「海程香川」
第141回「海程香川」句会(2023.07.08)
事前投句参加者の一句
水やりの子に七月の雨笑う | 松本美智子 |
死なないよニセアカシアは揺らぎおり | 竹本 仰 |
扇風機共に老ゆれどわが戦友 | 柾木はつ子 |
白杖にすれ違う朝水無月尽 | 向井 桐華 |
感情を抑えきれずに薔薇は咲く | 月野ぽぽな |
太宰忌の自分史編集割引キャンペーン | 新野 祐子 |
梅雨星や勝ちて得しもの我になし | 稲 暁 |
蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ | 三好三香穂 |
凌霄花走る短き導火線 | 亀山祐美子 |
母にまた母いて嬉し初鰹 | 菅原 春み |
弟かも知れぬほうたる私す | あずお玲子 |
四畳半一間扇風機が猫背 | 藤川 宏樹 |
白黒の振り子ちぎれて梅雨明ける | 岡田 奈々 |
夏に棲むニュープリンスリーダーズ水底に | 中村 セミ |
は・は猿田彦串刺しの鮎がぶりかな | 樽谷 宗寛 |
<ワグナーの楽譜を見る>湖畔の夏線描の音符リズム美し | 田中 怜子 |
隣街旅人気取りのサングラス | 山本 弥生 |
左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨 | 田中アパート |
迫りくる借景の山吾と緑 | 薫 香 |
青畳魂寄れば飯を食う | 十河 宣洋 |
兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に | 岡田ミツヒロ |
夕立や我あたふたと地蔵となる | 若森 京子 |
思いきり泣いて忘れて古代蓮 | 伊藤 幸 |
ベネチア派の絵画一幅梅雨晴れ間 | 滝澤 泰斗 |
太陽をまともに受けて流し雛 | 小山やす子 |
梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛 | 三好つや子 |
掴まらぬ冷素麺や兜太の句 | 塩野 正春 |
夏ひばり残光浴びて地を這いぬ | 森本由美子 |
静脈の力強さや聖五月 | 重松 敬子 |
どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける | 高木 水志 |
空蝉や生きる正解たずねみる | 増田 暁子 |
春夕焼西へ西へと高速バス | 菅原香代子 |
病葉や妣の写真は色あせて | 漆原 義典 |
持ち主の逝きし日傘が老いてゆく | 銀 次 |
子燕や着こなしてをり一張羅 | 佳 凛 |
背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ | 大浦ともこ |
笹百合愛づるその眼差しの非戦かな | 野田 信章 |
風切羽上手に使い夏に入る | 榎本 祐子 |
五指ゆがむ老のすきまを砂時計 | 飯土井志乃 |
指濡るる礎の刻銘沖縄忌 | 河田 清峰 |
夏山や溺れし蟻の足つまむ | 豊原 清明 |
青柿や迷路の果てぬ不登校 | 山下 一夫 |
立葵つま先立ちの半世紀 | 松本 勇二 |
白日傘から嘘がはみ出している | 柴田 清子 |
青野までぶつかってゆく子の寝相 | 三枝みずほ |
Jijijijiji セミよそんなに寂しいか | 島田 章平 |
母配る身ほとりの風丸団扇 | 川本 一葉 |
人は無口で枝豆になお塩を振る | 大西 健司 |
不可解な虫の世界に人も棲む | 鈴木 幸江 |
瓶ビールの泡が好きなる百一歳 | 稲葉 千尋 |
夏の恋わかってほしい口内炎 | 津田 将也 |
書物という空蝉死後も山河在り | 山田 哲夫 |
青蛙ひとみに雲の流れゆく | 増田 天志 |
獰猛な黒い伏字に蠅とまる | 桂 凜火 |
山奥の水源にあり夢の跡 | 佐藤 稚鬼 |
香水をつかひきつたる體かな | 小西 瞬夏 |
郭公の声の近くに棲んでゐる | 谷 孝江 |
白南風や百の板戸を開け放つ | 松岡 早苗 |
父の日の座して半畳モノクロに | 荒井まり子 |
「おー」「おー」と亡師(し)の声秩父緑濃し | 寺町志津子 |
白湯という甘露ありけり夏きざす | 石井 はな |
空見たくひっくり返へりたる海月 | 風 子 |
モト彼の話する人蚊を叩く | 野口思づゑ |
国境がそこにただあり向日葵畑 | 吉田 和恵 |
花合歓の風速0の思考かな | 佐孝 石画 |
つついたら愛に傾くグラジオラス | 河野 志保 |
旅夢想彼処に水葱や百済仏 | 福井 明子 |
しろよひらうきもつらきもむなしくと | 時田 幻椏 |
向日葵を供う最後の飼犬に | 植松 まめ |
軽からぬ蛍手渡す子から母 | 疋田恵美子 |
海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな | 男波 弘志 |
梔子の香りに溶けて道忘れ | 川崎千鶴子 |
愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 小西 瞬夏
特選句「人は無口で枝豆になお塩を振る」。情景がよく描写されている。それにより、その奥にあることばにならない感情が伝わってくる。散文的な書き方ではあるが、「で」「なお」に工夫があって一句となっている。
- 増田 天志
特選句「笹百合愛づるその眼差しの非戦かな」。非戦と反戦。どう違うのか。どちらも、闘い取るものではあるが。
- 松本 勇二
特選句「風切羽上手に使い夏に入る」。作者ご自身の風切羽です。どのような風でも上手く切り抜け、夏を迎えられたようです。特選句「青野までぶつかってゆく子の寝相」。寝相の悪さを「青野までぶつかって」と喩えてあっぱれです。感覚の冴えを感じます。
- 福井 明子
特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。青柿に果てない問いの深さが込められています。しかしながら、かたくなな青柿も、やがておのずからなる熟しを目指します。そんな願いをいただきました。特選句「書物という空蝉死後も山河あり」。かたちあるものはすべて骸(むくろ)、わが命が尽きても、そこに在り続ける山河。おおらかなリズム感。何度も口づさみたくなります。
- 佐孝 石画
特選句「あじさいの全ての色を諦める(男波弘志)」。痺れた。「全ての色を諦める」というフレーズがよくぞ降りてきたと思う。「あじさい」の物語として提示されているが、読み手はまず、自分の境涯に照らし合わせて味わうことになるだろう。諦めたことへの讃嘆か、それとも悔悟か。また、咲き誇る紫陽花についてか、枯れはじめた紫陽花か。おそらくこのような読み手の逡巡こそ、短詩型文学である俳句の真骨頂なのだと思う。さらに深読みすれば「色」は単なるカラーにとどまらず、仏教用語の「色・しき」(物質的存在の意)にも通じる。いずれにせよ「全ての色を諦める」という世界は、圧倒的に美しく、せつない。そして、作者の紫陽花という自然物への憧憬と、己が人生へのゆるやかな肯定が見えてくる。
- 豊原 清明
特選句「モト彼の話する人蚊を叩く」。モト彼と彼女を観察しているひとの視線が、良かったです。問題句「夏の彩り反核カレー注文す(稲葉千尋)」。「夏の彩り」が、ちょっと気になりましたが、パワーを感じて良いと思いました。
- 十河 宣洋
特選句「Jijijijiji セミよそんなに寂しいか」。爺が蝉になっているようで楽しい。言葉遊びが過ぎるという向きもあると思うが、それはそれ。歳をとるといつの間にか周りから知人が減っている。寂しいかと問われることも少ない。特選句「書物という空蝉死後も山河在り」。厳しい指摘のように思う。書物が空蝉だという。書棚に放置された本へ鎮魂のように思えた。山河は瑞々しいのだが持ち主が枯れ始まっている。
- 大西 健司
特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。ちょっと素っ気ないと思いつつも、どこかユーモラスな一両電車にひかれ特選にいただいた。ただなぜ海牛にあめふらしとルビを振ったのか、ただひらがなであめふらしでいいように思うがどうだろう。
- 岡田 奈々
特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。読むたびに笑いがこみ上げてきます。小学生のころ家にあった、重い鉄の扇風機。真っ直ぐに立てても、直ぐ頭が重くて下がってくる。猫背という借辞が、ぴったり過ぎて笑えてしょうが無い。持ち主も年取って、猫背で。哀愁とおかしみとで、ゴリコリ鳴る扇風機の音まで、哀しく聞こえてきそうだ。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー(田中アパート)」。梅雨の蒸し暑さでべっとりした私。シャワーの格別の気持ち良さがよく分かる。「かたつむりのどこまでもどこまでもひとり旅」。ひらがなばかりで書かれているので、かたつむりのゆらゆら這う様子と、所在無い私が重なる。「母少しおこらせたままラムネ玉」。何が母を怒らせたのか。爆発寸前で止まった、詰まったラムネ玉のように機嫌悪い悪い。「夏に棲むニュープリンスリーダー水底に」。要らなくなった英語の教科書。もしかしたら、英語なんてするもんか。って放り投げた教科書が、死体のようにユラユラ浮かんできた。40年後。「蓼食う虫ずらりと並ぶバツ印」。お見合いサイト。どうやって意思を表明するか知らないが、どれも私好みではない。と、私も言われてる。「青畳魂寄れば飯を食う」。座敷に皆で座れば、生き御魂も、亡くなった人も、老いも若きも宴会宴会。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。冷や素麺のなかなか捕まらないのと兜太先生の俳句の難解さが、よく合っている。「大南風放置自転車張り倒す」。なぎ倒された自転車。風にアッパーカット喰らったのね。「夏の恋わかってほしい口内炎」。口内炎は此方の予定に関係なく出来ちゃいます。また、疲れると余計。でも、これって誰になにをわかってほしいのか、分からない所が面白い。痛さだけが無性に伝わる。
- 藤川 宏樹
特選句「海牛ほどの一両電車かな」。木製床、天井扇風機ぶんぶん、大正生まれ。高松市街を撮り鉄人気のコトデンが走ります。あまたの踏切で朝夕渋滞。のろのろ具合は海牛ほど、色合まで似ている名物電車です。「海牛」を「あめふらし」と読ませるもまた妙なり。
- 若森 京子
特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。一読して単純に懐かしい一家団欒の風景を思った。現在の核家族で時間差のある淋しい食卓と真逆の家族の懐かしい暖かい色彩を感じる。特選句「旅夢想彼処に水葱や百済仏」。夢の中で初めて体験する様な不思議な世界にひき込まれた。水葱と百済仏の対比も現実と彼岸の狭間をさまよっている様で、これが夢想の旅なのか。
- 滝澤 泰斗
『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。朝日新聞俳壇欄の選は毎週金曜日に朝日新聞東京本社と並びの浜離宮ビルの一室で行われていた。金子先生が選者に加わった頃は山口誓子を筆頭に、稲畑汀子、川崎展宏、そして、わが師・金子兜太先生。先生のお出ましは最も遅く、昼近く。そして、夕方5時頃まで、当時の投句葉書約7千通に目を通し、選をされていらした▶当時、朝日新聞社は歌壇の四選者も含め、選者の慰労を兼ねて順番に海外旅行にお連れしていた。当方に、その担当ということで、お鉢が回ってきた。お役目とは言え、金曜の午後3時は極力他の仕事を入れず、俳歌壇詣でで、金子先生と雑談をすることがルーティーンワークだった▶午後3時頃になると、他の選者は既に居なく、俳壇担当記者と金子先生だけ・・・先生の一服入れる時を見計らっての時だった。ドアを開ける、掲句の通りの「おー」おー」の声に招かれた。先生との話は旅行の話が主で、俳句の話は記憶にないが至福の時に違いはなかった。私にとってはその時の会話と先生ご夫妻をご案内した旅が、朝日を辞した先にあった「海程」への道筋だった。特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空」。高温湿潤が夏のイメージだが羽根ペンとインク壜の取り合わせが、美しいすがすがし夏空を想起させた。気持ちのいい作品。「母にまた母いて嬉し初鰹」。母や父を題材にした句に弱いところがあると認識しつつ・・・やはり、選んでしまう。「四畳半一間扇風機が猫背」。扇風機、其れも、やや古びた扇風機のある景はコマーシャルではないが、「昭和かよ」と思いつつも、掲句のごとき、愛惜の情を惜しまず。「静脈の力強さや聖五月」。静脈が聖母マリアの聖五月なら動脈はイエスの五月かと理屈はともかく静脈が脈を打っているような力強さを感じた目の確かさに、聖五月の季語を充てて見事な一句に仕上げた。「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。平和記念公園の「平和の礎」を、涙を拭った指でその刻銘をなぞる。沖縄の悲劇は涙を枯らさない。「青柿や迷路の果てぬ不登校」。不登校とあるから中学、高校生か、思春期は万人に来て、迷路もあれば横道もある、時に袋小路に陥りどうにも身動きができない時もある。齢重ねて、人は、そんな若かりし頃を冷静に見る目も養ってくる。共鳴しました。「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ、クリミア半島がソ連時代のウクライナ地方だった頃、ひまわり畑が延々と続く様に驚嘆したことがあった。それが、2014年、プーチンによって強引にロシア領に併呑され、更に、2022年ウクライナ東部の穀倉地帯を分割するごとく線を引いた。為政者にとっての国境の意味とそこに住む人の生活の場である国土の境は全く違う。
- 月野ぽぽな
特選句「静脈の力強さや聖五月」。動脈の力強さ、ではなく、静脈の力強さ、とすることで、力強さが増強しますね。聖五月もよく効いて、一句が生命力そのものとなっています。
- 稲葉 千尋
特選句「神鏡に父似の貌や青葉木菟(河田清峰)」。おそらく作者自身の貌であろう。それを父似としたのが良かった。季語も。特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。海牛もアメフラシもよく似ているように思う。一両電車さもあらんと思う。発想が良い。
- 桂 凜火
特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。自分のことかこの日本のことかいやいや世界のことか平和でつつがないともいえるけれど一皮めくれば、つま先立ちの不安定な危なかっしい時代だったのかもしれないと振り返りました。
- 増田 暁子
特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。一人の兵士に父母妻子が居る現実。戦するな。特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。逝く人の日傘も老いてきたのか。寂寥の思い。
- 樽谷 宗寛
特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。はじめて知りました。調べてみました。私にとつて新しい出合いでした。
- 塩野 正春
特選句「湖畔の夏線描の音符リズム美し」。いささか俳句としてのリズムに欠ける感はするがその内容に惹かれました。ワーグナーの楽譜との添え書きがありますが音楽の素養のない私も楽譜の美しさに感動します。この音符の羅列、時に整然と、時に乱れて表現される二次元の線描から素晴らしいメロディーが生まれることが想像できません。西洋音楽に限らず和楽の謡曲、長唄などなどの音符表現も素晴らしいものがあり、長い世代を繋いで生き延びています。音楽という世界を繋ぐツールを俳句に引き込んだ着眼に感激します。 特選句「香水をつかひきつたる體かな」。“香水を使い切った”とはなんという大胆な表現でしょう。香水を使って己の肉体を美貌を誇示し、そして今はリアルな体、いや、體を残して生き生きしておられるという事でしょうか? 平易な言葉を使ってこんなにもリアルに深く体やこころの変化を詠まれておられ、現代俳句の本質に迫る句と考えます。問題句「静脈の力強さや聖五月」。静脈とは何か、キリストやアダムとイブの静脈か、それとも己の静脈か。確かに絵画などで静脈が太く描かれる場合がありますが、ご自分の静脈を重ねておられるのかどうか、今一ヒントが欲しい気がします。季語‘聖五月’と‘静脈’は不思議によく合います。
- 津田 将也
特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。下界からの刺激や印象を受け容れる力、物を感じとる力など、作者の、この感受性を特に褒めたい。特選句「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。蟻が俳句に登場したのは、比較的新しく、大正以降といわれる。どこにでもいて、人間には身近な存在。①女王蟻。」②羽を持ち繁殖期にだけ出現する羽蟻(オス)。働き蟻(オス)。この三者が組織化された集団生活を営んでいる。特に働き蟻は、女王蟻や仲間のため、灼けつくような夏の炎天下を厭わずに働く。俳句で、「蟻」は夏の季語。「蟻の列」「蟻の道」「蟻の塔」「山蟻」などの季語を使っての、多くの俳句が詠まれている。この句の、「溶ける溶ける」のリフレインが好ましい。
- 柴田 清子
特選句「麦茶飲むそんな日常賜りぬ(野口思づゑ)」。残されたあと僅かを、こんな平常心の日常をすごせたら、どんなに幸な人生であったと思えるかも。そう思いたいから。
- 山田 哲夫
特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。「ほうたる」の舞う様に今は亡き弟の魂ではないかと感じ、何時までも手元に大切にしておきたいという想いとらわれるところに共感。特選句「野遊びの続きのような家庭かな(重松敬子)」。「野遊びの続きのような」という比喩からこの家族の家庭での明るく伸びやかで屈託のない生活の様子が想像されてくる。比喩の手柄か。
- 鈴木 幸江
特選句評「母少しおこらせたままラムネ玉(三枝みずほ)」。“まま”の語意の①に、物事のなりゆきに随うさま、というのがある。“なりゆきのまま”にその場をやり過ごすときは、どこか正しくないことをしている感情と情況が多いのだが、この句に登場する母はなぜか幸せそうだ。“ラムネ玉”の不可知な動きとガラスの透明感が善く効いている。特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。目的と理由があって小部屋で扇風機を下向きに設定しているのだ。それをいきなり“猫背”と表現し、ぴったりと思わせる。俳句の底力、アニミズム万歳である。
- 男波 弘志
特選句「夕立や我あたふたと地蔵となる」。あたふとたとしている人間であるので、この人は仏にはなれてはいないのだが、何かの瞬間に人を超越した気分になることがある。しかし我々愚鈍な人間によりそうには、先ずもって人間そのもののにならなくてはならない。よく教えるとかいいますが、そんなことは人間だけが考えていることであって、虫でも魚でも、草でも鳥でも、そんな大それたことを考えてはいない。教える必要もなければ、教えて貰う必要もない。あたふたとしている自分がそのまま地蔵になって、人間の醜態を合わせ鏡になって見せているのだろう。夕立ちは往来の人々が右往左往するのに十分な自然の脅威をみせている。なかなか巡り合えない玉句であります。
- 島田 章平
特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。見事な省略。住所しか書いていないのに、白雨に煙る京都の街が鮮やかに見える。
- 谷 孝江
特選句「弟かも知れぬほうたる私す」。切ない思いが一杯に胸に広がりました。主人を亡くした時、十歳年下の弟に先立たれた時、言いようのない淋しさに包まれました。もう十年以上も前のことです。その年の夏、螢が一匹窓辺に止まっているのに気付いた時の嬉しさは言いようのないものでした。来てくれていたのだ、言葉には出せませんでしたが、励まされました。「しっかりと生きて行かなきゃ」「どこかで見ていてくれる人があるから」今だにあの日のあの時の事が私の体に沁みついて忘れられないでいます。
- 田中 怜子
特選句『「おー」「おー」と亡師の声秩父緑濃し』。「おー」という先生の応答なつかしいですね。あのずばずば力強い批評の言葉がなつかしい。 先生が危惧しておられた安倍政権の延長線上の今日の政治状況、軸となる方がいないことに寂しいですね。と思う反面、何時までも恋々と頼るな!特選句「海牛(あめふらし)ほどの一両電車かな」。いすみ鉄道にしても地域住民や、ローカル線に愛着持つ人々の優しいまなざしをうけて、田園地帯をえっちらおっちら走ってくる一両電車! あめふらしのように彩ゆたかな、子供が好きな電車がいいですね。特選ではないのですが、「四畳半一間扇風機が猫背」。の猫背の扇風機、この夏スイスに行き、ルツエルンの情けないベッドだけ部屋の机の上に、TOSHIBA製のずんぐりむっくりの扇風機がありました。首のない猫背です。その扇風機にブラウス等をかけて乾かしました。
- 河田 清峰
特選句「かたつむりどこまでもどこまでもひとり旅(飯土井志乃)」。ふりかえらない前向きな姿が良かった。以上よろしくお願いいたします。山形吟行楽しみです。
- 植松 まめ
特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昔よく聞いていたフォークソング「神田川」の老後版かな。古びてなお律儀に仕事をしている扇風機。扇風機が猫背に哀愁がある。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。未だ終わらぬウクライナ戦に心は痛む。必要なのは武器ではない停戦への働きかけだと思う。国と国との思惑で引かれた国境そこに住んでいたために起きた災禍、向日葵畑は美しいのに…………。
- 川本 一葉
特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。夢の跡とは何だろう。思い出のことだろうか、水源という宝のことだろうか。上流と辿って水源を探したことが幾度かある。夢というのは眠っているときに見る夢のことかもしれない。想像が膨らむ句だと思う。
- 川崎千鶴子
特選句「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老いると指はゆがんで、その隙間を砂時計の砂がさらさら落ちる。または時がさらさら抜けていくという意か?見事な表現で素晴らしいです。「書物という空蝉死後も山河あり」。書物のように空蝉には詩が生まれ、物語が生まれ。空蝉にはそういう特別な存在感にあふれている。そして長く長く空蝉のまま存在し自然の景となり、山河と悠然とある。
- 三枝みずほ
特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。長寿を謳歌するとはこういうことだろう。瓶ビールを共に飲む人がいることに百一年間の人生があり、生き様がみえてくる。
- 三好つや子
特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。正解のないものに正解を求めようとして、一生を棒に振ることも。そんな愚かで、愛すべき人間の姿が句に込められているようで、心に刺さりました。空蝉の存在感をうまく表出しています。特選句「無私無私無私無私無私無私無私シャワー」。汗まみれのからだが浴びるシャワーの快感。ムシムシした暑さを増幅させる「無」と「私」のリフレイン、それがシャワー後のなんだか滝に打たれたような境地ともつながり、注目。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。老のすきまという表現がすごい。「青野までぶつかってゆく子の寝相」。元気いっぱいの寝相が浮かび、幸せな気分になりました。「書物という空蝉死後も山河あり」。空蝉の捉え方に独自性があり惹かれましたが、推敲すればさらに光ると思います。「あめんぼが鳴いたと耳がそう言った(銀次)」。そういう頑固一徹な耳に、すこし淋しさがあり、詩情を感じます。
- 野口思づゑ
特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。ただ数、として駆り出されているのではとすら思えるように戦場に送り出される兵士たち。ご家族の行き場のない、踠き苦しむ状態が「蜘蛛の囲」で映像のように表現されている。「兵士生る」時家族の苦悩も「生まれる」のである。特選句「空蝉や生きる正解たずねみる」。もしかしたら私たちが目にする蝉は今「他界」にいる姿なのかもしれない。となるとその変遷の証拠のような空蝉は現世の道理を知っているのでは、と思える気がしてきた。
- 松岡 早苗
特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。お母様もおばあ様もご健在の作者がうらやましいです。親孝行できる相手がいる幸せ。三世代そろって賑やかに初物に舌鼓を打つことができる喜び。「嬉し」と言い切ったところがとてもいいと思いました。「海牛ほどの一両電車かな」。春風の中、海沿いの単線をトコトコやってくる一両の電車。海牛のようにカラフルなその電車が行ってしまうと、突然空は黒い雲におおわれ、雨の匂いがしてきました。そんなメルヘンチックな想像をしてしまいました。
- 河野 志保
特選句「指濡るる礎の刻銘沖縄忌」。沖縄戦戦没者への思いが切々と伝わる。刻まれた名前を、指を濡らしなぞる哀しさよ。非戦の誓い新たに。
- 高木 水志
特選句「白湯という甘露ありけり夏きざす」。夏の初めの頃に白湯を飲んでリラックスをしている様子が見えてくる。
- 石井 はな
特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。親しい友人、家族が亡くなり時間が止まってしまった様に感じても、遺品の日傘は確実に古びてゆく。記憶が薄れていく寂しさが残された日傘に象徴されて、悲しみが増します。
- 中村 セミ
「誘蛾灯涼しくみえていのちかな(十河宣洋)」。誘蛾灯の灯りは虫達の寄り所であるが、はいったら、でれぬ地獄、死のみ待つという、現代に通ずる、それは場所よりも心情というか,人間関係に、そういうものを感じるあったりする。特選としたい。「五指ゆがむ老のすきまを砂時計」。も気になった。「どうすればいいの黒蟻溶ける溶ける」。なぜ溶けるかわからないが、自分が溶ける事を言っているのではないか、何かにつまっき、あんなに、働き蟻であった自分が,簡単に溶けるというかのごと、きこえてしまった。
- 亀山祐美子
特選句「持ち主の逝きし日傘が老いてゆく」。深い愛情を感じます。
- 風 子
特選句「羽根ペンとインク壜はるか夏空(増田天志)」。羽根ペンで書き物をしている珈琲館の女主人がいました。若くはなかったその人の洗練された美しさに見惚れ、ひたすら憧れていた私はまだ若かった。彼女は若い頃、パリで絵描きの恋人と暮らしていたと、同時期パリにいた知り合いの絵描きに聞きました。
- 向井 桐華
特選句「静脈の力強さや聖五月」。 ドクドクと音が聞こえて来る。 最近入院を経験したので、その時の事が色々思い出されて共感しました。特選句「向日葵を供う最後の飼犬に」。静かな哀しみと向日葵の黄色のコントラスト。余計な言葉がひとつもない。最後の飼犬としたことで、作者の背景が見える。
- 佳 凛
特選句「蜘蛛の囲に夫の掛かりてギャーと吼ゆ」。他にも沢山良い句がある中で、どうしても、譲れなかった特選句です。私も毎朝、蜘蛛の囲を取り除くのがしごとです。でも取り忘れた所に、何時も誰かが、ぎゃーと吠えているので、とても共感して頂きました。
- 榎本 祐子
特選句「青畳魂寄れば飯を食う」。青畳の清浄空間に魂が寄る景から一変して「飯を食う」との日常。その落差の内に実を感じました。
- 寺町志津子
今月もバラエテイに富み、心惹かれる句が多く、迷いに迷った選句でした。 特選句「枇杷の実や三歳児姉となる朝(大浦ともこ)」。誕生されたのは妹さんだったのでしょうか?弟さん だったのでしょうか?姉となるお子さんの胸膨らむ思いに温かないじらしさを感じました。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。ご長寿のご家族なのですね。この句にも温かなご家庭が伺われ、明るい思いで頂きました。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り(島田章平)」。尾崎放哉ばりで面白いとは思いましたが「?」の思いもいたします。
- 伊藤 幸
特選句「愚かさの限りを尽くし虹立ちぬ」。人間とはまことに愚かな生き物。そしてまた可愛い生き物。最後良ければ全て良し、神様は笑っておられることでしょう。特選句「母にまた母いて嬉し初鰹」。嬉しと初鰹が溶け合って功を奏している。長寿大国日本、元気で長生きされますように。
- あずお玲子
特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。昭和の狭い下宿先でしょうか。これといった家財道具もなく、古い扇風機が窮屈そうに回っている。起こしても起こしてもなぜか少し下向きで、それを見ている私自身も猫背であることに気付く。何がどうしたということが一切なく、しかも助詞以外はすべて漢字で淡々と読み下ろしていく期待感が、「凪のお暇」(黒木華のドラマの方)のように、今は人生のほんの一時のお暇期間であるよという明るさも内包しているようにも思えて、大変楽しく読ませていただきました。特選句「父の日の座して半畳モノクロに」。父親が座っている半畳程の場所がモノクロに見えている。父親はこの場所でいつも無口に胡座をかいていたのでしょうか。父の日に(もしかしたらもう居ない父親と)同じ場所に座って、父親の圧倒的な存在感と作者の喪失感を手に取り、その思いを場所と色で表している作品と思います。
- 柾木はつ子
特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。燕尾服が一番似合うのは正に燕そのもの。しかも一張羅。他に着るものとてありません。掲句の作者のセンスに感服です。特選句「国境がそこにただあり向日葵畑」。向日葵と言えば半世紀ほど前に観たソフィア・ローレンの映画を思い出します。あの時から私の頭には向日葵は哀しく切ない花と言うイメージがこびりついて離れません。戦争の悲劇…同じ様な事が日本人にもあったそうですね。そして今もその地で繰り返されているであろうことを… 。
- 野田 信章
問題句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。は、一応入選とした上での問題句とした。白寿を超えて百一歳になられた方への賛意の込もった句である。私もやがて百一歳に達するかと生の意欲を鼓舞される句柄である。故にここは「缶ビールの泡が好きだと百一歳」と断定的に書き切りたいところである。なお「缶ビール」の方が顔のクローズアップの効果ありとも勝手に想うところである。
- 新野 祐子
特選句「立葵つま先立ちの半世紀」。遠く高いところを見続けて五十年。素敵な生き方ですね。思わず自分の来し方を振り返ってしまいます。
- 重松 敬子
特選句「郭公の声の近くに棲んでゐる」。郭公の声で始まる日々の暮らし。作者の日常が様々想像できて大きな広がりを見せる秀句。
- 疋田恵美子
特選句「青柿や迷路の果てぬ不登校」。少年少女の不登校、最近特に報じられていますが、宮崎県研修センターでも、この件に取り組んでいます。
- 岡田ミツヒロ
特選句「四畳半一間扇風機が猫背」。トイレなし、洗面台なし、夏は西日で炎え上る四畳半一間。ずんぐりとした扇風機が更に背を丸め、申し訳なさそうに生ぬるい風を送ってくる。共に暮らしたあの「猫背」の扇風機よ。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。白日傘を嘘っぽいものと見做す視点が面白い。確かに、白日傘は、白々しい傘なのかも知れません。白色の虚構性に着目した意欲的試み。
- 大浦ともこ
特選句「jijijijijiセミよそんなに寂しいか」。視覚にまで訴えてくる俳句。jとiの羅列のオノマトベと「寂しい」が共鳴しあっています。特選句「香水をつかひきつたる體かな」。西洋画の横たわる(あまり若くない)裸婦のようなイメージが浮かびました。體といいきるところも潔くて好きです。
- 薫 香
特選句「背伸びしてのぞく揺り篭さくらんぼ」。小さくしてお姉ちゃんになった子が、揺り篭を覗き込みたくて、一生懸命背伸びしている様子が目に浮かびます。いわさきちひろの世界ですね。下五のさくらんぼが一層かわいらしさを強調しています。私の大好きな果物ですので余計に惹かれました。特選句「白日傘から嘘がはみ出している」。日傘は太陽から自分を隠すように、いろいろな物から隠れているように思います。それでも白日傘なので隠しきれず、嘘がはみ出してしまっているなんて。こんな句が読めたら素敵です。
- 竹本 仰
特選句「摑まらぬ冷素麵や兜太の句」。:そうなんです。まったく同感。いい句はつかまえられないですね。これはどの句を指してということもないんだろうけれど、例えば〈果樹園がシャツ一枚の俺の孤島〉なんていう句、非常に気に入ってるんですが、なぜ、と問われれば、むつかしい。だがそれは恋愛に似たものであるかもしれない。つかまえたくともつかまらない。それゆえに惹かれてゆく何か、その何かは実に微妙な何かなんですが、つるっと円い箸にしたために逃してゆくそうめん、その感じなんですね。特選句「子燕や着こなしてをり一張羅」。一張羅。ここに惹かれました。人間にも一張羅があるんだろうけど、人生、けっこう一回こっきりの一張羅を示せと言われれば、どうだろう?渥美清や高倉健や、川谷拓三ならわかるが。子燕がいつの間にか一張羅を着こなしている、それが一生一回だけのものなんだろうけど、と何かぐっと来ましたね。特選句「山奥の水源にあり夢の跡」。都会的な感覚のひとにはわからないかもしれない、そういう境地かと思いつつ。何をたしかめに山奥の水源に行ったんだろうと、そこにひっかかって、それで何となく、これはこれはご同輩、という感じで感じ入りました。いったい今まで何をしてきたんだろうという感覚でしょうか。そういうひんやりと自分をさましてゆく感覚が好ましく思えます。立原道造的なこの感じ、いいです。以上です。♡夏ってこんなに暑いものだったかと呆れながら、小耳にはさむと、今世紀の終わりには5度も平均気温が上がるとのこと。となると、そのころ7月は毎日四十度越えですか。しかし、地球史的には、今は間氷期らしいですから、わが人類の繁栄がしぼんでゆくと、氷河期に入るということになりますか。何となく大き過ぎて大変だあとしか言えませんが、我々もさまよえる恐竜の一種なのかもしれません。出来るうちに、せめて咆え続けて…と思っています。
- 小山やす子
特選句「虹の橋つつましく渡る余命かな(増田暁子)」。歳を取ると日ごとに老いてもつつましく控え目になる気持ちよくわかります。
- 稲 暁
特選句「感情を抑えきれずに薔薇は咲く」。主観的すぎるかな?と思いつつも、読めば読むほど惹かれる作品です。エイヤッと、特撰句にしました。
- 三好三香穂
「じじばばに謎の言の葉ふりやまず」。なんごを話し始めた孫、じじばばには何を言っているのか?ばかりだが、楽しいはてななのです。「書物という空蝉死後も山河在り」。なくなった人の書棚には、その人の生き様、人柄が、まざまざと残っている。「白湯という甘露ありけり夏きざす」。朝起きて、1杯の白湯を飲む。これに勝る健康法はない。「野遊びの続きのような家庭かな」。私たちの家庭もこうして始まった。
- 時田 幻椏
特選句「持ち主の逝きし日傘が老いて行く」「梔子のかすかな黄ばみ偏頭痛」。 両句とも微妙なニュアンスを確かな視点で表現した秀句と思います。問題句「左京区東大路過丸太町上る聖護院。白雨」。魅力的な句ですが 。 が気になりました。これも又良し、とも思いますが・・。
- 山本 弥生
特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。大正生れの戦前、戦中、戦後を生き抜き元気でやさしい御家族に囲まれ、御自宅で好物の缶ビールを召上っておられる「泡が好きなる」に、お幸福な美しいお顔が浮びます。
- 山下 一夫
特選句「ミニトマト誘われ上手とも違う(柴田清子)」。上五と以下の関係が謎なところに関心が惹かれます。ミニトマトが指示する情景は房の状態かとも想像。そこが一見「誘われ上手」と見えるということかもしれません。そうすると、コケットリーはあるが実はうぶであったり、皮(防御)が硬くて生半可な咀嚼(誘い)は跳ね返すが果肉は甘い妙齢の女性を詠んでいるかなどと妄想は膨らんでいくのでした。特選句「兵士生るちちははつまこ蜘蛛の囲に」。上五は招集などの後に兵役に就いたと理解。必然的に身近な人たちも銃後という抜き差しならない立場に絡めとられてしまう。16の句ではないが、思いがけず蜘蛛の囲にまとわりつかれたときの不快感が生々しい。リアルな実感を想起させる反戦の一句。問題句「Bababababa ばばはbikeで墓参り」。この選評はメールに横書きしているのですが、この句はやはり横書きしてこそのものかと。「b」の音韻の連打に加えて英字表記部分がマンガ的な排気の連なりやバイクそのものにも見えて面白く、成功しているように見えます。
- 漆原 義典
特選句「瓶ビールの泡が好きなる百一歳」。私の亡父は大正9年の生まれで、生きていたら今年103歳です。父が晩酌で瓶ビールをうまいなあと飲んでいた情景を思い出しました。 瓶ビールと百一歳がよく合っていますね。心温まる句をありがとうございました。
- 吉田 和恵
特選句「左京区東大路通丸太町上ル聖護院。白雨」。聖護院と言えば大根。否、長い間歴史の表舞台にあった京のある特定された地点に夕立という設定が印象を強くする。
- 松本美智子
特選句「あじさいの全ての色を諦める」。毎年、我が家の狭い玄関先の敷地に咲く紫陽花を俳句にしようとがんばってみるのですが・・・なかなか類想類句の域を出ずあの鞠のようなかたちのまま枯れてしまっている花の様子の表現もどうすればいいか・・悩んだこともありましたが「全ての色をあきらめた」この表現がまさにぴったりだと思いました。私もまた紫陽花の句、挑戦してみます。
- 銀 次
今月の誤読●「夕立や我あたふたと地蔵となる」。そのとき夕立が来た。滝のごとくとよくいうが、それ以上に強烈な夕立であった。近くに建物などのない、田園地帯のド真ん中にいたわたしは、ただなすがままに雨に打たれつづけた。おかげでわたしは地蔵になった。雨はやがてあがった。だが、どうしたことか、わたしは地蔵になったままであった。少し驚いたが、そのうちまあいいだろう、という気になった。幸いなことにわたしは独り身である。心配する者もいない。ここでこうして地蔵になったのもなにかの縁だ。このままでもかまいはしない。職業・地蔵、か。うん、悪くない。やがて日が暮れ、空には満天の星が広がった。ああ、なんて美しいんだろう。気持ちがどんどん清しくなっていくのがわかる。ただ星を見るだけで煩悩が遠のいていく。こんな気分ははじめてだ。朝になった。近所のおばあだろう、花を持ってきて、わたしの足元においた。ありがたいことだ。おまけに両の手をあわせて拝んでくれた。わたしはいま聖なるものを見ているのだ。その姿のなんと可憐で愛らしいことか。おばあはしばらくして立ち去り、花だけが残った。わたしのまわりが少し華やいだ。これでいっそう地蔵らしくなったかしらん。そのうち登校する子どもたちの姿を目にした。いい風景だ。なかには悪童もいて、わたしの頭をピシャリ叩いていく者もいるが、それはそれでいいのだ。なんとも愉快で、一緒に走ろうかなんて気にもなったが、地蔵だけにそれはムリだった。残念。まあ、全部が全部いいことずくめではないが、わたしはこうなったことに満足している。それから何年か経ったのち、風のウワサに聞いたところでは、こうしたことはよくあるようで、つまずいた途端だとか鳥に頭をつつかれた途端だとかで、地蔵になるケースはままあることらしい。まさかという御仁もいようが、当のわたしがいうのだ、たぶんそれは本当だ。
- 菅原香代子
特選句「枇杷の実や三歳児(みとせご)姉となる朝(あした)」。枇杷の実と幼い子ども、兄弟が生まれた感動が伝わってきます。「掴まらぬ冷素麺や兜太の句」。金子兜太先生への深い思慕を感じます。
- 野﨑 憲子
特選句「空見たくひっくり返へりたる海月」。可愛い海月の姿を想像し、思わず笑ってしまった。人類は戦争を止められず、色んな問題を抱え混迷の淵に佇っているのに、なんたる天衣無縫。<生まれて来てよかったな>と感じる瞬間が、安らぎが、ここにはある。
袋回し句会
水
- 蓮の葉にコロンと溜まる神の水
- 薫 香
- さみだるるるるるるるるる水の音
- 薫 香
- 打たないで七月八日の水鉄砲
- 島田 章平
- 水切りす仁淀ブルーや夏休み
- 藤川 宏樹
- 風が笑つて水が笑つて晩夏
- 野﨑 憲子
- ずぶ濡れの青水無月の鳥居かな
- あずお玲子
- なめくじらのたりといっそ水になれ
- 銀 次
蛸
- もがいても分からぬ明日章魚水母
- 岡田 奈々
- ブラックホールほらあの大蛸の根つこだよ
- 野﨑 憲子
- 蛸が好き母は今でも無口なり
- 植松 まめ
三
- 三度目の恋はいつから始めます?
- 薫 香
- 三椏の花来た道を忘れたの
- 島田 章平
- 三畳の次男の下宿片陰る
- 藤川 宏樹
- 夜の訪問者ノックは三つ蟇
- 野﨑 憲子
- 三面鏡の右側に違う人いる
- 中村 セミ
- 夏の太陽三段跳びでわが胸へ
- 野﨑 憲子
- 夏野菜カレー大盛三皿目
- あずお玲子
- 三味線を弾く女師匠や路地の奥
- 銀 次
素麺
- 天下平穏富士より落つる流しそうめん
- 銀 次
- 素麺がいつものバスでやってくる
- 岡田 奈々
- 素麺つるる空に星があるやうに
- 野﨑 憲子
- 素麵を干したる景の清(すが)しさよ
- 三好三香穂
- 素麺のたれをつくりしうす明り
- 中村 セミ
- なすソーメンかき込む夫のランチかな
- 植松 まめ
- 島素麺来る来る少年野球団
- 藤川 宏樹
- 索麺冷す忘れてよあんな彼
- 島田 章平
- どこまでも流されていく素麺や
- 薫 香
羊羹
- 羊羹とあられ交互に夏の恋
- 岡田 奈々
- 羊かんのベタベタ広げ我の過去
- 中村 セミ
- 手作りの水羊羹と娘を待ちぬ
- 植松 まめ
- モトカレなんか水羊羹おかはり
- 島田 章平
【通信欄】&【句会メモ】
【通信欄】今回の句会報に、山形吟行(10月29日~10月31日)のチラシを同封させていただきました。コロナ禍前から願っていた吟行が現実のものになりつつあります。山形を愛し、山形で生活されている新野祐子さんも全行程、ご参加くださるとのこと。最高に嬉しいです。全国から集まられた方々と、ご一緒に吟行や句会を存分に楽しみたいと存じます。そして、若々しくエネルギッシュな岡田奈々(旧俳号、中野佑海)さんが、幹事をお引き受けくださり着々と準備が進んでいます。参加定員は先着15名前後です。皆さま、奮ってご参加ください。
【句会メモ】今回の事前投句の参加者は73名、高松での句会は9名の方が集まりました。事前投句の合評から袋回し句会へと熱く楽しくあっという間の5時間近くの句会でした。次回は、お盆前に付き、高松での句会のみ第3週の土曜日に開催します。今からとても楽しみです。
Posted at 2023年7月23日 午後 05:00 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]