2017年11月8日 (水)

第77回「海程」香川句会(2017.10.21)

横峰寺・野紺菊.jpg

事前投句参加者の一句

 
露けしや針一本が足りなくて 小山やす子
秋涼や旅のこだまが身を揺する 疋田恵美子
水澄んでいちにち風を聴いている 月野ぽぽな
空ひらく鍵やはらかき渡り鳥 増田 天志
ふかし芋割ってちょうどいい関係 三枝みずほ
秋の聲おどけておどるひよっとこ 古澤 真翠
天の川ネットショップに寄り道す 重松 敬子
白鷺の影の流れのひやひやす 亀山祐美子
泣いている虫などなくて鳴いている 男波 弘志
おしゃべりのつづく月夜のきのこたち 柴田 清子
石人形の白首須磨の秋乾き 野田 信章
秋声の只中にある法隆寺 高橋 晴子
十六夜や島の飲み屋に蛸の這う 大西 健司
ぬしさんはへくそかづらでありんすか 田口  浩
大皿に梨栗林檎家族葬 菅原 春み
長き夜やらじる☆らじるで聴く漢詩  野澤 隆夫
刈田更け百鬼夜行の道が開く 松本 勇二
鶏頭の髄まで雨は直立す 竹本  仰
図書館の窓の大きく薄紅葉 山内  聡
虫すだく三半規管のような駅 三好つや子
排除とう風に寄り添う破芭蕉 河田 清峰
源平の戦遥かや須磨の秋 田中 怜子
その先は木犀だけが散る話 河野 志保
ペンを差す胸元漠と木の実雨 若森 京子
秋山に小さく灯す誰かの家 鈴木 幸江
石蕗の花落葉を受けてそっと咲く 漆原 義典
生協でサンマを5匹買う茶髪 中西 裕子
コスモスの花一輪とブルドーザ 銀   次
丸刈りの稲田へそよと青産毛 藤川 宏樹
沈黙のはじまり鹿がこちら見る 稲葉 千尋
腹立つと笑うも可なり捨案山子 中野 佑海
千枚田どこも刈田になりにけり 髙木 繁子
月の野へウツボカズラの匂ひ出す 島田 章平
鶏絞めて漢の仕切る秋まつり 谷  孝江
好敵手石榴笑むごと登場す  新野 祐子
物乞いを見過ごしたふり嘘寒や 野口思づゑ
夕時雨黒い牡牛の背(せな)に湯気 小宮 豊和
どんぐりころころ百歳で不良 伊藤  幸
地球の音聴く茸の耳つかむ 夏谷 胡桃
心にも窓あり柘榴爆ぜるかな 寺町志津子
覇者の果て逆さ海月は波任せ 桂  凛火
電線と唇濡らす秋時雨 藤田 乙女
流れ藻や耳を平らに音拾う 矢野千代子
釣瓶落し大笑面の限りなし 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「鶏絞めて漢の仕切る秋まつり」生贄の風習は、神への感謝と同時に、にんげんの罪業を自覚する為に、必要であった。生贄の血を流し、生命を絶つことの意義を再認識したい。

島田 章平

特選句「一の谷は此処青かりんが鈍と落つ(矢野千代子)」。義経の「逆落し」の急襲で名高い一の谷。そして平敦盛の悲劇の海、須磨。時を経ても変わらぬ平家物語の世界。栄枯盛衰の世の倣い。熟す事無く落ちるいびつな形の 青いかりんの実。「鈍」と言う鈍い音。遠い世界と今の時代の時空の狭間に聞こえて来る叫びの声の様です

中野 佑海

特選句「桃握り潰す怒りの闇明かり(小山やす子)」:「桃」って邪気払いをする聖なる木。選りにも選ってそれを潰すとはかなりの強者。怒りで閻魔様の様になってるなんて一度見てみたい。もしかして貴方が女性なんてことは無 いですよね!?特選句「つゆくさは なみだあつめの めいじんだ(伊藤 幸)」と言われたら、妙に納得してしまうんです。葬式で泣いている泣女の腰巾着が露草と呼ばれているなんて思ってもみませんでした!?体調を崩したと言う大 義名分の下。一週間をのらりくらりと過ごしていたら、何と体脂肪率が3%も増えてしまったじゃないですか!やはり人間も動物。動いてなんぼですね。トホホ。

小西 瞬夏

特選句「ドッペルゲンガ 芒より窺いぬ」:「ドッペルゲンガ」を俳句として一つの作品にした手柄。一字あけは演出としてありえる。「芒」という具象の存在感。その危うさとしなやかさ。「窺いぬ」という動詞も、実景に暗喩を 重ねている。言葉の強度が大きい。

小山やす子

特選句「覇者の果て逆さ海月は波任せ」海月じゃ波任せが効いていると思います。「石人形の白首須磨の秋乾き」凄まじさを感じます。

疋田恵美子

特選句「ふかし芋割ってちょうどいい関係」夫婦であり、親子であり理想的な関係ですね。皆さんの憧れです。特選句「鶏絞めて漢の仕切る秋まつり」子供の頃父の姿を懐かしく思いました。

男波 弘志

「抱かれねば忘れ去られし月の裏側(中野佑海)」男女何れかの受け身、はエロスの本体にあらず。抱き合わねば、では。「露けしや針一本が足りなくて」誰かが、踏む、不安、そして、諦め、流転の理法に適っている。「水澄ん でいちにち風を聴いている」色なき風、それよりも澄んだ、風、への驚嘆。「白鷺の影の流れのひやひやす」白鷺、そのものが、無化している。「逃水やときどき人が現れる」ふと、天竺を目指した、玄奘三蔵を思う。因みに、三蔵法師は 位の尊称であり、玄奘その人ではない。「大皿に梨栗林檎家族葬」俳諧、庶民性、死への祝祭。珍重也。「鶏頭の髄まで雨の直立す」徹底した写実表現。僕の髄まで泣いている。「桃啜る真昼の空を広くして(月野ぽぽな)」出来れば、意 思を外したいが、でも、巨大な虚空観がある。「千枚田どこも刈田になりにけり」俳句表現を突き詰めると、説明はなくなる。「蚯蚓鳴くきのふのすこしづつ遠し」かなかな、でも、郭公、でもない、それが俳諧の背骨、見事。「秋雨やこ の町もはや地図になし(銀次)」もはや、強すぎでは、いつか地図になし、ぐらいでは。「流れ藻や耳を平らに音拾う」不思議な風景、音拾う、は必然か?

竹本  仰

特選句「泣いている虫などなくて鳴いている」仏像の顔もそうですね、例外はたまにありますが、泣いている仏さまはまず見ないものです。病んだ人は、虫の音をそう聞くかもしれませんが、またそういう句も多いのですが、それ は投影というものです。わりと思いこみを俳句に押しつける、おいおいそんな俳句をいじめるなという風情もある中、こういうきちんと耳を澄ました句はいいなあと思いました。特選句「丸刈りの稲田へそよと青産毛」何となく、何か変に 懐かしいなあと思いましたが、宮澤賢治さんの「高原」という詩を思い出したからでしょうか。「海だべがど おら おもたれば/やつぱり光る山だたぢやい/ホゥ/髪毛 風吹けば/鹿踊りだぢやい」。この詩と似た風が吹いたようにも 。「青産毛」って何でしょうかね。馬だろうか、赤ちゃんだろうか、そのわからなさも魅力あるんですね。その風は、明日への扉ですよというか、そんな感じがいいですね。特選句「腹立つと笑うも可なり捨案山子」本当は相当に腹が立っ てる感じがしました。人間はわからなさが頂点までいくと、泣くか笑うかしかなくなるんではと時々そう思ったりしますが、ただここはその限界まで来ている自分に気づいたから、そんな選択肢も降りてきたんでしょうね。斉藤斎藤さんの 歌「雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁」というのを思いました。こういう踏み込んだ句、いいと思いました。その中で、銀次さんの銀河鉄道の夜のミュージカルですか、どんなだったんでしょう。賢治の作 品の舞台って、どれもこれも多様性があって、いつも気になります。神戸にいる知人も舞台の演出やっていて、唐版・風の又三郎観ましたが、こちらは前衛ノリノリのお芝居、よく高校演劇でも賢治作品にちなんだものが上演され、これは そうだな、いやいやそれは賢治じゃないでしょ、とかその全集愛読者だった私は、好んで観たものです。でも、盛岡の知り合いの方によれば、生前、地元花巻では変人、奇人の類で有名だったとか、どうも学校の先生には向かなかった天性 の何か不可思議なものを持っていた人のようですね。地元の人は面白いもので、賢治文学館に行ったとき、展示の書簡を目にして、「へえー、あっこの爺さん、賢治と知り合いだったんだ」とか洩らしていたり、まだ賢治はご近所さんで通 っているようですね。おしゃべり長くなりました。今後ともよろしくお願いいたします。

中西 裕子

特選句「飲み込んで満月蛇の脱皮せり(野﨑憲子)」は、蛇が満月を飲み込めばつるりと脱皮がらくでしょうと、なにか可笑しさがあります。「桃握り潰す怒りの闇明かり」の激しさに圧倒されました。「点滴の痛ましき痣吾亦紅 (菅原春み)」は、「点滴の痛ましき痣」が吾亦紅のようなかたちなのでしょうか、不運の中に詩情があります。「手ぶらでは戻らぬ伯母ぞあぶら茸(三好つや子)」は、先月のはみ出す伯母、を思い出して面白い伯母シリーズみたいです 。いつも楽しい句をありがとうございます。

矢野千代子

特選句「十六夜や島の飲み屋に蛸の這う」明石の魚の棚商店街でも、かっては道路へ逃げ出す蛸をみかけたが、こちらは飲み屋。「十六夜」効果かな。特選句「つゆくさは なみだあつめの めいじんだ」ひらがな表記と内容に注 目。この句、漢字で書かれるとあっさり通りすぎるかも――。

稲葉 千尋

特選句「排除とう風に寄り添う破芭蕉」まさに今回の選挙を左右する「言葉」を見事に句になされた力に脱帽。特選句「戦後の眼のキラキラはどこ蜻蛉とぶ(野田信章)」戦後っ子の私が思うあの「目」はどこへ行ったか、「幸せ はおいらの願い・・・・・・・」の歌を思い出す。

寺町志津子

特選句「水澄んでいちにち風を聴いている」好きな句である。誰にでも分かりやすく、アッと驚く仕掛けもなく、あるいは類句があるかもしれないとも思いつつ、晴れ渡った秋天。川や湖の澄み切った美しい水。その水を眺めなが ら、終日、一人で静かに風の音だけを聴いている作者。「聞いている」のではなく、「聴いている」のである。この静謐感、透明感の虜になった。一日を「いちにち」とした効果も逃せない。

夏谷 胡桃

特選句「大皿に梨栗林檎家族葬」。こんな家族葬いいなと思いました。葬儀屋さんが用意した供物ではなく、季節の物をわたしが好きだった皿にわんさかもって、みんなで機嫌よくお酒を飲んでもらいたいです。特選句「難聴の傾 く角度や式部の実」。難聴の方が耳を傾ける角度ってあるある。そして大きな声で話すほうも相手の角度に合わせて、声を出す。式部の実も良いと思いました。問題句「長き夜やらじる☆らしるで聴く漢詩」。句としてはとらない句だけど 、わたしも聴いていたのでとりました。普通にラジオの電波が届かない山の中なので、らじる☆らじるにお世話になっています。

古澤 真翠

特選句「鳥渡る在来線の一人旅(小宮豊和)」わかりやすい言葉で、情景を鮮やかに表現して自然と人生との融合が感じらる壮大な句だと感服いたしました。

山内  聡

特選句「コスモスの花一輪とブルドーザ」多分作業員のいないブルドーザなどの重機が殺伐と並んでいるその片隅に、一輪の花を見つけた。それもコスモス。作業員がもしかしたらその一輪のコスモスに気がついていないかもしれ ない。でも、自然の女神が一輪挿しのようにコスモスを活けて作業員をねぎらっている風な感傷を得ました。ブルドーザのような言葉が一句に据えられている驚きとコスモスとの調和。

若森 京子

特選句「石人形の白首須磨の秋乾き」須磨という土地柄、石人形の白首が生々しく伝わってくる。「秋乾き」の措辞で歴史的背景の乾きを感じる。特選句「流れ藻や耳を平らに音拾う」流れ藻の生体と人間の難聴による現象がうま く一句に詠まれているのに惹かれた。

藤川 宏樹

特選句「好敵手石榴笑むごと登場す」石榴は子供の頃以来、実物を目にしていない。赤いつぶつぶの不思議な様相の果実、どう食したか記憶は定かでない。そんな私にも「石榴笑むごと」の喩えが憎悪むき出しの好敵手登場を的確 に表現していると伝わりました。「あっぱれ」です。

三枝みずほ

特選句「空ひらく鍵やはらかき渡り鳥」渡り鳥が秋の空を開く鍵だという把握が的確で、風を感じさせられる。心まで解放されてゆくような雄大な景に感銘を受けた。

三好つや子

特選句「大皿に梨栗林檎家族葬」隣家にも伝えず、家族のみで行うお葬式が一般化し、私も句にしようと頑張りましたが、このような意表をつく言い回しには至りませんでした。脱帽です。特選句「地球の音聴く茸の耳つかむ」地 表に群がり、地球という生命体の内側から発せられる音をじっと聞いている茸たちの、神秘的な生態が目に浮かびます。入選句「間違えて大人になった南瓜かな(河野志保)」振り返ることすら恐い、恥多き人生。飄々としながらも、自虐 的な語り口に共感。

田口  浩

特選句「秋山に小さく灯す誰かの家」一読、<秋山に>のストレートぶりに、<誰かの家>の字余りが、広がりを見せておもしろい。<小さく>は、消した方が、いいかもと読んだが・・・・。そうではなかった。<小さく>を入れること によって、<誰かの家>の人物像がしぼられて愉しい。特選句「一の谷は此処青かりんが鈍と落つ」見落していた句である。読み返えして見ると、なかなかどうして不明が恥ずかしい。<青かりんが鈍と落つ>このリアリズムが、「一谷嫩軍旗 」の熊谷直実、平敦盛を、此処に再現せしめた。〈青かりん>がいい。〈鈍と落つ>の音が腸に響く。

柴田 清子

特選句「水澄んでいちにち風を聴いている」いつになったら、こんな心境になれるのかしら。ボタン一つで何でも思いが叶ふような暮しそれでいて、何かが足りない。自然に生かされていることさえ忘れてしまっている。季節くの ある日の風からの声、メッセージにいちにち中耳を傾ける日を持ちたいわ! 

野田 信章

特選句「沈黙のはじまり鹿がこちら見る」の句。生きもの同士の視線の交感がある。「沈黙のはじまり」の把握には、そこに自と二つの生命のおもたさが宿っている。特選句「流れ藻や耳を平らに音拾う」の句。一読、爽気を覚え るところから初秋の頃の視覚と聴覚のバランスのとれた句として読んだ。「流れ藻や」の効果とも。私にとっては、二句共に、即刻の見というか、出合いの直感は時間が短いほど鋭くはたらくものと示唆してくれる例句である。

月野ぽぽな

特選句「電線と唇濡らす秋時雨」雨に物が濡れるのはそのままなのだが、「電線」と「唇」を取り込んだところが面白い。ある心情を持ったその刹那に感知したからこそ立ち上がる即興感がある。モノクロの景色に静かな情念が程 よくオーバーラップしてきて、読者の想像力を刺激してくれる。今月は、いつもに増して面白かったです。よろしくお願いします。

野澤隆夫

今月もお世話になりました。あわせて今月も楽しい句会でした。特選句一つ目「蜂蜜のかたくなる朝のブラームス(夏谷胡桃)」朝はパン食のやや多い小生。蜂蜜の堅い日もありますね。ヨーグルトになかなか流れてくれなかった りして。作者はブラームスの〝バイオリン協奏曲〟ではなく宗教曲〝アベマリア〟が流れているのでは。特選句二つ目「世の中をツルリと忘れマスカット」こんな思いのする時、確かにありますね。わずらわしい、何かに決着をつけて〝エ エイ!まーいいか〟と。カタカナ表記の〝ツルリ〟と〝マスカット〟がいいです。問題句「ぬしさんはへくそかづらでありんすか(田口 浩)」ひらがな表記のセリフが面白い。今月は久しぶりの歌仙。天志さんの捌きで「萩こぼれ」の巻 。皆で和気あいあいとできるのも天志さんの人徳。出来上がった〝初折の表と裏・18句〟を通して読むと、何とも面白いです。ありがとうございました。

伊藤  幸

特選句「かにかくに人恋いて寄る獺祭忌(高橋晴子)」子規の居、獺祭書屋、多くの人が子規を慕い集まったと聞く。秋の夜は人恋しくなるものだ。円座して秋の夜長、心温め合いつつ気の合ったもの同士句会を催している様子が 手に取るように窺える。読み手までもがほのぼのとした気分にさせられる句だ。

谷  孝江

「どんぐりころころ百歳で不良」良いですね。いい年だからって妙に好々爺ぶっている人なんて嫌いです。好きな様に自由に生きれば好いのです。わたしも鬼ババアで不良と思っています。可愛い不良でいたいものですね。特選句 「かにかくに人恋いて寄る獺祭忌」子規の居、獺祭書屋、多くの人が子規を慕い集まったと聞く。秋の夜は人恋しくなるものだ。円座して秋の夜長、心温め合いつつ気の合ったもの同士句会を催している様子が手に取るように窺える。読み 手までもがほのぼのとした気分にさせられる句だ。

松本 勇二

特選句「わたくしの中へもこぼれくる零余子(谷 孝江)」一句一章により、零余子がこぼれるスピード感が伝わってきます。「も」がこぼれる量の多さを物語っています。問題句「ドッペルゲンガー芒より窺いぬ」ドッペルゲン ガーを上五とし、中七を「芒原より」などと七文字にするとリズムが良くなり、シュールで存在感のある句になると思います。

野口思づゑ

特選句「空ひらく鍵やはらかき渡り鳥」鳥が鍵に見えたことはありませんが、この句を思い浮かべながら秋の空を見てみたいと思わせた句です。問題句「長き夜やらじる☆らじるで聴く漢詩」中7が意味不明、でも感覚がわかるよ うな不思議な句です。もどかしい分惹かれる。

鈴木 幸江

特選句「ぬしさんはへくそかづらでありんすか」まず、文語口語の句であることが面白かった。そして、臭い匂いがするへくそかづらと美しい遊女と思われる女性の取り合わせがまた面白い。句そのままの光景を想像しても微笑ま しいが、遊女だって人間だ、そんなことを言いたくなる客も、いただろうにと無神経な想像をしたが、つい笑ってしまった。「世の中をツルリと忘れマスカット(河野志保)」私の気分で特選にさせていただいいてもいいのかなあ?と思い つつも、いいのだとし特選にした。自分の感受性を信じ大切にすることも現代俳句には意味のあることだ。それは、選句においても同じである。この句は、考えることを止めた時、見えてくる景色に真実があることを暗示している。開放感 が気持ち良かった。問題句評「漱石と蟋蟀の髭国荒れて」私は、漱石は東洋文化と西洋文化の統合に苦しんだ人物だと思っている。 そして、蟋蟀の髭は自然物のアンテナの象徴と思った。国荒れては今の国際情勢ことだ。三物衝撃により 、何かを警告しているのだが、何を警告しているのかよく分からなかった。

桂  凛火

特選句「夕時雨黒い牡牛の背(せな)に湯気」牡牛の存在感が抜群ですね。背に湯気にリアリティを感じました。力強い生命感といのちの息吹のようなものに共感しました。夕時雨も冷たい雨の中になおかつ湯気をたてる背が見える ようで、場面設定としてとてもよかったと思います

河田 清峰

特選句「石人形の白首須磨の秋乾き」須磨と謂えば平家物語と源氏物語を思い浮かべるがここは源氏物語であろう!石人形の白首はやはり女性であると思う…紫式部の石山寺を…そして須磨の巻を…下五の秋乾きが実に深く感じる 句である!

銀  次

今月の誤読●「沈黙のはじまり鹿がこちら見る」。ネッドは人差し指をペロリとなめて、その指で散弾銃の銃身をそっと撫でた。それはただの習慣のようでもあり、まじないのようでもあった。あの大鹿を追ってもう一週間になる 。もうすぐ日暮れだ。今日もダメか。気の早い一番星がすでにかすかな光芒を放っている。それは永遠を意味し、反対に銃は生死を一瞬に分かつつかの間を意味する。そのときだった崖のうえにあの大鹿がヌウと現れた。ネッドはふいをつ かれたかのように凍りついた。風下だ。気づかれることはあるまい。それでも動けなかった。金星はさらに光を増し、その真下に大鹿は立っていた。それは大いなる威厳に満ちた彫像だ。それは題名のない壮大な絵画だ。ネッドは目覚めた ように散弾銃を肩に押し当て、その彫像に狙いを定めた。「鹿がこちらを見る」。逃げるそぶりはまったく見せない。ネッドは立ち上がった。そうすることが大鹿に対する儀礼であると思ったからだ。「沈黙のはじまり」。大鹿はかすかに 笑っているようだった。それは神々しい神の笑みだった。ネッドはトリガーに指をかけ、ゆっくりと引き絞った。だがすんでのところで銃を下ろした。それを見届けたかのように大鹿は背を向け、ふいに消えた。気がつくとネッドは泣いて いた。なぜかはわからぬままに、苦笑しながら涙を流した。見るべきものは見た。ネッドはその日山を下りた。以来、ネッドが銃を持つことは二度となかった。

新野 祐子

特選句「その先は木犀だけが散る話」読者の心を掻き乱す小説のエピローグのようです。木犀「だけ」が散るのですから。「その先は」という使い方からも、作者の力量は相当なものだと思います。特選句「ペンを差す胸元漠と木 の実雨」こちらは映画のワンシーンのよう。『百年の散歩』(多和田葉子著)に「まわりの視線がいっせいに集まってくるのを感じ、あわててメモ帳を閉じて、何気ない顔をして歩き始めた。路上で携帯メールを打っていても誰も不思議が らないのに、メモ帳と鉛筆というのはどうやら不審と不安をかきたてるようだった」という一文があります。この句からも、異国にいて(かどうかわからないけれど)漠然とした不安に駆られている作者が、映像として見えてきます。問題 句「つゆくさは なみだあつめの めいじんだ」内容はとても素敵です。なにゆえ分かち書きにする必要があったのでしょうか。

田中 怜子

特選句「刈田更け百鬼夜行の道が開く」こんな体験を子どもの頃したことある。怖くもあり、草叢から何かが出て来てくるような。特選句「秋雨やこの町もはや地図になし」さーっと白い雨がけぶり、いつもの町が見えなくなって しまった。そんな情景が目に浮かびました。それを地図になし、と。

大西 健司

特選句「虫すだく三半規管のような駅」三半規管をどう捉えるか難しいところだが、どこか迷路のような、それでいてひなびた駅が思われる。少し書き方が素っ気ない感じもするが特選にいただいた。問題句「ぬしさんはへくそか ずらでありんすか」こちらは文句なくおもしろい。ただ作者のしてやったり感が半端ないので問題作とした。へくそかずらはつらいよなあといったところ。

河野 志保

特選句「空ひらく鍵やはらかき渡り鳥」簡潔で大きな句姿にひかれた。「空ひらく鍵」が渡り鳥にぴったり。そこはかとない愁いが漂って余韻も豊か。

菅原 春み

特選句「虫すだく三半規管のような駅」三半規管とは良く見つけたと感動。特選句「流れ藻や耳を平らに音拾う」流れ喪と耳の平らの取り合わせがなんともいい。「露けしや針一本が足りなくて」いい味です。「空ひらく鍵やはら かき渡り鳥」やわらかい鍵が眼目か。「真葛原亡母(はは)に詫びたきこと一つ(寺町志津子)」共感します。季語がいい。「十六夜や島の飲み屋に蛸の這う」景色が見える。「鶏頭の髄まで雨は直立す」直立するとは見事。「ひだる神背負 いて下る紅葉山(松本勇二)」ひだる神も紅葉山も映像化できそう。「冬の雷袋の口が開かない(重松敬子)」なんだかおもしろい。

高橋 晴子

特選句「好敵手石榴笑むごと登場す」小気味よい感覚で好きな句。「石榴笑むごと」の具象化がよく効いていて、人物が見えてくる。私もこういう人物になりたいものだ。問題句「ドッペルゲンガー芒より窺いぬ」〝ドッペルゲン ガー〟が何なのかわからなくて辞書を引く。分身とか、自分の姿を自分で眼にする幻覚現象とある。で、面白いと思ったのだが、やはりドッペルゲンガーが一般的に知られていない言葉で、少し無理があるかなあ、それとも、この句が成功 しているとすれば、ドッペルゲンガーが普及する力を見る。いづれにしても面白い句。

小宮 豊和

今月は心ひかれる句が多かったが、ちょっと言いたいことのある句もあった。いただいた句の中から失礼とは思いつつ読み手の気持ちをお伝えしたい。「わたくしの中へもこぼれくる零余子」中七「中へも」の「も」は不要と思う のです。「中へこぼれてくる」などとした場合どう変わるかですが。「どんぐりころころ百歳で不良」百歳が老いすぎの感。兜太師も不良は卒業したようです。百歳以下を「不良現役七十五(歳〉)」としたら生々しすぎるでしょうか。「 芋喰らう夫婦というは修行かな(鈴木幸江)」下五「かな」は、「なり」などの方が良いと感じる。「かな」と置くとしたら「夫婦なること」などと、体言が必要だと思います。このようなことを思いつつそれでもいただいたのは一重に良 い感性、良い題材を取り上げられたことのすばらしさです。

漆原 義典

特選句「ふかし芋割ってちょうどいい関係」の、ほのぼのした雰囲気が伝わってくるのがうれしく特選とさせていただきました。ありがとうございます。

亀山祐美子

特選句『鶏絞めて漢の仕切る秋まつり』「鶏を締める」動作と「漢の仕切る秋まつり」のシンプルな事実の二物衝突の見事さ。めでたさ。収穫の喜びの拡がりを過不足なく表現する力強さと共に、農耕民族、狩猟民族としての集団 の規律、歴史さえ垣間見える。どっしりとした青空の見える五臓六腑に染み渡る一句。 久々の天志さんの裁きの連句も楽しい時間でした。ありがとうございました。

野﨑 憲子

特選句「大袈裟に見まわして恋赤のまま」これは初恋の景と直感した。たぶん、少女の。恋しい人を待つ川岸。風に揺れる赤まんまに焦点を合わせたその風情に惹かれた。「大袈裟に見まわして恋」のダイナミックな句跨りから、 胸の高鳴りがこちらにまで伝わってくる。問題句「かちりんと銀河つめたき骨である(増田天志)」この作品も、特に惹かれた句のひとつである。今回も、頂きたかった作品がほんとうに多かった。「銀河つめたき骨である」の把握に、驚 き、不思議に納得させられた。只「かちりんと」の「と」に引っかかり問題句とさせていただいた。

(一部省略、原文通り)

半歌仙<萩こぼれ」の巻

半歌仙「萩こぼれ」の巻
萩こぼれ宮人の舟漕ぎ出さむ
天志
  海濡らしをり瀬戸内の月
瞬夏
しらしらと朝を迎える花野にて
清子
  ひょいと振り向く崖の白馬
憲子
万緑に輝く命満ちてをり
  自転車飛ばす麦わらの女子
たかお
曾祖母の異国に遊ぶこともなく
幸江
  耳の恋しき舌の恋しき
ゆみこ
接吻のあとの名残りの紅残る
章平
  標本箱に羽ばたくかたち
瞬夏
はごろもの風の青さに乗るうすさ
ゆみこ
  からから笑ひ団子食ふ子ら
宏樹
冬の月天の高さの途中なり
  指笛鳴らし梟を呼ぶ
瞬夏
書に耽る師の顔蒼し夜明け前
憲子
  スターバックス我には苦し
たかお
酒に酔ひ男に酔つて花に酔ふ
清子
  遠く近くに陽炎の立つ
憲子

【通信欄】&【句会メモ】

安西 篤さんからのお葉書から~海程終刊も北朝鮮問題も関係のない香川句会の充実ぶりに鼓舞される思いで選を(三段階評価で)。【☆】「子規にふれ蓑虫にふれ国家論(若森京子)」「兄へ白秋桂馬のように飛んでいるか(松本勇 二)」「つるべおとし逃げまわる子と石鹸(矢野千代子)」【◎】「百日紅父母亡き家の屋敷神(稲葉千尋)」「行間をはみ出す叔母です秋暑し(寺町志津子)」「聖書読むように泉を見つめている(月野ぽぽな)」【○】「竜虎図やそこ に大ぶりな無花果(大西健司)」「蜂歩く二百十日の皿の縁(三好つや子)」「停戦は廃墟の街に鳥渡る(増田天志)」「姥百合や飯喰い男となり申す(野田信章)」「そばにゐて風になりたいすすきかな(野﨑憲子)」

10月の、高松での句会では、大津より参加された増田天志さんの捌きで、一年ぶりに半歌仙を巻きました。連句の、後戻りしないで、参加者全員で、先へ先へと巻いて行く作り方や、ベテランも、俳句初学の方も、同じ舞台に立つの が、さながら人生絵巻のようで、とても興味深かったです。また、いつか挑戦してみたいです。

写真は、島田章平さん撮影の横峰寺の野紺菊です。

2017年9月28日 (木)

第76回「海程」香川句会(2017.09.16)

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事前投句参加者の一句

地図に無い駅から始まる新涼 中野 佑海
余熱で煮えるオクラのような片思い 新野 祐子
落研の部員はひとり文化祭 野澤 隆夫
孤独死も悪くはないか黄落期 重松 敬子
子午線に風秋蝶を手放して 三枝みずほ
新松子海がすぐそこ島がそこ 亀山祐美子
餡こ練って練っておばあさんと秋茜 伊藤  幸
我が家馴れイタリア人の夜は長し 鈴木 幸江
停戦は廃墟の街に鳥渡る 増田 天志
靴下をはく日はかぬ日秋桜 菅原 春み
宿題をする日なりとんぼ釣る日なり 河田 清峰
この街に新しき家百日紅 中西 裕子
かごめかごめ戦さにゆかぬ秋の鬼 桂  凛火
シューマンは秋声となりて漂えり 田中 怜子
つるべおとし逃げまわる子と石鹸 矢野千代子
子バッタや跳ばぬ勇気と跳ぶ勇気 藤田 乙女
赤トンボまた先生を泣かせたか 藤川 宏樹
秋の蛇ピアスの少女振り向けば 島田 章平
虫籠に虫の死戦争は知らない 小西 瞬夏
なずむ身を青葉の山に置きて去る 疋田恵美子
この町が好きみんみんがご近所に 谷  孝江
いま僕は月から風を受けている 山内  聡
路地ゆくや蟷螂われを睨みおり 髙木 繁子
草を抜く老母の尻やちちろ鳴く 漆原 義典
体内は秘密のすみか薄紅葉 竹本  仰
れもん踏むもはや不滅を語るまい 銀   次
わからないこともわかった気のする秋天 柴田 清子
青柿落つ いつまでにらみ合うのやら 古澤 真翠
いまは月あかりはあなたの声 月野ぽぽな
降る降らずさぬきの畑にオクラ立つ 鈴木 龍二
百日紅父母亡き家の屋敷神 稲葉 千尋
コオロギが一匹鳴いている奈落 田口  浩
家路かな月の匂いの頭陀袋 若森 京子
竜虎図やそこに大ぶりな無花果 大西 健司
行間をはみ出す叔母です秋暑し 寺町志津子
消印は遠い山国金魚死す 松本 勇二
人間を七十九年広島忌 小山やす子
最中ほどの父の針箱小鳥来る 三好つや子
渡り鳥かなしいか空翔けるのは 小宮 豊和
くさひばりここをとおればここきずつく 男波 弘志
朝のカフェカシミヤセーター同じ色 夏谷 胡桃
葛の花盲(めしい)鑑真渡りし海 高橋 晴子
姥百合や飯喰い男となり申す 野田 信章
あの雲が消えたら決める穴惑い 野口思づゑ
曼珠沙華雨の背中を観てゐたり 野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句「赤トンボまた先生を泣かせたか」人生に必ずある師との出会い。楽しい出会いもあれば悲しい出会いもある。その時には分からない一期一会。また、必ずある別れ。その時に心は動く。はるか時が過ぎて突然に思い出す出 会いや別れ。気が付かなかった師の涙。突然に蘇る記憶。赤トンボが甘く悲しくせつない。昨日の、赤トンボをめぐっての論争楽しかったですね。今、句評を書きながら思い出してつい笑ってしまいました。素晴らしいと思いました。個性 が音を立ててぶつかり合う世界、これがまさに海程の世界なのでしょうね。

藤川 宏樹

特選句「つるべおとし逃げまわる子と石鹸」6・7・4と定型を外しても句調よろしく、「つるべおとし」と「逃げまわる」の動きあり。「つる」と「石鹸」が動きに呼応しています。「子と石鹸」の切れある締めも効いて映像明 快、勉強になります。句会場にて拙句「赤トンボまた先生を泣かせたか」について伺った皆様の意見交換、盛り上がり楽しかったです。句を手放すと読み手がそれぞれの解釈を持たれること、実感できました。句会参加を楽しみに月3句、 時には苦しいノルマを果たしています。今後ともよろしくお願いいたします。

中西 裕子

特選句「行間をはみ出す叔母です秋暑し」行間をはみ出すというのびのびとした型にとらわれないおばさん、そのエネルギッシュな感じと秋暑しが合っていて、小太りであろう叔母さんのイメージが浮かびます。こんな叔母さんが いれば楽しくもあり、困惑もし、でしょうか。問題句「姥百合や飯喰い男となり申す」姥百合やの句で、難解でした、どういう意味か情景かわからず、解説いただくと、芭蕉の句に飯食い男なんたらという句があるそうなので調べてみよう と思いました。おそらく一年ぶりに参加、緊張もあり勉強になりました。

増田 天志

特選句「曼珠沙華雨の背中を観てゐたり」雨そのものの背中なのか、雨に濡れる曼殊沙華の背中なのか、それとも、雨に濡れる君の背中なのか。絶望的な愛を感じるのは、季語の効用か。

小西 瞬夏

特選句「聖書読むように泉を見つめている(月野ぽぽな)」この散文的な書き方。「聖書読むやうに見つむる泉かな」と俳句的はせず、字余りを選択。それが、なんとなくぼんやりとした空気を醸し出している。しかも、そのぼんやりは、ただの ぼんやりではなく、宗教的思索なのである。その精神性と空気感に共鳴した。

中野 佑海

特選句「魂の修羅しゅら燃ゆる芒原(疋田恵美子)」常に何かに闘いを挑み、欲望を削ぎおとし、まるで鬼に取り憑かれたように、しゃ嗄れていく。芒が原の荒涼感と魂の寂寥感がとてもマッチし過ぎて切ないくらいです。ちょっともう少し肩の 力脱いだ方が良いんじゃない!? 特選句「つるべおとし逃げまわる子と石鹸」どれもツルツルと両方の手からいとも簡単にくるくると抜けて行く。今年ももう秋、孫もあっという間に小学校へ行って、普段は婆は必要無し。石鹸まで此方をバカにするようにツルリと溝に落 ちて行く。もっとよく廻るのは我が口(愚痴)ばかりなり!!一つ言えば、「石鹸と」にした方が、リズムは良いと思います。孫にかまけて、毎日があっという間の六十代です。今月も楽しい俳句を有難うございました。

三枝みずほ

特選句「靴下をはく日はかぬ日秋桜」素足でいると自然の呼吸や人の体温や何か伝わってくるものがある。少し肌寒くなるとその感覚はよりダイレクトに鋭敏になる。靴下をはいて自分を守りたい日、裸足で自分を開放したい日、 そんな両方の感覚を秋桜が受けとめてくれているように感じた。

山内  聡

特選句「銀座にて落款を択る良夜かな(重松敬子)」銀座を筆頭におしゃれな言葉がずらりと整然とポエムになっている。多分、鳩居堂での詠句。「銀座」で俳句を詠んだことがないものですから僕も今度銀座に行った時は「銀座」を一句に詠 みこみたい、と思わされる一句になっています。とにかく「銀座」が効いているし「落款を択る」もお洒落ですしそこに「良夜」とこれまた季語の中でも僕がとても大好きな季語をチョイスされていて素敵な句になっています。おしゃれだ けではなく結局選ばれた落款はどのようなものを選ばれたのか?その落款をどこに使われるのか?そして多分落款を作者が手彫りされる様子など想像できてメチャメチャいいです。とにかく銀座と落款と良夜の組み合わせが最高です。あり がとうございました。

若森 京子

特選句「さりげないきつねのかみそりは恋だ(田口 浩)」さりげなく毒性のある「きつねのかみそり」に「恋」をぶつけた俳諧味のある一句に惹かれた。特選句「流れ星俗に感謝のしっぽかな」宇宙の流れ星に幸運を祈る人間。犬は㐂こぶと しっぽを振るが、日常において人間にも見えない感謝のしっぽがある。「俗に」の措辞により人間臭い本能を思う。流れ星で始まる独自な感覚の洒落た一句。

 
竹本  仰

特選句「聖書読むように泉を見つめている」なるほど、聖書を読む時の眼というのは、そんな様子なのかも知れないなと思いました。日により時により変化絶え間ない水であるが故の思念、瞑想、観想と、汲んでも汲んでも汲み切 れない、不可思議な源が感じられますものね。聖書と水というつながりに興を覚えました。そういえば、この間、仏事に出ていた牧師さんをお見掛けしましたが、そうなんですね、その方の眼はそのようであり、一人静かに黙念しておられ ました、ちょうどこの句のように。特選句「曼珠沙華雨の背中を観てゐたり」雨の背中、魅力的な表現を持ってきましたね。誰の背中かという連想も大事ですが、むしろ雨そのものの背中とみると、泣きの本然、泣きの源泉みたいなものが 見えてきて、そこが魅力の句だと思います。源へさかのぼる、その訴求力、想像力に一本やられたというところです、しかも異様に甘いムードで迫って来る、この一本は映画一本に匹敵するなあと感心です。特選句「なずむ身を青葉の山に 置きて去る」青春との訣別でしょうか。だが、青春を去ること自体も青春のなせるポーズだと見え、そこも含めての魅力をいただきました。兜太師の「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」も、もう一度帰って来るよという誓いの「置きて 去る」だと思いましたが、この句も同じ心なのだと深読みいたしました。「置きて去る」には或る戸惑いと割愛の嗟嘆かと感じられ、青春の魅力ありありとしています。問題句「ゴキブリの神経細胞街明かり(小山やす子)」 この句は、天才の作かと思い、しかし、そういう誤読の自身をたしなめるため、あえてそんなワタクシ事で、問題句にシフトさせていただきました。昔観ました竹内銃一郎の芝居で「月ノ光」という舞台がありました。プラハかどこかが舞 台で、猟奇連続殺人のなか、主人公の佐野史郎が叫んだセリフに、ああ、この町はぼくの脳細胞の中にあるんだ、というのがあって、今も頭にこびりついて離れないのですが、それがこの句と二物衝撃を起こしたということです。そうなん です、街はゴキブリの神経細胞になぞって作られていた、そういう解釈にしびれるのです。私ども人間の浅慮は、そうまでして尽くす奴隷状態を選んでいたのだとも思え、人間の自由というやつを大いにちくりとさせる名作だと、誤読士を しびれさせました。以上です。今回は字数多いです、いい作品多いです。みなさん、本当に毎回作品を読ませていただき、ありがとうございます。あらためて、感謝です。いつも、ありがとうございます。

矢野千代子

特選句「青柿落つ いつまでにらみ合うのやら」青柿がおちる。その予想外の響きにもにらみ合いは続く。さ~て、行司が必要かな? 特選句「くさひばりここをとおればここきずつく」:「ここきずつく」は言い得ての巧さ。シ ャープな感性がひらがな表記によって、より素直に伝わる。

月野ぽぽな

特選句「孤独死もわるくはないか黄落期」一つの、でも大きな達観・諦念。外から見て孤独と見えても孤独ではなく、孤独でなく見えても孤独であることもありうるでしょう。ありのままの自分を貫いていて生きてきたのならば、 どんな最後も最高のかたち。黄葉が喝采のようにきらきらと美しいです。

男波 弘志

「さりげないきつねのかみそりは恋だ」ずっとこの句のことを考えていた、何故上5が腑に落ちないのか、ふと「昼過ぎのきつねのかみそりは恋だ」そう呟いた。さりげない、が実は、さりげなくない、感情を一切言わないことで 恋の原始感が生まれるのでは。「落し文佛にもあるふたごころ」先ず。佛の文字のつくり、これは非ず、人に在らざる者、ふたごころ、その一端に過ぎない。ある時は悪をなさしめ、考えさせるのも佛、大乗の佛はうようよしている。「子 午線に風秋蝶を手放して」蝶が風を離れて飛翔することなどあり得ない。手放す、のは作者の精神世界、大乗虚空への飛翔。「寝る前にペンをもつ鶴のまばたき」端正な石田波郷の横顔、「吹きおこる秋風鶴を歩ましむ」この一行詩を思え ば、それでいい。「かごめかごめ戦さにゆかぬ秋の鬼」戦の鬼は武器を手にしている、野の鬼は赤い花をゆらゆらさせてい る。「虫籠に虫の死戦争は知らない」囚われの虫の死、(誰がつくったの、その死?)はまだ知らぬ戦争よりもリアルであろう。「いま僕は月より風を受けている」月光そのものが風に変容している。もしかしたら体中切られているかもしれ ない。「木の実落つ少女は持たぬ腕時計(三枝みずほ)」木の実、以外でも一句の姿は創れたはずだが、木の実のエロスと少女の素手、自分には少女の臍まで観えている。「消印は遠い山国金魚死す」手紙が届かない時間軸のなかで、死んだ金魚、赤の鮮 烈さをうしなった文字なのかもしれない。「あの雲が消えたら決める穴惑い」娑婆を去るには、去るだけの理由がいる。自分には娑婆に居るほんとうの意味がまだ解っていない。だから、去るだけの意味もわからない。風景なのか、心象な のか、ことばなのか、声なのか、それもよく解らない。個であるとき存在はなくなるのかもしれない。

古澤 真翠

特選句「いま僕は月から風を受けている」素直な表現でありながら、勇壮な景色が浮かび上がる句に、暫し心を奪われました。

稲葉 千尋

特選句「新松子海がすぐそこ島がそこ」まさに実景であろう。私は尾道がすぐ頭に浮かび、五、六回言った尾道を想っている。特選句「体内は秘密のすみか薄紅葉」人間の体は不思議なものである。本当に秘密の棲である。誰もそ うであるが、何処かわからない事が良く起る。〝薄紅葉〟よし。  

鈴木 幸江

特選句「余熱で煮えるオクラのような片思い」よく考えると片思いというのは、自分の安全を守るタイプの恋だと私には反省される。それは、あんまりに過ぎてはいけないオクラのようで、余熱で煮るのがベストなのだ。言葉では 伝えられないような意味深なことを表現している句だと感心した。問題句「ゴキブリの神経細胞街明かり」この句を、私は、科学句と命名したい。科学的な気付きを課題としたところに注目した。こういう句もあってもいい。夜行性のゴキ ブリの神経細胞に街明かりは、どんな刺激を与えているのだろうか。そして、どんな反応を起こしているのだろう。人間にだって異変が起きていることだろう。進化論的にちゃんと考えて置きたい課題提議の一句だ。今回は、将かの夫の初 参加。一度行ってみたいと思っていた松山の子規記念博物館で子規の生き様に感銘し、刺激を受けた所為か。その結果の作句挑戦である。載せていただきありがたい。皆さま読んでくださり本当に有難うございます。

伊藤  幸

特選句「姥百合や飯喰い男となり申す」諧謔の中にも何と侘しい句であろう。男がリタイアした後の情けない現実、社会現象となっている。趣味でも持っている人は未だ良いが、家でゴロゴロしている人も多いと聞く。「俳句でも 如何?」とお勧めしたいところだ。

亀山祐美子

「センチメンタル」論争面白かった~特選句『蜂歩く二百十日の皿の縁(三好つや子)』「蜂」は春の季語だが「二百十日の蜂」なので問題はない。「皿の縁をただ蜂が歩いている」だけなのに、緊張感があるのは季語の斡旋が良いからに他なら ない。うまい一句。特選句『そばにゐて風になりたいすすきかな(野﨑憲子)』誰のそばにいるのか。「それぞれの大切な人」へ想像が膨らむ。「風」以外のひらがな表記の柔らかさがより一層「風」を際立たせる。「すすき」のなびく草原の広がりを 感じさせてくれる好きな一句。ただ、気になるのが「なりたい」の「たい」が希望の意を現す助動詞なら文語体では「たし」の連体形「たき」になるのではなかろうか。「そばにゐる」の「ゐる」が文語体なので気になる。一句に混在は避 けたい。どちらかに統一したい。私は文法が苦手なので、いつも不安だ。間違ってたらごめんなさい。どなたか教えて下さい。読みを「ひらがな」にする時も確認必須で、文法は本当に苦手。いつも辞書と首っ引き。知らないことが多過ぎ る…ではまた。句会報楽しみに致しております。

大西 健司

特選句「家路かな月の匂いの頭陀袋」どこか負のイメージがある頭陀袋。そんな頭陀袋が月の匂いがするという。家路をたどりながら、どこかほっこりする気持でいるのだろう。やさしい気持にさせてくれる句だ。

三好つや子

特選句「餡こ練って練っておばあさんと秋茜」おはぎの餡をつくる母にくっつき、味見をねだった子どもの頃を思い出しました。日本人のDNAをくすぐる郷愁感に満ちた句です。特選句「かごめかごめ戦さにゆかぬ秋の鬼」不可 解な歌詞ゆえに、怖い都市伝説を生んでいる童謡「かごめかごめ」と、秋の鬼との取り合わせに、作者の深い思いがありそうで、惹かれました。入選句「曼珠沙華雨の背中を観てゐたり」ひと雨ごとに夏が遠のいていく詩情を、雨の背中と いう言葉でうまく表現。曼珠沙華がさりげなく効いています。

野澤 隆夫

特選句「行間をはみ出す叔母です秋暑し」:「行間を読む」は「表面に出ない真意をくみとる」こと。その「行間」をはみ出すとんでも叔母さんに、何とも言えない面白みがあります。叔父さんではだめです。問題句「棒アイス陰 の高架に火消し立つ」棒アイス、高架、火消し。何か謎めいてます。ミステリアスな感じがして不気味です。今回の選句、135句を3回声に出して丁寧に読みました。これはという言葉は電子辞書、スマホをひきつつ。皆さんどの句もよ く練られていると、感心させられました。ちなみに調べた季語、語彙を列挙してみます。 オクラ、慟哭、通草、黄落期、聚楽第、プレリュード、子午線、逃げ水、収斂、秋燕忌、ひとかど、いっぱし、地殻、草庵、秋声、処暑、なずむ、 茸、微温 、太陽フレア、頭陀袋、施餓鬼、青僧、髻、頤

 
夏谷 胡桃

特選句「餡こ練って練っておばあさんと秋茜」。絵本のばばばあちゃんが餡こを練っている絵が浮かびました。お彼岸です。夫の母が山ほどのお萩を作っていたのも思いだしました。わかりやすく躍動感あるいい句だと思います。 こういう句を作りたいです。

谷  孝江

特選句「あおむけのままで眠っていて花野(月野ぽぽな)」この句の中の、大らかさが好きです。雲の流れも草の穂の揺れも自由に身ほとりを通りすぎてゆきます。恋も悔いも不平不満もあったでしょうが、すべてが良しと思っていらっしゃるの でしょうか。先日も、かかりつけの医師より、人の最期の仕舞い方で、その人のこれまでの人生が分かります。大切な事ですよ、と教えられてまいりました。全くその通りだと感じています。感謝感謝の毎日でいようと心に決めています。

野田 信章

特選句「秋の蛇ピアスの少女振り向けば」句の主体は少女である。ピアスの少女との一瞬の出会いが呼び込んだ「秋の蛇」との感応は多分に生理的であり、上句に配置することで「秋の蛇」の暗喩力が作用して、ピアスの少女の存 在感を陽のぬめりと共に際立たせている。特選句「子規にふれ蓑虫にふれ国家論(若森京子)」:「子規にふれ」さらに「蓑虫にふれ」としたことで、この渾沌の世に大言壮語すべき国家論ではない視点を持つ作者の立ち位置の明確な句として読めた。

疋田恵美子

特選句「この町が好きみんみんがご近所に」都会から地方へいらしたお方でしょうか。みんみんがご近所とは素敵。特選句「何もかも捨てて蓮の実ぽんと飛ぶ(重松敬子)」この年代になりますと同感。ぽんと飛ぶが、爽やかに力強く生きる姿 が見えて良い。

柴田 清子

特選句「いま僕は月より風を受けている」月の光ではなくて風。この風に酔はされました今年の中秋の名月にはきっとこの句口にしている特選です。特選句「そばにゐて風になりたいすすきかな」言葉は易く、思いは深い。この内 容を支えている「すすき」が、とってもいい。秋思である。ひとりごと・・・五十年も一緒にいる、もう風になってくれてもいいし、風になりたい。

桂  凛火

特選句「さりげないきつねのかみそりは恋だ」:「さりげないきつねのかみそり」ってなんだろう。たぶんこれは虚構だと思うのだけれど、「さりげない」の措辞にこころをつかまれた感じだ。「恋」を定義するのにさりげないと狐 と剃刀は道具立てとしておもしろい。恋はいつのまにか始まる。きつねのようにだましだまされるスリルがある。時には己に向かう刃物ともなる。そんな3要素をくっけた俳句と思ったら楽しい。恋だの断定も潔くてよいと思いました。

田口  浩

特選句「半月や東半分西半分(山内 聡)」句に解釈は無用である。ザックリと半月を詠んで上々。巷間、〈月は東に日は西に〉〈駅に西口東口〉等があるが、この作品の魅力は見えていない半月にも意(こころ)を動かしているところである。 俳諧不思議であろう。特選句「くさひばりここをとおればここきずつく」こう言った作品に理屈をならべるのは野暮であろう。〈ここをとおればここきずつく〉か?傷つくのである。そう肯定できる人が、繊細な草雲雀のフイリリ、フイリ リと鳴く音色に爽やかな秋を身体で体験できるのである。句はそのことだけを詠している。

松本 勇二

特選句「最中ほどの父の針箱小鳥来る」:「最中ほど」という喩一発の作品。季語も相俟って父上の清新な生活が見えてきます。問題句「わからないこともわかった気のする秋天」閃きに冴えがあります。「わからないことも」の「 も」を取ればもっと冴えてくると思います。

小山やす子

特選句「流れ星俗に感謝のしっぽかな(竹本 仰)」成る程なぁと素直に響きました。

寺町志津子

特選句「最中ほどの父の針箱小鳥来る」句の主人公の「父」は、とうに妻に先立たれた独り身に違いない。妻に先立たれ、言い知れぬ孤独感、寂しさに耐えながら暮らしてきた父を、子である作者は、何かにつけて手助けしたいと 思っているのに、子に面倒を掛けないように、例えば釦付けなどは、慣れぬ手つきながら自分で処理するような父である。その父の針箱は、最中ほどの小さな箱。針箱を見つけた作者は、寡夫となった父を大変いとおしく思いながら、時間 の経過とともに自立していく父に、軽い安ど感を得た。「小鳥来る」の季語の温かさが、それをよく象徴しており、母を先に亡くした私は、寡夫となった亡父の底なしの寂しさ、健気な生きざまを思い出し、感動しました。

重松 敬子

特選句「竜虎図やそこに大ぶりな無花果」もう少し整理ができたらと思いますが、この作意を感じさせない表現が、魅力なのかも知れません。無花果を持ってきたのは、お手柄でしょう。

河田 清峰

特選句「蜂歩く二百十日の皿の縁」迷い入り来た蜂が逃げもせず歩くそれも欠けやすい縁を…二百十日と響きあう句だと思う。

新野 祐子

特選句「葛の花盲鑑真渡りし海」昔から人の暮らしに活用されてきた葛は、生命力の旺盛さにおいては他のつる性植物を凌駕します。その花は秋の七草とされているように風情があり、よい匂いもします。日本の文化に大きな影響 を与えた中国の高僧鑑真は、悪天候のなかの渡航により盲目となります。このドラマチックな光景が「葛の花」により読む者の脳裏に鮮明に刻まれます。特選句「わからないこともわかった気のする秋天」秋の空を仰いでいる心境は、この 句にぴったり。晴れやかですね。疑問や矛盾をいっぱい抱えている日常、顔を上げて空を眺めましょう。入選句「あの雲が消えたら決める穴惑い」どちらかというと嫌われ者の蛇だけれど、よく見ると一重瞼の目がかわいらしい。ひとり静 かに雲を見て秋を惜しんでいるのですね。

銀   次

今月の誤読●「草いきれ鼻の奥にロバがいて(夏谷胡桃)」。なんともシュールな句である。「草いきれ」というのだから、たぶん場所は田園か草原であろう。時期的には熱気に包まれた夏の盛りと思われる。そんななかで作者は「鼻の奥に」 「ロバ」がいるのに気づいたというのがこの句である。さて、まずどうして気づいたのかという問題がある。鳴いたのか。ロバがどんな鳴き声をあげるのかしらないが、(たとえば)ブヒッと鳴いたとたん、おっロバだ、とわかったとすれ ば作者はなかなかロバに精通していると思われる。もしかしたら飼っているのか? いやまあ、それはいい。最大の謎はそのロバがどうして、(あるいは)どのようにして「鼻の奥」などに入ったかという点である。大小の比較ひとつとっ てみても、人間の鼻にはロバは入らない。北島三郎の鼻でもムリである。比喩的な表現として「目に入れても痛くない」というのがあるが、あいにく無学なわたしは「鼻に入れても痛くない」という言葉はしらない。いやいやいやいや、痛 いだろう。ロバだよロバ。ふつう死にません? それともクシャミしたとたん、鼻の奥からロバが出てきて「なんでもいい。みっつの願いを叶えましょう」とでもいったのだろうか。アラビアンナイトでは王さまの機嫌をとるために、千夜 一夜、さまざまな奇譚を話して聞かせたという。その類いなのかとも思う。だとすれば語り手のシェエラザードはその場でクビを刎ねられていただろう。いずれにしろ、この句は、カフカさえしのぐ不可思議に満ちている。希代の奇句にし て、近代文学の最前衛に位置する作品と思われる。傑作だ。

菅原 春み

特選句「地図に無い駅から始まる新涼」季語の取り合わせが新鮮。特選句「発音のきれいなロボット望の月(伊藤 幸)」ロボットにすべて奪われそうな人間と季語が妙にあう。

漆原 義典

特選句「コオロギが一匹鳴いている奈落」秋の静けさ、もの悲しさをコオロギ一匹鳴くがよく表現されていると思います。また奈落がいいです。

野口思づゑ

特選句「この街に新しき家百日紅」もしかしたら人口が減ってきている街なのでしょうか。そこに将来を見ている家が建築された、百日ずっと紅というサルスベリの漢字を下5に持って来た明るい句です。問題句「余熱で煮えるオ クラのような片思い」面白い発想だとは思うのですが、その程度なら波風もたたず軽い片思いなんだろうと思ってしまった。

藤田 乙女

特選句「何もかも捨てて蓮の実ぽんと飛ぶ」いろいろな煩悩に苛まれ、執着心から抜け出せない日々、このような境地になりたいとおもいました。特選句「しなやかに肌すべらせて秋の蛇(島田章平)」蛇という文字さえも嫌いな私ですが、こ の句には大変惹かれました。

小宮 豊和

特選句「落し文佛にもあるふたごころ(谷 孝江)」ふたごころとは、普通、二人の異性を同時に愛することや、味方や主君にそむく心を言うが、広く解釈すれば、白も黒もとか、相反する事実をそれぞれ、それなりに理解するとか、社会現象 にもあてはまると考える。作者は、ふたごころが佛にもあるという。佛智あるいは神智を人智をもって推定し、ずばり断定したわけである。ここがおもしろい。ほんとうにそうであるかそうでないかは、俳句では関係ない。作者がそのよう に確信し、読者がそれなりに納得する。それでいいのだと思う。

田中 怜子

特選句「行間をはみ出す叔母です秋暑し」この叔母さんはどういう人なのか、興味深々。特選句「朝のカフェカシミヤセーター同じ色」一寸気取って、こんな朝もいいですね。多分、1人で来たのかきちんとした日常を大事にする 人の生活。

高橋 晴子

特選句「最中ほどの父の針箱小鳥来る」父上の性格や親子関係に好感がもて、表現が適切でうまい。問題句「人信じねば生きられずコオロギよ(谷 孝江)」言葉だけに終って具象化が欲しい。「コオロギよ」も、今ひとつ、上五、中七に対し て感覚が冴えないような気がする。

野﨑 憲子

特選句「いまは月あかりはあなたの声」真清水の滴りのような、清新な風の囁きのような一句に立ち止まった。作者は、人間を超越しているのかも知れないと、おもった。破調の調べの見事さ。大いなるいのちの、荘厳なシンフォ ニーがこの句から流れてくる。問題句「草いきれ鼻の奥にロバがいて」とても惹かれた句である。ロバの、蒸した麦藁のような鼻息が、行間から伝わってくる。一読、「鼻の奥にロバ??」この意外性が、素晴らしい。どちらも、創作意欲 を喚起してくれる作品である。拙句「そばにゐて風になりたいすすきかな」の表記に付いて、文語表記にするなら「なりたい」は「なりたき」であるべきだというご指摘を受けた。まったくその通りなのだが、今回は、敢えて混雑のまま出 させていただいた。こういう作品も可とする句会でありたい。日本語もまた、生きものであるとおもうのだが、如何?

熊谷市のデパートで、創業記念企画展「金子兜太と金子家の俳人たち」がありました。企画プロデュースは、時田幻椏さんと言う金子先生の母校熊谷高校の後輩の俳人です。「海程」には属さず金子先生に師事し、独自の発想での展示 がとても新鮮でした。時田さんが送って下さった企画展の映像アドレスです。 https://youtu.be/3S3u1yCmOcM  ご覧ください。見所満載で、中でも、先生の近影と、横書きの色紙の「ありがとう」の文字が圧巻でした。「海程」香川句会も 、一回一回の句会を大切に、ますます多様性を帯び、熱く渦巻いて参りたいです。ご参加の皆様、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

朝顔
朝顔の紺にこと寄せ娑婆を去る
男波 弘志
朝顔や江戸っ子三代無一文
島田 章平
日輪に海が従う朝顔も
田口  浩
朝顔や音楽室に温度計
藤川 宏樹
黒猫の消えた窓より月の指
島田 章平
星月夜人も来ぬのに粧ふて
中西 裕子
笹持ちて月を仰ぎて詠み狂ふ
山内  聡
ロッジまで月白に入る食足りて
河田 清峰
アスファルト道路へ寝っ転がって三日月
野﨑 憲子
月入れて鏡合せることすなる
柴田 清子
釣瓶落し
鴉の群れ北へと釣瓶落しかな
山内  聡
ジャズ始まりて異人坂の釣瓶落し
三枝みずほ
人生も釣瓶落しとなり嗚呼
鈴木 幸江
山中の迷子に釣瓶落しかな
小宮 豊和
無患子
先生はメモ魔わたしは無患子に書く
野﨑 憲子
ずぶ濡れで膝を抱えてむぐげの実
銀   次
無患子や風の弔ふ小町塚
島田 章平
無患子や海が見たいと叫ぶ人
鈴木 幸江
無患子の実や絶食は辛かろう
田口  浩
無患子やあたたかそうに数珠置かれ
男波 弘志
バッタ
来生はバッタのごとくはねて生く
中西 裕子
レットイットビー思い切り遠くへバッタ
柴田 清子
いちにちの出来事話すバッタかな
三枝みずほ
はたはたや航空路避け着地せる
河田 清峰
解のなき犬とバッタの関係式
鈴木 幸江
曼珠沙華
曼珠沙華融通の利かぬ私です
藤川 宏樹
山姥に誑かされし曼珠沙華
河田 清峰
師はいつも風を観てゐる曼珠沙華
野﨑 憲子
唐突に地より湧きけり曼珠沙華
小宮 豊和
曼珠沙華長寿眉が邪魔なのだ
田口  浩
曼珠沙華詩の行間のこわれそう
男波 弘志
球根をいただき白の曼珠沙華
山内  聡
曼珠沙華空中都市の道の端に
銀   次
返り花
帰り花裏木戸に陽の差して
柴田 清子
返り花手紙を書いて又出さぬ
中西 裕子
後から時間が迫まる返り花
田口  浩
返り花ならんと小さく喘ぐ花
鈴木 幸江
返り花夢のなごりは水の中
三枝みずほ

【通信欄】&【句会メモ】

本句会の仲間、月野ぽぽなさんの『人のかたち』が今年の角川俳句賞を受賞しました。おめでとうございます!「海程」終刊へ向けて大きな華が開きました。ニューヨークから世界最短定型詩の女神としてますますのご健吟とご活躍を祈念いたします。

安西 篤さんからのお葉書から~このところ多忙と夏バテが重なり、どうにも頭が働きませんが、香川句会報に励まされる思いで選だけしてみます。【☆】男滝女滝内ポケットに知らない鍵(伊藤 幸)」虹は空の美しいかすり傷です (月野ぽぽな)」「難聴や玉音はもう玉虫の羽音(若森京子」【◎】「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼(野田信章)」「銀蝿唸る忠治の役者眉太し」「原液はあまりに素直秋の蛇(野﨑憲子)」【○】「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る(三 好つや子)」「青榠樝若き空海立つごとし(高橋晴子)」

台風接近中の雨の中、会場、ほぼ満杯のご参加で句会は始まりました。事前投句の合評では、「赤トンボまた先生を泣かせたか」の句に、会場に居た作者もびっくりするような様々な鑑賞や、論争が展開し、句会の醍醐味を満喫しまし た。続く<袋回し句会>も、緊張の中に笑い声の爆発する充実した楽しい句会となりました。<袋回し句会>は、掲載の快諾を戴いた方のみの作品です。

2017年8月31日 (木)

第75回「海程」香川句会(2017,08,19)

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事前投句参加者の一句

くちなはくちなはくちなはくちなはは 小西 瞬夏
もやしっ子麦わら帽の影に脚 藤川 宏樹
山霧よ木綿のようになじみおり 稲葉 千尋
ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家 谷  孝江
おはようをかわす先には蓮の花 山内  聡
風がきて星きて森という祭 月野ぽぽな
蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る 三好つや子
プールサイドの青色小瓶獏の貌 大西 健司
夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 三枝みずほ
蝉しぐれを留め山門の授乳かな 竹本  仰
難聴や玉音(ギョクオン)はもう玉虫の羽音 若森 京子
鍵盤の残響に酔う夜の秋 寺町志津子
おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る 小宮 豊和
夕立に平面となる空の都市 銀   次
行雲流水青美しきねこじやらし 高橋 晴子
健脚や赤シヤツ似合ふ生身魂 島田 章平
立葵二マイクロシーベルトの空へ 新野 祐子
遠泳の陸に続続兵馬俑 田口  浩
もの音に窓を開ければ盆の月 髙木 繁子
男滝女滝内ポケットに知らない鍵 伊藤  幸
万緑や風が紡いで行く病後 小山やす子
終戦日ブリキの玩具の強き青 重松 敬子
俺ってここに居ていいんだよね金魚 増田 天志
敗戦日焼け跡だった通学路 田中 怜子
午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝 野澤 隆夫
地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼 野田 信章
蟹のため横断歩道はありません 鈴木 幸江
幼子の噛み跡残し夜の秋 中西 裕子
びわこ周航四葩の飢えはここから 矢野千代子
髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛 河野 志保
蝶2頭くるくるまわる恋しよう 夏谷 胡桃
置きし桃触れられもせず旅立ちぬ 中野 佑海
行く道の細し八月十五日 亀山祐美子
かなかなのシャワー人体野に浮かせ 松本 勇二
夾竹桃ゆるるその日の口紅は 疋田恵美子
蜩やあの世とこの世の汽水域 菅原 春み
みんなよりひくいところにいてほたる 男波 弘志
己が傷どこで幕引く終戦日 野口思づゑ
闇に鼓動戦争知らぬ海月たち 桂  凛火
法師蝉やっと君の出番だね 漆原 義典
身丈伸ぶグラヂオラスの乳のあたり 河田 清峰
蝉しぐれ吸い込まれ行く獣道 古澤 真翠
命なきものにもあはれ水中花 藤田 乙女
性格が不一致あさがを夜ひらく 柴田 清子
原液はあまりに素直秋の蛇 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「虹は空の美しいかすり傷です(月野ぽぽな)」虹を空のかすり傷と捉える感性に脱帽。傷というマイナスに、美しいというプラスの形容詞を付けることも、対照的表現の技巧。

小西 瞬夏

特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和の匂うブリキの玩具。その中の青色が強く感じられる、ということが、終戦日の言葉にできないさまざまな思いと響きあった。青の中に、海や空でなくなった方のたましいを見たのかも しれない。いや、それは無意識の話で、作者は「今日はどうしてこんなに青が目に刺さるのだろう」と思っているだけかもしれない。

藤川 宏樹

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」仮名づかいで観賞、解釈の自由度が高まる。季語「蛍」の「ほたる」が、「灯照る(ほたる)」「火照る」「尾照る」と動詞にも受け取れる。すでに子持ちの倅がまだ幼い夏の家族旅行。 連泊の安宿から初めて泊まるホテルがよほど気に入ったか、その後「ホタ(●)ルに行きたい!」と再々せがまれたことを思い出してしまった。

男波 弘志

「くちなはくちなはくちなはくちなはは」なんか、するっとぬけてしまったかんじです。下5「くちなはが」でも面白いかと。「風が来て星来て森という祭り」森そのものが祭りに、太古の祭り、素晴らしい感性。「夏の大三角ぶ つけ合ふ個性」宇宙の壮大さと身近な人間模様の交歓、見事、珍重。「終戦日ブリキの玩具の強き青」消えない思い、それが青に象徴されている。強い思い。「母を巻く白帆のように夏の服」映画の一場面を想像した。宮崎監督復活?「び わこ周航四葩の飢えはここから」陸から水の上に乗る不安感がよく出ている。「原液はあまりに素直秋の蛇」秋の蛇のがんしゅう、それが解れば句意は鮮明。原液、その言葉を句にした手がら、珍重。「赤き星見てきし髪を洗ひけり」髪を 、星、を洗っている。星は更に赤くなった。「水平線を背に持つ魚九月来る」持つ、が生命、背びれが、魚身が水平線と一如になる。

中野 佑海

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」ポンポンという響きと楽天家が良く合っているし、嫁は主人に向かってポンポン文句を言うもんだし、それを「はいはい」と元気なら良いじゃないかと快く、一緒に40年も暮らして くれている夫の有り難さ。夫婦の基本形ですね!特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」蜩の鳴く頃、暑さも頂点を越え、いい加減嫌になったと思う頃蜩のあのちょっと思いつめたような、諦めたような鳴き声。そして、夜には静かに虫の 声も。汽水という海と川の混じり合うあたり。夏と秋、そして、お盆に帰ってきた魂の帰っていくための開かれたあの世への入口。さあ、食欲の秋だぜ!失った体力を取り戻さなきゃです。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」 くちなはって蛇のことですよね?もう一つそれがどうしたのって思うんです。それで、何回か見てたら、誤読も良い所ですが(銀次さんには敵いません)最後の所、「くちなはははは」って読めたんです。本当は「母は蛇」なんですよね? 母って怖いですし執念深いし、子供の事なかなか諦めませんもの。うん、この俳句はかなり含蓄が深いぞ!

野澤 隆夫

特選句「健脚や赤シャツ似合ふ生身魂」小生の先輩に憲法9条を守ることに命をかけてる山男がいます。ちょっと体調を崩した時期もありますが、今も彼は矍鑠(かくしゃく)と活躍。赤シャツの生身魂を彷彿させられました。特 選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和16年生まれの終戦日は4歳。記憶はおぼろですが、ブリキの玩具に戦後を想い、強き青に平和の喜びを感じさせられました。問題句=気になる句「わてが何した言わはるのナメクジリ(増田天志 )」おもしろくてついつい気になる句です。大阪のおばさんの〝何した言わはるの!ばーか!〟とは言わず、〝ナメクジリ〟とお呪(まじな)いをかけてるのがクスリです

竹本 仰

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」家の中でしょうか。家族の中での居場所を問いかけているのでしょうね。それだけ、家族関係が不確かなものであり、自分の存在感を問いかけずにはいられない危機的な状態というの でしょうか。問えば問うだけ希薄に感じられる自己と、なまなましく存在感を増してくる金魚、この対比がすぐれている。この家を裏側から見ている金魚、問いかけつつしだいに抽象化していきシルエット化してしまう家族。問いかけるこ とは敗北ではない、むしろ問いかけをやめたところから敗北は始まる。そんな暗示があるようにも。特選句「母を巻く白帆のように夏の服」かつて母が愛した服を着て鏡にたしかめてみると、あろうことか、母が白帆につつまれて水葬にさ れようとしているような、そんな錯覚のまぶしさに立ちくらみがし、母が降りてきたかと思えば、降りてきた母とともに今あることへの幸福を感じるということでしょうか。会田綱雄の詩に「伝説」というのがあります。屍を食べた蟹を人 間が食べ、その人間をまた蟹が食べるという、そんな輪廻を描いたものです。そこには戦中の中国人からの教えがあり、戦死者を食って蟹は太るから日本人とは共に蟹を食うことはできないという或る道徳感を知ったところからの発想があ ったようです。この句には、母の夏の服から、同じ生き方、そして同じ死に方を受け入れていく、そんな魂のリレーを水の連想により語っているように思えました。特選句「赤き星見てきし髪を洗ひけり(小西瞬夏)」:「ガス弾の匂い残 れる黒髪を洗い梳かせて君に逢いゆく」あるいは、「燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし」という、道浦母都子さんの短歌を連想させました。髪を洗うが、この場合、痛切な何かの体験を暗に語っているような気が しました。自分を支配してきた何らかの鮮明なものを振り捨てるというのか、やむをえぬ生き方の改変を迫られてそうしている、そんな感じでしょうか。「赤き星」が何か純粋で痛々しいと感じたからでしょうか。髪を洗うが、厳粛な儀式 めいて、いいと思いました。

田中 怜子

特選句「母を巻く白帆のように夏の服」こんな若々しい母親を誇らしげに見上げる子ども。特選句「半夏生咲く多弁は病の兆しかな」己を見つめながらどうしようもない気持ち、つらいね。

山内 聡

特選句「もやしっ子麦わら帽の影に脚」。ひょろひょろっと夏痩せのような子供がいて日中の太陽が高い時に足元にひょろひょろっとしたものと対比的に大きい麦わら帽子が影として足元に写っている。親としては何やら頼りない 子供に一瞬映ったがたくましく育っている我が子に笑顔を振り向け、それに対して子供も笑顔を振り向けている、という情景が詩的に表現されていると感じました。

若森 京子

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」口語体の一行に、「金魚」の措辞が絶妙に効いている。自分の存在感を金魚に問う。人間の哀れさが、おかしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」自然界の中に人体が白 く浮き上っているシュールな絵が見える。自然を畏れ抗う人間の姿を見るようだ。

月野ぽぽな

特選句「水さへも声を失ひ敗戦日」:「水さえも声を失う」にて、とてつもない強く深い悲しみ、喪失感を言い得た。

島田 章平

特選句「風がきて星きて森という祭」白夜の森に夕風が立ち、青白い空に星が白く光り始める。北欧の深い森に星と風の祭りが始まる。風がささやき、星が話を始める。荘厳な大地の詩。

疋田恵美子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」麓に暮らす穏やかなお姿や、作物など霧の恩恵にあずかるなど思えて良い。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ここに居ていいんです。私の素敵なお婿さんを見て下さい。

田口 浩

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」戦後七十二年、難聴にいささかの無理もない。〝玉音〟板も難聴とにくかろう。そこにはふれずに〝玉虫の羽音〟と置く。玉虫の背中を走る紫赤色の二条の線は皇室の色を思わせてくれる。 いい作品である。特選句「原液はあまりに素直秋の蛇」〝原液はあまりに素直〟は蛇の内面である。〝秋の蛇〟は冬眠に向かう蛇そのものである。そう読むと、秋の日陰の冷んやりとしたサマと、蛇の冷たさが、ある〝惑い〟となって意に なじむ。いい感性である。

古澤 真翠

特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」賑々しい蝉時雨から、どこからともなく物哀しい蜩に代わる頃を 汽水域という言葉で表現したことで句の深みが増したように感じました。勉強になります。

河田 清峰

特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」蜩の澄み切った声をシャワーと捉え繰り返し押し寄せる野分のような声を野に浮かせと表現したのが見事!もうひとつすきな句「老女とは言わせぬ気迫竹の春(寺町志津子)」103 歳まで生きた父を思わせる老女の気迫!竹の春の季語が活きていると思う!

矢野千代子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」:「山霧」と「木綿」の配合の見事さで特選に。特選句「おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る」図鑑で見る「おおみずあお」は印象的。さらに中七、下五へと重層的に続く美意識がこの 蛾をより引き立てている。

稲葉 千尋

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」あのシリアの子供達の眼を画像でしか知らないが朝蟬の眼と響き合う。特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」ブリキの玩具、色々とあったように思う。強き青が、終戦日(いや敗戦日 )を引き立てている。「人間がどんどん減るよ草いきれ(亀山祐美子)」も大変好きな句でした。特選にしたいぐらいです。

重松 敬子

特選句「男滝女滝内ポケットに知らない鍵」面白い。幾とおりものドラマが想像出来るが、作者の発想の豊かさを評価したい。人情の機微も良く表している。

三好つや子

特選句「たましひの暦の奥から蜩(野﨑憲子)」夏の終わりの寂しい心に響く蜩の声・・・。魂の暦の奥という巧みな言い回しに、脱帽。特選句「プールサイドの青色小瓶獏の貌」睡眠薬の入っていそうな青い小瓶と、水面を漂う ようなまどろみ感をシンクロナイズさせた表現が、ホラー小説風で面白いです。入選句「風がきて星きて森という祭」精霊や魔女のいる北欧の森を想像。春から夏にかけて、ハーブやベリーを摘み、秋には木の実をしっかり食べた豚をハム やソーセージにする・・・。この句から、森と暮らす人々の祈りのようなものを感じました。

漆原 義典

特選句「午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝」真夏の午後の暑さによる気だるさを、「発条解け」と、上手く表現している素晴らしい句で特選とさせて頂ききました。

柴田 清子

特選句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」:「くちなは」を、三回繰り返して、一句に仕上げる大胆さ、まずそこに感心した。次に、最後の「くちなはは」の「は」の置き方。俳句として留めるための大切な「は」であると 思うし、「くちなは」の入口であって出口でもある。私としては、今年のこの暑さよりも、もっと暑い刺激をもらった句である。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ため息と一緒に、洩れたようなことば、誰もが、どこかに持っ ている哀感にそそられる。最后に置いた「金魚」が、さらりと受け止めて、明るい明日を約束してくれるようでうれしい特選句。特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」おもしろく、おかしく、また、哀しくもあるこの句内容、ナメ クジリなら消化出来ると思はせるだけの不思議なムード仕立が気に入った。

野田 信章

「終戦日ブリキの玩具の強き青」の句。ここには、句材の上では何度か見てきたものだが「ブリキの玩具の強き青」の把握とその配合によって時間が凝縮されて「終戦日」そのものが甦った感がある。この原点からの再出発―読み 手にとっての課題もここに在る。「花野より振る手あまたや日暮れどき(菅原春み)」の句。花野には平地では見かけない種々の草花の色の鮮烈さがある。再読していると、この句には夕景の設定もさることながら、花野に魅入られた現の 人々に混じって亡者の顔までも見えてくる妙な現実感の在るのも句の魅力となっている。前句とは趣を異にするが八月というこの重たい月に、どことなく重なるところが在ると思えるのが私の読後感である。

河野 志保

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」低い所にいるとは自然の近くにいるということだろうか。他者と離れて見つけた蛍。作者の密やかな興奮を感じる。蛍との交感が独特で惹かれた。

寺町志津子

特選句「手花火や切なさを知る人が好き(重松敬子)」、とにもかくにも「好きな句」「心惹かれた句」です。ある意味、何もかも言ってしまっている、とも言えそうな句ですが、そのズバリ感に深く共鳴しました。人情の機微に 富み、哀切に満ちたデリカシイの持ち主であろう「切なさを知る人」、そのような人が好き、と言う作者こそ、繊細で心情豊かな「切なさ」を十二分にまとっている方だと容易に想像され、どなたかしら?ステキな方だなあ!いいなあ!と 嬉しくなり、理屈無く頂きました。「手花火」の季語も効果的で、良く響き合っていると思います。

鈴木 幸江

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」集金という仕事は、なかなか払ってくれない業者などもいて、かなりストレスフルな仕事だと思っている。鞄を胸に抱き、辛さを堪えて歩いている。なんとか、ここを乗り越えねばと思う心 が、思わず蜘蛛の喧嘩に目を止めたのだ。ここにも、人と自然の深い触れ合いがあり、生きることの哀しみがくどくどと書いてはいないのだが、見事に伝わってくる。上手い作品だと感心した。問題句「心臓弁牛に代わりて夏野原(小山や す子)」人工心臓弁には、牛や馬の心膜が整形され使われているそうだ。最初は、この知識が無くて、読み解こうとした。牛は夏野原の草を食み、生態系を循環させる心臓弁のようなものと解釈した。wikipedia(インターネット )で人工弁についての知識を得て、なるほどと思った。その知識なしの解釈も完全に的外れではなかったところに言語の底力を感じた。

銀  次

今月の誤読●「幼子の噛み跡残し夜の秋」。トコ……。トコトコトコ。不規則な足音が近づいてくる。わたしの「幼子の」足音だ。なぜかウットリと聞きほれる。この世にこんな美しい音楽がまたとあろうか。その子はわたしのヒ ザによじ登るように乗ってきた。マンママンママンマ。だめよ、だってさっきお食事したばかりでしょ。わが子は怒ったように、マンマ! といいつつ、わたしの二の腕にかぶりついてきた。まだ歯も揃ってない子なのに、わたしの腕にう っすらと「噛み跡を残し」た。その噛み跡に、この子は生きてるんだという実感が押し寄せて、わたしは思わずギュッとその子を抱きしめた。ヒタヒタヒタ。「夜の」気配が深まってゆく。この世界にはねえ、夜という時間があって、昼と いう時間があって、その途中あたりに朝と夕方という時間があるの。でね、夜はね、いまのわたしとあんたのようにお互いがもっとも愛を交わせる時間なの。サワサワサワ、ザザッ。風が出てきた。「秋」の風だ。なんという平穏、なんと いう安心。わたしはわが子のつけた噛み跡にキスをした。そして、おまえのほっぺにも、ありったけの愛を込めて、チュー。

小山やす子

特選は「びわこ周航四葩の飢えはここから」です。意味深です。

野口思づゑ

特選句「野鯉跳ね孫にけもののにおいかな(重松敬子)」外で遊んで帰ってきた子供、汗にまみれた独特の元気なにおいがするものだがそれをけもののにおいとし、跳ねる野鯉をまず映像として上5に置く、とても上手な句だと思 った。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心(三枝みずほ)」舌先で掬うよう食べるソフトクリーム。そのゆっくりなタイミングが本心を聞くのにとてもふさわしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」かなかなのシャワ ーという英語的表現と人体という固い語と下5の組み合わせが良くマッチしている。

伊藤 幸

特選句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ(男波弘志)」日盛りの中で燃えるような空の下、喉がからからに乾いている状態を表しているのだろう。下りて来たの措辞と発想の面白さで頂いた。特選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 」夏の大三角形の何と雄大で美しいことよ。デネブ、ベガ、アルタイル、これ等の星を擬人化し、作者の身近な身内又は友人に当てはめ、それを客観的に眺め楽しんでいる作者の姿が目に浮かぶようだ。

菅原 春み

特選句「 水さへも声を失い原爆日」このような句を歴史に残していきたい。胸に迫り、臨場感に声を失う。特選句「敗戦日焼け跡だった通学路」焼け跡の光景を見た人にしか読めない句。季語がずしりと重い。

松本 勇二

特選句「髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛」季語の斡旋が巧みです。問題句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ」エネルギッシュな書き方に共感を持ちました。炎日が炎天なら一層腑に落ちたのではないでしょうか。

夏谷 胡桃

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」。ポンポンダリアが弾んでいるようでいいですね。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」。今年は蜘蛛の巣が多い年でした。夫が朝早くコーヒー片手に何かを見上げています。何を 見上げているかと思ったら高い木と木の間に立派な蜘蛛の巣が。「どうやって巣をかけるのだろう」と疑問に思い、それからいろいろ調べていました。はじめの一本の蜘蛛の糸を風に飛ばして目標地点にひっかけること、蜘蛛は蜘蛛の糸を 食べて回収ししていることなど、私に教えてくれました。わたしの寝室兼仕事場に大きな蜘蛛がいました。ベッドの上に巣をはっていましたが、獲物がとれないのでしょう。場所をかえて巣をはりなおしていましいたが、前の蜘蛛の糸が消 えているのが不思議でした。蜘蛛自身が回収していると知って納得。部屋の蜘蛛はこのまま飢えてもいけないので、外にだしました。 この集金の方も蜘蛛の不思議に見入っていたのですね。

三枝みずほ

特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」口調からみると、目上か距離のある人との会話。大阪の路上、警察官と自転車に乗っていたおじさんとのやり取りを思い出した。それは盗難自転車ではないか、身分証はあるか等長く 質問を受けていた。おじさんは何かしたのか、もしくは何もしていないのに、尋問され続けていたのか。ナメクジリという不気味な生きものがそこにいることで、解釈が広がる作品。

谷 孝江

特選句「己が傷どこで幕引く終戦日」或る年令を重ねた者にとって八月は特別な思いで迎える月です。あの頃はみんな貧しくて、飢えていました。どうしょうもない絶望感の中から、明日へ向かおうとする気力も持ち合せていたの です。先達の尊い努力のおかげで平成に生かされているのです。感謝、感謝です。傷を嘗め合うのではなく、己の中でしっかりと受け止めてゆくことも大切ではないでしょうか。今年の八月も、もう終りに近づいてきました。

中西 裕子

特選句「にんげんの抜け殻あまた蝉しぐれ」 にんげんの脱け殻は、遺体でしょうか、戦乱で多くの犠牲者が出ても何事もないような蝉しぐれ、切ない音でしょう、悼む音でしょう、特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」 難聴と は加齢による難聴でしょうか、随分と長いときが過ぎ、玉音が羽音にしか聞こえない、でも忘れられないこと。

大西 健司

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」どこか昭和の街角の光景を思う。集金の途中にしゃがみ込んで見ているのだろう。本格的なものではなくだれかがそのへんで戦わせているのだろう。集金鞄を抱えた男の悲哀を思う。

小宮 豊和

今回は戴かなかった句の中の洒落たフレーズが目についた。何か書きたくなるフレーズで、つい書いてしまった。勝手な熱を吹くこと乞ご容赦。こんど会ったときぶん殴らないよう願います。『例えれば群れず離れず秋の蝶(寺町 志津子)』「例えれば」を「香川句会」などに変える。『幼子の噛み跡残し夜の秋』「夜の秋」を「秋の乳房」などに変える。『満濃池夏代々の讃岐野讃岐びと[高橋晴子)』「讃岐野」は不用とする。『蜩やあの夜とこの世の汽水域』「 蜩やあの世と」を「生身魂あの世」などとする。『老女とは言わせぬ気迫竹の春』「竹の春」を「返り花」などとする。『蝉しぐれ吸い込まれゆく獣道』無季になるが「蝉しぐれ」を「山頭火」にする。以上のようなことを感じた次第であ る。無礼深謝。

新野 祐子

特選句「行雲流水青美しきねこじゃらし」野原いっぱいにねこじゃらしが風にそよいでいます。そんななかに佇むとただただ気持ちよくて、心がからっぽになります。この境地を「行雲流水」という言葉を用いた感覚のよさにはっ とさせられます。青が活きているし格調の高さに感動しました。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」少し前に新聞で、蜘蛛ずもうの記事を目にしました。世の中にこんな遊びがあるなんてと、とても興味をそそられました。ああ、切り 抜いておけばよかったな。たしかハエトリグモでしたか。「集金鞄を抱いて」もおもしろいですね。お金を賭けたりはしないでしょうが、市井の人の暮らしぶりが見えてきて好ましい。このようなささやかな平和がとわに続くよう願わずに はおれません。入選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性」ヴェガ、アルタイル、デネヴと強い光を放つ星たち。夜空に見事な調和を見せています。そのもとに集まった人たちは個性が強く、それぞれ熱弁をふるっている、そんな情景が浮かび 上がります。しかし、全く別の鑑賞もできるかもしれません。あの星たちは調和しているのではなく、強烈に自己主張しているのだと。

桂 凛火

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」玉音放送がもう遠いものであると思っていたが今年はやけに近いと思う。難聴だから聞こえにくい。いやそれより玉虫色になってきたこの世情のせいなんだろうか。しかもその玉虫は羽音を 立てて生きている。こちらは生き物の強さだが玉音がそれでは弱いのだ。理屈ではなくなんかイライラする感じが「難聴や」に集約されているようでとても魅力がある句でした。

亀山祐美子

特選句『終戦日ブリキの玩具強き青』まず「ブリキの玩具」と置いたことで、飛行機か車か船か電車か…と読み手の空想が広がる。また「強き青」と云う措辞が「終戦日」と「ブリキ」の密接な関係を幾分弱め、「新しいおもちゃ 」かもしれないと一瞬気を反らせられるのだが、「玩具」でやはり古いおもちゃの鈍い青さだと納得させられ、「終戦日」へと収束してゆく。季語の「終戦日」が効いている。物(玩具)に語らせ、有り余る感情を見事に伝える秀句である 。蛇足ながら「原爆忌」なら、悲惨過ぎて心が潰れる。「終戦日」と云う安堵感に支えられるからこそ現代から過去へ、過去から未来へと「強き青」=「平和」が語れるのだと思う。今日はこの句に出会えて嬉しい。

藤田 乙女

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」休み時間じいっと水槽の魚を見続けている子どもをよく見かけました。水槽の中の魚には、何か人の心を癒すものがあるのかもしれません。原始、水の中の生き物から誕生した人間は 、魚たちに親近感をもち、水の中に命を育んだ故郷のような安心感と懐かしさ、安らぎを感じるのでしょうか。それは、母の胎内の羊水の中にいたときへの懐古であるかもしれません。赤い金魚の映像がくっきりと目に浮かびました。そし て、自分の全存在を過去からずっと繋がれてきた命の有り様を改めて問いかけている句に強く惹かれるものを感じました。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心」甘いものを食べている時は、みんな心の鎧を自然に外してしまってい るのでしょう。さらっと自分の本心を出してしまうこともありがちです。日常の人間の言動の一端をよく掴んでいる惹かれる句でした。

高橋 晴子

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」何も言わなくても反戦の句と強烈に感じる。問題句「行く道の細し八月十五日」〝行く道の細し〟では八月十五日に対してもうひとつピンと来ない。

野﨑 憲子

特選句「蟹のため横断歩道はありません」一読、変てこな標語かと、思った。でも、とても大切な事を表現している。炎昼など、散歩に出ると車に挽かれた蟹がペシャンコになって転がっているのに遭遇する。人類の他のあらゆる 生きものにも当てはまることだ。それを見事に句にした事にエールを送りたい。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」こちらは、逆に、いまだに作者の意図が摑めない。句会に参加していた作者へ「この句から蛇の姿態が見えて くる」といったら、あっさり否定された。それで、ますます気になっている、楽しんでいる。今回も、興味深い作品満載で、どの句もいただきたかったです。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

露けしや薬三錠増えちまふ
亀山祐美子
露ほどのといういい露をいつ見たか
竹本  仰
露草や月懐に飼っている
中野 佑海
秋彼岸
秋彼岸渡れぬ橋の前に来る
亀山祐美子
母のこと兄口籠る秋彼岸
鈴木 幸江
秋彼岸想いは牛の歩みかな
藤川 宏樹
シベリヤに雪くる頃か秋彼岸
小宮 豊和
どっかどっかと風の足音秋彼岸
野﨑 憲子
秋彼岸捨てっちまおう携帯を
中野 佑海
汽水まで足を運んで鴎かな
山内  聡
じっと見る鴎の目つきおそろしき
小宮 豊和
冬鴎ぽちょりと昭和映画館
竹本  仰
いきなりサルビア夜は鷗の舞踏会
野﨑 憲子
失恋は秋に預けてハムエッグ
竹本  仰
恋の季節流る床屋ぞ秋の暮れ
藤川 宏樹
水底に雲の切れ端秋はじめ
島田 章平
ただ線を引く線を引く秋虹よ
野﨑 憲子
秋茜群れよわたしは突入せよ
田口  浩
秋涼し石見(いわみ)の浜に神楽舞ふ
漆原 義典
夜の秋妻を誘ひて生ビール
山内  聡
虫籠に入れた虫から死んでゆく
男波 弘志
弱いほうへ傾く気持ち虫の秋
三枝みずほ
独唱の鮮明なりし虫の声
山内  聡
忖度
八の字まゆげ忖度中の秋
亀山祐美子
忖度はしない螇蚸のよく跳べり
三枝みずほ
忖度の終はりは無言敗戦日
島田 章平
忖度といふ文化あり終戦忌
山内  聡
忖度し義兄へ送るお中元
野澤 隆夫
秋涼し忖度の言葉も過ぎ去りし
漆原 義典
生身魂
山鳩のわれを見つけよ生身魂
野﨑 憲子
生身魂寝息確かな酒五勺
小宮 豊和
生身魂産湯のごとく墓洗う
中野 佑海
極楽へと車買い替え生身魂
竹本  仰
うなづきてうなづきつづけ生身魂
亀山祐美子
評判の母のコーヒー生身魂
鈴木 幸江
失敗の数は負けぬと生身魂
島田 章平
風よ光よ八月のさざ波は愛
野﨑 憲子
走り根の八方へ這ふ晩夏かな
島田 章平
沸き立つや八大童子露に濡れ
男波 弘志
八月は毎年昭和鉄路鳴る
小宮 豊和
踊り
踊り場に妻の実況遠花火
野澤 隆夫
緩急の風巻きおこす阿波踊り
山内  聡
踊り子の月夜に濡れてゆくよ
三枝みずほ
阿波踊り閖ぬくごとく流れ出る
田口  浩
身の内の人もまじりて踊りけり
男波 弘志
踊る君見ている僕を愛と呼ぶ
鈴木 幸江
脱皮する黒猫もゐて踊りの輪
野﨑 憲子

 【通信欄】 & 【句会メモ】 

【通信欄】安西 篤さんより 「第七十四回香川句会報有難う御座いました。相変わらずのエネルギーと熱気に圧倒されます。お見事です。今回の冒頭に海程終刊に伴う決意表明もあり、あらためて地域句会の意欲を感じます。海程後 の受け皿をどうするかについては、目下検討中ですので、もうしばらくお待ちください。さて今回の作品について、前回同様三段階評価をしてみます。【☆】「手ざわりは杏子被爆の帽脱げば(若森京子)」「被爆天使の眼窩うごくは蝌蚪 ならん(野田信章)」「ももももも七月の赤ちゃんが来る(野崎憲子)」【◎】「くびくくり坂までくちなしの花匂う(大西健司)」「くすりばこ白夜の森の匂いかな(三好つや子)」「清流の華なり痣なり瑠璃峡蝶(矢野千代子)」【○ 】「風蘭をもらいし姉の余命知る(稲葉千尋)」「蛍火を待つ両脚を草にして(月野ぽぽな)」「草いきれ激し母より手暗がり(竹本仰)」「二万通の届かぬ手紙海蛍(河田清峰)」その日常性の持続が力になると思います。どうぞこの調 子で頑張って下さい。」

【句会メモ】今回も、岡山から小西瞬夏さんが浴衣姿で、淡路島からは、久々に、竹本 仰さんもご参加くださり、とても楽しく充実した句会になりました。そして、句会の後で、初めての納涼会を開きました。提案してくださった男波弘志さんが幹事もしてくださり嬉しかったです。総勢16名の賑やかな笑顔あふれる会となりました「海程」の根っこは、ますます熱く渦巻いています。私も句会から大きな元気を戴いています。単に、金子兜太師と、ご参加の皆様のお陰さまです。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。いつもは、句会後すぐに解散していたのですが、こんなにも盛り上がるならまた開いてみたいです。ご参加の皆さま大感謝です!

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