2024年6月24日 (月)

第151回「海程香川」句会(2024.06.08)

紫陽花1.jpg

事前投句参加者の一句

      
<台湾淡水にて>モモタマナ野犬と人の午睡かな 田中 怜子
すずらんのふるえ大地の母音とも 十河 宣洋
絹脱げば鳥の塒となる晩節 若森 京子
紫陽花や雨を目覚めの合図とす 菅原香代子
唐揚げが口よりも大きくて夏 柴田 清子
正面なき遺影からすうりの花 藤川 宏樹
やんばるの骨やんばるの夏ぐれに 島田 章平
雲一つ泳がせておく麦の秋 飯土井志乃
アマリリス開く明日は佳いことありそうだ 樽谷 宗寛
眠れない夜や鯉のぼり泳ぐ音 え い こ
会へぬまま出でし病院さみだるる 柾木はつ子
ハンカチにキリストくるむ雨の昼 三枝みずほ
新樹光大津絵鬼の余所余所し 荒井まり子
生まれたて豆粒ほどの青蛙 佳   凛
夏つばめ決め球えぐいほど曲がる 山下 一夫
蝌蚪の紐鼻むづがゆくなりにけり 丸亀葉七子
葬送の果ての麦秋レゲエかな すずき穂波
雨匂ふ夜や何かを踏みつける 松本美智子
薫風や薩婆訶薩婆訶(そわかそわか)と僧の声 大浦ともこ
六月の五色あられのような鳥 男波 弘志
青嵐やさらっと味のある言葉 山田 哲夫
紅茶くるくる春愁の匙ひかる 松岡 早苗
外つ国の赤きリキュール夏の月 花舎  薫
六月のまあ美味そうな赤ん坊 吉田 和恵
養花天初老に席譲る大老人 野口思づゑ
水まいて蝶も蜥蜴も虹の色 福井 明子
父の日の乞われ踏む背の弾力よ 新野 祐子
指先が梅雨にうずくや「赤報隊」 田中アパート
故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華 滝澤 泰斗
心療内科触れば閉じます含羞草 増田 暁子
瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ 鈴木 幸江
黄はあやめ一途に南下して知覧 野田 信章
足首の美しき少女や新樹光 植松 まめ
頭の中でいつも鳴る曲麦の秋 榎本 祐子
アマリリス負の感情を折りたたむ 向井 桐華
ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇 薫   香
過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野 川本 一葉
蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す 河野 志保
初螢つつみし掌からこもれ火 漆原 義典
地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ 森本由美子
むらさきのかの人麦の風になる 大西 健司
緑蔭の母百年のあくびかな 竹本  仰
新緑や親子で食べる親子丼 菅原 春み
高野より鎮まる河骨酒も飲む 岡田 奈々
伝書鳩飛ばす家裏青田風 津田 将也
一片の夏雲万年筆で書く便り 重松 敬子
やわらかな思想あつまる田植かな 松本 勇二
母を詠む師の句碑ひそか苔の花 塩野 正春
五月雨やためしに息をとめてみる 銀   次
蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し 疋田恵美子
なつかしき使いの帰りとおせんぼ 小山やす子
麦秋のこの心地良い知らんぷり 佐孝 石画
開けられぬ扉の重さ桜桃忌 藤田 乙女
二の腕の足らぬ筋肉冷奴 亀山祐美子
牛蛙一言申し添えました 綾田 節子
和やかな伝言ゲーム若葉風 桂  凜火
栓抜いた戦争流れ出して夏 岡田ミツヒロ
少女らの無念は今も沖縄忌 稲   暁
ほうたるを呼ぶやくちびる尖らせて 小西 瞬夏
螢舞う子を抱き途方に暮れた日も 伊藤  幸
八月の裏から裏へ紙魚走る 三好つや子
若き日のあなたの影よ鮎踊る 寺町志津子
サイダーの泡が溢れて駆け出した 高木 水志
水を這ふはんざきの骨平べつた 和緒 玲子
青葉騒雨夜の電話とまらない 河田 清峰
出して見るだけの水着よ三面鏡 山本 弥生
森の夜に万の眼や河鹿笛 石井 はな
登山道で振り向く君や夏の風 末澤  等
山峡に目刺しのごとく鯉のぼり 三好三香穂
アマリリス二足の一つにハイヒール 時田 幻椏
まほろばや北斗七星から螢 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。「裏」という言葉に、表には表れない部分、また裏があるからこそ表に意味がある、そんな意味を感じた。裏から裏、表にはいかない部分に「紙魚」が走る。そのことが「八月」と響きあって、不穏な空気感、またけっして表には表れない動きを具体的に描写している。いつ戦争が始まってもおかしくないような、そんな恐ろしさ。

十河 宣洋

特選句「詩のように走る老人五月晴れ」。爽やかな初夏の訪れを感じる。毎朝ランニングをしている人の中に、お年を召した人も見かける。平和な初夏である。特選句「頭の中でいつも鳴る曲麦の秋」。麦秋の気持ちのいい風景を思う。いつも鳴る曲は思い出の曲でもある。鼻歌が出て来そうな陽気である。

松本 勇二

特選句「夏つばめ決め球えぐいほど曲がる」。決め球はシンカーでしょうか。当世の言葉を使って勢いのある句になっています。そして、夏燕もえぐい角度で曲ります。

桂  凜火

特選句「火蛾踏んで太極拳はやさしい手(和緒玲子)」。残酷なようだが、気付かれないことはないことになる。自分の行為を意識しないで行うこと、なにかしらの無意識な残酷の上に人は生きていることを感じました。特選句「亡き人も思えば側に白目高(石井はな)」。思えば側にいてくれると感じられることがまずとても素敵ですが、白目高との取り合わせがなんとも心癒されます。

福井 明子

特選句「新樹光大津絵鬼の余所余所し」。年月を経た茶渋色の大津絵の鬼はおどけた表情をしていて一度お目にかかれば忘れられません。眼前のこの新樹光に、あの鬼が迷い込んだなら。そんなとまどいを「余所余所し」という言葉にされたのでしょうか。取り合わせの妙に魅かれました。

岡田 奈々

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。うふっ夏はやっぱり唐揚げ。フーフー言いながら、口に油付けながら押し込む。あー夏だね。ビールが旨い。特選句「六月のまあ美味そうな赤ん坊」。ぷりぷりして、ちょっと暑さで赤ら顔して、鼻に汗。もう見るからに活きのよさそうな、利かん気な赤ちゃん。もう、赤ちゃんて絶対可愛いですよね。「青麦の香のみ残れる過疎地かな(森本由美子)」。あの妙に青臭い夏の匂いもう、田も耕されていないんだね。「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。雨を心待ちする紫陽花の気持ちと、辛いことがあって、そこから立ち直ってまた、大人になる少年の心持ちが重なる。「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。詩のように走るってどんなのか。楽しそうなのか、フラフラしているのか、想像は尽きない。「雲一つ泳がせておく麦の秋」。晴天ではなく雲が一つあるだけで、絵になる。「時の日や時間に追われぬそんな居場所」。はい。そんな場所探してます。「黄はあやめ一途に南下して知覧」。青い菖蒲ではなく、黄色の菖蒲。一条の光が導くのは知覧。一途に一途に。「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ(島田章平)」。いちごにも志はある。ほんの薄暑程度のエントロピーでもいちごでもこの暑い気持ちが革命の引き金になるのだ。「三日月をカリッと噛んだ夏の匂い」。三日月のおせんべい食べたら暑い風が吹いてきた。以上、宜しくお願いします。

塩野 正春

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。この句微妙な患者の心理をついて います。触れられたくない処こそ心療内科医が探し当てるわけですが、そこに届けば心が閉じてしまいます。「醒めし今外科医は初蛍だった(若森京子)」。外科の手術がうまくいって、麻酔が覚めた今の心境は初蛍に出会ったような心境、患者だった読み手の喜びが伝わり、感動します。

野田 信章

特選句「高野より鎮まる河骨酒も飲む」。霊場の高野山としずかな対峙を見せている一茎の河骨の黄の鮮明さー諧謔的な反骨精神の裏打ちのある一句として読んだ。特に「静」でなく「鎮」の表記によって比喩的にもどっしりとした「河骨」の存在感はある。これと作者の肯定的な日常観の「酒を飲む」との結句が響き合う一句として読めた。

藤川 宏樹

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。夏休み、日焼けした肩をランニングにのぞかせ、大好物の唐揚げにかぶりつく子が浮かんできます。ジューシーな唐揚げの歯ごたえ、喉越しまで甦ってきます。

島田 章平

特選句「紫陽花や雨を目覚めの合図とす」。「あ」の韻が快く響く。リズムがよく元気がでる。

男波 弘志

「五月雨やためしに息をとめてみる」。中7からの感慨は豊満な何かを暗示していよう、しかしそれが五月雨で成就するのであろうか、もっと映像として顕せないだろうか、いまふと浮かん像は「青蛙」だった。序でだが、俳句は即物詩、であり、映像詩、である。その覚悟があってこそ17音が躍動するのであろう。秀作。「水を這ふはんざきの骨平べつた」。叡かに俳諧の詩であろう。歌仙のなかにある付け合い、その意味を理解していなければこの句の中にある真の凄みはわからないであろう。俳の聖は俳句など金輪際創ってはいない。歌仙の発句を常に生み出していた。俳句は俳諧の属性に過ぎぬ。この極めてあたりまえなことを看過している作者があまりに多すぎる。自分のはこの句座に居る一座の顔ぶれが花のように浮かんでいる。秀作。

花舎  薫

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。古くなった書物は紙が乾燥して色褪せ、時に端々が崩れて破れていることもある。そんな本を手に取ってページをめくると、小さな紙魚がするすると走るように逃げていくのに出くわしたりする。もう干からびて死んだも同然の書物に小さな生をみるとき、それはハッとさせられる瞬間である。濡れたようにひんやりと冷たい銀色は暑く乾いた空気を裂くように走る。ここには古書とは書かれていない。紙魚が走るのは八月。それは日本人にとっていろいろな意味で死を考える月、死者を思い自分の生を考える月である。普通ならば暑さを避けて陰から陰へというところだが、書物と繋がる裏から裏へという表現が使われている。人目につかない裏側に忘れ去られた人々の歴史やストーリーが息づいているということだろうか。視覚的であり奥深い内容で、かつ一読すれば忘れない巧みな言葉の選択がなされ、とても魅力的な句だと思った。

若森 京子

特選句「心療内科触れば閉じます含羞草」。人間の繊細で微妙な病いを診療する診療内科のメタファとして触れたら閉じる含羞草を持って来たのに惹かれた。特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河(十河宣洋)」。うっとおしく嫌な耳鳴りも、このような詩にすると案外楽しいかも知れない。難聴の私も詩にしてみよう。

津田 将也

特選句「母を詠む師の句碑ひそか苔の花」。掲句の、母を詠んだ俳句の作者は金子兜太です。彼の生家は、秩父皆野町皆野にあり、「壺春堂(こしゅんどう)」と言います。医師で俳人(伊昔紅(いせきこう))の実父・金子元春さんのかつての住宅兼医院で、現在は登録有形文化財になっています。今も、ここに弟の千侍(せんじ)さんが「金子医院」を営み、父の医業を継承し護っています。庭には、兜太の「おおかみを龍神と呼ぶ山の民」の句碑があります。母を詠んだ句は、皆野町有志が建立した兜太句碑八基の内の一つで、「夏の山国母いて我を与太という」の句碑です。『母は、秩父盆地の父のあとを、長男の私が継ぐものと思い込んでいたので、医者にもならず、俳句という飯の種にもならなさそうなことに浮身をやつしている私に腹を立てていた。碌でなしぐらいの気持ちでトウタと呼ばずヨタと呼んでいて私もいつか慣れてしまっていた。いや百四歳で死ぬまで与太で通した母が懐かしい』と。母を偲んだときの兜太の述懐があります。(兜太・自選自解99句より)※平成二十一年・「兜太・産土の会」有志により建立されたこの句碑は、秩父皆野町皆野・円明寺(明星保育園)境内に「常の顔つねの浴衣で踊りけり」(父・伊昔紅)の句碑と共に在ります。

鈴木 幸江

特選句評「麦秋のこの心地よい知らんぷり」。黄金の麦畑の存在としての美しい独自性を強い共鳴をもって捉えていると感心した。“知らんぷり”という悪く評価されがちの行為に善も潜むことに気づかせて頂いた。私もとても心地よくなった。問題句評「時の日や時間に追われぬそんな居場所(綾田節子)」。多くの人がそんな居場所を求めていることだろう。今流行のマインドフルネスなどもそんな必要性から注目されている。ただ、私の勝手な思いだが、“時間”を“時計”として欲しい。私にとって時間という概念には、時計時間とは別に経験・体験の時間もあり、そんな時間は私にとって宝物である。そのことを大切に意識したいと思うので、こんな我儘なことを書きました。

末澤  等

特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。 海の色、とりわけ瀬戸の海の青色グラデーションを『青の朧の襲(かさね)召せ』という表現で表したことは素敵だと感じていただきました。

滝澤 泰斗

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。つい一週間前に黒竜江省北部を旅して360度見渡せる農耕の大地に立ち、79年前の不可侵条約を破って攻めてきたソ連軍による開拓団崩壊の声は阿鼻叫喚だった。あるいは、事前に配られた青酸カリによる強いられた死は声なき声か。守るべき関東軍に見捨てられた開拓団農民の慟哭。特選句「黄はあやめ一途に南下して知覧」。戦争は15歳の少年を満州に送り鍬と銃を取らせて国境に張り付かせ、未来の日本を担う優秀な大学生を知覧に集め飛行機での体当たりを強いた。可憐なあやめに送られ沖縄の海に散って行った。見事な反戦句。共鳴句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。6/23 沖繩忌を想起。沖縄の犠牲に応えない政府の辺野古や基地問題を遠くから見つめるしかない無力感に苛まれる「父の日や父の日記の父の文字」。母の日ほどに注目されない父の日が父三連発で溜飲を下げた。父さんも頑張れ。

柴田 清子

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。を思い出している。今の止めやうのない戦争を「栓を抜く」と言う、軽いタッチで詠いながら、戦争のない平和を願う重い一句に仕上げている。

漆原 義典

特選句「雲一つ泳がせておく麦の秋」。おおらかな雰囲気が感じられます。良い句をありがとうございます。 

和緒 玲子

特選句「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」。何か踏んではいけないものを踏んでしまった足裏の違和感と罪悪感を、我が事のようにありありと感じて頂いた。そこはかとなく匂っていた雨の匂いも勢いもより強くなったのではないだろうか。季語は?などと問うのは野暮だろう。

松本美智子

特選句「やわらかな思想あつまる田植えかな」。「やわらかな思想」と対局にある「○○な思想」を想像してみました。すると太古の昔から思いを馳せながら田植えする姿は、人や自然に優しく柔らかなものに違いありません。平和を願うばかりです。

え い こ

特選句「やんばるの骨やんばるの夏ぐれに」。沖縄の山原地方にヤンバルクイナの骨がおちている光景は沖縄の明るくて気候と悲しい歴史、位置関係の運命や 自然の豊かさなどすべてを語りかけてくれるようです。特選句「瀬戸の海青の朧の襲(かさね)召せ」。瀬戸内で育ったわたし(たち)は 瀬戸の光景はふるさとのようなものです。青の朧という 表現と に心うたれました。たくさんの種類の青があるという意味かと思いましたが <襲召せ>という日本語を初めて見ました。

大西 健司

特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。いつからかしらないが母俳句に心動かされるようになっている。今回もまたこの句をいただいた。母の百年のあくびが何ともいい。緑陰に憩う長生きの母の姿が実に愛らしい。

榎本 祐子

特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月という特別な二重の意味を持った月。生命力に溢れる輝かしさと、辛い記憶の季節。紙魚は、あまり目に触れる事のない生き物だが確かにいる。八月の裏から裏へと繋がって存在している。

豊原 清明

特選句「蕨ゆで夕餉みそ汁母恋し」。この句を作った人の記憶が、よく描かれていて、いいなと思いました。問題句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。葬送の儚さ、悲しみ。「麦秋レゲエかな」と詠むところが好き。

樽谷 宗寛

特選句「心電図ピコピコ鳥獣戯画の青蛙(塩野正春)」。ピコピコのオノマトペ蛙の擬人化が面白いです。

石井 はな

特選句「少女らの無念は今も沖縄忌」。沖縄の終戦は未だです。少女に象徴された無念に心動かされます。

植松 まめ

特選句「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。耳鳴りから耳のさすらいそして青山河へとつなぐ言葉に惹かれました。耳鳴りからも詩が生まれるとは感動です。特選句「老年やふとサボテンが咲きにけり(吉田和恵)」。老年とサボテンちょっと不思議な取り合わせですがこの句を一読して、財津和夫がリーダーのチューリップの「サボテンの花」を思いました。「サボテンの花」はもう50年も前の歌ですが今も好きな歌でよく聴いています。あれは別れの歌だったがこの句は何かの出会いがあったのでしょうか。わが家でも2年前100均で買ったサボテンがやっと白い花をつけました。

松岡 早苗

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。「田植」と「思想」の取り合わせがおもしろく、「やわらかな思想」にも目が行く。能登の白米千枚田のような棚田が浮かぶ。大型の田植え機が入らず棄てられるはずの田んぼに、子どもや学生、主婦や起業家など様々な人が集まり、手作業で田を植える。効率や生産性は二の次。泥まみれの和やかで素敵な光景。特選句「八月の裏から裏へ紙魚走る」。八月の燃えるような日射しの裏側には、拭うことのできない暗く悲惨な戦争の記憶が紙魚のように存在している。紙魚は生き続け、世界の各地で戦争が続く。詩句であり警句でもある。

河野 志保

特選句「牛蛙一言申し添えました」。一読してほっこり、かわいい句。とぼけたような「一言申し添えました」がぴったりだと思う。牛蛙の声が聞こえてきそう。

すずき穂波

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」この句の「キリスト」は十字架。ネックレスだろうか。日頃は首にかけているが、「雨の昼」と薄暗さがあるので、宗派の異なるお葬式か何かに出席されたのではないか。しめやかで、静粛な心持ちが現れている。「ハンカチ」のさらりとした季語であるにもかかわらず、複雑な感情が醸し出されていて、心惹かれました。特選「雨匂ふ夜や何かを踏みつける」匂うような雨に、源氏の「雨夜の品さだめ」を思った。夜更けのひそひそ話に耳を傾けていたら、何かを踏んづけてしまったか?「何か」はきっと、ぬめぬめとしたものだ。ちっちゃな、ちっちゃな「鵺」のような、得体のしれないものか。ともあれ 夜中のひそひそ話には、近寄らないに限る。

三好つや子

特選句「やわらかな思想あつまる田植かな」。思想というほど大袈裟なものではないにしても、田植えという労働には、脈々と受け継がれてきた結のこころがあります。そういう思いをこの句から感受。特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらふ紫陽花(すずき穂波)」。梅雨が似合う紫陽花。私たちが花と思っている部分は、咢が変化したもので、小さな粒の集まりが花だとか。日ごとに色が微妙に変わるなど、紫陽花の神秘さを、思想家と夢想家という言葉がうまく引き出しています。「耳鳴りの耳のさすらい青山河」。頭にまとわりつく、虫の声のようで、さざ波のようで、梢をぬける風のような音。私も耳鳴りなので、惹かれました。「むらさきのかの人麦の風になる」。一読して、らふ亜沙弥さんへの追悼句だと思いました。お会いしたことはありませんが、「何をもってフツウミミズにフトミミズ」など、彼女のユニークな作風に注目していました。ご冥福をお祈りします。

野口思づゑ

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」。実際には聞いたことのない、薩婆訶の僧の声が聞こえて来そうでした。特選句「蛍舞う子を抱き途方に暮れた日も」。どのような事情があったのでしょうか。「唐揚げが口よりも大きくて夏」。唐揚げの大きさが夏と関連するのかどうか。それなのに夏を感じさせる一句。「会へぬまま出し病院さみだるる」。患者の具合か、事情からか、何かの理由で見舞いが叶わなかった心情が「さみだるる」の下5によく表現されている。

岡田ミツヒロ

特選句「過ぎ去りし人びとのこゑ大夏野」。広々とした夏野、そこに立てば少年期青年期の様々な情景が蘇る。懐しい父母や友の声が心地よい風の中に聞こえてくる。みな元気で溌溂としていた時代。特選句「緑陰の母百年のあくびかな」。マスクなどせず、伸び伸びとあくび。樹々の精気を深々と吸い込む。百才の生命力が力強い。

伊藤  幸

特選句「養花天初老に席譲る大老人」。大老人の表現にクスッと笑みが込み上げてきます。雲が花を養うという養花天の季語もピッタリです。特選句「紅茶くるくる春愁の匙ひかる」。歌いだしたくなるような句です。もの憂げな気分も楽しい歌に変えてしまうのは小さなスプーンが光りながら生き物のようにくるくる回っているからではないでしょうか?

田中 怜子

特選句「故郷捨て渡満し捨てられ曼珠沙華」。戦後78年、国策で渡満し、中国人から安くとりあげた土地を耕す・・・客観的に見れば酷いことをしてたのだが、あの頃は日本国民も広い土地をもって希望をもっていたのでしょう。そして、世界に国土をめぐる争いが続いている。この方もどういう思いだったのか、話を聞いてくれる人たちと思う存分気持ちを吐露してほしいですね。特選句「山峡に目刺しのごとく鯉のぼり」。日本の原風景と、子供の成長を寿ぐ世の中になって欲しいですね。

山田 哲夫

特選句「雲へ話して麦わら帽子落っこちて(三枝みずほ)」。童子の会話の一フレーズのようでありながら、微妙にメルヘンの世界へ誘ってくれるような句で心惹かれた。柔らかな詩心がないとこうした一句には成りがたいと思った。

河田 清峰

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。始まると止まらない戦争が哀しい。

三好三香穂

「雲一つ泳がせておく麦の秋」。気持ちのよい句。よい天気で青空がひろがっている。ポッカリ一つの雲もさも自分が泳がせているように錯覚。神のような振る舞いですね。ウクライナカラーですね。「父の日や父の日記の父の文字」。私も、父がなくなってから、父の日記を捲ってみたことがあり、癖のある父の字に、妙に父を感じたことがあります。「やわらかな思想あつまる田植かな」。農耕民族である日本人、柔らかに自然を受け入れて、営営と暮らしてきました。「出してみるだけの水着よ三面鏡」。10年前の、あるいは20年前の捨てられない水着、中々捨てられません。スイミング、あるいは水中ウヲーク始める日がくるでしょうか⁉️

柾木はつ子

特選句「薫風や薩婆訶薩婆訶と僧の声」仏教語で「薩婆訶」とは祝福とか、幸あれとかいった祈りの呪文だそうですが、まさにこの爽やかな薫風の中で響く言葉は身も心も清浄にしてくれるような気がします。「そ」で韻を 踏んでいるのも効いていると思いました。特選句「三年目は微妙なじかん百日紅(三好つや子)」。「石の上にも三年」とか「三年目の何とか」よく言われますが、人が何か変化を求める時とかある決断をしようと思うのがこの時期なのでしょうか?「微妙なじかん」の表現に作者の心の揺れが感じられて興味をそそられました。

三枝みずほ

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。口よりも大きい唐揚げを食べることが、生きる為の力とすれば野性味を帯びた一句となり夏も効いている。獣のように肉を食いちぎる力は生命を欲る活力そのもの。

時田 幻椏

問題句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花」。意味わからず、情況つかめず。「足首の美しき少女や新樹光」。単に足首フェチなだけなのですが・・。良く解らぬままに、特選句を選び得づ、でした。父は考なのか父なのか、放飼の措辞で宜しいのか、百年のあくびは?などと思って要ります。

荒井まり子

問題句「詩のように走る老人五月晴れ(竹本 仰)」。五月晴れの元、どの様な詩なのだろう?この年齢になるまでの百人百態面白い。

高木 水志

特選句「水を這ふはんざきの骨平べつた」。渓流の岩石の下や洞窟の中に身をひそめて、目の前に現れた昆虫や魚、蛇などを丸飲みするはんざき。そのはんざきが岩陰からのそりと出てきて水の中をゆっくりと動いている様子を見て、はんざきの骨が平べったいと気づいたことが面白いと思った。

山下 一夫

特選句「唐揚げが口よりも大きくて夏」。何よりも口より大きい唐揚げというのがシンプルに面白い。また、夜店の買い食いや海水浴のお弁当、暑気払いなどの飲み会でのアテ等唐揚げが付き物の夏の行事がさまざまに連想されて楽しいです。特選句「二の腕の足らぬ筋肉冷奴」。二の腕はいわゆる力こぶ(上腕二頭筋)があるところ。ここは少し鍛えるとすぐに大きくなり、逆に使わなかったりダイエットするとすぐに萎みます。ところが二の腕の骨を挟んだ裏側は、鍛えてもなかなか筋肉がつかないし、ダイエットしてもタプタプのままです。掲句では日ごろ使わず日光も当てない二の腕の見てくれや触感を冷奴に喩えたと見え、秀逸かつユーモラス。また、いじらしい女ごころ?も垣間見えるようで楽しめました。問題句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。一読意味が判然しないのですが、何かを暗示している気配が濃厚です。誤読を覚悟でいうと「絹脱げば」は絹の靴下を脱ぐの省略で女性の性的な含みのある行動、「晩節」は晩年の節操。「鳥」は男か。総合すると、年配の女性が恋愛的な勝負に出たが都合よく利用されただけに終わってしまったという自嘲かと。当方の投影に過ぎないとすればすみません。

菅原香代子

「雨匂う夜や何かを踏みつける」。しっとりとした雨と何かわからないものの取り合わせが絶妙です。

佐孝 石画

特選句「五月雨やためしに息をとめてみる」。一瞬通り過ぎてしまいそうな柔らかな抒情風景だが、「ためしに息をとめてみる」という感覚には、何か後を引くものがある。その感覚の向こう側にあるものは、やはり「死」の世界なのだろう。「五月雨」の空気が水中を想起させ、水中で「息をとめてみる」幻想を連想させたのだろう。それだけでは茶目っ気のある軽い諧謔にとどまりそうだが、徐々に「雨」が「人」の翳へと変容し、その翳の中で揺れ動く一人の人間のたじろぎ、哀愁が見えてくる。「息をとめてみる」とは、少なからぬ「死」への願望であり、一度「死」を受容することで、また日常へと帰還していく、作者の転生、再生の物語でもある。

新野 祐子

特選句「地球儀に瓦礫の地帯スコール過ぐ」。ウクライナ・パレスチナのみならず紛争中の国々、地震や水害に被災した国々と、現在の世界の悲愴な様相が想起され、胸に迫ります。

疋田恵美子

特選句「知らぬことの幸せ多し梔子の花(藤田乙女)」。知らない事は幸いなことで雑念は不要、下五で言い得ています。特選句「ナルシスのように伯父死す夏の川(新野祐子)」。ギリシャ神話の美少年、素敵な伯父さまでしたでしょうね。飯田龍太さんの、いとこさんの事を思い出してしまいました。

山本 弥生

特選句「 父の日や父の日記の父の文字(岡田ミツヒロ)」。父亡き後、数年経て父の日に父の日記を読み、何とも懐しい父の姿が想い出されて生前には気付かなかった父への深い想いが甦って来た。

森本由美子

特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」。すぐれた詩情と物語性をもった句と思う。葬送の余韻にオーヴァーラップして、後拍にアクセントのあるレゲエのリズムが韻をふむように刻まれてゆく。哀しみを麦秋の中に溶かし込むように。

吉田 和恵

特選句「思想家ゐて夢想家ゐてわらう紫陽花(すずき穂波)」。思想も、夢想も、紫陽花の花びらのように、それを取り巻く人達がいて。そんな時代が、いつかまた訪れるのでしょうか。

川本 一葉

特選句「生まれたて豆粒ほどの青蛙」。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズに「豆粒ほどの小さな犬」と言う物語があります。透明感と水と風を感じます。そんな世界観を現していて、物語を紡ぐ句だと思いました。

薫   香

特選句「すずらんのふるえ大地の母音とも」。小さなスズランの花も根っこは大地に繋がっており、震えは大地に繋がっていくという壮大な景色を見せていただきました。

竹本  仰

特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」:シルクの服を脱ぐと、そこがいつの間にか鳥のねぐらに。そうか、これが晩年か。何十年の流れが濃縮されている。それにしても、この鳥はめざめたら、どこへ旅立つのだろうか。晩説とはいえ、この楽しみ、好奇心、人生のワクワクは最後の最後まで。これを曲線にすれば、二次関数だったか、あの形を思い出した。特選句「葬送の果ての麦秋レゲエかな」:葬儀の後のあの現実の見え方というのは、変に明るい。たとえば伊東静雄の詩の〈死んだ女(ひと)はあつちで/ずつとおれより賑やかなのだ/でないと おれの胸がこんなに/真鍮の籠のやうなのはなぜだらう…〉「田舎道にて」のような違和感がある。人間とか生きものとか、そんなものを学ばせてくれたように思える瞬間があるのだ。特選句「ふれるのを待っていたのかほどけし薔薇」:薔薇の最期を詠っているのか。昨日まで咲いていたのがいきなりいなくなる。旅立ちというにふさわしい終り方をするのだが、ふいに今声をかけられたようにそんな薔薇に気づいたのは自分を選んでくれた気がしたのだ。薔薇(そうび)汝病めり…『田園の憂鬱』をなぜか思い出した。逝く人は自分を語らない、語るのは悼む人だけだ、とそんなことを思い出させた。 以上です。みなさん、いつもありがとうございます。よろしくお願いします。

菅原 春み

特選句「栓抜いた戦争流れ出して夏」。栓抜いたという比喩が卓抜です。改めて納得した次第です。特選句「森の夜に万の眼や河鹿笛」。季語の河鹿笛が効いています。森の中に潜むさまざまな生き物を想像します。

大浦ともこ

特選句「ハンカチにキリストくるむ雨の昼」。キリストをハンカチにくるんだのは何故なのだろうか、静かな危うさのようなものを感じる。「雨の昼」の物憂い感じとも響きあっています。特選句「絹脱げば鳥の塒となる晩節」。絹を塒とする鳥のイメージと人生の終盤の取り合わせは不思議で好もしい。どう詠んでいいのかよくわからないところも魅力的です。

亀山祐美子

特選句『緑陰の母百年のあくびかな』。大きな木の下でくつろぐご長寿のお母様のあくびを眺められる幸せ。穏やかな時間。羨ましいです。

向井 桐華

特選句「足首の美しき少女や新樹光」。陸上の選手であろうか。すっと伸びた脚の、その足首の美しさ。まばゆい光とそのコントラストがとても丁寧に描けていて素敵な句です。問題句「目を覚ませ いちご薄暑だ 革命だ」。「いちご白書」を「いちご薄暑」としなくても無季の句としたほうが良かったのではないかと思いました。

銀   次

今月の誤読●「緑陰の母百年のあくびかな」。母は今年で百歳になる。老いてますます盛ん、などという慣用句があるが、まさしく母はその言葉にもっともふさわしい実例といえよう。食欲は旺盛、食後にはビールを飲み干しカッカと笑う。むろん足腰も丈夫で、日課の散歩は欠かさない。散歩から帰るとたいてい縁側に坐る。縁側には少々くたびれた座布団が置いてあり、そこが母の定位置なのだ。縁側の母にお茶と甘納豆やセンベイといった茶菓子を持っていくのがわたしの役目だ。初夏のよく晴れた昼下がりのことだ。母はお茶を手に座布団に坐っている。わたしはその横でボンヤリと庭をながめている。と、突然母が「フワッ」と声を発した。わたしはなんだろうと隣にいる母を見た。なんのことはない、ただのあくびだった。だがそのあくびがなかなかおさまらない。どころか、どんどん大きくなって、母のまわりの空気に異変が起きた。空気が大風となって母の口に激しく流れ込みはじめたのだ。と、その口に湯飲みが吸い込まれた。次いで菓子盆が、扇風機が、庭の盆栽がと、まるで巨大な掃除機のようにあたりのモノというモノ、冷蔵庫から洗濯機、時計、椅子、机、なにもかもが母の口に流れ込むのだ。わたしは母のカラダを抱きしめてなんとか難を逃れたが、妻や子が母に飲まれるのは止められなかった。それでも母のあくびはまだつづく。やがて歩いていた通行人や走っていたクルマ、近所の家、遠くの家、ビルが電車が、船が飛行機が、山が川が、あまつさえ海が、国会議事堂がホワイトハウスがクレムリンが、議論が駆け引きが戦争が、ああ、時代が歴史が文化が文明が母のあくびに吸い込まれていく。かくして最後に残ったわたしだったが、やがてあえなく飲み込まれた。ふと気づけば、抱きついていたはず母さえも、母に飲み込まれていたのであった。ここはどこだ? 母の体内か? そうするとわたしの抱きついている母はだれなのだ? と、どこからか、「フウ」というため息にも似た声がし、つづいて「ああ、いい天気だ」という声がした。

野﨑 憲子

特選句「若き日のあなたの影よ鮎踊る」。鮎の踊る清流をみつめていると一瞬若き日の影が過る。川の流れに身を任せ日輪に抱かれ月光に抱かれた至福の日々が蘇る。<あなたの影>の演歌的はフレーズが胸に沁みた。鮎は年魚。一年の命をいのちのかぎり生きている。特選句「蜘蛛の巣や駅は発着繰り返す」。駅舎の天井に張った蜘蛛の巣だろうか。始発から終電まで乗り降りを繰り返す人の営みと、それを天井から眺めている蜘蛛の対比が、鋭い。蜘蛛の巣が天網にも見えてくる。さすれば銀河鉄道の駅だろうか。問題句「アマリリス二足の一つにハイヒール」。問題句というよりこの奇想に驚いた。あのラリラリラリラの真っ赤なアマリリスが靴を履いているのだ。二足とあるから、そのうちの一輪はハイヒールでどんなダンスを踊るのか。ただ、<二足の一つに>が、少しわかり難かった。が、ワクワクする作品。♡新茶を飲んだら、色んな雑事から開放された。句会という最高に楽しい場を創らせていただける嬉しさ。今後とも、よろしくお願い致します。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

桜桃忌
爪切って夜の深きを桜桃忌
三枝みずほ
桜桃忌泣きたい午後は墨を磨る
すずき穂波
降り始めの埃の匂い桜桃忌
藤川 宏樹
濁流に消ゆる花束桜桃忌
稲   暁
酒場ルパンの火の酒を酌む桜桃忌
銀   次
回転ドアに恋を阻まれ桜桃忌
岡田 奈々
桜桃忌中途半端な恋でした
野﨑 憲子
ちりちりと炙ってみたし夏の箱
銀   次
もう箱入娘にあらず夏の海
稲   暁
箱を出てオオムラサキになりました
野﨑 憲子
母の味妻手づくりの箱の鮓
島田 章平
黒い箱目に見えぬもの隠したる
薫   香
夕立晴線路添ひゆく箱男
すずき穂波
百葉箱りゅんりゅんからすうりの花
和緒 玲子
水無月
青水無月遠い昔を連れてくる
すずき穂波
水無月の雑多匂いて中華街
和緒 玲子
水無月や星のくしゃみと吾のあくび
薫   香
水無月やそろそろ腹が減ってきた
藤川 宏樹
人類哀し青水無月の帆影
野﨑 憲子
走り切って雲時計の針が消える
三枝みずほ
雲助も行者もくぐる茅の輪かな
すずき穂波
隠し事のひとつやふたつ今日の雲
薫   香
夏雲を呼ぶや少年うずくまる
三枝みずほ
先生と呼ばれ振り向く夏の雲
藤川 宏樹
ソフトクリームの空中散歩はぐれ雲
岡田 奈々
色即是空空即是色雲の峰
島田 章平
日傘
さよならの合図は日傘を三度振る
銀   次
少女期のはや過ぎ行きし日傘かな
稲   暁
顔ひとつ忘れ白日傘ひらく
三枝みずほ
白日傘集いてどうでもいい話
和緒 玲子
純粋にはもう戻れない白日傘
すずき穂波
照る照る坊主を日傘に吊す雨予報
岡田 奈々
夕浜に影のあつまる白日傘
野﨑 憲子
銀座ゆく男の日傘午後三時
島田 章平

【通信欄】&【句会メモ】

今回の高松の句会には、広島からすずき穂波さんがご参加くださいました。お陰様で、事前投句の合評も、袋回し句会も、いつにも増して刺激的で楽しく豊かな時間でした。

月に一度の、この句会から、混迷の世界へ向けて渾身の愛の句が多産されますように!!今後ともよろしくお願いいたします。

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