2021年7月29日 (木)

第119回「海程香川」句会(2021.07.17)

風鈴.jpg

事前投句参加者の一句

     
雲の峰埴生の宿や我哭(な)かん 久保 智恵
なめんなよ 冷奴かて意地あるで 島田 章平
わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす 十河 宣洋
まぼろしの滝の高さを育てけり 田口  浩
詩のような曲路を抜けし閑古鳥 豊原 清明
平穏な日の汗兜太と歩いた街 津田 将也
あぐらかく猫と将棋や梅雨前線 増田 天志
夏至の日暮れキャッチボールの父の顔 山本 弥生
口中に舌のだぶつく桃の昼 小西 瞬夏
声細き男来てする田水張り 吉田亜紀子
死を語るリモート講座日雷 菅原 春み
蓮の花銀の糸で山を縫う 夏谷 胡桃
立葵をさな指さすあつちようちよ 福井 明子
仮縫いの貝殻骨美しジューンブライド 田中 怜子
どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく 竹本  仰
手花火の雫の下の黄泉の橋 伏   兎
飛べそうな気がする夜を緑夜と言う 佐孝 石画
不条理が地球を覆ふ梅雨しとど 三好三香穂
明日手術カルテの文字が蟻になる 寺町志津子
竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず) 谷  孝江
一炊の夢の匂ひの夜店かな 松岡 早苗
夜空遠ししゃくとり今日を測り終え 松本 勇二
ニス匂ふ緑蔭周波数ざらつく すずき穂波
百万ドルの夜景融解土砂降りに 滝澤 泰斗
髪洗う捨てられぬもの多過ぎて 石井 はな
地獄の黙示録蟇の眼玉浮く 川崎千鶴子
放蕩の父の土産や金魚玉 銀   次
影踏んで来て夕暮れの花氷 三枝みずほ
深息し素のまま生きて楸邨忌 高橋 晴子
荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症 荒井まり子
蟻一歩人間一歩地図描く 亀山祐美子
父金継ぎの黒き器や遠雷す 中野 佑海
角栄も邦衛も田中、田水沸く 藤川 宏樹
放棄田に立てば弟の声がする 稲葉 千尋
老々介護縄文の土器愛(め)でる如 若森 京子
おとうとよソーダで割っている帰郷 大西 健司
秒針が可哀想なほど回っている 中村 セミ
ウォーリーをさがせ!金蠅何処消へし 野澤 隆夫
昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ 田中アパート
海霧の中行く舟にいるヒトと 鈴木 幸江
やがて満つ力銀杏の若緑 小山やす子
夏服の鎖骨うつくし鴎外忌 高橋美弥子
交響曲六番蟷螂のごとコンダクター 佐藤 稚鬼
電話じゃないよ風鈴よと母を抱き 増田 暁子
手の甲の筋走り根のごと七月 森本由美子
蓬匂う如き戒名授けらる 榎本 祐子
来世は驟雨のように生まれます 高木 水志
百日のサプリより白南風の一気 野口思づゑ
下駄履いて優しき夏を買いにゆく 伊藤  幸
蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ 月野ぽぽな
梅雨の月呼吸の中に身を沈め 河野 志保
オンラインもつぱらとする蠅叩 山下 一夫
加茂茄子のぽってり育つ月の夜 飯土井志乃
青田波讃岐平野はでっかいぞ 漆原 義典
素描画の原生林に夏の風 重松 敬子
読み捨てられた本のよう昼寝覚 柴田 清子
人体に滅ぶ国あり青時雨 桂  凜火
おたふくあじさい手摺は波に毀されて 河田 清峰
舌を出すアインシュタイン夏五輪 藤田 乙女
陽に向かう蟻の背伸びや蟻の旅 松本美智子
立葵少女の脚のながきこと 植松 まめ
氷菓舐む同じ子宮にいた兄と 男波 弘志
夏満月血の濃ゆければ諍えり 稲   暁
豆ごはんどの子も目玉よく動く 吉田 和恵
早飯早糞事なさざりと盛夏の師 野田 信章
部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「母の忌の少しの水にいる魚(男波弘志)」母の忌は楽しい思い出やつらい思い出が綯交ぜになった複雑な日だ。そういう日に、少しの水に生息する魚に目を遣った感性は繊細で柔軟だ。無季であるが、詩性がそれを凌駕している。

小西 瞬夏

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水はたっぷりではない、その限られた環境のなかで華々しくはなくとも、それにあらがうことなく、しっかりと生きて泳ぐ魚。母の忌にそのことを思うことで、母の生きざま、そしてそれを見てきた作者自身の生きざまを思い、また読者としての私自身の生きざまを問われる。

若森 京子

特選句「話してごらんぐっと近づく夏の月(藤田乙女)」平明で自然と一体化したナイーブば抒情が好きです。特選句「読み捨てられた本のよう昼寝覚」昼寝覚めの時に味わう時間の止まった様な不思議な意識を「読み捨てられた本」と表現した喩の面白さに共鳴しました。

稲葉 千尋

特選句「交響曲六番蟷螂のごとコンダクター」おそらくベートーベンの「田園」のことかと思う。わりとゆっくりのリズム、指揮者の様子がわかる。

増田 天志

特選句「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」俳句の可能性を広げる意欲作。秀句は、創作意欲をかきたてる。雲の峰より卑弥呼起つ根っこかな。やはり、季語にこだわると、平凡になる。

小山やす子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」うっとうしい梅雨とコロナ禍の今、じっと耐えるしかありませんね。

藤川 宏樹

特選句『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり(高橋美弥子)』クレヨン、色鉛筆に「はだいろ」という名の色があった。人を描くときは「はだいろ」を考えもなく使ったものだ。肌の色は十人十色。多様性を認めあう今、「はだいろ」という名は消えてしまった。「なめくじり」の質感をうまくあてている。

すずき穂波

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」蛇は自力だけではなく草や木の枝、石、岩の助けを借りて脱皮すると聞いたことがある。「夜を大きく使い」の捉え方に力を振り絞る蛇の生命力を、そしてまたこの作者の愛をも感じた。特選「口中に舌のだぶつく桃の昼」会話の少なくなっている現在の倦怠感や苛立ちを「舌がだぶつく」と表現されたか。桃を啜るときの快感に反して、いっそもどかしさが増すのだろう。

福井 明子

特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」悠久の果てない時間の中で、とにかく今日一日成したことを「測り終え」る。ちっぽけではあるが、「しやくとり」も文字にすると存在感がある。そんなことに気づかされた一句。特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」この句にくぎ付けになった。何故? アインシュタインの、あの舌を出した写真のインパクトが、迷走する夏五輪そのものに対峙し鳴り響く。

大西 健司

特選句「明日手術カルテの文字が蟻になる」中七以降の捉え方は秀逸。それだけに上五のもたもたとした言い回しが気にかかる。もっと絞ってもらいたい。たとえば手術前夜とすればもっと臨場感、焦燥感がつのるのでは。好きな句だけに勝手なことを考えてしまうがいかがなものか。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」も同様、夏服とわざわざことわらなくてもと考えてしまう。「我が影の鳥になりたる青岬」「放棄田に立てば弟の声がする」好きな句だがやや既視感を思わないでもない。

津田 将也

特選句「雲の峰埴生の宿や我哭かん」。歌詞の説明に「埴生の宿」とは、みずからの生まれ育った花・鳥・虫などに恵まれた家を懐かしみ讃える歌・・・とある。床(ゆか)も畳もなく、荒壁むきだしの家。このような造りであっても、自分が育った家は「玉の装い」を凝らし「瑠璃の床(ゆか」を持つ御殿よりずっと上等で、楽しく頼もしい。一般的では、「みすぼらしい家(我が家)」といった意味合いで使われる。歌唱して生い立ちに想いをいたすとき、なぜか郷愁にかられ、わけもなく涙がこぼれるのである。昭和六十年七月二十日(一九八五年)に公開された市川昆監督の映画作品に「ビルマの竪琴」がある。終戦を迎え日本に帰還するビルマ(現・ミャンマー)戦線の日本兵と、累々と戦場に続く日本兵の屍を目の当たりして、彼らをきちんと葬るのが自分の使命と考え、現地の僧侶となって残ることを決意し、これらの戦友たちと別れるまでの水島上等兵の戦争物語である。最後のシーン「埴生の宿」の合唱が素晴らしくて、今でも、目頭が熱くなる。季語「雲の峰」が特別な効果をくれてもいる。特選句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。これもなかなかの秀抜句である。「舌のだぶつく」が含有している性的衝動への期待感を私は支持する。

鈴木 幸江

特選句評「蟻一歩人間一歩地図描く」かつて伊能忠敬は歩いて日本地図を完成させた。人類の地図には深い歴史がある。今は、宇宙衛星を駆使して完成させているのだろう。自分に備わっている知覚と智恵を駆使して地図を描いてきた人間の能力は今どこに潜んでいるのだろうか。蟻は地図を描けるわけではないが仲間に餌のありかを教える能力がある。目的地へ着くという思いは同じだ。身体で覚えた生きる術を失うことは恐ろしい、そして人類が為す一歩の行為の責任も考えさせられた。

豊原 清明

特選句「山梔子咲き合うて互いを褒め合うて(伊藤 幸)」咲き合って褒め合ってという所が、肯定的なイメージで、ほっとする。問題句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」一行詩と思った。飛ぶところは、鳥への憧れか。

野田 信章

特選句「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし(松本勇二)」の蜩は、私の中では夏から秋にかけての間(あわい)の季節感とともに在る。間断なく降るその声をこのように表現されてみると、そこにはコロナ禍の夏百日を生き抜いた者の息継ぎ息使いとも自と重なってくるものがある。美しい叙情句である。

寺町志津子

特選句「やがて満つ力銀杏の若緑」どっしりと大きな銀杏の木。その木の若緑色 の小さな葉。その小さな葉は月日と共にしっかりとした葉になると詠まれた掲句は、景がよく見え ると同時に、少年の成長する姿とも取られ、気持ちよくいただきました。

夏谷 胡桃

特選句「立葵少女の脚のながきこと」。立葵がわたしの夏の花です。そして最近の女の子のかわいいこと。見惚れてしまいます。「豆ごはんどの子も目玉よく動く」。夏の子どもたちの昼ご飯(保育園かな)の風景が浮かびます。

中野 佑海

特選句「一炊の夢の匂ひの夜店かな」夜店はいつも切ない。うす暗いガス灯、アセチレンの匂い。綿菓子の買って少し経つと凹む袋。林檎飴の欠け。くじ引きのはずれのベロベロ。何故か悲しくなるものばかりなのに、わざわざ出掛けて行くのはなぜ?特選句「オンラインもっぱらとする蠅叩き」オンラインって気遣いますよね。画面から外れないように。だから、蠅叩き凄く分かります。でも、私は蚊もどちらも気になります。気になりかけたら、車運転してても、停めて頑張ります。「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」分かるわ。何時まででも苛められたままではおれへんで、見ときや。暴力には頭や!「解しては一挙三密素数蝉(藤川宏樹)」素数蝉って周期的に大発生するとか。ほんま一挙に三蜜。わたしは蜂蜜のほうが有難いけど。解変えてんか。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」実際に目撃されたのですか。見つけたら後付けたくなりますよね。「手花火の雫の下の黄泉の橋」花火の火の粉は硫黄の香り。黄泉との橋渡しをしているのでしょう。「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」私の部屋の片付け誰か手伝って下さい。あの世とやらへ旅立つ日が近づいているのに、夏はつい髪をあらいたくて、シャワーの時間が増え往生します。「途中から虹現われるチューインガム」もういつ顔にぺちゃっていくかな?この緊張感。「おとうとよソーダで割っている故郷」帰らなければでも帰るとなるといろいろ蟠りが。ソーダの泡の様に吹いてくる。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」えっと私は今から何を演じるのだっけ。この頃夢と現がごっちゃになってややこしいったらありゃしない。台本台本。以上。宜しくお願いします。 今月も楽しい俳句を読ませて頂き有難う御座います。心癒やされます。

河野 志保

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」介護の一場面だろうか。辛いことも多いと思うのに、お母様にかける言葉には愛があふれている。心に染みる温かい句。

滝澤 泰斗

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」アインシュタインで思い出される顔と言えば、やはり、あの舌を出した顔。混沌のオリ・パラだけではなく、コロナ対策のやることなすこと頭のいいはずの官僚たちの仕業とは思えない無様な風景にあの舌出しアインシュタインの顔はピッタリ。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」人体を地球に見たてた視点がユニーク。耳国鼻国、時に、勝手な国歌まで流れた・・・それが、何が原因か判らないが機能不全に陥る。様々に想像を掻き立ててくれた。特選に準じる選「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」深淵な宇宙観にあって、尺取虫の取り合わせ見事。「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」昔見た、映画「地獄の黙示録」のポスターを思い出した。「フルメタルジャケット」と並んだ戦争映画史を変えた映画として記憶している。まだ、戦火の止まないカンボジア内戦中、アンコールワットにポツンとあった、グランドホテルを沼から蟇が覗いている・・・「荒梅雨のオリパラ兄の蓄膿症」オリパラ狂騒の一断面。何ともうっとうしい蓄膿症のような状況に蓄膿症に病んだ政府が挑んでいる図。「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」?外忌から舞姫エリスを思い出した。エリスとはあったことはないがあの小説から想像されるエリスはまさに鎖骨の美しい人だったことが十分に想像された。「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」景の大きな、そして、神秘的な景に共感しました。「読み捨てられた本のよう昼寝覚」読み捨てられたような寝姿と読み捨てられた本の滑稽さにふと目が覚めた?

増田 暁子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」気持ちの良い緑夜には飛ぶことも出来るはず、と私も思いたい。特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け」海が好きなんですね、瀬戸内の海は本当に素敵です。夕焼けも大好きです。「あぐらかく猫と将棋や梅雨前線」コロナ禍と梅雨で猫も暇なんです。「さくらんぼ含む少女の笑顔かな」笑窪の可愛さ、大好きです。「角栄も邦衛も田中、田水沸く」田を並べて1句できました。面白い。「七夕にウイグル絣の小座蒲団」ウイグル産の木綿は今国際問題ですね。私の周りにはあるかなと不安です。

松岡 早苗

特選句「アメリカの夏碧々と空空(くうから)天(鈴木幸江)」マンハッタンの摩天楼の上の空でしょうか。それともカリフォルニアの青い空でしょうか。一切を無に変えてしまう完璧な夏空。「空空」が効いていて、とてもすばらしい句の収め方ですね。特選句「夜空遠ししやくとり今日を測り終え」目指し励まないといけない明日があるのでしょうが、とにかく今日一日を生き抜き、しみじみと夜空を眺めている充実感や安堵感のようなものを感じました。

月野ぽぽな

特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」。「同じ子宮にいた兄と」の感慨が新鮮。「氷菓舐む」から、爽快感とともに、舌が象徴する人間の体の不思議感が立ち上がるのも、中七下五の気づきゆえだろう。

桂  凜火

特選句「海霧の中行く舟にいるヒトと星」不安でとらえどころのない時代の空気感をよく伝えていると思いました。ヒトのカタカナは霊長類のヒトという感じがでていて良かったです。

伏   兎

特選句「わが影のなかの蝶揺れ砂こぼす」夏蝶のように羽ばたきたい。そんな野心を秘めている作者の思いに共感。零した砂が光の粒のようで美しい。特選句「夜空遠ししゃくとり今日を測り終え」褒められもせず、疎まれもせず、淡々と今を生きる。河島英五の「時代おくれ」の男の歌が聞こえてきそうで惹かれた。「部屋に入ってきた雲の奥から卑弥呼」部屋の鏡にめずらしい虹雲が映ったのかも知れない。幻想的で興味深い。「死を語るリモート講座日雷」新型コロナ感染で亡くなる人はもちろん、経済的に追い詰められ自死する人が多い昨今、心に刺さる。

高木 水志

特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」僕は、身体の細胞を連想して、青時雨の柔らかな響きに、常にダイナミックに働いている細胞の活力を取り合わせたことで生々しさを感じた。

菅原 春み

特選句「髪洗う捨てられぬもの多過ぎて」共感のなにものでもありません。髪洗うの季語がなんともいい取り合わせです。髪はきれいになれても、ものは増えるばかり?特選句「放棄田に立てば弟の声がする」かって弟さんの耕していた放棄田。この世からいなくなったのか、農業から離れ故郷を離れていらしたのか。しみじみする句です。

野澤 隆夫

梅雨明けも直前。何かと物議のオリンピックも目の前!「海程香川」句会 第119回を届けます。つい先日、矢崎泰久『句々快々「話の特集句会」交遊録』(本阿弥書店)に渥美清=寅さんの43句を読み面白かった。いみもなくふきげんな顔してみる三が日、初句会今年もやるぞ!ヤケッパチ 等43句。そんな関係でつい流されやすい小生の特選句。「放蕩の父の土産や金魚玉」「豆ごはんどの子も目玉よく動く」どの句も渥美清の調べで、ホノボノ。いいです。

松本美智子

特選句「梅雨の月呼吸の中に身を沈め」梅雨時の夜の鬱々とした気持ちがよく表れていると思います。自粛生活を静かに粛々と・・・・今の時世も併せて表現できていると思います。早く晴れ晴れとした気持ちになりたいものです。

榎本 祐子

特選句「アスファルト剥がされてゆく溽暑かな(松岡早苗)」道路工事の側を通ると、その熱気が伝わってくる。ここではアスファルトが剥がされているのだが、その後に敷かれるであろうアスファルトの黒いドロドロが思い浮かんで、溽暑と共に皮膚感覚に訴えかけてくる。

田中 怜子

特選句「深息し素のまま生きて楸邨忌」嘆息ではないのかな、と思いつつ、楸邨氏の姿がほうっと浮かんでくる句ですね。特選句「百万ドルの夜景融解土砂降りに」夜景が融解がおもしろい。今日の新聞の俳壇で大仏が白雨でみえなくなってしまうという句が載っていました。

男波 弘志

「まぼろしの滝の高さを育てけり」虚の世界の中にはっきりした芸道の極致がある。それは育てけり の奥行き感。「口中に舌のだぶつく桃の昼」エロスの極致がある。仮に桃の実だとしたら、一句は堕落したものになっていただろう。「秒針が可哀想なほど回っている」アナログの死物狂い、創作者は常にアナログ、直でなければいけない。全て秀作です。

漆原 義典

特選句「声細き男来てする田水張り」私は大地とともに生き、大地の動物、植物から四季の移ろいを感じ、俳句に詠むことを定年退職後の生きがいとしています。私は今米作りをしていますが、私と同じような生活をおくっている方がいらっしゃることにうれしく思いました。上五の声細きがいいです。米作りに元気が出ます。ありがとうございました。

森本由美子

特選句「骨格は眠っておらず三尺寝(十河宣洋)」大工か、瓦職人か、日差しをよけ、限られた空間にバランスよく体をはめ込み仮眠。<ちょいと横にならせてもらいますぜ。> 古きよき時代がしのばれる。

吉田亜紀子

特選句「夏服の鎖骨うつくし鴎外忌」小説を読んでいるかのような句。「鎖骨がうつくしい」という表現に透明感を感じる。少年か、少女だろうか。または貴婦人だろうか。作品がぐるぐると巡る。改めて森鴎外の作品を読み返したくなりました。特選句「立葵少女の脚のながきこと」脚の長い少女が立っている。その傍には、力強いが可憐な立葵が咲いている。立葵と少女。とてもカッコいい句だと思いました。

河田 清峰

特選句「影踏んで来て夕暮れの花氷」日盛りを歩いて来ての花氷の涼しい一時。ゆっくりと融けていく夕暮れがいい。

田口  浩

特選句「蛇は夜を大きく使い衣を脱ぐ」。「夜を大きく使い」は発見であろう。誰にでも言えそうで言えない措辞だ。一句に独自の広がりがある。「部屋に入つてきた雲の奥から卑弥呼」卑弥呼が国々を治めるのに、いかに大事であったかと言う記録が残っているらしい。彼女が没すると、治まっていた国々が争いを始め混乱をきたした。そこで王たちは相談をして、卑弥呼の娘を二代目に据えると、諍いが無くなったという。本当か嘘かはわからないが、この句にそんな威厳を感じられないかー。この作品普通は「雲の奥から部屋に入ってきた」となるのだか、そうしないところに巫女としての摩訶不思議を表現しているようだ。「蓬匂う如き戒名授けらる」蓬が艾の原料であって見れば、戒名のそこここに、そんな香りが立ちこめる。不即不離。句としては「蓬匂う」なんとも微妙でいい。「そおつとしておこう風穴に蛇と少年(野﨑憲子)」好きな句でいいとは思うのだが、「そおつとしておこう」に引っ掛りを感じる。でも、やっぱりいい俳句に違いない。「川とんぼ重たい荷物おことわり」川とんぼの生態をユーモアを含めて詠み切っていよう。

伊藤  幸

特選句「早飯早糞事なさざりと盛夏の師」これは兜太先生の教えと受け取った。幼い頃父が若い職人さん達によく「早飯早糞早仕事!」と叱咤激励?していた事を思い出す。当時は何と下品な言葉であろうと思っていたが今にして思えば懐かしい訓示である。真逆ではあるが・・・。「盛夏の師」の措辞が悠然とした兜太先生の逞しい姿を浮かび上がらせる。

柴田 清子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」この作者の持っている独特な詩的感覚から生れた一句、素晴しい特選です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」読んだ瞬間いいなあと思った。何度読み返してみても、気持は、この句を離さなかった。この句に、一歩も踏み入る事は出来ないけれど。特選です。

島田 章平

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」。不思議な響きの句。最初は間違えて、「魚」を「金魚」と読んでしまった。平凡な句だと思い取らなかった。読み直すと「魚」。???。何だろう。情景が読めなくなった。ある方は干潟の魚と読んだと言う。でもない。実在しない魚。作者の心の中に棲んでいる魚。今にも窒息しそうに口をパクパクさせている。無季俳句だからこその不思議な存在感。ひとつ、目から鱗が落ちた様に感じた。

石井 はな

特選句「万引の子の握りしめてたチョコレート(銀次)」握りしめてたチョコレートに、深い広がりを感じます。遊びの万引きではない子供の事情に思いを寄せると、心が痛みます。どの子供もみんな、健やかに伸び伸びと成長できる世の中で有って欲しいです。

佐孝 石画

特選句「平泳のような息継ぎ朝ひぐらし」クロールなどと違い、平泳ぎの息継ぎは頭全体を水面に上げる必要があり、「ぷわっ」という息継ぎの破裂音が聞こえてくるかのような必死めいたものがある。蜩の鳴き声は他の蝉に比べて軽やかなイメージがあるが、この作者はその鳴き声自体ではなく、鳴き声の合間の沈黙、静寂に注目したのだろう。切なげに鳴き声を演じ切った後、ひぐらしは必死の形相で「ぷわっ」と息継をしていると。その幻想は新鮮だった。

久保 智恵

特選句「平穏な日の汗兜太と歩いた街」とても素敵な時間です。特選句「母の忌の少しの水にいる魚」切り果てのない問いの中でまさぐるしかない表現とても好きな2句です。

中村 セミ

特選句「慈雨の夜ミカドアゲハの君の息(若森京子)」うまく書けないが蝶も暑中の中で水を欲しがるのだろう。めぐみの雨が降れば蝶はホッと一息するのではないだろうか。少女はそれを綺麗に君の息と詠んだ。

野口思づゑ

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」娘さんと一緒なのでしょうか。それでもどこか心寂しくて電話を待っておられるかもしれませんね。静かな風鈴の音に「電話が。。。」と自分では取れなく、もどかしいのでしょうか。そんなお母様に優しく接しているご本人と、お母様の二人のほのぼのとした姿が目に浮かぶようです。

三好三香穂

特選句「朝光を斬る眩しさの夏つばめ」目の前を突然、つばめの宙返り。そんな一瞬を、?朝光を斬る〟ととらえた所がすぐれている。しかも一瞬の羽根の輝きは?眩しい〟のである。「骨格は眠っておらず三尺寝」昼寝は普通、いぎたなくよだれなど垂れて、たらりとしているものだが、この人にあっては、武士の如く、草食動物のごとく気を張った三尺寝。シャキーンである。「放棄田に立てば弟の声がする」田舎の田畑は高齢化の波で耕作できなくなり、荒地に変わりつつある。この人の弟さんも継がなかったのだろう。?兄ィ、どうする?〟?兄ィ何とかせよ〟?僕はできんしな〟話し合いになったか、喧嘩越しになったか、目の前の無残な光景を見て、去し方のやりとりが走馬灯のように思い出される。切実な現実である。?放棄田〟では季語なしかも知れませんね。隣の田は水田かも。「舌を出すアインシュタイン夏五輪」何故か舌を出したアインシュタインの写真がよく使われ、ポスターにもなっている。このコロナ禍の中、無観客での真夏の東京オリンピック。世界がチョット変。あかんべえもしたくなる。十月十日の東京オリンピックがなつかしい。IOCバッハ委員長、菅総理、小池知事もあかんべえしたポスターを作ってみれば?

荒井まり子

特選句「竹落葉踏んできし日の土不踏(つちふまず)」心静かに次の世代に思いを託す優しさがいい。

谷  孝江

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」良いお句ですね。優しさ、切なさ、思いの深さが綯い交ぜになって心に染みてまいりました。ご家族の中にあって幸せそうなお母様のお姿が胸一杯に広がってまいります。この後もずっと?お幸せが続きますように。 

山本 弥生

特選句「口喧嘩の末の和解や梅酒酌む(植松まめ)」女同士の親しい友達であろうか。お互いに云いたい放題言い合った末に仲直りして手作りの自慢の梅酒で心安らぐ刻を過せたこと、どうぞいつ迄も仲良くして下さい。

飯土井志乃

特選句「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」老々介護はかくありたしとすべての老いゆく人々にかすかな期待を込めて。

吉田 和恵

特選句「昼の蚊やコロナが嗤うワクチン チッ」コロナウイルス PCR検査 ワクチン 等 裏の事情もあるようで、それも含めてのコロナ禍を蚊が見ている。そんな感じ。納得!

亀山祐美子

特選句『豆ごはんどの子も目玉よく動く』豆ご飯のおいしさがよく伝わってきます。

田中アパート

特選句「地獄の黙示録蟇の眼玉浮く」一九七九年公開映画。フランス・フオード・コッポラ監督の作品。ウィラード大尉(マーティン・シーン)の瞳を蟇の眼玉とは。ハリソン・フォードも若かったですな。

植松 まめ

特選句「素描画の原生林に夏の風」梅雨が開け茹だるような暑さの夏が来ましたがこの句の爽やかに惹かれました。油画でも水彩画でもないのです。

高橋美弥子

特選句「舌を出すアインシュタイン夏五輪」問題だらけのこのオリパラをうまく捉えているし、遊びがあるので逆に救いがあります。問題句「万引の子の握りしめてたチョコレート」無季句は難しいのですが「万引」からはじまってハッとしました。握りしめて溶けているところまで17音で表現するのは難しいですが、さみしさがある句です。

十河 宣洋

特選句「また海に来てしまった夕焼け小焼け(柴田清子)」思いのある海と言うか海岸である。時間が出来るとなんとなく足が向く。海でなくても喫茶店だったり、本屋だったり、人はひとりでに足が向くところを持っているようだ。特選句「下駄履いて優しき夏を買いにゆく」仰々しい作り方をしているが、近くのコンビニへアイスかビールを買いに行くだけである。優しき夏の措辞がこの句を楽しいものにしている。好作。

重松 敬子

特選句「飛べそうな気がする夜を緑夜と言う」涼しい夏の夜は、空想の世界に遊ぶのも楽しい、心は自由自在、鳥になったり魚になったり、名句が生まれます。

川崎千鶴子

特選句「電話じゃないよ風鈴よと母を抱き」お体が芳しくないお母様が「電話」と「風鈴」を間違えていらっしゃるのを諭されているお句かと。お母様への情が伝わります。「母を抱き」が素晴らしいです。「平泳ぎのような息継ぎ朝ひぐらし」。「ひぐらし」の鳴き声は人の心へこの世と思えない旋律で入ってきます。その声を「平泳ぎのような」と表現されたお力に感銘です。

高橋 晴子

特選句「素描画の原生林に夏の風」涼しそうに描かれた素描画の感じが原生林に夏の風でよく把握出来た感。

山下 一夫

特選句「蓬匂う如き戒名授けらる」亡くなった人のものかもしれないが自身が生前に授かったという雰囲気。それが本来らしいが求めた動機が気になる。授けられた戒名は気に入っているよう。オーダーの内容や住職との関係性、その文言等いろいろと想像させられ含蓄深い。特選句「豆ごはんどの子も目玉よく動く」その昔、豆ごはんが出ると何だか嬉しかった。味というよりも特別感がよかった。子どもとはそういうものであろう。豆と子どもの目玉がシンクロしていて生き生きとした光景が広がる。問題句「口中に舌のだぶつく桃の昼」。「中年や遠くみのれる夜の桃」(西東三鬼)「翁きて桃の遊びをせむと言ふ」(中村苑子)へのオマージュなどを思わせ興味を引く。ただ「だぶつく」がだぶだぶしているだけではなく、多すぎる(二つが限界であろうが)との含みもあるのならかなり…である。邪推?『「はだいろ」は消えてしまったなめくじり』人種差別への配慮から業界団体において「はだいろ」の呼称は「うすだいだい」に統一することになった由。なめくじりの暗喩が謎。「ぶんぶんのマンボブギウギロックンロール」リズムはかなり違うと思うが勢いは共通。楽しい。「老々介護縄文の土器愛(め)でる如」縄文土器の時間や肌合い、貴重との含みが決まった。

竹本  仰

特選句「万引きの子の握りしめてたチョコレート(銀次)」万引きで捕まった子は口を開かない。絶対に自分が悪いと知っているからだろうし、そもそも話す目的を見失っている。どうしてこんなことをしたの?と問われてもわからないからそんなことをしたのだ。どうも常識ではないことが起こっているのはわかるが、説明のしようのない世界の中にいたのだ。チョコレート一個がこんなにつまらないものなのに、その時世界にはチョコレートと自分しかいなかった。それは確かだ。そして今、見るもつまらなくなったチョコレート、世界最低のチョコレート。無数の問いと、色んな背景が、変わり果てたチョコレートの中に消えてゆく。問いに満ちた句、いいですね。特選句「人体に滅ぶ国あり青時雨」三木卓に『ほろびた国の旅』という童話があって、少年の眼で見た満州を再現しようとした話だった。滅びる国にはそれなりの理由があって、しかし誰にも止められない特急列車のようなものらしい。体に少し重い病をかかえる人なら誰しもそうかという感じになるかも知れない。と、まあ、そんな乗客の一人の眼として眺めると、何だか印象的な修学旅行の中にいるような印象になる。青時雨が何とも生々しく、そのへんの感傷をそそるのである。特選句「氷菓舐む同じ子宮にいた兄と」兄弟であれば実に当たり前のことを言っている句なのだけれど、よく考えれば、というタイミングが見えて、そこが面白い句だと思った。目の前にいるこのエラそうな奴は、しかし俺とおんなじ、アイスを美味そうに食うそんな顔をしてこの世に来たんだ。えっ?なんだ、なんだ。当たり前なのに、そう考えると、いったい、俺もそんな変な赤ん坊でそんな表情をしていたという訳か。おいおい、これは、いいことなのか、悪いことなのか?まあ、ここにこうして訳もなく向かい合っているということには、何か色々ワケもあったらしい。何だか、このアイス、今日はヘンな味だな。ふとした存在への問いかけ、いいですね。 暑中お見舞い申し上げます。とうとう猛暑の梅雨明けが来ましたね。涼しい句に巡り合えればと思いつつ、いやいや辛く熱い多くの句に遭遇。しかし、これは体内から発する自然なエネルギーです。何だか起き掛けの新鮮です。みなさん、いつもありがとうございます。見返せば見返すほど、句に〇がついていき、なかなか絞り切れず、ぜいたくだあ~と、痛感しています。

自句自解「冷や奴つかんだ渥美清かな」松下竜一の『豆腐屋の四季』の最初の歌に「泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん」というのがあって、怒れる渥美清はどうかと、しかし、渥美清の怒れる時代を知っている人はそんなにいないようです。テレビ番組で『泣いてたまるか』を見ていた頃、60年代の渥美清は怒りを押し殺す名演でした。その頃、我が郷里に「ツネちゃん」と呼ばれる豆腐屋さんがいて、顔も声も渥美清にそっくりな腰の低い好人物でした。この間帰省した折に、その店ももうすっかり姿が消えているのに気づきました。怒りも苦労も…、そうか、という句でありましたが、フーテンだけではないまっとう な渥美清、もうあまり知られていないことなんだろうなと。まあ、そんな駄句でありました。「どこで脱ぐか蝉空蝉をかつぎゆく」もう一つの蝉の句は、今年よく見かけたもの。ほんと、空蝉に困っている蝉がいて、 でも、なぜ、彼らはその場所をわざわざ高い場所にとるんだろうか、とても健気に高いところを目指すのに驚きます。ふと、俳句を抱えた自画像というか、そんなものにかぶさってくる面白さ感じました。

三枝みずほ

特選句「母の忌の少しの水にいる魚」水の自在さと魚の生命が母の忌と取り合わされたことによって、解釈を確かなものにする。無常観というべきか、生死への達観を感じた。言葉に一切の無駄がなく緊張と緩やかさが混在する表現が圧巻。問題句「蝉たかる蟻すさぶ街に群れる餓鬼(松本美智子)」熱量のある語彙の選別に惹かれた。散文的なので、韻律による表現効果が得られれば独自の世界に到達できそうだ。こういう挑戦は飛躍を生むだろうし、一句にかける激情に大きな刺激を受けた。

銀   次

今月の誤読●「老々介護縄文の土器愛でる如」。 とき/いま。 ところ/ホスピスの一室。 登場人物/姉(九二歳)、妹(九二歳)、つまり双子である。 姉はベッドに横たわっている。妹はソファーで刺繍をしている。

姉「……美しい曲を聴くと、美しい絵を見ると、青春を思い出す……、ねえ、あなた、このセリフ覚えてる?」妹「もちろんよ。『舞踏会の手帖』のピエールのセリフよ」姉「ひとりぼっちになった未亡人が、昔パーティで出会った男たちを訪ね歩く」妹「でもみんな昔のままじゃなかった。自殺した人もいたしねえ」姉「人生って残酷」妹「そう? わたしは幸せな人生を生きたわ」姉「そうねえ。……あなた、なぜ結婚しなかったの?」妹「んー。やっぱりお姉さまと一緒にいたかったからかなあ。お姉さまはどうして?」姉「おなじく。あなたとずっと遊んでいたかった」妹「双子だからかなあ」姉「それ関係ある?」妹「んー。どうだろ」ふたりの秘密めかした笑い声。姉「……うっ、せん、めん」妹「洗面器ね。はい、これ」姉「また血よ」妹「いやよそんな言い方。これは薔薇よ。水に浮かんだ真紅の薔薇」姉「そうだったわね。ごめんなさいね。何事もきれいでかわいく。わたしたちのモットー」妹「そうよ。わたしたちの人生はふたりで編み上げる一針ごとのタペストリー」姉「でも、その一針も最後にきてるわ」妹「そうはさせません。お姉さまをひとりでは行かせません。わたしが追いつくまで待ってて」姉「いいじゃない。わたしが先に行って待ってても」妹「いいえ、ふたりで行くの。これまでもそうしてきたように」姉「強情ね。でも、ほんとずっと一緒だったもんね。わたしたち」妹「ふたり一緒に産まれてきて、一緒に生きて、一緒に死ぬ。完璧だわ、わたしたちの人生」姉「完璧な人生、か。なんだか楽しいわ」妹「ね、ね、これこそわたしたちだけの最高の遊び。おもしろいわあ」姉「ええ、おもしろいわ」クスクス笑い。そして長い沈黙。

藤田 乙女

特選句「なめんなよ 冷奴かて意地あるで」句全体から冷奴の感覚が感じられて惹かれました。今度冷奴を食べる時この句に応える言葉かけをしたいです。特選句「放蕩の父の土産や金魚玉」金魚玉を手にした父親の姿と作者の父への思いが伝わってくるようでした。

野﨑 憲子

特選句「立葵をさな指さすあつちようちよ」文語口語チャンポン表記に不思議な魅力を見出した作品です。幼子の指先の蝶影と共に、天空へ咲き上がってゆく立葵の垂直の美、調べの美しさに感動しました。問題句「秒針が可哀想なほど回っている」魅力の無季の句です。秒針は、案外楽しくって仕方ないんじゃないかな?とも。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

かくれんぼ蟹の大家は蟬が好き
野﨑 憲子
黄泉平坂啞蟬の谷あればなり
田口  浩
朗読でジンと痺れたセミの声
島田 章平
トンネルに入れば爆弾蝉の群
銀   次
姿が変わる
ほんたうは言えないこの蟇が君だとは
野﨑 憲子
やれやれとウルトラマンにまた変身
銀   次
サングラス姿を変えたつもりなの
柴田 清子
七月の雑踏が揺れて黒煙
三枝みずほ
手紙見てマユゲひきつる女かな
中村 セミ
アイス
限界の氷菓少女脳を直撃す
銀   次
とけてゆく氷菓よジヤズジヤズジヤズ
野﨑 憲子
老年の恋や氷菓の溶けるまで
島田 章平
百均のアイスをなめて交差点
藤川 宏樹
少年の頬の四角や氷菓かな
三好三香穂
コンビニへ飛び込んでアイスクリームになる
柴田 京子
色褪せた識者の顔や掻き氷
藤川 宏樹
七月
「嘘だろう」七月のザムザ氏絶叫
中村 セミ
七月や長門の海に対峙せり
田口  浩
七月の人影踏みし月明り
中村 セミ
七月を渡れ玄界灘の鳳仙花
銀   次
自由題
振り返るまいぞ駆け去る西日の子
銀   次
花筏ためらい傷のそれぞれに
佐藤 稚鬼
夏の風邪とは違うのよマスクなの
柴田 清子
間一髪夕立逃れバスに乗る
三好三香穂
蛍舞ふ絶壁に小便小僧
島田 章平
前進前進前進蝸牛
島田 章平
草々をはなれる風よ半夏生
三枝みずほ
曇天や引き算とくいな牛蛙
野﨑 憲子
紅花や鶴折る人の吐息とや
田口  浩

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、今回も高松での句会に10名の方が参加されました。生の句会は、月に一度のお祭のようです。言葉の華があちこちで揚がり盛りあがりました。句会場のサンポートホール高松7階からは、瀬戸内海が見渡せます。いつもなら猛暑の中、帆影もあちこちに見えるのですが、今年は淋しい夏です。一日も早いコロナウイルスの終息を願うばかりです。

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