「海程香川」
香川句会報 第58回(2016.01.16)
事前投句参加者の一句
花八ツ手式守伊之助休養す | 稲葉 千尋 |
柩小さし水鳥はみな水に眠る | 小西 瞬夏 |
年の瀬や皺嗄れ声の裁判所 | 尾崎 憲正 |
雪もよい蟹たべに行く愉快なバス | 重松 敬子 |
鍋焼きをはふはふ啜る和解かな | 三好つや子 |
岩石やガガガガガガガ蝶番 | KIYOAKI FILM |
風冴えて夕げの買い出し坂くだる | 中西 裕子 |
前衛書の心なりけり冬木立 | 漆原 義典 |
左義長やあおりあおられ鳥飛翔 | 田中 怜子 |
比叡山全て承知で眠りおり | 古澤 真翠 |
ラジオ消す世界は冬の木霊して | 夏谷 胡桃 |
軒先に春光あちこち猫いびき | 髙木 繁子 |
女鳥王(めとりのおうきみ)白鳥となりし夜の帳(とばり) | 寺町志津子 |
冬雲の光瞳に溜め死者送る | 小山やす子 |
午後という間抜けた時間冬の雷 | 谷 孝江 |
一椀は過疎の明るさせりなずな | 矢野千代子 |
寄鍋や外は小雨になつてゐし | 高橋 晴子 |
大銀杏大切株となりし冬 | 亀山祐美子 |
ゴム銃で狙い撃ちするオリオンへ | 伊藤 幸 |
木葉木菟夜は袖ふるめくら縞 | 若森 京子 |
凍港や天の穴からカモメ降る | 銀 次 |
鮮やかな冬日滅びのささくれて | 竹本 仰 |
馬駆ける土の匂いを強くして | 河野 志保 |
木枯しを背負って帰るワンルーム | 三枝みずほ |
盥にて冬の満月飼っている | 増田 天志 |
風止まり静止画となる冬日かな | 藤田 乙女 |
遠耳の二人の阿吽冬朝日 | 野田 信章 |
捨てたはずの本また積んで年新た | 中野 佑海 |
源内と孵卵器のような初句会 | 町川 悠水 |
所望して七草粥のドリアなる | 野澤 隆夫 |
水底に藻の揺る戯れごと恋の | 桂 凛火 |
群青や鼻の穴見る初鏡 | 鈴木 幸江 |
凍蝶の砕けて遠い星に風 | 月野ぽぽな |
鐘が鳴る夢の枯野に鐘が鳴る | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 中野 佑海
毎回、色々な俳句談義とっても楽しくかつ為になります。さて、1月句会の選句は下記の通りです。特選句「からだじゅう手ぶらな拒絶冬の鯉」正しくまな板の上の鯉ですね。中七の表現がもうどうすることも出来ない感満載で、可笑し味すら漂わせていま す。最高の万才です。もしくは、道ならぬ恋に堕ちて、夜も日も明けぬとか!特選句「鮮やかな冬日滅びのささくれて」冬の抜ける様に澄んだ青い空。その精妙さ故に、狂ってしまった私の人生を少しずつ少しずつ元に揺り戻してくれる様な気がしてしまうのです 。それにもうすぐ、本当に明るい春がやって来るはず。問題句「水底に藻の揺れる戯れごと恋の」この句後半部分は「恋の戯れごと」ではどうしていけないのでしょうか?これは余談ですが、十二月の拙句「柿色に泥む山里離れ牛」こんな風景まだあるのかな?と 書いて選んで下さった田中怜子様。有難うございました。十一月に四国八十八カ所二十一番大龍寺から二十二番平等寺に。ザアザア降りの雨の中を杖を突いて歩いて降りた。本当に疲れて里に降りた頃、西の山の際が雨上がりの綺麗な茜色。里は薄墨色に黄昏。そ の耕作地の山影にもの凄く大きな黒い塊。大きな鳴き声だけがそれが牛だと語っている。まだ四国にはこんな隠れ里があったのだと感嘆しきり。懐かしむ間もなく足を引き摺り平等寺に倒れ込みました。四国八十八カ所は正しく大人のテーマパークです。本当に俳 句の世界は奥深いですね!!銀次さんが仰っていましたが、何でも喋れる海程香川句会は最高です。今週は寒中ど真ん中。どうぞお身体大切に。
- 月野ぽぽな
特選句「冬の丘剣玉老人ぽっと咲く(三好つや子)」剣玉の得意なご老人、すっとわざが決まった時なのでしょうか。生を集中の一瞬を「咲く」と言えたところが手柄です。冬もその人の人生を思わせて、ちょうどよく効いていると思います。
- 漆原 義典
特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」夫婦か恋人がちょっとした口喧嘩をしたのかなぁ・・そのあとのほのぼのとした和解の様子が、「はふはふ啜る」でうまく表現されている素晴らしい句だと思い特選にさせていただきました。
- 若森 京子
特選句「群青や鼻の穴見る初鏡」鼻の穴の暗さと作者の直視する群青との落差のコントラストの面白さが一句を広く深くしている。初鏡の季語により一年の始めの作者の意気ごみも感じられる。特選句「海寄りの難民の影臘梅に(野田信章)」庭の隅に咲く 蝋梅の香りに浸りながら、あの透明な花に色と思いを馳せるのが好きだが、私はシルクロードの荷を解いたが、今は、あの難民の悲劇をふと思った。臘梅には色々な思いが重なってくる。
- 野田 信章
三行メッセージ(註:句稿に掲載の参加者のお一人からの質問・・「みなさん、俳句はどのように作るのでしょうか。聞いてみたいです。季語から?言葉が降りてくるのかしら?私は最近降りてこないのです。」)に対してーこのように貴重な愚問を発する ことは実作者にとって、とても大切なことではなかろうか。私もまた似たような課題を抱えながら新年を、もたもたと歩き出したところである。メッセージの主旨の前段、後段の疑問に対する端緒はこの百二句(句稿の全句)の中にだって存在する筈である。と申 しますのも、良き作り手になりたいと思うなら、何よりも先ず良き読み手になることではないでしょうか。方法論もここのところを踏まえた上での対応を考えたいと思います。
- 町川 悠水
濃厚な「海程香川句会」に、まず感謝。疲れはするものの、これくらいで疲れるようでは除籍しますよと、叱られそうな気もしています。今月も交代制によって、手厚い洗礼を受けました。これにも感謝。そして忘れてならないのは、それを切り盛りしてい る世話人さんの情熱と力量。簡潔表現すれば以上ですな。では次に、見直しを含めた選句とコメントを。特選句「前衛書の心なりけり冬木立」。格調高く秀逸と見ました。ただし、「前衛の書の鑑(かがみ)なり冬木立」ではないの?と呟きたい外野席。特選句「 一椀は過疎の明るさせりなずな」。中七が巧みであり、作者の心の豊かさまで伝わってくる。準特選句「おでん屋のテレビざらつく午前二時(桂 凛火)」。いいですなあ、作者の内面とその場の光景が描き切れていて。問題句「午後という間の抜けた時間冬の雷 」。読み違えていないなら、作者の意図は「冬の雷間抜けた午後が蘇生する」ではなかったか、あるいはそれに近かったのでは?「冬の海波寂びゆくところ天国」は佳句ながら、「冬の海波・・」は「冬浪の・・」でよかったのでは?〈自戒〉短時間のうちの百の 選はきつい。一例を挙げると、「黙祷す十七日の寒稽古」は選ぶべきであったと。年齢のせいにはしたくないし、「ではどうするのじゃ」と己が己に問うている。どこかで誰かが「もっと高く翔べばいいのよ」とささやいている。ほかにも書きたいことがあります が、取敢えずここまで
- 増田 天志
特選句「凍蝶の砕けて遠い星に風」想像力による詩情の豊さ。
- 伊藤 幸
特選句「遠耳の二人の阿吽冬朝日」年輪を重ねた夫婦或いは親友同士、物言わずとも全て分かり合える。いつ迄生きられるか分からねど今日も又二人に一日が始まる。冬朝日がそれでも生きるという意欲に満ちて前向き姿勢が窺える。こうありたいと願う。 特選句「蜘蛛の巣をくぐりそこねて冬ぬくし」動の後悔、静の後悔。私なら動の後悔を選ぶであろう。結果的には動かずして今を平和に過ごす自分がいる。それはそれで良いのかも…。蜘蛛の巣と冬ぬくしの意外な取合せが微妙に合致している。
- 竹本 仰
特選句「夕狩や生ある物の水飲む刻」:「生」は、セイと読むのか、シヨウか。セイと読めば、生命ある側からの見方、シヨウとすれば、「死」と対概念のものとなるでしょうか。私はシヨウと読みました。つまり、これは瞬間ではなく、永続的なものとし て。シヨウあるものは、命のために水を飲むのだけれど、また、それは命のためにそのシヨウを殺める時でもあるんだと。会田綱雄の「伝説」という詩を思い出しました。輪廻転生という掟を感じさせる、荘重な、いい句だなと思いました。特選句「寒星を天に満 たして柩ゆく」:「柩」という用字がいいと思いました。昔は、ソウレンと言い、野辺の送りがほとんどだったようですが、今や葬儀は肉体労働ではなくなりました。私の個人的な宗教観との出会いは、生命はどこかに「還る」という感覚がした所からで、還ると ころがあるという思いが始まりだったでしょうか。この句は、そんな思いに重なるなあと。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」でしたか、小十郎という猟師がこれまで自分が殺してきた熊に見送られて死につつ笑っているというラストがありました。ソクラテスの弁明 だったか、ソクラテスはごく自然に、死は思ったほど辛いものでもなかろうと、自分が死刑になるのを嘆く弟子たちをかえって励ましているのには、驚かされました。宇宙(コスモス)があるということは、いいもんだなあと、また、この句にも感じました。以上 です。あと、コメント求めている方に。「俳句の作り方、あれば私にも教えてください。そういえば、この間、知り合いの方が、夜、自宅の庭につくはずのライトが点いてないと、不思議に思い庭へ降りたところ、ブロックにつまずき、これでもかという程派手に 転んで、全身傷だらけになったそうです。全治二か月。それを語るときのその方のいきいきとした表情が忘れられません。ひょっとしたら、俳句もそんなものなのかも。不思議、事件、語り・・・しかも、全身全霊。ただ、私の場合は、そんな俳句、作れません。 どちらかというと、ブロックのかわりに、季語につまずいていますね。」そして、「言葉が降りてくる」ということについて、次元の異なる話ですが、ハイデガーという方は、我々に本質について気づかせる「呼び声」というものが必ずあるとを考え、それは我々 自身の深い所に生まれる声なのですが、それを受け取るのも、また受け間違うのも、また我々なのだと言っていました。飛躍して考えると、「言葉が降りてくる」というのも、そういう我々のあり方に即したものなので、ハイデガー先生自身は多分、自分の状態に 正直であること、よく耳を澄ますことが大切だと言われているように感じます。ぐっと寒くなりましたね。いつも、ありがとうございます。みなさん、お元気で、また、来月。
- 三好つや子
特選句「難聴もつるうめもどき母もどき(若森京子)」冬枯れのなかで炎のような実をつけるツルウメモドキに、今の自分のもどかしい気持ちを込めた境涯句でしょうか。下五の言葉があっさりしているようで、深いです。特選句「盥にて冬の満月飼ってい る」大きな景と小さな景が一体となり、不思議な世界観を感じました。「みなさん、俳句はどのように・・」についてですが、絵の場合、クロッキーと言って人物などを数分でざっくり描く表現方法があります。私は、日々の暮らしの中で、気になる景を十七音で クロッキーし、書きだめして、時間ができたとき、意外な言葉に置き換えたりして、推敲を楽しむようにしています。香川句会は、実験的な俳句が多く、すごく刺激をもらいます。こうした刺激こそ、作句には大切だと思います。
- 野澤 隆夫
一月の句会、突然の息子帰国で欠席。〝一年の計は元旦にあり〟初句会が惜しかったかと…。でも半年ぶりに元気な息子を見て今年もいい年でありたいと思いました。特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」先日、ちょっとしたもめ事があり我々夫婦で何 とか対応。その席の炬燵で〝おしるこ〟を当事者と「はふはふ」ならぬ「ふうふう」啜れ、つかのまの一安心。でも翌日には腹立ちましたが…。特選句「捨てたはずの本また積んで年新た」この句も小生の年末風景。本箱の整理で捨てた本、加賀乙彦「湿原 上・ 下」(朝日新聞社・1985年)を今日も読んでます。〇 小生の作句スランプ解消法 「言葉が降りてこない」ときは、「朝日俳壇」の年度版(朝日新聞社刊)と 小沢昭一「俳句で綴る変哲半生記」(岩波書店刊)で該当月の前後を 読んで季語、言葉を探したり イメージしたりしています。
- 夏谷 胡桃
特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」。田舎の楽しみは食です。そこら辺の野原からとった野草、採りたての畑の野菜、木の芽の一番鮮やかなところを頂く。贅沢な一椀にひとり満足。そんなことを思いました。問題句は「山彦や春野は血だまり溢れて る」。恐いです、八つ墓村のイメージになってしまいました。作者の意図は?:俳句を作るときは、机に向かい真っ白な紙を置かないと言葉が出てこないです。それでも、俳句脳になるのに時間がかかります。本当は、運転の時、お風呂に入りながら、料理をしな がら、俳句を考えようとしています。でも、仕事のこと、やらなくてはいけないことがグルグル頭を回り俳句を忘れてしまいます。谷川俊太郎さんが「詩を書くときは、まず頭を空っぽにする」と書いていたのを読んだことがあります。私には頭を空っぽにすると いうのが難しい。すぐに雑然とした思考が入ってきます。日々の雑事の中で俳句に向かうために、どうしたらいいか考えています。頭の切り替えをうまくできるようになりたいです。
- 小西 瞬夏
特選句「群青や鼻の穴見る初鏡」上五の切れがよい。「群青」が鼻の穴の色なのか、または世界に広がる色なのか。両方に視点が広がるところに、「鼻の穴見る」というナンセンスなことがくるギャップがおもしろい。なかなかない「初鏡」である。理屈を 排してなにか意味のないユーモラスな日常を意味ありげに作った。問題句「独りとはこんな軋みか髪切虫」:「髪切虫」との取り合わせはいいが「独り」と「軋み」のつなぎ方がありがち。「~とは~こんな~か」が理屈っぽい。意図が見え過ぎてしまった。「独 り」がひらがなだったらすこし意図がやわらぐ気もするが。
- 鈴木 幸江
特選句「岩石やガガガガガガガ蝶番」少し古くなった蝶番の存在感を小唄にしたような句だ。人の英知の結晶の蝶番、それだけのこんな句があってもいいと思った。ガガガガガガは、ガ音を含んだ、岩石と蝶番に掛り、岩石は、蝶番の枕詞のような働きをし ているところが面白いと思った。特選句「讃岐ではおっぱい山に初日射す(漆原義典)」讃岐には、乳房の形の山があり、そこには、初日が射すという。なんと、目出度い風景だろう。何故、讃岐にそんな山がよく似合うのか訳は分からないが、その訳の分からぬ ところを目出度い句に仕上げた強引な風土愛に惹かれた。根底にアニミズムもあり、いいと思った。問題句「問へばただ茫洋といま虹の脚(竹本仰)」一読、その曖昧さ加減に惹かれた。作者は、人生の意味を問うていたのだろうか、その答えが「虹の脚」だとい うのか。「いま」の解釈も難しかった。「いま」という一瞬の現象である「虹の脚」という意味だろうか。推測ばかりの共鳴句であった。:作句について: 私は、よく夜中目覚めた時、さまざまな想いに襲われる。そして、そこから前へ進むためその時の想いを 句にしたくなり、その表現を試みている。
- 尾崎 憲正
特選句「来し方も行く末も虚雪催(中野佑海)」暖冬で推移していたこの冬も、このところ冬型が強くなりました。県境の山並みは今日もねずみ色の雲の下にあって時々しか姿を現しません。今の世の有様、世界の未来を“虚”であると感じる作者が雪催の 空の下に居るのです。誰もがこの句に共感を持つことのない時代が来ることを祈ります。今が一番厳しい季節です。どうかご自愛ください。
- 田中 怜子
特選句「大銀杏大切り株となりし冬」伐採された木へのオマージュ、残念に思う気持ちも。特選句「風止まり静止画となる冬日かな」目を細めて、静止画が気分を味わっている。
- 銀 次
今月の誤読●「早や湯冷め兎の耳をわしづかみ(矢野千代子)」。この一見難解な句は、まぎれもなくジェイムズ・ジョイスの『フェネガンズ・ウェイク』の影響下のもとに発想されたものであり、暗示はさらに繊細で、象徴主義はより純粋で洗練されたも のとなっている。ごらんの通り、この句では「早や湯冷め」した詠み手が、それにもかかわらず「兎の耳をわしづかみ」して遊んだとなっているが、常識で判断していただきたい。そんなことをしていれば風邪をひくではないか。だがここで用いられている手法は 『フェネガンズ』同様、出来事の時間軸をずらすことによって、読者の目を不自然で複雑な時間の展開のなかで起きているように誤誘導し、よって本来の枠組みを破壊しているのである。読者がこれを読み解くには、また理解するには兎と遊ぶ→湯冷めと再構築す ることがj肝要であり、そののちシンボルの対応関係と手法の呼応関係、さらには動物界への言及箇所といった構成要素からなる一枚のタペストリーをイメージすればいいのである。さすれば読者はこの時空間の諸関係および本質的不確定性が思わぬ効果を生み出し ていることを発見するだろう。かくしてロンバルディア平原で起こったささやかな出来事が曖昧性を獲得しつつ想像力の多産的繁殖能力により液体的宇宙への入り口として機能しはじめるのである。
- 小山やす子
特選句「木葉木菟夜は袖ふるめくら縞」地味のようだけど洒落た句と思います。特選句「からだじゅう手ぶらな拒絶冬の鯉」ニヒルというか・・・孤独が伝わってきます。
- 三枝みずほ
特選句「特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」一読してこの二人の状況、関係性が理解できて、実景が持つ説得力の強さを実感しました。こういう和解もたまにはいいですね。「ラジオ消す世界は冬の木霊して」ラジオを消した途端、冬の木霊を感じる という感性の鋭さ、静寂の世界観、自然の持つ力に共感しました。まだまだ寒い日が続きそうです。御身体どうぞご自愛ください。
- 古澤 真翠
特選句「重たげにカラス乗せたる冬木立(銀次)」ほっそりとした冬木立の天辺でひと休みしているカラスのシルエットに 一幅の絵を見るような句です。多くを語らずとも、作者の深い心情が見て取れるようで共感を覚えました。「俳句の作り方のご質問 」私の場合は、自分が感激したり感動した場面を思い出しながら しばらくその場面を瞼に浮かべて 浸ります。それから ぴったりくる言葉を探します。皆さんも 苦心なさっていらっしゃるのですね。安心しました。ひと月に一度、頭の体操をさせて頂く機会に 心 から感謝しています。
- 寺町志津子
特選句「午後という間抜けた時間冬の雷」午前の持つきりりとした緊張感に比し、午後を間抜けた時間とは言い得て妙。間抜けた時間に一瞬の緊張感が走る冬の雷。午前は、人生の前半生、午後は後半生とも思われ、人生の後半に居る私の実感とも重なり、 いただいた。「凭れる木欲し淋しい冬木ならばよし(谷孝江)」人に疲れ、仕事に疲れ、何かに寄りかかりたい時、若葉の意欲満々な元気な木ではなく、虚飾を捨てた素の木こそに安息が得られる思いに共感。「讃岐ではおっぱい山に初日射す」好きな句。なんと 大らかなで、素朴で、ほのぼのと明るいお元日の風景であろうか。読み手の気持ちをも、明るく大きくする癒しの句とも言えよう。
- KIYOAKI FILM
特選句「左義長やあおりあおられ鳥飛翔」冬の空の鳥も寒さに震えているようだ。「あおりあおられ」の迫られた感に息を呑んだ。特選句「午後という間抜けた時間冬の雷」:「間抜けた」が変わっているけど、午後の気怠さに苦しんで自分は「午後という 間抜けた」に心魅かれました。
- 亀山祐美子
特選句「特選句『花八つ手式守伊之助休養す』季語の「花八つ手」が軍配扇を彷彿とさせる。二番手行司の「式守伊之助」を盛り上げ、「休養」の無念さへと繋ぐ。とても人間くさい一句。『盥にて冬の満月飼っている』「盥」と「冬の満月」が響きあい、 おもしろい一句。ただ、「盥にて」の「にて」で、楽をした分平凡になった。惜しい。久々に句会に出席しました。皆様の句評、余談、とても勉強になりました。席題もバラエティーに飛んでいて、苦しいながら、楽しかったです。ありがとうございました。
- 谷 孝江
特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」ひとつの椀の中に宇宙が詰まっています。質素で明るくて暖かで誰もが感じていたい故郷がここにあります。特選句「鐘が鳴る夢の枯野に鐘が鳴る」暗さを感じない所が大好きです。私が普段見慣れている加賀平野 の枯野とはちょっと違いハイカラさんの枯野ですね。たのしく拝見させてもらいました。
- 桂 凛火
特選句「馬駆ける土の匂いを強くして」馬が走るとしかいっていない単純な中になぜかすがすがしい命の息吹が感じられました。土のにおいがするだけでなく「強くして」が効いているのでしょう。気持ちの良い句で心ひかれました。問題句「群青や鼻の穴 見る初鏡」群青の意味がわからない。なんで鼻の穴を正月に眺めるのかもわからないのですがそこが面白くていただきました。すこし斜に構えたところ、うまくでたのがよかったです。
- 稲葉 千尋
特選句「難聴もつるうめもどき母もどき」なかなかリズムが良い。「つるうめもどき」の季語佳し。特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」七種の表現にも色々あるが、「過疎の明るさ」が良い。
- 中西 裕子
特選句「葉牡丹のおしゃまな会話つきあうよ(矢野千代子)」葉牡丹が、個人的に気になる存在です。花のような野菜のような地味なようなはでなような、毎年買います。おしゃまな会話という読みが、深いとおもいました。「蜘蛛の巣をくぐりそこねて冬ぬくし(河野志保)」の蜘蛛の糸も、あるあるっという感じです。久しぶりの参加で楽しかったです。また、出来るだけうかがいたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
- 藤田 乙女
特選句「汝が腕の中に横たう我が枯野(月野ぽぽな)」特選句「木枯しを背負って帰るワンルーム」一人の孤独、二人の中でも一人である孤独を二句から感じ取り、共感しました。
- 高橋 晴子
特選句「大銀杏大切株となりし冬」うまい!時の経過が見える。特選句「凭る木欲し淋しい冬木ならば良し」淋しいは消した方がいいが、「I」音にリズム感あり作者の心が伝わる。問題句「前衛書の心なりけり冬木立」いい句なんだけど「心なりけり」と 言ってしまえばそれまで。例えば「冬木立陽当たり翳り前衛書」位に結果として心が出ればいい。句作コメント:出来ない時は作らなくていい。自分をしっかりみつめて人の句を読むなり本でも読んでりゃいい。季語から言葉が降りてくる?全く思い違い。季語は 思いを伝える為の手段です。
- 野﨑 憲子
特選句「凍港や天の穴からカモメ降る」凍りついたような冬の港に動くものは鴎のみ。その鴎らが、天の穴から降りてくるという。天空の隙間から降りてきた鴎は地上を観て何を思ったか?思わず外に出て天を見上げたくなる一句です。今回は、句稿の中に 、ご参加の方からの質問「みなさん、俳句はどのように作るのでしょうか。聞いてみたいです。季語から?言葉が降りてくるのかしら?私は最近降りてこないのです。」を掲載させて頂きました。質問された夏谷胡桃さん、そして色んなコメントを寄せて下さった 方々有難うございます。私は、句作には、集中力が一番と思います。でも、疲れていたら駄目ですね。「よく眠る夢の枯野が青むまで 兜太」じっくり、ゆっくり・・ですね。
袋回し句会
蕪
- 好物は蕪の丸さと浅づけよ
- 中西 裕子
- 蕪の穴つまづく風につまづけり
- 亀山祐美子
水仙
- 水仙やジョン万次郎が黒船と
- 町川 悠水
- 水仙が目覚めし朝は摂氏五度
- 漆原 義典
- どこからかおこげのにほひ水仙花
- 野﨑 憲子
湯たんぽ
- 苦楽ありせめてゆたんぽ抱くように
- 町川 悠水
- 孕み女のやうに湯婆抱いてをり
- 亀山祐美子
耳
- 木枯に鼻をかくして耳かくす
- 中西 裕子
- 口寄せて耳の冷たき人であり
- 中野 佑海
- とんがって耳渦巻いて寒夜かな
- 野﨑 憲子
歌留多
- 五十六のかるた賭博か真珠湾
- 銀 次
- カルタ会恋のうたのみ覚えけり
- 漆原 義典
お茶
- 海は雪瞽女さんに出す茶の熱さ
- 銀 次
- 娘珈琲ほうじ茶飲みし昭和妻
- 漆原 義典
- 茶々入れる見合い話のゆるき冬
- 中野 佑海
- 昼酒のはてて茶づけの小正月
- 亀山祐美子
- お茶にするなかなか終わらぬ大そうじ
- 中西 裕子
寿
- 福寿草懐しき顔見たくなり
- 中野 佑海
- 寿(いのち)かな地軸の傾きで笑ふ
- 野﨑 憲子
- 賀状には本名直筆寿(いのちなが)
- 町川 悠水
句会メモ
平成28年の初句会は、16日に、いつものサンポートホール高松の会議室で行いました。常連の野澤隆夫さんと、三枝みずほさんが、お家の用事と重なり欠席の中、久々に、登場の亀山祐美子さんの気合の入った鑑賞や笑顔が、笑顔を呼び、とても楽しかったです。今回の事前投句の句稿の余白に、投句と共に送られてきた夏谷胡桃さんからの作句に対する問いかけを載せてみました。すると、色んなコメントが寄せられ、いつにも増して、興味深い「句会の窓」となりました。
竹本仰さんからのメールの中、句会報の感想が述べられていましたので、掲載させていただきました。<特に今回のように「みなさん、俳句はどのように?」という問いかけは、様々な俳句への向き合い方をそれとなくあらわにしていて、出来ることなら、全員の回答を読みたかったところです。香川句会がすばらしいのは、このような「地平」が見られるところなのだと思います。だから、いつも、どなたかがこのような問いを発してくれることを望んでいます。今回は、佑海さんの自注が大変面白かったのと、銀次さんも「フィネガンズ・ウェイク」の読者だったことにいたく共感いたしました。そうですね、次回、私も、何か一つ、問いかけてみようかと思います。いつも、ありがとうございます。>「問いかけ」いいですね。次回からも、さらりと、深く、よろしくお願い申し上げます。楽しみにいたしております。
Posted at 2016年1月28日 午後 11:47 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]