2025年2月23日 (日)

第158回「海程香川」句会(2025.02.08)

梅円形.jpg

事前投句参加者の一句

                                                                                                                                             
<熊野古道を歩く>中辺路の王子むっつり春を待つ 増田 暁子
水仙や削ぎ落としたる美を極む 漆原 義典
叔母へ出る母の訛りよ雛の間 和緒 玲子
どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば 小西 瞬夏
墓に雪寒さ嫌いの父母に会う 滝澤 泰斗
虚無という青絨毯のボート漕ぐ 桂  凜火
ジョーカーを引く大寒の星条旗 岡田ミツヒロ
入院や鞄の中は吾の匂ひ 川本 一葉
寒明や意地を通すもここらまで 柾木はつ子
蝋梅を手折る媼に香をもらう 河田 清峰
22円惜しんで仕舞う世間かな 田中アパート
闇に蝋梅星いくつも花びら 福井 明子
震度六ウルフムーンや胸パクや 疋田恵美子
逝けば皆深交を謂ふ干柿の粉 時田 幻椏
仕舞には鬼をもてなす節替り 森本由美子
父の忌や伊豫に初雪はらはらり 向井 桐華
絨毯にきのう転がっていた平和 伊藤  幸
象の棲むからくり時計日脚伸ぶ 大浦ともこ
凛として山登りゆく冬桜 末澤  等
着膨れて剥落の音あるくたび 若森 京子
帰るとこあるっていいな冬の虹 竹本  仰
放射線防護の志士の出初めかな 新野 祐子
立春や鍵挿すやうに配架せり 三枝みずほ
白ばかり生ける山茶花開戦日 綾田 節子
へへへへと横列に鳥春を待つ 野口思づゑ
暁をかける駿足福男 三好つや子
息白しだれの素顔も知らざりし 亀山祐美子
指ではじくちょっときれいな冬銀河 十河 宣洋
ひとひらの曇天としてゆりかもめ 月野ぽぽな
風吠ゆる鰤大根の染みぐあい 重松 敬子
冬落暉はらからという水溜まり 佐孝 石画
天と地と金子兜太と臥竜梅 島田 章平
白て二百色あんねん雪をんな 藤川 宏樹
一病を隠し目深に冬帽子 佳   凛
川鵜冷え荒ぶる神のごとく反る 松本 勇二
ぽろろ山茶花告白するならストレート 津田 将也
副作用かくすウィッグや初鏡 え い こ
鍾乳洞のごとき古書店雪催 菅原 春み
テレビ笑っているだけの昼ごまめ噛む 野田 信章
山眠る皆前向いて夜行バス 花舎  薫
僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校 豊原 清明
春来る昭和平成令和生き 山本 弥生
満作が眠りの精に恋をした 吉田 和恵
働いて働いて餅焦がしけり 河西 志帆
風花や悔いきりきりと指の先 松岡 早苗
悠久の仏がつまむ寒昴 銀   次
挿絵には無名の林春隣り 男波 弘志
まう春と書いて明るくなつてきた 各務 麗至
空き家の山茶花ただただ赤くいて 薫   香
<パティシエの重ねしフォルム春浅し 山下 一夫
空即是色春の鴉は空を見る 榎本 祐子
マスク取りピカソが出てくる不思議かな 田中 怜子
うすらひやてんしのはねをときはなつ 松本美智子
こつんと冬芽おずおず歩むホビットに 高木 水志
山笑うなら私だって笑っちゃおう 柴田 清子
席を立つ冬夕焼を揺らすため 河野 志保
塔和子その名仮とか月の道 三好三香穂
素寒貧なり横目の比良八講 荒井まり子
老犬も心ブギウギ春隣 稲   暁
寡黙なる母のことばが風花に 植松 まめ
ステンドの提灯ともりし我が枯野 中村 セミ
沈黙のカウンセリング梅一輪 塩野 正春
括られて大器晩成だぞ白菜 岡田 奈々
複写機の送り出す翳紋黄蝶 大西 健司
草履編む不立文字の炉辺の僧 樽谷 宗寛
生きもののいのちはひとつ薄氷(うすらひ) 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。からくり時計の中に象がいるという不思議。実際にあるのかもしれないけれど、「棲む」というからには、ただそこに人形の象がいるというよりもそこで息づいているという象なのだろう。「日脚伸ぶ」という季語と取り合わされることで、見えない時間の流れを生き物のように造形した句であると思う。

松本 勇二

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。古書店の比喩が見事です。古書店が神秘的な空間に思えてきました。

福井 明子

特選句「わたくしを捨てて拾って冬の道(佐孝石画)」。散歩を日課にされているのでしょう。ことさら冬の散歩道は、こころが寡黙になります。自問自答の坩堝にはまり込んでいくような、そんな一歩一歩が句の中に立ちあがっています。だれもが、「わたくし」という存在を「捨てて拾って」歩み続ける。生きていることの真理に満ちた一句をいただきました。

月野ぽぽな

特選句「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。「私だって笑っちゃおう」の発語が楽しく、春の弾む気分に合っていますね。冬を抜けて春を迎えた山の様子に、人の心情が反映された詩の言葉「山笑う」。一句が言葉遊びのように見えて、単に言葉遊びに終わらないのは人間という、自然の力と言葉の力に大きく影響を受ける私たちのありようそのものを暗喩しているからなのだと思いました。

豊原 清明

特選句「へへへと横列に鳥春を待つ」。先日、渡り鳥の大群を見たが、一句に籠るのは「春を待つ」である。特選句「帰るとこあるっていいな冬の虹」。帰宅したい人が冬虹を観賞しての一句と思い、共感する。家は大切。問題句「初鏡肌の調子も絶好調」。問題句ではありません。ただ、選ばないといけないので、票入れます。前向きな姿勢がいいなと思って。

岡田 奈々

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日(河西志帆)」。高校生の時スカートを布団に敷いて、寝ていたのを思い出しました。何故かずれるんです。建国記念の日2月11日は初代神武天皇の即位の日。決して日本が出来た日では無いのに、しゅるっと紀元節、建国記念の日となっている。何かすっきりしません。スカートもテカテカ。特選句「初鏡肌の調子も絶好調(十河宣洋)」。良いですね。斯く有りたいです。肌もということは、人生もということですね。ラッキー。「中辺路の王子むっつり春を待つ」。本当は早く春になって欲しいのに、子難しい顔をしていかにも鷹揚そうな風をするのは男子大好きですよね。「叔母へ出る母の訛りよ雛の間」。雛人形を飾る部屋で、叔母と母が若き頃の姉妹に戻り、お国訛りで自分たちだけの世界にひたっているのが、いかにも揺ったりと春らしい。「床板の一枚軋む霜夜かな(松岡早苗)」。寒さ厳しい頃何故か家の何処かピシ、パリつと音がする。「絨毯にきのう転がっていた平和」。平和が日常だと思っていたのに、どんどん遠のいていくようなこの頃。「指ではじくちょっときれいな冬銀河」。冬銀河はまるでハープのような音を出すのかな。「冬落暉はらからという水溜まり」。冬の夕日の淡い輝きのような繋がりが同胞なのか?「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。今にも落ちてきそうに積み上げられた本、本、本。薄暗い本屋。おまけに外は外で雪の降りそうな暗さ。お後がよろしいようで。早く帰ろう。「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。貴方が席を立つだけで、まるで地球が揺れるほどの影響力があるのね。

藤川 宏樹

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日」。きっちりと「寝押し」しても、その線は微妙にずれるものだ。連休を取るよう他の祝日は法で定められるが、「建国記念の日」は政令でこの日と定められ、動かない。飛び石になる今年の休みのずれが寝押しの線のずれと妙に呼応し、おもしろい。

十河 宣洋

特選句「悠久の仏がつまむ寒昴」。大きな仏さまというか、お釈迦様が見える。孫悟空がお釈迦様の手のひらの上を飛んでいたような印象を持つ。昴も仏様の大きなお心の中では摘まめるような気がする。悠久の時間を感じる。特選句「わたくしを捨てて拾って冬の道」。捨てないでと彼氏に縋っているのではない。それは歌謡曲の世界。冬の道を歩きながらの思索である。自分とは何か。何者だろうと思索は尽きない。哲学の道は京都だけはない。どこも哲学の時間になるのである。

桂  凜火

特選句「絨毯にきのうころがっていた平和」。本当にその通りだとはっとさせられました。当たり前のようにあることのありがたさに気づくのは、往々にして失ったあとであることも。

津田 将也

特選句「中辺路の王子むっつり春を待つ」。「王子」とは、熊野の神様の御子神を御祀りした場所のこと。中辺路に限らず、参詣道の村々にある。中辺路は紀伊田辺から山中に分け入り、熊野三山(本宮・新宮・那智)を巡る道。京都あるいは西日本から参詣する道筋のうちで、もっとも頻繁に使われた。静謐かつ、神秘的、不思議に存在する王子が春を待つ。なるほどに、「むっつり」といった言葉の雰囲気がふさわしい。 

樽谷 宗寛

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。言葉に無駄なく簡潔な作品にひかれました。

松本美智子

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。1月に「労働の対価は薄し餅を焼く」と投句しました。常套句を使用してしまい,どうもしっくりしなかったのですが、この句は「そうだ!こう表現したらしっくりくる・・・」と納得の一句です。今の若い人たちの生きにくさ「頑張っても給料があがらない」「真面目にはたらいても浮かばれない」といった閉塞感を表現したくて「薄い対価」と「ぷっくりとふくらんだ餅」を対比して作りましたうまくいきませんでした。この句は私の句を添削してくださったように思います。働いた後の餅・・・それは全く焦がしたくありません。♡句会では,皆さんお元気でしたか。本当にご無沙汰しています。一人でくすぶっていたらいい俳句もできないと思いますが・・・なかなか,叶わず・・・今年は頑張って参加できる時を探りたいと思います。よろしくお願いします。寒波過ぎるまで,我慢ですね。ご自愛ください。→句座をまたご一緒できる日を心待ちにいたしております。

大西 健司

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。何とも繊細な感覚。掌には葉っぱが一枚そっと乗っている。ただそれだけなのだが、ピュアな瞳が見えてくる。一枚だけのあと一字開けたい。

島田 章平

特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。まさに現代の句。「働いて働いて」のフレーズに言いようのないやるせなさが滲みでる。焦げた餅が悲しい。

柴田 清子

「働いて働いて餅焦がしけり」。この句の説明や解説は、出来ないけれど、とにかく胸に迫って来る特選句です。「まう春と書いて明るくなってきた」。この作者の春の迎え方が、とっても楽しい気分にさせてくれました。これはもう春ですね。特選です。

三好つや子

特選句「闇に蝋梅星いくつも花びら」。東洋的でどこか西洋的な言葉の響きが感じられ、蝋梅の花の色はもちろん質感までも、深く伝わってくる不思議な味わい。特選句「複写機の送り出す翳紋黄蝶」。コピーするときのガラスの下をすばやく走るもの、それを紋黄蝶と捉えた表現にハッとしました。複写機という無機質なものを介して、躍動感あふれる春の光と影を詠んだ句に、感動が止まりません。「白梅の匂いあなたの剛直球」。寒さをものともせず凛と咲く白梅の清々しい香りは、聡明でこころが真っ直ぐな人を想像させます。そんな人が発する言葉はまさに剛直球。「白て二百色あんねん雪をんな」。おふくろ的な雪女もいれば、キャリアウーマンっぽい雪女、ひょっとしてマイノリティーもいるかも知れない。多様性の時代ならではの句だと思います。

植松 まめ

特選句「老犬に頬舐められる御慶かな(菅原春み)」。物価が高い油が高いぶつぶつ文句は言うが政治は一向に動かないが、それでもお正月は来る。老犬に頬舐められるだけでもうれしい。特選句「括られて大器晩成だぞ白菜」。我が家は秋白菜の苗を10本植えたが、どうしたことかほとんど結球せずに葉っぱは鶏の餌となったが後からうえたミニ白菜が結球してくれ毎日の食材になっている。「焚火跳び越せ海の女の声激し」。これは三島由紀夫の『潮騒』を句にしたのか?  吉永小百合がヒロインの映画も良かった。

大浦ともこ

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。昨日は転がっていた平和が今日は脆くも失せてしまう・・平和という日常の危うさ、心もとなさを突き付けられる。絨毯という言葉を選んだのも良かったと思います。特選句「立春や鍵挿すやうに配架せり」。図書館での描写でしょうか、鍵挿すやうに本を的確に丁寧に配架していく様子が覗えて好もしいです。季語は立春が良いのかなと少し思いましたがやはり立春で良いと思いました。

河西 志帆

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。明日の事は分からないと、最近しみじみ思います。会いたい人には会いに行こう。やりたい事を諦めないように!特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。夕焼けを見るために立ったんじゃない、揺らすためなんだよ。問題句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。この句の持つ深い意味と、その影になりそうな日の丸が見えて、悩ましいんです。凄い句だ!

滝澤 泰斗

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。勝手な解釈?思い違い?どなたかの言う誤読かもしませんが、このはらからはパレスチの同胞・・・落暉はどこに沈む夕陽かと考えると、地中海の西。そして、水溜まりは、イスラエルの地図を俯瞰すると、あのガザが浮き上がる。パレスチナの同胞は毎日、落暉を見つめて、同胞が被ってしまった運命を呪う。特選句「白ばかり生ける山茶花開戦日」。ここで言う山茶花は白。その白は、白い布に包まれた骨壺を首から下げて船から降りてくる葬列。すべては1941年12月8日のトラ・トラ・トラから始まり、この開戦が無ければ、沖縄も広島も長崎も、そして、ソ連の参戦に拠る満蒙の悲劇も、残留孤児問題も、シベリア抑留も無かった・・・とは、穿ち過ぎだろうか。共鳴句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。全くもって、アメリカの民意はジューカーを引いてしまった思いだ。「絨毯にきのう転がっていた平和」。戦争が廊下の奥に立っていた・・・に通じるものを感じた。戦争と平和は紙一重。危ういものだ。「一病を隠し目深に冬帽子」。発熱に、コロナかインフルエンザかわからずに行く発熱外来へはこれにマスクして、まるで、犯罪者の体だった。この一句とは背景が違うだろうが、妙な共感があって、深刻なのに、笑ってしまった。「平和呆けの吾に言問ふ憂国忌」。その現場にいたわけではないが、人生の中で、忘れられない出来事の一つに三島の割腹事件がある。文学者三島の凄さはわかるが、何やら軍服まがいの楯の会の三島は違和感の極みだった。この句の作者同様、事あるごとに三島の思考を思うこと多し。「種を選る男「ふるさと」口遊む」。こんなホッとする句を詠みたいものだ。

松岡 早苗

特選句「空即是色春の鴉は空を見る」。鴉の目に春の空はどのように映っているのでしょうか。一切が「空」であるとしても、春という輝きに満ちた季節は確実に巡り来て、屋根の鴉は変わらず黒い。一見とぼけているようで、生きることの根源についてしみじみ考えさせられます。般若心経の深遠な教えと卑俗な鴉、明るい春の色と鴉の黒という対照的な取り合わせもよく効いていると思いました。特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。「冬夕焼を揺らす」という措辞に魅かれました。この句が内包する繊細な感性は、若者特有のもののようにも感じました。理想と現実、自負と不安といった思春期ならではのアンビバレントな心の揺らぎを背景に置いて読むと、ひときわ切ないです。

若森 京子

特選句「句姿は愉快にへこむ紙風船(河野志保)」。最近、作句する時、やはり年齢を意識せざるを得ない。この一句の様に力まず情感の漂う句姿に憧れる。特選句「括られて大器晩成だぞ白菜」。括られて、で始まる一句。括られた白菜の姿と大器晩成の言葉が感覚的にぴったりとした表現に惹かれた。

伊藤  幸

特選句「逝けば皆深交を謂ふ干柿の粉」。親戚や友人が一人逝き二人逝き、これまで疎遠になっていた者同士が励まし合い慰め合い親交を深めてゆく。長兄から最近「元気か?」とよく電話あるがそれもそのせいだろうか。干し柿が時間を経て甘くなり表面に粉を吹く、下語の措辞が効いている。特選句「素寒貧なり横目の比良八講」。数十年前「掌に三百円聖夜きらびやか」という句を詠んだことがある。「比良八講」法会と作者の関り有無は定かでないが「素寒貧なり」という悲しい響きは当時を思い出し心に沁みる。とは言いつつも掲句に何処か余裕を感じるのは私だけだろうか。佳句であるのは確かだ。

高木 水志

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。寂しさの中にちょっとの優しさが覗いているような俳句だと思います。下校という言葉のイメージで、無季ではあるけれど詩情を感じます。

男波 弘志

「ひとひらの曇天としてゆりかもめ」。<として>、の説明が表現からなくなればもっと高みへ出ていくだろう。秀作。「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。下校、が季語と同じだけの質量をもっている。加えていえば春にも夏にも出てゆける振幅を備えている。読み手によって無限の鑑賞が成り立つ。そのあたりが無季の拡がりであろう。推敲をする場合にも当季に関わりなく広い視野で四季を俯瞰するべきだろう。特選。

花舎   薫

特選句「虚無という青絨毯のボート漕ぐ」。ボートに見立てた青い絨毯は自分の世界だろう。喪失感、虚無感を抱きながらも、圧倒されそうに巨大な海を小さなボートがゆっくり滑っていく。そこにかすかな希望も見える。感覚的でありながら鮮やかに映像が浮かぶ。特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。奇しくもこちらも絨毯の句。寝っ転がってごろごろできる暖かく安全な自分の居場所。その平穏を突然奪う戦争や災害、あるいは犯罪による被害。ここでは心の平穏というもっと小さな平和かもしれない。いつもそこにあって顧みなかったものが無くなって気付く。失うことが如何に簡単かということに。平和が「絨毯に転がっていた」という表現に新鮮さを感じた。

野田 信章

特選句「複写機の送り出す翳紋黄蝶」。「複写機」というメカニッカルな無意識の動きでありながら、それを「送り出す翳」と直感するところは有情的でするどい。読みもその「翳」が即「紋黄蝶」だと断定的に読めるところがよい。その上で、一色のあざやかな蝶ではない、やや地味の「紋黄蝶」の配合に込められた作者の心情の裏打ちにも触れ得る心地がする。

新野 祐子

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。どんな分野の古書を扱っているお店なのでしょう。鍾乳洞のような、なんて。「雪催」を配して、とても深遠な雰囲気。惹かれました。 ♡野﨑さんより本の紹介をと、ありましたので書かせていただきます。私の今月の二句「放射線防護の志士の出初めかな」「3・11消防士らの勲なお」は、『孤塁―双葉郡消防士たちの3・11 吉田千亜著(岩波現代文庫)』を読んで作ったものです。こんなに泣かされた本はかつてありませんでした(悔し涙というべきです)。そうですよね。原発事故は、世界で三番目。日本では、初めてですから。この本が一人でも多くの人に読まれることを願います。あの日を忘れないでほしいから。→ 『孤塁』のご紹介ありがとうございました。原発事故の怖さを目の当たりにし言葉を失いました。

三枝みずほ

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。まるで象が春をつれて来るような感覚、その眼差しに温かみを感じた。冬の厳しさに耐えてきたこその発見だろう。秒針の音とともにもうすぐ家中が春の光で溢れる。

野口思づゑ

特選句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。個人名も、国名もあげず、深刻な時事問題を季語を巧みに使って一句として見事に完成させている。特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。餅を焼いているのをつい忘れて家事をしていたら餅が焦げてしまった、というより、ずっと仕事に励んできた人生だったのに、もしかしたらやり過ぎ、過ちがあったのかも知れないといった、一見シンプルな句ながら、後悔も読み取れるふくみのある句。「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。私も笑います。♡私は香川県はいつも温暖な県、を思っていたのですが、なんだか寒そうですね。こちらは30度前後でそれなりに夏です。どうか風邪など、くれぐれもお気をつけて。

河田 清峰

特選句「マスク取りピカソが出てくる不思議かな」。マスクしてると誰か分からなく困ります。早くマスクを失くしたい。

薫   香

特選句「句姿は愉快にへこむ紙風船」。なんだか本当にそうだなあと思えて。特選句「象起きて刹那のパオン初時雨(松本勇二)」。今にも聞こえてきそうで。

榎本 祐子

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。昨日は平和だったが、今日や明日は分からない。「転がっていた」とは、偶然にも、幸運にもとも読める。平和の象徴のような絨毯がとても危うい。

竹本  仰

特選句「息白しだれの素顔も知らざりし」:「顔を持った連中がぼくより孤独でないなどという保証は何処にもないのだ。面の皮にどんな看板を下げていようとその中身は、いずれ難破船の漂流者と選ぶところはないはずである」と安部公房の『他人の顔』の一節にありましたが、ただ「息白し」にどこかに希望をつなごうとしている作者の眼は感じました。特選句「冬落暉はらからという水溜り」:歩いているんでしょうね。冬の夕方の光景って、何か忘れていたものを思い出させますよね。それも一雨来た後の道に夕日が染めて、心をしきりに傷ませる。重荷というのか、悩みとか病とか、昔はあんなに四六時中一緒に暮らしていたのに今となっては…何だろう?という心中の声を感じました。特選句「沈黙のカウンセリング梅一輪」:劇的な構成だなと思いました。答えが返ってこないカウンセリングと、咲き出ようとする白梅の新鮮な香と…。何かが始まるんだろうけれど、でも始まらないもどかしさを越えた静けさ。その水脈を見つけるために、一緒に覗きこもうとしている息づかいだけがある空間。芝居にしたら、きっと面白いだろうな。『ゴドーを待ちながら』をふと連想しました。 ♡大寒波がやっと一息ついたかなと思いました。夏の猛暑につづき、春先の大雪、これも温暖化の一歩ずつの足あとのようですが、変わり続づける四季を前に立ち尽くし見届けるのも俳句の使命なのかもな、等と思っています。変化し続けるのが生きるってことなのでしょうが、この先もホンロウホンロウの毎日なのか、俳句もそこでの一つの挑戦だと思って書き記したいと思います。みなさん、いつもありがとうございます。よろしくお願いします。

吉田 和恵

特選句「父の忌や伊豫に初雪はらはらり」。雪国では、初雪が来ると身構えますが、伊予では、初雪が父御の思い出まで連れて来るのですね。ちなみに私は松山で四年間学生時代を遊びました。♡明日の夢より今日のパン・・・・・明日のパンより今日の俳句・・・・?????・・なんのこっちゃ!毎日寒いですね。(投句時) ・・只今、積雪は一メートルほど。雪見には見頃ですよ。(2025.2.10)

柾木はつ子

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。古書店のイメージは奥が深くて薄暗い、正に鍾乳洞のようなところという印象です。しかも未知の探検にワクワする場所。「知」の探検に心躍る場所…比喩が言い得て妙だと思いました。特選句「働いて働いて餅焦がしけり」。「一所懸命生きてきたのになぁ、ドジな俺(私かも)…」そこはかとなく漂う哀感に共感を覚えます。

銀   次

今月の誤読●「湯の中の茶葉はゆるゆる春の雪(榎本祐子)」。食卓の上に湯飲みが一コ置かれている。どうやら淹れたての煎茶のようである。ほのかに湯気がたちのぼっている。いかにもおいしそうだ。そこに父さんが入ってくる。「おや」とその湯飲みに気づき、それに手を伸ばそうとする。と、とたん父さんはまるで凍りついたように、そのままストップモーションする。母さんがそれを見とがめ「あら、どうしたの? 熱いの?」と湯飲みを取ろうとする。と、母さんもまたそこでストップモーションしてしまう。娘はいぶかしそうにふたりを見て、「飲まないの? じゃああたしがいただくわ」と手を出す。と、またもや娘もその姿勢のままで止まってしまう。三人が三人ともまるで時間が止まったかのように、まったく動かない。動いているのは湯飲みの湯気と窓の外にチラホラ降る雪だけだ。「おはよう」と息子がキッチンに入ってくる。息子はあたかもポーズをとったように動かない三人を見て驚くが、思いついたように自分のポケットからスマホを取り出す。そしてパシャリと家族の写真を撮る。息子はその写真をSNSにアップする。コメントは一言。「一家団欒」。

増田 暁子

特選句「寝押しの線がずれて建国記念の日」。線がずれているズボンと建国記念日との取り合わせに違和感を感じている作者。特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。絨毯の産地の中東諸国には平和がいつも有ったのかは疑問ですが、今よりは、もっとマシだったと思う。平和は普通に転がっていた時を思う。深いですね。

漆原 義典

特選句は「白梅の匂いあなたの剛直球(竹本 仰)」です。春の近づきを告げる白梅の匂い、下五の剛直球が力強く季節感をよく表しています。<あなたの>がやさしく素敵です。素晴らしい句をありがとうございます。

菅原 春み

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。冬の入日という冬落暉の季語とのとりあわせが絶妙です。はらからを水溜まりとした実感も複雑な関係を言い得て妙です。特選句「天と地と金子兜太と臥竜梅」。 兜太先生の亡くなった命月にはスケールの大きい天と地に思いを馳せ、お好きだった臥竜梅をおいたところに溢れる作者の気持ちが。名詞だけを並べたところにも迫力があります。

岡田ミツヒロ

特選句「絨毯にきのう転がっていた平和」。転がっていて一見頼りなさそうな平和、昨日までいたが、今はいない。白泉のあの名句への序章のようだ。特選句「白て二百色あんねん雪をんな」。二百通りもの雪をんなの衣裳、今日はどれにしようかしら。自在な発想で斬新な雪をんな像を現出した。

佐孝 石画

特選句「席を立つ冬夕焼を揺らすため」。「ちょっと失礼」と一言ことわりを入れ、席を立つ。その理由は「冬夕焼を揺らすため」。そんな不条理に痺れた。カミュの『異邦人』の「太陽のせい」を想起させる。席を立つシチュエーションも、会議であったり、授業であったり、映画館であったり、電車の中であったり、想定はいろいろだが、席を立つことで生まれる、座っていた「空間」が後を引くように存在感を濃くしていく。自分がいた場所といない場所。そんなことを思い起こすとき、生じてくる喪失感は、実は誰しもが日常で共有する感覚なのではなかろうか。作者は夕焼けを「揺らすため」に意を決して腰を上げるのだが、そもそも冬夕焼はいつも揺れているものであり、人ひとりでそれを揺らそうなどというのは、下手な言い訳にもほどがある。この「揺らすため」は、目的そのものを示しているのではなく、誰か第三者にあるいは己に向けた言い訳のようにも思える。そして実は「揺らすため」ではなく「揺らされるため」だったのではとも思えてくる。拙句にも「自転車漕いであの夕焼を殴りに行く」があるのだが、振り返ると実際は「殴られに」行きたかったのだろうと思っている。

疋田恵美子

特選句「天と地と金子兜太と臥竜梅」。広々とした宇宙感、世界に名を馳せた金子兜太先生が見える。宮崎県にも、臥竜梅で有名な座論梅という名所があります。側にはゴルフ場も有り座論梅ゴルフ場と言います。兜太先生逝きあとも、会員皆さんで香り良い紅色の花を咲かし続けております。特選句「一病を隠し目深に冬帽子」。一病息災といいます。残された時間を、楽しく大切に生きることは何方にとっても大切と思います。

山下 一夫

特選句「冬落暉はらからという水溜まり」。中七以下は謎。上五との関係で、人生の終盤になってまとわりつき、時として往く手を阻みもする同胞関係のしがらみと受け止めました。うっとうしいことなのですが、季語の荘厳さが全肯定を求めてきます。特選句「テレビ笑っているだけの昼ごまめ噛む」。季語から「ごまめの歯ぎしり」を連想し、詠まれている光景にじんわりと鬱屈が滲みます。歯が丈夫そうな人も見え、ペーソスも漂います。問題句「マスク取りピカソが出てくる不思議かな」。「ピカソ」は「ピカソその人」ではなく「ピカソ絵画に描かれる人物の顔」かと。その省略の可否が気になるものの妙に納得もさせられます。最近、コロナ隆盛以来で初見からマスク顔しか見ていない人がいますが、たまたまそれを外す場面に出くわすと掲句のように一種シュールな感慨を確かに持つのです。

森本由美子

特選句「パティシエの重ねしフォルム春浅し」。とてもセンスの良い句と思います。洗練された映像が心を豊かにします。インスピレイションをありがとうございます。

河野 志保

特選句「象の棲むからくり時計日脚伸ぶ」。少しずつ春の気配を感じる穏やかな日。「象の棲むからくり時計」が童話めいて楽しい。

時田 幻椏

特選句「川鵜冷え荒ぶる神のごとく反る」。川鵜の嫋やかな体躯を寒中に晒す中、その寒気に抗う川鵜の思わぬ動きに荒ぶる神を見る、印象極めて鮮明。特選句「風吠ゆる鰤大根の染みぐあい」。吠る風が良い。厳しい季節の中のささやかな日常、これも印象鮮明。

田中 怜子

特選句「ジョーカーを引く大寒の星条旗」。もう、本当に絶望と無力感です。星条旗が寒空にただただ旗めいている。特選句「雪月夜無人の家を照らしおり(銀次)」。こういう静かな世界があるんですね。

和緒 玲子

特選句「どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば」。感覚の冴えた句。冬を耐えている薔薇が儚く傾いた(朽ちた)途端、一面夕暮れが押し寄せる。夕暮れのどっとという質感と色が冬の薔薇のそれとの対比を明確にしており、夏の薔薇では成立しないのではないか。

末澤  等

特選句「満作が眠りの精に恋をした」。満作の花言葉の一つに、「幸せの再来」ということがあるそうです。この句は、幸せが再び訪れた際の安堵の気持ちを非常に上手く表現していると思います。

田中アパート

特選句「焚火跳び越せ海の女の声激し(岡田ミツヒロ)」。『おだまりローズ』白水社LLブックスを読んでいたら、レディ・アスター(ローズはレディ・アスターのメイド)は、T・Eロレンスと親友だった。<レディ・アスターはトランプ大統領と似ています>2人で、いきなり立ちあがって、バイクに飛び乗ったそうです。土煙に包まれて、猛スピードで、私道を走り去った(160ページ)なるほどで、DVD「アラビアのロレンス」をみることに。スピードの出しすぎからの事故死→ローレンスの葬儀 映画では、レディ・アスターもチャーチル首相もうつっていませんが、とにかくこの「アラビアのロレンス」は、恋や愛やなんぞまったくないのです。ロレンスにマーロンブランドで(本人ことわる)結局、ピーター・オトゥールできまり、他に、アリ首長にアラン・ドロン、モーリス・ロネもあがっていたらしいが、オマー・シャリフに、その方がよかった。ついでに、音楽モーリス・ジャールの関係か、「シベールの日旺日」との関係も、なつかしいですな。1962年制作で、60年以上前の作品でも名作です。「戦場にかける橋」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」他、デビット・リーンはいい映画を作ります。

重松 敬子

特選句「僕の掌に葉っぱ一枚だけ下校」。多感な少年のある日の出来事。この葉っぱが、何を意味するのか?彼にとって、大切な物であることは理解できる。

え い こ

特選句「蝶凍てて母の睫毛の白さかな」。蝶というのは、美しいですが、俳句の中ではその姿が絵のようにうかびます。亡骸もまつげに例えるのは勉強になりました。

山本 弥生

特選句「緋の蕪遺品の中のお菜箸(重松敬子)」。愛媛の特産品の「緋の蕪漬け」は、懐しく松山時代には亡母が漬けてよく届けてくれておりました。遺品となったお菜箸も(少し長目の)懐しくこの一句に沢山の想い出が込められています。

稲   暁

特選句「どつどゆふぐれ冬薔薇傾けば」。作者はあえて破調にしたのだろう。その破調が生きていて、「冬薔薇傾けば」の表現が躍動している。問題句「うすらひやてんしのはねをときはなつ」。大いに惹かれる句だが、全部ひらがなにしたのはなぜだろう?

向井 桐華

特選句「寡黙なる母のことばが風花に」。自分のことは後回しにしてでも、家族のことを想う母の背中。多くは語らない母のその背中を追いかけて追いかけて。もう届かないけど、母の言葉はこの風花になったんだね。

中村 セミ

特選句「鍾乳洞のごとき古書店雪催」。とても、ユニークな例えですね、一度いってみたいです。古本屋さんの中が、鍾乳洞のように、上から何かが下りてきているのか、本が積まれそんな感じに見えるのかは、よくわかりませんが、また雪催もよく効いています。

佳   凛

特選句「山笑うなら私だって笑っちゃおう」。この句を読んで若さが、はち切れそうな昔を、思い出しました。悲しい時も、苦しい時も、笑おうと、何かが、吹っ切れた気持ちです。私だって笑っちゃう。このフレーズ、大好きです。

野﨑 憲子

特選句「アルバムの先生元気花辛夷(月野ぽぽな)」。掲句の先生はもちろん金子兜太先生。辛夷の花の莟が膨らむ頃先生は他界された。私も、時おり先生のお写真を出しては元気をいただいている。辛夷の花の羽搏きまで聞こえてくる一句。特選句「こつんと冬芽おずおず歩むホビットに」。ホビット(Hobbit)は、トールキンの創作した架空世界中つ国の種族。『ホビットの冒険』や『指輪物語』にも登場する。身長が一メートル前後で、わずかに尖った耳をもつ。足裏の皮が厚く、毛に覆われているので、靴をはくことはない。かれらは、牧歌的な暮らしを好むという。冬芽がホビットの素足に触れたのだ。<おずおず歩む>姿が目に浮かんでくる作品。ファンタジーの世界が冬芽との出逢いで活写されている。 

「新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ   宮沢賢治作「生徒諸君に寄せる」より)」

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

立春の水ごくごくと飲みにけり
稲   暁
ロールキャベツ啜る水に浮く詩人
藤川 宏樹
指切りの罪早春の水すくふ
島田 章平
半眼の鮫や真夜の水族館
島田 章平
水重く匂ふ朝焼け冬すみれ
和緒 玲子
遠くから水が流れて来て来て春に
柴田 清子
早春
早春や笑顔が広がる登山道
末澤  等
早春をどぶに捨てたる日もありし
銀   次
早春やもどかしがりて波音
野﨑 憲子
「二番目が好き」の字幕や春浅き
藤川 宏樹
秒針短針長針早春
柴田 清子
早春や老いが見つめる三里塚
島田 章平
早春の補助線探す水の星
藤川 宏樹
早春の雨きらきらと丘の道
稲   暁
二月(如月)
山なみに浮かびて光る二月堂
末澤  等
如月や龍太の川の谷深し
島田 章平
如月の朝のしづけさ先斗町
和緒 玲子
如月や鏡の奥に光射す
柴田 清子
如月の道草が好き青影
野﨑 憲子
兜太・たねを
選句さえ天衣無縫の兜太なりき
稲   暁
種を蒔く時には母を思ひ出し
島田 章平
兜太の忌人類はどこで間違ふ
野﨑 憲子
潮騒は星のことのは兜太の忌
野﨑 憲子
花いちもんめ互ひ違ひに雪をんな
和緒 玲子
ケチくさき男女の違い春の雪
稲   暁
春雷や互いの想い行き違う
末澤  等

【通信欄】&【句会メモ】

余寒厳しき中、10名の参加で句会を開きました。今月は、12日が高橋たねをさん、20日が、金子兜太先生のご命日なので、お二人のお名前も袋回しのお題に使わせていただきました。

世界平和を願ってやまなかった兜太先生の思いとは裏腹に、世界に、不穏な空気が漲ってまいりました。この小さな句会から渦巻く愛語の俳句を世界へ発信してゆく先に何かがあると念じながら精進してまいりたいと念じています。

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