2020年5月24日 (日)

第106回「海程香川」句会(2020.05.16)

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事前投句参加者の一句

オーイオーイと宙(そら)割って穀雨の列車 伊藤  幸
顔真黒な我を溺れる薄暑かな 豊原 清明
声高な正義白い花咲く蛇いちご 増田 暁子
行く春やキリンの首の一つ分 河田 清峰
人であることを忘れるほど桜 月野ぽぽな
一人づつ呟きに来る冷蔵庫 小山やす子
一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮 若森 京子
かしこまって父と苺をつぶし合う 竹本  仰
ハーモニカつばめのように帰れない 夏谷 胡桃
本当は遠泳したい鯉のぼり 野口思づゑ
ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな 石井 はな
新緑や歯と歯ぶつかる音がして 河野 志保
筍や五月の空を昇る意志 小宮 豊和
春昼の獏に利き足舐められる 伏   兎
ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく 銀   次
茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに 野田 信章
いま芽吹くブナはますらお触れてみる 新野 祐子
雲雀来て言い足らぬ空ありまして 佐孝 石画
麦秋や列島女人の寛ぐ態 高橋 晴子
亡き母の着物取り出す更衣 漆原 義典
さざなみのルーズソックス 卒業す 矢野千代子
無症状蒲公英絮毛感染者 藤川 宏樹
曳き波に十六歳の切手貼る 中村 セミ
昼暗し日本くらし春の猫 稲葉 千尋
待合に時計のくるふ蝶の昼 小西 瞬夏
素因数分解しても春キャベツ 増田 天志
初夏のジュゴン祈りのようにかな 桂  凜火
万緑や十指に余ることばかり 寺町志津子
不作為の未必の故意の春流れ 滝澤 泰斗
行く春がするりと抜ける日々なりき 田中 怜子
この時季に「第九」歌ふかコロナの禍 野澤 隆夫
流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる 十河 宣洋
黒猫の舌は退屈みどりの日 高橋美弥子
茶髪のひとりは百日紅にもたれ 久保 智恵
山藤の空に溶け入る時間帯 柴田 清子
白鷺の頸の仕組みと襞マスク 森本由美子
アパートの躊躇い傷となる金魚 男波 弘志
春夕焼めくるといつも泣いている 榎本 祐子
しづかさや山羊の聲なく草茂る 鈴木 幸江
模造紙を広げ夏蝶呼びよせる 三枝みずほ
花つけしトマトあしたの靴選ぶ 菅原 春み
麦笛を吹くたび貨車のやってくる 重松 敬子
もしかして君はともだち夏来る 高木 水志
うがい手洗い観音さまの聖五月 荒井まり子
目覚めては恋に恋する夏の蝶 藤田 乙女
家に居て山椒魚のようにかな 吉田 和恵
木になろか石にならうか風薫る 亀山祐美子
葉ざくらとなりまた別のこころざし 谷  孝江
間違いは誰にもあって薔薇を買った日 田口  浩
観光立国崩壊しつつ夏来たる 稲   暁
霾るや祈る空海長安に 島田 章平
熊野暗緑蝶々は海の遺書ならん 大西 健司
スヌーピーってすごく哲学こどもの日 中野 佑海
角だすもすずめになれぬカタツムリ 田中アパート
鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝 松本美智子
田水張る仏間に風を入れてから 松本 勇二
くちなはの口に飛び込む大日輪 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「さざなみのルーズソックス 卒業す」ルーズソックスのさざ波は上手い。教員時代、ルーズソックスには色々悩まされてきたので、この捉えに共感する。このさざ波はソックスそのものの波というより、それを身につけている少女の心のさざ波であり、周りの人たちの立てる波でもある。特選句「間違いは誰にもあって薔薇買った日」俳諧味の強い作品。これくらい大らかな人が好きである。薔薇を買ってその日のデートは上手くいったのか。最近は花束などよく見かけるが、私の時代は花は贅沢なものと言う感覚が強い。それを買って彼女に届けたのだから結果は見えている。それが間違いだったと、苦笑いしている程度の軽さである。

豊原 清明

特選句「ハーモニカつばめのように帰れない」ハーモニカを吹く人の哀歌か?もうこの時代から昔の時代には帰れないという、当たり前のことだが、「帰れない」に共鳴。問題句「脆弱なマスク聖人新世紀(藤田乙女)」:「新世紀」と聞いて、いま「新世紀」やったと再確認する。「マスク星人」が意味ありげ。もう終わりのような世界を客観で描く。

桂  凜火

特選句「もしかして君はともだち夏来る」新しい出会いの時、気が合うかなと期待と不安が入り混じる。そんなドキドキ感が伝わりました。「もしかして」という導入部分が好きです。「夏来る」の季語もよくあっていると思います。特選句「木になろうか石にならうか風薫る」新緑の中でじっと風に吹かれていると、自分も木や石に同化できるような気分になることがありますが「木になろうか石になろうか」と書くことでその気分がよく出ていると思います。ふと金子先生の「酒止めようか、どの本能と遊ぼうか」のフレーズを思い出しました。

若森 京子

特選句「春夕焼めくるといつも泣いている」夕焼は大変センチメンタルな情感を湧かせてくれるが、特に春の季節は感情の起伏の激しい時の様だ。「めくるといつも泣いている」の措辞がとても上手い。特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」子供にとってスヌーピーが大変哲学的であるとの発見に驚いた。「子供の日」の句では、私にとって新しい出会いだった。

小山やす子

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」心踊る花の世も終わり葉桜の季節となり又違った角度から自分を見詰め直した新鮮さが伝わって来ます。

増田 天志

特選句「春昼の獏に利き足舐められる」吉兆なのか。それとも、悪夢の予兆なのか。無用の用に、想像力は、喚起される。

中野 佑海

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」自宅にいると、冷蔵庫が何故か気になるのです。何か食べたいわけでもない無いのですが。直ぐ何か探しに行って、欲しいものは行ってから探すくらいの。あれって、一種の鬱憤ばらし?ブツブツ言いながら結局は麒麟か朝日か鳥居さん探していませんか?内の冷蔵庫はいつもばりばり入っているので、結局、食べたいものを探し出してむしゃむしゃ。自宅待機の日数とともに、下腹が。特選句「人であることを忘れるほど桜」桜の俳句は逃しません。咲き始めたら、近くの民家の一本桜、神社の一本桜。好きなだけ触って、眺めて、匂って、酔うほどに堪能。今年はうまい具合に咲き出してから、寒い日が続き一か月近くも楽しみました。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」列車は空気も何もかもなぎ倒して進んで行く。でも、絶対信号機がカンカン鳴ったら、手を振り見てしまう。「ハーモニカつばめのように帰れない」小さい頃はハーモニカを上手くチュルチュル吹いていたけど、今は口も手も上手く連動していかない。燕返しのように。「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」さらさらと鳴る葉擦れの音の涼しさよ!「筍や五月の空を昇る意志」出ました上昇志向。つくしは龍に、たけのこは鯉幟の竿に、麦は麒麟に、私は冷酒で天国かはたまた地獄か!「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」一体全体どういうシチュエーションなのか?学校休校の折親孝行ですね。でも、5月の空にモップと雑巾は結構シュールだ。「行く春がするりと抜ける日々なりき」今年は京都も吉野も弘前も桜を思う存分観に行くぞと思いきや、近場で終わりました。こんなにゆっくり誰もいない観光地って有り?残念。「老い集うベンチ青葉風の糖度(小山やす子)」ばあさんたちは甘いもの大好き。必ず煎餅、飴ちゃん、饅頭、等々。忘れません。「こんなにも甘い甘茶の灌仏会(田中怜子)」灌仏会の甘茶って本当に甘いよね。仏さまって本当に優しいんだろうなって思います。 

矢野千代子

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」まず、「田水張る」「仏間」で、ふだんの生活習慣などが彷彿とうかびます。その景がそのまま詩になり、こころにひびく作品になりました。

小西 瞬夏

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」最初は問題句候補でした。それが、なんども読むうちに、童話的な世界感と、子どもたちのたくましさ、健気さのようなものが感じられ、一行詩的ではありますが、心にすとんと落ちてきました。

鈴木 幸江

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」滑稽の中に、日常の真実と発見が二つも入っていて、お見事。私も子供のころ少し酸っぱい苺に牛乳と砂糖を掛けて、それ仕様の特別な匙で家族で潰しながらよく食べた。その時の人の姿が過不足なく描写されている。人とは滑稽な生き物であることを再確認した。“かしこまって”に苺に対する敬意があるのだ。“つぶし合う”の措辞にささやかな罪の意識と闘志も必要だったことが伝わってくる。今の甘い苺をそのまま食べるとき、そういう食べ方をしていた頃を不思議と思い出す。あの時の違和感の謎が解けた思い。今している様々なことも、時が経てばその謎が解ける日が来るかもしれない。長生きをせねば。特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」たらたらとした結句に気持ちがよく出ている。言葉でどう表現しようが気持ちをそのまま伝えることなどできない。それほど人の気持ちは今、一瞬、その時のもので奥深い。言葉にはならない部分が残る。身体の表現を加えてもうまく伝わらない。雲雀だってそうだ。空高く必死で鳴いているだろうがきっと同じ思いでいることだろう。ある必死さに、同じ生きるものとして哀れを感じつつも力も頂いた。問題句「曳き波に十六歳の切手貼る」夏の砂浜の引く波に十六歳の時買った切手を貼って流した。そのイメージの世界に作者の淡い青春の苦悩が偲ばれる。でも、“十六歳の切手”と“貼る”の措辞がどこか投げやりで、まことに勝手なことだと思うが、残念な気がしてしまった。チェックした句「顔真黒な我を溺れる薄暑かな」「蛙溺れて生尽くす朝夏草(豊原清明)」「春夕焼めくるといつも泣いている」「角だすもすずめになれぬカタツムリ」「くちなはの口に飛び込む大日輪」

藤川 宏樹

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」十六歳がまだ憧れだったころに見た“The Sound of Music”。ガラス張りの四阿屋で電報配達夫の彼と踊る“Sixteen Going on Seventeen”。人生の目標が夜空の星ほど遠かった当時から半世紀を過ごしたが、「十六歳の切手貼る」に座席の固さまで蘇った。作者の思いから離れた鑑賞になると思うが、俳句の力を実感した。

佐孝 石画

特選句「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」鮮やかな若葉を風になびかせ、新樹らは佇つ。「山笑う」の語があるように、それらの立ち姿は快活でリラックスしているかのように見える。しかし彼らの実態は、固い冬芽を破り、己が内蔵を引きずり出さんばかりに転生した、苦悶の果ての絶唱。「新緑」に硬質な響きを感じ、「歯」のぶつかり合いという幻想を見た作者の感性に、大いに共感する。ちなみに、僕も30年ほど前に「軋る音して欅青葉の窯出しです」という句を作ったが、この句のような「痛み」「焦燥感」にまでは食い込んでいなかったように思う。特選句「流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる」:「蝶」の存在自体、「流離」でもありそうだが、この句の場合、「ふうっと」に臨場感をともなってくる。それは作者の流離感覚との共振。かつて金子兜太先生が「定住漂泊」とことばしたその感覚。景物に憑依し憑依されることで、日常から少し離れた異空間へと「流離」するその感覚の裏側には、やはり動かぬ「生」と「死」という基軸があるように思う。その振り幅のなかで、現在地を振り返りつつ、日々「にんげん」は暮らす。浮沈しながら飛ぶ蝶の軌跡に「流離」があるのではない、「流離」を感じてしまう自分も含めた「にんげん」の不思議に作者は呆然とするのだ。

夏谷 胡桃

特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」。ふだんは畑仕事をしているわたしだけど、あしたは仕事で大事な人に会うのよ。大事なのは靴よね。初夏らしい靴はないかしら。そうだマニキュアも塗って…。ああ、爪に土が入っている爪が割れている。急いで爪の手入れしなくちゃ。特選「田水張る仏間に風を入れてから」。遠野にやっと春が来ました。田水を張っているところです。長く閉ざされていた仏間の戸を開けて風を通します。古民家には無駄に大きな仏間があります。昔は法事も祝い事もその部屋に人が集まったのでしょうが、いまは料理屋の座敷で行います。もう人の賑わいのない仏間です。遠野の春の風を入れると、仏間に飾ってある亡き人たちが笑った気がしました。物語がイメージできるふたつの俳句でした。

滝澤 泰斗

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」コロナ禍のテレワークかゴールデンウィークか、家族がみんな揃っている午後、大人も子供も銘々が冷蔵庫の前に来て、何かを取るか、見るかしてぶつぶつ呟いてゆく日常の中の一コマをうまく切り取ったと思いました。特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し(重松敬子)」いささか気障ですが、南フランス・エクサン・プロバンスのセザンヌのアトリエを思い出しました。セザンヌがスケッチをしている静物の果物や野菜。そして、裸婦像の絵など雑然とした部屋の佇まいの窓辺に夏の日差しが短めに・・・洒落た句です。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」印象的な句に違いありませんが、オーイオーイの主体がわからず、取れませんでしたが、気になる一句でした。

大西 健司

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」何でも無い光景だが、絵本の中の一行のように心に残る。でも俳句としては未完だろう。だけど定型に収めると魅力が消えそうな気もする。そんな危うさで特選に。

伊藤  幸

特選句「指十本足し算引き算鯉幟(亀山祐美子)」ステイホームだ自粛だと叫ばれる今日この頃、このような句に出逢うとホッとする。幼児が指を使い懸命に足し算引き算する様子が景として浮かび上がり思わず笑みが込み上げてくる。特選句「くちなはの口に飛び込む大日輪」余り好まれぬ蛇と地上に光をもたらす太陽との取合せが見事にコラボして、物理的にはあり得ぬ口に飛び込むという発想が功を奏している。

野澤 隆夫

特選句「素因数分解しても春キャベツ」春キャベツを素因数に分解したらとの発想が面白い!そんなこと考えもしないし…。素数に分解してもやはり春キャベツ。さて素数って…。2・3・5・7・11・13・17…。もう一つの特選句は「不作為の未必の故意の春流れ」現政権の政治の流れがまさにその通りと指摘されてる。「不作為」と「未必の故意」…そうですね。

高橋美弥子

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父親と苺を食べようとすると、なんだかかしこまってしまう。なんかこんな時がわたしにもあったなあと思いました。家族の日常をこんなふうに切り取れていて、好きな句です。問題句「 張りぼての青空泳ぐ鯉のぼり(石井はな)」張りぼての青空、は折り紙か何かのことを言っているのか、特別な意味があるのか、どちらなのか読みきれませんでした。子どもが作った鯉のぼりのように素直に読めばよかったのかな・・・。

中村 セミ

特選句「旱星てのひらに水うごきだす(小西瞬夏)」旱星は、雨のないひでり続きの夜に見える強い光りの星の事とある。晩夏の季語。調べて見れば旱星の句はかなりある。この句も<てのひらに水うごきだす>で旱星との対比をよく出していて面白いと思う。特選句「少年は夏の匂いを落として行った(伊藤 幸)」まるで、西脇順三郎の詩の様で、<夏の匂いを落とす>は何を示しているか考える楽しさに集約されているように思う。僕にはよく分からないが、夏の匂いは、確実に形として作者の頭の中に残っているだろう。恋愛かもしれないし、ちょっとしたアルバイトの経験かもしれない等々―人生の一つの経験として、こういった事もあったと、おそらく作者(誰かしらないが)60代の方が云っているのだろうと推測しました。「人であることを忘れるほど桜」桜がたわわと果実の如たれ下っているのを見ると悲しく嬉しく、何とも云えぬ気持になる。生きていてよかったに尽きる白い桜。

松本 勇二

特選句「うがい手洗い観音さまの聖五月」今や必須の日常であるうがい手洗いと、合わせた観音様の距離感が巧み。どこか明るい作者像も見えてくる。

稲葉 千尋

特選句「蟻をみて今日五〇〇円稼ぎます(夏谷胡桃)」唐突に見えますが蟻を見て今日もがんばるぞの気持が見えます。五〇〇円が楽しい。

榎本 祐子

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛を吹くたびに、貨車はどこからかやって来て目の前を過ぎ、どこかへ去って行く。時間が流れるように、又は郷愁のように。人の姿が見えない貨車に作者の孤心を思う。

寺町志津子

今月の、コロナ禍による異常な暮らしの日々やその思いに関する作品の数々に、コロナ禍の一刻も早い終息を願いながら、いずれも実感的に共感いたしました。特選に頂いた「田水張る仏間に風を入れてから」。作者のお宅は、代々、稲作を業とされているお家と想像されますが、作者のお宅では、ご仏壇に手を合わせて、先ず、ご先祖様のご冥福をお祈りし、同時に、本年も豊作であるよう手を合わせられ、ご先祖様が居心地のよいよう仏間に風を通してから作業にいかれるご様子に、ご先祖様を大切にされ、真摯に田仕事をされている光景が、鮮やかに目に浮かび、心打たれました。きっと、代々その様にして耕作を続けてこられたことでしょう。とても爽やかな気分になりました。

田中 怜子

特選句「五月来と海は両手を広げ待つ(菅原春み」目の前に海が広がる気持ち良い句で、今の鬱屈した世情を開放する。「はかま脱ぎ笊にもつれる土筆かな(森本由美子)」笊にしんなりと茶色のつくしが目に浮かびます。もつれると表現したのがおもしろい。「家に居て山椒魚のようにかな」山椒魚といったのがおもしろい。どろんどってり、小さな目はくるくると動いて、今の世とは真逆な動きがいいですね。「田水張る仏間に風を入れてから」さーっと、気持ちよい風が流れてくる、そして仏間とは、地方の折り目正しい生活ぶりが窺われます。

島田 章平

特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し」。「智恵子抄」を思わせる一句。まだ、若い智恵子の鮮やかな姿が浮かんで来ます。見事な作品ですね。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」。多分、まだ亡くなって時間が立っていないのでしょう。亡き母の遺品の整理で、母の箪笥を開けた時に、思い出のある母の着物。思わず手に取って、母の思い出を忍びます。心情溢れた佳作です。

河野 志保

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と娘を想像した。「かしこまって」がユーモラスで幸せな場面を演出していると思う。温かい気持ちになる句。

重松 敬子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」本当にスヌーピーは、子供の漫画には珍しく哲学的ですね。我が家でも子供たちが好きでした。哲学とは思わず、実は哲学を楽しんでいた、みたいな・・・・。子供達の応しゅうの理屈っぽい面白さ。うまく一句にまとまっていると思います。

伏   兎

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」穀雨のなか、車両をいくつも繋げ、野山を走っていく風景は絵本的で、ユートピアを感じる。上五のオノマトペに、宮沢賢治の世界を彷彿させるものがあり、注目。特選句「カプチーノデカルト妻に春惜しむ(中野佑海)」カプチーノ、デカルト、妻という想定外の取り合わせに面食らったが、鑑賞する側の心に化学反応を起こさせる巧みな句。春ならではのアンニュイも漂い、趣深い。入選句「曳き波に十六歳の切手貼る」高校時代のそれぞれの一年は、大人になってからの一年と厚みが違う。この句の十六歳は高校二年生の三学期だろうか。多感な世代の気分が描かれ、心に刺さった。

田口  浩

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」:「新は深なり」と言う。この句<また別のこころざし>の発想が新しい。<葉ざくら>から、このような世界を生む感性がうらやましい。「老い集うベンチ青葉風の糖度」<青葉風の糖度>を見てうれしくなった。「アパートの躊躇い傷となる金魚」ソウトモソウトモソウダンベ と掛け声ならぬアイヅチを打つ。「木になろか石にならうか風薫る」風薫る、はこう言う風であろう。「鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝」夏の朝がいい。巧みな作品であろう。

石井 はな

特選句「茅花流し逢へないのかなもう君に(野﨑憲子)」平静の時ならば「もう逢へないのかな」も、軽い別れに感じるだろうと思うのですが、今の新型コロナに覆われている時には、心にずしんと響きます。入院したまま面会も出来ず、死に目にも火葬にも立ち合えず別れを迎えてしまった方々の気持ちに思いが至ります。 

田中アパート

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」不要不急の私には・・・・?なぜ曳き波なのか一日中考えたのですが。

月野ぽぽな

特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」雲雀の囀りはただ事ではありませんね。途切れる間なく鳴くのは「言い足りないほどの空」だからなのですね。「言い足りないほどの空」の詩的措辞が効いていて俳句的切れの形を取らずとも一句に密度を生み出していると感じます。言いさした感じも、雲雀の饒舌さを思わせたり、ちょっととぼけた俳味を生み出すのに効果的。

竹本 仰

特選句「万緑や十指にあまることばかり」いい季節となると、表の快さと同時に裏面の濃いゆううつも有り余って寄せて来る。若い頃だと五月病、それは若い年齢とは限らない。否、若さがあればいつだって五月病はある。養老孟司氏が言っていましたが、不安というのは消えない、それは生きている証しだからと。生きているからこその不安、正直にひたるしかないか。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」トマトに黄色い花がつく、その微妙な頃合いを、では人は?人は人とのつながりの中に開花する。その清新な思いが、靴につながってくる。この辺のストーリーが面白い。そういえば、『風と共に去りぬ』でも『野火』でも、軍靴の出来が悪いと、すぐ底がぬける、ぬけると一気に兵士は気力を失うとあった。そんなことを思い出した。特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」貨車はその音のようにカシャカシャという音を立てて過ぎ去る。何だか過ぎ去ると、妙にさびしいのはなぜかといつも思う。だが、この句は麦笛を吹くと、貨車のやってくる予感がするというのだ。このワクワク感、たまりませんな、と言いたいのを感じる。若さはいつもそうやって来るからだ。人がいない貨車でも、旅立ちのふと湧きあがる瞬間を感じる。あこがれの原形のようなものを感じさせる句だ。特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田に水を張ると、なにかひと安心だ。非常に清々しく、その水面に万物が吸い込まれてゆくような快感がある。この恵みはどうにもこうにも祖先の目線と合った同じものとしか思えない。自分も祖先になりきって、同じ清々しさを味わおう、その先はけっこう辛いのだけれど。そんな心持ちを感じた。以上です。

今回は、コロナと郷愁とが目立ちましたが、何というのか、それって融合できないのかな、みたいなヘンなことを思いましたが、これも獏に足をなめられたのかも。コロナも終息への期待大なる世相ですが、みなさま、重々お気を付けください。昨夜、コロナの元凶はお前だ、みたいな夢を見て、やっぱりそうだったのかと反省する自分がいて、目が覚めました。その時示された赤い文字がまだ残っています。いやはや。サンポートホール高松での句会の復活を祈っております。

菅原春み

特選句「ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな」味わい深い景だ。春に夕闇が忍びよんでいるのか、春の終わりか、なんとも茫漠とした感じがいい。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」亡くなった母上の着物を取り出し、思わず羽織ってみたのか、あのときの思い出に浸ったのか、静かだ滋味あ滋ふれる季語で詩的発火した。

野田 信章

特選句「昼暗し日本くらし春の猫」春は猫の季節。個的内向きには「昼暗し」で納まっていたものが「日本くらし」と視野を拡大せねばならないところに今日のわれらの生と句作りの一態があることを示唆してくれるものがある。「非常の日常令和の月おぼろ(荒井まり子)」の一句も将に今日の句として味読しました。特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」コロナ騒動の蟄居状態の中でこの句を読んでいると、動画の機関車トーマスの一場面も想起されて屈託のない応援歌として読めた。二十四節気の「穀雨の列車」としての起用には意外性のおもしろさもあり、一句の鮮度を高めていると思う。

野口思づゑ

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と子にあるちょっとした距離、それでも仲の良さが感じられる微笑ましい句。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」ちょうど友人たちと、メールで母が残した着物が話題になっていました。皆が、処分すべきなのでしょうけどなかなかできずの悩みを抱えていたのですが、この方はお母様の着物を身につけられのですね。お母様を思い出す情感が伝わってきます。

 香川県は自粛が解けたようでよかったですね。これで来月の句会の希望が見えてきましたね。シドニーも3段階の規制解除が今日から始まり、5人までの来客が許されたので週末に友人が来る予定です。そちらは新緑が美しい頃でいい季節ですよね。こちらは日が短くなり、朝晩はぐっと冷え込みます。ストーブを出しました。

高木 水志

特選句「老い集うベンチ青葉風の糖度」長い間友達として交流してきたお年寄りたちの楽しい会話を青葉の香りが優しく包み込む風景が見えて心地よい。

森本由美子

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」緑うねる農業地帯、SLらしき列車がどこからともなく。穀雨という季語選びと、メルヘンを越えた自由な発想にひかれました。特撰句「人であることを忘れるほど桜」油断すると異次元につれていかれそうな溢れる妖しさを詠んでいるのでしょうか。準特撰句「かしこまって父と苺をつぶし合う」めったに向き合うことのない父と娘。苺をつぶすごとに、そのフレッシュな香りが会話の代わりに空間を満たしていく様子がうかがえます。きりっとして好感のもてる句です。

日本はかなり大幅に自粛をといてゆくようですね。NY はまだだいぶ時間がかかりそうです。どちらにしてもこれからの道のりは厳しいことでしょう。そんな中いろいろお世話をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。Eメールで投句できるのはとてもありがたく思います。

小宮 豊和

特選句「一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮」この句、肉塊が各一メートルの間隔をとって並んでいるというのだ。そのことに作者の感情はほとんど動いていないように思う。感染を避けるためだけの肉体の配置だ。作者の感覚は季語、紫木蓮に凝縮する。この紫木蓮は評者の知る限りでは、これ以上適切な表現は無い。色彩感覚、生命感覚、生きるということの悲しさ、いとおしさが伝わってくる。

増田 暁子

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」16歳の自身に手紙を描いているのか。曳き波がとても良いですね。特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母(松本勇二)」いつも遠くで雉子のような祖母。慈愛に満ちた姿が眼に浮かびます。

新野 祐子

特選句「声高な正義白い花咲く蛇いちご」:「私の責任で」などと言って正義を振りかざす為政者と、(誰が名付けたのか蛇だなんて)可憐に咲くいちごの花の対比が、今の情況を表す例えとして冴えているなと思いました。入選句「本当は遠泳したい鯉のぼり」同じことを私の身体が熱望しています。入選句「脆弱なマスク星人新世紀」殺菌すればするほど強い菌が現れるのが自然界の仕組みなのではないでしょうか。新型コロナの出現は人間のおごりの証しかな、などと考えたりします。土と共に生きて免疫力を得ることが、これから大事なのかもしれませんね。生き物はすべて土に還りますから。

河田 清峰

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛と貨車が郷愁さそって懐かしい。もう一つの特選句「いま芽吹くブナはますらお触れてみる」:「二十日月男を箸で突いてやろ(大石悦子)」の句を思い出した!よろしくお願いいたします。

谷  孝江

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」詩情豊かな句でしょう。遠い昔の記憶の中に戻ってゆきました。毎日コロナの不安の中にいて、ほっと一息つける句に出合えて嬉しかったです。ありがとうございます。

稲   暁

特選句「茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに」晩春・初夏となっても街はマスクを付けた人達で溢れている。新型コロナウイルスの脅威はまだまだ止まない。問題句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」確かにスヌーピーは哲学犬的雰囲気を持っていると私も思う。彼は現在のパンデミックをどう捉えているのだろうか?

久保 智恵

特選句「行く春やキリンの首の一つ分」優しくほっとします。

漆原 義典

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」讃岐平野の田んぼでは、ため池からの灌漑用水で、6月に入ると田水を張り、田植え真っ盛りになります。私もその頃田植えをします。この句は私の心境です。中7の仏間に風の言葉に感動しました。ありがとうございました。

三枝みずほ

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田水を張ることと仏間に風を入れることが人と自然との交わりを思わせる。儀式めいたものではなく、とても素朴な繋がりを感じた。

亀山祐美子

先月以上にコロナ禍の句が多かった。日本列島どっぷり。句評をしようにも「何やらわからぬ不安感が押し寄せて来る」ものに共感した。特選句『待合に時計のくるふ蝶の昼』中七の「時計のくるふ」の「くるふ」の平仮名三文字が秀逸。不安感を煽る。秒針の時を刻む音が耳朶に響く。待合は病院の待合に違いない。楽しい待ち合わせ場所のはずが無い。蝶を「夜の蝶」と解釈するのは深読み過ぎるか。ともあれコロナ禍に「くるふ」人の世を二重三重に包む冷徹な蝶の複眼が鮮やかな秀句。『チューリップ歌って笑って娘たち(吉田和恵)』『花つけしトマトあしたの靴選ぶ』は明るくて好きな一句です。「蟻をみて今日五百円稼ぎます」は何だかあざと過ぎて好きになれなかった。 ☆まだまだ続く自粛。暑くなったり、寒くなったり着たり脱いだり。俳句のおかげで何とか持っています。句評楽しみに致しております。皆様ご自愛くださいませ。

高橋 晴子

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」冷蔵庫でこれだけ人間を表現出来るとは思わなくて、さしたることは何もいっていないのに面白くて共感した。いろんな声が聞こえてきて不思議な句だ。問題句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』:「コロナの禍」という表現が正しいかどうかは一応問題外として、いつ誰が「第九」を歌おうと「第九」は単なる音楽?何か〟悪いことをしているような正義感ぶった姿勢こそ問題。たとえ密をいわれているのでも最大の注意を払って普通の人が普通に歌っているのであれば悪くはない。こういう一人一人の余計な御節介が。正義感ぶる心が、問題を生むといいたい。?「俳句をやるような人はその位で四の五の言うな〟と言いたい。もっと大らかに、こんな時季だからこそ、「第九」結構ですね。

松本美智子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」:「スヌーピー」といった俳句にはおよそ詠めない言葉をうまく「こどもの日」という季語と結び付けていると思います。本当にアニメのなかには奥が深いなあと考えさせられるものがありますね。 

荒井まり子

特選句「無症状蒲公英絮毛感染者」終わりの見えない今日。感染しても無症状があると。恐ろしい。蒲公英の絮がコロナウィルスと重なる。ウィルズコロナ、アフターコロナに戸惑うばかり。 

男波 弘志

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」老いには老いの花がある。成熟の花が。世阿弥のことばだが。「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」扉を開ける、その行為を人は繰り返している。深夜に開く扉にも何かがある。「間違いは誰にもあって薔薇を買った日」間違い記念日、とは凄まじい生への執着を感受すればよい。

吉田 和恵

特選句「一メートルづつ離れ臠紫木蓮」コロナはともかく、このところ木蓮の花が肉塊に見えて仕方ありません。問題句「白つつじ行方不明のままに在る(田口 浩)」白つつじは実体の曖昧さを感じさせる花です。哲学的表現は嫌いではありませんが、ちょっと違和感を覚えます。

藤田 乙女

特選句「もしかして君はともだち夏来る」は日常的なありふれた言葉だけれど、この句の中で 遣われるととても繊細で機微があり、「君はともだち」とつながることによって未来への希望や生きとし生けるものへの細やかな愛を感じます。とても爽やかな句だと思います。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」 新型コロナウィルスの非常事態宣言による自粛の日々、コロナ鬱と除菌マニアになりそうですが、この句は明日への明るい希望を抱かせてくれます。明日出かけるための靴選び、たくさんの楽しみでわくわくし胸が膨らんできます。様々な靴の色や形、それに合う洋服、帽子、行く場所まで想像し、心が弾みます。

野﨑 憲子

特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母」雉子は、日本の国鳥。大地の精霊を目の当たりにするような一句である。きっと作者も、おばあちゃん子だったのだろう。特選句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』第九とは、世界中で愛されているベートーベンの「交響曲第9番」の合唱の事。作者は、新型コロナウイルスの終息が見えない中、たまたま耳にした合唱に感動したのだ。「喜びの歌」こそ力だと・・。問題句「体感は桜バイオリンはキリン(十河宣洋)」句稿の中で、一番奇天烈なのに、句姿も調べも、とても魅かれる作品である。「俳句は理屈じゃない」と、兜太先生がよく話された。「バイオリンはキリン(麒麟)」なのである。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今月も、新型コロナウィルス感染警戒の為に、サンポートホール高松での句会は中止しました。 しかし、事前投句は、魅力あふれる作品満載でした。これからがますます楽しみです。

6月の句会は、非常事態宣言が解かれましたので、開催の予定です。いつもより大きい(30畳敷・窓有)和室での 句会です。時節柄、ご参加の方々は、マスク着用をご遠慮なくしてくださり、ご自身に合った感染予防のいで立ちでお集まりください。当分の間、見学及び飛び入り参加の受付は控えさせていただきます。

2020年4月23日 (木)

第105回「海程香川」句会(2020.04.18)

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事前投句参加者の一句

 
<追悼 志村けん>悪いけど犬を頼むよ春の雪 高橋美弥子
春眠の息ひとひらひとひら翼 月野ぽぽな
清明や瞼閉じたる野の猫よ 豊原 清明
コロナの禍もしやと思ふ春の風邪 野澤 隆夫
コロナ禍いはんや悪人花見かな 田中アパート
春暁や土の天使とワルツ舞ふ 漆原 義典
夕映えを雨滴に宿し葱坊主 新野 祐子
近づく日フォルモ蝶と渡りたし 若森 京子
膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉 石井 はな
都市封鎖蝶がいっぴき大通り 夏谷 胡桃
能面の裏は深夜の桜の木 伏   兎
万愚節返事は指を丸くする 河田 清峰
脆き星魔よけのごとく辛夷咲く 森本由美子
旗振山花粉流るを見ていたり 榎本 祐子
「もう」「もう」と牛さん返事に花曇 荒井まり子
すぐ白むわたしはそめいよしのです 男波 弘志
春はここからランドセル光る朝 松本美智子
盤寿(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る 矢野千代子
男が産まれ女も産まれて春が来る 銀   次
ウイルスも人間も只生きて春宵 高橋 晴子
桜さくら一人痴呆が立ち尽くす 小宮 豊和
はさみはなす手はいちまいの花びら 三枝みずほ
春ひとり月に遊ぶの得意です 藤川 宏樹
唐突にトランペット恋の揚雲雀 中野 佑海
朧月黒猫走る押小路 田中 怜子
老い鶯火炎放射器の唇 中村 セミ
クレソンの朝右耳が淋しい 大西 健司
振り返る歳月溢れ雪柳 小山やす子
うかうかと生きて今年も花は葉に 寺町志津子
千年桜の一片であれわが喜劇 田口  浩
地球さわがし牛蛙がおんがおん 伊藤  幸
辛夷咲く辛いのならば傍らに 鈴木 幸江
山桜に頬骨がある囀りがある 久保 智恵
父母はまだ海市の中に住み古りて 増田 暁子
映画館の向こうはすすきだったのか 竹本  仰
春の夜森と呼吸をともにせり 菅原 春み
春愁というももいろのネックレス 谷  孝江
春泥に目玉むきたる牛の息 増田 天志
世界史に太字その直中にゐる 野口思づゑ
人見ればウイルスと思う街の春 稲   暁
表情という春コートの裾の揺れ 河野 志保
うぐいすの遠く近くや友の葬 重松 敬子
義歯洗う夜滝を覗き込むように 野田 信章
唇の厚さ噛み締め春のマスク 高木 水志
春満月牛を磨いて父が笑む 松本 勇二
連翹の花にはじかれさうな昼 柴田 清子
花の世のコロナばかりに過ぎゆく日 藤田 乙女
結界の解けてしまふ春の月 亀山祐美子
鴇色(ときいろ)の春があふれて持て余す 佐藤 仁美
吃音の果て流れゆく花筏 佐孝 石画
朧夜の言葉ひとつづつください 小西 瞬夏
坊主刈の我れに武器なし白マスク 稲葉 千尋
無理解の刃が開く白いシャツ 桂  凜火
大いなる妻の腰付き春の鯉 吉田 和恵
桜見ず籠りて「花は咲く」歌う 滝澤 泰斗
寒霞渓瑠璃光浄土春落葉 島田 章平
景ぬくし白鳥の声林立す 十河 宣洋
すみれよすみれお先にどうぞ 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」静謐な時間の流れ。朧夜の言葉の美しさ。 大切な人の大切な言葉を思うとき、このひとつづつという思いが深く響いてくる。問題句「巣作りは仮縫のよう造型論(若森京子)」下五の「造形論」がよくわからない。唐突な感じがするのだがいかがなものか。「巣作りは仮縫いのよう」がいいだけに、その思いは強い。

小西 瞬夏

特選句「吃音の果て流れゆく花筏」途切れ途切れに出てきた言葉はなんだったのだろうか。言葉そのものよりも、その人との関係性を思う。緊張感のある関係性。そしてそのあと花筏が流れてゆく、というのは、その関係性に進展があったのか。終わっていくのか。どちらにしても、水の流れにしたがって、なるようになっていくのに身を任せているのだろう。

増田 天志

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」言葉の内容、情況が、脳裏に浮かばない。ただ、相手の言葉を、とても、大切に想っていることは、分かる。朧夜だから、漠然とした理解でも、許されるのだろう

榎本 祐子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」映画という虚構の世界を通して何かを提示する場所。「その向こうはすすき」だと言う。すすきの形態に現実の頼りなさが投影され、虚構の中にある真実と、現実のあやふやさが見えて面白い。

豊原 清明

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」 庶民に愛される最後の芸人の志村けんの追悼句として、いま、最も新しく共鳴しやすい。問題句「コロナの禍もしやと思ふ春の風邪」 風邪を引くと危ないと感じる。いま風邪なので、痛く身に来る句。

藤川 宏樹

句会では三〇分、頭をフル回転の袋回しが楽しみですが、二ヶ月続く中止で私の俳句脳は鈍ってしまいました。いつコロナが終息し、皆さんと袋回しを楽しめるでしょうか?特選は「柳絮飛ぶ西太后の鼻の先(寺町志津子)」。希代の悪女西太后ですが、今ならどんなマスク姿を目にできたでしょう。「西太后」を習さんや小池さんら現代の権力者に置き換え、リアルイメージで楽しめました。

稲葉 千尋

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんの死はショックでした。そして、そして、面会もできない、死体にも会えない、こんな恐しいことを知った今、季語の「春の雪」ですくわれる。

田中 怜子

特選句「夕映えを雨滴に宿し葱坊主」ネギ坊主の初々しい若草色の芽一つ一つに雨粒が夕映えを映しこんでいる映像が浮かびます。一日が終わろうとしている穏やかな情景。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」おめでとうございます。81歳の自分を褒めているような、二上山という歴史ある山に冬日が照る姿を我が身においておおらかに歌いあげている。万葉集の歌のようです。  

高木 水志

特選句「春ひとり月に遊ぶの得意です」春の月のイメージを生かして、話すような柔らかさを感じる。春の月の光を自分と重ねたことで深い意味が生まれる。

中野 佑海

特選句「千年桜の一片であれわが喜劇」壮大な千年桜。花びらの一片の様なわが人生。しかし、喜劇としてでも良い。誰かの記憶に留めて貰える様な関わりがあれば。生きてきた意味を感じる事が出来る。特選句「結界の解けてしまふ春の月」春は月。朧の掛かる辺り一面、昼とは全く違う世界が表出。金縛りに掛かったように、経済活動一辺倒のこの世の中。魔法を掛けたのは誰か知らないけど、緩い月の光が魔法を解いて行くようだ。並選:「春眠の息ひとひらひとひら翼」安らかな寝息が吸ったり吐いたりする度に翼となって夜の静寂を形づくる。「瀬戸内のばりっと見栄はる桜鯛(増田暁子)」見事に焼かれた桜鯛!ああ、お腹が鳴る。「見栄張る」がこの鯛の存在意義を示しちょっと哀しい。美味しい内にさあ食べよ!「草で編むふらここ子らの命かな(重松敬子)」草で出来たブランコ。ちょっと危うい。まるでここにいる子供達の未来まで象徴するような。「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ」土筆の先の穂に入っているのは未来を予言する言葉。さあ、今は夜明け前。明るい未来を運んでおくれ!「桜さくら一人痴呆が立ち尽くす」これは桜フェチの私です。桜は逃しません。ただ「痴呆」ではなく「阿呆」にして欲しいけど、それだと絵にならないか?「老い鶯火炎放射器の唇」はい。深く反省しております。つい口が言わなくても良いことをクドクドと。また、一人落ち込ませてしまいました。「春の夜森と呼吸をともにせり」春になると、夜も何故か森が恐く無くなるって本当?「表情という春コートの裾の揺れ」春になると説の一つ。コートの裾が歌い出す。 以上です。 ☆コロナウィルス禍がひしひしと迫って来ているのでしょうか?何処も安全な場所は無いようです。うらうらと人のいない時間に人のいない場所を散歩出来るのは有難いです。外出禁止令がでたらは考えません。

若森 京子

特選句「草で編むふらここ子らの命かな」:「草で編むふらここ」の措辞に、メルヘン的な情感があるが、下句で危機迫る一句となる。子供達の命の尊厳の句である。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」盤寿の由来も面白いが、八十一歳の祝いである。句の景も大きく美しく作者の来し方を思う品格のある一句となった。

月野ぽぽな

特選句「春愁というももいろのネックレス」ローズクォーツのネックレスが思い浮かんだ。やわらかい色とひんやりとした感覚。春の憂いには、その中に没入してしまうような深刻さではなく、それをいくらか傍観しその翳りを自ら愛おしむようなどこか甘く気だるいナルシシズムがありそう。掲句はそれを上手く形象化している。

島田 章平

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」手のひらは心の花びら。閉じても開いてそれは私の心。開けば蝶、閉じれば桜貝。世界で一つだけの花・・。

三枝みずほ

特選句「唇の厚さ噛み締め春のマスク」言葉に出来ない、感情を押し殺す、不安等が唇を噛み締めるときの心情だろうか。不安定な精神状況下において、唇の厚さを実感する。唇の厚みは生存しているということのほのかな光のように思えた。皆さま、どうぞお身体ご自愛下さい。

鈴木 幸江

特選句評「『もう』『もう』と牛さん返事に花曇」「“もう、たくさん”“もう、たくさん”人間ばかり物を欲しがって、世界は、物で溢れ、地球を壊している」と狭い牛舎で牛さん    たちが絶唱している姿が浮かびます。それに応えるのは花曇の空のみ。この虚しさは本当に現実ですね。「すぐ白むわたしはそめいよしのです」“そめいよしの”のひらがな書きに思わず、染井吉野という和服姿の女性の姿が現れた。この不可解がとても快感で。よろしかった。“白む”には、くじけるとか、衰え弱まるという意味もある。実景(桜の木)が人の姿に化身し、わたしも、そうなのよ。あなたも、そうなの・・・。なんて共鳴させていただき、生き物と共存する喜びも味わった。問題句評「はさみはなす手はいちまいの花びら」手仕事に疲れたのか、鋏を思わず放したのだろう。鋏から解放された手は花びらとなった。美しい手の方なのだろう。本当に素敵な句だ。でも、何故か“花びら”が甘い。実感なのだろうが、その甘さが私を不安にさせたので、勝手に問題句にさせていただいた。入選句にはならなかったが、チェックした句「春眠の息ひとひらひとひら翼」「人を避けウイルスを避け灌仏会」「ウイルスも人間も只生きて春宵」「映画館の向こうはすすきだったのか」「世界史に太字その直中にゐる」「水瓶叩く悠久の睡蓮(中村セミ)」「無理解の刃が開く白いシャツ」「大いなる妻の腰付き春の鯉」 以上。

松本 勇二

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」夜の滝を覗き込むように、恐るおそる義歯を洗っている様子が哀感を纏いながら見えてくる。ウイルスにお気を付けて。

小山やす子

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」この心理よく理解出来ます。夜滝を覗くがよく効いていると思います。

夏谷 胡桃

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」。能面の裏は暗闇です。神楽で面をつけて踊ったことがあります。1点の明かりしか見えない暗闇に放り出されて、とても怖い思いをします。相手の動きもよく見えないし、自分の手足も見えない。暗闇の中で踊るには相当の練習がないとできないとわかりました。だから、この句の「深夜」はわかる。「桜の木」はなにか。桜の木は神とわたしなのかもしれない。自分と神を一体にして信じて踊る。ぼわっと桜の木が浮かび上がってくるイメージができました。お見事な句です。問題句「春の霜大宇陀銘菓きみごろも(矢野千代子)」。これはお菓子屋のコピーではないか。美味しそうだな。「きみごろも」って? さっそくネットで調べました。無性に奈良に行って、このお菓子を食べたくなりました。宣伝成功です。

野澤 隆夫

コロナ禍の真っただ中、早く終結されんと願ってますが…。先の戦争中はこんな生活が数年続いたのですから…。考えると怖いことです。今月の投句はコロナ、パンデミックの句が相当数。22句数えました。特選句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」興味深い言い回しです。小生も緊急事態宣言前に公渕公園へ家族で花見に。コロナどこ吹く風と弁当を食べワンも一緒に散策。「いはんや悪人花見かな」の一幕でした。いまでかけると石が飛んでくるのでは。特選句「世界史に太字その直中にゐる」3月から4月と私たちは「世界史」の真っただ中に生活してるのでしょうか。世界史の文章記述でコロナ、パンデミック、マスクはゴシック体で必ず表記されるかと。「コロナウイルスまだまだあくの強い親父」この句も面白い句でした。「あくの強い」がきいてます。

谷  孝江

特選句『「もういいよお」枝垂れ桜がゆれている(田口 浩)』希望に溢れた春のはずが今年は大変な事になっております。香川句会の句の中にも、たくさんのコロナウイルスの句が見られ、心が痛みます。怖くて切ない春なのですね。家の玄関先とリビングから見えるすぐ近くに枝垂れ桜が今、満開です。少しの風にでも揺れていて、例年でしたら優しくて、美しくてと眺めるのですけれど、今年の桜は「いや、いや」をしている様にも見えて淋しい花見になっています。外出禁止令が息子より出ていますので、本を読んだり、マスク作りをしたりの日々です。きっと明るく、元気で過ごせる日を信じていたいと前向きにいつも考えています。

野田 信章

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」は、先ず、コロナウイルス禍の二十五句中の一つとして読んだ。「坊主刈」とは、出家在家を問わずそれなりの決意を込めた表明の一つであろう。その我に「武器なし」とは、これまた信条の確かな言葉の響きがある。時節柄、コロナ禍を前にして、そのような我の生き様に自嘲を含みつつ、諧謔性のある一句かと読まされた。翻って 、この句は、この時節に限定せずとも、一般性をもって読めるところに強みがあるかとも思う。

佐孝 石画

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」山桜はひっそりと咲く。そして遠くに咲く。そこには漂泊感をともなった強さがある。遠くにひとり咲く山桜に視線をズームアップしていくと、こちらの日常と遠くの山桜との間に時空の歪みのようなものを感じてくる。山の一部にひそやかに笑う山桜の仄白い容貌。そこに縄文時代以前のにんげん達の貌がゆっくりと重なってくる。頬骨の張った、強くやわらかな古代人の豊かな貌とそのオーラ。そのような幻想に憑かれて呆然としていると、どこからか鳥の囀りが聞こえてくる。古代への幻想とこちらの日常を繋ぐこの囀りは、また我々が今までもこれからも「にんげん」を継続していくのだという天啓めいた思念を置き去って行ったのだ。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」:「夜滝を覗き込むように」という措辞に痺れてしまった。圧倒的俯瞰。覗き込むという行為は視覚に頼る動作ではあるのだが、光のない夜にはその視覚は無効化し、かえって聴覚ばかりを増幅させることになる。闇の中、消失点も見えない奔流する水の行方。暴力的な水流の束は、轟音の中で幻視化し、捩れ悶えながら闇の中で投身を続ける。「義歯」という不思議な体の一部。いつものように口中から外した義歯を洗おうと、洗面台にコツンと置き、ちょっとした違和感を引きずりながら、蛇口をひねり、体の一部(であったはず)の義歯を水流にあてる。作者は自分で自分の体の一部を外し洗うというこの行為の中で、「わたし」という闇をふと実感したのだろう。

桂  凜火

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」義歯を洗うことを滝を覗き込むようにという比喩は離れているが昼間の自分を仕舞うことからの飛躍としてとても面白いと思いました。この比喩で句の世界のぐっと視界が開けます。芥川の羅生門の下人が覗き込む闇をふと思い出しましたがそれとは違う明るさや活力が感じられる。ここからなにか始まると感じられます。そこに心惹かれました。

河田 清峰

特選句「旗振山花花粉流るを見ていたり」かって旗を振って伝達していた山、そこから流れる杉花粉のおぞましさとの取り合わせが見ていたりでよくわかる。もうひとつの特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」八十一歳おめでとうと言いたい句。

河野 志保

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」強引な解釈かもしれないが、非常に感覚的な句として捉えた。花の白さと頬骨の透明感、花の揺れる様と囀りの軽やかさ、それぞれが通じ合うような新しい視点を感じた。または山桜を見ている誰かの姿や声を句にしたのかもしれない。

伊藤  幸

特選句「大いなる妻の腰付き春の鯉」鯉は逞しく長寿と聞く。長年連れ添った我妻をその鯉に喩え、大いなる腰付きとユーモアたっぷり称えた措辞に深い愛が感じられる。

田中アパート

特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳がよろしい。「左耳」でなく。

柴田 清子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」:「映画館の向こう」を、私なりに、『スクリーンの裏』と解釈しての「すすきだったのか」に、異作を感じました。最後の『のか』が、特選にする大きな要因でもある。特選句「春の夜森と呼吸をともにせり」この句にある世界には、人間はもう戻れないところに来ている。内容が特選です。特選句「表情という春のコートの裾の揺れ」表情というこの言葉の使い方が、実にうまいなぁと・・・・。感心して特選にとらせてもらいました。

中村 セミ

特選句「図書館に雲の遺書あり 潦(にわたずみ)(佐孝石画)」 まづ、遺書を考えてみると、家の主人が死んで、遺書があれば財産分与が書かれているとか、俺の骨は粉にして海に撒け等書かれていると思う。では雲の財産って何だろう。それは空気中、もしくは水が溜っている池とか湖とか川も海も含めての水の流れ、つまり水の一生。水は水蒸気となり空に昇り雲となる、雲は気温によっては、あらゆる気象となり、雨・雪・雹 等々となり、地上に降りてくる。雲の財産は大自然の水の流の一部というより再生させる命のようなものだろう。なので、水の一生と考える。では、潦(にわたずみ)は、雨が降って地上にたまったり流れたりする水とあるので、分与の一部となる。この句は壮大な自然を詠んでいる上に、それが図書館にあるとまるでサスペンス映画の謎解きの様にあるところがいいし、僕はこういった句が面白いし好きだ。当然、図書館にあるのは、ヒッチコックの北北東に針路を取れ(台風の歴史)である。

石井 はな

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんさんの口調が思い出されました。春の雪の季語も、あっという間に逝ってしまったけんさんの様です。特選句「世界史に太字その直中にゐる」今のこの毎日が何年か後の歴史の教科書等では、太字で書かれる様なエポックな出来事になっているのを想像するのは、何だか空恐ろしいです。

竹本  仰

特選句「膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉」四月となれば、どこの職場にも学校にも、春男さん、春子さんという人がいます。スタートダッシュの勢いの良さで、そしてそれだけで終わる四月と心中する方たちのことです。それに引き続く五月病のセットの方も。これはそれを我が身に置いて考えられる方の句でしょう。この視線に何か小さくて大きい人間愛のようなものを感じました。特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳が淋しいのはなぜか?そういう入口を用意してくれた句で、その入り口に楽しませてもらいました。そして、小生なりに、それは人がいないからだ、又はほんとうのことばが無いからだと、勝手にとりました。何かを求めている朝なんだろうと。昔、如月小春さんの舞台で『おいしい水』だったか、そんな名の舞台があり、色んな悩みがありながら、朝、洗面器に顔を洗い続けて止まないという不思議なラストシーンでした。それにつづいたシーンのように見てしまいました。特選句「吃音の果て流れゆく花筏」何かほろりと来るような切なさのある句でした。ぶつかってぶつかって、色んなぶつかりの人生、ああ、それでもあの花筏なのか私。というように。かなり昔の戦前の映画で『残菊物語』というスーパーセンチメンタルな映画があり、一人の役者を育てるために身をぼろぼろにして死んでいく日蔭の女のお話でした。最後は一流の歌舞伎役者として屋形船でお披露目をしている男の晴れ姿の傍ら、身を隠し結核で死に臨みながら微笑する女。と、妙にセンチメンタルな心象をくすぐる句でした。特選句「坊主刈りの我れに武器なし白マスク」少し前は香港から、そして近くは新型コロナ禍まで、武器無しにマスクという光景を見ましたが、ああいつもそうなんだ我々は、と思わせる句でした。どう頑張って声高に繁栄を叫んでも、そういう脆い繁栄のすぐ裏に立ちつくすのは、このナマな人々なんですね。白マスクひとつが支え、いま、そういう原点を見つめる機会が訪れているのか。「汝自身を知れ」、デルフォイの神殿でご宣託を受けたかのギリシャの賢人の前に、またしても戻るほかないのか、と、思う次第です。  ☆また、句座が延ばされ、香川の方々、さびしい春でしょうね。こうやって毎回通信で句会に参加している小生にしても、その核心の炎みたいなものが少し小さくなるのは心傷むことです。ほんの時々にしか出られない小生ですが、再会の日を心待ちにしています。再見!

吉田 和恵

特選句「亡父の歩きしている春様サイレント(竹本 仰)」麗しい父と子(娘?)との関係がしっとりと偲ばれます。

松本美智子

特選句「うぐいすの遠く近くや友の葬」景色が思い浮かぶ句です。寂しさもあるが、うぐいすののどかな鳴き声に少しの希望をみいだす。友との思い出も色鮮やかによみがえってきそうです。☆感染対策でいろいろと大変な折り、お世話ありがとうございます。……近々、笑い声が響くような句会が開かれますことを祈っています。

矢野千代子

特選句「朧月黒猫走る押小路」本来地名が好きですが、<押小路>は、みごとな斡旋です。地名が際立って(私には)文句ナシの特選句。 ☆参加者がふえて大変でしょうが、よろしくお願い申します。ありがとうございます。

田口  浩

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」樹齢千年と言われる桜なら幾つか知っている。が「頬骨がある」この山桜は、そういう類いのものではあるまい。「囀りがある」と重ねられて、徳島の藤井寺かえあ焼山寺に向う途中に出会った、山桜がそれに近いと思った。山風に吹かれて、深い谷に散りこむ花弁が、地形の関係か、途中から又舞い上がって、向こうの山に渡るのである。この山桜には、揚句のような風情があったように思う。―実から発して虚にいたるーつまり、山桜から頬骨にいたって、囀りの世界に遊ぶ。この作品の持つ発想の力は見事であろう。「映画館の向こうはすすきだったのか」「前方を古墳とするや鸚鵡貝(伏兎)」「吃音の果て流れゆく花筏」「朧夜の言葉ひとつづつください」この四句、どれも、私の琴線にふれる。特に、「映画館」の句は中学時代の境遇が見えて懐かしい。

久保 智恵

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」時事を素直な句に。

伏   兎(三好つや子)

二十数年前、はじめて参加した句会の気持ちに戻りたく、そのときの俳号に改めました。よろしくお願いします。特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」寒からず暑からずという頃の快い眠りでの寝息が、咲きはじめの花のように、また鳥の翼のようにも感じられる表現が見事。特選句「都市封鎖蝶がいっぴき大通り」緊急事態宣言による街の不気味な静けさと、人の居ない通りをゆうゆうと過ぎる蝶との対比が面白い。入選句「草で編むふらここ子らの命かな」草遊びのほのぼのとした世界の向こうにある、ライフラインの滞りがちな環境で生きている子どもたちが目に浮かび、共感。入選句「春の夜森と呼吸をともにせり」蠱惑的な春の夜と、神秘的な春の森との一体感が、心をざわざわとさせ、惹かれた。

野口思づゑ

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」鋏を使った、ただそれだけなのにその手の動きに注意を向け句にするという感性に感心しました。

佐藤 仁美

特選句「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ(高木水志)」人がまだ来ない夜明けに、つくし達が目覚めて、おしゃべりを始めてる…。メルヘンを感じました。

十河 宣洋

特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」心地いい春の朝である。気持よく寝ている。熟睡しているというより、半睡状態。息を吐きながら蝶か鳥になったような気分。どこかへ飛んで行きたい気分である。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」丁寧に入れ歯を洗っている。何度も何度も汚れを落としている。少し屈んだ姿勢まで見えてくる。俳味を感じる。

寺町志津子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」。言わずもがなの世界中のコロナ禍。その惨状は、当然、世界史に深く刻まれ、時は流れゆくが、今、まさしくその惨状の中に生きている現実の実感を大きく捉えている作者に同感しました。コロナ禍の一日も早い終結を心底から祈りながら・・・。

増田 暁子

特選句「春愁というももいろのネックレス」中7下5の発想は初めです。首の周り、身体にまとわりつく春愁。今年の春の特別な春感覚ですね。特選句「鴇色の春があふれて持て余す」     鴇色の春を持て余しているこの現実にピッタリです。

滝澤 泰斗

特選句「唐突にトランペット恋の揚雲雀」二匹の揚げ雲雀が突然けたたましく上下に乱舞している映像が見えました。トランペットが良かった。これが、ピッコロのような楽器ではマンネリに堕して取れなかったと思うが・・・。問題句「霾るや元寇の世に徳政令(河田清峰)」問題句というほどの事もありませんが、今度のウィルス禍から一連の政府の動きまでかつての歴史に被せたとしたら、なかなかの出来ではないかと思えました。問題句「架空のそら架空のウイルス統計表(森本由美子)」上五の架空のそらが疑問。架空のウィルス統計表はその通り。懐疑の余地なしだが・・・ ☆コロナ禍で、お世話になった皆様の顔が、だんだん見えなくなってきた時に、ドイツ・メリケル首相の国民向け演説に触発されました。少しでも旅への憧れを持っていただければとの思いで、15年ぶりにブログを書き始めました。お読みいただければ幸いです。        

 https://plaza.rakuten.co.jp/euras1011/

菅原 春み

特選句「朧月黒猫走る押小路」映像のように景が見え、動きがあります。特選句「春満月牛を磨いて父が笑む」こんな時期だからこそ父の笑む姿にほっとします。牛を磨くというのも圧巻。

森本由美子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」まさにそのとおりの毎日。次の世代は?未来は?という問いかけが背後に感じられます。

新野 祐子

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」雪柳を眺めていると、何か言い知れぬ感情が湧き上がってきます。この句を読んで、それがこれまでの人生のこもごもが雪柳の花ひとつひとつとなって目の前に現れたからなのだと納得させられました。入選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」ユーモラスな観察眼ですね。「夜滝」に感心しました。入選句「つちふるや光射し込む莫高窟」:「つちふる」と「光射し込む」は相反する現象ですけれど、「莫高窟」により不思議な調和が生まれていると思いました。  

今日は、木の芽雨が降っています。暖冬だったけれど、このところの肌寒さで山の木々の芽吹きが遅れています。今月もよろしくお願いします。

小宮 豊和

「映画館の向こうはすすきだったのか」ちょっと不思議な感覚をもたらす句である。原因のひとつは季語「すすき」であろう。普通四月に八月頃の植物をもってくることはまず無い。次は映画館という夢のある場所が荒れたすすき原にあるという違和感である。しかし我々は句作に関して要素を頭の中で分解し組み立てなおしている。そんなことにこだわるより良い句にすることが肝要である。作者氏は良いお手本を提出してくれたと私は考える。

高橋 晴子

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」:「深夜の桜の木」で象徴される作者の内面、能面の裏という具体的な場所、時間の特定に、恐らく能を演じている最中だろう。華やかでいてしんとした内面に共感出来て景が見えてくるようだ。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」新型コロナウイルスでこの句が一番共鳴出来た。「がおんがおん」の擬音語が少しオーバーで冷静に今の騒ぎを感じている作者を思う。問題句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」の「いはんや悪人」の使い方は、中途半端。花見をした位で悪人よばわりは片腹痛い。親鸞の言葉を使うのなら、その元の意味をきちんととらえていなければ全く意味をなさなくなる。

亀山祐美子

特選句「連翹の花にはじかれさうな昼」連翹の花をコロナに見立てたとすれば(コロナとは限らない何かに)『昼=日常』が脅かされる不安感恐怖感を煽ることに成功している。コロナ禍の入口時の「はじかれさうな」思いを日々深刻化する今ならどう吟むのか興味深い一句だ。今回は時節柄武漢肺炎、コロナ禍の句が暗喩を含め三十句近くある。それぞれに工夫を凝らしてはいたが報告・感想に終わり一読恐怖に打ち震えたり、膝を叩く処までにはいかない。一週前の締切なので緊迫感の欠如はいかんともし難い。時事俳句の難しい所以であろう、だから私は滅多に手を出さない。支離滅裂な駄文お許し下さい。一日も早い終息を祈るばかりです。皆様ご慈愛くださいませ。

男波 弘志

「悪いけど犬を頼むよ春の雪」肉声、日常、犬が座っている。これだけで詩になっている。「男が生まれ女が産まれて春が来る」人は夜寝るとき死に、朝起きるとき生まれる。「心配になったり陽炎になったり(月野ぽぽな)」現代詩の方向性が観える。昨日の我に飽きる。そこに今が在る。

藤田 乙女

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」自分の来し方への様々な思い出と溢れる想い、そして溢れるように咲き乱れる雪柳の姿とがあいまって哀感を伴いながらしみじみとした想いを感じさせられる句です。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」人間の脆弱さや愚かさ、利己主義などコロナによってあらわにされてきたものを牛蛙の視点で見ている発想と「 牛蛙がおんがおん」がコロナ拡大の大変不安な状況下で一息つかせてくれるようなユーモアも感じさせ、とても惹かれました。

漆原 義典

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」を特選とします。コロナで亡くなった志村けんの心を、下五の春の雪が物語っています。新型コロナの早期の収束を願っています。よろしくお願いします!

高橋美弥子

特選句「春の夢とろりと明日へ明け渡す(谷 孝江)」:「あ」の韻が、春の明るさを押し出す。 コロナコロナで鬱屈した心と身体に、ほんわかした風が吹きました。全体を通して、明るい句に惹かれました。問題句「無理解の刃が開く白いシャツ」:「無理解の刃」は比喩なのだと思うのですが、白いシャツとの関係性がいまひとつわかりませんでした。 

重松 敬子

特選句「春愁というももいろのネックレス」春愁のもつ艶やかさを、ずばり表現した秀句。女性の憂い顔が浮かびます。ももいろのネックレスがいい感じです。

荒井まり子

特選句『桜見ず籠りて「花は咲く」歌う』日本中が外出自粛、戦後の世代は初めての経験。東日本大震災と今回のコロナ、人の世は儚い。素直に共感。問題句「春愁というももいろのネックレス」優しい、綺麗と思ったが、意外と作者の意図は怖いかも。「地球さわがし牛蛙がおんがおん」籠りの毎日、つけっぱなしのテレビ 実感。「パーカーのフードを充つる春思かな」日常の暮しの中にふと過る思い。「パンデミックおろおろおろか戒厳令」日本中の緊急事態宣言いつまで。「山桜に頬骨がある囀りがある」頬骨を感じた事はなかった。面白い。「霾るや元寇の世に徳政令」徳政令は給付金?武漢発だものね。「春満月牛を磨いて父が笑む」日本中が浮足立っている今、ホッとする。

銀   次

今月の誤読●「亡父の歩きしている春雨サイレント」。夢の話である。わたしは映画館にいる。わたし以外は誰も居ない。それを不思議だとは思わないのはやっぱり夢だからだ。上映されている映画はずいぶん古いもので、フィルムも傷だらけだ。むかしはその傷を「銀幕の雨」だなんて呼んで、それも風情のうちに数えたものだ。観てると画面の右手から羽織袴にステッキをついた男が歩いて登場した。「あっ」と思った。それはわたしの父さんだったからだ。父さんは悠々と歩いている。カメラがそれを追いかける。父さんが中央に達したとき、やおらわたしを指さして、クイックイッと手招きした。わたしは吸い込まれるように画面のなかにいた。父さんはわたしをじっと見て、うんうんとうなずいた。わたしには話したいことがいっぱいあって、あれこれ話そうとするのだが、声が届かない。「あっ、そうか」と思った、これはサイレント映画なのだ。だがそれゆえにこそ、父さんと歩いている実感と親しみが湧くのだ。こうしてわたしは父さんと歩くことになった。するとだんだん父さんが大きくなっていくのだ。いや待てよ。これは父さんが大きくなっているのではなく、わたしが小さくなっているのだ。服装も背広からセーター、シャツに変わってる。そして最後には半ズボンのライドセルを背負った小学生のわたしになった。父さんはかがんで、わたしに一言話しかけた。父さん、なにいってるのかわからないよ! 父さんはわたしを立たせて、トンと背中をおした。わたしはスクリーンの左手にたたらを踏んで画面から消えた。……わたしは映画館にいる。……だがそれは夢だ。……もう少しその夢のなかをたゆたっていよう。銀幕の雨を見つめて。  

稲   暁

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」心静かに、豊かにあるべじ朧月夜。会話も一語一語しっかりと交したいという思いに共感する。問題句「人を避けウィルスを避け灌仏会(松本勇二)」人と人を遠ざけてしまう新型ウィルス。厳しい時が続いている。

野﨑 憲子

野﨑 憲子◆特選句「近づく日フォルモ蝶と渡りたし」モルフォ蝶と同種の大きな青い羽根を持つ美しい蝶とおもう。ふっと折笠美秋の「ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう」が浮かんだ。きっとフォルモ蝶が迎えに来ると感じてしまう一句である。特選句「ウイルスも人間も只生きて春宵」命を落とすかも知れない新型コロナウイルスは危険な存在であるが、細菌も、人も、大いなるいのちの中に生かされているものであることには変わりないのだ。新型ウイルスの出現は、争いの絶えない人間社会への「人類よ目覚めよ!」という、大宇宙からの警鐘のように思えてならない。問題句「男が産まれ女も産まれて春が来る」輪廻転生を想起させる作品である。現世では、どんな物語になるか、新しいドラマに「春が来る」。「男が産まれ女も産まれて」の表記が強烈で、限りなく特選に近い問題句としていただいた。今回も佳句満載でした。皆様、大きな刺激を感謝です!

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

『沢木耕太郎セッションズ<訊いて聞く>Ⅱ  青春の言葉たち』3月10日発売。岩波書店刊 に、本句会の仲間である銀次さんこと上村良介さんと、沢木耕太郎さんの対談が収録されています。ミュージカル劇団『銀河鉄道』の主宰として四十年の長きにわたり劇団を牽引してきた銀次さんの青春を垣間見られる魅力あふれる一冊です。他に、武田鉄矢さん、立松和平さん、吉永小百合さん、尾崎豊さん。周防正行さん、大沢たかおさん等との対談も同時掲載されています。皆様も是非ご覧下さい。

「句会の窓」で紹介された滝澤泰斗さんのブログにメリケル独首相のメッセージの抜粋があり興味深いので以下に引用させていただきます。 ・・・何百万人という方々が出勤できず、子供たちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして、何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう・・・・中略・・・  私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、Eメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしいれ例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。

非常事態宣言が全国的に発令され、今回のサンポートホール高松での句会も、やむなくお休みさせていただきました。残念です。今後、新型コロナウイルスの感染者がどのくらいになるか予測が付きませんが、終息は必ずまいります。それまで、皆様、くれぐれもお気を付けてお凌ぎください。お元気を!!

そして、こういう時だからこそ詠まずにはいられない作品が必ずあると強く感じます。次回のご参加を楽しみにいたしております。

2020年3月27日 (金)

第104回「海程香川」句会(2020.03.14)

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事前投句参加者の一句

   
人間(じんかん)の正体暴く春コロナ 藤田 乙女
草青むかすかな罠であるように 男波 弘志
老いたる愚遊ばす冬の噴井かな 野田 信章
踏青す祈りのように歩を数え 榎本 祐子
たんぽぽのしとねに午睡寝過ごした 小宮 豊和
ふわふわと鳥には翼死を悼む 桂  凜火
草の芽や上手に嘘をつく装置 河田 清峰
目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス 高木 水志
沖見尽くして二月のきれいな顔 三枝みずほ
暖かや欠伸大きな魚売女 亀山祐美子
出番来て地球ひと蹴り初蛙 漆原 義典
春寒き悪霊船を見に行かむ 稲   暁
<東日本大震災を思って>もう9年椿の花が咲きだした 田中 怜子
水面打つトライアングル粒の春 藤川 宏樹
煮凝りの闇熱飯を輝かす 稲葉 千尋
ふんぎゃああ あれがタマなの猫の恋 島田 章平
ためいきのパプリカ春の星ひずむ 大西 健司
黒猫へ戻つてゆきし春の闇 小西 瞬夏
木の芽時我見えなくなる夜 豊原 清明
君とテニス一・四(いちよん)で春は飛んで来る 中野 佑海
万両の実くしゃみぽとんと乙訓(おとくに)へ 矢野千代子
いちめんのなのはなばたけなり命 田口  浩
午後雨にギターとれもろ春の夢 田中アパート
雨垂れは空の恋文桜餅 石井 はな
朦朧の民へそろそろ春の雷 松本 勇二
龍になること怠るなつくしんぼ 増田 天志
ふらここを揺らしまだある反抗期 谷  孝江
少女に出来立ての耳初蝶にマリンバ 伊藤  幸
感情に分度器あてる紫木蓮 三好つや子
二歳とは言葉あふれて雛祭 寺町志津子
中年や嗚咽のように白梅 佐孝 石画
足首を波が擽る修司の忌 重松 敬子
土佐文旦ごろり今生ぶらりふらり 十河 宣洋
猫好きの同志残して2月逝く 夏谷 胡桃
旅も良し日常も良し春うらら 野口思づゑ
思い出が思い出せないつくしんぼ 竹本  仰
抽斗にはしたの切手黄水仙 菅原 春み
蕗の薹夫の背丸く針仕事 鈴木 幸江
三角の角(スミ)に棲みつく距離遥か 中村 セミ
蝶生まる話に口を挟む時 柴田 清子
弥生朔日話上手の唇薄き 荒井まり子
瞼腫れお玉杓子になりました 高橋 晴子
降りしきるコード進行春の星 佐藤 仁美
風邪ひいているしゃぼん玉あるかしら 月野ぽぽな
うつらうつら春はあけぼのうつら鬱 滝澤 泰斗
鋤鍬鎌自然体あり農具市 森本由美子
目に見えぬものに怯えて椿落つ 松本美智子
手相見の運命論聞くあとは雪 増田 暁子
立ち食いのまあるい空間春の臓(わた) 久保 智恵
落ち椿昨日無くした影法師 小山やす子
塾再開大試験まであと三日 野澤 隆夫
白鳥の引きし水際のなまなまし 若森 京子
猫柳校長せんせの燕尾服 吉田 和恵
疫病列島孵化したばかりの朧月 銀   次
春ショールきっとアルトでおおらかで 新野 祐子
ちちははのひかりはそこに名草の芽 高橋美弥子
夜の奥見つめていよう沈丁花 河野 志保
弥生のカイト日輪の貌充満す 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「少女に出来立ての耳初蝶にマリンバ」やわらかな感性が感じられる。出来立ての耳は、ふっと我に還ったとき、周りの音を拾った時の感じ。初蝶にマリンバも新鮮である。特選句「風邪ひいているしゃぼん玉あるかしら」しゃぼん玉あるかしらのとぼけた味がいい。これくらい余裕があると、風邪の治りも速い。

海程香川に入会させていただきました。北と南と距離は遠いですが、香川は十河家の祖の地です。昨年の海原の大会の折、帰りに十河城の址を訪ねて来れたのがいい思い出になりました。今後ともよろしくお願いします。

小西 瞬夏

特選句「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」:「目を瞑る」ことで、意識を内側にむけると、人間の原初の感覚である「内臓感覚」がクリアになってくるのかもしれない。その内臓とヒヤシンスの取り合わせに劇的な反応が起こっている。内臓感覚からは程遠いように思える片仮名表記のヒヤシンス。だからこそ、人体の生々しさのようなものが際立ってくる。

藤川 宏樹

特選句「養花天四角四面の過疎の町(田中怜子)」香川県三豊市の花絶景の名所、紫雲出山は四角四面の入山禁止措置で、見てもらえぬ残念な桜になりました。「四角四面の過疎の町」に夕張が思い浮かびました。北海道の養花天はまだまだ先ですが、それまでに前夕張市長若き道知事の手綱捌きでコロナが治まり、大勢に見守られた花盛りになるよう願います。

榎本 祐子

特選句「百一回突入ただの揚雲雀(田口 浩)」百回でなく、百一回がいいですね。意味のない繰り返しなのか、がむしゃらに頑張っているのか、可笑しいような、悲しいような・・・

増田 天志

特選句「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」水栽培を連想する。因果関係を考えると、この句の罠にどんどん陥る。

小山やす子

特選句「疫病列島孵化したばかりの朧月」世界中を巻き込んだウイルス騒動。混沌とした現状を孵化したばかりの朧月とは上手い表現だなと感動致しました。

若森 京子

特選句「老いたる愚遊ばす冬の噴井かな」冬枯れの中の噴井に心遊ばす老いの心境が上手に書かれている愚の骨頂と知りながら。老いの侘しさをしみじみと。特選句「万両の実くしゃみぽとんと乙訓(おとくに)へ」万両の赤い実がくしゃみをして、京都府南部の乙訓に落ちた。童話の様なこの一句に作者自身のくしゃみとして、乙訓の固有名詞がよく効いている。

佐孝 石画

特選句「少女に出来立ての耳初蝶にマリンバ」難解な句だ。「少女に出来立ての耳」はまだ分かる。しかし「初蝶」にマリンバとは何だ。「マリンバ」の木管楽器特有の、硬質ではじけるような音感と楽器そのものの素材感。ふわりと空を漂う生まれたての蝶の内部に、この硬質な生命の響きを重ねたのだろう。少女の耳も出来立てのようにコリッと硬質で、あたかも窯出し直後のピリピリとした白磁気のような脆さを伴う。生のみずみずしさと、硬質で脆弱な未来への予感を映像化した実験的俳句である。特選句「沖見尽くして二月のきれいな顔」沖を見ているのは誰なのだろう。「見尽くす」という執念めいたものと、その果ての諦観。見尽くした後に残る「きれいな顔」とは日常の果ての遠い理想郷を見つめるせつない自画像とも見える。僕が住む福井の越前海岸には、二月ごろ岬いちめんに水仙が咲き乱れる。水仙たちは暗く厳しい冬の日本海を見つめ続けた末、堰を切ったように花を咲かせる。この句を読んで、その水仙畑のイメージを思い浮かべた。

田中 怜子

特選句「奪われし三月学び舎の静けさよ(松本美智子)」東日本大震災で閖上地区に行った時、誰もいない校舎の静けさを思い出します。特選句「二歳とは言葉あふれて雛祭」二歳とは、ぴちゃびちゃとわかったようなわからないようなさえずりをしている幼児の可愛さが表現されてます。

中村 セミ

特選句「人間(じんかん)の正体暴く春コロナ」時節柄とは云わないが、コロナウィルスの事を描写したこの句がいいと思った。情報の多すぎる現代では、もしかして、コロナより人間の暗部がさらけ出される事の方が、ずうっと恐いと詠んでいる様に思える。コロナに感染されれば静かに治療を受けて再び生活に戻りたいだけである。そこにデマ、罵詈雑言、ありとあらゆる嘘が入ると、もういても立ってもいられなくなる。その基が人間の正体と云う。そうではない部分の方が、ずっと多いと思うが、社会ではそちらがまるで優先されるところがある。人間の正体は除夜の鐘ほどあるのだろう。

佐藤 仁美

特選句「黒猫へ戻って行きし春の闇」不思議な光景が頭に浮かび、江戸川乱歩の世界を感じました。惹かれました。

野田 信章

特選句「草青むかすかな罠であるように」:「草青む」に「罠」とはーかなしき現代の句作りではある。私もこのように現(うつつ)に目を見開いて誤魔化さずに句作をすすめたいと思うのみである。特選句「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」:「風信子」の名を諾わせる句柄。その香を取り込んで「撓む内臓」と肉体化した発想の若さを想う。

月野ぽぽな

特選句「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」マインドフルネス瞑想が世界的に有名になってから久しい。元は釈迦が説いた涅槃への道、八正道にある。彼の智慧は2500年もの時間を超えて生き続け、その恩恵を現代人も受けている。目を瞑り頭の中の饒舌を沈めると、体はリラックスし心身ともにクリアになり本来の自分に近づいてゆく。ヒヤシンスのありようが清々しい。

稲葉 千尋

特選句「黒文字の黄の人反核貫きし(野田信章)」理屈はいらない。黒文字の黄の華と反核を貫く人の取り合わせ。特選句「造船の鉄の匂いやつばめ来る(男波弘志)」?鉄の匂いや〟が好き、春の匂いも。問題句「鋤鍬鎌自然体あり農具市」?自然体あり〟の「あり」が気になる。「なり」ではいけないのか!

鈴木 幸江

選句評「誰からも離れた顔よ春隣(河野志保)」平明で、かつ深いこんな作品を大切にしたい。その時代、その社会の中で味わい(解釈)が変化する、その柔軟性が古典となる要素ではないかと考えている。現代社会の中では人間関係から逃れては生きていけないことは分かっていても自分を喪失しつつ再生しながらの生は疲れる。疲れたのだろう。人から離れ己になった人の顔が浮かぶ。そして、春は隣にいてくれる。春と存在者の関係になった人の姿と解釈したら救われた。問題句評「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」ヒヤシンスの香りが漂う空間での出来事だろうか。この身体の反応に、訳の分からぬ不安と怖れを感じる。ただ、私には未だ経験したことのない感応であり、かつ、そこに惹かれ、自分の解釈に自信がなく問題句とさせていただいた。私には、作品の中に何か老いの真実が隠されているようで、よく感受できなかったことが残念な芸術作品を見た気分でいる。「三角の角(スミ)に棲みつく距離遥か」哲学的、数学的に難解句である。不条理の存在を提言している作品と受け取めれば分からぬことはないが。三角形の角は、一点である。距離は二点か、一点と平面の間に存在するのであるから、一点に遥かな距離があるというのは、まるで、道元の一瞬に永遠があるという思想を思わずにはいられない。それで、いいのだろうか?三角形をわざわざ登場させた意図は、非ユークリッド幾何学の世界も射程に入っているのだろうか?分からないけど異次元感が楽しかった。以上。

2句になり、作品が充実した感があります。入選作品には、入りませんでしたが。他にも惹かれる句が沢山ありました。「踏青す祈りのように歩を数え」「たんぽぽのしとねに午睡寝過ごした」「三人寄れば三人に春の色(柴田清子)」「ふわふわと鳥には翼死を悼む」「弥生朔日話上手の唇薄き」「ピラカンサスの実なりわが棲家(矢野千代子)」「風邪ひいているしゃぼん玉あるかしら」「手相見の運命論聞くあとは雪(増田暁子)」「立ち食いのまあるい空間春の臓(わた)」「落ち椿昨日無くした影法師」「雲雀東風笑いの種を売る男」

矢野千代子

特選句「うつらうつら春はあけぼのうつら鬱」ことばあそびでしょうが、やっぱりたのしいです。作者と共にあそんでみました。

重松 敬子

特選句「春ショールきっとアルトでおおらかで」春が来て、街には色があふれています。重いコートを脱ぎ、お気に入りのショールで闊歩している様が浮かびます。おおらかに人生を楽しんでいる笑い声も聞こえてきます。

高木 水志

特選句「草の芽や上手に嘘をつく装置」なるほどなあと思った。社会を生きていく中でついてもいい嘘があると、この句を読んで思った。草の芽の生命力をより響かせている。俳句ならではの世界観である。問題句「やれ狂え3・11げに遊べ(田中アパート)」どう捉えればいいのか悩んだ。 

柴田 清子

特選句「沖見尽くして二月のきれいな顔」二月の海と作者が一体になった時かと思う。海に近い所に住んでいる私には胸に響いた句です。

漆原 義典

特選句「暖かや欠伸の大きな魚売女」欠伸大きな魚売女が高松の春の訪れをうまく表わしています。昭和の高松が懐かしいです。

豊原 清明

特選句「人間(じんかん)の正体暴く春コロナ」選句稿から一句が飛び込んできた。今後、コロナの句が増えると思う。一句、よしと思い。問題句 「もう9年椿の花が咲きだした」椿の花が咲きだした。今年の東日本大震災忌、コロナの騒ぎに霞んでいたが、やはり、3・11以後、世の中の流れが変わったと思え、この一句、心に留まる。

吉田 和恵

特選句「足首を波が擽る修司の忌」旅立ちを促されているような、そんな気持ちが伝わってくる。問題句「人妻の黒髪匂う恋地獄(稲 暁)」官能を否定するわけではないが、人妻・黒髪・恋地獄。三文判をおしたような語句と思った。

亀山祐美子

特選句「春の陽を抱きつ眠ってゐるピアノ(高橋美弥子)」「抽斗にはしたの切手黄水仙」手触りのある句を頂きました。武漢肺炎の句が散見。表現に無理があり素直に感動できませんでした。  句会がないと退屈でごろごろしています。三寒四温、少し暖かくなりました。次回句座を囲めますこと願っております。

大西 健司

特選句「黒猫へ戻つてゆきし春の闇」春の闇に溶け込んでいる黒猫の存在が濃密。「黒猫へ戻ってゆく」とは悩ましい。問題句「もう9年椿の花が咲きだした」思いは伝わるが少し散文的。私的には「咲きました」としたい。

寺町志津子

特選句「春浅し会えると思う日々残し(夏谷胡桃)」老境にお入りの方の句でしょうか。勝手な解釈ですが、冬が過ぎて春の兆しに触れ、来し方行く末に思いを馳せていると、今生に、まだ、親しい友人あるいは知人の方にお会いできる日は残されていると感じた境涯感。残された日々を大切に生きたいと思う気持ちも伝わり、季語の「春浅し」がよく響き合い、好きな句です。

三好つや子

特選句「モーツァルトをつまんでしまう春の空(高木水志)」モーツァルトの曲をひょいとつまんで鳥にしたり、蝶にしたり。この句から、神の手による手品の帽子のような春空を感受。特選句「うつらうつら春はあけぼのうつら鬱」草木が芽吹き、虫たちも這いだす春。生命活動の盛んになる一方で、眠くてけだるい気分に陥りやすい頃を、うつら鬱という表現で捉えた句に、感動が止まりません。入選句「疫病列島孵化したばかりの朧月」新型コロナウイルスのせいで、外出もままにならない私たち。社会全体に閉塞感が高まるなかでも、春を愛でる気持ちは失いたくないものです。

新野 祐子

特選句「老いたる愚遊ばす冬の噴井かな」ちょっと自嘲しつつも、自分の老いをこれまでの人生をしかと肯定している。そんな人の姿が見えてきます。「冬の噴井」が何とも清々しく引かれました。入選句「疫病列島孵化したばかりの朧月」新型コロナにおびえ他の事象がことごとく輪郭のぼんやりしたものになっている今の日本。この句は、それをよくとらえていると思います。入選句「草青むかすかな罠であるように」かすかな罠とは、どんなものなんだろうと、想像力をかきたてられます。

増田 暁子

特選句「草青むかすかな罠であるように」青い色は罠なのか。人生の青い時は続くように思うが罠があるかもね、と作者。柔らかい言い方で、油断を戒めている。ドッキとして、なるほどと納得。特選句「老いたる愚遊ばす冬の噴井かな」自戒の句でしょうか。私も老いたる愚であり、公園の噴水のそばで時間を過ごして居る自分が見えます。

松本美智子

特選句「感情に分度器あてる紫木蓮」感情の起伏………喜怒哀楽に角度があるなら計ってみたいです。今日の角度は何度だろう?紫色の美しい木蓮が輝いて、私たちを優しく見守ってくれているようです。

河野 志保

特選句「中年や嗚咽のように白梅」白梅が嗚咽のようとは、最初よく分からなかった。しかし、冷たい空気のなかで小さく花開く姿に、泣きながら咲いている感じもすると思えてきた。同時にそれには、中年のやるせなさや愛しさが重なった。中年限定の共感かもしれないが、「嗚咽のように」という表現がすごいと思う。

野澤 隆夫

特選句「君とテニス一・四(いち・よん)春は飛んでくる」春を喜ぶ気持ちがあふれています。「一・四」で勝ったのか、負けたのか?「一・四」が決まってます。特選句「ふらここを揺らしまだある反抗期」ブランコにぶら下がっても、いまだに反抗期を卒業してない中三男子を想像します。今日は公立高校合格発表。反抗期の行方は…?この句もよかったです。「春ショールきっとアルトでおおらかで」ユーミンの「はーるよ…」が自然にでてきました。アルト&おおらかを結んだところも気持ちいいです。

中野 佑海

特選句「龍になること怠るなつくしんぼ」ちょっと苦くてお日様の様な味わいの土筆。小さい方が断然美味しいけど、頑張って捉えられない様に大きくなったら強くなれる?土筆ってあの穂の形まではよく見るが、そのあとはどうなってスギナになるの?変身の途中を見たことが無い。あの穂は龍になったのかな。不思議な生き物だ。「怠るな」が、胸に沁みる。特選句「瞼腫れお玉杓子になりました」寝過ぎた後のあの目の見えにくさ。あれって瞼がお玉杓子に変わっていたんですね!ぶさ可愛い所がとっても素敵!並選句「踏青す祈りのように歩を数え」祈りのようにが胸を突く。「煮凝りの闇熱飯を輝かす」魚の煮凝りは本当にまいう!日本まいう!「万両の実くしゃみぽとんと乙訓へ」まるで童話の世界。そしてサントリーのウィスキー山崎はまいう!「球根植うひらがなかたかな植うるごと」球根に着いている花の名前の名札。此が無いと、何を植えたか分からない。名前は大切。「雨垂れは空の恋文桜餅」桜餅は雨も優しくしてくれる。「感情に分度器あてる紫木蓮」はい、そこ。人の感情に水を注さないよ。黙って聴いてあげようね私!「思い出が思い出せないつくしんぼ」龍になろうと頑張り過ぎたんだわ。「知性かりっと終日椅子に雪地獄(十河宣洋)」雪地獄よりも、その考えが怖い。以上です。

夏谷 胡桃

特選句「ゆるぎない文旦パンデミックの世に(高橋晴子)」北国に住んでいるので柑橘系の実が生っている風景は憧れです。たしかな存在感があるのでしょう。救いになるような黄色を感じられました。特選句「蠢く地私の細胞減るばかり)(若森京子)」人間が滅亡しようが、放射能におかされようが植物は春が来れば芽吹きます。人間より強い。今住む場所も古代からの森を切り開いた地です。あと少しで森に戻るかもしれません。

銀   次

今月の誤読●「たんぽぽのしとねに午睡寝過ごした」。プルッと震えて目を覚ました。半身を起こしてみると、だいぶ日は西に傾いているようだ。両手を伸ばしてアクビした。目の前には幅だけは広いが情けないほど水の少ない河が流れている。懐かしい風景だ。中学時代は何かといえばこの河原にきたものだ。そう、今日は十年ぶりの中学の同窓会なのだ。それもいまや廃校となった旧校舎を借りての同窓会だ。朝のうちは教室を掃除して、女子はそれぞれおでんや鍋物の買い出しに行った。わたしは「ちょっと休んでくる」と言い置いてここに来た。寝転んで島崎藤村の詩集を読んでいるうちに寝入ってしまったのだ。山下さんが土手を駆け上がってきた。ハアハア息を切らしながら「もう始まっちゃうわよ、同窓会」。彼女は人妻だ。すっかり貫禄がついて、今回の同窓会でも幹事を務めている。「ああ」と生返事をすると、山下さんはわたしの横に坐った。彼女はことさら明るい声で「ここで二人一緒によく遊んだわね」と言い出した。わたしはうろたえて「そうかなあ」とつぶやいた。しばらく沈黙があって、山下さんは「わたしのこと、好きだった?」と訊いた。わたしは年甲斐もなく頬のほてりを感じた。そして声にならないような小声で「……別に」と答えた。しばらく沈黙がつづいた。山下さんは突然、ガハハと豪快に笑った。「そっか」と彼女は答えつつ、「さ、行こ」とわたしの手を引いて同窓会場に向かった。藤村の詩集はやがてたんぽぽが埋めてくれるだろう。……まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき……。

久保 智恵

特選句「中年や嗚咽のように白梅」グサリと胸に刺さったのが年のせいですかね。会度に香川句会がたのしくて! 

島田 章平

特選句「地球脱出思案中です猫柳(森本由美子)」塚本邦雄の代表作に「日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」がありますが、掲句は正にその宇宙版。銀河系のどこかで猫柳が一面に茂っている緑豊かな宇宙もいいかもね。

田口  浩

特選句「モーツァルトをつまんでしまう春の空」新型コロナウイルスに地球がすっかり汚染されてしまった。住みにくいので、老人は銀河鉄道の旅に出ることにした。宇宙ステーションは牟礼町の小高い岡の上の図書館の一角にある。乗客は老人一人。快適。窓から外を見ていると、<特選句>があった。野にピアノを置いて夢中で仕事をしているモーツァルトを、もしくはその曲を、春の空がひょいとつまむ。春の悪戯である。笑ってしまう。「踏青す祈りのように歩を数え」「黒猫へ戻ってゆきし春の闇」「龍になること怠るなつくしんぼ」「抽斗にはしたの切手黄水仙」「春を待つ包帯ゆるく巻きしまま(小西瞬夏)」―銀河鉄道の車窓はいろいろな春を見せてくれるが、<黄水仙>の句や<包帯ゆるく>は、うまいなあと思う。当分宇宙の旅を楽しもう。

松本 勇二

特選句「目瞑れば撓む内臓ヒヤシンス」体内の暗い有り様から明るい季語への展開が見事。

荒井まり子

特選句「土佐文旦ごろり今生ぶらりふらり」鹿児島でも熊本でもない、土佐の文旦で決まり。形状も早世の苦味も龍馬を彷彿させて楽しい。問題句「いちめんのなのはなばたけなり命」平仮名の表記に意気込みを感じる。司馬遼太郎さんが好きだった菜の花。まるで極楽浄土の様。大好きです。

滝澤 泰斗

特選句「モーツァルトをつまんでしまう春の空」多分作者の思いとはかけ離れているかもしれないと思いつつ特選にしました。天才モーツアルトをつまみ上げてしまう春の空ってどんな空・・・と考えつつも、人智を越える自然の力の凄さ、大きさ、計り知れない深淵さを感じさせる。モーツアルトが効いている。特選句「春を待つ包帯ゆるく巻きしまま」春の句が二つ続きました。今年の春は、人類が初めて経験している異常な春。その春にあって、傷が癒えてか、包帯をゆるく巻いて春を待つ心情に希望を感じさせる。掲句に問題句はありませんが、今回は私の想像を超える句が多かったように思います。「水面打つトライアングル粒の春」粒の春とは?「蠢く地私の細胞減るばかり」「少女に出来立ての耳初蝶にマリンバ」この二句は意味を考えてはいけないのでしょう。感覚的なところを伺えればと思いました。

男波 弘志

「思い出が思い出せないつくしんぼ」正気の呆け、とは恐ろしい。「雪原の同一性として蒼い列車」現代の風俗をこそ読みたい。この列車に終点はなさそうだ。

石井 はな

特選句「感情に分度器あてる紫木蓮」感情に分度器をあてて計るなんて、素敵な発想です。今嬉しさ60度、今悔しさ30度なんて、嬉しさは倍になって悔しさは冷静になって減っていく様な気がします。特選句「中年や嗚咽のように白梅」白梅が嗚咽のように思えるのは、中年以降でないと感じられない思いだと思います。読んでしみじみ実感しました。以上です。皆さん素敵な句ばかりで、毎日の鬱陶しさが晴れる思いです。ありがとうございます。

稲    暁

特選句「少女に出来立ての耳初蝶にマリンバ」素材の選択が新鮮で詩情豊かな作品となっていると思う。少女と初蝶、耳とマリンバの類語関係も成功している。問題句「コンビニはオアシスめいて春の闇(石井はな)」実感としてはよく分かるのだが、表現が淡白すぎるような気もする。好きな句で捨て難いのだが・・・。

竹本  仰

特選句「草青むかすかな罠であるように」選評:なんの罠であるのか?そういう□をさがす楽しみがある。この世に生まれて善と悪とがあるなら、その二つは不可分に結びついており、悪もまた避けがたい、ならばそれを覚悟して生きよう、そんな世界観が見えているように思う。そんなすぐれた感覚を感じた。特選句「三角の角に棲みつく距離遥か」選評:ナゾなんだけれども、つき合いたいナゾというのがある。そういう誘惑を感じさせる。アリスの世界でいうなら、初めに出会うチョッキを着たウサギだ。この一行の中にある展開に魅力を感じる。ひきこもりに向かう詩情、そんなものか?梶井基次郎が檸檬を見つけた、あのひなびてはなやかな果物屋のような。特選句「造船の鉄の匂いやつばめ来る」選評:このツバメはオスだろう、いやいや、そう決めつけるのはどうなのか、とそんなところから入った。造船所が好きなツバメがいるんだろうな。そういえば、昔、手術前日のヒマを持て余し、何となく或る無人駅に座っていると、ツバメの両親がしきりに子ツバメを面倒見ている片隅があった。そうか、毎年、ここに来ているんだと妙に和んだ。鉄の男たちにもそれはあるだろうが、それよりもツバメがこの男たちの優しさに気づいていると思わせる所が実にいい。特選句「白鳥の引きし水際のなまなまし」選評:朝の干潟というのに思わず見とれたことがある。何というのか、絵ではなく音楽が満ち満ちていた。否、音楽を超越した生きものたちの何かがあった。朝のわずかな半時間で、もう一日を生きたより濃い風景があった。ああ、いいなあと言うしかない。そのリアルな感覚を思い出した。特選句「ちちははのひかりはそこに名草の芽」選評:はじめ「名草の芽」という季語がわからず、どう読むか戸惑っていましたが、名のある花についての芽、ものの芽の花版ということがわかり、この句がいっそう味わい深くなりました。私事で恐縮でありますが、お経の中に「仁王護国経」というのがあり、ほとけの光が黄金であり、悟りの瞬間に花が開くのとその光がさすのが同時であるのを、読む中で体感することができます。この句にもそれがあります。同じ光がさしているなあ、というのが極私的な鑑賞でありますが、ありがたいひかり、ありがたき人生というのを体感できる句であるように思いました。

藤田 乙女

特選句「雨垂れは空の恋文桜餅」 日々コロナ肺炎のニュースで気が滅入る中、この句を読むと明るい気持ちになり、春の訪れを心底楽しみたくなりました。恋文と桜餅の取り合わせがとてもいいなあと思います。特選句「ちちははのひかりはそこに名草の芽」永遠無きものの中に愛によって命が繋がれていくという小さな命への慈しみを感じた句でした。

高橋美弥子

特選句「造船の鉄の匂いやつばめ来る」今治の造船所を思いました。景がぱっと立上ります。鉄の匂いとつばめの取り合わせが新鮮に感じました。問題句「舌鮃白き肉解す人の闇(桂 凜火)」舌鮃白き、まで一気に読むのでしょうか?「切れ」で悩みました。

桂  凜火

特選句「雲雀東風笑いの種を売る男(三好つや子)」うっとおしい今の世の中、笑いの種を売る男は大歓迎です。しかし、笑いを売ることを商いとしている人にとっては、売る場所も今は限られていることとお察しします。早くこの疫病も落ち着くといいですね。雲雀東風という季語も新鮮でした。

小宮 豊和

「いちめんのなのはなばたけなり命」句意はよく伝わる。感動もそこそこ伝わる。しかし兜太先生のよく使った表現、もう少しパンチがほしい。私は原因は句の形態がひとつ考えられると思う。この句でいえば一字流れからはずした「命」である。こういう表現で感動を呼んだ句は少ないように思う。「命」を句の中に取り込んで少しでも新鮮な表現をさがすのが正当な方法であろう、例えば、出来不出来は別として、「ひしめくや菜畑いちめん黄の命」などのたぐいである。

谷  孝江

特選句「沖見尽くして二月のきれいな顔」長い北陸暮らしの者にとって、二月は何とうれしい月でした。もう確かに春が近づいて来ているのです。日によっては一尺近い雪が積もる日もありますが、立春過ぎればそれは、春の雪なのです。一日、一日、三月が近づいているという嬉しさは今も忘れられません。作者は、暖かい所にお住まいかも知れませんけれど、春を待つ思いは一緒だと思います。二月のきれいな顔で私の思いの中にすっきりと入り込んできました。やさしくて佳い句です。

野口思づゑ

特選句「清(すが)し苦し水琴窟の梅の響(おと)(久保智恵)」美しい情景の句のなかに「苦し」が加えられている。これは個人的心情なのか、それとも現在の世界的世情の反映なのか分かりませんが、句に深まりが出て光景と心が良く伝わってきました。その他「人間の正体暴く春コロナ」その通りだと共感します。人間、人間の延長であるそれぞれの国の事情も見えてきました。「暖かや欠伸大きな魚売女」海に生きている女性のおおらかさが伝わってきました。「奪われし三月学び舎の静けさよ」: 「奪われし」まさにその通りです。

本当にコロナウイルスにはうんざりですね。あれよあれよという間に世界に広がっていて それだけ現在はグローバル化が進んでいたという事のようですね。句会もキャンセルで残念ですね。 オーストラリアでは、室内では一人当たり4平米距離を取らなくてはいけないという事になりました。また国際便もほとんど飛ばない状態ですので、普段でしたらそろそろ5?6月頃の日本行きを計画するのですが、今年はこの時期は予測がつきません。とはいえ、そういったコロナの影響にあまり惑わされず普段の生活で行きたいと思っています。句会報、楽しみにしています。

田中アパート

特選句「モーツァルトをつまんでしまう春の空」ダダ。ダリ。

三枝みずほ

特選句「瞼腫れお玉杓子になりました」過労、睡眠不足、病、外傷、涙など瞼が腫れる経緯は様々。精神的に辛い。それなら、いっそのことおたまじゃくしへ!ヒトの進化を逆行し、生命体そのものに近づいてゆく。軽くて面白い発想だった。

森本由美子

特選句「黒猫へ戻って行きし春の闇」黒猫にひっそりとスプレーされた春の闇。夜の深まりとともに黒猫はそのしなやかな体に闇を吸い込いこんでゆく。溶け合うために。ちょっとした仕掛けがポエテイックなイメージを掻き立てます。「モーツアルトをつまんでしまう春の空」「立ち食いのまあるい空間春の臓」問題句ではありませんが、作者の方からお好きなように解釈して楽しんでくださいと渡されたような気分です。楽しませていただいています。

海程香川句会に参加させていただき嬉しさと緊張を感じております。70歳で偶然俳句と出会い、無知ゆえの怖いもの知らずで作ってきましたが、いまだに自分らしさを表現できず、心にもっと風穴を開けなくてはと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。→ぽぽなさんの「星の島句会」のお仲間ですね。ご参加、とても嬉しいです。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。

河田 清峰

特選句「万両の実くしゃみぽとんと乙訓へ」ぽとんと乙訓へが古事記の世界へ案内してくれるよう、池の辺りの万両の実ががよく景色が見えてくる。もうひとつ「草青むかすかな罠であるように」も好きな句である。

高橋 晴子

特選句「二歳とは言葉あふれて雛祭」女の子は二歳ともなるとおしゃべりが上手になる。「言葉あふれて」がうまい。「とは」に感情が出ている。問題句「目に見えぬものに怯えて椿落つ」:「目に」は不用。?見えぬもの〟を感じる心は大事だが、?怯えて〟椿落つ と、因果関係にしない方がよい。多分、?怯えて〟が、言い過ぎなのでしょう。?感じて〟位にしたら、面白い。

 一週間程前、兵庫県立美術館でゴッホ展を見てきました。ゴッホの画業はたった十年なんですね。それも世に残る糸杉だの麦畑だの明るい絵は最後の2年だけ。(37歳で自殺してる)「星月夜」を期待していったのだけどありませんでした。一枚だけ糸杉がありましたは、あの筆致に圧倒された。あれが内面を表すのでしょう。いい空でした。

野﨑 憲子

特選句「水面打つトライアングル粒の春」水面を打つ一滴の光をトライアングルと捉えた作者の慧眼に脱帽。その一瞬をスローモーションで観るようだ。問題句「春寒き悪霊船を見に行かむ」新型コロナウイルスの集団感染が確認されたクルーズ船を詠んでいると思い惹かれた。人類の未曾有の危機を照らす真言のような一句を、悪霊も創造主も待ちかねているのかも知れない。

(一部省略、原文通り)

【句会メモ】

新たに、旭川の十河宣洋さん、ニューヨークの森本由美子さん、そして久々に福井の佐孝石画さんもご参加くださり、ますます層の厚い魅力あふれる句会になってまいりました。これからが楽しみです❕

今回は、コロナウイルス感染回避の為、高松での句会は中止にさせていただきました。なので<袋回し句会>もお休みです。やはり、句会が無いのは淋しい限りです。4月句会は、いつもの18人収容の67会議室から38人収容の窓のある55会議室に変更し、何とか開催したいと念じています。コロナウイルスの一日も早い終息を祈るばかりです。皆様もくれぐれもご用心ください。

冒頭の写真は、海女の玉取伝説の真珠島(今は埋立られて陸続きになっています)の山櫻です。櫻には、コロナウィルスは無縁のようで、今年も可憐な姿を見せてくれています。

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