いました。

亀山祐美子

特選句「八月の真白き紙に感電す」年々暑くなる夏。今年は今までになくクーラーを使っている。暑さから命を守る行動を促す気象予報士。地球が病んでいる。そんな異常な八月の白紙に向かう。言葉もなくその白さに打ちのめされる。否。何故どのような言葉で空白を埋めようとしたのかさえ忘れてしまっている恐怖に打ちのめされ茫然自失の私がいる。己を覗き込む佳句。特選句「向日葵に満天の星地球病む(高橋晴子)」暑さに加えコロナ騒動。否。コロナ騒動に加わる暑さと言うべきか。向日葵や星はいつもと同じ時を刻むのに地球に棲む(寄生する)人間だけが病むと嘆く人間の傲慢さの極致。自然の脅威。生物兵器説が正しければ自業自得か…。来年の夏まで生きていられるのか不安が過る。恐怖と願望入り混じる佳句。

小宮 豊和

「敗戦忌父の褌ひるがえり」敗戦忌 戦争に負けてもまいっていない心意気。「いらん子と言はれ育ちぬ葛の花」この時点で多すぎる兄弟姉妹。一人だけ言われることと考えられない。それぞれがコンプレックスをかかえ克服していったのだろう。「目を瞑って夏草は疾走していた」目をつむって疾走する夏草、現実に無く、起こり得ないことを、実感をもって感じることは俳句であればこそ。

松本美智子

特選句「稲妻や腎の石をも打ち砕く」職場の同僚が人間ドックで腎臓結石が見つかり その治療法をめぐる話を聞いたばかりでしたのでこの句を詠んだ時それこそ‘稲妻‘が光りました。「体外衝撃波砕石術」だそうです。どんな衝撃波が結石をくだくのでしょうか。それとも雷様はおへそをねらっているのでしょうか。

野﨑 憲子

特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」コロナ禍の中新しい日常の模索が続いています。こういう時代だからこそ日常を楽しく過ごしたいもの。道化役はますます大切になってまいります。季語<今朝の秋>の斡旋がお見事です。問題句「西から縮み子午線上で消える」一読、風の事を詠んでいると感じました。何だか全く分からないところにも惹かれます。自句自解「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠は、明治時代の博物学者、民俗学者でもあり特に粘菌の研究で知られています。神社合祀反対運動をして和歌山県の鎮守の森を命がけで守ったことでも有名です。左記の曼荼羅図は、若き頃の熊楠が大学を中退(正岡子規と同級生でした)しロンドンに渡った時に知り合った、十四歳年上の土宜法(どきほう)龍(りゅう)(のちに真言宗高野山官長)との往復書簡の中にあります。いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることの出来る萃点が存在すると考えました。図中にも点がいくつか見られますが、秋の夕陽が真っ直ぐに落ちていくの見ていて掲句が浮かびました。句会も、ある意味では萃点だと強く感じるこの頃です。

9月12日(土)午後1時30分から3時迄、サンクリスタル高松3階視聴覚ホールにて開催の「菊池寛記念館文芸講座」の中で話をさせていただきます。テーマは「始原の俳句 兜太・芭蕉そして空海について」です。<萃点>についても、ご来場の方々と考えて行きたいと思います。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ストレッチ
浜木綿の朝(あした)は雨のストレッチ
野﨑 憲子
ストレッチして遠くの空までゆく
三枝みずほ
夫を呼ぶ腓返りのストレッチ
鈴木 幸江
ターザンで心新たにストレッチ
島田 章平
もういいかいもういいよとストレッチ
田口  浩
寝待月しらずしらずのストレッチ
柴田 清子
暑気
どうにでもなることならぬこと大暑
柴田 清子
一挺のバイオリン暑さに遠くいる
田口  浩
抱っこしてスマホ操る母暑し
島田 章平
暑気なんてなんて優しい人だろう
鈴木 幸江
猛暑かな右へ曲れば燧灘
野﨑 憲子
ターザン
爽やかやターザン知らぬ人とゐる
柴田 清子
銀漢を渡るターザン募集中
中野 佑海
ターザンの押す蓴菜舟である
田口  浩
寝落つ間にターザン去りぬ晩夏光
藤川 宏樹
モディリアーニの少女雨傘を出して秋
田口  浩
私には聞こえる秋の声雨に
柴田 清子
ほめてみるこころみ夫へ夏の雨
藤川 宏樹
雨女連れて今さら月涼し
中野 佑海
傘に八月雨雨雨雨雨が降る
野﨑 憲子
自由題
自由とは酸っぱいものよ冷奴
島田 章平
胸中に夕日其の他はねこじゃらし
田口  浩
問題は易きとこから蚯蚓鳴く
藤川 宏樹
自由とは色なき風のことを言ふ
柴田 清子
時と息止まる炎暑の交差点
中野 佑海
日本は化石賞とやなめくじら
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】第2回「海原金子兜太賞」に本句会の三枝みずほさんの作品が選ばれました。参加者一同の大きな励みになりました。おめでとうございます!!

【句会メモ】8月もサンポートホール7階の和室での句会を開催しました。やはり生の句会は最高に楽しいです。事前投句も袋回し句会もブログには一部しか掲載できず 残念です。現在、11月刊行予定の「海程香川」発足10周年 記念アンソロジーの編集に入っています。多様性と魅力溢れる作品や文章にワクワクしながらの作業です。皆さまのお手元にお届けする日を楽しみに頑張ります。

2020年7月26日 (日)

第108回「海程香川」句会(2020.07.18)

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事前投句参加者の一句

                     
掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう 藤川 宏樹
祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ 島田 章平
提灯の火がぬめる褥(しとね)の沼 中村 セミ
ホームレス耐え難きを耐え崩れ落ち 田中アパート
竹落葉パントマイムのとめどなく 稲葉 千尋
ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴 野澤 隆夫
昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ 月野ぽぽな
舟虫群れる星占いを糧として 森本由美子
引っ越しにリヤカー借りる青蛙 増田 天志
ノースリーブに刺青がちらり漣す 滝澤 泰斗
ウイルスに悲鳴をあげて梅雨の魚 豊原 清明
一日の空白にゐて冷奴 小西 瞬夏
最初はグー後の人生七変化 寺町志津子
土砂降りの七夕の夜半徘徊す 石井 はな
田水もろていま青蛙生まれたよ 河田 清峰
沼島(ぬしま)よりポルカのリズム梅雨入りす 矢野千代子
父の背は鹹かった日韓の海つづく 若森 京子
意味求める辛い朝ですトマト切る 竹本  仰
母の遺影また笑ってら宵涼し 銀   次
まんのうと何度も言って青田風 松本 勇二
人恋うれば遠のいて行く霹靂神(はたたがみ) 小山やす子
一心に蝉木に語る心を語る 野口思づゑ
深々と逆さに落ちて梅雨の底 稲   暁
まだ過去の鏡見ている半夏生 藤田 乙女
あわあわと梅雨の昼月訃が届く 榎本 祐子
けじめつけにきてががんぼみて帰る 桂  凜火
夏の朝遠くに人を待たせたり 柴田 清子
描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ 三枝みずほ
考(ちち)の声夜店覗けばよみがえる 新野 祐子
葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな 野田 信章
梅雨空に俯く人のブーメラン 高木 水志
病みもせず静かに逝きし雲の峰 佐藤 仁美
太古より放蕩の血筋トマト熟む 十河 宣洋
父と娘の隙間ギャグ程に遠雷 中野 佑海
麦秋や県道を行くコンバイン 松本美智子
誰も存(い)ず光の縞柄とんぼ池 増田 暁子
ふるさとの風の重さよ栗の花 高橋美弥子
相棒って何向日葵のことですか 谷  孝江
卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり 大西 健司
止まり木に老人の影砂時計 田口  浩
光ギヤマンに屈折す沖縄忌 伊藤  幸
郭公がポトリ落とした喉仏 吉田 和恵
夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ 鈴木 幸江
一湾をさらりと舐めし夕立かな 松岡 早苗
オンライン夏休みは象見るんだ 夏谷 胡桃
青葡萄眠り足りない日の愛し 荒井まり子
水中花になつてしまふまでの雨 亀山祐美子
大雨や金魚に酸素欠乏す 菅原 春み
教わった通りに螢殺めおり 男波 弘志
ひそやかに白い夜明けを稲の花 小宮 豊和
雨蛙ぴょんと跳ねたり潦 田中 怜子
百足虫出た世界大戦重戦車 漆原 義典
コロナざれて無職省略的な居間 久保 智恵
せんせいの言の葉いちまい雨に濡れて 佐孝 石画
どくだみをたどって過去に行ける道 河野 志保
友の忌やベンチで食らう柏餅 重松 敬子
躁と鬱もみくちゃにして髪洗う 伏   兎
荒梅雨の夜や海底にゐる如し 高橋 晴子
少し猫背のかの花火師は風の王 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「止まり木に老人の影砂時計」実に地味で静かな句。そして無季。コロナ渦のなかかろうじて開けていた、地方都市のスナックの仄暗さを思う。ポツンといる老人の侘しさが沁みてくる。砂時計が侘しさをなおつのらせる。隣の「傘持たぬ親子三人工場街」こちらもよく似て地味で侘しくて無季。気にかかる句。「織姫は銀河の戦士ミルフィーユ」ゲームのキャラクターのよう、昭和の侘しさと対極。「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」引っ越しに「に」にこだわった。

十河 宣洋

特選句「梅雨の日曜母という名の潮騒(中野佑海)」潮騒の心地良さに浸っている。鬱陶しい梅雨。その日曜日、お母さんと一緒に過ごしている。時々出るお母さんの小言も潮騒のように心地いい。 特選句「提灯の火がぬめる褥の沼」褥の沼の取りようで句意が変りそうである。褥のような沼と取ると沼の広がりとそこに映る提灯の明りが作り出す夜の風景が見えてくる。褥が沼のようだと読むと、この句は急に色っぽいあやしい光を作り出す。どう読むかは、読み手の感性である。私は後者。 問題句「郭公がポトリ落した喉仏」郭公と喉仏の関係の意味が取れない。飛躍しすぎていないだろうか。

小西 瞬夏

特選句「トルソーの全き容夏の空(男波弘志)」手足のないトルソーが全き容であるという真理。頭をガーンと殴られた思いがした。足りないものについ目がいってしまうが、そうではなくてその存在そのものが完全で、すべてであるのだ。夏の空がひろびろと、この真理の大きさを受け止めている。

増田 天志

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」スト―リ―展開が、素晴らしい。老成の花火師は、風を読む。

藤川 宏樹

特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」用事を果たせずに帰ってくる日常のなんでもなくてありそうなことを、うまく言いえているなぁと感心しました。

森本由美子

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合わせつつ」いまのカオテックともいえる日々の中で、青葉に心を託すひとときに救いを感じた。作者にとって描くとは瞑想することなのだろう。特選句「教わったとおりに蛍殺めおり」誰の心にも潜む弱者への無意識な殺意を巧みにとらえ一行詩としている。問題句「俳人は廃人なるや青芒(小宮豊和)」直感で詠んでいるのか、長い俳人生活の末に行き着いた想いなのか。

島田 章平

特選句「まだ過去の鏡見ている半夏生」烏柄杓の生える頃、まだ梅雨はあけず、じとじと暗い日が続きます。今年の様にコロナ禍に水害が重なるとやりきれません。私達が見ているのはいつも過去の鏡。未来を変えるのは今だと言う事に気が付かなければ。

松岡 早苗

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」:「肺」という即物的な表現が印象的で、ニセアカシアとの取り合わせもおもしろいと思いました。肺胞のようにぶら下がった白い花房の芳香が、昼下がりのけだるい空間を埋めていくようです。特選句「意味求める辛い朝ですトマト切る」:「三角関数勉強して何になるの?」「どうして学校に行かないといけないの?」与えられた価値観に反発したくなるやっかいな思春期。大人になるためにもがいている子どもに、親は黙ってご飯をつくるしかない。もう戻りたくもないし戻れもしないきらきらした思春期を思い出しました。問題句「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな(野田信章)」:「不知火海五月」という力強く勢いのある表現から、「いのちかな」へと一気に流れるリズムが、初夏の命のきらめきを見事に表現。佳句と思いながらも、「牡蠣」のもつ冬のイメージが邪魔をして、結局選びませんでした。頭が固いステレオタイプな自分自身への問題提起です。

松本 勇二

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」虚構ながら喉仏に存在感がありました。

滝澤 泰斗

特選句「号令はイヤ万緑の風が鳴る(三枝みずほ)」今月のナンバーワンの一句に選びました。一読した時の印象では、上五にやや引っ掛かりながらも、万緑の風が鳴るで、即、選びました。それは、私の心の中に「風が吹いたから」でした。バルト三国の一番北の国エストニアの第二の国歌と言われている「平和の子守歌」があります。その中の詩に・・・風が吹いている 私のこころの中に・・・ という、歌詞があります。一九八九年ソビエトからバルト三国は独立を果たしていきます。大きなうねりになったのは、三国2百万の人々はヴィリニウスからタリンまで手を繋いで「人間の鎖」を作り、ソビエトの圧政に抗議し、血を流すことなく、三国ともに独立を果たしました。歌による独立を成し遂げ、世界から称賛されました。その歌の冒頭に くらい闇の向こうから あの日見知らぬやつやってきて 美しい祖国悲しみに震え 寒い冬の時代乗り越えて と、付きます。そして、号令はイヤ に納得しました。昨今の香港の姿を見ると、余計にこの句が身に染みました。みんな何よりも、自由が欲しいのです。師も言いました。俳諧自由と・・・もう一つの特選は迷いに迷って「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」対峙の句は「掴む蹴る嬰児(やや)遊泳の宇宙なう」甲乙つけがたし、髪洗うの季語で、まさにかみ一重・・・でも正直に言いますと、前者は実感できるが、後者はできない差とでも言おうか・・・ともに、見事な句で感心しました。後者の なう は、変化球でいう手元ですっと抜ける感じが絶妙でした。「一日の空白にゐて冷奴」空白にゐて は、一日の中でたまたま何もしない時間ができたのか、丸一日、何も予定がないのかと、いろいろ考えたが、カレンダーに何の予定の書き込みがない一日の空白が豆腐の白とを勝手に重ねて詠みました。「トルソーの全き容夏の空」夏の空に立ち上がる積乱雲。その積乱雲が青い空の部分をトルソに見立てた。あるいは、雲の形状そのものがトルソになったか。スケールの大きな句になりました。「山の田の太陽を踏み水すまし」小さな昆虫を題材にして、大きな句にしました。感心しきり・・・「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」年齢のギャップ、男と女のギャップ、駄洒落や笑いのツボなどギャップが雷の光と音のズレを生じているように、微妙にずれる感覚を上手に切り取りました。「光ギヤマンに屈折す沖縄忌」爆撃、銃撃、火炎放射器など銃器が発する光はいびつなガラスを通して屈折するように、記憶はストレートでありながら、認められない心情で屈折する。あんなに痛めつけられた沖縄に基地がある限り、戦後は終わっていないし、いわんや、屈折をや・・・「茣蓙で寝る浜の番屋や夏の月」出来すぎなほど美しい光景が想像できました。十七音の力を感じました。「人消えて青空群れている夏野」満蒙青少年義勇兵で、シベリア抑留を経験された熊本の画家・宮崎静夫さんの絵を思わせる句。死者の霊や面影が空一面を覆う。あの、喜怒哀楽を共にした兵はもとより、親兄弟も今はいないな寂しき夏野。

若森 京子

特選句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」父と娘の関係を上手にまとめている。親父ギャグもあり‶遠雷〟の措辞が微妙な関係を想像させる。特選句「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」八月が近づくとヒロシマの句が多く見られるが、‶俯瞰してみるヒロシマ〟次第に遠のいていく様にも思うが、‶卵生の夏〟の季語により、又リアルに我々に近づく様に思う。 

小山やす子

特選句「水中花になつてしまふまでの雨」九州初め全国の異常気象は私達を恐怖に陥れました。表現が詩的だと思いました。

高木 水志

特選句「相棒って何向日葵のことですか」話し言葉が詩的になっていると思う。思いつけそうで思いつかない。

中野 佑海

特選句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバデイ」この異様な明るさは最早神掛かっているとしか考えられません。このノリでこの難局を乗り切って頂ければよろしいんではないでしょうか。 特選句「一日の空白にゐて冷奴」またこの白々とした静寂。まるでお茶をたてて喫しているかのような落ち着き。たった一皿の豆腐を食すという行為にもそれに集中する為の儀式があるかのように。 「成吉思汗メニューのなかに素麦飯」ジンギスカン料理は、羊の肉という、好悪の分かれるこのにおい。付けられるたれの味も羊の肉の個性に負けない突込みでこの上ご飯が肉とたれの個性をやん わり受け止める白米ではなく、負けじ魂満載の麦飯とは。果たして、私の胃袋はこの戦いに終止符を打つことができるのか。「麦茶炊く休校明けて空青く」麦茶の匂いは暑い夏空。それなのに近頃 の空は心張棒が抜けている。「ゆうやけこやけそれから僕らのホームタウン(増田暁子)」夕焼け小焼けが殊更良く似合うのが僕の生まれた町なのさ。って、浪花節だよ人生は。「一心に蝉木に語る心を語る」 自分の悩みを聞いて欲しくて、やっと土から這い上がって来ただなんて、そんな時間勿体なくないのか?大空を駆け巡ってそんな悩みは落っことしておいでよ。「まだ過去の鏡見ている半夏生」も う今年も半分すぎた。でもなお気になる過去を引きずっている。気が長いね。よく覚えていられるね。「水中花になってしまうまでの雨」この雨は地上を皆花に変えてしまうんです。ちょっと後ろ めたい心も。「不知火五月牡蠣立ち食いのいのちかな」昔はたくさんの牡蠣を惜しげもなくバクバク食べていた。不知火の海の汚染された海の今はどうなのか。命はそれでもなお続き、世界は美し い。「コロナざれて無職省略的な居間」ココロナウイルス禍で職もなくなり、どこにも行くところも買うことも無くなり、人との交わりも少なくなり、部屋の中もどんどん無機質になっていく。今 月もコロナ感染者の増加は一向に止まらず。どんな世界になっていくのかな?取り敢えずマスクです。

稲葉 千尋

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」こんな楽しい句をいただき嬉しいです。青蛙だから生きている。そして、リヤカーのなつかしさ、情景が見えます。「太古より放蕩の血筋トマト熟む」特選にしたかったが、「熟む」が「食む」だったら特選。

寺町志津子

特選句「孝の声夜店覗けばよみがえる」一読、父への思いがこみ上げてきた。子どもの頃、父が毎年必ず連れて行ってくれるお祭りがあった。郷里広島の三大祭りの一つである「とうかさん」。毎年六月の第一金曜日の夜から三日間、市の中心部にある日蓮宗「園隆寺」稲荷大明神のお祭りで(稲荷を「とうか」と音読み)、市の中央通りが歩行者天国となり、夜店がぎっしりと建ち並んだ。また、「とうかさん」は別名「浴衣祭り」とも言い、広島ではこの日から浴衣を着始める風習がある。父共々母手縫いの浴衣を着て、父と手をつなぎ覗いた電灯のついた夜店の数々。日頃超多忙な父とのひとときは無上に嬉しく、「海ほおずき」を買って貰えることも楽しみであった。揚句を一読して蘇った父との思い出。若き日の父の声が鮮やかに耳元に。私と同様の経験、思いを抱かれている作者、俳句の力に共感と感謝の思いでいる。

桂  凜火

特選句「騙し絵のそこは肉筆さくらんぼ(伏兎)」どうして「そこは肉筆」なんだろうという疑問がこの騙し絵をリアルなものにしていて、しかも「さくらんぼ」ですから騙されてもいいという気分になります。特選句「相棒って何向日葵のことですか」怒っていますね。でも怒り方がやさしい向日葵のことですかなんて問いかけられたら素敵ですね。ユーモラスでかわいい問いかけがすきでした。

夏谷 胡桃

特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」友の墓に柏餅を持っていったのかしら。いま、お墓に食べ物置いて行ってはだめなので、持ち帰りベンチで食らいつく。友は死に自分は腹が減る。腹が減るのが生きるということ。俺はどこまでも生きてやる、とは言ってないけど、死と生の景色が見えました。

佐藤 仁美

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」いつも笑っている、明るいお母様だったのでしょう。「また笑ってら」が、楽しい思い出と、亡くなってしまった寂しさ悔しさと、複雑な気持ちを現していて、心にじいんと届きました。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」幼い時に庭のドクダミを見て、近寄りがたかった感覚を思い出しました。生け垣の下、少し暗い所にたくさん生えていたドクダミ。その奥に入れば、過去に戻れるんじゃないか…。「たどって」が味わい深いです。

佐孝 石画

特選句「描いてゆく青葉に呼吸合せつつ」滅入ることも多い日々の暮らしから少し脇道へと足を踏み入れた時の1シーン。ふと見上げるとまばゆい「青葉」。葉裏に日の光を透過し、あたかもしばらく会っていなかった幼年時代の友のはずんだ話し声のように、まなうらを光のベールが包む。ふたたび眼を開き、光を辿り葉を辿り、そのまばゆさを追いかける。そして「呼吸」を胸の内の鈍色のキャンバスに「描いてゆく」。僕もかつて「葉脈のせせらぎに沿い午後の空想」という句を作った。木を葉を下から見上げるという行為は、もしかしたら木々の内部(胎内)から空を見上げる密やかな祈りの光景なのかもしれない。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」この句については語るべき言葉が見つからない。THE俳句。以下はこちらの蛇足である。友の忌」と「柏餅」、そして「ベンチで食らう」という行為が並べられているだけで圧倒的臨場感を読み手にもたらす。俳句は叙述ではないということを、一本の俳句で証明してくれているかのようだ。あえてこの句のニュアンスについて述べると、「柏餅」や「ベンチ」のもつ日常浮遊感と、「友の忌」に対する作者の違和感との親和がもたらした心象風景。「柏餅」は青々とした葉で真白い餅を包むが、その葉自体は食用ではなくただの装飾、香りづけでしかない。ただ、その素朴な風貌に対し、手にした時のその重量感、存在感は口にすることをややためらうほどの緊張感をもたらす。そんな違和感覚と友の死をまだ受け入れきれていない作者の心情が結び合う。公園のベンチで「食らう」のは「餅」でもあり「友」でもあり、友と過ごした日々の感触を忘れはじめているもう一人の「わたし」なのかもしれない。

増田 暁子

特選句「一湾をさらりと舐めし夕立かな」大きな景の句で、中5の舐めしがとても良いと思います。夕焼けが綺麗です。特選句「友の忌やベンチで食らう柏餅」むかし共と一緒に食べた柏餅、子供の頃の思い出でしょうか。二人の顔が見えるようです。

田中 怜子

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」とおしむ気持ちが伝わるのと、田んぼにいる小さな生き物への優しさが伝わってくるすがすがしいところがいいです。うらやましいですね。

河田 清峰

特選句「病みもせず静かに逝きし雲の峰」こうありたいものだなあと思う。

高橋美弥子

特選句「ひそやかに白い夜明けを稲の花」稲の花がよく描けていると思いました。夜明け「を」としたところ、助詞の使い方がお上手と思います。問題句 「不知火海五月牡蠣立ち食いのいのちかな」調べがブツブツと切れているのですこしわかりにくい。「不知火」だけで季語になるのだが、あえて不知火海と書いて「しらぬい」と読ませる意図はどこにあったのでしょうか。

矢野千代子

特選句「引っ越しにリヤカー借りる青蛙」リヤカーとはなつかしい。身近な運搬手段ですもの。「梅雨寒や競馬新聞丸められ」リアルな景です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」何気ない景ですが、焦点が合っていますね。「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」五月蠅がよく合っています。「麦秋や県道を行くコンバイン」県道もいろいろです。「郭公がポトリ落とした喉仏」カッコーの声が聞こえそう。「夏痩の妻の残せし甘飯(うまいい)ぞ」夏痩の奥さまへの何よりの一句。「白靴より砂の零るる独語かな」独語がすてきです。「不知火(しらぬい)五月牡蠣立ち食いのいのちかな」‶いのち〟の重さー。

谷  孝江

特選句「教わった通りに螢殺めおり」私の幼なかった頃はたくさんの螢が夜のくらがりの中でそれこそ乱舞していました。何匹かの螢を捕まえて戻り、それを蚊帳の上へ放ち眠ったものです。朝見ると捕まえてきた螢は全部死んでいました。可哀想と思いながらも度々同じことを繰り返していたものです。教わった遠りに捕まえてきて死なせていたのですね。遠い昔に心が痛みます。

鈴木 幸江

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」我が家も仏間に亡き義父母、亡父、そして、師の写真を並べている。しかし、微笑んでいるのは義母のみ。きっと、素敵な笑顔のお写真なのだろう。ぶっきら棒は、物言いにお互いの深い愛情が滲み出ている。宵の涼しさにホッとするほど、日中は暑かったのだ。自然現象と日常の人間関係が溶け合い、そして、愛の世界が浮き彫りになった。特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」心理学では、睡眠を取らない状況を人為的につくり、脳と精神にどのような影響を与えるかという実験が行われている。すると、幻覚、幻聴、精神の病を起こすそうだ。私も睡眠の大切さは身に染みていて、刺激の強すぎる環境は避けて暮らしているのだが、ふと、眠れない夜がある。でも、この頃は、それも味わい深い“いのち”の声として受け止めることができるようになった。作者はそのような心情を“青葡萄”の瑞々しさと香りを味わうように過ごしているのだ。焦りのない素敵な時間が流れている。これからも、このようなゆったりとした心で過ごされることを願わずにはいられない。問題句評「卵生の夏ヒロシマを俯瞰せり」まず、“卵生の夏”の措辞に感心した。創造性たっぷり。かつ、三鬼の名句も浮かんでくる。詩的世界の持つ融合の妙が新しい世界を生む可能性を感受させてくれている。卵で生まれてくるという飛躍感。ヒロシマ(原爆体験)に人間の愚かさへの確信をみる。卵から“俯瞰”を鳥の視線と解釈させ、コロナ禍に反省を迫られている人類の今に繋がる。“俯瞰”からは、AIの存在も浮かんでくる。かなり、独断的な感想と思うので問題句にさせていただいた。✓した句:「まだ過去の鏡みている半夏生」「郭公がポトリと落とした喉仏」「人消えて青空群れてる夏野」「教わった通りに螢殺めおり」「夏帽子頷くたびに夕触れる」「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」

榎本 祐子

特選句「少し猫背のかの花火師は風の王」猫背、花火師という物語性。そして実は風の王であるという。この展開が面白くてワクワクする。

伊藤  幸

特選句「葬後の森の五月蠅(さばえ)親しき手足かな」葬後の森というからには火葬後と思われる。親族を火葬場で見送り、ふと森に目をやると蠅が群がっていた。いつもなら不快に感じるのであるが、今日はやけにあの蠅の手足でさえも愛おしい。作者の愛する親族を失ったやりきれない寂しさが伝わってくる。

菅原 春み

特選句「一切を呑む大落下大瀑布(田口 浩)」大瀑布のダイナミックさが無駄のないことばで詠まれていて感激です。那智の滝を思い出しました。特選句「白靴より砂の零るる独語かな(小西瞬夏)」砂浜か砂丘を歩いている老人の独語だろうか、景色が見えるようです。

野口思づゑ

特選句「最初はグー後の人生七変化」誰かの言葉に、生まれる時は誰も皆同じ・・・とありましたがそれを最初はグーと上五に置き、その後の様々な人生を、土で色が違う紫陽花で表した、季語が巧みに使われた句だと感心。特選句「けじめつけに来てががんぼみて帰る」相手に決着をつけるつもりだったのにふっとそれほどの相手でないと気持ちの整理がついたのか、自分が独り相撲を取っていたのであってたいしたことはないと知ったのか、そんな拍子抜けしたような気持ちがががんぼでよく表現されていると思った。

野澤 隆夫

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」夏真っ只中の若い人、やはり女の人を想像します。漣が効いてます。もう一つ。特選句「沼島よりポルカのリズム梅雨入りす」おのころ島からポルカに乗って梅雨入りの発想が面白い!

吉田 和恵

特選句「梅雨寒や競馬新聞丸められ(大西健司)」競馬やイギリス貴族の趣向で始まったと言われますが、ギャンブルの魔力は仲々のもののようで、丸められた競馬新聞はどこか哀しい。一方,往年の裕ちゃんファン。「裕次郎(ゆう)ちゃんの声かと白いハンカチを」の白いハンカチはかわゆくて可笑しい。

石井 はな

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみは子供の頃から身近にありました。その香りは独特で印象的です。香りは記憶を刺激して過去への道に誘ってくれます。どくだみに導かれて過去への道を見つけたのですね。

月野ぽぽな

特選句「ノースリーブに刺青がちらり漣す」ノースリーブにちらり、ということは、しっかりと見えているのではなく、その人の腕や首筋が動くと辛うじて見える微妙な位置に刺青があるのだろうか。健康的にエロスが適度な私情を持って描かれ気持ち良い。

三枝みずほ

特選句「母の遺影また笑ってら宵涼し」日が暮れて風が通るころふと母を感じる。人が持っている明るい哀愁に胸を打つ。問題句「父と娘の隙間ギャグ程に遠雷」"ギャグ程に遠雷"が表現方法としてどうなのか。だがこの表現方法が面白かった。父と娘の隙間だからこそギャグ程にが活きてくるのだろう。

漆原 義典

特選句「郭公がポトリ落とした喉仏」私の家の近くでも郭公がよく鳴きます。郭公の鳴き声の威勢の良さ天真爛漫さに、いつも元気をもらっています。中7下5のポトリ落とした喉仏は情景を大変良く表現していると思います。ちょっととぼけた表現に作者の観察力の鋭さが感じ取れます。素晴らしい句をありがとうございました。

中村 セミ

特選句「トルソーの全き容夏の空」トルソーは、頭や手足のない胴体だけの彫像(マネキンで胴体だけのもの)。それが店先で服を着ていたり、そのままだったり、置いてあったりするが、夏の空の下で夏と一体となって過ごしているように思う。全き容が、いいたい事だろうと思うし、ここが不思議な感じがして面白い

亀山祐美子

特選句『まだ過去の鏡見ている半夏生』『どくだみをたどって過去に行ける道』二句とも「過去」を懐かしむ。過去があって今がある。当たり前だが、人生の後半に来たからこその振り返り。がむしゃらにつき進んだ歳月を懐かしむ気にさせたのは荒い雨の音なのか、身を包む湿気のせいなのか。雨音は後を振り向かせる音なのかも知れない。コロナ禍。豪雨禍。お見舞い申し上げます。まだまだ気が抜けません。皆様ご自愛くださいませ。句評楽しみにしております。

竹本  仰

特選句「昼過ぎの肺ニセアカシアの疲れ」ニセアカシアは昼過ぎもいいですが、夕景の中にあってももいいですね。あの大仰な樹の揺れと、おずおずとした白い花。何というか、青春をつらぬく揺れとでも申しましょうか。昔、西郷輝彦に『星のフラメンコ』という名歌があり、「?好きなんだけど 離れてるのさ」の一節を思い出しました。そして、そのニセアカシアの疲れは甘く、その渋く苦い甘さも青春で、またよい。そんな風に味わいました。特選句「葬後の森の五月蠅親しき手足かな」この森は土葬なんでしょうか?そう取りました。小生の家の近くにも土葬の森があります。そこの草木の育ち方は芸術的です。ハーモニーがありながら凄まじく、雨の夜などその横を通りすぎた部外者は、何だこの森?と一様に思うようです。火葬のあっけなさに比べ、何かすり寄って来るその気配。養老孟司氏はヨーロッパの土葬の墓地に解剖教室にもあった死者の懐かしい匂いを嗅いだと言っていました。死者がそこにある感覚、そんな大事な文化を我々は失いつつあります。コロナに勝つ、も大事ですが、向こうに逝った人々もまた大切ですよね。特選句「ふるさとの風の重さよ栗の花」青春が束ねられている、そう思いました。栗の花のあの悩ましい匂い、そのルーツはつねに故郷に向かいます。我々のこころの故郷ですが、そこに帰らなければ今の自分はないという、そんなどうしようもなさ。でも、その風の中に身を浸してみることがもっとも大事と作者は言っているように感じました。特選句「教わった通りに蛍殺めおり」現代を風刺しているように受け取りました。M※問題が今、その遺された妻の証言で浮上していますが、政治的な問題は二の次にして、人間を何の深げもなく圧殺してゆく、この恒例が我々の傍にいつもあるということは紛れもないことです。善人には悪人が見えないが、悪人にはすべて見えている、というその構造を思い出します。たやすく学校にも職場にもその政治性は浸透して来ます。その政治性のふくむ惨たらしい現実をこそ問題としなければ、とふと勘違いも甚だしく感じた句でありました。

わが寺院の池もひと月前には、朝のうち睡蓮が見事に咲いていましたが、今は鯉が、昔からのが三尾、近所の方が川でみつけた大きいのが一尾、妻が徳島で買った小さいのが一尾、水面をうねらせて元気よく泳いでいます。コロナ禍の中、日々すみやかに過ぎてきましたが、鯉の餌やりの後に「ああぁぁぁ」というあくび一声をあげ、生きているのを実感しています。寺院は年中自粛だなあ、とふと。そうなんです、その感覚で生きている一族の端くれなんですね。まあ、いいか、これも、これで楽しいし。みなさまも、自粛生活ですね、お元気で。また、来月もお願いいたします。

荒井まり子

特選句「ケンタッキーおじさん笑まふ梅雨の晴」晴れ間の笑に遠くは小松左京の日本沈没の翳りを感じられたか。問題句「雨音も嘘も流れる雲も激情(佐孝石画)」三つのもの畳み掛け。二つ目の嘘に効果あり

銀    次

今月の誤読●「太古より放蕩の血筋トマト熟む」ここに一枚の写真がある。着流し姿のジさまと、その膝に抱かれた四、五歳の頑是ない子(わたし)がいる。お互いに同じ写真を見つめてる。なにげないひなたぼっこ、そう見える。だがその会話はなんともおぞましいものだった。おぼろげに憶えている。こんなふうだった。「どや、ええやろ。ワシのオナゴや。京都の芸子や。ええオナゴやで」。当時はなんとも思わなかったが、いまにして思えばサイテーのクソじじいだ。オレのジさまは女狂いの果てにのたれ死んだ。一時は村で一、二を争う大地主で、干物や乾物でも村一番のなんの何某という名の知れた店を切り盛りしていた。晩年、最後に会ったのは安アパートの一室で、立てかけた三味線を取り出して「これ、ええ音すんねん」と端唄だか小唄だかを唄ってみせた。それっきりだった。恥のさらしついでにオヤジの話もしておこう。オヤジは一言でいえば青白い男だった。笑うことのない男だった。だがそのぶん実直で、陰気だがまず間違いのない男だと衆目の一致するところだった。クリーニング店を営んでいたが、三軒ほどの支店を出して、まずまず親戚のおぼえも目出度かった。だがその男が狂った。競馬に入れあげたのだ。惚れたのはタオバジョーという牝馬だ。バカオヤジはビギナーズラックで勝っただけなのにそのメスに運命を感じたのか、宇治や京都にまで足を伸ばしてその馬券を買いまくった。むろん負け続けた。支店ははがれるように銀行に持ってかれるし、オヤジは弟子筋の店で雇ってもらってアイロンがけしていた。おふくろはとっとと別れて飲み屋の店を開き、それなりに成功していた。さてさてさて、放蕩三代。おあとに控えしはあたしでござんすが、どう考えてもつまんねえ。俗に飲ム、打ツ、買ウ、と申しますが、あたしゃその程度のニンゲンでござんす。飲ム、はい飲みます。でも死なない程度にね。打ツ、はいバクチは大好きでござんす。でも命ギリギリは賭けたことがねえ。血で血を洗うような勝負をしたことがねえ。外国のカジノにもよく出入りしますが、まあ大した勝負はしてません。買ウですか、これは最初に童貞を捨てたのが売春婦でして、その女と二年ほど恋人関係がつづきました。まあ、ひととおりのことはしましたが、わたしのはジさまやオヤジのような気迫がなかった、滾る血がなかった、破滅への覚悟がなかった。それを良しとも否ともいえない。ただこれだけはいえる。オレの右手には芯まで熟したはちきれんばかりのトマトがある。いつ握り潰してもいいんだぜ。

新野 祐子

特選句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」年毎に脅威を増す水禍、どうすれば防ぐことができるのでしょうか。新しい疫病と自然災害は、これからの世界において最も深刻な問題です。俳句もこの現実を無視しては作れないでしょう。この句はずしりと胸に迫りました。入選句「七夕の星も水魔にさらわれて」「水中花になってしまふまでの雨」特選句と同様の感慨です。二句とも不安感を「もの」に託して詠み、詩に昇華させているなと思いました。

河野 志保

特選句「田水もろていま青蛙生まれたよ」 作者の温かい眼差しを感じる句。誕生の姿が生き生き伝わる。「田水もろて」に自然の中での命の結び付きも思った。

田口  浩

特選句「一日の空白にゐて冷奴」独言である。たとえば「空白」と言うことばを得て作句を試みるとき、季語の中から「冷奴」を選んだとする。この時点で「空白」に対して「冷奴」がどのような働きをするのか、作者はおおよそ見えているものである。上五の「一日の」は季語が決まったとき案外労せずに出たのではないかと思う。作者がこの句に対して腸を絞ったのは「にゐて」の三字だったのではないだろうか。肩の力が抜けたとき、すうと降りて来た授かりもののような「にゐて」はそれほどにいい。その上で「冷奴」が懐かしく一句を決めている。―あと次のような句がこころに残った。「郭公がポトリ落した喉仏」托卵を思って?喉仏〟がおもしろい。「オンライン夏休みは象見るんだ」:「象を」でないところが味。後の絵日記が見えてくる。「躁と鬱もみくちゃにして髪洗う」躁鬱を詠み切って爽快。「茗荷の子あの人の嘘忘れなむ」:「茗荷の子」いいですねぇ。

男波 弘志

「ひまわりのひと頃よりの憂ひかな」この表現に至りつくまでの修練が思われます。歩いて来た来し方が観えています。秀作です。「意味求める辛い朝ですトマト切る」‶です〟、の肉声が刃に沁みている。ふと、岩に沁みいる蝉の声 が浮かんだ。秀作です。「けじめつけにきてががんぼみて帰る」‶けじめつけに〟と ‶ががんぼ〟巫山戯ているのか?そうではない。風狂、俳諧、そこには死に物狂いの笑いがある。秀作です。「ゆっくりと夏山に気後れしたり」この距離感、夏山の擬人化だろうか。自我が脱落している。秀作です。

高橋 晴子

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」青葡萄の清涼感が効いて、寝不足の妙な感覚を生かしていて共感する。問題句「蛇衣を脱ぐはま新な明日のため」自分の思いをまっさらな気分になったと、両者を響きあわせればいい句になる。兜太は季語や定型を身につけた上での自由律だからリズム感がある。

豊原 清明

問題句「祭りだ祭りだ亀亀エブリバディ」勢いで一気に書いたように思える。一気にばっと書いているような印象。それがとても良い。好きな一句。特選句「終焉ってこんな色かも夕焼け小焼け(重松敬子)」夕焼け小焼けに終焉の街を見ている瞳。好きな一句。

野田 信章

特選句「青葡萄眠り足りない日の愛し」の句は、若さ故の「眠り足りない日」かと多分に回顧的にも読めるところだが、そこには充実感のある日常の一コマとしての時間の確かな把握がある。これも「青葡萄」の物象感あってのことかと読まされる。

伏    兎

特選句「一日の空白にゐて冷奴」生きていることが実感できない環境を生きているのだろうか。漠然と一日を漂っているような作者の心象がひしひしと伝わってくる。特選句「けじめつけにきてががんぼみて帰る」前半の切羽詰まった様子と、後半のとぼけた雰囲気のミスマッチが面白い。覚悟してやって来たものの、何も言えずに帰ってきた自らを、焦れったく思っているのかもしれない。入選句「深々と逆さに落ちて梅雨の底」「水中花になってしまふまでの雨」これでもか、これでもかと降り続ける昨今の豪雨がみごとに捉えられ、共感した。

柴田 清子

特選句「一日の空白にゐて冷奴」自分が気付いている空白、それとも気付いていない空白もあるが、冷奴のあの感触でもってさらりと日常の断面に触れている。特選句「母の遺影まだ笑ってら宵涼し」遺影に向っての、つぶやきの笑ってらの『ら』ぶ母からの愛、母への心情が溢れている。特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」どくだみの花なら人生の喜怒哀楽の全てを受け入れてくれる花と思う。どくだみの花をたどってタイムスリップするなんて、巧みな心引きつける句ですね。

小宮 豊和

「我と来て空に消される夏の蝶」句全体のリズムがどこかなつかしいのは一茶のおかげ。でもリズムがなつかしいのと良い句であるのとは無関係、いや決してプラスには働かない。「我と来て空に消えゆく友の夢」他もやってみたが大同小異だった。手直しもいまのところ失敗。

稲    暁

特選句「教わった通りに螢殺めおり」素材は「螢」だが、読者の思いはそこに止まらない。人生の喩として読ませる迫力を持つ作品だと思う。問題句「荒梅雨の夜や海底にゐる如し」まさに「梅雨の底」にいる感じ。よく分かるが、欲を言えばもうひとひねり欲しい気もする。

松本美智子

特選句「どくだみをたどって過去に行ける道」:「どくだみ」の花や葉の形はとても不思議な魔力を持っているように思います。どくだみの茂る道をたどっていくと過去の自分に会いに行けるようなそんな気がしてきます。

野﨑 憲子

特選句&問題句「夏の朝遠くに人を待たせたり」凝縮した心情表現に圧倒された。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

空蟬
空蝉やぞめきの中の水平線
野﨑 憲子
空蝉のなかはひかりだったと子は
三枝みずほ
校庭の蟬のぬけがらひと並べ
松本美智子
空蟬や刹那の刹は殺のよう
藤川 宏樹
空蝉やしっかり溜めた野望あり
中野 佑海
振子をとめて空蟬と共にゐる
野﨑 憲子
空蟬のゾンビと化して徘徊す
島田 章平
空蝉や仮寝の宿に月明り
銀   次
空蝉を脱ぎて空蝉裸ん坊
野澤 隆夫
藪蘭
ヤブランの風吹くすこしやさしい顔
三枝みずほ
母性のように藪蘭に日暮あり
田口  浩
藪蘭や分かりあえずに別れた日
松本美智子
藪蘭の咲いてためらひ傷疼く
島田 章平
藪蘭や正座ができて正坐する
鈴木 幸江
句会場藪蘭またぎバッタ跳ぶ
野澤 隆夫
身を守る物総て重荷に藪蘭に
中野 佑海
プチトマト
たくさんの失敗があるプチトマト
三枝みずほ
机上にあってプチトマトとか訃のはがき
田口  浩
ご自由にお持ちくださいプチトマト
鈴木 幸江
戦前という今プチトマト未熟
島田 章平
しなやかに自転車漕ぐ娘プチトマト
野澤 隆夫
オロナミン
梅雨に倦(う)みコロナに倦みてオロナミン
野澤 隆夫
異文化や犬のお礼のオロナミン
鈴木 幸江
オロナミン王長嶋は生きている
銀   次
どんな時も楽しむんだよオロナミンC
野﨑 憲子
自由題
夏の海へとまっすぐの線をひく
三枝みずほ
道ならぬ恋の終りや女滝
島田 章平
気兼ね無く仲間と集う芋の露
中野 佑海
ようやくに一歩踏み出す夏日向
銀   次
母を見る見捨てる天の蟻地獄
田口  浩
色づきた隣で枯れる濃紫陽花
松本美智子
銀漢や銀の男でいいですか
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

コロナ禍の中、サンポートホール高松の和室にて7月句会を開催しました。参加者は、9名でしたが、30畳の広さの会場でゆったりと熱い句会を開くことができました。

後半の袋回し句会では、鈴木幸江さんが持ってきてくださったプチトマトも兼題に上がり佳句が量産されました。来月は、お盆と重なる為、一週間遅れの開催となります。

2020年6月26日 (金)

第107回「海程香川」句会(2020.06.20)

紅白の蓮の花.jpg

事前投句参加者の一句

                      
手を振れば白詰草の斜面かな 河野 志保
三密も壇蜜もパレットの朱色 大西 健司
蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり 中村 セミ
夏に入る余計なものはみな捨てて 銀   次
人食つた水母やヒトの食つておる 藤川 宏樹
朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル 島田 章平
鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る 十河 宣洋
だるま食堂紫陽花咲いたら開きます 中野 佑海
狼に新型蛍テロルかな 田中アパート
触れてきて触れられてきて野の茨 谷  孝江
老人と悲しい蛇に呼ばれたり 田口  浩
中村哲の轍ゆきけり蟻の列 桂  凜火
すべりひゆ母を遠野に置きしまま 小西 瞬夏
飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ 伊藤  幸
母と毒読みまちがえる桜桃忌 新野 祐子
ちっぽけな自分が好きで青葡萄 小山やす子
一人でも生きてゆけます蘇鉄咲く 石井 はな
田水沸く皆んなそろっていた頃の 松本 勇二
赤ちんに武勇のあまた紙兜 伏   兎
堰切って埋まる六月予定表 野口思づゑ
家中の鏡を覗く緑の夜 榎本 祐子
夏うぐいす変ロ長調の恋唄よ 漆原 義典
自主規制青唐辛子とじゃこを煮る 荒井まり子
拉致の子の父の無念や夏の月 藤田 乙女
五月闇寄る辺なき街動き出す 松本美智子
目玉焼きのように睨んで梅雨の月 小宮 豊和
時鳥町内行事予定表 亀山祐美子
生きるとは息をすること緑濃し 高橋 晴子
徒(いたずら)に青梅打つや俄雨(にわかあめ) 佐藤 仁美
長生きの母に提げゆく初鰹 稲葉 千尋
緊急事態宣言解除冷奴 高橋美弥子
雨蛍牛飼い二代目の蓬髪 野田 信章
竹落葉己が自由になるために 増田 暁子
かき氷ふたつの山を崩す匙 豊原 清明
夏椿剪る亡き母の誕生日 菅原 春み
玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす 鈴木 幸江
蚊柱の向こうの妻が見えません 佐孝 石画
梅雨空に孫が小さく立っていた 滝澤 泰斗
六月の赤ん坊ふるふる水の星 吉田 和恵
熱兆すときの体感合歓の花 月野ぽぽな
木洩れ日は緑に揺れる紙芝居 増田 天志
一蝉となり一空海の海となり 竹本  仰
麦秋を回収車来て積み残す 松岡 早苗
「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり 寺町志津子
老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり 矢野千代子
給付金届かぬままに梅雨に入る 稲   暁
青嵐父の青シャツ小さかり 河田 清峰
新緑を沁み込ませたや母の膝 久保 智恵
桜桃忌無人の対向電車過ぐ 重松 敬子
髪洗う沖の昏さを知っていて 男波 弘志
笹の花かえる家ないひゃくねん後 夏谷 胡桃
アスパラガス我が余世の青い旋律 若森 京子
掌にほっこり茶碗葛櫻 田中 怜子
六月のマスク古ぼけたピカソ 高木 水志
鴉めが猫を威嚇す麦の秋 野澤 隆夫
ハンカチが白いもう空をわすれそう 三枝みずほ
言いたい事いっぱいあるよね葱坊主 柴田 清子
大螢縄文色の空耳よ 野﨑 憲子

句会の窓

滝澤 泰斗

特選句「中村哲の轍ゆきけり蟻の列」中村医師の追悼句。葬送の悲しく切ない景が見えていただきました。特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まず、リズムがいい。朝昼晩の持ってきた動物のバリエーションと雰囲気がぴったり。それでも、最後が少し働く日本人を思わせるホタルの取り合わせの妙。関心しました。問題句「一蝉となり一空海の海となり」説明しきれない句の力を感じつつ、大変気になる一句として問題句にしました。「方丈記拾い読みして梅雨に入る(高橋晴子)」「天清和コロナ一息「論語」読む(野澤隆夫) 」「カミユ読む鉄片のごと夏落葉(重松敬子)」この三句には共通して本が出てくるところ。昨今の外出自粛の社会の相が詠まれて現代俳句ならではと思い、いただきました。「赤ちんに武勇のあまた紙兜 」今ではこんな景はないと思うが、昭和の戦後の、まさに、我の昭和の景に親父、お袋が見えました。「老人が肥後守(ひごのかみ)研ぐ公孫樹はらり」肥後守は祖父から教わった言葉であり、祖父が使っていたものを小学校時代に形見のような形で譲ってもらった記憶に結びつきました。「髪洗う沖の昏さを知っていて」沖の昏さとは?そして、その昏さを知りながら髪の毛を洗う行為とは?その意味で「一蝉となり一空海の海となり」に通じる不思議な魅力を感じました。

十河 宣洋

特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」野ばらに触れてきたと軽く読めばそれでいい。デイトの後の楽しい中の少し現実的な話になにか心に残るものもあると言ったところ。 もう一つは、噂話などの触れたくない話と言うこともある。色々に読めて楽しい。特選句「一蝉となり一空海の海となり」無我の時間。蝉となって鳴いている。空海の教えの中の一宗徒となって無心に鳴いているのである。

榎本 祐子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野。自然界の神々、異界の者たちと人間が交じり合うその地。自身をこの世に有らしめてくれた母は遠野という原郷に在り、時空を超え繋がっている。素朴な「すべりひゆ」も象徴的。

小山やす子

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う(若森京子)」夕べに開き朝萎んでしまう夕顔当たり前なのにコロナ騒動の今優雅な花は国の行く末を暗示するかに…。いいと思います。 本文

小西瞬夏

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」:「覗く」という動詞が効いている。しかも「家中」である。何を見ようとしているのか。または見たくないのか。「家」という社会においての最小の単位。その中で繰り広げられるできごとをいろいろと想像してみる。そして、結局は映っているのはありのままの自分であることに気付くのだ。

増田 天志

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の樹木に囲まれる洋館は、夜更けも、緑の闇と静寂に満たされる。幻想的かつ絵画的な作品。

豊原 清明

問題句「狼に新型蛍テロルかな」金子兜太先生の名句のもじりと思われる。「テロルかな」は実に怖い。現実に起こっていることだから、仕方ないが。特選句「触れてきて触れられてきて野の茨」現代の実感と思う。「触れてきて触れられてきて」にそれが出来なくなった、ウィズ・コロナという社会批評か。「野の茨」が良い。

田中アパート

特選句「いらしてね虞美人草という店よ」こんなこと一夜は言われてみたい。

夏谷 胡桃

特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」六月はいちばん好きな月です。山法師に野ばら、紫陽花など好きな花が次々咲きます。水を含んだ緑がきれいです。ようこそ地球へ。子どもたちが生き生きと育つようにと願うしかありません。「ふるふる」が赤ん坊の動きと姿、水をたたえた星を融合させて良かったと思いました。問題句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」まるで私ではないか、と思ったのです。

矢野千代子

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」:「田水沸く」から老若男女が元気に声をかけ合う、そんなエネルギッシュな活力ある人々の姿が彷彿とうかんで思わず笑みがこぼれました。

高木 水志

特選句「葉にふれる風よはなればなれです(三枝みずほ)」新しい葉っぱの生命力が感じられる。

佐孝 石画

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」難解な句だ。読みもぶれると思う。しかし何故か惹かれる。読みとしては、①蛇と作者が対峙した状態で、蛇から作者が「老人」という嘲りの言葉を直接浴びせられているという情景と、②「と」という語が並列(立)の作用をして、老人と蛇と両方に作者が何かしら「呼ばれ」ているという風景の二通りの解釈に落ち着くと思われる。①②の解釈には大きな隔たりがあり、誤読を誘うという点では失敗作と言われても仕方ない句ではある。僕が強く惹かれたのは「呼ばれたり」という幻想、妄想だ。作者は実際「呼ばれたり」などしていない。おそらく出会っただけなのだ。この「出会い」というごくありふれた事実を、「呼ばれたり」という音声を伴う聴覚への刺激に変換し、出会いの一瞬のニュアンスを「呼ばれたり」と言語化肉声化することで、読み手は、日常に転がるさまざまな「出会い」が、実は不可思議な化学反応であると説得させられるのである。「出会いとは呼ばれることなのだ」と強引に納得してしまうのである。僕はこの作品を一読後、②の解釈でしか受け止めなかったし、老人と蛇とに呼ばれているだけの方が深いなと思っているのだが、ひょっとしたら、この解釈は決定的に少数派かも知れない。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」僕は社会(批評)性のある句は読みも詠みも何故か避けてしまうきらいがある。それは俳句は「呟き」だと思っているからかもしれない。言葉とも言えない溜息なようなものが、身に纏う外気と縺れ合いながら混然となり、沈殿していく風景。その混濁した情念のようなものが、まばゆい日常の風景とシンクロし、一紡ぎの言葉となっていく。俳句の短さは自らの内部を見つめるひとびとの溜息の容量と親和している気がする。そんな「呟き」に対して、社会(批評)性とは、外に向けられた「叫び」のような気がして、少し身を引いてしまうのだろう。この句に惹かれたのは、「ハンカチが白い」という再発見した事実と「もう空を忘れそう」という直感との溶け合いに日常感覚がある点だ。もう少し踏み込んで言うと「日常漂泊感」。

 金子先生の言う「定住漂泊」とは、その風景が日常から染み出てこそ共振する世界だと思っている。この句の世界の向こうには「コロナ」による物質的精神的にも閉じ込められた閉塞感にも繋がっているように思うのだが、僕がこの句を評価するのは、「コロナ」のような社会現象を取り払っても、読み手の様々な人生の1シーンと寄り添う親和性にある。強く言えば、一面的になりやすい、よそ行き・はったりの俳句にはない、普遍性、永遠性がここにはあるということ。

若森 京子

特選句「サーカスの青水無月の無観客(男波弘志)」コロナで無観客の多い中、この一句は透明感があり、何か幻のサーカスの様な虚しい美しさがある。特選句「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」やはりコロナからくる無人の対向電車を思うが、太宰治の忌と響き合ってそこからストーリーが拡がってゆく様で惹かれた。

竹本  仰

自句自解「一蝉となり一空海の海となり」この自句についてですが、簡単に言えば自画像でしょうか。十年前、高野山で修行に入った時、三十代後半の同じ行者(修行中の僧はそう呼ぶ決まり)で、名古屋から来たA氏に出会いました。彼はちょうどその一年前に結婚し、妻子を家に残しての行者となりました。元々、寺院とは関係なく大工仕事に専念していたようですが、何となく拝むのが好きであったようです。そのお父さんが癌で余命一か月となった時、お願いだから私の死ぬ前にお見合いを一つしてくれんかと頼まれ、渋々とにかくお相手と会ったようです。その時、彼は正直に、父の最期のお願いで来ました、父が死んだら、徒歩で四国参りをしてお坊さんになるつもりですと話したそうです。その相手の方も納得して、そう、もし、うまく四国参りをやり遂げたら、また会いましょうと。その後、お父さんが亡くなり、当初の予定通り、四国遍路を四十五日間歩き詰めで終えたそうです。まあ、そのお相手に電話しようかと連絡すると、あんた、まだ生きとったん?と。何となく、この人はどこかで死ぬんではないかと予感したようでした。その後、とんとんと話が進み、結婚したという事でした。で、そのAさんの拝み方が、実に印象的で、ひと言でいえば、人間じゃない、蝉だ、と思いました。多分、私自身、高野山の修行で、これだけは忘れられないと思います。その後十年経ったいま、ああ、おれも蝉になったな、と思うことがしばしばあり、どこへ向かっているのだと問いかけると、あの海鳴りの絶えない室戸岬が思われてならず、ああ、空海の海に向かっているような気がすると、そういう感懐でしょうか。まあ、長い解説となりましたが、初案は「一山となり切って一法師蝉」でしたが、これは美化しているなと自省し、この句となりました。以上です。→問題句としても興味深く、自句自解をお願いしました。

稲葉 千尋

特選句「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」ほんとうにそうですね。言いたい事はいっぱいある。政治、職場、妻にも、でも本当の事を言うとそれで終り、だから適当にやってます。

藤川 宏樹

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」強い日差しの下、皆んなで田植えしたのでしょう。私には田植えの経験がないが、新しい物好きの父が一早く買ったテレビ。相撲、プロレス、野球を近所の人皆んな集まり、夜は電気を消して見たのを思い起こした。このコロナ禍、人の熱がより強く懐かしく感じられる。

鈴木 幸江

「人食つた水母やヒトの食つておる」まず、日本語の“人”と“ヒト”をとても効果的に使い分けているのに感心した。“人”は自ら創った文明社会に縛られて生きる生きものだ。“ヒト”は生物学的分類上の種名である。水母を食べるのは、生物界の宿命である食物連鎖における行為。この二つの現実の間に人間は生きている。何故か私は、現代人とAIの関係が連想され、警告を受けているような気分になった。そういうことでもあったのか!と。私の妄想は、AIに食われる人間の姿だけど・・・。特選句「葉にふれる風よはなればなれです」“はなればなれです”の平仮名表示が活きている。“葉にふれる風”の現象を見たとき、作者の心に生じた想いに惹かれる。こんな風に私も自然現象との出逢いの中でもっと驚き暮らしてゆきたい。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い(榎本祐子)」まず、私には未知の体験なのでそのことが嬉しかった。そこに、世界の事実がもう一つ隠れているのではないかと想像した。この状況の背景に思いが馳せられ、現代社会の弱者と位置付けられている人たちの姿が世界レベルで、次から次へと浮かんできた。それから、次にこれが、この作者自身の日常でもあるのかと思うと、人が生きることの闇まで感じられ、日常詠の醍醐味を久しぶりに味わった。問題句「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない」五七五のリズムを無視した、一行詩のジャンルに近い作品だけど、二物衝撃的飛躍の大きさに俳句と重なるもの感じた。実体験でもあることも感じられ、作り物ではない可能性に惹かれた。ただ、作者が何を伝えたいのかがよくわからず、読み手に負担がかかり過ぎるので問題句にした。“記憶”という脳機能の真実の発見体験だとは思うが、何故ここで虫が登場するのかが気になった。作者にとって虫のような出来事だったということか?記憶が混乱しているということか??した句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」「五月闇寄る辺なき街動き出す」「スズメバチ捕獲器水の星閑か(大西健司)」「苺月火薬庫をみて呆けたり(桂 凜火)」「一蝉となり一空海の海となり」

寺町志津子

特選句「麦秋を回収車来て積み残す」:家庭ゴミを積み込んで去っていった回収車。日頃のいつもの風景ですが、その回収車は麦秋を積み残していったと言う。麦秋と回収車の取り合わせの新鮮さ、それでいてのさりげなさに心から感動しました。作者はきっと全身全霊、詩的感覚をお持ちなのだと思われます。また、今回は、当然ながら「非常事態宣言」中や、解除された後の心情の句が多数あり、微苦笑しながらいずれも共感しました。ことに、「堰切って埋る六月予定表」に即共鳴、元気もいただき、感謝です。

新野 祐子

特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」緑の夜が家中の鏡を覗くわけですね。何と美しい詩情でしょう。特選句「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」鉄片のごとという硬質なイメージが今の緊迫した日常に合っていると思いました。入選句「蠍座の尾からアマビエやってきた(野﨑憲子)」「植えし田に風行き渡る登校児(小山やす子)」「桜桃忌無人の対向電車過ぐ」コロナ禍という言葉を用いないで、時世を鮮やかに切り取っていますよね。今月は時事俳句はどうあればよいか考えさせられました。勉強になりました。

中野 佑海

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」こんな風にあくせくしない宮沢賢治を地で生きてみたい気がします。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」心躍る気がするのは何故でしょうか?青臭いのに加熱すると甘味の増えるアスパラガス。年取っても気になることには、ホットな心を保っていたいな。並選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」朱に交われば赤くなるの三密版。「触れてきて触れられてきて野の茨」眼で見た事ばかりが全てではない。触角も磨いておこう。「六月の半濁音符の遠い月(佐孝石画)」梅雨の豪雨が我が運命のツキを遠ざける?「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」勿論かむ派。てんと虫待てーッ。私も連れてって。「忘れたのは記憶じゃない虫だったじゃない(竹本 仰)」忘れるような事は私にとってそれ程大した事じゃない。「赤チンに武勇のあまた紙兜」この頃赤チンが無くなって、膝小僧の赤黒くかさぶたを付けた悪戯坊主を見なくなって寂しい。「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」月が目玉焼なんて美味しそう。二個三個?「似ているけど近くて遠い額紫陽花(藤田乙女)」雨の降って、傘差してると良く判らないよね。違う人に挨拶したりして。でも、良いよね、緩くて。コロナウィルスは今までの常識を破壊したかも。会社にあくせく通わなくても、遅刻しても、大して気にされない。今月も、楽しい俳句有難うございました。

吉田 和恵

特選句「笹の花かえる家ないひゃくねん後」笹は、何十年に一度花を咲かせて枯れると言います。主を失くした家、そして耕作放棄地には笹がじわりじわりと勢力を伸ばしています。百年どころか近い将来家まで取り囲まれそうな現実が、この作品に共鳴します。

松本 勇二

特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』季語の斡旋が秀抜です。一面の水色が作者を励ましているようです。「まっいいか」と言えることが生きて行く上でとても大切です。

増田 暁子

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」蚊帳に棲む兎とは亡き妻とか自分の分身か。仄かに消えるとは寂しいですね。特選句「永き日やこつんとコップが生臭い」コロナ禍の永い閉じ籠り生活を表す状態をコップが生臭いとは、感嘆です。

重松 敬子

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉(田口 浩)」日々健やかかに歳を重ねてきた、おおらかな暮らしぶりが目に浮かびます、大きい葉がとても良い。

田中 怜子

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」この方は、結婚か仕事で実家を離れているのでしょう。それが遠野という民話の、そして姥捨ての風習もあったという土地なのである。母親も元気ではいるようだけど、年々健康等を案ずる気持ちになってきている。しかし視点をかえると、産土は野草やひべりひゆが広がる豊かな地で、隣近所のつながりもあり、まだ大丈夫かなという気持ちと土地の豊かさ、ご本人が懐かしく思っていることがうかがえる。

竹本 仰
特選句「家中の鏡を覗く緑の夜」波郷「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ」を思い出しました。田舎から上京した青年の都会の夏の発見という所でしょうか。でも、この句は家、そして私の発見、という眼目があり、そこが面白い。たとえば、夏祭りから家に戻ると家の風景が何かヘンと思う、あの感覚を思い出しました。ここにも似た経験があり、おそらく緑の夜を外で呼吸し、帰ってみると、家の中にも緑はあるじゃないか、その証拠に家中の鏡をのぞきこむ、そんな少女のような体験ではと思います。家の中のみどりの発見、とても新鮮な感じがします。特選句「もう一人の私がそこに居る木下闇(柴田清子)」日常の中で、意識的にか無意識的にか、つい置き去りにしてしまった「私」、それを思い出させる季節になったということでしょうか。そういう原点を思う新鮮な句だなと。ふいにこの間思い立ち、断捨離で捨てるン百冊の本を決めているとき、古いラジカセがあり昔のテープを動かすとポプコンの曲が流れてきました。今思うと昭和五十年前後の憧れや傷みがぎゅっと詰まった世界がそこに見え、特に女性の歌唱力が凄いのに驚きました。そして、ふいに小生の「もう一人の」自分をふりかえり、なんというか、人生の遠近感を体感したというか。そんな句なのかなと。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」:「寄る辺なき」ここに共感いたしました。もともと街は寄る辺なきものだという感覚、そんな街がふと本来の寄る辺なさに気づいて、それでも寄る辺なきままに動き出す、そんな見方ではないかと。コロナ禍にちなんだヒトの本質みたいなものを突いているなあと。賑やかさと寂しさと、その入り混じったものと「五月闇」は共鳴していますね。そう言えば、カミュ『ペスト』でも始まりにオランという街について、寄る辺なき賑やかな街とわざわざ触れていて、何か半世紀後の世界中の未来都市を予測して書かれたものかなと思われるフシがありました。ここも、そんな街でしょうか。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」反抗期のわたしと父、そんなものを連想させられました。時間と共に乗り越えてゆくと、たちまち小さくなってゆく乗り越えられたもの。人生、その繰り返しで、ふいに最後は小さくなってゆく自分に気づくもの。そこまで連想の域は広がるように思え。学生時代、田舎に帰省するたびに経験した、親や家の小ささ、あれは何でしょうね。アリスにも、自分の大きさがわからないのでわたしは自分がわからないの、と書かれていました。修司の短歌の下句に「勝ちしものこそ寂しきものを」というフレーズがあったのを思い出しました。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」:「沖の昏さ」に惹かれました。この昏さは、暗さと違っていて、明日を連想させるニュアンスです。だから、どういう明日かを知っているのに、という響きがありますね。髪を洗うのは、そういう明日への闘いの誓いという感じにとらえられ、このへんが面白いところです。或いは、万葉に天智天皇の新羅への出陣の船出に額田王が「熱田津に船乗りせむと月待てば」と詠んだあの心境も本音はかくかと思われ、何だか古風な日本女性の腕っぷしみたいなものも感じられ、その本質の明るさがあるようにも思いました。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」小生が中一の頃、なぜか教室でハンカチ検査のようなものがあり、その時、担任の体育の先生が、ほう、きみのは、たいへんきちんと折りたたまれて、いいハンカチだ、みんな、これを見習いなさい、と言われすごっく有頂天になった、そんなことを思い出しました。結局は、母だ、あの母がこんなところにと、思いがけない教室への母の登場に戸惑いもありましたが。しかし、こんなことを言うと、母は恥ずかしがり、それを見る自分も恥ずかしいと、そんな忖度からとうとう言い出せず、今日まで来て、母は当年96歳、天然健康体で三十年以上薬ひと粒も飲まず、さっそうと生きており。そんな母だから、あのハンカチだったのかとも。ハンカチにまつわる有頂天、人類の或るすばらしさをこの句に垣間見たような次第でした。問題句「竹落葉己が自由になるために」このままでも十分よい句です。が、「竹の花」という選択肢にも小生は引かれます。竹に花が咲くと、その一帯の竹が総枯れになってしまうと聞きました。生命の新陳代謝の烈しさですね。そこに自由が来ると、また、これも面白いものかと。問題というより、ふとした思い付きです、作者には何の文句もありません。十分よい句です。以上です。

新型コロナ、宗教界でも議論百出で、この間もご詠歌の淡路島の会議に出たら、すごい議論でありました。行くか、待つか、ふと『ゴドーを待ちながら』を連想して。みなさんは、いかがお過ごしですか? 

大西 健司

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」遠野は遠野物語の遠野か、ただ単に遠いところと捉えるのか。「置きしまま」に作者の思いが溢れている。私は遠いところと読んだ。路傍に咲く黄色い花が母を思い出させるのだろう。特選句「青嵐父の青シャツ小さかり」おしゃれな父の姿が好ましい。小さいととらえたのは父の姿だろうか。嵐に立つ年老いた父の姿が美しくせつない。

久保 智恵

特選句「拉致の子の父の無念や夏の月」胸に詰まり苦しいです。

桂 凜火

特選句「蚊帳に棲む兎仄かに消えにけり」兎が蚊帳に棲むなんてメルヘンですね でもちょっと怖い でも消えてしまう その辺の不思議さとかわいさと怖さの塩梅がすきでした。特選句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」こんなに素直な自己愛を語られると嫌味なくそうですよねと笑えてしまいます。青葡萄もわかりやすくていいと思います。以上です。盛会をお祈りしています。

河田 清峰

特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチの夏がきたのに長いあてもない自粛は続く、長梅雨のいまでもなお...空をわすれそうがやるせない!

谷 孝江

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」何か切ない様な、なつかしい様な、そんな思いが残ります。近年、若い人々の農離れの話がよく言われます。雪解けが始まると家族みんなが農作業に勤しんだ事なども、遠い昔の事になりつつあります。<皆んなそろっていた頃の>作者の思いが込められていて心打たれる一句です。

松岡早苗

特選句「カミユ読む鉄片のごと夏落葉」:「鉄片のごと」という比喩が、斬新で印象的。不条理に抗った作家カミユとの取り合わせも絶妙。「太陽が眩しかったから」と答えた『異邦人』の主人公の、純粋で特異な感受性がよみがえってくる。特選句「一蝉となり一空海の海となり」 羽化を終え空高く飛翔する一匹の蝉。眼前には海原。ふっと、大志を抱き唐へ渡った若き空海の姿が立ち上がってくる。空間的、時間的な広がりの中に、命が輝きを放つ。「一蝉」と「一空海」の対、「~となり」のリフレインが、句柄をゆったりと格調高いものにしている。

【自己紹介】 (香川県さぬき市在住)「海程香川」に加えていただきありがとうございます。退職後俳句を始めて五年になりますが、頭も心も錆び付くばかり。今後は、先輩諸氏の瑞々しい感性や切れ味鋭い表現をカンフル剤として、句作に励んでまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

 
野田 信章

「穂麦鳴る塚に金環眠らせて(松岡早苗)」「カミュ読む鉄片のごと夏落葉」「落し文しずかに喋る人が好き」の句群と「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」「目玉焼きのように睨んで梅雨の月」「言いたい事いっぱいあるよね葱坊主」の句群が混在しているこの句会が頼もしく思えてきた。前段の句に定型感覚に根ざした本格を志向する姿勢を認めつつも、後段の句にある日常感覚に根ざした口語発想の指向性もまた捨て難しと思う。このことは不易と流行の相においても考察されることであろうが、今の私にとっては後段の句の示唆してくれることに重きを置きながら本格を指向したいと思うところである。共に物象感を生かしつつ韻律性の確保されていることに注目したい。

三枝みずほ

特選句「六月に長寿褒められ大きい葉」大きい葉と長寿の組み合わせが新鮮だった。六月の葉はみずみずしく夏に向けての生命力にあふれている。 本日はお世話になり、ありがとうございました。久しぶりに皆様にお目にかかれてうれしかったです。やはり楽しいですね! 句会。様々な鑑賞や作品に触れられるのは勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。

中村 セミ

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」僕は若い頃は自分が見世物小屋の鼻から口へとヘビを通す妖しい山奥の女だと思い、若い頃の夢は、まるで「貴方は全てのプレゼン・オプションで落ち、待っているのは、あの自分の家へ帰る最終電車ですよ」と云われた。徐々に何かがはがれいくように、年を経る事によって、老人という哲学的な塊(カタマリ)に囚れ、フト、アスファルトの熱い路面をはう、白い壁を昇る蛇に、魂を奪われるように「俺もおまえも いつ迄生きる」と云われたようだ。と読むのは僕だけだろうか。特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」幼い頃、母につれられ夜の連絡船に乗った事がある。当り前の事だが夜の海は黒い。暗いではなく向うの方迄黒だ。まっ黒なのだ。それが沖の昏さとすれば大人になって色々思い出す度に、が、髪洗うだろう。「色々どうでもいい事を限りなくとりとめもなく、思い出す度に、母といた、あの連絡船は、まっ黒い海のドロドロとした油の様な道筋を一体僕等をどの島へ何の為に運んできたのか、もうどうでもいい事は思い出したくないのに」髪は洗うのだ、と言っていると読みました。 別解 髪洗う という夏の季語と、沖の昏さがよくマッチしている。それにしても沖の昏さがとてもいい。

稲   暁

特選句「髪洗う沖の昏さを知っていて」洗い髪と暗い海の照応に強く惹かれる。「沖の昏さ」は何の喩なのだろうか?問題句「ちっぽけな自分が好きで青葡萄」『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』両句ともささやかな自己肯定の句。好感を持つ一方で、作句法としてはやや安易かな?とも思うが・・・。

河野 志保

特選句「田水沸く皆んなそろっていた頃の」田に水が入るまぶしい季節。親しい人達との活気にあふれた日々がよみがえる。コロナの影響か、それとも遠い記憶か、作者の懐古がまっすぐ伝わった。「田水沸く」が情景をより鮮明にしていると思う。

伏   兎

特選句「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」短気な人と呑気な人の違いを、飴で知る目からウロコの発見句。天道虫との取り合わせが軽妙かつ魅力的。特選句「六月の赤ん坊ふるふる水の星」植えたばかりのみずみずしい青田が目に浮かび、水をごくごく吸って育つ稲の苗を感受。「六月」と「水の星」が響き合い、ふるふるのオノマトペも快い。入選「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」野草の一つでもあるすべりひゆを煮物にして食べ、滋味あふれるおいしさに感動したことがある。「すべりひゆ」「母」「遠野」が醸しだす心象に惹かれる。入選「似ているけど近くて遠い額紫陽花」紫陽花の咲いている街角で、心に深く思っている人とそっくりな姿を、偶然見かけたのだろうか…。今、話題のショートストーリー風の言語感覚があり、注目した。

野澤 隆夫

特選句「朝は河馬昼ナマケモノ夜ホタル」声に出して読んでみても調子のいい、面白い句です。河馬→ナマケモノ→ホタル。夜になると輝く。楽しい句です。特選句「赤ちんに武勇のあまた紙兜」令和の前の前が昭和。昭和も遠くなりました。この句は正に昭和の句です。チャンバラごっこの昭和が懐かしいです。もう一つ特選句「麦秋を回収車来て積み残す」つい先週までは 私の住んでる亀田南町は一面〝麦の秋〟。回収車が持ち帰りを忘れたかの如く大いなる麦畑でした。今週に入ってからは田植えで水没しかえるが騒がしく鳴いてます。

亀山祐美子

特選句『すべりひゆ母を遠野に置きしまま』「遠野」が地名でも「遠い場所(実家・施設・病院・他界)」でも読み手の自由。ここにある母との距離感罪悪感切なさが「すべりひゆ」と云う季語に込められている。雑草であり薬草であり食べられる草。母そのもので在るかのような地味な「すべりひゆ」が支える世界観。飢饉の際の非常食だと認識すれば「遠野」と云う地名の迫り方が一層危機感を増す秀句。母に対し子どもとしての至らなさに臍をかむ。特選句『髪洗う沖の昏さを知っていて』「髪を洗う」私は「沖の昏さを知っている」ではなく「知っていて」と表記する。「知っていて何も出来ない」私は唯々「髪を洗う」まるで禊ぎのように。悔恨。懺悔。怒濤のように押し寄せる罪悪感。贖罪。自分の中に在る見てはならない深淵を意識した、内向的だが深い一句。特選句二句。まるで対のように胸に響いています。 顔を見て句座を囲める幸い。久々に楽しい時間をありがとうございました。戻りつつある日常に感謝。皆様の句評楽しみにしております。

漆原 義典

特選句「堰切って埋まる六月予定表」新型コロナウィルス禍による移動制限がやっと解除となりましたが、その喜びを、堰切ってと、上手く表現していると感動しました。素晴らしい句をありがとうございました。

菅原 春み

特選句「夕顔の朝たたまれて国憂う」はかなげで幽玄な夕顔の白い花がたたまれる、詩的発火に納得です。特選句「五月闇寄る辺なき街動き出す」コロナ禍とはいわず、寄る辺なき街といったところにリアリティを感じました。

男波 弘志

「飴かむ派なめる派てんと虫飛んだ」不思議な関係性。説明を拒んでいる。「田水沸く皆んなそろっていた頃の」沸く、そこに芯の関係性がある。田水張る、でも句は成立するが、家族とはもっと深いものだ。以上、どちらも秀作です。

野口思づゑ

特選句「一蝉となり一空海の海となり」蝉の空と、海、の地球と、人間の知的な霊性が組み込まれたスケールの大きな句。圧倒されました。特選句「アスパラガス我が余生の青い旋律」そういえばアスパラガス、思い浮かべると音楽が聞こえてきそう。きっと明るい余生だと思います。「滋さん死す夏形容詞にとりまかれ」形容詞に色々な思いが込められている。

柴田 清子

特選句「老人と悲しい蛇に呼ばれたり」老人と悲しい蛇に共通した何かがある。それが何かはわからないままに、この一句に引き込まれる。特選句「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」玉ねぎを吊すそれだけで人物の生活、あらゆる全てが滲み出してくる凄い句と思った。特選句「六月のマスク古ぼけたピカソ」古ぼけたピカソ 発想が奇抜。特選句「ハンカチが白いもう空をわすれそう」白いハンカチからの切替えがすばらしい。

藤田 乙女

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」 コロナにより閉店していた食堂が開くのでしょうか?「紫陽花咲いたら開きます」がきっぱりして前向きで、気持ちを明るく爽やかな気分にしてくれます。特選句『「まっいいか」俺は遅咲き犬ふぐり』 こんな気持ちで日々を過ごせたらと羨ましく思いました。

石井 はな

特選句「だるま食堂紫陽花咲いたら開きます」紫陽花の開花に合わせてお店を開く。コロナの影響でしょうか、長い休みを紫陽花の開花と共に、また始める。未来への希望と明るい光を感じます。家族で営む?食堂の生き生きとした様子が目に浮かびます。

島田 章平

特選句「夏に入る余計なものはみな捨てて」断捨離。人は毎日毎日時間を捨てて生きている。そして生まれ変わっている。捨てることで新しい命が生まれる。「夏に入る」と言う初句に、再生の明るさがある。

田口  浩

特選句「すべりひゆ母を遠野に置きしまま」すべりひゆが遠野に咲いている。否、咲いていないかも知れない。とにかくそこえへ「母」と言うカードを挟む。すると言葉のマジックで「置きしまま」に深遠な意味が現れる。なかなかのマジシャンである。「夏に入る余計なものはみな捨てて」「いらしてね虞美人草といふ店よ」「熱兆すときの体感合歓の花」「髪洗う沖の昏さ知っていて」「ハンカチが白いもう空をわすれそう」これらの作品、どれも俳句独特の世界を持っていよう。すばらしい。

高橋美弥子

特選句「熱兆すときの体感合歓の花」熱が出そうなときのなんかほわんとした感じと、合歓の花のほわほわした感じが呼応する。五感を俳句にきちんと詠み込んでいて好きな句です。

小宮 豊和

「落し文しずかに喋る人が好き」静かな良い句である。一読してそう感じる。しかし読み手にはへその曲った人も居る。あえて難癖を付ければ作者が好きと言ったから良い句になるとは限らない。また何に感動したのかはっきりしない。事件性が薄くて伝達力が不足だ。などいろいろある。たぶん伝えたいことは「以心伝心した本音」ではないだろうか。季語はそのまま、中七下五を右のフレーズに入れ替えるのはどうだろう。

松本美智子

特選句「天金の書のあり梅雨めく午後のあり(谷 孝江)」「玉ねぎを吊るすのんびりと吊るす」どちらも情景が浮かぶ句でした。どちらも音を踏んでいて読んでいて耳にここちよかったです。

高橋美弥子

特選句「梅雨空に孫が小さく立っていた」何か不思議な感のする句です。誰かの絵を見ている気がします。あまり暗くない梅雨空、小さく立っていた、という突き放したような表現、孫の存在感をありありと感じさせます。小さくがいいんだろうと思います。ある一瞬の把握が全てを物語っていて俳句の面白さを感じます。

野﨑 憲子

特選句「三密も壇蜜もパレットの朱色」パレットの朱色はお日さまの色。巷で言われている三密と真言密教の三密をかけ、女優の壇蜜さんも取り込んだ意欲作。密教の究極は?艶〟と言わんばかりに。問題句「鹿つつっーと流れピアノきれいに鳴る」軽妙な北の交響詩。巧過ぎる!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雨漏り
記憶が随分雨もりしてきた
中村 セミ
雨もりのソラシドレミファ新茶飲む
野﨑 憲子
雨もりの音にハミング子もり歌
野澤 隆夫
雨漏りのごとき仕事で夏に入る
中野 佑海
雨洩りや洗面器か馬尻かと
鈴木 幸江
雨漏るや鰆の焦げのアルミ箔
藤川 宏樹
雨もりのしみを広げる海の家
亀山祐美子
ビールが旨い屋上を夜の風
島田 章平
風強し風の気になる人だから
鈴木 幸江
銀河系のとつぱづれから青嵐
野﨑 憲子
風が削られてゆく石の型(かた)となる
中村 セミ
ドッジボール最後の一人は青田風
中野 佑海
若葉風プードル今朝は石かじる
野澤 隆夫
髪流し風に追ひつくとうがらし
亀山祐美子
新茶
茶茶茶新茶緑茶番茶一茶兜太
島田 章平
一本の奥歯を残す新茶かな
亀山祐美子
格差の世一茶新茶を買ふたかや
鈴木 幸江
イケメンが崩れかけてる宇治金時
藤川 宏樹
プードルの散歩疲れや新茶くむ
野澤 隆夫
無観客
無観客ゴッホのような星月夜
藤川 宏樹
穴を掘り下げてゆくほど無観客
三枝みずほ
ユーチューバーのお祭り騒ぎ無観客
中野 佑海
麦は穂に謡再開無観客
野澤 隆夫
無観客青水無月の風騒ぐ
亀山祐美子
自由題
お盆持つ夏満月を持つように
鈴木 幸江
恋猫のマンドレイクの根の悲鳴
中村 セミ
兄さんは海へ梅の実がなつた
野﨑 憲子
人間になる石ぬくし青水無月
亀山祐美子

【句会メモ】

アマビエ.png

四か月ぶりの高松での句会でした。久々の生の句会に一日中ハイテンションでした。何よりも、ご参加の皆様の笑顔が嬉しかったです。句会ってお祭りですね。コロナウイルスの一日も早い終息を願っています。来月も句会が開けますように!!

冒頭の紅白の蓮の写真は栗林公園で島田章平さんが撮影されたものです。

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