2018年5月4日 (金)

第83回「海程」香川句会(2018.04.21)

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事前投句参加者の一句

    
さくらさくらみんなおりたなわでんしや 島田 章平
塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう? 中野 佑海
深夜のテレビにむかしむかしの春の蝉 髙木 繁子
夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ 谷  孝江
なにを知るアンモナイトや鳥雲に 菅原 春み
肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い 月野ぽぽな
ほんとうにかなしいときの豆御飯 伊藤  幸
表札に風吹きわたり夏近し 松本 勇二
吾もまた水の一族白木蓮 銀   次
サイドミラー花菜あふれてゆく静止 竹本  仰
泪ぬぐいし嫩葉ゆるる唐招提寺 田中 怜子
春の黙醤(ひしお)の島に染まりゆく 野田 信章
海程院太航句極居士春の峠に定住す 河田 清峰
嘴は春暁の川開きをり 三枝みずほ
これからは兜太が春を連れてくる 亀山祐美子
軍鶏を潰して四月一日が暮れました 田口  浩
ピスタチオ朝から齧る万愚節 野澤 隆夫
春の海波音のして淋しくはない 鈴木 幸江
つばめ来よ手首にインクながしたから 男波 弘志
だれかに会いたい遅日の帰り道 夏谷 胡桃
アマリリス発声練習しています 寺町志津子
酒くるうこともあろうよ山桜 藤川 宏樹
人間を孕んでおりしさくらかな 稲葉 千尋
山葵田に流れ着きたるオフェーリア 新野 祐子
太陽が僕の周りを走る春 豊原 清明
コンビニの灯りにわたし海市かな 大西 健司
朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな 河野 志保
端居の空気が古びた絵となった 中村 セミ
若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ 野口思づゑ
桜トンネルここは産道そして祈り 若森 京子
輝きのかけらとなりて蝶のゆく 山内  聡
冷そうめん孫とおとなの話かな 重松 敬子
羅漢さま喉の奥まで花吹雪 増田 天志
紫木蓮思い出積み上げ眠ります 桂  凛火
うららけし生まれた順に足並ぶ 三好つや子
すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い 矢野千代子
あらがへど古りゆく色香紫木蓮 小宮 豊和
烏骨鶏雄一雌二春卵七 高橋 晴子
一人よりみんなが好きなチューリップ 藤田 乙女
囀りの中に他界のありにけり 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」兜太先生は創造主の仲間になり季節を巡らせています。そしてそれは春。私たちに春をプレゼントしてくださるために仲間入りする季節に春を選ばれたのですね。と想像できて安らかな気持ちになりました。ありがとうございました。

藤川 宏樹

特選句「雪は降る肝臓よりもしずかな夜(月野ぽぽな)」:「雪」に「肝臓よりも」をつけて、静かさを表現されていることに感心します。こういう句を拝見すると、「俳句歴が浅く、言葉を知らないから・・・」と言い訳する自分が恥ずかしくなります。

中野 佑海

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆ご飯て、だいたい何かある時に食べますよね。あの豆のゴロゴロ感が胸の支えを嫌増している気がします。涙の塩っぱさが更に良い味付けとなり、美味しいのか美味しくないのか、何も感じなくなって。何で豆ご飯なんだろう。疑問も解答も今迄聞いたこと無い摩訶不思議な食べ物です。やっと答えが出ましたね!!(良かった!無限ループから抜け出せて。)特選句「アマリリス発生練習しています。」良いですね!!このピンと背筋の伸びた、爽やかな回答。あの大きく開いた花はメガホンにそっくりです。さぞ素晴らしい合唱団に成れるでしょう。この所、仕事にかまけて怠惰な生活をしている私に、活力を下さって有難うございました。句会で好きな事を、好きなように話せ本当に嬉しいです。有難うございます。

山内  聡

特選句「たんぽぽの地の声聞くや陽に語り(藤田乙女)」たんぽぽは聞くこともできないし声を出すこともできない。この当然のありえないことをあり得るとする力が詩の力だと思う。たんぽぽは地に根を張り地面から伝わってくる地球の声を聞いている。そして地球の声を伝えんとする相手は太陽。切り取る対象がたんぽぽのはずなのに壮大なスケールも伝えんとするこの掲句。詩の持つ力を最大化させているような心持ちにさせられます。毎回、句会で皆さんの選評を聞くことがなりよりもの勉強になっています。色々な鑑賞の仕方があるものだといつも感心させられるし、次の句会はどんな話が聞けるのだろうかと楽しみな心持ちにさせられます。そして何より句会に参加される方々の多様性と個性に好印象を受けます!

若森 京子

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」一句全体から人生のなりわいの様なものを感じる。醤の島で一生を終える人、又、通り過ぎる旅人にも染まる色があるのであろう。特選句「山葵田に流れ着きたるオフェーリア」清流に透明感のある緑の山葵田は大変美しい。そこにオフェーリアが着いた。この美しい意外性のある発想に魅かれた。

稲葉 千尋

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯で決まり。特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」今日も噛みました。確かに、鉄の匂いだった。この感性をいただき。問題句「コンビニの灯りにわたし海市かな」:「に」はいらないと思う。

増田 天志

特選句「囀や水面に映る昼の星(新野祐子)」聴覚から視覚へ。それも、幻視。メルヘンの世界に、しばし、遊びたい。

田中 怜子

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」兜太先生を思いて。桜は終わりそうだったけど、峠に定住は言い得て妙。特選句「発条開き春海大きくなる」小さな見栄えしない発条と、大きな春の海。気持ちいいですね。瀬戸内海でしょうね。

豊原 清明

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜(寺町志津子)」 思いが籠っている、一句はどの句でも、内容問わず、感動を与える。この一句、強い。自論だが、俳句は誰にでも、何時でも書けると信じる。しかし、この頃、師をなくしたことのショック、選んで下さる俳人、尊敬できる俳句人がいなくなった、虚ろになっていたことを、この俳句で知った。問題句「春あおぞら貨車は十六輌です」好きな一句。ただ、ピンとくるのが、他の句より、 ちょっとだけ、減っているような気がしたが、春の透明感を感じ、それが好きです。

田口  浩

特選句「つばめ来よ手首にインクながしたから」釈迦は麻耶夫人の腋から生まれたと言う。古代人の発想の大らかなところである。〈手首にインクを流したから〉〈つばめ来よ〉の現代人の感性を、麻耶夫人と比べることもないが、これも充分に自由であろう。つばめの羽根の黒味をおびた青いインクが妙に生まめかしい。これで、作中人物が燕尾服でも着て、袖まくりの手首を持ちあげていたら・・・。と話をひろげれば、人間喜劇の一コマが見えてこないでもない。この句の自在性を思いながら、茨木のり子の詩の一節が浮かんできた。〈自分の感性くらい/自分で守れ/ばかものよ〉と言っているが、私たち俳句作りも、忘れてはいけない自戒である。

矢野千代子

特選句「直島のかぼちゃを抱きに四月馬鹿(亀山祐美子)」瀬戸内から眺めるたびに「あのかぼちゃを抱きたいナ」。そう希うのは私だけじゃない…と、意を強くして推しました。特選句「囀りの中に他界のありにけり」この作品は一番好きです。「異界」でなくて日常をたっぷり含んだ「他界」―それが良いなあ。

鈴木 幸江

特選句「塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう?」“塩ショコラの悩み”を、先進国のひとつである日本人の大方が抱えている、何が正しく何が正しくないのかというもやもやした悩みの喩えのだと解釈した。そんな状況に季節の料理をどうぞと差し出す対応に、賢さを感じ頂いた。 “?”にも、強く勧める思いが出ていて効いていると思った。問題句「つばめ来よ手首にインクながしたから」手首にインクを流すのは、自傷行為にも似て尋常ではない。インクの色から、燕をふと思ったのだろうか?そして、燕の飛来を願う心が現れたのだろうか?うまく共感はできなかったが、作者に残る健康な心を感じ、現代人の辛いけど、まだ救いのある心を示唆していると思った。

男波 弘志

特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」鉄 は かなしい 雨の日は いよいよ かなしい でも 鉄は 泣かない すかんぽ みたいに 顔 が ないから「深夜のテレビにむかしむかしの春の蟬」時間軸の移動が闇の中にある 夜に なく 蟬 街 を 太陽 と まちがえたの か「夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ」抜ける ここに 老いの真実がある 年年歳歳何かから、抜け出る、虚体 即 老い「空想にドロップ一粒春浅し」空想 の ではなく に 空想を客体化している。そこがおもろい。「春の黙醤の島に染まりゆく」ここは 小豆島 放哉の死んだ 島 放哉の黙 に 染まる 醤 そう感じている。「人間を孕んでおりしさくらかな」人間 その 業火 が 常念 を 呼ぶ  人間 の 存在 が なければ さくら は さくら ではない。「チョウの収集家もチョウである岐阜へ飛んだ」とにかく真面目にふざけているのがいい それしか 考え られないのが いい 俳諧。

伊藤  幸

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」醤油が特産という小豆島の景を詠ったなんでもない句であるのにも拘らず、得体の知れぬやるせなさを感じるのは、上五「春の黙」のせいだろうか。読む人それぞれの人生観で解釈できる不思議な句だ。特選句「半日を置いてある水夕つばめ」やわらかな夕日が射し込む民家の軒先、ツバメが来て水を飲んでいる。上中下語どれも麗らかで晩春の景が手に取るように浮かび煩雑な日々の中ゆったりした気分を取り戻し癒してくれる佳句だと思う。

野田 信章

特選句「酒くるうこともあろうよ山桜」は山桜の見事さの極まりとその反転としての想念において、人間の本姿の一端が言い止められているかと思う。特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」は現代の疎外感が「海市かな」によって現出している今日性がある。このように二物の配合の意外性が俳諧からの伝統であり、句の鮮度を保つ要点でもあろうかと考えた。

新野 祐子

特選句「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨が鳥かごだとは、うまい直喩ですね。自分の心臓の鼓動を常には意識しませんが、この句を読んで改めて生命の不思議さと、よく働いてくれる心臓にいとおしさを覚えずにはおれません。入選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」「これからは兜太が春を連れてくる」やはり今は、兜太先生の句を詠みたいですね。入選句「新しきナイフの切れ味初燕(重松敬子)」初燕ほど鋭敏な飛翔を見せる鳥はいないです、確かに。問題句「花の下寝転んで読む死刑囚手記(銀次)」:「花の下寝転んで」と「死刑囚」とでは、あまりにブラックなのではないでしょうか。もしかして、この死刑囚とは、金子文子さんだったりして。

島田 章平

特選句「囀りの中に他界のありにけり」金子兜太先生が亡くなられ、二か月が経ちました。今回の俳句の中にも兜太先生を偲ぶ句が数多く見られました。句会に参加されているすべての人の心の中に兜太先生は生き続け、励ましてくださっていると信じます。句会もまた囀り。その傍らの世界で、兜太先生がにこやかに御覧になっておられる御顔が目に浮かびます。     

菅原 春み

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」春の黙、こころが沈んでいるのだろうか。醬の島がなんともいい。特選句「鶯も混じりて秩父終句会」 最終の秩父句会。これを最後に句に詠まれることはないのでしょうか?鶯は誰だったのか?

野澤 隆夫

特選句「烏骨鶏雄一雌二春卵七」漢詩のフレーズみたいです。「卵は春が旬」とか。それも烏骨鶏。雄一、雌二も面白い。特選句「春闌けてぷかぷかどうし登校す」春眠暁を覚えない中学生のワルの遅い登校風景。〝ぷかぷかどうし〟何ともユーモラスです。

河田 清峰

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」春のような温かい包容力のある兜太先生に毎年思い出すことが出来る喜びを素直に連れてくるよいったのが良かった。

大西 健司

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」内容はいい。ただいささか気に入らない。どなたの句かは知らないが、「紅差すを」と きれいに書いてほしかった。「紅差すを祖母忘れじと別れ霜」凛とした祖母の姿が浮かんでくる。特選にいただきながら勝手な言い分で申し訳ない。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」もう少し韻律を調えてほしい。このままでは単なる報告。あえてこういう書き方をしているのかも知れないが、内容がいいだけにもったいない。今回はこのような素っ気ない句が多かったように思う。

夏谷 胡桃

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」。小学生の入学式でしょうか。学校にいる間、生まれた順に出席番号がありました。わたしはいつも1番で嫌だったことを思い出しました。うららけしも子供たちの輝きを感じさせていいと思いました。

竹本  仰

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」戒名がどんと立って、しかもこの戒名、ますます壮健なる息吹きの感じられる、それこそ飛行船であるような、哄笑が降りてくるような、骨太なイメージがふんだんにあって、これが春の峠に衝撃をおこす、それが彼の定住なんだという、何層にも巧まれた、何というか、詩的マンダラの様相を呈していて、芽吹くような静かな笑いを誘います。特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の生まれたての赤ん坊のあなうらがならぶ、それは生れた順というのは当然なんだが、しかしこれは当然ではないんだという、いろんな膨らみのもてる内容かなと思いました。産科にお勤めしていた或る女性は、赤ん坊ばかり並んだ保育室にいると、この中からイエスもヒトラーも出たんだという不思議な思いにとらわれることがあったとそんな回想されていました。「うららけし」と感じたその一瞬の感覚には、もう二度と同じ地点に並ぶことのない、引き返せないこの世の定めという背景も見えているのかなと。特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」葬儀の棺から見えた祖母の生き方なのかと読みました。唇に紅が映える、それは熱っぽい、勝ち気で一途な方だったのではないかと想像します。死に化粧にいつもの通りきりっと引かれた唇の紅を見て、ああ、祖母そのものだと、ぐっと胸にも一筋食い込んできたというところでしょうか。そういう血はまた自分にもと感じることがあれば、いっそう深く刻まれる一筋ではなかったかと。まあ、我々は、こういう残響を心のうちにひびかせながら生きていくものなのでしょうね。

谷  孝江

特選句「若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ」若者たちへの励ましのベルでしょうか。兜太師の声でしょうか。「目覚ましが鳴り止まぬ」に力強さを感じました。若い方々への思い一入です。

松本 勇二

特選句「囀りの中に他界のありにけり」閃きの作品。その通りだと思います。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」風土感溢れる作品で郷愁をさそいます。「一日が」の「が」を取ればなおリズムよく読めると思います。

三好つや子

特選句「人間を孕んでおりし桜かな」満開の桜の下で寝転ぶと、桜の精が腕を広げて包んでくれているようで、赤ん坊に戻っていくような気がします。桜と人がひとつになり、春の訪れを喜ぶ・・・そんなアニミズムを感じさせてくれる句。特選句「春塵と若きデモの声混じる(月野ぽぽな)」 反対のプラカードを掲げ行進している若者の、汗と砂埃にまみれた顔が目に浮かび、青春のひたむきさが伝わってきます。入選句「囀の中に他界のありにけり」春の野山で鳥たちが発する意味不明の言葉を聞きながら、亡き父母や友人の声を思い出しているのでしょうか。座五の言い回しがくどいと思いましたが、「他界」という言葉に強く惹かれました。  

中村 セミ

特選句「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」時間の経過の中の何かを忙しくしているのか何もしていなくてボォーっと考え事をしているのか、そんな中で夜桜がそこにあった。という句かと思いますが、時間の中で埋ずくまるその果てに何かがあって生き返えるような感覚で囚えました。僕はボォーっと考え事にうずくまるとなかなか時間が幾時間経過してもそこから出られなくなるし、やっと出たら夜だったり、台所のスミのキャベツが只ばく然とあったりします。その事は僕にとっては、とても重要な事なので、この句は巧い句ではないですが、命の事を詠んでいる様に思います。特選とします。

野口思づゑ

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の新生児室なのでしょうか、ゼロ歳児の保育園なのでしょうか、赤ちゃんが並んでスヤスヤ足の裏を見せて眠っている、そんな安らかな光景が目に浮かびました。17文字で暖かい気持ちにしていただき感謝です。

藤田 乙女

特選句「春あおぞら貨車は十六輌です(矢野千代子)」 澄みきった春の青空、心も清々しく明るくなります。16輌の貨車には、未来への素敵な宝物がたくさん積まれているように思います。青春を想起させ、明日への明るい希望を感じる句で、とても惹かれました。特選句「なにを知るアンモナイトや鳥雲に」 長い地球の歴史から見ればほんの僅かな人類の歴史、そして、一瞬にも満たない人間の生、確かに人間は、考える葦かもしれないけれど、人間は地球の中のひとつの生命体としてもっと謙虚に自然の中で生きていかなければいけないとこの句から改めて思いました。

河野 志保

特選句「掌にまろき石春が置いて行った(伊藤 幸)」: 「まろき石」という言葉の響きに惹かれた。春のやわらかい風情が伝わる。春が置いて行った石という表現も楽しい。

寺町志津子

特選句「これからは兜太が春を連れて来る」:「どうも死ぬ気がしない」と、常々話されていた兜太先生の突然とも言えるご逝去。未だ信じ切れていない、また信じたくない昨今であるが、桜花爛漫のこの春は、兜太先生が連れてこられたのだ、と思うとふっと心が和らいでくる。来年も、再来年も、毎年ずっと、兜太先生が春を連れてきてくださると言うのだ。掲句に俳句的詩情性があるか、との思いもあるものの、このやわらかな前向きの発想こそ兜太先生への何よりの感謝、追悼の思いに通じるのではないか、と心が温かくなり、特選に頂いた。

桂  凛火

特選句「深夜テレビにむかしむかしの春の蝉」実写のようで実写でないような非現実的リアリティを感じた。深夜テレビと場面を限定したところに鍵があるように思う。巧みさに脱帽。最後の春の蝉がまた切ない。セピア色の昭和の映像の中にいる春の蝉だから「に」という助詞の成功したまれな例のようにも見える 。「むかしむかし」の引っ張り方もいやみなく感じられた。問題句「冷やそうめん孫とおとなの話かな」祖母のことを思い出し。郷愁が感じられて心惹かれました。すごくなつかしい風景です。ただ最後の「かな」が甘すぎるようにも思います。説明プラス詠嘆でない方がいいかもとかんじました。

高橋 晴子

特選句「手に手相石に石相囀れる(三好つや子)」〝手に〟〝石に〟といわなくてもいいような気もするが、人間の生きてきた時間と石のその成り立ちからもたらす長い時間を相という形で発見して比較している処に面白味があり「囀り」が生気を与えている点で成功していると思う。問題句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯の季節感と親しみでいいたいことはよくわかるのだが〝ほんとうにかなしいときの〟はあまりに言葉だけすぎる。この〝かなしいとき〟を具象化した何かで表現すると特選にとりたい。私ならどう表現するだろうかと考えさせられた句だ。

三枝みずほ

特選句「桜トンネルここは産道そして祈り」桜並木が命の誕生、または再生に繋がるという感覚に共感。祈りがその想いを更に強くしている。「囀りの中に他界のありにけり」目を閉じで静かに囀りを聞いていると、そんな気持ちになる。ふと自分がどこにいるのかと。囀りが全てを包んでいる好きな空間、空気。

銀   次

今月の誤読●「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」。「朝が過ぎ」ようやく目を覚まし、枕元のボックスのなかからタバコを取り出し、くわえタバコのままベッドから出る。キッチンに向かい、コーヒーをきらしていたことに気がつく。仕方なくゴミ箱のなかから、ゆうべ淹れて捨てていたペーパーフィルターを拾い上げ、ドリッパーにセットする。湯の沸くあいだにもう一本タバコをくわえる。まずいコーヒーをすすりながらブラインドを指で押し開ける。昼光がまぶしい。ノミ屋に電話し、馬券の注文を入れる。「昼来て」ジャケットに着替える。よろよろと外に出て、さてと、と、これといって行くあてのないのに気がつく。苦笑。どこに行くったってまずカネがない。借金しようにも知人からも友人からも借りつくしているし、質草もない。仕事かあ。働きたくねえなあ。ま、それは明日考えよう。ズボンのポケットをさぐると万札と千円札が数枚あった。パチンコでもするしかないか。夕方まで弾いて、まあまあ浮いた。スーパーに寄って、チーズとウィスキーの安いやつを買う。近所の河原でその安ウィスキーをラッパ飲みしつつ、日の暮れるのを待つ。帰り道コンビニで冷えた弁当を買う。それが「その夜の」晩餐だ。政治にも社会にも、ましてや国際問題などに関心はない。人生などクソだ。生きがいなんて訊くなよな。つまらない説教なんてするなよな。なーんも感じねえ。なーんも考えねえ。そんなオレにも、そんなオレたちにも、そこいら中にいるオレたちにも、世界中のオレたちにも、ああ、降り注ぐ「桜かな」。

重松 敬子

特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」そこだけ残ったコンビニの明かり、これはもう、新しい風物詩と言って過言ではない。一日を終えた人達の、ほっとした空気、それぞれの生活の匂い。海市との組み合わせが、新時代の郷愁の世界を作りだしている。

小宮 豊和

「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨に囲まれた胸部を鳥籠に見立て。鼓動する心臓を小鳥に見立てた。作者にとってはおそらく鼓動は待春そのものであり、この一句の眼目はこの一点にあるものと感じられる。比喩は成功した。しかしそれだけでは詩は完成しない。小鳥と鼓動と待春が、若さと期待と夢を初初しく暗示し、句作の眼目を達成したのであると思う。これは力業なのだ。力業なのだがそれを感じさせず、可憐さを醸成している。また音数は二〇音であるのに、さして違和感を覚えさせない。

亀山祐美子

特選句『さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ』今回一番気にかかった一句だが、句会では淋し過ぎて外してしまった。「みんなおり」てしまった「なわでんしゃ」に残っているのは「私」そして、最後に残るのは縄電車だけ。「さくらさくら」爛漫の桜。花吹雪の中私の背後に長々と延びる「なわでんしゃ」。まるで自分の影の様に。まるで人生の足跡の様に。寂しさがつのる。人生の思い出をひとつひとつ噛みしめるような平仮名表記。字面は「桜の下の子どもの遊びが終わった」だけなのだが、人は死ぬまでいろんなことして遊ぶんだろうな。最後に残る縄電車。私は、どんな一句を遺せるのだろう。寂寥感溢れる切ない佳句。三月の島田章平さんの『ははははは ははははなれて 花は葉に』がどうも頭から離れません。昨夜ふと思ったのですが、『葉葉葉葉葉 葉葉葉離れて 花は実に』まあ、平仮名表記の方が軽やかさが出ます。間違いなく。しかし『母は母 母は離れて 花は葉に』とも取れ、解釈が百八十度違ったものになる。特に「母は離れて」にこだわりを覚える。桜の樹から離れて日常に戻るのか、母という肉体から精神が離れたのか、この世から離れたのか。漢字表記なら想像力が発揮されるが、平仮名表記で『葉』の解釈だとある意味限定される。どちらにしろ読み手の自由。しかしそこに弱点もある。『母は』ならば私は特選で頂いた。今月の平仮名表記で先月のうやむやが解消出来て幸いです。問題句『ほんとうにかなしいときの豆御飯』「豆御飯」が平仮名なら「さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ」と同じ構成。まっ!十七文字だからね。それはともかく、「さくらさくら」ほど響かないのはなぜか。「ほんとうにかなしいときの」と答えが出してしまい、読み手の想像力が拡がらないから。詠み手の感想文で終わっており、しかも、「豆御飯」が動く。類句類想句多発懸念あり。残念当日の句会での皆様の句評で沢山学ばせていただいております。ありがとうございます。句会報楽しみにしております。

野﨑 憲子

特選句「祭り終え夫といただく雛あられ(髙木繁子)」:「祭り終え」に万感の思いが籠る。老夫婦には、すこし硬い雛あられ。ボリッボリッと味わう二つ並んだ丸い背中が見えてくる。特選句「嘴は春暁の川開きをり」一気に詠んだ渾身の一句。この初々しい嘴が、まだ冷たい川面に触れた瞬間、水面から早春の光がどっと溢れだす。希望に満ちた作品である。問題句「太陽が僕の周りを走る春」この〝僕〟は、自分が超越者と思っているのだろう。平明で面白い発想だが、太陽を崇拝している私には、問題句である。  最後の俳句道場へ行ってまいりました。今回は、いつもより少し参加者が少なかったですが、天候に恵まれ、最後の句会では、会場に鶯の声が何度も響き渡り、胸がいっぱいになりました。珠玉の時間をありがとうございました! 先生は河原にゐます百千鳥 憲子

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

たんぽぽ
たんぽぽや母はちょっと徘徊に
島田 章平
蒲公英や誓い違へて上方へ
藤川 宏樹
できあがりの遅い食堂たんぽぽ黄
野﨑 憲子
蒲公英や溶接臭きスパークす
藤川 宏樹
雑草
雑草よ動くな尻がこそばゆい
銀   次
草朧昨日と違う今日のわたし
野﨑 憲子
雑草を抜いても抜いても昭和の日
田口  浩
春宵やふたりで覗く雑草図鑑
鈴木 幸江
早苗
早苗田よ鳥屋へはどう行けばよい
田口  浩
早苗田を白棺がゆく人連れて
銀   次
山の田にドローンの運ぶ早苗束
島田 章平
つつじ
躑躅紅蓮銃のごときや乳房冷え
中野 佑海
風たちのかくれんぼ躑躅たんぽぽ犬ふくり
野﨑 憲子
地獄
青嵐絵巻の中の地獄から
男波 弘志
地獄なぞ踏んで蹴っては春泥に
山内  聡
様々の地獄覗いてみたき石鹸(しゃぼん)玉
中野 佑海
お彼岸や地獄帰りの酔つ払ひ
島田 章平
信心
信心のなくてつまらぬ春卵
山内  聡
信心は果てなき旅よけもの道
銀   次
信心をさくらさくらにあげました
男波 弘志
信心の隅っこ暮し紙風船
中野 佑海
もの忘れ母は朧の今を生き
山内  聡
探偵とカップ麺食う月朧
田口  浩
太陽鼓動の中の朧かな
野﨑 憲子
朧とは曇り硝子に見る裸身
島田 章平
朧知る齢となりて生きなんと
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

今回の事前投句にも、金子兜太先生の追悼句が寄せられました。今後、ますます熟した追悼句が生れてくると強く感じています。今月の句会は、またいつもの顔ぶれと少し違い、面白い作品や鑑賞が何度も飛び出し、反論するやら感心するやら、会場は何度も笑いの渦でした。とても充実した豊かな時間をありがとうございました。まさに、多様性は俳諧の華、次回がますます楽しみです!

写真は、「海程」俳句道場の会場近くの荒川岸の緑泥片岩の河原です。最後の道場でした。この川岸の景を忘れません。

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