第84回「海程」香川句会(21018.05.19)
事前投句参加者の一句
乾鮭や逝きて親父の昭和果つ | 稲葉 千尋 |
まずまずの朝で若葉に欠伸して | 谷 佳紀 |
観閲の十四旅団夏兆す | 野澤 隆夫 |
夏の川鴨の一羽よ家庭の事情 | 鈴木 幸江 |
蝶止まるてのひら血のかよふ感覚 | 三枝みずほ |
歳時記に友の句ありし聖五月 | 寺町志津子 |
まないたは父の手遊み母の日や | 河田 清峰 |
枇杷は黄に寝癖の髪のはね具合 | 矢野千代子 |
人の世は柳のようにかわしたし | 山内 聡 |
ホトトギス旅寝の底にふらっと父 | 松本 勇二 |
何話そう新入社員はてんと虫 | 河野 志保 |
葱坊主餓鬼大将対餓鬼大将 | 小宮 豊和 |
一面の白つめ草にある孤独 | 藤田 乙女 |
人の列ひとふで書きの蝮山 | 亀山祐美子 |
蒲公英や吾は深き根の自由業 | 藤川 宏樹 |
紫陽花つぼみ母の口癖とう擂り粉木 | 中野 佑海 |
ヤマトヨリソコクヲシンズヤマザクラ | 島田 章平 |
初蝶の失せもの生るるようにかな | 新野 祐子 |
抗うなら学べサンドイッチにトマト | 伊藤 幸 |
手をつなぐこと青葉がふれあうこと | 月野ぽぽな |
片方の眼窩を青い薔薇がふさぐ | 田口 浩 |
荒川のかなしみ諸喝采戦ぐ | 桂 凛火 |
木の芽雨浮世の肌着へばりつく | 若森 京子 |
万緑や卒寿の母もピクニック | 漆原 義典 |
トンネルの途中からなんとなく麦秋 | 柴田 清子 |
青空をこま切れにして柿若葉 | 中西 裕子 |
一人居の尼僧逞し花水木 | 高橋 晴子 |
青年樹オリーブ海波の遠き反照 | 野田 信章 |
新緑を心に見せたく遠回り | 野口思づゑ |
<函館にて>幸坂蝦夷蒲公英のいよよ濃く | 田中 怜子 |
五月くる鬱の欠片のやうに椅子 | 谷 孝江 |
携帯のガラス細工の音消える | 中村 セミ |
眉を剃る少年饐えし飯隠す | 大西 健司 |
バジルの葉噛みて五月の厨かな | 菅原 春み |
大夕焼けひとりの母の林立す | 男波 弘志 |
母に返せば喃語いきなり春夕べ | 竹本 仰 |
もののふの悟りし果てや葱坊主 | 増田 天志 |
蛙鳴くわたしの王子はどこにいる | 夏谷 胡桃 |
春キャベツ剥くたび母にちかくなる | 重松 敬子 |
羅に第六感の鰭がある | 三好つや子 |
夏服の自転車の子らよ空へ空へ | 銀 次 |
雨蛙うじうじとして鳴き濡れる | 豊原 清明 |
丸ごとに飲みこみ蛇(くちなわ)の純情 | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 中野 佑海
特選句「五月来る鬱の欠片のやうに椅子」五月病の原因の会社にも、学校にも当然の如くのさばっている椅子。此処に座ったら最後、終業の鐘が鳴るまで私の時間を吸いとられます。本当に悩みの象徴の様な「椅子」。成る程の句です。特選 句「羅に第六感の鰭がある」肉体からヒラヒラと付かず離れず、圧着感の無い夏の着物。それなのに、その先端が少し何かに触っただけで、鰭のように感じる敏感さ。繊細な感覚が手に取るよう良く表現されていると思います。そして、夏のちょっ ぴり不思議さも。また、新しい時代が始まる前夜って感じです。皆様の御句で練習しています。来月の遠野吟行楽しみにしています。夏谷胡桃さん、どうぞ宜しくお願いいたします。
- 島田 章平
特選句「青蛙地球まるごと蹴る構え(増田天志)」明快。「青蛙おのれもペンキぬりたてか」を彷彿とさせる。【問題句】言葉は命を生む。俳句は作られた瞬間に作者から離れ読者の鑑賞の世界に生きる。それだけに、作者は自分の作品に自分の魂を込め る。もし、その作品が作者の単なる遊び心で生まれた場合、その作品を読む読者は戸惑いを覚える。作者の心の闇は読者には分からない。安易に読者に解釈をゆだねるのは無責任とも思える。作者は、読者に理解しやすい言葉で作品を作らなければ ならないのではないか。今回の作品の中に、不愉快な理解しがたい作品がみられた事は残念。自選と言う言葉の重みを噛みしめる。
- 鈴木 幸江
特選句「初蝶の失せもの生るるようにかな」何とも言えぬ初蝶の独特の存在感を、見事に鋭い感性で捉えている。この句で、私の中で、そういう存在への想いが刺激された。亡くなった人々が、その人の“想い”となり、世に残り、生きて、 再生し続けているのかもしれないという想い。死生観の混沌としている今、大切にしたい感受性のひとつだと思った。問題句「Summer Sea Ship Seasar Silence(島田章平)」沖縄の置物、シーサー(seasar)から、沖縄の海辺の町の風景を俳句形 式と英語で捉えてみた挑戦作と受け止めた。世界中のいろいろな言語で、日本の俳句文芸との交流により、大袈裟かもしれないが、世界存続の可能性を模索し、期待しいるこころが見られ素晴らしいと思っていた。また、この作品は改めて、俳句と は、何かを考えることを誘っている。ちょっと何かが足りない気がするが、それを考えさせることもいいことだ。
- 大西 健司
特選句「トンネルの途中からなんとなく麦秋」なんとなく物足りなさを覚えつつ、このゆるさが気に掛かる。問題句「秩父音頭に鳥も渡るか冴返る[高橋晴子)」:「鳥渡る」「冴え返る」季節があまりにもそぐわない。秩父音頭と渡り鳥の 取り合わせがいいだけにもったいない。
- 増田 天志
特選句「片方の眼窩を青い薔薇がふさぐ」幻想の世界へ誘い込まれる。片方、青いに、独自の感性。
- 藤川 宏樹
特選句「まるき字の嫁なり終日囀れリ(重松敬子)」最近丸文字を見かけないが、女学生は丸文字を使わないそうだ。一見若妻の清新な囀りが聞こえたが、アラフォー世帯か。囀りのキーも若干低くなるが、暖かな家が窺える。「嫁なり終日 」、中七の一音余りが効いている。
- 柴田 清子
特選句「ページ繰る指に初夏の森の匂ひ(三枝みずほ)」もう少し散ってゆく桜の余韻の中にいたい。まだまだ赤いガラスの燈台からの春の海を惜しんでいたいのに・・・。ページを繰るたび、季節の変るこの一年の早いこと。夏の初めが、 躍動し始める一歩が森の匂ひであると自分の身の一部分で感じ取っているところが、いいなあ・・・。特選句「春キャベツ剥くたび母に近くなる」春キャベツには、やさしさ、明るさの、時には叱ってくれた母のイメージにぴったり。母恋いを春キ ャベツに語らせているところが、佳句になった。
- 野澤 隆夫
土曜日の句会、お世話になりました。毎度のことながら楽しかったです。土・日は兄弟・姉妹会で松山行き。義兄のホームグラウンド=松山在住なので道後・大和屋本店へ集合。善通寺、詫間、高松、東京、松山の5家族11人。道後温泉、 松山城、子規堂等一泊二日の年中行事を兄弟姉妹で楽しみました。特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」凄くユーモラスな一句です。どうしてそんなことで喧嘩になるの、どっちでもいいことに…。サンドイッチにトマトを見てみろ。なん にも相性のいい奴とは思えないけど、でも仲良しじゃないか」とたしなめてるみたいで面白い。特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」5月になってもなぜか物憂い日々。まるで小生の寝室兼書斎の感。テーブル椅子と折りたたみ椅子の置かれた 部屋。「鬱の欠片」ってあるのですね。問題句「Summer Sea Ship Seasar Silence」ええっ!これって俳句?英俳?即問題句だ!と小生の頭。単語の頭の五つのSも不可思議?。句評の時、Fさんが「でも五七五になってるよ」との指摘。なるほど 「サマーシー/シップシーサー/サイレンス」。なるほど五七五になってる。でも英語俳句としては…?と思ったり。でも面白い。こんな風に訳してみました。「夏 海 舟 唐獅子眩く静けかり」
- 若森 京子
特選句「携帯のガラス細工の音消える」無季俳句でガラス細工の繊細な危うさが強調されているようだ。〝音〟とあるので携帯での会話の危うさに及び全べて携帯での人間関係の危うさを思う。特選句「羅に第六感の鰭がある」夏になると羅 になり皮膚感覚と同じ様な生活になる。〝第六巻に鰭〟とは、上手な表現だ。
- 谷 佳紀
特選句「 トンネルの途中からなんとなく麦秋」言葉に無駄がなく、気分も具体的。問題句「母に返せば喃語いきなり春夕べ」返せばと喃語の位置関係がわからなく、どのように受け止めればよいのか戸惑う。しかし何となく伝わって来るも のがあり惹かれる作品だ。
初参加の谷です。野崎さんに誘われました。俳句よりもマラソンが好きです。今日23日室戸岬から足摺岬まで走る土佐乃国横断遠足242キロのため徳島に来ました。明日スタートです。ゴールしたいですね。俳句の方は3句とも0点でも構 いません。下手を自覚していますから落ち込みません。
- 伊藤 幸
特選句「 青蛙地球まるごと蹴る構え」4・5センチの青蛙と地球の対比を句材にした。発想が面白い。作者は青蛙を己とし自分自身を励ましているのであろうか。それにしても景を思い浮かべるだけでも楽しくなる句だ。青蛙よ、思いっき り蹴ってみよ!!特選句「青年樹オリーブ海波の遠き反照」作者を知りつつも敢えて採らせて頂いた。近くにいるが為、面と向かってなかな云えないが唸らせるものがある。青年樹への深い作者の眼差し、懐古とそれでいて未だ失わぬ激しさの間で 唯々夕焼けを眺めている。これぞ俳句匠の技、さすが大先輩!
- 田口 浩
特選句「羅に第六感の鰭がある」錦鯉の全国大会を見に行ったことがある。そのとき、品評会の審査基準を知った。朱の模様がくっきりしていること。形(スタイル)。鯉の泳ぐ品位を見るのだと言う。作品を読んだとき、優雅に動く朱の鰭 が見えた。羅と言うことばも美しい日本語だが、水中に動く魚もまた美しい。この二つのものを、〈第六感〉と言う、ゴツンとした語感で結んでいる。弱、強、弱のリズムとでも言えばいいのか・・・。このあたりが実に巧みであろう。特選とした 所以である。
- 田中 怜子
特選句「蝶止まるてのひら血のかよふ感覚」微妙な体温を感じ、生きとし生けるもののいつくしみが感じられる。しかしひねりつぶせる力も有している微妙な感覚。特選句「ママチャリは戦う翅だ雲の峰(三好つや子)」そう、お母さんは忙 しいんだ。でも、そんなこと言うことすらわきにおいて頑張っているんだ。たくましい。
- 矢野千代子
特選句「幸坂蝦夷蒲公英のいよよ濃く」導入の固有名詞に魅かれる。このさらっとした表現が、かえって蝦夷蒲公英の色彩を鮮やかに感じさせ、それを印象づけるので…。ただ、前書き(函館にて)が邪魔かなと思いつつ、「函館」という地 名からより余情を頂いているのも事実…。
- 稲葉 千尋
特選句「人の列ひとふで書きの蝮山」蝮山に人々がひとふで書きの状況で列をなしている。蝮山だから色々と想像できる。特選句「羅に第六感の鰭がある」羅を着て歩く女性を思う。その女性には第六感の鰭があると言う。羅の女性は大好き だ。そして、その鰭があるように思う。
- 男波 弘志
特選句「ホトトギス旅寝の庭にふらっと父」父性の感じが良く出ています。こういう古典を題材にして、新しみの花を咲かせるのは偉大なることだ。ふらっと に近代がある。特選句「丸ごとに飲みこみ蛇の純情」これを純情、という感性に 脱帽。ただ、丸ごとに、を 丸ごとを とした方がリアルではないか。「薄明い蛻の蟬に息残り(中村セミ)」 女人の息 だろう 「空蝉に肉残りゐる山河かな」耕衣 とは別の息使い。「草笛が遠ざかりゆく幼き巡礼者(銀次)」只の遊みごと が、神聖のことに変容している。この字余りが見事に作用している。「トンネルの途中からなんとなく麦秋」気配を感じるのが詩人、後ろを感じるのは母性。「白詰草所々で休ませて(河野志保)」これも巡礼の途中、休んだところが墓所になる。 「春キャベツ剝くたび母にちかくなる」キャベツのざっくり感、ははの存在もそうだった。「羅に第六感の鰭がある」:「羅に鰭」それだけだ一句は決している。「羅に薄ももいろの鰭がある」これも蛇足かも知れぬ。
- 三枝みずほ
特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」サンドイッチにトマトを入れることと学ぶことの取合せが面白かった。どちらも栄養となり、人間に新鮮さ、瑞々しさを与えてくれる。「開放弦のまま新緑の雨をゆく(月野ぽぽな)」最も無心 無防備な音。新緑の雨に濡れてどんな音を奏でるのか、想像力を掻き立てられた。
- 中村 セミ
「 青蛙地球まるごと蹴る構え」蛙の動作に地球と持ってきたところに小さい物でも大きな事をしているという様な感じを受ける句、特選句です。映像的ですね。他に「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」は、五月病の事かなと思いましたが、 それ以上に書き方がいい。「亡き祖母の香水の液固まれり(菅原春み)」も、「香水の液固まれり」で、亡き祖母への何とも云えぬ思いが出ていると思います。
- 松本 勇二
特選句「まるき字の嫁なり終日囀れり」丸文字のお嫁さんと囀りの配合でとにかく明るい。問題句「歳時記に友の句ありし聖五月」上五中七を季語が見事に受け止めています。「友の句ありし」を「友の句のあり」とすれば読みがゆったりと してなお味わいが出るように思います。
- 新野 祐子
特選句「乾鮭や逝きて親父の昭和果つ」昭和一桁世代のお父さんでしょうか。戦争を体験し、戦後復興に汗を流し、激変する社会を精一杯生きたお父さんと、川と海を力強く行き来し、やがては乾燥されて人のいのちを養う鮭が二重写しにな ります。追悼句としても素晴らしいと思います。特選句「青葉騒ぐよ海だったころ思い出し(月野ぽぽな)」触れ合ってざわざわそよく青葉の下にいると、深海にいるような気がしてきます。「海だったころ」という表現、なかなか出てこないです ね。入選句「まずますの朝で若葉に欠伸して」人生百パーセントでなく八分でもなく、五分でいいのではと年齢を重ねると思えてきます。若葉に向かって欠伸するなんて、余裕だな。入選句「葱坊主餓鬼大将対餓鬼大将」餓鬼大将なんて何十年も見 たことがないでしょう。懐かしい風景。全部漢字という表記もいいです。入選句「携帯のガラス細工の音消える」携帯電話の呼び出し音って、まさにガラス細工のよう。私、携帯持っていないのであまり耳にしませんから、殊に敏感に聞こえてきま す。無季の句、作るの難しいですよね。
- 竹本 仰
特選句「青年樹オリーブ海波の遠き反照」句としてはぜいたくに、香りと音と光と響き合っており、「青年樹オリーブ」の語の感じが華奢でありつつ希望をそれとなく感じさせる田舎の海辺の青年の立ち姿のようでもあり、とても惹かれまし た。今はどこにもないんですけれど、音楽の新しい教科書を開いていい曲にめぐりあったような、そんな感動でしょうか。特選句「春キャベツ剥くたび母にちかくなる」母の仕草にかさなる自分の今に気づき、昔は嫌がってたその仕草が自分にある ことへの安心感というか、ああ、母もこんな風に家族のことを考えながら、一心に自分の心も剥いていたんだと、人間の成長ってそんなもので、やっぱり誰かのおかげだったんだというか、そんな健康でリアルな空腹感が感じられますね。特選句「 丸ごとに飲みこみ蛇の純情」本当にリアルタイムで、あの日大選手の記者会見の横顔を思い出させますね。飲んでしまうのも、どうしようもない訳で、そのどうしようもなさに対する理解というのが、この句に感じられました。西東三鬼の句に「広 島や卵食ふ時口ひらく」がありましたが、どうしようもないこと、食わなければ生きていけないこと、何でしょうか、そんな切なさが近しく思える句でした。なかなか句会にも行けず、行事にも参加できず、選句するときが本当の勉強の時なので、 様々な自問自答しております。今後とも、よろしくお願いいたします。
- 月野ぽぽな
特選句「大夕焼けひとりの母の林立す」ひとり、という言葉では表しきれない母というものの存在感を、「林立す」と捉えたのが手柄。正と負のないまぜになった心象も香る。大夕焼が尽きることのない母性を思わせ、一句に深さと広がりを 与えている。
- 夏谷 胡桃
特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」。抗うために学んでいます。なにに抗うために? 財力がないので知識だけが武器です。そして、トマトのサンドイッチが大好物です。職場のお昼にライ麦パンにトマトとチーズ。お昼が待ち遠 しいです。昼休みにもサンドイッチ片手に本を読んでいるのが幸せです。特選句「万緑や卒寿の母もピクニック」。後半人生に入ると、この萌える緑が見られるのはあと何回だろうか、目に焼き付けておきたいと思います。カタカナは、春と夏の気 分だなと思いました。問題句「冷凍庫に人肉がある初夏の別荘(田口浩)」。何が言いたいのかわからないというより、気持ち悪かったです。サスペンスでしょうか。
- 谷 孝江
特選句「夏服の自転車の子らよ空へ空へ」私の今住んでいる所は、お隣りと言える程のところに中学校、すこし離れて幼稚園、バスで一駅ほどに小学校、逆方向一駅ほどに髙校と、朝に夕に子供たちの姿や声に触れています。いいな、いいな と思いながら・・・。人口の減少が問われている今、宝もののような気持ちで子どもたちを見ています。将来結婚し、子を育て、働いて日本を支えてくれる事を望みながら、登下校の子どもたちに、夢を希望を託しています。これからの日本、大変 だろうけれど元気でね!
- 亀山祐美子
特選句『羅に第六感の鰭がある』和装は、着物は大好きだが、汗かきなので、夏場は避けたい。今年の成人式の「はれのひ」倒産事件の悪質さは記憶に新しいが、振り袖の華やかさは世界に誇る日本文化だ。作者は三六五日和装を常としてい る方か、そのような方が身近に居らっしゃるのだろう。僧侶か旦那しか、ここはやはり女性だろう。「羅」を軽やかに着こなし、流れるような所作は誠に涼しげである。袖が鰭なら当たり前。「第六感の鰭」とは身を包む「羅」自体か「羅を纏う者 」そのものなのか。否。「羅に憑依された己自身」が第六感の「鰭」と化し魂を翔ばすのだ。実に羨ましい。問題句『冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘』ただただ不快。『南方の戦時記』『飛行機墜落遭難事件』『羊たちの沈黙』 等々それに関する切 羽詰まった書き物は多々あるが、俳句にする意味が解らない。何を詠んでも可とはいえ、これは報告。だだの散文。第一季語が動く。猟奇物なら『満月』だろう。少し感情的になってしまいました。丸亀出身の華道家の中川幸夫氏の写真集を思い出 しました。とは言え、特選句も問題句も案外立ち位置は同じかも知れない。皆様の句評楽しみに致しております。
- 寺町志津子
特選句「荒川のかなしみ諸喝采戦ぐ」一読、昨年の「海程」最終回となった全国大会での吟行を思い出した。暑さの中、兜太先生もご一緒に歩いてくださった荒川のほとり。杖はお持ちでも、それを杖とはされず、かなりの距離をみんなと歩 いてくださった先生。日本最初の女医となった荻野吟子についての功績のお話を伺い、生誕の地を訪れたのをはじめ、先生の数々の句碑巡り、菩提寺へのお参りもさせていただいた昨年の全国大会。掲句を読むと、麦秋まっただ中の荒川の光景、そ の折々の先生のお話、お姿がまざまざと蘇る。荒川もまた深い悲しみに包まれて、今日も流れているのだ。「荒川のかなしみ」と「諸喝采戦ぐ」の取り合わせが抜群で、しみじみ心に響いてくる。先生のご逝去から三ヶ月。未だ信じたくない思いを 抱きながらご冥福を心からお祈り申し上げます。
- 三好つや子
特選句「初蝶の失せもの生るるやうにかな」 今か今かと待っていた蝶が、ある日ふっと現れる瞬間の喜び。「失せもの生るる」というフレーズに、錆びた五感をピュアにする風を感じました。特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」椅子 に座ったまま、立ち上がることもできない、ナーバスな気分。五月病の捉え方が深く、精神病棟の一コマを見るような句。入選句「青空をこま切れにして柿若葉」柿若葉のまぶしさが、いきいきと目に浮かび、とりわけ上五中七の表現が面白いです 。
- 山内 聡
特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」もの、というものが溢れている中で、「椅子」というもの。その椅子が鬱の欠片のようであるという。鬱の欠片のように見えるものが他にあるか、ちょっと頭を巡らせてみたが、ない。五月といえば 鬱だが、そんなことはこの句では二の次のこと。わかるのだ。椅子が鬱の欠片のように思える感覚が。椅子というものが座っている時にはその存在を忘れがちである。椅子というものをはたから見てそこに人が座っていなくて椅子という存在が機能 していない時。この椅子がアートとして存在する可能性もあるが、そうではないだろう。ありふれた椅子である。それが人が座っていないというだけで機能していないものとなる。鬱というものは経験した人でなければわからない感覚だが、それは 機能していない脳である。環境は変わっていないのに落ち込んでしまう。機能していないという瞬間をもつ物体は数多とあるだろう。しかし椅子ほどに機能していない瞬間をまざまざとあからさまに見せるものがあるだろうか。また頭の中で椅子が ポツンと置かれている光景を頭に浮かべると、それはまさに鬱そのものである。椅子、木偏に奇妙の奇、その子供。というふうに漢字を分解して見ても面白い。もののもつ不思議な感覚をもっと写生しないといけない、と学習させられた一句です。
- 野田 信章
特選句「つつじ咲く舌を連打の行進曲(三好つや子)」は、後向きの舌打ちから、軽快に反転して五月の行進曲を奏でている句だ。生理的実感を込めた中句の把握によって「つつじ咲く」と交感して自身を鼓舞する句調がある。問題句「緞帳 というあの世この世の青葉騒(若森京子)」は、「あの世」とまで言わずとも、「この世に」の青葉騒を、「緞帳」の本姿を活用して、先ずは伝達させてもらいたいというのが私の願いである。
- 菅原 春み
特選句「螢ぶくろ子規の寝床のほのぐらさ(若森京子) 」季語「蛍ぶくろ」と、寝床のほのぐらさ、しかも子規の寝床となんともあっている。情景がありありと見える。特選句「 春キャベツ剥くたび母にちかくなる 」春キャベツのやわら かさ、剥くたびにすぐに小さくなっていく野菜、それは母のよう になっていくということか。
- 小宮 豊和
「新緑を心に見せたく遠回り」:「心に見せたく」のフレーズが印象的。作者は、新緑について色々なことを感じているのだと思う。新緑の色調の初々しさ、やわらかさ、芳香、また、風の向きや強さ、地形、太陽の位置、あるいは樹木の種 類の取り合せなど、一瞬として同じではない。「心に見せたく」とは、そういったことの感受への期待であり、「遠回り」とは場面の転換の期待も含まれるのかもしれない。句としては、語順や、て、に、を、は、を変えれば句の印象や巧拙に多少 の変化はありうると思われるが、この句の主旨はいまのままで十分に伝えられると思う。
- 野口思づゑ
特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」。サンドイッチにトマトのような学んだ結果のおいしさ、理屈ばかり捏ねずどんどん実践して経験して学びなさいとのやわらかい教えです。問題句「冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘」人肉が怖過 ぎです。納涼効果はありますが。
- 河田 清峰
特選句「紫陽花つぼみ母の口癖とう擂り粉木」どんな色になるかみえない蕾と繰り返す母の口癖にイライラという擂り粉木が破調にあらわれて面白い。
- 藤田 乙女
特選句「手をつなぐこと青葉がふれあうこと」 青春の爽やかさと生気をみなぎらせている青葉とが重なりあってとても惹かれました。「青葉がふれあう」という表現が素敵です。つないだ手の温もりと青葉の息づかいまで伝わってくるよう で、自然に“他者を受け入れようとする〟優しさに溢れる句だと思います。
- 河野 志保
特選句「新緑を心に見せたく遠回り」:「さりげなくて独特」な表現に惹かれた。作者の心の様子もさまざまに想像できて深い句だと思う。
- 桂 凛火
特選句「一面の白つめ草にある孤独」孤独をあらわすのにしろつめ草を持ってこられたのは新鮮でした。どこまでも明るくのどかな風景の中にいる自分がだれともつながっていない、さびしいのとは違う、屹立した精神の孤独を思うことがで きました。
- 漆原 義典
特選句は「まないたは父の手遊み母の日や」です。まないたの前の父の姿に、母の日のほのほのとした情景がよく表現されており特選とさせていただきました。
- 中西 裕子
特選句「 ママチャリは戦う翅だ雲の峰」子供の小さいお母さんはほんとに大変。日々戦いですよね。でも、希望に満ちた日々でもありますよね。応援したくなる句です。
- 高橋 晴子
特選句「いつまでも祝う子らあれこどもの日(野口思づゑ)」饒舌な句や、舌たらずな句をこれだけ見せられると、この句の単純明快さが快い。
- 豊原 清明
特選句「乾鮭や逝きて親父の昭和果つ」:「逝きて親父の昭和果つ」が秀逸。「親父の昭和果つ」がいいと思う。先生が亡くなって、昭和果つに繋がると思う。昭和の怖さと良さ。現代の苦しみ社会。この一句はいいと思う。問題句「冷蔵庫 に人肉がある初夏の別荘」」 恐ろしい一句だ。「冷凍庫に人肉がある」。この意味の真意は何か、しかし、事実なら、興味深く思う。恐ろしい惨劇でないことを祈るばかり。個人的に比喩であると思う。「初夏の別荘」は不気味倍増。
- 野﨑 憲子
特選句「こんこん緑雨手をふり母の消えゆくを(伊藤幸)」:「こんこん緑雨」に万感の思いが籠る。緑に煙る雨の中、去りゆく母の後姿が、あまりにも美しく哀しい。オノマトペの効果も抜群だ。今回の句会では、問題句への積極的な意見 が出され、色々勉強になりました。例えば、「冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘」の作品は、正直なところ弱虫の私は、一瞬ぞっとしました。作者に失礼かもしれませんが、こういう「毒」を含んだ作品は、何でも有りの俳句の世界でこそ表現できる ものかも知れません。英語表記の作品も、その果敢な挑戦が、とても嬉しかったです。今回から、「海程」の大先輩である谷佳紀さんがご参加くださいました。私は、谷さんの俳誌『しろ』の大ファンでした。どうぞ宜しくお願い申し上げます!
袋回し句会
アスパラガス
- 一杯行こかアスパラガスの旦那
- 島田 章平
- 寝不足の鬼へおらんだきじかくし
- 亀山祐美子
- アスパラガスときどき欠伸していたり
- 野﨑 憲子
- アスパラガス退化のような進化あり
- 鈴木 幸江
更衣
- 老病死わが生は恋する更衣
- 田口 浩
- 責任はとらない衣を更へにけり
- 柴田 清子
- 衣更へ山の歌など口ずさむ
- 野澤 隆夫
さすらい
- さすらいのライナスの毛布夏の果て
- 中野 佑海
- さすらって帰る故郷(こきょう)青大将
- 野澤 隆夫
- 何一つもってゆかれずさすらへり
- 亀山祐美子
- さすらいや膨らんでゆく菫草
- 野﨑 憲子
- さすらいの果て花街に金魚を飼う
- 田口 浩
牛蛙
- 牛蛙もみ合いながら風を編む
- 野﨑 憲子
- 私には近ずかないで牛蛙
- 柴田 清子
- ポケットにハンカチがない牛蛙
- 藤川 宏樹
- 難聴の向う岸なる牛蛙
- 河田 清峰
- 英語などもう忘れたわ牛蛙
- 島田 章平
麦秋
- クレヨンの黄色貸してよ麦の秋
- 島田 章平
- 常識は覆すもの麦の秋
- 藤川 宏樹
- 一年生麦秋のすくと手を挙げる
- 中野 佑海
- 麦秋や長方形の実りなり
- 山内 聡
- 麦秋や親子で競ふトラクター
- 野澤 隆夫
虹
- 虹立つや兄弟会も早十年
- 野澤 隆夫
- 虹の伝言兄さんは楡の木になった
- 野﨑 憲子
- 春の虹そこが違うと妻の言
- 藤川 宏樹
- 虹消えて楽しきことを思ひをり
- 島田 章平
- くぐることなかりしものに虹ありし
- 山内 聡
山滴る
- 陸奥の滴る山の連なりし
- 山内 聡
- 沢蟹の匂う一戸や山滴る
- 河田 清峰
- 山したたる妊婦がハンカチを濡らしている
- 田口 浩
- 黒焦げの家を真横に山滴る
- 野﨑 憲子
- 山滴る弱虫という寄生虫
- 鈴木 幸江
- 山滴るモーニングカフェにママチャリずむ
- 中野 佑海
【句会メモ】
5月の本句会の参加者は、11名。事前投句には、英語表記の句や、ゾクっとするような問題句もあり、ますます多様性を帯びた魅力あふれる作品が集まってまいりました。この渾沌こそ、創作の泉だと思いました。鑑賞も熱を帯び、あっという 間の4時間でした。次回が、ますます楽しみです。
Posted at 2018年5月30日 午前 03:36 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]
第83回「海程」香川句会(2018.04.21)
事前投句参加者の一句
さくらさくらみんなおりたなわでんしや | 島田 章平 |
塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう? | 中野 佑海 |
深夜のテレビにむかしむかしの春の蝉 | 髙木 繁子 |
夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ | 谷 孝江 |
なにを知るアンモナイトや鳥雲に | 菅原 春み |
肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い | 月野ぽぽな |
ほんとうにかなしいときの豆御飯 | 伊藤 幸 |
表札に風吹きわたり夏近し | 松本 勇二 |
吾もまた水の一族白木蓮 | 銀 次 |
サイドミラー花菜あふれてゆく静止 | 竹本 仰 |
泪ぬぐいし嫩葉ゆるる唐招提寺 | 田中 怜子 |
春の黙醤(ひしお)の島に染まりゆく | 野田 信章 |
海程院太航句極居士春の峠に定住す | 河田 清峰 |
嘴は春暁の川開きをり | 三枝みずほ |
これからは兜太が春を連れてくる | 亀山祐美子 |
軍鶏を潰して四月一日が暮れました | 田口 浩 |
ピスタチオ朝から齧る万愚節 | 野澤 隆夫 |
春の海波音のして淋しくはない | 鈴木 幸江 |
つばめ来よ手首にインクながしたから | 男波 弘志 |
だれかに会いたい遅日の帰り道 | 夏谷 胡桃 |
アマリリス発声練習しています | 寺町志津子 |
酒くるうこともあろうよ山桜 | 藤川 宏樹 |
人間を孕んでおりしさくらかな | 稲葉 千尋 |
山葵田に流れ着きたるオフェーリア | 新野 祐子 |
太陽が僕の周りを走る春 | 豊原 清明 |
コンビニの灯りにわたし海市かな | 大西 健司 |
朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな | 河野 志保 |
端居の空気が古びた絵となった | 中村 セミ |
若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ | 野口思づゑ |
桜トンネルここは産道そして祈り | 若森 京子 |
輝きのかけらとなりて蝶のゆく | 山内 聡 |
冷そうめん孫とおとなの話かな | 重松 敬子 |
羅漢さま喉の奥まで花吹雪 | 増田 天志 |
紫木蓮思い出積み上げ眠ります | 桂 凛火 |
うららけし生まれた順に足並ぶ | 三好つや子 |
すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い | 矢野千代子 |
あらがへど古りゆく色香紫木蓮 | 小宮 豊和 |
烏骨鶏雄一雌二春卵七 | 高橋 晴子 |
一人よりみんなが好きなチューリップ | 藤田 乙女 |
囀りの中に他界のありにけり | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 月野ぽぽな
特選句「これからは兜太が春を連れてくる」兜太先生は創造主の仲間になり季節を巡らせています。そしてそれは春。私たちに春をプレゼントしてくださるために仲間入りする季節に春を選ばれたのですね。と想像できて安らかな気持ちになりました。ありがとうございました。
- 藤川 宏樹
特選句「雪は降る肝臓よりもしずかな夜(月野ぽぽな)」:「雪」に「肝臓よりも」をつけて、静かさを表現されていることに感心します。こういう句を拝見すると、「俳句歴が浅く、言葉を知らないから・・・」と言い訳する自分が恥ずかしくなります。
- 中野 佑海
特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆ご飯て、だいたい何かある時に食べますよね。あの豆のゴロゴロ感が胸の支えを嫌増している気がします。涙の塩っぱさが更に良い味付けとなり、美味しいのか美味しくないのか、何も感じなくなって。何で豆ご飯なんだろう。疑問も解答も今迄聞いたこと無い摩訶不思議な食べ物です。やっと答えが出ましたね!!(良かった!無限ループから抜け出せて。)特選句「アマリリス発生練習しています。」良いですね!!このピンと背筋の伸びた、爽やかな回答。あの大きく開いた花はメガホンにそっくりです。さぞ素晴らしい合唱団に成れるでしょう。この所、仕事にかまけて怠惰な生活をしている私に、活力を下さって有難うございました。句会で好きな事を、好きなように話せ本当に嬉しいです。有難うございます。
- 山内 聡
特選句「たんぽぽの地の声聞くや陽に語り(藤田乙女)」たんぽぽは聞くこともできないし声を出すこともできない。この当然のありえないことをあり得るとする力が詩の力だと思う。たんぽぽは地に根を張り地面から伝わってくる地球の声を聞いている。そして地球の声を伝えんとする相手は太陽。切り取る対象がたんぽぽのはずなのに壮大なスケールも伝えんとするこの掲句。詩の持つ力を最大化させているような心持ちにさせられます。毎回、句会で皆さんの選評を聞くことがなりよりもの勉強になっています。色々な鑑賞の仕方があるものだといつも感心させられるし、次の句会はどんな話が聞けるのだろうかと楽しみな心持ちにさせられます。そして何より句会に参加される方々の多様性と個性に好印象を受けます!
- 若森 京子
特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」一句全体から人生のなりわいの様なものを感じる。醤の島で一生を終える人、又、通り過ぎる旅人にも染まる色があるのであろう。特選句「山葵田に流れ着きたるオフェーリア」清流に透明感のある緑の山葵田は大変美しい。そこにオフェーリアが着いた。この美しい意外性のある発想に魅かれた。
- 稲葉 千尋
特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯で決まり。特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」今日も噛みました。確かに、鉄の匂いだった。この感性をいただき。問題句「コンビニの灯りにわたし海市かな」:「に」はいらないと思う。
- 増田 天志
特選句「囀や水面に映る昼の星(新野祐子)」聴覚から視覚へ。それも、幻視。メルヘンの世界に、しばし、遊びたい。
- 田中 怜子
特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」兜太先生を思いて。桜は終わりそうだったけど、峠に定住は言い得て妙。特選句「発条開き春海大きくなる」小さな見栄えしない発条と、大きな春の海。気持ちいいですね。瀬戸内海でしょうね。
- 豊原 清明
特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜(寺町志津子)」 思いが籠っている、一句はどの句でも、内容問わず、感動を与える。この一句、強い。自論だが、俳句は誰にでも、何時でも書けると信じる。しかし、この頃、師をなくしたことのショック、選んで下さる俳人、尊敬できる俳句人がいなくなった、虚ろになっていたことを、この俳句で知った。問題句「春あおぞら貨車は十六輌です」好きな一句。ただ、ピンとくるのが、他の句より、 ちょっとだけ、減っているような気がしたが、春の透明感を感じ、それが好きです。
- 田口 浩
特選句「つばめ来よ手首にインクながしたから」釈迦は麻耶夫人の腋から生まれたと言う。古代人の発想の大らかなところである。〈手首にインクを流したから〉〈つばめ来よ〉の現代人の感性を、麻耶夫人と比べることもないが、これも充分に自由であろう。つばめの羽根の黒味をおびた青いインクが妙に生まめかしい。これで、作中人物が燕尾服でも着て、袖まくりの手首を持ちあげていたら・・・。と話をひろげれば、人間喜劇の一コマが見えてこないでもない。この句の自在性を思いながら、茨木のり子の詩の一節が浮かんできた。〈自分の感性くらい/自分で守れ/ばかものよ〉と言っているが、私たち俳句作りも、忘れてはいけない自戒である。
- 矢野千代子
特選句「直島のかぼちゃを抱きに四月馬鹿(亀山祐美子)」瀬戸内から眺めるたびに「あのかぼちゃを抱きたいナ」。そう希うのは私だけじゃない…と、意を強くして推しました。特選句「囀りの中に他界のありにけり」この作品は一番好きです。「異界」でなくて日常をたっぷり含んだ「他界」―それが良いなあ。
- 鈴木 幸江
特選句「塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう?」“塩ショコラの悩み”を、先進国のひとつである日本人の大方が抱えている、何が正しく何が正しくないのかというもやもやした悩みの喩えのだと解釈した。そんな状況に季節の料理をどうぞと差し出す対応に、賢さを感じ頂いた。 “?”にも、強く勧める思いが出ていて効いていると思った。問題句「つばめ来よ手首にインクながしたから」手首にインクを流すのは、自傷行為にも似て尋常ではない。インクの色から、燕をふと思ったのだろうか?そして、燕の飛来を願う心が現れたのだろうか?うまく共感はできなかったが、作者に残る健康な心を感じ、現代人の辛いけど、まだ救いのある心を示唆していると思った。
- 男波 弘志
特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」鉄 は かなしい 雨の日は いよいよ かなしい でも 鉄は 泣かない すかんぽ みたいに 顔 が ないから「深夜のテレビにむかしむかしの春の蟬」時間軸の移動が闇の中にある 夜に なく 蟬 街 を 太陽 と まちがえたの か「夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ」抜ける ここに 老いの真実がある 年年歳歳何かから、抜け出る、虚体 即 老い「空想にドロップ一粒春浅し」空想 の ではなく に 空想を客体化している。そこがおもろい。「春の黙醤の島に染まりゆく」ここは 小豆島 放哉の死んだ 島 放哉の黙 に 染まる 醤 そう感じている。「人間を孕んでおりしさくらかな」人間 その 業火 が 常念 を 呼ぶ 人間 の 存在 が なければ さくら は さくら ではない。「チョウの収集家もチョウである岐阜へ飛んだ」とにかく真面目にふざけているのがいい それしか 考え られないのが いい 俳諧。
- 伊藤 幸
特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」醤油が特産という小豆島の景を詠ったなんでもない句であるのにも拘らず、得体の知れぬやるせなさを感じるのは、上五「春の黙」のせいだろうか。読む人それぞれの人生観で解釈できる不思議な句だ。特選句「半日を置いてある水夕つばめ」やわらかな夕日が射し込む民家の軒先、ツバメが来て水を飲んでいる。上中下語どれも麗らかで晩春の景が手に取るように浮かび煩雑な日々の中ゆったりした気分を取り戻し癒してくれる佳句だと思う。
- 野田 信章
特選句「酒くるうこともあろうよ山桜」は山桜の見事さの極まりとその反転としての想念において、人間の本姿の一端が言い止められているかと思う。特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」は現代の疎外感が「海市かな」によって現出している今日性がある。このように二物の配合の意外性が俳諧からの伝統であり、句の鮮度を保つ要点でもあろうかと考えた。
- 新野 祐子
特選句「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨が鳥かごだとは、うまい直喩ですね。自分の心臓の鼓動を常には意識しませんが、この句を読んで改めて生命の不思議さと、よく働いてくれる心臓にいとおしさを覚えずにはおれません。入選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」「これからは兜太が春を連れてくる」やはり今は、兜太先生の句を詠みたいですね。入選句「新しきナイフの切れ味初燕(重松敬子)」初燕ほど鋭敏な飛翔を見せる鳥はいないです、確かに。問題句「花の下寝転んで読む死刑囚手記(銀次)」:「花の下寝転んで」と「死刑囚」とでは、あまりにブラックなのではないでしょうか。もしかして、この死刑囚とは、金子文子さんだったりして。
- 島田 章平
特選句「囀りの中に他界のありにけり」金子兜太先生が亡くなられ、二か月が経ちました。今回の俳句の中にも兜太先生を偲ぶ句が数多く見られました。句会に参加されているすべての人の心の中に兜太先生は生き続け、励ましてくださっていると信じます。句会もまた囀り。その傍らの世界で、兜太先生がにこやかに御覧になっておられる御顔が目に浮かびます。
- 菅原 春み
特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」春の黙、こころが沈んでいるのだろうか。醬の島がなんともいい。特選句「鶯も混じりて秩父終句会」 最終の秩父句会。これを最後に句に詠まれることはないのでしょうか?鶯は誰だったのか?
- 野澤 隆夫
特選句「烏骨鶏雄一雌二春卵七」漢詩のフレーズみたいです。「卵は春が旬」とか。それも烏骨鶏。雄一、雌二も面白い。特選句「春闌けてぷかぷかどうし登校す」春眠暁を覚えない中学生のワルの遅い登校風景。〝ぷかぷかどうし〟何ともユーモラスです。
- 河田 清峰
特選句「これからは兜太が春を連れてくる」春のような温かい包容力のある兜太先生に毎年思い出すことが出来る喜びを素直に連れてくるよいったのが良かった。
- 大西 健司
特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」内容はいい。ただいささか気に入らない。どなたの句かは知らないが、「紅差すを」と きれいに書いてほしかった。「紅差すを祖母忘れじと別れ霜」凛とした祖母の姿が浮かんでくる。特選にいただきながら勝手な言い分で申し訳ない。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」もう少し韻律を調えてほしい。このままでは単なる報告。あえてこういう書き方をしているのかも知れないが、内容がいいだけにもったいない。今回はこのような素っ気ない句が多かったように思う。
- 夏谷 胡桃
特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」。小学生の入学式でしょうか。学校にいる間、生まれた順に出席番号がありました。わたしはいつも1番で嫌だったことを思い出しました。うららけしも子供たちの輝きを感じさせていいと思いました。
- 竹本 仰
特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」戒名がどんと立って、しかもこの戒名、ますます壮健なる息吹きの感じられる、それこそ飛行船であるような、哄笑が降りてくるような、骨太なイメージがふんだんにあって、これが春の峠に衝撃をおこす、それが彼の定住なんだという、何層にも巧まれた、何というか、詩的マンダラの様相を呈していて、芽吹くような静かな笑いを誘います。特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の生まれたての赤ん坊のあなうらがならぶ、それは生れた順というのは当然なんだが、しかしこれは当然ではないんだという、いろんな膨らみのもてる内容かなと思いました。産科にお勤めしていた或る女性は、赤ん坊ばかり並んだ保育室にいると、この中からイエスもヒトラーも出たんだという不思議な思いにとらわれることがあったとそんな回想されていました。「うららけし」と感じたその一瞬の感覚には、もう二度と同じ地点に並ぶことのない、引き返せないこの世の定めという背景も見えているのかなと。特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」葬儀の棺から見えた祖母の生き方なのかと読みました。唇に紅が映える、それは熱っぽい、勝ち気で一途な方だったのではないかと想像します。死に化粧にいつもの通りきりっと引かれた唇の紅を見て、ああ、祖母そのものだと、ぐっと胸にも一筋食い込んできたというところでしょうか。そういう血はまた自分にもと感じることがあれば、いっそう深く刻まれる一筋ではなかったかと。まあ、我々は、こういう残響を心のうちにひびかせながら生きていくものなのでしょうね。
- 谷 孝江
特選句「若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ」若者たちへの励ましのベルでしょうか。兜太師の声でしょうか。「目覚ましが鳴り止まぬ」に力強さを感じました。若い方々への思い一入です。
- 松本 勇二
特選句「囀りの中に他界のありにけり」閃きの作品。その通りだと思います。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」風土感溢れる作品で郷愁をさそいます。「一日が」の「が」を取ればなおリズムよく読めると思います。
- 三好つや子
特選句「人間を孕んでおりし桜かな」満開の桜の下で寝転ぶと、桜の精が腕を広げて包んでくれているようで、赤ん坊に戻っていくような気がします。桜と人がひとつになり、春の訪れを喜ぶ・・・そんなアニミズムを感じさせてくれる句。特選句「春塵と若きデモの声混じる(月野ぽぽな)」 反対のプラカードを掲げ行進している若者の、汗と砂埃にまみれた顔が目に浮かび、青春のひたむきさが伝わってきます。入選句「囀の中に他界のありにけり」春の野山で鳥たちが発する意味不明の言葉を聞きながら、亡き父母や友人の声を思い出しているのでしょうか。座五の言い回しがくどいと思いましたが、「他界」という言葉に強く惹かれました。
- 中村 セミ
特選句「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」時間の経過の中の何かを忙しくしているのか何もしていなくてボォーっと考え事をしているのか、そんな中で夜桜がそこにあった。という句かと思いますが、時間の中で埋ずくまるその果てに何かがあって生き返えるような感覚で囚えました。僕はボォーっと考え事にうずくまるとなかなか時間が幾時間経過してもそこから出られなくなるし、やっと出たら夜だったり、台所のスミのキャベツが只ばく然とあったりします。その事は僕にとっては、とても重要な事なので、この句は巧い句ではないですが、命の事を詠んでいる様に思います。特選とします。
- 野口思づゑ
特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の新生児室なのでしょうか、ゼロ歳児の保育園なのでしょうか、赤ちゃんが並んでスヤスヤ足の裏を見せて眠っている、そんな安らかな光景が目に浮かびました。17文字で暖かい気持ちにしていただき感謝です。
- 藤田 乙女
特選句「春あおぞら貨車は十六輌です(矢野千代子)」 澄みきった春の青空、心も清々しく明るくなります。16輌の貨車には、未来への素敵な宝物がたくさん積まれているように思います。青春を想起させ、明日への明るい希望を感じる句で、とても惹かれました。特選句「なにを知るアンモナイトや鳥雲に」 長い地球の歴史から見ればほんの僅かな人類の歴史、そして、一瞬にも満たない人間の生、確かに人間は、考える葦かもしれないけれど、人間は地球の中のひとつの生命体としてもっと謙虚に自然の中で生きていかなければいけないとこの句から改めて思いました。
- 河野 志保
特選句「掌にまろき石春が置いて行った(伊藤 幸)」: 「まろき石」という言葉の響きに惹かれた。春のやわらかい風情が伝わる。春が置いて行った石という表現も楽しい。
- 寺町志津子
特選句「これからは兜太が春を連れて来る」:「どうも死ぬ気がしない」と、常々話されていた兜太先生の突然とも言えるご逝去。未だ信じ切れていない、また信じたくない昨今であるが、桜花爛漫のこの春は、兜太先生が連れてこられたのだ、と思うとふっと心が和らいでくる。来年も、再来年も、毎年ずっと、兜太先生が春を連れてきてくださると言うのだ。掲句に俳句的詩情性があるか、との思いもあるものの、このやわらかな前向きの発想こそ兜太先生への何よりの感謝、追悼の思いに通じるのではないか、と心が温かくなり、特選に頂いた。
- 桂 凛火
特選句「深夜テレビにむかしむかしの春の蝉」実写のようで実写でないような非現実的リアリティを感じた。深夜テレビと場面を限定したところに鍵があるように思う。巧みさに脱帽。最後の春の蝉がまた切ない。セピア色の昭和の映像の中にいる春の蝉だから「に」という助詞の成功したまれな例のようにも見える 。「むかしむかし」の引っ張り方もいやみなく感じられた。問題句「冷やそうめん孫とおとなの話かな」祖母のことを思い出し。郷愁が感じられて心惹かれました。すごくなつかしい風景です。ただ最後の「かな」が甘すぎるようにも思います。説明プラス詠嘆でない方がいいかもとかんじました。
- 高橋 晴子
特選句「手に手相石に石相囀れる(三好つや子)」〝手に〟〝石に〟といわなくてもいいような気もするが、人間の生きてきた時間と石のその成り立ちからもたらす長い時間を相という形で発見して比較している処に面白味があり「囀り」が生気を与えている点で成功していると思う。問題句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯の季節感と親しみでいいたいことはよくわかるのだが〝ほんとうにかなしいときの〟はあまりに言葉だけすぎる。この〝かなしいとき〟を具象化した何かで表現すると特選にとりたい。私ならどう表現するだろうかと考えさせられた句だ。
- 三枝みずほ
特選句「桜トンネルここは産道そして祈り」桜並木が命の誕生、または再生に繋がるという感覚に共感。祈りがその想いを更に強くしている。「囀りの中に他界のありにけり」目を閉じで静かに囀りを聞いていると、そんな気持ちになる。ふと自分がどこにいるのかと。囀りが全てを包んでいる好きな空間、空気。
- 銀 次
今月の誤読●「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」。「朝が過ぎ」ようやく目を覚まし、枕元のボックスのなかからタバコを取り出し、くわえタバコのままベッドから出る。キッチンに向かい、コーヒーをきらしていたことに気がつく。仕方なくゴミ箱のなかから、ゆうべ淹れて捨てていたペーパーフィルターを拾い上げ、ドリッパーにセットする。湯の沸くあいだにもう一本タバコをくわえる。まずいコーヒーをすすりながらブラインドを指で押し開ける。昼光がまぶしい。ノミ屋に電話し、馬券の注文を入れる。「昼来て」ジャケットに着替える。よろよろと外に出て、さてと、と、これといって行くあてのないのに気がつく。苦笑。どこに行くったってまずカネがない。借金しようにも知人からも友人からも借りつくしているし、質草もない。仕事かあ。働きたくねえなあ。ま、それは明日考えよう。ズボンのポケットをさぐると万札と千円札が数枚あった。パチンコでもするしかないか。夕方まで弾いて、まあまあ浮いた。スーパーに寄って、チーズとウィスキーの安いやつを買う。近所の河原でその安ウィスキーをラッパ飲みしつつ、日の暮れるのを待つ。帰り道コンビニで冷えた弁当を買う。それが「その夜の」晩餐だ。政治にも社会にも、ましてや国際問題などに関心はない。人生などクソだ。生きがいなんて訊くなよな。つまらない説教なんてするなよな。なーんも感じねえ。なーんも考えねえ。そんなオレにも、そんなオレたちにも、そこいら中にいるオレたちにも、世界中のオレたちにも、ああ、降り注ぐ「桜かな」。
- 重松 敬子
特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」そこだけ残ったコンビニの明かり、これはもう、新しい風物詩と言って過言ではない。一日を終えた人達の、ほっとした空気、それぞれの生活の匂い。海市との組み合わせが、新時代の郷愁の世界を作りだしている。
- 小宮 豊和
「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨に囲まれた胸部を鳥籠に見立て。鼓動する心臓を小鳥に見立てた。作者にとってはおそらく鼓動は待春そのものであり、この一句の眼目はこの一点にあるものと感じられる。比喩は成功した。しかしそれだけでは詩は完成しない。小鳥と鼓動と待春が、若さと期待と夢を初初しく暗示し、句作の眼目を達成したのであると思う。これは力業なのだ。力業なのだがそれを感じさせず、可憐さを醸成している。また音数は二〇音であるのに、さして違和感を覚えさせない。
- 亀山祐美子
特選句『さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ』今回一番気にかかった一句だが、句会では淋し過ぎて外してしまった。「みんなおり」てしまった「なわでんしゃ」に残っているのは「私」そして、最後に残るのは縄電車だけ。「さくらさくら」爛漫の桜。花吹雪の中私の背後に長々と延びる「なわでんしゃ」。まるで自分の影の様に。まるで人生の足跡の様に。寂しさがつのる。人生の思い出をひとつひとつ噛みしめるような平仮名表記。字面は「桜の下の子どもの遊びが終わった」だけなのだが、人は死ぬまでいろんなことして遊ぶんだろうな。最後に残る縄電車。私は、どんな一句を遺せるのだろう。寂寥感溢れる切ない佳句。三月の島田章平さんの『ははははは ははははなれて 花は葉に』がどうも頭から離れません。昨夜ふと思ったのですが、『葉葉葉葉葉 葉葉葉離れて 花は実に』まあ、平仮名表記の方が軽やかさが出ます。間違いなく。しかし『母は母 母は離れて 花は葉に』とも取れ、解釈が百八十度違ったものになる。特に「母は離れて」にこだわりを覚える。桜の樹から離れて日常に戻るのか、母という肉体から精神が離れたのか、この世から離れたのか。漢字表記なら想像力が発揮されるが、平仮名表記で『葉』の解釈だとある意味限定される。どちらにしろ読み手の自由。しかしそこに弱点もある。『母は』ならば私は特選で頂いた。今月の平仮名表記で先月のうやむやが解消出来て幸いです。問題句『ほんとうにかなしいときの豆御飯』「豆御飯」が平仮名なら「さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ」と同じ構成。まっ!十七文字だからね。それはともかく、「さくらさくら」ほど響かないのはなぜか。「ほんとうにかなしいときの」と答えが出してしまい、読み手の想像力が拡がらないから。詠み手の感想文で終わっており、しかも、「豆御飯」が動く。類句類想句多発懸念あり。残念当日の句会での皆様の句評で沢山学ばせていただいております。ありがとうございます。句会報楽しみにしております。
- 野﨑 憲子
特選句「祭り終え夫といただく雛あられ(髙木繁子)」:「祭り終え」に万感の思いが籠る。老夫婦には、すこし硬い雛あられ。ボリッボリッと味わう二つ並んだ丸い背中が見えてくる。特選句「嘴は春暁の川開きをり」一気に詠んだ渾身の一句。この初々しい嘴が、まだ冷たい川面に触れた瞬間、水面から早春の光がどっと溢れだす。希望に満ちた作品である。問題句「太陽が僕の周りを走る春」この〝僕〟は、自分が超越者と思っているのだろう。平明で面白い発想だが、太陽を崇拝している私には、問題句である。 最後の俳句道場へ行ってまいりました。今回は、いつもより少し参加者が少なかったですが、天候に恵まれ、最後の句会では、会場に鶯の声が何度も響き渡り、胸がいっぱいになりました。珠玉の時間をありがとうございました! 先生は河原にゐます百千鳥 憲子
袋回し句会
たんぽぽ
- たんぽぽや母はちょっと徘徊に
- 島田 章平
- 蒲公英や誓い違へて上方へ
- 藤川 宏樹
- できあがりの遅い食堂たんぽぽ黄
- 野﨑 憲子
- 蒲公英や溶接臭きスパークす
- 藤川 宏樹
雑草
- 雑草よ動くな尻がこそばゆい
- 銀 次
- 草朧昨日と違う今日のわたし
- 野﨑 憲子
- 雑草を抜いても抜いても昭和の日
- 田口 浩
- 春宵やふたりで覗く雑草図鑑
- 鈴木 幸江
早苗
- 早苗田よ鳥屋へはどう行けばよい
- 田口 浩
- 早苗田を白棺がゆく人連れて
- 銀 次
- 山の田にドローンの運ぶ早苗束
- 島田 章平
つつじ
- 躑躅紅蓮銃のごときや乳房冷え
- 中野 佑海
- 風たちのかくれんぼ躑躅たんぽぽ犬ふくり
- 野﨑 憲子
地獄
- 青嵐絵巻の中の地獄から
- 男波 弘志
- 地獄なぞ踏んで蹴っては春泥に
- 山内 聡
- 様々の地獄覗いてみたき石鹸(しゃぼん)玉
- 中野 佑海
- お彼岸や地獄帰りの酔つ払ひ
- 島田 章平
信心
- 信心のなくてつまらぬ春卵
- 山内 聡
- 信心は果てなき旅よけもの道
- 銀 次
- 信心をさくらさくらにあげました
- 男波 弘志
- 信心の隅っこ暮し紙風船
- 中野 佑海
朧
- もの忘れ母は朧の今を生き
- 山内 聡
- 探偵とカップ麺食う月朧
- 田口 浩
- 太陽鼓動の中の朧かな
- 野﨑 憲子
- 朧とは曇り硝子に見る裸身
- 島田 章平
- 朧知る齢となりて生きなんと
- 鈴木 幸江
【通信欄】&【句会メモ】
今回の事前投句にも、金子兜太先生の追悼句が寄せられました。今後、ますます熟した追悼句が生れてくると強く感じています。今月の句会は、またいつもの顔ぶれと少し違い、面白い作品や鑑賞が何度も飛び出し、反論するやら感心するやら、会場は何度も笑いの渦でした。とても充実した豊かな時間をありがとうございました。まさに、多様性は俳諧の華、次回がますます楽しみです!
写真は、「海程」俳句道場の会場近くの荒川岸の緑泥片岩の河原です。最後の道場でした。この川岸の景を忘れません。
Posted at 2018年5月4日 午後 03:24 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]