2020年5月24日 (日)

第106回「海程香川」句会(2020.05.16)

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事前投句参加者の一句

オーイオーイと宙(そら)割って穀雨の列車 伊藤  幸
顔真黒な我を溺れる薄暑かな 豊原 清明
声高な正義白い花咲く蛇いちご 増田 暁子
行く春やキリンの首の一つ分 河田 清峰
人であることを忘れるほど桜 月野ぽぽな
一人づつ呟きに来る冷蔵庫 小山やす子
一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮 若森 京子
かしこまって父と苺をつぶし合う 竹本  仰
ハーモニカつばめのように帰れない 夏谷 胡桃
本当は遠泳したい鯉のぼり 野口思づゑ
ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな 石井 はな
新緑や歯と歯ぶつかる音がして 河野 志保
筍や五月の空を昇る意志 小宮 豊和
春昼の獏に利き足舐められる 伏   兎
ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく 銀   次
茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに 野田 信章
いま芽吹くブナはますらお触れてみる 新野 祐子
雲雀来て言い足らぬ空ありまして 佐孝 石画
麦秋や列島女人の寛ぐ態 高橋 晴子
亡き母の着物取り出す更衣 漆原 義典
さざなみのルーズソックス 卒業す 矢野千代子
無症状蒲公英絮毛感染者 藤川 宏樹
曳き波に十六歳の切手貼る 中村 セミ
昼暗し日本くらし春の猫 稲葉 千尋
待合に時計のくるふ蝶の昼 小西 瞬夏
素因数分解しても春キャベツ 増田 天志
初夏のジュゴン祈りのようにかな 桂  凜火
万緑や十指に余ることばかり 寺町志津子
不作為の未必の故意の春流れ 滝澤 泰斗
行く春がするりと抜ける日々なりき 田中 怜子
この時季に「第九」歌ふかコロナの禍 野澤 隆夫
流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる 十河 宣洋
黒猫の舌は退屈みどりの日 高橋美弥子
茶髪のひとりは百日紅にもたれ 久保 智恵
山藤の空に溶け入る時間帯 柴田 清子
白鷺の頸の仕組みと襞マスク 森本由美子
アパートの躊躇い傷となる金魚 男波 弘志
春夕焼めくるといつも泣いている 榎本 祐子
しづかさや山羊の聲なく草茂る 鈴木 幸江
模造紙を広げ夏蝶呼びよせる 三枝みずほ
花つけしトマトあしたの靴選ぶ 菅原 春み
麦笛を吹くたび貨車のやってくる 重松 敬子
もしかして君はともだち夏来る 高木 水志
うがい手洗い観音さまの聖五月 荒井まり子
目覚めては恋に恋する夏の蝶 藤田 乙女
家に居て山椒魚のようにかな 吉田 和恵
木になろか石にならうか風薫る 亀山祐美子
葉ざくらとなりまた別のこころざし 谷  孝江
間違いは誰にもあって薔薇を買った日 田口  浩
観光立国崩壊しつつ夏来たる 稲   暁
霾るや祈る空海長安に 島田 章平
熊野暗緑蝶々は海の遺書ならん 大西 健司
スヌーピーってすごく哲学こどもの日 中野 佑海
角だすもすずめになれぬカタツムリ 田中アパート
鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝 松本美智子
田水張る仏間に風を入れてから 松本 勇二
くちなはの口に飛び込む大日輪 野﨑 憲子

句会の窓

十河 宣洋

特選句「さざなみのルーズソックス 卒業す」ルーズソックスのさざ波は上手い。教員時代、ルーズソックスには色々悩まされてきたので、この捉えに共感する。このさざ波はソックスそのものの波というより、それを身につけている少女の心のさざ波であり、周りの人たちの立てる波でもある。特選句「間違いは誰にもあって薔薇買った日」俳諧味の強い作品。これくらい大らかな人が好きである。薔薇を買ってその日のデートは上手くいったのか。最近は花束などよく見かけるが、私の時代は花は贅沢なものと言う感覚が強い。それを買って彼女に届けたのだから結果は見えている。それが間違いだったと、苦笑いしている程度の軽さである。

豊原 清明

特選句「ハーモニカつばめのように帰れない」ハーモニカを吹く人の哀歌か?もうこの時代から昔の時代には帰れないという、当たり前のことだが、「帰れない」に共鳴。問題句「脆弱なマスク聖人新世紀(藤田乙女)」:「新世紀」と聞いて、いま「新世紀」やったと再確認する。「マスク星人」が意味ありげ。もう終わりのような世界を客観で描く。

桂  凜火

特選句「もしかして君はともだち夏来る」新しい出会いの時、気が合うかなと期待と不安が入り混じる。そんなドキドキ感が伝わりました。「もしかして」という導入部分が好きです。「夏来る」の季語もよくあっていると思います。特選句「木になろうか石にならうか風薫る」新緑の中でじっと風に吹かれていると、自分も木や石に同化できるような気分になることがありますが「木になろうか石になろうか」と書くことでその気分がよく出ていると思います。ふと金子先生の「酒止めようか、どの本能と遊ぼうか」のフレーズを思い出しました。

若森 京子

特選句「春夕焼めくるといつも泣いている」夕焼は大変センチメンタルな情感を湧かせてくれるが、特に春の季節は感情の起伏の激しい時の様だ。「めくるといつも泣いている」の措辞がとても上手い。特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」子供にとってスヌーピーが大変哲学的であるとの発見に驚いた。「子供の日」の句では、私にとって新しい出会いだった。

小山やす子

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」心踊る花の世も終わり葉桜の季節となり又違った角度から自分を見詰め直した新鮮さが伝わって来ます。

増田 天志

特選句「春昼の獏に利き足舐められる」吉兆なのか。それとも、悪夢の予兆なのか。無用の用に、想像力は、喚起される。

中野 佑海

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」自宅にいると、冷蔵庫が何故か気になるのです。何か食べたいわけでもない無いのですが。直ぐ何か探しに行って、欲しいものは行ってから探すくらいの。あれって、一種の鬱憤ばらし?ブツブツ言いながら結局は麒麟か朝日か鳥居さん探していませんか?内の冷蔵庫はいつもばりばり入っているので、結局、食べたいものを探し出してむしゃむしゃ。自宅待機の日数とともに、下腹が。特選句「人であることを忘れるほど桜」桜の俳句は逃しません。咲き始めたら、近くの民家の一本桜、神社の一本桜。好きなだけ触って、眺めて、匂って、酔うほどに堪能。今年はうまい具合に咲き出してから、寒い日が続き一か月近くも楽しみました。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」列車は空気も何もかもなぎ倒して進んで行く。でも、絶対信号機がカンカン鳴ったら、手を振り見てしまう。「ハーモニカつばめのように帰れない」小さい頃はハーモニカを上手くチュルチュル吹いていたけど、今は口も手も上手く連動していかない。燕返しのように。「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」さらさらと鳴る葉擦れの音の涼しさよ!「筍や五月の空を昇る意志」出ました上昇志向。つくしは龍に、たけのこは鯉幟の竿に、麦は麒麟に、私は冷酒で天国かはたまた地獄か!「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」一体全体どういうシチュエーションなのか?学校休校の折親孝行ですね。でも、5月の空にモップと雑巾は結構シュールだ。「行く春がするりと抜ける日々なりき」今年は京都も吉野も弘前も桜を思う存分観に行くぞと思いきや、近場で終わりました。こんなにゆっくり誰もいない観光地って有り?残念。「老い集うベンチ青葉風の糖度(小山やす子)」ばあさんたちは甘いもの大好き。必ず煎餅、飴ちゃん、饅頭、等々。忘れません。「こんなにも甘い甘茶の灌仏会(田中怜子)」灌仏会の甘茶って本当に甘いよね。仏さまって本当に優しいんだろうなって思います。 

矢野千代子

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」まず、「田水張る」「仏間」で、ふだんの生活習慣などが彷彿とうかびます。その景がそのまま詩になり、こころにひびく作品になりました。

小西 瞬夏

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」最初は問題句候補でした。それが、なんども読むうちに、童話的な世界感と、子どもたちのたくましさ、健気さのようなものが感じられ、一行詩的ではありますが、心にすとんと落ちてきました。

鈴木 幸江

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」滑稽の中に、日常の真実と発見が二つも入っていて、お見事。私も子供のころ少し酸っぱい苺に牛乳と砂糖を掛けて、それ仕様の特別な匙で家族で潰しながらよく食べた。その時の人の姿が過不足なく描写されている。人とは滑稽な生き物であることを再確認した。“かしこまって”に苺に対する敬意があるのだ。“つぶし合う”の措辞にささやかな罪の意識と闘志も必要だったことが伝わってくる。今の甘い苺をそのまま食べるとき、そういう食べ方をしていた頃を不思議と思い出す。あの時の違和感の謎が解けた思い。今している様々なことも、時が経てばその謎が解ける日が来るかもしれない。長生きをせねば。特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」たらたらとした結句に気持ちがよく出ている。言葉でどう表現しようが気持ちをそのまま伝えることなどできない。それほど人の気持ちは今、一瞬、その時のもので奥深い。言葉にはならない部分が残る。身体の表現を加えてもうまく伝わらない。雲雀だってそうだ。空高く必死で鳴いているだろうがきっと同じ思いでいることだろう。ある必死さに、同じ生きるものとして哀れを感じつつも力も頂いた。問題句「曳き波に十六歳の切手貼る」夏の砂浜の引く波に十六歳の時買った切手を貼って流した。そのイメージの世界に作者の淡い青春の苦悩が偲ばれる。でも、“十六歳の切手”と“貼る”の措辞がどこか投げやりで、まことに勝手なことだと思うが、残念な気がしてしまった。チェックした句「顔真黒な我を溺れる薄暑かな」「蛙溺れて生尽くす朝夏草(豊原清明)」「春夕焼めくるといつも泣いている」「角だすもすずめになれぬカタツムリ」「くちなはの口に飛び込む大日輪」

藤川 宏樹

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」十六歳がまだ憧れだったころに見た“The Sound of Music”。ガラス張りの四阿屋で電報配達夫の彼と踊る“Sixteen Going on Seventeen”。人生の目標が夜空の星ほど遠かった当時から半世紀を過ごしたが、「十六歳の切手貼る」に座席の固さまで蘇った。作者の思いから離れた鑑賞になると思うが、俳句の力を実感した。

佐孝 石画

特選句「新緑や歯と歯ぶつかる音がして」鮮やかな若葉を風になびかせ、新樹らは佇つ。「山笑う」の語があるように、それらの立ち姿は快活でリラックスしているかのように見える。しかし彼らの実態は、固い冬芽を破り、己が内蔵を引きずり出さんばかりに転生した、苦悶の果ての絶唱。「新緑」に硬質な響きを感じ、「歯」のぶつかり合いという幻想を見た作者の感性に、大いに共感する。ちなみに、僕も30年ほど前に「軋る音して欅青葉の窯出しです」という句を作ったが、この句のような「痛み」「焦燥感」にまでは食い込んでいなかったように思う。特選句「流離のよう蝶の軌跡のふうっと変わる」:「蝶」の存在自体、「流離」でもありそうだが、この句の場合、「ふうっと」に臨場感をともなってくる。それは作者の流離感覚との共振。かつて金子兜太先生が「定住漂泊」とことばしたその感覚。景物に憑依し憑依されることで、日常から少し離れた異空間へと「流離」するその感覚の裏側には、やはり動かぬ「生」と「死」という基軸があるように思う。その振り幅のなかで、現在地を振り返りつつ、日々「にんげん」は暮らす。浮沈しながら飛ぶ蝶の軌跡に「流離」があるのではない、「流離」を感じてしまう自分も含めた「にんげん」の不思議に作者は呆然とするのだ。

夏谷 胡桃

特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」。ふだんは畑仕事をしているわたしだけど、あしたは仕事で大事な人に会うのよ。大事なのは靴よね。初夏らしい靴はないかしら。そうだマニキュアも塗って…。ああ、爪に土が入っている爪が割れている。急いで爪の手入れしなくちゃ。特選「田水張る仏間に風を入れてから」。遠野にやっと春が来ました。田水を張っているところです。長く閉ざされていた仏間の戸を開けて風を通します。古民家には無駄に大きな仏間があります。昔は法事も祝い事もその部屋に人が集まったのでしょうが、いまは料理屋の座敷で行います。もう人の賑わいのない仏間です。遠野の春の風を入れると、仏間に飾ってある亡き人たちが笑った気がしました。物語がイメージできるふたつの俳句でした。

滝澤 泰斗

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」コロナ禍のテレワークかゴールデンウィークか、家族がみんな揃っている午後、大人も子供も銘々が冷蔵庫の前に来て、何かを取るか、見るかしてぶつぶつ呟いてゆく日常の中の一コマをうまく切り取ったと思いました。特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し(重松敬子)」いささか気障ですが、南フランス・エクサン・プロバンスのセザンヌのアトリエを思い出しました。セザンヌがスケッチをしている静物の果物や野菜。そして、裸婦像の絵など雑然とした部屋の佇まいの窓辺に夏の日差しが短めに・・・洒落た句です。「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」印象的な句に違いありませんが、オーイオーイの主体がわからず、取れませんでしたが、気になる一句でした。

大西 健司

特選句「ぞうきんとモップを持って五月の子らがゆく」何でも無い光景だが、絵本の中の一行のように心に残る。でも俳句としては未完だろう。だけど定型に収めると魅力が消えそうな気もする。そんな危うさで特選に。

伊藤  幸

特選句「指十本足し算引き算鯉幟(亀山祐美子)」ステイホームだ自粛だと叫ばれる今日この頃、このような句に出逢うとホッとする。幼児が指を使い懸命に足し算引き算する様子が景として浮かび上がり思わず笑みが込み上げてくる。特選句「くちなはの口に飛び込む大日輪」余り好まれぬ蛇と地上に光をもたらす太陽との取合せが見事にコラボして、物理的にはあり得ぬ口に飛び込むという発想が功を奏している。

野澤 隆夫

特選句「素因数分解しても春キャベツ」春キャベツを素因数に分解したらとの発想が面白い!そんなこと考えもしないし…。素数に分解してもやはり春キャベツ。さて素数って…。2・3・5・7・11・13・17…。もう一つの特選句は「不作為の未必の故意の春流れ」現政権の政治の流れがまさにその通りと指摘されてる。「不作為」と「未必の故意」…そうですね。

高橋美弥子

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父親と苺を食べようとすると、なんだかかしこまってしまう。なんかこんな時がわたしにもあったなあと思いました。家族の日常をこんなふうに切り取れていて、好きな句です。問題句「 張りぼての青空泳ぐ鯉のぼり(石井はな)」張りぼての青空、は折り紙か何かのことを言っているのか、特別な意味があるのか、どちらなのか読みきれませんでした。子どもが作った鯉のぼりのように素直に読めばよかったのかな・・・。

中村 セミ

特選句「旱星てのひらに水うごきだす(小西瞬夏)」旱星は、雨のないひでり続きの夜に見える強い光りの星の事とある。晩夏の季語。調べて見れば旱星の句はかなりある。この句も<てのひらに水うごきだす>で旱星との対比をよく出していて面白いと思う。特選句「少年は夏の匂いを落として行った(伊藤 幸)」まるで、西脇順三郎の詩の様で、<夏の匂いを落とす>は何を示しているか考える楽しさに集約されているように思う。僕にはよく分からないが、夏の匂いは、確実に形として作者の頭の中に残っているだろう。恋愛かもしれないし、ちょっとしたアルバイトの経験かもしれない等々―人生の一つの経験として、こういった事もあったと、おそらく作者(誰かしらないが)60代の方が云っているのだろうと推測しました。「人であることを忘れるほど桜」桜がたわわと果実の如たれ下っているのを見ると悲しく嬉しく、何とも云えぬ気持になる。生きていてよかったに尽きる白い桜。

松本 勇二

特選句「うがい手洗い観音さまの聖五月」今や必須の日常であるうがい手洗いと、合わせた観音様の距離感が巧み。どこか明るい作者像も見えてくる。

稲葉 千尋

特選句「蟻をみて今日五〇〇円稼ぎます(夏谷胡桃)」唐突に見えますが蟻を見て今日もがんばるぞの気持が見えます。五〇〇円が楽しい。

榎本 祐子

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛を吹くたびに、貨車はどこからかやって来て目の前を過ぎ、どこかへ去って行く。時間が流れるように、又は郷愁のように。人の姿が見えない貨車に作者の孤心を思う。

寺町志津子

今月の、コロナ禍による異常な暮らしの日々やその思いに関する作品の数々に、コロナ禍の一刻も早い終息を願いながら、いずれも実感的に共感いたしました。特選に頂いた「田水張る仏間に風を入れてから」。作者のお宅は、代々、稲作を業とされているお家と想像されますが、作者のお宅では、ご仏壇に手を合わせて、先ず、ご先祖様のご冥福をお祈りし、同時に、本年も豊作であるよう手を合わせられ、ご先祖様が居心地のよいよう仏間に風を通してから作業にいかれるご様子に、ご先祖様を大切にされ、真摯に田仕事をされている光景が、鮮やかに目に浮かび、心打たれました。きっと、代々その様にして耕作を続けてこられたことでしょう。とても爽やかな気分になりました。

田中 怜子

特選句「五月来と海は両手を広げ待つ(菅原春み」目の前に海が広がる気持ち良い句で、今の鬱屈した世情を開放する。「はかま脱ぎ笊にもつれる土筆かな(森本由美子)」笊にしんなりと茶色のつくしが目に浮かびます。もつれると表現したのがおもしろい。「家に居て山椒魚のようにかな」山椒魚といったのがおもしろい。どろんどってり、小さな目はくるくると動いて、今の世とは真逆な動きがいいですね。「田水張る仏間に風を入れてから」さーっと、気持ちよい風が流れてくる、そして仏間とは、地方の折り目正しい生活ぶりが窺われます。

島田 章平

特選句「裸婦とレモン アトリエは夏の兆し」。「智恵子抄」を思わせる一句。まだ、若い智恵子の鮮やかな姿が浮かんで来ます。見事な作品ですね。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」。多分、まだ亡くなって時間が立っていないのでしょう。亡き母の遺品の整理で、母の箪笥を開けた時に、思い出のある母の着物。思わず手に取って、母の思い出を忍びます。心情溢れた佳作です。

河野 志保

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と娘を想像した。「かしこまって」がユーモラスで幸せな場面を演出していると思う。温かい気持ちになる句。

重松 敬子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」本当にスヌーピーは、子供の漫画には珍しく哲学的ですね。我が家でも子供たちが好きでした。哲学とは思わず、実は哲学を楽しんでいた、みたいな・・・・。子供達の応しゅうの理屈っぽい面白さ。うまく一句にまとまっていると思います。

伏   兎

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」穀雨のなか、車両をいくつも繋げ、野山を走っていく風景は絵本的で、ユートピアを感じる。上五のオノマトペに、宮沢賢治の世界を彷彿させるものがあり、注目。特選句「カプチーノデカルト妻に春惜しむ(中野佑海)」カプチーノ、デカルト、妻という想定外の取り合わせに面食らったが、鑑賞する側の心に化学反応を起こさせる巧みな句。春ならではのアンニュイも漂い、趣深い。入選句「曳き波に十六歳の切手貼る」高校時代のそれぞれの一年は、大人になってからの一年と厚みが違う。この句の十六歳は高校二年生の三学期だろうか。多感な世代の気分が描かれ、心に刺さった。

田口  浩

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」:「新は深なり」と言う。この句<また別のこころざし>の発想が新しい。<葉ざくら>から、このような世界を生む感性がうらやましい。「老い集うベンチ青葉風の糖度」<青葉風の糖度>を見てうれしくなった。「アパートの躊躇い傷となる金魚」ソウトモソウトモソウダンベ と掛け声ならぬアイヅチを打つ。「木になろか石にならうか風薫る」風薫る、はこう言う風であろう。「鬱抜けてシャワーは熱く夏の朝」夏の朝がいい。巧みな作品であろう。

石井 はな

特選句「茅花流し逢へないのかなもう君に(野﨑憲子)」平静の時ならば「もう逢へないのかな」も、軽い別れに感じるだろうと思うのですが、今の新型コロナに覆われている時には、心にずしんと響きます。入院したまま面会も出来ず、死に目にも火葬にも立ち合えず別れを迎えてしまった方々の気持ちに思いが至ります。 

田中アパート

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」不要不急の私には・・・・?なぜ曳き波なのか一日中考えたのですが。

月野ぽぽな

特選句「雲雀来て言い足らぬ空ありまして」雲雀の囀りはただ事ではありませんね。途切れる間なく鳴くのは「言い足りないほどの空」だからなのですね。「言い足りないほどの空」の詩的措辞が効いていて俳句的切れの形を取らずとも一句に密度を生み出していると感じます。言いさした感じも、雲雀の饒舌さを思わせたり、ちょっととぼけた俳味を生み出すのに効果的。

竹本 仰

特選句「万緑や十指にあまることばかり」いい季節となると、表の快さと同時に裏面の濃いゆううつも有り余って寄せて来る。若い頃だと五月病、それは若い年齢とは限らない。否、若さがあればいつだって五月病はある。養老孟司氏が言っていましたが、不安というのは消えない、それは生きている証しだからと。生きているからこその不安、正直にひたるしかないか。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」トマトに黄色い花がつく、その微妙な頃合いを、では人は?人は人とのつながりの中に開花する。その清新な思いが、靴につながってくる。この辺のストーリーが面白い。そういえば、『風と共に去りぬ』でも『野火』でも、軍靴の出来が悪いと、すぐ底がぬける、ぬけると一気に兵士は気力を失うとあった。そんなことを思い出した。特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」貨車はその音のようにカシャカシャという音を立てて過ぎ去る。何だか過ぎ去ると、妙にさびしいのはなぜかといつも思う。だが、この句は麦笛を吹くと、貨車のやってくる予感がするというのだ。このワクワク感、たまりませんな、と言いたいのを感じる。若さはいつもそうやって来るからだ。人がいない貨車でも、旅立ちのふと湧きあがる瞬間を感じる。あこがれの原形のようなものを感じさせる句だ。特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田に水を張ると、なにかひと安心だ。非常に清々しく、その水面に万物が吸い込まれてゆくような快感がある。この恵みはどうにもこうにも祖先の目線と合った同じものとしか思えない。自分も祖先になりきって、同じ清々しさを味わおう、その先はけっこう辛いのだけれど。そんな心持ちを感じた。以上です。

今回は、コロナと郷愁とが目立ちましたが、何というのか、それって融合できないのかな、みたいなヘンなことを思いましたが、これも獏に足をなめられたのかも。コロナも終息への期待大なる世相ですが、みなさま、重々お気を付けください。昨夜、コロナの元凶はお前だ、みたいな夢を見て、やっぱりそうだったのかと反省する自分がいて、目が覚めました。その時示された赤い文字がまだ残っています。いやはや。サンポートホール高松での句会の復活を祈っております。

菅原春み

特選句「ぽつねんと遺骨置かるる暮春かな」味わい深い景だ。春に夕闇が忍びよんでいるのか、春の終わりか、なんとも茫漠とした感じがいい。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」亡くなった母上の着物を取り出し、思わず羽織ってみたのか、あのときの思い出に浸ったのか、静かだ滋味あ滋ふれる季語で詩的発火した。

野田 信章

特選句「昼暗し日本くらし春の猫」春は猫の季節。個的内向きには「昼暗し」で納まっていたものが「日本くらし」と視野を拡大せねばならないところに今日のわれらの生と句作りの一態があることを示唆してくれるものがある。「非常の日常令和の月おぼろ(荒井まり子)」の一句も将に今日の句として味読しました。特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」コロナ騒動の蟄居状態の中でこの句を読んでいると、動画の機関車トーマスの一場面も想起されて屈託のない応援歌として読めた。二十四節気の「穀雨の列車」としての起用には意外性のおもしろさもあり、一句の鮮度を高めていると思う。

野口思づゑ

特選句「かしこまって父と苺をつぶし合う」父と子にあるちょっとした距離、それでも仲の良さが感じられる微笑ましい句。特選句「亡き母の着物取り出す更衣」ちょうど友人たちと、メールで母が残した着物が話題になっていました。皆が、処分すべきなのでしょうけどなかなかできずの悩みを抱えていたのですが、この方はお母様の着物を身につけられのですね。お母様を思い出す情感が伝わってきます。

 香川県は自粛が解けたようでよかったですね。これで来月の句会の希望が見えてきましたね。シドニーも3段階の規制解除が今日から始まり、5人までの来客が許されたので週末に友人が来る予定です。そちらは新緑が美しい頃でいい季節ですよね。こちらは日が短くなり、朝晩はぐっと冷え込みます。ストーブを出しました。

高木 水志

特選句「老い集うベンチ青葉風の糖度」長い間友達として交流してきたお年寄りたちの楽しい会話を青葉の香りが優しく包み込む風景が見えて心地よい。

森本由美子

特選句「オーイオーイと宙割って穀雨の列車」緑うねる農業地帯、SLらしき列車がどこからともなく。穀雨という季語選びと、メルヘンを越えた自由な発想にひかれました。特撰句「人であることを忘れるほど桜」油断すると異次元につれていかれそうな溢れる妖しさを詠んでいるのでしょうか。準特撰句「かしこまって父と苺をつぶし合う」めったに向き合うことのない父と娘。苺をつぶすごとに、そのフレッシュな香りが会話の代わりに空間を満たしていく様子がうかがえます。きりっとして好感のもてる句です。

日本はかなり大幅に自粛をといてゆくようですね。NY はまだだいぶ時間がかかりそうです。どちらにしてもこれからの道のりは厳しいことでしょう。そんな中いろいろお世話をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。Eメールで投句できるのはとてもありがたく思います。

小宮 豊和

特選句「一メートルづつ離れ臠(ししむら)紫木蓮」この句、肉塊が各一メートルの間隔をとって並んでいるというのだ。そのことに作者の感情はほとんど動いていないように思う。感染を避けるためだけの肉体の配置だ。作者の感覚は季語、紫木蓮に凝縮する。この紫木蓮は評者の知る限りでは、これ以上適切な表現は無い。色彩感覚、生命感覚、生きるということの悲しさ、いとおしさが伝わってくる。

増田 暁子

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」16歳の自身に手紙を描いているのか。曳き波がとても良いですね。特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母(松本勇二)」いつも遠くで雉子のような祖母。慈愛に満ちた姿が眼に浮かびます。

新野 祐子

特選句「声高な正義白い花咲く蛇いちご」:「私の責任で」などと言って正義を振りかざす為政者と、(誰が名付けたのか蛇だなんて)可憐に咲くいちごの花の対比が、今の情況を表す例えとして冴えているなと思いました。入選句「本当は遠泳したい鯉のぼり」同じことを私の身体が熱望しています。入選句「脆弱なマスク星人新世紀」殺菌すればするほど強い菌が現れるのが自然界の仕組みなのではないでしょうか。新型コロナの出現は人間のおごりの証しかな、などと考えたりします。土と共に生きて免疫力を得ることが、これから大事なのかもしれませんね。生き物はすべて土に還りますから。

河田 清峰

特選句「麦笛を吹くたび貨車のやってくる」麦笛と貨車が郷愁さそって懐かしい。もう一つの特選句「いま芽吹くブナはますらお触れてみる」:「二十日月男を箸で突いてやろ(大石悦子)」の句を思い出した!よろしくお願いいたします。

谷  孝江

特選句「曳き波に十六歳の切手貼る」詩情豊かな句でしょう。遠い昔の記憶の中に戻ってゆきました。毎日コロナの不安の中にいて、ほっと一息つける句に出合えて嬉しかったです。ありがとうございます。

稲   暁

特選句「茅ばなぼうぼうマスクの街を遠巻きに」晩春・初夏となっても街はマスクを付けた人達で溢れている。新型コロナウイルスの脅威はまだまだ止まない。問題句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」確かにスヌーピーは哲学犬的雰囲気を持っていると私も思う。彼は現在のパンデミックをどう捉えているのだろうか?

久保 智恵

特選句「行く春やキリンの首の一つ分」優しくほっとします。

漆原 義典

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」讃岐平野の田んぼでは、ため池からの灌漑用水で、6月に入ると田水を張り、田植え真っ盛りになります。私もその頃田植えをします。この句は私の心境です。中7の仏間に風の言葉に感動しました。ありがとうございました。

三枝みずほ

特選句「田水張る仏間に風を入れてから」田水を張ることと仏間に風を入れることが人と自然との交わりを思わせる。儀式めいたものではなく、とても素朴な繋がりを感じた。

亀山祐美子

先月以上にコロナ禍の句が多かった。日本列島どっぷり。句評をしようにも「何やらわからぬ不安感が押し寄せて来る」ものに共感した。特選句『待合に時計のくるふ蝶の昼』中七の「時計のくるふ」の「くるふ」の平仮名三文字が秀逸。不安感を煽る。秒針の時を刻む音が耳朶に響く。待合は病院の待合に違いない。楽しい待ち合わせ場所のはずが無い。蝶を「夜の蝶」と解釈するのは深読み過ぎるか。ともあれコロナ禍に「くるふ」人の世を二重三重に包む冷徹な蝶の複眼が鮮やかな秀句。『チューリップ歌って笑って娘たち(吉田和恵)』『花つけしトマトあしたの靴選ぶ』は明るくて好きな一句です。「蟻をみて今日五百円稼ぎます」は何だかあざと過ぎて好きになれなかった。 ☆まだまだ続く自粛。暑くなったり、寒くなったり着たり脱いだり。俳句のおかげで何とか持っています。句評楽しみに致しております。皆様ご自愛くださいませ。

高橋 晴子

特選句「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」冷蔵庫でこれだけ人間を表現出来るとは思わなくて、さしたることは何もいっていないのに面白くて共感した。いろんな声が聞こえてきて不思議な句だ。問題句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』:「コロナの禍」という表現が正しいかどうかは一応問題外として、いつ誰が「第九」を歌おうと「第九」は単なる音楽?何か〟悪いことをしているような正義感ぶった姿勢こそ問題。たとえ密をいわれているのでも最大の注意を払って普通の人が普通に歌っているのであれば悪くはない。こういう一人一人の余計な御節介が。正義感ぶる心が、問題を生むといいたい。?「俳句をやるような人はその位で四の五の言うな〟と言いたい。もっと大らかに、こんな時季だからこそ、「第九」結構ですね。

松本美智子

特選句「スヌーピーってすごく哲学こどもの日」:「スヌーピー」といった俳句にはおよそ詠めない言葉をうまく「こどもの日」という季語と結び付けていると思います。本当にアニメのなかには奥が深いなあと考えさせられるものがありますね。 

荒井まり子

特選句「無症状蒲公英絮毛感染者」終わりの見えない今日。感染しても無症状があると。恐ろしい。蒲公英の絮がコロナウィルスと重なる。ウィルズコロナ、アフターコロナに戸惑うばかり。 

男波 弘志

特選句「葉ざくらとなりまた別のこころざし」老いには老いの花がある。成熟の花が。世阿弥のことばだが。「一人づつ呟きに来る冷蔵庫」扉を開ける、その行為を人は繰り返している。深夜に開く扉にも何かがある。「間違いは誰にもあって薔薇を買った日」間違い記念日、とは凄まじい生への執着を感受すればよい。

吉田 和恵

特選句「一メートルづつ離れ臠紫木蓮」コロナはともかく、このところ木蓮の花が肉塊に見えて仕方ありません。問題句「白つつじ行方不明のままに在る(田口 浩)」白つつじは実体の曖昧さを感じさせる花です。哲学的表現は嫌いではありませんが、ちょっと違和感を覚えます。

藤田 乙女

特選句「もしかして君はともだち夏来る」は日常的なありふれた言葉だけれど、この句の中で 遣われるととても繊細で機微があり、「君はともだち」とつながることによって未来への希望や生きとし生けるものへの細やかな愛を感じます。とても爽やかな句だと思います。特選句「花つけしトマトあしたの靴選ぶ」 新型コロナウィルスの非常事態宣言による自粛の日々、コロナ鬱と除菌マニアになりそうですが、この句は明日への明るい希望を抱かせてくれます。明日出かけるための靴選び、たくさんの楽しみでわくわくし胸が膨らんできます。様々な靴の色や形、それに合う洋服、帽子、行く場所まで想像し、心が弾みます。

野﨑 憲子

特選句「いつも遠くで雉子のように立って祖母」雉子は、日本の国鳥。大地の精霊を目の当たりにするような一句である。きっと作者も、おばあちゃん子だったのだろう。特選句『この時季に「第九」歌ふかコロナの禍』第九とは、世界中で愛されているベートーベンの「交響曲第9番」の合唱の事。作者は、新型コロナウイルスの終息が見えない中、たまたま耳にした合唱に感動したのだ。「喜びの歌」こそ力だと・・。問題句「体感は桜バイオリンはキリン(十河宣洋)」句稿の中で、一番奇天烈なのに、句姿も調べも、とても魅かれる作品である。「俳句は理屈じゃない」と、兜太先生がよく話された。「バイオリンはキリン(麒麟)」なのである。

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

今月も、新型コロナウィルス感染警戒の為に、サンポートホール高松での句会は中止しました。 しかし、事前投句は、魅力あふれる作品満載でした。これからがますます楽しみです。

6月の句会は、非常事態宣言が解かれましたので、開催の予定です。いつもより大きい(30畳敷・窓有)和室での 句会です。時節柄、ご参加の方々は、マスク着用をご遠慮なくしてくださり、ご自身に合った感染予防のいで立ちでお集まりください。当分の間、見学及び飛び入り参加の受付は控えさせていただきます。

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