2025年11月26日 (水)

第167回「海程香川」句会報(2025.11.08)

万智の蛇馬.JPG

事前投句参加者の一句

                                                                                             
言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く 吉田 和恵
切手には異国の偉人鳥渡る 大浦ともこ
秋蚊鳴くほどの恋慕を便箋に 男波 弘志
待宵や「うれし」てふ字の女偏 松岡 早苗
文化の日金継ぎ美しき志野茶碗 向井 桐華
月明り土はろばろと花の種 福井 明子
それぞれの思い行き交う遍路道 末澤   等
古地図の道標ふらふらと秋の蝶 増田 暁子
亀虫の警告無意識の加害 時田 幻椏
富士山のたらし込みめく秋の鯉 河田 清峰
ローゼルの繁り私のセカンドライフ 疋田恵美子
小骨とは違ふ何かが刺さつて秋 柾木はつ子
鰯雲豪快な空振りである 佐孝 石画
臨書する筆も唸りし虎落笛 漆原 義典
山の秋空が高さをとりもどす 亀山祐美子
人逝くに木犀激しく匂うなり 榎本 祐子
冬の芽の限りある土慎ましく 豊原 清明
青空に蔵王の樹氷突き刺さる 遠藤 和代
ばらばらのびっくり箱の木の実かな 高木 水志
「ハラヘッタ」熊の呻きが花野より 新野 祐子
すたすたと枯野の犬となりゆけり 稲   暁
蛍の家童顔の女主(あるじ)は蛇殺す 田中 怜子
北へ汽車父冬耕の野に訛る 竹本  仰
鰯雲破片つなげるように声 三枝みずほ
キメキメの目線にポーズ七五三 山下 一夫
蹴られても品性保つ新松子 森本由美子
古里の梨の重さよ父母よ 樽谷 宗寛
錦秋やトスを待てずに爆ぜしころ 松本 勇二
エロスともアガペーとも手中の林檎 伊藤  幸
夫婦獅子戯れ合へり豊の秋 出水 義弘
母さん撃たれた!くんくんと森へ仔熊  十河 宣洋
水に棲む大銀杏の十日間 中村 セミ
今頃は海の上かも旅の蝶 川本 一葉
職退けばのたりと勤労感謝の日 岡田ミツヒロ
月光に入れてうすつぺらのからだ 小西 瞬夏
大花野父の翼を拾いけり 綾田 節子
獣らの耳鼻動く霧ぶすま 菅原 春み
私の中のおかしなお化けハロウィン 重松 敬子
横顔へ性善説を説く焚火 和緒 玲子
ナナカマドの意志あり言語聴覚士  三好つや子
しゃっくりの止まず六道参りかな 荒井まり子
もどらないもう何もない場所鳶の秋 花舎  薫
白粉の花に泣き顔見られけり 柴田 清子
マジっすかマジでございます菊日和 野口思づゑ
秋うらら猫の会話のまあるくて 河野 志保
小さい秋みつけたかなと空をみる  田中アパート
不器量蜜柑己が如しと山の婆 野田 信章
鳥を呼び日を呼び返し冬耕す 佳   凛
月光迫りくる犬あとずさる 銀   次
朝寒やヨガのポーズの木になりて 薫   香
号泣のあと熟寝の子小鳥来る 月野ぽぽな
十三夜種火のままの恋心 藤田 乙女
カプセルトイ冬きらきらと転がり来 松本美智子
ボタン穴掛け違えても冬は来る 佐藤 詠子
今日かけっこ一番だったよ秋夕餉 藤川 宏樹
独り立つナウシカ色なき風の谷 島田 章平
冬ざれや息はしづかに風になる 各務 麗至
小鳥来る旅行雑誌の色褪せて 大西 健司
新松子自分の根っこ考える 津田 将也
朝顔の日記に泣いて早や八十路塩野 正春
青空を遊び疲れて野鶏頭 岡田 奈々
幕内弁当に栗と團十郎 布戸 道江
良夜かなわたし閉じたり開いたり 桂  凜火
天高し友と逢う日は部屋干しで 山本 弥生
朝寒やカフェにひと匙落とす蜜 植松 まめ
読書週間活字拾うも本読まず 滝澤 泰斗
軍隊はまだまだ此処にある良夜 河西 志帆
秋の陽に埃落つ様宇宙かな 三好三香穂
青空に似合わぬ国旗冬近し 石井 はな
雨はシャンソン十一月の赤い薔薇 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「鳥を呼び日を呼び返し冬耕す」。自然と一体となって耕す光景が鮮やかに、そして大いなる光量をもって表現されています。

小西 瞬夏

特選句「月明り土はろばろと花の種」。月の明かり、大地の土、植物の命、それらがぼんやりとつながっているアニミズムの世界。「はろばろ」という意味の曖昧な言葉が、それらをゆったりとつなぎ、まとめ上げている。命の循環を感じさせる一句。

十河 宣洋

特選句「職退けばのたりと勤労感謝の日」。自画像か周りの人が見ているのか。自分かもしれない。いずれにしてもこの気持ちわかる。二十数年前の自分を思い出した。今は毎日のたりである。特選句「私の中のおかしなお化けハロウィン」。皆が心の中に仕舞ってある妖怪やお化け。ハロウィンになにかやってみたい。お化けにでもなってみようか。私がやるとやっぱり可笑しいかも。などと自問している。

岡田 奈々

特選句「しゃっくりの止まず六道参りかな」。しゃっくりは止まらなくなるとそればかり気になって何も手に着かなくなります。それの鬱々した感じを六道参りをしているようという逃げたいのに逃げられない悲しさ。特選句「マジっすかマジでございます菊日和」。何が本当なのか全然分からないけど、この季節の清々しさはあの酷暑からは想像もつかない。本当よく眠れます。「秋風に永遠を聞く土偶かな」。土偶の何処を見ているのか、何を考えているのか分からなかったけど、永遠というものを感じていたのですね。「文化の日金継ぎ美しき志野茶碗」。そのままよりも、金継ぎした物の方がずっと奥深い美しさがあると思う。「小骨とは違ふ何かが刺さつて秋」。どうも何かが気になって仕方ないのに決定的な違和感に迄は至らぬもどかしさ。とかく物思う秋。「眠れぬ夜長円周率と根比べ(野口思づゑ)」。夜寝るのが遅くなると何故か眠られなくなる。その長さは円周率に匹敵して、永遠に続きそう。「横顔へ性善説を説く焚火」。焚火のちらつく様が横顔の人を説得しているようって。人は元々良い人なのか?「黄菊茹で鉢にあふるる北訛り(福井明子)」。菊膾の優しい滋味が東北地方の人の優しさと直向きさを醸し出す。「読書週間活字拾うも本読まず」。年取ると読もうと思って本を買うけど、目次を見ただけで、読まずに終わった積ん読の増えること。「ケーキより松茸御飯誕生日(岡田ミツヒロ)」。言わずと知れた松茸御飯のあの薫り。何時でも食べたいですね。この歳になるとケーキは重いです。

月野ぽぽな

特選句「鰯雲破片つなげるように声」。「破片つなげるように声」から屈託のある感情がよく見えてきました。鰯雲がその心をよく受け止めていると思います。

豊原 清明

特選句「母さん撃たれた!くんくんと森へ仔熊」。秋になると、熊は撃たれる。腹が減って、腹が減って。親熊も悲惨である。問題句「エロスともアガペーとも手中の林檎」。林檎の形が性的である。エロス。

各務 麗至

特選句「ほんの小さな一歩も一歩いわし雲(竹本 仰)」。何でもなさそうな一歩だけど、その確実な一歩こそが人生を切り開く力。一歩一歩歩いて来て見あげた空一面にいわし雲。その雲群の力強い一匹一匹の勢いが一歩も一歩との自覚に重なって見えて、それこそ限りない気持の良さが広がりました。問題句「月光に入れてうすつぺらのからだ」。問題句「軍隊はまだまだ此処にある良夜」。何か上下左右是非のあらゆる方向から、そんな講評や鑑賞ができそうな不思議で怖い作に思えてしまいました。

桂  凜火

特選句「人逝くに木犀激しく匂うなり」。人がなくなることはとても大きなことですが、悲しいと思うよりも寂しいと思うよりもなにかしんとした感情のない時があるように思いますが、その瞬間の静寂を木犀の匂いのという形のないもので表されたのかと感じました。切なくていい句ですね。

野口思づゑ

今回はみな等しく惹かれ特選句絞れませんでした。「鰯雲ガニ股歩きの父は鳶職」。きっとお父様が誇りなのでしょう。ガニ股歩きのお父様らしき方の後ろ姿が目に浮かびました。「言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く」。ちょっと迷惑だな、と思いながら目と手は林檎に。そんな何気ない日常の日々が捉えられている。『「あれ」「あの」で会話を繋ぐ秋の暮れ』。下5で、若くはない夫婦なのでしょう。典型的なこの手の会話。お互いに理解し続くのですよね。

河野 志保

特選句「鰯雲豪快な空振りである」。野球の1シーンが気持ちの良い句に仕上った。広くて美しくて物悲しい「鰯雲」が効いている。「豪快な空振り」には人生のいろいろな場面も想像でき解釈も膨らむ。

津田 将也

特選句「富士山のたらし込みめく秋の鯉」。江戸時代の琳派の絵師たちによって多用された日本画の技法に「たらし込み」がある。異なる濃度の絵具や水を垂らすことで、自然なにじみやぼやかしを画面に生み出す技法である。計算し尽くされた線画とは異なり、偶然性の効果を期待した趣がある。秋の錦鯉は、この技法で描かれた如き見事な赤富士文様を身に巻きつけ、悠然と泳ぎ、作者や他の人たちの目や心を魅了している。

柴田 清子

特選句「雨はシャンソン十一月の赤き薔薇」。全身を音楽の流れる気分のいい一句。この句の虜になりました。特選句「古里の梨の重さよ父母よ」。古里の父母を偲ぶに「古里の梨の重さ」を先に置いた事が、思いの深い佳句となっている。

樽谷 宗寛

特選句「カプセルトイ冬きらきらと転がり来」。カプセルトイと中七、下五の取り合わせがよい。心の弾む 明るく 句です。

藤川 宏樹

特選句『待宵や「うれし」てふ字の女偏』。女偏の字は多数あるが男偏の字は浮かばない。「女」は象形、「男」は田+力の会意、背景に古来の男尊女卑があるようだが現代女性の地位向上は喜ばしい。今秋の女性初の宰相誕生を詠んだ句と受け取った。

中村 セミ

特選句「蛍の家童顔の女王は蛇殺す」。ホテル「ホタル」に泊まった夜、5Fにつき、廊下に蛇が一匹這ってきていたが、知らぬ顔して、部屋に入った。暫くするとノックされ、女将が「蛇の通報があったのですが、大丈夫ですか」「ああ、この部屋にはいません。大丈夫です。」と、言った。「ですね」と、言って後ろからの手を、前に持ってくると、手に、蛇が掴まれていて、かぶりと噛んで、僕をみて、妖しく笑った。そして顔は光はじめた。まるで、それは、大きなホタルが、ヘビを咥え、光っているようにみえた。「小骨とは違ふ何かが刺さつて秋」。違う何かが気になる。昔、TVで8時に、洋画のインベーダーというのをやっていた。ロイ、シネスフ扮する主人公が宇宙からの侵略者を退治していく話なのだが、この主人公は、かたくなに、それを、信じて本当は、普通の人を、たくさん殺したのではないか。おそらく何かが突き刺さるという、表現は、なんでもあり。でも、作品は、面白いとおもいました。

増田 暁子

特選句「葛引けば産土まぼろしの如く」。寒くなり葛引いた物を食べれば、故郷の風景、食べ物など思い浮かぶ。思い出す顔もある。

三好つや子

特選句「月光に入れてうすっぺらのからだ」。一読して、月の光に透けそうなほど痩せ衰えた五体が、目に浮かびました。鏡や窓ガラスに映る老いたからだが哀しく、愛おしく、そして美しい。さまざまな思いが句に込められ、味わい深いです。特選句「ボタン穴掛け違えても冬は来る」。心にもやもやを抱えながら、前を向いて生きるしかないとき、人はこういう心境になるのでしょう。そんな状況をさばさばとした言葉で紡ぎ、いっそう心に刺さりました。「鰯雲ガニ股歩きの父は鳶職」。現役を退いたあとも周りから頼りにされる父を、誇りに思う気持ちがほっこり伝わってきます。鰯雲がいいですね。「鳥を呼び日を呼び返し冬耕す」。広々とした空の下、黙々と土を耕す光景に、冬ならではのきりりとした空気感があり、惹かれました。

福井 明子

特選句「しゃっくりの止まず六道参りかな」。遠い記憶に、胎内記憶がうすれていくほど、しゃっくりは出なくなる。そんなことを聞いたことがある。子どものころ、あれほど出ていたしゃっくりが、今は全く出ない。六道参りとは、生まれかわりの輪廻の道程、だとすれば、そこには目には見えない、いのちのさまよい、萌芽、鼓動があるような気がして、不思議な辻に迷い込んでしまいました。

岡田ミツヒロ

特選句「大花野父の翼を拾いけり」。在りし日、翼もてこの世を翔けめぐった父への追慕と祝福。「大花野」と「拾いけり」に作者の思いが滲み出ている。特選句「私の中のおかしなお化けハロウィン」。人の身中に棲む得体の知れないもの、時にはそれを外に出し踊って騒いで発散させ、なだめる。それがハロウィン。内奥の陰の部分を戯画化した諧謔の光る一句。

柾木はつ子

特選句『「ハラヘッタ」熊の呻きが花野より』「知恵くらべ獣もわれらも花野風(十河宣洋)」。甲乙つけ難いので何れも特選とさせて頂きます。毎日、ニュースで見聞きしておりますが、他郷の事とは思われません。正に生存競走の激化があらゆる場面で起こっているこの世界。只々慄くしかありません。特選句「キメキメの目線にポーズ七五三」。いかにも現代っ子の七五三という雰囲気が現れていて微笑ましいです。

若森 京子

特選句「小骨とは違う何かが刺さって秋」。小骨が刺さっても、ずっと違和感があり大変だが、それとは違う何か精神的なものに刺さり毎日が憂鬱なのであろう。そして秋がやって来た。特選句「月光に入れてうすっぺらのからだ」。月光に照らされると、自分の肉体が透かされている感覚になり、うすっぺらに自己暗示された一句。平仮名の効果もよく効いている。

島田 章平

特選句「古里の梨の重さよ父母よ」。梨は他のどんな果物より重い感じがする。ざらっとした手触りはまさに父母の愛。遠く離れてこそ、父母の愛を深く感じる。

河西 志帆

特選句「小骨とは違ふ何かが刺さって秋」。何かが刺さっている感じがよくわかります。それはなんなんだろう。特選句「月光に入れてうすつぺらのからだ」。うすっぺらのという言い方がいいですね。人間って、本当はそうなんじゃないかと思う。みんなね。

伊藤  幸

特選句「北へ汽車父冬耕の野に訛」。父に訛ではなく野に訛の表現効果大。故郷へ向かう汽車の中、作者の心は既に故郷。作者の思いが伝わってくるようだ。特選句「職退けばのたりと勤労感謝の日」。職を退いてこれでゆっくり出来ると思っていたのが勤労感謝の日を前になんとなく寂しい気持ちになるのは何故だろう。掲句の「のたり」は蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」とは少しニュアンスが違うのではないかと思われて仕方ない。

男波 弘志

寸感。「良夜かなわたし閉じたり開いたり」。この古典を一心の背負った季語が今この時飛躍している。清少納言もさぞ驚かれているだろう。上五に、かな、を据えることはこの詩形に於いては極めて難事であるが、それも無理なく整っております。この「閉じたり開いたり」をどう受け取るかだが、自分は過去から現在へ至る人々の声を聴いている。芭蕉の最晩年の名吟が閉じたり開いたりもしている。特選。 人声や此道かへる秋のくれ  芭蕉 「転ばぬようにが口癖南無妙菠薐草(若森京子)」。名号にほうれん草を接ぎ木した手腕は見事でございます。読み手の数だけ物語が生まれるだろう。この破調にも日蓮上人の気迫の余波が十分に伝わっております。秀作。

松本美智子

特選句「切手には異国の偉人鳥渡る」。外国の切手やコインには何か懐かしさや異郷の地に馳せるロマンが宿っているように思います。その切手と「渡る鳥」を取り合わせることで、旅をいざない・・・体は今ここに、心は遠い異国の地にある気分になりました。♡今月の皆さんの句を拝見して「新松子」という季語を知りました。鈴虫を「月鈴子」ということも調べてわかりました。勉強させていただいています。

榎本 祐子

特選句「鰯雲ガニ股歩きの父は鳶職(綾田節子)」。ガニ股、父は鳶職の止め方が切なく響きます。空を舞う鳶のイメージと鰯雲の背景で、高所で仕事をしていた父に寄せる思いが伝わります。

疋田恵美子

特選句「エロスともアガペーとも手中の林檎」。愛の概念を。具体的な「林檎」と結びつけた、引かれるお句でした。特選句「母さん撃たれた!くんくんと森へ仔熊」。人も熊も生きづらい世の中になりましたね。

佐藤 詠子

特選句「水に棲む大銀杏の十日間」。まずは作者の懐の深さに拍手です。作者が大銀杏を見つめていたのは、おそらく十日間だけではなく、銀杏の葉が枝にある頃からだと推測します。葉が落ちた後も、池や川の端で美しく存在する姿を「水に棲む」と表現された所が好きです。そこに銀杏の意志が感じられます。やがて朽ちて姿を失くしていく大銀杏。季節の移ろい、生命の宿命を10日間見つめながら、人間もまた齢を重ねていつか終わっていくのだという無常観がこの句の真ん中にあると読みました。黙の中にある愛に共感。 ♡初参加です。2001年に海程に入会しました。きっかけは父(海原秋田・舘岡誠二)です。本音の自分、言えない想いを書くことが好き!で俳句を続けてきました(笑) 

松岡 早苗

特選句「横顔へ性善説を説く焚火」。焚火に当たっている人の横顔には、どこか哲学的な陰影が醸し出されています。そして、寒いなか手をかざす焚火の明るさ、暖かさは、なるほど「性善説」そのものであるなあと納得しました。情景が鮮明に浮かび、さらに「性善説」が出てくる意外性がとても素晴らしいと思いました。特選句「秋うらら猫の会話のまあるくて」。仲良しの猫たちが甘えた声で鳴き合っているのでしょうか。「会話のまあるくて」がとても素敵で、秋晴れの暖かな光をいっぱい感じることができました。

布戸 道江

特選句「今頃は海の上かも旅の蝶」。今年のアサギマダラは飛来が少なかったとの報道、報道に吊られて、小豆島、観音寺、奈良など追いかけた事があります。今年も藤袴の苗を置いて待って居ました。待つ事でワクワクします。この句気持ちがピッタリです。

佐孝 石画

特選句「青空を遊び疲れて野鶏頭」。この句は二通りの解釈に分かれると思う。下句「野鶏頭」の前で切れるかどうかが解釈の分岐点。切れる場合は、作者が「青空」を飽かず眺めた後、視線を下ろした先に出会った「野鶏頭」の鮮やかさへの賛美。切らずに読むと、鶏頭花が空を遊んだ後に地上に舞い降りて、何事もなかったように屹立している不条理な幻想。筆者は読後思わず一句一章として後者の風景を幻視しまったのだが、拙句に「新樹らは空を歩いていたのです」「冬木いま雲上を歩いてきました」があり、この句の解釈を、木々が知らぬ間に空を散歩している世界と重ねてしまったところがある。俳句のセオリー通りならば、「切れ」がある前者の解釈で、「青空」を眺める視線と、「鶏頭」への視線の推移の中で生じる作者の心の揺らめきを表した作品なのだろうし、それもとても魅力的な抒情だと思う。「青空を」の「を」という助詞の斡旋も、解釈に広がりをもたらし秀逸である。「切手には異国の偉人鳥渡る」。視点と季語の配合が秀逸。助詞「に・は」の音感が少し冗漫な気がするので、「は」を抜いて「古切手に」くらいの方がいいかもしれない。「小骨とは違ふ何かが刺さつて秋」。文語ではなく「小骨とは違う何かが刺さって秋」としたほうが「キレ」が出るように思うのだが。

菅原 春み

特選句「人逝くに木犀激しく匂うなり」。人が亡くなると神経が研ぎ澄まされ、きゅう覚まで鋭敏になる様子がみごとに書かれています。特選句「すたすたと枯野の犬となりにけり」。犬が野良、野犬になってしまったのでしょうか。枯野に夢中になって行ってしまったと言うことでしょうか? 味わいがあります。

漆原 義典

特選句「秋蚊なくほどの恋慕を便箋に」。秋蚊鳴くが、恋慕を便箋に綴る心境をよく表現していると思います。素晴らしい句をありがとうございます。

吉田 和恵

特選句「雨はシャンソン十一月の赤い薔薇」。十一月の雨と赤い薔薇の対比が素敵。時雨が赤い薔薇の前でシャンソンに聞こえたらどんなに楽しいことでしょう。

大浦ともこ

特選句「北へ汽車父冬耕の野に訛る」。汽車に乗り故郷に向かっているのでしょうか・・郷愁の一句です。特選句「カプセルトイ冬きらきらと転がり来」。クリスマスや雪といった冬の持つ心の弾みのようなものが伝わります。カプセルトイというチープなものに託しているのも面白く「きらきらと転がり来」に様子がうまく表現されています。

薫   香

特選句「みどり児があくび誘い秋桜(藤川宏樹)」。ほのぼのとした句に癒されました。

山本 弥生

特選句「不器量蜜柑己が如しと山の婆」。狭の山里に吟行に行った日、初めて出逢った婆さんから昔からの知人のようにやさしい声で、屋敷に無農薬で実ったみかんを二個「見かけは悪いけど中味はおいしいのよ」と手渡してくれた。

時田 幻椏

「鰯雲ガニ股歩きの父は鳶」。一句に三匹の生き物、ご苦労様です。「言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く」。「エロスともアガペーとも手中の林檎」。林檎の句を二つ。『待宵や「うれし」てふ字の女偏』「月光に入れてうすっぺらのからだ」「菊月の鏡の間自刃の間」。月の句三句。「号泣のあと熟寝の子小鳥来る」「ボタン穴掛け違えても冬は来る」。最近の生活実感、 と言う事で。

田中 怜子

特選句「それぞれの思い行き交う遍路道」。地味な句だけれど、いろいろな思いで遍路をしよう、ということになった方を淡々とえがいている。映像として傘を目深にかぶって黙々と歩き続ける人、同行二人だけの映像が浮かびます。特選句「古里の梨の重さよ父母よ」。スーパーで梨が高いこと高いこと。数年前まではそうでなかったが、総じて果物の値段はあがっている。しかし、育てるご苦労をよく知っている子供だからこそ、ご両親への敬愛が梨をとおして語られているのがいいな、と思います。ご両親の代で終わらせずに末永く作り続けて欲しいな、と。

高木 水志

特選句「言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く」。必死で言い訳しているのが馬鹿馬鹿しく思えるくらい、作者が林檎をさくさくとリズムよく軽やかに剝きながら、余裕をもって聞いている様子がおもしろい。

綾田 節子

特選句「言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く 」。情景が見えてきます。時に必要ですが、言い訳って嫌いです。 どうか手を切らないように。 特選句「鰯雲豪快な空振りである 」。とっても気持ち良い空振りですね 、作者もきっと豪快な方でしょう、爽快です。

三好三香穂

特選句「大花野父の翼を拾いけり」。父の翼は、父の夢や希望のようなもの、それを拾って、受け継ぐとは、何と素敵なこと。舞台は、大きな大きな花野である。私の父は凧を揚げたり、紙飛行機を飛ばしたりしていた。その翼であれば、なおのこと嬉しいだろう。

植松 まめ

特選句「代役のいない厨に土大根(佐藤詠子〉」。静寂が流れる厨に土のついた大根が置かれています。多分自分の畑で採れた大根でしょう。代役のいないの表現に生きる強い意志を感じました。

竹本  仰

特選句「鰯雲破片つなげるように声」:破片という処から、色んなもののイメージが浮かぶ。個々の胸中に広がっている破片、またはどこかの戦場に落ちている破片とも。そこでは声が出ないものの、降って来たように声がする。その声は何だろうか。あるいは「クオバディス(あなたたちはどこへ?)」と言っているのか。意味の広がりを感じさせる句である。特選句「落ち葉して木々箴言の如きかな(稲 暁)」:落葉は時に言葉よりずっと説得力あり、ずんと響いてくるものがある。超言語だ。キャロル・リードの『第三の男』のラストシーンなどそうだった。人生におけるキーポイントには確かに落ち葉があった。というのを思い出した。特選句「カプセルトイ冬きらきらと転がり来」:子供のあの眼の高さで見たカプセルトイには、我々の想像も及ばない夢が詰まっているんだろうなと思う。その眼で見た冬はさらに輝いているんだろう。ああ、あの眼が欲しいなあ。三橋敏雄<かもめ来よ天金の書をひらくたび>を思い出した。♡今年の最終回でした。今年は忙しかったなあ。これからもそうなんだろうけど、よく生きてきた。大げさか。ただよく、ウクライナやガザのことが頭をよぎった。生きるって何?みなさん、またよろしくお願いします。どこかでお会いしましょう。

新野 祐子

特選句「母さん撃たれた!くんくんと森へ仔熊」。こんなにせつない句ある?自然と共生する難しさを痛感しています。人間だけの地球ではないことを、もっと根源からかんがえないといけない時代になったと思います。「チャブ台のヒグマに説教松本智津夫(田中アパート)」。松本智津夫がヒグマに説教する?麻原彰晃じゃないところも可笑しい。死刑になった人を可笑しいなんていって悪いけど。

塩野 正春

特選句「秋蚊鳴くほどの恋慕を便せんに」。秋蚊のか細い鳴き声の恋? 果たしてどんな恋かなと想像させてくれる。今は言えないが昔は確かに恋だった? あるいは恋そのものが淡い夢だった・・とか。 いつになっても恋は語りたい。特選句「北へ汽車父冬耕の野に訛る」。お父さんは東北出身? 列車が北に走り出す。例えば宇都宮あたりに来ると田んぼが広がり、つい話に訛が出る。実は私もそうなんです。訛は抜けないし、話すことに喜びを感じる。いいな、古里は。準特選句「黄菊茹で鉢にあふるる北訛り」。(もってのほか)とかいう黄色の菊時々取り寄せて食べます。懐かしい味ですね。東北、山形で食べます。ポン酢がよく合いますね。

石井 はな

特選句「冬ざれや息はしづかに風になる」。自分の吐いた息が風になって流れていく。自分も自分の息も自然の循環の一部で、全ての物は繋がっている事を感じます。息は息だけでなく思いも乗せて世界と一体になって私は世界と繋がります。

滝澤 泰斗

特選句「言い訳を軽く聞きつつ林檎剥く」。どこかで見たような聞いたような句だが、何故か魅かれた。言い訳を言っているのはこちらで、こちらの屁理屈の様な言い訳を、「また、始まった・・・」と、意に介さすに軽く、聞いて、退屈を紛らわすようにリンゴを剥いている・・・これって、家じゃん・・・。特選句「古地図の道標ふらふらと秋の蝶」。一語、一語の言葉の道具仕立てと言うか、揃え方良い。まさに、編んだ一句とでも言おうか。準特選句「北へ汽車父冬耕の野に訛る」。一瞬、作者の立ち位置を探りたくなるが、そんなことはどうでもいい。稲刈りが終わり、ふるさとの土を守る愚直な父の姿を活写した。共鳴句「小骨とは違ふ何かが刺さつて秋」。刺さるのは、言葉か、現象か、人間の厄介さをシンボリックに切り取って印象強し。

河田 清峰

特選句「人逝くに木犀激しく匂うなり」。人を引き付けて止まない木犀の香り。大事な人を失ったのであろう!哀しみが身に沁みてくる句。

花舎  薫

特選句「鳥を呼び日を呼び返し冬耕す」。これは実際の生活を詠まれたものと思う。抽象的な句が多い中で、景は明瞭で鑑賞していて清々しい気持ちになった。そして一年を通しての労働、大地とのつながりや自然との共存といった作者のストイックな日常も読み取ることができる。「鳥を呼び日を呼び返し」のリズムがよい。一介の農耕者がまるでマーリンのように自然を操っている壮大で美しいシーンを見たような気がした。

末澤  等

特選句「私の中のおかしなお化けハロウィン」。人間は誰しも心の中に本人の人間性とは異なるおかしな部分を持ち合わせていると言われていますが、それを「お化け」と表現し、季語の「ハロウィン」と組み合わせているところが大変ユニークだと感じました。

向井 桐華

特選句「秋うらら猫の会話のまあるくて」。「猫会議」という言葉があります。どこからか猫が集まってくるのです。その穏やかな光景が浮かびました。秋うららと下五が呼応しています。

出水 義弘

特選句「古地図の道標ふらふらと秋の蝶」。古地図に示されている、今も残っているかどうかも良く分からない昔の道標を案内にして歩いている自分は、弱弱しく頼りなげに飛んでいる秋蝶のようである。季節のわびしさが良く表現されていると思う。特選句「枯葉舞う仰向きクスクスくるくると(花舎 薫)」。風に舞う枯れ葉の動きがオノマトペで上手く表現されている。まるで、子供たちが風の中で、笑いながら回り踊っているように、明るく楽しい情景を思い描いた。

野田 信章

特選句「鳥を呼び日を呼び返し冬耕す」。一読、日も西へ傾きつゝある冬の野面の様が伺える。暮れ切るまでのあとひと頑張りの気持が、上句から中句にかけての修辞の中に込められているかと思う。それは、雲間から今日の終りのいま一度差し渡る陽光を感得できるからである。再読していると、一句の韻律に籠もるこの気は、遠く農耕社会の中に受け継がれてきた呪術的な儀礼とも底流するものを覚えるところがある。黙々と地に根を張った人の佳句である。

三枝みずほ

特選句「白粉の花に泣き顔見られけり」。白粉花を見たことによって自分が泣いている、もしくは泣きたい感情があることに気づいたのだろう。日々の生活の、緊張の糸が切れた瞬間を捉えた一句。夕方にひっそりと開く白粉の花がよく効いている。

山下 一夫

特選句「ローゼルの繁り私のセカンドライフ」。ローゼルについて今回調べて初めて知りました。ハイビスカスの仲間らしいのですが、どちらかというとオクラのようなやや野暮ったい花を秋に咲かすようです。しかし食用にされる開花後のがくとほうは、それこそ野暮ったいオクラの比ではない鮮やかな赤色。表現から老後を明るく寿ぐ雰囲気が素敵です。特選句「良夜かなわたし閉じたり開いたり」。月の満ち欠けは潮の干満に影響を与えていますが、それに発して古代から人間の心にも影響を与えると信じられています。特に満月は狂気を引き起こすとも。押さえた詠い振りながらそういった雰囲気が存分に伝わってきます。問題句「マジっすかマジでございます菊日和」。職場などで若い男性の口癖に対して、年長の女性がユーモアで応じる、若しくは、少しイラっとしながら内心で呟いている光景が思い浮かびます。「菊日和」は動くのか動かないのか。なぜか年長の女性を思い浮かべてしまうことから、動かないのかななどと思います。

亀山祐美子

特選句「もどらないもう何もない鳶の秋」。去年の暮に実家の墓仕舞い家仕舞いが終わり雑草が生えないように更地をセメント舗装してもらった。誰も住まない家が朽ちてゆくのは母も見たくないだろうと子どもの意見が一致した。瀬戸内芸術祭で賑わい鳶が舞う島に更地が増えただけのことだが、とてもとても遠い土地のことのように思えた。

稲   暁

特選句「雨はシャンソン十一月の赤い薔薇」。とてもお洒落な句だと思います。「雨はシャンソン」という表現が魅力的です。

銀   次

今月の誤読●「甲板に椅子と灰皿冬銀河(大浦ともこ)」。古い外国航路の貨物船。錆びた鉄の臭いと遠くでうなるエンジン音。わたしの初航海だ。眠れぬわたしは深夜甲板に出た。寒い。コートの襟をきつくあわせて夜空を見上げた。文字通りの満天の星。美しいなんて言葉じゃ足りないぐらい見事な、まさに神のみの描ける極上の芸術だ。「どうだい、素晴らしいだろう」。しゃがれた声がきこえた。振り返ると声の主がパイプをふかしながら椅子に坐っている。白い髭を長々とはやした老水夫だ。「はじめてだってな?」「はい」「ふむ」。短い会話を交わしただけでふたりとも黙りこくった。と、しばらくしたとき、足元に小さな光の粒子が転がってきた。わたしは思わず拾い上げて手のひらにのせた。なんだか少し暖かい。老水夫がいった。「星くずだよ」「星くず?」「ああ、年に一度か二度、海をわたる船には星くずが落ちてくるのさ」。わたしはそんな馬鹿なと思ったが、その光の粒にはなにか得体のしれない生命が宿っているようにも思えた。老水夫はつづけて「そいつは人の願いだよ。こういう厳しい寒さのなかで願いが凍るとそういう粒になるのさ。それをオレたちは星くずと呼んでいる」。わたしはその光を見つめつつ「だとしたら、だれの願いなんでしょう?」と訊いた。「さあな。男か女か、子どもか年寄りかそいつはわからん。叶う願いか叶わぬ願いかも、な」。やがてその光も薄らいでいって、あとに小さな水滴が残った。わたしにはそれが涙のように思えた。「願いは叶わなかったようですね」とわたしはつぶやいた。「どうだろう。案外うれし涙かもしれんぞ」そういって老水夫はニヤリと笑い、ふたたびパイプに火をつけた。

藤田 乙女

特選句「良夜かなわたし閉じたり開いたり」。とても魅惑的な句で惹かれました。 特選句「もどらないもう何もない場所鳶の秋」。寂しさや哀しみの感情が強く伝わってきました。

森本由美子

特選句「大花野父の翼を拾いけり」。幼児期に父を戦争で失った自分には心に染みる句である。戦後母は父の思い出を子供達にあまり語らなかった。抱っこされた感触の思い出もない。でも心の奥底では、いつの頃からか陽炎のように父のイメージが揺らぎ始め、いつかどこかで触れ合えるような幻想を今でも抱いている。 この句は多分他界された父上への思慕を詠んでおられるのであろう。<父の翼>に深い余韻を感じる。

佳   凛

特選句「夫婦獅子戯れ合ヘリ豊の秋」。豊作を祈り、夫婦獅子の舞を神に捧げる。大切な行事、今年は何時もの年より、気合いが入ったのではと、思います。

遠藤 和代

特選句「マジっすかマジでございます菊日和」。若者言葉を逆手にとった面白い句で、ちょっと笑える。

野﨑 憲子

特選句「ナナカマドの意志あり言語聴覚士」。「ナナカマドの意志あり」に惹かれた。ナナカマドは寒冷地にある赤い実をつける木。「七度竈(かまど)に入れても燃え残る」から、芯の強さの象徴とされている。その芯の強さこそ、言語聴覚士の意志に通じる。言葉やコミュ ニケーションに困難を抱える人々に寄り添い、声にならない思いを汲み取る専門職である。こんな情熱のある言語聴覚士によって引き出される、声にならない声に興味津々だ。それなら、山川草木の声もナナカマドの意志で聞き取れるのではないだろか・・否、きっと聞き取れると強く感じた。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

冬青草ひかり撒き散らしてゐたり
柴田 清子
生かされて遊びせむとや冬紅葉
野﨑 憲子
冬天へ向日葵ひとつ佇ち尽くす
野﨑 憲子
生傷に千の色あり冬紅葉
野﨑 憲子
冬よ来い完全防備受けて立つ
三好三香穂
廃工場眠れる機械冬ざるる
銀   次
冬空や一秒もどす核時計
藤川 宏樹
冬深む水は光を解き放つ
島田 章平
聞こえるも動かぬ口や天志の忌
藤川 宏樹
波切の不動伊吹の冬恋し
野﨑 憲子
動く物動かざる物冬の影
島田 章平
冬のホッチキスニンゲンも動物である
野﨑 憲子
バナナ
バナナ食む秋風を食む兜太
野﨑 憲子
兜太生誕秋のバナナをどうぞ
島田 章平
お祭りの沿道に欲しバナナ売り
三好三香穂
秋天にバナナ浮かべて飛行船
銀   次
予報士の外す小指や秋バナナ
藤川 宏樹
神無月七人余り欠席す
柴田 清子
久方や神の御前のクリスマス
三好三香穂
不用意に妻に出会へり神の旅
藤川 宏樹
古書店の埃にまみれ旅の神
銀   次
電線にふわりと坐る旅の神
銀   次
神さへも過ちはあり開戦日
島田 章平
嗚呼これが神の鼻息からっ風
島田 章平
大雑把なんですわたし神の旅
野﨑 憲子
天志(天使)
空缶を蹴れば天使の返事かな
銀   次
笑ったら天使になれるかも小春
柴田 清子
天志の秋まあすきなこと言ふてはる
藤川 宏樹
凡天は梵天天志いつまで神の旅
野﨑 憲子
天動説の天志よいづこ秋風
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

今回の高松での句会は、参加者が10人に満ちませんでしたが、楽しく熱い句会でした。袋回しのお題に<天志>も出て、増田天志さんを偲びました。

12月13日は、午後2時から番外句会&忘年会を開催します。ブログへの公開はありません。句会は、袋回しのみで、続く忘年会も、存分に楽しみたいと存じます。会場は、ふじかわ建築スタヂオです。藤川さん、お世話になります。申込は6日までにメールで野﨑憲子宛にお願いします。

本年もブログ「海程香川」をご覧くださりありがとうございました。古希を迎えた昨年から年賀状を出すのをやめました。これからも一回一回の句会を大切に精進してまいります。来年の初句会からまたよろしくお願いいたします。少し早いですが、皆さま佳きお年をお迎えください。

令和7年11月26日 野﨑憲子拝

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