2021年12月29日 (水)

第123回「海程香川」句会(2021.12.18)

楠1.JPG

事前投句参加者の一句

入眠へ山々が着る雲また雲 十河 宣洋
冬茜隣に闇を連れてをり 佐藤 仁美
臘月や気力は青いけむりのよう 若森 京子
おれは天動説でゆく紅葉山 増田 天志
波音のくすぐったいぞ桜芽木 亀山祐美子
三越の袋が歩く十二月 柴田 清子
胸突くかに海のかたまり冬怒涛 田中 怜子
芙蓉咲く踏絵見て海見る人に 野田 信章
「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野 祐子
鰤大根風の音から食べる 重松 敬子
鹿啼いて空を見ながら落ちるよう 河野 志保
冬晴れやいつもの笑顔母忌日 野口思づゑ
雨音に温もりありて枇杷の花 稲   暁
疲れ吐く吐くたび眠る冬の蛇 川崎千鶴子
空白の一日とせん冬うらら 銀   次
白息のごめんね白息の無言 月野ぽぽな
花柄のマスクを買って年惜しむ 藤田 乙女
喪乱帖(そうらんじょう)の羲之(ぎし)も唸るよ虎落笛 漆原 義典
蒼鷹(もろがへり)腹筋割りを見せたがる すずき穂波
はんなりと見返る阿弥陀冬ぬくし 山下 一夫
心電図波形ゆるやか冬に入る 寺町志津子
ゴーガンの果実のごとく濁りゐる 兵頭 薔薇
靴買ってそれだけで足る冬の海 久保 智恵
どぶろくやどの茶碗と遊ぼうか 樽谷 宗寛
濡れ落ち葉ひとつ拾いし赤襖 中村 セミ
牡蠣を焼く椅子を増やして僕ら会う 津田 将也
産土の小川は暗渠冬眠す 山本 弥生
じんじんと身体のむず痒い開戦日 増田 暁子
冬あたたか書き込み嬉し謡本 野澤 隆夫
型という自由の淵に冬籠 鈴木 幸江
あの凩までが青春ハーモニカ 松本 勇二
水烟るひとりは死者の貌をして 小西 瞬夏
雑巾にしたきあれこれ冬青空 松岡 早苗
耳遠くなりし君抱く冬銀河 滝澤 泰斗
掃くべきか掃かざるべきかぬれ落葉 田中アパート
月冴ゆるぞっとするほど痛きまち 豊原 清明
十五歳柿の実色の恋だった 植松 まめ
死をひとつ灯して冬を迎えけり 榎本 祐子
帽子落つ風に枯葉の加わりぬ 河田 清峰
阿部完市(あべかん)語録よさざんかの実が熟れて 矢野千代子
真珠湾生きて百三歳の記事 福井 明子
メリークリスマスお地蔵さんに五円玉 伊藤  幸
恨み忘れて星になりたい冬林檎 高木 水志
日溜まりにいて日溜まりを吸うさかな 男波 弘志
クリスマスビニール傘に滲む街 菅原 春み
冬の山ひと足ごとに耳が澄む 夏谷 胡桃
カブールの心火にあらず冬の星 桂  凜火
ママは神さまよりえらいんだぞ青りんご 竹本  仰
ハイタツチの小さき手紅し園の冬 三好三香穂
家族という淡い繭玉冬の雷 佐孝 石画
雪原を泳ぎ来たりし君の胸倉 飯土井志乃
レノン忌のテーブルにある塩こしょう 谷  孝江
石像を打つ雨わたし濃くなりぬ 三枝みずほ
誇りたかき母に寄り添う実むらさき 荒井まり子
嬰児のしゃっくりコクリ窓に雪 松本美智子
冬虫夏草(とうちゅうかそう) 老人って謎だらけ 伏   兎
古希からの恋のレツスン花梨の実 島田 章平
牛すじのおでんぐつぐつ夫の愚痴 藤川 宏樹
恋夕焼冬物語をご一緒に 中野 佑海
新松子青年きっと眉をあぐ 佐藤 稚鬼
一台のバスがくぐれり冬の虹 稲葉 千尋
見覚えの猫ポツリ居て神の留守 吉田亜紀子
ポックリは小春のこんな日がいいわ 吉田 和恵
一滴の香水扉の奥は冬 大西 健司
海鼠腸の詩を吸うそして吸う詩人 <田口浩改め>淡路 放生
冬銀河みんなおいらの切れつぱし                          野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句『「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな』。アフガニスタンで亡くなられた中村哲さんの言葉。中村さんの遺志を伝える為にペシャワール会が発行している今年のカレンダーの12月にこの言葉が載っているそうです。「一隅を照らす」中村さんの遺志が温かく伝わってきます。特選句「冬銀河みんなおいらの切れつぱし」。いや、豪快。それじゃ、おいらは地球の糸くずかい。

松本 勇二

特選句「他界とは君の肩先雪もよひ(野﨑憲子)」。兜太先生のよく言われた「他界」を肩先に見つけリアルな句になった。雪への期待と不安が綯い交ぜなった季語「雪催」も効果的だった。

福井 明子

特選句「冬の山ひと足ごとに耳が澄む」。冬山に分け入るごとに、身がほどかれてゆく体感が伝わります。特選句「私とは違う言語で銀杏散る(河野志保)」。銀杏の散り敷くさまを、メッセージとした感覚に親しさがこもります。

月野ぽぽな

特選句「雑巾にしたきあれこれ冬青空」。本来の寿命が尽きたとしても雑巾としての再生が待っていますね。タオルかな服かな。前向きに見回しているところが楽しいです。心は冬青空のようにが迷いありません。

増田 天志

特選句「冬銀河みんなおいらの切れつぱし」。まさに、ビッグバンによる、宇宙創生。おいらって、誰なのと、ツッコミを入れたくなる。口語が、効果的。

稲葉 千尋

特選句「蒼鷹(もろがへり)腹筋割りを見せたがる」。本当でないことをまさに本当に思わす力ある句。「蒼鷹」のなせる技、うまい!

すずき穂波

特選句「冬虫夏草老人って謎だらけ」。そうなんです、わからないんです、わかって言っているのか、わからずに言っているのか、どこに向かっているのか、なんでそこにいるのか、いないのか、そこに何かあるのか、何もないからいるのか…なんなんですかね……… 。己も謎だらけ、だから存えるんですかねぇ…。特選句「おれは天動説でゆく紅葉山」。この物言い‼ドンと居座る紅葉山も見えてきて、とりあえず平和ですね。

若森 京子

特選句「阿部完市(あべかん)語録よさざんかの実が熟れて」。久し振りに懐かしい阿部完市先生の名を見て親しく句会その他で交流があったので、あの不可思議な作家像を思い出しています。あの豊潤な語録はさざんかの花より‶実が熟れて〟の方が効いていると思います。特選句「冬虫夏草(とうちゅうかそう)老人って謎だらけ」。漢方薬の冬虫夏草自体謎だらけ。昆虫の幼虫などに寄生して出来る子嚢菌らしい、とても個性的な一句で臈たけた風体を持っている。

津田 将也

特選句「白息のごめんね白息の無言」。白息(しらいき)と読む。冬は空気が冷たいので、吐く息が白くなる。その時の気温や天候により、はっきりと見えたり、そうでないときがある。俳句の情景はいろいろと想像できるが、一つの例として、私には「子供の喧嘩のあと」の情景が見える。「白息」のリフレイン、「ごめんね」「無言」の簡潔な言葉選びにより、類句のない表現をして佳句になった。特選句「はんなりと見返る阿弥陀冬ぬくし」。「見返り阿弥陀さま」は京都・東山/永観堂/に在られる。一躯像高が七十七センチの木造立像。慶派などとは異なる鎌倉時代の京仏師による作であるという。真正面からおびただしい人々の願いを濃く受けとめても、なお正面に回れない人々のことを案じて、見返らずにはいられない阿弥陀さまのみ心をあらわす像だという。「はんなりと」に対し「冬ぬくし」が生きた佳句になっている。 

十河 宣洋

特選句「久女の忌からだにふっと火打石(伏兎)」。情熱すべてを俳句にかけたと言っていい久女である。久女を思うとき体中に久女の情熱が伝わってきた。火打石のように私も俳句を続けたいという気分が出てきた。特選句「どぶろくやどの茶碗と遊ぼうか」。祖父が秘かにどぶろくを作っていたことがある。そのことを思い出した。どの茶碗と遊ぼうかに、酒だけでなく人生を楽しく謳歌していることが推測される。問題句というほどでもないが「真ふたつに牛裂かれゆく寒月光(増田天志)」。牛の群が二つになるのか、屠殺場での場面か。そのどちらということもできるが。

夏谷 胡桃

特選句「誇りたかき母に寄り添う実むらさき」。甘えられない強い母います。長女とぶつかり、長男は遠慮してもの言えない。「もう時代が違うのよお母様」。次女だけが寄り添ってくれますが、ありがたさがわかっていない。さびしさの中の実むらさきの色が母です。特選「牡蠣を焼く椅子を増やして僕ら会う」。毎年行こうと思って行けない場所が、三陸の山田町の牡蠣小屋。牡蠣が食べ放題。牡蠣小屋に女性がひとり入ってきました。椅子が足りねえとおじさんがどこからか、ガタガタと椅子をもってきます。その女性はがんがん牡蠣を食べビールを飲んでいる。僕はすっかり見とれてしまった。恋に落ちました。

淡路 放生

特選句「手袋に獣性隠しいたりけり(新野祐子)」。―「手袋に獣性隠し」で作者の意図は充分に見えてこよう。しかし、書き移して見ると読むだけでは見えてこなかった「いたりけり」からサッーとひろがり立ち上がる物語性を感じられた。つまり、手袋をさしている人物が紳士にしろ淑女であれ、外国の肉食マナーにつつまれている陰湿が表に出て来るようなストーリが去来する。「いたりけり」にはそう言うものも含んでいよう。「雪ばんば個人情報流出す」。―綿虫、大綿、雪蛍、雪婆、と置いて見ると、歳時記に、アブラムシ科のうち綿油虫類の総称。白い綿のような分泌物をつけて飛ぶ。初冬の、どんより曇った日など都会でも見かける。とあるが、「個人情報流出す」は、いかにも、、いかにもであろう。「雪ばんば」に人格を持たすような相対が、句に軽妙な味を持たせて面白い。「つぶやきをAIききとってうさぎ」。―私の生活でエ・アイが出てくるのは、テレビの将棋観戦のときぐらいで、棋士が一手差すたびに勝負のパーセンテージが画面にあらわれるのを観るときぐらいだが「つぶやき」を終盤の棋士の表情と捉えて見ると「うさぎ」がやたらに利いてピッタリである、いい句だと思う。蛇足ながら「ピッタリ」は棋士の解説者が、将棋の終盤によく使うことばである。「あの凩までが青春ハーモニカ」。―たいていの青春は夏で終わるのが多いのだが、「凩までが青春」は意表をつかれた。句としては「あの」がこれもピッタリである。「ハーモニカ」は青春そのものであろう。どこかに昭和を感じられる。「白版(はくばん)より黒板が好きな冬日」。―句に「冬日」の味がよく出ている。「黒板」も、「冬日」も寄り添っていて、日向ぼっこのような感じがいい。

鈴木 幸江

特選句評「レノン忌のテーブルにある塩こしょう」。ジョン・レノンの存在の妖怪性は、一茶とは違うのだが・・・私にはとても気になる人物だ。クリスマスになれば「ハーピークリスマス(戦争は終わった)」そして「イマジン」を思い出す。1980年12月18日、41歳で熱狂的なファンにより暗殺されたと伝えられたが、私には真相は未だ闇の中だ。歴史的人物とは象徴となる人のことではないだろうか。そんなジョン・レノンと日本の日常風景となった“テーブルにある塩こしょう”の持つ西洋スタイルの象徴性の組み合わせに今を捉えている感性を感じる。

松岡 早苗

特選句「波音のくすぐったいぞ桜芽木」。「くすぐったいぞ」に魅かれました。呟きとも呼びかけとも取れる気安げな口調に、少しわくわくするような気分も感じました。波の音や潮の匂いを運んでくる早春の風、そして桜の芽吹き。この句のように五感を全開にして春の兆しを感じてみたいと思いました。特選句「真ふたつに牛裂かれゆく寒月光(増田天志)」。牛舎に繋がれた牛の真っ黒な巨体。月光が牛舎に差し込むと、牛の盛り上がった背を境としてくっきりと画される光と影。「真ふたつに」「裂かれ」という強い言葉によって寒月光のすさまじさが一層際立つようです。

榎本 祐子

特選句「久女忌のからだにふっと火打石」。打ち合わせて発火させる火打石を体に感じるとは、理性では片付ける事のできない何かなのだろう。激しいものを内に抱えていそうな久女とも響きあっている。

滝澤 泰斗

特選句「家族という淡い繭玉冬の雷」。家族の形容、淡い繭玉・・・確かにその通りだという認識が基本になっていながら、冬の雷が暗示する家族の負の危うさが描けた。「やはらかく冬日のごとくフォーレ弾く(福井明子)」。フォーレ、レクイエムを奏でるにはそれなりの季節感が必要で、それがちょうど今時分のやわらかい冬日がいいと・・・私もそう思う。「鰤大根風の音から食べる」。字足らずが故かぶっきらぼうな感じと季節感たっぷりの鰤大根が響き合う中、辺りの風の音を添えた点に共感しました。「心電図波形ゆるやか冬に入る」。健康診断で心電図を眺めているのではなく、闘病の病院で見慣れた心電図の波形がゆるやかな波形を描いている。快方に向かいつつももう冬に入った。自分の事だろうと思うが、日常を上手に切り取った。「どぶろくやどの茶碗と遊ぼうか」。作者は陶芸家か、はたまた、趣味で陶芸をされているか・・・有名、無名はともかく沢山の茶碗に囲まれている景が見える。その茶碗にどぶろくを注ぐはともかく、茶碗を愛でながらの酒は一入。兜太師は酒を止めたが、どぶろくなくして何の趣味だと言わんばかりで面白し。「掃くべきか掃かざるべきかぬれ落葉」。諧謔の一句。面白し。ながーい目で見てやって・・・使い用もそのうち出てくるから。

田中 怜子

特選句「嬰児のしゃっくりコクリ窓に雪」。窓の外は雪だけど、室内の暖かさが感じられます。ガラス戸の水滴なんかも見えてきます。母親に、見守られ、しゃっくりしている情景が優しいですね。殺伐とした昨今の親子関係は悲しいですね。

竹本  仰

特選句「白息のごめんね白息の無言」。無言劇の舞台であるかのように感じた。遠くから見ていると、片方がごめんねと何か謝っているようだが、もう一人は答えない。何らかの齟齬があるようだ、何だろうか。という経過であろうか。この場合、気になるのは無言の方である。わだかまりがある。しかし、それは見えないながら、白い息でぐっと重く表現されている。ドラマである。この無言のためのドラマである。ほとんど舞台道具は要らないながら、的確にドラマが出来上がっている。特選句「型という自由の淵に冬籠」。型がなければ自由も成り立たない。その辺は殊更俳句にこだわらなくても、よく世間に見られることである。そして、この自由というのはなかなか油断のならないものだ。そういう深淵に冬籠。この冬籠も、自由の一つの 形であろう。この自由は何をしうるか。という自身への問いかけではなかろうか。特選句「回れ右を父は許さず寒月光(松本勇二)」。父の生き方、最後まで初志を貫いてこそ、というのだろうか。頑として動かない。無器用でかたくな。そんな生き方が自分の中にも感じられる。若い頃はそこにしばしばため息さえついたものだったが、今となっては感謝している。純粋で直情、この生き方もいいではないか、そういう飾らない謙虚な生き方への肯定が感じられた。

今年最後の句会となりました。この一年、なかなか困難な、自省の日々ではなかったかと思います。みなさま、何かを求める熱い心のそのままに、来年もまたよろしくお願いいたします。

増田 暁子

特選句『「照一隅」クリスマスの灯にとなるかな』。中村哲さんの言葉。彼の生き方を表す言葉ですね。12月4日になるとアフガンを思います。特選句「死をひとつ灯して冬を迎えけり」。胸に迫るものがあります。「臘月や気力は青いけむりのよう」。中7の表現に感激です。「久女の忌のからだにふっと火打石」。火打石の様な気性と言われていますが、本当は違う様で、俳句への想いには感服します。「一私信黄落は頻りです」。頻りに落ちる銀杏は私個人の心情です。と作者。上手い吐露俳句で拍手ですね。「小瓶には媚薬蝕む冬の月」。心の景でしょうが、媚薬がそそられます。「産土の小川は暗渠冬眠す」。私の故郷も全く同じで、あの小川の魚たちは何処へと思います。「雑巾にしたきあれこれ冬青空」。大掃除を思うと、いろいろ思い浮かべます。「回れ右を父は許さず寒月光」。今の若い父親は優しいですが、昔の父はなかなか手強い人がほとんどでしたね。

大西 健司

特選句「家族という淡い繭玉冬の雷」。正月飾りの繭玉 家族という繭玉は淡く幸せに揺れている。コロナ禍の昨今家族のありようも変わってきているがこのように絆を美しく詠んで秀逸。

新野 祐子

特選句「おれは天動説でゆく紅葉山」。紅葉山、目を上げれば青空が広がっています。高揚感がありますね。そこに「おれは天動説」という大胆な宣言、すごくいいです!気持ちも晴れ晴れ。「雑巾にしたきあれこれ冬青空」。雑巾は俳句の題材にはあまりならないかもいれないけれど、この句は何げなくて好感が持てました。突き抜けるようなきれいな冬青空が効いているからですね。「冬の山ひと足ごとに耳が澄む」。山好きの私にとっても実感です。

飯土井志乃

特選句「臘月や気力は青いけむりのよう」。上五中七下五 の言葉が寄木細工のように一句を成して引きつけられた句です一本の蝋燭の炎の描写で新年の気力充満とお見受けしました。

柴田 清子

特選句「白息のごめんね白息の無言」。白息でなければならない無言劇が、こめんねで始まり、ごめんねで終わるであろう。深い思いの詰まった内容の余韻を楽しんでいます。

中野 佑海

特選句「雑巾にしたきあれこれ冬青空」。年末、この一年の失敗あり、後悔あり、羞恥ありと、私も数々あります。そして、結句冬青空の反省のなさが凄く良いです。特選句「冬虫夏草老人って謎だらけ」そうです。先程も休みながら、倒れそうになりながら、でも、前向きに足引きずって歩いている方に会いました。どうして歩けない躰で何を目指して?不思議です。でも、いずれは私もお仲間に…。「冬茜隣に闇を連れてをり」。なる程、冬は空が赤くなると、すぐ夕暮れです。人間も黄昏れると、すぐ頭が闇に。「おれは天動説でゆく紅葉山」。何時まで続くか分からないこの威勢の良さ。最高です。横紙破り最高。「久女の忌からだにふっと火打石」。久女のあの俳句に対する真摯さ。その火ちょっと欲しいような、怖いような。「一私信黄落はいま頻りです」。誰かに秘かに告げたい何か。遠い昔の味がする。「青棗ひろわれていた今朝の吐露(若森京子)」。まだ熟していない願望。でも、それが天に通じたのか。言ったもん勝ち。「私とは違う言語で銀杏散る」。だいたい銀杏はあの実の匂いで、意思を発露させているのではないのか?「白板より黒板が好きな冬日」。白板だと冬日のあの暖かさが跳ね返されてしまいます。黒板はじんわり受け止めて、一緒に騒いでくれるから、黒板愛です。「牛すじのおでんぐつぐつ夫の愚痴」。こんなに美味しいおでん作ってくれるなら、愚痴でも何でも聞いちゃう。有難う。ご馳走様。あっ、何だったっけ? 今月も面白さ抜群。

河野 志保

特選句「日溜まりにいて日溜まりを吸うさかな」。「日溜まり」の繰り返しが印象的。浅い川の晩秋の景色を思った。緩やかで少し気だるい光の中、パクパク口を動かす「さかな」が愛らしい。人にもこんな時間があると思う。

谷  孝江

特選句『「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな』。「照一隅」は仏法の中の言葉として教わりました。かつて京都の寺院めぐりの旅をした折り、或る寺院での玄関先で「照一隅」の屏風を見かけました。仏法であれ、キリスト教であれ、貧しきもの、迷えるもの、苦しむものたちの味方なのです。気付かずにいますけれど、常に一隅を照らす中に居るのですね。北陸の地で育った身には「クリスマスの灯」もご浄土の灯も変りありません。隣り合うていてありがたいです。

伏   兎

特選句「阿部完一語録よさざんかの実熟れて」。 「ローソクをもってみんなはなれてゆきむほん」をはじめ阿部完市氏の句は謎めいていて心に刺さるものが多い。そんな氏の発する言葉はきっと、たくさんの人に影響を与えたことだろう。特選句「家族という淡い繭玉冬の雷」。正月を彩る縁起物のひとつ繭玉に、家族の平穏を祈る気持ちが、詩情豊かに込められ惹かれた。「白息のごめんね白息の無言」。冬の朝の駅での高校たちの一コマを思わせる。白息に絞ったところが新鮮。「雪蛍ぽあぽあぼあと生まれけり」。 綿虫の無垢な存在を見事に捉えたオノマトペに、胸がきゅんとした。「新井さん小春日和の風になり」。千の風の訳詞と作曲で知られる新井満氏のご冥福を祈ります。

男波 弘志

特選句「漸うに鹿の日暮れとなりにけり(淡路放生)」。何故鹿なのだろうか、何故日暮れなのだろうか、ふと 「たとへなきへだたりに鹿夏に入る」 岡井省二の絶唱が過る、たとへなき日暮れ だろうか。秀作「ゴーガンの果実のごとく濁りゐる」。濁りこそ創作の核だとも言えます。ゴーガンとゴッホが手を握りあって確かめ合っていたのも濁りだろう。

三好三香穂

「三越の袋が歩く十二月」。お歳暮というとデパート。高松では三越。しかし昨今は若い人はデパート離れ、中高年は三越にこだわる。「鰤大根風の音から食べる」。湯気の立つ炊きだちの鰤大根。そこに外の風の音。音から食べるというとらえ方が面白い。「濡れ落ち葉ひとつ拾いし赤襖」。赤い襖にはもともと落葉の絵が描かれていたのだと思う。それを拾ってきたかのように表現し、ひょっとして自らも濡れ落葉といわれる高齢の夫では?「耳遠くなりし君抱く冬銀河」。夫婦愛の美しさ。欠けていくものはお互い様でいたわりあうことこそ人としての道。「家族という淡い繭玉冬の雷」。家族を繭玉にたとえているが、そこに冬の雷。もろくもこわれてしまうか、繭の結束がかたく大丈夫なのか。ドラマがはじまる。

佐孝 石画

特選句「鹿鳴いて空を見ながら落ちるよう」。森閑とした宵闇を切り裂くように、切ない鹿の鳴き声が響く。その声が何処から発したのかもはっきりしないまま、再び訪れた静寂が非日常の残像感を帯びる。仰向けに空を見上げつかみながら中空を落下していく自身の体感の残像。「空を見ながら落ちる」というインスピレーションに強い身体性を感じる。見えない鹿から作者自身の中空感覚にシンクロしていくその幻想性に強く惹かれた。

伊藤  幸

特選句「靴買ってそれだけで足る冬の海」。納得!私も先日新しいスニーカーを買いました。それだけでも寒さに澄み切った藍色の海を見ていると充分幸せな気分になれます。下語が効いています。

高木 水志

特選句「私とは違う言語で銀杏散る」。日本の秋の景色と違う風景が、作者の目に映っているのだろう。言語はもちろん人が話すのだが、銀杏が散る描写までもが私とは違う言葉のリズムに感じた。

三枝みずほ

特選句「クリスマスビニール傘に滲む街」ビニール傘に無機質で均一的な生活を想起する。そこに滲む街もまた同様であろう。ライトまみれの街はどこの地域、国に行ったとしても同じ景色にうつり、明るさゆえにそこにある深みに気づけない。わたしは、二十年使う傘で静かに夜を歩ける世界を懇願する、クリスマスくらいはそうあってもいいじゃないか。特選句「雑巾にしたきあれこれ冬青空」雑巾はまた他の汚れを落とし、再生させる。その先に青空がある。この循環が生きるということかと共感した。

藤川 宏樹

特選句「十五歳柿の実色の恋だった」。還暦を遠くに超えた私ですが気持ちはまだ若いつもり、10代が恋しくて振り返ることがあります。十五歳の私は青林檎、「柿の実色」の恋など知りませんでした。いつか機会があれば、「柿の実色」と言われる充実した恋のお話を伺いたいと思います。

佐藤 仁美

特選句「日溜まりにいて日溜まりを吸うさかな」。 のどかな午後でしょうか。ぱくぱくとしてる魚を、日溜まりを吸っているとの表現に、惹かれました。特選句「見覚えの猫ポツリ居て神の留守」。私がお参りしている石清尾神社にも、猫が知らん顔して、座っています。神無月の神様の留守に、神社を守っているのかも、しれません。

矢野千代子

特選句「花柄のマスクを買って年惜しむ」。かわいい花柄のマスクですが、視点の奥にはふかい作品の拡がりが・・・・読み手にはその小さな発見に拍手喝采しています。特選句「牡蠣を焼く椅子を増やして僕ら会う」。気軽な談笑のさまが、暖かな雰囲気が、おのずと伝わって好きな作品です。一年間、ほんとうにお世話になりました。まだまだお世話をかけるでしょうが、どうぞよろしくお願い申し上げます。良いお年を・・・ねっ!

寺町志津子

特選句「真珠湾生きて百三歳の記事」。戦争を知らない年代の方々の方が多くなった日本。揚句のように太平洋戦争がらみの記事、ことにご長命で実戦を体感された記事が反戦の思いを強くするのではないか、と記事に心を留められた作者に共鳴。

樽谷 宗寛

特選句「三越の袋が歩く十二月」。省略が良い。袋は商標デザインで一目瞭然。 コロナ禍だが、人出も増えてきました。袋が歩くと、十二月でいただきました。心の余裕が垣間見え楽しい気分を味わえました。メリークリスマス!

小西 瞬夏

特選句「レノン忌のテーブルにある塩こしょう」。「レノン忌」と「塩こしょう」のとりあわせに、意外性あり。日常の中にある何気ない幸福のようなものを感じました。

重松 敬子

特選句「三越の袋が歩く十二月」。歳末の雑踏が浮かびます。今はコロナでなるべく人ごみは避けていますが、ブーツでコートの衿を立てて、あわただしく行き交う街の風景が私は大好きです。

桂  凜火

特選句「雪原を泳ぎ来たりし君の胸倉」。雪原を走ってくる君の姿が見えるようで美しいです。「君の胸倉」寒いけど熱い思いが伝わりますね。

豊原 清明

特選句「山眠る夢が浅葱となるまでに(竹本 仰)」。先生の句が原型としてある。この書き方もありかと、今頃発見。問題句「雨音に温もりありて枇杷の花」。雨に濡れた枇杷の花が好き。優しい句。

野口思づゑ

特選句「久女の忌からだにふっと火打石」。からだにふっと火打石、が日ごろ忘れていた事を思い返し刺激を受け、喝を入れられたといった日常経験する感覚をとても巧みに表現している。特選句「冬虫夏草(とうちゅうかそう)老人って謎だらけ」。実は私は冬虫夏草を知りませんでした。この言葉が冬や夏の季語なのか、季語になり得るのかも知らないのですが、この謎だらけを老人にうまく当てはめ老人をプラスに捉えている。「メリークリスマスお地蔵さんに五円玉」。どこか楽しくなります。「古希からの恋のレッスン花梨の実」。いいですねぇ。どうか上達なさいますように。「ポックリは小春のこんな日がいいわ」。こんな日がいいわ、と砕けた口調にして、深刻になる得る句が明るくさらっと仕上がっている。

吉田亜紀子

特選句「姉さんのバージンロード花柊(吉田和恵)」。この句の素晴らしいところは、「姉さん」という言葉で、主人公の素直な感動や視線を表現出来ているところだと思う。バージンロードを歩く姉は、柊の花のように、清楚で美しい。また「花柊」とすることで、少し距離が出来る。これからの少し距離が出来てしまう関係の切なさも垣間見えてくる。ゆっくりと美しく歩く姿が浮かびました。特選句「新松子青年きつと眉をあぐ」。何かを決意をしたのだろうか。青年のきりっとした姿、また、何もよせ付けない青年ならではの強い表情が浮かぶ。同時に、「新松子」を使うことで、経験を積んでいくであろう、これからの若さが表現されている。眉の使い方にピリリと焦点が合っていて、気持ちの良い句だなと思いました。

野田 信章

特選句「石像を打つ雨わたし濃くなりぬ」。の句は、二句一章の構成が際立ち、上句の「石像を打つ雨」の鮮明な映像によって、自己の存在感の表白の有り様がより具体的に伝達されてくる。無季の句ながら初冬の雨を濃く覚える句柄でもある。特選句「家族という淡い繭玉冬の雷」。の句は、迎春の一景であるが、この句の「繭玉」には家族というものの確かさそれ故のはかなさを織りまぜた来し方の歳月の重たさ、その想念のひろがりがある。やや情感に傾きつつも、この作者なりの美意識の貫く一句として読んだ。

山本 弥生

特選句「白板(はくばん)より黒板が好きな冬日(松岡早苗)」。学校で白板に縁のなかった私には、黒板に先生が正確に文字や数字を書かれるのがとても不思議であった。私達は思うようにチョークが使えなかった先生と生徒の関係も冬日のような温もりがあった。今でも白板より黒板が懐かしく想い出される。

山下 一夫

特選句「家族という淡い繭玉冬の雷」。繊細な糸が何重も紡がれいても淡いという繭玉が家族の暗喩として極まり、冬の雷の対比でその危うさがさらに際立ってもおり、お見事と感心しております。特選句「レノンの忌テーブルにある塩こしょう」。ジョンレノン。掛け値なしの天才でした。それ相応のものを並べたり対照させたりしたいところ、ありふれたものや基本の基であるものの代名詞としての「テーブルにある塩こしょう」というのが憎い。楽曲イマジンが聞こえてきます。問題句「冬虫夏草老人って謎だらけ」。うーん。意味深な感じがして惹かれるのですが、どうしても老人の丸くなった背中から傘のないキノコ状のものが伸びていたり、ちょっと背中が曲がった姿態自体がキノコに見えたりして、やや失礼感が漂ってしまいます。「妻と別れ秋雲のファルセット」。妻と言っているからには離婚の別れではないと判断。買い物かなんかでしぶしぶ付き合って一緒に歩いていたが、途中で別れることができての中七座五。ペーソスがいっぱい。「十五歳柿の実色の恋だった」。様々な外来の果物が店頭に並ぶようになり、柿はすっかり古風な果物の印象。実際、日本古来からのものではあります。昔風の恋だったという感慨でしょうか。「石像を打つ雨わたし濃くなりぬ」。雨粒の跡が付きやすいざらついた表面の石像を想います。とても映像的かつ思索的。

松本美智子

特選句「あきらめて海鼠のごとく眠りけり(稲暁)」。海の底深く海鼠が身をひそめるが如く眠りたい。「あきらめて」・・とは,焦燥感や苛立ち文字通り「諦め」いろんなことを含んでいるように感じました。上手くいかない時は静かに力を蓄えて,堪えるときですね。また,句会に参加したいと考えていますが,いったん内向き思考になってしまうと,体まで内向き志向になってしまいますね。みなさんのパワーをもらいたいです。

銀   次

今月の誤読●「牛すじのおでんぐつぐつ夫の愚痴」。うるさいわねえ、さっきから。課長がどうとか部長がどうとか。だいたいあんたが出世しないからダメなのよ。悔しかったら課長になってみなさい、部長になってみなさいよ。でなきゃ思い切ってやめたら。やめて焼き鳥屋でもなんにでもなんなさいよ。まーた、息子のこと。出来の悪いのはあんた譲りだからしょうがないでしょ。受験勉強しないでゲームばかりしてるのは、あんたがパチンコやめられないのと一緒。ほんっと瓜二つ。ほらまたいった。疲れた疲れたって、なにして疲れたっていうのよ。一年三六五日、一日でもいいから疲れてないあんたが見たいものね。横になってるのがイヤなら庭掃除ぐらいしなさいよ。毎日コタツでゴッロゴロゴッロゴロ。ミカンの皮をとっちらかして、タバコをプカプカ。口を開いたらボソボソボソボソ愚痴ばかり。粗大ゴミって言葉はあんたのためにあるようなもんね。あら、お醤油きらしちゃった。ちょっとあんた、スーパーまでひとっ走りしてきてよ。……なに聞こえないふりしてんのよ。……ふーん、知らんぷり。……ねえ、あんた……あたし右手になに持ってるか知ってる? ん、ん、ほれ、ほれ……ほれほれほれ、とってもよーく切れる包丁よ……ほうちょう!

荒井まり子

特選句「冬虫夏草老人って謎だらけ」。昔、冬虫夏草のコマーシャルにギタギタした変な感じと思ったが、自身この年になると出来無い事に対する戸惑いを納得せざる様子に共感。

野澤 隆夫

特選句「喪乱帖(そうらんじょう)の羲之(ぎし)も唸るよ虎落笛」。作者の歓喜が想像できる句です。正に虎落笛だったと。特選句「十二月ピースを買ひに土佐郷士(藤川宏樹)」。タバコを吸う人もまだ居たのだ。ある意味‶いごっそう〟健在かと!土佐郷士が決まってます。特選句「ママは神さまよりえらいんだぞ青りんご」。若いお母さんの得意顔が目に浮かびます!

亀山祐美子

特選はありません。シュールで綺麗だがずっしりとお腹にくる作品がありませんでした。好みの問題・私の感性の鈍化に拍車がかかっている模様。下手な言い訳で申し訳ございません。久々に皆様にお目にかかれて嬉しかったです。皆様其々にご活躍のご様子眩しい限りです。本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

中村 セミ

特選句「石像を打つ雨わたし濃くなりぬ」。石像を打つ雨なのにわたしが濃くなった、というのは、特別な何かの像を見たのだろうか、雨に濡れると一層像が黒っぽくなる。私は像になにかをみて、悲しくなり像の様にうごけなくなる。しかも、濃くなる。そう読み方しかできないが、面白い。

川崎千鶴子

「入眠へ山が着る雲また雲」。「山眠る」を入眠と表し、「雲また雲」を着るが素晴らしいです。「久女の忌からだにふっと火打ち石」。希有の俳人ですが、私生活に恵まれず、また虚子との 「火打ち石」で表現したことが抜群です。「耳遠くなりし君抱く冬銀河」。老いて難聴になった妻か夫)を抱いて銀河を見ているこう言う状況に次第になって行くのだなあと身に摘まさました。「日溜まりにいて日溜まりを吸うさかなかな」。日溜まりにいる魚がその水を吸うのを「日溜まりを吸う」の表現が味伍夫です。初めての表現です。季語が無いのを感じさせないお句でした。「ネイル盛る男ありけりピラカンサ」。ネイルをしっかりつけた「男」がいて。その季語の「ピラカンサ」 がぴったりです。

漆原 義典

特選句「冬晴れやいつもの笑顔母忌日」。私の母ももうすぐ三回忌です。中七の< いつもの笑顔> が、母を思う心がよく表現されています。温かい句をありがとうございます。

河田 清峰

特選句「ポックリは小春のこんな日がいいわ」。西行のように花の下もいいが小春のほうがいい気がしてきました。

植松 まめ

特選句「カブールの心火にあらず冬の星」。今も混乱のアフガンにも冬の星が輝いている。それは心火にあらずということばに救いが見える。特選句「あの凩までが青春ハーモニカ」。の句はしだのりひことシューベルツの「風」を想い浮かべた。今でも私の愛唱歌だ。団塊の世代の青春がこの句に込められている。

稲   暁

特選句「石像を打つ雨わたし濃くなりぬ」。雨に濡れてゆく石像を見ながら濃くなっ てゆくのは作者の精神か身体感覚か。石像と作者とのふしぎな照応に惹かれた。

野﨑 憲子

特選句「海鼠腸の詩を吸うそして吸う詩人」。海鼠腸(このわた)は一般的には海鼠の内蔵の塩辛。でも私は、珍味のそれではなく、海鼠が海中で怒った時に己が腸を吐き出すという。その時の想いと捉えたい。海神の詩を、これからも楽しみにしている。特選句「昏れても照らすさざんかの紅(あかい)色(矢野千代子)」。冬になると咲き始める山茶花。<昏れても照らす>のフレーズの美しさに圧倒された。ここは断然赤い山茶花だ。特選句&問題句「つぶやきをAIききとってうさぎ(三枝みずほ)」。平仮名書きの真ん中に。なんだか、飛び跳ねるリボンのように見えて来て楽しい。どんな呟きだったのだろう。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

あん雑煮生涯さぬき暮しです
柴田 清子
「前」「元」の役付く職やあんこ餅
藤川 宏樹
嘘つきが嘘をかためた餅を焼く
亀山祐美子
鏡餅今年のいのち頂いて
中野 佑海
門松
門松が歌い出しさうな光
柴田 清子
門松の根元に私埋めてをり
亀山祐美子
紙の門松よお前は貧乏臭い
淡路 放生
空しさは商店街の松飾り
銀   次
門松やゴリラの背ナは噴火口
野﨑 憲子
門松の風吹く君晴れているか
三枝みずほ
学校
冬ざれの賢治の学校ポッとあり
銀   次
学校へ大きな歩幅芽水仙
亀山祐美子
庭石の大きいやつが冬構え
柴田 清子
縁なれば人殺します冬の石頭
淡路 放生
石に話しかけていたらりんごチョコ
三枝みずほ
雪もよひゴリラの手のひらに太古の目
野﨑 憲子
人を差す指が冷たくて冷たくて
柴田 清子
石蕗の花ひよこ生きるる手を欲す
亀山祐美子
寂しさの手が大根を摺り下ろす
淡路 放生
自由題
ぼくの絵本めくれているよ日向ぼこ
淡路 放生
僧侶ありて一鉢ぬっと差し出しぬ
銀   次
いつも心に遠き渚の狐火
野﨑 憲子

【句会メモ】

本年の〆句会は、サンポートホール高松の和室での開催でした。コロナ感染用心の為忘年会をしなかったせいか、参加者は8名でしたが、あっという間の4時間、とても楽しい句会でした。来年の初句会は、1月15日。今から心待ちにしています。

冒頭の写真は、高知県須崎市の樹齢千産百年の大楠です。高知市在住の男波弘志さんが送ってくださいました。四国にも巨樹が棲息しています。これからも一回一回の句会を大切に、たかが句会されど句会の最小単位の句会だからこそできる「俳諧自由」の場です。思いっきり熱く渦巻いてまいりたいです。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2021年12月1日 (水)

第122回「海程香川」句会(2021.11.20)

山茶花2.jpg                                                                                               

事前投句参加者の一句

                        
冬眠の耳朶すこし波音す 小西 瞬夏
時という分別箱へ木の葉かな 高木 水志
石積みの力学美しき鷹渡る 重松 敬子
匿名のものいふやから初時雨 菅原 春み
パンプキンスープ夜業の娘を待ちぬ 植松 まめ
猫の手のパフ少年に冬日向 竹本  仰
回廊やどこかに人の模様ある 男波 弘志
人恋はばラーメン人を愛さば初時雨 すずき穂波
悪妻も時に屈める泡立草 川崎千鶴子
茶の花や保ち続ける平常心 藤田 乙女
名月や老人と猫の密な時 田中 怜子
師の選の途絶えて淡き夜の窓 佐孝 石画
冬日和日展に魅かれ美を究む 漆原 義典
冬近し太公望のニッキ飴 荒井まり子
秋桜愛されていて淋しそう 稲   暁
老いの海私は何処を目指すのか 石井 はな
よく喋る母は傘寿の菊日和 松本美智子
木枯らしや熱きコロッケ抱きしめて 銀   次
寂聴や美は乱調に秋の空 三好三香穂
眞人間芯から首の冷えてをり 亀山祐美子
霜柱にはまだ遠いポッキーの日 山下 一夫
自覚なき生の根源息を吸う 飯土井志乃
冬銀河泣かせる手紙くれた奴 島田 章平
半球の天もつ地平鳥渡る 藤川 宏樹
妻を泣かせた今日消すように紅葉散る 津田 将也
まだ出掛けるつもりの湯灌金木犀 稲葉 千尋
吉野源流秋蛍よろぼうて 樽谷 宗寛
序破急のシナリオ焚べてしまい秋 福井 明子
星かがやく一滴の毒地にひらく 十河 宣洋
ママ ぼくのウンチはどこへ行くの ねえ 田中アパート
ひとつ減るポスト先生冬ですよ 松本 勇二
甘葛に余罪まだまだありそうな 伊藤  幸
山羊座の人を銀河の駅で待ちにけり 大西 健司
栗ご飯小回りの利く母が居た 久保 智恵
星月夜何処かで超新星爆発 滝澤 泰斗
神とすれ違った気のする十一月 柴田 清子
とんぼうを追いかけてゐる鈍行車 野口思づゑ
本能のひとつ忘るる暮の秋 河田 清峰
眠りの精海に来ていて雪しまく 小山やす子
行く秋の誰が舌打ちぞ干潟照る 野田 信章
木枯らしは探すどこにもいない人 河野 志保
制作の孤独と祈り息白し 佐藤 仁美
露草の露はむかしの味がする 榎本 祐子
森守る記事より読みぬ文化の日 新野 祐子
大根にかくし包丁とう無韻 森本由美子
おしまいのつづきは胡桃に入れたよ 三枝みずほ
桔梗の焚かんばかりに枯れ揃ふ 高橋 晴子
われが見るまで待って息絶える蝶 兵頭 薔薇
月にいるふりして兎家出する 寺町志津子
はにかみは最後の仕上げ実オリーヴ 中野 佑海
文弱につき柿の朱を待つばかり 谷  孝江
老画家に柚子を貰って別れけり 田口  浩
賑はひの中心(なから)に老母秋桜 松岡 早苗
産声の私のアルバム金木犀 吉田亜紀子
象とならどこでも行くわ黄落期 吉田 和恵
熊穴に入る私小説書く掌の油 豊原 清明
補聴器に人語近づく紅葉狩 山本 弥生
処彼処ゴロリゴロリと青い石 中村 セミ
こうのとり見しより鷺のこころ冴ゆ 鈴木 幸江
結婚す林檎の蜜を分け合って 月野ぽぽな
木の実落つ森に声ありセピア色 佐藤 稚鬼
石蕗咲くや忘れたはずとまた思う 増田 暁子
ボーボー語話す兄とゆく花野 桂  凜火
朱欒割るはるかトルコの野外劇場  若森 京子
浄土かな夕陽に枯葉よみがへる 増田 天志
十年後を待ち合わせして薄原伏   兎
目元はシヤネル大狐火の笑まふなり野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「十二月八日火の芯となる折鶴か(三枝みずほ)」。平和への願いの折鶴が、燃え盛る火の中心にあるという凄まじさと繊細さ。恐ろしさと美しさ。平和と戦争。相反するものがせめぎあう現実が赤い炎とともに描かれている。「か」という終助詞に複雑な思いがにじみ出る。

増田 天志

特選句「山羊座の人を銀河の駅で待ちにけり」。しなやかなタッチ。あざといほど、メルヘン調に仕上げている。

月野ぽぽな

特選句「好きなこと考える道稲実る(河野志保)」。「好きなこと考える」とは自分の頭を自分がいい気分になれるように使うこと。「幸せ」とは、こんなにシンプルなことなんだな、と思い出させてもらえる一句。この「道」は実際に歩く道でもあり、生き方としての「道」とも思えてきます。豊かに実る稲が、心の至福感を伝えています。英語の「Happiness is not a destination, it’s a way of life」、日本語にすると「幸せとは目的地ではなく生き方である」もしくは、「幸せは未来に定めるものではなく、日々の心のありようである」を思い出しました。

すずき穂波

特選句「眞人間芯から首の冷えてをり」。眞人間の範疇が危うくなってしまった。けれど誰しも、自分は眞人間 だと思って生きているだろう。この作者は、しかし、考えている。自分は果たして、どうか…。「芯から」「冷えて」がその思考の深さを表現しているか。特選「本能のひとつ忘るる暮の秋」この作者の身体感覚の鋭さ、季語「暮の秋」の余韻が心に染み渡りくらくらとしてくる一句でした

高木 水志

特選句「露草の露はむかしの味がする」。小さくて、それでも生きている露草は、私たちに古来の日本の精神を教えてくれる。今は未来が続いてゆくと思えないのだが、露草のように今を懸命に生きてゆけば、おのずと未来が見えてくることを、この句から感じ取りました。

増田 暁子

特選句「吉野源流秋螢よろぼうて」。秋蛍の儚さが下5の”よろぼうて”わかります。吉野源流を想像しています。特選句「よもつひらさか曼珠沙華曼珠沙華(島田章平)」。曼珠沙華を繰り返し心に沁みます。よもつひらさかに咲いている曼珠沙華が、目に浮かびます。「時という分別箱へ木の葉かな」。分別箱へ入れるのは木の葉なのですね。分別は肯定か否定なのか。面白い発想です。「パンプキンスープ夜業の娘を俟ちぬ」。親の気持ちはよく解ります。「師の選の途絶えて淡き夜の窓」。本当に同じ気持ちです。あの声をもう一度・・と思う。「秋桜愛されていて淋しそう」。かわいくて淋しい花です。「ママチャリの前後に小さき冬帽子」。よく見る光景で冬帽子が良いですね。「ときめきも嫉妬も残し木の葉髪」。身につまされます。木の葉髪が秀逸。「文弱につき柿の朱を待つばかり」。中7下5が魅力的ですね。柿の朱はこころ満たします。「補聴器に人語近づく紅葉狩」。紅葉狩の時に補聴器のおしゃべりの声は避けたいと作者。

藤川 宏樹

「ふく汁と恋の火かげん水かげん(山下一夫)」。一昔前には寒くなると河豚中毒の死亡記事を目にしたものでした。河豚汁も恋も命懸け、どちらも大事なことは火かげん水かげん。つい皇女の恋物語にまで思いが及びました。

松本 勇二

特選句「栗ご飯小回りの利く母が居た」。「小回りの利く母」は多くの人が持している母親像。栗ご飯も手間をかける母を彷彿とさせて上手し。

十河 宣洋

特選句「山羊座の人を銀河の駅で待ちにけり」。分かったような分からんような作品だが、恋人に会いたい気分は出ている。こいうメルヘンチックな俳句も最近は減ってきた。銀河鉄道の夜の宮沢賢治もいいし、スリーナインの駅もいいなあと思う。無人駅かな?特選句「ときめきも嫉妬も残し木の葉髪(藤田乙女)」。類句類想がありそう。でもこいう句もあっていい。読み手を楽しませてくれる。問題句「つみちはやつみちはちみてつみちは冬(田中アパート)」。読むのに苦労した。それが付け目らしいがもっと分かりやすく。→ 「はちみつ」を言葉遊び風に作品化されたそうです。

小山やす子

特選句「結婚す林檎の蜜を分け合って」。羨ましい位の素敵な結婚。林檎の蜜がいいですね。

豊原 清明

特選句「名月や老人と猫の密な時」。老人の愛する猫との交流を見た人の視点から。問題句「終活を重荷にせぬ母爽やかに(吉田亜紀子)」母と子のささいな会話かと思った。

田口  浩
特選句「象とならどこでも行くわ黄落期」。作品の婆娑羅ぶりが何とも好ましい。「象」も「黄落期」も絢爛で艶があろう。―わたしでよければ是非露払いを命じて下さい。と言いたい心もちである。気持ちのいい句の出会いに酩酊している。「好きなこと考える道稲実る」。これはこれでいいのだが、「稲実る」が少し過ぎているかもしれない。「好きなこと考えている稲の道」同じことだが、この方がスッキリしていないだろうか。「よく喋る母は傘寿の菊日和」。「菊日和」でこの句は面目を保っている。「曼珠沙華昼の密度となりにけり」。一見なんでもないようだが、手練の作品である。曼珠沙華の生きざまを「昼の密度」とはなかなか言えない。夜は別の世界が現われるのである。詩人の眼を持つ人であろう。「秋歩くとなりに誰かゐるやうに」。秋を歩いていると、時々の顔が浮かんで来ることがある。老いるとなおさらである。

中村 セミ

特選句「墨壺の墨を打たれる秋の女体(田口 浩)」。晩秋の冷たくなっている気温の例えとして女体だろうか、秋の夜に書をしたためているのでしょう。秋に感じる肌の温度、少しずつ冷たくなる空気の層・空間、これを女体として書を書くのを打たれるかな。秋の女体がいいです。特選句「われが見るまで待って息絶える蝶」。この人は、蝶が「もうダメです静かに行きます。」という状態というのを観ている。観察力のある人おそらく長いカンサツを特技としている。面白い。

若森 京子

特選句「行く秋の誰が舌打ちぞ干潟照る」。舌打ちは思う様にならぬ残念な時、又、 いまいましい時と人間のマイナス面の瞬時の動作である。風景として、ゆく秋の淋しい海に瞬時に現われた干潟に陽が差していた。この人間と自然の呼応が一句の中に人生の断面として詩的に表現されている。特選句「熊穴に入る私小説書く掌の油」。私小説を書くエネルギーは油汗の出る程ではないかしらと思う。季語の「熊穴に入る」が肉体に脂肪を一杯溜めて冬眠に入る動物と、人間の私小説を書く時間の経過が何故か面白く交差している。一句にストーリーがある。

稲葉 千尋

特選句「立冬や重さ確かむ父の斧(松本勇二)」。斧で薪を割るのであろうか、父が使っていた斧の重さを確と感じる作者。

谷  孝江

特選句「好きなこと考える道稲実る」です。稔りの秋です。まもなく刈り田に変わります。今年の芥川も読み終えたし次は何を・・・と考えながら豊かな風景の中をゆく作者の姿が見えてきます。「おしまいのつづきは胡桃にいれたよ」も好きです。

中野 佑海

特選句「木枯らしや熱きコロッケ抱きしめて」。私の大好きな食べ物俳句。私が小学生の頃、塾の帰り道によくコロッケを買い食いしながら帰ったものです。コロッケの匂いは幸せの香りです。Give me a break! 特選句「おしまいのつづきは胡桃に入れたよ」。えっ、この中のどの胡桃かな?あっ!こらまて!そこの栗鼠に持ってかれちゃったじゃないか、日本沈没のシナリオ。「冬眠の耳朶すこし波音す」。この歳になるとどんなに若いつもりでも静かな所ほど、波音の様な耳鳴りがして、益々眠れなくなる。私の場合はすこしの波音なんて容易いものじゃなくて、バイクの音ですが何か?「匿名のものいふやから初時雨」。突然バタバタと、降ってくる時雨は雨宿りして空かすしかありません。そのうちに止むでしょう。「序破急のシナリオ焚べてしまい秋」。頭の中で描いた通りに物事進んでくれたら言う事は何もありません。人の頭で考えた事以上の事が起こるのが現実。だから、今を楽しもうよ。机上の空論は焚き火の中へ。「つつがなく首を載せては菊人形」。菊人形なら首はいくらでもすげ替えることが出来るけど、会社の人事はなかなかどうして思い描く様には参りません。「着陸する凩離陸する凩(月野ぽぽな)」。凩に離着陸があるなんて、考えたこと無かったです。管制塔はやはりあるのでしょうか?「ため息を折り込む小指秋深し」。そんな所で宜しく哀愁なんかしてないでほらほら美味しいもの食べに行こ。「露草の露はむかしの味がする」。古臭いですよね、露草って。小さい頃、この花を取って、潰して、シャツや手が紫色になったのを覚えています。「月にいるふりして兎家出する」。今日はほとんど皆既月食の日。兎の家出にはピッタリの日です。140年ぶりの月食だそう。良く見破りましたね!凄い。本当に香川句会の俳句は面白くて大好きです。

大西 健司

特選句「冬眠の耳朶すこし波音す」。五感すべてを閉ざしての冬眠中、耳朶だけが外に向いている。かすかな波音を捉える聴覚の繊細さが美しい。

榎本 祐子

特選句「朱欒割るはるかトルコの野外劇場」。朱欒を割る行為から、その断面からの意識の飛翔が素敵です。

山本 弥生

特選句「栗ご飯小回りの利く母が居た」。昭和の三十年代の頃を想い出します。栗ご飯を囲む三世代同居の家族を各々に気配りをしていつも動いていた母の姿が目に浮かびます。

柴田 清子

特選句「十二月八日火の芯となる折鶴か」。太平洋戦争開戦、パールハーバーへの奇襲攻撃を、平和の願の折鶴で詠っているところが心に響く。

鈴木 幸江

特選句評「くらがりの白萩という血がにじむ(佐孝石画)」。投句作品を一から読んでいてここで足が止まった。三つの句材がもつ対照的な黒、白、赤。これらの色のコンビネーションから生まれてくる異世界に惹かれるものがあった。闇の中に咲く白萩に純心で目立ちたがらぬ少女を思い浮かべ、そのような存在が血を滲ませているという暗喩としての一句に、そんな弱者が今もいるという強いメッセージを受け取った。問題句評「つみちはやつみちはちみてつみちは冬」。最初はマントラ(真言)かと思いインターネットでマントラの一覧を見たが該当するものはなかった。では、恣意的に音律を創作して何か意味が生まれてくるのを試そうとしているのだろうか、と思った。でも、“つみち”はどこか古代語のようでもあり、ひょっとしたら“積み地”のことかもしれない。面白いのだけれど、やはり何か解釈の手掛かりになるものが欲しかった。

福井 明子

特選句「時という分別箱へ木の葉かな」。最初分別(ふんべつ)と読みました。そして時をおくと、あっ「ぶんべつ」なのかなと思いました。いずれにせよ「時」というのは、容赦なくあまねく非情に過ぎてしまいます。そうしてひとつのかたちに納まってしまうのです。「分別箱」という言葉が胸に残ります。そうして偶然の如く、葉書のような木の葉が時々に言葉かけをしてゆきます。特選句「回廊やどこかに人の模様ある」。うす暗い回廊。そこは幾世も経た空間。今、目に見えていない、その時々の人の痕跡を感じます。「どこかに人の模様」とあらわされたことが、心に留まり離れません。特選句「神とすれ違った気のする十一月」。神無月、その十月を出雲だけは神在月と言うそうな。八百万の神々が出雲から、また大移動してそれぞれの國へ帰る。そんな現象を十一月に込めたおおらかな物語的な句心をいただきました。

津田 将也

特選句「石積みの力学美しき鷹渡る」。石垣の加工法には、野面積(のづらづみ)・打込接(うちこみはぎ)・切込接(きりこみはぎ)の三つの工法がある。石垣が登場し始めた頃は、加工されていない自然石を積み上げてゆく野面積であった。石垣の表面が隙間だらけだと見栄えが悪いので間知石(まちいし)と呼ばれる小石を詰めた。裏側に当たるところでしっかりと石が組まれておれば、崩れないという力学的に最たる仕組みとなっている。織豊期に築かれた小谷城(滋賀県)・竹田城(兵庫県)などに美しき野面積を見ることができる。このような城跡の風景には、冬空を悠然と舞う大鷹の姿が相応しい。特選句「匿名のものいふやから初時雨」。匿名には、個人が保護されるという匿名性の利点を最大限に生かせる行為として、告発がある。匿名性が保証されたやり方で、権力者や企業の不正を暴露することができ、告発者が不当な弾圧や差別を受けることなく不正を公にすることができる。反面、この匿名性を利用して事実や虚偽を過大無責任に並べ立て、相手を傷つけたり、または自殺に追い込んだりして、逆に、己が犯罪者になる場合もある。昨今の眞子さん・小室 圭さんの結婚にいたるマスコミ等の報道には、その多くに目を覆う記事があった。「初時雨」は、その冬の初めての時雨。冬になったという侘しい気持ちが季語に込められいるので、事柄との取り合わせのよい本意を得た佳句となっている。

伏   兎

特選句「曼殊沙華昼の密度となりにけり(小西瞬夏)」。畦道などに群れて咲くこの花の描写もさることながら、昼の密度という表現が、コロナ禍の閉塞感をうまく捉えている。特選句「ボーボー語話す兄とゆく花野」。小川洋子の小説「ことり」の、自閉症の兄を見守る弟のようなまなざしを感受。哀しくて美しい句だ。「冬眠の耳朶すこし波音す」。海は生きとし生けるものの母郷。動物の体内に刻みこまれた海の記憶が、子守歌となって体内を巡るのだろう。「霜柱にはまだ遠いポッキーの日」。 11月11日はポッキーの日だとか。ウィスキーの水割りを手に、ポッキーをつまみながら、仕事や恋のことなど、友だちと喋っていた頃を思い出し、惹かれた。

樽谷 宗寛

特選句「朱欒割るはるかトルコの野外劇場」。今こうして朱欒を割つている。トルコの野外劇場でも朱欒を手にした遠き日懐かしんでのお姿が浮かびます。私が子供のころ九州から山口へ朱欒売りが来ておりましたよ。自句自解「午前二時ムカデが選ぶ妻の腿(もも)」。本当にあつたことです。咬まれました。パジャマのズボンのなかに4センチのムカデ居たのです。

石井 はな

特選句「石蕗咲くや忘れたはずとまた思う」。忘れたと思っていた事忘れたい事が、石蕗の黄色い花を見ると呼び醒まされてしまう。あぁまた思い出してしまったと、小さな刺が心を刺す。そんな気分に共感します。

伊藤  幸

特選句「墨壺の墨を打たれる秋の女体」。書道家がパフォーマンスとして広い紙の上 に太い筆で身体全体で表現する造形美術。正に漢字のその曲線は女体の美しさである。下語の秋の 女体に言い知れぬ艶が溢れ出ている。

滝澤 泰斗

今月は休み明けのせいだろうか、好句が多く、第一選で30句までとなり、10句まで絞るのにいつも以上に時間がかかった。そんな中、特選2句は家族の景から「立冬や重さ確かむ父の斧」。父親の跡を継がない私も父親の仕事で使っていた道具等で父親を偲ぶことがあった。季語の立冬が効果を発揮している。「パンプキンスープ夜業の娘を待ちぬ」。娘を待つ親の気持ちをパンプキンスープの匂いと温かみに託した上手な句。並選、家族の景の共鳴句「どこやらに母の気配や秋のくれ(銀 次)」。父、母を含め、家族は何かつけて脳裏を過ぎるが母の存在は秋、それも夕暮れ。景にはややマンネリ観があるものに、母親はなぜか秋の夕暮れに合っている。「双曲線なぞりし妻の冬に入る」。愛おしさを感じさせるとともに、エロスの匂いにノックアウト・・・仕事柄、旅の景も捨てがたしで「石積みの力学美しき鷹渡る」。古代ギリシャの、古代ローマの石積みの見事さ。アーチ構造にたどり着く人間の研ぎ澄まされた探求の目は美しい。そんな遺跡の空に悠久の自然が繰り返されている。「冬天へ月探査機や音も無く」。冬天の澄み切っているであろう大気圏の外。そこには探査機が音もなくひたすらに月に向ってゆく姿。「象とならどこでも行くわ黄落期 」。私も象の背なら、揺られながら黄泉も含めてどこにでも行ってもいいかと思うほど。「朱欒割るはるかトルコの野外劇場」。ザボンという存在感がトルコ、しかも、沢山あるヘレニズム遺跡の野外劇場にピッタリ合っている。ザボンをよく探したと喝采を送りたい。「寂聴や美は乱調に秋の空」。嗚呼、寂聴さんも百歳を待たずお亡くなりになった。その寂聴さんの文学に流れていた美の意外性を遠い秋の空に思う。・・・が、私は寂聴さんの反戦、反原発、反憲法改正に共感する。

河田 清峰

特選句「おしまいのつづきは胡桃に入れたよ」。死にも他界があるように終わるようで終わらないのが人生。胡桃に入れたよのフレーズが詩的である。

松岡 早苗

特選句「よもつひらさか曼珠沙華曼珠沙華」。呪文のようにも童謡のようにも聞こえ、耳に残った。此岸と彼岸の境にある異空間が一面の赤い色彩として立ち上がる。曼珠沙華の咲き満つ赤く茫洋とした空間の何処からか、童女の不思議な歌声が聞こえてくるようだ。特選句「はにかみは最後の仕上げ実オリーヴ」。おしゃれで素敵な句。オリーヴの実はまだ青いのかしら。小豆島からエーゲ海、そしてギリシャ神話の神々へと、時空を超えてフレッシュな恋のイメージが次々とふくらむ。

寺町志津子

特選句「石蕗咲くや忘れたはずとまた思う」。「忘れたはずとまた思う」が、まる で今の私の状況のようで、作者の美意識に感じ入りながら頂きました。私にも、もうとっくに忘れ 去っていたはずの昔のことですのに、ふっと「あの時はしまった!」の 思いと共に思い出す事柄が あります。揚句の、花のない季節に咲く葉も花も美しい石蕗の花との取り合わせに心惹かれました。 この句に出会い、私も 「あの時はしまった」とは思わず、ほろ苦いながら懐かしい思い出にしてい こう、と思えるようになれそうで感謝です。

久保 智恵

問題句「ママ ぼくのウンチはどこへ行くの ねぇ」。大変面白いとは思いますが、 私には難しい句でした。

竹本  仰

特選句「冬眠の耳朶すこし波音す」。いつも散歩する山道に不思議なのは、よく見か けた蛇や虫がどこへ行ったかということで、冬眠の姿気配を思う事で過ぎていく。しかしもう一歩 踏み込めば、こんな感じなのかな。その波音の中にこの足音も微かに混じっているのかもしれない。 今懐妊の赤ん坊にも、母親とその周囲をめぐる音が色んな波に聞こえているのかなとも思えた。特 選句「ひとつ減るポスト先生冬ですよ」。先生を勝手に兜太先生と感じて読んでしまった。海程各人 が持っていただろうポストがひとつ減った。しかしそのポストへ出さなくてもポストはある。でも 本当はポストの先にはいつも先生がいて、そう感じるとつい声を掛けずにいられなくなってしまう。 「さすらいに雪ふる二日入浴す」そんな風呂場のこだまが返しにぽつんと聞こえそうな。特選句「十 年後を待ち合わせして薄原」。薄原で待ち合わせ、ここに胸を打たれる。宮澤賢治「注文の多い料理 店」の序の、「ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わた くしはそのとおり書いたまでです」という一節を思い出す。たしかに無心になれば自然に聞こえて 来るもの、そんなものが感じられてならなかった。問題句「ママ ぼくのウンチはどこへ行くの ね え」。考えてみれば不思議なことが確かにある。処理水、ではないけれど、ウンチも処理しか考えら れなくなった我々に何か突きつけられるものがある。そういういい問いがあるとしてあげた問題 句。「大根にかくし包丁とう無韻」。かくし包丁は大根の中にあるもの?と思うと、面白さを感じた。 それも、音なしの構えで。と何やら革命的な句とも見え、司馬遷が『史記』の中で最も賢い商人は 愚かな顔つきである、といったのを思い出す。という見方自体がおかしいのか、ふと問いかけてみ たくてならない句であった。以上です。

読みをゆすぶられるような句、これも大事なんだなとそんな句に出会えたのが、うれしかった です。今、雨が降っています。そのあと、ぐっと寒くなるようです。みなさん、ご自愛くださいま せ。いつもありがとうございます。

野田 信章

特選句「冬銀河泣かせる手紙くれた奴」は、結句の「奴」の呼称に込められた親 愛の情をそれと決定付けている。「冬銀河」の配合に読み手としての響感を覚える。特選句「妻を泣 かせた今日消すように紅葉散る」は、中句以下に込められた、今日という一日の訪れそのものを否 定したいという妻への真情が「紅葉散る」の美しい景として定着している。

重松 敬子

特選句「時という分別箱へ木の葉かな」。良い句ですね。時は大方のものを解決し てくれます。この句は、木の葉をどう理解するかでしよう。私は日常の諸々のことも時が経てば、 木の葉程度の軽さなのだと受け取りました。

新野 祐子

特選句「十二月八日火の芯となる折鶴か」。折鶴を火の芯にするという斬新さにひ かれました。以下、入選句「石積みの力学美しき鷹渡る」。アフガンの水路でしょうか。中村哲さん が忍ばれます。「朱欒割るはるかトルコの野外劇場」トルコは演劇が盛んですぐれているそうですね。 「雪の轍」という映画を思い出しました。「十年後を待ち合わせして薄原」。四十年後に会う約束を したのに会えていない私を、呼びさましてくれました。

島田 章平

特選句「十二月八日火の芯となる折鶴か」。15年戦争の日本の運命を決めた最 後の5年間を17音で一気に詠み込んだ佳句。太平洋戦争の始まりである12月8日の攻撃、炎の 中の真珠湾。そして日本の敗戦を確定的にした8月6日の原爆投下。真っ赤に燃える広島。時空を 超えてこの二つの日付が、「火の芯」と言う言葉で結び合う。紙飛行機の様に真珠湾を飛ぶゼロ戦、 そして、被爆したサダコの「折鶴」。「折鶴」がまるで「火の鳥」の様に時空を飛ぶ。

野口思づゑ

特選句「好きなこと考える道稲実る」。そういう道を私も探したくなりました。 今は道の両端で稲が実っているのでしょうか。ますます楽しそうです。「この後もいくつ歳とる冬さ うび」。季語がとても効いています。「結婚す林檎の蜜を分け合って」。蜜がいいですね。仲の良さが 伝わって来ます。

田中アパート

特選句「象とならどこでも行くわ黄落期」。ETに会ったらよろしく伝えてください。   海程香川での吟行なくて少し淋しい。いつもなら年に一回、日本のどこかに連れてってもらえて楽しみにしていたが、新型コロナ禍でいたしかたないが、来年もつづくのでしょうか?→来年は吟行に行きたいですね! 具体的になったら句会報でまたお知らせします。

佐孝 石画

特選句「ひとつ減るポスト先生冬ですよ」。 毎月二十日の『海程』投句〆切。二百字詰めの原稿用紙に句を書き入れ、封をしてポストに投函する。先生への目に留まるようにと、できるだけできるだけ背伸びして練り上げた句を投函したあの頃の気持ちは、まさにラブレターの感覚だった。考えてみれば、健気に毎月、投句というラブレターを片思いの人へと送り続けていたのだ。師はいなくなり、また馴染みのポストも一つ減った。そんな淋しさの中、「冬ですよ」と先生に話しかけてみたくなったのだろう。

田中 怜子

特選句「寂聴や美は乱調に秋の空」。忖度せずものを言い、行動し、恋して書いて、贅沢もして太っ腹。惜しいお方を亡くしました。元気もらえる方でした。心の奥底は         別れた娘への思いを抱えながら生き抜いた、あっぱれな女性です。

野澤 隆夫

特選句「石積みの力学美しき鷹渡る」。鷹の渡りを何回か探鳥した経験があります。石積みの力学に、雄大な景色が目に浮かびます!特選句「月にいるふりして兎家出する」。こんなこと想像しての作句、相当のロマンチスト!昨晩の月食でも、家出したのでは?秀句。

佐藤 仁美

特選句「ママ ぼくのウンチはどこへ行くの ねぇ」。思わずふふっと笑いました!うちの子も「どちて、どちて?(なぜ?)」の質問攻めでした。ほのぼのしますね。特選句「コロナ禍や無駄話ししたいだけなのに(久保智恵)」。本当に日常の些細なことが、大事だったということを思い知らされた2年間でした!早く日常が取り戻せますように…。

吉田亜紀子

特選句「木枯らしや熱きコロッケ抱きしめて」。自分では実践できていないが、 俳句は「スッキリ」が大切だと考えている。この句の場合、「コロッケ」は熱々な食べ物という印象 があるので「熱き」という表現が必要ではないのではと最初は思いました。しかし、スーパーのコ ロッケはたいてい冷たい。もしくは冷凍だ。帰宅して温める必要がある。急ぐ必要も抱きしめる必 要もない。対して、お肉屋さんのコロッケは揚げたて、熱くて旨い。人間は温度が在るものに対し て敏感かつ機敏になる。例えば、アイスクリーム、子猫、薬缶といったもの。このコロッケもその 一つで、木枯らしの中の熱いコロッケ。きっと小走りに家へと急いだであろう。待ち人もいるかも しれない。愛情やスピード感も出る。したがって、「熱い」という表現は力を持ち、必要である。特 選句「老画家に柚子を貰って別れけり」これほどの悲しい「けり」は無いのではないか。この「け り」の存在が、もう二度と老画家に会えない寂しさや死を語り、素晴らしい柚子の絵を遺されたに 違いないと解釈をしました。

川崎千鶴子

特選句「時という分別箱へ木の葉かな」。「時」の分別箱って分かるようで分からないのですが空想の世界に誘われます。下五の「木の葉」は抜群で良く考えられたと。ここの「木の葉」は芽から葉そして果ては落葉に続くのでしょうか。哲学的です。「木枯らしや熱きコロッケ抱きしめて」。昔々のことを思いださせる暖かいお句です。「本能のひとつ忘るる暮れの秋」。どのような「本能」でしょう。あれこれ想像すると一時間は掛かりそうです。「結婚す林檎の蜜を分け合って」。ご結婚おめでとう御座います。「林檎の蜜」を分け合うとは意味深です。考えると非常に楽しく感嘆です。「妻を泣かせた今日消すように紅葉散る」。夫婦喧嘩でしょうか、作者は失敗したなあと思って居る時に「今日消す」ように紅葉がさらさら散っている。それはまた奥さんの泣いた姿で、消えないかも知れません。

菅原 春み

特選句「冬眠の耳朶すこし波音す」。耳朶が波音すとはどんな様子なのだろうか? 冬眠だから無音に近い波音なのか。おもしろい。特選句「半球の天もつ地平鳥渡る」。スケール感でいただいた。籠った暮らしのなかでも地平線を感じ、異国への思いもよぎる心理にひかれる。

吉田 和恵                                                                      

特選句「甘葛に余罪まだまだありそうな」。そのゆるキャラについつい気を許して しまいますが、でも、でも、BUT 余罪はあるはず、油断めさるなと。

男波 弘志 

「好きなこと考える道稲実る」。稲実る、は何他のことにも置き換わりそうだが、やはり作者の日常を大切にしたい。「石は根を抱き野鼠は藍はこぶ(若森京子)」。運んでいる藍は人間が残した業だろうか、そんなものが世界中に溢れている。「おしまいのつづきは胡桃に入れたよ」。入れたのは口伝の何かであろうか、これを割るのも人間だろう。全て秀作です。

三好三香穂

特選句「賑わひの中心(なから)に老母秋桜」。何かのお祝いの席か。そうでな くても、中心に老母。ゆかしい。そうありたい風景。孝行な家族。「金木犀宗家独演五番立」。漢字 だけで風景がよく見える。金木犀の香りがただよい、宗家のおごそかにして優美な能。続けて五番 も舞っていただいた。「ときめきも嫉妬も残し木の葉髪」。ときめきも嫉妬も色々あったけど。それ らはそのまま山に残してきた。木の葉髪になってしまった。あがいた印か。「免許捨てどこにも行け ぬ捨て案山子」。まさに捨てられた案山子の心地。免許返納で安心かも知れないが、何処にも行け ぬ不自由。老いの悲しみ。「月にいるふりして兎家出する」。私も一度兎になってそうしたい。「石蕗 咲くや忘れたはずとまた思う」。少し日影に今年も石蕗の黄色い花。変わらぬ咲き様に昔をふと思い 出す。思い人か出来事か忘れたはずなのによみがえって来る。

河野 志保

特選句「栗ご飯小回りの利く母が居た」。「小回りの利く」お母さんには「栗ご飯」がピッタリ。くるくると動く愛らしい姿が目に浮かんだ。的確な把握と母への愛に溢れた句だと思う。リズムの良さにも惹かれた。

桂  凜火

特選句「寂聴や美は乱調に秋の空」。瀬戸内さんの追悼句として素敵ですね。私はあまり読みませんでしたが、生き様にはほれぼれしています。美は乱調にのフレーズ好きです。特選句「大根にかくし包丁とう無韻」。隠し包丁という無韻というフレーズ素敵です。でもあの隠し包丁をいれるときの後ろめたさみたいなものと「無韻」は符合すると思いました。

山下 一夫

特選句「悪妻も時に屈める泡立草」。泡立草は帰化植物で旺盛な繁殖力で在来の草花を駆逐してしまう嫌われ者。傍若無人に天を指して伸びているのが忌々しい。それに比べると時々弱みを見せる悪妻はかわいいもの。男性からの視点と見ます。照れ隠しだとしてもいつも悪く言ってばかりなのは考えものです。時には正直に可愛いと口にしてみましょう。ちなみに背高泡立草はすっかり秋の景色の一部として定着しており「昭和の高度成長期の草」といった感じでもあり、個人的には好みです。特選句「秋桜愛されていて淋しそう」。コスモスについて抱いていたもののなかなか言葉にできなかったところをずばり代弁していただきました。単独や数本、群生でも可憐かつあでやかな花ですが、なぜか淋しそうなのです。花の大きさに比較して茎が長く細くそれ故に少しの風にもそよいでしまうあたりからくるものでしょうか。問題句「石積みの力学美しき鷹渡る」。「美(は)しき」が「石積みの力学」と「鷹渡る」の双方に掛かってしまうように見えます。意図されたのかもしれませんが、「は美し」「の美し」と切れをはっきりさせた方が、秋の空気の中の静と動に漂う緊張感をより明確にするように思うのですがいかがでしょう。「水のやう火のやうリンクのスケーター」。これからフィギュアスケートのシーズンですね。「水のよう」は当然として「火のよう」が秀逸です。「甘葛に余罪まだまだありそうな」。露見した一件の悪事には余罪や前駆的な行為がたくさんあります。業界人的な視点。「栗ご飯小回りの利く母が居た」。小柄だけど働き者でほっこり暖かい雰囲気をたたえた方だったのでしょうね。何だか懐かしいです。「ボーボー語話す兄とゆく花野」。「ボーボー語」が謎ですが、背が高く発声もジャイアント馬場のようなお兄さんを連想します。とてもメルヘンチック。

植松 まめ

特選句「冬銀河泣かせる手紙くれた奴」特選句「指切はあの日の痛み秋の蝶(大西健司)」。この歳になっても歌は演歌ではなくフォークソングが好きだ。冬銀河も、指切りも、なくした時代が甦る純粋だったあのころを。

銀   次

今月の誤読●「おしまいのつづきは胡桃に入れたよ」。ではその胡桃を割ってみましようか。ーーというわけで、桃太郎一行は金銀財宝を荷車に積んでうちへとかえりましたとさ。めでたしめでたし。はい、おしまい。の、つづき。桃太郎はいった。「さてイヌくん、サルくん、キジくん。ご苦労さん。これでミッションは終わりだ。さあ、ここで解散だ」。イヌがいった。「へえ、よござんす。でもこの金銀財宝はどうしやす?」「どうするって、そりゃまあ、村のインフラを整備したり学校をつくったり……」。サルが割り込んだ。「とぼけちゃいけませんや。うまいことをいって、独り占めにしようって魂胆がミエミエですぜ」「そんなことはしません、なにしろボクは正義の味方ですから」。キジがせせら笑って「信用できねえな。人間ってなあ、お宝を前にすると人が変わるっていいやすからね」「いいだろう、ではみんなにはボーナスとして金貨一枚、大粒の真珠を一個づつ進呈しよう」。イヌがいった。「へえ、ずいぶん安く見られたもんだな」。サルがいった。「そんなはした金で誤魔化そうったってそうはいくもんけえ」。キジがいった。「ここはいちばん、四等分ってえのがスジじゃねえんですかい」。と、障子がガラリと開いておじいさんがカマを片手に入ってきた。「じゃあワシらの立場はどうなるんだ。その子を育てたのはこのワシだ」。おばあさんが包丁を持って入ってきた。「だいたいそもそものはじまりはワシが桃を拾ってきたからじゃないか」。桃太郎はギラリと刀を抜いて身構えた。「ええい、うるさい。リーダーはこのボクだ。文句があるやつは片っ端から斬り殺してやるからかかってこい」。さあ、ここから阿鼻叫喚。ってトコへ表戸がひらいてスーツ姿の男が入ってきた。「あの、税務署の者ですが……」。全員が声を揃えて「やかましい! 引っ込んでろ!」。表がずいぶん騒がしい。覗いてみるとノボリを翻して大勢の人が口々になにやら叫んでいる。ノボリには「鬼差別反対協議会」と書かれていた。とまあ、<教訓>みなさん胡桃はそっとしておきましょうね。

荒井まり子

特選句「出掛けるつもりの湯灌金木犀」。久しぶりに驚いた。高齢化で色々取り沙汰されているが、この句の境涯淡々と憧れる。

漆原 義典

特選句「栗ご飯小回りの利く母が居た」。もうすぐ三回忌を迎える母を思い出します。中七の小回りの利くがうまくお母さまを表現していると思います。ほのぼのとした句をありがとうございます。

藤田 乙女

特選句「老いの海私は何処を目指すのか」。は、まさに今の私の心境そのものです。とても共感しました。特選句「時という分別箱へ木の葉かな」。 とても惹かれる句でした。しみじみと来し方を振り返りました。  「時という分別箱に収まらぬ身の内にある恋の残照」

三枝みずほ

特選句「木枯らしは探すどこにもいない人」。実景は木枯らししかないが、木枯らしに立ち尽くす一人の存在を感じさせる不思議な世界観に惹かれた。特選句「はにかみは最後の仕上げ実オリーヴ」。一読、はにかみを意図的にする男性の句かと思ったが、これは女性がはにかむ男性へ恋をした瞬間を読んだものかもしれない。「最後の仕上げ」のあいまいさが読みを広げ、面白かった。

亀山祐美子

特選句「ため息を折り込む小指秋深し(高木水志)」。自分の中の澱を吐き出す溜息。出そうと思って出すわけでは無い。むしろ意思に反して出てしまう。そのため息を両指を絡めた小さな空間に流し込む。折り畳めるものならば小さく小さく小さく小指で折り畳んで無いものにしてしまいたい杞憂秋愁。溜息は自己修復の第一歩なのかもしれない。

稲   暁

特選句「木枯しや亡き犬の小屋仕舞いけり(植松まめ)」。犬好きの私としては見逃せない一句。淋しさ哀しさがしみじみと伝わる。

松本美智子

特選句「茶の花や保ち続ける平常心」。茶の花を直接見たことはなかったので,調べてみました。清楚で可憐な白い花ですね。コロナの勢いはだんだんと収まってきていますが、まだまだ心の中に引っ掛かりをもったまま生活しています。平常心を保ちたいものだと思います。「茶の花」の雰囲気と「平常心」が響き合っている句だと思いました。

高橋 晴子

特選句「老画家に柚子を貰って別れけり」。老画家、柚子、別れ、それだけで絵になる。何も言ってないところが実に爽やかでいい。                                                                  

野﨑 憲子

特選句「まだ出掛けるつもりの湯灌金木犀」。揚句の<まだ>に、他界された方の前向きな生き方が見えてまいります。金木犀が最高の供花ですね。因みに、今月の拙句「目元はシヤネル大狐火の笑まふなり」につきまして・・私の母、髙木繁子は、晩年パーキンソン病に苦しみ最期は病院のベッドの中で迎えました。その頃、学生時代の友からシャネル5番の入った乳液をもらいました。それを、お見舞いの度に母の顔に付けると奇跡のように嬉しそうな眼をしてくれました。お洒落な母でした。怒ると、とてもおっかない母でした。湯灌の折のお化粧の下地にもこのクリームを塗りますと弟が「そんなに塗ったら母さん、この世に未練ができて成仏しないよ」と苦笑しました。でも、今は生前のように、句会に一緒に来てくれていると強く感じています。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

膝小僧
みかん剥く窓の鈍行膝小僧
藤川 宏樹
膝小僧またすりむいて冬に入る
野﨑 憲子
膝小僧にはいつも赤チン青みかん
中野 佑海
膝小僧抱いて月下の独房に
島田 章平
秋歌舞伎膝小僧で見えを切る
銀   次
冬眠もならずやひかりの膝小僧
野﨑 憲子
木の葉髪
怒髪天酒呑童子の木の葉髪
銀   次
木の葉髪怖いものもうなにもない
柴田 清子
木の葉髪女形は首をのばしけり
田口  浩
つつがなく生きし二人か木の葉髪
植松 まめ
妻逝きて五年の床や木葉髪
島田 章平
言いたいことばかり浮かんで木の葉髪
野﨑 憲子
はにかみ
性格の真っ赤はにかむ赤蕪(かぶ)も
田口  浩
ラ・フランス梔子の実のはにかみ
河田 清峰
背にギターはにかむ君や青レモン
植松 まめ
はにかむや十一月の天邪鬼
野﨑 憲子
はにかみのあとの大きなくしゃみかな
三枝みずほ
ホームラン打ってはにかむ汗の顔
島田 章平
はらはらと何をかにかむ紅落葉
銀   次
枯蟷螂だってはにかむ時がある
柴田 清子
ライトアップ
ライトアップ青や赤の樹鬼潜む
三好三香穂
秋なすのライトアップはないものか
銀   次
百歳の母ライトアップの月下
島田 章平
ライトアップ外れしままに枯蟷螂
田口  浩
尻持ちの少年烏になって冬
田口  浩
火の鳥の羽音ばかりや冬の尻
野﨑 憲子
尻餅を無駄にはしない初笑い
中野 佑海
小六月天体ショーに尻向けて
河田 清峰
尻まろき女人の後の秋遍路
三好三香穂
確率論じ父の継子の尻拭
藤川 宏樹
自由題
臍の緒を切って二つの神無月
田口  浩
閉店の招き猫にもある秋思
島田 章平
狐火を八ツ従えヤツがくる
野﨑 憲子
虹が足だしおり瀬戸の海凪ぎる
佐藤 稚鬼
無花果に指柔らかくたてるかな
佐藤 稚鬼
月明やゆらいだ影の俺を踏む
藤川 宏樹
介護保険をお付けしましょう皇帝ダリヤ
中野 佑海
補聴器やしくしくと鳴る秋の風
島田 章平
木枯しの一撃一瞬にして老う
銀   次

【通信欄】&【句会メモ】

冬麗の一日、サンポートホール高松五階の円卓会議室での句会でした。参加者は11人。事前投句の合評の後、袋回しの開催は午後3時近くになりましたが、ご覧の通り色んな魅力いっぱいの作品が集まりました。生の句会でなければ味わえない合評の緊張感、そして笑顔笑顔。やはり句会は最高です! 次回のご参加を楽しみにいたしております。

先月刊行の『海程多摩』(安西 篤代表)第ニ十集記念号に、昨年上梓した「海程香川」発足10周年記念アンソロジー『青むまで』が紹介されました。その中で、「海程多摩」の竹田昭江さんが、参加者全員の各一句を見開き2頁に厳選し掲載してくださっています。11月句会報でも披露させていただきました。素敵な企画とご執筆に感謝です。

亀山祐美子さんのお母様のご逝去の訃報が届きました。翌日の句会の用意をされて独り暮らしの伊吹島のご自宅で倒れていらしたと聞きました。本会の吟行で幾度か伊吹島の民宿に泊り句会をしましたが、毎回、飛びっきりの笑顔でご参加くださったのが昨日の事のようです。二か月前に、「朝月の残る小島や連絡船(久保カズ子)」に出逢ったばかりで今も信じられない思いです。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

Calendar

Search

Links

Navigation