「海程香川」
第64回「海程」香川句会(2016.08.20)
事前投句参加者の一句
鍔へ浮く飛沫(しぶき)轍(わだち)の弓(ゆ)なる夏 | 藤川 宏樹 |
来し方は炎(ひ)のようであり曲がり茄子 | 伊藤 幸 |
独り楽しむ月と私の距離はなし | 由 子 |
人間は弱いと想え終戦日 | 鈴木 幸江 |
夜の蝉それは時効になった嘘 | 三好つや子 |
潮の香や旅の浴衣のすぐゆるむ | 疋田恵美子 |
さるすべりひくきところへ流れるくに | 夏谷 胡桃 |
義歯合わず竹筋虫(ななふし)のこの伸び縮み | 矢野千代子 |
夏椿「さかしまに」の世(よ)になるらんか | 田中 怜子 |
炎昼のとろりと虚空砂丘馬車 | 桂 凛火 |
ひまわりは旗印まっすぐ攻めよ | 増田 天志 |
内臓はやさし工場熱帯夜 | 竹本 仰 |
ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり | 亀山祐美子 |
青大将どこまでいった回覧板 | 大西 健司 |
洗い髪今日の不満を笑っちゃう | 中野 佑海 |
遠郭公指で確かむ鎌の切れ | 稲葉 千尋 |
貧乏とひとりに馴れて心太 | 谷 孝江 |
踏ん張るや負けてなるかよポンポンダリア | 髙木 繁子 |
水風呂や山がまっすぐ歩いて来る | 野田 信章 |
病室の小さき窓や星月夜 | 菅原 春み |
捨てられし夏帽戦火繰り返す | 小西 瞬夏 |
母の手を握る夜ありて敗戦日 | KIYOAKI FILM |
手拍子で煽る晩夏の大道芸 | 野澤 隆夫 |
百年を生きたと言えば亀鳴けり | 小山やす子 |
花あおい朝の痛みのままに咲く | 月野ぽぽな |
母親と戦う少女夏の月 | 重松 敬子 |
金色のレモン酒ゆれて夜の秋 | 中西 裕子 |
夏夕日石見の海に魂(たま)鎮め | 漆原 義典 |
日傘回す不安だったり期待だったり | 三枝みずほ |
読みさしのページ湧きたつ蝉時雨 | 古澤 真翠 |
酒瓶を下げ灯篭の内に入る | 銀 次 |
色褪せて盗まれそうな夏帽子 | 町川 悠水 |
祖父までは土葬の日向桐の花 | 寺町志津子 |
晩年や渦まきなおす蝸牛 | 若森 京子 |
Aに決めB思い切り天の川 | 野口思づゑ |
向日葵咲く路上で声を上げるため | 河野 志保 |
すべりひゆ土竜の足のやうにかな | 河田 清峰 |
夏帽子童女の如く母往きぬ | 藤田 乙女 |
<悼 千侍氏>秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯 | 高橋 晴子 |
天空の大車輪なり夕蜩 | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 増田 天志
特選句「鍔へ浮く飛沫(しぶき)轍(わだち)の弓(ゆ)なる夏」客観写生なのか心象風景なのか。平成のサムライは何をか為さむ。今日は、楽しい句会を、有り難うございました。
- 中野 佑海
特選句「来し方は炎のようであり曲がり茄子」今年の夏は本当に暑く炎天が続きます。茄子もその暑さと水の無さに耐え無骨に愚直に出来上がります。若き日を苦節に耐え、一 癖も二癖もありそうで頼もしくもあり。食べてみたら種も沢山ありそうな。特選句「夜の蝉それは時効になった嘘」時効になったと言うことはその嘘は誰にも知られていない。夜の蝉 も誰にも知られずに泣いて死んで行く。心の中では真実を語りたくて堪らないのに!と今からでも構わないから、自分の真実に生きて下さいね。問題句「昼下がり胸の迷路は揚羽系」 大好きな句ですが、揚羽系よりは揚羽蝶と書いて頂いた方が胸にすっきりと腑に落ちます。増田天志様。今回も暑い高松にようこそお出で下さいました。天志さんの突拍子のない解説 毎回楽しみにしています。有難うございます。
- 野澤 隆夫
昨日はお世話になりました。和気あいあい元気な句会でした。前半、鈴木さんが120句を読みあげての選句もよかったです。各自で目を通すのより、朗読を聴いて、鑑賞しつ つ選句するのでいいと思いました。選句は以下です。特選句「 ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」ぬぐへぬ汗にまみれて、必死に格闘している筆者。そして、難局を乗り切ったあとの ぬぐふ汗の爽やかさがいいです。特選句「水風呂や山がまっすぐ歩いて来る」何回か読み直し、この句もいいなとおもいました。小生は字面通りにとって今年から制定された「山の日 」の一風景ととらえました。問題句「ところてん河馬は空飛ぶ埋蔵金(増田天志)」暑さ真っ盛りの茶店で、何故か河馬を想像して読んだ句でしょうか?ところてんを食べつつ河馬? そして埋蔵金?難問です。面白いです。
- 藤川 宏樹
特選句「貧乏とひとりに馴れて心太」:「心太」が「ところてん」とは、思いがけずユーモラス。ところてんを天突きにて押し出すグニュッの感触、喉越す食感、貧乏と孤独の やさぐれ感。「心太」の一語にピタリ合っている。ココロブト問ふて読み知りこころ点
- 竹本 仰
特選句「雲の峰極太で書く『平和』かな(稲葉千尋)」:シンプルに力強く「平和」を表現できているように思いました。「雲の峰」との結びつきが、実に漠然とではあります が、「平和」という言葉の表情をとらえているように思いました。もちろん、厳密に考えれば、「平和」なんていう状態は寸時でしかありえないものでしょうし、だから、これは「願 望」としてとらえるべき、そしてその大きさを表したものでしょうね。特選句「大きな蛇大きな野菜終戦日(重松敬子)」戦争は大きなものというより、小さいものの中に、より染み 込んでいるものなんでしょうね。シラミだとか、イモの蔓だとか、また市川崑作品の映画「野火」でも塩だとか靴だとか、その描写に工夫が感じられました。そういえば、マーガレッ ト・ミッチェルの「風と共に去りぬ」にも南軍の敗因に靴の粗悪さが挙げられていました。そういう意味で言うと、小さなものであるはずなのに「大きな蛇大きな野菜」という「大き な」で平和の実感をあらわしたところが、鋭い見方だなと思わせました。問題句「睡蓮や玻璃のとびらに玻璃のかべ(月野ぽぽな)」この「玻璃」はなかなか使えないと思う。何とい うか、自由ということをつきつめて考えてる方じゃないんだろうかと、そういう関心でこの句の情景をとらえました。鋭意というか、誠意というか、そんなものを感じました。以上で す。今回は、終戦や平和の句が印象に残りました。よく考えれば、すべて今のこういう営為の前提ですものね。以前、「新興俳人の群像」という京大俳句事件に関する書を読んだこと がありました。受難といえばそれまでですが、戦後俳句の出発点にこの事件が大きくかかわっていたことは間違いないことのようです。表現の自由というけれど、自由とはその場合、 何をさしているのか、考えてみるのは大事なことかと思いました。また、次回、よろしくお願いします。
- 中西 裕子
特選句は「炎昼のとろりと虚空砂丘馬車」です。このところ暑さに参っているので炎昼の、とかとろりとか、砂丘などのことばが共感をよびました。問題句は「内臓はやさし工 場熱帯夜」で意味があまりわからないというか熱帯夜にも内臓は働く工場という意味だったら、やさしいということばは合わないかな、とか違う意図ならごめんなさい。前回参加は6 月で3時に終わったので久しぶりのふる参加させていただきました。勉強になります。ありがとうございました。
- 河田 清峰
特選句「秋近し石見の浜に砂の泣く」石見と言えば、「石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか」という人麿の歌をおもう♪ 都へ去る現地妻への別れ~そして 終焉の地への一句・・・・夏夕日石見の海に魂鎮め・・・・そんな気分に浸った句でした!ありがとう!
- 寺町志津子
特選句「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」今年の全国大会で、金子千侍氏がお亡くなりになっていたことを初めて知り、ショックであった。掲句を読み、秩父音頭保存会会長( お役名は正しいかどうか、です)でいらしたご生前の千侍氏が、一同を率いて海程五十周年記念大会舞台で披露された見事な秩父音頭の踊りが蘇り、また、弟君を亡くされた兜太師の胸 中の悲しみはいかばかりか、と思い図られた。大変分かりやすい句でありながら、作者の千侍氏への哀惜の念、兜太氏への思いやりの念がしみじみ伝わる情感豊かな句に好感。
- KIYOAKI FILM
特選句「夏椿『さかしまに』の世になるらんか」一読してすごい作品だと思いました。その本を読んだことがないですが、ズシリ胸にたたきつけるような、『さかしまに』の世 になるらんか」に共鳴します。問題句(特選)「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」 問題句にする必要はないと思います。ただ問題句を見つけるコーナーだから敢えてしますが、心では 特選句です。人間の温もりを感じます。非常に感じます。金子先生の秩父音頭の練習をテレビで見ました。ちびっ子たちとやってました。少し昔のテレビ…。DVD「生きもの」でも 見た。本物を見たい。そう、念じる。
- 町川 悠水
特選句「青大将どこまでいった回覧板」青大将と回覧板の組合せ、その中七が巧みで立派。暮しのなかの平凡な事象を感性豊かに一句にまとめましたね。特選句「貧乏とひとり に馴れて心太」心太がここでは字面ともぴったり、作者は男性でしょうがあやかりたいですね。次に並選で若干気付いたところを述べると、「祖父までは土葬の日向桐の花」は佳句な がら、私なら「祖父までは土葬のふるさと桐の花」」と詠んでみたいですね。「ミシュランのたこ焼きあてに生ビール(野澤隆夫)」は「ミシュランのたこ焼き付合い生ビール」とし てみたいが、身勝手かな?問題句「ナメクジの宇宙ちょっぴり病んでいる(増田天志)」これは問題句と言うよりも私を悩ませた句です。鑑賞に十分時間をかけたものの捉えきれない のです。作者に教えてもらいたい一句となりました。(教えてもらいたいなんて甘い考えは捨てなさい、わかるまで考えなさい、という返事が返ってきたらどうしようか。→→「難解 の句が夢にまで熱帯夜」) 最後に余談ながら、切字の「かな」は誰しもよく使いますが、今月は6作品で見かけました。その感想を述べると、いくらか安易な「かな」頼みになって いないかなという気がしました。作者なりの考えはあるでしょうが、一石を投ずる意味で申し上げました。悠水付記:この歳になって泳ぐのが好きになってきました。下手は下手の醍 醐味と言えばよいでしょうか。したがって、少年の家の海水プールには感謝なのです。
- 矢野千代子
特選句「夏夕日石見の海に魂(たま)鎮め」歌聖、人麻呂の終焉を思うときドラマは果てしなくひろがってゆく。石見の天と海面を染める大きな夕日はまさしく鎮魂であろう。
- 稲葉 千尋
特選句「人間は弱いと想え終戦日」確に人間は弱い一人一人なら尚であり。集団になるとなを弱い制御不能になることさえある。特選句「天空の大車輪なり夕蜩」蜩のあの強弱 をつけた鳴き方は天空が廻っているようにさえ感ずる。大車輪はいいえて妙。
- 重松 敬子
特選句「母の手を握る夜ありて敗戦日」国民の敗戦の想い出。私もおぼろげな記憶で理解できます。手を握りあった夜、あの時のお茶の間、薄暗い雰囲気、肩を寄せ合って生き 抜いた家族、わかります。
- 夏谷 胡桃
特選句「日傘回す不安だったり期待だったり」誰かに合う前の女性の気持ちがよく出ていると思います。相手は異性という訳でもなく、久しぶりに会う友達とか、パートの面接 とかいろいろあると思うのですが、微笑ましいです。特選句「腹筋を鍛え上げたるなめくじり(重松敬子)」腹筋がなめくじりにあるのかと思いますが、なんだか笑わせてくれたので 特選です。
- 三好つや子
特選句「夜濯ぎや旅するように手足かな(夏谷胡桃)」昼間汗したものを濯ぎながら、水に浮かんだり消えたりするその日の出来事に、心を寄せている作者。自分自身を労う気 持ちも感じられ、ほっこりしました。入選句「蚯蚓干からび夢路家路の境なく(野田信章)」広告関係の仕事を退いて十数年経っても、ときどき仕事仲間の夢を見たりします。そんな 事を重ねて鑑賞。問題句「大きな蛇大きな野菜終戦日」大きな蛇は真の恐怖、大きな野菜は真の飢えの比喩でしょうか。終戦日とうまく響き合っています。上五と中七の間に「と」を 入れ、野菜は具体的にすると、いっそう句が引き締まると思います。
- 伊藤 幸
特選句「老ゆるとは何ぞシャワーを全開に(谷 孝江)」そうです!老いを恐れる必要も、かと言って抗う必要もない。楽しんで下さい。「シャワーを全開に」いいですね。ガ ンバレ!とエールを送りたくなる。特選句「秩父音頭の虚空へ舞へり櫓の灯」秩父道場で秩父音頭を初めて知った。素晴らしい追悼句だと思う。故人がどのような方であったか、この わずか五七五の短詩で窺える。きっと明るく周りから愛される方だったのであろう。故人も喜んでおられる事でしょう。
- 若森 京子
特選句「さるすべりひくきところへ流れるくに」一句の言葉の流れ、さるすべりのイメージにマッチした中七、下五。自国の未来を暗示する様な一句に共感した。特選句「Aに 決めB思い切り天の川」決断して、実行してゆく心の動きを面白く表現している。季語としての「天の川」が、ケセラセラの心情の一句に、よく効いている。
- 大西 健司
特選句「兄ちゃんが弟叱る終戦忌[伊藤 幸)」とにかく終戦直後の情景に思えてこだわった一句。終戦忌がなければ、日常どこにでも見られる光景だが、終戦忌と書かれると 、終戦後の困難な中、健気に生きる兄弟の姿が思われ、ついホロリとしてしまう。はるかに遠くなった戦後の混乱期を回顧する作者の姿と、つい深読みをしてしまう。いかがなものか 。
- 月野ぽぽな
特選句「母親と戦う少女夏の月」親に多くを依存していた幼少期から自立した一個の人間になるがめに、少年は父を少女は母を越えてゆく時期が必要といいます。反抗期はだか らとても大切なのですね。夏の月の光が気持ち良く降り注ぎます。
- 鈴木幸江
特選句「夜の蝉それは時効になった嘘」まず、俳句に時効という言葉が使われていることに興味を持った。そして、夜の蝉と時効になった嘘を組み合わせた詩才に感服した。そ こにある共通性を探る楽しみから、真理を探究しつつ句を味わうことの奥深さを教えていただいた。問題句「鍔へ浮く飛沫轍の弓なる夏」この句の自句自解を伺って、俳句の面白さを 再確認した。わたしは、鍔を刀の鍔と解釈して、水辺で刀を抜いた光景をイメージしたのだが、作者は、帽子の鍔に水が掛る光景を詠んだ句とのこと。轍も水が描いた弧のことだそう だ。わたしは、馬車の轍と解釈した。ここまで、光景が違うとは。言葉の世界の妖しさに心が揺さぶられた作品であった。
- 小西 瞬夏
特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」:「晩年」という時期をなんとなく実感する作者。ふと目にとまった蝸牛。その歩みを見ていると、ゆっくりと渦をまきなおしているように 見える。それは、人生を折り返し、これまでの人生を振り返ったり、追体験したり、やり直したりと、そういう自身の歩みにも似るととらえたのだろうか。
- 古澤 真翠
特選句「病室の小さき窓や星月夜」長い入院をなさっていらっしゃるか細くも美しいお姿が浮かんで映画のワンシーンのような感銘を受けました。目頭がじんわり熱くなってく る映像に 17文字の素晴らしさを教えていただきました。
- 銀 次
今月の誤読●「オニヤンマぶつかってはまた考えて(河野志保)」。街角で人と人とがぶつかりそうになることはよくあることだ。右にすれ違おうとすれば相手も右に、左によ けようとすれば相手も左、などという微笑ましい経験はだれもがお持ちだろう。これが二三度ならまだしも、五回もつづくと、んもう、鈍感ねとなる(自分はどうなんだ)。さらに七 度八度とつづくと、もしかしたらこの人運命の人??、などと思ったりするロマンチストバカがいるかもしれないが、なあに、相手がナイフを取り出して「お財布はお持ちかえ」となる のが関の山だ。それはさておき。この句を見てみよう。「オニヤンマ」に限らずトンボの目が複眼であることはだれしも知っているだろう。それも一万とも二万ともいわれる複眼の持 ち主だ。それに引き替え人間は単眼をふたつしか持たない動物だ(森の石松、丹下左膳を除く)。それでも前記したようにぶつかるのである。複雑すぎる目を持ったオニヤンマがぶつ かることは生物学上理の当然なのである。なにしろ右も左も上も下もうしろさえ見えているのだ。お若い方は知るまいが「見えすぎちゃってコマるの~」というCMソングがあったが 、あれはオニヤンマの嘆きを歌ったものである。オニヤンマ「ぶつかってはまた考えて」。なにを考えるのだろう。えーと、次はどっちへ行こうか。いやわたしはそうは思わない。オ ニヤンマはまさに進化の悲劇について考察しているのだ。やがて秋も深まる。トンボも出てくる。よくよく観察していただきたい。野では日夜進化の悲劇が繰り返され、衝突事故が起 きているのだ。わたしは知 り合いの保険コンサルタントに訊いてみた。「トンボに保険をかけてやりたいのだが」、返答は「あのー、脳疾患の保険がありますが」だった。わたしたち は非情の世界に住んでいる。
- 疋田恵美子
特選句「ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」今年の夏は例年になく暑く沢山の汗をぬぐいました。身の内の苦悩或いは現在の社会情勢を憂いているものが、ぬぐへぬ汗でしょう か。特選句「踏ん張るや負けてなるかよポンポンダリア」ポンポンダリアは今でも山奥の集落などではよく見かけます。戦中戦後を誇り高く生きぬいた方々を尊敬いたします。
- 漆原 義典
特選句「独り楽しむ月と私の距離はなし」です。今年は猛暑の夏ですが、その中で満月を観て楽しむ心、奥ゆかしいです。独り楽しみ距離はなしの表現に感動しました。
- 由 子
特選句は、「大きな蛇大きな野菜終戦日」私の好みです。祖父と野菜を取った昔を思いだしました。あの頃は無邪気でした。祖父が亡くなって20年になります。問題句は「ロ ミオ死す剣の上は流星群(竹本 仰)」です。面白く、個性豊かですが、身近な人物が良かった、と感じました。
- 野田 信章
特選句「恋しくも花火の奥に透けし雲(疋田恵美子)」は、追慕の情が流されることなく、天空の一点に言い止められて想念の美しき結実を共に仰ぐおもいである。「鉄線花笑 み絶やさぬ娘(こ)の影法師(野田信章)」は他の雑多な影法師の中の一つとして娘の影法師も存在する。このために孤影に傾きすぎずに鉄線花と美しく照合する句として読める。「花 あおい朝の痛みのままに咲く」は、「花あおい」を取り込んだこの書き方も普段着の日常感覚の作用が支えとなっているためか違和感がなく朝の葵の一花一花を現前させてくれている 。
- 三枝みずほ
特選句「洗い髪今日の不満を笑っちゃう」不満、ほっておいたらどんどん積み上げてしまうことも。髪を洗って、リセットされたのでしょうか、「笑っちゃう」って自分の中で ちゃんと消化してしまう前向きがよかったです。「笑っちゃう」と軽く言い放すリズム感も好きです。素敵な作品ばかりで、選句も楽しませて頂きました!
- 野口思づゑ
特選句「潮の香や旅の浴衣のすぐゆるむ」旅館に浴衣があるのはありがたいのですが、浴衣で休むと翌日はぐちゃぐちゃになってしまう。でもこの句はそんな野暮ではなくお相 手がいて艶かしい雰囲気に盛り上がっている、そんな光景でしょうか。特選句「ひまわりは旗印まっすぐ攻めよ」何を攻めるのか、何にでも積極的に取り組めという事なのか、いずれ にしろひまわりの元気で明るい感じがよく捉えられている。問題句「あるときは蝉になりそう診てもらう」どこか力が抜けていて好きな句。ただなりそうなその時の蝉は、元気よくな いている、つまりはしゃぎ過ぎになりそうな自分なのか、あるいは生命の終わりそうな蝉で鬱気分の自分なのか、又「あるときは」とあるのでその両方なのか、そんな事を考えると私 の方が診てもらいたくなりそう、でも楽しい。
- 谷 孝江
特選句「日傘回す不安だったり期待だったり」面白いと思いました。深刻な話じゃなくてクスッてきます。特選句「向日葵咲く路上で声を上げるため」自己主張しています。此 処は私だけのものって。ヒマワリだったらそうでしょう、そうでしょう。
- 小山やす子
特選句「靑大将どこまでいった回覧板」日常的な事なのに、日常でない面白さ。
- 菅原 春み
特選句「青大将どこまでいった回覧板」日本最大の蛇、しかもとぐろを巻いている?その季語を得てまわしている回覧板のゆくえをユーモアたっぷりに描いています。特選句「 夏帽子童女の如く母往きぬ」悲しいことにもかかわらず、なんだかこんなふうに往けたらいいなと思いおもわずいただきました。夏帽子と童女が効いています。「来し方は炎のようで あり曲がり茄子」情熱的で一徹なのは作者か? 曲がり茄子に味わいがある。どんな人生を送られたのだろう。「母親と戦う少女夏の月」火照るような月が、思春期の少女の必ず通る 道を照らしているような。共感を覚えました。問題句「内臓はやさし工場熱帯夜」やさしがどうしてもわかりません。作者の説明がおききしたいです。よろしくお願いします。台風一 過のあとにまた台風が戻ってくるとか。くれぐれもご自愛ください。→ 選評締め切りまでに少し時間がありましたので、「内臓はやさし工場熱帯夜」の作者竹本 仰さんからコメン トを頂きました。☆これは、工場の町に育った人間の感覚でしょうか。熱帯夜、むき出しになった工場の煙突や配管やベルトコンベアーなんて目にすると、非常に安堵している自分を 見出したのです。そうですね、その感覚は休める内臓の感じと言いましょうか。頼りがいある父親の寝息という感じです。しかし、私は、そんな間近に工場街に育ったわけではないの です。ただ、友人が、町工場の娘さんで、その子の家業の工場に対する熱さというか、家族に対する思いというか、そういうものを知った時には、ああ、そんな街の生き方があるんだ と、とても深い感銘を受けました。(現に、その子は3人姉妹の長女だったので、高校を辞め、工場を継ごうとしていたこともありました)いま、帰省してみますと、何と言うんでし ょう、ただの工場を見る目じゃない見方になっている自分に気づいたというか、この町の寝息を感じたというか、ああ、この寝息がこの町を、否、日本を支えていたのかも、というよ うに感じたのです。そんなもろもろの思いでしょうか。
- 河野 志保
特選句「遠郭公指で確かむ鎌の切れ」感覚に訴えてくる句。指で切れを確かめる仕草に着目した作者に感服。私の体験からくる実感もありいただいた。作者も農家のかただろう か。鎌の刃に触れた時のヒヤリとした感じが思い出された。「遠郭公」が野の澄んだ空気も想像させる。
- 亀山祐美子
特選句「祖父までは土葬の日向桐の花」年々小さくなる土まんじゅうの並ぶ一角桐の花が美しい。特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」蝸牛の巻き直し頑張れ中高年。
- 藤田 乙女
特選句「捨てられし夏帽戦火繰り返す」オリンピックで日本中がまた、世界が盛り上がっている中、爆撃で兄を失い、自らも傷ついた中東の少年の映像が画面に映し出されまし た。平和の象徴であるオリンピックのかげで、平和から切り捨てられている人たちがいることに切ない気持ちでいっぱいになりました。この句は、そんな思いと重なりました。また、 日本の終戦や沖縄戦への思いも感じとることができました。
- 田中 怜子
特選句「祖父までは土葬の日向桐の花」産土に生きる人の感慨がいい。特選句「月の田を影一列にチャリ遍路(三好つや子)」藤城氏の影絵のような童話の世界、映像が浮かび ました。 ただ、チャリという言葉が品位をおとすな、と。
- 高橋 晴子
八月の秩父へ行ってきました。秩父音頭は鄙びたいい盆踊りでした。友人に手をひかれて?昏い町を歩きましたが何か夢幻の世界をさまよってきた気分。圓明寺も金子家旧邸も 皆野はまるで兜太の世界でした。:特選句『雲の峰極太で書く「平和」かな』正攻法で青空にくっきりと白いたくましい雲の峰と「平和」への強い意志が響きあって訴える力がある。 特選句「ぬぐふ汗ぬぐへぬ汗にまみれをり」具体的には〝ぬぐへぬ汗〟とは、着た物の中にかく汗だろうが、この〝ぬぐへぬ汗〟にはもっと心理的な象徴的なものを感じさせて〝奥へ の深い句、自省の効いたいい句だ。問題句「原爆ドーム鳥籠のよう飛蚊症(若森京子)」原爆ドームを鳥籠と感じたことは形状からそういう感じ方も悪くはない。ただ、それに対して 〝飛蚊症〟では話にならない。しっかりした季語を入れて中七が生きる、あるいは皮肉にとれる位の響く季語の選択がなければ、この句の価値は生きない。
- 田中 孝
ありがとう、64回句会報。私は「鳴きながら昼寝の仔犬脚うごく(鈴木幸江)」を特選に。変哲もない日常のあたりまえの事物のなかに真実が宿る。真実が現れるには静けさ(孤独)がいる。俳句に限らず、芸術全般にあるものは、情動と直感から生まれると思います。飛行機の型もそうだそうです。きらめきの稀有な瞬間は辛抱づよく作品(俳句)に向きあったときにやってきます。
- 野﨑 憲子
特選句「晩年や渦まきなおす蝸牛」カッコイイ句である。晩年が、成熟の極みでありたいと願う私には、熱いスローガンのように響いてくる。渦を巻き直す蝸牛・・。なんてあ りっこないことが起こるかも知れないから、抜群に面白いのである。問題句「ところてん河馬は空飛ぶ埋蔵金」一体全体こんな奇妙奇天烈な句を創る人は?・・の作者増田天志さんが 、高松の句会へやって来た。自句自解では、「ところてん」を見ていると「埋蔵金」という言葉が浮かび、そして、空飛ぶカバのイメージが膨らんできたという。しかし、この作品は 、「ところてん」できっぱり切れる。この秋は、雲間から、黄金のカバ君が出現するかも知れない。
袋回し句会
つくつくし
- そそくさと土手の黒猫つくつくし
- 野澤 隆夫
- 不揃いのテニスのラリー法師蝉
- 中野 佑海
- つくつくし水照りに風の大笑す
- 野﨑 憲子
- つくつくし献体致し候か
- 増田 天志
歯医者
- 炎天に歯医者予約の口惜しき
- 野澤 隆夫
- 炎天や歯医者の鼻毛ちりちりと
- 銀 次
- 炎昼に顔も炎の歯医者かな
- 中西 裕子
- 炎昼を歯医者へ行けば人恋し
- 鈴木 幸江
赤とんぼ
- 旅人は雲になり切る赤とんぼ
- 増田 天志
- 小皿なる羽を忘れし赤とんぼ
- 藤川 宏樹
- 竿の先トンボの休み休みかな
- 中野 佑海
- とんぼ飛ぶとうとうここまで来てしまふ
- 中西 裕子
ごきぶり
- 目見えたるゴキブリや道譲りしか
- 中野 佑海
- 婆ちゃんはさっとゴキブリ踏み潰す
- 増田 天志
- 蜚蠊(ゴキブリ)を殺した夫と暮らしてる
- 鈴木 幸江
白さるすべり
- 幸せになるんだわたし白さるすべり
- 鈴木 幸江
- 百日紅訪問介護の目の廻る
- 中野 佑海
- 門舞の風の七色さるすべり
- 野﨑 憲子
- この道は新しき道百日紅
- 中西 裕子
八月
- 八月尽モスラの卵かも知れぬ
- 増田 天志
- 八月の石から孵る黒猫よ
- 野﨑 憲子
筆
- 筆おろし心新たに晩夏かな
- 藤川 宏樹
- 生きている筆まめじゃない君だから
- 鈴木 幸江
- 真青なる海に真青の筆洗ふ
- 銀 次
- 筆先や月の港に何も無し
- 野﨑 憲子
- 筆箱に秘密隠した八月よ
- 中西 裕子
句会メモ
事前投句の田中怜子さんの作品には「兜太氏戦後俳句を語る・・・京大俳句事件を書いた本」との前書きがありました。バランスの関係で、ここに書かせていただきました。今回は、大津から増田天志さんが参加され、いつにも増して賑やかな句会になりました。句会前半部の始まりは、鈴木幸江さんの事前投句の朗読から・・、鈴木さんの良く響く格調高い読みぶりに一句一句が立ち上がって見えてきました。これからも宜しくお願いします。後半の<袋回し句会>も、色んな句に出逢えて、最高に楽しかったです。もっと弾けて、もっと楽しい句会にしたいです。来月を楽しみにしています。今月も、皆様ありがとうございました。
増田天志さんの自句自解(「海程」香川句会掲示板より~):「ナメクジの宇宙ちょっぴり病んでいる」ナメクジの這った跡は、銀の世界。 夜空の星座群を連想させる。 実に、美 しい。でも、ちょっぴり、病的だ。 植木鉢や石の下に広がる異世界、陰の、黄泉の国。 陰湿なヌメリ感。狭い、行ったり来たりの閉塞感。 各自の感性で味わえば良い。なんか、気持 ち悪い、見たくない世界だわ。 美しいだなんて、とても思えないわ。きっと、作者が病んでいるのよ。その通り、ここまで、鑑賞して頂ければ、作者冥利に尽きるのだろう。鑑賞も、 ひとつの作品なので、自由奔放に!
そして、竹本 仰さんの「ロミオ死す剣の上は流星群」のロミオとジュリエットについて、竹本さんのメールから:あれは、最初から最後まですれ違いのドラマなんですが、特に、 死に際が眠り薬の中にあったロミオを死んだと勘違いして、ジュリエットは剣で自害する、眠りから覚めロミオは自死した彼女を見て、本当に服毒死する。それでも、ストーリーが成 り立ってしまうのは、ひとえに本物の恋は、すれ違いそのものだから、という作者の辛味の利いた観察眼のせいかと思われます。なのに、なぜ、あんなに人気があるのか?多分、或る 意味で、群像劇だからなんでしょうね。あの頃なら、みんな、気分で死んじゃうよ、ということでしょうか。普遍性というのは、そうやって来てしまうものなのか。とまあ、久々に、 若い頃観たこの劇を、冷静に戲曲でたどったわけなんですが、観客をも味方に巻き込む真の群像劇なんだなと、この四十年の距離をたしかめてしまいました。ジュリエットは、14歳な んですね。あれが、すべての出発点です。ロミオって、こんなデクノボーだったのか。考えれば考えるほど、この話、むしろ事後検証によって、いよいよ楽しく味わえて来ました。
Posted at 2016年8月31日 午後 03:53 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]