「海程香川」
「海程」終刊へ寄せて
いよいよ、「海程」終刊号が刊行されました。後継誌「海原」への新たな旅立が始まろうとしています。私は、先にも書きましたように、「海原」で勉強させていただきながら、来月からは、「海程香川」として、一回一回の句会を大切に、これまで以上に、ご参加の皆さまと、自由に熱く渦巻いて行きたいと切願しています。 以下に、「海程」終刊号に掲載の拙文を記して<「海程」の窓>の締め括りとしたいと思います。冒頭の写真は、金子兜太先生の菩提寺である総持寺(埼玉県皆野町)境内の先生ご揮毫の額であります。
ぎらぎらの朝日子照らす自然かな 兜太
「自然」の字は<じねん>ではなくて<しぜん>と読むのだと、この額の前で先生からお聞きしました。
大野火よ!師よ! 野﨑憲子
二月二十四日、納棺前の師にお目にかかることができた。あの温かな手に触れることはもう叶わないのだと思いつつ枕辺に座らせていただいた。そこには、今まで見たことも無いほどに厳かな観世音菩薩のような師の美しいお顔があった。思わず手を合わせ、目を閉じて、般若心経を唱えさせていただいた。すると眼裏に東大寺の広目天像の眼のような師の圧倒的な眼力を感じた。師は、近くにいらっしゃると実感した。その眼は「渦」。それも、とんでもなく強烈な「渦巻」が限りなく広がってゆく。この底知れぬパワーが「海程」。これが世界最短定型詩の根っこなのだ。
四月には、最後の秩父俳句道場へ行った。長瀞駅で降り会場の養浩亭へ近づく程に、鳥たちの声が強烈に聴こえてくる。これまでに聞いたことの無い囀りだ。川岸に出ると、師の気配をいたるところに感じた。ここは、師や諸先輩と歩いた思い出がいっぱいだ。風が吹く度に後を振り返ったが景は動かない。しかし、何かが存在するのである。
囀りの中に他界のありにけり 憲子
句会場には、鶯の声が、いつになくよく響いた。句稿には、これまでの道場への思いを籠めた作品満載だった。参加者それぞれの心の底には、道場での先生のお言葉が棲み、これから、ますます増殖してゆくと強く感じた。 私は、出来そこないの弟子で、いつかの道場の折には、師の選にまったく入らなかったことがある。その回の最後にあった全句講評での師の一言「野﨑君は、もう道場に来なくてよろしい。」は、私を闇の底に突き落とした。でも、翌日になればまた道場に行きたくて仕方なくなってしまうのだ。因みに、ごく稀にある好調の回の師の言は決まって「大丈夫か?野﨑君。気を付けて帰れよ。」であった。四国へ帰る私を気遣ってくださった師の声を、そして厳しい愛語を忘れない。
道場が無くなり、「海程」誌もこの号でお仕舞になる。でも、私は、不思議に動揺していない。それは、「海程」香川句会を開かせて頂いているからかも知れない。大「海程」の欠片の欠片のような、小さな句会である。でも、だからこそ、できることがあると信じている。俳句を愛し、家族を、仲間を、丸ごと愛した師は、よくバランス感覚を磨くことの大切さを話された。本当に守りたいものは何か、そして大切なものを切り捨てることによってこそ新しいものが入ってくることも。ことに、産土での「定住漂泊」は、何でも有りの風が吹く。だから余計に一瞬一瞬が愛おしいのだ。こういう思いは、師に出逢えたからこそ持つことが出来た。囀りの中から、「自由にお創りを!」と、俳句の神様の声が聞こえてくる。
言霊の幸ふ国である日本から世界最短定型詩の愛の言の葉を世界へ向けて発信して行きたいと強く念じている。唐突な物言いだが、それが、世界平和への鍵となると感じている。
野火焼不尽 春風吹又生 白楽天
大野火や芭蕉の道の先をゆく 憲子
Posted at 2018年7月28日 午前 05:24 by noriko in 「海程」の窓 | 投稿されたコメント [0]