2017年8月31日 (木)

第75回「海程」香川句会(2017,08,19)

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事前投句参加者の一句

くちなはくちなはくちなはくちなはは 小西 瞬夏
もやしっ子麦わら帽の影に脚 藤川 宏樹
山霧よ木綿のようになじみおり 稲葉 千尋
ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家 谷  孝江
おはようをかわす先には蓮の花 山内  聡
風がきて星きて森という祭 月野ぽぽな
蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る 三好つや子
プールサイドの青色小瓶獏の貌 大西 健司
夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 三枝みずほ
蝉しぐれを留め山門の授乳かな 竹本  仰
難聴や玉音(ギョクオン)はもう玉虫の羽音 若森 京子
鍵盤の残響に酔う夜の秋 寺町志津子
おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る 小宮 豊和
夕立に平面となる空の都市 銀   次
行雲流水青美しきねこじやらし 高橋 晴子
健脚や赤シヤツ似合ふ生身魂 島田 章平
立葵二マイクロシーベルトの空へ 新野 祐子
遠泳の陸に続続兵馬俑 田口  浩
もの音に窓を開ければ盆の月 髙木 繁子
男滝女滝内ポケットに知らない鍵 伊藤  幸
万緑や風が紡いで行く病後 小山やす子
終戦日ブリキの玩具の強き青 重松 敬子
俺ってここに居ていいんだよね金魚 増田 天志
敗戦日焼け跡だった通学路 田中 怜子
午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝 野澤 隆夫
地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼 野田 信章
蟹のため横断歩道はありません 鈴木 幸江
幼子の噛み跡残し夜の秋 中西 裕子
びわこ周航四葩の飢えはここから 矢野千代子
髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛 河野 志保
蝶2頭くるくるまわる恋しよう 夏谷 胡桃
置きし桃触れられもせず旅立ちぬ 中野 佑海
行く道の細し八月十五日 亀山祐美子
かなかなのシャワー人体野に浮かせ 松本 勇二
夾竹桃ゆるるその日の口紅は 疋田恵美子
蜩やあの世とこの世の汽水域 菅原 春み
みんなよりひくいところにいてほたる 男波 弘志
己が傷どこで幕引く終戦日 野口思づゑ
闇に鼓動戦争知らぬ海月たち 桂  凛火
法師蝉やっと君の出番だね 漆原 義典
身丈伸ぶグラヂオラスの乳のあたり 河田 清峰
蝉しぐれ吸い込まれ行く獣道 古澤 真翠
命なきものにもあはれ水中花 藤田 乙女
性格が不一致あさがを夜ひらく 柴田 清子
原液はあまりに素直秋の蛇 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「虹は空の美しいかすり傷です(月野ぽぽな)」虹を空のかすり傷と捉える感性に脱帽。傷というマイナスに、美しいというプラスの形容詞を付けることも、対照的表現の技巧。

小西 瞬夏

特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和の匂うブリキの玩具。その中の青色が強く感じられる、ということが、終戦日の言葉にできないさまざまな思いと響きあった。青の中に、海や空でなくなった方のたましいを見たのかも しれない。いや、それは無意識の話で、作者は「今日はどうしてこんなに青が目に刺さるのだろう」と思っているだけかもしれない。

藤川 宏樹

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」仮名づかいで観賞、解釈の自由度が高まる。季語「蛍」の「ほたる」が、「灯照る(ほたる)」「火照る」「尾照る」と動詞にも受け取れる。すでに子持ちの倅がまだ幼い夏の家族旅行。 連泊の安宿から初めて泊まるホテルがよほど気に入ったか、その後「ホタ(●)ルに行きたい!」と再々せがまれたことを思い出してしまった。

男波 弘志

「くちなはくちなはくちなはくちなはは」なんか、するっとぬけてしまったかんじです。下5「くちなはが」でも面白いかと。「風が来て星来て森という祭り」森そのものが祭りに、太古の祭り、素晴らしい感性。「夏の大三角ぶ つけ合ふ個性」宇宙の壮大さと身近な人間模様の交歓、見事、珍重。「終戦日ブリキの玩具の強き青」消えない思い、それが青に象徴されている。強い思い。「母を巻く白帆のように夏の服」映画の一場面を想像した。宮崎監督復活?「び わこ周航四葩の飢えはここから」陸から水の上に乗る不安感がよく出ている。「原液はあまりに素直秋の蛇」秋の蛇のがんしゅう、それが解れば句意は鮮明。原液、その言葉を句にした手がら、珍重。「赤き星見てきし髪を洗ひけり」髪を 、星、を洗っている。星は更に赤くなった。「水平線を背に持つ魚九月来る」持つ、が生命、背びれが、魚身が水平線と一如になる。

中野 佑海

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」ポンポンという響きと楽天家が良く合っているし、嫁は主人に向かってポンポン文句を言うもんだし、それを「はいはい」と元気なら良いじゃないかと快く、一緒に40年も暮らして くれている夫の有り難さ。夫婦の基本形ですね!特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」蜩の鳴く頃、暑さも頂点を越え、いい加減嫌になったと思う頃蜩のあのちょっと思いつめたような、諦めたような鳴き声。そして、夜には静かに虫の 声も。汽水という海と川の混じり合うあたり。夏と秋、そして、お盆に帰ってきた魂の帰っていくための開かれたあの世への入口。さあ、食欲の秋だぜ!失った体力を取り戻さなきゃです。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」 くちなはって蛇のことですよね?もう一つそれがどうしたのって思うんです。それで、何回か見てたら、誤読も良い所ですが(銀次さんには敵いません)最後の所、「くちなはははは」って読めたんです。本当は「母は蛇」なんですよね? 母って怖いですし執念深いし、子供の事なかなか諦めませんもの。うん、この俳句はかなり含蓄が深いぞ!

野澤 隆夫

特選句「健脚や赤シャツ似合ふ生身魂」小生の先輩に憲法9条を守ることに命をかけてる山男がいます。ちょっと体調を崩した時期もありますが、今も彼は矍鑠(かくしゃく)と活躍。赤シャツの生身魂を彷彿させられました。特 選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和16年生まれの終戦日は4歳。記憶はおぼろですが、ブリキの玩具に戦後を想い、強き青に平和の喜びを感じさせられました。問題句=気になる句「わてが何した言わはるのナメクジリ(増田天志 )」おもしろくてついつい気になる句です。大阪のおばさんの〝何した言わはるの!ばーか!〟とは言わず、〝ナメクジリ〟とお呪(まじな)いをかけてるのがクスリです

竹本 仰

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」家の中でしょうか。家族の中での居場所を問いかけているのでしょうね。それだけ、家族関係が不確かなものであり、自分の存在感を問いかけずにはいられない危機的な状態というの でしょうか。問えば問うだけ希薄に感じられる自己と、なまなましく存在感を増してくる金魚、この対比がすぐれている。この家を裏側から見ている金魚、問いかけつつしだいに抽象化していきシルエット化してしまう家族。問いかけるこ とは敗北ではない、むしろ問いかけをやめたところから敗北は始まる。そんな暗示があるようにも。特選句「母を巻く白帆のように夏の服」かつて母が愛した服を着て鏡にたしかめてみると、あろうことか、母が白帆につつまれて水葬にさ れようとしているような、そんな錯覚のまぶしさに立ちくらみがし、母が降りてきたかと思えば、降りてきた母とともに今あることへの幸福を感じるということでしょうか。会田綱雄の詩に「伝説」というのがあります。屍を食べた蟹を人 間が食べ、その人間をまた蟹が食べるという、そんな輪廻を描いたものです。そこには戦中の中国人からの教えがあり、戦死者を食って蟹は太るから日本人とは共に蟹を食うことはできないという或る道徳感を知ったところからの発想があ ったようです。この句には、母の夏の服から、同じ生き方、そして同じ死に方を受け入れていく、そんな魂のリレーを水の連想により語っているように思えました。特選句「赤き星見てきし髪を洗ひけり(小西瞬夏)」:「ガス弾の匂い残 れる黒髪を洗い梳かせて君に逢いゆく」あるいは、「燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし」という、道浦母都子さんの短歌を連想させました。髪を洗うが、この場合、痛切な何かの体験を暗に語っているような気が しました。自分を支配してきた何らかの鮮明なものを振り捨てるというのか、やむをえぬ生き方の改変を迫られてそうしている、そんな感じでしょうか。「赤き星」が何か純粋で痛々しいと感じたからでしょうか。髪を洗うが、厳粛な儀式 めいて、いいと思いました。

田中 怜子

特選句「母を巻く白帆のように夏の服」こんな若々しい母親を誇らしげに見上げる子ども。特選句「半夏生咲く多弁は病の兆しかな」己を見つめながらどうしようもない気持ち、つらいね。

山内 聡

特選句「もやしっ子麦わら帽の影に脚」。ひょろひょろっと夏痩せのような子供がいて日中の太陽が高い時に足元にひょろひょろっとしたものと対比的に大きい麦わら帽子が影として足元に写っている。親としては何やら頼りない 子供に一瞬映ったがたくましく育っている我が子に笑顔を振り向け、それに対して子供も笑顔を振り向けている、という情景が詩的に表現されていると感じました。

若森 京子

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」口語体の一行に、「金魚」の措辞が絶妙に効いている。自分の存在感を金魚に問う。人間の哀れさが、おかしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」自然界の中に人体が白 く浮き上っているシュールな絵が見える。自然を畏れ抗う人間の姿を見るようだ。

月野ぽぽな

特選句「水さへも声を失ひ敗戦日」:「水さえも声を失う」にて、とてつもない強く深い悲しみ、喪失感を言い得た。

島田 章平

特選句「風がきて星きて森という祭」白夜の森に夕風が立ち、青白い空に星が白く光り始める。北欧の深い森に星と風の祭りが始まる。風がささやき、星が話を始める。荘厳な大地の詩。

疋田恵美子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」麓に暮らす穏やかなお姿や、作物など霧の恩恵にあずかるなど思えて良い。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ここに居ていいんです。私の素敵なお婿さんを見て下さい。

田口 浩

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」戦後七十二年、難聴にいささかの無理もない。〝玉音〟板も難聴とにくかろう。そこにはふれずに〝玉虫の羽音〟と置く。玉虫の背中を走る紫赤色の二条の線は皇室の色を思わせてくれる。 いい作品である。特選句「原液はあまりに素直秋の蛇」〝原液はあまりに素直〟は蛇の内面である。〝秋の蛇〟は冬眠に向かう蛇そのものである。そう読むと、秋の日陰の冷んやりとしたサマと、蛇の冷たさが、ある〝惑い〟となって意に なじむ。いい感性である。

古澤 真翠

特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」賑々しい蝉時雨から、どこからともなく物哀しい蜩に代わる頃を 汽水域という言葉で表現したことで句の深みが増したように感じました。勉強になります。

河田 清峰

特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」蜩の澄み切った声をシャワーと捉え繰り返し押し寄せる野分のような声を野に浮かせと表現したのが見事!もうひとつすきな句「老女とは言わせぬ気迫竹の春(寺町志津子)」103 歳まで生きた父を思わせる老女の気迫!竹の春の季語が活きていると思う!

矢野千代子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」:「山霧」と「木綿」の配合の見事さで特選に。特選句「おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る」図鑑で見る「おおみずあお」は印象的。さらに中七、下五へと重層的に続く美意識がこの 蛾をより引き立てている。

稲葉 千尋

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」あのシリアの子供達の眼を画像でしか知らないが朝蟬の眼と響き合う。特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」ブリキの玩具、色々とあったように思う。強き青が、終戦日(いや敗戦日 )を引き立てている。「人間がどんどん減るよ草いきれ(亀山祐美子)」も大変好きな句でした。特選にしたいぐらいです。

重松 敬子

特選句「男滝女滝内ポケットに知らない鍵」面白い。幾とおりものドラマが想像出来るが、作者の発想の豊かさを評価したい。人情の機微も良く表している。

三好つや子

特選句「たましひの暦の奥から蜩(野﨑憲子)」夏の終わりの寂しい心に響く蜩の声・・・。魂の暦の奥という巧みな言い回しに、脱帽。特選句「プールサイドの青色小瓶獏の貌」睡眠薬の入っていそうな青い小瓶と、水面を漂う ようなまどろみ感をシンクロナイズさせた表現が、ホラー小説風で面白いです。入選句「風がきて星きて森という祭」精霊や魔女のいる北欧の森を想像。春から夏にかけて、ハーブやベリーを摘み、秋には木の実をしっかり食べた豚をハム やソーセージにする・・・。この句から、森と暮らす人々の祈りのようなものを感じました。

漆原 義典

特選句「午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝」真夏の午後の暑さによる気だるさを、「発条解け」と、上手く表現している素晴らしい句で特選とさせて頂ききました。

柴田 清子

特選句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」:「くちなは」を、三回繰り返して、一句に仕上げる大胆さ、まずそこに感心した。次に、最後の「くちなはは」の「は」の置き方。俳句として留めるための大切な「は」であると 思うし、「くちなは」の入口であって出口でもある。私としては、今年のこの暑さよりも、もっと暑い刺激をもらった句である。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ため息と一緒に、洩れたようなことば、誰もが、どこかに持っ ている哀感にそそられる。最后に置いた「金魚」が、さらりと受け止めて、明るい明日を約束してくれるようでうれしい特選句。特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」おもしろく、おかしく、また、哀しくもあるこの句内容、ナメ クジリなら消化出来ると思はせるだけの不思議なムード仕立が気に入った。

野田 信章

「終戦日ブリキの玩具の強き青」の句。ここには、句材の上では何度か見てきたものだが「ブリキの玩具の強き青」の把握とその配合によって時間が凝縮されて「終戦日」そのものが甦った感がある。この原点からの再出発―読み 手にとっての課題もここに在る。「花野より振る手あまたや日暮れどき(菅原春み)」の句。花野には平地では見かけない種々の草花の色の鮮烈さがある。再読していると、この句には夕景の設定もさることながら、花野に魅入られた現の 人々に混じって亡者の顔までも見えてくる妙な現実感の在るのも句の魅力となっている。前句とは趣を異にするが八月というこの重たい月に、どことなく重なるところが在ると思えるのが私の読後感である。

河野 志保

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」低い所にいるとは自然の近くにいるということだろうか。他者と離れて見つけた蛍。作者の密やかな興奮を感じる。蛍との交感が独特で惹かれた。

寺町志津子

特選句「手花火や切なさを知る人が好き(重松敬子)」、とにもかくにも「好きな句」「心惹かれた句」です。ある意味、何もかも言ってしまっている、とも言えそうな句ですが、そのズバリ感に深く共鳴しました。人情の機微に 富み、哀切に満ちたデリカシイの持ち主であろう「切なさを知る人」、そのような人が好き、と言う作者こそ、繊細で心情豊かな「切なさ」を十二分にまとっている方だと容易に想像され、どなたかしら?ステキな方だなあ!いいなあ!と 嬉しくなり、理屈無く頂きました。「手花火」の季語も効果的で、良く響き合っていると思います。

鈴木 幸江

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」集金という仕事は、なかなか払ってくれない業者などもいて、かなりストレスフルな仕事だと思っている。鞄を胸に抱き、辛さを堪えて歩いている。なんとか、ここを乗り越えねばと思う心 が、思わず蜘蛛の喧嘩に目を止めたのだ。ここにも、人と自然の深い触れ合いがあり、生きることの哀しみがくどくどと書いてはいないのだが、見事に伝わってくる。上手い作品だと感心した。問題句「心臓弁牛に代わりて夏野原(小山や す子)」人工心臓弁には、牛や馬の心膜が整形され使われているそうだ。最初は、この知識が無くて、読み解こうとした。牛は夏野原の草を食み、生態系を循環させる心臓弁のようなものと解釈した。wikipedia(インターネット )で人工弁についての知識を得て、なるほどと思った。その知識なしの解釈も完全に的外れではなかったところに言語の底力を感じた。

銀  次

今月の誤読●「幼子の噛み跡残し夜の秋」。トコ……。トコトコトコ。不規則な足音が近づいてくる。わたしの「幼子の」足音だ。なぜかウットリと聞きほれる。この世にこんな美しい音楽がまたとあろうか。その子はわたしのヒ ザによじ登るように乗ってきた。マンママンママンマ。だめよ、だってさっきお食事したばかりでしょ。わが子は怒ったように、マンマ! といいつつ、わたしの二の腕にかぶりついてきた。まだ歯も揃ってない子なのに、わたしの腕にう っすらと「噛み跡を残し」た。その噛み跡に、この子は生きてるんだという実感が押し寄せて、わたしは思わずギュッとその子を抱きしめた。ヒタヒタヒタ。「夜の」気配が深まってゆく。この世界にはねえ、夜という時間があって、昼と いう時間があって、その途中あたりに朝と夕方という時間があるの。でね、夜はね、いまのわたしとあんたのようにお互いがもっとも愛を交わせる時間なの。サワサワサワ、ザザッ。風が出てきた。「秋」の風だ。なんという平穏、なんと いう安心。わたしはわが子のつけた噛み跡にキスをした。そして、おまえのほっぺにも、ありったけの愛を込めて、チュー。

小山やす子

特選は「びわこ周航四葩の飢えはここから」です。意味深です。

野口思づゑ

特選句「野鯉跳ね孫にけもののにおいかな(重松敬子)」外で遊んで帰ってきた子供、汗にまみれた独特の元気なにおいがするものだがそれをけもののにおいとし、跳ねる野鯉をまず映像として上5に置く、とても上手な句だと思 った。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心(三枝みずほ)」舌先で掬うよう食べるソフトクリーム。そのゆっくりなタイミングが本心を聞くのにとてもふさわしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」かなかなのシャワ ーという英語的表現と人体という固い語と下5の組み合わせが良くマッチしている。

伊藤 幸

特選句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ(男波弘志)」日盛りの中で燃えるような空の下、喉がからからに乾いている状態を表しているのだろう。下りて来たの措辞と発想の面白さで頂いた。特選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 」夏の大三角形の何と雄大で美しいことよ。デネブ、ベガ、アルタイル、これ等の星を擬人化し、作者の身近な身内又は友人に当てはめ、それを客観的に眺め楽しんでいる作者の姿が目に浮かぶようだ。

菅原 春み

特選句「 水さへも声を失い原爆日」このような句を歴史に残していきたい。胸に迫り、臨場感に声を失う。特選句「敗戦日焼け跡だった通学路」焼け跡の光景を見た人にしか読めない句。季語がずしりと重い。

松本 勇二

特選句「髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛」季語の斡旋が巧みです。問題句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ」エネルギッシュな書き方に共感を持ちました。炎日が炎天なら一層腑に落ちたのではないでしょうか。

夏谷 胡桃

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」。ポンポンダリアが弾んでいるようでいいですね。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」。今年は蜘蛛の巣が多い年でした。夫が朝早くコーヒー片手に何かを見上げています。何を 見上げているかと思ったら高い木と木の間に立派な蜘蛛の巣が。「どうやって巣をかけるのだろう」と疑問に思い、それからいろいろ調べていました。はじめの一本の蜘蛛の糸を風に飛ばして目標地点にひっかけること、蜘蛛は蜘蛛の糸を 食べて回収ししていることなど、私に教えてくれました。わたしの寝室兼仕事場に大きな蜘蛛がいました。ベッドの上に巣をはっていましたが、獲物がとれないのでしょう。場所をかえて巣をはりなおしていましいたが、前の蜘蛛の糸が消 えているのが不思議でした。蜘蛛自身が回収していると知って納得。部屋の蜘蛛はこのまま飢えてもいけないので、外にだしました。 この集金の方も蜘蛛の不思議に見入っていたのですね。

三枝みずほ

特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」口調からみると、目上か距離のある人との会話。大阪の路上、警察官と自転車に乗っていたおじさんとのやり取りを思い出した。それは盗難自転車ではないか、身分証はあるか等長く 質問を受けていた。おじさんは何かしたのか、もしくは何もしていないのに、尋問され続けていたのか。ナメクジリという不気味な生きものがそこにいることで、解釈が広がる作品。

谷 孝江

特選句「己が傷どこで幕引く終戦日」或る年令を重ねた者にとって八月は特別な思いで迎える月です。あの頃はみんな貧しくて、飢えていました。どうしょうもない絶望感の中から、明日へ向かおうとする気力も持ち合せていたの です。先達の尊い努力のおかげで平成に生かされているのです。感謝、感謝です。傷を嘗め合うのではなく、己の中でしっかりと受け止めてゆくことも大切ではないでしょうか。今年の八月も、もう終りに近づいてきました。

中西 裕子

特選句「にんげんの抜け殻あまた蝉しぐれ」 にんげんの脱け殻は、遺体でしょうか、戦乱で多くの犠牲者が出ても何事もないような蝉しぐれ、切ない音でしょう、悼む音でしょう、特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」 難聴と は加齢による難聴でしょうか、随分と長いときが過ぎ、玉音が羽音にしか聞こえない、でも忘れられないこと。

大西 健司

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」どこか昭和の街角の光景を思う。集金の途中にしゃがみ込んで見ているのだろう。本格的なものではなくだれかがそのへんで戦わせているのだろう。集金鞄を抱えた男の悲哀を思う。

小宮 豊和

今回は戴かなかった句の中の洒落たフレーズが目についた。何か書きたくなるフレーズで、つい書いてしまった。勝手な熱を吹くこと乞ご容赦。こんど会ったときぶん殴らないよう願います。『例えれば群れず離れず秋の蝶(寺町 志津子)』「例えれば」を「香川句会」などに変える。『幼子の噛み跡残し夜の秋』「夜の秋」を「秋の乳房」などに変える。『満濃池夏代々の讃岐野讃岐びと[高橋晴子)』「讃岐野」は不用とする。『蜩やあの夜とこの世の汽水域』「 蜩やあの世と」を「生身魂あの世」などとする。『老女とは言わせぬ気迫竹の春』「竹の春」を「返り花」などとする。『蝉しぐれ吸い込まれゆく獣道』無季になるが「蝉しぐれ」を「山頭火」にする。以上のようなことを感じた次第であ る。無礼深謝。

新野 祐子

特選句「行雲流水青美しきねこじゃらし」野原いっぱいにねこじゃらしが風にそよいでいます。そんななかに佇むとただただ気持ちよくて、心がからっぽになります。この境地を「行雲流水」という言葉を用いた感覚のよさにはっ とさせられます。青が活きているし格調の高さに感動しました。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」少し前に新聞で、蜘蛛ずもうの記事を目にしました。世の中にこんな遊びがあるなんてと、とても興味をそそられました。ああ、切り 抜いておけばよかったな。たしかハエトリグモでしたか。「集金鞄を抱いて」もおもしろいですね。お金を賭けたりはしないでしょうが、市井の人の暮らしぶりが見えてきて好ましい。このようなささやかな平和がとわに続くよう願わずに はおれません。入選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性」ヴェガ、アルタイル、デネヴと強い光を放つ星たち。夜空に見事な調和を見せています。そのもとに集まった人たちは個性が強く、それぞれ熱弁をふるっている、そんな情景が浮かび 上がります。しかし、全く別の鑑賞もできるかもしれません。あの星たちは調和しているのではなく、強烈に自己主張しているのだと。

桂 凛火

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」玉音放送がもう遠いものであると思っていたが今年はやけに近いと思う。難聴だから聞こえにくい。いやそれより玉虫色になってきたこの世情のせいなんだろうか。しかもその玉虫は羽音を 立てて生きている。こちらは生き物の強さだが玉音がそれでは弱いのだ。理屈ではなくなんかイライラする感じが「難聴や」に集約されているようでとても魅力がある句でした。

亀山祐美子

特選句『終戦日ブリキの玩具強き青』まず「ブリキの玩具」と置いたことで、飛行機か車か船か電車か…と読み手の空想が広がる。また「強き青」と云う措辞が「終戦日」と「ブリキ」の密接な関係を幾分弱め、「新しいおもちゃ 」かもしれないと一瞬気を反らせられるのだが、「玩具」でやはり古いおもちゃの鈍い青さだと納得させられ、「終戦日」へと収束してゆく。季語の「終戦日」が効いている。物(玩具)に語らせ、有り余る感情を見事に伝える秀句である 。蛇足ながら「原爆忌」なら、悲惨過ぎて心が潰れる。「終戦日」と云う安堵感に支えられるからこそ現代から過去へ、過去から未来へと「強き青」=「平和」が語れるのだと思う。今日はこの句に出会えて嬉しい。

藤田 乙女

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」休み時間じいっと水槽の魚を見続けている子どもをよく見かけました。水槽の中の魚には、何か人の心を癒すものがあるのかもしれません。原始、水の中の生き物から誕生した人間は 、魚たちに親近感をもち、水の中に命を育んだ故郷のような安心感と懐かしさ、安らぎを感じるのでしょうか。それは、母の胎内の羊水の中にいたときへの懐古であるかもしれません。赤い金魚の映像がくっきりと目に浮かびました。そし て、自分の全存在を過去からずっと繋がれてきた命の有り様を改めて問いかけている句に強く惹かれるものを感じました。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心」甘いものを食べている時は、みんな心の鎧を自然に外してしまってい るのでしょう。さらっと自分の本心を出してしまうこともありがちです。日常の人間の言動の一端をよく掴んでいる惹かれる句でした。

高橋 晴子

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」何も言わなくても反戦の句と強烈に感じる。問題句「行く道の細し八月十五日」〝行く道の細し〟では八月十五日に対してもうひとつピンと来ない。

野﨑 憲子

特選句「蟹のため横断歩道はありません」一読、変てこな標語かと、思った。でも、とても大切な事を表現している。炎昼など、散歩に出ると車に挽かれた蟹がペシャンコになって転がっているのに遭遇する。人類の他のあらゆる 生きものにも当てはまることだ。それを見事に句にした事にエールを送りたい。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」こちらは、逆に、いまだに作者の意図が摑めない。句会に参加していた作者へ「この句から蛇の姿態が見えて くる」といったら、あっさり否定された。それで、ますます気になっている、楽しんでいる。今回も、興味深い作品満載で、どの句もいただきたかったです。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

露けしや薬三錠増えちまふ
亀山祐美子
露ほどのといういい露をいつ見たか
竹本  仰
露草や月懐に飼っている
中野 佑海
秋彼岸
秋彼岸渡れぬ橋の前に来る
亀山祐美子
母のこと兄口籠る秋彼岸
鈴木 幸江
秋彼岸想いは牛の歩みかな
藤川 宏樹
シベリヤに雪くる頃か秋彼岸
小宮 豊和
どっかどっかと風の足音秋彼岸
野﨑 憲子
秋彼岸捨てっちまおう携帯を
中野 佑海
汽水まで足を運んで鴎かな
山内  聡
じっと見る鴎の目つきおそろしき
小宮 豊和
冬鴎ぽちょりと昭和映画館
竹本  仰
いきなりサルビア夜は鷗の舞踏会
野﨑 憲子
失恋は秋に預けてハムエッグ
竹本  仰
恋の季節流る床屋ぞ秋の暮れ
藤川 宏樹
水底に雲の切れ端秋はじめ
島田 章平
ただ線を引く線を引く秋虹よ
野﨑 憲子
秋茜群れよわたしは突入せよ
田口  浩
秋涼し石見(いわみ)の浜に神楽舞ふ
漆原 義典
夜の秋妻を誘ひて生ビール
山内  聡
虫籠に入れた虫から死んでゆく
男波 弘志
弱いほうへ傾く気持ち虫の秋
三枝みずほ
独唱の鮮明なりし虫の声
山内  聡
忖度
八の字まゆげ忖度中の秋
亀山祐美子
忖度はしない螇蚸のよく跳べり
三枝みずほ
忖度の終はりは無言敗戦日
島田 章平
忖度といふ文化あり終戦忌
山内  聡
忖度し義兄へ送るお中元
野澤 隆夫
秋涼し忖度の言葉も過ぎ去りし
漆原 義典
生身魂
山鳩のわれを見つけよ生身魂
野﨑 憲子
生身魂寝息確かな酒五勺
小宮 豊和
生身魂産湯のごとく墓洗う
中野 佑海
極楽へと車買い替え生身魂
竹本  仰
うなづきてうなづきつづけ生身魂
亀山祐美子
評判の母のコーヒー生身魂
鈴木 幸江
失敗の数は負けぬと生身魂
島田 章平
風よ光よ八月のさざ波は愛
野﨑 憲子
走り根の八方へ這ふ晩夏かな
島田 章平
沸き立つや八大童子露に濡れ
男波 弘志
八月は毎年昭和鉄路鳴る
小宮 豊和
踊り
踊り場に妻の実況遠花火
野澤 隆夫
緩急の風巻きおこす阿波踊り
山内  聡
踊り子の月夜に濡れてゆくよ
三枝みずほ
阿波踊り閖ぬくごとく流れ出る
田口  浩
身の内の人もまじりて踊りけり
男波 弘志
踊る君見ている僕を愛と呼ぶ
鈴木 幸江
脱皮する黒猫もゐて踊りの輪
野﨑 憲子

 【通信欄】 & 【句会メモ】 

【通信欄】安西 篤さんより 「第七十四回香川句会報有難う御座いました。相変わらずのエネルギーと熱気に圧倒されます。お見事です。今回の冒頭に海程終刊に伴う決意表明もあり、あらためて地域句会の意欲を感じます。海程後 の受け皿をどうするかについては、目下検討中ですので、もうしばらくお待ちください。さて今回の作品について、前回同様三段階評価をしてみます。【☆】「手ざわりは杏子被爆の帽脱げば(若森京子)」「被爆天使の眼窩うごくは蝌蚪 ならん(野田信章)」「ももももも七月の赤ちゃんが来る(野崎憲子)」【◎】「くびくくり坂までくちなしの花匂う(大西健司)」「くすりばこ白夜の森の匂いかな(三好つや子)」「清流の華なり痣なり瑠璃峡蝶(矢野千代子)」【○ 】「風蘭をもらいし姉の余命知る(稲葉千尋)」「蛍火を待つ両脚を草にして(月野ぽぽな)」「草いきれ激し母より手暗がり(竹本仰)」「二万通の届かぬ手紙海蛍(河田清峰)」その日常性の持続が力になると思います。どうぞこの調 子で頑張って下さい。」

【句会メモ】今回も、岡山から小西瞬夏さんが浴衣姿で、淡路島からは、久々に、竹本 仰さんもご参加くださり、とても楽しく充実した句会になりました。そして、句会の後で、初めての納涼会を開きました。提案してくださった男波弘志さんが幹事もしてくださり嬉しかったです。総勢16名の賑やかな笑顔あふれる会となりました「海程」の根っこは、ますます熱く渦巻いています。私も句会から大きな元気を戴いています。単に、金子兜太師と、ご参加の皆様のお陰さまです。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。いつもは、句会後すぐに解散していたのですが、こんなにも盛り上がるならまた開いてみたいです。ご参加の皆さま大感謝です!

2017年7月28日 (金)

第74回「海程」香川句会(2017.07.15)

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事前投句参加者の一句

                  
手ざわりは杏子(アンズ)被曝の帽脱げば 若森 京子
手も足も待っておられぬ祭好き 中野 佑海
手のひらにたくさんの線蓮の花 三枝みずほ
湿気っぽい月の様です生きている 鈴木 幸江
普通の苦労なんてしてない海月です 桂  凛火
馬鹿なれど愚かではない棒アイス 伊藤  幸
蛍火を待つ両脚を草にして 月野ぽぽな
春の山水は光を追いかける 河野 志保
くすりばこ白夜の森の匂いかな 三好つや子
老兵の正しい知性背に螢 野口思づゑ
清流の華なり痣なり瑠璃蛺蝶(ルリタテハ) 矢野千代子
萍のはじめは雨のひとりごと 新野 祐子
長鉾の周り飛び交うチャイニーズ 古澤 真翠
今閉じし目より滴るほととぎす 小山やす子
行水にパチパチややの顔は丸 藤川 宏樹
道おしへひとりぼっちの通学路 髙木 繁子
くびくくり坂までくちなしの花匂う 大西 健司
決心の赤い石榴の噛み応へ 小西 瞬夏
マニキュアとピアスの男蛇苺 島田 章平
風蘭をもらいし姉の余命知る 稲葉 千尋
鉄人が自転車飛ばす梅雨の晴 野澤 隆夫
遠雷に始まるピアノ協奏曲 増田 天志
さようなら日傘の君が溶けてゆく 銀   次
人権宣言夏雲がどっと沸き 谷  孝江
崩れては湧く噴水の平和乞う 山内  聡
空蝉の転がっている手桶かな 菅原 春み
二万通の届かぬ手紙海蛍 河田 清峰
日盛りのやうな男が真正面 柴田 清子
重なりつ離れつ影と黒揚羽 小宮 豊和
七月のあをを漂流してをりぬ 亀山祐美子
胡瓜食む子等の生命の連続音 藤田 乙女
夏空や海がそうしたように抱く 男波 弘志
草いきれ激し母より手暗がり 竹本  仰
捕虫網兄と走ればほんとの青 松本 勇二
花火今忖度各種取り揃え 寺町志津子
炎天下座して抵抗うちなんちゅ 田中 怜子
仮釈で出てジャズマンをさがす夏 田口  浩
被爆天使の眼窩うごくは蝌蚪ならん 野田 信章
山法師俳句残像連れあるき 疋田恵美子
昔のことは忘れたわってかき氷 夏谷 胡桃
桔梗一輪男一人を憶い出す 高橋 晴子
夏豪雨家族写真を奪いけり 漆原 義典
雲の峰生家が遠くなりにけり 中西 裕子
コインロッカー奇数を選ぶ雲の峰 重松 敬子
ももももも七月の赤ちやんが来る 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「空蝉のころがっている手桶かな」景としては、手桶の中に空蝉がある、という状況。まず、それが目の前にはっきりと浮かびながらも、どこか現実感が薄い。いったいだれが、この手桶の中に空蝉を入れたのだろうか。また、なんのために? そんなことを考えていると、何かこの世ではないような空気が漂う。手桶の中の空間と、空蝉の中の空間が、どちらも「無」として存在している。

大西 健司

特選句「萍のはじめは雨のひとりごと」:「雨のひとりごと」この美しい詩的断定にひかれた。問題句「二万通の届かぬ手紙海蛍」具体的にはこの届かぬ手紙がなんなのかはわからないが、海蛍となって海に耀いているその様は実に美しい。どこか故国に戻れなかった戦死者の思いのように胸に届く。

三枝みずほ

特選句「ももももも七月の赤ちゃんが来る」桃であり、ふとももであり、お尻であり、赤ちゃんの柔らかさを表現するのに心地よい五音。「も」を発音する時の口の形も面白く、赤児をあやす大人の朗らかな顔も連想出来、この五音で存分に楽しめる。この発想と遊び心に共感した。

島田 章平

特選句「麦秋や声もことばも母を追う(男波弘志)」[声]とは人や動物が発生器官から出す音。[ことば]とはある意味を表すために、口で言ったり字に書いたりする事。【広辞苑より】[声]そのものは意味を持たない。感情がそのまま音になる。音が伝わり共鳴する。[ことば]は心の表現。伝える為に人は[ことば]を選ぶ。[声]と[ことば]で母を追う子供。子供の[声]と[ことば]は母親に届いたのか。甘く切ない心の記憶。「麦秋」が温かい。

中野 佑海

特選句「普通の苦労なんてしていない海月です」子供の頃から苦労らしい苦労なんて何も無かった。なら俳句には成らないか。ならば、やはり、並々ならぬ波瀾万丈の人生ではあったけど、その都度海月のように、あっちへゆらゆら、こっちでくるくる、とにもかくにも、毎日を一生懸命過ごして、今を迎えている。という感慨無量感が良く出ていると思う。振り返って見たら、誰の人生もそうだと思う。老年期に足を突っ込んだ者の懐古も含め。特選句「決心の赤い石榴の噛み応え」私は女性が赤いシュシュをキュッとして、ハイヒールで颯爽と歩いていたのを俳句にしようとして、巧くいかなかった事を思い出しました。この句はそれを顕して下さったのだと。特に噛み応えが良いです。問題句「恋も死もてぬかりあるな凌霄花(若森京子)」私の感覚としては、「恋も死もぬかりのありて凌霄花」であって欲しいです!!

野澤 隆夫

じっくり鑑賞すると投句135句、それぞれにどれも面白いです。特選句「さようなら日傘の君が溶けてゆく」漱石の『三四郎』の表紙みたいな句です。小生の拙い経験からドラマの想像できる句が好きです。「昔のことは忘れたわってかき氷」なんとなく投げやりな言葉で、かき氷を掻き込む作者が想像できます。問題句「茶碗欠けたと姉は青葉木菟になる」欠け茶碗と青葉木菟の因果関係にクエスチョ ン・マークです。でも面白い!!

月野ぽぽな

特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」薬箱にある、一種独特な匂い、暗さ、雰囲気を感覚的に捉えた良さ。

増田 天志

特選句「清流の華なり痣なり瑠璃蛺蝶(ルリタテハ)」あれほど、貴方が好きだったのに。今では、身震いがするくらい、大嫌い。そうね、私が変わってしまったのね。きっと。愛憎は、コインの表裏。

三好つや子

特選句「人権宣言夏雲がどっと沸き」人権宣言と夏雲のことばが響き合い、海に山にあそぶ人々の開放感が句にあふれ、感動しました。特選句「花火今忖度各種取り揃え」川柳っぽいかな、と思ったのですが、今どきの花火の種類の多さを、忖度ということばで表現したことが、面白いです。入選句「ももももも七月の赤ちゃんが来る」丸々としていて、元気いっぱいの赤ん坊を想像。とりわけ「七月の赤ちゃん」というフレーズに惹かれました。

藤川 宏樹

特選句「日盛りのやうな男が真正面」まるでCMのキャッチコピーのよう、映像が鮮明です。男の存在感だけでなく男の熱輻射が暑苦しく感じます。結びの「真正面」が、直に届かせています。面白い。

鈴木 幸江

特選句「馬鹿なれど愚かではない棒アイス」一読、暖かな句だと思った。そして、我が家族を顧みれば、馬鹿だけど愚かではない生き方を何とかしていると思えて、救われた。棒アイスが働いている。片手で食べられる棒アイス。学者ではないが、どこか考えが飛躍している人が考えた。私も、こんな発想の句を創って行きたいものだと痛く共鳴した。特選句「被曝天使の眼窩うごくは蝌蚪ならん」映画のワンシーンを思い浮かべるのが好きだ。この一句からは、凄まじい映像が立ち上がった。それをお伝えしたい。被曝天使は被曝された方のことだろう。眼窩は眼球のまわりの骨のことだそうだ。それが、皮膚がえぐれ露出してしまった状態で、首を動かしたのだ。それは、たぶん、蝌蚪が目に入り、思わず、何気なくその方向へ首が動いたのだろう。推測している作者が、戦争の凄まじさと生命の重さを感じでいることがよく伝わってきた。問題句「茶碗欠けたと姉は青葉木菟になる(大西健司)」感性の句は、伝わる人には伝わり、伝わらない人には伝わらない。でも、時にはこういう句を創っても良いと思った。わたしには、青葉木菟のようになっているお姉さんの姿を想像することがとても楽しかったから。

若森 京子

特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」:「白夜の森の匂い」ってどんな匂いかしら、草木の匂いより生き物の匂いが強いのでは、命の匂いかしら、薬箱との比喩が面白い。特選句「野をひらく鍵はしづかに蟇」野・鍵・蟇が響き合って、この短い詩型の中に最大限に静かに拡がってゆく景が見える。

寺町志津子

特選句「炎天下座して抵抗うちなんちゅ」戦後七十二年。沖縄では平和を求め、穏やかで安心な暮らしを希求し続けるも、いつまでも続く基地としての存在。上五、中七の「炎天下座して抵抗」が何とも切なく、痛ましく、申し訳ない思いも去来した。そして、その現状を詠み続けることの重要性を思い、「うちなんちゅ」の皆さんに、安心で穏やかな平和な日々の到来が一日も早からんことを祈り、特選にさせて頂いた。

夏谷 胡桃

特選句「ももももも七月の赤ちゃんが来る」もものような赤ちゃんに会える喜びが伝わって来て、楽しい句です。「ももももも」は桃を連想してしまいます。そうしたら七月はよけいなのではと悩みました。もう少しかえられそうです。問題句は、「鉄人」です。3句もあったので、トライアスロン大会でもあったのかなと考えました。きっと有名な大会なのでしょう。でも、伝わりにくいと思いました。

重松 敬子

特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」私もこの季語が好きで、毎年挑戦するのですが、上手くいったためしがなく、大変勉強になりました。かって行った、ドイツの森に包まれた気持ちになり、思わず深呼吸をしました。

野口思づゑ

特選句「手ざわりは杏子被曝の帽脱げば」悲しいい題材の句なのだが帽子をかぶり強く生きている被害者の姿がとても巧みに表現されており感銘を受けた。その他、「普通の苦労なんてしてない海月です」では普通以上なのか以下なのか、などと思うのが楽しい。「ヒマワリが好き自己中ってところ(谷孝江)」そういえばヒマワリ、言われてみればそんな気もする。

山内  聡

特選句「萍のはじめは雨のひとりごと」。萍で想起するのは栗林公園。今日は曇っていて久しぶりに散歩に出てみよう。ひとりで歩いているといろんなことを思い出したり想像したり。池の水面に水輪が。雨に誘われるように少し呟く作者。それを、「はじめは雨のひとりごと」としたところに詩情を感じます。そしてこの句を読むと自然と栗林公園の豊かな緑に包まれます。公園の緑に溶け込んでいくひとりごと。

矢野千代子

特選句「「野をひらく鍵はしづかに蟇(野﨑憲子」蟇への思い出がつよい。夏になると裏庭に出没する蟇をまるで里帰りをする子のごとく迎えて、幼児の私達には「悪さをしたらあきまへんで」と…。そんな祖母の声や姿が鮮やかによみがえる。読後には、青くて明るい夏野―が、思い出とともにあざやかな緑界―が現れてきた。

桂  凛火

特選句「湿気っぽい月の様です生きている」月に自分を例えるなんて大胆な・・。意外性がよかったです。そして「生きているの」表現が妙になまなましくすてきでした。

漆原 義典

特選句「遠雷に始まるピアノ協奏曲」、私は雷にティンパニを連想しますが、ピアノを連想した作者の優しい感性に感動しました。ありがとうございました。

男波 弘志

「手ざわりは杏子被爆の帽脱げば」杏子の、半生感、ケロイドを起想「手のひらにたくさんの線蓮の花」悲壮感のない手相、いっさいを蓮の花に委ねる。てのひら、平仮名の方が句意にあう。「蛍火を待つ両脚を草にして」人体の戯画化、アミニズムみつみつ。「沢蟹の鋏を上げる嬉しさよ(鈴木幸江)」悲壮感のない蟹、俳諧の蟹。「七月のあをを漂流しておりぬ」漂流、負の世界を、青が反転せしめている。青が青「を」漂流せしめている。「青が」、では平凡。「髪洗う森に太陽を沈めて(月野ぽぽな)」自己の意思体で太陽を沈める、傲慢な肉体、珍重。「夏の月吊るされている行き止まり(河野志保)」輪廻の終着点、お月さんも縊死している。「野をひらく鍵はしづかに蟇」  野をひらく、鍵は、蟇がもっている。

谷  孝江

特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」齢を重ねる度、くすりは手放されなくなります。「白夜の森の匂い」なんて素敵な言葉でしょう。いやな「くすり」も、すっと喉を通ります。薬を飲むのもたのしい思いがしてきそう。特選句「ももももも七月の赤ちゃんが来る」赤ちゃん大好きです。どんなに泣き喚いていても可愛くてなりません、赤ちゃんが来るってたのしいことです。家へも是非お願いしたいです。未来がいっぱい詰まった玉手箱のような赤ちゃんを・・。

銀   次

今月の誤読●「メール一通夕焼けの中の少女(谷孝江)」。夢はまぼろし。現はさらなり。炎天もやうやう落ち着かむとす「夕焼けの中」。セーラー服「の少女」バス停に佇みをりぬ。三つ編みに結ひたる髪もいと麗しく、ふたつみつ垂れたる後れ毛もまた。彼の少女、ふと何事かに気づきて、黒カバンより携帯を取り出しぬ。そは「メール一通」の受信記録にて、少女そを開き見たり。少女、文面を二度三度と読み返へしのち、そつと閉ず。少女はふうと小さくため息をつき、夕焼けに眼向けたり。しかして、何故なるか、彼の少女の眼より二筋三筋の涙湧きいで、そのやはらかき頬を、静かに流れ落ちたり。もとより余は、それなるメールがどのやうなものであつたかは知らずして、ただその美しくも、あはれなる光景にいかにか心奪はれたるのみ。やがて停車場にいと古きバス到着し、少女は乗り込みぬ。余はふと我に返へりて、そのバスを追へども、すんでのところで乗り遅れたり。そのときであつた。おお、見よや。彼のバスは燐光を放ちつ、宙天に浮かんだり。余はそのあやしきに心惑はされ、ただ呆然と見送るのみ。一点、ただ一番星を目指して走り行くバス。彼のメールは冥府よりの招待かと思えじ。少女は車窓より余に手を振りぬ。静かなる微笑みとやさし眼差し。ああ、なんといふ不可思議にして、神々しき瞬間なるや。少女よ逝くか。乙女よ。その昇天の、いみじうして、いと愛らしきことか。

古澤 真翠

特選句「さようなら日傘の君が溶けてゆく」:「さようなら」の五文字は、いろいろな場面を彷彿とさせ 奥行きのある句だと思います。問題句(疑問句かな)「炎天や暑き封書の喪の手紙(菅原春み)」「暑き」は「厚き」かなぁ?とも思いましたが…作者は「それでは在り来たり」とお考えだったのでしょうか?

田口  浩

特選句「天道虫そのとき眉間ありにけり」眉間は作者であろう。否、仏の白毫相と想像を深く遊んでもいい。天道虫が草を離れた、一瞬。眼で追うのでなく、眉間という言葉を得たとき、不可思議で理不尽な俳が成就した。特選句「夏空や海がそうしたように抱く」海に入ってあおむけに寝る。浮いた身体を波にまかせる。夏空が眩しく目を閉じる。小さな波音が耳をくすぐる。快感。爽快。二重構造に作品を仕立て、愛の大きさと、やさしさを〝海がそうしたように〟と詠む。これは〝業師〟。〝抱く〟の二字がニクイ。

中西 裕子

特選句「日盛りのやうな男が真正面」日盛りのような男が真正面にいたら、圧迫感かな、それとも頼もしく感じるかなと想像するのも楽しい気持ちになりました。暑さに負けてないなと思いました。

松本 勇二

特選句「七月のあをを漂流してをりぬ」心象風景の見事な映像化に感服しました。問題句「髪洗う森に太陽を沈めて」髪を洗う時にこのように感じる感性に共感しました。五七五の定型におさめるとなお訴求力が出ると思われます。たとえば「太陽を森に沈めて髪洗う」など。

伊藤  幸

特選句「手も足も待っておられぬ祭り好き」分かる分かる、“ワッショイワッショイ”あの掛け声、たまりませんね。祭り好きの私に一票入れさせて下さい。私の手も足も「そうだそうだ」と言っております。特選句「萍のはじめは雨のひとりごと」十年前「海程」に投句した最初の句が「湖はまじめな雨が創るのです」であった事を思い出す。 雨の一滴から川が出来数百年数千年を経て川となり萍が生まれる。雨のひとりごとの措辞、ロマンですね。

竹本 仰

特選句「蛍火を待つ両脚を草にして」:「蛍火」を恋の思い、予感として見るのは当然のこととして、「待つ」私はここでただの名もない草にならなければ、一介の生き物としてこれを全身で受け入れようという決意、それを体感として濃く表せているところがいいです。本気の恋と言いましょうか、自分が自分でなくなってもいいというような、一回性の直観に貫かれた情景であるかなと思い、原始的な匂い、たとえば、「あしひきの山の雫に妹待つとわれ立ち濡れぬ山の雫に」(万葉集巻二・大津の皇子)に似た香りがあります。ただこの濃さは女性のものかと想像しますが、どうでしょう?特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」とにかく「くすりばこ」が季感語であるのかと思わせるような感触がしたのが面白いですね。「白夜」を実際に体験された方でしょうか。くすりばこが白夜の森の導入剤になっていて、あのくすりばこを開けるときの一瞬の不確かな予感というか、露草の青を青空の青とつい見誤ってしまうのに似た錯覚のおののきというか、そんなところの涼やかさがあります。「白夜の森」にはいったい何があるんでしょうか、わくわくさせるもの、何となく昔触れたドストエフスキー「白夜」の世界に通じるものか、すごくくすぐってくるものがあります。季語の世界では「はくや」らしいですが、これは「びゃくや」と読まねば味が落ちるのではないかと思います。特選句「ゆれて髙松虹の根つこに眼が二つ(野﨑憲子)」高松のご当地ソングとしたら大成功ではないか。「髙松」という何気ない真面目さが「ゆれて」で恋の文脈に入ってしまった感がするのですね、しかも大きな高松にあるのはあなたの二つのまなこだけみたいな、そうですね、修学旅行で来た中学生が高松に恋をしちゃった感の響きです。この昔の恋心風の詠み方が、ある時代に対する郷愁をいたく刺激するところがあり、何となくこの句を唄いたい感にするのを止められません。この句会でしか生まれない稀有感を感じました。だから、俳句はやめられないとも言いたい。

河野 志保

特選句「崩れては湧く噴水の平和乞う」作者の気持ちがストレートに伝わる。しなやかなリズムにも惹かれた。揺れ動く平和への思いは噴水のよう。諦めてはいけないと静かに言い聞かせる作者を想像した。

小山やす子

特選句「萍のはじめは雨のひとりごと」静かな水面にうきくさが彩りを添えやがて雨が来てぽつりぽつりと水輪ができる…優しい景色に魅せられました。

疋田恵美子

特選句「老兵の正しい知性背に螢」作家の「半藤一利」氏を思わせるお句。特選句「恋も死もてぬかりあるな凌霄花」てぬかりばかりある私、以後気をつけねばと。

田中 怜子

特選句「被曝天使の眼窩うごくは蝌蚪ならん」この光景は見たことあるような、うつろな眼窩 どんな哀しみがつまっているかまた、原子爆弾が落とされた日がやってきました。特選句「夏豪雨家族写真を奪いけり」毎年繰り返される自然災害 人の命も奪うけど、記憶、思い出も持っていってしまうんですね。

藤田 乙女

特選句「ももももも七月の赤ちゃんが来る」: 「ももももも」から、桃と赤ちゃんの柔らかくみずみずしい頬っぺたの感触とが重なりあったり、生まれたての赤ちゃんの息づかいや鼓動まで伝わったりしてくるような感じがしました。また、「7月の赤ちゃんが来る」から7月の空の明るさや赤ちゃんの誕生を祝福する周囲の喜びも伝わってきて、明るく爽やかな気分になりました。うらやましい限りです。特選句「さようなら日傘の君が溶けてゆく」自分の愛する人の面影さえも消え去っていく、そんな寂しさと深い哀しみを感じました。しかし、自ら「さようなら」と切り出すところにそこから立ち向かおうとする希望や前向きな意思も伝わってきました。私の感性を揺さぶるような、心の奥まで響く句でした。/P>

河田 清峰

特選句「手ざわりは杏子被曝の帽脱げば」食感でなく触感でとらえた杏子そのなんともいえぬ感覚!帽子のしたにあるおどろおどろしさにヒロシマの夏の叫びをかんじます!また繰り返しそうな気がします。

亀山祐美子

互選句への解釈の違いがとても参考になりましたが、心から沸き上がる共鳴句はありませんでした。私の感性が鈍っているのでしょう。あしあらずご了承くださいませ。楽しい時間でした。またお邪魔致します。

小宮 豊和

特選句「くすりばこ白夜の森の匂いかな」」作者は、白夜の森の匂いを薬箱の匂いであるという。薬箱とは富山の置き薬の箱を考える。木箱と薬の複合臭である。森は針葉樹の森で青葉と散り積もった腐葉土が匂う。下草やその実、きのこなどの菌類や地衣類も匂う。もしかしたらオーロラも匂うかもしれない。句で言っていることはわずかであるが、連想がふくらむ。

新野 祐子

はじめまして。俳句を始めた十年前から朝日俳壇を愛読しています。ある時、ドキッとする俳句と出会いました。作者は野﨑憲子さんだったんです。その時から野﨑さんの大ファン。今年五月の海程全国大会で野﨑さんとお話しすることができました。その縁で香川句会に参加した次第です。よろしくお願いします。特選句「清流の華なり痣なり瑠璃蛺蝶」華と痣を同列にした感性がすばらしい。渓流釣りでよく清流を渡ります。そこで蝶に会ったことはないけれど、幻想の世界に連れて行ってくれるのは瑠璃蛺蝶なんだろうなと納得させられます。特選句「くびくくり坂までくちなしの花匂う」くびくくり坂というところは実際にあるのでしょうか。あるとしたらどんな歴史的背景があるのかなどと、想像力をたくましくしてしまいます。くちなしの花があやしく匂ってきます。問題句「春の山水は光を追いかける」ここ山形は豪雪地帯で、春となれば川は大蛇のごとき勢いで山から里に駆け降りてきます。ですから私の実感としては、「光は水を追いかける」となるのです。問題句とは言えませんね。気づきの句でしょうか。

柴田 清子

特選句「海亀になりたいその目を信じて(夏谷胡桃)」この内容の一途な思い込みに魅力を感じます。特選句「夏空や海がそうしたように抱く」この夏空と言ふ季語には全てを包み込んで、一句を成してしまふだけの強がある。ので好きな句

高橋 晴子

特選句「虎尾草の群れ咲くところより自由」自由の感覚かいい。特選句「七月のあをを漂流してをりぬ」七月のあををが効いていて漂流の感生き生き。問題句「民主主義灼ける白靴洗う日よ」民主主義との関連が今ひとつ、しっくりこない。*ご投句の際のコメントより~自句「桔梗一輪男一人を憶い出す」に関連して「桔梗一輪投げ込む力ばかりの世に」櫻井博道の句。清潔な人で、展宏さんと仲のよかった。昔。東京へ行くたび、大井三ツ又の櫻井家具店へ遊びに行きました。観音寺へも森澄雄、博道、展宏できたことがある。博道は、六十歳で早逝。

野田 信章

「馬鹿なれど愚かではない棒アイス」は中句にかけての呟きが冷菓を噛む歯応えと共に身に入みて伝わる。やがて手に一本の棒だけが残る。この即物的な景を通して作者の生き様としての意力をも確かな残像として感得される。「蛇に祟られ猫はふぐりを失えり」は、へえーそういうこともあるのかという意外性の中にかなしさと可笑しみを宿す句柄であり、俳芸の芸の際立ちがある。「メール一通夕焼けの中の少女」は中句以下の少女像がまるで夕焼けの中に埋没してしまいそうである。外界との窓となっているのはメール一通のみとも読める。少女期の多感さ故に裡へ裡へと籠もる一態が美しく把握されている句である。「萍のはじめは雨のひとりごと」は落ち着いた句柄で、即物的な景の切り取り方が適確なために、次第に雨粒の拡大と共に想念の波紋もまたひろがってゆくものがある。

野﨑 憲子

特選句「萍のはじめは雨のひとりごと」一読、不思議な空間に引き込まれた。そして読む程に、心の中に、天上の雨音が、ぽつりぽつりと広がり、水面には、萍が少しずつ増殖をはじめてゆく。耳を澄ませば雨の呟きが萍の囁きが聞こえてくる。一行のなかの「萍」と「雨」が映像となり立ち上がってくる。見事なり。特選句「捕虫網兄と走ればほんとの青」蟬や蝶を求め、捕虫網を持ち野山を駆け巡った幼い頃、兄さんは、色んなことを教えてくれた、魚の集まってくる岩場や、美しい蝶の現れる茂み、草笛の吹き方、雲を千切って食べる方法・・・あの頃に戻って、もう一度兄さんと山河を歩き回りたい、作者の思いが、ひしひしと伝わってくる。「ほんとの青」ってそんな幼い時代の青。でも、「ほんとの青」は、今も、ここにあるっていうことも、作者は、きっと知っている。と、思った。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

去来するもののぬくさよ蓮ひらく
野﨑 憲子
石橋に人の消えゆく蓮の花
河田 清峰
蓮池にうしろすがたのをんなかな
島田 章平
茅の輪
時計いま茅の輪の円の方にある
男波 弘志
波音の大きな茅の輪くぐりけり
柴田 清子
青空に向ってくぐる茅の輪かな
漆原 義典
水着
中央線お茶の水駅の水着かな
柴田 清子
腹ぼてでとび込みどぼん水着の子
野澤 隆夫
四十年同じ水着の父でした
鈴木 幸江
夏目雅子水着のポーズ眩しくて
島田 章平
牛蛙
熱病のやうな結婚牛蛙
河田 清峰
唯我独尊讃岐屋島の牛蛙
田口  浩
空にでもなるように鳴く牛がえる
男波 弘志
たっぷりと雲を喰ひし牛蛙
野﨑 憲子
甘酒
弱虫のためにあります甘酒は
鈴木 幸江
土器(かわらけ)を投げて立ち寄る甘酒屋
島田 章平
真夜中の蝉の殺られた叫びかな
小宮 豊和
裏の蝉表の蝉を鳴かせけり
柴田 清子
窓あけて蝉の世界の樹になるか
田口  浩
愛犬の生まれて初めて蝉と会う
鈴木 幸江
毒消し
雨あがり毒消し売の来たりけり
野﨑 憲子
会話切れくるぶし出すか毒消しに
藤川 宏樹
君に告ぐ又逢う日まで毒消しを
鈴木 幸江
素直さは毒消しの効く水あたり
小宮 豊和
おーい妻その虹の橋おりて来い
島田 章平
虹を見て何色が好きと妻が問う
漆原 義典
虹の道あの人この子いなくなり
藤川 宏樹
風のとまる場所を探して夕虹
野﨑 憲子
振り返り気が付けば虹無国籍
鈴木 幸江
虹の根があるだろうか泣くだろうか
男波 弘志

句会メモ

安西篤さんのお葉書より/前回同様三段階評価をさせていただきます。「73回句会報より」☆レベル「とおすみとんぼ妊りて透く暮し」(若森京子)」「棄民集落いまも波音浜万年青(大西健司)」「五月雨や抽斗のなかのアフリカよ(銀次)」◎レベル「ゆらゆらと敗者集まり氷菓子(松本勇二)」「炎昼の奥へと一歩ずつ迷うよ(月野ぽぽな)」」「落し文青しよ八十路のわが肉(しし)も(野田信章)」「帰去来(かえりなん)ひたすら麦の禾わけて(矢野千代子)「島影や書くたびに文字白濁す(男波弘志)」「崩壊の危機こそ力月涼し(野﨑憲子)」○レベル「もう空を飛ばぬ箒と夏帽子(小西瞬夏)」「鉛筆を落とした指から春眠(河野志保)」「箱根八里青葉のアレグロアンダンテ(寺町志津子)」「誕生日ふくいくと新茶カステーラ(疋田恵美子)」「万緑に埋もれた家に遅き灯よ(中西裕子)」「蟻が蟻運ぶ正面石切場(亀山祐美子)」

句会は猛暑の中でしたが、句会場ほぼ満席の盛会でした。島田章平さんが山口に住む、ご友人が開発された「夏津海(なつみ)」という、夏に食べる蜜柑の魁となった珍しい蜜柑をたくさん持ってきてくださいました。まさに干天の甘露!参加者一同、美味しい蜜柑を堪能しました。今回も、とても楽しい句会でした。

「海程」七月号には、先の全国大会の折に、金子兜太主宰が読み上げられた『2018年9月(8・9月合併号)をもって、「海程」を「終刊」することとします。』の文章が掲載され、改めて、来年の「海程」の終焉を思い胸がいっぱいになりました。師も、私たちも、新たな出立の時を迎えることを強く感じています。この、「海程香川」の句会は、香川の地で、踏んばってまいります。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。猛暑の続くこの頃ですが、この暑さをわがものにするべく来月は句会の後、二時間ほどの納涼会を男波弘志さんの幹事で開催いたします。遠方からのご参加も歓迎です。皆様、奮ってご参加ください。

<袋回し句会>の作品集は、ブログ掲載を快諾してくださった方の作品のみ掲載しています。

2017年6月28日 (水)

第73回「海程」香川句会(2017.06.17)

菩提樹の花.jpg

事前投句参加者の一句

                         
唇溶けて脳も溶けたるミミズの心 KIYOAKI FILM
樹海より帰りましたとサングラス 島田 章平
陽炎や避難解除も戻れない 稲葉 千尋
愛知らず恋など未だに夏落葉 鈴木 幸江
麦秋や雲が西へと向かってる 山内  聡
蛍嗅ぐ夜のふくらむ時間です 田口  浩
そうめんの紅糸青糸三姉妹 重松 敬子
明け早し釣り師の孤影湖ゆらぐ 田中 怜子
麦秋や命輝く兜太句碑 寺町志津子
落し文新緑の愛に包まれし 漆原 義典
炎昼の奥へと一歩ずつ迷うよ 月野ぽぽな
芥子坊主こんな咄家居たような 小宮 豊和
人間(じんかん)の驕るなかれと蟻の列 藤田 乙女
あゆやなに纏わる黒猫の悪よ 疋田恵美子
最果ての地に敦盛と名乗る花 古澤 真翠
その先のことばは夏野そして空 小西 瞬夏
ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく 三枝みずほ
君といて遠浅どこまでも素足 若森 京子
棄民集落いまも波音浜万年青 大西 健司
ゆらゆらと敗者集まり氷菓子 松本 勇二
サラダに薔薇わがまま女の水曜日 伊藤  幸
鉛筆を落とした指から春眠 河野 志保
沈黙というくらがりへバラ一花 谷  孝江
いっせいに蛙明るき通夜となり 竹本   仰
下の名をよべる三日め紫陽花さく 夏谷 胡桃
落し文ひらく樹海の溶岩(らば)の上 河田 清峰
麒麟には麒麟の夏の空がある  柴田 清子
落書きの壁はゲルニカ不如帰 小山やす子
海程の終刊赤き夏の月 菅原 春み
普段着の宮司多羅葉青葉して 高橋 晴子
渡る世はここぞとばかり蛙の子 藤川 宏樹
鍵穴は古墳のかたち風薫る 増田 天志
口の切れ味薔薇の棘にも似て美なり 中野 佑海
暗やみに子等の叫びや螢狩 髙木 繁子
イヨッオッと鼓高らか薄暑来る 野澤 隆夫
父の日の父を探して歩く町 三好つや子
帰去来(かえりなん)ひたすら麦の禾わけて 矢野千代子
眩しさよきみもわれもポピー土手歩む 桂  凛火
牡牛座に腰掛けずっと人見てる 野口思づゑ
万緑に埋もれた家に遅き灯よ 中西 裕子
ちちの空蟬ははの空蟬水にのり 男波 弘志
五月雨や抽斗のなかのアフリカよ 銀   次
蟻が蟻運ぶ正面石切場 亀山祐美子
可惜夜(あたらよ)の初鮎こんがり富士の旅 野田 信章
崩壊の危機こそ力月涼し 野﨑  憲子

句会の窓

三枝みずほ

特選句「棄民集落いまも波音浜万年青」浜万年青、字面を見ると恒久平和のように感じられる。それと対比して棄民集落、ここに暮らす人々にも平和に安全に暮らす権利があるはずなのに、それを奪われ、あたかも今の生活がずっと続くように、波音だけが聞こえる。作者の怒りや悲しみが季語との対比に集約され、感銘を受けた。問題句「木下闇白い緑に逢いたいが(小宮豊和)」白い緑とは何だろうかと勝手に推測。きっとこれは強い光に当たっている葉のこと。木下闇の中に作者はいて、脈々と生きている光る緑を求めているといったイメージが出来てしまった。勝手に解釈したかったので、問題句にさせて頂きました。

月野ぽぽな

特選句「崩壊の危機こそ力月涼し」ピンチはチャンスの前向き精神に共感。眼光には迷いなくそこに映る月は清々しく美しい。

中野 佑海

今日も香川句会は盛況で盛り上がりましたね。お世話になり有難うございます。 特選句「下の名を呼べる三日め紫陽花咲く」ジューンブライドでしょうか?やっとご主人を下の名でさん付けて呼べる様になると言う。この事を俳句にされた貴女は新婚さん?そして、降る雨によって色の変わって行く「紫陽花」と取り合わせるとは手練れ過ぎると思います。うーん手練れの新婚さん。特選句「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」富士山吟行楽しかったです。鮎も美味しかった。可惜夜と言う言葉がぴったりです。もう一度楽しめました。有難うございました。富士山にこんがり憧れている佑海です。

藤川 宏樹

特選句「奥行き無くそこに足踏みミシンかな(大西健司)」昔、母が嫁入り道具のミシンで家族のものを縫っていました。足を踏むリズムと洋服の縫い上がりが同調して垂れいく様に見とれていました。一人で足踏み板に座って揺らしてみたものです。大輪の革ベルト、クランクの動き。居心地よい小さな空間の体験が蘇りました。上五「奥行き無く」がよく効いています。

矢野千代子

特選句「螢嗅ぐ夜のふくらむ時間です」蛍の光のみを愛でていた幼少の記憶…。掲句は詩的発見であり独自の感受でしょう。その調和に魅かれる。他に「ツガヒノキツマドリソウすべて富士(漆原義典)」「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」に注目。

増田 天志

特選句「落し文ひらく樹海の溶岩(らば)の上」貴方だけが生き残るとは、口惜しい。:富士樹海は、自殺の名所、心中も有るかも。落とし文には、死者からの怨念が書かれているかも。熔岩が、とても、リアルで、臨場感が、有る。

島田 章平

特選句「麦秋や命輝く兜太句碑」はじめて海程全国大会に参加させて頂きました。金子兜太先生の「海程終刊」という劇的な大会となりました。これまでの海程の歩み、そしてこれからの未来、万感迫るものがありました。吟行は金子兜太先生の句碑巡りでした。金子皆子先生のお墓もある総持寺には有名な「ぎらぎらの朝日子照らす自然かな」の句碑がありました。朝日に輝く命、まさに兜太先生の俳句の神髄です。豊かな秩父の野に広がる麦秋の中に句碑が輝いていました。

柴田 清子

135句から選ぶ十句の難しいこと。今回選んだ句は全て私の特選です。独自性の強く刺激あるものばかり。その中の「麦秋や雲が西へと向かってる」を特選。麦秋の頃のこの風景がたまらなく好きです。

山内 聡

特選句「万緑に埋もれた家に遅き灯よ」です。ただでさえ万緑に埋もれた家が夜になり万緑が黒ずんで家も所在がわからなくなります。あれこんな時間に家に灯がともった。灯がついた瞬間の黒ずんだ万緑を描いている、そしてそこに生活している人たちまで想像させてくれる。なにか一涼を得た心持ちになりました。

野澤 隆夫

特選句「卯の花や自転車押した通学路(河野志保)」中七「自転車押した」の「押した」にドラマを感じます。石坂洋次郎「若い人」のシーンです。そういえば、最近は石坂洋次郎も新潮文庫で再販してないですね。時に読みたくなりますが…。もう一つ。「サラダに薔薇わがまま女の水曜日」これもドラマです。「わがまま女」の「水曜日」が面白く、どうも「日曜日」ではダメのよう 。これもハヤカワ文庫にこんな「わがまま女」(でも普通の女かな?)が出て来るようです。問題句はなし。

若森 京子

特選句「芥子坊主こんな咄家居たような」芥子坊主が風にゆれていると咄家が喋っている様に見えた。この比喩の面白さに惹かれた。〝こんな咄家居たような〟の曖昧な措辞も一句を軽くはずませている。特選句「日光黄菅ちょい悪親爺にも朝日(小宮豊和)」ゆり科の黄金色の可愛らしい花の群れに朝日が差している風景がまず浮かび、そこにちょい悪親爺も仲間に入れて欲しい願望がユーモアたっぷりに書かれている。男の哀愁もちょっぴり。

小西 瞬夏

特選句「とおすみとんぼ妊りて透く暮し(若森京子)」とおすみとんぼがおなかに卵を抱えている様子、それが透けているという景を思わせ、いや身ごもっているのは作者か、とも思わせる。最後は「暮らし」という日常を置き、命を繋ぐたんたんとした営みが描かれている

男波 弘志

「とおすみとんぼ妊りて透く暮し」とおすみとんぼ、で切れ、人間が懐妊していると理解した。身籠り、透く、の連絡に女身の強さあり。「奥行き無くそこに足踏みミシンかな」単に狭い空間、だけではなく、過去への時間軸が寸断されている。「胸の辺の羽化するかたち烏蝶(三好つや子)」既に蛹から変態している蝶が、心音との交歓で更に変容している。「春の野に立てばあれこれみな情事」:「みな」の実体がうすい。「春の野に立てばあれもこれも情事」ぐらいでは。「その先のことばは夏野そして空」:「その先」が、全体の詩情の凄みに負けたかも。「そして」ではなく「そこに」、こそ。「まなかいの夏野はことばそこに空」「まなかいの夏野は一書そこに空」「ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく」詩情よろし、確かな表現力。「君といて遠浅どこまでも素足」個から汎へ解放したい。「人といて」そのほうが物語性も生まれる。「ゆらゆらと敗者集まり氷菓子」この敗者は、人生の敗者にして一切を超克している。その証が、ゆらゆら、と氷菓子の華やぎだろう。「落し文ひらく樹海の溶岩の上」樹海で焦点がばらける、「真昼の溶岩の上」ぐらいでは。「表札なく白レグホンの産みつづく(矢野千代子)」異様な風景、家畜の性をつくづく考えさせられる。「明石出て風に抗う穴子鮨(重松敬子)」俳諧の風格、珍重、滑稽さが何かに抗うさま、重ねて珍重。「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」神話の時代から人間は本当に進歩したいるだろうか。「蟻が蟻運ぶ正面石切場」石棺の中を歩く蟻、もう一切が済んでいる。宜しくお願い致します。今月も熱気があり楽しかったです。

漆原 義典

特選句「愛知らず恋など未だに夏落葉」は、愛、恋と夏落葉が妙に響きあい、感傷的な雰囲気が感じられる句で、特選とさせていただきました。私は1月以来5ヶ月ぶりに参加させていただきましたが、雰囲気が少し変わったように感じられ最初戸惑いました。句会のあと、小西瞬夏さんたちとお茶を飲みました。短い間でしたが楽しい時間を過ごせました。

大西 健司

特選句「君といて遠浅どこまでも素足」何となく二人の行く末を暗示するようで妙に気にかかる一句。ただ「君といて遠浅」短律の句として十分のような気もする。そんな勝手な読みをしながら、それなりに素足でどこまでも歩き続ける二人を認めている自分がいる。

夏谷 胡桃

特選句「そうめんの赤糸青糸三姉妹」。わたしの頭の中で高野文子の絵で三姉妹がそうめんを食べている図が浮かびました。短い言葉の中に色をイメージさせ懐かしさを喚起させてくれて、良い句だと思います。特選句「五月雨や抽斗のなかのアフリカよ」。これは個人的にわかる句でした。20代のときに半分仕事でアフリカに行きました。「アフリカの水を飲んだ者は帰ってくる」といわれながら、アフリカに帰れません。アフリカの記憶さえ遠ざかるなか、机の中のちいさな木彫りがアフリカへ行ったことの思い出なのです。全体的によその方の句を読んで、いろいろなことが思い出されるのが楽しかったです。

竹本 仰

特選句「その先のことばは夏野そして空」言葉というものを考えさせる句だなと思います。意味の面ではなく、その音楽性というか、霊性というか。たとえば、十三、四歳の頃の幼い恋に成り立っている言語観、ああいう世界の持つ、意味を離れた詩性というのか。あるいは、言語機能も運動機能も発達の遅れた子と十分交感しえているその一人の親友との間に成り立っている言語圏というか。言霊といったらいいか、意味の息抜きができて、うまく空無化されているあの世界を彷彿とさせます。この「空」は、ソラであり、クウでもあり、いいなと思います。特選句「ゆったりと椅子婚礼の髪ほどく」:「婚礼」という語彙が新鮮に感じられます。儀式というものの表と裏、準備があって、中味があって、その終わりが来て、そんな時間の流れと構造が立体化されているようです。それが、すべてにどの語もある重量を持ち、肉体化されていて、前の四七の句と対照的に、がっしり閉じた形の時間性、造形性を仕上げているように思いました。以上です。この間、香川句会ではないんですが、別の同人誌に鑑賞文を送ったところ、ある熊本の方からその選句について感謝のはがきをいただきました。あらためて、こういうコメントが、たまには人の役に立っているんだと、襟を正す思いになりました。徒然草で兼好法師は、祭りは終わった後こそ見るべきものがあると言っていたように思いますが、「句会の窓」など、本当に貴重なものだと思います。選句したものに限らず、この香川句会の流れなどもについてのふとした感想なども聞きたい気持ちもあります。清掃ではありませんが、はつらつとこの句会も皆さんで磨いていけたらと思うものであります。差し出がまし意見ですね、申し訳ありません。いつも、ありがとうございます。

銀   次

今月の誤読●「ビル街の朝焼け歓喜して奔る(河田清峰)」。あれは徹夜麻雀が終わった早朝やった。通りかかったんは「ビル街の」なんとも愛想のない無機質な道でな。わてら徹夜明けや。「朝焼け」がまぶしいてな。ほたら、あんた、若いオトコはんがビルから飛び出してきて、わてらのほうに走ってきますねん。その表情いうたら、どういうたらええんでっしゃろ、満面に笑みを浮かべて、まあいうたら「歓喜して」っちゅうやっちゃ。コラ、ぶつかるがな。わてそういいましたんや。ほたら、その若いオトコが、わてらを振り返って、企画書できたー! ちゅうて七、八枚の紙を空にかざすんですわ。知らんがな、そんなもん。ま、そういうて走って、というより全速力っちゅうか、漢字で書いたら「奔る」ですわな。飛ぶように奔っていったんですわ。なんや複雑な気分でしたわ。わてらヤクザもんは徹マンで疲れ切っとる。一方の若いオトコは徹夜で企画書書きあげて喜んどる。どっちが充実した夜を過ごしたんやろな。わてらは自販機から缶ビールを取り出してグイと飲んだ。だれかがボソッというた。あいつアホちゃうか。なかのひとりがこう混ぜっ返した。わてらもアホやけどな。わてがつづけて、生きとるもんはみんなアホじゃ。いうたらなんややたら可笑しゅうなってみんなで笑うたんですわ。

伊藤 幸

特選句「海程の終刊赤き夏の月」10日程前であったか大きく真っ赤な月が出た。  余りの感動に私もどうにかして句にしたいと思ったがインパクトが強すぎて出来なかった。故に海程の終刊を上語に持ってきてあるのには驚いた。納得!これなら赤い月にも匹敵する。よくぞ!という感じ。特選句「樹海より帰りましたとサングラス」オゾンいっぱい吸い込んでここは魔法の国か。夢と現実の間で酔いしれていたところ、いきなり俗世に連れ戻された。ああ、あれは何だったんだろう。サングラスを外し日常の眼になる。素晴らしかったでしょうね。行きたかったな~~。サングラスが夢と日常の境界線を表し効果をもたらしている。

稲葉 千尋

特選句「落書きの壁はゲルニカ不如帰」中七の「壁はゲルニカ」が強烈に私に迫りくる。ピカソの代表作を想う。特選句「鍵穴は古墳のかたち風薫る」まったく旨い。でも、どこかに有りそうな気もする。「帰去来ひたすら麦の禾わけて」は、おそらく大ベテランの句であろう旨すぎる。

重松 敬子

特選句「シュールな象の絵船は出て行きぬ(大西健司)」奇抜な象の絵と、背景に港の風景。特別なことを言っているのではないのだが、異国情緒豊かなこの感覚は、素晴らしい。: 今月も良い句に出会うことができました幸せに思います。宜しくお願いいたします。

野田 信章

「箱根八里青葉のアレグロアンダンテ(寺町志津子)」の句は私にとって、動きのある洒脱な浮世絵の現代版の趣がある。この線上において次句も味読している「シュールな象の絵船は出て行きぬ」の句になるとその舞台はさらに拡がりを見せて国外へと私を誘う句としての展開がある。揚げられた「シュールな象の絵」と共に。内から外へ。私も感性の窓を開きたい。

小山やす子

特選句「牡牛座に腰掛けずっと人見てる」少し不気味でそれでいて何処かユーモアを感じます。有り難うございました♪

鈴木 幸江

特選句評:「『構図はええよ』野太い声がばら園に(矢野千代子)」“ええよ”は、どこの方言だろう。厳しい助言も、優しくなる。ばら園で思わず構図を考えたくなる弟子の姿に、考え過ぎるな、まず、身体を動かしてみろと、伝えたいのだろう。考え過ぎる傾向のある私にも、口語体がよく働き、思いがよく伝わってきてありがたかった。特選句評:「父の日の父を探して歩く町」あっさりと書き、二通りの読みをごく自然に無理なくさせてくれるところがいい。ひとつは、認知症の父親を探しているという切ない姿。もう、ひとつは、現代社会の中で、変わりつつある新しい父親像を模索しているという困惑の想い。現代的テーマを扱あっておりながら俳味があり上手い。

中西 裕子

特選句「その先のことばは夏野そして空」は、明るくて広がりのある感じが好きです。問題句は「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」で上五「あたらよ」、のイメージと鮎がこんがりってなんかミスマッチで面白いと思いました。

三好つや子

特選句「ゆらゆらと敗者集まり氷菓子」格差社会の中で「勝ち組」と「負け組」のことばをよく耳にしますが、「勝ち組」とは、もともと太平洋戦争終結後、ハワイやブラジルなどの日系人社会で「日本が勝った」と狂信的に信じた人々を指すことばだったとか。そんな時代に思いを馳せ、鑑賞しました。特選句「もう空を飛ばぬ箒と夏帽子(小西瞬夏)」未来を信じ、いつも何かにときめいていた頃が懐かしいです。入選句「一木にやたらつく蝉出生地(男波弘志)」蝉の鳴き声にも、樹によって方言があるのでは・・・と想像。とても惹かれました。

菅原 春み

特選句「蛍嗅ぐ夜のふくらむ時間です」ふくらむ時間がおもしろい。季語も嗅ぐまでいうところも。特選句「蟻が蟻運ぶ正面石切り場」よく見ています。蟻が蟻に感銘。

松本 勇二

特選句「夏の空いつも腹ぺこ三兄弟(増田天志)」小生も男3人兄弟で育ちました。その少年時代そのもので懐かしく拝読。問題句「ちちの空蟬ははの空蟬水にのり」瑞々しい感覚で書かれていて共感しました。しかしながら父と母をひらがなにする意図が今一つ見えてきませんでした。

寺町志津子

特選句「海程の終刊赤き夏の月」選句表を開くと、一目、パッと飛び込んできて、最後まで目の離せない句であった。過日の熊谷大会での兜太師の決意をお聞きした時の衝撃の大きさは筆舌に尽くし難い。俳句誌上、類稀な長きに亘っての歴史ある『海程』。句歴の浅い私にとっても、『海程』所属は大きな誇りである。これは、勿論、『海程』所属の方々どなたも同じ思いでおられるのは自明のことに違いない。それが無くなる。一瞬思考が停止した。それが納得できたのは、兜太先生の「『海程』を「終刊」する」お話の最後にされた「美意識」と言う言葉であった。『「金子兜太が主宰した俳誌が海程」と言うことに、強い拘りがあります』とお聞きした時、何かすっと胸に落ちてくるものがあった。大変烏滸がましいことではあるが、兜太先生に徹底して美意識を全うして頂きたい思いに駆られた。複雑にうごめく胸の内に、心に、掲句の「海程の終刊」と「赤き夏の月」の取り合わせが、理屈無く、すっと入ってきて頂いた。

田口  浩

男波さんの撒き餌に上げられた。「海程」の集まりが、サンポートであることを知った。老いの好奇心が騒いだ。そして、野﨑憲子さんにたどりついた。特選「雨音や一瞬の死が通りすぎ」上五の切れが、〝通り過ぎ〟へ巧みに転回する妙に感じいる。天候自然の運行を前に、人の生死など、何ほどの事があろう。問題句「麒麟には麒麟の夏の空がある」キリンを漢字にする必要が、あるのだろうか?リフレーンの効果は?キリンと夏空だけで詠んでほしい。三メートルを越すキリンの孤高と夏空の対比が面白くての、非礼。

古澤 真翠

特選句「翠蔭の底の深みにひとりかな」森林浴を愉しむ作者の 静謐な感覚が伝わってくるようです。「ひとりかな」に「凛」とした姿勢が感じられて清々しい風が運ばれてきました。

疋田恵美子

特選2句。「今が一番楽しいんですほうたる(野﨑憲子)」今が一番「私達の年代になりますと責任ある諸用を終、自分の為のみの時間嬉しさ」を思います。「君といて遠浅どこまでも素足」君といて「熟年のご夫婦、平凡でいい、共に健康で幸をかみしめている」羨ましいような。

河野 志保

特選句「万緑に埋もれた家に遅き灯よ」緑濃き季節のたそがれ時の空気が伝わった。語られているのは人の暮らしと自然の近さ。どこか懐かしい、ある日の平穏といった感じも。しっとりとした魅力の句だと思う。

小宮 豊和

特選句「鉛筆を落とした指から春眠」居眠りして鉛筆をとり落とした。これを逆に言った。表現も発想も粋でお洒落。問題句「落し文新緑の愛に包まれし」:「の愛」がやや唐突に感じられる。削除しても句になっている。ここに良いフレーズを。問題句「五月雨や抽斗のなかのアフリカよ」良い句だと思うが少々語呂が気になる。語順を変えただけでも語呂は多少良くなる。(抽斗のなかのアフリカ五月雨るる)もっと良い表現は必ずあると思う。問題句「独身の物理学者や草かげらふ(菅原春み)」着想すばらしい。「草かげらふ」が気になる。物理学者が弱々しくかわいそう。夏の月などに変えても印象が変る。

桂  凛火

特選句「棄民集落いまも波音浜万年青」棄民集落という強いことばに負けない強さが浜万年青に感じられました、やるせなさがひたと伝わる凝縮力のある句だと思います。問題句「可惜夜の初鮎こんがり富士の旅」可惜夜は素敵なことばですね。俳句に使われることに斬新な感じがしました。ただ、明けるのが惜しいようなというロマンと初鮎こんがりという食べものとの取り合わせと「旅」で締めく くるところの結びの緩さに少し違和感が残りました。

田中 怜子

特選句「ほうたるの夜や母がゐて父がゐて(小西瞬夏)」懐かしい日本の田舎の原風景。特選句「父の日の父を捜して歩く町」この人はどんな生い立ちだったのか、どんな人なのか、思いを馳せました。

藤田 乙女

特選句「その先のことばは夏野そして空」眼前の風景も自分の心の空間もどんどん広がっていくような爽やかな気持ちになりました。特選句「君といて遠浅どこまでも素足」 青春の明るさと目映さ、そして過ぎし日への懐かしさを感じ、清々しい気分になりました。

高橋 晴子

特選句「百年の梅の実なりて退職日(中西裕子)」百年の古木の梅もびっしり実をつけて私の退職を共に祝ってくれているようだ。長年の勤めを無事に終えた感慨の一句。問題句「陽炎や避難解除も戻れない」思いはよくわかる。自己責任だなどど無責任なことを言って止めざるを得なくなった大臣もいたが〝も〟だけでは表現不足。字余りになっても、そこの処をもう少し何とかしたいもの。

河田 清峰

特選句「落し文青しよ八十路のわが肉も(野田信章)」くぬぎの葉を筒に巻きその中に卵を産む落し文へ青しと呼びかけ、われは八十にして文を書く若さがあると言う!その若さに感服しました!そうありたいものです!

亀山祐美子

特選句「普段着の宮司多羅葉青葉して」辞書に「多羅葉。古代インドで文書や手紙を書くのに用いた多羅樹の葉。干して切り整え、竹筆や鉄筆で文字を彫りつけたり、写経に用いた」とある。多羅葉と宮司と云う古くからの文化を今に伝える存在の特別感とその神職も普段着(背広やシャツ)を着るのだという今時の宮司の日常の変化に軽い驚きを覚えた。平明な内容ながら伝えるものは深い。特選句「青葉木菟毎日来ます豆腐屋も(谷孝江)」森の哲学者たる梟の仲間の「青葉木菟」は夜鳴く。「豆腐屋」の朝は早い。出来立ての商品を持って豆腐屋がやって来る時間に青葉木菟も鳴く。毎日判を押したように一日が始まる。何と羨ましい環境なのだろう。旨い豆腐が食べたい。問題句。「春の野に立てばあれこれみな情事」既に春の野にいるから「立てば」は不要。「あれこれみな情事」は春だから当たり前でしょう。「春の野」の季語の説明をしてはいけない。「今が一番楽しいんですほうたる」俳句は今この瞬間を詠むものだから「今」は不要。「一番楽しいんです」は作者の感想、主観。「楽しいこと、愉しさ」を物に託し語らせましょう。「薫風やトイレ掃除は素手でする(稲葉千尋)」「トイレ掃除は素手でする」は「掃除道・運気の上げ方」等のハウツー物の一文にありそう。当たり前過ぎて、あなたトイレ掃除は生まれて初めてか?と逆に羨ましい。俳句と散文の違いは十七文字に時空の拡がりがあるかないかだと思う。自分の言葉で語ることだと思う。久々の句会、盛況で何よりです。またお邪魔致します。

野﨑 憲子

特選句&問題句「唇溶けて脳も溶けたるミミズの心」私にとって難解な句である。だから余計に惹かれる。〝心〟に集約してゆくミミズの思い。そこに詩が生れる。大いなるいのちの中に生かされている。ミミズも、螢も、私も。作者の、いのちの詩にこれからも耳を澄ませていきたい。特選句「海程の終刊赤き夏の月」五月の「海程」全国大会の総会に於いて『2018年9月をもって、「海程」を「終刊」することとします。』の文章を読み上げる、金子兜太主宰の声は明るかった。この一瞬も「過程」であると、私は、そう感じた。主宰は、まだまだ進化されるのだと思った。終刊後も、「海程香川句会」は、存続できることになった。これからが本番であると強く感じる。俳句に、こうでなければならないという創り方は無い。師は常に「自由に、お創りを!」と話される。揚句の「赤き月」は、その時の、海程人の心情を見事に描いている。しかし、私にとって師は今も、真っ赤に燃える太陽そのものである。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

泳ぎ来る青大将をポチと待つ
野澤 隆夫
ゆらゆらと立っている人蛇の衣
男波 弘志
顔を寄せた土偶が笑う蛇が笑う
田口  浩
まざまざと人間の眼大蛇の眼
三枝みずほ
朝焼
富士山を摘まんで撫でて朝焼す
野﨑 憲子
朝焼の蛇の視線のあをさかな
亀山祐美子
夏朝焼のやうな野際陽子
柴田 清子
子が母の手を引くやうに朝焼ける
三枝みずほ
梔子
本当のことまだ言えず梔子の実
三枝みずほ
梔子の花に疲れる男女かな
田口  浩
梔子のどこまでも過去いつまでも
鈴木 幸江
花林糖
花林糖ふつふつ思いを練り上げし
中野 佑海
毎日毎日花林糖みたいなことを言う
鈴木 幸江
くちなしや前歯なき子の花林糖
藤川 宏樹
花林糖山盛り失恋の麦酒
亀山祐美子
花林糖ガリッ六月の旋風
野﨑 憲子
梅雨晴れや麻布十番花林糖
野澤 隆夫
夏野
昇る日の夏野の呼吸(いき)の青に酔う
小宮 豊和
本番に力出す奴夏野かな
藤川 宏樹
夏野の扉カチャッとウクライナの風
野﨑 憲子
矢印を夏野に向けよ阿弥陀堂
田口  浩
青春は遠し夏野をさまよえば
小宮 豊和
ひとひらの花を攫いし荒き波
銀   次
石ころはどこにでもあり卯波かな
山内  聡
前衛書弾けし墨の香夏の波
漆原 義典
スープにも漣立ちぬ薄暑かな
男波 弘志
漣や夜の底から来る期待
中野 佑海
六月の漣ジュゴンじゃないよ人魚だよ
野﨑 憲子
漣の光となりし残り鴨
山内  聡
夜具の舟畳さざなみ夜は遠永(とは)
銀   次
漣と名簿の上に生きる人
藤川 宏樹
青鷺
青鷺や美しいのか悲しいのか
藤川 宏樹
青鷺や田植し農夫の背中舞ふ
漆原 義典
青鷺や静から動へ誇張せし
山内  聡
ここぞと思う一歩譲らぬ青き鷺
中野 佑海
青鷺の夢見し結婚白鷺と
鈴木 幸江

句会メモ

安西篤さんのお葉書より/72回句会報より私なりの三段階評価をしてみましたのでご参考までに。☆レベル「生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま(若森京子)「老師来て貂の冬毛のごとき冴え(松本勇二)「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部(あべ)完(か)市(ん)(矢野千代子)」◎レベル「戦争のはなしソーダ水は水に(月野ぽぽな)」「座棺ありそこにほとほと麦こぼる(大西健司)」「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩(稲葉千尋)」「あんぱんを春の形に焼く神戸(重松敬子)」「ぶらんこや膨らんでゆく影法師(野﨑憲子)」○レベル「子を二人連れ芹摘みに行ったまま(伊藤幸)」「甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり(野田信章)」「ただそばに居るが大切ヒヤシンス(小宮豊和)「揚げ雲雀ポケットに亡母(はは)の診察券(寺町志津子)「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり(銀次)」銀次さんのエッセイなかなか達者。

今月の高松での「海程」香川句会は、15名の参加。初参加の、田口 浩さんも、男波弘志さんと同じ、かつての岡井省二門の俊英。作品も句評も、とても興味深かったです。小西瞬夏さんも着物姿で句会にご参加、多様性こそ俳諧の華を実感しました。

五月の「海程」全国大会では、金子兜太主宰から、来年の「海程」八・九月号で海程誌を終刊するとの発表がありました。白寿を迎えられる主宰は、以後、俳句専心なさるとのことです。師の俳句への底知れぬ恋情を目の当たりにしたようで、深く感動いたしました。幸い「海程香川句会」での活動は終刊以後もお認めいただけたので、香川の地から、世界へ向けて世界最短定型詩である俳句のいのち漲る世界を発信していきたいと念じています。混沌の渦巻く自由なる俳句世界。それが、「海程」の真髄であると信じています。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。次回のご参加を楽しみに致しております。

句会報の<句会の窓>のコメントの中、三枝みずほさんの文章を、うっかり記載するのを忘れていました。次回の「通信欄」に銘記させていただきます。みずほさん、ごめんなさい。冒頭の写真は、八栗寺の菩提樹の花。島田章平さんの撮影です。

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