2018年6月30日 (土)

第85回「海程」香川句会(2018.06.16) /花巻遠野吟行(2018,06.22~06.24)

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事前投句参加者の一句

めろんはめろんヨシ度胸で行こう
めろんはめろんヨシ度胸で行こう 伊藤  幸
わからない心が岬に立てば夏 谷  佳紀
母のおにぎり溢れて持てぬ新樹光 中野 佑海
サンダルを飛ばす先から晴れてくる 新野 祐子
わが町の絶滅危惧か鯉のぼり 野澤 隆夫
菖蒲園心のことを忘れけり 山内  聡
母を困らす手紙投函夏帽子 田口  浩
芒原凸面鏡のなかですよ 男波 弘志
青蛙愛の渇きの枕抱く 藤田 乙女
そっといちごつぶす客間に父といる 竹本  仰
蓑虫の宙ぶらりんという自由 寺町志津子
梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて 三好つや子
鸚鵡飼うまで仁王像啼いていた 豊原 清明
奥へゆくほどほうたるの息づかひ  三枝みずほ
落ち梅の触るる人なき紅さかな 亀山祐美子
片方の足が宙蹴る蛇の口 島田 章平
麦熟星少女自転車立ち漕ぎす 大西 健司
ヒトに生れてをらねばきっとほうたるに     谷  孝江
蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹 鈴木 幸江
山羊の目は異郷の昏さ青水無月 月野ぽぽな
チューリップ俺の心臓かと想う 増田 天志
親指を握る採血はたた神 菅原 春み
古墳から古墳へ緑野白昼夢 高橋 晴子
ほうたるの死ふっと常磐つゆくさ 河田 清峰
なんでもないように生きる田水張る 桂  凛火
梅雨の人凛と皺なき綿のシャツ 野口思づゑ
やや勤勉な海月の亜種を飼育中 藤川 宏樹
単身赴任蛇が畳で待っている 稲葉 千尋
生意気な顎へ吹き来る青田風 松本 勇二
青梅を捥ぐはるかより青馬一頭若森 京子
めろんはめろんヨシ度胸で行こう 伊藤  幸
かっこうかっこうおむすびひとつ野を歩く 夏谷 胡桃
空手(くうしゅ)にて泊つべし両神山青む 野田 信章
愛憎を溶いて蛍の梅雨の闇  小宮 豊和
叱られて蛍袋の中にいる 重松 敬子
人も来ず金魚ゆったり太りゆく 中西 裕子
プランクーシの手びねりなりや蚕豆は 田中 怜子
ときどきは鳴いてときどき牛蛙 柴田 清子
太筆の含みし墨の卯波かな 漆原 義典
雨のねずみ死にたかったのに生きた 銀   次
注連半分朽ちどくだみの花盛り 亀山祐美子
しんがりは楽し六月水の音 野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句「しんがりは楽し六月水の音」。三段切れが歯切れ良い。「しんがりは楽し」と言い切ったところに作者の明確な生き様を感じる。「二番ではいけないんですか?」と言った某大臣に比べ、この清々しい到達感。あるがままに生きる。 そして決してあきらめない。水の音が快い。作者の人生観に乾杯!【問題句】・・ではないが、拙句の自解を。「片方の足が宙蹴る蛇の口」。この句は「蛇が蛙を飲み込むその瞬間」がふと頭に浮かび、そのまま句にしたものです。ただ、表現が稚 拙だったためか、蛇を蹴る人の足が見えた様でした。蹴られた蛇は月まで飛んだことでしょう。頭を洗って出直します。誤読に乾杯!

藤川 宏樹

特選句「そっといちごつぶす客間に父といる」大事な打ち明け話を控えた娘と父、二人の緊張感、似たような経験が私にもあります。ドラマの繊細な一場面を描写しています。まだ五七五の括りの中を彷徨っている私には、「そっといちごつ ぶす」という措辞は出てきそうもありません。

増田 天志

特選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」一線を越えると荒い息遣い。

☆【海程への想い】海程ほど、居心地の良い時空間は無い。個性、独創の尊重。主宰の懐で自由自在に遊ぶ。俳句仲間も、温かい。翼を思う存分広げる。楽しい想い出を有り難う!

谷  佳紀

特選句「生意気な顎へ吹き来る青田風」:「生意気な顎」という把握が印象的。「青田風」は物足りない。問題句「蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹」:「蟻一匹」がつまらないので入選句には出来ないが、「蟻辞める蟻もあるだろ」には興味を 持った。こういう句は着地が難しい。「蟻一匹」を上に置いた方が良いのではないだろうか。

☆「海程」の終刊は来るべき時が来たにすぎません。どなたかが跡を継ぐというよりはすっきりします。

田中 怜子

特選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」闇に吸い込まれそうね、また幻想的世界。現実は足元は危ないけど。

大西 健司

大西 健司◆特選句「叱られて蛍袋の中にいる」蛍袋の中に逃げ込むという発想は常套的であろうか。そう思いつつこの追い詰められように共鳴していただいた。簡潔な物言い、詩的な断定の良さを思う。問題句「ときどきは鳴いてときどき牛蛙」 気になった句だが「鳴いて」はいかがなものか。「泣いて」ではと思いたい。ひとおもいに「ときどきは女ときどき牛蛙」これぐらいまで飛躍してほしいと読み手は好き勝手なことを言うのです。

☆ところで「海程」がいよいよ終刊となる。兜太先生も亡くなられたいま、私の青春は終わった。何を寝ぼけたことをと言われそうだが、十九歳で入会、第九十一号から投句。私の青春は海程とともにあった。大人になりきれないままに未だに模 索している。それだけにそんな思いが強い。「あきらかに若し かつ若くあれ大西健司よ」先生にいただいた言葉を胸に、先生の大きな懐から巣立たなくてはと強く思っている。先生ありがとうございました。

稲葉 千尋

特選句「慰みをもの干す空也昼花火(藤川宏樹)」空也上人のことはあまり知らないが昼花火が効いていると思う。特選句「夏霞漢和辞典の古き染み」夏霞と古き染みが漢和辞典を引き立てている。表紙は赤が良い。

中野 佑海

特選句「梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて」しとしと降り続く雨だけでも結構滅入るのに、睫毛の先に鍵なんか付けたら本当に折れちゃうよ。おーい、帰っておいでー!!特選句「まるで珊瑚でMは表現できない梅雨(谷佳紀)」珊瑚ってな んか複雑で生きているんだろうけど、ガラス細工のようで触ると痛そう。おまけにこのじとじとの梅雨って。もう絶対にMは「マゾ」でしょ!!なんとか弁明を望むような、放っておいて欲しいような…。  皆様のいろんな御句で楽しんでます。もう遠野吟行。どんなてんやわんやがあったかなかったか。来月号をお楽しみに。夏谷胡桃さんお騒がせ致します。

野澤 隆夫

特選句「母を困らす手紙投函夏帽子」分かってても出さざるを得ない手紙。相当に決意して書いた文面かと。作者の熱い思いと、ポスト投函直前の目深にかぶった夏帽子の景色が浮かびます。もう一つは「惚れっぽい男の常で夏風邪を(田口 浩)」惚れっぽい男=夏風邪の等式が面白いです。「常」と強調したところがいいです。問題句「薔薇の月曜机に河馬などルパンなど」何とも不可思議な分からない句ですが、でも不思議に納得したりして。「薔薇の月曜」?でも「そんな月曜なん だ」机に「河馬」?「カバヤ・キャラメル」ではないのか?そんな!「ルパン」?「怪盗ルパン」月曜日。机の上に薔薇の花瓶。そしてカバヤのキャラメルと新潮文庫のルパン傑作集。

松本 勇二

特選句「梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて」この時期メンタル面で弱ってしまう人が案外多く出ます。まつげの先まで施錠するという大げさな言いぶりに納得させられました。問題句「わからない心が岬に立てば夏」混沌から抜け出す一瞬が 巧みに表現されています。「心が」の「が」を取れば切れが出てなお深い句になると思います。

伊藤  幸

特選句「わが町の絶滅危惧か鯉のぼり」少子化日本、そういえば我が町も鯉幟を余り見なくなった。衰退に向けてまっしぐら、日本はどうなるのでしょう。特選句「夜っぴいてする死のはなし青田風」病床にある人か又は弔いの話か、いずれ にせよ前向きではないがそこに青田風、つまり未だ稔りきらない田に風が吹いている。対照的な捉え方が諧謔を弄している。

河田 清峰

特選句「しんがりは楽し六月水の音」しんがりはほっとかれぼっちでさみしいものであるが作者はそれを楽しいと…六月の雨の多い季節と響きあっている!水の音がいいと思う!私も雨の音が好きで癒されれいるよね!

亀山 祐美子

特選句『母を困らす手紙投函夏帽子』大抵の事は電話かメールで済ます昨今、わざわざ手紙を認める。母親宛てに。会いにも行かず、声さえ聞かず、結果的に母親を困らせることになるそれを書き送る逡巡。そんな手紙を投函せざるを得ない 「夏帽子」切ないなぁ…。特選句『かっこうかっこうおむすびひとつ野を歩く』晴れ晴れと楽しむ野遊びの一日が羨ましく、微笑ましい。問題句『青葡萄山のこ降りるはやさかな(菅原春み)』元気があって大好きな一句。「山のこ」の「こ」がな ぜ「子」じゃないのだろう。「こ」に「はやさかな」を呼応させたくて「速さ」「疾さ」を嫌ったのだとは思うが、やはり、ここは「子」ないし「児」の方が焦点がはっきりするだろう。問題句『片方の足が宙蹴る蛇の口』この句は揉めましたねぇ 。曰く「あるはずのない蛇の足が宙を蹴っている。何かのメッセージ?」の野崎説。曰く「いきなり蛇に出くわした人間が慌てて蛇を蹴ったら蛇の逆襲にあった」の田口説。曰く「蛇の口から飲み込中の蛙の足が片方…」の島田説に一同納得。面白 い一句でした。問題句『ヒトに生れてをらねばきっとほうたる』は池田澄子の「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」があり。『なんでもないように生きる田水張る』は村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」の人口に膾炙されている 先行句があり、それを越えなければならない難しさがある。何はともあれ句会に出なければ独りよがりは避けられない。独善に陥らぬためにもまた出席させて頂きます。皆様の句評楽しみにしています。

野田 信章

特選句「どくだみの花端役にはもう飽きた(寺町志津子)」の句は他でもない自身に対して啖呵を切った。このものの言い様に、どくだみの生命力―その白さがしみている句柄である。特選句「楝散りわが影法師追う誰ぞ(矢野千代子)」の 句は孤影として己に帰着する他はない。このひとり語りの呟きに、楝―散り敷く薄紫のその小花の色調が一句の屈折度を深める句柄となっている。二句共に、美意識の確かさあっての季語の配合と修辞のあり方かと注目させられた。

重松 敬子

特選句「サンダルを飛ばす先から晴れてくる」待ちに待った夏がやって来た喜び,楽しいこといつぱいの躍動感が伝わってきます。一瞬にして子供の頃に戻りました。このわくわく感は、いつまでも持ち続けたいと思わせる句。

田口  浩

特選句「単身赴任蛇が畳で待っている」単身赴任の主人を蛇になって待つ。家庭の主婦にとって、蛇の情念は異常かもしれない。しかし〈畳〉の一字によって句は、それを打ち消していないか。青い炎を畳が冷やしてくれていると読む。さす れば、着物姿の女性が見えてこないでもない。平凡をさけて、個性を表出する。後は読者に任せばよい。文台下ろせばであろう。

新野 祐子

特選句「蓑虫の宙ぶらりんという自由」蓑虫は秋の季語ですが、秋だとちょっとさびしげ。今の季節なら、そうは見えないかも。律義でもなく、潔癖でもなく、立派でもなく、宙ぶらりんという生き方もいいのではと、思いたくなります。特 選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」ほたるを追って、足音も立てず闇の中をさまよう自分の息づかいにも、ふと気づきます。問題句「ヒトに生れてをらねばきっとほうたるに」池田澄子さんの「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」が、あま りに有名ですからね。入選句「蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹」人辞める人もあるだろ人一匹、なんてつぶやいてしまう時がありますよね。私だけか。入選句「青梅雨や湖と空つながって」湖と空がけむって渾然一体となっている風景。この青梅雨と いう季語は動かないのでは。 

☆七年間でしたが、兜太先生に句を見ていただいたこと、本当に得難いしあわせでした。何事にも終わりは来るもの。でも、そこが始まりです。「海程」香川句会を、「海原」を、盛り上げていきましょう。

漆原 義典

特選句「青蛙愛の渇きの枕抱く」青蛙と愛の渇きの取り合わせが抜群にきいています。大好きな句です。作者に感謝します。

若森 京子

特選句「チューリップ俺の心臓かと想う」あの可愛らしいチューリップだが、ふと見ると真赤な血の色、形も何となく心臓に似ている。下五の〝想う〟の措辞に作者とチューリップの今迄の係り方に色々と想像が沸いてくる句だ。特選句「拳 ほどの反骨揺れるハンモック(重松敬子)」拳ほどの反骨精神とハンモックの揺れがお互いに響き合って一個の人格が見える様だ。

鈴木 幸江

特選句評「単身赴任蛇が畳で待っている」先日も、単身赴任という現象は、日本現代社会では増加するだろうという批判的な内容を含む記事を読んだ。5年間の単身赴任を経験した家族としては、この句に、その時の夫の置かれた状況。慣れ ぬ職場で孤立し、誰もいない家に帰った時の精神状態を思い出さずにはいられなかった。人の心に潜む魔性と出会う日々を送っていた夫を待っていたのは、畳の上で蜷局を巻いてそれを狙っていた魔物の蛇であった。今思えば、その対策としての、 家族間のコミュニケーッション不足が悔やまれる。これから、単身赴任を経験するご家族、今しているご家族、コミュニケーッションを大切にして、乗り越えて欲しい。問題句評「まるで珊瑚でМは表現できない梅雨」難解句でも、ストンと入って 来るのと、どうしても私の脳の感受機能を超えてしまうものがある。何故なのかを検討してみた。配合的技法の句は新しい世界を表出させるので評価はしているのだが、この句の場合、“表現できない梅雨”の感受が“まるで珊瑚”というのは新鮮 なひとつの感性でストンと入って来る。しかしそこに、“Мは”が配合されると、“表現できない梅雨”との関係は面白いのだが、感受テーマがふたつあるようで、私にはピンボケしてしまい、感受断念残念。作者に説明していただかないと分から ないので、問題句とさせていただいた。

高橋 晴子

特選句「青梅を捥ぐはるかより青馬一頭」青梅を捥ぐ時の感覚をこういう表現で捉えた。一頭といわない方が面白いと思うけどね、感覚的な句。問題句「てふてふが一つ難民てふてふてふ(竹本仰)」難民の不安、頼りなさ、所在なさ、うま くいえないけど、そういった感情を〝てふてふてふ〟という音感で表しているのだと思うけど、〝てふてふが一つ〟との対比?が成功しているかどうか。

山内  聡

特選句「蓑虫の宙ぶらりんという自由」蓑虫は蓑の中だけの世界、監禁に近い。しかし蓑とともに宙ぶらりんという自由はある。俳句も俳句という形式に監禁されている。しかし俳句という自由がある。人間もいろいろな制約のもとに生きて いる。その中に自由は十分にある。何事もそうなのだと思う。万物は制約の中の自由を満喫しているのだ。有限の中の無限ですね。掲句はそれの暗喩かと。

月野ぽぽな

特選句「奥へ行くほどほうたるの息づかい」信州辰野のほたる祭に今年も行ってきた。夕暮れ時から点り出す蛍、蛍、蛍、山沿いの道を進んで行くたび暮れ進み、蛍の数も増えてゆく、異界に紛れ込んだような感覚を思い出した。

豊原 清明

特選句「青蛙愛の渇きの枕抱く」:「「愛の渇き」が良い。詩に「愛」は禁句というが、愛の欠片もない、現代社会のふいんきがよく出ている。青蛙が良いと思う。愛に飢えている、人間と愛にこだわらない、青蛙、と、読んだ。青蛙は充分 、満たされているのかもしれない。問題句「虹立つや「ゆるしてくださいおかさん」(野﨑憲子)」問題句ではないと思う。でも、リアルだったので、問題句に選んだ。相当、悲鳴の度合いが深い。母の厳しさに、叫んでいるような。赦しをこう、 台詞を俳句にしたのが良い。

小宮 豊和

「岩の顔積乱雲の近づけり」実景かイメージの描写かはわからないが、私にとっては映像は鮮明である。大きな岩があたりを圧して据っている。その岩の一部が顔のように見え、近づいてくる積乱雲をにらんでいる。ところで「岩の顔」を「 顔の岩」と置きかえてみると、私の場合は、山の中腹か、岩山の一部に、人面の岩があるように思われ、背景が映ってくる。しかし積乱雲については同じである。選句しながら、少々不思議な感覚の句であると感じた。

柴田 清子

特選句「雨のねずみ死にたかったのに生きた」六月の126句で一番心に響いて来たのが、この句です。

中村 セミ

特選句「そっといちごつぶす客間に父といる」色々想像出来て生活のどこかの時間を切とっている様に思う。色々と書いたが、私は、かってに思うに、婚約者の家にでもやってきて、何かの話をする時間迄の緊張感がよく表わされている様に 思い、面白いと思う。

谷  孝江

特選句「やや勤勉な海月の亜種を飼育中」えっ アシュ って? と、一瞬とまどいました。面白いですね。私も、もしかして何の亜種かな、なんて考えました。楽しく考える時間をいただいたのです。へんにむつかしい句ではなく、くすっ とする句です。私の思い違いかな。でも良い意味で大好きな空間を頂きました。また一つ教えていただいたのです。これからも、よろしく。

矢野千代子

特選句「芒原凸面鏡のなかですよ」一人の姿などすっぽり隠す芒原は、不思議でいちめんおそろしい世界です。凸面鏡はなによりの感受でしょう。特選句「なんでもないように生きる田水張る」田に水が入ったとたんに蛙がうるさくて・・・ と聞いたことがある。自然界の営みに上質の健全なフレーズが生きる。

竹本  仰

特選句「母のおにぎり溢れて持てぬ新樹光」母のおにぎりにあるオーラをこう表現したのだと思いますが、「持てぬ」と打消にしたところがよかったと思います。そして、そこにあった新樹光は、ずっと先祖から流れて来たのだというイメー ジを見事に出しており、米粒が神聖な領域にまで高められていて、鬼城「生きかはり死にかはりして打つ田かな」を連想させます。特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」この句の中にある描写力に惹かれます。「異郷の昏さ」というのが、本当 にのぞきこんで不意に言葉と出会ったのだなあと、新鮮かつ深みのあるものになっているようです。塚本邦雄「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人をあやむるこころ」を思い出しましたが、そう比較すると、この句の作者は、或る親和力 のようなものに期待を抱いているところが見え、優しくナイーブな目線を感じました。特選句「青梅を捥ぐはるかより青馬一頭」梅の実を捥いだ一瞬、青馬が一頭駆けてくるのが見える、そんな新鮮さが詠まれています。荘子の言葉に、人生とは白 駒が駈けて過ぎ去るのをすき間から見るようなものだ、というのがあったと思います。ここは、青馬、青春の一瞬でしょうか。はるかからなんだけれども、荘子の言う通りそれはときめきと同じくらい短いものであるかもしれない。けれども、忘れ がたい鮮烈な体験でしょう。歌人定家が時折詠む「駒」には不思議な魅力がありますが、この句に何か大変近いものかなあと、そんな共感を覚えました。

菅原 春み

特選句「 古墳吹く風に吹かれて行々子[高橋晴子)」 古墳がいいです季語の行々子も活きています。特選句「 落ち梅の触るる人なき紅さかな」まったくなにげない句。その紅さが身に沁みます。

中西 裕子

特選句「雨の泳その肋骨の折るるまで(銀次)」力強くもあり、やけくそぎみなところも感じられ面白いと思いました。

三枝みずほ

特選句「なんでもないように生きる田水張る」何でもないように淡々と生きることと、田水のもつ生命力、泥くささの取合わせがよかった。どちらも自然の流れの中、時間と労力がいる。

男波 弘志

特選句「わからない心が岬に立てば夏」岬の直線がある意思体を沖へ走らせている。「老人を嫌う老人羽抜鳥(重松敬子)」自己の中にないものを求めているのが、創作であろう。「慰みをもの干す空也昼花火」自己を仏に差し出すこと、そ れを慰み、といったのだろう。昼の花火に人間臭がある。「父も昔浮かんで降りて遠郭公(松本勇二)」空へゆくのが鳥、地に降りるのが人間。なんども浮かぶのは快楽。「なんでもないように生きる田水張る」なんでもないように、張りつめてい る、水、これは人間の創りだした、意匠、ときに人間は偉大なことをする。「単身赴任蛇が畳で待っている」他郷の怖ろしさ、山の深さ、がよく出ている。「注連半分朽ちどくだみの花盛り」土に還る注連が、どくだみの白十字に何かを与えている 。

野口思づゑ

特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」実物を見ればそのように感じないのだが山羊はどこか悲しくて寂しい印象がある。それを、目の異郷の昏さ、青水無月を下5にもってきたところに感心した。特選句「古墳から古墳へ緑野白昼夢」緑 たたえた古墳群であろうか。白昼夢のように古代に思いをはせるロマン豊かなひと時の光景。「わが町の絶滅危惧か鯉のぼり」この句を目にした時本当に驚いた。私は海程5月号で、この句と上5と中7一字違いの句を投句したのだ。旅先で鯉のぼ りを見た時の思いだったので私は「わが町」でなく「いつの日か」としたのだがこの方の「わが町」の方が格段に良いと感じ、最初は真面目にどなたかが私の句を添削して下さったに違いない、と思ってしまった。ただ私は香川の句会にはこの「鯉 のぼり」は投句した覚えがなかったので、同じ思いをした方がおられた、という事で大いなる共鳴句でした。

☆【海程への思い】俳句は大嫌い。だった。大親友の菅原春みさんから俳句に誘われた時、他の分野だったらよかったのに、思ったのだが良い方向に魔が差したとでもいうか、気がついたら海程へ入会していた。その時どなたかに「本当に金子先 生知らなかったの!それで入会したの!だったらあなたとてもラッキー」と言われたが「海程」所属年月に比例してその言葉が実感として深くなる。初めて海程誌を手にした時は愕然とした。日本語なのに意味不明。漢字が読めない。スワヒリ語の 本を見たらきっと同じ感想だったと思う。で、初めは句以外の、通信文などしか読まなかった。ある号で金子先生の、句会が大切との言葉を目にし、軽い好奇心で東京例会に参加。金子先生にご挨拶し、初めて直接言葉を交わす事ができ、そこでそ のお人柄に心が弾んだ。金子先生が主宰の俳句でなかったら私は相変わらず俳句毛嫌いだったかもしれない。俳句とは、まだ一体感を得るところまでは到達していないけれど生涯の友達になった。いつかは来る別れで海程は終わったかもしれないが 、源流はずっと残る。その流れは「海原」や、より直接的には香川の句会に注がれる。ありがたいと思う。そして新しいページを心から祝したいと思う。

寺町志津子

特選句「しんがりは楽し六月水の音」奇しくも,選句表のしんがりに位置している揚句。さっさかさっさか先行く人に遅れて、折からの新緑の中、あっちを見、こっちを眺めして,楽しみながらゆっくり歩んでいる作者。耳にはどこからとも なくせせらぎの音が・・・「どこか個性的」な「六月」(好きな句としていただいた)のことでありながら、こせこせ競わず、焦らず、ゆったり、ゆっくり人生を十二分に味わいながら歩んでいる作者の生き様に共感しました。

三好つや子

特選句「秒の音吊り忍に止まりけり」吊り忍のある町屋風の部屋を想像。秒の音が止まるという意表をつく言い回しに、凛とした涼しさと静けさが迫ってくるようです。特選句「虹のほうへ少女ふっと出る旋律(三枝みずほ)」亜麻色の長い 髪を風がやさしくつつむ・・・こんな歌の一節が、夕立のあとの虹を見て、口からふいに零れたのかも。「虹のほうへ少女」と「ふっと出る旋律」の組み合わせのユニークさに惹かれました。入選句「やや勤勉な海月の亜種を飼育中」のらりくらり と自由に生きていそうな海月に、近づこうとして近づけない、作者の気持ちを感受。面白い句です。

桂  凛火

特選句「火を囲む島のガムラン月涼し(増田天志)」とても幻想的な風景です。ガムランとは民族音楽のことのようですが、「火を囲む」という入り方で映像的に成功したと思います。月涼しの締め方も好きでした。バリ島とかのことかと思 いますが、ことばの世界として十分によく伝わる表現で素敵な句だと思います。

夏谷 胡桃

特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」。山羊の目は何かあります。こちらを見つめているようないないような。猫や犬と違います。目の奥に山羊の世界があります。異郷の山羊の記憶なのでしょうか。少し季語を別のものにしたくなりま したが、好みなのかもしれません。  

 ☆「海程」が終刊です。飽きっぽい私にしてはずいぶん長く俳句を続けられました。毎月送る俳句は金子兜太先生のラブレターでした。これからは誰にラブレターを送ればいいのでしょうか。先生の優しさと反骨精神を忘れないで生きていき たいと思います。

藤田 乙女

特選句「叱られて蛍袋の中にいる」隠れ家にもなり、優しく迎え入れ、包み込んでくれそうな蛍袋、叱られてその中にいるという表現が童話や絵本の中の一部分を見ているような錯覚に陥り、メルヘンチックで素敵だと思いました。

銀   次

今月の誤読●「サンダルを飛ばす先から晴れてくる」。「ねえ、ドラえもん、ぼくたちもう何日も外に出てないよねえ」「しょうがないよ。いまは梅雨なんだから、雨に濡れたらロボットのぼくは錆びちゃうんだよ」「だから、その四次元ポ ケットからなんか出してさ」「しょうがないなあ。じゃあこんなのどう!」 ♪テレレレッテレー! 「なに、それ?」「晴れるやサンダル!」「その<サンダルを>どうやって使うのさ?」「これをはいてお外にいくの。それでもってゲタ飛ばしの 要領でポーンと飛ばすのさ。そうすっとね。<飛ばす先から晴れてくる>んだよ」「へえ、すごいねえ」「じゃ、やってみる?」「うん」「だったら、これをはいて」「そんでもってこのサンダルをポーンと。あれれ、ほんとだ。晴れちゃったね」「 さ、遊びにいこ」「うん。それで雨のところまできたら、またポーンと飛ばして、と。うわあ、すごいや、どんどん晴れてくね」「あーあ、雨上がりは気持ちがいいね」「うん。んで、またポーン。あ、いけない。川に落としちゃった」。夜のニュ ース「本日、気象上の珍現象がおきました。✕✕川の流域だけ、かんかん照りとなり、田植え中のお百姓さんたちは困惑ぎみです」「ねえ、ドラえもん。これって晴れるやサンダルのせいじゃないの?」「うん、たぶんね」「どうする? お百姓さ んたち困ってるって」「よし、これでどうだ!」 ♪テレレレッテレー 「それなに?」「雨ふれアンブレラー。さ、これをこっそり✕✕川に流しにいこう。どんどん雨がふるはずだよ」「よーし、そうしよう」。翌日になりました。「ドラえもん 。退屈だねえ」「まあね、雨だからね」「あ、そうだ。いいこと思いついた。こうなったらヒマつぶしに勉強でもしよう」「え、えええええええええ。のび太くんがベンキョウ? それじゃあ、雨どころか嵐になっちゃうよ」

野﨑 憲子

先ず、問題句から「てふてふが一つ難民てふてふてふ」あまりにも省略の効いた作品に、想像の翼が羽ばたく。蝶が難民か、難民が蝶か、そんなことはどうだっていい。「てふ」の繰り返しが、難民の不安な心情を表現して余りある。私たち も、いつ難民になるかも知れない。限りなく特選に近い問題句であります。特選句「空手(くうしゅ)にて泊つべし両神山青む」この作品を一読、「海程」秩父俳句道場を想った。「空手」とは、何も持たずに来て何も持たずに去ること。毎回、私は 、道場へ行く前日まで、ほぼ毎日、朝日俳壇に投句していた。同じ句を師にお見せできないと思い持句の無い、空っぽの状態で参加していた。疲れて集中力の切れた時は、句がまったく浮かばなくてじりじりとした思いで夜明けを迎えた。あのかけ がえない緊張感を「両神山青む」に見た。空っぽの状態で来て、いつも大きな元気をいただいて帰っていた。両神山は、底知れないパワーを持った師そのものであり、師に出逢えた事が、私の生涯の宝であります。  

次回は、八月句会です。「海程香川」ますます渦巻いて参ります。どうぞ宜しく!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

田植え1
泥はねて田植体験はだしの子
野澤 隆夫
田を植えて深い眠りに落ちてゆく
柴田 清子
千枚の千の人呼ぶ田植えかな
河田 清峰
田水張る新聞拡げ床屋婆
藤川 宏樹
空色の声もまじりて田植唄
野﨑 憲子
蠅出でて新聞まるめる手際よさ
野澤 隆夫
金の無い食う寝る男蠅生まる
亀山祐美子
銀バエの一夫多妻を邪魔をせり
田口  浩
めまとい(まくなぎ)
めまといに教え教わる愛のこと
鈴木 幸江
めまといや息することのわずらわし
藤川 宏樹
めまといや踏み石の巾余りたる
河田 清峰
喉にひっかかるまくなぎを許せない
田口  浩
まくなぎや母と歩きし母の海
亀山祐美子
まくなぎの好きなガラスの赤燈台
柴田 清子
海鵜
見えてゐて海鵜とわかるまで海
柴田 清子
海鵜来て行こと言うので服をぬぐ
田口  浩
六月の虚空を掴む海鵜かな
野﨑 憲子
水無月
青水無月地球ぶつくさ火を吐けり
亀山祐美子
内股に雀の来るよ水無月よ
田口  浩
水無月や水に映りし讃岐富士
島田 章平
水無月の掘と櫓を素通りす
河田 清峰
水無月や人にけだるさうつそうか
柴田 清子
サクランボ
妹に甘えてみようさくらんぼ
柴田 清子
人類の記憶の底のサクランボ
野﨑 憲子
子といたい仕事行きたいさくらんぼ
三枝みずほ
思い出し笑いを笑うさくらんぼ
田口  浩
牛蛙
ほんとうの親を探して牛蛙
野﨑 憲子
長靴ちゃぶちゃぶするよ牛蛙
三枝みずほ
牛蛙失念という言い草で
藤川 宏樹
耳の奥眼の奥乾く牛蛙
亀山祐美子
俺っちは引っ越さねえぞ牛蛙
野﨑 憲子
牛蛙おぬしなかなか悪じゃのう
島田 章平
牛蛙われら定住漂泊す
鈴木 幸江
牛蛙からだの芯の切れる音
亀山祐美子
御仏(みほとけ)の御前(おんまえ)に出よ牛蛙
島田 章平

「海程」香川句会花巻遠野吟行     

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2018年6月22日~24日
われら流れてみちのくの万緑に着く 
月野ぽぽな
遠山にやませの暗さありにけり
島田 章平
句友とは不思議な木立吸葛
夏谷 胡桃
わたくしの肉に棲みつき夏鶯
野﨑 憲子
鹿(しし)踊り太い足した高校生
田中 怜子
キヨスクに銀河鉄道時刻表
田中  孝
トルファンの女(ひと)露天風呂にて我放つ
中野 佑海
蟻が来てオロオロアルク賢治の碑
伊藤  幸
夏涼し我れをちらりとおしら様
樽谷 寛子
曲り家のどぶろく涼し嶽神楽
河田 清峰
夏至ゆふべ曲家がが座どんどはれ
亀山祐美子
蝉を彫る月の光に照らされて 
増田 天志
河童淵夏のこころを流しおり
漆原 義典

【句会メモ】

島田章平さんが、栗林公園で採取した無患子の実を持って来てくださいました。一つひとつ宝石のように輝いてみえ、まさに天然の美だと思いました。島田さんは毎日のように栗林公園を散策されるとか、お近くで羨ましいです。そして、周防の「南津海」も頂戴し美味しかったです。

「まるで珊瑚でMは表現できない梅雨」この作品の中七の<M>がまるで分らず、でも、不思議な魅力のある作品なので、作者の谷佳紀さんに自句自解をお願いしますと・・・「<M>・・私も分かりません。そう書いてしまって、それを消す 気もない、それだけです。」との事でした。ただ、納得です。さすが、海程の大先輩、言葉に抜群の説得力があります。

6月22日の「金子兜太先生のお別れ会」の後、24日まで、花巻遠野吟行へ出掛けました。参加者は、13名。先ず、花巻の大沢温泉で旅の疲れを落し、夕食後第一次句会(各自、5句)、翌朝は、高村光太郎山荘(句会報冒頭の写真)、宮澤賢治の生家、羅須地人協会を見学後、山猫軒で昼食。ランチ名は、イーハートーブ定食でした。東北なのに薄味で美味しかったです。昼食後、宮澤賢治記念館を見学し、新花巻駅へ。新花巻駅から釜石線への連絡道があまりに長く大変でした。そして遠野着。迎えの車で、「たかむろ水光園」へ。宿泊場所の曲り家に到着後、さっそく、第2次句会(5句)を開きました。句会後、早池峰神楽や、語り部の菊池タキさんの遠野の民話を堪能した後、夕食。その後、第3次句会(5句)を開きました。そして日付が変わった頃に就寝。

24日の早朝、宿からマイクロバスに乗り、車窓からデンデラノ(姥捨山)を臨み、やまぐちの水車、かっぱ淵・伝承園見学の後、早池峰神社に参拝しました。案内して下さった遠野の夏谷胡桃さんも、一週間後に、早池峰神社で自らも神楽を舞われるとか、神楽が、遠野方々に浸透していることを強く感じました。そして遠野ふるさと村での昼食後、帰途につきました。帰りの新幹線の車中でも、幸い座席が向い合せになれたので、第4次句会(5句)を開きました。充実の2泊3日の吟行会でした。ご参加の皆さま、ありがとうございました。         

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