2025年5月26日 (月)

第161回「海程香川」句会(2025.05.10)

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事前投句参加者の一句

俳句てふ極楽強き蜂棲めり 岡田ミツヒロ
農耕の血はうすめられ紫木蓮 松本 勇二
新樹光きらりゆうらり吹かれけり 各務 麗至
星蝕やひかがみしづかなる五月 小西 瞬夏
雨だれのよう藤の花藤の花 月野ぽぽな
ふらここやなんにもしないでと言はる 藤川 宏樹
傷ひろげた揚羽励ますマンドリン 津田 将也
シャラシャラと心の自販機夏の貌 岡田 奈々
老鶯や空にはやはり襞がある 川本 一葉
古本屋の吉本ばなな穀雨かな 大西 健司
新緑や雨の匂いのアッサムティー 松岡 早苗
草萌ゆる平飼い卵の五つ六つ 疋田恵美子
声満ちる校庭に降る桜かな 石井 はな
うたた寝や昭和百年目の風船 桂  凜火
右手から気抜けしてゆくさつきあめ すずき穂波
国難とふ干しぜんまいの祈りかな 荒井まり子
焼け原の自棄っぱちの一心 豊原 清明
遥か安房(あわ)の灯青き二、三は鰯の眼 野田 信章
誰彼に電話したい日菜種梅雨 野口思づゑ
自撮りして五月の我貌違和異相 時田 幻椏
積乱雲フルート奏者登場す 森本由美子
雨音の沁みる憲法記念日よ 河田 清峰
熱っぽい沈黙続く躑躅かな 河野 志保
蕊切つて百合つまらなくなりにけり 和緒 玲子
一枚の色となりけり風車 佳   凛
都わすれ鼻緒の切れた下駄下げて 銀   次
読み聞かせ緑夜の雫なる母よ 三枝みずほ
目つむれば「われに五月を」修司の忌 稲   暁
まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ 佐孝 石画
夕焼けが絵本のような過疎の村 綾田 節子
水の中レタス剥ぐよう吾を解く 薫   香
魂はからだを抜けて夏の蝶 松本美智子
喧嘩して短き黙やわらび餅 樽谷 宗寛
母乳くっくん春鳥はみなみどり 福井 明子
戦争の話は法度夏の家族 重松 敬子
花冷えや歯並び悪い深海魚 塩野 正春
俎板も桶も束子も干して夏 大浦ともこ
泊まってけ寂しげな目や子供の日 滝澤 泰斗
すずめのこ一瞬口づけアスファルト え い こ
背負うもの束ね小舟に菖蒲添えて 伊藤  幸
五月の空になったやさしい尾白鷲 十河 宣洋
春落日にわとりまだまだ戻らない 植松 まめ
麦の秋讃岐平野はオセロ盤 漆原 義典
ふらここの真下銀河は創世記 島田 章平
夕桜いつかの吾とすれ違う 三好つや子
花馬酔木きみは嘘泣きうまくなり 増田 暁子
若葉風吹くたび光る山の峰 末澤  等
少年の美しきうなじよ柿若葉 向井 桐華
ふらここや自分のせいと呟いた 高木 水志
八十八夜ここまで生きて一服す 若森 京子
統一の五十周年嗚呼ホーチミン 三好三香穂
憲法記念日ぽちたまわたしにコメのめし 吉田 和恵
うりずんや犬は哀しい顔をする 河西 志帆
存在と無印良品サングラス 田中アパート
幻影のアメノウズメや花の闇 柾木はつ子
悼むとき芹の根っこの縺れよう 榎本 祐子
なれるなら手放す赤い風船に 柴田 清子
春風か 美男がバスに軽やかに 田中 怜子
俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず 山下 一夫
褌一丁の漢ぞくぞく修羅落し 新野 祐子
ブレーキ痕ヒロシマロシアかたつむり 竹本  仰
曇天のうすき木の影雉走る 亀山祐美子
弁当の紐飛ばされる春の海 遠藤 和代
生涯の失せ物探す麦の秋 藤田 乙女
八月の水に手を置くいつまで置く 男波 弘志
半島に休火山あり燕くる 菅原 春み
火の鳥の幼な眠るや真蛇の巣 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「五月の空になったやさしい尾白鷲」。オジロワシが空になったと感受した感覚の冴えをたたえます。

小西 瞬夏

特選句「蕊切つて百合つまらなくなりにけり」。一句一章。よくばらず、ちいさな発見をあっさりと、しかしきちんと言い留めた。花粉をまき散らし、周りをよごしてしまう蕊だが、それがないとあの百合の醸し出すものがなくなって、ただのきれいな白い花になってしまう。「つまらなく」という気分、そして百合の本質をしっかりと書いていると思う。

十河 宣洋

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。解放感が一杯。スカッとした気分が出ている。特選句「花冷えや胡蝶蘭の白つんとして(薫香)」。花冷えでなんとなく気分は落着かない。部屋の胡蝶蘭は真っ白に花を付けている。つんと澄ましている気分が面白い。

福井 明子

特選句「星触やひかがみしづかなる五月」。しずかなる五月、に魅かれました。草木の萌えいずる春の最中に、静謐なものへのまなざしとして、星触、ひかがみ、という言葉に触れ、見えないものへの想いがふくらんでゆきます。

樽谷 宗寛

特選句「半島に休火山あり燕くる」。句がすつきりしてる。燕がよいです。

津田 将也

特選句「幻影のアメノウズメや花の闇」。俳句で「花の闇」という言葉(春の季語)は、春の夜の美しさ、儚さ、静寂さ、非日常、といった要素を同時に表現しています。「幻影」は、感覚や記憶の錯覚によって、実際には存在しないのに、あるかのように見えるものを指すことや、もう一つは、過去の自分の幼少期の姿や思い出を指す場合があります。今、作者の心の中には、季語「春の闇」によって感じている「アメノウズメ」の幻影がはっきりと影像化(影像=絵画などに表された神仏や人の姿)されています。

すずき穂波

特選句「八月十五日水に手を置く(男波弘志)」。簡素な句だ。それだけにかえってじ〜んと来る悲しみ。この水は現代の水。生活の中の日々の水。例えば洗面器に満たした静かな朝の水。その上にそっと手を置いたのではないか。手のひらに吸い付いてくるような水の感触を感じた時の句だと思う。戦争の海に沈んで逝った人の、原爆下の川に水を求めて逝った人の、その水を静かに深く我が身に感じているのではないか。

柴田 清子

「八月十五日水に手を置く」。「八月の水に手を置くいつまで置く」。 どちらも特選です。忘れてはならない八月十五日、なくてはならない水。でもって心にずっしりと、考えさせられる、重たい重たい句です。

佐孝 石画

特選句「古本屋の吉本ばなな穀雨かな」。かつてのベストセラーが複数冊佇む、古本屋によくある風景。店内の匂いと湿度、そして冷んやりとした暗さ。「古本屋」「吉本ばなな」「穀雨」の即物的な配合には玄人の手腕を感じた。ただ、音感としては「古書店」とする方向性もあったと思う。

桂  凜火

特選句「なれるなら手放す赤い風船に」。作者は、風船になりたいのだろうか。変わった願望だが、もしなれるなら何を手放すというのだろう不思議だが、妙に切ない句だと思った。特選句「悼むとき芹の根っこの縺れよう」。人を悼むという行為にまつわる様々を芹の根っこの縺れようとたとえたところが絶妙だと思う。

男波 弘志

「俎板も桶も束子も干して夏」。大変潔い表現に惹かれました。うだるような暑さではなく、五月の頃を思った。その方が景は鮮明だろう。もし八月にこの句を読んだらそうは感じなかっただろう。その意味で言えば「夏」を「首夏」としたほうがより句意は明瞭であろう。秀作

藤川 宏樹

特選句「一枚の色となりけり風車」。色鮮やかな風車が風を受け、勢い良く一斉に色を失い回っている。行ったことない恐山で、風車が一枚の色となる景が浮かんで来ている。

松本美智子

特選句「蘂切って百合つまらなくなりにけり」。この句を詠んだとき,「まさに・・・ほんと!!同感!!」と感動をおぼえました。百合のおしべのあの紅い花粉は周囲のものに色が付いたらのかない,のかない・・・百合の花の生命力の源ですから百合にしたらお節介なことですし、人間の都合で自然美を歪めてしまっている罪悪感もありつつ・・・それでもやっぱりあんな頑固な汚れは我慢ならず・・・いつもおしべの紅い花粉の部分取ってしまっています。でも、どこか締まらないぼんやりした百合になってしまって少しがっかりしてしまうのでした。百合さん、つまらないなんてごめんなさい。でも、本当に「つまらない」花になってしまっているの・・・いつもありがとうございます。

大西 健司

特選句「花冷や歯並び悪い深海魚」。〝歯並び悪い深海魚〟ってなに?から始まるが、どこか気になる一句。この深海魚はお籠もり感強めの私か誰かだろう。だけどやっぱり深海魚がにゃっと笑って歯並びが悪いんだよなってつぶやいていてほしい。

榎本 祐子

特選句「星蝕やひかがみしづかなる五月」。緑旺盛な中にひっそりとあるひかがみ。星蝕の文字のもつ視覚的な美しさや、音感もひかがみと響きあう。

伊藤  幸

特選句「うたた寝や昭和百年目の風船」。うたた寝に目が覚めてふと見上げると風船が浮かんでいた。ただそれだけのことであるが昭和百年が効いている。「昭和は遠くなりにけり」などとは言わせない。昭和生まれの私たちにとって昭和はマダマダ生きているのだ。特選句「褌一丁の漢ぞくぞく修羅落し」。修羅落しとは雪が解けて川が増水した頃、運ぶために伐採した木材を上から滑らせること。現在ではあまり見られなくなったそうだが男達が雄々しく叫び声をあげながら大自然の中逞しく生きる姿が目に浮かぶようである。実景でなくともこのような句は後世にまで残したい句である。

岡田ミツヒロ

特選句「憲法記念日ぽちたまわたしにコメのめし」。日本国憲法は米のめしだ。戦争していたのでは、めしが食えない。それは前の戦争で実証済みだ。わざわざ憲法を改えて、欲しがりません勝つまでは、とはあまりに寒すぎる。特選句「九条の空みどりごの指差して(三枝みずほ)」。爆音のない静かで美しい九条の空、そこには、崇高な理念と子供らの未来が輝いている。戦争の最大の犠牲者は意思表示もできない子供ら。平和への願いが胸に沁み入る。

和緒 玲子

特選句「春落日にわとりまだまだ戻らない」。散文的ではあるが描写が効いている。字余りに作者の優しい眼差しを感じる。

島田 章平

特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。「八月と水」、日本人にとっては、忘れがたい組み合わせ。「いつまでも置く」の結句に、平和への強い意志が表れている。

川本 一葉

特選句「農耕の血は薄められ紫木蓮」。紫木蓮の赤はなるほど血のようである。そしてその赤はしばらく経っているかの赤。農地を離れるのは農耕の血が薄められているに違いな い。もう一つ特選句「芯切つて百合つまらなくなりにけり」。黄色い芯の花粉は服などにつくとなかなかのかない。それで花屋さんで買った百合は芯が切られている。黄色い芯がないと百合じゃない、 私も常々感じていたことを俳句にしてくれた。思わず「そうです」と呟いた。

若森 京子

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。日本人は農耕民族なのだが、その血統も次第にうすくなり農家を継ぐ人も少なくなっている。一句の中の季語の紫木蓮の美しい花が、その血の色の様に思えるのも不思議。特選句「ブレーキ痕ヒロシマロシアかたつむり」。まず一句のリズムの良さ。ヒロシマとロシアに強いブレーキ痕があり、季語の〝かたつむり〟が、いかにも柔らかく無関心の様に置かれているのが妙に惹かれた。

疋田恵美子

特選句「星蝕やひかがみしづかなる五月」。若き頃のような活発な活動から今は遠のき静かな別邸での暮らしのように思えます。特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。私の故郷そのものです。

各務 麗至

「魂はからだを抜けて夏の蝶」。何か書こうとしたけれど・・・・、何か超えたものがあって、どうも書ききれないな、と。特選。「老鶯や空にはやはり壁がある」。青空に見えるのはカーテンかも知れないし、真空とか暗黒とか人間原理では計り知れない宇宙空間は壁かも知れませんね。若い溌溂とした声の鶯では思いつかなかったのかも知れません。(壁としての選です)

植松 まめ

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。うまく評は出来ませんがとても惹かれた句です。特選句「母乳くつくん春鳥はみなみどり」。身内から赤ちゃんの便りが無くなって久しい。乳臭いわが子を抱きしめた時代が懐かしい。春鳥はみなみどりがいいと思う。

塩野 正春

特選句「農耕の血は薄められ紫木蓮」。いやはや国の農業政策の悲惨さは目に余ります。まさに日本米流通が混乱の極みです。車を売るために米農家を犠牲にするとは何たる事、さらにこれら両者が関税の為つぶされるとは。 吾が国の為政者どもは原始の時代の狩猟を農業に転換した血の努力を亡くそうとしている。俳句で詠むことは何の力にもならないが発信したい。金子兜太師匠の思いに沿って。特選句「蜜蜂の分蜂ダイナミックな別れかな(植松まめ)」。不思議な生命体蜜蜂。蜜蜂の行動はノーベル賞を得たほどの不可解な行動ながら、花など他の生命体と協働して自然をコントロールする。一個の巣に女王蜂は一匹、多くの働き蜂が育てる。そのうちもう一匹の女王蜂を育て始め、元の巣を集団で別れる。誠にふしぎな行動で科学者も解明できていない。私は仕事で蜜蜂につくダニの駆除剤を研究したことがあるのでこの句は大変興味深い。問題句「国難とふ干しゼンマイの祈りかな」。干しゼンマイは太古の昔から保存食として大切にされてきた。飢饉のとき、武者が戦争するとき、籠城の時など、壁に塗り込んだり縄に綯ったりして非常時に備えた記録がある。神事にもささげられた。ただ、この句の国難が今の日本を表していて、干しゼンマイ的な救いを求めているのか、なかなか理解しにくい。句は力強い。

月野ぽぽな

特選句「囀りのみどりきみどり手芸箱(三好つや子)」。囀の中お裁縫をしているのでしょうか。みどりきみどりは、鳥の鳴き声とも思えますし、周りの木々のようにも思えます。手芸箱の色かもしれませんしその中にある糸たちかもしれません。中七のこの感覚の融解感と上五から流れる音律の良さが、小気味よい意外性を持つ下五に辿り着くとふわっと日常の幸福感が立ち上ってきます。人生って素敵です。

岡田 奈々

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。楽しいのか嬉しいのか哀しいのか、がっかりなのか、憎らしいのか人間の感情を素直に出さず、暗に出す。正に麻薬のような辞められない止まらない極楽なのか?です。特選句「うたた寝や昭和百年目の風船」。馬車馬のように奔りすぎた百年。あっという間に萎みます。「素手で抜く杉菜忘れたいことばかり(福井明子)」。スギナは早い内なら、土筆として愛でても食べても最高ですが、スギナに成るのはすぐで、幾ら抜いてもどんどん生えてくる。結構硬くて、抜きにくい。忘れたくなるようなことは早く処理しようね。「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。だんだん農家の方は歳を取り、子供にも継がさず、放棄田ばかりになり農家の数は減る。一方紫木蓮はどんどん濃く逞しく生い茂る。本当は欲な事を考えなければ、農家も続いて行くはずなのに。「春の土うわさ話が匂い立つ(高木水志)」。春の土は草いきれがもわっとして活気がある。うわさ話ももわっとしたところから湧き出てくるのか。「陽炎える野辺の送りは順列です(吉田和恵)」。陽炎が出来るほどの日中の野辺の送りは勘弁して欲しいです。死者の葬送の列には明らかに順番があります。親族、縁者、会社、自治会、友人、他人(こんな人居たっけ)。「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。確かに百合の花粉は散ると凄い色が着きます。けれどそれを取ってしまうと、無防備な状態です。毛を刈った犬みたいな。「喧嘩して短き黙やわらび餅」。喧嘩してぷんぷんしながらお互いに違う方向き、食べるわらび餅。可笑しくて笑ったら、きな粉が飛んで、とんでもない事に。「俎板も桶も束子も干して夏」。暖かくなったら、何でもかんでも洗って干したく成ります。奇麗になりそうな気がして。「地球儀のくるりと廻し燕来る(川本一葉)」。燕の飛び方はその通りだと思います。日本で巣立つた燕は何処までも帰るのかな。今は来なくなった燕今も時々思います。

河田 清峰

特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す(綾田節子)」。生きている限り亡くなった人たち忘れられない。

石井 はな

特選句「誰彼に電話したい日菜種梅雨」。なんとなく人恋しくて誰かと話したい、声が聞きたい日って有りますよね。歳を重ねて身の回りが寂しくなると余計にそう思うのかもしれません。

竹本  仰

特選句「遥か安房の灯青き二、三は鰯の眼」:何となく背景の安房の海の広さを感じさせていて、迫力があります。その青い日の中に見出したいのちのありかに心躍らされているようで、作者の心の動きと呼応し合っているなと思いました。何でしょう、希望みたいなものをひそかに求めていた心にパッと一瞬火が付いた感じなのかなあ。特選句「まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ」:想像力が遠くの新芽もはぐくんでいる。ヘンな言い方ですが、芽は見ることによって芽になるというか。シャッターを切って、やっとその瞬間が残されていくというような。本当は見えないものまでそこに写り込んでいるわけで、そんな見えないものまで見えてくるというのが発見ではないでしょうか。作者のまたたきが写り込んでいる句ですね。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」:「吾」と「我」の違いって何だろうと、今回調べてみましたら、「吾」の方は儀式のようなところで頂いたものを器にしまい大事に守るような字の成り立ちで、「我」の方はもともとノコギリの形で何か切っちゃうというところが始まりらしいですね。そういう見方でいくと、何か懸命に守って来たかつての私、あれは何なんだろうなという問いがここにあるようですね。それも巡りあうのではなくて、すれ違う。ここに厳しさと淋しさがあるのでしょうが、とても現実を感じさせます。二度とは会えぬきみ=私、当たり前だが、わたしは今のわたしでしかない。そんなすれ違う風を、その音を感じたような気がしました。以上です。♡日々、勉強。と、よく感じます。何でもかんでも勉強が大事だなと思います。世界は広すぎてわからないことだらけだから、虫が生きてゆくように何とかむしむしとくっ付いていきたいと思います。みなさん、これからもどうぞよろしくお願いします。

増田 暁子

特選句「水の中レタス剥ぐよう吾を解く」。繊細な感性に感嘆しました。 下5の言葉が沁み入ります。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」。すれ違うのは若い無鉄砲な頃か、それとも悩み多き頃か。懐かしい自分がいた様な想いでしょうか。

漆原 義典

特選は「誰彼に電話したい日菜種梅雨」です。菜種梅雨の雰囲気が、上五の誰彼によく表現されています。素晴らしい句ありがとうございます。

柾木はつ子

特選句『目つむれば「われに五月を」修司の忌』。彼の作品はあまり読んでいませんが、寺山修司と言う名前だけで青春の懐かしい日々が蘇ってまいります。五月を渇望し、五月に逝った修司。私もまた一年で最も輝かしく、生気溢れる五月に逝くことを願っているのですが…特選句「俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず」。工具の使い方次第で面白くもつまらなくもなってしまう。なるほどと納得させられました。

河野 志保

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。この「強き蜂」は作者自身のことであろうか。俳句という極楽をやみくもに嗅ぎ回り謳歌する。私もこの蜂のようでありたいと思った。

三枝みずほ

特選句「熱っぽい沈黙続く躑躅かな」。沈黙に熱っぽさを感じ取る作者の鋭さ。特選句「焼け原の自棄っぱちの一心」。荒々しい表現の中に語感や言葉選びの繊細さが光る。字足らずのリズムも自棄っぱちの心情に沿ってくる。

豊原 清明

特選句「俳句てふ極楽強き蜂棲めり」。好いなと思うのは、明らかに「俳句」を楽しんでいる人が創った句と、伝わるから。羨ましい。問題句「すずめのこ一瞬口づけアスファルト」。すずめのこの柔らかなイメージを感じます。現は「アスファルト」。厳しい暮らしかな?

荒井まり子

特選句「背負うもの束ね小舟に菖蒲添えて」。一読、藤沢周平の世界に引き込まれた。「平凡でいい。ひたむきに生きよう」と。市井の人々に向ける眼差しが優しい。

三好つや子

特選句「星蝕やひかがみしずかなる五月」。全方向に光が満ち、若々しくまぶしい五月のさなか、老いてゆく星があり、老いてゆく私が居る。この句から抗うことのできない時間の流れを感じました。特選句「熱っぽい沈黙つづく躑躅かな」。とある事案を前に不気味な沈黙が横たわる会議室。誰かが声を発すれば次々と意見が飛び交い、収束がつかなくなる、そんな直前の静けさを巧みに詠んでいます。「夕焼けが絵本のような過疎の村」。原石鼎ゆかりの奈良県東吉野村を歩いたときの景色が、この句と重なりました。「母乳くっくん春鳥はみなみどり」。くっくんというオノマトペが、原始の本能をくすぐります。「娑婆遮那と旦那前世のつばくらめ」。娑と婆、遮那と旦那のように部首がおなじで、かつ語の響きの似た漢字の配列に注目しました。

松岡 早苗

特選句「白南風やにぎりこぶしのやわらかさ(小西瞬夏)」。拳には本来硬いイメージがありますが、白南風の明るい輝きのもとでは柔らかく感じられるのでしょうね。「白南風」に突き出す「にぎりこぶし」、そしてその「こぶし」の「やわらかさ」。絶妙な取り合わせで梅雨明けの空気感を表現していると思いました。特選句「夕桜いつかの吾とすれ違う」。満開の桜には、不思議な妖しさがあります。まして薄暗い逢魔が時、過去の自分が向こうから歩いてくることもありそうなと、すっと納得させられ、ざわざわっとした余韻が心に残る御句でした。

末澤  等

特選句「読み聞かせ緑夜の雫なる母よ」。「緑夜の雫なる母」とは如何なる母なのか良くは分かりませんでしたが、その言葉の使い方が素晴らしく感じました。

野田 信章

特選句「悼むとき芹の根っこの縺れよう」。芹摘みの景に重ねて展けてくる作者の心情の景が垣間見えてくる。中句以下の修辞を通して、故人との関わりの深さ、その葛藤のさまが察知されるところである。再読していると、それらの歳月の重たさも芹の水の流れと重なってゆき、澄明感を湛えているようにも思えるところがある。昔日の芹摘みの水辺のさまが蘇って、この句を味読しています。

新野 祐子

特選句「雨だれのよう藤の花藤の花」。とてもシンプルで韻律が何とも心地よいです。特選句「熱っぽい沈黙続く躑躅かな」。「熱っぽい沈黙」が、朱や赤や紫の情熱的な色のつつじを、いみじくも言い表していますよね。

高木 水志

特選句「ふらここの真下銀河は創世記」。すごくダイナミックな光景だと思って取りました。ビッグバンがブランコの真下にあったのなら驚きです。

菅原 春み

特選句「ひとつずつ島潰されて三月十日(滝澤泰斗)」。大空襲で貴重な島が潰されていったのですね。淡々と書いているだけに哀切を禁じをえません。特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。八月も肝に命じておきたい敗戦日の月です。水に手を置くという動作が何を意味するかを考えています。被爆したらすぐに水を飲んではいけないといわれていますが、やけどをした心身を癒やすための水を置くでしょうか。

亀山祐美子

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。畳みかける様なリズムが好きです。何か大きな集まりがあったのか、全て洗い上げ日の光に当てる清潔感。安堵感。たとえ日常の景だとしても同じ充実感や満足感が伝わります。昔ながらの木製の俎板や桶。棕櫚の束子が見え懐かしさを感じます。何気無い日常の一コマを『夏』の季語が支える佳句。

森本由美子

特選句「八月の水に手を置くいつまでも置く」。八月は特に日本人にとって終わりのない鎮魂の月。<水に手を置く>という表現の静粛さと詩情に心を打たれました。

向井 桐華

特選句「蕊切つて百合つまらなくなりにけり」。つまらなくなってしまったと言い切る度胸というか勇気というか、そこに惚れてしまいました。感服です。

薫   香

特選句「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。ただこれだけのことなのに、そうなのよねと共感しました。素晴らしいです。特選句「読み聞かせ緑夜の雫なる母よ」。緑夜の雫というフレーズに心を掴まれました。

銀   次

今月の誤読●「ふらここや自分のせいと呟いた」。ぼくは自分のベッドで寝ていた。なにやらパチパチはぜるような音がして目が覚めた。もうそのときは部屋じゅう火の海で天井にも火がまわっていた。ぼくは一瞬なにが起きているのかわからずボーッとその炎を見つめていた。しばらくしてわれに返ったぼくはワッと叫んで飛び起きた。「火事だ! 火事だ!」と叫んで廊下に出た。そこもまたあちこちから火の手が上がり、炎の川のようだった。ぼくは必死で両親の寝室のドアを叩いた。「火事だよ!」。父さんと母さんが慌てて出てきた。父さんが「逃げろ!」とぼくと母さんの手を取って玄関から庭に走り出た。振り返るとすでに家はゴウゴウと炎をあげ、燃え上がろうとしていた。やがて近所の人が集まりはじめた。父さんと母さんは庭に坐り込みブルブル震えている。お隣の奥さんが母さんの肩を抱いて「大変な目にあったわねえ」と声をかけた。母さんはイヤイヤをするように首を振り「わたしのせいに違いないわ。ちゃんと台所の火の始末をしていれば……」と涙声でいった。「違う!」と父さんが大声でいった。父さんは膝の上に置いた拳を握りしめ、「違う、わしだ。わしが仏壇の線香を消し忘れたんだ」と悔しそうに泣いていた。ぼくは両親やそれを取り巻いている近所の人々から離れ、道一本隔てた町内公園へと歩いていった。ブランコに腰を下ろし、ユラユラと揺らした。えーと、とぼくは呟いた。父さんも母さんも知らないんだ。ぼくが自分の部屋で、マッチ棒を使ってキャンプファイアーごっこをしていたことを。そしてもう一度、えーとといい、燃え盛るぼくんちを見つつ、ごくごく小さな声で「黙っとこ」と自分にいい聞かせた。遠くから消防車のサイレンが聞こえた。

野口思づゑ

特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。家々がまばらで、人間の活動も感じられない、だからこそ夕焼けが美しく、影絵のように今存在しているものたちが浮き出ている。その光景を絵本のページと捉えたセンスが光っている。特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す(綾田節子)」。そう来ましたか。亡き母は、自分が生きている限り私の心の中で生きている。お母様に対する思いが溢れています。「囀りのみどりきみどり手芸箱」。リズミカルで春のウキウキ感が伝わってくる。♡毎月力作ばかりで選ぶのも簡単ではありませんが、楽しい作業ですよね。では句会報などお待ちしています。今月もお世話になります。

稲   暁

特選句「俳諧はゆかいな工具ねぎぼうず」。ねぎぼうず、の抑えが効いています。作者が心から俳句を楽しんでいる様子が窺えます。

吉田 和恵

特選句「八月の水に手を置くいつまで置く」。八月の水といえば被爆者が求めた水を想う。時が経ち、いつまでその水を想っていられるだろうか。自戒も込めてきびしく問いかけられている。

山下 一夫

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。勤勉や協調という美徳と保守や斉一性という桎梏。農耕民族である日本人の特徴とされてきましたが、昨今はリアリティが薄れてきています。農村と共にあるイメージが強く、よどんだ血のような色という感じがしないでもない紫木蓮が効いています。特選句「星触やひかがみしづかなる五月」。遥か天空の星触と身近なひかがみは対比的でありながら、しづかで密やかである点で通じています。それらと爽やかで明るい五月とのアンサンブルがとてもオシャレです。問題句「どんぶり一杯蕨食らえば同志なり(新野祐子)」。何人かで蕨採りにいってたくさん採れたのでしょうか。蕨はうまくあく抜きをしないと食中毒を起こします。そんなものを各自?どんぶり一杯食べるなんて豪傑ぞろい。しかし、どうせならフグ三昧で同志を確かめ合いたいものです。

田中 怜子

特選句「農耕の血はうすめられ紫木蓮」。今回の米不足についても、減反政策のつけ、また都会では農地がどんどん宅地化(相続税のために)。私は怒っているけど、この方は“農耕の血はうすめられ”とうたっている。紫木蓮の美しさに諦めも感じられる。でも、本当に国は、日本にとって必要なことを考えなければいけませんね。それは我々自身が真剣に考えなければいけませんね。特選句「ひとつずつ島潰されて三月十日(滝澤泰斗)」。これを読んで、先の第一回「海原」高松&小豆島大会で帰りは福田港から姫路まで船で帰った時のことが思い出されました。通り過ぎる小さな島が削りに削られて、島の形を呈してなかった。東京では、あちこち再開発と称して、スカイスクレーパーが林立、島を潰して虚構のビル群へ。私の目には、その建物群からガラスが砕かれきらきら舞い落ちてくる光景が浮かんできます。「自撮りして五月の我貌違和異相」。これには同感しますよ。私は自撮りはしませんが、自分の写真は撮ってもらいません。「花冷えや歯並び悪い深海魚」。水族館で出会う魚の顔の可愛さ、歯並び悪いのも愛嬌で、どんな生き物もよくみると可愛いものですね。

綾田 節子

特選句「虹立つや離島に移動図書館来(大浦ともこ)」。少し前の新聞で読みました。記憶が定かではありませんが安藤忠雄さんが寄贈したとか?季語がとても効いています。

大浦ともこ

特選句「白南風やにぎりこぶしのやわらかさ(小西瞬夏)」。にぎりこぶしをやわかいと表現したのが新鮮です。人の手の持つ優しさと季語の白南風もひびきあっています。特選句「八月の水に手を置くいつまでも置く」。八月は特別な月と思い、その八月の水に手をじっと置く動作は祈りの様だなと思う。

え い こ

特選句「雨だれのよう藤の花藤の花」。藤の花の繰り返しで、藤棚に溢れている藤が頭の中に映像として、浮かびました。

滝澤 泰斗

特選句「木の元に鬼無生(きなせ)のおやきもさくらかな(樽谷宗寛)」。北信濃の鬼無里(きなさ)という村がある。長野から大町に抜ける街道の狭隘なところにその鬼無里はあり、北信濃のソウルフードのおやきの名産地でもある。私の生まれ故郷からそう遠くもない。花盛りの北信濃の風土記俳句に感心しきり。特選句「新緑や雨の匂いのアッサムティー」。目にも鮮やかな新緑は茶の緑かどうかはともかく、雨上がりを想像させる雨の匂いがいっそう色濃く気分を爽快にしてくれる。そこにアッサムティーはつきすぎの感もあるが、アッサムの茶畑に一気連れ出してくれた。

河西 志帆

特選句「俎板も桶も束子も干して夏」。木の匂いがして、包丁の疵の残る俎板が懐かしいです。薄暗い台所にあるものをお天気にパッと干していた母を覚えています。郷愁となりつつある「道具」たち!そこに光が当たりました。「蕊切って百合つまらなくなりにけり」。白い服に花粉がつくと、本当にどうしようもなくなります。でも、それは私達の勝手ですよね。つまんないよ。って、百合も言っていそうです。

三好三香穂

「七十を過ぎてもちゃん付け花は葉に(柾木はつ子)」。共感句。花は葉に、は、盛り過ぎかもしれませんが、句を爽やかにしています。実際は黄落かも知れないけど、最近は、みんなお若い!花が散り葉っぱが出てきたところ位で留まりたいものです。

藤田 乙女

特選句「母の日や私の死ぬ時亡母は死す」。母と娘の濃い血の繋がりや深い愛や他人にはわからない情念と言うような感覚が強烈に心に迫ってくる句でした。

遠藤 和代

特選句「夕焼けが絵本のような過疎の村」。絵本のようなが抽象的過ぎるかなと思ったけれど、作者が一番言いたかったことかな?現代社会の光景が浮かぶ句。

佳   凛

特選句「言の葉の創る力や風光る(藤田乙女)」。句を詠む時の言葉は、いろいろ考えるのに、喧嘩した時の、言葉の無防備さ、後悔する事も度々。この句を詠んで改めて考えました。

時田 幻椏

「八月の水に手を置くいつまで置く」「八月十五日水に手を置く」。同様の句意と思いますが、正しく理解したいと思いますので、作者の自句自解をお願いしたいと思います。宜しくお願い致します。この夏77歳の誕生日を迎えます。半世紀のブランクを超えて75歳の誕生日から描きだした油絵をこの機に、「我貌展」と名付けて個展を開こうと計画しています。俳句に先行された油絵が27年後にやっと追い付きそうです。

先ず以ってこの質問をされたことに深く敬意を抱いております。よほど俳句表現を突き詰めない限りこのような問いは出てこないでしょう。誠に麗しいことでございます。初めにお伝えしたいことは「戦争俳句」についてですが、こういった題材は普遍性を生むことが大変難しいと思います。つまりこういう凄惨なことが在った、そういうところで止まってしまうからです。にんげんが生きてゆく為に必須なことは未来への一歩でしょう。「世界が平和にならなければ個人の幸福はありえない」と詩人の宮沢賢治は高らかに宣言しておりますが、自分もこの考えに諸手を挙げて賛同しております。「あやまちは繰り返します秋の暮れ」三橋敏雄 この一行詩は現代の世界情勢をみると実に芯を突いていると思いますが、しかしここからどうやったら未来への一歩が踏み出せるでしょうか?時間が凝固したまま身動きがとれないでしょう。ここから自句の話になりますが、「八月十五日水に手を置く」ここに描かれたものは顕かに昭和二十年の八月十五日です。終戦日への鎮魂でしょう。ただここにいつまでも止まっていても人類の未来は拓けてきません。どうやってひとりひとりが水平線へ向かって一歩を踏み出すかですが、そこでどうしても必要なのが次の一行詩なのですが「八月の水に手を置くいつまで置く」ここには戦争そのものは提示しておりません。八月の中に在るあらゆるものが綯交ぜに没入しています。そこで何を感じ取るかは読み手に全てを委ねております。片言隻語の一行詩が最も力を発揮するのは暗喩です。ですから戦争をはっきり提示した前句はいまだ直喩の状態ですから自由に歩き出すことが出来ないのです。「いつまで置く」この問いの答えは作者には微塵もないのです。なにひとつ誰かに押し付けてはおりません。いつそこから、水のゆらぎから手を離してもいいのです。否、手を離して踏み出すために、そのために背後にあるのが「八月」なんだと思います。この八月は決して戦争を思い出す為だけにあるのではありません。もっと豊穣なるいのちの盛りが、熾烈に海からも空からも湧き出ております。勿論自身が気の鎮まるまで水に手を置いていればいいんでしょう。しかしそれが戦争に対してだけの祈りだったとしたら、そこには普遍的な祈りなどどこにも無いでしょう。もっともっと深いとこから出てきた祈り、ただただ何かを慈しむ、ただただ隣の人に寄り添う、そういう祈りでなければならない。そういう祈りへ昇華しなければならない。これがこの二つの一行詩を推敲した過程です。謹んでお伝えいたします。 不尽  男波弘志 拝  。

野﨑 憲子

特選句「まなぶたや遠くの新芽もまたたくよ」。一読、<遠くの新芽>に眼が釘付けになった。この一行詩が縦横無尽に広がって行き、生きとし生けるものの<眼>に、平和への祈りにも見えて来る。兜太師が「俳句をしゃぶれ」とよく話されていた。平明で美しく、味わい深い佳句である。問題句「老鶯や空にはやはり襞がある」。高松の句会では、<襞>派と<壁>派に別れた。というか、<壁>派は、皆読み違えていた。私も同じ。壁だからこその飛躍を私は感じた。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

風天が啖呵切ってる虹の上
島田 章平
風五月バイク百台疾走す
三好三香穂
風光り凛とたたずむ二月堂
末澤  等
風薫る街路樹食べる虫になる
遠藤 和代
音ずれるピアノ首振る扇風機
藤川 宏樹
「新玉あり」と爺の達筆淡路風
岡田 奈々
親指って支えてばかり土筆んぼ
藤川 宏樹
親指を握りしめる朝の夏
薫   香
息きらしつつ梅雨晴れの父母の墓
渡辺 貞子
親の顔見たいと貴女(きみ)は言う
末澤  等
母の忌や刃を入れる親の芋
島田 章平
夜店
ほろ酔ひでアジアの雑踏夜市かな
三好三香穂
ウルトラマンのお面が歩く夜店かな
野﨑 憲子
百円玉入れて夜店のルーレット
銀   次
夜店の灯放射熱線吐くゴジラ
藤川 宏樹
何か分らぬとにかく並ぶ夜店かな
岡田 奈々
梅雨
だるま食堂梅雨はホップな暖簾にす
岡田 奈々
禿頭のてっぺんにポッリ梅雨来たる
銀   次
梅雨晴れ間出てゆく船の眠たさう
野﨑 憲子
梅雨ふかし戦前とふは今のこと
島田 章平
梅雨晴れ間ポンポン音す隣かな
三好三香穂
夏潮
海に線パッチワークに夏の潮
三好三香穂
ふる里に老を過せし夏の潮
渡辺 貞子
夏の潮真黒き闇に香り立つ
末澤  等
夕べ夏潮親指を置いてみる
野﨑 憲子
夏潮や今は遠くに壇ノ浦
島田 章平
夏潮へ地図のない航海
銀   次
下手な句と下手ウマな絵や夏の潮
藤川 宏樹
潮汁ぷくぷく五月病に喝
岡田 奈々

【通信欄】&【句会メモ】

今回は、岡山の小西瞬夏さんとお母様の渡辺貞子さんが、志度からは初参加の遠藤和代さんが高松の句会においでになり、楽しく豊かな句座となりました。瞬夏さんは新句集『けむりの木』を、参加の方々に謹呈してくださいました。ありがとうございました。

今回の袋回し句会も、非公開希望の方が複数いらっしゃいました。全ての方の作品を紹介できず残念です。とても熱い句会でした。

2025年5月11日 (日)

第162回「海程香川」句会(2025.06.14)ご案内

薔薇イラスト.jpg

昨日は令和7年5月句会でした。岡山の小西瞬夏さんとお母様の渡辺貞子さんが、志度からは初参加の遠藤和代さんが高松の句会においでになり、楽しく豊かな句座となりました。瞬夏さんは新句集『けむりの木』を、参加の方々に謹呈してくださいました。ありがとうございました。

では、六月句会のご案内を・・

日時
2025年6月14日(土)
場所
ふじかわ建築スタヂオ☆☆ 高松市番町2丁目5-5
時間
午後1時 ~ 午後5時

事前投句は、通信句会形式です。投句締切は、6月7日(土)(必着)です。ご参加楽しみに致しております。

事前投句作品
2句
会費
500円

連絡先:noriko_n11☆yahoo.co.jp(☆を@に変換してください)

「海程香川」代表 野﨑憲子

2025年4月25日 (金)

第160回「海程香川」句会(2025.04.12)

一の坂川の櫻.JPG

事前投句参加者の一句

             
春日遍照(へんじょう)かろやかな翼そこここに 十河 宣洋
生きている春の野芥子と寄り添いて 河田 清峰
あらいやだつまらぬ庭に与太と鮫 田中アパート
しんがりはいつも道草遠足子 柾木はつ子
絶筆九句詠み尽くせない枯野かな 滝澤 泰斗
養花天遺品にまじる刺繡糸 三好つや子
歳時記の春のページに開き癖 和緒 玲子
春耕や地球を起こすチャイムかな 漆原 義典
足入れて抜けず俳句は春泥 塩野 正春
壺春堂ゆるっと春陽のつづまやか 桂  凜火
鈍臭き吾も母なり土筆摘む 植松 まめ
ガジュマルのこれは臍の緒だと思う 河西 志帆
逝く人に寄せ書しゃぼん玉とんだ 伊藤  幸
チューリップ咲いた些細な嬉しき日 佳   凛
日田二月闇は母体の若さかな 野田 信章
風光る手水のひかり小さな手 末澤  等
四肢弛む朝湯に浸りたり 鶯鳴く 田中 怜子
春の昼ゆつくり欠けるナフタリン 小西 瞬夏
ポケットにちびた半券花の冷え 向井 桐華
湯上がりの爪やわらかし春三日月 月野ぽぽな
ふらここに風の始まり待つ少女 花舎  薫
春銀河までの地図なら描いてある 榎本 祐子
死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな 竹本  仰
ゆっくりと歩けばゆっくり花の冷え 柴田 清子
満開の花の力を吸い込みぬ 重松 敬子
花の東京百姓一揆のトラクター往く 新野 祐子 
この道でまたすれ違う桜かな 河野 志保
春来る忌日も来る波のよう 山下 一夫
脊梁山脈一粒の桜の実 島田 章平
ぺんぺん草と猫背の白昼夢 荒井まり子
出替やお礼のことば鼻づまり え い こ
尾骶骨疼く朧夜鍋磨く 大西 健司
前線とう戦のことば花戦ぐ 藤川 宏樹
野遊びやことばになるまでは鬣(たてがみ) 若森 京子
ふうせん乱舞叫喚とも狂歌とも違ふ すずき穂波
一菜の夕餉の滋味や五月来る 松岡 早苗
童心桜冷たいね風つらいよね 豊原 清明
春泥や地図に無き道遠廻り 山本 弥生
チューリップ箍という文字解体す 福井 明子
マニュキア剝げ銃持つ女性ウクライナ 森本由美子
花守となりながら櫂となりながら 男波 弘志
菜の花や風を歩いて来てをりぬ 亀山祐美子
つくしんぼ一人笑えばみな笑う 吉田 和恵
囀や小高き墓に眠る君 川本 一葉
いぬふぐり楚々と野にあり内弁慶 増田 暁子
さくらさくら黙読が声になる 三枝みずほ
裏返す心を背負う花の冷え 高木 水志
福寿草花も名も逝き黄蝶生れ 時田 幻椏
野仏や春風胸にあふれたる 石井 はな
行く春は仔羊放たるるごとし 大浦ともこ
夜桜や罪深いほど非日常 野口思づゑ
塩ふつて肉うるおいぬ夕桜 菅原 春み
迷宮をうしろ姿の修司の忌 銀   次
泣くまでは大きく息を吸って花 佐孝 石画
軍港となりし波止場や春嵐 稲   暁
東風吹かばメリーポピンズふうわり 薫   香
花筏母の忌日が巡りくる 遠藤 和代
産土や雉がぎらぎら向こう岸 松本 勇二
風光る描く余生の自由画帳 藤田 乙女
山笑ふうふふあははにわっはっはあ 三好三香穂
日和ってないで泥臭く決め葱坊主 岡田 奈々
去(こ)・今(こん)・来(らい)つがいめじろのせわしさよ 疋田恵美子
土筆野は消えサッカー場となりにけり 樽谷 宗寛
いのちにも〆切あつておぼろの夜 各務 麗至
りんご咲く山の校舎の歌声に 津田 将也
くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて 岡田ミツヒロ
車窓に瓦礫しろき花びら降りやまず 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。「なりながら」のリフレインによるリズム。「花守」と「櫂」がパラレルに存在しているという不可思議。それらは人間と物でありがながらも本質は同じかもしれないと思わせる。俳句形式の力である。

豊原 清明

特選句 「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。「さくらかな」と平仮名で書けば、何言っても許されますが、やはり、死ねぬ、生けぬは多くの人がかかっている悩みの一つ。特選句「さくらひとひらどちらかは空っぽの手(三枝みずほ)」。「空っぽの手」が好きです。心は空っぽにしたくない。問題句「ポケットにちびた半券花の冷え」。高橋千尋さんの詩集に「ちびた鉛筆」を読んだばかりで、鉛筆を連想してしまった。半券が印象的。

榎本 祐子

特選句「さくらさくら黙読が声になる」。さくらさくらと、その昂揚は自ずと声になる。原初の祈りや歌の体験のように。

十河 宣洋

特選句「あらいやだつまらぬ庭に与太と鮫」。与太と鮫がいいね。今頃は兜太さんもお母さんに与太などと呼ばれているかも。与太と言われながら、梅林に来た鮫を眺めている。そんな風景。つまらぬ庭は作者の自宅の庭。つまらない庭と謙遜している。特選句「東風吹かばメリーポピンズふうわり」。童話の世界。傘をさしているイメージが私の頭の中に定着している。優しい家庭教師が東風に乗ってやってくる。春の訪れである。

福井 明子

特選句「花の東京百姓一揆のトラクター往く」。「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む美し都、君が咲く花の都」という歌がヒットしたのは私が若かった頃。その「花の東京」に、トラクターで乗り込み、命・食・農を守ろうというデモ行進の報道を観ました。十七音に、骨太な「今」が映しだされ、息遣いがみなぎってきます。

島田 章平

特選句「風光る手水のひかり小さな手」。鮮やかな句。少女の小さな手が画面にクローズアップされる。

津田 将也

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。中七下五におけるユニークな発想がよい。チューリップも、まるで箍を外したかのように花びらを散らせている。

松本 勇二

特選句「春の昼ゆつくり欠けるナフタリン」。いつのまにか空っぽになっている防虫剤の袋を思います。ナフタリンを使ってとてものどかに仕上げています。

柴田 清子

特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。女性の平均寿命に手が届こうとしている今、こんなにもアッケラカンと『命の〆切』なんて言はれると、人事のように思えてしまった。『おぼろの夜』が、しみじみと〆切を、考え込む雰囲気にしてくれた。特選句「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。一九五二年、黒澤明監督の『生きる』志村喬主演の映画最后のぶらんこのシーンを思い出した。夜のぶらんこの揺れが、いのちの重さと思えて、この句が好きです。特選です。

岡田 奈々

特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。楽しい皆で楽しいのが一番。つくしんぼが出ただけで嬉しい。特選句「生きている春の野芥子と寄り添いて」。痛そうな雑草の野芥子も柔らかくて食べられるとは。皆生きている。寄り添って生きている。「四肢弛む朝湯に浸りたり 鶯鳴く」。朝湯に花を見ながら、鶯鳴くを聞く。こんな極楽あろうか。最高です。「春銀河までの地図なら描いてある」。ゆるゆるとタケコプターでも付けて参りますか。道々色んな星によりながら。出来れば道連れが欲しいものです。「春泥や木箱に夢を詰めし頃」。子供の頃、泥でお団子やおにぎり作って、お菓子の箱に詰めてママゴトしたのは楽しかったな。大人の事情など何も解さず、遊び呆けていた。「一菜の夕餉の滋味や五月来る」。手を込めて作ったおかず。一つでも本当に心に躰に染み込んで来ます。そして、総ての物の芽が盛んになる五月が来ます。美味しいものが沢山。「ものの芽に紛れこんでる後ろ指」。あっ!チクッと刺さる刺の先。「万愚節職業欄にスナイパー(新野祐子)」。撃ちたいものは貴方のハート。「沈丁花夜の広さを知っている(河野志保)」。暗闇でも分かるくらいの白さと香り。何処までも漂って、闇をあぶり出す。「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。いのちは最後はおぼろの中に居るようになって、意識を無くして逝くのかな。

疋田恵美子

特選句「壺春堂ゆるっと春陽のつづまやか」。桜一色の秩父を堪能し、全身に兜太先生の気を頂いた先生の生家なつかしく思います。特選句「写メールの大和三山さくらさくら」。大和三山のある橿原市は、宮崎市との姉妹都市でもありまして桜の頃にぜひ行ってみたい場所です。

石井 はな

特選句「前線とう戦のことば花戦ぐ」。春には天気予報の時に毎日桜前線と聞きます。でも前線という言葉は戦場の最前列の事です。そよぐの漢字が戦ぐと知った時の大きな違和感を思い出しました。戦場の言葉が平和な状況に使われていくのは、平和な時か不穏な時か、どっちなんだろう。

大西 健司

特選句「この道でまたすれ違う桜かな」。繰り返し繰り返しの日々に出会う桜との交感、ほんのすれ違いであろうともそこには暖かいものが生まれる。この桜には花の頃ではなくそれぞれの季節毎に見せる表情があるのだろう。そして我もまた。

三枝みずほ

特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。産声、幼子の泣き声、それらは一瞬の沈黙の後、息を吸って大きく泣き始めます。息を吸うことにより生まれる一瞬の黙、泣くという人間の本能、根源を思い出しました。花という季語によって、あたかも産声のような、もしくはどこかへ忘れてしまった泣き声が聞こえてきました。特選句「ものの芽に紛れこんでる後ろ指(三好つや子)」。ものの芽の時季の心の不安定さを感じました。木の芽に春の訪れを思いつつ、それらが後ろ指に見えてくる不気味さ、不安。後ろ指という実態のないものと、ものの芽との取り合わせの妙。

田中 怜子

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。今年も、京都平野神社、京都御所のさまざまな桜を楽しんできました。花筏には縁がなかったけど。桜の華やぎに胸がざわつく季節も終わろうとしています。特選句「軍港となりし波止場や春嵐」。先島諸島等は着々と、思いたくはないけど、何かが構築されてきているのを感じます。春嵐、黄砂を巻き上げて、妙に突風になったり、不安や見通しの悪さを感じてしまいます。

 
男波 弘志

「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて」。山火と藁焼いて、の取り合わせはふつうは蛇足になるだが、胸の火と山の炎は全く違った表情をしている。飛鳥のころの真乙女の恋と観てもいいし、ひとつの創作に対する才華の瞬きとしてもいいだろう。秀作。

河西 志帆

特選句「春の昼ゆっくり欠けるナフタリン」。母の箪笥の隅に、痩せて袋だけになったのを片付けた日の事、、その匂いも思い出しています。「湯上がりの爪やわらかし春三日月」。爪の中に、白い三日月ができると、洋服を買ってもらえるって、皆さん、知っていましたか?「春銀河までの地図なら描いてある」。この素気なさが好きです。ありっこないのを、絶対にありそうに言うところです。「車窓に瓦礫しろき花びら降りやまず」。瓦礫という文字は切ないですね。福島で見た時も、今も、そこらじゅうに、降りやまず積まれ!「霾や行き先のなき除染土よ」。あの黒い袋はどこに隠してあったんですか。そしてその袋は私たちの知らないところで増え続けているんですよね。「子供には子供の悩み春の雲」。そうですよね。ありましたよ確かに。でも、、春の雲で救われた気がしました。「沈丁花夜の広さを知っている」。やっぱり、、夜の広さを知っているんだと言われたら、見逃す訳にもいかなくなりました。

月野ぽぽな

特選句「塩ふつて肉うるおいぬ夕桜」。「塩ふつて肉うるおいぬ」に発見があります。日常を大切に生きている息遣いが見えてきて魅力的です。夕桜がしっとりとその生活を祝福しています。

竹本  仰

特選句「凛と立つ母の欲望春日傘(銀次)」:何をしに母は行くんでしょうか。母にも母の生きがいがあって、それを痛いほど分かり始めたゆえのこの言葉でしょうか。多分、今、母となってやっと分かることなんだけれど、その凛とした生き方は、将来の自分の姿でもあろうかとも思いやっているのでは、と読みました。特選句「春泥や地図に無き道遠廻り」:梶井基次郎の「路上」という作品を連想。学校の帰り道、ふと普段歩かない近道をしようとして道なき道を選んだところ、崖のような場に出て、ぬかるみに足を取られるままスキーのように滑ってみたら、突端に。一瞬の後悔と命の危険をないまぜに飛ぶと、何のことは無い、すとんと着地する。あまりのあっけなさに、無限の寂しさを感じる。さて、帰宅して鞄を開けてみると、いつの間にか泥が紛れこんでいた。という短編。青春は常に近いつもりの回り道、そして泥しか残らないなんて。それでもいいじゃないか。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラがタラの地の泥を握りしめるシーン、あれもそんなだったなあ。人生、勉強だらけだ。特選句「さくらさくら黙読が声になる」:黙読はさくらがしているのか。それともさくらと私の両方が互いにしているの?その読みあう沈黙の果て、ふいに声だけが誰のものだか聞こえてきた。でも、誰の…?何というか、創造というものの過程を垣間見たような、そんなおごそかな感じがしました。以上です。♡先日は香川句会のみなさん、ありがとうございました。藤川さん、野﨑さん、奈々さん、銀次さん、島田さん、各務さん、…ありがとうございました。吉永小百合さんも。花冷えのなか、好天に恵まれ、とてもいい小旅行が出来ました。また、日程がうまく合えば、お伺いしたいと思います。みなさん、これからもよろしくお願いします。

植松 まめ

特選句「迷宮をうしろ姿の修司の」。寺山修司が亡くなって40年が過ぎたが今もファンは多い。迷宮と、うしろ姿の修司。とても惹かれた句だ。特選句「ポケットにちびた半券花の冷え」。久し振りに着たコートのポケットを探るとくしゃくしゃのコンサートの半券が出てきた。一緒に行ったあの人は今はどうしているだろうか?花の冷えが切ない。

大浦ともこ

特選句「春星や積み木を片すとき鈴音(和緒玲子)」。積み木を片していたら思いがけず鈴の音がした・・そんなノスタルジックなひとこまと季語の春星が響き合っていて美しと思います。特選句「さくらさくら黙読が声になる」。さくらの花びらが言葉が散るように散ってゆく様子が目の前に広がりました。

若森 京子

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。なかなか巧妙な一句。箍を外すとばらばらになるが、その字を解体する。少しロジックのすぎる句だが、それをチューリップが上手に受けている。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。つい最近、長年の友人が膵臓癌で三ヶ月の命と宣告された。非常にショックを受け、この一句に今は一番リアリティを感じる。

高木 水志

特選句「ふうせん乱舞叫喚とも狂歌とも違ふ」。良く晴れた空に向かって色とりどりの風船が飛んでいく様子を人の叫びや狂歌と比べたところが面白いと思った。風船のゆらゆらと上がっていく様子が目に浮かぶ。

伊藤  幸

特選句「しんがりはいつも道草遠足子」。そうそう、私もそうでした。あっちキョロキョロこっちキョロキョロ、気付いたらいつもしんがり。幼い頃の遠足、今でも忘れられません。春らしい楽しい句です。特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。英霊も入学児にもさくらさくら卒入学の門出のシーズン、眩しい桜ですが戦争で失った命が桜だなんてとんでもない。死んで花実が咲くものかですね。

樽谷 宗寛

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。評はさておき一読して何か深いものを感じました。

塩野 正春にも生きるわけにもさくらかな」。余生を生きるにもそれなりの理由が欲しい。 死ぬにはさらにきっかけが欲しい。桜は毎年咲いてくれ、生きる喜び、死ぬ理由を与えてくれる。人生のリズムを作ってくれる。特選句「春泥や木箱に夢を詰めしころ(松本勇二)」。新しい門出の引っ越しに、私の時代に木箱はなく、藁で編んだ柳行李に詰めた。今でもネットで買えるらしく懐かしい。様々な夢と希望がいっぱい詰まった箱が行き来する春のはじめ。この頃は段ボールが主流だ。

野口思づゑ

特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。命の締め切りですか。そう捉えた事ありませんでした。季語がその方の人生観、今を示しているようで興味深い。

遠藤 和代

特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。つくしの植生を面白くとらえていていいです。つくしってそういえば一本見つかれば、そこらあたりに必ず何本か連なって生えているな、と。よろしくお願いいたします。

野田 信章

特選句「喉と喉花の冷たさまであるく(男波弘志)」。首や首筋でなく「喉と喉」と言われて見ると多分に生理的な感応を覚える。そのことが「花の冷たさまであるく」という修辞の展開と相俟って二人の濃密な時間と心情の熱さの世界を現出させている。桜の景に即した一句の簡潔さがよい。句の若さもここに在るとおもう。

三好つや子

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。風がきらめき、水が走り、緑が芽となり葉となる春。万物がめまぐるしく変化するさまを鬣という言葉が、見事に捉えています。特選句「花守となりながら櫂となりながら」。日々花に寄り添い見守ることと、漕ぎ手にとってよき櫂というのは、どこか似ていると気づかされました。主役をしっかり支える脇役としての誇りを句にし、惹かれます。「春日遍照かろやかな翼そこここに」。生きとし生けるものに注がれる春の光。遍照の位置がよく、さわやかな仏心に深感。「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。なんだか「上を向いて歩こう」を口ずみたくなる一句ですね。春の淡い感傷がもたらす詩情に心がきゅん。

藤川 宏樹

特選句「黄蝶の黄の字の形して止まる(柾木はつ子)」。「黄」が蝶に見えるなどなかったが、対称な字の形に触角が生え、羽が生え、蝶になって止まる。やがて黄蝶がひらひら羽ばたき飛んでゆく。そういう不思議な体感をさせてもらった。

和緒 玲子

特選句「行く春は仔羊放たるるごとし」。春の初めに生まれた仔羊を、柵外に出して自由に遊ばせるのだろう。仔羊の可愛らしい表情とちゃめっけのある動きは春そのものだと思います。仔羊の柔らかさと「放たるるごとし」と固い語感で終わらせているアンバランスさ。行く春を惜しむ気持ちとその後に続く夏への覚悟(命を育てていく事)の様に読めます。以上です。よろしくお願いします。

花舎  薫

特選句「春の昼ゆつくり欠けるナフタリン」。ナフタリンという言葉を久しぶりに聞いた。衣服用の防虫剤として使われなくなっているが、昔は箪笥や収納箱を開けるとナフタリンの匂いがしたものだ。春は時間の流れが遅い。暖かい陽気にナフタリンが暗闇でゆっくりと静かに溶けている(だろう)イメージが浮かぶ。「欠ける」としたのも意図してのことだろう。丸い錠剤が白い月が欠けるように縁から減っていく。気付かぬうちに。懐かしい名称も追想感を与えており、ほのぼのとしていてどこか愁いのある句である。

吉田 和恵

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。春の野で鬣をなびかせて存分に走り回った、その後に出てくることばとは。壮快な気分にさせてくれます。

河野 志保

特選句「野遊びやことばになるまでは鬣」。野遊びで生まれた感覚や野性のようなものを感じた。作者はそれを鬣のように誇らしく掲げている。まるでことばにすることを拒むように。

各務 麗至

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。死ぬのにも生きるのにもわけ(理由)があって・・・、といって生きている限り無碍に死ぬわけにもいかず、死んでなるか、が、桜ふぶきや満開の桜に感応したのかも知れない。特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。泣いても「花」のおさない姿が彷彿とする。「くちびるにうた夜のぶらんこ揺れて」。特選句か問題句か、昭和世代の私は一人郷愁哀愁にひたることになる。

新野 祐子

特選句「足入れて抜けず俳句は春泥」。大いに共感しました。たしかに春泥。泥沼では決してありませんからね。♡肌寒い日々でしたが、ようやく桜が見頃になってきました。3月30日、百姓一揆に参加した時、東京は満開でしたから、役三週間遅れの山形です。身も心も軽くなった感じです。俳句を教えてくれた芳賀さん(「海程」に入っていました)が『カフカ俳句』をおもしろく読んでいるとのこと。九堂夜想さんとの対談もあるのですね。私も購入してみようと思っています。

漆原 義典

特選句「花筏母の忌日が巡りくる」。母を偲ぶ心が、桜の花びらが流れる花筏に表現され素晴らしい句です。ありがとうございます。私は母の句が好きです。

荒井まり子

特選句「チューリップ箍という文字解体す」。「さいたさいたチューリップ」の歌が思わず頭をよぎる。幼い頃と箍を解体の取り合せが時空を隔てかろうじて繋がっている。思いが深い。

綾田 節子

特選句「尾骶骨疼く朧夜鍋磨く」。疼くと磨く、そして磨くのは鍋、そして朧夜。取り合わせの妙と言うのでしょうか諧謔もあり最高。特選句「花守りとなりながら櫂となりながら」。櫂をどのようにとれば宜しいのでしょうか、花守と櫂の取り合わせが、何とも美しい余韻を残し、一生忘れられない一句になりそうです。

菅原 春み

特選句「菜の花や風を歩いて来てをりぬ」。なにげない春の風景が爽やかです。菜の花と風を歩くの取り合わせも気持ちがいいです。特選句「囀や小高き墓に眠る君」。囀が亡くなってしまった大切な君を守ってくれるようです。最近たてつづけに大切な君をふたり亡したため、共感することしきりです。

桂  凜火

特選句「花守となりながら櫂となりながら」。花守になり、櫂になりどこに行くのだろうか。はかなきものではあるが生きていく決意のようなものがある。美しいが、切ない感じがした。

河田 清峰

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。桜さえ傍にあればなにもかも忘れられる。

松岡 早苗

特選句「養花天遺品にまじる刺繍糸」。お母様の遺品でしょうか。「刺繍糸」から生前の生活ぶりがうかがえます。刺繍糸の光沢が花の美しさと響き合い、そこに亡き人を偲ぶ思いが加わることで、「養花天」の半晴半陰の風情がくっきりと表現されていると思いました。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。命の「〆切」という捉え方が斬新で印象に残りました。命の終焉と朧夜との取り合わせに、はかない美しさを感じました。西行法師の「ねがはくは花のしたにて春死なむ…」の歌も思い起こされました。

末澤  等

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。日本人といえば「桜」。歌にもありますように、桜の花から元気・活力をもらい、また桜の花になぞらえて人生を語ることがいかに多いことか。「桜」は日本人のふるさとであることを端的に上手く表現していましたので、いただきました。

柾木はつ子

特選句「マニュキュア剥げ銃持つ女性ウクライナ」。先だってNHKでウクライナの女性兵士のルポ番組がありましたが、それを見ていて意外だったのは、戦場という極限の状況で女性兵士達が髪をピンクに染め、マニュキュアをし、平常と変わらぬオシャレをしていたことでした。普通に考えたら、そのような状況で女らしくオシャレをする余裕などとても考えられませんが、そういう状況だからこそ、たとえ一時でも今の現実を忘れていられる。そうすることで辛うじて心の平衡を保っていられるのではないだろうか?何れにしろ、大変衝撃的な報道でした。特選句「いのちにも〆切あつておぼろの夜」。誰も自分の命の〆切がいつなのか分からない。まだ少し間があると思っていてもそれは突然やってくるかもしれない。いつ割れてしまうかもしれない薄氷の上を歩いていくような危うさを常に抱えながら生きている。それでも大概の人々は日々楽天的に生きている。

稲   暁

特選句「迷宮をうしろ姿の修司の忌」。俳人として出発した寺山修司だが、その後の活動はまさに後ろ姿のみを見せつつ、迷宮をさまよったと言えるだろう。

時田 幻椏

我が俳句の勉強のために、次の3句の自句自解を恐縮ですが御願い致します。句意を正しく理解し、参考にしたいと存じます。「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて」「花守となりながら櫂となりながら」「ついに二本の木である風は光ろうと」。よろしくお願いいたします。       

「山火立つ胸の見知らぬ縄焼いて(桂凜火)」。自分の胸のうちにある熾火のようなものに自分でも知らぬ間に火がついて 気付いた時には山火の業火のようになっていたというようなことです。感覚で作るので自分の句を説明するのは難しいですね。最近の山火事にヒントを得ました。「花守となりながら櫂となりながら(男波弘志)」。いつもいつもお世話になっております。有難いご質問にお答えいたします。花守の一行詩で表現したいことは暗喩のことです。他の作品も同じ意識で創っております。この暗喩の世界をいち早く成就させているのは絵画でしょう。そこでは具象から抽象の世界へと拡がっています。何故それがこれほどひとを惹きつけるのか、おそらくそれは無意識相へこころが渉入しているからだと思います。櫂の如き花守、でもなければ、花守の如き櫂、でもない世界つまり、櫂と花守が混沌としていてどちらがどちらなのかの分別がつかない状態です。印象派が光を発見したときのそれを観たひと達の混乱、いったいこの光は何処にあるのか?対象にあるのか、作者の中にあるのか?空の向こう側にあるのか?またこの光は昼なのか?朝なのか?夕方なのか?時間軸さえも光によってわからなくなっています。実はこの混乱は決して混乱ではなく、「混沌」なのです。人間の狭小な分別心があらゆるものを引き裂いていますが、それを元の混沌に還してあげるのがあらるゆ表現者のなすべきことだと痛感しております。だからこの花守は花守であって花守ではないのです。櫂のようにたゆたいながら花守のように濡れながら、個としての存在すらそこにはないのだと思います。「ついに二本の木である風は光ろうと(竹本 仰)」。時田様、ご質問、ありがとうございます。訳の分からない句に、また訳の分からないコメントをしますが、よろしくお願いします。・大袈裟に言えば、二本の木は、人間存在のかたちを思っていたのかなと思います。たまたま五月にハイキングした友のことを思い出し、その友はもう亡くなったのですが、思えば思うほど、我々は二本の木だったんじゃないかなと。相手がいなくなっても、相変わらず二本の木、生と死を分かっても、いやむしろ生と死を分かったからこそ、対等に二本の木として変わらず存在しているのだという気がして仕方ないというか。もう戻れない時間ではありますが、いつまでもこういう形で互いに存在し続けているのかという心でしょうか。『詩経』の中では、木は神が降りてくる場所だと信じられていたと言います。別にそれを知っていて作った訳ではありませんが、なるほど人間の意識下にはそのように醸成されたイメージが棲みついてるのだろうかと、ふと思いました。ご清聴ありがとうございます。

滝澤 泰斗

特選句「菜の花や風を歩いて来てをりぬ」。ゴールデンウィーク前後の北信濃の菜の花群を思い出した。実に美しく地球を賛美している。中七の表現がうれしい。特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。古今東西の文人墨客を狂わして来たさくらの深淵な存在感を上手く表現した。共鳴句「ゆっくりと歩けばゆっくり花の冷え」「花守となりながら櫂となりながら」。二句とも言葉のリフレインが効いて、心地よい

山本 弥生

特選句「風光る描く余生の自由画帳」。現在、米寿を過ぎた者は、色々と余生には、あれもしたい、これもしたいと想像を巡らし描いてみても現実は厳しい。すっかり身体がついていけない。画帳に描いて楽しむだけになっている。余生とは、こんなものですよ。

岡田ミツヒロ

特選句「足入れて抜けず俳句は春泥」。ずばり「俳句は春泥」の切り口が爽快。わが身に照らし実感が籠る。特選句「裏返す心を背負う花の冷え」。良好な関係が一事を機に暗転する。裏返る心理を「花の冷え」が作者の人間性をも包摂し、しっかと受け止め、揺るぎない。

松本美智子

特選句「スカーフに壺春堂の香 帰京する(森本由美子)」。先日、兜太先生をしのぶ会の際の句ですね。「壺春堂」で先生の息吹を感じられたのでしょうね。私も先日、子規堂を訪れたときに,そこに子規が座っているように感じられました。機会があれば秩父にも訪れてみたいと感じられる句でした。

田中アパート

特選句「絶筆九句詠み尽くせない枯野かな」。不条理俳句の傑作である。

向井 桐華

特選句「白木蓮なぜ戦争は終わらぬか(福井明子)」。白木蓮を選んだ事でこの句は生き生きした。

藤田 乙女

特選句「養花天遺品にまじる刺繡糸」。生前刺繍糸を使って素敵な作品を作り上げたであろう故人の方の人となりと作品が満開の桜の美しさと相まって目に浮かぶようでした。特選句「凛と立つ母の欲望春日傘」。思わず『あんぱん』の松嶋菜々子さんの姿を想像してしまいました。

佳   凛

特選句「風光る描く余生の自由画帳」。余生とは残された人生と言われている。作者は、そうではない一度白紙に戻り、束縛されない人生を送る予定。それは、絵画かも知れない、又言葉を紡いでも良い、きっと楽しい自由画帳になるでしょう。頑張って下さい。

山下 一夫

問題句「凛と立つ母の欲望春日傘」。立っているのは母なのかその欲望なのか判然としませんが、それが春日傘のものと見たいような見たくないような秘密の雰囲気に合致しているとも言えそうです。特選句「つくしんぼ一人笑えばみな笑う」。開き気味のつくしの穂先を見つめていると笑った顔のよう。そう気づくと群生もみな笑っており、いつしかメルヘンの住人となっているのでした。特選句「泣くまでは大きく息を吸って花」。大きく息を吸って咲き、泣くがごとく散るのですね。いずれも動作の暗喩ですが、その範疇での飛躍も決まっていて秀逸です。

増田 暁子

特選句「絶筆九句詠み尽くせない枯野かな」。先生の絶句は想いいろいろ心に染み入ります。

亀山祐美子

特選句「歳時記の春のページに開き癖」。開き癖がつくほど「春のページ」を繰る。待春。冬の厳しさ長さが偲ばれる。思いが行動になる。行動が結果に繋がる。披瀝された事実に裏打ちされる思いに深く共感する。

薫   香

特選句「死ぬわけにも生きるわけにもさくらかな」。なんだかとても重い句なのですが、気になる句でした。特選句「ついに二本の木である風は光ろうと」。これもよく解らないのですが、気になる句でした。

川本 一葉

特選句「歳時記の春のページに開き癖」。歳時記が春を選んだような、開き癖というのもとってもよくわかる。こういう句は読んだことなく全部読み終わってなんとなくまたこの句に帰ってきてしまう。そんな不思議な魅力を感じました。

え い こ

特選句「逝く人に寄せ書しゃぼん玉とんだ」。亡くなった方の魂はわたしも、ときどき感じますし、いると信じているので、共感をもちました。

野﨑 憲子

特選句「白蛇(はくじゃ)に触れ白蛇になりきる春宵(伊藤幸)」。弁財天の化身でもあるという白蛇に触れ、白蛇になりきるという作者。乙巳(きのとみ)の今年、瑞祥の句としていただいた。春宵の季語に艶あり。「勿忘草を束ね肥後守ふところに(荒井まり子)」。小刀の肥後守の出て来る物騒な作品ながら、<勿忘草を束ね>があまりにも切ない。今回も、佳句満載で、大きな元気を頂きました。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

雲雀
ひばりよひばり見えるか遠い戦争
銀   次
聞こえきて口の渇きや揚雲雀
和緒 玲子
揚雲雀鳴き止み落つるショーなりき
三好三香穂
ひきこもる窓ほんのすこしの雲雀かな
竹本  仰
青春て密でありんす揚雲雀
藤川 宏樹
ひばり追いかけ辿り着く春の背中
薫   香
あんぱん
餡パンの歯形は妻か春の風
竹本  仰
惜春や餡に届かぬ一口目
藤川 宏樹
アンパンを二つ並べて山笑う
岡田 奈々
何が嬉しくて春日に皆あんぱん
和緒 玲子
施設の母の「あんぱんこうて来て」
薫   香
春風に吹かれあんぱん飛んでった
銀   次
あんぱんや土佐のはちきん心意気
末澤  等
カラーコン人差し指に風光る
藤川 宏樹
煌めきは光にあらず春の闇
各務 麗至
行く春の光一縷をカンバスに
和緒 玲子
闇いつも光の向かふ夕雲雀
和緒 玲子
光る一滴春田を猪駆け抜けた
竹本  仰
おならとも雄叫びとも夕光ゲのさくらさくら
野﨑 憲子
八重桜透かして見てる光と影
末澤  等
春一番光となって壊れけり
各務 麗至
湿っぽい
湿っぽい=裏山に埋められた人体模型
銀   次
さくらちる湿っぽい夜の月嚇(かっ)と
竹本  仰
木道に水芭蕉咲く湿地帯
三好三香穂
湿っぽい貴女の目元黄水仙
末澤  等
春落日水平線からアンパンマン
野﨑 憲子
雛じまい丁寧に包む平穏を
岡田 奈々
花見とう国中宴会する平和
岡田 奈々
鳥雲に古墳平らにして緑
和緒 玲子
ほど良く忘れ道は平らにさくら
薫   香
手の平や軋み燃え立つ花のジャズ
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

今回は、淡路島より竹本 仰さんが高松の句会にご参加くださり、いつにも増して楽しく熱い句会になりました。冒頭の写真は山口県の山下一夫さん撮影の「一の坂川(後河原)の櫻」です。竹本さん、山下さんありがとうございました。

【通信欄】今回の<今月の誤読>は、作者の銀次さんが入院中でお休みです。手術も成功し、近々退院されるそうなので、ご安心ください。

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