2025年9月23日 (火)

第165回「海程香川」句会報(2025.09.13)

万智のコスモス.jpg

事前投句参加者の一句

 
晩年は兎のあつまる野が住所 若森 京子
天網恢恢原爆ドーム秋 島田 章平
鉛筆で描けばやさしい甲虫 津田 将也
秋天や人は人にして人殺し 各務 麗至
縁切って前髪切ってほうせんか 花舎  薫
逃げないで一緒にノリノリ鰯雲 岡田 奈々
深き夜のプレリュードかな蚯蚓鳴く 漆原 義典
ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた 河西 志帆
キャラメルの箱の空っぽ小鳥来る 松岡 早苗
輪郭は水平線まで待つ烈日 滝澤 泰斗
シベリアの戦士昭和の水が動いて秋 十河 宣洋
あさきゆめ みなんしつかり 左様なら 田中アパート
朗らかに寄る年波やとろろ汁 大浦ともこ
静物の永遠に冷たき盛夏かな 中村 セミ
戦あり星流れても流れても 月野ぽぽな
普通ってこわい檸檬ぎゅっとしぼる 増田 暁子
ひとりならひとりの歩幅秋澄めり 亀山祐美子
かき氷乱れだしたら速いから 高木 水志
鉛筆の芯折れしまま秋きたる 銀   次
白き帆の視線をよぎる晩夏光 重松 敬子
溜め息の重しまたぞろ夜盗虫 荒井まり子
晩夏岬鳥になるため風を待つ 榎本 祐子
秋深し猫診療科の繁盛ぶり 塩野 正春
虫の闇次に呼ばれるのは私 河野 志保
天高く家畜は泳ぐ草の海 山下 一夫
たまらなく生き来て湯の山の素秋 すずき穂波
季は紛れ未来の未練つくつく師 時田 幻椏
ふとよぎる昭和の空気今朝の秋 野口思づゑ
白い腹見せて守宮のお出ましだ 遠藤 和代
思い出がきゅうんきゅうんと大夕焼 藤田 乙女
母の忌よびいどろ割れて紫薇散らす 伊藤  幸
霧越えてフットボールの蜘蛛の体 豊原 清明
野花挿す古酒の香残る甕洗い 森本由美子
ムックリがムンチロ(粟)撫でて天翔けり 田中 怜子
宇宙謎めくあ~あ~あ~と扇風機 藤川 宏樹
音吐朗朗南から郭公来 樽谷 宗寛
真っ直ぐに喧嘩を売りに鬼ヤンマ 松本 勇二
白鷺や雨後の中州は黒光り え い こ
八月の耳は冷たき港かな 大西 健司
階段を一段とばす敬老日 岡田ミツヒロ
虫の夜や途切れしときは愛実る 川本 一葉
毒消丸本舗金文字涼しき大暑かな 野田 信章
うちとけてともに聴きいる轡虫 河田 清峰
一日の髪解く白花曼殊沙華 小西 瞬夏
秋耕や土に問うたり応えたり 福井 明子
尽きるまで咲いて咲き切る酔芙蓉 出水 義弘
晩夏光ママははちきんそしてボク 吉田 和恵
雲の峰一兵卒の白眉かな 疋田恵美子
早稲の花飛鳥大仏おはす寺 植松 まめ
無人駅置いてけぼりの雲と待つ 佐孝 石画
雌残る虫箱辺り鎭もりて 桂  凜火
オスプレイごうごうと飛ぶ秋夜かな句 稲   暁
石榴爆ぜマウスピースが吹っ飛んだ 三好つや子
雲の峰見つめて囁く二心 末澤  等
気後れの秋の素足のままでいる 柴田 清子
老猫のこれほど軽し薄月 向井 桐華
顔じゆうの汗が笑ひぬ球児かな 佳   凛
ママの彼嫌い露草踏みつけて 和緒 玲子
朝夕に打ち水励む白寿かな 菅原 春み
公園に日焼けの遊具揺れてをり 石井 はな
寡黙だが喋ろうと九月長い雨 竹本  仰
休符という羽ばたく前の息づかい 三枝みずほ
曼珠沙華白より赤の淋しくて 柾木はつ子
金魚すくい正解なんてあってない  綾田 節子
蜉蝣というわたくしを見ない虫 男波 弘志
皺刻みされど百まで酔芙蓉 三好三香穂
ほうたるや何にもなれずさまよえば 薫   香
夜を競い銀木犀は星となる 松本美智子
千手観音千手をあげる喜雨の中 新野 祐子
コスモスや笑つてゐるのは別の貌 野﨑 憲子

句会の窓

    
小西 瞬夏

特選句「青空の青の重たき終戦日(月野ぽぽな)」。やさしい言葉使いでありながら、だからこそ「重たき」が心に響いてくる。さわやかな青を重たく感じる。その青い空にたくさんの命が失われたという過去を、私たちは重たく感じることに鈍感になってはならない。その重さを背負っていかなければいけない。そのようなメッセージ性が全面に出されていないからこそ、心にしみてくる。

佐孝 石画

特選句「普通ってこわい檸檬ぎゅっとしぼる」。SNS全盛のこの時代、大多数の一般人の意見がネット上に氾濫し、その力は様々な分野で大きな影響力を与える様相を呈している。これまで浮上してこなかった、見えない人々のさまざまな胸の内。その人たちもまたネットに散乱する見えない意志に翻弄されながら。また、様々なシーンで振りかざされる「コンプライアンス」という名の過剰抑制。「普通ってこわい」の「普通」・「こわい」とは、周りの顔色を伺いながら日常に流されゆく、得体のしれない居心地の悪さを示すニュアンスなのかもしれない。「檸檬」は梶井基次郎の小説を想起させる。小説上では檸檬を爆弾と仮想して、非日常性への昇華を試みるが、この句では、自分の周りでまるで金縛りのようにはびこり、また振りかざされる「普通」を振りほどかんと「檸檬」を「ぎゅっとしぼる」。上の句の「普通ってこわい」という謎解きのようなフレーズが、読後に不思議な違和感としてリフレインする。

松本 勇二

特選句「鷹渡る故郷に今もオレの部屋(松岡早苗)」。生家にはまだご自身の部屋があることをふと思った作者です。空き家になっているのかも知れませんが、そこはかつてのまほろばです。季語とも相まって懐かしくそして遥かな気分にさせる一句でした。

福井 明子

特選句「八月の耳は冷たき港かな」。年々夏の暑さが止まりません。今年はさらに、炎熱の八月でした。敗戦後八十年、この月は、理不尽に逝かねばならなかった、あまたの死を追悼し、祖霊への霊迎えをする月とも重なります。ふと、耳朶に指をあてがうと、ひんやり。その形状に、港、という精神の問いやまぬイメージが重なります。こころが留まりました。特選句「早稲の花飛鳥大仏おはす寺」。奈良の飛鳥寺におわす、飛鳥の大仏さまのおおいなる表情。そこに膝を折り対峙されている静かな空間が目に見えるようです。早稲の花が、あの地の全景にそえられています。

十河 宣洋

特選句「葱刻むふとこの世から足はずれ(若森京子)」。葱を刻みながら何か物思いに耽っている。気が付くと異次元の世界を彷徨っていた。楽しい俳句と捉えていい。葱の新鮮な香りとマッチしている。特選句「休符という羽ばたく前の息づかい」。音楽は詳しくはないが休符があることは知っている。息継ぎをして次に進む大切な記号と習ったが大切な休みの時間である。息づかいが伝わってくる。

岡田 奈々

特選句「千手観音千手をあげる喜雨の中」。何日も続いた酷暑。その中で、雨が降る事の有り難さ。ダムは貯水率回復。徳島の家事は鎮火。待ってましたとばかりの雨の有り難さを千手観音の千手で表す、そのセンスの良さ。特選句「切れさうな缶の切り口虫時雨」。全然繋がらないのに然もありなんと捻じ伏せる腕っぷしの強さにうなります。「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。関係性全く分からないが、今まで散々苛められて来た、兄の失態。ここぞとばかり、兄を身の置き所無き状態に。「朗らかに寄る年波やとろろ汁」。とろろ汁のように粘り強く諦めず明るく歳は取りたいものです。「普通ってこわい檸檬ぎゅっとしぼる」。何が普通なのか、普通なんてないけど、仏教、孔子老子、教育。中庸を旨とする。でも、無い普通を求めて、右往左往。「ぎゅっと」が、胸に浸みる。「思い出がきゅうんきゅうんと大夕焼」。夕焼けを見ると何故か心の故郷を想い描いて胸がきゅんと。「真っ直ぐに喧嘩を売りに鬼ヤンマ」。河原でいやと云うほどの鬼ヤンマ見たことがあります。怖いくらい真っ直ぐに進む。私も若い頃は良く突っかかっていたものだ。「気後れの秋の素足のままでいる」。なかなか来ない秋。素顔だから気後れしてるのかな。ちゃちゃっと塗って、早く登場して下さい。「休符という羽ばたく前の息づかい」。音楽は詩だけれど、音では無い休符に眼目するなんて、なんて詩なんだろ。「金魚すくい正解なんてあってない」。金魚すくい今まで成功したことがありません。正解教えて下さい。でも、採って帰っても、結局、すぐ死んでしまって。私の手にはかからないほうが良いのです。

樽谷 宗寛

特選句「朝夕に打ち水励む白寿かな」。お元気で気力に満ち満ちた白寿に感心しました。私は猛暑にかまけ散水もほどほど。きつと生き方も丁寧なかただと感心しました。なかなか出来ないことです。良い題材会われましたこと。

川本 一葉

特選句「千手観音千手をあげる喜雨の中」。これだけ暑いと人間だけではなく米などの作物が心配。早明浦ダムの貯水率を恐々見ています。千手観音が千手をあげる。なんと面白くありがたいこと。自然の力を前には平伏すしかありません。特選句「夜を競い銀木犀は星となる」。なんともロマンチック。銀木犀と星が競う。こういう詩的な表現に惹かれます。

津田 将也

特選句「蜉蝣というわたくしを見ない虫」。蜉蝣は、一〇~一五ミリくらいの弱々しげな昆虫です。初秋の夕方に群がります。成虫になり羽化し、交尾して産卵するとすぐ死ぬので、儚いものの例えとされてきました。子孫を残すことだけに生きているので、食べるための口や消化器官が発達せず、何も食べない期間がほとんど。その多くが数時間で役目を終え死にます。そんな事情がござんすから、あなたさまを見るゆとりなど、私方には更更ござりません。

柴田 清子

特選句「キャラメルの箱の空っぽ小鳥来る」。たった一度の人生。考えようで幸にも不幸にもなる。そんなこと気付かせてくれた「キャラメルの箱の空っぽ」でした。「青空の青の重たき終戦日」。ただただ身の芯に触れる特選句です。

藤川 宏樹

特選句「金魚すくい正解なんてあってない」。子どもの頃から金魚をうまくすくえない。要領を頭で理解した今ならうまくやれるかもだが、ずっと苦手でトライすらしない。子どもの頃には身軽で逆上がりを楽々したが、今やればできるかどうか自信がない。私には金魚すくい、逆上がり、正解なんてあってない。

和緒 玲子

特選句「葱刻むふとこの世からの足はずれ」。このゲシュタルト崩壊のような感覚はわかる気がする。食事の支度に人参を刻んで次は葱を刻んで・・・と機械的にしていると、頭も手も動いているのに神経が浮遊する感じ。葱を刻むという具体的な映像から、中七下五の詩的な表現への移動がスムーズ。また、刻んでいる手から足までの繋がりもスマートで共感の一句。

塩野 正春

特選句「虫の闇次に呼ばれるのはわたし」。次に呼ばれる・・いったいなんで、将来を決める面接か、いろいろ考えさせられる。 ‘虫の闇‘が息詰まる光景を醸し出している。特選句「身の内の少年に秋へッセ欲る(和緒玲子)」。作者の少年時代の悩みを思い浮かべておられるのか? 今の混沌とした世代を生き抜こうとする我ら老人もヘッセの叙情詩、生き抜く力が欲しい。世界に響く抒情詩を。

柾木はつ子

特選句「季は紛れ未来の未練つくつく師」。ちょっと分かりづらいのですが、かつてはあった四季の変化が今は曖昧になり、とんでもない方向に向かっているこの星の未来は一体どうなるのだろう、と言うような意味に読んだのですが… 特選句「階段を一段とばす敬老日」。「敬老」と言う言葉を素直に受け止められない敬老世代は多いのではないかと思います。「まだまだ若いぞ、ほら階段だってこの通り!」

若森 京子

特選句「一日の髪解く白花曼殊沙華」。女性にとって髪を解いて一日が終る。曼殊沙華に珍しく真白いのを見つけた事を思い出した。突然変異だと思う。何故か、ほっと開放された気分と白い曼殊沙華が共鳴し合った。特選句「休符という羽ばたく前の息づかい」。楽譜には、進行中に休止する符号がある。その次より音調が変わったり、速度が変わったりするが、それを〝羽ばたく前の“という措辞によって詩情豊かに昇華している。

高木 水志

特選句「普通ってこわい檸檬ぎゅっとしぼる」。ほろ苦い檸檬の味に、人々が「普通」と思っていることの曖昧さが響き合ってよい。

すずき穂波

特選句「葱刻むふとこの世から足はずれ」。葱は冬の季語だが、この句ではどこか夏の感漂う。細葱をおもう。白い俎板、白いキッキンをおもう。独りをおもう。音は、刻む音だけ。トントントン、トントントン。静寂の中、そのトントントンが何かの拍子にピタッと止まる。トントントン、トカトントン。私はふと太宰治の小説「トカトントン」を思い出してしまいました。特選句「蜉蝣というわたくしを見ない虫」。蜉蝣を初めて見たのは2年前。雨の午後、ホスピスの屋上の硝子越し。車椅子を押す私。車椅子に乗る人は、もう私と目を合わさなくなっていて、けれどその虫の名を教えてくれ、それから間なくしてこの世を去ってしまった。淡い黄いろい蜉蝣と共に。

河西 志帆

特選句「八月の耳は冷たき港かな」。短期間に乗りすぎて航空性中耳炎になり、通院中です。耳だけが冷たくて、そこが港になっている。この感覚が直にわかるような気がしました。八月を戦争に結びつけても、つけなくも。特選句「青空の青の重たき終戦日」。よ〜くわかるんです。例えようのない青の空の下に住んでいます。その戦下の中で痛いほど美しく重い青は何もしてくれなかったと。「晩夏岬鳥になるため風を待つ」。知念岬に立った時、この句が見えたように思いました。「鷹渡る故郷に今もオレの部屋(松岡早苗」。帰らないと分かっていても、親は子供の部屋をそのままにしているんですよ。「一日の髪解く白花曼珠沙華」。白花がこの句に気持ちのいい音を作ってくれたんですね。「石叩き地球の扉探しをり(亀山祐美子)」。彼が叩いていたのは、その為だと知ると楽しくなりました。「気後れの秋の素足のままでいる」。わざわざ「秋の」と言っているのが妙におかしく頷きました。

石井 はな

特選句「青空の青の重たき終戦日」。毎年の終戦記念日は真っ青な空と照りつける太陽の印象です。あの抜ける様な青空が、戦争のこもごもへの思いを深くします。

河野 志保

特選句「戦あり星流れても流れても」。時は移りゆくが戦の絶えない世界。「星流れても流れても」に諦めに似たものを感じる。

伊藤  幸

特選句「顔じゆうの汗が笑ひぬ球児かな」。今年の夏の甲子園高校野球は久々に心躍ろされました。若者らの汗に「乾杯!」です。特選句「休符という羽ばたく前の息づかい」。いいですね、休符が羽ばたく前の息づかいとは素晴らしい表現です。

島田 章平

特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。人それぞれ歩幅は違う。付かず離れず、この歩みが一番大事な事かも。

三好つや子

特選句「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。思い出のなかの兄はいつも少年で、もちろん妹である私は少女。そんな遠い記憶の一コマが蜩の声 によって詩情が高まり、心に迫ってきました。特選句「コスモスや笑ってゐるのは別の貌」。笑顔を振りまき、誰からも好かれる「私」を演じていることに、うんざりしているのでしょう。可憐なコスモスを通して見え隠れする、作者の屈折感に共鳴。「幻月や故郷に折り鶴放ちやる」。父母の墓がある故郷への思いの深さが、幻想的に描かれ、キュンとしました。「葱刻むふとこの世から足はずれ」。葱を刻んでいたときの立ち眩み。 作者にとって、それは日常と非日常の混然とした不思議な体験だったのかもしれません。「金魚すくい正解なんてあってない」。正解がないと分かっていても、探すことを諦めないのが人間。金魚すくいとの取り合わせが、この句をいっそう興味深くしています。

各務 麗至

特選句「戦あり星流れても流れても」。戦争はこの地球上から無くはならないの でしょうか。流れ星に願い事を・・・・・と、懐かしい情景が見えてきます。動植物の太古からの生存闘争もそうでしょうが、人間だからこそ平和や平穏を願って、流れ星が消えない内に「戦争が終わりますように」と祈りの手を合わすのです。流れても流れても、に、幾千幾万の人たちの現在只今祈り願っている姿や悲壮感が見えてきます。特選句「思い出がきゅうんきゅうんと大夕焼」。胸をきゅんきゅんさせる思い出。それは誰にもあって、人を恋したり愛したり別れであったりの喜びや悲しみで、夕焼けは忘れていたそんな気持ちを呼び起こしてくれます。

佳   凛

特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。ひとりならひとりの歩幅、何人か居れば、その歩幅を受け入れる。優しさが見えて、好きな一句です。現代は自己主張が、激しい時代この句の様に、心に余裕を持ちたいものです。

大西 健司

特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。心地良いリズム、気っぷのいい別れ方が鳳仙花によってなお決まった.すっぱりと弾けて飛んで見せるのだ。問題句「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。魅力はあるが不思議な句。「ひぐらしに」〝に“が全体をわかりにくくしている。

菅原 春み

特選句「目の奥のがらんどうなり広島忌(柾木はつ子)」。目の奥のがらんどうがなんとも痛々しい哀しさを覚えます。特選句「白鷺や雨後の中州は黒光り」。俳句らしい伝統的ともいわれる俳句ですが、中洲が黒光りとは、ほんとうによく見ています 映像がありありと浮かびます。

漆原 義典

特選句「鉛筆で描けばやさしい甲虫」。甲虫の強さがみなぎる外見と、一方、鉛筆で描いたときの甲虫の姿が、やさしいと表現されていて感動しました。私も繊細な心をいつまでも持ち続けたいと再認識しました。素晴らしい句〜ありがとうございます。

亀山祐美子

特選句「真っ直ぐに喧嘩を売りに鬼ヤンマ」。以前胸元まで真っ直ぐに小さな蜻蛉が飛んで来て驚いたことがありましたが鬼やんまともなればその迫力は桁違いで「喧嘩を売りに」の措辞がその驚きを余す所無く伝えます。「鬼ヤンマ」にやんちゃさを表現したかったのかもしれませんが「鬼やんま」もしくは「鬼蜻蜒」の方が静かな脅威が増すかと思います。

岡田ミツヒロ

特選句「戦あり星流れても流れても」。大宇宙のなかにひとつ、争乱の星“地球“いつか自爆し、塵となって宇宙の闇に漂うのか。人類の、未来への不安、願望が交錯し、揺らめく。リフレインがまさに星が流れるように余韻を曳く。特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。わが身ひとつ、ならばそのように生きてゆくだけ。迷いのない表白が清々しい。

植松 まめ

特選句「晩年は兎のあつまる野が住所」。明るい晩年だ。私もこうありたいものだ。これを目指して少しは努力したい。特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。

森本由美子

特選句「晩年は兎のあつまる野が住所」。終焉の住処に漠然としたイメージは持っているが、まだはっきりとは定まらない。強いて言葉にすれば、〈兎のあつまる野〉のようなところかなあ、ありきたりだけれど、自然があって、温もりがあって、心やすまるところならokという作者の思いが伝わってくる。

月野ぽぽな

特選句「朗らかに寄る年波やとろろ汁」。上五中七には、恙無く日々を送る幸せが穏やかに慎ましくかつ詩情豊かに表現されていていいですね。とろろ汁の穏やかな味と色と美味しい音への移りもとても心地よいです。

田中 怜子

特選句「無人駅置いてけぼりの雲と待つ」。こういう旅はいいですね。先日、奈良の西ノ京に行くと駅には駅員がいないのです。こんな有名な駅なのに! どこもかしこも働く人がいなくなる・・・この句の駅なら、のんびり待つのも苦ではありませんね。特選句「老猫のこれほど軽し薄月」。この6月に21年一緒にいた猫が逝きました。抱くと、ふわっとこんなに軽いのか、と・・・いろいろな思いが蘇りがえりました。

桂  凜火

特選句「鉛筆で描けばやさしい甲虫」。かぶとむしは厳つい虫だと思うが、鉛筆で描けばやさしいという発想がおもしろい。ここでは仮定が詩的にうまく使われていると思う。特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。何か人間関係のこじれが究極までいったのだろう。そんな日は前髪も切るのが若い感じがした。ほうせんかは取り合わせとして優しくて救われる。

河田 清峰

特選句「曼珠沙華白より赤の淋しくて」。そう言わればそう思って共感できる句です。

松岡 早苗

特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。「切って」の繰り返しがリズミカルで、「縁を切」るという重たい出来事を吹っ切って前に進もうとする潔さを感じました。「ほうせんか」がぱっと弾けて新しい明日に向かって飛び出していくようです。特選句「気後れの秋の素足のままでいる」。気後れして一歩前に踏み出せないでいる様子が、「秋の素足」の一言で見事に表現されていてすばらしいと思いました。

花舎  薫

。特選句「たまらなく生き来て湯の山の素秋」。自分の生き様や人生をたまらない と形容したところに新鮮な驚きがあった。素秋へのつながり方も素晴らしいと思った。たまらなくとは、たくさんの浮き沈みがあり、やり切れないような経験もし、がむしゃらに突っ走って、そうやって生きてきて、今自分は静かな山奥の湯に浸かっている。そして素朴な秋の美しさの中に居る。それは人生の終わりに近づいてきたひとが見いだす小さな至福感だろう。生き来て、としたところに時の流れと空間の移動が感じられ、秋の湯の山は時空を超えて人が到達できるニルヴァナを意味しているのだろうと思い至った.

銀   次

今月の誤読●「秋深し猫診療科の繁盛ぶり」。ひとりの女が灰色の猫を抱いて「猫診療科」に駆け込む。受付に行き「うちのジェニーちゃん、様子がおかしいんです」と訴える。無表情な受付嬢が「混み合ってますので、しばらくお待ちください」と言う。「でも」と言ったがさらに無表情になり「お待ちください」と答える。あらためて見れば、待合所はさまざまな種類の猫を抱いた人々で賑わっていて、だれもが心配そうな顔をして坐っている。小一時間も待っただろうか、ようやく診察室に通される。入ったとたん女はギョッとする。なんと、そこには巨大な猫が、さらに巨大な椅子に腰かけているのだ。「どうしました?」。その巨大な猫が老人のしゃがれた声で話しかけてくる。「ああ、これですか」とその猫は胸をトントン叩いてみせる。「なあに、ただのぬいぐるみですよ」。つづいて「だって、ここは猫診療科ですもの」と言う。女はドギマギしてただ「はあ」と言うのが精一杯だ。猫ドクターは「で?」と話をうながす。女が「じつは……」と話し出そうとすると、ドクターは「いやいや、あなたではなく、ご当人に訊いているのですよ」と、女の抱いた灰色猫に目を向ける。猫は甘えたような鳴き声で「みゃあみゃあ」と答える。ドクターはその声にしばらく耳を傾け、女に向かって「こりゃ夏バテですな」と言う。「この時期には多いんですよ」。女はもうなにがなんだかワケがわからずコクリとうなずく。ドクターは「なに心配はいりません。点滴をしておきましょう」と奥のカーテンをサッと開く。その向こうには数十匹の猫が横たわり、ドクターと同じような猫のぬいぐるみを着た看護師たちが忙しく立ち働いている。なにしろここは「猫診療科」なのだ。

荒井まり子

特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。長寿の日本。応援歌します。弾けて下さい。 よろしくお願いいたします。

男波 弘志

「縁切って前髪切ってほうせんか」。潔いことは誠に麗しいことでございましょう。名称と形態を滅するひとつの道でしょうから。秀作。「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。  一粒はもう大きな星のようです。兄への慈しみのこころ、誠に麗しいことでございましょう。

吉田 和恵

特選句「戦後八十年や実椿は爆ぜて(向井桐華)」。椿の実が爆ぜることで砲弾の炸裂を連想しました。戦後八十年、戦争が絵空事になりつつあることへの警告と受け止めました。

遠藤 和代

特選句「戦あり星流れても流れても」。いつが来たらこの地球上から戦争がなくなるのか。個人の力ではどうにもならないむなしさを「星流れても流れても」というフレーズに乗せて、ため息のように詠んでいるのが見事だと思いました。 

榎本 祐子

特選句「溜息の重しまたぞろ夜盗虫」。重い溜息とは、余程に重い憂いなのでしょう。ぞろと出てくる夜盗虫が溜息の比喩として説得力があります。

疋田恵美子

特選句「朗らかに寄る年波やとろろ汁」。健やかながら老を感じつつ、食事にも気をつける日々の様子が。特選句「晩夏光ママははちきんそしてボク」。はちきんは、土佐の方言で、「おてんば」「男勝りで気の強い女性」を意味します。夏の終わりの映画のワンシーンのようです。

重松 敬子

特選句「点は谷折り線は山折り木の実降る(大浦ともこ)」。折り紙は日本固有の文化。一枚の紙を立ち上げてゆく楽しさはなかなかです。我が家でも一時、家中が夢中になりました。木の実降る、で、作者のおだやかな日常がしのばれます。

末澤  等

特選句「秋耕や土に問うたり応えたり」。ちょうど今は夏野菜を片付け冬野菜を植え付ける時期です。当方も先日、畝づくりの秋耕をしながら、土にまだ続いている今夏の酷暑について話しかけ、「種を蒔いたり、苗を植えてもこの暑さでは上手くいくのだろうか」とも問いかけたところでした。毎年の秋耕ですが、うまく表現している大好きな一句です。ありがとうございます。

中村 セミ

特選句「一日の髪解く白花曼珠沙華」。ある時旧友の家をたずねた。古いおおきな扉を開け入った。○○さん、遊びにきたよ 「こっちへ来て」と声が聞こえた。壁の薔薇の絵の廊下を、真っ直ぐ、あるいてゆくと、「ここよ」と、頭に響いた。部屋をあけると、椅子に座った彼女は鏡の前で白くなった髪を何メートルも床に横たわらせる様に寝かせ髪を解いていた。「久しぶりだね、でも、この長い髪きらないの」そう言うとこちらを振り向き、白い髪に赤い髪がまとわりついて、まるで、赤い髪が白い髪を退けるように、増えてきている。「私は希少な白い髪の少女.だから、赤い世間からいじわるされてきたのよ」と、言うと珍しい白色曼珠沙華に、赤色曼珠沙華が幾つもからみついていた。あの友人のアルピーフローラは随分前になくなったのだ。若かったのに白髪だったお前よ、随分前になくなったのだ。あんなに、好きだったのに。今日、墓参りにきたよ。一日の髪解く白色曼珠沙華

藤田 乙女

特選句「キャラメルの箱の空っぽ小鳥来る」。キャラメルの箱にはキャラメルと共にとても大切な宝物が入っていたように感じられます。その喪失感を小鳥は慰め心に寄り添ってくれるようで……共感しました。特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。作者の矜持、潔さ、達観した覚悟、清らかな心を感じ、惹かれる句でした。

竹本  仰

特選句「朗らかに寄る年波やとろろ汁」:これは朝の食事だろうと思う。こういう風に音楽のように朝食に向かうというのが実に羨ましい。というのも前日の残飯の整理係の朝食をしか知らないためだろうか。子や孫の残した漂流物の流れ着いた砂浜のような。しかしこの句は違う。ごごごっ、という食欲の音が聞こえている。しかもとろろ汁だ。積年の労苦も何もかも、この一瞬の一啜りの中に吸い込まれてしまいそうだ。勇気一〇〇%、いただきます。特選句「静物の永遠に冷たき盛夏かな」:まだ観てはいないが、山田洋次の映画『母と暮せば』では、長崎の大学の講義中に原爆が落ちたシーンに、インク壷がだんだん溶けてゆくさまをクローズアップして描いたというのを聞いたことがある。それを思い出した。なぜそんな連想をしたかはわからないが、何とはなしに死のイメージ、それもどこか日常を超絶した死の感覚を想ったからだろうか。そして、これは少年の感覚に近いものだとも思った。小川国夫『アポロンの島』の「エリコへ下る道」の空気感を感じたのである。特選句「虫の闇次に呼ばれるのは私」:秋の夕暮れ時の野を歩くと、虫たちの世界に接し、あの声の中に入り浸かってみたいという誘惑を感じます。たぶんその中には、死んだらどうなっちゃうのかな、と自然の中の死を安らかに迎えたいという願望もあるのかななど思うのですが。あんなに融和して、おそろいで合唱を繰り返されると、自分ひとりくらいお仲間にと思って瞑想しているのです。そういえば、高野山で修行した一日目、地の底から何百とも楽しそうな大合唱の声がしたのを覚えています。後で聞くと、四、五人ほど、俺も聞こえたよと…。あの時も、呼びに来たのかなと楽しい気持ちにさせられたのを、今でもよく覚えています。問題句「蜉蝣というわたくしを見ない虫」:この場合の「わたくし」は、蜉蝣自身のことか、それとも「私」=こちらのことか。前者と見たいのだが、そうなると「虫」というのがどうも説明的になる。作者の意図は、どうか? 以上です。

今月の海原秀句の「春落日水平線からアンパンマン」って、四月十二日の「海程香川」句会で、袋回し句会に出した野﨑さんの句でしたよね。おやっと当日の記録を調べると、これをいただいたのは私一人だったようで、何だか自分の手のひらからアンパンマンが飛び立ったような不思議な気分になりました。野﨑さんしか作れないのは、野﨑さんもアンパンマンの一人だからでしょうね?先日、熊本句会の伊藤幸さん、森武晴美さん、村松喜代さんとご一緒し、宮崎の流域俳句会に参加させていただき、夜は語り合い、翌日の青島吟行では兜太先生の句碑「ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ」に触ることが出来ました。冷やし汁の昼食も、句会前こっそり頂いた麦●も美味でした。疋田恵美子さんとも話が出来、本当に来た甲斐があったなあとしみじみ思いました。流域句会のみなさま、熊女のお三人の方、本当にお世話になりました、ありがとうございます。それから、信章さん、早く治って、次回、ご一緒しましょう。

野田 信章

特選句「寡黙だが喋ろうと九月長い雨」。九月の長雨に仮託してもととれるやや前向きの句柄である。この口語発想による述懐には日本のいちばん重たい月である八月を経て来た人の気息の引きずりをも覚えるところがある。八月の原爆忌や終戦忌に重ねての、マスコミ等の類型的な論評に対してここに在るものは全く個的な寡黙にしての喋り、物言いである。これも九月の長い雨の所為かと苦笑しながらもそこには意力の確かさをも感得できる。

増田 暁子

特選句「晩年は兎のあつまる野が住所」。中7の兎のいる柔らかな、穏やかな優しい場所にいたい。この表現はとても素敵です。特選句「蜉蝣というわたくしを見ない虫」。産卵だけの2〜3時間の生命の蜉蝣。誰にも見られず、命の尊さ、哀れさを思います。

山下 一夫

特選句「かき氷乱れだしたら速いから」。上五と中七以下は倒置されているだけで一句の表面的な意味は単純なのですが、内容的には飛躍があること、言いさしたような終わり方をしていることが様々な読みを誘います。乱れだした誰かにそっと差し出すかき氷、自身をクールダウンさせるためのかき氷、油断していると乱れてしまって小さな器に盛れなくなってしまうような何物か等々。楽しませていただきました。特選句「宇宙謎めくあ~あ~あ~と扇風機」。宇宙と扇風機の取り合わせこそ謎ですが、羽の形状は上から見た星雲の形であることに思い至り納得。うなり声は古びた扇風機からのものとも、子どものころ扇風機に向かって「あー」と言うと返ってきた謎めいた「あ~」とも。愉快で懐かしい世界です。問題句「身の内の少年に秋ヘッセ欲る」。ヘルマン・ヘッセの「郷愁」「車輪の下に」「デミアン」「荒野のおおかみ」・・新潮文庫にたくさんあり青春時代に結構読みました。「秋」にはその作風や読書を連想するのですが、上五中七が難解。年を取って内面的な少年性にも遂に秋が訪れたということでしょうか。「少年に」の後で切れると見ることもできますが、さすがに「秋ヘッセ」はないですよね。

大浦ともこ

特選句「ひとりならひとりの歩幅秋澄めり」。ひとりで暮らすことになった寂しさを感じながらも前向きに生きていこうとしている様子が伝わってきます。季語の秋澄むの爽やかな静けさとも響き合っています 特選句「秋耕や土に問うたり応えたり」。農業という自然と対峙して暮らしている人の確かさや優しさが短い言葉に詰まっていると思います。

稲   暁

特選句「晩夏岬鳥になるため風を待つ」。鳥になって大空を自由に飛びたい作者。晩夏岬という造語に近い季語が生きている。特選句「青空の青の重たき終戦日」。雲一つないまでに晴れた8月15日の空。青空の青が重たい、という作者の感受性に深く共感した。

滝澤 泰斗

特選句「静物の永遠に冷たき盛夏かな」。昔、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」のコメントに、永遠に流れるミルクと評したことを思い出した。確かに、ここでいう静物も絵に写しだされた描写に永遠に冷たきとした本質を活写した。見事というしかない。特選句「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。今年の五月、佐渡開拓村事件の現場と更級郷跡、更には、越冬した勃利周辺にわが師の逃避行の足跡を追った。メンバーの一人が、石を六つ拾って、お盆にその拾った石を墓に並べて、あらためて、満州で亡くなった叔父の家族を弔った、と・・・掲句を詠んで前述エピソードを思い出した。掲句の意味合いはもちろん違うとは思うが、言い尽くせない哀しみを感じた。以下、共鳴句「妖怪も霊も花野の夜に遊ぶ」。花野の夜で急に色っぽくなったが、見えない夜に妖怪も霊も一緒になって遊ぶ景が見えた。「戦あり星流れても流れても」。流れてものリフレインが愚かな人間の一面をやや呆れ顔で見ている。「目の奥のがらんどうなり広島忌」。呆然自失の様を上手く表現した。「夏草や もとも子もなく 王道楽土(田中アパート)」。ウソ八百並べたて、満州に行けば王道楽土が待っている。侵略を隠すには、五族協和の文字を躍らせ、言葉の麻酔を打って行く・・・貧しさの先には棄民死が待っていた。「ほうたるや何にもなれずさまよえば」。子供の頃、追った蛍は、騙されて、満州に行って死んだ魂かもしれない。

野口思づゑ

特選句「ほうたるや何にもなれずさまよえば」。あら、まさしく私もその通り、と共鳴しました。でも今ではその境地も幸せと納得しているので、作者も同じかもしれません。とはいえ客観的に見れば、案外「何か」になっている方なのでは、とも思います。「縁切って前髪切ってほうせんか」。うまく区切りがついたでしょうか、と尋ねたくなるような句。「ひぐらしに兄をひとつぶ置いてきた」。お兄様との関係をのぞきたくなった。「たまらなく生き来て湯の山の素秋」。上5からの「たまらなく生き来て」にとても惹かれた。「ママの彼嫌い露草踏みつけて」。幼い男の子の姿が浮かんだ。ドラマ性たっぷりの句ですね。

薫   香

特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。リズムがいいですね。振り切る感じが、季語のほうせんかとあってる気がしました。特選句「曼殊沙華白より赤の淋しくて」。曼殊沙華の赤はどうしてあんなにも寂しげなのでしょうか。

松本美智子

特選句「ハンカチや空一枚の明るさへ(三枝みずほ)」。ハンカチの役目は数知れず・・・ハンカチに関するエピソードもたくさんあろうかと・・・誰にでも身近な、ハンカチだからこそ、それを使う時、人、などなど、そこには明るい思い出とともに、未来に向かう夢のようなものが象徴として感じられます。そのような思いをうまく表現できている句だと思いました。

新野 祐子

特選句「宇宙謎めくあ~あ~あ~と扇風機」。一番おもしろくて楽しい句を選んでみました。「宇宙謎めく」に扇風機か、それもあ~あ~あ~と言って首を振る年代もの。すごく冴えている取り合わせですね。ほんとに宇宙の果てはどこにあるんだろう。最近私もよく考えます。

綾田 節子

特選句「毒消丸本舗金文字涼しき大暑かな 」。作者創作の薬屋さんでしょうか? 素晴らしい発想と諧謔、楽しませて頂きました。

向井 桐華

特選句「キャラメルの箱の空っぽ小鳥来る」。光景がパッと浮かびます。季語の選択がいいですね。

出水 義弘

特選句「縁切って前髪切ってほうせんか」。気分一新。前向きに生きようとする潔さ、決意がよく表わされていると感じました。特選句「階段を一段飛ばす敬老日」。年寄りの冷や水かも。でも、それなりに、そこそこに生きていられる幸せに心弾むときもあります。

野﨑 憲子

特選句「戦あり星流れても流れても」。人類の業を映す鏡のように星は流れるばかり戦を終わらせる術はまだ見つからない。美しい詩に昇華された反戦詩。特選句「シベリアの戦士昭和の水が動いて秋」。今年の八月で第二次世界大戦後八十年。「昭和の水」に映るシベリヤ抑留戦士たちの悲劇。深まりゆく秋の中で決して風化させてはならない記憶。

本文

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

秋澄む
頬杖の秋の澄むまで待つてをり
三枝みずほ
秋澄むやヘッセの詩(うた)を口ずさむ
増田 暁子
秋澄むや山の上なる水族館
榎本 祐子
神うたがはぬ人のゐて秋澄む
大浦ともこ
灯台に直立の意志秋澄めり
稲   暁
等身の鏡の中へ秋澄めり
柴田 清子
アンパンの欠片ほっぺた秋澄めり
藤川 宏樹
余生とはきれいな器秋澄めり
若森 京子
秋澄むや句会に弾む笑ひ声
島田 章平
伝統も前衛も月貫けり
三枝みずほ
真っ白のバスローブ着て月明り
布戸 道江
月蝕のあいだ泣ききるおとうとよ
桂  凜火
仲良しはもうこりごりよ月欠ける
柴田 清子
月の夜や踵(かかと)とどかぬバーの椅子
大浦ともこ
鰯雲
飛び乗って龍になろうか鰯雲
野﨑 憲子
いつの日か一人になるよ鰯雲
布戸 道江
長寿とや源内薬草いわし雲
若森 京子
風抱いて渡る木橋や鰯雲
稲   暁
看取らむと行きゆく道を鰯雲
大浦ともこ
スマホの電波気絶している鰯雲
岡田 奈々
土起こし予定なき日の鰯雲
末澤  等
いわし雲旅のカバンが重くなり
増田 暁子
草々の丈ほどの我鰯雲
三枝みずほ
蜻蛉
気が付けば埋めつくされて赤蜻蛉
岡田 奈々
ふとん屋からとび出す目玉鬼やんま
増田 暁子
言の葉が踊つてゐるよ赤トンボ
野﨑 憲子
読みなおす募集要項赤とんぼ
布戸 道江
瀬戸の旅この指蜻蛉のため立てる
若森 京子
伸び代は残したままや銀やんま
藤川 宏樹
キュンと君に撃たれてしまう赤トンボ
桂  凜火
蜻蛉に遊ばれてゐてもう日暮
柴田 清子
古書売って蜻蛉の過ぐる空のあり
三枝みずほ
虫除けのトンボ背にして白馬岳
末澤  等
まだ若い月だな夜を急いでいる
榎本 祐子
もう若くないけど秋思の心臓部
三枝みずほ
若者に稲妻光る精神科
稲   暁
若さとは溢るるいのち秋桜
野﨑 憲子
海程で秩父旅した若き日々
漆原 義典
爽やかや笑っていれば若くなる
柴田 清子
若楓時計正午の廃母校
藤川 宏樹
白桃の薄皮はがす若き指
桂  凜火
若や若わかわかわかや秋日輪
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

今回は関西から若森京子さん、榎本祐子さん、桂凜火さん、増田暁子さんも参加され、いつにも増して楽しく豊かな時間を過ごすことができました。特に、若森さん榎本さんは本会に第一回からご参加で、本会の初代代表の高橋たねをさんが伊丹市にお住いの時からの俳句仲間でした。事前投句の合評後の袋回し句会も、魅力あふれる作品や熱い鑑賞が行き交いあっという間の四時間でした。

第1回「海程香川」の事前投句一句集(参加者10名)の作品から・・。        

2010年11月19日(土)  於、サンポートホール高松  。    

ナターシャの朝は眩しい木の葉髪     高橋たねを    

加齢とは頬杖やわらかい花野       若森 京子    

星流れ言伝てというぼんやり       矢野千代子    

次々にドア開け長き夜の羊        榎本 祐子

お日さまと何して遊ぼう蜜柑山      河野 志保    

燧灘月の兎が来ているよ         野﨑 憲子  

これが始まりの時でした。そしてお陰様で徐々にお仲間が増え、今に至っております。句会には遊び心が何よりも大切と思っております。今後とも末永くよろしくお願いいたします。 

Calendar

Search

Links

Navigation