2024年11月25日 (月)

第156回「海程香川」句会(2024.11.09)

瓶が森.jpg

事前投句参加者の一句

                                                                       
うふふのふ眉刷毛万年青(まゆはけおもと)が咲いたのよ 植松 まめ
しんにょうに小さき河口小鳥来る 松本 勇二
ウエストの百までの道ふりかえる 中村 セミ
いたむ身を癒やす行火や姉心 え い こ
ノーベル賞核廃絶の鈴鳴らす 塩野 正春
ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる 津田 将也
熊野道冥く通草の蔓を引く 大西 健司
逆光に幻をみる冬の朝 石井 はな
小鳥来る、までは全角句読点。 藤川 宏樹
いつからか檸檬爆弾期限なし 各務 麗至
短日や一天自尊の蛇笏いて 樽谷 宗寛
天と地と海一色の野分かな 疋田恵美子
木枯一号くちびるの血の透きて 小西 瞬夏
八十路なり貰いし冬瓜持て余す 山本 弥生
一僧の秘めし一輪一葉忌 岡田ミツヒロ
祖父たちのフォーク公演菊日和 吉田 和恵
金木犀耳になじみの遠太鼓 亀山祐美子
鴇色の釦と胡桃置いてある 男波 弘志
ニーチェ読む友の余命や露うごく 河田 清峰
生き方は変えない黒いロングコート 柴田 清子
秋うらら自転車の空気抜けてます 綾田 節子
地獄には地獄の花が咲いている 稲   暁
芒原千年先が振り向いた 三好つや子
秋霖の馬濡れており許される 佐孝 石画
鰯雲ほどけるだけの愛なんて 高木 水志
まとまらぬ会議時雨の窓の音 松本美智子
生きるために殺す細胞銀河濃し 月野ぽぽな
蒼穹に冬木のてっぺん揺らぎおり 花舎  薫
蕎麦の花五体投地の膝頭 荒井まり子
秋日和鍬持つ老爺の立ち尿 銀   次
栗の意志棘殻皮ではね返す 滝澤 泰斗
星月夜大丈夫と声に出し 薫   香
マフラー外すフェイドインの小劇場 森本由美子
数独の森きいーんとわたし霧雨 すずき穂波
柿剥かれ切られて種の胚芽透く 時田 幻椏
締め切りに月下美人の知らんぷり 三好三香穂
ほれ込みすぎたから黒葡萄ばらばら 桂  凜火
シャッターの街や小柄な聖樹たち 松岡 早苗
秋夕焼一行詩のよう母生きて 増田 暁子
もどる家老犬老夫枯すすき 鈴木 幸江
磨崖仏じつと冬日を待つ朝 佳   凛
青北風に混線しそうな思考回路 伊藤  幸
幸福を飼育小春のリビングで 島田 章平
秋風や甲骨金文なぞる旅 漆原 義典
風紋に二十三夜の襞ほのか 大浦ともこ
草の花とはあまりにも大雑把 河西 志帆
毒毒と鼻血ふきだす憂国忌 田中アパート
音のなき投函秋思のはじめかな 野田 信章
新涼や風をいざなう水の音 末澤  等
竹の春何時迄土が持つことよ 豊原 清明
大綿の友軍のよう夕日照る 十河 宣洋
龍太絶筆の「雲母」照らす柿すだれ 岡田 奈々
小六月磁石のように父と母 向井 桐華
冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ 和緒 玲子
自然死とは野菊の道の行き止まり 若森 京子
外つ国の人もぞろぞろよされ節 福井 明子
丸いもの四角と思う秋思かな 野口思づゑ
去年とは違ふわたしのゐる時雨 柾木はつ子
金木犀むかしの恋のごと零れ 榎本 祐子
虫の音に溺れ死にするほど一人 新野 祐子
オリオン座いいな故郷って走っちゃお 竹本  仰
どんぐり銀行裏金預かります 三枝みずほ
狼と同じ地上に棲む月夜 河野 志保
戦争を止めぬ人間文化の日 藤田 乙女
若冲の群鶏の声照る紅葉 重松 敬子
生協もアマゾンも来る獺祭忌 菅原 春み
<三十代江川太郎左衛門>韮山の才気の坊や母さん子 田中 怜子
威張りつつ頼る年頃とろろ汁 山下 一夫
句読点うたねばならぶ吾亦紅 飯土井志乃
霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ」。独特の冬の初めの感覚。肌寒く、少し肌がピンと張り詰めるような気分。そんなときにはちょっとした匂いに敏感になるのかもしれない切り口にオリジナリティを感じた。

福井 明子

特選句「草の花とはあまりにも大雑把」。ひとかたまりになってふところにとびこんでくるような一句、いただきました。草の花、さまざまあります。先日まで犬蓼の花が咲き連なり見事でした。小さな草の花も懸命です。

松本 勇二

特選句「金木犀むかしの恋のごと零れ」。朝起きると全く見事に地を金色に染めている金木犀のような、突然の失恋であったのでしょうか。素晴らしい比喩です。

榎本 祐子

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。秋の夕焼けの鮮やかな色や一行詩で、母の生き様が窺えます。

岡田 奈々

特選句「秋うらら自転車の空気抜けてます」。行くぞーと飛び出したら、グラグラぽてっ。もう、自転車なんか放り出して、走るしか無いね!特選句「ほれ込みすぎたから黒葡萄ばらばら」。ヒャッホー!そんなに葡萄がばらばらに成る程の恋っていつのことやら。でも、良いですよね、当たって砕けやがれですよ。「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。死ぬ時は満足した良い顔をして、あの世とやらに旅立ちたいものだ。「霜踏めば喜悦の尾てい骨」。霜で滑ってしこたま尾てい骨打って。あの痛さ。もう、笑うしかないよね。「八十路なり貰いし冬瓜持て余す」。産直市で安いからと、一個買って、その量に驚愕したことがありました「祖父たちのフォーク公演菊日和」。私も先日大学のフォークソング部のライブに参加してきました。それでもアコースティックギター一本弾きながら、歌うってほんと菊日和にぴったりです。「こそばゆし赤い羽根ある左胸(和緒玲子)」。ちょっと恥ずかしいような誇らしいような気持ちがこそばゆいのひと言であらわされている。「柿剥かれ切られて種の胚芽透く」。柿を適当に切ると種の中が見える。あの乳白色の煌めきが宇宙の煌めき。「丸いもの四角と思う秋思かな」。本当のところ上手くいっているのに、一つ一つあげつらって文句付けて。まあ、それも愉しかれ。「どんぐり銀行裏金預かります」。良いですね。裏金も表金もどんぐりに換えて、どんどん森を増やしましょ!

月野ぽぽな

特選句「戦争を止めぬ人間文化の日」。文化の発展や自由と平和を称える日であるこの日に、戦争が行われている事実を合わせることで、人間世界のアイロニーを明るみに出しています。

十河 宣洋

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。「霧に白鳥白鳥に霧といふべきか 金子兜太」「芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏」甲府の文学館での兜太展への挨拶句。小鳥は作者か。おみごと。特選句「数独の森きいーんとわたし霧雨」。私は毎日、数独というかナンプレを楽しんでいる。あの楽しさはなかなか周囲のものに分からんらしい。わたし霧雨の気分がいい。ところでこの句、「と」は無くてもいいと思うがどうだろうか。あっても佳しである。

豊原 清明

特選句「逆光に幻をみる冬の朝」。「冬の朝」に幻想を持って来たかと思った。問題句一句 「さよならを言ったのは私火が恋しい(柴田清子)」。さよならと言って、凍った感じがよく出ている。

すずき穂波

特選句「秋霖の馬濡れており許される」。馬が初秋の長雨にしっとり濡れている。人の手によって繋がれているだろうその馬は、なされるがままであり静か。拘束をする側の人間が本来自由であるはずの馬に許されているのだ。人間社会と馬社会との見方も出来るが、ひょっとしたらこの馬、作者の配偶者の象徴ではないか?

男波 弘志

「秋霖の馬濡れており許される」。何を許されているのだろう、そう問うことが実は生きることの本体を離れてしまっている。雨に打たれても、風に破れても、星に砕けても、そこにある、ただある、それが生というものだろう。秀作。「骨になるまでの手続き星流る」。生の移りかわりを、手続き、という機械的な運びに置き換えているのが面白いが、その答えが、星流れ、ではその面白味が機能していないだろう。つまり自然の流れに抗ってみたりしている人間の滑稽さが浮かび上がってはこない。自分がふと浮かぶのは「糸瓜棚」とかそういう日常に近いものだろう。予選。「生協もアマゾンも来る獺祭忌」。正直忌日の一行詩は自分は創らない。創ったことがあるのは両親、祖母、恩師、だけ、弾みでそれ以外の忌日を創ることもあるがどれも駄目である。実際に面識もなく思い入れもそれほどなければ当然真面な一行詩はできない。誰の忌日でもなんとなく収まってしまう。それが忌日の句の難しさであろう。しかし掲句はなにか時代の転換点、結節点にいた人がさまざまなものを取り込んでは喜び、失敗している様がよく出ている。獺祭の宴があちこちに散らばっている。書籍も何もかも、ひとつもの足りないものがあるの、それは誌的情操であろう。秀作。

野田 信章

特選句「わが秋や土下座に似たる土いじり(津田将也)」。「わが旅や」と、慣用的な述懐ながら、この作者なりの一句に仕立て上げられているのは中句以下の具体的な把握にあると思う。「土下座」の語句の配合が大きく、歳月を経てもなお精出しての「土いじり」の活写が美しい。わが作句の志向性の上でも素朴さの基調をなす「土」について再考したいと思う。

樽谷 宗寛

特選はありません。問題句「青北風に混線しそうな思考回路」。青北風が素晴らしいですが少しごちゃごちゃ感ありと思いました。宜しくお願い致します。

島田 章平

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。掲句は金子兜太の代表作「霧の村石を投うらば父母散らん」と飯田蛇笏の代表作「芋の露連山影を正うす」を念頭に詠まれた佳句。他界から小鳥の声が聴こえてくるような・・。

河田 清峰

特選句「自然死とは野菊の道の行き止まり」。花の下で死ぬより野菊の道で自然死をしたい。そんな気持ちにさせられる句。

石井 はな

特選句「磨崖仏じっと冬日を待つ朝」。人々がありがたく見上げる磨崖仏も寒さに耐えて朝日のさすのをじっと待っている。そのおかしみが良いです。

和緒 玲子
特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。絶え間なく虫の音がする夜。その虫の音に溺れ死ぬとはなんと詩的な把握だろう。「溺れ死ぬ」の響きは暗いものでありながら、一人だからこその「溺れ死ぬほど」明瞭で清潔な虫の音なのだろうと解釈した。一読で覚えてしまう位に好きな句。

塩野 正春

特選句「鰯雲ほどけるための愛なんて」。鰯雲を恋に例えるのは素晴らしい。あの緩い形の定まらない雲はいうなれば密着したり離れたりと繰り返す恋の形だ。特に思春期の恋は柔らかい雲みたいなもの。熟年同士もこんな付き合い方が欲しくなる。私の友人(女性)は週末婚とかいうのを楽しんでいた。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。現実に細胞は生と死を繰り返している。皮膚の代謝や骨の破骨細胞と骨芽細胞の絶妙なバランスはよく知られている。植物も枯葉になることで次の年の栄養を蓄積するといわれる。下五の銀河(季語、秋)濃しで、このバランスが宇宙にも広がっていることを詠んでいる。星の生死がビッグバンを起こしたりブラックホールになったりを数十憶年毎に繰り返している。生きるために殺す事は自然界の、ある意味では神の業だろう。

河西 志帆

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。凄い孤独感を思いました。でも、だからって、そんなに深刻ではないんですよね。「戦禍あり地球冷ややかに傾く」。私達が知らないでいる戦争も、そこらじゅうにあって、きっと何処も終わらない。「去年とは違ふわたしのゐる時雨」。自分を変えられたらなあ〜と思ったり、打ち消したりしています。なんかいい事あったみたいですね。♡昨日の雨が嘘のようなお天気!6年生のマゴのエイサーに感動してほろりとしました。沖縄の運動会は明るいんです。

津田 将也

特選句「締め切りに月下美人の知らんぷり」。月下美人は晩夏の夜、二〇センチほどの強い芳香のある白い花を咲かせる。だけど、この花、夕方から咲きはじめ、朝には萎んでしまう。まるで、「あなたの締め切りになんか関わっちゃ居られない」とでも云った風趣に・・・。

野口思づゑ

特選句「小六月磁石のように父と母」。小津安二郎の映画に出てくる穏やかな老夫婦がご両親とはお幸せですね。磁石のように、きっと無理せず自然に寄り添っているご夫婦なのでしょう。季語の小六月の語感がとても効果的です。「芒原千年先が振り向いた」。過去でなく未来が振り向いた発想が面白い。「秋夕焼け一行詩のよう母生きて」。しっかりと信念を貫いての生き方が伝わって来ました。「虫の音に溺れ死にするほど一人」。凄絶です。♡シドニーは少し夏らしくなって来ました。香川もきっと秋らしい気温の日々だと思います。今月もまたよろしくお願いいたします。

花舎  薫

特選句「夫々に生きておんなじ月仰ぐ(新野祐子)」。別れを経て別々の人生を歩んでいる二人だろうか。事情があって違う土地で暮らしている二人かもしれない。月を見上げて相手のことを想う。あるいは月を見ているとその人を思い出す。「おんなじ」と強調した言葉に、繋がっていることの喜び、相手に対するどこか捨てきれぬ想い、そしてそれぞれが今ちゃんと生きていることへの誇らしい思い。月という物悲しくも美しい季語と呼応して、いろんな感情がこの気負いのないシンプルな句に込められている。

え い こ

特選句「冬ざくら遥か太古を偲びけり(柾木はつ子)」。気候が変わって、植物も開花期をまちがえているらしいです。太古の昔 大地に初期の桜はどんな季節にどのように芽吹いたのかな、とこの句をみて、思いを馳せました。特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。年齢を重ねると、さまざまな方々と別れ 離れ ふと寂しさにおそわれることがあります。だんだん 理解できてきた心境です。

大西 健司

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。ただもううまいもんだなあと感心しつつ、山梨行きたかったなあと悔いての特選。

鈴木 幸江

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。人それぞれだと思うが、私には亡き古今亭志ん朝の顔が浮かんだ。理由など言うのは、野暮というもの。止めておく。ご興味の御有りの方は、是非一席You Tubeでお試しあれ。リズムカルな江戸弁もなかなかいいものですよ。この作品は、京都方言でしょうか?さぬき方言でしょうか?“はる”という微妙な距離感のある敬語が素敵!

高木 水志

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。長い秋の夜に様々な虫の声が作者を包み込んでいる。

藤川 宏樹

特選句「柿剥かれ切られて種の胚芽透く」。柿を割るごとに包丁が通った種を目にする。林檎、蜜柑、葡萄、西瓜、ピーマン、柿。種にも様々あるが、柿の胚芽の透明感は殊更に美しい。この気付きに一句をなしたのは作者のお手柄です。

植松 まめ

特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。うまいなあこんな句出来たらいいなあ羨望です。特選句「余呉びょうびょう破線乱れる帰燕かな(増田暁子)」。この句もうまいなあ普段は穏やかな余呉湖だが北へ帰る燕の前途の多難を暗示しているよう。

中村 セミ

特選句「余呉びょうびょう破線乱れる帰燕かな」。余呉は賤ヶ岳を隔て琵琶湖の北にある三方を山で囲まれた断層盆地で琵琶湖との水面落差45mある余呉町の湖のこと。びょうびょうは風を切る燕がここへ、帰ってくる様かと思う。厳しい状況でそこへ辿りつく人間の事をよんでいる。燕は夏季語だが、厳冬を思わせる人生句かと思う。♡新春特別自解スペシャル「ウエストの百までの道ふりかえる セミ」。ダルマの様な体になってしまった。昔はコケシのウエストだったのに、と思う。そんな時、自室にあるタンスの扉をあけると、あの若き20歳の75の腰回りから100以上に至るズボンや、背広が吊られている。人生の歴史というのは、ウエストの事ではないのか?「おお,ウエスト90前後のズボンが、何着もあるではないか!」どんなに、生活や、人生に弄ばれ苦しみ、この体が流されていったかが、よくわかる。だが、ヒッチコックも、偉い方々も,ダルマさん体型は多い。そうだ、このことに、自信と強い意志をもてば、いいのだ。と、最近悟った。

若森 京子

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。京都弁で柔らかく死を表現している一句。この様に眠るように死にたいものだ。一字空けは不要と思う。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。例えば手術等は、生きるために感染してゆく細胞を切除する。もっと角度を変えて,広い見方をすれば、戦争も自分の生きる欲望の為に他人を殺している。銀河濃い美しい宇宙でこの様な残酷なことが繰り返されているのです。

伊藤  幸

特選句「うふふのふ眉刷毛万年青(まゆはけおもと)が咲いたのよ」。上語「うふふのふ」が何とも言えず楽しかったので眉刷毛万年青がどのような花か検索したところ納得。この花によって掲句の話し言葉が生かされていると思う。特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。「霧に白鳥白鳥に霧と言うべきか 金子兜太」「芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏」いずれも秋の代表句。評するには余りに烏滸がましいので止めておきましょう。

各務 麗至

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。定型俳句なら、何か散文的でもあるけれど「ええ顔して秋をしんなり死んではる」でもよさそうだけど、「ええ顔してはる死んではる」の「はる、はる」や気持ちの籠もる「秋をしんなり」で、対峙する両者の関係や情景が見えてきて、『俳諧自由』や自由律や一行詩も許容するなら読み手次第で大きな豊かな広がりを齎すように思えました。特選句「星月夜大丈夫と声に出し」。感動や感激的「星月夜」を見上げて、淋しさや苦しさを知っての一所懸命の一人なら自分に言い聞かせたくなる言葉だろうし、友人や恋人や夫婦なら、「大丈夫?」と相手を心配する言葉だったり、「大丈夫一緒に頑張ろう」という言葉だったり・・・・。星は夫々でも月には満ち欠けもあるけれども、それこそ宇宙にしても人間にしてもそこにはきっと希望に満ちた力強い意志がある。♡長く個人誌に拘っていたのに、香川の文芸「青い鳥」誌を紹介され参加したのが始まりでした。そこから「海程香川」を教えられたり先の「青い鳥」誌では野﨑憲子の名に俳句作品に昔が蘇えり何度か書信の遣り取りがあったりしたのでした。いつもならそれでもそんなところで終わるのでしたが、そこが野﨑憲子の人柄からでしょう、今までの私にもないことで直感を信じて句会に参加させて貰うことになったのでした。十人ほどの句会でしたが、一人一人それぞれ熱い賛同の言葉やはたまた異論が展開したり・・・、だけどそこには笑い声があがったりで個人を尊重した和気藹々とはこのことでした。句会には先生がいて「こうしなさい」の色に染まるとばかり思っていた私には驚きでした。今まで味わったことのない楽しい面白い時間を過ごさせていただきました。感謝。またまた突然ですが今後も時折参加したいと思っています。その時は何卒よろしくお願い申し上げます。    

晩秋や私は一人でなかった  麗至

佐孝 石画

特選句「しんにょうの小さき河口小鳥来る」。この作品の実景がどこにあるのかが気になる。眼前に「河口」があるのか、「小鳥」が来ているのか、それとも「しんにょう」のある漢字を見ているのか。この実風景の捉え方で、この句の深度は変わってくると思う。もちろん「しんにょう」に「河口」があるという発見だけでも魅力的なのだが、作者は「河口」を目にする場所に立っていて、そこにちらほらと「小鳥」が来ている風景を実としたい。そしてその日に照らされた河口を眺めていると、「小さき」(河も鳥も自分も)を直感し、しんにょうにも河口があったのだという、不思議な既視感が、じんわりと遅れてやってくる。卵が先か鶏が先かではないけれど、俳句の場合、実景がはらむ共通感覚こそ、読み手と詠み手の細く長い橋になると信じている。

山本 弥生

特選句「いつのまに肉屋が更地十三夜(菅原春み)」。月の美しい十三夜に久し振りに散歩に出て商店街を通ってみたら、時々買いに行っていた馴染の肉屋さんが、いつも間にやら閉店して更地になっていて、とても寂しく思いました。少し離れた地に大型スーパーが開店して時代の流れには勝てないのだなァと思い乍ら帰った。

三好つや子

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。生きとし生けるものに翳りをもたらす秋。保護猫活動をはじめて十年、たくさんの死に立ち会ってきたせいか、とりわけ心に刺さりました。特選句「祖父たちのフォークの公演菊日和」。映画「いちご白書」の主題歌サークル・ゲームの動画をときどき眺め、フォークソングっていいなとおもう今日この頃。この句から白髪のポニーテールとジーパン姿が浮かび、胸がキュンとなります。菊日和も印象的。「風紋に二十三夜の襞ほのか」。風紋と二十三夜の言葉が醸しだす、幻想的な心象風景に惹かれました。「大綿の友軍のよう夕日照る」。ロシア軍の弾除けになっているとしか思えない、北朝鮮の兵士たち。はかない命運が大綿虫を通して、ひりひり伝わってきます。

漆原 義典

特選句「祖父たちのフォークの公演菊日和」。フォークは昭和28年生まれ71才になった私の青春です。フォーク好きの昔若者のフォーク公演良いですね。いつまでも青春を謳歌してほしいと思います。楽しい句をありがとうございます。

柾木はつ子

特選句「幸福を飼育小春のリビングで」。面白い発想ですね。「幸せ」はやって来るものではなく、手間隙かけて世話をしなければならないのですね。納得致しました。特選句「戦禍あり地球冷ややかに傾く(月野ぽぽな)」。地球の地軸は少しずつずれて行っているのだそうですが、温暖化もその一因で、やがて四季の変化も無くなるとか…人間が戦争などしている場合ではないよと作者は言いたかったのでは?「冷ややかに傾く」が不気味です。

疋田恵美子

特選句『龍太絶筆の「雲母」照らす柿すだれ』。山梨県笛吹市の「山廬」の景でありましょう。元気な内に一度行って見たい所です。特選句「韮山の才気の坊や母さん子」。「海原」全国大会に参加して、二日目に重要文化財江川邸を見学、解説者により、多くの事を知り感激しました。

竹本  仰

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」:出棺の際、故人の顔を拝見すると、とても安らかな表情をしていることに驚くことがある。というより引き込まれることがある。いいなあ、そのとき自分もこんな顔していられたらいいのにと思う。かつて路上で亡くなった一人住まいのご老人がいて、そんな時警察の捜査が入るため、家にも立ち入れず、二週間葬儀屋の冷蔵庫に入れられていた。さすがにお葬式の時はもう青ざめた顔になっていたが、それでも彼女の友達だった老女のお一人が声をかけた。「まあ、お化粧して、こんなきれいになって」と。何だか、とても救われた気がした。そう、誰もが救われる一言があるものだ。という気持ちで読んだ。特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」:一見して、これはガンとの闘いのことだろうかという気がした。自身の体験でいえば、殊に化学療法と言われる抗がん剤治療ならば、悪性ガン細胞をやっつけるために体のいい部分まで痛めてしまう。手足の爪、二十枚がわずか一月で全部抜け落ちたこともあった。だがそういう時ほど、痛みの中に生きている実感をひしひしと確かめられるものなのだ。そう、もともと意識の及ばないところで生命はたえず闘っている。決して平和なんかではない。この句を読み、最初の手術の前夜に、銀河というものを身近に感じたのを思い出した。これまででも生きて来られて幸せだったんだという気がしていた。特選句「去年とは違ふわたしのゐる時雨」:去年も私は時雨に濡れていた、でもあの時とはどこかはっきり違う。荒井由実の唄に、〽悩みなき昨日の微笑み 訳もなく憎らしいのよ…、というのがあったが、それと同じで、過去の自分とクラッシュしている。そこからしか、未来は生まれないのだから、とても大事な、或る意味「脱皮」の瞬間なのかもしれない。決定的に今とは異なる「わたし」が向こうにいて、今の「わたし」でしかものは見られないのだが、明日の自分がいつの間にかこちらを見ている気がする。誰なんだ、わたし?この問いは意義深い。サルトルの『嘔吐』の主人公ロカンタンのいた町もそんな町ではなかったか。以上です。今年最後の句会でしたね。いい句が多くて選びきれない。海程のながれ、いつまでも。そして、いつまでも初心でいたいと思います。みなさま、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

吉田 和恵

特選句「虫の音に溺れ死にするほど一人」。どうしようもない孤独感というのか、ひしひしと伝わってきます。話し相手にでもなりましょうか、私でよければ。

滝澤 泰斗

特選句「ええ顔してはる 秋をしんなり死んではる」。棺桶の中を覗くのがとても苦手だ。そして、この会話調の言い方を遠巻きにして聞いているシーンに自分が居た光景はよくあることだった・・・ただ、秋をしんなり死んではるという言い方に惹かれて特選とした。特選句「霧の兜太露の蛇笏や小鳥来る」。飯田蛇笏の句は教科書にあった「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」ぐらいしか知らず無知に近く、全くもって語れないが、師と並べた上五中七に小鳥来るとしたところが魅力的でいただきました。以下、共鳴句「ニーチェ読む友の余命や露うごく」。久しく忘れていたニーチェ・・・若いころニーチェにかぶれていたわけではないが、当時、流行っていた実存哲学の入口で出会った一人ではあった。掲句のニーチェと友の余命に確かに響き合うものがあって一句を成したところに、うまいもんだと共鳴しました。「戦争を止めぬ人間文化の日」。人と人との争いが戦争という、国や民族の規模に拡大した近世にあって、核兵器の傘の下で数と威力を誇ったり、それを背景にして脅したり、勝手に攻め込んで殺戮を繰り返す人間・・・文化の日は皮肉なパラドックス。

柴田 清子

特選句「秋うらら自転車の空気抜けてます」。身近な生活の一コマの秋一ト日を過ごす作者が、この秋うららの中に居て、とても好感の持てる一句と思いました。特選句「丸いもの四角と思う秋思かな」。丸いもの、四角とか、身近に使う言葉である故、この秋思に文句なしに入っていける自分がいます。秋思の根源が、ここにあるかと思って、楽しみました。

山下 一夫

特選句「小六月磁石のように父と母」。盤上に二つ並べた磁石は少し離れていても引き合ってぴちっとくっついたり、近づけようとしても反発し合って飛び離れたり。幼い頃は謎でした。今では理屈はわかっているものの、男女の比喩とするとやはり謎は残ります。小六月の斡旋はやや年老いた夫婦の雰囲気を醸していていい感じですね。特選句「どんぐり銀行裏金預かります」。かの政治家たちの悪行を端的に表す「裏金」ですが、宮沢賢治の世界が不思議にマッチします。語感にどこか間の抜けた感じがあるからでしょうか。詩性を残しつつも人間の愚かさへの風刺が痛烈です。問題句「泥になれ溺愛洪水ボランティア(竹本 仰)」。上五は命令形なのか「泥に慣れ」なのか。切れはどこに入るのか。ボランティアへの哀惜なのか批判なのか。いずれにせよ「溺愛」「洪水」という単語の並びに強力な引力があります。あれこれ考えているうちに、なんだかぬかるみで泥まみれになっているような感じが・・それが狙いだったのかも。

薫   香

特選句「生き方は変えない黒いロングコート」。こんな風に生きていきたいなと思いました。黒いロングコートも素敵です。特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂うシャツ」。だんだん良くなってきました。ぼんやりが効いてます。

河野 志保

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。お母様の生き方を「一行詩のよう」と捉えたところに惹かれた。大きくて淋しい秋の夕焼けとも響き合うと思った。

桂  凜火

特選句「どんぐり銀行裏金預かります」。裏金問題聞くたびにモヤモヤするのは私だけでしょうか。どんぐり銀行預かってみんなどんぐりにしてやってください。

新野 祐子

特選句「自然死とは野菊の道の行き止まり」。親しい人がポツリポツリとあの世に逝きます。自分もそれを見送る齢となりました。「野菊の道の行き止まり」かぁ。いいですね。みんな土に還っていくのですね。そうやって。

増田 暁子

特選句「風紋に二十三夜の襞ほのか」。風紋の美しさ。中7下5の感覚の素晴らしいと。特選句「生協もアマゾンも来る獺祭忌」。取り合わせの妙、上手い!

菅原 春み

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。俳句,短歌のようにきっぱりとしかも自由に生きた母親をこう表現したのは始めてみました。秋夕焼がさらに見事さを。特選句「狼と同じ地上に棲む月夜」。狼というとどうしても兜太先生を思い出してしまいます。日本にはいなくてもまだ同じ地上にいるかと思うと心強く、月もさらに美しく見えます。

岡田ミツヒロ

特選句「祖父たちのフォーク公演菊日和」。会場の歓声、孫たちの拍手喝采、今も青春の若々しい老人たち、想像するだけでも楽しくなってくる。特選句「生き方は変えない黒いロングコート」。服装は、人の生き方の反映、「黒いロングコート」から、ダンディで筋の通った意思が滲み出ている。背筋が伸びる一句。

松岡 早苗

特選句「丸いもの四角と思う秋思かな」。頭では分かっていてもどうにもならないのが自分の心。秋色のせいか丸いものにも角のとがりを見てしまう。共感しきり。特選句「威張りつつ頼る年頃とろろ汁」。初老の男性の姿を思い浮かべた。バリバリの現役時代があっただけに、自身の衰えや弱さをすぐには受け入れられない。少しずつ時間をかけての変容。「とろろ汁」との取り合わせが絶妙。

向井 桐華

特選句「芒原千年先が振り向いた」。千年先が振り向くほどの芒原ってどんな感じなのだろうと思いました。問題句「秋霖の馬濡れており許される」。上五中七がいいのですが、下五の「許される」をどう解釈したら良いか迷いました。

三枝みずほ

特選句「オリオン座いいな故郷って走っちゃお」。帰郷できる自分であること、故郷がまだあること、当たり前の日常があることを思う。走った先に何が見えるだろうか。

田中 怜子

特選句「夫々に生きておんなじ月仰ぐ」。そうなんですよね。夫々に生きていること、違いを認めよう。と世界がそう認識ほしいですよ。「暗き世の下枝(しずえ)の熟柿昼灯し」。旅の車窓から、葉のおちた柿の木の実が昼灯しのようでした。それなりに豊かだから、取ろうともしない、景色となっている。「虫の音に溺れ死にするほど一人」。みんな心の底ではそれを恐れているのでは。孤独にひたって、その意味を考えたいですね。

綾田 節子

特選句「八十路なり貰いし冬瓜持て余し」。大きな冬瓜が目に浮かびます。有難いけど分かる分かる。特選句「秋日和鍬持つ老爺の立ち尿」。昔懐かしく戴きました。今でもある風景なのでしょうね。

松本美智子

特選句「去年とは違ふわたしのゐる時雨」。しとしとと時雨が続く・・・私は佇む。確かに存在する。そこにいる・・・。時雨も私も同じようで違う。絶対的な存在と曖昧な要素をうまく表現した句だと感心しました。

大浦ともこ

特選句「秋夕焼一行詩のよう母生きて」。ささやか乍ら豊かに生きたであろうことが伝わってきました。そのことを一行詩と表現するのが詩的で季語の秋夕焼とも響き合っています。特選句「幸福を飼育小春のリビングで」。幸福というものの危うさや脆さを飼育するという言葉で示唆しているように思います。小春のリビングとの対比も面白い。

森本由美子

特選句「生きるために殺す細胞銀河濃し」。日々進歩を遂げる現代医学をテーマにした句かと思うが、自分自身数年前に受けた抗がん剤治療の今に至る副作用、精神的な影響を考えると、時々自分の身体に謝りたい気持ちに陥る。<銀河濃し>は<生きるために>が発信する他のさまざまな現象にまで想いを至らせる魅力を持っている。

三好三香穂

特選句「冬浅し糊ぼんやりと匂ふシャツ」。今年の夏はとびきり暑かった。立冬も過ぎたのに、朝夕は冷えて来たものの、まだまだ冬到来という日はない。糊のきいたシャツも、まだまだ出番あり。夏の名残のある今日この頃。冬浅しと言う季語、シャツの糊に焦点を当てたところが良かったです。

銀   次

今月の誤読●「虫の音に溺れ死にするほど一人」。いい季節だ。わたしは四季のうち秋がもっとも好きだ。暑くもなく寒くもなく、ちょうどいいその心地よさ。部屋にはわたしひとり。ヒザには白秋の詩集。そして手には淹れたてのコーヒー。おまけに遠くから聞こえてくる虫の音。なんという五感の満たされようだ。いまわたしは人生のすべての幸せを味わっている。白秋に目を落とす。からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。何度も読んだ詩だ。からまつはさびしかりけり、たびゆくはさびしかりけり。わたしは明治大正の旅人たる白秋に思いをはせ。おや、虫の音が少し高くなってきたようだ。そうか、夜も更けたか。いいなあ、秋の虫の音。まさに抒情の詩人、白秋によく似合うBGMだ。そういえば、夕日はなやかに、こほろぎ啼く。という詩もあったなあ。あとどうつづくんだっけ? たぶん詩集「邪宗門」に載ってたはずだが、とわたしは本棚に向かう。と、虫の音がまたいっそう高くなった。はいはい、わたしの詩ごころをかき鳴らしてくれようってんだね。ありがとう。でもこのくらいがちょうどいいよ。あんまりうるさいのは苦手だからね。ふたたびわたしは読書にもどる。くだんの詩を見つけた。風のあと断章の六十六番だ。こほろぎ啼く。あはれ、ひと日、木の葉ちらし吹き荒みたる風も落ちて、とつづくんだ。白秋の季節に対する感覚の鋭さは、俳句にも通ずる。おいおい、虫くんたち、ちょっとうるさいよ。それじゃ、秋の風情もなにもあったもんじゃない。求婚歌か威嚇鳴きどうかしらないが、少しは遠慮をしろよ。わたしのこころの声に反応するかのように、虫の鳴き声は一段と、というより加速度的に高まってゆく。やがて、もはやどれがマツムシか、どれがスズムシかわからぬくらい、ただの騒音と化して、ウォンウォン、耳を聾さんばかりになった。わたしはパニックになった。なんだこれは。なにが起きたんだ。みるみるうちに部屋の外、壁面はもとより天井から床下まで、四方八方から、ウォンウォン、虫の音がかたまりとなって、打ちつけるように押し寄せてくる。ウォンウォン。わたしはおそるおそる窓に近づき、カーテンをサッと開けた。と、そこにはガラス戸にびっしりと張りついた、虫虫虫虫虫虫虫虫虫。数千数万の虫がわたしの目をのぞき込み、羽をすりあわせうごめいているのだ。そのうち、窓の戸の隙間から、一匹、二匹、十匹、二十匹、五十匹、百匹、千匹、万匹と部屋に入ってきて……。

亀山祐美子

特選句『鴇色の釦と胡桃置いてある』。何処にともいわず、鴇色の釦と胡桃が置いてあるとしか云っていない淡白さ。掌でも机の上でもベンチでもよい。釦と胡桃がピンクの淡さを競っている。二つの異質なものが響きあう平安。ただそれだけのことに心が穏やかになる。

稲   暁

特選句「芒原千年先が振り向いた」。荒野で千年の未来を幻視する。振り向いた未来の表情やいかに?

(一部省略、原文通り)

「海程香川」甲府吟行(二〇二四年十月二十八日~三十日)

吟行自選2句
笹茶飲む山廬は秋の雨の中
榎本 祐子
山峡の水の奔放芒照る
榎本 祐子
皆子遺影に向かい走るよ兜太の秋        
岡田 奈々
蛇笏に龍太厨房に入るハロウィーン
岡田 奈々
秋惜しむ老師(宋淵老師)の縁かな蛇笏さん
田中 怜子
秋天下ボテロの小鳥がのっしのっし
田中 怜子
直にあふ信玄像や秋の声
樽谷 宗寛
赤提灯は風林火山熱燗だ
樽谷 宗寛
軍事郵便に俳句びつしり月今宵
野﨑 憲子
秋の蛇笛吹川を渡りけり
野﨑 憲子

兜太展.jpg

ボテロ.jpg

山廬.jpg

上段、「金子兜太展」会場の山梨県立文学館の前庭。中段、山梨県立美術館前庭の彫刻「ボテロの小鳥」。下段、山廬、飯田様ご自宅前の樹齢四百年の赤松の下にて、中央の男性が山廬文化振興会理事長飯田秀實氏。

袋回し句会

赤夕焼明日の君に会えるかも
末澤  等
店先の赤いりんごに呼ばれたり
柴田 清子
赤蕪中身の白の歯型かな
岡田 奈々
赤いマフラーに顔をうずめて街を出る
柴田 清子
赤ってね百色あんねんクリスマス
和緒 玲子
赤青黄コスモスカオス原爆忌
各務 麗至
寝たきりのままの一日赤のまま
島田 章平
夕日あかあか兵士はみんな泣いてゐる
野﨑 憲子
晩秋
晩秋の空に移ろう明日の僕
末澤  等
秋もあんたも早逝ってしまったの
柴田 清子
晩秋や地球まるごと大掃除
島田 章平
ドーンと雲抜けて晩秋富嶽かな
野﨑 憲子
ガラス隔てて手を振る母晩秋
薫   香
晩秋や私は一人でなかった
各務 麗至
霜天をスカイツリーの捻れかな
藤川 宏樹
隠し事なき母の生き方霜柱
岡田 奈々
霜月の日向を探すふたりかな
和緒 玲子
霜に目覚めて言の葉のふりやまず
野﨑 憲子
眠れない夜に強霜の愛語たち
野﨑 憲子
霜踏むや昔昭和であつた場所
島田 章平
霜月のするどき鉛筆なほ削る
各務 麗至
酒持ってあいつが来るぞ霜の音
銀   次
梟よ色なき世界を見張るべし
銀   次
梟や賢い私ホーホーと
三好三香穂
長生きをすると梟になっちゃう
柴田 清子
ほろすけホーなべて答えは足元に
野﨑 憲子
未生以前の記憶ひとつや梟
野﨑 憲子
梟の森母を捨ててきました
島田 章平
団栗
団栗やZ世代が婿になる
藤川 宏樹
どんぐりや僕らはみんな星の子だい
野﨑 憲子
下山道団栗蹴って膝笑う
末澤  等
油虫よくよく見れば柿の種
末澤  等
掌に馴染んでをりぬ柿狡し
和緒 玲子
もの忘れも楽しからずや柿たわわ
野﨑 憲子
柿すだれ思いがけないことばかり
野﨑 憲子
柿紅葉感激童子ここにあり
各務 麗至
柿食へば子規と兜太の笑ひ声
島田 章平
柿むきて吊してつまむお楽しみ
三好三香穂

【通信欄】&【句会メモ】

今年の〆句会は、初参加の観音寺の各務麗至さんを始め11人のご参加で、楽しく熱い句会になりました。12月はお休み月ですが、番外句会を開催することにしています。ブログには掲載しませんが、懇親会も兼ねて賑やかに本年の打ち上げをしたいと存じます。巻頭の写真は、末澤 等さんが十月に撮影された「瓶ヶ森から見た石鎚山」です。

夏の終りに、金子眞土様から、山梨県立文学館発行の『金子兜太展―しかし日暮れを急がない』の図録が届きました。毎回の句会報を、兜太先生のご霊前へ、送らせて頂いているからと存じます。図録のあまりの見事さに、山梨への吟行の思いがムクムク湧き上がり、十月末の「海原」全国大会の後に企画しました。岡田奈々さんに幹事をお願いし、兜太先生と深い親交のあった山廬へも訪問してまいりました。企画展には、机や椅子を始め先生ご愛用の品々、肉筆の日記や手紙、先生の血肉のような色紙の数々・・もう胸がいっぱいになりました。先生の平和への悲願も、頂いて帰りました。

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