2018年6月30日 (土)

第85回「海程」香川句会(2018.06.16) /花巻遠野吟行(2018,06.22~06.24)

IMG_2963.jpg

事前投句参加者の一句

めろんはめろんヨシ度胸で行こう
めろんはめろんヨシ度胸で行こう 伊藤  幸
わからない心が岬に立てば夏 谷  佳紀
母のおにぎり溢れて持てぬ新樹光 中野 佑海
サンダルを飛ばす先から晴れてくる 新野 祐子
わが町の絶滅危惧か鯉のぼり 野澤 隆夫
菖蒲園心のことを忘れけり 山内  聡
母を困らす手紙投函夏帽子 田口  浩
芒原凸面鏡のなかですよ 男波 弘志
青蛙愛の渇きの枕抱く 藤田 乙女
そっといちごつぶす客間に父といる 竹本  仰
蓑虫の宙ぶらりんという自由 寺町志津子
梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて 三好つや子
鸚鵡飼うまで仁王像啼いていた 豊原 清明
奥へゆくほどほうたるの息づかひ  三枝みずほ
落ち梅の触るる人なき紅さかな 亀山祐美子
片方の足が宙蹴る蛇の口 島田 章平
麦熟星少女自転車立ち漕ぎす 大西 健司
ヒトに生れてをらねばきっとほうたるに     谷  孝江
蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹 鈴木 幸江
山羊の目は異郷の昏さ青水無月 月野ぽぽな
チューリップ俺の心臓かと想う 増田 天志
親指を握る採血はたた神 菅原 春み
古墳から古墳へ緑野白昼夢 高橋 晴子
ほうたるの死ふっと常磐つゆくさ 河田 清峰
なんでもないように生きる田水張る 桂  凛火
梅雨の人凛と皺なき綿のシャツ 野口思づゑ
やや勤勉な海月の亜種を飼育中 藤川 宏樹
単身赴任蛇が畳で待っている 稲葉 千尋
生意気な顎へ吹き来る青田風 松本 勇二
青梅を捥ぐはるかより青馬一頭若森 京子
めろんはめろんヨシ度胸で行こう 伊藤  幸
かっこうかっこうおむすびひとつ野を歩く 夏谷 胡桃
空手(くうしゅ)にて泊つべし両神山青む 野田 信章
愛憎を溶いて蛍の梅雨の闇  小宮 豊和
叱られて蛍袋の中にいる 重松 敬子
人も来ず金魚ゆったり太りゆく 中西 裕子
プランクーシの手びねりなりや蚕豆は 田中 怜子
ときどきは鳴いてときどき牛蛙 柴田 清子
太筆の含みし墨の卯波かな 漆原 義典
雨のねずみ死にたかったのに生きた 銀   次
注連半分朽ちどくだみの花盛り 亀山祐美子
しんがりは楽し六月水の音 野﨑 憲子

句会の窓

島田 章平

特選句「しんがりは楽し六月水の音」。三段切れが歯切れ良い。「しんがりは楽し」と言い切ったところに作者の明確な生き様を感じる。「二番ではいけないんですか?」と言った某大臣に比べ、この清々しい到達感。あるがままに生きる。 そして決してあきらめない。水の音が快い。作者の人生観に乾杯!【問題句】・・ではないが、拙句の自解を。「片方の足が宙蹴る蛇の口」。この句は「蛇が蛙を飲み込むその瞬間」がふと頭に浮かび、そのまま句にしたものです。ただ、表現が稚 拙だったためか、蛇を蹴る人の足が見えた様でした。蹴られた蛇は月まで飛んだことでしょう。頭を洗って出直します。誤読に乾杯!

藤川 宏樹

特選句「そっといちごつぶす客間に父といる」大事な打ち明け話を控えた娘と父、二人の緊張感、似たような経験が私にもあります。ドラマの繊細な一場面を描写しています。まだ五七五の括りの中を彷徨っている私には、「そっといちごつ ぶす」という措辞は出てきそうもありません。

増田 天志

特選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」一線を越えると荒い息遣い。

☆【海程への想い】海程ほど、居心地の良い時空間は無い。個性、独創の尊重。主宰の懐で自由自在に遊ぶ。俳句仲間も、温かい。翼を思う存分広げる。楽しい想い出を有り難う!

谷  佳紀

特選句「生意気な顎へ吹き来る青田風」:「生意気な顎」という把握が印象的。「青田風」は物足りない。問題句「蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹」:「蟻一匹」がつまらないので入選句には出来ないが、「蟻辞める蟻もあるだろ」には興味を 持った。こういう句は着地が難しい。「蟻一匹」を上に置いた方が良いのではないだろうか。

☆「海程」の終刊は来るべき時が来たにすぎません。どなたかが跡を継ぐというよりはすっきりします。

田中 怜子

特選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」闇に吸い込まれそうね、また幻想的世界。現実は足元は危ないけど。

大西 健司

大西 健司◆特選句「叱られて蛍袋の中にいる」蛍袋の中に逃げ込むという発想は常套的であろうか。そう思いつつこの追い詰められように共鳴していただいた。簡潔な物言い、詩的な断定の良さを思う。問題句「ときどきは鳴いてときどき牛蛙」 気になった句だが「鳴いて」はいかがなものか。「泣いて」ではと思いたい。ひとおもいに「ときどきは女ときどき牛蛙」これぐらいまで飛躍してほしいと読み手は好き勝手なことを言うのです。

☆ところで「海程」がいよいよ終刊となる。兜太先生も亡くなられたいま、私の青春は終わった。何を寝ぼけたことをと言われそうだが、十九歳で入会、第九十一号から投句。私の青春は海程とともにあった。大人になりきれないままに未だに模 索している。それだけにそんな思いが強い。「あきらかに若し かつ若くあれ大西健司よ」先生にいただいた言葉を胸に、先生の大きな懐から巣立たなくてはと強く思っている。先生ありがとうございました。

稲葉 千尋

特選句「慰みをもの干す空也昼花火(藤川宏樹)」空也上人のことはあまり知らないが昼花火が効いていると思う。特選句「夏霞漢和辞典の古き染み」夏霞と古き染みが漢和辞典を引き立てている。表紙は赤が良い。

中野 佑海

特選句「梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて」しとしと降り続く雨だけでも結構滅入るのに、睫毛の先に鍵なんか付けたら本当に折れちゃうよ。おーい、帰っておいでー!!特選句「まるで珊瑚でMは表現できない梅雨(谷佳紀)」珊瑚ってな んか複雑で生きているんだろうけど、ガラス細工のようで触ると痛そう。おまけにこのじとじとの梅雨って。もう絶対にMは「マゾ」でしょ!!なんとか弁明を望むような、放っておいて欲しいような…。  皆様のいろんな御句で楽しんでます。もう遠野吟行。どんなてんやわんやがあったかなかったか。来月号をお楽しみに。夏谷胡桃さんお騒がせ致します。

野澤 隆夫

特選句「母を困らす手紙投函夏帽子」分かってても出さざるを得ない手紙。相当に決意して書いた文面かと。作者の熱い思いと、ポスト投函直前の目深にかぶった夏帽子の景色が浮かびます。もう一つは「惚れっぽい男の常で夏風邪を(田口 浩)」惚れっぽい男=夏風邪の等式が面白いです。「常」と強調したところがいいです。問題句「薔薇の月曜机に河馬などルパンなど」何とも不可思議な分からない句ですが、でも不思議に納得したりして。「薔薇の月曜」?でも「そんな月曜なん だ」机に「河馬」?「カバヤ・キャラメル」ではないのか?そんな!「ルパン」?「怪盗ルパン」月曜日。机の上に薔薇の花瓶。そしてカバヤのキャラメルと新潮文庫のルパン傑作集。

松本 勇二

特選句「梅雨の鬱まつげの先まで鍵かけて」この時期メンタル面で弱ってしまう人が案外多く出ます。まつげの先まで施錠するという大げさな言いぶりに納得させられました。問題句「わからない心が岬に立てば夏」混沌から抜け出す一瞬が 巧みに表現されています。「心が」の「が」を取れば切れが出てなお深い句になると思います。

伊藤  幸

特選句「わが町の絶滅危惧か鯉のぼり」少子化日本、そういえば我が町も鯉幟を余り見なくなった。衰退に向けてまっしぐら、日本はどうなるのでしょう。特選句「夜っぴいてする死のはなし青田風」病床にある人か又は弔いの話か、いずれ にせよ前向きではないがそこに青田風、つまり未だ稔りきらない田に風が吹いている。対照的な捉え方が諧謔を弄している。

河田 清峰

特選句「しんがりは楽し六月水の音」しんがりはほっとかれぼっちでさみしいものであるが作者はそれを楽しいと…六月の雨の多い季節と響きあっている!水の音がいいと思う!私も雨の音が好きで癒されれいるよね!

亀山 祐美子

特選句『母を困らす手紙投函夏帽子』大抵の事は電話かメールで済ます昨今、わざわざ手紙を認める。母親宛てに。会いにも行かず、声さえ聞かず、結果的に母親を困らせることになるそれを書き送る逡巡。そんな手紙を投函せざるを得ない 「夏帽子」切ないなぁ…。特選句『かっこうかっこうおむすびひとつ野を歩く』晴れ晴れと楽しむ野遊びの一日が羨ましく、微笑ましい。問題句『青葡萄山のこ降りるはやさかな(菅原春み)』元気があって大好きな一句。「山のこ」の「こ」がな ぜ「子」じゃないのだろう。「こ」に「はやさかな」を呼応させたくて「速さ」「疾さ」を嫌ったのだとは思うが、やはり、ここは「子」ないし「児」の方が焦点がはっきりするだろう。問題句『片方の足が宙蹴る蛇の口』この句は揉めましたねぇ 。曰く「あるはずのない蛇の足が宙を蹴っている。何かのメッセージ?」の野崎説。曰く「いきなり蛇に出くわした人間が慌てて蛇を蹴ったら蛇の逆襲にあった」の田口説。曰く「蛇の口から飲み込中の蛙の足が片方…」の島田説に一同納得。面白 い一句でした。問題句『ヒトに生れてをらねばきっとほうたる』は池田澄子の「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」があり。『なんでもないように生きる田水張る』は村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」の人口に膾炙されている 先行句があり、それを越えなければならない難しさがある。何はともあれ句会に出なければ独りよがりは避けられない。独善に陥らぬためにもまた出席させて頂きます。皆様の句評楽しみにしています。

野田 信章

特選句「どくだみの花端役にはもう飽きた(寺町志津子)」の句は他でもない自身に対して啖呵を切った。このものの言い様に、どくだみの生命力―その白さがしみている句柄である。特選句「楝散りわが影法師追う誰ぞ(矢野千代子)」の 句は孤影として己に帰着する他はない。このひとり語りの呟きに、楝―散り敷く薄紫のその小花の色調が一句の屈折度を深める句柄となっている。二句共に、美意識の確かさあっての季語の配合と修辞のあり方かと注目させられた。

重松 敬子

特選句「サンダルを飛ばす先から晴れてくる」待ちに待った夏がやって来た喜び,楽しいこといつぱいの躍動感が伝わってきます。一瞬にして子供の頃に戻りました。このわくわく感は、いつまでも持ち続けたいと思わせる句。

田口  浩

特選句「単身赴任蛇が畳で待っている」単身赴任の主人を蛇になって待つ。家庭の主婦にとって、蛇の情念は異常かもしれない。しかし〈畳〉の一字によって句は、それを打ち消していないか。青い炎を畳が冷やしてくれていると読む。さす れば、着物姿の女性が見えてこないでもない。平凡をさけて、個性を表出する。後は読者に任せばよい。文台下ろせばであろう。

新野 祐子

特選句「蓑虫の宙ぶらりんという自由」蓑虫は秋の季語ですが、秋だとちょっとさびしげ。今の季節なら、そうは見えないかも。律義でもなく、潔癖でもなく、立派でもなく、宙ぶらりんという生き方もいいのではと、思いたくなります。特 選句「奥へゆくほどほうたるの息づかひ」ほたるを追って、足音も立てず闇の中をさまよう自分の息づかいにも、ふと気づきます。問題句「ヒトに生れてをらねばきっとほうたるに」池田澄子さんの「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」が、あま りに有名ですからね。入選句「蟻辞める蟻もあるだろ蟻一匹」人辞める人もあるだろ人一匹、なんてつぶやいてしまう時がありますよね。私だけか。入選句「青梅雨や湖と空つながって」湖と空がけむって渾然一体となっている風景。この青梅雨と いう季語は動かないのでは。 

☆七年間でしたが、兜太先生に句を見ていただいたこと、本当に得難いしあわせでした。何事にも終わりは来るもの。でも、そこが始まりです。「海程」香川句会を、「海原」を、盛り上げていきましょう。

漆原 義典

特選句「青蛙愛の渇きの枕抱く」青蛙と愛の渇きの取り合わせが抜群にきいています。大好きな句です。作者に感謝します。

若森 京子

特選句「チューリップ俺の心臓かと想う」あの可愛らしいチューリップだが、ふと見ると真赤な血の色、形も何となく心臓に似ている。下五の〝想う〟の措辞に作者とチューリップの今迄の係り方に色々と想像が沸いてくる句だ。特選句「拳 ほどの反骨揺れるハンモック(重松敬子)」拳ほどの反骨精神とハンモックの揺れがお互いに響き合って一個の人格が見える様だ。

鈴木 幸江

特選句評「単身赴任蛇が畳で待っている」先日も、単身赴任という現象は、日本現代社会では増加するだろうという批判的な内容を含む記事を読んだ。5年間の単身赴任を経験した家族としては、この句に、その時の夫の置かれた状況。慣れ ぬ職場で孤立し、誰もいない家に帰った時の精神状態を思い出さずにはいられなかった。人の心に潜む魔性と出会う日々を送っていた夫を待っていたのは、畳の上で蜷局を巻いてそれを狙っていた魔物の蛇であった。今思えば、その対策としての、 家族間のコミュニケーッション不足が悔やまれる。これから、単身赴任を経験するご家族、今しているご家族、コミュニケーッションを大切にして、乗り越えて欲しい。問題句評「まるで珊瑚でМは表現できない梅雨」難解句でも、ストンと入って 来るのと、どうしても私の脳の感受機能を超えてしまうものがある。何故なのかを検討してみた。配合的技法の句は新しい世界を表出させるので評価はしているのだが、この句の場合、“表現できない梅雨”の感受が“まるで珊瑚”というのは新鮮 なひとつの感性でストンと入って来る。しかしそこに、“Мは”が配合されると、“表現できない梅雨”との関係は面白いのだが、感受テーマがふたつあるようで、私にはピンボケしてしまい、感受断念残念。作者に説明していただかないと分から ないので、問題句とさせていただいた。

高橋 晴子

特選句「青梅を捥ぐはるかより青馬一頭」青梅を捥ぐ時の感覚をこういう表現で捉えた。一頭といわない方が面白いと思うけどね、感覚的な句。問題句「てふてふが一つ難民てふてふてふ(竹本仰)」難民の不安、頼りなさ、所在なさ、うま くいえないけど、そういった感情を〝てふてふてふ〟という音感で表しているのだと思うけど、〝てふてふが一つ〟との対比?が成功しているかどうか。

山内  聡

特選句「蓑虫の宙ぶらりんという自由」蓑虫は蓑の中だけの世界、監禁に近い。しかし蓑とともに宙ぶらりんという自由はある。俳句も俳句という形式に監禁されている。しかし俳句という自由がある。人間もいろいろな制約のもとに生きて いる。その中に自由は十分にある。何事もそうなのだと思う。万物は制約の中の自由を満喫しているのだ。有限の中の無限ですね。掲句はそれの暗喩かと。

月野ぽぽな

特選句「奥へ行くほどほうたるの息づかい」信州辰野のほたる祭に今年も行ってきた。夕暮れ時から点り出す蛍、蛍、蛍、山沿いの道を進んで行くたび暮れ進み、蛍の数も増えてゆく、異界に紛れ込んだような感覚を思い出した。

豊原 清明

特選句「青蛙愛の渇きの枕抱く」:「「愛の渇き」が良い。詩に「愛」は禁句というが、愛の欠片もない、現代社会のふいんきがよく出ている。青蛙が良いと思う。愛に飢えている、人間と愛にこだわらない、青蛙、と、読んだ。青蛙は充分 、満たされているのかもしれない。問題句「虹立つや「ゆるしてくださいおかさん」(野﨑憲子)」問題句ではないと思う。でも、リアルだったので、問題句に選んだ。相当、悲鳴の度合いが深い。母の厳しさに、叫んでいるような。赦しをこう、 台詞を俳句にしたのが良い。

小宮 豊和

「岩の顔積乱雲の近づけり」実景かイメージの描写かはわからないが、私にとっては映像は鮮明である。大きな岩があたりを圧して据っている。その岩の一部が顔のように見え、近づいてくる積乱雲をにらんでいる。ところで「岩の顔」を「 顔の岩」と置きかえてみると、私の場合は、山の中腹か、岩山の一部に、人面の岩があるように思われ、背景が映ってくる。しかし積乱雲については同じである。選句しながら、少々不思議な感覚の句であると感じた。

柴田 清子

特選句「雨のねずみ死にたかったのに生きた」六月の126句で一番心に響いて来たのが、この句です。

中村 セミ

特選句「そっといちごつぶす客間に父といる」色々想像出来て生活のどこかの時間を切とっている様に思う。色々と書いたが、私は、かってに思うに、婚約者の家にでもやってきて、何かの話をする時間迄の緊張感がよく表わされている様に 思い、面白いと思う。

谷  孝江

特選句「やや勤勉な海月の亜種を飼育中」えっ アシュ って? と、一瞬とまどいました。面白いですね。私も、もしかして何の亜種かな、なんて考えました。楽しく考える時間をいただいたのです。へんにむつかしい句ではなく、くすっ とする句です。私の思い違いかな。でも良い意味で大好きな空間を頂きました。また一つ教えていただいたのです。これからも、よろしく。

矢野千代子

特選句「芒原凸面鏡のなかですよ」一人の姿などすっぽり隠す芒原は、不思議でいちめんおそろしい世界です。凸面鏡はなによりの感受でしょう。特選句「なんでもないように生きる田水張る」田に水が入ったとたんに蛙がうるさくて・・・ と聞いたことがある。自然界の営みに上質の健全なフレーズが生きる。

竹本  仰

特選句「母のおにぎり溢れて持てぬ新樹光」母のおにぎりにあるオーラをこう表現したのだと思いますが、「持てぬ」と打消にしたところがよかったと思います。そして、そこにあった新樹光は、ずっと先祖から流れて来たのだというイメー ジを見事に出しており、米粒が神聖な領域にまで高められていて、鬼城「生きかはり死にかはりして打つ田かな」を連想させます。特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」この句の中にある描写力に惹かれます。「異郷の昏さ」というのが、本当 にのぞきこんで不意に言葉と出会ったのだなあと、新鮮かつ深みのあるものになっているようです。塚本邦雄「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人をあやむるこころ」を思い出しましたが、そう比較すると、この句の作者は、或る親和力 のようなものに期待を抱いているところが見え、優しくナイーブな目線を感じました。特選句「青梅を捥ぐはるかより青馬一頭」梅の実を捥いだ一瞬、青馬が一頭駆けてくるのが見える、そんな新鮮さが詠まれています。荘子の言葉に、人生とは白 駒が駈けて過ぎ去るのをすき間から見るようなものだ、というのがあったと思います。ここは、青馬、青春の一瞬でしょうか。はるかからなんだけれども、荘子の言う通りそれはときめきと同じくらい短いものであるかもしれない。けれども、忘れ がたい鮮烈な体験でしょう。歌人定家が時折詠む「駒」には不思議な魅力がありますが、この句に何か大変近いものかなあと、そんな共感を覚えました。

菅原 春み

特選句「 古墳吹く風に吹かれて行々子[高橋晴子)」 古墳がいいです季語の行々子も活きています。特選句「 落ち梅の触るる人なき紅さかな」まったくなにげない句。その紅さが身に沁みます。

中西 裕子

特選句「雨の泳その肋骨の折るるまで(銀次)」力強くもあり、やけくそぎみなところも感じられ面白いと思いました。

三枝みずほ

特選句「なんでもないように生きる田水張る」何でもないように淡々と生きることと、田水のもつ生命力、泥くささの取合わせがよかった。どちらも自然の流れの中、時間と労力がいる。

男波 弘志

特選句「わからない心が岬に立てば夏」岬の直線がある意思体を沖へ走らせている。「老人を嫌う老人羽抜鳥(重松敬子)」自己の中にないものを求めているのが、創作であろう。「慰みをもの干す空也昼花火」自己を仏に差し出すこと、そ れを慰み、といったのだろう。昼の花火に人間臭がある。「父も昔浮かんで降りて遠郭公(松本勇二)」空へゆくのが鳥、地に降りるのが人間。なんども浮かぶのは快楽。「なんでもないように生きる田水張る」なんでもないように、張りつめてい る、水、これは人間の創りだした、意匠、ときに人間は偉大なことをする。「単身赴任蛇が畳で待っている」他郷の怖ろしさ、山の深さ、がよく出ている。「注連半分朽ちどくだみの花盛り」土に還る注連が、どくだみの白十字に何かを与えている 。

野口思づゑ

特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」実物を見ればそのように感じないのだが山羊はどこか悲しくて寂しい印象がある。それを、目の異郷の昏さ、青水無月を下5にもってきたところに感心した。特選句「古墳から古墳へ緑野白昼夢」緑 たたえた古墳群であろうか。白昼夢のように古代に思いをはせるロマン豊かなひと時の光景。「わが町の絶滅危惧か鯉のぼり」この句を目にした時本当に驚いた。私は海程5月号で、この句と上5と中7一字違いの句を投句したのだ。旅先で鯉のぼ りを見た時の思いだったので私は「わが町」でなく「いつの日か」としたのだがこの方の「わが町」の方が格段に良いと感じ、最初は真面目にどなたかが私の句を添削して下さったに違いない、と思ってしまった。ただ私は香川の句会にはこの「鯉 のぼり」は投句した覚えがなかったので、同じ思いをした方がおられた、という事で大いなる共鳴句でした。

☆【海程への思い】俳句は大嫌い。だった。大親友の菅原春みさんから俳句に誘われた時、他の分野だったらよかったのに、思ったのだが良い方向に魔が差したとでもいうか、気がついたら海程へ入会していた。その時どなたかに「本当に金子先 生知らなかったの!それで入会したの!だったらあなたとてもラッキー」と言われたが「海程」所属年月に比例してその言葉が実感として深くなる。初めて海程誌を手にした時は愕然とした。日本語なのに意味不明。漢字が読めない。スワヒリ語の 本を見たらきっと同じ感想だったと思う。で、初めは句以外の、通信文などしか読まなかった。ある号で金子先生の、句会が大切との言葉を目にし、軽い好奇心で東京例会に参加。金子先生にご挨拶し、初めて直接言葉を交わす事ができ、そこでそ のお人柄に心が弾んだ。金子先生が主宰の俳句でなかったら私は相変わらず俳句毛嫌いだったかもしれない。俳句とは、まだ一体感を得るところまでは到達していないけれど生涯の友達になった。いつかは来る別れで海程は終わったかもしれないが 、源流はずっと残る。その流れは「海原」や、より直接的には香川の句会に注がれる。ありがたいと思う。そして新しいページを心から祝したいと思う。

寺町志津子

特選句「しんがりは楽し六月水の音」奇しくも,選句表のしんがりに位置している揚句。さっさかさっさか先行く人に遅れて、折からの新緑の中、あっちを見、こっちを眺めして,楽しみながらゆっくり歩んでいる作者。耳にはどこからとも なくせせらぎの音が・・・「どこか個性的」な「六月」(好きな句としていただいた)のことでありながら、こせこせ競わず、焦らず、ゆったり、ゆっくり人生を十二分に味わいながら歩んでいる作者の生き様に共感しました。

三好つや子

特選句「秒の音吊り忍に止まりけり」吊り忍のある町屋風の部屋を想像。秒の音が止まるという意表をつく言い回しに、凛とした涼しさと静けさが迫ってくるようです。特選句「虹のほうへ少女ふっと出る旋律(三枝みずほ)」亜麻色の長い 髪を風がやさしくつつむ・・・こんな歌の一節が、夕立のあとの虹を見て、口からふいに零れたのかも。「虹のほうへ少女」と「ふっと出る旋律」の組み合わせのユニークさに惹かれました。入選句「やや勤勉な海月の亜種を飼育中」のらりくらり と自由に生きていそうな海月に、近づこうとして近づけない、作者の気持ちを感受。面白い句です。

桂  凛火

特選句「火を囲む島のガムラン月涼し(増田天志)」とても幻想的な風景です。ガムランとは民族音楽のことのようですが、「火を囲む」という入り方で映像的に成功したと思います。月涼しの締め方も好きでした。バリ島とかのことかと思 いますが、ことばの世界として十分によく伝わる表現で素敵な句だと思います。

夏谷 胡桃

特選句「山羊の目は異郷の昏さ青水無月」。山羊の目は何かあります。こちらを見つめているようないないような。猫や犬と違います。目の奥に山羊の世界があります。異郷の山羊の記憶なのでしょうか。少し季語を別のものにしたくなりま したが、好みなのかもしれません。  

 ☆「海程」が終刊です。飽きっぽい私にしてはずいぶん長く俳句を続けられました。毎月送る俳句は金子兜太先生のラブレターでした。これからは誰にラブレターを送ればいいのでしょうか。先生の優しさと反骨精神を忘れないで生きていき たいと思います。

藤田 乙女

特選句「叱られて蛍袋の中にいる」隠れ家にもなり、優しく迎え入れ、包み込んでくれそうな蛍袋、叱られてその中にいるという表現が童話や絵本の中の一部分を見ているような錯覚に陥り、メルヘンチックで素敵だと思いました。

銀   次

今月の誤読●「サンダルを飛ばす先から晴れてくる」。「ねえ、ドラえもん、ぼくたちもう何日も外に出てないよねえ」「しょうがないよ。いまは梅雨なんだから、雨に濡れたらロボットのぼくは錆びちゃうんだよ」「だから、その四次元ポ ケットからなんか出してさ」「しょうがないなあ。じゃあこんなのどう!」 ♪テレレレッテレー! 「なに、それ?」「晴れるやサンダル!」「その<サンダルを>どうやって使うのさ?」「これをはいてお外にいくの。それでもってゲタ飛ばしの 要領でポーンと飛ばすのさ。そうすっとね。<飛ばす先から晴れてくる>んだよ」「へえ、すごいねえ」「じゃ、やってみる?」「うん」「だったら、これをはいて」「そんでもってこのサンダルをポーンと。あれれ、ほんとだ。晴れちゃったね」「 さ、遊びにいこ」「うん。それで雨のところまできたら、またポーンと飛ばして、と。うわあ、すごいや、どんどん晴れてくね」「あーあ、雨上がりは気持ちがいいね」「うん。んで、またポーン。あ、いけない。川に落としちゃった」。夜のニュ ース「本日、気象上の珍現象がおきました。✕✕川の流域だけ、かんかん照りとなり、田植え中のお百姓さんたちは困惑ぎみです」「ねえ、ドラえもん。これって晴れるやサンダルのせいじゃないの?」「うん、たぶんね」「どうする? お百姓さ んたち困ってるって」「よし、これでどうだ!」 ♪テレレレッテレー 「それなに?」「雨ふれアンブレラー。さ、これをこっそり✕✕川に流しにいこう。どんどん雨がふるはずだよ」「よーし、そうしよう」。翌日になりました。「ドラえもん 。退屈だねえ」「まあね、雨だからね」「あ、そうだ。いいこと思いついた。こうなったらヒマつぶしに勉強でもしよう」「え、えええええええええ。のび太くんがベンキョウ? それじゃあ、雨どころか嵐になっちゃうよ」

野﨑 憲子

先ず、問題句から「てふてふが一つ難民てふてふてふ」あまりにも省略の効いた作品に、想像の翼が羽ばたく。蝶が難民か、難民が蝶か、そんなことはどうだっていい。「てふ」の繰り返しが、難民の不安な心情を表現して余りある。私たち も、いつ難民になるかも知れない。限りなく特選に近い問題句であります。特選句「空手(くうしゅ)にて泊つべし両神山青む」この作品を一読、「海程」秩父俳句道場を想った。「空手」とは、何も持たずに来て何も持たずに去ること。毎回、私は 、道場へ行く前日まで、ほぼ毎日、朝日俳壇に投句していた。同じ句を師にお見せできないと思い持句の無い、空っぽの状態で参加していた。疲れて集中力の切れた時は、句がまったく浮かばなくてじりじりとした思いで夜明けを迎えた。あのかけ がえない緊張感を「両神山青む」に見た。空っぽの状態で来て、いつも大きな元気をいただいて帰っていた。両神山は、底知れないパワーを持った師そのものであり、師に出逢えた事が、私の生涯の宝であります。  

次回は、八月句会です。「海程香川」ますます渦巻いて参ります。どうぞ宜しく!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

田植え1
泥はねて田植体験はだしの子
野澤 隆夫
田を植えて深い眠りに落ちてゆく
柴田 清子
千枚の千の人呼ぶ田植えかな
河田 清峰
田水張る新聞拡げ床屋婆
藤川 宏樹
空色の声もまじりて田植唄
野﨑 憲子
蠅出でて新聞まるめる手際よさ
野澤 隆夫
金の無い食う寝る男蠅生まる
亀山祐美子
銀バエの一夫多妻を邪魔をせり
田口  浩
めまとい(まくなぎ)
めまといに教え教わる愛のこと
鈴木 幸江
めまといや息することのわずらわし
藤川 宏樹
めまといや踏み石の巾余りたる
河田 清峰
喉にひっかかるまくなぎを許せない
田口  浩
まくなぎや母と歩きし母の海
亀山祐美子
まくなぎの好きなガラスの赤燈台
柴田 清子
海鵜
見えてゐて海鵜とわかるまで海
柴田 清子
海鵜来て行こと言うので服をぬぐ
田口  浩
六月の虚空を掴む海鵜かな
野﨑 憲子
水無月
青水無月地球ぶつくさ火を吐けり
亀山祐美子
内股に雀の来るよ水無月よ
田口  浩
水無月や水に映りし讃岐富士
島田 章平
水無月の掘と櫓を素通りす
河田 清峰
水無月や人にけだるさうつそうか
柴田 清子
サクランボ
妹に甘えてみようさくらんぼ
柴田 清子
人類の記憶の底のサクランボ
野﨑 憲子
子といたい仕事行きたいさくらんぼ
三枝みずほ
思い出し笑いを笑うさくらんぼ
田口  浩
牛蛙
ほんとうの親を探して牛蛙
野﨑 憲子
長靴ちゃぶちゃぶするよ牛蛙
三枝みずほ
牛蛙失念という言い草で
藤川 宏樹
耳の奥眼の奥乾く牛蛙
亀山祐美子
俺っちは引っ越さねえぞ牛蛙
野﨑 憲子
牛蛙おぬしなかなか悪じゃのう
島田 章平
牛蛙われら定住漂泊す
鈴木 幸江
牛蛙からだの芯の切れる音
亀山祐美子
御仏(みほとけ)の御前(おんまえ)に出よ牛蛙
島田 章平

「海程」香川句会花巻遠野吟行     

IMG_3040.JPG
2018年6月22日~24日
われら流れてみちのくの万緑に着く 
月野ぽぽな
遠山にやませの暗さありにけり
島田 章平
句友とは不思議な木立吸葛
夏谷 胡桃
わたくしの肉に棲みつき夏鶯
野﨑 憲子
鹿(しし)踊り太い足した高校生
田中 怜子
キヨスクに銀河鉄道時刻表
田中  孝
トルファンの女(ひと)露天風呂にて我放つ
中野 佑海
蟻が来てオロオロアルク賢治の碑
伊藤  幸
夏涼し我れをちらりとおしら様
樽谷 寛子
曲り家のどぶろく涼し嶽神楽
河田 清峰
夏至ゆふべ曲家がが座どんどはれ
亀山祐美子
蝉を彫る月の光に照らされて 
増田 天志
河童淵夏のこころを流しおり
漆原 義典

【句会メモ】

島田章平さんが、栗林公園で採取した無患子の実を持って来てくださいました。一つひとつ宝石のように輝いてみえ、まさに天然の美だと思いました。島田さんは毎日のように栗林公園を散策されるとか、お近くで羨ましいです。そして、周防の「南津海」も頂戴し美味しかったです。

「まるで珊瑚でMは表現できない梅雨」この作品の中七の<M>がまるで分らず、でも、不思議な魅力のある作品なので、作者の谷佳紀さんに自句自解をお願いしますと・・・「<M>・・私も分かりません。そう書いてしまって、それを消す 気もない、それだけです。」との事でした。ただ、納得です。さすが、海程の大先輩、言葉に抜群の説得力があります。

6月22日の「金子兜太先生のお別れ会」の後、24日まで、花巻遠野吟行へ出掛けました。参加者は、13名。先ず、花巻の大沢温泉で旅の疲れを落し、夕食後第一次句会(各自、5句)、翌朝は、高村光太郎山荘(句会報冒頭の写真)、宮澤賢治の生家、羅須地人協会を見学後、山猫軒で昼食。ランチ名は、イーハートーブ定食でした。東北なのに薄味で美味しかったです。昼食後、宮澤賢治記念館を見学し、新花巻駅へ。新花巻駅から釜石線への連絡道があまりに長く大変でした。そして遠野着。迎えの車で、「たかむろ水光園」へ。宿泊場所の曲り家に到着後、さっそく、第2次句会(5句)を開きました。句会後、早池峰神楽や、語り部の菊池タキさんの遠野の民話を堪能した後、夕食。その後、第3次句会(5句)を開きました。そして日付が変わった頃に就寝。

24日の早朝、宿からマイクロバスに乗り、車窓からデンデラノ(姥捨山)を臨み、やまぐちの水車、かっぱ淵・伝承園見学の後、早池峰神社に参拝しました。案内して下さった遠野の夏谷胡桃さんも、一週間後に、早池峰神社で自らも神楽を舞われるとか、神楽が、遠野方々に浸透していることを強く感じました。そして遠野ふるさと村での昼食後、帰途につきました。帰りの新幹線の車中でも、幸い座席が向い合せになれたので、第4次句会(5句)を開きました。充実の2泊3日の吟行会でした。ご参加の皆さま、ありがとうございました。         

2018年5月30日 (水)

第84回「海程」香川句会(21018.05.19)

立葵.png

事前投句参加者の一句

     
乾鮭や逝きて親父の昭和果つ 稲葉 千尋
まずまずの朝で若葉に欠伸して 谷  佳紀
観閲の十四旅団夏兆す 野澤 隆夫
夏の川鴨の一羽よ家庭の事情 鈴木 幸江
蝶止まるてのひら血のかよふ感覚 三枝みずほ
歳時記に友の句ありし聖五月 寺町志津子
まないたは父の手遊み母の日や 河田 清峰
枇杷は黄に寝癖の髪のはね具合 矢野千代子
人の世は柳のようにかわしたし 山内  聡
ホトトギス旅寝の底にふらっと父 松本 勇二
何話そう新入社員はてんと虫 河野 志保
葱坊主餓鬼大将対餓鬼大将 小宮 豊和
一面の白つめ草にある孤独 藤田 乙女
人の列ひとふで書きの蝮山 亀山祐美子
蒲公英や吾は深き根の自由業 藤川 宏樹
紫陽花つぼみ母の口癖とう擂り粉木 中野 佑海
ヤマトヨリソコクヲシンズヤマザクラ 島田 章平
初蝶の失せもの生るるようにかな 新野 祐子
抗うなら学べサンドイッチにトマト 伊藤  幸
手をつなぐこと青葉がふれあうこと 月野ぽぽな
片方の眼窩を青い薔薇がふさぐ 田口  浩
荒川のかなしみ諸喝采戦ぐ 桂  凛火
木の芽雨浮世の肌着へばりつく 若森 京子
万緑や卒寿の母もピクニック 漆原 義典
トンネルの途中からなんとなく麦秋 柴田 清子
青空をこま切れにして柿若葉 中西 裕子
一人居の尼僧逞し花水木  高橋 晴子
青年樹オリーブ海波の遠き反照 野田 信章
新緑を心に見せたく遠回り 野口思づゑ
<函館にて>幸坂蝦夷蒲公英のいよよ濃く 田中 怜子
五月くる鬱の欠片のやうに椅子 谷  孝江
携帯のガラス細工の音消える 中村 セミ
眉を剃る少年饐えし飯隠す 大西 健司
バジルの葉噛みて五月の厨かな 菅原 春み
大夕焼けひとりの母の林立す 男波 弘志
母に返せば喃語いきなり春夕べ 竹本  仰
もののふの悟りし果てや葱坊主 増田 天志
蛙鳴くわたしの王子はどこにいる 夏谷 胡桃
春キャベツ剥くたび母にちかくなる 重松 敬子
羅に第六感の鰭がある 三好つや子
夏服の自転車の子らよ空へ空へ 銀   次
雨蛙うじうじとして鳴き濡れる 豊原 清明
丸ごとに飲みこみ蛇(くちなわ)の純情 野﨑 憲子

句会の窓

中野 佑海

特選句「五月来る鬱の欠片のやうに椅子」五月病の原因の会社にも、学校にも当然の如くのさばっている椅子。此処に座ったら最後、終業の鐘が鳴るまで私の時間を吸いとられます。本当に悩みの象徴の様な「椅子」。成る程の句です。特選 句「羅に第六感の鰭がある」肉体からヒラヒラと付かず離れず、圧着感の無い夏の着物。それなのに、その先端が少し何かに触っただけで、鰭のように感じる敏感さ。繊細な感覚が手に取るよう良く表現されていると思います。そして、夏のちょっ ぴり不思議さも。また、新しい時代が始まる前夜って感じです。皆様の御句で練習しています。来月の遠野吟行楽しみにしています。夏谷胡桃さん、どうぞ宜しくお願いいたします。

島田 章平

特選句「青蛙地球まるごと蹴る構え(増田天志)」明快。「青蛙おのれもペンキぬりたてか」を彷彿とさせる。【問題句】言葉は命を生む。俳句は作られた瞬間に作者から離れ読者の鑑賞の世界に生きる。それだけに、作者は自分の作品に自分の魂を込め る。もし、その作品が作者の単なる遊び心で生まれた場合、その作品を読む読者は戸惑いを覚える。作者の心の闇は読者には分からない。安易に読者に解釈をゆだねるのは無責任とも思える。作者は、読者に理解しやすい言葉で作品を作らなければ ならないのではないか。今回の作品の中に、不愉快な理解しがたい作品がみられた事は残念。自選と言う言葉の重みを噛みしめる。

 
鈴木 幸江

特選句「初蝶の失せもの生るるようにかな」何とも言えぬ初蝶の独特の存在感を、見事に鋭い感性で捉えている。この句で、私の中で、そういう存在への想いが刺激された。亡くなった人々が、その人の“想い”となり、世に残り、生きて、 再生し続けているのかもしれないという想い。死生観の混沌としている今、大切にしたい感受性のひとつだと思った。問題句「Summer Sea Ship Seasar Silence(島田章平)」沖縄の置物、シーサー(seasar)から、沖縄の海辺の町の風景を俳句形 式と英語で捉えてみた挑戦作と受け止めた。世界中のいろいろな言語で、日本の俳句文芸との交流により、大袈裟かもしれないが、世界存続の可能性を模索し、期待しいるこころが見られ素晴らしいと思っていた。また、この作品は改めて、俳句と は、何かを考えることを誘っている。ちょっと何かが足りない気がするが、それを考えさせることもいいことだ。

大西 健司

特選句「トンネルの途中からなんとなく麦秋」なんとなく物足りなさを覚えつつ、このゆるさが気に掛かる。問題句「秩父音頭に鳥も渡るか冴返る[高橋晴子)」:「鳥渡る」「冴え返る」季節があまりにもそぐわない。秩父音頭と渡り鳥の 取り合わせがいいだけにもったいない。

増田 天志

特選句「片方の眼窩を青い薔薇がふさぐ」幻想の世界へ誘い込まれる。片方、青いに、独自の感性。

藤川 宏樹

特選句「まるき字の嫁なり終日囀れリ(重松敬子)」最近丸文字を見かけないが、女学生は丸文字を使わないそうだ。一見若妻の清新な囀りが聞こえたが、アラフォー世帯か。囀りのキーも若干低くなるが、暖かな家が窺える。「嫁なり終日 」、中七の一音余りが効いている。

柴田 清子

特選句「ページ繰る指に初夏の森の匂ひ(三枝みずほ)」もう少し散ってゆく桜の余韻の中にいたい。まだまだ赤いガラスの燈台からの春の海を惜しんでいたいのに・・・。ページを繰るたび、季節の変るこの一年の早いこと。夏の初めが、 躍動し始める一歩が森の匂ひであると自分の身の一部分で感じ取っているところが、いいなあ・・・。特選句「春キャベツ剥くたび母に近くなる」春キャベツには、やさしさ、明るさの、時には叱ってくれた母のイメージにぴったり。母恋いを春キ ャベツに語らせているところが、佳句になった。

野澤 隆夫

土曜日の句会、お世話になりました。毎度のことながら楽しかったです。土・日は兄弟・姉妹会で松山行き。義兄のホームグラウンド=松山在住なので道後・大和屋本店へ集合。善通寺、詫間、高松、東京、松山の5家族11人。道後温泉、 松山城、子規堂等一泊二日の年中行事を兄弟姉妹で楽しみました。特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」凄くユーモラスな一句です。どうしてそんなことで喧嘩になるの、どっちでもいいことに…。サンドイッチにトマトを見てみろ。なん にも相性のいい奴とは思えないけど、でも仲良しじゃないか」とたしなめてるみたいで面白い。特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」5月になってもなぜか物憂い日々。まるで小生の寝室兼書斎の感。テーブル椅子と折りたたみ椅子の置かれた 部屋。「鬱の欠片」ってあるのですね。問題句「Summer Sea Ship Seasar Silence」ええっ!これって俳句?英俳?即問題句だ!と小生の頭。単語の頭の五つのSも不可思議?。句評の時、Fさんが「でも五七五になってるよ」との指摘。なるほど 「サマーシー/シップシーサー/サイレンス」。なるほど五七五になってる。でも英語俳句としては…?と思ったり。でも面白い。こんな風に訳してみました。「夏 海 舟 唐獅子眩く静けかり」

若森 京子

特選句「携帯のガラス細工の音消える」無季俳句でガラス細工の繊細な危うさが強調されているようだ。〝音〟とあるので携帯での会話の危うさに及び全べて携帯での人間関係の危うさを思う。特選句「羅に第六感の鰭がある」夏になると羅 になり皮膚感覚と同じ様な生活になる。〝第六巻に鰭〟とは、上手な表現だ。

谷  佳紀

特選句「 トンネルの途中からなんとなく麦秋」言葉に無駄がなく、気分も具体的。問題句「母に返せば喃語いきなり春夕べ」返せばと喃語の位置関係がわからなく、どのように受け止めればよいのか戸惑う。しかし何となく伝わって来るも のがあり惹かれる作品だ。

 初参加の谷です。野崎さんに誘われました。俳句よりもマラソンが好きです。今日23日室戸岬から足摺岬まで走る土佐乃国横断遠足242キロのため徳島に来ました。明日スタートです。ゴールしたいですね。俳句の方は3句とも0点でも構 いません。下手を自覚していますから落ち込みません。

伊藤  幸

特選句「 青蛙地球まるごと蹴る構え」4・5センチの青蛙と地球の対比を句材にした。発想が面白い。作者は青蛙を己とし自分自身を励ましているのであろうか。それにしても景を思い浮かべるだけでも楽しくなる句だ。青蛙よ、思いっき り蹴ってみよ!!特選句「青年樹オリーブ海波の遠き反照」作者を知りつつも敢えて採らせて頂いた。近くにいるが為、面と向かってなかな云えないが唸らせるものがある。青年樹への深い作者の眼差し、懐古とそれでいて未だ失わぬ激しさの間で 唯々夕焼けを眺めている。これぞ俳句匠の技、さすが大先輩!

田口 浩

特選句「羅に第六感の鰭がある」錦鯉の全国大会を見に行ったことがある。そのとき、品評会の審査基準を知った。朱の模様がくっきりしていること。形(スタイル)。鯉の泳ぐ品位を見るのだと言う。作品を読んだとき、優雅に動く朱の鰭 が見えた。羅と言うことばも美しい日本語だが、水中に動く魚もまた美しい。この二つのものを、〈第六感〉と言う、ゴツンとした語感で結んでいる。弱、強、弱のリズムとでも言えばいいのか・・・。このあたりが実に巧みであろう。特選とした 所以である。

田中 怜子

特選句「蝶止まるてのひら血のかよふ感覚」微妙な体温を感じ、生きとし生けるもののいつくしみが感じられる。しかしひねりつぶせる力も有している微妙な感覚。特選句「ママチャリは戦う翅だ雲の峰(三好つや子)」そう、お母さんは忙 しいんだ。でも、そんなこと言うことすらわきにおいて頑張っているんだ。たくましい。

矢野千代子

特選句「幸坂蝦夷蒲公英のいよよ濃く」導入の固有名詞に魅かれる。このさらっとした表現が、かえって蝦夷蒲公英の色彩を鮮やかに感じさせ、それを印象づけるので…。ただ、前書き(函館にて)が邪魔かなと思いつつ、「函館」という地 名からより余情を頂いているのも事実…。

稲葉 千尋

特選句「人の列ひとふで書きの蝮山」蝮山に人々がひとふで書きの状況で列をなしている。蝮山だから色々と想像できる。特選句「羅に第六感の鰭がある」羅を着て歩く女性を思う。その女性には第六感の鰭があると言う。羅の女性は大好き だ。そして、その鰭があるように思う。

男波 弘志

特選句「ホトトギス旅寝の庭にふらっと父」父性の感じが良く出ています。こういう古典を題材にして、新しみの花を咲かせるのは偉大なることだ。ふらっと に近代がある。特選句「丸ごとに飲みこみ蛇の純情」これを純情、という感性に 脱帽。ただ、丸ごとに、を 丸ごとを とした方がリアルではないか。「薄明い蛻の蟬に息残り(中村セミ)」 女人の息 だろう 「空蝉に肉残りゐる山河かな」耕衣 とは別の息使い。「草笛が遠ざかりゆく幼き巡礼者(銀次)」只の遊みごと が、神聖のことに変容している。この字余りが見事に作用している。「トンネルの途中からなんとなく麦秋」気配を感じるのが詩人、後ろを感じるのは母性。「白詰草所々で休ませて(河野志保)」これも巡礼の途中、休んだところが墓所になる。 「春キャベツ剝くたび母にちかくなる」キャベツのざっくり感、ははの存在もそうだった。「羅に第六感の鰭がある」:「羅に鰭」それだけだ一句は決している。「羅に薄ももいろの鰭がある」これも蛇足かも知れぬ。

三枝みずほ

特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」サンドイッチにトマトを入れることと学ぶことの取合せが面白かった。どちらも栄養となり、人間に新鮮さ、瑞々しさを与えてくれる。「開放弦のまま新緑の雨をゆく(月野ぽぽな)」最も無心 無防備な音。新緑の雨に濡れてどんな音を奏でるのか、想像力を掻き立てられた。

中村 セミ

「 青蛙地球まるごと蹴る構え」蛙の動作に地球と持ってきたところに小さい物でも大きな事をしているという様な感じを受ける句、特選句です。映像的ですね。他に「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」は、五月病の事かなと思いましたが、 それ以上に書き方がいい。「亡き祖母の香水の液固まれり(菅原春み)」も、「香水の液固まれり」で、亡き祖母への何とも云えぬ思いが出ていると思います。

松本 勇二

特選句「まるき字の嫁なり終日囀れり」丸文字のお嫁さんと囀りの配合でとにかく明るい。問題句「歳時記に友の句ありし聖五月」上五中七を季語が見事に受け止めています。「友の句ありし」を「友の句のあり」とすれば読みがゆったりと してなお味わいが出るように思います。

新野 祐子

特選句「乾鮭や逝きて親父の昭和果つ」昭和一桁世代のお父さんでしょうか。戦争を体験し、戦後復興に汗を流し、激変する社会を精一杯生きたお父さんと、川と海を力強く行き来し、やがては乾燥されて人のいのちを養う鮭が二重写しにな ります。追悼句としても素晴らしいと思います。特選句「青葉騒ぐよ海だったころ思い出し(月野ぽぽな)」触れ合ってざわざわそよく青葉の下にいると、深海にいるような気がしてきます。「海だったころ」という表現、なかなか出てこないです ね。入選句「まずますの朝で若葉に欠伸して」人生百パーセントでなく八分でもなく、五分でいいのではと年齢を重ねると思えてきます。若葉に向かって欠伸するなんて、余裕だな。入選句「葱坊主餓鬼大将対餓鬼大将」餓鬼大将なんて何十年も見 たことがないでしょう。懐かしい風景。全部漢字という表記もいいです。入選句「携帯のガラス細工の音消える」携帯電話の呼び出し音って、まさにガラス細工のよう。私、携帯持っていないのであまり耳にしませんから、殊に敏感に聞こえてきま す。無季の句、作るの難しいですよね。

竹本  仰

特選句「青年樹オリーブ海波の遠き反照」句としてはぜいたくに、香りと音と光と響き合っており、「青年樹オリーブ」の語の感じが華奢でありつつ希望をそれとなく感じさせる田舎の海辺の青年の立ち姿のようでもあり、とても惹かれまし た。今はどこにもないんですけれど、音楽の新しい教科書を開いていい曲にめぐりあったような、そんな感動でしょうか。特選句「春キャベツ剥くたび母にちかくなる」母の仕草にかさなる自分の今に気づき、昔は嫌がってたその仕草が自分にある ことへの安心感というか、ああ、母もこんな風に家族のことを考えながら、一心に自分の心も剥いていたんだと、人間の成長ってそんなもので、やっぱり誰かのおかげだったんだというか、そんな健康でリアルな空腹感が感じられますね。特選句「 丸ごとに飲みこみ蛇の純情」本当にリアルタイムで、あの日大選手の記者会見の横顔を思い出させますね。飲んでしまうのも、どうしようもない訳で、そのどうしようもなさに対する理解というのが、この句に感じられました。西東三鬼の句に「広 島や卵食ふ時口ひらく」がありましたが、どうしようもないこと、食わなければ生きていけないこと、何でしょうか、そんな切なさが近しく思える句でした。なかなか句会にも行けず、行事にも参加できず、選句するときが本当の勉強の時なので、 様々な自問自答しております。今後とも、よろしくお願いいたします。

月野ぽぽな

特選句「大夕焼けひとりの母の林立す」ひとり、という言葉では表しきれない母というものの存在感を、「林立す」と捉えたのが手柄。正と負のないまぜになった心象も香る。大夕焼が尽きることのない母性を思わせ、一句に深さと広がりを 与えている。

夏谷 胡桃

特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」。抗うために学んでいます。なにに抗うために? 財力がないので知識だけが武器です。そして、トマトのサンドイッチが大好物です。職場のお昼にライ麦パンにトマトとチーズ。お昼が待ち遠 しいです。昼休みにもサンドイッチ片手に本を読んでいるのが幸せです。特選句「万緑や卒寿の母もピクニック」。後半人生に入ると、この萌える緑が見られるのはあと何回だろうか、目に焼き付けておきたいと思います。カタカナは、春と夏の気 分だなと思いました。問題句「冷凍庫に人肉がある初夏の別荘(田口浩)」。何が言いたいのかわからないというより、気持ち悪かったです。サスペンスでしょうか。

谷  孝江

特選句「夏服の自転車の子らよ空へ空へ」私の今住んでいる所は、お隣りと言える程のところに中学校、すこし離れて幼稚園、バスで一駅ほどに小学校、逆方向一駅ほどに髙校と、朝に夕に子供たちの姿や声に触れています。いいな、いいな と思いながら・・・。人口の減少が問われている今、宝もののような気持ちで子どもたちを見ています。将来結婚し、子を育て、働いて日本を支えてくれる事を望みながら、登下校の子どもたちに、夢を希望を託しています。これからの日本、大変 だろうけれど元気でね!

亀山祐美子

特選句『羅に第六感の鰭がある』和装は、着物は大好きだが、汗かきなので、夏場は避けたい。今年の成人式の「はれのひ」倒産事件の悪質さは記憶に新しいが、振り袖の華やかさは世界に誇る日本文化だ。作者は三六五日和装を常としてい る方か、そのような方が身近に居らっしゃるのだろう。僧侶か旦那しか、ここはやはり女性だろう。「羅」を軽やかに着こなし、流れるような所作は誠に涼しげである。袖が鰭なら当たり前。「第六感の鰭」とは身を包む「羅」自体か「羅を纏う者 」そのものなのか。否。「羅に憑依された己自身」が第六感の「鰭」と化し魂を翔ばすのだ。実に羨ましい。問題句『冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘』ただただ不快。『南方の戦時記』『飛行機墜落遭難事件』『羊たちの沈黙』 等々それに関する切 羽詰まった書き物は多々あるが、俳句にする意味が解らない。何を詠んでも可とはいえ、これは報告。だだの散文。第一季語が動く。猟奇物なら『満月』だろう。少し感情的になってしまいました。丸亀出身の華道家の中川幸夫氏の写真集を思い出 しました。とは言え、特選句も問題句も案外立ち位置は同じかも知れない。皆様の句評楽しみに致しております。

寺町志津子

特選句「荒川のかなしみ諸喝采戦ぐ」一読、昨年の「海程」最終回となった全国大会での吟行を思い出した。暑さの中、兜太先生もご一緒に歩いてくださった荒川のほとり。杖はお持ちでも、それを杖とはされず、かなりの距離をみんなと歩 いてくださった先生。日本最初の女医となった荻野吟子についての功績のお話を伺い、生誕の地を訪れたのをはじめ、先生の数々の句碑巡り、菩提寺へのお参りもさせていただいた昨年の全国大会。掲句を読むと、麦秋まっただ中の荒川の光景、そ の折々の先生のお話、お姿がまざまざと蘇る。荒川もまた深い悲しみに包まれて、今日も流れているのだ。「荒川のかなしみ」と「諸喝采戦ぐ」の取り合わせが抜群で、しみじみ心に響いてくる。先生のご逝去から三ヶ月。未だ信じたくない思いを 抱きながらご冥福を心からお祈り申し上げます。

三好つや子

特選句「初蝶の失せもの生るるやうにかな」 今か今かと待っていた蝶が、ある日ふっと現れる瞬間の喜び。「失せもの生るる」というフレーズに、錆びた五感をピュアにする風を感じました。特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」椅子 に座ったまま、立ち上がることもできない、ナーバスな気分。五月病の捉え方が深く、精神病棟の一コマを見るような句。入選句「青空をこま切れにして柿若葉」柿若葉のまぶしさが、いきいきと目に浮かび、とりわけ上五中七の表現が面白いです 。

山内  聡

特選句「五月くる鬱の欠片のやうに椅子」もの、というものが溢れている中で、「椅子」というもの。その椅子が鬱の欠片のようであるという。鬱の欠片のように見えるものが他にあるか、ちょっと頭を巡らせてみたが、ない。五月といえば 鬱だが、そんなことはこの句では二の次のこと。わかるのだ。椅子が鬱の欠片のように思える感覚が。椅子というものが座っている時にはその存在を忘れがちである。椅子というものをはたから見てそこに人が座っていなくて椅子という存在が機能 していない時。この椅子がアートとして存在する可能性もあるが、そうではないだろう。ありふれた椅子である。それが人が座っていないというだけで機能していないものとなる。鬱というものは経験した人でなければわからない感覚だが、それは 機能していない脳である。環境は変わっていないのに落ち込んでしまう。機能していないという瞬間をもつ物体は数多とあるだろう。しかし椅子ほどに機能していない瞬間をまざまざとあからさまに見せるものがあるだろうか。また頭の中で椅子が ポツンと置かれている光景を頭に浮かべると、それはまさに鬱そのものである。椅子、木偏に奇妙の奇、その子供。というふうに漢字を分解して見ても面白い。もののもつ不思議な感覚をもっと写生しないといけない、と学習させられた一句です。

野田 信章

特選句「つつじ咲く舌を連打の行進曲(三好つや子)」は、後向きの舌打ちから、軽快に反転して五月の行進曲を奏でている句だ。生理的実感を込めた中句の把握によって「つつじ咲く」と交感して自身を鼓舞する句調がある。問題句「緞帳 というあの世この世の青葉騒(若森京子)」は、「あの世」とまで言わずとも、「この世に」の青葉騒を、「緞帳」の本姿を活用して、先ずは伝達させてもらいたいというのが私の願いである。

菅原 春み

特選句「螢ぶくろ子規の寝床のほのぐらさ(若森京子) 」季語「蛍ぶくろ」と、寝床のほのぐらさ、しかも子規の寝床となんともあっている。情景がありありと見える。特選句「 春キャベツ剥くたび母にちかくなる 」春キャベツのやわら かさ、剥くたびにすぐに小さくなっていく野菜、それは母のよう になっていくということか。

小宮 豊和

「新緑を心に見せたく遠回り」:「心に見せたく」のフレーズが印象的。作者は、新緑について色々なことを感じているのだと思う。新緑の色調の初々しさ、やわらかさ、芳香、また、風の向きや強さ、地形、太陽の位置、あるいは樹木の種 類の取り合せなど、一瞬として同じではない。「心に見せたく」とは、そういったことの感受への期待であり、「遠回り」とは場面の転換の期待も含まれるのかもしれない。句としては、語順や、て、に、を、は、を変えれば句の印象や巧拙に多少 の変化はありうると思われるが、この句の主旨はいまのままで十分に伝えられると思う。

野口思づゑ

特選句「抗うなら学べサンドイッチにトマト」。サンドイッチにトマトのような学んだ結果のおいしさ、理屈ばかり捏ねずどんどん実践して経験して学びなさいとのやわらかい教えです。問題句「冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘」人肉が怖過 ぎです。納涼効果はありますが。

河田 清峰

特選句「紫陽花つぼみ母の口癖とう擂り粉木」どんな色になるかみえない蕾と繰り返す母の口癖にイライラという擂り粉木が破調にあらわれて面白い。

藤田 乙女

特選句「手をつなぐこと青葉がふれあうこと」 青春の爽やかさと生気をみなぎらせている青葉とが重なりあってとても惹かれました。「青葉がふれあう」という表現が素敵です。つないだ手の温もりと青葉の息づかいまで伝わってくるよう で、自然に“他者を受け入れようとする〟優しさに溢れる句だと思います。

河野 志保

特選句「新緑を心に見せたく遠回り」:「さりげなくて独特」な表現に惹かれた。作者の心の様子もさまざまに想像できて深い句だと思う。

桂  凛火

特選句「一面の白つめ草にある孤独」孤独をあらわすのにしろつめ草を持ってこられたのは新鮮でした。どこまでも明るくのどかな風景の中にいる自分がだれともつながっていない、さびしいのとは違う、屹立した精神の孤独を思うことがで きました。

漆原 義典

特選句は「まないたは父の手遊み母の日や」です。まないたの前の父の姿に、母の日のほのほのとした情景がよく表現されており特選とさせていただきました。

中西 裕子

特選句「 ママチャリは戦う翅だ雲の峰」子供の小さいお母さんはほんとに大変。日々戦いですよね。でも、希望に満ちた日々でもありますよね。応援したくなる句です。

高橋 晴子

特選句「いつまでも祝う子らあれこどもの日(野口思づゑ)」饒舌な句や、舌たらずな句をこれだけ見せられると、この句の単純明快さが快い。

豊原 清明

特選句「乾鮭や逝きて親父の昭和果つ」:「逝きて親父の昭和果つ」が秀逸。「親父の昭和果つ」がいいと思う。先生が亡くなって、昭和果つに繋がると思う。昭和の怖さと良さ。現代の苦しみ社会。この一句はいいと思う。問題句「冷蔵庫 に人肉がある初夏の別荘」」 恐ろしい一句だ。「冷凍庫に人肉がある」。この意味の真意は何か、しかし、事実なら、興味深く思う。恐ろしい惨劇でないことを祈るばかり。個人的に比喩であると思う。「初夏の別荘」は不気味倍増。

野﨑 憲子

特選句「こんこん緑雨手をふり母の消えゆくを(伊藤幸)」:「こんこん緑雨」に万感の思いが籠る。緑に煙る雨の中、去りゆく母の後姿が、あまりにも美しく哀しい。オノマトペの効果も抜群だ。今回の句会では、問題句への積極的な意見 が出され、色々勉強になりました。例えば、「冷蔵庫に人肉がある初夏の別荘」の作品は、正直なところ弱虫の私は、一瞬ぞっとしました。作者に失礼かもしれませんが、こういう「毒」を含んだ作品は、何でも有りの俳句の世界でこそ表現できる ものかも知れません。英語表記の作品も、その果敢な挑戦が、とても嬉しかったです。今回から、「海程」の大先輩である谷佳紀さんがご参加くださいました。私は、谷さんの俳誌『しろ』の大ファンでした。どうぞ宜しくお願い申し上げます!

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

アスパラガス
一杯行こかアスパラガスの旦那
島田 章平
寝不足の鬼へおらんだきじかくし
亀山祐美子
アスパラガスときどき欠伸していたり
野﨑 憲子
アスパラガス退化のような進化あり
鈴木 幸江
更衣
老病死わが生は恋する更衣
田口  浩
責任はとらない衣を更へにけり
柴田 清子
衣更へ山の歌など口ずさむ
野澤 隆夫
さすらい
さすらいのライナスの毛布夏の果て
中野 佑海
さすらって帰る故郷(こきょう)青大将
野澤 隆夫
何一つもってゆかれずさすらへり
亀山祐美子
さすらいや膨らんでゆく菫草
野﨑 憲子
さすらいの果て花街に金魚を飼う
田口  浩
牛蛙
牛蛙もみ合いながら風を編む
野﨑 憲子
私には近ずかないで牛蛙
柴田 清子
ポケットにハンカチがない牛蛙
藤川 宏樹
難聴の向う岸なる牛蛙
河田 清峰
英語などもう忘れたわ牛蛙
島田 章平
麦秋
クレヨンの黄色貸してよ麦の秋
島田 章平
常識は覆すもの麦の秋
藤川 宏樹
一年生麦秋のすくと手を挙げる
中野 佑海
麦秋や長方形の実りなり
山内  聡
麦秋や親子で競ふトラクター
野澤 隆夫
虹立つや兄弟会も早十年
野澤 隆夫
虹の伝言兄さんは楡の木になった
野﨑 憲子
春の虹そこが違うと妻の言
藤川 宏樹
虹消えて楽しきことを思ひをり
島田 章平
くぐることなかりしものに虹ありし
山内  聡
山滴る
陸奥の滴る山の連なりし
山内  聡
沢蟹の匂う一戸や山滴る
河田 清峰
山したたる妊婦がハンカチを濡らしている
田口  浩
黒焦げの家を真横に山滴る
野﨑 憲子
山滴る弱虫という寄生虫
鈴木 幸江
山滴るモーニングカフェにママチャリずむ
中野 佑海

【句会メモ】

5月の本句会の参加者は、11名。事前投句には、英語表記の句や、ゾクっとするような問題句もあり、ますます多様性を帯びた魅力あふれる作品が集まってまいりました。この渾沌こそ、創作の泉だと思いました。鑑賞も熱を帯び、あっという 間の4時間でした。次回が、ますます楽しみです。

2018年5月4日 (金)

第83回「海程」香川句会(2018.04.21)

545378746.528333.JPG

事前投句参加者の一句

    
さくらさくらみんなおりたなわでんしや 島田 章平
塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう? 中野 佑海
深夜のテレビにむかしむかしの春の蝉 髙木 繁子
夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ 谷  孝江
なにを知るアンモナイトや鳥雲に 菅原 春み
肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い 月野ぽぽな
ほんとうにかなしいときの豆御飯 伊藤  幸
表札に風吹きわたり夏近し 松本 勇二
吾もまた水の一族白木蓮 銀   次
サイドミラー花菜あふれてゆく静止 竹本  仰
泪ぬぐいし嫩葉ゆるる唐招提寺 田中 怜子
春の黙醤(ひしお)の島に染まりゆく 野田 信章
海程院太航句極居士春の峠に定住す 河田 清峰
嘴は春暁の川開きをり 三枝みずほ
これからは兜太が春を連れてくる 亀山祐美子
軍鶏を潰して四月一日が暮れました 田口  浩
ピスタチオ朝から齧る万愚節 野澤 隆夫
春の海波音のして淋しくはない 鈴木 幸江
つばめ来よ手首にインクながしたから 男波 弘志
だれかに会いたい遅日の帰り道 夏谷 胡桃
アマリリス発声練習しています 寺町志津子
酒くるうこともあろうよ山桜 藤川 宏樹
人間を孕んでおりしさくらかな 稲葉 千尋
山葵田に流れ着きたるオフェーリア 新野 祐子
太陽が僕の周りを走る春 豊原 清明
コンビニの灯りにわたし海市かな 大西 健司
朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな 河野 志保
端居の空気が古びた絵となった 中村 セミ
若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ 野口思づゑ
桜トンネルここは産道そして祈り 若森 京子
輝きのかけらとなりて蝶のゆく 山内  聡
冷そうめん孫とおとなの話かな 重松 敬子
羅漢さま喉の奥まで花吹雪 増田 天志
紫木蓮思い出積み上げ眠ります 桂  凛火
うららけし生まれた順に足並ぶ 三好つや子
すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い 矢野千代子
あらがへど古りゆく色香紫木蓮 小宮 豊和
烏骨鶏雄一雌二春卵七 高橋 晴子
一人よりみんなが好きなチューリップ 藤田 乙女
囀りの中に他界のありにけり 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」兜太先生は創造主の仲間になり季節を巡らせています。そしてそれは春。私たちに春をプレゼントしてくださるために仲間入りする季節に春を選ばれたのですね。と想像できて安らかな気持ちになりました。ありがとうございました。

藤川 宏樹

特選句「雪は降る肝臓よりもしずかな夜(月野ぽぽな)」:「雪」に「肝臓よりも」をつけて、静かさを表現されていることに感心します。こういう句を拝見すると、「俳句歴が浅く、言葉を知らないから・・・」と言い訳する自分が恥ずかしくなります。

中野 佑海

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆ご飯て、だいたい何かある時に食べますよね。あの豆のゴロゴロ感が胸の支えを嫌増している気がします。涙の塩っぱさが更に良い味付けとなり、美味しいのか美味しくないのか、何も感じなくなって。何で豆ご飯なんだろう。疑問も解答も今迄聞いたこと無い摩訶不思議な食べ物です。やっと答えが出ましたね!!(良かった!無限ループから抜け出せて。)特選句「アマリリス発生練習しています。」良いですね!!このピンと背筋の伸びた、爽やかな回答。あの大きく開いた花はメガホンにそっくりです。さぞ素晴らしい合唱団に成れるでしょう。この所、仕事にかまけて怠惰な生活をしている私に、活力を下さって有難うございました。句会で好きな事を、好きなように話せ本当に嬉しいです。有難うございます。

山内  聡

特選句「たんぽぽの地の声聞くや陽に語り(藤田乙女)」たんぽぽは聞くこともできないし声を出すこともできない。この当然のありえないことをあり得るとする力が詩の力だと思う。たんぽぽは地に根を張り地面から伝わってくる地球の声を聞いている。そして地球の声を伝えんとする相手は太陽。切り取る対象がたんぽぽのはずなのに壮大なスケールも伝えんとするこの掲句。詩の持つ力を最大化させているような心持ちにさせられます。毎回、句会で皆さんの選評を聞くことがなりよりもの勉強になっています。色々な鑑賞の仕方があるものだといつも感心させられるし、次の句会はどんな話が聞けるのだろうかと楽しみな心持ちにさせられます。そして何より句会に参加される方々の多様性と個性に好印象を受けます!

若森 京子

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」一句全体から人生のなりわいの様なものを感じる。醤の島で一生を終える人、又、通り過ぎる旅人にも染まる色があるのであろう。特選句「山葵田に流れ着きたるオフェーリア」清流に透明感のある緑の山葵田は大変美しい。そこにオフェーリアが着いた。この美しい意外性のある発想に魅かれた。

稲葉 千尋

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯で決まり。特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」今日も噛みました。確かに、鉄の匂いだった。この感性をいただき。問題句「コンビニの灯りにわたし海市かな」:「に」はいらないと思う。

増田 天志

特選句「囀や水面に映る昼の星(新野祐子)」聴覚から視覚へ。それも、幻視。メルヘンの世界に、しばし、遊びたい。

田中 怜子

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」兜太先生を思いて。桜は終わりそうだったけど、峠に定住は言い得て妙。特選句「発条開き春海大きくなる」小さな見栄えしない発条と、大きな春の海。気持ちいいですね。瀬戸内海でしょうね。

豊原 清明

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜(寺町志津子)」 思いが籠っている、一句はどの句でも、内容問わず、感動を与える。この一句、強い。自論だが、俳句は誰にでも、何時でも書けると信じる。しかし、この頃、師をなくしたことのショック、選んで下さる俳人、尊敬できる俳句人がいなくなった、虚ろになっていたことを、この俳句で知った。問題句「春あおぞら貨車は十六輌です」好きな一句。ただ、ピンとくるのが、他の句より、 ちょっとだけ、減っているような気がしたが、春の透明感を感じ、それが好きです。

田口  浩

特選句「つばめ来よ手首にインクながしたから」釈迦は麻耶夫人の腋から生まれたと言う。古代人の発想の大らかなところである。〈手首にインクを流したから〉〈つばめ来よ〉の現代人の感性を、麻耶夫人と比べることもないが、これも充分に自由であろう。つばめの羽根の黒味をおびた青いインクが妙に生まめかしい。これで、作中人物が燕尾服でも着て、袖まくりの手首を持ちあげていたら・・・。と話をひろげれば、人間喜劇の一コマが見えてこないでもない。この句の自在性を思いながら、茨木のり子の詩の一節が浮かんできた。〈自分の感性くらい/自分で守れ/ばかものよ〉と言っているが、私たち俳句作りも、忘れてはいけない自戒である。

矢野千代子

特選句「直島のかぼちゃを抱きに四月馬鹿(亀山祐美子)」瀬戸内から眺めるたびに「あのかぼちゃを抱きたいナ」。そう希うのは私だけじゃない…と、意を強くして推しました。特選句「囀りの中に他界のありにけり」この作品は一番好きです。「異界」でなくて日常をたっぷり含んだ「他界」―それが良いなあ。

鈴木 幸江

特選句「塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう?」“塩ショコラの悩み”を、先進国のひとつである日本人の大方が抱えている、何が正しく何が正しくないのかというもやもやした悩みの喩えのだと解釈した。そんな状況に季節の料理をどうぞと差し出す対応に、賢さを感じ頂いた。 “?”にも、強く勧める思いが出ていて効いていると思った。問題句「つばめ来よ手首にインクながしたから」手首にインクを流すのは、自傷行為にも似て尋常ではない。インクの色から、燕をふと思ったのだろうか?そして、燕の飛来を願う心が現れたのだろうか?うまく共感はできなかったが、作者に残る健康な心を感じ、現代人の辛いけど、まだ救いのある心を示唆していると思った。

男波 弘志

特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」鉄 は かなしい 雨の日は いよいよ かなしい でも 鉄は 泣かない すかんぽ みたいに 顔 が ないから「深夜のテレビにむかしむかしの春の蟬」時間軸の移動が闇の中にある 夜に なく 蟬 街 を 太陽 と まちがえたの か「夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ」抜ける ここに 老いの真実がある 年年歳歳何かから、抜け出る、虚体 即 老い「空想にドロップ一粒春浅し」空想 の ではなく に 空想を客体化している。そこがおもろい。「春の黙醤の島に染まりゆく」ここは 小豆島 放哉の死んだ 島 放哉の黙 に 染まる 醤 そう感じている。「人間を孕んでおりしさくらかな」人間 その 業火 が 常念 を 呼ぶ  人間 の 存在 が なければ さくら は さくら ではない。「チョウの収集家もチョウである岐阜へ飛んだ」とにかく真面目にふざけているのがいい それしか 考え られないのが いい 俳諧。

伊藤  幸

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」醤油が特産という小豆島の景を詠ったなんでもない句であるのにも拘らず、得体の知れぬやるせなさを感じるのは、上五「春の黙」のせいだろうか。読む人それぞれの人生観で解釈できる不思議な句だ。特選句「半日を置いてある水夕つばめ」やわらかな夕日が射し込む民家の軒先、ツバメが来て水を飲んでいる。上中下語どれも麗らかで晩春の景が手に取るように浮かび煩雑な日々の中ゆったりした気分を取り戻し癒してくれる佳句だと思う。

野田 信章

特選句「酒くるうこともあろうよ山桜」は山桜の見事さの極まりとその反転としての想念において、人間の本姿の一端が言い止められているかと思う。特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」は現代の疎外感が「海市かな」によって現出している今日性がある。このように二物の配合の意外性が俳諧からの伝統であり、句の鮮度を保つ要点でもあろうかと考えた。

新野 祐子

特選句「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨が鳥かごだとは、うまい直喩ですね。自分の心臓の鼓動を常には意識しませんが、この句を読んで改めて生命の不思議さと、よく働いてくれる心臓にいとおしさを覚えずにはおれません。入選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」「これからは兜太が春を連れてくる」やはり今は、兜太先生の句を詠みたいですね。入選句「新しきナイフの切れ味初燕(重松敬子)」初燕ほど鋭敏な飛翔を見せる鳥はいないです、確かに。問題句「花の下寝転んで読む死刑囚手記(銀次)」:「花の下寝転んで」と「死刑囚」とでは、あまりにブラックなのではないでしょうか。もしかして、この死刑囚とは、金子文子さんだったりして。

島田 章平

特選句「囀りの中に他界のありにけり」金子兜太先生が亡くなられ、二か月が経ちました。今回の俳句の中にも兜太先生を偲ぶ句が数多く見られました。句会に参加されているすべての人の心の中に兜太先生は生き続け、励ましてくださっていると信じます。句会もまた囀り。その傍らの世界で、兜太先生がにこやかに御覧になっておられる御顔が目に浮かびます。     

菅原 春み

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」春の黙、こころが沈んでいるのだろうか。醬の島がなんともいい。特選句「鶯も混じりて秩父終句会」 最終の秩父句会。これを最後に句に詠まれることはないのでしょうか?鶯は誰だったのか?

野澤 隆夫

特選句「烏骨鶏雄一雌二春卵七」漢詩のフレーズみたいです。「卵は春が旬」とか。それも烏骨鶏。雄一、雌二も面白い。特選句「春闌けてぷかぷかどうし登校す」春眠暁を覚えない中学生のワルの遅い登校風景。〝ぷかぷかどうし〟何ともユーモラスです。

河田 清峰

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」春のような温かい包容力のある兜太先生に毎年思い出すことが出来る喜びを素直に連れてくるよいったのが良かった。

大西 健司

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」内容はいい。ただいささか気に入らない。どなたの句かは知らないが、「紅差すを」と きれいに書いてほしかった。「紅差すを祖母忘れじと別れ霜」凛とした祖母の姿が浮かんでくる。特選にいただきながら勝手な言い分で申し訳ない。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」もう少し韻律を調えてほしい。このままでは単なる報告。あえてこういう書き方をしているのかも知れないが、内容がいいだけにもったいない。今回はこのような素っ気ない句が多かったように思う。

夏谷 胡桃

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」。小学生の入学式でしょうか。学校にいる間、生まれた順に出席番号がありました。わたしはいつも1番で嫌だったことを思い出しました。うららけしも子供たちの輝きを感じさせていいと思いました。

竹本  仰

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」戒名がどんと立って、しかもこの戒名、ますます壮健なる息吹きの感じられる、それこそ飛行船であるような、哄笑が降りてくるような、骨太なイメージがふんだんにあって、これが春の峠に衝撃をおこす、それが彼の定住なんだという、何層にも巧まれた、何というか、詩的マンダラの様相を呈していて、芽吹くような静かな笑いを誘います。特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の生まれたての赤ん坊のあなうらがならぶ、それは生れた順というのは当然なんだが、しかしこれは当然ではないんだという、いろんな膨らみのもてる内容かなと思いました。産科にお勤めしていた或る女性は、赤ん坊ばかり並んだ保育室にいると、この中からイエスもヒトラーも出たんだという不思議な思いにとらわれることがあったとそんな回想されていました。「うららけし」と感じたその一瞬の感覚には、もう二度と同じ地点に並ぶことのない、引き返せないこの世の定めという背景も見えているのかなと。特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」葬儀の棺から見えた祖母の生き方なのかと読みました。唇に紅が映える、それは熱っぽい、勝ち気で一途な方だったのではないかと想像します。死に化粧にいつもの通りきりっと引かれた唇の紅を見て、ああ、祖母そのものだと、ぐっと胸にも一筋食い込んできたというところでしょうか。そういう血はまた自分にもと感じることがあれば、いっそう深く刻まれる一筋ではなかったかと。まあ、我々は、こういう残響を心のうちにひびかせながら生きていくものなのでしょうね。

谷  孝江

特選句「若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ」若者たちへの励ましのベルでしょうか。兜太師の声でしょうか。「目覚ましが鳴り止まぬ」に力強さを感じました。若い方々への思い一入です。

松本 勇二

特選句「囀りの中に他界のありにけり」閃きの作品。その通りだと思います。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」風土感溢れる作品で郷愁をさそいます。「一日が」の「が」を取ればなおリズムよく読めると思います。

三好つや子

特選句「人間を孕んでおりし桜かな」満開の桜の下で寝転ぶと、桜の精が腕を広げて包んでくれているようで、赤ん坊に戻っていくような気がします。桜と人がひとつになり、春の訪れを喜ぶ・・・そんなアニミズムを感じさせてくれる句。特選句「春塵と若きデモの声混じる(月野ぽぽな)」 反対のプラカードを掲げ行進している若者の、汗と砂埃にまみれた顔が目に浮かび、青春のひたむきさが伝わってきます。入選句「囀の中に他界のありにけり」春の野山で鳥たちが発する意味不明の言葉を聞きながら、亡き父母や友人の声を思い出しているのでしょうか。座五の言い回しがくどいと思いましたが、「他界」という言葉に強く惹かれました。  

中村 セミ

特選句「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」時間の経過の中の何かを忙しくしているのか何もしていなくてボォーっと考え事をしているのか、そんな中で夜桜がそこにあった。という句かと思いますが、時間の中で埋ずくまるその果てに何かがあって生き返えるような感覚で囚えました。僕はボォーっと考え事にうずくまるとなかなか時間が幾時間経過してもそこから出られなくなるし、やっと出たら夜だったり、台所のスミのキャベツが只ばく然とあったりします。その事は僕にとっては、とても重要な事なので、この句は巧い句ではないですが、命の事を詠んでいる様に思います。特選とします。

野口思づゑ

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の新生児室なのでしょうか、ゼロ歳児の保育園なのでしょうか、赤ちゃんが並んでスヤスヤ足の裏を見せて眠っている、そんな安らかな光景が目に浮かびました。17文字で暖かい気持ちにしていただき感謝です。

藤田 乙女

特選句「春あおぞら貨車は十六輌です(矢野千代子)」 澄みきった春の青空、心も清々しく明るくなります。16輌の貨車には、未来への素敵な宝物がたくさん積まれているように思います。青春を想起させ、明日への明るい希望を感じる句で、とても惹かれました。特選句「なにを知るアンモナイトや鳥雲に」 長い地球の歴史から見ればほんの僅かな人類の歴史、そして、一瞬にも満たない人間の生、確かに人間は、考える葦かもしれないけれど、人間は地球の中のひとつの生命体としてもっと謙虚に自然の中で生きていかなければいけないとこの句から改めて思いました。

河野 志保

特選句「掌にまろき石春が置いて行った(伊藤 幸)」: 「まろき石」という言葉の響きに惹かれた。春のやわらかい風情が伝わる。春が置いて行った石という表現も楽しい。

寺町志津子

特選句「これからは兜太が春を連れて来る」:「どうも死ぬ気がしない」と、常々話されていた兜太先生の突然とも言えるご逝去。未だ信じ切れていない、また信じたくない昨今であるが、桜花爛漫のこの春は、兜太先生が連れてこられたのだ、と思うとふっと心が和らいでくる。来年も、再来年も、毎年ずっと、兜太先生が春を連れてきてくださると言うのだ。掲句に俳句的詩情性があるか、との思いもあるものの、このやわらかな前向きの発想こそ兜太先生への何よりの感謝、追悼の思いに通じるのではないか、と心が温かくなり、特選に頂いた。

桂  凛火

特選句「深夜テレビにむかしむかしの春の蝉」実写のようで実写でないような非現実的リアリティを感じた。深夜テレビと場面を限定したところに鍵があるように思う。巧みさに脱帽。最後の春の蝉がまた切ない。セピア色の昭和の映像の中にいる春の蝉だから「に」という助詞の成功したまれな例のようにも見える 。「むかしむかし」の引っ張り方もいやみなく感じられた。問題句「冷やそうめん孫とおとなの話かな」祖母のことを思い出し。郷愁が感じられて心惹かれました。すごくなつかしい風景です。ただ最後の「かな」が甘すぎるようにも思います。説明プラス詠嘆でない方がいいかもとかんじました。

高橋 晴子

特選句「手に手相石に石相囀れる(三好つや子)」〝手に〟〝石に〟といわなくてもいいような気もするが、人間の生きてきた時間と石のその成り立ちからもたらす長い時間を相という形で発見して比較している処に面白味があり「囀り」が生気を与えている点で成功していると思う。問題句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯の季節感と親しみでいいたいことはよくわかるのだが〝ほんとうにかなしいときの〟はあまりに言葉だけすぎる。この〝かなしいとき〟を具象化した何かで表現すると特選にとりたい。私ならどう表現するだろうかと考えさせられた句だ。

三枝みずほ

特選句「桜トンネルここは産道そして祈り」桜並木が命の誕生、または再生に繋がるという感覚に共感。祈りがその想いを更に強くしている。「囀りの中に他界のありにけり」目を閉じで静かに囀りを聞いていると、そんな気持ちになる。ふと自分がどこにいるのかと。囀りが全てを包んでいる好きな空間、空気。

銀   次

今月の誤読●「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」。「朝が過ぎ」ようやく目を覚まし、枕元のボックスのなかからタバコを取り出し、くわえタバコのままベッドから出る。キッチンに向かい、コーヒーをきらしていたことに気がつく。仕方なくゴミ箱のなかから、ゆうべ淹れて捨てていたペーパーフィルターを拾い上げ、ドリッパーにセットする。湯の沸くあいだにもう一本タバコをくわえる。まずいコーヒーをすすりながらブラインドを指で押し開ける。昼光がまぶしい。ノミ屋に電話し、馬券の注文を入れる。「昼来て」ジャケットに着替える。よろよろと外に出て、さてと、と、これといって行くあてのないのに気がつく。苦笑。どこに行くったってまずカネがない。借金しようにも知人からも友人からも借りつくしているし、質草もない。仕事かあ。働きたくねえなあ。ま、それは明日考えよう。ズボンのポケットをさぐると万札と千円札が数枚あった。パチンコでもするしかないか。夕方まで弾いて、まあまあ浮いた。スーパーに寄って、チーズとウィスキーの安いやつを買う。近所の河原でその安ウィスキーをラッパ飲みしつつ、日の暮れるのを待つ。帰り道コンビニで冷えた弁当を買う。それが「その夜の」晩餐だ。政治にも社会にも、ましてや国際問題などに関心はない。人生などクソだ。生きがいなんて訊くなよな。つまらない説教なんてするなよな。なーんも感じねえ。なーんも考えねえ。そんなオレにも、そんなオレたちにも、そこいら中にいるオレたちにも、世界中のオレたちにも、ああ、降り注ぐ「桜かな」。

重松 敬子

特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」そこだけ残ったコンビニの明かり、これはもう、新しい風物詩と言って過言ではない。一日を終えた人達の、ほっとした空気、それぞれの生活の匂い。海市との組み合わせが、新時代の郷愁の世界を作りだしている。

小宮 豊和

「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨に囲まれた胸部を鳥籠に見立て。鼓動する心臓を小鳥に見立てた。作者にとってはおそらく鼓動は待春そのものであり、この一句の眼目はこの一点にあるものと感じられる。比喩は成功した。しかしそれだけでは詩は完成しない。小鳥と鼓動と待春が、若さと期待と夢を初初しく暗示し、句作の眼目を達成したのであると思う。これは力業なのだ。力業なのだがそれを感じさせず、可憐さを醸成している。また音数は二〇音であるのに、さして違和感を覚えさせない。

亀山祐美子

特選句『さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ』今回一番気にかかった一句だが、句会では淋し過ぎて外してしまった。「みんなおり」てしまった「なわでんしゃ」に残っているのは「私」そして、最後に残るのは縄電車だけ。「さくらさくら」爛漫の桜。花吹雪の中私の背後に長々と延びる「なわでんしゃ」。まるで自分の影の様に。まるで人生の足跡の様に。寂しさがつのる。人生の思い出をひとつひとつ噛みしめるような平仮名表記。字面は「桜の下の子どもの遊びが終わった」だけなのだが、人は死ぬまでいろんなことして遊ぶんだろうな。最後に残る縄電車。私は、どんな一句を遺せるのだろう。寂寥感溢れる切ない佳句。三月の島田章平さんの『ははははは ははははなれて 花は葉に』がどうも頭から離れません。昨夜ふと思ったのですが、『葉葉葉葉葉 葉葉葉離れて 花は実に』まあ、平仮名表記の方が軽やかさが出ます。間違いなく。しかし『母は母 母は離れて 花は葉に』とも取れ、解釈が百八十度違ったものになる。特に「母は離れて」にこだわりを覚える。桜の樹から離れて日常に戻るのか、母という肉体から精神が離れたのか、この世から離れたのか。漢字表記なら想像力が発揮されるが、平仮名表記で『葉』の解釈だとある意味限定される。どちらにしろ読み手の自由。しかしそこに弱点もある。『母は』ならば私は特選で頂いた。今月の平仮名表記で先月のうやむやが解消出来て幸いです。問題句『ほんとうにかなしいときの豆御飯』「豆御飯」が平仮名なら「さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ」と同じ構成。まっ!十七文字だからね。それはともかく、「さくらさくら」ほど響かないのはなぜか。「ほんとうにかなしいときの」と答えが出してしまい、読み手の想像力が拡がらないから。詠み手の感想文で終わっており、しかも、「豆御飯」が動く。類句類想句多発懸念あり。残念当日の句会での皆様の句評で沢山学ばせていただいております。ありがとうございます。句会報楽しみにしております。

野﨑 憲子

特選句「祭り終え夫といただく雛あられ(髙木繁子)」:「祭り終え」に万感の思いが籠る。老夫婦には、すこし硬い雛あられ。ボリッボリッと味わう二つ並んだ丸い背中が見えてくる。特選句「嘴は春暁の川開きをり」一気に詠んだ渾身の一句。この初々しい嘴が、まだ冷たい川面に触れた瞬間、水面から早春の光がどっと溢れだす。希望に満ちた作品である。問題句「太陽が僕の周りを走る春」この〝僕〟は、自分が超越者と思っているのだろう。平明で面白い発想だが、太陽を崇拝している私には、問題句である。  最後の俳句道場へ行ってまいりました。今回は、いつもより少し参加者が少なかったですが、天候に恵まれ、最後の句会では、会場に鶯の声が何度も響き渡り、胸がいっぱいになりました。珠玉の時間をありがとうございました! 先生は河原にゐます百千鳥 憲子

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

たんぽぽ
たんぽぽや母はちょっと徘徊に
島田 章平
蒲公英や誓い違へて上方へ
藤川 宏樹
できあがりの遅い食堂たんぽぽ黄
野﨑 憲子
蒲公英や溶接臭きスパークす
藤川 宏樹
雑草
雑草よ動くな尻がこそばゆい
銀   次
草朧昨日と違う今日のわたし
野﨑 憲子
雑草を抜いても抜いても昭和の日
田口  浩
春宵やふたりで覗く雑草図鑑
鈴木 幸江
早苗
早苗田よ鳥屋へはどう行けばよい
田口  浩
早苗田を白棺がゆく人連れて
銀   次
山の田にドローンの運ぶ早苗束
島田 章平
つつじ
躑躅紅蓮銃のごときや乳房冷え
中野 佑海
風たちのかくれんぼ躑躅たんぽぽ犬ふくり
野﨑 憲子
地獄
青嵐絵巻の中の地獄から
男波 弘志
地獄なぞ踏んで蹴っては春泥に
山内  聡
様々の地獄覗いてみたき石鹸(しゃぼん)玉
中野 佑海
お彼岸や地獄帰りの酔つ払ひ
島田 章平
信心
信心のなくてつまらぬ春卵
山内  聡
信心は果てなき旅よけもの道
銀   次
信心をさくらさくらにあげました
男波 弘志
信心の隅っこ暮し紙風船
中野 佑海
もの忘れ母は朧の今を生き
山内  聡
探偵とカップ麺食う月朧
田口  浩
太陽鼓動の中の朧かな
野﨑 憲子
朧とは曇り硝子に見る裸身
島田 章平
朧知る齢となりて生きなんと
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

今回の事前投句にも、金子兜太先生の追悼句が寄せられました。今後、ますます熟した追悼句が生れてくると強く感じています。今月の句会は、またいつもの顔ぶれと少し違い、面白い作品や鑑賞が何度も飛び出し、反論するやら感心するやら、会場は何度も笑いの渦でした。とても充実した豊かな時間をありがとうございました。まさに、多様性は俳諧の華、次回がますます楽しみです!

写真は、「海程」俳句道場の会場近くの荒川岸の緑泥片岩の河原です。最後の道場でした。この川岸の景を忘れません。

Calendar

Search

Links

Navigation