2015年9月3日 (木)

香川句会報 第53回(2015.08.22)

事前投句参加者の一句

白靴欲し野に水汲みにゆくための 小西 瞬夏
兄さんへ桔梗は今年も咲きました 髙木 繁子
蝉穴かと覗く理論派浪漫派 谷 孝江
半裸なるチェロの独奏椎若葉 野田 信章
炎天や銃を取らさぬデモに在り 尾崎 憲正
三伏や漁師ぽつりと「鯵獲れぬ」  寺町志津子
こおろぎの微かに聴こゆ命かな 鈴木 幸江
牝鹿佇つ水より遠き瞳して 月野ぽぽな
一列に並びしカンナ黙祷終ゆ 重松 敬子
うすものや ゆるゆる下る石だたみ 古澤 真翠
いち抜けた脛をくすぐるペンペン草 河野 志保
鬼灯と鉄路をまたぐ老いしんしん 矢野千代子
炎昼や終戦詔書読み返す 野澤 隆夫
島らっきょ明日の晴れは予約済み 中野 佑海
一日中蝉の配置を考える樹 稲葉 千尋
蝉しぐれ古書にあまたの走り書き 増田 天志
フクシマや罪なき桃は売れ残り 藤田 乙女
片蔭の風にゆるされ恋の文 桂 凛火
ひまはりや満員電車が空を飛ぶ 銀   次
折鶴は千枚の紙八月来る 若森 京子
夏怒濤岡本太郎が迫り来る 三枝みずほ
ヒロシマよ永遠に赫い眼をせよ 上原 祥子
一行の詫び状ひぐらし鳴き終わる 伊藤 幸
鮎釣りの竿が形見に若精霊 郡 さと
待の灯やゆっくり羽化の蝉がいて 田中 怜子
木槿花白くぽっかり入院日 中西 裕子
基地いらぬ生きゐる限り沖縄忌 高橋 晴子
炎天下背骨首筋立て直す 亀山祐美子
行きずりがこんなに淋しい走馬燈 小山やす子
幾千の夜があぢさゐにありて待つ 竹本 仰
日常という水泡(みなわ)が多し茗荷の子 久保 智恵
老後ってアドリブなんだ鼻曲り 三好つや子
熊蝉に体の芯を明けわたす 柴田 清子
秋近しほんの二度の差だけなのに 漆原 義典
山彦ガ饒舌な我ガ菊のをと KIYOAKI FILM
万の石に万の言の葉夕蜩 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「山彦ガ饒舌な我ガ菊のをと」難解な句は、様々に鑑賞出来るので、楽しい。音なのか、ノートなのか。木霊なのか、山彦海彦なのか。菊に聴き入っているのか、菊の御紋すなわち皇室について思索記述しているのか。ミステリアスな作品だ。

中野 佑海

特選句「老後ってアドリブなんだ鼻曲がり」私は絶対意地悪ばあ様になろうと誓っていました。毎日、孫を相手に突拍子も無いことをして楽しんでいます。つむじ曲がりのへそ曲がり、そして、周りから、鼻つまみです。良い感じです。最高の楽しみです。問題句「一日中蝉の配置を考える樹」凄い面白い句だと思います。がちょっと俳句とも違う気がしました。「一日中」の上五を何か他の言葉に変えてみたら良いのかなと思います。今日の句会、後半の「俳諧歌仙」増田天志さんの強引な宗匠の教えと手解きの宜しく、とても面白過ぎて時間が経つのが早かったです。まだまだ、居たかったですが、泣く泣く孫の世話に戻りました。増田さん楽しい時間を有り難うございました。増田さんの偏見に見えて的確な講評とても勉強になりました。また、高松句会に揺さぶりを掛けに来て下さい。

野澤 隆夫

二十二日はお世話になりました。久々の句会参加で、さすがに昨日はぐったり。でも大いに楽しめました。野﨑さんはじめ、参会者、遠路お越しの増田さんにも感謝です。ありがとうございました。今月の特選句は「夏怒涛岡本太郎が迫り来る」です。昭和40年代、「週刊朝日」に〝岡本太郎の眼〟というエッセーが連載されてました。後に万博の〝太陽の塔〟を創造し凄い人だと感動した記憶があります。夏怒涛に、「芸術 は爆発だ!」と、岡本太郎の大きく眼を見開いて両手をひろげた、あのポーズが浮かびます。後半の歌仙も難しかったが、増田さんの軽妙な捌きで楽しかったです。起句(たてく)秋連衆(れんじゅ)奮闘半歌仙 (たかお)

尾崎 憲正

特選句「基地いらぬ生きゐる限り沖縄忌」戦争法が国会で議れている今、辺野古に基地が建設されようとしている今、一年に一日の沖縄忌には何の意味はありません。作者の強いメッセージを受け止めました。

三好つや子

特選句「ひまはりや満員電車が空を飛ぶ」広島と長崎の原爆にとどまらず、テロによる爆破事件、竜巻などの災害・・・無惨な光景が目に浮かびます。先の読めない不穏なこの世をさらりと句に仕立てた事に脱帽。特選句「山盛の午睡ダリア咲いている(上原祥子)」たった三十分眠っただけなのに三日位寝ていたような深い眠りを体験した作者。ダリアとうまく響き合っています。問題句「とびうお飛ぶ君は蹄鉄フェチだった」妙に好奇心をくすぐる句で、「蹄鉄フェチ」の表現に魅力を感じつつ、インパクトが強すぎて、どんな「君」なのか見えてきませんでした。

河野 志保

特選句「両手で測る夏空の端から端(三枝みずほ)」両手を広げて見上げた夏空の広さよ。「端から端」がすべてを語っている気がする。さわやかでダイナミックな句姿にひかれた。

竹本 仰

特選句「蝉しぐれ古書にあまたの走り書き」古書ファンの一人として、アルアル感で採りました。多分、これは、数十年前の誰かの「走り書き」なのでしょうね。沸いてくるような、その初代持ち主の当時の走り書き。だから、この「蝉しぐれ」は、過去形をも含んでおり、作者の自己の過去への共感ということにもなるのでしょうね。この共感、しびれますね、特に、「こいつ、意外と鋭いなあ」という時など。もちろん、この古書が、大時代のものであると、蝉しぐれは更に大きくなるのでしょうね。わたくし、初めはつい誤読して、「古文書」と受け取っていたのでしたが、それもまた味があるかとも。特選句「山椒魚(はんざき)を踏むふるさとは青く切なし」・・ 「山椒魚を踏むふるさと」が、とてもリアルです。にゅるっとするのでしょうか、それともごつっと。山椒魚を踏めなくなった、その淋しさに気づいたとき、かけがえのない大きな喪失感を、「青く切なし」というのは、妙に胸を傷ましむるものがあります。井伏鱒二「山椒魚」のあの山椒魚が、この句を読んだら、きっと顔をくしゃくしゃにするのではないか。「山椒魚は、悦んだ。」というように。「ひまはりや満員列車が空を飛ぶ」は、原爆のことなんでしょうか。昔、映画「黒い雨」に、そのようなシーンがあったような。その映画の後、出演者・北村和夫さんがその映画を題材にした一人芝居も見ましたが、演じるだけでもものすごいオーラを感じるシーンだったと述懐していましたね。

寺町志津子

特選句「炎天とふ巨き器になんの哲学(銀次)」日本列島を南から北まですっぽり包んだ今夏の猛暑、猛暑。ただただぼーっとして思考力ゼロ。高邁な哲学なんて入る余地なしの境地を詠んだ諧謔。外すわけにはいかない。「四匹の猫の隊列蝉時雨」好きな句。この四匹の猫はどんな関係なのか。蝉時雨の中、それぞれどんな表情で隊列を組んで進んでいるのか、虚か実かも定かでないが、メルフェンの世界にしっかり遊ばせていただいた。特選を迷った句「基地いらぬ生きゐる限り沖縄忌」「炎天や銃を取らさぬデモに在り」。今、私達が声を大にして発信すべき句ではないかと痛感した。

KIYOAKI FILM

特選句「夏つばめあれは我家の巣立かな(稲葉千尋)」季語が重複しているようで、(よく俳句を知らない為、物も言えないが)それでも美学生の絵や、風景写真の景色が伝わってきました。「夏つばめ」「燕」よりも心地よく聞こえる。問題句「いち抜けた脛をくすぐるペンペン草」・・「ペンペン草」つまりは躾に使う、お尻ペンペンであり、私は「いち抜けた」で怒られているのではないかという風に読んだ。誤読であって欲しい。「いち抜けた脛をくすぐるペンペン草」やはり怒られているのか? 無学な自分が恥ずかしい。

稲葉 千尋

特選句「熱帯夜の枕こつんと椰子の実か(増田天志)」なかなか寝つかれぬ熱帯夜。「枕こつんと椰子の実か」は、実感。特選句「羊水の感触醒め際の素足(月野ぽぽな)」醒め際の素足は、まさに羊水感覚いや感触か、この感性をいただく。

古澤 真翠

特選句「叫喚のつまっておりぬ西瓜割る(重松敬子)」子ども達の歓声が聞こえてくるような夏の風景。「行きずりがこんなに淋しい走馬燈」一期一会の出会いと別れだけではなく、いろんな思いを感じさせる句に 何故か涙ぐみました。「秋草の朝のハミング峠越ゆ(野﨑憲子)」明るく爽やかな朝を迎え、悦びに満ち溢れた作品。こちらまで、笑顔にしてくれました。

小西 瞬夏

特選句「折鶴は千枚の紙八月来る」千羽鶴はもともとは千枚の紙であった。言ってみれば当たり前のことであるが、「八月来る」ということに対してあらゆる言いたいことを消し、当たり前のことしか言わないでおくことがしみじみと切ない。「羊水の感触醒め際の素足」ひとつひとつの言葉は興味深いのだが、「羊水」「感触」「醒め際」「素足」がどれもイメージ重なりすぎている。

野田 信章

特選句「熱帯夜の枕こつんと椰子の実か」は、中句以下の軽い疑問を伴った唐突感のある配合が椰子の実の質感を確かなものとして伝達させてくれる。熱帯夜の一服の清涼剤として唱歌「椰子の実」が聴こえてくるようだ。対象的に次の句がある。特選句「幾千の夜があぢさゐにありて待つ」は、現代詩的な発想にやや抽象性を覚えつつも、文語表記としての「あぢさゐ」と相俟っての「幾千の夜」という時間の凝縮性が一句の密度を高めている。結句としての「待つ」には、そこへと誘う力感がある。「あぢさゐ」に宿る生の充実感と一体のものとして死の予感を感受することも可能かと思う。

田中 怜子

特選句「にんげんが大きく歪む金魚鉢(増田天志)」中年のおじさんが(孤独)金魚を相手に、ペーソスと面白味がある。特選句「首回す無人の部屋の扇風機(中西裕子)」」セピア色の畳の上のがたがた回る扇風機、レトロっぽく、懐かしい情景です。問題句『三伏や漁師ぽつりと「鯵獲れぬ」』句全体に惹かれましたが、「三伏」に、実感がわかなかったです。

亀山祐美子

特選句「折鶴は千枚の紙八月来る」不器用な私には折れそうもないが、最近は3㌢四方の千羽鶴用の折り紙もある。千枚の折鶴は祈りそのものであり季語の斡旋が見事だ。「八月」という時空に対する日本人の想いが祈りが込められた秀句。凡人は一年一年の平和がが恙無く積み重なることを祈り感謝するのみ。文法に弱いので、質問です。上五中七の緊張感に対し「八月来る」が少し間延びしているように私には感じられます。「八月来」とするのは文法的にいかがなものでしょうか。教えて頂ければ幸いです。逆選句「水のごと凡夫目覚める遠蜩」なんで「凡夫」なんて言っちゃったんだろうね。謙遜しただけなんだろうけど、「水のごと目覚めをりけり遠蜩」なら特選でいただきました。逆選句「叫喚のつまつてをりぬ西瓜割る」これは酷い・大大大好きな西瓜が阿鼻叫喚!叫喚地獄!血の海だなんて、酷過ぎる!あんまりだわ!すかたん!!「血の海」を過去一度も連想しなかったとは言わないけれど、来年も西瓜食べるけど、西瓜に謝ってよね。他に気になったのが「にんげんが大きく歪む金魚鉢」。「にんげんが」だとの人間の輪郭、見た目が金魚鉢の屈折で歪む現象だけを捕らえただけだが、「にんげんの」と置と、現象だけではなく、人間の内面の歪みまで捕らえ、深いような気がするのだが、どうだろうか。

漆原 義典

特選句「行きずりがこんなに淋しい走馬燈」を特選とさせていただきました。この句は暑い夏を乗り切り、早く秋が来たらなぁと思いながら、実際秋が近ずくと、淋しくなる心境をを走馬燈とうまく表現しているなぁと思い特選とさせていただきました。作者の繊細な感情が感じ取れました。素晴らしいです。以上感想とさせていただきます。増田天志さま、句会で俳諧歌仙を教えていただきありがとうございました。

三枝みずほ

特選句「炎天下背骨首筋立て直す」背筋がまっすぐであることを保つのはなかなか難しい。ちょっと油断をしたら姿勢が崩れてしまう。炎天下ならなおのことだ。作者は自分自身が弱っていることにハッと気づき、自らの力でまた自分を立て直す。表現も簡潔明瞭で、凛々しく進んでいこうとするこの句にとても共感できた。

伊藤 幸

特選句「蝉穴かと覗く理論派浪漫派」斬新な感覚に驚きました。理論派も浪漫派も好奇心は同じ。目の当たりに景が展開しているようで楽しませて頂きました。「うすものや ゆるゆる下る石だたみ」上5で一旦切ったところに人生句の匠の技を感じます。 生き方も見習いたいものです。「片蔭の風にゆるされてい恋の文」興味津々由々しき事態発生?どのような状態か解せないが羨ましくもあり、どこかにエールを送りたい自分がいる。「薄衣や距踰へぬ人の憎らしき」乗り越えて来てよ!と心の中で叫んでいるのが聞こえ、憎らしきに深い愛を感じます。あからさまですがこんな句もいいですね。「羊水の感触醒め際の素足」心地よい夢の後の虚脱感、素足の上を風が通り過ぎる。ああ夢よもう一度。夢を夢に終わらせないでトライしてみて。「レース編むたびに母音の真白なり」・・「母音の真白」がいいですね。レースは殆どが真白ですが、母音を持ってきたことにより更に作者のピュアな感性を引き立たせています。「老後ってアドリブなんだ鼻曲り」そうです、老後は自由な即興です。下五鮭を鼻曲がりと表現した老後にビバ!!「熊蝉に体の芯を明けわたす」一読して好きな句。大型の熊蝉なる堂々とした人に惹かれるのは誰しも同じ。「体の芯を明けわたす」こんな経験してみた~い★ 

鈴木 幸江

特選句「一日中蝉の配置を考える樹」リズムからして問題句でもある。でも、この素っ気ないようなリズムが、取り立てて問題にすることでもないことを取り立てるという状況にピッタリしている。樹にも感受性があるということでもあるのだから、木肌に取り付く蝉をきっと感じていることであろう。しかし、そんなことについては、私は一度も考えたことがなかった。面白い作者もいるものだと感心し、樹々も仲間、生き物なのだとの再認識させていただいた。特選句「老後ってアドリブなんだ鼻曲り」これも発見の句だ。そう言われてみれば本当にそうだ。私事になるが、老後≒余生の感がある。やっと子育てが一安心の域に達し目標をなくした気分がある。そんな日々、明日は何をして生きて行こうと正直、毎日考える。今日一日、今日一日を、と思っての暮らしは、アドリブと言われればそうである。しかし、鼻曲りの季語で、それでも命の限り生きて行こうとする姿が見えて好感が持てる。問題句「半裸になるチェロの独奏椎若葉」フィクションを句にすることは、是か非か。私はこの句をフィクションとして受け取った。そして、そんなことも辛うじてあるだろうと思える場合は、是とした。でも、半裸でチェロを弾くなんて、蝶ネクタイ姿の真逆である。公と私では違う、こういう面白い生き様もあるのではないかと思った。

銀   次

今月の誤読●「一行の詫び状ひぐらし鳴き終わる」。「詫び状」ねえ。このあたり偏見もあるかもしれないが、オンナの書くそれとオトコのとはちょっと違うような気がする。たとえば去り状だとオンナの場合は「ごめん。探さないで」とメモ用紙に書いて冷蔵庫にマグネットで貼り付けて行きそうだ。事務的っちゅうか、なんちゅうか。オトコだともう少し心情が込められていて「すまなかった。すべてはおれのせいだ。元気でいてくれ」と預金通帳とハンコを置いて出ていく。まあ「一行」だからな。ヘタするとオトコの場合、原稿用紙五十枚くらい書きそうだからやっかいだ。で、まあこれを別れの詫び状を詠んだ句とするとして「ひぐらし鳴き終わる」とはなんだ? さあ、迷探偵銀ちゃんの登場だ。「ひぐらし」にはじつは! 「その」が抜けているのだ。しかしてその実体は「そのひぐらし」すなわち「その日暮らし」なのである。つまりビンボーゆえの別れであったのだ。すると「鳴き終わる」も当然「泣き終わる」となる。じつはかくいうわたくしにもありました。青春でした。青春はビンボーなのです。ビンボー・ダナオなのです(このシャレ判る人手を上げて。はいおたがい年を取りましたねえ)。かくして詫び状を書き終え、一通り泣いて、泣き終えアパートのドアのノブに手をかける。そのオトコの背には人生の漂泊の憂いが色濃く染みていたのであった。んで、オンナのほうはといえばゴーゴーと高いびきをかきヨダレたらして寝ているのでありました。

柴田 清子

特選句「山椒魚(はんざき)を踏むふるさとは青くせつなし(若森京子)」マジックにかけられたような、有無を言はせない郷愁が、真っ青に横たわっている。山椒魚を踏むと言ふ特異さが、せつなさの極限まで引きずり込んでくれた。「おじいさんおばあさんの木夏山河」肩の力を抜き、自然のうつろいの季節を素直にとり入れているところが、好感。

上原 祥子

特選句「白靴欲し野に水汲みにゆくための」この靴は白い靴でなければなりません。真っ白で、大切なものの象徴である水を汲みに行く時と同じ気持ちのこもった白い靴。野はこの世の喩えでしょうか?美しい抒情です。特選句「万の石に万の言の葉夕ひぐらし」石は鉱物ですが、意志を持っているかもしれません。墓石、彫像、石碑等々、人が手を加えたもの以外でも。化野の石地蔵たちのように。夕ひぐらしの声がそれを謳っているかのようです。その他 採りたかった句「取り取りのフォーチュンクッキー夏終わる(中野佑海)」「夏つばめあれは我家の巣立かな」「ふらり火の踊るよねむるよ青芒(桂凛火)」「喜雨という五体に宿る思惟の花(若森京子)」「氷菓舐め丸薬しゃぶる術後犬(野澤隆夫)」「「蝉しぐれいのち降る降る果つるまで(銀次)」「「薄衣や矩踰(こ)へぬ人の憎らしき(尾崎憲正)」「山椒魚(はんざき)を踏むふるさとは青く切なし」両手で測る夏空の端から端」「ひまはりや満員電車が空を飛ぶ」「一日中蝉の配置を考える樹」「一行の詫び状ひぐらし鳴き終わる」「羊水の感触醒め際素足」「蝶高く我よりずっと遠い旅(河野志保)」「熊蝉に体の芯を明けわたす」その他 これは面白いと思った句「とびうお飛ぶ君は蹄鉄フェチだった(伊藤 幸)」「老語ってアドリブなんだ鼻曲り」今月も充実の内容で選句するのに苦労しました。視点がユニークな句が結構あって、楽しませて頂きました。来月もよろしくお願い致します。

郡 さと

俳句って何んでしょうか?どうして一生懸命に作句するんでしょうか。どうして私達を魅了してやまないんでしょうか。私が所属している結社と、少し違うから、言いたい放題な失礼をお許し下さい。香川句会の句は難解です。思いついた選のこと。「四匹の猫の隊列蝉時雨」面白い。「三猿の吾石木になれず秋」何となくわかる。「思い出を詰めし鞄や天の川」鞄に詰めるは言い尽くされている。「蝉しぐれ古書にあまたの走り書き」あまたの走り書き、言い尽くされて。「折鶴は千枚の紙八月来る」そういえばそうだけど良く気がついたかな。「万の石に万の言の葉夕蜩」これもどこかで読んだ句。「晩夏光ルオーの道化師の聖顔」良い句だ。聖顔が、ここがどうかだったら120点だと思える。「龍宮の誘惑怖し夏の月」良い句だと想います。「熊蝉に体の芯を明けわたす」良くわかります。私、いつも思うんです。読者は海程、現代俳句が理解できる人ばかりではない・・・と。 理屈とレトリックの効き過ぎはパスしました。

谷 孝江

特選句「白靴欲し野に水汲みにゆくための」童話の本の最初のページに出会った時のような優しさと安らぎが胸中に溢れました。特選句「両手で測る夏空の端から端」いいですね!このような句に出会うと、夏が嫌いと言っている人でも夏が好きになると思います、佳句が沢山で選句が楽しみでした。有り難うございます。

月野ぽぽな

特選句「島らっきょ明日の晴れは予約済み」・・「明日の晴れは予約済み」から自然の力を味方につけるおおらかな精神の動きがみえていい気持ち。島らっきょの健康な辛さも句に効いています。

高橋 晴子

特選句「牝鹿佇つ水より遠き瞳して」牝鹿の大きな澄んだ瞳を〝水より遠き〟と把握した点、鹿らしさをより感じさせ、空の気配。特選句「にんげんが大きく歪む金魚鉢」金魚鉢にうつる外界は大きく歪んでいる。昨今の事件や人間界のどうしようもない鬱憤がこういう捉え方をさせた。〝にんげん〟と平仮名にしたのがいい。

小山やす子

特選句「ひまはりや満員列車が空を飛ぶ」一幅の楽しい絵を見ているようです。面白いです。「島らっきょ明日の晴れは予約済み」島らっきょと予約済みが良いですね。「八月の影法師なり大落暉(野﨑憲子)」大きな情景を大きく表現したところが好きです。「夏怒濤岡本太郎が迫り来る」岡本太郎の情熱が大きな目を剥いてこちらに迫ってきますね。

中西 裕子

特選句「鬼灯と鉄路をまたぐ老いしんしん」老いしんしんとありますが、実際はそんなに老いてないかな、と鬼灯の赤さを思い、鉄路のつめたさで、でもそんなに単純じゃないのかとも思い、混沌とした寂しさを感じました。「今朝の茄子皆つつがなくメタボなり」のなすが丸々しておいしそうです。「基地いらぬ生きゐる限り沖縄忌」も戦後70年の今年にぴったりの句です。あと気になったのが、「漉し切れぬ悪意ぶつくさあをみどろ」「日常という水泡(みなわ)が多し茗荷の子」。「風蘭や姉似の人とすれ違う(稲葉千尋)」もいい香りがします。今年は暑かったですね。今も蒸し暑いけど、急に涼しくなると寂しいからいまくらいがいいかもしれません。

野﨑 憲子

特選句「夏怒濤岡本太郎が迫り来る」・・「夏怒濤」と「岡本太郎」。ここまで、付き過ぎると逆に、句から、「さあ、どうだ!」という、大きなエネルギーを感じてしまう。お見事。問題句「ヒロシマよ永遠に赫い眼をせよ」注目の一句。しかし、調べが気になり、特選に推せず、残念。

(一部省略、原文通り)

半歌仙「赤とんぼ」の巻  

  
発句  赤とんぼ旅の一座でごさいます
    天志
脇       月の宮からひょいと黒猫  
    憲子
第三  床のなか手の内見せる火を恋うて 
    佑海
四句     むかしの名前呼んでみたいの
    みずほ
五句  放尿の洗礼受けて蝉しぐれ
    たかお
六句     逃避行あり入道雲の 
    義典
初句  決めがたき約束のあるこの浮き身
    佑海
二句     消しゴムで消す君のアドレス
    憲子
三句  燃え尽きてやがて悲しき恋の文
    義典  
四句     炎もいづれ凍りつくらむ
    銀次
五句  お急ぎですか化野をゆくお兄さん
    憲子
六句     深呼吸してじっと待っている 
    みずほ
七句  柏手を打つ冬満月の天辺で 
    憲子
八句     どてら羽織りて酒屋に急ぐ
    銀次
九句  かくもまあにがかりし日々思ひ出す
    たかお  
十句     チャック開けば岡本太郎
    憲子
十一句 終るれば涅槃の風に花万朶
    銀次
揚句     囀り溢れ明るき方へ
    みずほ

句会メモ

天候不順の中、何とかお天気に恵まれ、待望の八月句会が、サンポートホール高松で開催されました。久々にご参加の方もあり、皆さまの笑顔に胸がいっぱいになりました。また、大津から増田天志さんも参加され、事前投句の合評の後、増田さんの捌きで半歌仙を巻きました。増田さんは、先日も、大衆歌舞伎一座を追っかけて松山へ行かれたとか、発句は、その香りの漂う「赤とんぼ旅の一座でございます」。初めて連句に参加される方も熱い目をして次々に句を出していらっしゃいました。すごく楽しかったです。

歌仙と同じく、人生も前へ前へと巻いてゆくもの。大いなる生命の大河の中、先の大戦の、悲惨な思いを現代に生かして、平和な世界へと、私たち人類の手で、時を巻いて行かなければならないのではないでしょうか。

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