2020年12月6日 (日)

第111回「海程香川」句会(2020.11.21)

山茶花3.jpg

事前投句参加者の一句

金木犀髪艶(なま)めいて喋ります 中野 佑海
鵙の贄歯軋り街の捨て台詞 豊原 清明
がまずみの黙溢るるや助産院 大西 健司
秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象 津田 将也
父の背が今見えたよな初時雨 松本 勇二
さみしさはさみしさは穴あきの露時雨 伊藤  幸
<萩原慎一郎『滑走路』より>「非正規の友よ負けるな」霧晴れる 島田 章平
忘れよう結婚記念日冬ぬくし 鈴木 幸江
すさまじき猫屋敷燃ゆ丑三つに 野澤 隆夫
青空に嵌まりて榠樝うれしそう 榎本 祐子
小鳥来る白いピアノの喫茶店 増田 天志
産土の母音の記憶木の実降る 伏   兎
吾亦紅私のなかのあなた揺る 三好三香穂
紅葉の中に身をおき溶けるを待つ 小山やす子
秋の雨一人一人の単語帳 高木 水志
鹿の音の淋しさ生きること淋し 夏谷 胡桃
貴腐ワインふと私の死に化粧 若森 京子
新米炊く夜汽車のように炊飯器 吉田 和恵
身の虚(うろ)のきしむ微音や秋の風 松岡 早苗
命かな憲子氏揚げる大花火 寺町志津子
人類の影だんだん青くなる残月 十河 宣洋
銀杏散る詩を口ずさむはやさにて 三枝みずほ
地霊吐く息かに山霧立ち昇る 田中 怜子
パンデミック赤い草の実から飛んだ 重松 敬子
道があるのに道がない神の留守 柴田 清子
眠そうな犬が顔掻く菊日和 稲   暁
生が死を馬乗りにしてあきのかぜ 男波 弘志
青蛇をつかむ弾力眠り姫 桂  凜火
辺路多き熊野詣や神の旅 河田 清峰
愛すべきスーダラの父ひよんの笛 植村 まめ
<大統領選>立冬のピザかの民主主義いかん 松本美智子
知覧なる遺書、顔、魂や冬木の芽 高橋 晴子
銀色のおりがみに顔ゆがんで冬 月野ぽぽな
十万年核が息する吊るし柿 藤川 宏樹
流星に置いてけぼりにされている 石井 はな
逆打ち遍路以来フクロウ思えばおる 田口  浩
秋の笹百合ぽつん白い寝姿 川崎千鶴子
初夏の伽藍ばかりの枇杷の闇 中村 セミ
線香の鼻腔くすぐる秋の朝 高橋美弥子
秋晴れや電信柱の高きこと 銀   次
天に虹地に彼岸花石を積む 田中アパート
借景の中に柘榴の弾けをる 谷  孝江
寝言二タ声芹の根ハつかまりぬ 矢野千代子
啄木よ赤子鈴虫泣くものよ 滝澤 泰斗
凍てる闇身を屈めいる暁わが名 増田 暁子
ダイヤモンドダストいけない子どもだつた 小西 瞬夏
どの点も地球の一点吾亦紅 野口思づゑ
しぐるるや中折れ帽子置く棺 菅原 春み
脱いだものそのままありて十三夜 福井 明子
天涯のおとうとに朱の吊し柿 稲葉 千尋
だみ声の「帰省御礼(おんれい)」白鳥来 小宮 豊和
葡萄酒の白は釈迦なり葉月なり 野田 信章
蛇穴へ入る真っ青なまぼろしも 竹本  仰
テリトリー守るマスクの弛みかな 藤田 乙女
木枯らしや母に肩あり手首あり 河野 志保
冬耕の倅の背中妣が追う 漆原 義典
凡俗といふ深き沼へと冬の蝶 佐藤 仁美
木に触れる手に少年の秋があり 佐孝 石画
菊日和息真っ直ぐにさよなら 荒井まり子
小鳥来て追悼文を結びます 新野 祐子
地球ひとつ目玉呑み込む咳ひとつ 亀山祐美子
むかしむかしの話をしよう雪虫よ 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「産土の母音の記憶木の実降る」:「産土の母の記憶」となると既視感があるところ「母音」とレイヤーをずらしたところ。一気に世界が混沌とし始めた。並選句「命かな憲子氏揚げる大花火」今回のアンソロジーに寄せてのあいさつ句として、私の気持ちを代弁してくださった。ほんとうに大変な作業をありがとうございました。銀次さんのご尽力にも感謝です。これまでの歩みが一つの形になったこと、そしてそれが次への一歩となってゆくこと。感慨無量です。

増田 天志

特選句「天涯のおとうとに朱の吊し柿」朱色に、乾き切らない生命を感じる。断ち切れない弟への想い。喪失感、虚無感を、宙に浮く吊し柿に感じる。

中野 佑海

特選句「秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象」絵は私なら動物の躰からでないと書けないと思います。それを鼻から描くなんてまるで手品の様で、子の感性の素晴らしい所を一瞬にして捉えて俳句にする作者の観察眼、見習いたいです。特選句「地球ひとつ目玉呑み込む咳ひとつ」尾崎放哉の「咳をしても一人」の寂しさとは違う、こんなにスケールの大きな咳があったとは知りませんでした。確かに咳が酷いと眼まで呑み込んでしまう程力んでしまいます。そして、周り中に風邪をうつすこと必至ですね!並選句「木の実降る命の脈の打つように(石井はな)」木の実は気付かないうちにポトポトと降ってくる。地球の鼓動のように。「さみしさはさみしさは穴あきの露時雨」寂しさと露のあの何処から来るのか判らないジトッと感。心に穴が開かない内に暖まってね。「青空に嵌まりて榠樝うれしそう」青空に宝石のよう。黄色い榠?の実の如何にも秋の豊穣。「命かな憲子氏揚げる大花火」香川句会の火薬庫は俳句命の野崎さんです。「落葉の一つは空に憧れて(佐孝石画)」落ち葉は本当は跳びたいのです。落ちてなんかいたくない。風よ吹け。私の知らない国に連れてって。自力で頑張って下さい落ち葉な私の俳句達。「寝言二タ声芹の根ハつかまりぬ」いつも寝言の様な事ばかり言って、事を台無しにする。はいそこの、内の亭主。居ないと困るけど、居たらいたで腹立つ事多々。「お父さんもお母さんも言葉秋のかぜ(男波弘志)」父母が亡くなってはや20年近く。今頃になって漸く親の有難味や懐かしさやらが風の言葉の様に頭に蘇ります。あの頃は何をあんなに反発してたんだろうか。

香川句会十周年記念アンソロジー折々に楽しんでいます。野﨑さん、銀次さんお世話になり有難うございました。秋はゆっくり暮れていきます。

松本 勇二

特選句「真葛原矢鱈顔出す親戚居て(吉田和恵)」お節介なご親戚と真葛原の取り合わせが新鮮。問題句「命かな憲子氏揚げる大花火」:「命かな野﨑憲子の大花火」とすると。今回の合同句集の良い記念句になりそうです。

十河 宣洋

特選句「紅葉の中に身をおき溶けるを待つ」溶けるを待つに作者の気持ちが出ている。何も。も沈めてしまいたい。現代の癒しの気分。特選句「逆打ち遍路以来フクロウ思えばおる」フクロウ思えばおる、の断定が作者のはっきりした気分を表している。逆打ちの遍路を終えた充実感を感じる。

桂  凜火

特選句「脱いだものそのままありて十三夜」当たり前のことの描写なのに当たり前に何かが想像されるのは、季語十三夜の効果と思いました。誰が脱いだのだろう どこへ行ったのだろう 作者ではなさそうなら作者と脱いだ主の関係はなどなど想像できて楽しい句ですね。特選句「葡萄酒の白は釈迦なり葉月なり」葡萄酒の白がお釈迦様とはおもしろい把握ですね。それに葉月なりの重ね方も潔く切れ味よく感覚的好きな句でした。

藤川 宏樹

特選句「秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象」子供が象を鼻から描き出すのはまぁ当然、と一読で選を見送ったが再読時、私なら大きな耳から描き始めるんじゃないかと思った。そうすると象の深い皺や太い脚、つぶらな瞳のイメージが続々湧き出した。象の正面ならやっぱりその子と同じく鼻から描き出すなぁなどと、おかげでしばらく想いがつながりました。

谷  孝江

特選句「どの点も地球の一点吾亦紅」地味で草に紛れそうな吾亦紅、その一つ一つが地球に繋がっているのだと思うと、すごくたのしくなってきます。あの点、点、点もリズミカルに思えて愉快です。地球にも吾亦紅にも幸あれ・・・・と。

島田 章平

特選句「むかしむかしの話をしよう雪虫よ」まるで、「遠野物語」の世界。おばばが囲炉裏端で童に語り出す。「むかしむかしあるところで・・」。こんな俳句があったとは・・・。俳句の新境地。

柴田 清子

特選句「鹿の音の淋しさ生きること淋し」秋の交尾期、もの悲しい声で長鳴きをする雄鹿、それは生きてゆくための強さであって、淋しさでもある。特選句「木枯らしや母に肩あり手首あり」:「木枯らし」の季語が、特選としてこの句を立ち上げている。

大西 健司

特選句「流星に置いてけぼりにされている」ただ単なる一行詩であり、ぼそっと呟いただけのようでもあるが、この寂寥感が私を捉えて離さない。問題句『「非正規の友よ、負けるな」霧晴れる』『吊し柿「ぼくも非正規きみも非正規(島田章平)」』ともに同じ前書きがあることから同一作者の句だろう。いささか乱暴だが、前書きもかぎ括弧も要らないのではと思うがいかがなものか。違和感なく読める。

月野ぽぽな

特選句「銀杏散る詩を口ずさむ早さにて」金色に輝く銀杏が、詩を口ずさみながら舞っている。なんて素敵な発想でしょう。ちょうど銀杏の散る数日です。たくさんの詩が街に満ちていきます。さっそく銀杏の口ずさむ詩を聞きにいきましょう。

佐孝 石画

特選句「お父さんもお母さんも言葉あきのかぜ」思春期、「僕って一体何者なんだろう」「友達って何?」と自分を含め周りのあらゆる存在が不思議に思えることがあった。その感覚は、今まで微笑んでいたすべての人々が急に無表情な仮面を被ったような不安な夢を思わせた。自我の目覚めは周りの風景を一変させた。自分にまつわる様々な関係性や存在理由をまるで絡み合う糸をほどくように抽出していく心の内の作業は、思春期だけでなく現在も続いているに違いない。「お父さんもお母さんも言葉」とは、言葉という概念と実体との乖離を今確かに理解している、作者の独り言である。あえて平仮名表記された「あきのかぜ」という言葉だが、作者は確かに秋の風の実体を受け止めて「お父さんもお母さん」そのものの愛もしっかり受け止めている。言葉の世界を乗り越えて、またかつて赤子の頃に眩しい光と共にあった「言葉のない世界」をも受け止めようとしているのだろう。

田口  浩

特選句「銀色のおりがみに顔ゆがんで冬」現代アートを喚起させられる折り紙である。「銀色」がいい。他の色でもゆがんだ線は表現できようが、光や陰に欠けよう。折り紙の顔に潜む苦悶や業が表出されるには、やはりこの銀でなければ効果があがらない。ーそして「冬」いいですねえ。「銀杏散る詩を口ずさむはやさにて」風が少しも無いのに銀杏の葉が、ハラハラと空(くう)に舞って自然落下する。その散る時間が、詩を朗読する抑揚にちがいない。わたしも銀杏の古木をいくつか知っているが、こんな句に出会うと、初冬のそこに立って落葉に降られて見たいと思う。詩を聞きたいと思う。「しぐるるや中折れ帽子置く棺」中折れ帽子に、棺におさまった人の人生を感じる。「脱いだものそのままありて十三夜」この十三夜に、昭和を思う。「お父さんもお母さんも言葉あきのかぜ」父母でなく、「お父さんもお母さん」が句の読ませどころ。「言葉」と言い切っても、それだけで終らない情けを感じられて切ない。そこが「あきのかぜ」なのだろう。

野田 信章

特選句「凍てる闇身を屈めいる暁わが名」句意は「わが名暁」の自愛を込めた一句と思われるが、抒情(リリシズム)の域を抜けて、存在機能としても感の昂揚の裏打ちのある叙情の一句として読んだ。

榎本 祐子

特選句「天涯のおとうとに朱の吊し柿」はらからの絆を感じる。弟への思い遣りや、年若い者から先に逝ってしまった悔しさ切なさが「朱」に込められていて、胸を打つ。

小山やす子

特選句「忘却の吐息めきたる花すすき(増田天志)」忘却を吐息と自分に言い聞かせる不安と花すすきの揺れを素敵に表現されていると思います。

豊原 清明

特選句「生が死を馬乗りにしてあきのかぜ」句稿を読んで、印を付けてから、印の句を読み返すと、この句が最も印象に残った。普通、死が背後にあるが、「生が死を馬乗りにして」は、生が強く出て、好きな句。問題句「十万年核が息する吊るし柿」これは問題提起の一句と思う。「十万年核」と「吊るし柿」の対比が、どこか通じるところを感じさせる。面白いと思う一句。

伏   兎

特選句「愛すべきスーダラの父ひょんの笛」本当は生真面目な性格だった植木等は、「スーダラ節」を歌うことに抵抗があったという。しかし、この歌には仏教に通じるものがあると、彼を説得したのが僧侶の父だったとか。そんなエピソードを思いだし惹かれた。ひょんの笛との取り合わせが絶妙。特選句「吾亦紅私のなかのあなた揺る」派手さはないけれど歌人や俳人に愛される吾亦紅。仲よく見える老夫婦の微妙な心のすれ違いを妻の側から捉えているようで、趣深い。入選句「小鳥来て追悼文を結びます」濁った心をきれいに洗ってくれそうな好句。入選句「脱いだものそのままありて十三夜」官能的な雰囲気があり、さまざまな想像力をかきたてる。俳句と小説をコラボさせるショートショートの旗手、田丸雅智なら、この句からどんな物語を紡ぐのだろう?

三枝みずほ

特選句「お父さんもお母さんも言葉あきのかぜ」秋の風がじんわり身体に沁みるとき、自身に宿る言葉のなかに確かに父と母がいる。昨今、夕焼け空はどうしてグラデーションなのかと問う子への返答に悪戦苦闘しているが、その受け応えが言葉や心を育む時間なのだろうとこの句に出会いふと感じた。 句会に参加すると見逃していた句に気付かされとても勉強になります。今回は「コロナは風邪だ。風だ、街吹っ飛んだ(藤川宏樹)」が強烈なインパクトでした。作者がどなたか楽しみにしています。

若森 京子

特選句「立冬のピザかの民主主義いかん」大統領選と添え書きがあるが、これが無くても〝立冬のピザ“の措辞は普段の日常の流れを表現しており無意識の中にある民主主義が急に浮上してくるのも人間の日常の流れである。最短詩型の中に人間の生きる基盤が鮮明である。特選句「蛇穴へ入る真っ青なまぼろしも」自粛中の今「蛇穴へ入る」の季語が特に意識される。この状態だからこそ〝真っ青なまぼろし?が余計に迫ってくる。まぼろしは夢でもあるが、それが真っ青なのだから、やはり病んでいるのに違いない。

滝澤 泰斗

特選句「生が死を馬乗りにしてあきのかぜ」ヨーロッパ中世の絵画のテーマに「死を思え」(メメントモリ)があり、髑髏顔の死神が生身の人間にしがみつく図を思い出した。句はその逆だが、コロナ禍に戦っている人間の様に思いが及んだ。特選句「秋の夜にトロンボーンの溶けゆけり(三好三香穂)」夜の帳の霧の中、船からの汽笛の音がまさに掠れた中低音の響きに似、それが静寂に溶ける。トロンボーンを持ってきたところに魅かれた。問題句「種零す弱視にバッハ・カンタータ(若森京子)」種をこぼしてしまったのは弱視故か・・・それと、バッハのカンタータの展開。理屈を超えた妙に気になる句として問題句にしました。作者の自解が欲しくなりました。以下、共鳴句「金木犀髪艶(なま)めいて喋ります」歌の文句ではないけれど、長い髪の少女が纏った金木犀の香りたなびかせ、屈託のない景色に共鳴。「鵙の贄歯軋り街の捨て台詞」背景にコロナ禍で食糧確保したが、そんなことより、この閉塞感をどうにかしてくれという慟哭。「木の実降る命の脈の打つように」木ノ葉舞い、それを肥やしにして来年の春には花をつけるという輪廻に希望があって共感。「名護屋城址太閤の鯨吼えし沖(増田暁子)」名護屋城に訪れた人には共感がるのでは・・・秀吉が子飼いの将を周りに囲い、家康を城から見える前線に配置して、家康恩顧の将をその周りに固めさせた布陣の先にクジラが吠えている沖が見える。戦国絵巻に胸躍る。「星宿る侘助の白沈ませて(小西瞬夏)」美しい秋の叙情。心安らぐ一句。「貴腐ワインふと私の死に化粧」二物衝撃の妙・・・ワインと死に化粧とは・・・自分には書けない一句だけに気になる一句。「十万年核が息する吊るし柿」現在の視点で言えば、核は人類にとって寄り添えない代物・・・セシウム、トリチウム等放射性物質の根本的な処理方法が見つからない以上保持すべきではない。吊るし柿の季語が効いている。

増田 暁子

特選句「身の虚(うろ)のきしむ微音や秋の風」心の満たされない、空虚な想いが微音のように鳴る。秋の風が少し物足りないですが好きな句です。特選句「どの点も地球の一点吾亦紅」地球に生きているもの全てに命があり、みんな輝いている。作者の想いにとても共感します。「骨抜きの秋刀魚喰いおり婚記念日(重松敬子)」婚記念日は何年目? 骨を抜いて秋刀魚を用意して貰えるとは、素敵ですね。

稲葉 千尋

特選句『吊し柿「ぼくも非正規きみも非正規」』大胆な発想をいただく。「非正規」の人が大変な目にあっている。吊るし柿が並ぶように。特選句「小鳥来る白いピアノの喫茶店」きれいで美しい句。目に浮ぶ情景。

夏谷 胡桃

特選句「秋の雨一人一人の単語帳」冷たい雨の中、バズ停で単語帳を開く受験生たちをまず思い浮かべました。そこから私たちはひとりひとり単語帳を持っているんだと思いました。職場で人々を見わたすと、それぞれの言葉の使い方があります。意地悪な言葉を言ってしまう人、優しい言葉、相手をまず否定する人、励ます人。それぞれが人生の上で単語帳を作ってきたのだと思いました。使い古された単語帳はときどき点検してみる必要があるかもしれないです。年をとっても新しい言葉を探していきましょう。私は日々1個英単語を覚えようとしていますが、10個覚えると8個忘れるような感じです。

吉田 和恵

特選句「秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象」要は感受性、第一印象の問題?時に第一印象はムザンにも崩れることもありますが。

野澤 隆夫

特選句「眠そうな犬が顔掻く菊日和」人も猫も犬も同じ!いつも眠そうな顔の犬かもしれませんが!特選句『だみ声の「帰省御礼」白鳥来』冬鳥の渡り。今年もはるばる北からやって来た!無事渡って来た白鳥の感動が伝わってきます。「無事、讃岐の地を踏んだぞ!」。特選句「テリトリー守るマスクの弛みかな」コロナ禍の日常が上手に読めてます。テリトリーと弛みの対比が面白いです。

高橋美弥子

特選句「父の背が今見えたよな初時雨」なんとなく寂しげな初時雨。ふっとお父様の背中がよぎったように見えた、作者の心象風景に共鳴しました。好きな句です。問題句「寝言ニタ声芹の根ハつかまりぬ」少し詰めすぎの感が…‥ 以上です。よろしくお願いします。

福井 明子

特選句「産土の母音の記憶木の実降る」山道を散策していると、木の実降るという、今眼前の立ち位置が、急に懐かしいものに導かれてゆく瞬間がある。「産土の母音の記憶」という言葉に、はるか遠い始原的なものへの眼差しを感じ共感しました。特選句「生が死を馬乗りにしてあきのかぜ」馬乗りという言葉にぎょっとします。あきのかぜ、と「ひらがな」にした解き放し方が、生死の境目の自在さを表しているようです。生が死を…、そうですね。この世に生きている限り、死は常に身の内でいなし続けるもの。怖くて忘れられなくなる一句です。

荒井まり子

特選句「どの点も地球の一点吾亦紅」コロナ禍がこれ程長引くとは、年明け以降の不安。自分及び世界にエール、吾亦紅の大きさが嬉しい。

田中アパート

特選句「むかしむかしの話をしよう雪虫よ」そう、むかしむかしの話を私にも聞かせて下さい。

石井 はな

特選句「産土の母音の記憶木の実降る」母音の記憶の表現に心引かれました。産まれた土地への愛着を感じます。

竹本  仰

特選句「秋の雨一人一人の単語帳」劇作家の別役実が、人間は傘をさしている姿が一番いい、というようなことを言っていたようです。単語帳という懐かしい言葉もこう使われると冥利に尽きるという感じがします。傘の中で単語帳、私たちの日常の一景が活写されていますよね。はっと、それぞれの人が自分を何らかの形で追求しているんだと気づいた、その優しい心根というか、それはもう音楽で、その音楽が聞こえるような響きを感じました。特選句「ダイヤモンドダストいけない子どもだった」みんながみんないけない子どもだった時代があり、でもその時代が最も輝いている。原点というのはつねに不可解なもので、その原点に接しているところを、ダイヤモンドダストとして、不可侵な一瞬が表現されています。サドの『悪徳の栄え』なんていうのも、その魅力はそんなところなのかな、とふと思いました。あと、そうですね、ダイヤモンドダストだと、郷愁の感じが半端なく着いており、この辺の語感にも並々ならぬ魅力がありました。特選句「木に触れる手に少年の秋があり」木に触れる心境、まずここに目がいきます。動物は互いに害しないと生きていけないさだめですが、植物は多く動物を受け入れるように出来ています。そういうところの感触というか、傷ついた少年の心が向かう、ここのドラマなのでしょうか。木に触れに来る前の、少年の心の凹凸、それを想像させてくれる、ここにいいものを感じました。

「青むまで―海程香川 発足十周年記念アンソロジー」、ありがとうございます。みなさんの力作ももちろん嬉しいのですが、私は、高橋たねをさんのページに毎回開くたびに目がいきます。これはどうしてなのか、よくはわかりませんが、このページに何か核のようなものが感じられるのです。そういえば、淡路島吟行の下見に野﨑さんが来られた時、車の中で高橋たねをさんのことを熱く語ってたなあと思い出しました。貴重な時間をまたいただきました。ありがとうございます。

銀   次

今月の誤読●「中天に月こわい咄を聞いており(矢野千代子)」酔った目で月を見ていた。月は中天にかかり、くもりもなくクッキリとその真円をあらわにしていた。わたしは再びグビリと酒をあおった。なんと! 目をこらしてよく見ると、月にはひとり、ふたり、さんにん……と何人もの半裸の美女たちが舞い踊っているではないか。というか、まるで水中で泳いでいるようなのだ。それが証拠に、彼女たちは反転し、また反転し、口からはブクブクとあぶくを吐いているのだった。またも、よくよく見ると女たちはわたしに目配せし、おいでおいでをしているようなのだ。「いやいやオレ泳げねえし」と手を横に振ると、ひとりの女の手がヒューと伸びて、わたしの手首をグイと掴んでアレヨという間もなくわたしを月に引きずり込んだ。と、あっという間に、わたしは水中にというか、月にいた。月の水は、水ではなく甘い酒だった。このうえない旨さにますます酔ったわたしは美女たちとたわむれ、泳いだ。あれオレ泳げるじゃん。世間のなにもかもから解放されて、わたしは自由だった。こんなに甘美な時間ははじめてだった。肩のあたりにチクリと小さな痛みを感じた。たぶん女どものひとりが甘噛みをしたのだろう。そう思うと、その痛みさえ心地よかった。ふと目を開けると、わたしの周囲に女たちが群がって、わたしの肩を、手を、腹を、太ももを食いちぎっているのだった。痛くもない。怖ろしくもない。それはわたしにとって、これまでに味わったことのない、極上の快楽だった。やがて骨となったわたしは月の底へと沈んでいった。そこには無数の白骨が積み重なっているのだった。月が西に沈むとき、クルリと一回転するのを知ってるかい。そのとき、一瞬真っ白くなるのは、月の水に攪拌された白骨が死の舞踊を舞うからなのだよ。

菅原 春み

特選句は「産土の母音の記憶木の実降る」人類が記憶している産土の母音ということばを紡ぎだした感覚に感動。季語が効いてなんてもいいです。特選句「木に触れる手に少年の秋があり」こんな少年が増えますように。すがすがしい新鮮な秋です。

海程香川句会111の投句に、「命かな憲子氏揚げる大花火 」というものがあった。まさに憲子氏のおかげでこんなにも完成度の高いアンソロジーが編み出されたのだ。特選に選ぼうと思ったが特選以上のことをしていただいた憲子氏になんといって深謝したらいいのか。兜太先生もこころよりお喜びではないか。海程のスケールの大きい懐の深さを憲子氏率いる香川句会がまさに引き継いでいると、安堵しておられるのではないだろうか。ほんとうにありがとうございます。

植松 まめ

特選句「すさまじき猫屋敷燃ゆ丑三つに」特選句「老いてなお恋物語冬隣(藤田乙女)」老いても恋心を失わない好きですね。

河野 志保

特選句「落葉の一つは空に憧れて(佐孝石画)」語りかけるような句。憧れはいつも遠い存在。「空に憧れ」る「落葉の一つ」は作者の心の欠片かも。

高木 水志

特選句「産土の母音の記憶木の実降る」生まれ故郷の独特な母音の記憶が、木の実が降ってきた時に湧き上がってきた。作者の故郷に対する愛着が読み手に伝わる。

  いつも大変お世話になっております。「海程香川」発足十周年おめでとうございます。野﨑さんのお人柄に引き寄せられて、多様性に富んだ句会ができていると思います。これからも、ますます素敵な句会になっていくことを願っています。改めて、「海程香川」句会の一員になれて良かったと思います。これからもよろしくお願いいたします。

新野 祐子

特選句「ポケットに木の実独楽今日を生き急ぐ(榎本祐子)」作者の焦燥感またはやるせなさのようなものに痛く共鳴しました。入選句「命かな憲子氏揚げる大花火」「コロナ禍第三波羽つけ句集やってくる(田中怜子)」この度のアンソロジー、心待ちにしていました。期待していた以上に装丁も内容も素晴らしく、憲子さんの熱情にほれぼれするばかりです。入選句『「非正規の友よ、負けるな」霧晴れる』歌集を読んだ感想を俳句にするのって難しいでしょうけれども、挑戦ですよね、「滑走路」、映画になったそうです。ぜひ観たいと思っています。

河田 清峰

特選句「一面のコスモス畑黒子居て(小山やす子)」あのコスモスの揺れの不思議を風でなく黒子のせいであるという答えに納得させられる。

松岡 早苗

特選句「貴腐ワインふと私の死に化粧」甘いワインの香に酔いながら、ふっと死に化粧した自分の顔を思い浮かべる。葡萄の「高貴なる腐敗」によって醸し出された芳醇さは、生の耽溺の後に待つ死と肉体の腐敗を予感させる。頽廃的な美しさが印象深い。特選句「十万年核が息する吊し柿」人体に安全な放射線量になるまで十万年かかるといわれる核のごみ。処分場の候補地として北海道の村が名乗りを上げている。澄んだ秋空に吊し柿が映える美しい日本の光景はどこにいくのだろうか。

稲   暁

特選句「青空に嵌まりて榠樝うれしそう」所を得て生き生きするのは人も果実も同じ、目のつけどころの面白さに惹かれた。問題句「細くしずかに秋終わる雨眠れぬ夜(津田将也)」心情はよく理解できるが、言葉の方向性がそろいすぎのような気もする。

寺町志津子

特選句「地霊吐く息かに山霧立ち昇る」山登りは得意ではありませんが、時折、少々高い山登りに誘われることがあります。そして、立ち上る山霧に、いつも霊的な空気を感じます。揚句によれば、山霧は地霊の吐く息のようであるとのこと。私の思いと重なって(おそらく多くの方々がお感じになることとも思いながら)、登山の景が実感を伴って見え、いただきました。

伊藤  幸

特選句「秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象」子供のとてつもない果てしない夢がスケッチに表れていたんですね。そのなんでもない子供の情景を捉えて詠んだ作者の感性にも拍手を贈りたい。特選句「命かな憲子氏揚げる大花火」本当に素晴らしい「海程香川アンゾロジー」でした。命を燃やして揚げられた大花火、会員の皆様の作品も然る事ながら「あとがき」も見事なスターマインでした。

津田 将也

特選句「パンデミック赤い草の実から飛んだ」パンデミックは広範囲に及び流行する病のこと。日本語的には感染爆発などと訳され、感染症や伝染病が広範にわたり非常に多くの感染者を出すことをいう。昨今のコロナの流行とともに、生活の中に出てきた言葉である。この句の「パンデミック」、コロナと解さないがよいだろう。草の実から爆発的に飛び散った詩語がパンデミックとなって、次々と作者に俳句が生まれてくるのだ。素早く流行語を取り入れユニークで新鮮な句に仕上げている。特選句「神の留守風ひだまりをこそばして(福井明子)」陰暦十月(新暦十月下旬から十二月上旬ごろに当る)全国の社の神々は、その鎮座の座を留守にしてしまうので参詣してもどことなく寂しい。折からの神域の木々も落葉して一層侘しさをつのらせる。神々が出雲大社へと集うためで、「神の留守」という季語ができた。この季語を用いた俳句は余りにも多く詠まれており、作句上もっとも配意すべきは類想・類型を超えることにある。「風ひだまりをこそばして」の、作者のこの感取・この感性がこれらを見事に解決している。暖冬の「風」を「ひだまり」とかな書きし、その様子を伝えていることも手柄である。問題句「海程や金子兜太がいたという(田中アパート)」これは単に報告をしているに過ぎぬ。基本を重んじない俳句は俳句ではない。枝や葉の脇道から基本をやらずにピカソやマチスをいきなりやってもそれは無謀である。兜太の「俳諧自由」は何でもありの自由ではない。基本の裏打ちの上に立脚した「俳諧自由」への試みや挑戦であろう。俳句の三要素は「ハッキリ・ドッキリ・スッキリ」と言われている。それらを表現するためには「何を書いたか・何が書けたか」の、極めて真摯な俳句姿勢が求められる。

このたび代表の野﨑憲子さんとのご縁により初投句の津田将也です。今後は「海程香川」の皆様の素晴らしい俳句や選評を楽しみに投句してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

重松 敬子

特選句「広すぎる一人のテーブル花野かな(河野志保)」作者の孤独感の中に、ほっとした安らぎをも感じます。

野口思づゑ

特選句「さらさらと時の金砂や月明し(松岡早苗)」真剣に毎日過ごしているからこそ時をさらさらと感覚的に捉えられるのだと思います。忙しい1日が終わっていく今、ゆったりと月との時間を過ごしている。澄みきった句です。「ここに来てススキばかりに堪えるのか(田口 浩)」自粛生活の不自由さを、華やかさは感じられないススキでよく表現されている。「忘れよう結婚記念日冬ぬくし」相手が結婚記念日を忘れている、なので今日は記念日であることを忘れたほうが良さそう、とはいえ、冬ぬくしなので、それほど怒っているわけではなさそうな微笑ましい句。「命かな憲子氏掲げる大花火」大いに共鳴です。この句を借りて野﨑さんに感謝です。

鈴木 幸江

特選句「新米炊く夜汽車のように炊飯器」“夜汽車”と“炊飯器”の配合。私にはない日常の感受性にとても惹かれました。特選句「ニューノーマル皆で味わう羽抜け鶏(野口思づゑ)」現代の前衛句として鑑賞しました。みんなで羽抜鶏に美を見出さんと挑戦しているのです。見つけられたら素晴らしいと思いました。(本当は食べているんでしょ?)問題句「逆うち遍路以来フクロウ思えばおる」とても惹かれた句です。でも私の中では、“以来”という言葉は、なくても発生していました。入選句「ここに来てススキばかりに堪えるのか」私も“ここへ来て”堪えていることを思うとがありますが、ススキのように本当は軽く怪しいことで苦しんでいる気がして共鳴しました。「さみしさはさみしさは穴あきの露時雨」雨粒と雨粒の間に穴を捉えた感性にびっくりしました。しかし、“さみしさは”の“は”説明的なのでここは、この感性で押し切ってほしかったです。“さみしいよ”“さみしいよ”とかで。「熊を撃つ漢ときにはやさしき眼(谷 孝江)」殺生するときは命を頂くとき。相手に恐怖心を与えぬよう優しい眼をしてほしいです。“いつも”。だから、“熊を撃つときはやさしき漢の眼”ではダメですか?「ゆくえ不明だが蜘蛛の囲の存在感(竹本 仰)」“不明”が探偵小説みたいで少し残念。“ゆくえ知れず”ぐらいの方が好きです。「生が死を馬乗りにしてあきのかぜ」この句は思いっきり自分の好きなように読ませていただきました。ハイデッガーの死すべきものとしての生の句として鑑賞させて頂きました。そうすると、“あきのかぜ”が、漢字の“秋の風”の方が、論理の世界にはふさわしい感じがして特選から外してしまいました。句会では、“死が生を”の方がいいという意見もでました。確かにそうかもしれませんが、私の共鳴がまだ難しかったので前の方でいきます。「検温器挟みいるよな冬の橋(稲葉千尋」“検温器”と“冬の橋”の配合(アナロジー)に感心しました。?した句「命かな憲子氏揚げる大花火」「眠そうな犬が顔掻く菊日和」「ダイヤモンドダストいけない子どもだった」『だみ声の「帰省御礼(おんれい)」白鳥来』

川崎千鶴子

特選句「生が死を馬乗りにして秋の風」特異な発想で大変興味深く、作者にお目にかかってみたい。特選句「木枯らしや母に肩あり手首あり」実感のある母恋の句。ああまだお母さんには肩も手首もある生きて居てくれて有り難うと読みました。

男波 弘志

「秋の笹百合寝姿ぽつん」あ、と呟いただけ、それでいい。白いは要らないです。「無風なり子を待たす日のコスモスは(三枝みずほ)」待っているのは脱殻かも知れない。  

アンソロジー立派な姿で感動しました。参加してほんとうに良かったです。いろいろありがとうございました。

田中 怜子

特選は決められなかった。今回のアンソロジーにたいして憲子さんを詠んだ句をとりたいと思ったのですが、命がついてしまうと、一寸とれなかった。「ぶどうりんご智恵子が遊ぶ神の庭(夏谷胡桃)」心を病んで貼り絵に心に心をよせた、本当に純粋に対象物を表現していた智恵子をあわれと思うのと、自分の世界に生きて、生きざるを得なかったことに幸せだったのか、考えさせられます。「辺路多き熊野詣や神の旅」神の旅をしたかったですね。「十万年核が息する吊るし柿」さらっと核が生き続けることを表現しています。もう、人智を越えた問題ですね。『吊るし柿「ぼくも非正規きみも非正規」』も今の就労状況をさらっと読んでますが、これじゃー安心して家庭や子供をもったりができませんね。日本の喫緊の課題少子化に向き合ってない。想像力のない自分の欲だけの政治とはさよならしたいです。

小宮 豊和

「吾亦紅私のなかのあなた揺る」やや印象がまとまりにくいので失礼ではあるがいじってみた「わたし小柄あなた大柄 吾亦紅」

松本美智子

特選句「小鳥来て追悼文を結びます」小鳥が故人をしのぶかのように囀り哀愁を周囲にもたらす。そんな景が浮かんでくるような素敵な句だと思います。

中村 セミ

特選句「草もみじ僕の指紋を忘れない(高木水志)」草が色づき草原が赤や黄金色に輝く湿原や高原を彩る景色を見た後、僕は自分が生きて来た事を色々考えてみると、人には自分だけが感じる景色や色彩がある。それは人生の経験の事だけど僕は自分の指紋をどれだけ、どこに触りつけてきたのだろうか。見てきたこの草もみじにも、きっと触れた様だ。そしてそこに指紋が残っているのではないだろうか。等と言っているように思えるのだ。

漆原 義典

特選句は「命かな憲子氏掲げる大花火」です。アンソロジーの刊行おめでとうございます。野﨑憲子さんの行動力はすごいです。大花火は野﨑さんの意気込みをよく表しています。

佐藤 仁美

特選句「銀杏散る詩を口ずさむはやさにて」 この句を読んだ時、銀杏がスローモーションで、散っていく映像が浮かびました。「詩を口ずさむはやさ」がとてもロマンチックです。特選句「どの点も地球の一点吾亦紅」地球の一点って何?と思った瞬間「吾亦紅」の答え。とても大きな所から、一瞬にして目の前の小さな吾亦紅に、瞬間移動しました!楽しい!

亀山祐美子

特選句『銀杏散る詩を囗ずさむはやさにて』銀杏の散りようが「詩を囗ずさむはやさ」だという発見と実感が伝わる。特選句『むかしむかしの話をしよう雪虫よ』「むかしむかしの話」と「雪虫」で作者の年齢が推測される。豊かな人生を過ごされたのだと思う。

久々に句会に参加でき活力を頂きました。ありがとうございました。日暮れが早く早退しましたが、とても残念でした。次回はゆっくりと会話が楽しめるといいですね。皆様の句評楽しみに致しております。

三好三香穂

特選句「広すぎる一人のテーブル花野かな」一人で散策、一人でCAFEのテラス席に座る。目の前には花野が広がっている。その広ごりの中で、ひとりぽつねんと孤独をかみしめている。テーブルが広い。世界は広い。私はひとり世界と対峙しているのだ。

ご本もいただき、ホクホクで帰路につきました。若い方の参加もあり、思い掛けなく、育子(中野佑海)さんとも遭遇し、心丈夫でした。未来図の作風に慣れてしまったここ5年ほどでしたので、バリバリの現代俳句は刺激的でシュールだなあと感じ入りました。四国新聞の野﨑憲子さんの記事を拝見して、思い切っての見学でした。40代後半位で友人のお誘いで小さな句会に入れていただいたのが、俳句を始めるきっかけでした。現代俳句でした。月に5句をようよう作りかねての参加でした。その後、縁あってNHKの俳句王国に出演もさせて頂いて、黒田杏子さんや河野紗希ちゃんや、全国のお仲間との楽しい交流の機会を得ることができました。それから10年くらいのブランクがあり、また、知人の紹介があり、はいかい仲間だねえ…などと言いながら未来図に入れていただき、5年経った後、主宰の鍵和田さんが亡くなられ、未来図はなくなりました。いくつにも分かれた結社ができるようで、はて、これからどうしようと、迷ってさ迷っている最中です。

高橋 晴子

特選句「秋のスケッチ鼻から描き出す子の巨象」面白い句だ。秋のスケッチ、などというからどんな洒落た句かと読み進むと〝鼻から描き出す??ナヌ?そして〝象? ? 多分、子供の様子を見ていて一気に出来た句だろう。明かるくて視点がいい。ふと、私ならどこから描き出すだろうかと思ってしまった。

藤田 乙女

特選句「十万年核が息する吊るし柿」核は本当に怖いですね。人間はなぜこんなものを生み出してしまったのでしょう。これから人類の未来に責任が持てるのでしょうか?「息する」の表現がよく効いていて、「吊し柿」との取り合わせがとてもいいと思いました。特選句「木に触れる手に少年の秋があり」木に佇む麗しい少年の映像が目に浮かぶようでした。素敵な句だと思いました。

野﨑 憲子

特選句「中天に月こわい咄を聞いており」まん丸いお月様が空の真ん中に出ている。どこからか風に乗って声が聞こえてくる。作者は、じっとお月様を眺めているのだ。たった十七音で、この句の世界に引き込まれてしまいそうになる。不思議な魅力がこの句にはある。問題句「がまずみの黙溢るるや助産院」がまずみは別名カリンカ、ロシア民謡にも出てくる。春には可憐な白い花が咲き秋には小さな赤い実をたくさんつけて楽しませてくれる。どこか片田舎の、もう朽ち果てかけている昭和初期の助産院の景を掲句は見事に表現している。<黙溢るるや>が、上手すぎる。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

冬の海
父よ母よ宇宙の入口冬の海
鈴木 幸江
銀色の鉛筆削る冬の海
中野 佑海
冬の海息することを忘れたり
亀山祐美子
牙をむく岩場かくれし冬の海
三好三香穂
瓶の底のぞけば冬の海へつづく
柴田 清子
紅葉
この先は空白コロナの紅葉山
三枝みずほ
紅葉の上に紅葉が落ちて紅葉
柴田 清子
まさぐるは愛かうねりか夕紅葉
野﨑 憲子
折れそうな心しんしん降る紅葉
中野 佑海
法名はいらぬ紅葉が散ればいい
田口  浩
空海讃岐源内志度紅葉
藤川 宏樹
中折帽子
枯葉踏む笑うセールスマン中折帽子
三好三香穂
外套に中折帽子父帰る
島田 章平
中折帽子角張る冬の影法師
亀山祐美子
中折帽子鯛焼二尾の紙袋
藤川 宏樹
ハッとして茶の花にいる中折帽子
田口  浩
コロナ
コロナ禍を粉(こな)もんが好き葱を買う
田口  浩
そしてコロナそれからコロナだからコロナ
鈴木 幸江
自由題
いまもあるいじめママコノシリヌグイ
島田 章平
日短し出来ることから出来ぬこと
柴田 清子
奈落にて女形に触れる雪女
田口  浩
秋天や飯と醤油に鉋屑
藤川 宏樹
鐘楼の打ってくれよと秋の風
三好三香穂

【句会メモ】&【通信欄】

11月句会で発足十周年を迎えました。記念アンソロジー『青むまで』も、あらゆる面で想像以上に素晴らしい仕上がりとなりました。ご参加各位のお陰様でございます。皆様とても喜んでくださり最高に嬉しかったです。

高松での句会は10名の参加で、見学の方からもご投句があり、事前投句も、袋回し句会も、熱い熱気の内にあっという間に終わってしまいました。新しい一歩が始まりました。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

次回、12月句会の後に短時間ではありますが同じ句会場での忘年会を計画いたしました。時節柄、サンポートホール高松管理室から定員の半分までと条件が付き、先着12名様まで受け付けいたします。詳細は<句会案内>をご覧の上、ご希望の方は早めにお申し込みください。

2020年10月4日 (日)

第110回「海程香川」句会(2020.09.19)

コスモス1.jpg

事前投句参加者の一句

 
<香風会錬成足かけ三年目に>シテ謡ふ羽目になりけり紅葉狩 野澤 隆夫
風待ちの湊石榴の濡れており 大西 健司
シャインマスカット夜の唇散らかつて 小西 瞬夏
啄木鳥や穴に籠りし人ひとり 豊原 清明
銀河は葬列おとうとよ光れ 増田 天志
荒削りの言葉尾を引く秋灯り 中野 佑海
遠蛙伯母は結婚推進員 吉田 和恵
鰯雲はっと女の浮遊感 若森 京子
にごり酒情の深さの鬱陶し 石井 はな
線香花火燃え尽きるまではさすらい 増田 暁子
旅疲れリュックの底に青蜜柑 夏谷 胡桃
ハグさえも許されぬ世や夏果てぬ 植松 まめ
黄落や和服の人のとけゆけり 小宮 豊和
十代さいごの嘔吐が夏の地平線 竹本  仰
少しずつ野菊になる母阿蘇のお山 伊藤  幸
朝顔の青聖域に触れるごと 野口思づゑ
蜩や九回裏出る指名打者 漆原 義典
爪を切る病室のまど雨の月 松本美智子
花期長き睡蓮見知らぬ老顔泛き 野田 信章
汗じみに蝶の匂いのする晩夏 伏   兎
お祭りもなくて片寄るいわし雲 男波 弘志
ぽつぽつと海岸線を秋遍路 佐藤 仁美
スーパーのもつ煮暖簾に秋刀魚焼く 荒井まり子
凸凹のくちびる合わせ氷頭膾 高木 水志
小鳥来る続き話を聞くように 藤田 乙女
8月9日泪ため直立不動の少年よ 田中 怜子
朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い 佐孝 石画
虹立ちて胸の混沌ほぐれだす 高橋 晴子
過疎が好き村人が好き赤トンボ 寺町志津子
月明り父の殺気を持て余す 田口  浩
黄花コスモスべそかきさうな夕ぐれよ 谷  孝江
「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子 藤川 宏樹
バンクシーの気配志度線秋に入る 松本 勇二
かなかなかななかなかなかないかなかな 島田 章平
パソコンの赤き小蟻の秋に入る 鈴木 幸江
深き夜の白き蛇口に横たはる 中村 セミ
バナナ熟れる時代の気分加速して 河野 志保
星涼し魔女の竈の火掻き棒 松岡 早苗
犬小屋で犬と眠る児秋の暮れ 田中アパート
鬼灯や尻やわらかに里ことば 十河 宣洋
しょろじろろ虫とわれあり根張り道 福井 明子
大根の種こぼすよう蒔にけり 稲葉 千尋
それぞれに青は違って秋の雲 高橋美弥子
カンナの朱国籍不明の初老なり 久保 智恵
ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り 銀   次
秋暑し総理候補の立志伝 稲   暁
恩師逝く若狭ちび瓜つぎつぎ熟れ 新野 祐子
秋めきぬ円卓の艶ふきながら 小山やす子
アカデミー不要不急の蝸牛 滝澤 泰斗
水蜜桃うまく一人に戻るから 桂  凜火
少年の絵本の記憶色なき風 河田 清峰
ご飯炊いておみなえしおとこえし 榎本 祐子
川あれば橋がある秋思ひけり 柴田 清子
晩夏光横須賀行きのバスが出る 重松 敬子
ぽっかりと花野にわたし置いてきた 月野ぽぽな
ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ 亀山祐美子
人は等しくビニル傘さしてをり 三枝みずほ
ユーチューブという金魚玉に溺れ 川崎千鶴子
長生きの犬と眠りぬ天の川 菅原 春み
タクト振りはじむ月下の枯蟷螂 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「人は等しくビニル傘さしてをり」林田紀音夫の「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」を思い浮かべた。ビニル傘というのが現代社会においてのリアル。「等しく」がやや言い過ぎの感があるが、この生きにくい社会で生きていくという現実を突きつけられる。

増田 天志

特選句「深き夜の白き蛇口に横たはる」詩情豊かな作品。なぜか、マチスの絵を想起した。いや、サスペンスかも。横たわるのは、屍体かなあ。色彩感覚の良さと、読者にスト―リ―展開を委ねる詠み方に共感。チャンプかなあ。

豊原 清明

特選句「8月9日泪ため直立不動の少年よ」:「泪ため」に感情がこもっているが、一つの光景として、少年句としてふさわしく思う。その泪はどこに向かうのか。自伝の一句か。問題句「かなかなかななかなかなかないかなかな」: 「かなかな」の連続とちょっと変えた表記と「かなかな」で締めくくるところが優れた一句と思う。

若森 京子

特選句「白秋や感覚的に布を裁つ」白秋という季語に作者の感性のまま裁たれた布の舞う色彩豊かな映像まで見える様で作者の美しい情感まで伝わってくる。好きな句でした。特選句「しょろじろろ虫とわれあり根張り道」〝しょろじろろ〟の措辞で始まる一句。作者の歩んできた人生まで深く伝わって来ます。〝虫とわれあり〟人間って何んとちっぽけな存在なのでしょうか。人生の悲哀が漂う好きな句でした。

稲葉 千尋

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」亡き弟を想う作者。「おとうとよ光れ」が良い。

中野 佑海

特選句「ほおづえの石になりたる虫時雨(亀山祐美子)」蜩の声をずっと聴いていると、このコロナ禍の何も用のない私は頬杖を突いたまま化石になってしまいそうな気がします。晩夏の永遠に続きそうな暑さの中、クーラーを掛けるでもなく。6歳と3歳の姉妹のように。特選句「水蜜桃うまく一人に戻るから」水蜜桃って表面みたら結構固そうで甘くなさそうなのに、皮を剥いたら柔らかくて瑞瑞しくて甘くて。仲間とどんちゃん騒いで楽しかった、つい去年までを思うとそんな殻を被ったくらいで、一人に戻れるのかな?私には自信ない。言ってるだけ。そして、仲間と騒いでいた、不良中年はみんないなくなった・・・。「シャインマスカット夜の唇散らかって」どう考えても、シャインマスカットではなく普通の皮を出すブドウでないと、唇が散らかっているようにはならないと思うし、緑の皮より紫色の皮のほうが断然エロスと思う。でも、あなたはシャインマスカット派。ロリコンですね。「わが生の断片が浮く秋の川(田口 浩)」秋になると物思いが独り歩きして、川伝いに大きな海に出ようとする野心を持つのですね。「人形の深淵漂う灰残る」人形はその名前通り、持っている人の想いを深いところに共有していると思う。想いの抜け殻が。「にごり酒情の深さの鬱陶し」自分に優しい人って、いちいち言ってくることが当たっているだけに、もういい加減にしてよって思う。濁り酒もあの美味しさについ飲み過ぎると深酔い。「線香花火燃え尽きるまではさすらい」仰る通り線香花火はあちらこちらに手を出し、突っつき、いいところまで行ったかと思ったら、燃え尽きる。寅さん的人生もよしか?「旅疲れリュックの底に青蜜柑」歩き遍路をしていて、何がほっとするって、帰りのバスで食べるみかん。高知は美味しかったなミカン。「鬼灯や尻やわらかに里ことば」各所の方言はだいたい述語の方が色々あって、そして、ニュアンスが違ってくる。それを尻やわらかと言ったところが、里ことばという借辞と共に懐かしさを感じさせる。「アカデミー不要不急の蝸牛」最早、大学って不要不急の場所になってしまったんですね。かたつむりさん!「赤蜻蛉今年のデビューはいつですか(漆原義典)」はい、9月19日句会の日の朝、三匹の赤蜻蛉が遊んでいました。涼しくなった途端です。そして、秋分の日、何時もの堀の傍に彼岸花を見つけました。季節は寸分の狂いも無くやって来て、消えてゆく。ああレ・ミゼラブル。

松本 勇二

特選句「そばにあるものを見詰めている厄日(柴田清子)」全く力が入っていない厄日の過ごし方は新鮮。特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」:「ご飯炊いて」から草花へ展開する言葉の飛ばし方や凄し。

小山やす子

特選句「線香花火燃え尽きるまではさすらい」手花火が燃え尽きてほっとした瞬間何か物足りない空虚な気持ちは何なんでしょうかね・・・?

十河 宣洋

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」弟を見送った寂しさが伝わってくる。光れが作者の心の叫びでもある。特選句「ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り」この軽さがいい。ほろ酔いの気分のいい一コマである。

伊藤  幸

特選句「鰯雲はっと女の浮遊感」女性特有の浮遊感、「はっと」という擬態語が効いている。その心の動きが鰯雲とマッチしていてこの句の魅力を醸し出している。

田中 怜子

特選句「棘線に囲まれ基地のイモ畑(増田天志)」悲憤慷慨もせず、淡々と基地の風景を描写している。その思いは・・意外と庶民はたくましいか、現実的に。「遠蛙伯母は結婚推進員」ふっくらして元気いっぱいの女性がせかせか走りまわっている、それも蛙の鳴き声が聞こえる田のあぜ道をせかせか歩き回っている光景が目にうかぶ。「鰯雲はっと女の浮遊感」この浮遊感わかります。高く澄み切った青空に鰯雲が浮かび、あっと吸い込まれそうな浮遊感を。「恩師逝く若狭ちび瓜つぎつぎ熟れる」若狭のちび瓜ってどういうのか、興味がわきました。

高木 水志

特選句「耳朶にシトラス新涼の空音(松岡早苗)」耳朶という身体の部分を取り上げて新涼と合わせたところがなるほどと思った。清々しい秋の空気が感じられる。

伏   兎

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかって」種がなく皮ごと食べられるシャインマスカット。この句からワインパーティを楽しんでいる光景が広がり、とりわけ中七が印象深い。特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」個性が強く、喧嘩ばかりして、「あの二人きっと離婚するよ」と周りで囁かれながらも、金婚式を過ぎた夫婦の穏やかな日々を想像し、共感。入選句「川あれば橋がある秋思ひけり」景が見えそうで見えない句ですが、秋の本質を捉えていると思う。入選句「晩夏光横須賀行きのバスが出る」晩夏の心情にぴったりな港、横須賀の響きが功を奏してい る。

大西健司

特選句「晩夏光横須賀行きのバスが出る」何でも無い句が気にかかる。バスが出るなあというつぶやき。でも上五に季語を置く。それも魅力的な季語を置くことで詩が生まれる。気怠い晩夏の光のなかふっと心にとまった横須賀という地名。半島の稜線、物憂い海の広がり、そしてあの歌が聞こえてくる。ほんのそこまででも旅へのあこがれが生まれる。晩夏のある日の心の揺らめき。

桂  凜火

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかつて」シャインマスカットの夜ってどんなものかわからないとおもいながら、一方でシャインマスカットのあのとろけるような甘さが髣髴とさせられてしまう。巧みな誘導にうっかり乗せられて、「唇散らかって」を読み進むと妙にエロテックな句の世界が広がってくる。不思議で挑発的だ。特選句「深き夜の白き蛇口に横たはる」深き夜はどんな夜なのか。手がかりは「白き蛇口」白い蛇口ってあるのかしらとおもっていると蛇の文字が妙に生々しい。そこに横たわるなんて妙な構図なのだが、もう白い蛇口は私の頭の中で白い蛇に置き換わってしまうくらいのインパクトなのでそこに横たわるんだなとついつい騙されてしまった気がする。「シャインマスカット夜の唇散らかつて」と妙に似ているとも思う。

藤川 宏樹

特選句「かなかなかななかなかなかないかなかな」かな表記の「か」「な」二音の音節に「い」一音のみを加え、意ある趣ある一文なさせる業に「一本」取られました。かな文化、日本語ならではの作品と思います。

福井 明子

初参加です。どうぞよろしくお願い致します。特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」母の老いを、少しずつ野菊になると表された作者の気持ちにはっとする。そう、老いとはそんなもの。やがて人はみな魂になってお山に行くのね。阿蘇の山とせず、「お山」と表したところに心が着地。「犬小屋で犬と眠る児秋の暮れ」シンプルな言葉で奥深い情景を表していて共感。背中をまるめ胎児のような格好で犬に寄り添って眠る児。かつて誰にもあった、生まれる前の深い眠りを思わせる安堵感。「長生きの犬と眠りぬ天の川」も心性は同じ。この世に生きて犬も人も眠りまた目覚め、生きてゆく。佳句を、ありがとうございました。

野澤 隆夫

昨日はお世話になりました。色んな人の色んな意見、感想がついつい微笑ましかったです。特選句「遠蛙伯母は結婚推進員」ついつい四国の過疎の深刻な状況を仮想。遠蛙が決めてます。そして伯母さんが結婚推進員というのも面白い!「バンクシーの気配志度線秋に入る」も特選。…琴電の志度線にバンクシーの作品を見つけたという、作者の感性が素晴らしいです。

銀   次

今月の誤読●「ぽっかりと花野にわたし置いてきた」わたしは空を飛んでいた。夢なんかじゃなく、想像でもなく、本当に飛んでいたんだ。秋の風がわたしを撫でてゆく。すっげえ気持ちいい。空を飛んでいるとどんなことでもできるんだ。うつぶせになってもいいし、腹ばいになってもいい。でんぐり返りもぐるぐる回転することも自由自在だ。でも少し淋しいのは独りぼっちだってことだ。近くに鳥もいないし、虫もいない。わたしだけだ。堅苦しい言葉を使うと、孤独ってことだ。わたしは地上にだれかいないかなと探してみた。コスモスの花畑があった。その花畑のなかに寝転んでいる少年を見つけた。わたしは大きな声で「おーい」と呼んでみた。だが少年は気づかずにただボーッと空を見上げてるだけだった。今度は両手を振ってみた。だがやはり気づかない。あれ? よくよく見るとその少年はわたしだった。ワケわかんない。あの少年がわたしなら、このわたしはいったいだれだ? わたしはもう一度あらん限りの大声で呼びかけてみた。彼はチラとこちらを向いた。目と目が合ったような気がした。だが少年はやはり知らん顔して、空に目を戻した。やりきれなさにわたしは涙ぐみそうになった。そのときだった。花畑のなかをひとりの少女が駆けてきた。とびきりの笑顔を浮かべて、手を振りながら駆けてきた。少年はガバと起き、両手をひろげた。少女が少年の胸に飛び込み抱き合った瞬間、わたしはーー消えた。

増田 暁子

特選句「月明り父の殺気を持て余す」父の殺気とは生きる意欲でしょうか。 持て余すは生きることへの執着だと思います。父の最後を身送った時の私も同じ気持ちになりました。特選句「ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ」雲ととんぼの組み合わせが秋の景を豊かにし、ひとはけの雲ととんぼが増していくと言う動きの形容が秋を益々豊かに、鮮やかにして行くようでとても良いですね。

島田 章平

特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」読むうちに不思議な世界に引き込まれて行く。結句の「阿蘇のお山」とあえて六音にしたのは何故か。違和感を感じながら読むほどに、不思議なリズムが生れる。「野菊になる母」にしても八音。作者の手練れからして意図的な破調だろう。亡くなった母なのか、高齢で記憶も衰えている母なのか、読者に語り掛ける奥が深い。正に現代の姥捨て山を読んだ句かも。

高橋美弥子

特選句「川あれば橋がある秋思いけり」川があれば橋があるのは普通のことなのだが、 それを秋の光景として描き、作者の心象風景と重ね合わせているところがいいなと思いました。問題句『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』発想は面白いが、まだ推敲の余地があるように思った。ら抜き言葉の事を書いているので上五を工夫するといいかも?

竹本  仰

特選句「人形の深淵漂う灰残る(中村セミ)」選評:人形を燃やしたのでしょうか?誰の人形か、私であるとしましょう。うーん、焼けないなあ、普通では。だから、焼かねばならぬ或る状況に追い込まれたと見られる訳ですね。これは或る意味、自分を燃やすに等しいことではないのか?そして、 灰の中に、実は予想以上に大きな深淵を見出し、さらに沈思しなければならなくなったのか。人の死ならば、肉親であれ、二人称で死をまだしも思う。しかし、人形の死は、幼い日の私の身代わりだから、一人称の死を思うことになる。そういうやりきれない思いを感じました。特選句「蝉殻を着けて堂々登校日(吉田和恵)」選評:蝉の殻は、よく見るとけっこう色っぽいものです。なぜか、人間を思わず立ち止まらせるものがあります。それは、記憶が形となって、物に代替えされずその事実のまま残っているからでしょうか。人間にはできないワザですが、その以前の記憶を振り返らず蝉は成長の次の段階に入る訳で、まあ、そこがニンゲンとは違い、自然なんでしょう。その自然さが、でも子どもにはまだあるということで、何というのか断捨離と力まなくても軽々と新陳代謝していける、そんな笑いのようなものが感じられ、何かその小学生の匂いを感じました。特選句「鬼灯や尻やわらかに里ことば」選評:私的には、これ、お墓参りの途中なのかなと思いました。最近、母が年老いて一緒に墓参りに行けない状況があり、仕方なく一人でお墓へ行くと、何か物足りない、何だろうと思うと、母と交わす方言がないことに気づきました。母、ほおずき、そして、方言、これが墓参りを支えていたものだったかと。そして、我々は大抵、墓に向かうとけっこう笑っているんですね。あの笑いは何でしょう?安堵感?カエルの卵がずーっと一本のふにゅーとしたものでつながっているような、あんなものがよぎっています。そのへんの自然なつながりを、この句に見出したように思いました。以上です。  このところ、夜はぐっと冷え込んできました。しかし、七年前の昔、この九月の頃、手術をして帰宅してよく着ていたパジャマを昨夜からやっと着るようになったのをみても、一週間以上遅れていますから、世の中、やはり温い状態になってるんだと思いました。みなさま、お体お大事に、また好句を、と思います。よろしくお願いします。

松岡 早苗

特選句「蝉の死を跨いで今日を過ぎゆけり(榎本祐子)」腹を見せて転がっている蝉。日々目にし耳にするあまたの死。生の側に在る者にとって多くの死は余所事であり、自身にも訪れるはずの死から目をそらしたまま日常の営みに埋没している。(少なくとも私自身は。)死を「跨いで」過ぎる「今日」の連続でいいのか、一石を投じられた思いがした。特選句「凸凹のくちびる合わせ氷頭膾」:「凸凹のくちびる」は、膾を食べている人の口元の描写でもあろうが、同時に鮭の頭や口元がデフォルメされて思い浮かび、とても楽しい。作者の着眼と描写力に脱帽。

鈴木 幸江

特選句評「みーんみんみんなんじだとおもつてる(島田章平)」何に作者はいらだっているのだろうか。背景に時代の重層的な狂気を感じてしまうのは、深読みすぎるだろうか。真夜に異常気象の所為か鳴く蝉。それに怒る人。まさに口語俳句ならではの表出できた世界だ。「十代さいごの嘔吐が夏の地平線」まず、嘔吐を不潔感なく登場させたことを評価した。“さいご”が平仮名なのも幼さが伝わってきて上手い。感受性の強い十代に別れを告げようとしている。自分にもそんな時代があったことを思い出させてくれた。二十代、三十代・・・六十代の嘔吐も思い出させられた。それぞれ違うのだ。“夏の地平線”は十代ならではである。お見事。でも、“が”要るだろうか。無い方が“夏の地平線”が風景となり良いのではないだろうか。ここは素直に俳句形式の切れを活用してもいいのではないか。問題句評「水蜜桃うまく一人に戻るから」失恋だとすると、「竹内まりや」の歌を思い出す。パートナーを亡くした人の作品だとすると、逝った人への気遣いの句となる。桃を食べながら心で亡き人へ呟いている。私は大丈夫と。また、一人に戻ったと思って生きなおすからと。こんな生き方を選ぶ人も居ていい。応援したい。しかし、俳句作品としてちょっと安直な気がして問題句とした。

滝澤 泰斗

特選二句「荒削りの言葉尾を引く秋灯り」荒削りの言葉はやはりどこか棘があり、いつまでたってもなかなか心から離れない機微を上手に詠んだ。「蝉の死を跨いで今日を過ぎゆけり」今年程蝉の死骸を道端に見たことがなかった・・・コロナ禍で、家族や会社など思うことが多く、自分がうつむいて歩いていることが多くなったからか、やたら目に付いた。こうして2020年コロナ蔓延の年は過ぎていった、という、記念碑のような句としていただきました。「銀河は葬列おとうとよ光れ」銀河を構成する数多ある星のひとつになった弟への鎮魂の気持ちに共感しました。「にごり酒情の深さの鬱陶し」こんなこと確かにあるなと共感しました。「そばにあるものを見詰めている厄日」人が亡くなった時に、茫然とすることはよくあること。そんなときのぼーっとして漠然と何か目の前にあるものを見ているときがある。「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」盛夏というより、若かりし頃の勢いのある時の思いをずっと持ち続け、その思いはどこか懐かしい雨の匂いに混じった思い。そんな詩情を感じました。「虹立ちて胸の混沌ほぐれだす」珍しくも虹が出て、そんなときは肩こりのように固まったものが、虹の力で解されてゆくことがある。「人住まぬ島も国土や南風」無人島は実行支配しているほうが、これは俺の領土だと主張している世界の潮流で、南風とあるから尖閣列島を想起したが、日ロ、日韓、日中と日米安保と対峙すると、何やらキナ臭くなり兜太先生のように「〇〇政治を許さない」と言いたくなる。しかし、ロシアとスウェーデンなど外国には共同開発している島もある。そんなことを考えさせるのも現代俳句の力かもしれないといただきました。 

佐孝 石画

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」星の光には絶対的に届かないあきらめのような距離を感じる。夜に瞬く星を見上げると、じわりじわりと何とも言えない喪失感が湧き上がってくる。愛する人との様々な思い出が時空にかすみながら瞼の裏に沁み出てくる。星々はいつしか出会った人々の「葬列」となり、こちらに遠い微笑みを返してくれる。「おとうと」よ、この愛すべき人たちの世界でいつまでも「光れ」。そしていつでも俺に微笑んでくれ。叱ってくれ。この切ない願いの世界は香月泰男の「青の太陽」という絵を思い出させる。

河野 志保

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」胸を打つ永訣の情感。言い切ったリズムが乾いた余韻になっている。何かくっきりした輪郭も感じて惹かれた。

夏谷 胡桃

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」。すごい葬列だ。弟さんが好きだったのですね。悲しんでいるけど、よく生きたという感じが伝わりました。特選句「小鳥来る続き話を聞くように」さて、季節は巡って小鳥が帰ってきました。どこまで話したかね。わたしの結婚までだったかね。縁側で小鳥にお話を続けます。また冬が来るね。

中村 セミ

特選句「「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」認知症の母と阿蘇山と重ねているのか、阿蘇の麓に母の墓所があって野菊が一帯に生えて、阿蘇山の一部になっているのか、そういう風に読んだ。特選句「少女の実抽斗に棲む秋の蝶(中野佑海)」週刊マーガレットか、月刊りぼんで、頭をぶんなぐられたような句。可愛いいというより、少女の実が何か、それが抽斗に棲む秋の蝶とどうかかわるのか、おそらく少女の実は文学的な回顧であり、生きてきた、生活様式を一つ一つ思い返してみると、そこにはいないが、抽斗の中にきちんといつもいてくれる秋の蝶に帰依する一つの偶像(アイドル)なのだろう。そうすると秋の蝶が何か、という事にもなるが、それは季語であり、週刊少女フレンドなのだろうと勝手に思っている。昔あった月刊ガロでも月刊COMでもいい。最後にこの句は少女趣味が走っているところが、好きな人と嫌な人に分れるだろうが、綺麗で可愛いく十七ぐらいの気持をすてられぬ、三十代から四十代ぐらいの人の「少女」が良いと思うのだ。

田口  浩

特選句「バンクシーの気配志度線秋に入る」神出鬼没の諷刺画家。私の中で彼はそんな引出しに入っている。この句「バンクシーの気配」までを目で追ったとき、身体がすうっと秋を感じた。不思議である。バンクシーのシーがそんな感覚を生んだのかも知れない。「志度線秋に入る」と続いているのを、いいなあと思った。しかし、ここを知らない人は、良しとしないかも知れない。高松の瓦町を始発にして、終点志度まで四十分足らずの私鉄である。まず県外の人はバンクシーと何の繋がりかと面食うだろう。ところで、この志度線、遍路に興味を持っている人なら知っているかもしれない。沿線に八四番屋島寺、八五番八栗寺、八六番志度寺と海沿いから内陸へ、八七番長尾寺、さらに阿讃の山間に入って八八番大窪寺の打ち止めとなる。志度線とはそう言うところを走っているのである。秋遍路に出会うこのごろ、海沿いの無人駅のどこかに、バンクシーの落書などを想像してみるのも愉しくはないか。「鰯雲はっと女の浮遊感」鰯雲には、女の浮遊感があろう。「はっと」が熟練。「線香花火燃え尽きるまではさすらい」大方の人生はそのときがくれば、線香花火であるし、一人の人間のさすらいなど線香花火のポトンと落ちる火玉のようなものかも知れない。傘寿が近くなって、若い時とは違った考えに淋しさが無いわけでもない。「十代さいごの嘔吐が夏の地平線」:「十代さいごの嘔吐」とは、大人への脱皮、純潔との別れである。「夏の地平線」とは爽やかな色ばかりではあるまい。重い黒い色も交ざっている。「秋めきぬ円卓の艶ふきながら」:「円卓の艶」がいい。まさに「秋めきぬ」である。しかし俳句として本格なだけに、この秋の感じには、人によっては手練れを感じるかも知れない。

久保 智恵

特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」愛犬が頑張って生きてくれて考えるだけで涙が出ます。

男波 弘志

特選句「ご飯炊いておみなえしおとこえし」悲しみを一心に背負ってきた、おとこえし、おみなえし、炊きたてのご飯が何かを変容させている。秀作「水蜜桃うまく一人に戻るから」豊満なるひとりとは羨ましい。

亀山祐美子

特選句『星涼し魔女の竈の火掻き棒』「星涼し」と「火掻き棒」の対比が面白い。戸外と戸内の違和感もキャンプだと思えば納得出来る。食欲の秋に魔女の食卓にはどんな料理が並ぶのか知りたいような知りたくないような…特選句『晩夏光横須賀行きのバスが出る』米軍基地のある「横須賀行きのバス」へ乗り込むのは誰だ。見送るのは誰だ。簡素で想像力を湧き立たせる。「晩夏光」の季語が情緒を盛り上げ秀逸。詩歌の一節でもありそうだが、俳句としての力量もある。口に転がし展開を想像させる大人の俳句だと思う。

月野ぽぽな

特選句「白秋や感覚的に布を裁つ(重松敬子)」空気の澄み渡る秋には、感覚も澄み渡るのだろうか。頭であれこれ考えず、手のいうまま、鋏の言うままに布を裁ってゆく爽快さがその音と共に伝わってくる。白秋の白、も効いている。

重松 敬子

特選句「川あれば橋がある秋思ひけり」ここ数年、我々を取り巻くすべてのものが変わりつつあります、当り前のことが、そうではなくなり、その変化に必至に追いすがっている日常です。この句は、ふと懐かしく心に安らぎの広がってゆく思いです。

野口思づゑ

特選句「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」句の世界にいつの間にか引き込まれていくような美しい句です。特選句「バナナ熟れる時代の気分加速して」今の社会や時代は熟れるより、熟れすぎているとも感じますが、バナナと時代の組み合わせが面白い。『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』私はらぬきが気になる世代なのですが、それを巧く季語と組み合わせ一句に仕上げたと感心。「おたがいを青蜜柑と称う愉しさよ」ご夫婦というより友達同士、それも青を越した年代の二人だと思いますが、プラス思考の楽しい句。

シドニーは昨日、今日と突然気温が30度近くまで上昇。でも来週は17度の日もあるとの予報です。

佐藤 仁美

特選句「ほろ酔いで月の筏にひょいと乗り」基本的に、お酒に関するのは好きです。飄々とした仙人の雰囲気が、楽しいです!

河田 清峰

特選句「八十にして抱くなり薔薇の束(小山やす子)」八十で薔薇がいい!八八でも薔薇を抱いて欲しい…。

石井 はな

特選句「風待ちの湊石榴の濡れており」風景が生き生きと浮かんで来ます。風と雨に濡れた石榴の取り合わせが素敵です。

植松 まめ

特選句「シャインマスカット夜の唇散らかつて」シャインマスカットを家族または仲間とワイワイとにぎやかに食べたのだろうか?そのあとの葡萄の皮だけが残っているそれを唇が散らかっていると表現した。シュールな絵を見ているようだ。特選句「秋暑し総理候補の立志伝」新しく総理大臣になったS氏のことか?もりかけさくらに蓋をしてコロナを盾に国民のためにと走りだすのだろう。秋暑しがよく効いている。

野田 信章

特選句「朱夏の掌に思念の匂い雨の匂い」は炎帝「朱夏」の下での思念する行為―ひらいた掌にその思念の匂いを覚えるという感受性は多分に硬質であり、身に刻んだ論理性と相俟って若さ特有のものであろう。これに「雨の匂い」と重ねることによって句自体に生気のある具体性が加味されると読んだ。それは多分に「朱夏」の持つ色彩感覚とも相俟った情緒の要素の加味とも言えよう。

榎本 祐子

特選句「汗じみに蝶の匂いのする晩夏」蝶の匂いはどんな匂いだろう。汗と同じエロスのにおいだろか。

柴田 清子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」俳句であって短詩であってほしいと思う私には、特選とさせてもらいました。この十七文字に詰め込んだ内容の重さ、深さがたまらなくいい。特選句「人は等しくビニル傘をさしてをり」丸々透けてゐるビニール傘を持っていても、一人一人背負っているものは違ふ。これが人生なのね。特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」犬との関係性が、眠りで充分に表現されていて、すばらしい天の川に出逢えた九月でした。

菅原 春み

特選句「爪を切る病室の窓雨の月」切ない感じが胸に迫ります。季語もいいです。特選句「ひとはけの雲の迅さやとんぼ増ゆ」ひとはけ、がなんとも迅さ勢いを感じさせてくれイメージが湧きます。

漆原 義典

「荒削りの言葉尾を引く秋灯り」を特選とします。中の良い夫婦が喧嘩をしたのかなぁ、言葉尾を引くと秋灯りがちょっぴり寂しい情景をよく表していると感じました。私は秋灯りは切ないですね。素晴らしい句をありがとうございました。

藤田 乙女

特選句「遠蛙伯母は結婚推進員」日本人の生涯未婚率は増加の一方、驚くばかりです。確かに結婚も多様な価値観の中での1つの選択、でも今女性の4人にひとりが70才以上だというこの国はますます少子化が進み老人だらけになってしまう怖さを感じます。結婚推進員の方はそれを案じていらっしゃるのでしょう。その思いが遠蛙の鳴き声と響き合います。特選句「長生きの犬と眠りぬ天の川」目の前にいる長生きの犬の体、命の温もりの実感とそれが永遠ではないという哀しい現実、遠い遠いところからやって来た地球上の生きるものの祖先であり、やがて、帰っていくと信じたい遥かなる銀河の星への思い、その2つの感情が交錯し、また重なりあって切なく心を揺さぶります。

寺町志津子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」:「人は死んだら星になる」と、子どもの頃から聞いており、それは誰しもそうであったに違いない。が、それを踏まえても、「銀河は葬列」の発想に感銘。下五「おとうとよ光れ」は、亡き弟への限りない哀惜の思いが伝わり、心打たれました。

田中アパート

特選句「荒地野菊島の娼婦の口遊む(大西健司)」特選句「三千の水平線よ曼珠沙華(野﨑憲子)」二句とも、ようわからんな、そこがええんとちゃうかな。

新野 祐子

特選句「銀河は葬列おとうとよ光れ」弟さんを亡くした悲しみ、弟さんへの愛情がひしひしと伝わってきます。入選句「お祭りもなくて片寄るいわし雲」鰯雲が「片寄る」という表現がおもしろいです。入選句「秋暑し総理候補の立志伝」:「秋暑し」がぴったりですよね。入選句『「オレ、見れる」ラを抜く一味唐辛子』発想がなかなか。誰も真似ができません。

谷  孝江

特選句「小鳥くる続き話を聞くように」やさしく語りかけてくれるような言葉が好きです。童話を読み聞かされているような。穏やかな快い気持ちにさせてくれます。「遠まわりをして花野に濡れにゆく」も良いなって思いました。濡れてくるではなくて濡れにゆくってrマンチックですね。

小宮 豊和

「汗じみに蝉の匂いのする晩夏」充分に美しい句であると思う。上五「汗じみに」は中七、下五にくらべ少々惜しい気もする。それではもっと美しくしてみたい。たとえば「蜘蛛の囲の蝶の命の香りかな」などは少々やりすぎになるか?

吉田 和恵

特選句「少しずつ野菊になる母阿蘇のお山」山から吹く風に揺れるやさしい野菊。そんな野菊になって行くお母さんとは・・・。お母さんへの思いが伝わってきます。問題句「深き夜の白き蛇口に横たはる」深夜、白い蛇に姿を変えて、と思えば悲しくも怪しい臨場感たっぷりですが、蛇口に横たわるのはちょっと無理かも。

稲   暁

特選句「ぽっかりと花野にわたし置いてきた」単純化された表現で鮮明な詩想が表出されている。本来の<私>は、あの花野の中にいるということだろう。問題句「水蜜桃うまく一人に戻るから」水蜜桃と孤独という世界に強く惹かれるが「うまく」に違和感があり、解釈に迷っている。

川崎千鶴子

特選句「汗じみに蝶の匂いのする晩夏」ロマンの香りのする句。「汗じみ」の中に恋人の香がする。そんな晩夏までに沈着した匂い。幸福な話。「水蜜桃うまく一人に戻るから」意味深長で恋人と別れるか、離婚を巧くすると言う話か? 内容が気になる巧みな、興味深い内容。初めてこう言う句に合う。幸せ。「シャインマスカット夜の唇散らかって」贈答品しかお目にかからない上等な葡萄。巨峰もマスカットも皮ごと食べるように言われ頂いているが、この場合は皮は食べないで、おのおのお皿に出している景か、又はその景は熱い唇が散らばっていると言うのか、解らないが巧妙且つ素晴らしい。「銀河は葬列おとうとよ光れ」:「銀河は葬列」と詩的な切り出し、おとうとよの中に居るなら光って教えておくれ。愛情あふれる哀切の句。「爪を切る病室の窓雨の月」入院の患者のひとときか、簡単に爪を切ると言うが時間に余裕がないとなかなかできない、そんなしっとり感の雨の月夜、雨で月とはどんなかと思いつつ良いなあと。「ペンを持つ指だったろう小鳥狩」ペンを持ち詩作に耽っただろう指が、小鳥を狩っているのに使われている。あの文化的で思索的な人は何処へ。「眼裏に黒い金魚を棲まわせる(小西瞬夏)」飛蚊症の事か?文学的言い回しか。巧み。「月明り父の殺気を持て余す」こう言ういらついた人にはちょっと時間が要るし、周囲はひやひやする。老いるとますます短気。 「海程香川」に初参加の川崎千鶴子です。宜しくお願い致します。以前より野﨑憲子代表にお誘いいただいていたのですが、遅く成りました。コロナで大会が四つもキャンセルになり句会もキャンセルで静かな毎日でしたがそれが認知症に繋がると知り、頑張る方に軸足を移させて頂きました。迷惑な理由で申し訳有りません。

松本美智子

特選句「黄落や和服の人のとけゆけり」静かに降る銀杏のなかを和服を着た美しいご婦人がゆっくり歩いていくのが目に浮かびます。豊かに人生を歩んできた人にご褒美のように美しい銀杏は降り注ぐのです。

高橋 晴子

特選句「タクト振りはじむ月下の枯蟷螂」蟷螂の姿はあの顔といい、鎌を構えた腕といい、燕尾服をきた指揮者を思わせる。何かユーモアがあって楽しい句だ。何か回りの虫もタクトにあわせて鳴いているような気がして、ちょっと変った虫の句、こんな句が詠めたらいいなあ。特選句「本心を少し隠して秋扇」人間関係は何かと全部言ってしまえばあとで困るようなこともあり。自づと本心を少し隠すが大人のつきあいを感じさせる。秋扇の使い方が憎い程うまい。まあその位の心遣いをする方が無難。

三枝みずほ

特選句「バナナ熟れる時代の気分加速して」気分というふわっとした実態のないものが加速している。気づいたときには熟れたバナナの黒ずみ、ぐにゃっとした手触り、実感だけが眼前にある。戦争への危機感、もしくは自由をなくすような感覚だろうか、ゾクッとさせられた。

荒井まり子

特選句「かなかなかななかなかなかないかなかな」楽しくリズム感あり、いいですねぇ。

野﨑 憲子

特選句「秋めきぬ円卓の艶ふきながら」ゆったりとした時間の流れがある。この作品を読むほどに私を満ち足りた気持にさせてくれる。磨き込んだ卓袱台を囲む家族の笑い声が聞こえてくるようだ。調べも句の姿も美しい。 特選句&問題句「バンクシーの気配志度線秋に入る」世界中が注目している路上芸術家バンクシーとコトデン志度線との絶妙な取り合わせに、志度が産土の私はジェラシーに近いものを感じた。と同時に、よくぞ、志度線を取り込んで見事な作品をお創りくださったと称賛の気持でいっぱいである。志度線は海岸線を通り瓦町駅から志度駅へと向かう。コトデン志度駅から旧遍路道沿いに東へいくと平賀源内記念館や志度寺がある。<バンクシーの気配>と「芸術は爆発だ!」の岡本太郎の世界が重なってくる。志度線もこれからが秋本番だ。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋桜
コスモスの揺れる電車に乗つてゐる
柴田 清子
白馬の王子とやらの夢見てコスモス
中野 佑海
秋桜あんたあの娘のなんなのさ
島田 章平
コスモスに日本溺れる日は近し
鈴木 幸江
鶏頭
井戸端会議代りにやって野鶏頭
中野 佑海
鶏頭のころがりおちて燃焼す
中村 セミ
鶏頭の真っ赤にとびつかれた日
柴田 清子
白粉花
私の中に咲く白粉の花
柴田 清子
腕立て伏せ鉄骨女に夕化粧
中野 佑海
おしろいやむかし姉やは泣きました
島田 章平
白粉花犬の糞(まり)する花は紅(べに)
鈴木 幸江
曼珠沙華
彼岸花ぽつんと山の一軒家
柴田 清子
川面に映る空の全景曼珠沙華
野﨑 憲子
曼珠沙華そっと手招く赤い糸
漆原 義典
いきさつの絡み合ってる曼珠沙華
中野 佑海
つきぬけて折れてしまった曼珠沙華
島田 章平
摘まれても平気平気の曼珠沙華
鈴木 幸江
ソーシャルディスタンス(☆)
箪笥箪笥たんすそして(☆)
鈴木 幸江
(☆)取りつつ菊の宴かな
中野 佑海
雛段の大臣守らぬ(☆)
漆原 義典
(☆)計ってみると少しあまる
中村 セミ
(☆)九月の風は二度うなづく
野﨑 憲子
夕風に遠去けて焼く秋刀魚かな
藤川 宏樹
バカにしないでよ秋の(☆)
柴田 清子
自由題
ねこじゃらし傷んだ御本直します
藤川 宏樹
猫じゃらしどこから見ても猫じゃらし
野﨑 憲子
秋の声メリーポピンズになる呪文
中野 佑海
魂が真っ赤秋分の日の海
島田 章平
法師蝉天国からの声聞こゆ
漆原 義典
紺碧の列車が止る魔法瓶
中村 セミ

【お詫び】&【句会メモ】

<袋回し句会>のお題「ソーシャルディスタンス」の作品は文字数が多くてうまく編集できませんでしたので、「ソーシャルディスタンス」の言葉を「(☆)」とさせていただきました。ご寛恕の程をお願い申し上げます。

未だコロナ禍の中でありますが、9月句会にも10人の方がお集まりくださいました。事前投句の選評も袋回し句会も大きく盛り上がり生の句会の醍醐味を堪能しました。10月はアンソロジーの準備がありお休みにさせて頂きますが、11月はいよいよ発足10周年記念の句会です。ご無理の無い範囲で、是非ご参加ください。

2020年9月1日 (火)

第109回「海程香川」句会(2020.08.22)

天の川.png

事前投句参加者の一句

向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音 田口  浩
静物の永遠に冷たき盛夏かな 中村 セミ
ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を 島田 章平
パンもハムも薄く炎暑にバス満員 中野 佑海
私ならいいです蚯蚓鳴いてます 谷  孝江
蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席 増田 暁子
遠雷や今終ろうとするショパン 小山やす子
コロナの禍ぽんぽん鳴るは鳥威 野澤 隆夫
脳に書く逃げ惑った夏更級郷 滝澤 泰斗
七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす 若森 京子
心音の表裏を濡らし髪洗う 月野ぽぽな
真葛原の内に花あり姉ひとり 稲葉 千尋
鶏頭のでこぼこ坊主頭かな 小宮 豊和
八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書 矢野千代子
指切りて血を舐め尽くす新涼や 伊藤  幸
マスクして咳を飲みこむ老いの夏 田中アパート
ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり 榎本 祐子
夏の木のそばに風ある別れかな 河野 志保
さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける 竹本  仰
意味付はいらない鰻食べてゐる 柴田 清子
夕なずむ多摩川鰻釣らんと漢かな 田中 怜子
稲妻や腎の石をも打ち砕く 漆原 義典
貧と貪敦盛草の母衣白し 荒井まり子
モーツァルトに葱刻む音入れてみる 重松 敬子
豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず 野田 信章
タロットを出られぬ姉妹夜の秋 伏   兎
頬紅を少し濃くして今朝の秋 藤田 乙女
青空にメロンパン浮く敗戦忌 植松 まめ
八月の真白き紙に感電す 三枝みずほ
なほのこと道化てみせる今朝の秋 佐藤 仁美
師は今も戛戛と生きとりかぶと 高橋 晴子
空蝉は忘れられたる羽衣よ 石井 はな
老師の耳毛説法に蝸牛 藤川 宏樹
七月の琥珀透けたる翅音かな 松岡 早苗
<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを 新野 祐子
いらん子と言はれ育ちぬ葛の花 高橋美弥子
さるすべりいまだこのよにゐるわたし 鈴木 幸江
いもうとの硬い突起やひめりんご 大西 健司
雑踏の刹那に君を夏の蝶 松本美智子
牛を売り夏の終りのハーモニカ 松本 勇二
蟻も私も生きていたるが仕事 野口思づゑ
滝しぶきもらいに手を出す真炎天 十河 宣洋
月涼しからだの遠きところから 小西 瞬夏
雁や疲れた風邪を引かぬよう 豊原 清明
八十八夜祖母の好みし次郎長伝 寺町志津子
黒金魚ことばの眼鏡ふと外す 桂  凜火
沙羅の花終末時計また進む 夏谷 胡桃
そっときてそっと食してわらびもち 銀   次
空蝉や瞼殺していたりける 河田 清峰
稲光る卑弥呼の葬列丘越えて 増田 天志
洗濯屋老いて閉店白芙蓉 菅原 春み
生足(なまあし)で昇る階凌霄花 吉田 和恵
絵日記に使われぬ色夏終わる 男波 弘志
蜩や遺影の兵士まだこども 稲   暁
目を瞑って夏草は疾走していた 佐孝 石画
信号の黄色見ている終戦忌 高木 水志
空蝉は闇の欠片か陽のかけら 亀山祐美子
熊楠の萃点つるべ落しかな 野﨑 憲子

句会の窓

                                
松本 勇二

特選句「八月やことんと羽搏く甲子男(きねお)の書」:「夜這いかな山を斜めのむささびは  奥山甲子男」を直感しました。羽ばたいた署はこれとは違うかも知れませんが、あの野太い声が聞こえてきました。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」メロンパンを想起できる感性を称えたいと思います。

月野ぽぽな

特選句「ウィルスや兵士のように水を飲み(松本勇二)」健康を取り戻すためには水分の摂取は欠かせないが、それを「兵士のように」すると比喩することで、その状況が戦争のようであると読者に伝えることに成功している。即座に「新型コロナウイルス」との表記ではなく「ウイルス」に省略されていることに気づき、今この時期に書かれているから、という理由ではなく、この句の力によって、このウイルスが「新型コロナウイルス」であるということが確定する。

増田 天志

特選句「月涼しからだの遠きところから」常識と逆の発想が、俳句の神髄かも。熱き中枢から、涼しき周辺へ、着眼点の移動。周辺から、中枢へ。なるほど、感服、しきり。

小西 瞬夏

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」これは名句なのか、そうでないのか。どこか「流れゆく大根の葉のはやさかな」を思わせるような。一見「だからどうした」なのだが、ふたりとはどん な関係なのか、どこでなぜこのような状況にあり、そしてふたりは何を思うのか。そう考えてゆくと、ただならない句になってゆく面白さ。

佐孝 石画

特選句「震災孤児とそうでない孤児蛇を囲む(田口 浩)」上五中七を使い切って「震災孤児」と「そうでない孤児」とあえて丁寧に並記してあり、読み手はまずその区別に違和感を感じるかもしれない。「震災」と付することで、被災を免れた人々であっても、東北、阪神の大震災、近年の洪水、土砂崩れなど、メディアを通じて得たさまざまな映像がフラッシュバックしてくるに違いない。そして網膜に焼き付いている抗いようのない悲惨な映像の霧が明けると、様々な感情ごと置き去りとなった人々、「孤児」が徐々に立ち現れる。それに加えて「そうでない孤児」。つまるところ、この作品の登場人物は、すべての孤児、全世界の孤児とも言える。「孤児」たちが距離を取りながら「蛇」を囲み対峙する一見不気味な光景。「蛇」はしかし、そこに立つ「孤児」たちの忘れがたい記憶と、その未来に立ち向かう意志の象徴でもある。「蛇」はまた「孤児」であり、孤児たちは、様々な感情を背中に帯びながら、蛇を取り囲み、それぞれが蛇と入れ替わる。悲しく強い輪舞。そんな切ないメルヘンの一場面は山口薫の絶筆を想起させる。また、新興俳句の代表作家、高屋窓秋の句「星泣きの孤児月泣きの孤児地に眠る」に通じる、つめたく優しい世界がここにはある。

桂  凜火

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」季語の「新涼や」が、よかった。驚きに満ちている。止まらない血で汚れた唇が「新涼や」でひんやりと浄められる感覚が浮かびました。特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」不思議な句です 夏の木は何の木なのかわからないが、そばに風あるらしい、そんな場所で別れがある。だれと 何と?なんの手がかりもないから余計に虚無的で美しい。もしかしたら、この設定とは正反対のどろどろの別れを思う句なのかもしれないが「別れかな」が効いていてそそられてしまう句でした。

十河 宣洋

特選句「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻の好きな人である。土用の丑だけが鰻の日ではない。何時だっていいのである。意味付けはいらないに、少し風刺の意味を込めている。特選句「青空にメロンパン浮く敗戦忌」戦後とか敗戦とかいうとすぐ食べ物のはなしがでてくる。その意味では類想である。でも、空腹の想いがあったのは事実である。空腹は、夢を持たせてくれる装置のようにも思う。学生時代メロンパンは十二円であった。

小山やす子

特選句「夏雲の湧く心臓のど真ん中(柴田清子)」コロナ騒動のど真ん中この句に出会って元気を貰いました。有り難うございました。

中野 佑海

特選句「生も死も私も溶けむ瀬戸の明け(鈴木幸江)」香川に住んで何が良いかって、やっぱり瀬戸内海でしょう。この海の素晴らしさは何物にも代えがたいよね。いつまで見ていても飽きないし、このまま一つになってしまいたいくらいだ。特選句「八月の真白き紙に感電す」コピー用紙のあの白さは、八月の太陽のように眩しい。何もかも映して、そして、チョット静電気がびりっと感じられたりする。そして、立秋が来ると誰もいなくなった。「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」ぽぽなは月野ぽぽなさんかはたまたゲームのキャラクターかこれはかなり難問だ。が、どちらにしても気持ちよさそう。「ジーンズの腰つやめきてさくらんぼ(高橋美弥子」おいおいサクランボ見つめてばかりいないで、しっかり味わってくださいよ。「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」蜘蛛の糸に付いた雨粒の綺麗に並んだ様は気持ち良い位に一粒ずつ。今はコロナ禍でみなおひとり様。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」鰻文句なく美味しい。まいうー「タロットを出られぬ姉妹夜の秋」タロット占いには嵌ります。何事も嵌り込み過ぎて、其れが無くては生きられない、何も選択出来ないことになっては、お終い。何事も姉妹でも付かず離れず。お気楽に。「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠の偉業には頭が下がります。つるべ落としが妙に合っている。「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し(島田章平)」小西瞬夏さんの俳句は一つの流れに落ち着かず次から次へと素敵な俳句の火を灯して下さいます。でも根底は人恋し。「老師の耳毛説法に蝸牛」何故か老師とおぼしき方の耳毛って耳からはみ出すくらい生えていますよね。もう他からの意見なんていらないのでしょう。蝸牛のように家も車も自分で完結。

豊原 清明

特選句「滝しぶきもらいに手を出す真炎天」この一句が句稿の中で面白く迫る。「もらいに」滝しぶきに、滝信仰を感じる。特選句「<三浦春馬さんを悼む>青年は永久にほがらにサーフィンを」無知な僕はその人を知らないが、一句がとても心に残る。追悼句からその人を知らなくても感じることができると思う。

河野 志保

特選句「遠雷や今終わろうとするショパン」素敵な気分になる句。「今終わろうとする」がとてもロマンティック。甘い調べと遠雷の物悲しさが過多にならず調和している。恋の場面が浮かんだ。今日の私の場合は「男はつらいよ 第18作 寅次郎純情詩集」(寅さん史上とびきりの悲恋だと思う)。

重松 敬子

特選句「絵日記に使われぬ色夏終る」楽しかった夏休みも残り少なくなり、何となくもの哀しい思いが伝わってくる。使われなかった色がこの句に広がりをもたせ、秀句にしている。

藤川 宏樹

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」周り一体色を失った惨禍に蟹の赤が浮かぶ、的確な表現に感心しました。私も阪神震災翌日、三宮駅を闊歩する浮浪者に小脇のホカ弁、そのソーセージの赤が鮮明にいつまでも残った体験があります。目を引く赤い蟹が非常事態を実感させます。

増田 暁子

特選句「八月の真白き紙に感電す」中7、下5は戦争や原爆で亡くなった人びとと鋭敏に心を通じ、無念さや懐かしさを共有することと取りました。真白き紙がとても良いと思います。特選句「生足(なまあし)で昇る階凌霄花」凌霄花の花の色と階を昇る生足の取り合わせが、なんとも魅力的で官能的です。毎回のことですが本当に良い句が多くて迷いました。

中村 セミ

特選句「ふたりして蛇の泳ぐを見ていたり」蛇が何かは別にして、このたたずみ、見ている時系列に隠れている状況が好きだ。二人は句を思い、この蛇を見ているのか。この蛇はきっとたくさんの悪い事をした揚句、水の中か空中かを泳ぎ去ってゆく。その感慨を二人に感じてしまう。―おそらくつくづく都市や人々を破壊してしまった何か、が去ってゆく時の思いだろうと思う。この二人はずうっとしばらくは見続けるのだろう。「八月の真白き紙に感電す」夏の光で真白の紙は放電している。それに気づいた人は感電するのだろう。

高橋美弥子

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」全体を平仮名表記にしたことで一句にやさしさとせつなさが漂います。百日紅は夏のカンカン照りの空へ元気に咲く花。その百日紅を見たときに、作者が生きてきた中での様々な感情の移ろいを投影しているように感じて共鳴しました。問題句「眼を奪うLEDの天の川(佐藤仁美)」そんな日が来るのかもしれない。いや、作者はそれを実際に見て眼を奪われたのかも。でもせっかくの「天の川」の季語の本意が薄れてしまうようにも感じます。

若森 京子

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳(はたち)の音」二十歳の青春時代の危なっかしい気分がよく出ている。向日葵の季語が。夢・希望のシンボルとして書かれているが、それに引き金を引く行為は、その頃の精神状態の陰の部分としてであろう。「音」が、一句を詠い上げている。特選句「目を瞑って夏草は疾走していた」目を瞑って想う間に、夏は過ぎ去っていた実感だと思うが、「夏草は疾走していた」のフレーズが好きでした。

伊藤  幸

特選句「コーラシュワッ青葦つづく風の黙(松岡早苗)」オノマトペ「シュワッ」が効いている。若く力強い青葦を無音の晩夏の風が父親のように見守っているさまが窺える。

滝澤 泰斗

特選句「自閉症のキミとの日々よあの夏よ(松本美智子)」自閉症は様々な障がいのパターンがあり世界に2千万人以上の統計がある。日常の中で、特に電車の中で父親が付き添ってつかず離れず、人に迷惑をかけないように見守っている姿を何回か見たことがありそのシーン思い出しました。寝ているとき以外はいつも見守りが必要な中、夏のある日、好転への変化の兆しか、あるいはその逆か?心動かされました。特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」一仕事の終わり、牛を育て売るまでの忙殺された日々にはできなかったハーモニカを吹く。面倒見てきた牛がいなくなった牛舎と夏の終わりにか細いハーモニカの調べ・・・、懐かしい古き良き時代の昭和の寂寥感に共感しました。お彼岸の3月、9月は家族のための祈りの月、8月は戦争で亡くなった人への鎮魂。今回の投句にも多くの祈りの句を拝読しました。その中で印象的な句、以下の五句を選びました。「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」海の浅瀬であろうか、上向いて背泳ぎというより、空を見つめて浮かぶように七五年前の空を思い出して戦争を、敗戦を偲び、人を偲びつ。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」日本は敗けた。すさまじい空腹感が容易に想像つくが、空に浮かんだメロンパンは一般論でくくれない作者の思いに震えました。終戦忌を敗戦忌とする人が多く、これにも共感しました。「八月十五日ただ眼をひらき水風呂に」私は敗戦の日を知りませんが、敗戦の日の受け止め方として、あの戦争は何だったのか、刮目的に、そして、水を浴びて鎮魂する姿が想像されました。「敗戦忌父の褌ひるがえり」褌は金子先生の代名詞でもあり、トラック島で敗戦を迎えた金子先生と私の父の褌も思い出され、「ひるがえり」に、新しい時代の到来すらも感じさせてくれました。「蜩や遺影の兵士まだこども」小さいころ、どの友達の家の仏壇にも兵隊姿の遺影があった。そして、どの遺影も若く、子供の面影をたたえていた。印象的な反戦句でした。「いもうとの硬い突起やひめりんご」金子先生は「俺は人を見る時、上から下まで舐めるように見る」と・・・女性の体を果物に見立てる言い方はマンネリと言えばその通りだがエロスを感じさせる句は自分ではなかなか作れない。それだけに、魅かれる句ではある。

野田 信章

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ(谷 孝江)」の句は、久方ぶりの梅雨の晴れ間のことと読んだ。それも「こんなに晴れて」となると、それはもう誰かの忌日ゆえのことかと思案しても不思議でなくなる。離別を重ねているとその人の忌日も判然としなくなることも確かなこと。「誰の忌日ぞ」という呟きそのものが今を生き永らえている者の生の明かし(証)かと思えてくる。一句の韻律が醸している諧謔味も捨て難い。

柴田 清子

特選句「夏の木のそばに風ある別れかな」一つ一つの言葉は易しい。その言葉のあつまりで、詩情の深い句に。別れに風をもって来たことで粋な別れの句となった。

田口  浩

特選句「信号の黄色見ている終戦忌」この句の場合、信号を見ているのは歩行者でもいいが、出来るなら運転席から見ている方が、味わいを深くするように思う。さらに言えば戦争を体験した人が、黄色の光の意味を拡大解釈して、自動車を発車するまでと限定する方が作者の立ち位地を感じられて面白い。「終戦忌」のウムを言わせぬ力をぶつけられて、心に残る俳句である。「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」私も若いころ友達を呼んでよくやった。「青空にメロンパン浮く敗戦忌」敗戦の青空に浮く白い雲を見て、パンを想像したのだろう。メロンパンと言うから若い人かも知れない。「師は今も戛戛と生きとりかぶと」今生は病む生なりき、の鳥兜もいいが、こちらもいいですね。「戛戛と生きとりかぶと」は、師の風貌を眼前に見ているのですね。「いもうとの硬い突起やひめりんご」これは姉妹ですね。若いエロスに圧倒されます。「絵日記に使われぬ色夏終る」その色をいろいろ考えて見ました。愉しいヒトトキ。

野澤 隆夫

特選句「モーツァルトに葱刻む音入れてみる」面白い。ラーメン??葱を刻んでる作者。小生は今選句しつつムソルグスキーの「展覧会の絵」を聴いている!特選句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」小生の先輩にそっくりな人物。「かつかつ」として「毒性アリ」。「配牌やスパイめきたる守宮の目(重松敬子)」も特選。ギャンブルと江戸川乱歩の取り合わせが面白い。

稲葉 千尋

特選句「吉野暑し直完市の大わらい(矢野千代子)」稲葉直さん阿部完市さんの笑顔を思い出します。それぞれに違う笑顔よ。

大西 健司

特選句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」特選には「今朝の秋」二句をいただいた。残暑厳しいおりから暑苦しい句はさけた。まあそういうわけではないのですが、落ち着いた、心の機微を捉えた二句がじんわりと心に沁みた。問題句「ラクダゆく月のぽぽなの真ん中を」「うつろへる瞬夏秋灯ひと恋し」問題句というより特別賞あたりか、人名をうまく入れて楽しく仕上げている。八月らしく「八月やことんと羽搏く甲子男(きねを)の書」には奥山甲子男さんが、「吉野涼し直・完市の語尾曳いて」には稲葉直さん阿部完市さんが、実になつかしい気持ちにさせられた。

寺町志津子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」終戦記念日のある八月。かつての太平洋戦争での少年航空兵や特攻隊員にも一入の思いがあるが、揚句は、現在なお戦乱の中にある中東のこども兵士のことと捕らえた。蜩の鳴き続ける夏真っ盛りの中、テレビか新聞かで報道された子ども兵士の遺影。「まだこども」の語に、作者の子ども兵士に対する言いようのない心の痛みが感じられ、実景であろう鳴き続ける蜩の声が一層哀しみを深めている。

伏   兎

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」理性が野生に追いつけず、暴走しがちな夏の午後の若さを見事に捉えられている。とりわけ中七と下五の表現が心に刺さる。特選句「水中花きずをちひさくする仕事(小西瞬夏)」」掲句から無言館の絵を修復する光景が目に浮かんだ。画家になる夢の途中で戦死した青年たちが遺した絵に、寄り添う人々のまなざしや息づかいを感受。入選句「黒金魚ことばの眼鏡ふと外す」黒金魚は黒出目金のことだろう。縁の太い老眼鏡をかけ、国語辞典を傍らに作句に没頭している姿を想像し、惹かれた。

三枝みずほ

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」冷蔵庫にはその人の本性や性格、生活スタイルが出る。いわば自分そのもの。それを他人に見せるという状況、心情にとても興味が湧いた。そもそも「さあどうぞ」と他人に開けるだろうか。何とも真夏の夜の不思議だ。

谷  孝江

佳い句たくさん見せていただきありがとうございました。どの句特選となると難しいです。十句どれもみんな私の中では特選です。「元二等兵コトシモ空蝉のゴトシ(若森京子)」昭和を生きてきた者には八月は一年の中では特別な月です。コトシモ空蝉のゴトシは心痛みます。決して空蝉なんじゃありません。黙していらっしゃるのです。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」も好きです。淋しさを人前に見せないで一人ハーモニカを吹いていらっしゃる姿が見えてきます。心の内も感じ取れる良い句だと思いました。九月もたくさんの佳句に出合えるのを楽しみにしています。

榎本 祐子

特選句「七月の琥珀透けたる翅音かな」梅雨が明け黒南風から白南風に、盛夏となる七月の空気感の表現が素敵です。

男波 弘志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」ここにある、いいです、は拒絶ではない。ありのままの謂だろう。「整える必要はない蠍座よ(河野志保)」不定形なものは自然界にはない。ありのままに一切がある。

島田 章平

特選句「脳に書く逃げ惑った夏更級郷」長野県更級郷。古くは「満濃開拓団」の村。おそらく多くの家族が大陸に渡り、またその内の多くが苦難の末に帰国を果たしたであろう。生き別れの家族、死別の家族、傷言えぬままに過ごした75年。帰国後、必死に耕した開拓の地も今は過疎化の波にのまれ、空き家ばかり。鮮やかな色で蘇るのは、亡くなった家族の事ばかりだろう。

石井 はな

特選句「向日葵に引き金を引く二十歳の音」夏の象徴のような向日葵に引き金を引く。それも二十歳の若者が。若者の鬱屈した気分とそれを囲む眩しい世界。70年代の映画を思わせます。

田中 怜子

特選句は、やはり8月として「蜩や遺影の兵士まだこども」今後の見通し、展望もなく妙な精神主義で、若者の命を無駄にした軍上層部に対する憤りがある。片道切符で戦場に行かせ、兵器を担ぐためにはある程度の体重がないといけないのに、また知的に4、5歳くらいの青年を兵士に駆り出したり、無茶苦茶。そして責任をおわない軍に対して怒り心頭です。でも、プロパガンダと愛国心等で国民も賛同していたんですよね。この句は静かな批判です。蜩の透明な鳴き声が心にしみいります。「腰幅で花野漕ぐ柔らかき背(十河宣洋)」色っぽいですね。「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」先日外苑前にあるイタリア料理・アクワ・パッツアでとさかと内臓のスープを食べました。とさかの触感、味はないですが、ぷりんぷりんとして、スープの味がとても美味しかったです。それを思い出しました。(内臓は苦手なのですが)「いらん子と言われ育ちぬ葛の花」は胸痛みますね。悩んで自分なりに、自分を肯定できるようになってからの述懐でしょうか? さまざまな気持ちの解消プロセスが見えるようです。「睡蓮咲く庭を残して友が去る(夏谷胡桃)」その家将来が、睡蓮の庭が壊されてしまうのではないか、という心配がわきあがりました。「洗濯屋老いて閉店白芙蓉」洗濯屋という生業が終えることに、子供が継がなかったのかしら、それともコロナ禍で事業がうまくいかなかったのかしら、とにかく老いた善良な一市民の姿が眼に浮かびました。安堵もしているのかしら、と。

新野 祐子

特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」九州をはじめとする七月の豪雨、酷かったですね。特に、熊本県では二十四時間降水量が四〇〇ミリを越える所があったなんて、現実とはとても思えませんでした。蟹の赤が悲しく鮮烈です。被災地の一日も早い回復をお祈りします。入選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」人間長く生きてくると、身近なところで天寿、不慮の事故などで亡くなる人が多いものです。誕生日を祝うよりも故人を偲ぶ日の方が増えてくるのは淋しい。入選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」理屈などいらなくて、蜘蛛の囲に架かった雨粒はほんとうにきれいです。問題句「師は今も戛戛と生きとりかぶと」兜太師のことでしょうね。先生と毒草の「とりかぶと」はマッチするかなと疑問でした。

夏谷 胡桃

特選句「敗戦忌父の褌ひるがえり(竹本 仰)」褌が白旗のようです。うれしい白旗。舅も褌でした。最初びっくりしましたが、パンツは、はかない人でした。特選「月涼しからだの遠きところから」からだの遠きところ。古代からのリズムがずんずんなっていくような、月の夜。体の中に音が鳴ります。ひとつの獣になって。

河田 清峰

特選句「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売りが晩夏のハーモニカに効いている。

鈴木 幸江

特選句「パンもハムも薄く炎暑にバス満員」子規の写生論を土台に、独自の俳諧味を加えて進化を遂げた作品として特選に評価した。事物だけの描写句には時代の証拠としての力がある。現代の経済ファーストの社会を見事に表出させている。この私の解釈の背景には、コロナ禍の、あるファミレスでの体験と、東京の妹からの”電車が混んでいて、人に触れないよう注意している”とメールが届いたことが影響している。特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」”あなた”は、夫か妻か。微妙な夫婦関係を上手に口語を活用し捉えた作品として読んだ。必要以上に丁寧な物言いをする時、その人は相手との距離を感じている。わざと使うときは将に嫌味である。何かお腹に溜まっているものがありそうだ。夫婦の間にある溝を感じた。そして、どうぞここから新たな夫婦関係を築いていってくださいと応援したくなった。問題句「熊楠の萃点つるべ落としかな」熊楠は師も評価していた人物。”萃点”は熊楠の造語。物事のことわりが通過して交差する地点のこと。”つるべ落とし”は①急速に日が暮れることで十一月ごろ。②相場が急落すること。③木から落ちてきて人を食べる妖怪の名。と辞書にあった。もう、これだけで問題句だ。とても、大切なメッセージが含まれている予感がするのに、浅学のため、解釈が十分できなくてイライラしてしまった。今回は、人名の含まれた作品が、多く、子規や兜太師も、その人物を捉える表現がとても上手であったことを思い出した。

矢野千代子

特選句「こんなにも梅雨空晴れて誰の忌ぞ」一読して「誰の忌ぞ」があいまいだと思ったのですが、読み手各人が置きたい人を置くのもいい。そう、父母でもいいし、夫でも子供でもいいのでは?特選句「蜘蛛の囲に雨粒おひとりさまの席」雨粒は長続きしないのが良い。「意味付けはいらない鰻食べてゐる」おいしければそれだけで満足。「空蝉は忘れられたる羽衣よ」詩人ですね。「牛を売り夏の終りのハーモニカ」牛を売るってどんな心情でしょう。あのうるんだ目を思います。

菅原 春み

特選句「七月の琥珀溶けたる翅音かな」琥珀の溶けるというところが並みの想像力には及ばぬ翅音のように思えた。特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に(野田信章)」映画のシーンを見るようにただただ映像が迫ってきた。

佐藤 仁美

特選句「さるすべりいまだこのよにゐるわたし」お盆にお墓参りに行くと、百日紅の花が炎天下に鮮やかに咲いています。この世の私と、あの世の方達。鮮明な対比と、すべてひらがなの優しさとが入り交じった、少し寂しさも感じる素敵な作品です。

松岡 早苗

特選句「指切りて血を舐め尽くす新涼や」中七の「血を舐め尽くす」が強烈な印象を与えた。「血」と「新涼」の取り合わせも新鮮だが、身の涼感を舌先で貪欲にむさぼる中七の刺激的な表現に惹かれた。特選句「豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず」一面泥に覆われたモノクロの世界に「赤い蟹」。悪夢のような豪雨禍にあってとても象徴的。自然の脅威へのおののき、うちのめされた絶望感、新たな再生への希望。いろいろなイメージで「赤い蟹」が迫ってくる。豪雨被害、心よりお見舞い申しあげます。

植松 まめ

特選句「青年は永久にほがらにサーフィンを」三浦春馬さん追悼の句です。爽やかでナイーブな素敵な俳優でした。永久にほがらにが故人の個性をよく描いていると思います。特選句「生足で昇る階凌霄花」真夏に咲く凌霄花はつる性で橙色の大きな花をつけます。高校時代に進路に迷ったころ何気なく見上げた凌霄花に力を貰ったことがありました。生足を裸足と理解しましたが、どうでしょうか?  (自己紹介)七月の「海程香川」の句会に何の知識も無く顔を出し今までの句会では出会ったことのない種類の俳句を拝見しカルチャーショックを受けました。皆さんについて行けるかどうか不安でありますが、野﨑代表をはじめ先輩の皆様よろしくお願いいたします。

竹本  仰

特選句「七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす」七十五年目の戦後、作者はその敗戦日の年の生まれでしょうか。だとしたら、「潮枯れ」の「潮」に格別な響きが出てきます。あの超過密の保育園から学校と、団塊の世代が延々とつづいた戦後の日本の、その「潮」の体内音を聴くように感じられるからです。そしてまた、「潮枯れ」には自分の親の世代へ重なってゆく老いの自覚も感じられ、帰るべきところに来たという感懐もあるように思えます。それが背泳ぎの海というところから、いつも何かに支えられてきたという、生きものの持つ体感がとても迫って感じられます。 特選句「月涼しからだの遠きところから」からだの遠いところって何処だ?そういう遊びとも策略ともとれる隔靴掻痒の感が、魅力ある句だなと。「月涼し」には何か乾いた或るさとりみたいな、そうですね、沙羅の花のような感じがしますし、それがからだの遠い辺境から来ているとなると、すごく面白い。しかも、あなたはどうです?という問いかけに遭ったような、面映ゆい距離感を感じます。小生の場合は、その遠いところを探したら、左足の薬指の爪かなとひとりごち、まあ、いつもいい加減な扱いをしてすいません、というか。そんな童話風のつづきをもたらしてくれたのが、ありがたい句だなと思った次第です。

荒井まり子

特選句「八月一五日ただ眼を開き水風呂に」八月は敗戦の月。団塊の世代とはいえ、戦後の無い無い尽くしは今も記憶にある。今年はコロナも重なり特別のスペシャルになった。本土空襲、広島、長崎と被災された方々にとって、中七が恐怖の一瞬皆同じだったろうと。昭和は長過ぎた。新しい暮し等ついていけない。年寄りの僻みだろか。

野口思づゑ

特選句「八月の真白き紙に感電す」原爆忌、終戦記念日と八月は心を新たにする月であり、それは真白い紙なのかもしれない。その上今年はコロナ人災の特別な年に自然災害も加わり、大きな衝撃の月となっている。それを「感電す」で体感も加え巧みに表していると感心しました。「凹凸と育つ夫婦の晩夏光(中野佑海)」:「育つ」が面白い。仲の良いご夫婦なのでしょう。「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影の兵士はどの写真も悲しいものですが、それがまだ幼さの残った顔ですと尚更です。「信号の黄色見ている終戦忌」この信号だけは奇跡的に黄色から青になってもらいたいと心から願う。

稲   暁

特選句「心音の表裏を濡らし髪洗う」酷暑の日の洗髪の感覚が大胆な言葉遣いで表現されていて感心した。とても意欲的な作品だと思う。問題句「頬紅を少し濃くして今朝の秋」本格的な秋の到来を待つ心が「頬紅を少し濃くして」に表れていて共感するが、今年は「今朝の秋」を感じる日はまだないように思われる。

高橋 晴子

特選句「蜩や遺影の兵士まだこども」遺影は年をとらない。自分がだんだん年をとっていくにつれ、遺影の兵士の若さが胸に迫る。?まだこども〟とつき放した言い方に、戦争へ追いやった人達への怒りがこみあげる。蜩が胸に沁みる。

漆原 義典

特選を「鶏頭のでこぼこ坊主頭かな」とします。盆の墓参りでお花を持ち参りました。盆の花には鶏頭の花が入っていますが、今まで鶏頭の花をそんなに注意して見ていませんでした。でこぼこ坊主頭と表現した作者の鋭い観察力に関心しました。私もこれからは花達を注意深く見るように心掛けたいと思います。素晴らしい句をありがとうございました。

吉田 和恵

特選句「さあどうぞあなたに冷蔵庫を開ける」さあどうぞ。よく冷えた私の中身。それとも、この中に入ってごらんになります?猛暑にひと時の安らぎ?

高木 水志

特選句「私ならいいです蚯蚓鳴いてます」いつも控えめな人のセリフに「蚯蚓鳴く」を取り合わせたことで、なんとなく幸せな響きになっている。

藤田 乙女

特選句「雑踏の刹那に君を夏の蝶」雑踏の中に一瞬君を見たのでしょうか?その姿はすぐに蝶のように軽やかにいなくなってしまったのでしょうか?それは本当の姿?それとも幻?いや雑踏の中の君に蝶がひらひらと近づいてきたのでしょうか?そう思えたのでしょうか?いろいろ想像するのですが、いずれにしても儚いけれど思い続ける愛を感じて惹かれる句です。特選句「稲光る卑弥呼の葬列丘越えて」目の前に広がる夏の太陽の光を浴びた日本人の食を支える稲穂、それと稲作の農耕文化を発展させた卑弥呼を取り合わせることで、とても壮大で古代へのロマンを駆り立てられる句だと思いました。

亀山祐美子

特選句「八月の真白き紙に感電す」年々暑くなる夏。今年は今までになくクーラーを使っている。暑さから命を守る行動を促す気象予報士。地球が病んでいる。そんな異常な八月の白紙に向かう。言葉もなくその白さに打ちのめされる。否。何故どのような言葉で空白を埋めようとしたのかさえ忘れてしまっている恐怖に打ちのめされ茫然自失の私がいる。己を覗き込む佳句。特選句「向日葵に満天の星地球病む(高橋晴子)」暑さに加えコロナ騒動。否。コロナ騒動に加わる暑さと言うべきか。向日葵や星はいつもと同じ時を刻むのに地球に棲む(寄生する)人間だけが病むと嘆く人間の傲慢さの極致。自然の脅威。生物兵器説が正しければ自業自得か…。来年の夏まで生きていられるのか不安が過る。恐怖と願望入り混じる佳句。

小宮 豊和

「敗戦忌父の褌ひるがえり」敗戦忌 戦争に負けてもまいっていない心意気。「いらん子と言はれ育ちぬ葛の花」この時点で多すぎる兄弟姉妹。一人だけ言われることと考えられない。それぞれがコンプレックスをかかえ克服していったのだろう。「目を瞑って夏草は疾走していた」目をつむって疾走する夏草、現実に無く、起こり得ないことを、実感をもって感じることは俳句であればこそ。

松本美智子

特選句「稲妻や腎の石をも打ち砕く」職場の同僚が人間ドックで腎臓結石が見つかり その治療法をめぐる話を聞いたばかりでしたのでこの句を詠んだ時それこそ‘稲妻‘が光りました。「体外衝撃波砕石術」だそうです。どんな衝撃波が結石をくだくのでしょうか。それとも雷様はおへそをねらっているのでしょうか。

野﨑 憲子

特選句「なほのこと道化てみせる今朝の秋」コロナ禍の中新しい日常の模索が続いています。こういう時代だからこそ日常を楽しく過ごしたいもの。道化役はますます大切になってまいります。季語<今朝の秋>の斡旋がお見事です。問題句「西から縮み子午線上で消える」一読、風の事を詠んでいると感じました。何だか全く分からないところにも惹かれます。自句自解「熊楠の萃点つるべ落としかな」南方熊楠は、明治時代の博物学者、民俗学者でもあり特に粘菌の研究で知られています。神社合祀反対運動をして和歌山県の鎮守の森を命がけで守ったことでも有名です。左記の曼荼羅図は、若き頃の熊楠が大学を中退(正岡子規と同級生でした)しロンドンに渡った時に知り合った、十四歳年上の土宜法(どきほう)龍(りゅう)(のちに真言宗高野山官長)との往復書簡の中にあります。いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることの出来る萃点が存在すると考えました。図中にも点がいくつか見られますが、秋の夕陽が真っ直ぐに落ちていくの見ていて掲句が浮かびました。句会も、ある意味では萃点だと強く感じるこの頃です。

9月12日(土)午後1時30分から3時迄、サンクリスタル高松3階視聴覚ホールにて開催の「菊池寛記念館文芸講座」の中で話をさせていただきます。テーマは「始原の俳句 兜太・芭蕉そして空海について」です。<萃点>についても、ご来場の方々と考えて行きたいと思います。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ストレッチ
浜木綿の朝(あした)は雨のストレッチ
野﨑 憲子
ストレッチして遠くの空までゆく
三枝みずほ
夫を呼ぶ腓返りのストレッチ
鈴木 幸江
ターザンで心新たにストレッチ
島田 章平
もういいかいもういいよとストレッチ
田口  浩
寝待月しらずしらずのストレッチ
柴田 清子
暑気
どうにでもなることならぬこと大暑
柴田 清子
一挺のバイオリン暑さに遠くいる
田口  浩
抱っこしてスマホ操る母暑し
島田 章平
暑気なんてなんて優しい人だろう
鈴木 幸江
猛暑かな右へ曲れば燧灘
野﨑 憲子
ターザン
爽やかやターザン知らぬ人とゐる
柴田 清子
銀漢を渡るターザン募集中
中野 佑海
ターザンの押す蓴菜舟である
田口  浩
寝落つ間にターザン去りぬ晩夏光
藤川 宏樹
モディリアーニの少女雨傘を出して秋
田口  浩
私には聞こえる秋の声雨に
柴田 清子
ほめてみるこころみ夫へ夏の雨
藤川 宏樹
雨女連れて今さら月涼し
中野 佑海
傘に八月雨雨雨雨雨が降る
野﨑 憲子
自由題
自由とは酸っぱいものよ冷奴
島田 章平
胸中に夕日其の他はねこじゃらし
田口  浩
問題は易きとこから蚯蚓鳴く
藤川 宏樹
自由とは色なき風のことを言ふ
柴田 清子
時と息止まる炎暑の交差点
中野 佑海
日本は化石賞とやなめくじら
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】第2回「海原金子兜太賞」に本句会の三枝みずほさんの作品が選ばれました。参加者一同の大きな励みになりました。おめでとうございます!!

【句会メモ】8月もサンポートホール7階の和室での句会を開催しました。やはり生の句会は最高に楽しいです。事前投句も袋回し句会もブログには一部しか掲載できず 残念です。現在、11月刊行予定の「海程香川」発足10周年 記念アンソロジーの編集に入っています。多様性と魅力溢れる作品や文章にワクワクしながらの作業です。皆さまのお手元にお届けする日を楽しみに頑張ります。

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