2018年5月4日 (金)

第83回「海程」香川句会(2018.04.21)

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事前投句参加者の一句

    
さくらさくらみんなおりたなわでんしや 島田 章平
塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう? 中野 佑海
深夜のテレビにむかしむかしの春の蝉 髙木 繁子
夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ 谷  孝江
なにを知るアンモナイトや鳥雲に 菅原 春み
肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い 月野ぽぽな
ほんとうにかなしいときの豆御飯 伊藤  幸
表札に風吹きわたり夏近し 松本 勇二
吾もまた水の一族白木蓮 銀   次
サイドミラー花菜あふれてゆく静止 竹本  仰
泪ぬぐいし嫩葉ゆるる唐招提寺 田中 怜子
春の黙醤(ひしお)の島に染まりゆく 野田 信章
海程院太航句極居士春の峠に定住す 河田 清峰
嘴は春暁の川開きをり 三枝みずほ
これからは兜太が春を連れてくる 亀山祐美子
軍鶏を潰して四月一日が暮れました 田口  浩
ピスタチオ朝から齧る万愚節 野澤 隆夫
春の海波音のして淋しくはない 鈴木 幸江
つばめ来よ手首にインクながしたから 男波 弘志
だれかに会いたい遅日の帰り道 夏谷 胡桃
アマリリス発声練習しています 寺町志津子
酒くるうこともあろうよ山桜 藤川 宏樹
人間を孕んでおりしさくらかな 稲葉 千尋
山葵田に流れ着きたるオフェーリア 新野 祐子
太陽が僕の周りを走る春 豊原 清明
コンビニの灯りにわたし海市かな 大西 健司
朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな 河野 志保
端居の空気が古びた絵となった 中村 セミ
若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ 野口思づゑ
桜トンネルここは産道そして祈り 若森 京子
輝きのかけらとなりて蝶のゆく 山内  聡
冷そうめん孫とおとなの話かな 重松 敬子
羅漢さま喉の奥まで花吹雪 増田 天志
紫木蓮思い出積み上げ眠ります 桂  凛火
うららけし生まれた順に足並ぶ 三好つや子
すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い 矢野千代子
あらがへど古りゆく色香紫木蓮 小宮 豊和
烏骨鶏雄一雌二春卵七 高橋 晴子
一人よりみんなが好きなチューリップ 藤田 乙女
囀りの中に他界のありにけり 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」兜太先生は創造主の仲間になり季節を巡らせています。そしてそれは春。私たちに春をプレゼントしてくださるために仲間入りする季節に春を選ばれたのですね。と想像できて安らかな気持ちになりました。ありがとうございました。

藤川 宏樹

特選句「雪は降る肝臓よりもしずかな夜(月野ぽぽな)」:「雪」に「肝臓よりも」をつけて、静かさを表現されていることに感心します。こういう句を拝見すると、「俳句歴が浅く、言葉を知らないから・・・」と言い訳する自分が恥ずかしくなります。

中野 佑海

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆ご飯て、だいたい何かある時に食べますよね。あの豆のゴロゴロ感が胸の支えを嫌増している気がします。涙の塩っぱさが更に良い味付けとなり、美味しいのか美味しくないのか、何も感じなくなって。何で豆ご飯なんだろう。疑問も解答も今迄聞いたこと無い摩訶不思議な食べ物です。やっと答えが出ましたね!!(良かった!無限ループから抜け出せて。)特選句「アマリリス発生練習しています。」良いですね!!このピンと背筋の伸びた、爽やかな回答。あの大きく開いた花はメガホンにそっくりです。さぞ素晴らしい合唱団に成れるでしょう。この所、仕事にかまけて怠惰な生活をしている私に、活力を下さって有難うございました。句会で好きな事を、好きなように話せ本当に嬉しいです。有難うございます。

山内  聡

特選句「たんぽぽの地の声聞くや陽に語り(藤田乙女)」たんぽぽは聞くこともできないし声を出すこともできない。この当然のありえないことをあり得るとする力が詩の力だと思う。たんぽぽは地に根を張り地面から伝わってくる地球の声を聞いている。そして地球の声を伝えんとする相手は太陽。切り取る対象がたんぽぽのはずなのに壮大なスケールも伝えんとするこの掲句。詩の持つ力を最大化させているような心持ちにさせられます。毎回、句会で皆さんの選評を聞くことがなりよりもの勉強になっています。色々な鑑賞の仕方があるものだといつも感心させられるし、次の句会はどんな話が聞けるのだろうかと楽しみな心持ちにさせられます。そして何より句会に参加される方々の多様性と個性に好印象を受けます!

若森 京子

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」一句全体から人生のなりわいの様なものを感じる。醤の島で一生を終える人、又、通り過ぎる旅人にも染まる色があるのであろう。特選句「山葵田に流れ着きたるオフェーリア」清流に透明感のある緑の山葵田は大変美しい。そこにオフェーリアが着いた。この美しい意外性のある発想に魅かれた。

稲葉 千尋

特選句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯で決まり。特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」今日も噛みました。確かに、鉄の匂いだった。この感性をいただき。問題句「コンビニの灯りにわたし海市かな」:「に」はいらないと思う。

増田 天志

特選句「囀や水面に映る昼の星(新野祐子)」聴覚から視覚へ。それも、幻視。メルヘンの世界に、しばし、遊びたい。

田中 怜子

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」兜太先生を思いて。桜は終わりそうだったけど、峠に定住は言い得て妙。特選句「発条開き春海大きくなる」小さな見栄えしない発条と、大きな春の海。気持ちいいですね。瀬戸内海でしょうね。

豊原 清明

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜(寺町志津子)」 思いが籠っている、一句はどの句でも、内容問わず、感動を与える。この一句、強い。自論だが、俳句は誰にでも、何時でも書けると信じる。しかし、この頃、師をなくしたことのショック、選んで下さる俳人、尊敬できる俳句人がいなくなった、虚ろになっていたことを、この俳句で知った。問題句「春あおぞら貨車は十六輌です」好きな一句。ただ、ピンとくるのが、他の句より、 ちょっとだけ、減っているような気がしたが、春の透明感を感じ、それが好きです。

田口  浩

特選句「つばめ来よ手首にインクながしたから」釈迦は麻耶夫人の腋から生まれたと言う。古代人の発想の大らかなところである。〈手首にインクを流したから〉〈つばめ来よ〉の現代人の感性を、麻耶夫人と比べることもないが、これも充分に自由であろう。つばめの羽根の黒味をおびた青いインクが妙に生まめかしい。これで、作中人物が燕尾服でも着て、袖まくりの手首を持ちあげていたら・・・。と話をひろげれば、人間喜劇の一コマが見えてこないでもない。この句の自在性を思いながら、茨木のり子の詩の一節が浮かんできた。〈自分の感性くらい/自分で守れ/ばかものよ〉と言っているが、私たち俳句作りも、忘れてはいけない自戒である。

矢野千代子

特選句「直島のかぼちゃを抱きに四月馬鹿(亀山祐美子)」瀬戸内から眺めるたびに「あのかぼちゃを抱きたいナ」。そう希うのは私だけじゃない…と、意を強くして推しました。特選句「囀りの中に他界のありにけり」この作品は一番好きです。「異界」でなくて日常をたっぷり含んだ「他界」―それが良いなあ。

鈴木 幸江

特選句「塩ショコラの悩み菜花のおつゆどう?」“塩ショコラの悩み”を、先進国のひとつである日本人の大方が抱えている、何が正しく何が正しくないのかというもやもやした悩みの喩えのだと解釈した。そんな状況に季節の料理をどうぞと差し出す対応に、賢さを感じ頂いた。 “?”にも、強く勧める思いが出ていて効いていると思った。問題句「つばめ来よ手首にインクながしたから」手首にインクを流すのは、自傷行為にも似て尋常ではない。インクの色から、燕をふと思ったのだろうか?そして、燕の飛来を願う心が現れたのだろうか?うまく共感はできなかったが、作者に残る健康な心を感じ、現代人の辛いけど、まだ救いのある心を示唆していると思った。

男波 弘志

特選句「すかんぽを噛めばおーおー鉄の匂い」鉄 は かなしい 雨の日は いよいよ かなしい でも 鉄は 泣かない すかんぽ みたいに 顔 が ないから「深夜のテレビにむかしむかしの春の蟬」時間軸の移動が闇の中にある 夜に なく 蟬 街 を 太陽 と まちがえたの か「夜のしだれ桜抜け来てひとつ老ゆ」抜ける ここに 老いの真実がある 年年歳歳何かから、抜け出る、虚体 即 老い「空想にドロップ一粒春浅し」空想 の ではなく に 空想を客体化している。そこがおもろい。「春の黙醤の島に染まりゆく」ここは 小豆島 放哉の死んだ 島 放哉の黙 に 染まる 醤 そう感じている。「人間を孕んでおりしさくらかな」人間 その 業火 が 常念 を 呼ぶ  人間 の 存在 が なければ さくら は さくら ではない。「チョウの収集家もチョウである岐阜へ飛んだ」とにかく真面目にふざけているのがいい それしか 考え られないのが いい 俳諧。

伊藤  幸

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」醤油が特産という小豆島の景を詠ったなんでもない句であるのにも拘らず、得体の知れぬやるせなさを感じるのは、上五「春の黙」のせいだろうか。読む人それぞれの人生観で解釈できる不思議な句だ。特選句「半日を置いてある水夕つばめ」やわらかな夕日が射し込む民家の軒先、ツバメが来て水を飲んでいる。上中下語どれも麗らかで晩春の景が手に取るように浮かび煩雑な日々の中ゆったりした気分を取り戻し癒してくれる佳句だと思う。

野田 信章

特選句「酒くるうこともあろうよ山桜」は山桜の見事さの極まりとその反転としての想念において、人間の本姿の一端が言い止められているかと思う。特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」は現代の疎外感が「海市かな」によって現出している今日性がある。このように二物の配合の意外性が俳諧からの伝統であり、句の鮮度を保つ要点でもあろうかと考えた。

新野 祐子

特選句「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨が鳥かごだとは、うまい直喩ですね。自分の心臓の鼓動を常には意識しませんが、この句を読んで改めて生命の不思議さと、よく働いてくれる心臓にいとおしさを覚えずにはおれません。入選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」「これからは兜太が春を連れてくる」やはり今は、兜太先生の句を詠みたいですね。入選句「新しきナイフの切れ味初燕(重松敬子)」初燕ほど鋭敏な飛翔を見せる鳥はいないです、確かに。問題句「花の下寝転んで読む死刑囚手記(銀次)」:「花の下寝転んで」と「死刑囚」とでは、あまりにブラックなのではないでしょうか。もしかして、この死刑囚とは、金子文子さんだったりして。

島田 章平

特選句「囀りの中に他界のありにけり」金子兜太先生が亡くなられ、二か月が経ちました。今回の俳句の中にも兜太先生を偲ぶ句が数多く見られました。句会に参加されているすべての人の心の中に兜太先生は生き続け、励ましてくださっていると信じます。句会もまた囀り。その傍らの世界で、兜太先生がにこやかに御覧になっておられる御顔が目に浮かびます。     

菅原 春み

特選句「春の黙醤の島に染まりゆく」春の黙、こころが沈んでいるのだろうか。醬の島がなんともいい。特選句「鶯も混じりて秩父終句会」 最終の秩父句会。これを最後に句に詠まれることはないのでしょうか?鶯は誰だったのか?

野澤 隆夫

特選句「烏骨鶏雄一雌二春卵七」漢詩のフレーズみたいです。「卵は春が旬」とか。それも烏骨鶏。雄一、雌二も面白い。特選句「春闌けてぷかぷかどうし登校す」春眠暁を覚えない中学生のワルの遅い登校風景。〝ぷかぷかどうし〟何ともユーモラスです。

河田 清峰

特選句「これからは兜太が春を連れてくる」春のような温かい包容力のある兜太先生に毎年思い出すことが出来る喜びを素直に連れてくるよいったのが良かった。

大西 健司

特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」内容はいい。ただいささか気に入らない。どなたの句かは知らないが、「紅差すを」と きれいに書いてほしかった。「紅差すを祖母忘れじと別れ霜」凛とした祖母の姿が浮かんでくる。特選にいただきながら勝手な言い分で申し訳ない。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」もう少し韻律を調えてほしい。このままでは単なる報告。あえてこういう書き方をしているのかも知れないが、内容がいいだけにもったいない。今回はこのような素っ気ない句が多かったように思う。

夏谷 胡桃

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」。小学生の入学式でしょうか。学校にいる間、生まれた順に出席番号がありました。わたしはいつも1番で嫌だったことを思い出しました。うららけしも子供たちの輝きを感じさせていいと思いました。

竹本  仰

特選句「海程院太航句極居士春の峠に定住す」戒名がどんと立って、しかもこの戒名、ますます壮健なる息吹きの感じられる、それこそ飛行船であるような、哄笑が降りてくるような、骨太なイメージがふんだんにあって、これが春の峠に衝撃をおこす、それが彼の定住なんだという、何層にも巧まれた、何というか、詩的マンダラの様相を呈していて、芽吹くような静かな笑いを誘います。特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の生まれたての赤ん坊のあなうらがならぶ、それは生れた順というのは当然なんだが、しかしこれは当然ではないんだという、いろんな膨らみのもてる内容かなと思いました。産科にお勤めしていた或る女性は、赤ん坊ばかり並んだ保育室にいると、この中からイエスもヒトラーも出たんだという不思議な思いにとらわれることがあったとそんな回想されていました。「うららけし」と感じたその一瞬の感覚には、もう二度と同じ地点に並ぶことのない、引き返せないこの世の定めという背景も見えているのかなと。特選句「唇に紅忘れじと祖母別れ霜」葬儀の棺から見えた祖母の生き方なのかと読みました。唇に紅が映える、それは熱っぽい、勝ち気で一途な方だったのではないかと想像します。死に化粧にいつもの通りきりっと引かれた唇の紅を見て、ああ、祖母そのものだと、ぐっと胸にも一筋食い込んできたというところでしょうか。そういう血はまた自分にもと感じることがあれば、いっそう深く刻まれる一筋ではなかったかと。まあ、我々は、こういう残響を心のうちにひびかせながら生きていくものなのでしょうね。

谷  孝江

特選句「若き春眠目覚ましが鳴り止まぬ」若者たちへの励ましのベルでしょうか。兜太師の声でしょうか。「目覚ましが鳴り止まぬ」に力強さを感じました。若い方々への思い一入です。

松本 勇二

特選句「囀りの中に他界のありにけり」閃きの作品。その通りだと思います。問題句「軍鶏を潰して四月一日が暮れました」風土感溢れる作品で郷愁をさそいます。「一日が」の「が」を取ればなおリズムよく読めると思います。

三好つや子

特選句「人間を孕んでおりし桜かな」満開の桜の下で寝転ぶと、桜の精が腕を広げて包んでくれているようで、赤ん坊に戻っていくような気がします。桜と人がひとつになり、春の訪れを喜ぶ・・・そんなアニミズムを感じさせてくれる句。特選句「春塵と若きデモの声混じる(月野ぽぽな)」 反対のプラカードを掲げ行進している若者の、汗と砂埃にまみれた顔が目に浮かび、青春のひたむきさが伝わってきます。入選句「囀の中に他界のありにけり」春の野山で鳥たちが発する意味不明の言葉を聞きながら、亡き父母や友人の声を思い出しているのでしょうか。座五の言い回しがくどいと思いましたが、「他界」という言葉に強く惹かれました。  

中村 セミ

特選句「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」時間の経過の中の何かを忙しくしているのか何もしていなくてボォーっと考え事をしているのか、そんな中で夜桜がそこにあった。という句かと思いますが、時間の中で埋ずくまるその果てに何かがあって生き返えるような感覚で囚えました。僕はボォーっと考え事にうずくまるとなかなか時間が幾時間経過してもそこから出られなくなるし、やっと出たら夜だったり、台所のスミのキャベツが只ばく然とあったりします。その事は僕にとっては、とても重要な事なので、この句は巧い句ではないですが、命の事を詠んでいる様に思います。特選とします。

野口思づゑ

特選句「うららけし生まれた順に足並ぶ」産院の新生児室なのでしょうか、ゼロ歳児の保育園なのでしょうか、赤ちゃんが並んでスヤスヤ足の裏を見せて眠っている、そんな安らかな光景が目に浮かびました。17文字で暖かい気持ちにしていただき感謝です。

藤田 乙女

特選句「春あおぞら貨車は十六輌です(矢野千代子)」 澄みきった春の青空、心も清々しく明るくなります。16輌の貨車には、未来への素敵な宝物がたくさん積まれているように思います。青春を想起させ、明日への明るい希望を感じる句で、とても惹かれました。特選句「なにを知るアンモナイトや鳥雲に」 長い地球の歴史から見ればほんの僅かな人類の歴史、そして、一瞬にも満たない人間の生、確かに人間は、考える葦かもしれないけれど、人間は地球の中のひとつの生命体としてもっと謙虚に自然の中で生きていかなければいけないとこの句から改めて思いました。

河野 志保

特選句「掌にまろき石春が置いて行った(伊藤 幸)」: 「まろき石」という言葉の響きに惹かれた。春のやわらかい風情が伝わる。春が置いて行った石という表現も楽しい。

寺町志津子

特選句「これからは兜太が春を連れて来る」:「どうも死ぬ気がしない」と、常々話されていた兜太先生の突然とも言えるご逝去。未だ信じ切れていない、また信じたくない昨今であるが、桜花爛漫のこの春は、兜太先生が連れてこられたのだ、と思うとふっと心が和らいでくる。来年も、再来年も、毎年ずっと、兜太先生が春を連れてきてくださると言うのだ。掲句に俳句的詩情性があるか、との思いもあるものの、このやわらかな前向きの発想こそ兜太先生への何よりの感謝、追悼の思いに通じるのではないか、と心が温かくなり、特選に頂いた。

桂  凛火

特選句「深夜テレビにむかしむかしの春の蝉」実写のようで実写でないような非現実的リアリティを感じた。深夜テレビと場面を限定したところに鍵があるように思う。巧みさに脱帽。最後の春の蝉がまた切ない。セピア色の昭和の映像の中にいる春の蝉だから「に」という助詞の成功したまれな例のようにも見える 。「むかしむかし」の引っ張り方もいやみなく感じられた。問題句「冷やそうめん孫とおとなの話かな」祖母のことを思い出し。郷愁が感じられて心惹かれました。すごくなつかしい風景です。ただ最後の「かな」が甘すぎるようにも思います。説明プラス詠嘆でない方がいいかもとかんじました。

高橋 晴子

特選句「手に手相石に石相囀れる(三好つや子)」〝手に〟〝石に〟といわなくてもいいような気もするが、人間の生きてきた時間と石のその成り立ちからもたらす長い時間を相という形で発見して比較している処に面白味があり「囀り」が生気を与えている点で成功していると思う。問題句「ほんとうにかなしいときの豆御飯」豆御飯の季節感と親しみでいいたいことはよくわかるのだが〝ほんとうにかなしいときの〟はあまりに言葉だけすぎる。この〝かなしいとき〟を具象化した何かで表現すると特選にとりたい。私ならどう表現するだろうかと考えさせられた句だ。

三枝みずほ

特選句「桜トンネルここは産道そして祈り」桜並木が命の誕生、または再生に繋がるという感覚に共感。祈りがその想いを更に強くしている。「囀りの中に他界のありにけり」目を閉じで静かに囀りを聞いていると、そんな気持ちになる。ふと自分がどこにいるのかと。囀りが全てを包んでいる好きな空間、空気。

銀   次

今月の誤読●「朝が過ぎ昼来てその夜の桜かな」。「朝が過ぎ」ようやく目を覚まし、枕元のボックスのなかからタバコを取り出し、くわえタバコのままベッドから出る。キッチンに向かい、コーヒーをきらしていたことに気がつく。仕方なくゴミ箱のなかから、ゆうべ淹れて捨てていたペーパーフィルターを拾い上げ、ドリッパーにセットする。湯の沸くあいだにもう一本タバコをくわえる。まずいコーヒーをすすりながらブラインドを指で押し開ける。昼光がまぶしい。ノミ屋に電話し、馬券の注文を入れる。「昼来て」ジャケットに着替える。よろよろと外に出て、さてと、と、これといって行くあてのないのに気がつく。苦笑。どこに行くったってまずカネがない。借金しようにも知人からも友人からも借りつくしているし、質草もない。仕事かあ。働きたくねえなあ。ま、それは明日考えよう。ズボンのポケットをさぐると万札と千円札が数枚あった。パチンコでもするしかないか。夕方まで弾いて、まあまあ浮いた。スーパーに寄って、チーズとウィスキーの安いやつを買う。近所の河原でその安ウィスキーをラッパ飲みしつつ、日の暮れるのを待つ。帰り道コンビニで冷えた弁当を買う。それが「その夜の」晩餐だ。政治にも社会にも、ましてや国際問題などに関心はない。人生などクソだ。生きがいなんて訊くなよな。つまらない説教なんてするなよな。なーんも感じねえ。なーんも考えねえ。そんなオレにも、そんなオレたちにも、そこいら中にいるオレたちにも、世界中のオレたちにも、ああ、降り注ぐ「桜かな」。

重松 敬子

特選句「コンビニの灯りにわたし海市かな」そこだけ残ったコンビニの明かり、これはもう、新しい風物詩と言って過言ではない。一日を終えた人達の、ほっとした空気、それぞれの生活の匂い。海市との組み合わせが、新時代の郷愁の世界を作りだしている。

小宮 豊和

「肋骨は鳥かご待春の鼓動を飼い」肋骨に囲まれた胸部を鳥籠に見立て。鼓動する心臓を小鳥に見立てた。作者にとってはおそらく鼓動は待春そのものであり、この一句の眼目はこの一点にあるものと感じられる。比喩は成功した。しかしそれだけでは詩は完成しない。小鳥と鼓動と待春が、若さと期待と夢を初初しく暗示し、句作の眼目を達成したのであると思う。これは力業なのだ。力業なのだがそれを感じさせず、可憐さを醸成している。また音数は二〇音であるのに、さして違和感を覚えさせない。

亀山祐美子

特選句『さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ』今回一番気にかかった一句だが、句会では淋し過ぎて外してしまった。「みんなおり」てしまった「なわでんしゃ」に残っているのは「私」そして、最後に残るのは縄電車だけ。「さくらさくら」爛漫の桜。花吹雪の中私の背後に長々と延びる「なわでんしゃ」。まるで自分の影の様に。まるで人生の足跡の様に。寂しさがつのる。人生の思い出をひとつひとつ噛みしめるような平仮名表記。字面は「桜の下の子どもの遊びが終わった」だけなのだが、人は死ぬまでいろんなことして遊ぶんだろうな。最後に残る縄電車。私は、どんな一句を遺せるのだろう。寂寥感溢れる切ない佳句。三月の島田章平さんの『ははははは ははははなれて 花は葉に』がどうも頭から離れません。昨夜ふと思ったのですが、『葉葉葉葉葉 葉葉葉離れて 花は実に』まあ、平仮名表記の方が軽やかさが出ます。間違いなく。しかし『母は母 母は離れて 花は葉に』とも取れ、解釈が百八十度違ったものになる。特に「母は離れて」にこだわりを覚える。桜の樹から離れて日常に戻るのか、母という肉体から精神が離れたのか、この世から離れたのか。漢字表記なら想像力が発揮されるが、平仮名表記で『葉』の解釈だとある意味限定される。どちらにしろ読み手の自由。しかしそこに弱点もある。『母は』ならば私は特選で頂いた。今月の平仮名表記で先月のうやむやが解消出来て幸いです。問題句『ほんとうにかなしいときの豆御飯』「豆御飯」が平仮名なら「さくらさくらみんなおりたなわでんしゃ」と同じ構成。まっ!十七文字だからね。それはともかく、「さくらさくら」ほど響かないのはなぜか。「ほんとうにかなしいときの」と答えが出してしまい、読み手の想像力が拡がらないから。詠み手の感想文で終わっており、しかも、「豆御飯」が動く。類句類想句多発懸念あり。残念当日の句会での皆様の句評で沢山学ばせていただいております。ありがとうございます。句会報楽しみにしております。

野﨑 憲子

特選句「祭り終え夫といただく雛あられ(髙木繁子)」:「祭り終え」に万感の思いが籠る。老夫婦には、すこし硬い雛あられ。ボリッボリッと味わう二つ並んだ丸い背中が見えてくる。特選句「嘴は春暁の川開きをり」一気に詠んだ渾身の一句。この初々しい嘴が、まだ冷たい川面に触れた瞬間、水面から早春の光がどっと溢れだす。希望に満ちた作品である。問題句「太陽が僕の周りを走る春」この〝僕〟は、自分が超越者と思っているのだろう。平明で面白い発想だが、太陽を崇拝している私には、問題句である。  最後の俳句道場へ行ってまいりました。今回は、いつもより少し参加者が少なかったですが、天候に恵まれ、最後の句会では、会場に鶯の声が何度も響き渡り、胸がいっぱいになりました。珠玉の時間をありがとうございました! 先生は河原にゐます百千鳥 憲子

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

たんぽぽ
たんぽぽや母はちょっと徘徊に
島田 章平
蒲公英や誓い違へて上方へ
藤川 宏樹
できあがりの遅い食堂たんぽぽ黄
野﨑 憲子
蒲公英や溶接臭きスパークす
藤川 宏樹
雑草
雑草よ動くな尻がこそばゆい
銀   次
草朧昨日と違う今日のわたし
野﨑 憲子
雑草を抜いても抜いても昭和の日
田口  浩
春宵やふたりで覗く雑草図鑑
鈴木 幸江
早苗
早苗田よ鳥屋へはどう行けばよい
田口  浩
早苗田を白棺がゆく人連れて
銀   次
山の田にドローンの運ぶ早苗束
島田 章平
つつじ
躑躅紅蓮銃のごときや乳房冷え
中野 佑海
風たちのかくれんぼ躑躅たんぽぽ犬ふくり
野﨑 憲子
地獄
青嵐絵巻の中の地獄から
男波 弘志
地獄なぞ踏んで蹴っては春泥に
山内  聡
様々の地獄覗いてみたき石鹸(しゃぼん)玉
中野 佑海
お彼岸や地獄帰りの酔つ払ひ
島田 章平
信心
信心のなくてつまらぬ春卵
山内  聡
信心は果てなき旅よけもの道
銀   次
信心をさくらさくらにあげました
男波 弘志
信心の隅っこ暮し紙風船
中野 佑海
もの忘れ母は朧の今を生き
山内  聡
探偵とカップ麺食う月朧
田口  浩
太陽鼓動の中の朧かな
野﨑 憲子
朧とは曇り硝子に見る裸身
島田 章平
朧知る齢となりて生きなんと
鈴木 幸江

【通信欄】&【句会メモ】

今回の事前投句にも、金子兜太先生の追悼句が寄せられました。今後、ますます熟した追悼句が生れてくると強く感じています。今月の句会は、またいつもの顔ぶれと少し違い、面白い作品や鑑賞が何度も飛び出し、反論するやら感心するやら、会場は何度も笑いの渦でした。とても充実した豊かな時間をありがとうございました。まさに、多様性は俳諧の華、次回がますます楽しみです!

写真は、「海程」俳句道場の会場近くの荒川岸の緑泥片岩の河原です。最後の道場でした。この川岸の景を忘れません。

2018年3月29日 (木)

第82回「海程」香川句会(2018.03,17)

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事前投句参加者の一句

    
「アベ政治を許さない」師は逝きたまう 稲葉 千尋
ははははは ははははなれて 花は葉に 島田 章平
桃咲(わら)うそれでも保険かけますか 藤川 宏樹
思い切り人生未知数春卵 中野 佑海
窓越しの春満月に触れてみる 髙木 繁子
雪よ降れヒンズークシュの水甕へ 新野 祐子
蜃気楼パズルの解けぬ顔がある 中村 セミ
マスクして憂き世に遠くゐるつもり 谷  孝江  
錆釘の黙が匂えり花の夜 大西 健司
ぼくと地球とタンポポの独り言 増田 天志
春の雪闇の歪みをつたうかな 山内  聡
地虫出づ多数決を覆し 三好つや子
帰る場所探す鳥たち二月二十日 野口思づゑ
オウ!と鳴る春汽笛船が行く船が行く 伊藤  幸
目を閉じて聞く先生はもう梟 河野 志保
兜太逝き蒼天に吠える群猪 疋田恵美子
バーガーのオニオン多め春セーター 野澤 隆夫
春雨や真つ赤な魚が宙に舞う 銀   次
冴え返るうしろ手に数珠握りしめ 菅原 春み
師の骨の真白く太し風花す 松本 勇二
オブラートにつつまれたぼくを呑んだ雲雀 田口  浩
白梅のような骨を拾った熱かった 若森 京子
さかなになったばかりで春月 男波 弘志
束ねないで花々ゆつくり揺れる 三枝みずほ
舞子まで蝶追い木偶追い影失くす 矢野千代子
枯れてあたたか苧(からむし)普段着のあいさつ 野田 信章
春の夜や無名至福の酔っぱらい 小宮 豊和
朧から現れ家族の振りをする 重松 敬子
春光や水に流せぬもののあり 藤田 乙女
留守番の父の飾りしヒヤシンス 中西 裕子
うららけし足の届かぬ木のベンチ 亀山祐美子
春塵のずしりと来たり喪の報せ 豊原 清明
よく眠り夢の春野に逢いにゆく 月野ぽぽな
兜太逝き梅遅く咲き永く咲く 鈴木 幸江
馬鹿になっての句作がよろし虎落笛 寺町志津子
啓蟄より少し長めの舌である 竹本  仰
蠟梅のくしゅっと咲いて母逝けり 桂  凛火
兜太逝く花の秩父を目前に 高橋 晴子
桜草片戸の奥に人の居て 河田 清峰
春浅し地球の重しひとつ減る 夏谷 胡桃
木の芽晴れ里山長き眠り覚め 漆原 義典
梅咲くや残されし我ら遺児のごと 田中 怜子
春落日金子兜太の大笑す 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「師の骨の真白く太し風花す」兜太先生の骨に焦点をあてたところが秀逸。先生の純粋さ繊細さを「真白く」から、侠気、志の強さ度量の広さ大胆さを「太く」から想起させ、先生への愛情が「風花す」に溢れる美しく逞しい追悼句。

若森 京子

特選句「目を閉じて聞く先生はもう梟」目を閉じると長年聞き慣れたあの懐かしい声が聞こえてくる。梟は幸福を運んでくると云われる。兜太先生は風貌も梟に似ている。より近くになった様に思う。特選句「枯れてあたたか苧(からむし)普 段着のあいさつ」苧は朝鮮から来たと云われるが麻の繊維。まずこの文字がこの一句の中心にあり全体の情感をふくらませている。人間のあたたかな平常心の姿が見える。

増田 天志

特選句「舞子まで蝶追い木偶追い影失くす」結界を越えてゆく。影無き存在に。幽玄の世界の中へ。

中野 佑海

特選句「オブラートにつつまれたぼくを呑んだ雲雀」なんてちっちゃな僕ちゃんでしょう。こんなに可愛い、か細い、不安だらけの草食系男子を難なく飲み込んでしまう、したたかで、柔軟で、挫折知らずの肉食系女子。此れから子育ては男 子の手に委ねられていくのね!?特選句「枯れてあたたか苧普段着のあいさつ」昔から着られている心地良い着物ですね!人間も、誰かに遣えるだの、そん度するなどという宮仕えから離れ、心と行動が一致する境地になるにはまだまだ時間が係り そうです。でも、そこまで行けたら、この世も自分にとって住みやすい場所となるんでしょうね。 小豆島吟行は本当に皆様の熱意ある講評。とても、有意義な2日間を楽しめました。皆様、有難うございました。遠くから参加頂いた、野田様、増田様、田中両氏本当にお疲れ様でした。また、素晴らしい俳句誌として「海原」が順調に滑り出した らと、願って止みません。

山内  聡

特選句「ひとり漕ぐぶらんこ鉄の匂ひけり」ぶらんこから鉄の匂いがしたのは、それが特に意識されたのは、ひとりでぶらんこを漕いでいるから。ぶらんこをひとりで漕ぐというのは、何かわびしい。わびしい心を癒すためにぶらんこでも漕 いでみようかと思ったのか。春の陽気に包まれたらさぞ気持ちも晴れ渡るだろうと思いきや、ぶらんこの鉄の匂いに気をとられた。春を感じようとして何か冷たい鉄からの印象を受けその鉄に心をとらわれてしまうぐらい心も冷え切っているのでし ょうか。

矢野千代子郎

特選句「「枯れてあたたか苧普段着のあいさつ」」風に鳴る苧の乾いた音を「普段着の挨拶」とは…作者はまさしく詩人ですね。特選句「梅の夜背に金子兜太全集」金子先生の「梅」の作品などがうかんできて感無量です。

島田 章平

特選句「春落日金子兜太の大笑す」。金子兜太先生が亡くなられました。失ったものが余りにも大きく、まだ心の整理がつきません。今句会の提出句にはその驚きと悲しみ、そして兜太先生の御意思を継承しようとする強い心、様々な句が詠 まれました。心を自由に解き放ち、ありのままを見つめる、それが兜太先生の俳句への眼差しだった様に思います。特選句を初め、追悼句には様々な思いが込められており、批評は差し控えます。金子兜太先生の御冥福を御祈り致します。合掌

藤川 宏樹

特選句「花束抱き胯間ひろらに卒業す」:「胯間ひろらに」に慶びの開放感と卒業の誇りが感じられ、着想が見事です。小豆島の「春探し吟行」、天候にも人にも恵まれ楽しめました。二日間の鍛練のおかげで、作句が楽になった気がします 。お世話くださった中野さん、野崎さん、ありがとうございました。

野澤 隆夫

吟行句会の熱気に圧倒され、みなさんの意欲的な姿勢に感動させられ、エネルギーをもらいました。ただ体力的に持久力が無いのが少し悔しいですが、マイペースです。今月の選句は下記です。特選句「春の嵐取りに戻る忘れもの」ごく普通 の日常なのでが。あたふたと飛び出て〝あっ忘れた…〟と春雷の中を引き返す。忘れ物を取りに…。しかし、ここでの忘れ物は過去の精神的な忘れ物かも?兜太さんへの惜別の句もいいのが多いですね。小生は「兜太逝くオオカミ唸るよく来たな」 を選句しました。あらためて『金子兜太自選自解99句』の表紙の書〝おおかみに蛍が一つ付いていた〟を見てます。力強い書です。問題句「朧から現れ家族の振りをする」朧から家族の振りをする人が出て来るとは?やはり問題です。

三枝みずほ

特選句「窓越しの春満月に触れてみる」窓一枚を隔てて見えてくる世界観。軽いゲージに入っているような、触れたくても触れられないという葛藤、胸の内に共感。しかし、春満月はきっと冷たく硬くはない、そこがよかった。「よく眠り夢 の春野に逢いにゆく」金子先生への想いに共感、またいつか逢えるんだと思う。小豆島吟行ありがとうございました!色々とお気遣い頂き、参加出来たことに感謝しております。幹事の佑海さんの完璧なスケジュール、凄すぎます!本当にありがと うございました。

稲葉 千尋

特選句「蠟梅の顔深く眠りおり」おそらく金子先生のお顔を見に行かれた方だと思います。「蠟梅」がよく効いている。合掌。特選句「白梅のような骨を拾った熱かった」葬儀に出席されて遺骨を拾ったのであろう。下五の「熱かった」が作 者の慟哭。

夏谷 胡桃

特選句「うすらいやこえをはりあげるなんて嘘」。今回は、金子兜太追悼句から10句を選んでみました。特選のこの句は、兜太先生の追悼句かわかりませんが、感じるものがありました。先生のお葬式に出向き泣きたかった。兜太先生を知 る人と語り合いたかった。でも、いつものように出勤し仕事しました。職場に金子兜太も俳句も知る人はいません。悲しいんだよとワァーと声をあげたくなりますが、顔は笑って悲しみに耐えます。誰かに金子兜太が死んだんだよと話をしたかった です。さいわい、夫は少しわかってくれます。夫は仕事で金子兜太先生と嵐山光三郎氏のインタビューの編集をしました。その時に買った金子兜太の本が本棚にありました。その本を手にして、俳句に興味を持ったのでした。金子兜太のもとで俳句 をはじめたと知った嵐山氏が金子兜太全集をプレゼントしてくれました。でも、なかなか上達もせずに時間だけが過ぎました。特選句「帰る場所探す鳥たち二月二十日」。さて、忙しい合間に俳句ならできるのではないかという単純な考えで俳句を 作っていました。自己表現の自己満足です。金子兜太がいなくなった今、自分が何をしたかったのか、何をするべきか考えて、それぞれの場所に帰っていくのもいいかもしれません。その場所は文学ではないかもしれませんが、こころにはいつも詩 をもち続けて生きていきたいです。

男波 弘志

特選句「束ねないで花々ゆつくり揺れる」上5のかるい呼びかけに作者の慈悲心がみえる。口語俳句は21世紀の華になるであろう。「錆釘の黙が匂えり花の夜」美しいものだけが、きらめくわけではない。美の本体には暗黒が深く拘わって いる。「春の雪闇の歪みをつたうかな」闇の歪みを見付けたのは、雪、自身であろう。おそろしい意思がはたらいている。「帰る場所探す鳥たち二月二十日」みんながいづれかえる 場所 まだ そこは みつからないで いい 場所。「ひとり漕 ぐぶらんこ鉄の匂ひけり」詠嘆、けり、がこの場合、匂い、をぼわっとひろげてしまっている。「漕ぎだしてぶらんこ鉄の匂いする」とする手もある。「消えぬものたくさん残し冬の虹」一刹那に一切、がある、華厳経に、そう書いてある。「兜太 逝き梅遅く咲き長く咲く」ふしぎな存在感、師弟の交歓が終わっていない証だろう。「春の雷棺にありてえくぼの子」悲しい死を、即物で投げ出している、強靭な精神。「かなしいときはかなしみを主とせよ」「風遊ぶところ葉脈すきとほる」見事 な写実、詩情抜群、更に、遊ぶ、を描写で突き詰めることもできるが、どうであろうか。

大西 健司

特選句「さかなになったばかりで春月」何とも不思議な一句。お魚になった私。そこには春の月の光が差している。どこか物憂い感覚だろうか。シュールな絵画を見ているようだ。

竹本  仰

特選句「春の雪闇の歪みをつたうかな」いきなり季節の境に降るドカ雪か、それが心にしみるということでしょう。なぜなら、そこに呑み込めぬことの多かった青春、自分の過去が映し出されていたからでしょう。闇を歪みととらえた、何が しかの時間の重みを感じさせます。自画像というか、自分と向き合った感触があるなあと思いました。特選句「消えぬものたくさん残し冬の虹」はじめ震災か、原発事故のことか詠んだ句かと思いましたが、いやいや消えぬものとは尽きせぬ思いを あらわし、むしろ永久の思いというか、そこまで感じます。冷たい雨の、その雨上がりにぬっとしかしはっきり顔を見せる一瞬の虹だからこそ、忘れていた何ものかを、虚を突くようにはっと見せに来るのでしょう。忘れられないものの多さ、しか もそれは一瞬でしか現れず、それを受けとめずには「生」とは言いがたい、そんな襟を正した思いというのでしょうか。特選句「よく眠り夢の春野に逢いにゆく」師の〈よく眠る夢の枯野が青むまで〉、弟子としてうまく付け合いをしたのではない かと。師はおそらく、芭蕉の〈旅に病んで夢は枯野をかけめぐる〉へ添えたものではなかったかと推測するのですが、連衆のこころというか、よく眠ればいつか必ず師に逢えるという、そんな季節をいただいたんだという感謝でしょうか。晶子〈な にとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな〉の「君に待たるるここち」、そんな思いを感じました。特選句「春浅し地球の重しひとつ減る」死をそうとらえること、それが故人に対するすぐれた弔意かなと思いました。そんなに悲し まなくていい、きっと亡くなる方はそう思うでしょうし、そんな声を素直に受け取ったのではないかと、かたじけなく一杯の水をおしいただいているその質素を感じました。これもよく出来た〈よく眠る〉の句への匂い付けのように感じました。以 上です。おい、おれのことばっかり詠むんじゃないと、師に怒られそうな今回の投句でありましたが、きっとお悦びだろうと思います、まあ、冥利だがな、とも聞こえるようで。皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。

谷  孝江

一度も、お目にかかったことの無い兜太師ですが、私の中では大きな存在でした。師の訃報を知った時、胸の中を先ず過ぎったのは「けしからん」という思いでした。まだ逝かれては困ります。決して己を見失う事無く生きられたことは大き いです。海程皆様どうか先生の足跡をしっかりとお守りいただき、お心差しをつないで行って下さい。特選にいただいた「春落日金子兜太の大笑す」は、そのまま師のお姿が見えてきます。ご冥福をお祈り申し上げます。

寺町志津子

特選句「梅咲くや残されし我ら遺児のごと」 誰もが決して信じたくない兜太先生のご逝去。朝日新聞をはじめ多くの新聞紙上で、また各地の句会で師を忍んでの追悼句が詠まれており、いずれの句も兜太先生の面影がよぎり、哀しみを深く している。特選にとらせて頂いた掲句の「残されし我ら遺児のごと」に、この思いは、正しく「遺児なのだ」と心から共鳴、共感しました。計り知れないほどスケールが大きく、厳父であり、慈父であった兜太先生の遺児である私達。兜太先生のご 縁を頂いた幸せに感謝しながら、心から兜太先生のご冥福をお祈り申し上げます。

重松 敬子

特選句「ぶらんこや天にも地にも兜太の眼」特選句「残照はずっと暖か大火炎」特選句「春落日金子兜太の大笑す」さすがに追悼句が多く、皆さんの先生に対する気持ちが伝わって来ます。特にこの3句は、先生の個性を上手く捉え、良い俳 句に仕上がっていると思います。心より御冥福をお祈り申し上げます。

鈴木 幸江

特選句「兜太逝くオオカミ唸るよく来たな」現代では、死後の世界はとても個人性の強いものとなっている。作者は、兜太師は唸るオオカミに待っていたよと迎え入れらたのだと想像している。人間ではなく、今、オオカミに迎えられている 師の姿に私は何故か深い安堵を感じた。私も、死んだら、来世では、今一緒に暮らしている雄の柴犬と夫婦になってみたいとこの句に思わされた。問題句「『身世打鈴』の表紙は指紋斑雪」まず、「身世打(シンセタ)鈴(リョン)」が分からず問題句 とした。インターネットで調べだ結果だが、韓国語で、この世の不運を嘆き恨(ハン)を解こうとする身の上話のこととあり、そして、本の題名で、表紙は指紋であった。日本では、1993年まで、在日の方は、指紋押捺を義務とする法律があった 。斑雪から、それは、恨の氷山の一角のように俳句表現として伝わってくる。この気持ちは是非受け止めておきたくいただいた。最後に、素晴らしい春吟行、幹事の中野様、世話役の野﨑様、ありがとうございました。

中村 セミ

特選句「多感な粘土翼幾つも春少女」言葉の並べ方が面白い。特に多感な粘土は作者が何を思いこう書いたのかー粘土細工をして色々な物を作りましたーという見解では絶対によくないので断っておきます。只読者の勝手で色々思えるところ が抽象画のようで面白いと思った。

松本 勇二

特選句「バーガーのオニオン多め春セーター」作者の溌剌とした感性が伝わってきます。問題句「朧ごと月吸い込んで祈ります」春の夜の昂揚感がうまく書かれています。中七を「月を吸い込み」にすれば一層すっきりと読めるのではと思わ れます。

三好つや子

特選句「魚になったばかりで春の月」 春の月という座五から受精卵を想像。細胞分裂を繰り返し、人間に近づいていく「一つの生命体」が、いま魚の時代を旅している・・・。生命誕生の神秘的なドラマを見るようです。特選句「啓蟄より 少し長めの舌である」あくびを噛み殺しつつ、穴から出てきた蛇の舌。あるいは、春の陽気のせいで戯言をこぼす舌なのか。いろいろ想像できる楽しい句。入選句「兜太死んでながいひぐれをおいてった」金子兜太主宰をめぐる、たくさんの追悼句 の中で、もっとも心に刺さりました。

新野 祐子

特選句「春浅し地球の重しひとつ減る」反戦を訴え、きまりにとらわれない自由な俳句を提唱し謳歌した兜太先生。兜太先生ほどの俳句界の重鎮はこれまでもこれからもいないのではないでしょうか。「地球の重し」とは、なるほどなぁ、う まいなぁと思いました。入選句「思い切り人生未知数春卵」:「人生未知数」は普通に言うけれど、「思い切り」と「春卵」との組み合わせで、とてもすがすがしい若者の姿が現れます。入選句「春の水生きとし生けるもの楽器」これも中七は常套 句で平凡ですが、「楽器」がいいですね。これは演奏する楽器ではなく、楽しき器と解釈したいです。

河田 清峰

特選句「春落日金子兜太の大笑す」春がよく似合う先生の落日が春で良かったなと思う…先生をよくしっている人柄がでた句だと思う。大笑すが実に気持ちいい。「猪がきて空気を食べる春の峠」を思わせるゆったり感が大きくひろがってい る!

田口  浩

特選句「兜太逝き梅遅く咲き永く咲く」ここ最近、金子兜太追悼吟を、多く拝見する機会を得た。その中でこの作品のネンゴロな哀悼に感じいった。梅と言えば〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉であろう。そこをふまえて〈梅遅く咲き永く 咲く〉とさらりと流している。九十八歳だったときく。巨人の一生を詠みきって見事であろう。    

中西 裕子

特選句「師の骨の真白く太し風花す」師の骨は清らかに白く、そして芯の太さ、生き方のように太かった。風花も舞って悼んでいるようです。それぞれ皆さんのお別れの気持ちが読まれていてどの句も心打たれました。

小宮 豊和

問題句「朧ごと月吸い込んで祈ります」下五「祈ります」が句を平凡にしていると思う。句稿からいくつか下五を借りてきて置き換えてみても一応句にはなるし句も変る。たとえば「花は葉に」「旅鞄」「春セーター」「しやぼんだま」「鳥 帰る「(鳥雲にを変えて)」「忘れもの」「影失くす」など。上五、中七は生かすに値するフレーズと思う。作者の独創的下五に逢いたい。

田中 怜子

特選句「兜太逝き蒼天に吠える群猪」亡くなったことの寂しさと共に、それを乗り越える強さ、雄々しさもあり、蒼い空にむかって吠える狼と言いたいけど、イノシシね、映像が目に浮かびますが、イノシシなのでどろくささもありますね。 問題句「『身世打鈴』の表紙は指紋斑雪」ようわかりません。

疋田恵美子

特選句「思い切り人生未知数春卵」生れて、死に至るまでの人生って自分にも分らない。日々これで良いと前進のみ。ざわめく日本列島、地球すべて未知数。生きる物全てが幸にいのちを真っ当できるよう、歴史に学び美しい地球を守ること の大切さを思う。特選句「ぼくと地球とタンポポの独り言」美しい地球に生かされてこそ、言葉あり。

伊藤  幸

特選句「干柿しゃぶり尽く老骨春機あれ」干し柿をしゃぶり尽くす程の精気が老骨といえどまだまだ残っている。男も女も灰になるまで男であり女なのです。「春機あれ!」と心からエールを送ります。

高橋 晴子

特選句「春落日金子兜太の大笑す」兜太師の追悼の句で、この句が一番好きだった。何故だろうと思った。人の生に対するある種の諦観と見事に生ききった九十八歳という年齢。じめじめしない性格。春落日とよくあって、あの笑顔と少した たわしい話し方まで、いとおしいまでに感じさせてくれるいい句だ。問題句「雪よ降れヒンズークシュの水甕へ」私が行った時は三月、ヒンズークシュもコヒババ山脈も見事な雪嶺だったが、ここも十年程?は天候異変で涸れきって耕地だったとこ ろも砂漠化して、中村哲さんも医療より水路を作るのに懸命であるきく。洪水と乾燥と爆撃。水さえあれば緑の畑になり難民も帰って幸せにすごせる。この句よくわかるのだが〝水甕へ〟では無理があり惜しい句。

先日は、小豆島吟行で大変お世話になりました。いい天気で楽しかった!俳句にかける男共の熱意、昔の「寒雷」を思い出して大いにハッパをかけられた感。憲子さん佑海さんにも、すっかりお世話になりました。いい仲間です。今後とも、よろ しく!

銀   次

今月の誤読●「遺失物ひとつに恋や蝶の舞ふ」。「遺失物」とはいうまでもなく忘れ物や落とし物のことだ。うっかり者のわたしなどは年中この手のトラブルに巻き込まれている。だから傘などは高価なものは買わないし、スペアキーは玄関 マットの下に常備している。まあ、こうしたモノはなくなったらなくなったでどうにかなるものだが、人の名前や約束などを遺失したときはわれながら情けなくなってしまう。先日も町中で声をかけられたことがある。だが相手がだれかがどうにも 思い出せない。適当にハナシをあわせて、じゃあ、と別れたら、翌週の飲み会でその〈相手〉が隣に坐っていたなんて笑えない笑い話もある。そこで「ひとつに恋や」ということになるが、これはどちらかというと忘れ物ではなく落とし物というこ とになるだろう。落としたなあこれも、高校でふたつ、東京でみっつなどと歌謡曲の歌詞のようだが、ポロポロポロポロとあっちこっちで落として半生を生きてきた。そこで学んだのは、落とした恋は拾いに戻ってはならないということだ。ことに 若いころの恋はふたたび手に取ると残酷なほどの幻滅に見舞われる。むろん相手もそうだろう。こんなつまんないオトコとなんでつきあってたんだろう。まあ、そこんとこはお互いさまだ。再会というのは決して美しいだけの言葉ではない。〈恋〉 という錯覚を確認させる行為でもある。少なくともわたしの数少ない経験としてはそうだ。落とした恋はただ春のおぼろと思し召せ。「蝶の舞ふ」ごと夢まぼろしのなかにしか存在しないのだから。

桂  凛火

特選句「錆釘の黙が匂えり花の夜」錆釘の匂いってなつかしい気がするなと思いました。兜太先生が逝き、義母が逝き、花の季節が近づくのも物憂いように過ごしている今の私の気持ちに優しく寄り添ってくれるような句でした。「錆釘の黙 」という表現素敵でした。

亀山祐美子

このたびは、海程の皆様さまにはお心落としのことと存じます。第82回の投句にもその切なさ無念さが色濃く投影され心苦しいばかりです。特選句『兜太逝く花の秩父を目前に』「兜太逝く」の「逝く」が生過ぎるのだが、それ以外の言葉 が見つからない程打ちのめされたのだろう。兜太師の年齢、入院を考慮しつつも、次回の大会での再会を祈念し不安をやり過ごす日々に終止符が打たれた。遂に…。せめて満開の桜を愛でて頂きたかった。滲む寂寥感。小豆島追悼句会で皆さまのお 話を拝聴し、とてもとても大きな、愛情豊かな方だったようですね。残念なことです。この無念さを乗り越えるには俳句で繋がり続けるしかない。歩くしかない。

野田 信章

特選句「春場所のスクリーン金子兜太が居るよ」このたびの兜太師の逝去に対しては各自の立場からそれぞれの追悼句が生れている。それぞれに意義あることである。その上でこの句に注目したのは、一気呵成の句作と相撲には、土俵・呼吸 を合せる立合い・取組みなど、最短定型詩との取組みとその精髄において重なるなぁと、「春場所」のテレビを見ながら思いを強くもったからでもある。そこに兜太作品の数々の句、俳句思想やその時々の語録など重ねながら、肉体相撃つ春の本場 所を鑑賞している次第である。

河野 志保

特選句「帰る場所探す鳥たち二月二十日」 鳥の姿に、師の訃報を知った自らの気持ちを重ねた句と受け止めた。的確な表現でまっすぐ届いた。金子先生は多くの人にとって「帰る場所」だったと思う。

菅原 春み

特選句「地虫出づ多数決を覆し」兜太先生の危惧しておられた民主主義も  怪しくなっている。季語との取り合わせが秀逸。特選句「兜太逝き蒼天に吠える群猪」先生の逝去にみんな戸惑い、たじろいでいる様子をよくここまで描けたかと 。

藤田 乙女

特選句「春落日金子兜太の大笑す」生死を越えて金子先生の偉大さを実感します。特選句「兜太逝く花の秩父を目前に」しみじみと金子先生ご逝去の悲しみが伝わってきます。

豊原 清明

特選句「『アベ政治を許さない』師は逝きたまう」先生の追悼句。先生の発言の力と、それを思う弟子の姿。師弟の絆の一句。問題句「錆釘の黙が匂えり花の夜」: 「錆釘の黙」が観念的。一句に貫く暗さに独特の味わいがある。魅力があ る。

野﨑 憲子

特選句「ははははは ははははなれて 花は葉に」先ず表記の斬新さに惹かれた。何度も繰り返し読んでいると、一字空けの余白から「は」音が光りの言の葉となり降り注いでくる。時間の経過も見事である。特選句「春に逝くとは永遠を春 に棲む」兜太先生は、私にとって二つのイメージがある。ひとつは、太陽であり、あと一つは、晩春の風である。駘蕩とした何もかもを温かく包んでくれる存在である。先生は、その春が来るのを待っていたように他界された。「太陽の白骨噛る佐 保姫よ」は、葬儀に参列できなかった私の拙い句である。先生は、空海がお好きであった。遍く照らす春日のように、これからも他界、すなわち「いのちの空間」から見守っていてくださると確く信じている。

(一部省略、原文通り)

「海程」香川句会小豆島吟行作品集     

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2018年3月17日~18日
放哉の巡りし迷路春の咳 
銀   次
海光やどの感覚もあめんぼう
男波 弘志
ばっかだなあ恋猫やせてアリナミン
田中  孝
鷹化してオリーブの樹は千歳経し
野澤 隆夫
迷路が沈み海月が電気つける
中村 セミ
春障子人間辞める窓がある
鈴木 幸江
オリーブのごつごつ波うつ幹を撫で
田中 怜子
梅白し「先に逝くな」は師の呟き
野田 信章
鳥雲に反戦諭す分教場
増田 天志
春の鳶一羽が統べる一岬
高橋 晴子
暇を皺に聞き違ふては春の島
藤川 宏樹
せんせあそぼ桜の丘を縄電車 
河田 清峰
おーいおーい三月の海渡りけり
三枝みずほ
梅にウグイス教育の原点である
中野 佑海
初音聴く醪(もろみ)の匂ふ漁師町
島田 章平
春ショール肩寄せ合いて昴星
久保カズ子
兜太晴れ初音は海へこぼれ落つ
亀山祐美子
水母はいいなあこいつは宙を知ってるよ
田口  浩
空海の兜太の影よ初蝶来
野﨑 憲子

【句会メモ】

17、18日と、小豆島で1泊吟行句会を開催しました。前日までの悪天候が嘘のような快晴の2日間でした。晴れ男だった金子兜太先生を間近に感じ、「兜太晴れ」を実感しました。参加者は、19名。老若男女、遠来の参加者も有り、作品もますます多様性を帯び魅力いっぱいでした。吟行では、スペインから移植されたオリーブの千年樹の、小豆島の地にどっしりと根を張った姿に感嘆し、宿舎の晩餐会場から観た落日の美しさに、あちこちから感嘆の声が挙がりました。夕食後の1次句会では、吟行した、尾崎放哉記念館や、迷路の佳句もたくさん詠まれていました。

2日目の映画村では、戦後間もなくを再現した映画セットの椅子に腰かけ「二十四の瞳」の紙芝居を見ました。壺井栄の資料館では、栄と繁治の生活史に2人をより身近に感じました。また、映画化された彼女の作品が、「二十四の瞳」だけでなく、たくさんあったことも知りました.集合時間が来て、高峰秀子主演の「二十四の瞳」の映画鑑賞を中断しなければならなかった田中孝さんの残念そうな顔が印象的でした。・・出発ぎりぎりまで上映館にいらした田中さんは写真撮影に間に合わず写真は「十八の瞳」です。悪しからず・・。

映画村から渡し舟に乗り、昼食会場へ移動し、昼食後そのまま第2次句会を開きました。2回の句会で、各自10句を創り、その中の1人1句を、私が抄出させて頂きました。 先に小豆島に渡り吟行の準備をしてくださり、吟行地や、宿舎、句会場、そして移動のマイクロバスなど、素晴らしい企画と行動力で充実した吟行会を演出してくださった名幹事の中野佑海さんに心より感謝申し上げます。

2018年3月2日 (金)

第81回「海程」香川句会(2018.02.17)

灯台と水仙.jpg

事前投句参加者の一句

      
灯台をのたり巨船や黄水仙 藤川 宏樹
Me Tooの胸の白バラ冴返る 島田 章平
冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり 小西 瞬夏
雪しずり骨より声の出ずる刻 新野 祐子
古書店へ入る春雪と赤い靴 谷  孝江
雪つもる全ての色を否定する 山内  聡
山笑う駆け落ちものを匿(かくま)いて 鈴木 幸江
寝かされている大根の色香かな 寺町志津子
にんげんをぽたぽた落ちてみな魚 男波 弘志
水仙を並んで見ている鳥たちよ 中西 裕子
肉体はやわらかき枷冬薔薇 月野ぽぽな
誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道 野口思づゑ
与兵衛どの丸太冷とうござります 増田 天志
<農業国オランダ>小指ほどの人参スナックのように食べ 田中 怜子
しずり雪母だんだんに白い闇 桂  凛火
石光る汚るるものに梅の花 河田 清峰
朝食に訪う目白母なりき 疋田恵美子
ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ 銀   次
色気無きかぐや姫なり妻に雪 中野 佑海
春の海辺の巻き貝は巻き貝だ 田口  浩
待ちに待ったお日さまですねクロッカス 髙木 繁子
既視感を感じる氷に舌つける 中村 セミ
二・二六の章読み返す『小暗い森』 野澤 隆夫
虎落笛石牟礼道子連れて行き 夏谷 胡桃
立春大吉大言壮語はばからず 高橋 晴子
蕗の薹体内蕗時計狂いけり 漆原 義典
南に原発田鶴鳴き渡る初御空 野田 信章
まんさくやまつらふことのなき土塁 小宮 豊和
薄氷を踏むは人欺くに似る 柴田 清子
春立や水に浮かびし絹豆腐 菅原 春み
九条はサンドバッグじゃないぞ諸君 稲葉 千尋
ときにダンスを十二月八日の猫 大西 健司
忘却や不意に風花不意に父 松本 勇二
涅槃雪ひげうっすらと妻の口 三好つや子
湖にしづかな呼吸初蝶来 三枝みずほ
自鳴琴(オルゴール)柩と唱和はじめます 矢野千代子
やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ 藤田 乙女
幾年も震えて立ちぬ春の山 豊原 清明
丹波黒一粒欠けていて二人 重松 敬子
溺れ易き性沈めたる柚子湯かな 竹本  仰
シクラメンわたしの中の怖い他人 伊藤  幸
婦人雑誌の付録は春のたてがみを 若森 京子
きしきしに痩せしさぬきの雪だるま 亀山祐美子
老いこそ力天地を統べる大野火よ 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「婦人雑誌の付録は春のたてがみを」俳句のあたらしさ。一句一章、口語使いを逆手にとって、ねじれやふくらみを持たせている。春のいきいきとした命を感じさせつつもどこか作り物っぽさが現実をうまく皮肉っている。

島田 章平

特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」。掲句、見事な立句。季語が動かない。春浅い伊豆湾。悲運の武将、源実朝の悲痛な声が聞こえる。問題句「久しぶりに友と語りし鶯餅」。「語りし」ではなく「語りぬ」とした方が・・。鶯餅の季語の響きが良い。「農業国オランダ 小指ほどの人参スナックのように食べ」。前書きがいらないのでは・・。作者の思い入れはあると思うが、句はつくられた時に作者を離れる。どの地で詠まれたかは、読者の想像の世界に委ねた方が良いのでは。「ガリバー旅行記」を思わせる様なファンタジーな句。

中野 佑海

特選句「ときにダンスを十二月八日の猫」太平洋戦争開戦の日の事でしょうか?今は猫になっている日本も時にはダンスを色々な国を相手にやるべきことはきちんとやる必要あり!との怪気炎をぶちあげて下さっているのだと思います。戦争ではなく、微笑み外交でもなく。言うべき事は言い、為すべき事はちゃんとする。大人の基本です。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」うって変わってこのいい加減さが心地良いですね!溺れ易い私です。すぐ易きに流れ、ぬるま湯に身をおく気安さ。決して、小平奈緒とはお近づきになれません。主人にこんなぬるい風呂で風邪引かないかと言われます。柚子湯は飲んでも、入っても最高です。ぶっちぎりで人間界を楽しんでいます!3月は楽しい野外活動ですね!皆様とまた、どんな句会が出来るか楽しみです。どうぞ宜しくお願いいたします。

稲葉 千尋

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」やはり今回はこの句でしょう。石牟礼道子さんを悼、この一句を思い出す。「祈るべき天とおもえど天の病む」

増田 天志

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」にんげんを離れることにより、水玉は、生命を蘇生する。否、水玉は、生命そのものかも知れない。にんげんへの讃歌なのか、怨歌なのか。

田中 怜子

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」水俣のことを伝え続けた石牟礼さんに敬意とともに、引き続き伝え続けることを心にとめて。特選句「伊豆湾の波高き日や金槐忌」実朝の心情に思いを馳せて

豊原 清明

問題句『「役に立つ」にんげんふやし桜の芽』社会風刺の句と見た。「役に立つ」にんげん という表記と、役に立たない私が、ひがむかのような感情に落とす、暗い句だと思う、読者の私に誤読があるのだろう。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」 社会批判の句と思う。良く言えたと思う。面白く言っていて、好いと思う。鋭く感じた、一句。

藤川 宏樹

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」初見で見落としましたが、「にんげん」が地位・名誉・財産にしがみついても、「みな」平等に、進化・成長の過程で過ごした「魚」に「ぽたぽた」と落ちるという、奥行きある句です。

田口  浩

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」人間は母胎に入り、誕生して死ぬまでに、生物個々の歴史をくりかえすという。句の場合、人間を魚に変えることは、神の意志でも無理であろう。それが出来るのは、ただ作者の「思い」である。と同時に〈薄氷〉であろう。この場面から、人間が薄氷に閉じこめられているところを想像する。薄氷を破ぶってガバッと起きあがる人。魚に変化する人。 私には、尾鰭を巧みに使って、スウーと深みに消えていく魚が見える。つまり人が、魚に変化することへの思いである。そう見れば、近頃はまっている「カミ」の世界が重なり懐しく思えてくる。特選とした所以である。

山内  聡

特選句「ふりむけばいつもの景色しやぼん玉」子供がシャボン玉を吹いている。シャボン玉のゆくえを眺めていて当たり前のことに気づく。変わらないいつもの景色に安堵感を覚えるのと同時に子供が育っていく日々の変化にも安堵感を感じている、のかな。

矢野千代子

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」魚になるのも自由ですが人間でいるのも良いですよ、と上章が活きいきと迫り「薄氷」へのイメージがふくらみを増してくる。なによりも効果抜群のひらがな表記だろう。

男波 弘志

特選句「春の海辺の巻貝は巻貝だ」俳句の表現を畢らせることは、なにも言わないこと、母音、あ、を、17音に、一字に、凝集すること、ここに莞爾たり。「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」匂いなき、冬蝶、それはもう日溜まりのみを、母、のみ、を嗅いでいるのだろう。「雪しずり骨より声の出ずる刻」情緒なき、雪の嵩、雪国は雪を情緒として見ていない、そこに風土のしたたかさがある。「雪つもる全ての色を否定する」雪一色、雪五尺、単に覆っているのではなく、圧殺する色、雪国。『「役に立つつ」にんげんふやし桜の芽』役に立つ、政治的ではなく、経済的ではなく、只只隣の人の為に。「血のごとくけもののごとく春の泥」泥のうねり、轍、靴あと、生き物の痕跡が照り映えている。「芽明りや河原の石を積み崩し」奔騰する芽吹き、河原の石さへも崩れている。「石光る汚るるものに梅の花」汚れるもの、滅びるもの、そのいのちを讃えるひかり、石が臨終している。「町の音してをり春の氷あり」俳句表現の精髄、省略、ではなく、凝縮、それが俳句、町の音に凝縮されている。「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」芭蕉も西行も、敢えて「生活最底辺」へ下った。その意味をはっきり知るべきであろう、美もまたしかり、生身の最底辺、それが俳諧。「やはらかにすべて受け入れ春立ちぬ」すべて、とは、と思う、が、仏教思想の空無、なら、それが叶う。

三好つや子

特選句「手探りの母性たんぽぽ手渡され」赤ん坊と日々向き合い、ヒヤッとしたり、ホッとしたり、を繰り返しながら、成長していくお母さんに、エールを送りたくなる作品。特選句「肉体はやわらかき枷冬薔薇」 気持ちばかりが一人歩きし、思ように動けない老いのからだをもてあましている作者に共感。冬薔薇が効いています。入選句「冬の蝶アンネの呼吸ひそやかに」座五がすこし気になりますが、本棚のうしろで息をひそめ、多感な少女時代を過ごしたアンネと、冬蝶がみごとに響き合い、感動しました。

野澤 隆夫

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」2月初旬、石牟礼さんが逝去され、朝日新聞に池澤夏樹さんが文章を載せてました。〝苦界浄土〟はドキュメントの話で文学だったということを初めて知りました。一度は読んでおかなくってはと、句会の日にJR高松の熊沢書店で買って今読んでます。特選句「九条はサンドバッグじゃないぞ諸君」〝サンドバッグ〟のごとくぶたれる〝九条〟に対する作者の憤りが何とも痛快です。〝諸君〟と呼びかけて。

若森 京子

特選句「山笑う駆け落ちものを匿いて」駆け込み寺もあるが、もっと大きな大自然が人間の様々な喜怒哀楽を包みこんでくれる。偉大な懐の様なものを感じた。特選句「涅槃雪ひげうっすらと妻の口」年輪を重ねた夫婦の絆の様なものを感じる。涅槃雪に季語が大変効いている。

新野 祐子

特選句「古書店へ入る春雪と赤い靴」古書店という知の迷宮に、降る先から消えていく春の雪と、存在感があるようでない赤い靴を履いた人が、シュールで鮮やかな映像が浮かび上がります。特選句「Me Tooの胸の白バラ冴返る」昨年大きな話題となったアメリカの「沈黙をやぶった人たち」。女性たちが性暴力を告発し、加害者には社会的な制裁が課されました。日本では伊藤詩織さんが勇気を奮って裁判に訴えたのに、セカンドレイプのような情況になっています。日本のこの男尊女卑の根深さよ・・・。時事問題にアンテナを張って一句に仕立て上げた作者に拍手。問題句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」おもしろい句。さかなになるひとと、にんげんでいるひととの紙一重の差は何なのか聞きたいです。入選句「寝かされている大根の色香かな」今昔物語に蕪に欲情した男が出てきますが、大根にも?「降る雪や苦海浄土に華一輪」今月一日、石牟礼道子さんか他界。哀悼句として胸に沁みます。俳人でもあった石牟礼さん、「けし一輪」「花れんげ一輪」などの句がありますね。「ひとつマフラー二人して心中沙汰」恋する二人の脳の中にはドーパミンがガンガン増えていて、死ぬどころではないと思うのですが?

今朝早朝ラジオをつけた途端、兜太先生が亡くなったと耳に飛び込んできました。寝ぼけていて聞き間違えたと思いたかったけれど。この悲しみ、何と表現したらいいのか。皆様、ご同様のことと・・・。

夏谷 胡桃

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」。意味はよくわからないのですが、勝手に解釈しています。人間は魚からやり直したほうがいいいと。嘘と兵器と憎しみで充満しそうな地球に窒息して海に逃げ込むのでしょうか。でも、歴史は繰り返す。魚からはじめたところで、同じことの繰り返しかもしれません。特選「バレンタインデー息を切らして坂登る」。好きな子にチョコレイトをあげたくて走っているのでしょうか。背中は見つけても駆け寄ってはいけないのかも。今ではバレンタインデーも様変わりして、あまり男の子にあげないようですね。なつかしい感じがしてとりました。

金子兜太にラブレーターを送るように毎月俳句を送っていました。送る相手がいなくなって、覚悟はしていましたが呆然としています。

松本 勇二

特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」虚構ではありますが実感がありました。問題句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」感覚の効いた佳句ですが、中7を「性を沈める」とした方がスムーズに読みになるのではと思います。

鈴木 幸江

特選句「一日一生枯芝蹴って逆上がり」一日を一生と思い、一心に生きてみたいものだとは常々思っている。でも、どうやたらそんな気持ちになるほどの気合を入れられるのか分からないでいた。 この作者は、枯芝を蹴って逆上がりをする気合があれば出来ると教えてくれた。ありがたい。特選句「丹波黒一粒欠けていて二人」勝手な解釈を楽しませていただいた。黒豆の煮物の一粒が欠けていたのだ。何故かと思いを巡らせばそれなりの理屈は見つかるだろうが、何故かもやもやしたのだ。二人とは、夫婦のこと。この関係も訳が分からずもやもやしているのが現代。もやもや感は、現代社会への警告も含んでいる。そのもやもや感を大切に扱かった一句として頂いた。問題句「まんさくやまつらふことのなき土塁」“まつらふ”とは服従すること。“土塁”とは土を盛り上げて築いた小さなとりでのこと。どちらも、辞書のお世話になった。具体的表現で高い志を感じさせる一句なのだが、何か物足りなさがあって問題句とした。まんさくに儚さも感じられ、忘れてはならない歴史的事実もそこから思われ惹かれもしたのだが、何故か残念感が残った。

最後に、兜太先生が、亡くなられた。来る日が来たのだと思っている。あの世からも欲しい兜太選である。晩年は生きていることが自分の存在意義であるようなことをおっしゃっていらした。わたしには、到底手の届かない境地である。わたしはと言えば、混沌とした現代を生きている証として、いつも、もやもやを感じている。そして、それを大切に扱っていこうと覚悟をした次第である。

河田 清峰

金子兜太先生を悼む…私を朝日俳壇で見いだし導いて道筋をつけて頂きありがとうございました。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」大切な人を亡くした今詠みなおしてみると哀しみを鎮めている気持ちになるから不思議な気がします!柚子湯の季語が生きたいい句だと思います!

野口思づゑ

特選句「凍つる背に唇這わせ生きんとす」生きることに対する執着の強さを芸術的なエロティシズムの光景でよく表わされていると思った。「卒業式ただいまと言ふこの一瞬」卒業式を終え、ただいまと家に帰ってきた、この瞬間に完全に学生生活が終わったのですね。「春立や水に浮かびし絹豆腐」透明な水に浮かぶ絹豆腐が目に浮かびます。

大西 健司

特選句「婦人雑誌の付録は風のたてがみを」私は「たてがみを」の「を」を勝手に省いていただいた。「風のたてがみ」と言い切りたい。婦人雑誌のさまざまな付録のひとつに風のたてがみがある、そんな楽しさを評価したい。問題句「与兵衛どの丸太冷とうござります」遊び心が一杯で好きな句だが、作者の作為が見え過ぎかな。面白すぎるあざとさを少し思う。

重松 敬子

先生の訃報に接し,様々なこと思い出しています。とうとうお目にかかれずじまいでしたが,句誌を通じて多くを学ばせていただきました。天寿とは言え残念です。特選句「寝かされている大根の色香かな」大根を肉感的にとらえた面白さ。昔から大根足などと白く堂々とした太さを健康的な人体にたとえられ,殊更新しい題材ではないが,上手く一句に仕上げていると思う。

伊藤  幸

特選句「初蝶の白きを重ねここより野」兜太大師の「よく眠る夢の枯野が青むまで」を思い出した。こういう句を読むと兜太先生を思わずにおられない。めでたき句であるというに申し訳ない。見方によってはある意味追悼句ともいえる。兜太先生よく頑張って来られました。ゆっくり休んで下さい。

三枝みずほ

特選句「おさんどんがれきの中で火を燃やす」三.一一かもしれないが、一.一七のことをふと思い出し共感した。水道が使えない状況、寒い外での炊き出し、悴んで包丁を使う。外で作られるものは本当に限られている。それが何日も続く。それでも、おさんどんの火は命と繋がっている。問題句「うららかや雛を皺と間違える」雛人形を間違えて皺人形としたと推察。他にも何か季語が見つかりそうな面白い句。

漆原 義典

特選句「寝かされている大根の色香かな」我が家で畑で大根を植えていますが、いままで大根に色気は感じたことがなかったです。地面から抜いて畑に置いた状態の大根を寝かされていると表現し、色気を感じる作者の感性に感心しました。 金子兜太先生がおなくなりになりました。報道を見て驚きました。ご冥福をお祈りします。

中西 裕子

特選句「忘却や不意に風花不意に父」おもいがけずいきなり風花が吹きつける、忘れていた父の思い出がよみがえるなにか切ない気持ちになる句でした。高齢の父がいるせいでしょうか。まだまだ寒い季節ですが春の句もあり暖かい気持ちになりました。

銀   次

今月の誤読●「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」怖いですね。怖い怖いお話しですね。なんといっても「薄氷」ですからね。これを踏んで池の対岸まで渡るんですね。なんでかというと、対岸まで渡ったひとには大金が手に入るからなんです。でも落ちたひとはそのまま命を落とす。なんとまあ怖ろしいギャンブルなんでしょうね。おお、怖い怖い。これに似たエピソードが、マンガの〈カイジ〉にありましたね。あれはビルとビルの間に掛け渡した鉄骨の上を歩いていくんでしたね。もちろん落ちたひとは即死です。その生き残りをかけた心理戦が見事に描かれていましたね。そして、それを大勢の大金持ちがワイン片手に笑って見てるんですね。まるで古代ローマのグラディエーター(剣闘士)の闘いを見る貴族のそれと同じです。なんという残酷。この薄氷のレースも同じですね。「さかなになるひと」というのは運悪く氷が割れて池に落ちたひとのことですね。それを作者は、さかなになるとたとえているんです。つまりは食べられるひと。一方「にんげんでいるひと」というのはまだ落ちてないひとのことなんです。このひとたちは、もしかしたら食べる側にまわるかもしれません。たとえば、いまもお他人さまの下半身事情をあげつらって、〈不倫だ不倫だ〉とお祭り騒ぎしているひとたち。このひとたちもまた、氷の割れ目に落ち、さかなになったひとのうろたえるさまを娯楽として楽しんでいる。さかなになったひとを食べてるんですね。なんて浅ましいんでしょう。にんげんって怖い動物ですね。ひとの不幸を楽しむのは古今かわらないエンターテイメントなのかもしれません。しょせん人間性ってその程度のものなんでしょうか。そんなことを考えさせられる句でした。では、さいなら、さいなら、さいなら。

寺町志津子

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間が、ぽたぽた水滴のように海に落ちて魚となって泳いでいくメタモルフォーゼ(変身)の光景が、動画のように鮮やかに浮かんだ。言葉を越えて強烈なビジュアルで迫ってくる句に引きこまれた。

疋田恵美子

特選句「歓声の宙返りする雪五輪」羽生結弦さんの見事な演技。彼の屈せぬ勇気がとても素晴らしいと思う。特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」九州熊本生まれの、偉大な作家を悼む。

菅原 春み

特選句「 降る雪や苦界浄土に花一輪」 動かない降る雪という季語を得て、花一輪がいきた。ご冥福をこころより願う。特選句「猟犬の眼にまだ力ある二月」以前見た猟犬のらんらんと輝く眼が忘れられない。まだ・・・あるに舌をまいた。

竹本  仰

特選句「待ちに待ったお日さまですねクロッカス」口語体がすんなり入ってきました。誰に言っているのかは、もちろんクロッカスでしょうが、クロッカスの目の高さに下りた感じ。と同時に、クロッカスと止めたことで、クロッカスに同化した、そんなしっかりした押さえがあるなと思いました。しかも、クロッカスのあの独特の揺れ方が、余韻としてありますね。私とお日さまとクロッカス、その空間の空気感、過不足出ているんではないでしょうか。 特選句「自鳴琴柩と唱和はじめます」うーん、オルゴールの表記ではだめなんですか?オルゴールのあの不思議感、たしかに出そうと思えば、これもありかも知れませんね。ちょうど初めてオルゴールに接した人類が感ずるような、として見ればですね。お葬式で言うと、ちょうど出棺の前でしょうか、柩の故人に花をお供えします、あのタイミングで感じるあの何がしかの旋律、おやっ、どこから?なれば、やはり自鳴琴でしょうか。そして、フィルムが逆回転するような、急テンポな回想が。その故人との思いがけない邂逅があり、その一連の流れが、何か、自鳴琴と言わざるを得ないようなものに突き動かされます、そして、この時、本当に何かがはじまったのです。特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」力み過ぎる、この力み感が老いの力だと、自然に出ています。大野火を高空から鷲が眺めている、そんな印象ですが、この鷲なるものはどこから遣わされたものか。よく震災の後に被災地に保育園の児が合唱しに行くと、老人は涙なしでは見られないと言います。最も新鮮な生のエネルギーが洗うからでしょうね。一方で、普段の肉・魚などの食は、死のエネルギーを取り込むその気で我々の生はめざめさせられると言えるのでしょうか。ここでの老いのエネルギーは、みはるかす、黒く燃えた大地の向こうに控える、次代を呼び込むその気なのでしょう。老いの力は、その尽きせぬ思いそのものと言っていいのでは、と思いました。問題句「芽明りや河原の石を積み崩し」この句の異様さ、おもしろく。河原の石云々は、賽の河原の、あの子らのうかばれぬ話ではないかと思い、そこへ芽明りか、何でしょう、明るいのですね。何だか、ミュージカル・賽の河原のようで。安部公房の晩年の作に『カンガルー・ノート』があった、あれもわけなく明るい晩年の感じでしたね。この句、読んで、ただ訳もなく笑えてきて仕方ありませんでした。以上です。

金子先生の訃報を聞き、昨日は何もできず、でしたが、今月の投句は、そうか、と、これが私の悼み方でしたでしょうか。いつも、仕事ではありますが、お通夜で申し上げるのは、この世での生き方はここまでですが、いま、あたらしい生き方が始まったのですということと。ありがとうを申しあげましょうということです。他に何があるというのでしょう。「海程」への残りの投句、何だか、いっそう原点への問いかけのようなそんな気がしています。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

月野ぽぽな

特選句「涅槃雪髭うっすらと妻の口」おそらく気づくと初老を迎えた伴侶なのではないかと思った。女性のこのころは心身の変化のおおく起こる頃。ふと気づいた妻の髭。生の哀しさと愛おしさが涅槃雪により立ち上がる。

何か辛いことや悲しいことがおこった時の助けの言葉に、「それでも人生は続く」 前向きに行こう、という意味のLife goes onがあります。 今ふと思いつきました。 Life goes on, Haiku goes on!   心の中の兜太先生はあの暖かな笑顔でいらっしゃいます。

桂  凛火

特選句「春立や水に浮かびし絹豆腐」春の季節感を水に浮かぶ絹豆腐としたところが新鮮でした 古今集を下敷きにしているのでしょうか?大胆ですっきりした句の姿に心惹かれました。問題句「ときにダンスを十二月八日の猫」:「時にダンスを」がおもしろくていただきました。でも私がダンスを踊る?それとも猫が時にダンスをなんでしょうか・・。12月8日の猫は意味深長 で、挑発的ですがやはりちょっと意味が把握しにくいと思いました。

谷  孝江

毎回のことながら句稿の届く度、どうしようと楽しいこと半分、従いてゆけそうもない世界へ入ってゆく怖さ半分、己を励ましながらの選句させてもらっています。特選句「ポップコーン弾けて遊べ冬の子よ」「手探りの母性たんぽぽ手渡され」優しい言葉の中から深い味わいを感じました。途惑いながらの子育ての中の一コマと思われます。母と子の日常のやさしさが好きです。私はかって俳句は言葉はやさしく思いは深くと教えられてきました。まだ〱 その境地には至っていませんが努力だけはしようと思っている所です。たくさんの句拝見出来て楽しゅうございました。ありがとう。

中村 セミ

特選句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」人間という虚構で出来ている部分が、ポロポロと皮がはがれて、ゆくと(もっと深淵な部分の事をいっているのだろうが)魚が、表われるという句である。魚に返るといった方がいいのだろうが面白い句だと思った。元々海から発生した魚が、陸に上り何万年もの進化の果てに、人間になった。人は信用を作るのにピザの斜塔ぐらいつみ重ねなければならぬのにそれを崩すのに一瞬だ。魚に帰る時も、ぽたぽた落ちたで魚になれるという事だ。(ここ迄句評これ以降適当な文)で気になったのが、魚になれば魚の気持しか残らないのだろうが、ぽたぽた落ちた人間のパーツ、そこには人間の気持ちが未だ残っているのだろう、それはどの様にはい出しそこから何になっていったのだろうか、向うの情熱大陸や人間山脈迄それ等は、いけたのか、それ以上に人間が魚になった時、どんな性状、どんな特質で一日を過ごすのか、続編の五、七、五で書いて欲しい。

野田 信章

特選句「冬蝶嗅ぐ母の日溜まりありにけり」平明にして「冬蝶嗅ぐ」とは、全てが枯れ尽くした中で、かなりの生理的実感の燃焼を伴って、母そのものの存在感を具体的に止揚しているかと思う。特選句「溺れ易き性沈めたる柚子湯かな」は何かにつけて「溺れ易き性」と読むとき、やや自虐の加味されたペーソスのある自愛の句として味読できるかと思う。

兜太師の逝去の訃報の中で選句しつつ、いまはその魂安かれと祈るのみである。

小宮 豊和

問題句「誰が知らぬ咳だけがゆく真夜の道」上五「誰が知らぬ」は「誰か知らぬ」の書きまちがいではないかと思う。この句からは、「真夜」が全くの闇なのか、星明りか、月や外灯があるのかわからない。また作者がどこで咳を聴いているのかわからない。咳も男か女か、年齢はどのくらいかわからない。しかし読者はこの句を読んで、それぞれ独自に映像を思い浮かべる、大いに詩的である。

高橋 晴子

特選句「降る雪や苦海浄土に華一輪」石牟礼道子が九十才で逝った追悼句だと思うが単に石牟礼道子と言わずにその作品をあげ石牟礼道子の生全体を表現している処がうまいと思った。問題句「シクラメンわたしの中の怖い他人」俳句を詠んでいて、時に俳句の中に自分にも思いがけない自分を発見して、ふと俳句が怖くなる時がある。俳句の形式がそういうものを弾き出すのか、表現という作用がそういうことになるのか、よくわからないが、自分が自分だと思っている自分などほんの表面的なもので深層には何がひそんでいるか、しれたものではない。〝わたしの中の怖い他人〟と言葉で言ってしまっては、それまでのような気がする。シクラメンが効いていないのかなあ。問題句「忘れるとう慈悲もありけり桃の花」桃の花も甘いよ。忘れることは救いでもあるが慈悲などど言ってしまっては、それまで。

兜太先生、残念です。無念です。二月二十一日朝五時のラジオで知りしばらく呆然としておりました。兜太さんのことだから、もう一度元気になると信じていたのですが、でも最期まで兜太さんらしい生き方で感じ入っています。

柴田 清子

「春の海辺の巻き貝は巻き貝だ」を特選に。「春の海辺」が巻き貝の全てを言い表しながら、読み手を春の海辺に引きずり込む強いものがある。特選句「さかなになるひとにんげんでいるひと薄氷」さかなとにんげんとひととの関りが、薄氷で、かすかな繫がりを持たせている見事な一句、特選とさせてもらいました。小宮さん。第三土曜日、忘れないで、又来てくださいね。

金子先生残念な事でしたね。三月の小豆島吟行、皆でうーんと楽しい金子先生を偲ぶ会を!

亀山祐美子

特選句『にんげんをぽたぽた落ちてみな魚』不思議な、不気味な句である。しかも無季。「にんげん」を「ぽたぽた落ちる」ものは何か。しかもそれは全て魚になる何かなのだ。「にんげん」を伝う水か。それとも体内を巡るの血か涙か汗か魂か。悪霊か…。記憶なのか。人間が人間でいる為に捨てざる負えない何かの代償。業。煩悩。それらが解決され浄化されたものは魚になり新たな命を得る、のなら救いがある。内省的で、難解な一句。しかし、単に雪が降ってきただけの句かもしれない。おもしろい句だ。特選句『血のごとくけもののごとく春の泥』「春の泥」が「血」のようだ。という感覚は理解できる。しかし「獣」のようだという感性はどこから来るのだろう。春先、啓蟄から蠢きだす森羅万象。泥さえも命を宿すのか。特選句『芽明かりや河原の石を積み崩し』一読三途の川の景が浮かんだ。逆縁の子が積む石塚を積み崩す鬼の脚が芽明かりに浮かぶ。春先の河原の堆積物や石ころを重機が均しているだけなら、こんなにもやるせないのは何故なのだろう。特選句『まんさくやまつらふことなき土塁』大昔長尾の吟行句会で満開の紅色金縷梅の大木を見た。血のような赤だった。「服従することのない小さな砦」に「まんさく」か咲き乱れている。「土塁」といえば北九州の防人がまず浮かび、違和感があり句会ではスルーしていたが、小宮さんのご指摘で東北の蝦夷の族長阿弖流為の土塁だと知る。坂上田村麻呂への防御攻撃の為の土塁。日本固有の樹木で余寒の中、他の花に先駆けるように花を咲かせる。まず咲くが訛り「まんさく」の名がつき、葉は止血剤になるという。桜ではなく満作。東北人の土着の誇りを感じる。「土塁」のみの漢字表記に土と意志の堅さ。平仮名表記にまんさくの花びらと悠久の時空を感じる。句会でしか得られない知識が多々あります。知の人である、小宮氏が三月に、神戸へ引っ越すことになったのは『海程香川』句会に取って大きな損失であり、誠に残念です。またお目にかかれますこと祈念いたしております。お元気で。

藤田 乙女

特選句「老いこそ力天地を統べる大野火よ」」老いをネガティブにとらえがちな自分ですが、この句は、ポジティブにとらえ、凄いと思いました。この句から大きな力をもらったような気がします。特選句「湖にしづかな呼吸初蝶来」湖の静かな呼吸という表現がとても素敵で情景が思い浮かぶようでした。静やかな春の訪れが感じられます。

野﨑 憲子

特選句「虎落笛石牟礼道子連れて行き」石牟礼道子さんは、パーキンソン病を患っていらしたという。虎落笛が光を帯びて響いてくる。問題句「にんげんをぽたぽた落ちてみな魚」一読、兜太先生の、「戦さあるな白山茶花に魚眠る」をおもった。揚句は、大きな世界を描いていてオノマトペも見事である。だけど、私は、「みな魚」に妙な違和感があります。

兜太先生ご逝去の報道にしばらく言葉を失くしました。先生の存在の大きさに改めで気付かされる日々が続いています。でも、これから先生は他界にいらっしゃると思うと、先生を不思議な身近さで感じております。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

たねをさん
春昼やポポンSのむたねをさん
野澤 隆夫
いきなりが身上といふたねをさん
野﨑 憲子
たねをさんとは春の海のようです
柴田 清子
菫にも風にもなれるたねをさん
中野 佑海
カーリング
カーリング真っ直ぐに猫恋に堕つ
柴田 清子
カーリングよってたかって寒の明け
亀山祐美子
氷上に掃除名人カーリング
野澤 隆夫
バレンタイン
ジャガイモの面子今日はバレンタイン
中野 佑海
チョコレートバレンタインの苦さかな
小宮 豊和
四十年かかって告げるバレンタイン
鈴木 幸江
初音
初音かな遠くから水流れくる
柴田 清子
初音きく真昼真紅のルージュひき
島田 章平
初音して家にも後ありにけり
男波 弘志
初音せり爪の桃色跳ねたくて
中野 佑海
四回転羽ある如く跳びにけり
藤川 宏樹
薄氷や羽毛よごれし家鴨たち
男波 弘志
大鷹の風切羽の鳴りにけり
小宮 豊和
蝶に気を取られるままに死者に羽
田口 浩
影踏めば二ン月の羽金色に
野﨑 憲子
小宮さん
海越えし風よ大地よ小宮さん
三枝みずほ
東風吹かば思い出します小宮さん
漆原 義典
春なれや耳にとろける小宮節
亀山祐美子
憂いなき小宮さん好き法蓮草
中野 佑海
小宮さん風光らせて海渡る
柴田 清子
薄氷
薄氷を蹴って結弦(ゆずる)の金メダル
島田 章平
薄氷や定年あとの夫のごと
鈴木 幸江
うすらひや俳句の神さまだけ映る
野﨑 憲子
薄氷一つずつ減る大事なこと                            
男波 弘志
薄氷やハートの型に抜けしかな
中野 佑海
薄氷の第九会場海の端
野澤 隆夫
啓蟄
啓蟄やめがね補聴器総入歯
小宮 豊和
啓蟄や見開き図鑑のまま眠る
三枝みずほ
啓蟄やたねをさんは今日も留守
野﨑 憲子
啓蟄や動かぬ時計動き出す
中村 セミ

【通信欄】&【句会メモ】

【句会メモ】今回は、育児に忙しい三枝みずほさんも句会開始の午後1時からのご参加で、熱気あふれる句会になりました。<袋回し句会>では、2月に逝去された高橋たねをさんと、お家の事情で四国を離れる小宮さんの名前もお題に挙がり、思い出深い句会になりました。

【通信欄】2月の句会が終わり、ぼちぼち選評が届き始めた頃、兜太先生ご他界の報道がありました。先生はお元気だという思いが強くあり俄かには信じられませんでした。2月20日、午後11時47分にご他界されたそうです。安らかなご最期だったと伺いました。選評と共に届いた追悼文も、そのまま掲載させて頂きました。先生は、百歳を越えてもお元気でいらっしゃると確信しておりましたので、今も信じられない思いでいっぱいです。衷心からご冥福をお祈り申し上げます。

先生は、この「海程」香川句会報をとても楽しみにしていらっしゃいました。先生の話されていた、生も死も同じ「いのちの空間」へ向かって、ますます熱く渦巻く豊かな句会を展開して行きたいと強く念じております。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

三月句会は、事前投句はいつも通りですが、高松での句会は、舞台を小豆島へ移して、兜太先生追悼の一泊吟行会を行います。どういう作品が集まるか、今から楽しみです。

冒頭のスケッチは、本句会の仲間、藤川宏樹さんの作品です。

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