2017年4月26日 (水)

第72回「海程」香川句会(2017.04.15)

DCIM0801.jpg

事前投句参加者の一句

       
海征きて陸(おか)はサクラと石の人 藤川 宏樹
春の水ちちははの透くところまで 小西 瞬夏
山里にしゃぼん玉する老女かな 髙木 繁子
大橋の向こうに沈む日永かな 山内  聡
生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま 若森 京子
夕桜かなしみしまう鍵なくす 桂  凛火
白馬酔木カタカナ文字の反戦詩 稲葉 千尋
山焼くや強風よりも大き声 菅原 春み
水仙の花の孤高と言へばさう 谷  孝江
ただそばに居るが大切ヒヤシンス 小宮 豊和
大仏の心臓きゅっと花もくれん 増田 天志
清明や海の朗らよ山に鳥 高橋 晴子
目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん) 矢野千代子
花吹雪どの街角も美しき 中西 裕子
戦争のはなしソーダ水は水に 月野ぽぽな
唇の渇ききったる受難節 KIYOAKI FILM
迷路より海へ抜けだす放哉忌 島田 章平
日傘いまも姉はまわせり字弟国(おうぐに) 大西 健司
幕あひの草餅旨し金丸座 野澤 隆夫
老師来て貂の冬毛のごとき冴え 松本 勇二
花筏森の息吹きも載せており 漆原 義典
子を二人連れ芹摘みに行ったまま 伊藤  幸
菫咲く淡谷のり子の唇よ 夏谷 胡桃
甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり 野田 信章
白木蓮こかれるゆめの敢(あ)へなかり 疋田恵美子
揚げ雲雀ポケットに亡母(はは)の診察券 寺町志津子
春雨や花びら塗れの大鳥居 古澤 真翠
タンポポの仲間に入れてもらう昼 柴田 清子
蛇泳ぐ真最中の水となり 男波 弘志
春満月今日の私を食べてって 中野 佑海
スキップするお尻が飛ぶよ花薺 三枝みずほ
引越して遍路に道を尋ねらる 鈴木 幸江
昼月に見入る蟋蟀理知的だ 野口思づゑ
墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい? 竹本  仰
逃げ水のあれはナースの帽子かな 三好つや子
菜の花やパレットに置く海の青 藤田 乙女
あんぱんを春の形に焼く神戸 重松 敬子
白梅に耳透く目覚め白湯うまし 小山やす子
春爛漫かたや空爆町破壊 田中 怜子
はなちるや甘き腐敗の臭ひせり 銀   次
旅馴れた人波の中花万朶 亀山祐美子
鵜の鳶の水のゆるゆる睦む春 河田 清峰
ぶらんこや膨らんでゆく影法師 野﨑 憲子

句会の窓

中野 佑海

『桜吹雪湧きし句会の熱き友』:特選句「生も死も花に遊びし生傷のまま」幼い頃って、なぜか手に足にお尻に生傷が絶えなかったですよね!?それだけ真っ向から真剣に色々なことに向かって行って、敢えなく粉砕してた気がします。そのくらい、死ぬまでこの人生勝負し、やりたいことを諦めないでってメッセージ。有り難くお受け致しました。 特選句「妹にもどるスイッチ桜餅(三好つや子)」桜餅の甘くて可愛くて初々しいあの桜の葉の匂い。妹という語感にぴったりフィットです。世の女性諸君、桜餅を食べて、妹背の契りを致しましょう!うーむ、この口が何時も言わずもがなを述べてしまうのです。

島田 章平

特選句「春の水ちちははの透くところまで」ちちははの透くところまで・・というゆったりした間合いの中に作者の父母に対する深い愛情がこんこんと湧いてくる。気になる句。問題句「春爛漫かたや空爆町破壊」シリア、アフガニスタンの悲惨な空爆のニュースが胸を痛める。北朝鮮の厳しい地勢状況を思うと日本も他人事ではない。掲句の「春爛漫かたや空爆」と言う表現に空々しさを感じる。詩は作者の心を表す。常に対象の心に寄り添いたい。

山内  聡

特選句「菜の花やパレットに置く海の青」この句が今回抜群に良かったです。「菜の花や」、ときて、「パレットに」、絵を描いているんだな、「置く」、黄色の絵の具ですか?、「海の」、エッ、「青」!何か手品を見せられて最後に種明かしを瞬時にさせられたような驚き。そして何と言っても美しい詩であり脳に鮮烈に浮かび上がらせる情景、客観写生。これは僕の中で名句にさせていただきます。いったい誰ですか?それと、問題句と言うわけではないのですが、とても気になる一句があります。「春爛漫かたや空爆町破壊」この句をいただいたのですが、この句に足りないものは詩情。こういう句はたぶん実感ではないしテレビなどで得た情報から作られた詩であるがために俳句に必要な実感が足りない。そしたら、反戦句はどうやって詠めばよいのだろうか?僕も反戦の句を詠んだことはありますが、自分で詠んでいて自分の句でないような気がするのです。そしてなぜか反戦の句はなかなか俳句になりにくい気がします。喉の切っ先に突きつけるように詠みあげるのか、オブラートで包んだように詠みあげるのか。もっと想像を膨らませて実感に近づけるのか、いや近づけない…。

小西 瞬夏

特選句「戦争のはなしソーダー水は水に」戦争のはなしを聞きながら、ソーダ水の泡がゆっくり抜けて水になっているのかもしれない。そんなリアリティを下敷きに「戦争とはいったいなんなのか」「ソーダの泡のように、なにも解決せずに消えてゆくようなものなのではないか」というような「無意味さ」が表現されている。

男波 弘志

「海往きて陸はサクラと石の人」サクラ、もフクシマ、も石のように硬直している。現代の風景。「人体は寺院よ初夏の風に立つ(月野ぽぽな)」:「立つ」、を生かし切るならば、「寺院」を「伽藍」にするべきかと。「父の春街にキリスト教の唄(KIYOAKI FILM)」長崎の風景であろうか、隠れキリシタンのことが浮かんだ。「黒椿四肢の水光の女流たち(野田信章)」特選、四肢のリアリズム、四つん這いの狂気を感じる。赤黒い色。「指先を濡らして透明リラの街(三枝みずほ)」:「指先の濡れて透明」只事に徹したほうが句意に合っているかと。「日傘いまも姉はまわせり字弟国」下5の地名が異界に拡がっている。「鳥帰りますコンパスの軸脚へ(増田天志)」製図の正確さが帰巣本能に暗示されている。「へ」を取って手元から虚空へ開放したい。「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」終い切れないでいた、母の遺品。それをはおって雲雀野へ。「髪洗う身の内の海昏れるたび(月野ぽぽな)」実景の「海」、身の内の「海」、時間軸が2つながら存在している。詩の世界は時空をも変容させる。「白梅に耳透く目覚め白湯うまし」詩情は秀逸です。フォーカスを「耳透く」に絞りたい。「白湯そこに」でどうですか。「はなちるや甘き腐敗の匂ひせり」好きな句です。「匂い」を言わない方が嗅覚が働く。「甘き腐敗の向うより」では。

野澤 隆夫

昨日はお世話になりました。十四日(金)には夏井いつき句会ライブに参加。そして昨日は「海程」香川の句会。いつきさんの句会は千人以上の参加で各自一句の投稿。テーマは〝「なん?」〟。作句時間五分。袋回しで慣れてるようで、でも作れないものです。小生の駄句…〝我が体重53キロ花の冷〟。最終は参加者の拍手の音で決めるというやり方。一位は〝草の笛吹く子吹けぬ子見ている子〟でした。

特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市を知らず、男波さんに句と人となりを紹介され、これこれと特選句に。翡翠に目をあわせるドキドキ感。翡翠に〝あべかん〟さんを見た驚きがいいです。特選句「迷路より海へ抜けだす放哉忌」昭和三十九年、放哉の南郷庵近くに下宿してました。俳句も放哉も知らない二十代、迷路のようなどこから出てくるかわからない路地をよく散策しました。問題句「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」:「そして誰もいなくなった」。クリスティの世界です。

若森 京子

特選句「春の水ちちははの透くところまで」あくまで懐かしい甘ずっぱい感傷的な春の水の流れを思う。永遠に探し求める流れである。特選句「日傘いまも姉はまわせり字弟(おう)国(ぐに)」字弟国の意味がはっきり分からないがきっと弟の国。自分の気持を入れると弟の黄泉の国の様に思え、弟を愛し続ける姉の気持が美しく哀しく書かれていて好きだった。

増田 天志

特選句「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩」サリン、化学兵器の使用に対する反応の素早さが良い。

藤川 宏樹

特選句「菫咲く淡谷のり子の唇よ」放映中の昼ドラで見かけた浅丘ルリ子。白髪頭の私が子供の頃見ていた淡谷のり子に印象を重ね、思い巡らしていたときこの句に会った。印象的な分厚い紅唇。「淡谷のり子の唇」を「浅丘ルリ子の唇」に見立てて鑑賞した。若き日の可憐な姿も声も「菫咲く」様・・・。しかし「菫咲く浅丘ルリ子の唇よ」では字余り。「菫咲く淡谷のり子の唇よ」が、ドンピシャ嵌まります。さて作者の作句意図は、・・・如何?→作者の夏谷胡桃さんに自句自解をお願いしました。→句会で、作者の意図は?と話題になったそうです。あまり意図はないです。今、昭和史を勉強しています。二・二六事件や天皇機関説。歴史でキーワードとして習っていただけで、自分が何も知らないとわかって本を読み直しています。そんな本を読んでいた時に、ラジオから淡谷のり子の歌が流れてきました。懐かしい。私は歌というより、小さい頃にテレビで観た毒舌の淡谷のり子を思い出しました。淡谷のり子を調べてみると、昭和史をそのまま背負ったような人でした。彼女が生きていて今の時代を見たら、あの唇でなんといったでしょうか。「菫咲く」は「薔薇が咲く」とはじめ考えました。派手な彼女にあっているような。でも、調べているうちに、大胆な表向きの中に繊細な心があると考えて「菫咲く」にしました。

夏谷 胡桃

特選句「夕桜かなしみしまう鍵なくす」。はじめ読んだとき、鍵という言葉は使い古されてきたように感じ、通り過ぎました。しかし、「かなしみしまう鍵」をなくしている人が多いのでは、と思い至り、特選としました。かなしみしまう鍵は、私には俳句でしょうか。俳句にかなしみ閉じ込めて、どうにか生きていきます。特選句「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」。お母様を亡くしたばかりなのでしょうか。最近まで通院に付き添っていたのでしょう。何気ないお母様が生きていた証です。問題句「あんパンを春の形に焼く神戸」。春の形とは? わからない。見てみたい。神戸ではよくあるもの? 

野田 信章

自分が、不調の時は他者の句も読みたくないし、見ても不満足なことが多々ある。これはやはり自己中心的で、次第に視野を狭ばめてゆくことだと反省しきりである。よき作り手になるには先ずよき読み手になることかなと思い定めている、愚者の言でもある。そこで勇気を出して今回の一二九句を拝読。不作、苦吟を嘆くよりも、これを見よと明示してくれる句が常に存在するものだと思いつゝ選句をしたのがこれらの十句です。鼓舞してくれる十句です。→野田信章選;十句 「白馬酔木カタカナ文字の反戦詩」「大仏の心臓きゅっと花もくれん」「山笑うあの人この頃口籠る(鈴木幸江)」「老子来て貂の冬毛のごとき冴え」「昼月に見入る蟋蟀理知的だ」「オオイヌノフグリしあわせ踏んで戦って(夏谷胡桃)」「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」「かたかごや寒くないです若いから(小宮豊和)」「白たんぽぽ邪鬼のなみだの涸れきって(矢野千代子)」「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」

月野ぽぽな

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」:「貂の冬毛のごとき冴え」というこだわりの描写が眼目。その老師は野性味がありしかもしなやかで細やかな感覚を持った方なのでしょう。

稲葉 千尋

特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市が今も目の前に居る感じ、翡翠が生きている。特選句「若草や同じ匂いの赤子かな(中西裕子)」まさに赤子の匂い。実感を一句にした。

伊藤  幸

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」兜太師のことと察せられる。兜太大師を、あの見事な毛並みの貂と喩え、最後に冴えと的確に表現した賛辞、匠の技またも見せて頂きました。特選句「白木蓮こかれるゆめの敢へなかり」和歌でも読んでいるような気分。切なく美しい。俳句にしては珍しいがこれも又ありかな?とも思う。

竹本  仰

特選句「日傘いまも姉はまわせり字弟国」亡き姉を回想する句か、「字弟国」がその姉の仕草と相まって、よくくるくると回っている。特選句「甲冑の眼窩初蝶過ぎりけり」対比が効いています。「初蝶」がその眼窩にありし夢幻を想像させ、あらゆるコントラストがよく響く句かと。特選句「目を閉じて五万哩の桜狩り(銀次)」、これも想像を掻き立てる作りです。「五万哩」、かつて呼んだヴェルヌの「海底二万哩」を思い、もっと深いかとため息が出ます。

三枝みずほ

特選句「戦争のはなしソーダ水は水に」8月になると祖父から必ず聞く戦争体験の話。毎年聞くので、長くてつまらなく感じた時もあったが、内容は鮮明に覚えている。時間の経過をソーダ水と水で表現した点に共感した。炭酸が戦時中の喧騒であれば、水は敗戦とも。こんな水はつらい。特選句「あんぱんを春の形に焼く神戸」一読して、爽やかで大好きな句!あんぱんという素朴なものを、春の形に焼くとはどんな形だろうかと、想像が膨らむ。

松本 勇二

特選句「大仏の心臓きゅっと花もくれん」大仏が生あるごとく書かれていて秀逸です。きゅっとに感覚の冴えがあります。特選句「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市(あべかん)」阿部完市先生のとても静かで鋭い眼光を思い出しました。鳥は時折、彼岸からの使者になることを作者はよくご存じのようです。問題句「スランプに鈍い日ざしのよなぐもり(小宮豊和)」スランプの時の日射しが鈍いと感じる感性は素晴らしいと思います。しかしながら、座五のよなぐもりが鈍い日差しに対する回答になるおそれがあるので、ここはもっと遠い季語がよいのでは。たとえば四月来るや春の朝ではどうでしょうか。

「海程」香川句会へ参加させていただきます。隣の県である香川で野﨑憲子さんが頑張っているのは承知いたしておりましたが、今日まで何も出来ずに日々を過ごして参りました。香川句会の皆さんの厳しい選を受け、勉強して参りたいと思いますのでどうかよろしくお願い申し上げます。

疋田恵美子

特選句「水仙の花の孤高と言へばさう」伊吹島での爛漫の水仙と久保カズ子さんのお姿を思わせるお句。特選句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」夫婦も相手が欠げると事あうことに、居ない寂しさを痛切に感じるものです。

古澤 真翠

特選句「 かたかごや寒くないです若いから」:「かたかご」とは「カタクリの花」のこと。私の大好きな花ですが、絶滅危惧種なのです。桜咲く頃に ひっそりと咲く群生地を幾度も訪ねた日々を想い出しました。問題句「 花ミモザ鮮烈デビュー蟾蜍」:「蟾蜍」を「蟇」としなかった作者の意図は?と 検索に検索を重ねました。「夏の季語」「羿」「仙女」次から次へと無知を実感させられながら 疑問は膨らむばかりです。「鮮烈デビュー」に隠された意図が潜んでいるのでしょうか?私の中の「大問題」となり、夜も眠れませぬ。→「花ミモザ」の作者稲葉千尋さんより「そんなに難しく考えなくてもと思っています。花ミモザを見たときの鮮烈さ、そして久しぶりに会えた蟇との取り合わせと思っていただければとおもいます。花ミモザは登山から降りた村の大きさに感動しました。蟾蜍は、〝ひきがえる〟と読んで頂ければとおもいます。」

亀山祐美子

特選句「タンポポの仲間に入れてもらう昼」楽しくて明るくて好きです。特選句「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」ぶらんこを漕いで空に近づくほどに地面に残る影法師は膨らんでゆく…。ぶらんこと影法師しか言っていない。それだけに読み手の想像力を掻き立てる。個人的には「ぶらんこ」より「ふらここ」の方がより春愁を感じる。

大西 健司

特選句「逃げ水のあれはナースの帽子かな」この句が妙に気に掛かってなりません。どこがいいのか説明が出来ませんが、この感覚に共鳴しています。「指先を濡らして透明リラの街」「髪洗う身の内の海昏れるたび」の叙情もとても好きな世界です。

鈴木 幸江

特選句「春満月今日の私を食べてって」今日は、何か失敗でもしてしまったのだろうか。でも、“食べてって”の措辞より、めげていない前向きな姿勢が伺われ、とてもいい感じだ。春の満月にそんなことをお願いしている人を見たこともなかった。特選句「今日の駄々昨日の駄々よ鳥曇(桂 凛火)」“駄々〟から拗ねているような心持ちが伝わってくる。今日も昨日もそんな気持ちに襲われた作者。曇り空の中、大自然に導かれ帰る鳥たちに、無意識に救いを求めているような詠い振りがいい。問題句「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」ずばり、この“?”は、必要だろうかと思った。もちろん句の内容にも惹かれ、土筆の似合うお婆ちゃんの素敵な人柄が好きだ。日本語の終止形は、口語では、語尾を上げれば疑問文になる。だから、“?”はなくてもリズム尊重してこの句を読めば疑問文になる。例え断定文と解釈してもその内容は面白い。

三好つや子

特選句「大仏の心臓きゅつと花もくれん」満開の白木蓮に廬舎那仏の大きな心を感じた作者。そんなスピリチュアルなまなざしに胸がキュンとしました。特選句「西海五月犬猫魚の貌賢こ(野田信章)」五月の九州の海や瀬戸内海の聡明なブルーと、ひたむきに生きる犬や猫や魚たちの顔が目に浮かびます。「目が合えば翔つ翡翠よきっと阿部完市」俳句をはじめた頃、阿部完市氏の作品と出会い、とりわけ「ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん」に衝撃を受けました。阿部氏がどんな人だったのか・・・想像をかきたててくれる句です。

KIYOAKI FILM

特選句「スキップするお尻が飛ぶよ花薺」俳句に「お尻」という体の部分を表現した場合、成功するのがむつかしいが、この句はよく出来ている。スキップする…おそらく女子の、健康な体が想像され、「飛ぶよ」となると、「お尻」だけが飛ぶのか…。問題句「耳うらに少女永久なり冬いちご(竹本 仰)」問題句に挙げているが、毎回、問題句とは思ってなかった。この一句、「少女」からエロチックを感じ、読者の僕はどきっとしてしまいました。

谷  孝江

それぞれ個性豊かな句ばかり。選句のむつかしさをいつも感じています。短歌は調べ、俳句は切れ、と聞かされたことがあります。まだしばらくは「切れ」に悩まされそうです。

小山やす子

特選句「逃げ水のあれはナースの帽子かな」看護を受けたことの有る者にしか分からない何か微妙な心理が隠れているようで不思議な感性の持ち主と感じ入りました。

寺町志津子

特選句「戦争のはなしソーダ水は水に」きな臭い世になりつつある。その不安は日増しに強くなっていく。掲句を勝手に想像すると、シーンは気の合った老友との話。互いに世相を嘆きつつ、話は戦争に及んだ。先の大戦の話、戦後の話、そしてシリアのこと、テロのこと、原爆や化学兵器のこと等々。話は反戦への、平和への強い思いを込めて、ソーダ水が水になるほどに延々と尽きない。「ソーダ水は水に」の措辞自体は、決して新鮮とは言えないが、話のテーマが「戦争」となれば別である。反戦の、平和への願いを込めての戦争の話が、これからも、ヒソヒソではなく、安心して、「ソーダ水が水に」なるほど延々と話すことができるだろうか。安心して話すことができることを祈り、頂いた。

 
河田 清峰

四月も楽しい句ありがとう!特選句「あんぱんを春の形に焼く神戸」どちらも私の好きなものであるが普通似合わないあんぱんと神戸を春の形が繋げている!どんな形に焼き上がるか楽しみである!食べたくなってくる~koubeで…

重松 敬子

先日のお問い合わせについて「あんぱんを春の形に焼く神戸」この句は、私が今凝っている、パンつくりから、ヒントを得たものです。丸くした生地のてっぺんに、十文字の切り目を入れます。焼き上がると、そこが開き、中に入れてあるうぐいす餡が、のぞきます。低温でゆっくり焼き上げるため焦げ色が付かず、白い開きかけの花の蕾のような形に出来上がり、春を形にすれば、こんなかなあ・・・・・? と、詠んだ句です。

田中 怜子

特選句「花吹雪どの街角も美しき」桜がさくとなんか町がにおいやかになりきれいになるんですね。それを素直にうたっているのがいい。特選句「ぶらんこや膨らんでゆく影法師」自分がぶらんこにのっているような錯覚を感じました。

桂  凛火

特選句「老師来て貂の冬毛のごとき冴え」「「老師来て」は、説明のように書かれているのだけれど、何かただならぬ気配が伝わり、一つの世界が見えるよう、導入として巧みだと思います。白黒の映像のようで心ひかれました。「貂の冬毛のごとき冴え」という比喩がまた渋くて素敵でした。

銀   次

今月の誤読●「オオイヌノフグリしあわせ踏んで戦って」民兵は「オオ」と大声をあげてわずかな草むらに横たわった。疲れたぜ。砂漠には不似合いの一つかみの草むらだ。そこには小さなピンク色の小花が咲いていた。わたしはボソッと「イヌノフグリ」に似ているな、とつぶやいた。なんだそれはと民兵は聞き返してきた。うん、犬のキンタマという意味さ。バカな、この花がか。ああ、たぶん違うんだけど、なんとなくな。それにしてもキンタマとはね、と民兵は笑った。わたしも苦笑した。彼は言った。オレはいままで「しあわせ」ってやつを実感できずに暮らしてきた。だが、こうしているとしあわせってやつがわかるような気がする。戦場のつかの間の休息。それを言っているのだ。わたしが近づこうとすると、おっと気をつけなと彼は言った。地雷を「踏んで」おっ死んじまったやつが何人もいるからさ。遠くで砲煙があがった。つづいて遠雷のようなマシンガンの掃射の音が聞こえてきた。ええいくそ、しあわせってやつは短い。短いから本来のしあわせがあるのかもしれないとわたしは思った。さ、「戦って」くるかと民兵は機銃MK23を杖代わりに使って立ち上がった。わたしは愛機のカメラ、ニコンD750を手にしてあとに従った。砂漠の戦場は遠くに見えて思ったより近い。わたしはその名も知らぬ民兵の背に向けてシャッターを切った。

柴田 清子

特選句「春の水ちちははの透くところまで」父恋ひの母恋ひの極みg「透く」で言い表わしているところが凄い。特選句「山焼くや強風よりも大きい声」風と声を比べているところが新鮮な発想で気に入った。特選です。

中西 裕子

特選句「清明や猿(ましら)のごとき少年来(野﨑憲子)」清明とは、4月の初め頃?清く明るく字のとおりの時期でしょうか。猿のような生命力のある少年の姿がよく合ってると思います。何となく元気のでる句でした。「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」の子を二人連れという句もドラマがありそうで面白いです。

漆原 義典

特選句「花冷えや遠き記憶の恋たどる(藤田乙女)」暖かくなり心がウキウキする春において花冷えは、気持ちをネガティブにし少しもの悲しいものです。この心情を、「遠き記憶の恋たどる」と表現したところに感動しました。

菅原 春み

特選句「清明や海の朗らよ山に鳥」季語と朗らがなんともいい。特選句「春泥やかつて地上に棲みしもの(銀 次)」妙に納得してしまう。甲乙つけがたく特選がなかなか選べません。

小宮 豊和

特選句「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり」桜花であるからこそ、腐臭が芳香となる。人生において誉められるのは結婚式と葬式のときだけ、あとは袋叩きみたいなもの、たまには腐臭が芳香となってほしいという心の奥の甘え、健全な句が圧倒的に多い句稿の中で、耽美的、頽廃的、虚無的な感情にひかれる心の一面を詩まで高めている。特選句「生も死も花に遊びし生傷(きず)のまま」花に遊びし生傷とは、人生で負った浅傷,深傷のことであろう。自分の傷だけでなく、他人に負わせた傷もあるだろう。そしてその治癒を待たずに人生を終り、そのままあの世へ旅立つ。逃げも隠れもしない、できない、人生とはこんなものかとも思わせる。

 ご挨拶。私、このほど香川県に転居いたしました。さっそく句会にお誘いいただき光栄です。名ばかりの俳徒ですが、ご挨拶に駄句を一句       

 讃岐へと飛翔上野(こうずけ)春鴉         小宮豊和

新天地で、懸命に勉強させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

藤田 乙女

特選句「夕桜かなしみしまう鍵なくす」 夕桜の悲しいほどの美しさに自分の心にそっと閉まって置いた過去の切なく悲しい思い出がふとよみがえってきたのでしょうか。その哀しみもまたいつか浄化されていくのでしょう。特選句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」 日々生きる中で、悩み、苦しみ、不安、悲しみ、様々な思いを抱きますが、「ただそばにいてくれる」ことが大きな支えだと感じます。白く根を伸ばし太い茎で真っ直ぐに立つヒヤシンスの佇まいが目に浮かび心が癒され安堵するように思います。

高橋 晴子

特選句「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」万葉集、大伴家持の心情に通じる句で、しみじみとした余情がある、いい句。何もいってないけど、よくわかる。問題句「ただそばに居るが大切ヒヤシンス」問題句とする程の句ではないが、こういう表現が多いので一例にあげてみた。この句〝ただそばに黙つてをりぬ〟ならいい句だが、大切を入れると標語になっているように思います。

野口思づゑ

「人体は寺院よ初夏の風にたつ」人体が寺院とは、寺院が人のように見えたのか自身が寺院のような清々しさの中にあったのか、この「人体」と「寺院」の組み合わせが新鮮であり強いインパクトがあった。「旧友の近づき過ぎぬ菫ほど」女学生のようにベトベトしない、親しい友人と大人の距離でありながら菫のように見れば、会えば、心が和らぐ。理想的な友人関係がとても巧く表現されている。「地下東京ひとが湧き出る春の月(三枝みずほ)」地下道から出て来る人間、一体どこから湧き出て来るのかと、東京の街に行けばだれでも実感する。地下は人で溢れる喧噪であるが空には月。都市の春の夜の風景画。「流し雛ピアスするとき我執消え(寺町志津子)」ピアスすると自分の雰囲気が華やいで、いつもの自分が流れて怖いもの無し、とでもいった自由な気持ちになるのでしょうか。私もピアスしてみたくなった。「それは分かるけどって無視する花の冷え(中野佑海)」こういう人って嫌ですよね。ただ無視されるのは単純に腹立たしいのでまだマシだけど「それは分かる」なんて社交辞令のような言葉を添える。冷え冷えとした相手を巧く表した鋭い句。「子を二人連れ芹摘みに行ったまま」あら、ちゃんと帰って来たかしら。いつも家事で大忙しのお母さん、今日だけは子供と芹摘みに出かけ夢中なのでしょう、まだ帰って来ない。芹摘みの経験はないけどまるで昭和の映画を見ているようなほのぼのとした気持ちになる。「揚げ雲雀ポケットに亡母の診察券」ポケットに手を入れたらもう亡くなってしまった母の診察券があった、とただそれだけかもしれないが、高い空飛ぶ雲雀を見ている、聞いている、そして母を思い出している、その情感がよく出ている。「春満月今日の私を食べてって」春の満月、ふっくらしている。お腹いっぱいかもしれないけど自分を食べてもいいよ、と自分を月に食べさせようという発想がとても面白い。満ち足りた一日だったのでおいしいはずの自分です。「ミセスローバと称す老婆や春爛漫(寺町志津子)」こういうお年寄りっていいな、と思う。明るくて無邪気な人柄が春爛漫に凝縮されている。「はなちるや甘き腐敗の臭ひせり」果物は熟し過ぎて腐敗する手前が一番美味しいという説がある。花のその状態の時の匂いを嗅いだ事はないが他人にとっては腐敗でも当人は甘い汁だった。社会の腐敗を詩的に描く技量に感心した。

野﨑 憲子

特選句「墓に土筆婆ちゃんわたし唄っていい?」お墓に土筆を供えた孫娘の問いかけに、泉下の祖母の顔が浮かんでくる。眩いばかりのお日さまの様な笑顔が・・。「いのちの空間」を感じた。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

新入生
警察官へ最敬礼や新入生
野﨑 憲子
ひらひらと新入生の廊下かな
三枝みずほ
だぶだぶの制服てれる新入生
野澤 隆夫
顔文字とぶつかる朝の新入生
河田 清峰
空家
目借時空き家に吠える散歩犬
野澤 隆夫
満開の桜の庭の空家かな
島田 章平
沈丁や空家の中に昼の月
男波 弘志
北風も春風もよし空家かな
銀   次
空家にも団欒の日々花の散る
山内  聡
春昼の空家の庭の古如雨露
小宮 豊和
宿
花の宿花の気配の夜更けかな
小宮 豊和
宿命を受け入れた時飛花落花
三枝みずほ
春愁や左手の曲弾きし時
山内  聡
舟歌の流るる夕べ初蝶来
野﨑 憲子
桜闇
死んでいいと思ふさくらの闇ならば
柴田 清子
捨て台詞言って死にたい桜闇
鈴木 幸江
桜闇人近づきやすく離れやすく
三枝みずほ
酔客の横たわりをり桜闇
銀   次
底抜けの青を切り取る桜闇
中野 佑海
三丁目三番サード桜闇
藤川 宏樹
桜闇蛇口ざらざらしているよ
男波 弘志
桜闇静かに開く自動ドア
島田 章平
足音の波音となる桜闇
野﨑 憲子
恋愛神経開花宣言何時ですか
中野 佑海
本当は泣いていました花咲けり
鈴木 幸江
花や花追っかけて逝ってしもうたり
柴田 清子
一点に集まるこころ花吹雪
野﨑 憲子
春落葉
あさぼらけただまっすぐに春落葉
銀   次
春落葉テレビ女優の嘘らしさ
藤川 宏樹
春落葉海へ真向ふ海女の墓
島田 章平
春おちばそれ知ってたらしなかった
鈴木 幸江
爪痛くなる程噛みし春落葉
中野 佑海
田水張る
田水張る春の命をうるおして
小宮 豊和
いさかへる鳶(とんび)をよそに田水張る
野澤 隆夫
田水張る泥に光を鋤き込みし
山内  聡
反省をし過ぎる君よ田水張る
鈴木 幸江
春昼の髪に秘密を握られて
柴田 清子
ねぢくれし髪の先まで囀れり
野﨑 憲子
人の髪さわりつづけて花の冷え
男波 弘志
返信の右手の迷ふ朧月
三枝みずほ
島多きことの喜び瀬戸朧
山内  聡
朧夜やボトルシップに波の音
島田 章平

句会メモ

今月の高松での句会には、小宮豊和さんが、新たにご参加くださいました。小宮さんとは、今も、「海程」秩父俳句道場でよくご一緒しています。少し前に、ご子息様の住む香川へ転居していらっしゃいました。そして、事前投句に初参加の、松本勇二さんは、 私が、「海程」に入会した頃には、既に、若手の注目作家でした。人情味溢れる温かなお人柄で、現在は、愛媛の俳句界を牽引していらっしゃいます。お二人のご参加で、ますます多様性を帯びて行く「海程」香川句会です。俳句の神さまにも、感謝、感謝です!  

十年近く前の道場で、帰り支度をしていると、大先輩の今は亡き加藤青女さんが、「野﨑さん、熊谷駅まで車に乗せてもらって帰るから貴女もご一緒しない?」と誘われて便乗させて頂いたのが、小宮さんの車でした。車中、岡本太郎の話になり、私が、「太郎は、木登りが得意でなかったそうで、猿の中で、木に登れないのが人間になったんだと本の中で力説していました」と申しますと。運転席の小宮さんが振り向いて「私は、木登りが得意です!」と、少年の様な目で話されました。そんな、小宮さんと当地の句会でご一緒できるとは、夢のようです。・・この文を句会報で見た月野ぽぽなさんからメールあり「私も、小宮さんの車に乗せてっ貰ったことがあります!」・・・そうでした、ぽぽなさんとご一緒の時もありました。ぽぽなさん、ごめんなさい!

来月は、「海程」全国大会に参加の為、香川句会はお休みです。6月のご参加を今から楽しみに致しております。詳細は「句会案内」をご覧ください。

写真は、中野佑海さん撮影の栗林公園の夜桜です。

2017年3月29日 (水)

第71回「海程」香川句会報(2017.03.18)

mini_170321_141400010001.jpg

事前投句参加者の一句

       
古雛(ふるひいな)たたまぬままの華燭かな 藤川 宏樹
父のジーンズ弟が穿く涅槃西風 伊藤  幸
リラ咲いて憂国というリラの冷え 若森 京子
離れゆく手に自由あり赤風船 三枝みずほ
お前には言えぬ人生春の蝿 鈴木 幸江
死は美なり切っ先の血よ野にすみれ 銀   次
この家もいづれ空家か桃の花 菅原 春み
かみあわぬ母との会話へそみかん 三好つや子
一介の農夫でありたし若草や 中西 裕子
玉霰喉(のんど)の荒れを洗わんと 稲葉 千尋
鰆東風漁師褌締め直す 漆原 義典
春光や三段組みの全集に 寺町志津子
嫁となる女に古木の梅の花 古澤 真翠
囚われの一枚脱ぐや春顕(あらわ) 中野 佑海
今年をも楤の芽食べて老元気  髙木 繁子
啓蟄や痒くてならぬ鼻の穴 島田 章平
囀や父の背中よ尊けれ KIYOAKI FILM
春の月少年昏き水を飲む 小西 瞬夏
派手な鳥と地味な虫の真ん中辺 野口思づゑ
ぶらんこになる鉄と武器になる鉄 月野ぽぽな
自転車で暮鳥が行くよ花菜畑 小山やす子
犬つれてイーハトーブの春を聞く 野澤 隆夫
雨傘や生きる真似だけする人の 男波 弘志
たんぽぽや引っ越して行く靴屋さん 重松 敬子
あなにやし醤の町の白寿雛 河田 清峰
妖精の舞ひ来る順に花モクレン 増田 天志
会話にも校正したい春の雨 夏谷 胡桃
鐘つけば春は渦なす無限かな 竹本  仰
犬ふぐり波打際はここですか 河野 志保
三月の歩幅はこれでいいかしら 柴田 清子
来し方も行く末もまた春愁 藤田 乙女
桃配山西へ抜けた歯を放る  大西 健司
ふらここに子を失ひて揺れしまま 山内  聡
二月野の水光(みでり)白秋のデスマスク 野田 信章
粟立つ感情の曲線は末黒野 桂  凛火
畏まる茶釜の黒や桃の花 亀山祐美子
有明の午前六時の白木蓮 疋田恵美子
母をまた叱るつちふる澪標 矢野千代子
春泥というやさしくて厄介で 谷  孝江
薄氷に草の乱打の抽象画 田中 怜子
囀や小さく小さくなつて石 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「死は美なり切っ先の血よ野にすみれ」満身にアドレナリンや月おぼろ:楽しい句会ですね。有り難うございました。

中野 佑海

特選句「海苔を干すたぶたぶの雲包まん(矢野千代子)」なんか、とってもおおらかで優しくて明るくて。良いです。何故か雲から豚まんがいっぱい降って くるところを想像して、豊かな心地になるのは私だけ?海の潮風に吹かれ、春を満喫。ついでにお腹も満腹。ご馳走様でした!!特選句「あなにやし醤の町の白寿雛 」私初めて「あなにやし」という言葉を見ました。とっても優雅で、古風で、醤の町と古いお雛様と醸し出す雰囲気の統一感抜群です。こんな俳句大好きです。こう 言う詩に出会うと、日本人で良かったなって思います。俳句最高!今回も増田天志様。小山やす子様。小西瞬夏様。と遠くからおいで下さり、為になる俳句のお話本 当に有難うございました。耳ばかり大きくなってしまいます。俳句が雨霰の様に降って来る、あっという間の4時間でした。

島田 章平

特選句「春泥というやさしくて厄介で」春泥を母親と見ると、この句が胸にストンと落ちます。問題句という訳ではありませんが、気になる句。「粟立つ感 情の曲線は末黒野」鳥肌になるような恐ろしいほどの激情。野火の様に心を焼き尽くした後の黒々と広がる焼野。理解し難いが心に燻り続ける句。

小山やす子

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」少し認知症になりかけた母を想像しましたがその母を叱る自分に悲しくなる。つちふるで今までの慈しんでくれた母の 恩愛を感じました。

野澤 隆夫

特選句「自転車で暮鳥が行くよ花菜畑」野﨑さんの選句を聞いててああ、あの山村暮鳥かと、懐かしかったです。おーい雲よ/悠々と/馬鹿に呑気そうじゃ ないか/何処まで行くんだ/ずっと磐城平の方まで行くんか自転車で行くのんびり感がいいです。特選句「三月の歩幅はこれでいいかしら」重いコートを脱いで、さ ー暖かい春だ!という希望のあふれる句です。

小西 瞬夏

特選句「囀や小さく小さくなつて石」川を流れて、またはだれかに蹴られたり、風や雨に削られたりしながら、小さくなっていく石の存在。季節の巡りにあ わせて、また今年も鳴きはじめる鳥たちの存在。そんな小さないきものの命の循環のようなもの、いのちの存在そのもののようなものを感じました。問題句「春めく や足裏にやはらかき地球(谷 孝江)」:「やはらかき地球」という把握がしっかりとできているのに、「春めくや」とするのはおしいのでは? なにかもう少しぶ つけるものをもってきてほしい。

男波 弘志

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」何度も読み返して、凄い一行詩だとわかりました。特選です。読めなくなった標。珍重。「里山を卒業子の声包みけり (髙木繁子)」:「里山を包みたる声卒業す」声そのものが、卒業する方がよいのでは。「髪を切ったの」君は唐突貂になる(大西健司):君は始めから、貂、であ った、とする手もある。「始めから貂だった君 髪を切る」「花吹雪座して見上げる友の頸(KIYOAKI FILM)」頸、にある、命の存在、もし顔、ならば 平凡である。見事。「母の顔わずかに揺れる水仙よ(河野志保)」水仙の清廉さ、ははそのもの、即物表現は俳句の花「玉霰喉の荒れを洗わんと」発想は抜群ですが 、そこまで言わんでも、「喉の荒れている夕べ」ぐらいで充分では。「風光れ喉がひゅんひゅん叫ぶから[伊藤 幸)」発想抜群、ただ、風光れ、は弱いかも、「鳥 雲に」または、「薄氷」ぐらいではどうですか。「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」対比が目立ちます。夜と朝、は対比ではない、つづいている、それが真理。「た だの虫」ぐらいでどうですか。「まだ白き椿ひろいて草に投ぐ(中西裕子)」春の懈怠さが、見事に表現されている。落ちても鮮烈なものへの苛立ち。「鐘つけば春 は渦なす無限かな」:「無限」言わずに顕わしたい。「涼しさや鐘をはなるる鐘の声 蕪村」無限感ありますね。「桃の日の梅も桜も娘へ頬へ(藤川宏樹)」好きな 句です。母性伝わりますが、主役が多いので、「桃の日」を、「風の日」にしてはどうか。「囀や小さく小さくなって石」春に浮かれていない、たしかな意思体、珍 重。「西行の桜に恋した義妹を焼く(若森京子)」もっと、決定的に表現したい、「桜になった義妹を焼く」「一つ一つ鳥を脱ぎ捨て鳥帰る」人間だけが無駄な衣を 着ている、擬人化、見事。「薄氷に草の乱打の抽象画」乱打は筆のタッチ、それが解れば鮮明、ルノアール、モネ、印象派のタッチ。

山内 聡

特選句「ため息を空に葬る白風船(三好つや子)」ため息は「はぁ…」と言っちゃうと気分が暗くなって、それを自覚するとそのため息をしたこと自体にま たため息をしたくなります。そこを「ふぅ~っ」と風船に吹き込んで発散するのは心理的にも良い効果がありそう。そしてその溜息を吹き込んだ風船を空に葬る。風 船の色は白。真っ白です。心をグレーからホワイトへと。もうすぐ花咲く時候、心浮き立ちますよね!

矢野千代子

特選句「リラ咲いて憂国というリラの冷え」色も香も上品なリラの花を、上五で咲かせ坐五ではさりげなくリラ冷えを伝える。この巧者ぶりは、「憂国とい う」フレーズによって一層活かされているようだ。

大西 健司

特選句「粟立つ感情の曲線は末黒野」末黒野を詠んで秀逸。ただ惜しむらくは、切れがないこと。たとえば、「粟立つ感情その曲線は末黒野」とかではだめ なのだろうか。もう一工夫あれば文句なし。でもそうしたくないんだろうな。「犬ふぐり波打際はここですか」「三月の歩幅はこれでいいかしら」口語を生かした心 地よい俳句。これらも同じく、いかにも俳句という、そんなふうなものを拒絶しているのだろう。

伊藤 幸

特選句「母をまた叱るつちふる澪標」母が年老いて少々認知が入ってきた。かつては澪標の語源となったように自分を身を尽くして育ててくれたのだが。 叱りつつも母であるが故に自責の念に駆られる。またという措辞に言い知れぬ寂しさが漂っている。 特選句「妖精の舞ひ来る順に花もくれん」春ですね。久 々に忘れかけていた優しさを思い出しました。明日は妖精の気分になって義母を訪ねましょう。花もくれんが効いています。

藤川 宏樹

特選句「かみあわぬ母との会話へそみかん」テーブルを挟む母との空間。卓上のみかんが色と香りを放ちイメージを鮮やかにしてくれます。「かみあわぬ」 と「へそみかん」。「母との会話」を間にはさみ、うまく噛み合っています。

夏谷 胡桃

特選句「蒲公英の絮眠剤の効きはじめ(小西瞬夏)」蒲公英の絮と眠剤の効きはじめる感じが、何気なくあっていると思いました(眠剤飲んだことないので すが)。ただ、「蒲公英の絮」で切れると思うので、中七を少し動かしたい感じもしました。特選句「梅林に直球君が逝くとかや」思い出の中の大事な人が先に逝っ たという感慨が伝わってきました。野球仲間だったのでしょうか。星飛雄馬の顔が浮かんでしまいました。

KIYOAKI FILM

特選句「父のジーンズ弟が穿く涅槃西風」 個人的に書きたい素材でもあり、のんびりとした世界と感じたので、特選にしました。好い父ではないか、面白い 弟だと思いました。問題句「真っ赤ないちご更地また増え猫様通る[伊藤 幸)」: 「猫様通る」から猫好きの作者かと思った。面白い一句。「真っ赤ないちご」と 「更地」を結び付けたところに、詩風があり、好きな句であります。

若森 京子

特選句「囚われの一枚脱ぐや春顕(あらわ)」〈囚われの一枚〉のメタファーがすばらしい。心の中に澱み束縛されていた意識を、剥がした瞬間の心が晴れた であろう事。〈春顕〉の下五がよく効いている。特選句「ぶらんこになる鉄と武器になる鉄」余りにも散文的で惜しい。〈鉄塊やぶらんこにもなり武器にもなる〉ぐ らいに俳句的に・・・。

三好つや子

特選句「囀りや小さく小さくなって石」平成の世の中の隅っこで、新しい価値観や人生観に戸惑い、抗いながら生きている作者に共感。季語の選び方が素晴 らしい。特選句「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」春の空をかっこよく飛ぶ鳥と、地面近くを這いつくばっている春の虫。そんな対比を通して、社会へ飛びだした新 人たちのさまざまな生き方が見えてました。入選句「手短に済ませたること落椿」真剣に向き合えば、泥沼化しそうな問題なので、他人事のように対処したけれど、 すっきりしないなあ・・・作者の心の声が聞こえてくるようで、興味深い。

田中 怜子

特選句「鐘つけば春は渦なす無限かな」読んで面白い感覚をもちました。ごーーーん 水紋のような渦巻きが無限に広がるような特選句「二月野の水光白秋 のデスマスク」二月野、白秋、と水光が、あいまって不思議な感じ。「白秋の」の「の」はいらないのではないか、リズムがよくないので。

鈴木 幸江

特選句「残念なことに椿は咲くのです(男波弘志)」訳もなく気が滅入ってしまうことが人にはあるものだ。この頃のわたしに共鳴して、今年は、もう咲か ないで欲しいと椿に思っても、自然と共に素直に生きる椿は、“咲くのです”。それを見て作者は残念だと思った。なんだかそこに、ちょっとユーモアがあり、元気 があり、救われた。いい気分になった。特選句「病気粥お湯の音だけさせて家(夏谷胡桃)」ここに描かれている景が好きだ。病気だが、その病人も看護をする人も 今は安全なのがしみじみと伝わって来る。寂しいかもしれないが、この平和をきちんと感受している作者に感心をした。問題句「福祉という髪切虫を飼う私(若森京 子)」“髪切虫”をどう解釈してよいのかとても悩んだ。何か今の日本の福祉の在り方について批判的な気持ちを抱いているご様子なのだが、それが何なのかよくわ からない。私の乏しい社会知識では、多分外れだろうが、財政難から要介護認定の基準が厳しくなり、必要な介護を受けれていないが、福祉のお世話になっていると いうことか、それとも福祉のお仕事をしている方のお気持ちだろうか。

寺町志津子

特選句「雛飾りしてわたくしを置くところ」:「わたくし」をいわゆる旧家の長男に嫁した妻と見立てた。この家は夫の祖父母、夫の両親、夫と「わたくし」 と子どもの大家族。また、この家には、時代物の貴重な雛人形があり、それを飾るのは、長男の妻である「わたくし」の役目。桃の節句には、他家に嫁いでいる義姉 や義妹が、子どもたちを連れて里帰りしてくる。雛段を組み立て、雛人形を置きながら、はて、「わたくし」の立ち位置は?との思いが逡巡している「わたくし」・ ・・これは、ありきたりの発想だなあと思いつつ、雛飾りに託した「わたくし」の複雑な思いが伝わってきて頂いた。また、頂きつつ、前述とは逆に、しっかりと自 分の立ち位置を主張できる「わたくし」と取ることもできるのではないか。と、思いがいろいろに広がる句であることも面白い。

河田 清峰

特選句「あえかなる野梅一樹の白さ言ふ(稲葉千尋)」好きな句である!野梅一樹の濁音の連なりが梅の白の拡がりを感じさせて気持ちいい句である

柴田 清子

特選句「派手な鳥と地味な虫の真ん中辺」作者がこの句をもって、何を言わんとしているか理解出来ない。また、わかりたいとも思はないが、俳句と言ふ枠 からはみだしたような、不可思議な句が、読めば、読む程に魅力。どうしょうもない作者がいる。特選句「たんぽぽや引っ越して行く靴屋さん」季語がとってもいい 。いつまでも側に置いていたい一冊の絵本のようである。『山内さんの手作りの伊予柑のチョコレート菓子』も特選でした。ありがとう!また食べたい!

漆原 義典

特選句「春めくや足裏にやはらかき地球」は、句跨りで、中7下5となってはいませんが、ずれているからこそ待ちに待った春がやっと来たという喜びが伝 わってきます。やわらかき地球という温かな言葉が好きです。

菅原春み

特選句「会話にも校正したい春の雨」知り合いの敏腕の編集者がよく、人の会話を鉛筆で佼成していたのを思い出し、思わす共感。特選句「母をまた叱るつ ちふる澪標」つちふる澪標がにくいほどじょうずだ。介護実感を伴う日常を詩的に発火させている。ふだんは身を尽くして介護しているからこそ。 選「春光や三段 組みの全集に」三段組がいいですね。「犬つれてイーハト―ブの春を聞く」理想郷だからこそ、春がきけるのだ。「春野から戻ってこない歩き神」美しそうにみえて 、切ない句。「ため息を空に葬る白風船」ため息も詩にしてしまうみごとさ。「鳥雲に架空名義の貸金庫(増田天志)」なにやら怪しく、季語が効いている。「大き な字それだけで良し鴎忌(夏谷胡桃)」すっとこころの中に入ってきた。「亀鳴かす闇に体温奪はれる(柴田清子)」 思わず笑わせていただきました。

月野ぽぽな

特選句「春の月少年昏き水を飲む」:「昏き水」が眼目。思春期の甘さと危うさがただよいます。

竹本 仰

特選句「「離れゆく手に自由あり赤風船」自由もまた、失う時にその実在が確かめられるもの。そういう逆説としてとりました。ちなみに「赤」という色、 童謡に「赤い靴」がありますね。かつて私、或る交際にピリオドを打ち、東京から帰る新幹線の中、幼い子が唄う「赤い靴」に強烈に揺すぶられた経験があり、「赤 」という色、何でしょうか、切ない一途さのようなある思いを想起させます。特選句「春光や三段組みの全集に」三段組みというのを、ページの中の三段組と理解し たのですが、どうでしょうか。それも、外国文学では?読みづらい三段組みの全集のページも、かつては、その中から春光を寄こしていた、その春光に年を経た今、 また巡り合えたというのでしょうか。三橋敏雄の「かもめ来よ天金の書をひらくたび」、あの句を思い出しました。特選句「会話にも校正したい春の雨」会話を校正 したくなる、それだけ今目の前にある時間がヴィヴィッドに感じられる。うらやましいですね。それとも、目の前のその人に、こちらの思いが溢れて、自分の言葉に も校正したくなる?とにかく、目の前の会話に赤ペンを握りしめている、生命感ある或る日常の一コマが、わかりやすく表現されていると感心しました。何だか、最 近、この選句の時がちょうど両手がふさがった状態の時にあります。したがって、ニ三日にわたり、選句の時間があり、書きたいのに書けない、そういうやや贅沢な 選句の時間を経験しております。これも、またいいものだと思います。自分の読みを、三回くらいひっくり返すのですから。そして、句会報で、四度目、ひっくり返 して……。みなさんは、どうなんでしょうか?こんな選句の仕方、あまりないかも、ですね。今後とも、よろしくお願いいたします。

重松敬子

特選句『「髪を切ったの」君は唐突貂になる』女性が髪を切った時の諸々の感情を上手く表現。ばっさりショートヘアにしてしまったようだ。黄鼬(てん) になって、自分の思い通りの人生を突っ走ってください。羨ましい!

古澤 真翠

特選句「 鰆東風漁師褌締め直す」:「鰆」と「東風」の季重なりかとも思いましたが、生き生きとしたリズム感が 春の息吹と仕事への意欲をかきたてられる ような元気の出る句に こちらも元気をいただきました。問題句「一介の農夫でありたし若草や」:「若草や」の部分が 惜しいと感じます。作者の凛とした気概が伝 わってくる句であるだけに勿体無いと思うのです。

銀  次

今月の誤読「嫁となる女に古木の梅の花」        

 昭和歌謡「行っちまうんだね」        

       

 妹みたいなおまえだったが        

 「嫁となる」んだあいつの        

 おまえが「女に」なるなんて        

 気づきもしなかった        

 「古」い「木」は燃やして        

 新しい芽を育てるんだ        

 だがもしも もしものことだが        

 うまくいかなかったら        

 いつでも帰るんだぜ  

一緒に遊んだ        

 この この「梅の花」の下へ        

 このおれの胸に                   (二番、三番略)

三枝みずほ

特選句「恐竜跳ぶかたち夕焼け前の雲(野口思づゑ)」夕焼け前のグラデーションの空、いびつな雲。完全に夕焼ける前の雲を恐竜と表現した点に共感しま した。跳ぶもいいけど音が聞こえてきそうだから飛ぶもいいかなあと。この感性素敵です。問題句「囀や小さく小さくなつて石」祈ることしかできない時、その姿は 丸く固く石のように。そんな時に囀が聞こえてくると少し救われるかもしれない。人間の祈る姿と希望のように受けとりました。問題句としたのは、こんな風に勝手 に解釈したかったからです。とても気になる句でした。

野口思づゑ

「この家もいづれ空家か桃の花」空き家が増えていく町なのか、過疎が進む村なのか、少子化、高齢化の悲哀がしみじみ伝わる。「芽吹きよったかこの忠義 めが(増田天志)」そうなんですよね。植物って季節が来ると必ず動き出す。自然の技は律儀。共鳴句です。「母の顔わずかに揺れる水仙よ」普段はほとんど無表情 なのに、お母様が水仙の花を見て反応を示された。場面が浮かんでくる。「会話にも校正したい春の雨」会話の内容なのか、言葉遣いなのかわからないが話し言葉に 校正の発想が面白い。「母をまた叱るつちふる澪標」母をもう叱るまい、と何回も頭では思っているし、母の気持ちもわかる。けれどもまた叱ってしまった、その感 情がつちふるによく表されているし「澪標」が意味を深めている。

野田 信章

特選句「リラ咲いて憂国というリラの冷え」の句には憂国の士や憂国忌という益荒男ぶりを払拭、反転させるものがある。リラの開花、その冷えの配語によ って芯のある粘り腰の嫋やかさを現出して、衆庶の肌身に透徹してくるこの憂国の情は限りなく美しい。「玉霰喉の荒れを洗わんと」「囀や父の背中よ尊けれ」の二 句共に「玉霰」、「囀や」の季語の選択が一句の内容をよく燃焼させるものとして働いている。片や「自愛」、片や「父性」の情感に傾き過ぎないところがよ い。/P>

河野 志保

特選句「雨傘や生きる真似だけする人の」一読してドキリ。頑張っている気でいるが、甘くいい加減な我が人生。「生きる真似」なのかもと気付かされた。 無季で攻めるインパクトに惹かれた。

中西 裕子

特選句「啓蟄や痒くてならぬ鼻の穴」虫が出てくる日ははなの穴もむずむずするかと面白くていただきました。「お前には言えぬ人生春の蠅」春の蝿も、た くましい蝿なのか弱々しい蝿なのかなにか意味深な句で引かれました。「春野から戻ってこない歩き神」春野からの句も、世界が広がるような自由さを感じて好きで す。新年度もよろしくお願いします。

亀山祐美子

特選句はありません。今月も、感情的で、詰め込みほうばった句が多かった。 逆選句『風光れ喉がひゅんひゅん叫ぶから』「風光れ」は自分の願望、感情であり季語ではない。「風光る喉がひゅんひゅん叫びをり」なら頂いた。逆選句『ぶらん こになる鉄と武器になる鉄』趣旨は理解できる。反戦歌だとも思う。しかし、俳句としては消化しきれず、昇華できていない。散文のままだ。発想は良いので、なん とか俳句にしていただきたい。この二句が「海程らしい」のなら、私には違和感しかない。ついでに言うと、『春めくや足裏にやはらかき地球』は、「青き踏む」「 草萌える」等の季語で事足りる。わざわざ季語の説明をしてはいけない。さらに加えると、常套句、慣用句をなぜ嫌うかと言えば、月並みな俳句しかできないからだ 。磨き上げられ、使い古され、共通認識が出来上がった、便利な言葉をいくら駆使しても、感動は伝わらない。自分自身の言葉で語らなければ類句類想句の海に溺れ てしまう。瞬時に生まれ出る俳句など、年に二、三句あれば良いほうだ。どこをどういじくっても俳句にならない句が山ほどある。さっさと捨てればいいものを、如 何せんすけべェ根性が大きくて、捨て損ねた、こましな三句を毎月提出するので、とてもとても偉そうなことは言えないのだが、誉められるのは無論大好きだが、こ き下ろすのも大好きなので、私の句もどんどんこき下ろしてやって頂ければければ幸いです。

稲葉 千尋

特選句「桃配山西へ抜けた歯を放る」関ヶ原合戦地にある小さな山の名である。中七下五に意味はないが抜けた歯を放る作者の立つ位置が明確である。特選 句「この家もいづれ空家か桃の花」身につまされる。いずれ我が家かと思う。桃の花が余計に明るく桃色が際立つ。淋しさもある。問題句「畏まる茶釜の黒や桃の花 」畏まるまで言わなくても良いと思う。茶釜の黒があるだけで良いと思う。

藤田 乙女

特選句「鐘つけば春は渦なす無限かな」鐘をつく寺から見渡す草花や木々の芽吹き、そして開花、開花、自然や生きとし生けるものの躍動やそれらをあまね く照らす春光の輝きまでが目に映ります。素敵な句だと思いました。特選句「ポジティブに行けよと耳に木の芽風(漆原義典)」ネガティブになりがちな私への応援 歌のような句で、励まされました。

野﨑 憲子

特選句「犬ふぐり波打際はここですか」それは、可憐な花の名にしては、あまりにも俳諧味たっぷり・・「犬ふぐり」。毎年、陽光の中で、その花の群生を 見つけると異空間に入り込んだような不思議な気持ちになり、私の春は動き出します。きっと作者も立ち止まった風から「波打際はここですか」と聞かれたのでは? と、思いましだ。見事な一行詩です。問題句「残念なことに椿は咲くのです」一読、非常にインパクトのある作品ですが、「残念なことに」の言葉が苦手な私は、惹 かれつつも、問題句にしました。

「海程らしい」・・という言葉が今回の「句会の窓」に出て参りました。よく言われている「海程調」のことかと思います。金子兜太先生は、常に、「海程調という ことは存在しない」と、きっぱりと話されています。敢えて言うなら、多様性に富んだ、自由な、混沌の渦巻のような作品を「海程らしい」「海程調」と言うのだと 思います。

『俳句』編集部編『金子兜太の世界』の中で、ある短歌結社の講演会で、先生が、芭蕉の〈古池や蛙飛び込む水のをと〉に言及した話を、歌人の方が綴っていました 。「皆さん、蛙は古池に飛び込んだんじゃありませんよ。『や』の切れ字があるのだから、『古池』で切れるんです。古池と『水のをと』は別物です。これは蛙一匹 じゃないの。複数の蛙なんだ。フロッグズなんだな。発情期の蛙どもが、じゃぼん、じゃぼんと隅田川に次々に飛び込むのを詠んだんだと、言われて呆気にとられま したが、いまだに忘れられません。」これが、金子兜太先生です。芭蕉の侘び寂びの世界の底を抜き、新しい最短定型詩の世界を構築した記念碑のようなお話です。 金子先生の創刊された『海程』は、地球の至宝だと思います。その飛び火のような「海程」香川句会を、この香川の地に在って、守り育てて行きたいと念じています 。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

山笑う
オムライスカツンコツンと山笑ふ
山内  聡
諍ふは生きてる証(あかし)山笑ふ
野澤 隆夫
山笑う思いのとおりやるだけよ
藤川 宏樹
穏やかな男の苦言山笑う
小山やす子
懐の小さき闇よ山笑う
中野 佑海
山笑ふ雅語も俗語もなかりけり
河田 清峰
たんぽぽ
たんぽぽやすべてのものに価値あらむ
山内  聡
たんぽぽや顔を真っ赤に泣き相撲
島田 章平
連れ添ひて不協和音の冬たんぽぽ
小山やす子
たんぽぽや魔女ッ鼻の風が好き
野﨑 憲子
たんぽぽの花を小さな靴が踏む
島田 章平
たんぽぽや風が脱皮をしてゐたり
野﨑 憲子
3・11タンポポの首長し
中野 佑海
ミモザ
犬病んで祈りのかたちミモザ咲く
鈴木 幸江
鎌倉の路地の古着屋花ミモザ
島田 章平
ミモザゆれ風あるを知る車窓かな
山内  聡
初対面のきれいなおじぎ花ミモザ
三枝みずほ
花衣
海老天を野暮に食らふや花衣
藤川 宏樹
花衣悪い奴ほど高枕
野澤 隆夫
挽き立てのお茶の苦さや花衣
中野 佑海
悦楽は橋渡り来る花衣
増田 天志
あやかしの小面清し花衣
河田 清峰
俎の乾きやすさよ花衣
男波 弘志
会話もう途切れて春のイヤリング
三枝みずほ
一日に一つ事して春の暮
中野 佑海
瀬戸内や盛り塩ほどの春小島
増田 天志
春昼や男の中へ割り込んで
柴田 清子
うつむいて春風を食む鴉かな
野﨑 憲子
モナリザの未完の春の濁るなり
男波 弘志
茎立ち
古稀という現世の身の茎立ちぬ
島田 章平
茎立ちや作句に疲れひとねむり
野澤 隆夫
茎立ちや島の小洞に隠し舟
増田 天志
裏返す新聞紙の音茎立ちぬ
鈴木 幸江
茎立ちや天狗のくっしゃみ又くしゃみ
野﨑 憲子
渦潮
渦潮や鰭のあたりの鯛の鯛
男波 弘志
消ゆるべく渦潮の渦激しおり
小山やす子
回天や抽象絵画めく潮の渦
増田 天志
渦潮や見ざる言わざる思わざる
鈴木 幸江
渦潮や水平線から白馬来
野﨑 憲子
机の上なにやかや置きもう渦潮
柴田 清子
三月
三月や自画像にまた筆を入れ
男波 弘志
三月を渡り切れない橋が赤い
柴田 清子
三月は火と化す狼煙よもつくに
増田 天志
三月の風に吹かれて別れあり
山内  聡
おたまじゃくし
鬱の日はおたまじゃくしを見て過ごす
鈴木 幸江
放漫はおたまじゃくしの次男坊
増田 天志
おたまじゃくし右も左も味方ばかり
三枝みずほ
棒きれと遊んでおたまじゃくしのよう
小山やす子
生きることおたまじゃくしのひれ動く
山内  聡
出てきたる足の差ありておたまじゃくし
中野 佑海
スキップ
スキップが柳腰なりジャポニズム
藤川 宏樹
カーソルをスキップスキップ朧の夜
島田 章平
スキップや春風になるロングヘヤー
中野 佑海
チョコレートもらってスキップしたくなる
柴田 清子
スキップしここでいいやと受験の子
野澤 隆夫
スキップでにやりと笑うチューリップ
小山やす子

句会メモ

春爛漫の連休の中、今回も14名のご参加があり、お陰さまで大盛会でした。海を渡って大津から増田天志さん、岡山の小西瞬夏さん、そして徳島の小山やす子 さんもいらっしゃいました。事前投句の合評も、<袋回し句会>も、新鮮な作品と鑑賞に、窓のない句会場ながら、14の光の窓が開いたようでした。あっという間 の4時間。パワフルな句会に大きな元気をいただきました。

2017年3月1日 (水)

第70回「海程」香川句会(2017.02.18)

mini_170216_1227.jpg

事前投句参加者の一句

         
日本を洗濯するぜよ龍の玉 島田 章平
熊野八鬼山干飯そこに零れおり 大西 健司
立春や患う父の話好き 山内  聡
てふてふを白き凶器として飼へり 小西 瞬夏
二ン月の湖胎児ゆらゆら宇宙へと 伊藤  幸
東北の紅梅白梅あの子かしら 若森 京子
咲き初めしそれそれ梅の佇まい 鈴木 幸江
裸木の微分積分まだ解けず 寺町志津子
奥讃岐描く魁夷の白と黒 漆原 義典
きさらぎの木の芽ドレミの匂いする 三好つや子
ムンク叫ぶあの人きっと花粉症 谷  孝江
大泣きの鬼は善人恵方巻 小山やす子
もう赤ちゃんじゃないよ春の膝小僧 三枝みずほ
春疾風つるり子を産むアラフォー娘 中西 裕子
残雪を踏み地母神に会いけるも 疋田恵美子
節分や鬼と福との住処なる 河田 清峰
カモシカの振り向きざまに宙光る 夏谷 胡桃
猫の手の尿(しと)の匂いや日向ぼこ 田中 怜子
天の主に悔い改めし春の草 KIYOAKI FILM
素っぴんの女の意地や冬すみれ 藤田 乙女
薄氷は割る癖絵馬は返す癖 高橋 晴子
オリオンへ十円七つ青電話 藤川 宏樹
若き日の友の横顔針供養 髙木 繁子
雪嶺や憲法も吾も七十年 稲葉 千尋
首の向き変えてあげよう冬苺 町川 悠水
合格のラインの絵文字高笑い 野澤 隆夫
冬の陽という神獣を飼いならす 月野ぽぽな
暖かくなりましたねと水のいう 野口思づゑ
ものの芽や人間だけが剥き出しに 男波 弘志
踏青やひとりで開く野のランチ 重松 敬子
春雷や紐で縛りし裏の木戸 菅原 春み
ゆふてたもれ大根の素生いかむや 増田 天志
告白前の潮満ち咽喉の水母かな 竹本  仰
落ちもせぬ熟柿のままの虚空かな 野田 信章
雪国や裾絡げ行く赤い傘 古澤 真翠
昼からの時間たぷたぷとして春 柴田 清子
背伸びして天狗なりける恵方巻 中野 佑海
雛流しそのまま姉は漂流す 矢野千代子
陽の錦糸風の銀糸や池二月 亀山祐美子
丸まりし喪服の人よ冴え返る 銀   次
シューマンのたとえばセロリ男前 桂  凛火
陽炎や風と交はり雲に寝る 野﨑 憲子

句会の窓

中野 佑海

特選句「もう赤ちゃんじゃないよ春の膝小僧」こんな堪らなく可愛くプルプルした俳句最高です。小学一年生になって、頑張って一人で毎日、大きなランドセル背負って学校に通う子供たち。何かの拍子に転んで、膝小僧を擦りむいて帰って来た。もう婆のほうが可哀想になって泣いちゃうシチュエーションっての有りですよね瀨でも、子供は顔をしかめながらも泣かないの。「僕もう、赤ちゃんじゃないよ!!」って。ウンウンそうやって大人になっちゃうんだね。ちょっと婆は淋しいよ。泣いてくれたら、抱っこも出来るのに。今月は難しい俳句が多く選びきれませんでした。小西瞬夏さん高松までお出で頂き、そして素敵な俳句を作る秘訣お教え頂き有難うございました。いつも素敵な瞬夏さんから素敵な俳句が産まれると納得いたしました。またお会いするのを楽しみにしています。

小西 瞬夏

特選句「薄氷は割る癖絵馬は返す癖」一読たいしたことは言っていないような、でも妙に気になる。それは、自分の中にある、ちょっとした気持ち「割ってみたい」「ひっくり返してみたい」というものに触れられたからだろうか。五七五という型に置くことで、そのちょっとしたことが響きあい、「薄氷」と「絵馬」という具象を得て、散文では到達できない世界を作った。「薄氷を」「絵馬を」にしたほうが、意図を薄め、よりすっきりするのではないだろうか。 問題句「告白前の潮満ち咽喉の水母かな」感覚はわかるが、言いたいことを詰め込み過ぎて、読者が遊べる余白が狭く、窮屈である。「告白前」まで説明しないほうがよいと思う。

島田 章平

特選句「冬の陽という神獣を飼いならす」何となく急かされる様な、心細い冬の陽。そんな冬の陽を神獣として飼いならしている。人生の黄昏の中、悲しいまでに穏やかな一日。

藤川 宏樹

特選句「薄氷は割る癖絵馬は返す癖」五七五を二つに割り、万人共有の「あるある」を詠って調子に破綻なし。「あっぱれ!」です。70回句会は参加一周年の句会。袋回しは数にこだわり雑になりました。皆さんの柔軟な思考、観察を伺うのが本当に楽しみです。

矢野千代子

特選句「熊野八鬼山干飯そこに零れおり」:「熊野八鬼山」―この固有名詞だけでも、読み手に訴える力はすごい。鬼という字から浮かぶさまざまのイメージが、古代から現在へと続く数多のドラマをかきたててくれるから…。

稲葉 千尋

特選句「ムンク叫ぶあの人きっと花粉症」ムンク叫ぶを持ってきた手柄。特選句「素っぴんの女の意地や冬すみれ」冬すみれの凛とした姿と上五中七の相性ぴったし。

小山やす子

特選句「てふてふを白き凶器として飼へり」てふてふの持つ危うさを凶器として捉えた感性に感じ入りました。

男波 弘志

特選句「首の向き変えてあげよう冬苺」苺にとって、向きを変えるのは人間のエゴ、せんでいいことだらけの世界「原発」向きを変えられたのは、いつ! 誰が? 暗喩の詩、珍重、珍重。問題句「告白前の潮満ち咽喉の水母かな」発想は抜群、只、主役ばかり、脇役をふやしてフォーカスを(咽喉の水母)に絞る、「告ぐる日の潮満ち咽喉にまで水母」このほうが情感が全体にいきわたりませんか。「立春や患う父の話好き」複雑な心理描写、癒える見込みがない患いなら、窓の光が痛い。「てふてふを白き凶器として飼へり」凶器、言ってしまった感あり、凶器、白、を言わずにそれを出したい。俳句は暗喩の詩。例えば、「てふてふをしまってありし部屋のノブ」「東北の紅梅白梅あの子かしら」実景、と、心象風景が重なる、俳句は、重層表現の詩、見事。「亀の鳴く大きな闇と背中合わせ(柴田清子)」闇を自身と切り離している、見事な心象風景。少し「鳴く」弱いかも、「亀の居る」で充分では、それで「大きな」も不離不即に。「薄氷は割る癖絵馬は返す癖」どこか、調子に乗りすぎているような気が、所作がどちらも軽い「 薄氷は踏む癖」ではどうですか。意志体を如実に。「ひと塊の闇セーターを脱ぐ途中(小西瞬夏)」人間の無防備さ、獣に還る瞬間、震え、珍重「冬の雨体の芯に種を撒く(小山やす子)」見事な精神の風景。種を蒔く、は季語である必要はない。それが解れば無窮の拡がりがある。撒く→蒔く、では。「昼からの時間たぷたぷとして春」すべてが概念、それでいて読み手に風景を映像化させる力あり、名人です。俳句の表現では最も困難な方法です。「遮断機の上がりて夢の枯野かな」遮断機が開き切らない、ほうが余情はあるかも、「遮断機が夢の春野へ上がるとき(藤田乙女)」インパクトは弱いですが。「げんげんの花咲くげんげんの真中(小西瞬夏)」説明を一切なくせば、俳句は俳句になる。造化は造化になる、見事。「如月や授乳のかたちの亡骸です(若森京子)」凄い、内意あり、もっと投げ出したらどうが、「如月や授乳の形の亡骸は」はっきりしませんか。形→なり「雛流しそのまま姉は漂流す」漂流、大袈裟では?例えば「姉は急流へ」描写だけでも伝わりませんか。

若森 京子

特選句「ひょいと投ぐ背の恋慕や春の馬(桂凛火)」一読して寒い季節も終りやっと春になった喜びが溢れ〈ひょいと投ぐ〉の開放感、〈背の恋慕や〉それに伴っての情感溢れることばが、春の馬に全て集約される〝言葉の綾〟が、大変巧妙で好きな句でした。

鈴木 幸江

特選句&問題句「ゆうてたもれ大根の素性いかむや」まず、“いかむや”が、分からなかった。が“如何なむ+や”の短縮形と勝手に解釈をして鑑賞した。解釈は、言って下さい大根の素性は如何なるものか、と丁寧に詰問している状況とした。何故このようなことを思い付き、俳句にしたのか訳が分からないが、その分からないところがとてもいい。人間には未知なる部分がまだまだある。そうだ、精神心理学では、意識に上る人間の意識は氷山の一角だという説も思い出したりした。これもアニミズムか。大根から元気も頂いた。

町川 悠水

飛切りの特選句「雪嶺や憲法も吾も七十年」は、信州の初冬期の北アルプスをイメージしています。そのイメージで鑑賞すれば、中七、下五が俄然生きると思いました。四月の田植頃の北陸でもよろしいが、やはり初冬期が似合うでしょう。もうひとつ特選に「落ちもせぬ熟柿のままの虚空かな」を選ばせてもらいました。落ちないで残っている熟柿が、老成した人物を暗示しているようでもあり、時が凍結した感の虚空がよい。私の好みを言えば「せで」にして欲しいところ。

大西 健司

特選句「猫の手の尿の匂いや日向ぼこ」二月二二日は猫の日。ちまたには猫俳句が溢れている。そんななかこの句の生な感覚にひかれた。猫と日向ぼこでは陳腐だが、そこにふと嗅いだ尿の匂い。その生な感覚を佳としたい。「お前の手は臭い」とか猫に言っているのだろうか。猫のとぼけた顔が見えてきそうだ。

疋田恵美子

特選句「 亀の鳴く大きな闇と背中合わせ」混沌とした現代社会を想わせるお句」上五は亀鳴くやでもいいのではないかとも思います。同じく「素っぴんの女の意地や冬すみれ」素っぴんの女性と冬すみれが好きです。女性は都知事さんの様に強く賢く素晴らしと思います。

KIYOAKI FILM

特選句「咲き初めしそれそれ梅の佇まい」梅を愛でている。「それそれ」が利いている。これによってリズム感が出て、絵になる。明るい肯定的なイメージがある。そこがいい。問題句「踏青やひとりで開く野のランチ」特に問題は感じない。ただ一句が一覧表からちょっと光っていたから選びました。「ひとりで」がいい。「ひとり」の「野のランチ」に共感。僕は街の中でひとり昼ご飯を食べる。周りに他人がいるので、ひとりではないけど、共感。野には草花がある。

竹本 仰

特選句「ものの芽や人間だけが剝き出しに」自然界に暮らすものは、おおむね自性、その身の護り方が備わっているもの。しかし、我が人類は、その護り方の術を多分に作り出せると思う故、かえって、もっとも悲惨な事態に陥らせているというべきか。たとえば、原発。たとえば、あふれる移民。ぜんぜんたとえは違うと思うけれど、カフカの「変身」のザムザのあのかわいそうな姿を思い出させます。何でしょう、以前、ハンナ・アーレントの「全体主義の起原」を読んでいる途中に、カフカが「変身」を書いたであろう動機とかなり重なるものを感じたのを覚えています。特選句「落ちもせぬ熟柿のままの虚空かな」もう落ちるかと直感される熟柿、それを虚空に焦点を与えたところがすごいなあと思いました。で、この「虚空」は、熟柿に残された時間の一瞬一瞬の緊張感と重みをたたえており、いわば生成躍動する「虚空」なのだともとらえられ、何と言いましょうか、表面張力のある時間、そのみなぎりをも連想させます。これも、場違いな表現ですが、ほうじ茶の深さに通じるなあと、まったく個人的に感心。以上。気温差、はげしい毎日です。これが春の特徴と言えばそうなのかも知れませんが、「椿事」という言葉もあります、とかく異変の季節でもあります、みなさま、お体お大切に。

月野ぽぽな

特選句「雪嶺や憲法も吾も七十年」この七十年の国の来し方と自分の来し方に思いを馳せる。険しくも美しい雪の嶺がそれらの象徴として働いている。

増田 天志

特選句「てふてふを白き凶器として飼へり」ぼくの兄さんは、殺さないでね。

夏谷 胡桃

特選句「雛流しそのまま姉は漂流し」。詩的な感じがします。紙雛のように、漂い消えてしまいそうな姉の精神の浮き沈みを表しているような。そして少しサスペンスも。雛流しの後、行方知れずの姉の身にいったい何が起きたのか。姉には秘密があったのです。特選句「丸まりし喪服の人よ冴え返る」。お葬式というより火葬場の隅で、腰を曲げ丸まった喪服の老婦人の映像が浮かびました。こんな日は、寒くなるんです。何を考えているのかな。次は自分の番だとか、その人のことを思い出しているとか。なかなか声がかけられません。

野澤 隆夫

〝ローマは一日にして成らず〟祝!!「海程」香川句会第70回おめでとうございます。今月も楽しく参加できました。特選句「ムンク叫ぶあの人きっと花粉症」:「ムンクの叫び」は絵で見ると精神的に落ち込んだ悲痛なる叫び。でも時にユーモラスに取れるところが名画か?花粉症とは最高。小生も〝己が面ムンクの叫びバナナ剥く〟胃がん手術で入院してた時小生の顔がムンクになってた時の作。「ムンクの叫び」、これからも作句したいモチーフです。特選句「薄氷は割る癖絵馬は返す癖」よくあるあると納得の風景。でも思わずニコッとするユーモア感が心地よい。問題句「シューマンのたとえばセロリー男前」この句、分かる人には秀句なんだろうなーと勝手に思ってますが…。シューマン、セロリー、男前???

古澤 真翠

特選句「 遮断機の上がりて夢の春野かな」作者の春を待ちのぞむ気持ちが、「遮断機の上がりて夢の」に凝縮され 一気に花吹雪の舞うような景色が浮かんできました。他にも、「水仙やはねかえされる愚痴ごころ(中西裕子)」「うすらいや不安たたえし黒き水(銀次)」「冬晴れや檸檬一顆と青き海(高橋晴子)」も心の情景が 鮮明に浮かび、特選にさせていただきたいくらい心に響く作品でした。

河田 清峰

特選句「紙雛の折目ただしき山河かな(野田信章)」手元の雛と背景の山河の対比が…連山影を正しうす…を想わせて実にただしきを響かせて気持ちいい句である!もうひとつの特選句「若駒よそこ弁慶の泣きどころ(矢野千代子)」若駒の脚の清しさに焦点をあてたのが良かった!弁慶と牛若丸を思い出させて俳諧味がある。

野田 信章

「下萌や今日いちにちの横顔に(男波弘志)」の句の「横向きに」には表向きに現れないようなある一面がある。今日いちにちそのことに徹したというそこにはもう一人の自己の存在感の手応えが窺える。「下萌や」の配合には、この生き様を包み込む自愛の念も感得される。「熊野八鬼山干飯そこに零れおり」は古来より人を引き付けてやまない熊野山地の景である。この地の聖と俗との混沌とした交わりの在り様が、干飯のこぼれ落ちた一粒一粒を通して、如実にそのことを諾わせるものがある。「愛の日の驚きやすき綿ぼこり(月野ぽぽな)」の句は中句以下の「綿ぼこり」の強調でよき屈折感が生れて、逆にその分「愛の日」に対しての厚みのある情感が加わったと思える。「昼からの時間たぶたぷとして春」を問題句としたのは〈昼からの時間たぷたぷとして春だ〉として味読したいためである。高が一時然れど一字ということである。

柴田 清子

特選句「げんげんの花咲くげんげんの真中」げんげんの花以外何も書かれていない。最後に「真中」の一言で終るこの一句を特選とした。繰返し読めば読むほど、げんげんの花は果てなく広がってゆく。そして人間の喜怒哀楽の全てが、この「げんげんの花」の中にあるように思えた。この一句に投げ込まれた私は、今も、この先も、この句から何かをつかみ取ろうとしている。楽しんでいる。最後に、この句が、どの句よりも好きであること。

伊藤 幸

特選句「落ちもせぬ熟柿のままの虚空かな」私には仏教・哲学 薀蓄を唱える知識は皆無に等しいが、この句に存在する所謂「無」とやら、これぞ「無からの創造」ではあるまいか。「後は読者の読みに任せた」と問題提示された気分だ。特選句「茶が微温いイノシシ罠にヒトの香(夏谷胡桃)」人間が鳥獣を捕らえて喰う。これは世の習いであるが捕らえたもののどうにも納得がいかない。同じ生を受けた人間として罪悪感にとらわれる。これも宗教や哲学に類したものと受け取られないでもないが…。茶が微温いという措辞が胸を打つ。

三枝みずほ

特選句「空を読み風読み鴨の引くころか(谷 孝江)」作者も鴨と同じく、空や風を読めるという点に惹かれました。日々の観察から自然の流れを感じられる感性が素敵です。特選句「ひと塊の闇セーターを脱ぐ途中」確かに真っ暗で、少し怖い空間。でも脱いでしまえばそこは日常。きっと不安や悩みを抱えてる時は、こんな感じなのかも。

漆原 義典

特選句「春疾風つるり子を産むアラフォー娘」は、中下、つるりと子を産むどもアラフォー娘が白いです。ほほえましく楽しい句です。暖かい春の訪れが待ち遠しくなります。ありがとうございます。

銀   次

今月の誤読●「手踊りの婆さこきりこ節が聞こえる(大西健司」。オラ見ただよ。今朝のまんだ早い時間に裏の畑さいっただよ。そしたら見たこともねえ「婆さ」が朝焼けんなかでひょいひょいと手振り足振りしてるだによ。オラわげわかんねでボーッと立ってると、婆さ、こっちさ見てニャッと笑っただよ。そんとき、ありゃオラが子どもんころ死んだ婆さだと(顔も覚えてねえのに)なぜだかわかったのす。歌が好きだった踊るのが好きだった婆さだったのす。なあんも聞こえねえのに、その「手踊りの」ふりを見てると、オラ、ああと思い当たった。あれは婆さがいつも歌って踊ってたあの歌だ。〈コキリコの竹は七寸五分じゃ 長いは袖のかなかいじゃ 窓のサンサはデレデコデン 晴れのサンサも デレデコデン〉。オラ叫んだだ。婆さ、あんたけえ! オラ走っただ。オラに会いに来たのけえ! じゃが婆さは、なあんも言わず笑いながら雪んなか消えていっただ。粉雪の降る空の彼方から、小さな声で、かすかに、ほのかに「こきりこ節が聞こえる」。こきりこ節が生きてる限り、ご先祖さまも生きてんだなって。オラァ、畑耕しながら、デレデコデン、デレデコデン、なんか嬉しくってよ。ずっと歌ってただ。

田中 怜子

特選句「恐竜の貌して鶏よ旧正月(藤川宏樹)」すくっと首をあげて、つつつと走る鶏 かわいい恐竜のごとし。特選句「首の向き変えてあげよう冬苺」家庭菜園かな、いちごが赤く立派に育ち、いとしげに、茎が折れないように向きを変えてあげる。こんな人時が大事なのですよね。両句とも、日常のつつましい生活のよろこびです。

野口思づゑ

特選句「カモシカの振り向きざまに宙光る」カモシカがこちらを向いた。その動き、そしてその背景がどこか神がかって見えたに違いない。問題句「てふてふを白き凶器として飼へり」何故蝶々が白い凶器なのか、どうしてもわからない。問題句「愛の日の驚きやすき綿ぼこり」驚きやすき綿ぼこりの意味がよくわからず、また愛の日はバレンタインデーなのだと思いますが、その日との結びつきとなると、ますますわからなくなってしまう。その他「大雪やわれらまどろむ深海魚(稲葉千尋)」雪に埋もれるとこんな感じなのかしら、と想像した。「昼からの時間たぷたぷとして春」たぷたぷ、の表現が好き。選句内に入れられなかったのですが、今回はちょっと哀しくて妖しくて怖いような句がいくつかありました。例えば・・「廃屋に金庫鳥葬の匂いせる(大西健司)」「料峭や女体彩なす四次元へ[伊藤 幸)」「如月や授乳のかたちの亡骸です」「雛流しそのまま姉は漂流す」

寺町志津子

特選句「東北の紅梅白梅あの子かしら」毎月、大らかできめ細かいお世話をくださる野崎さんの下に寄せられるのびのびと自由闊達で新鮮な数多の佳句。今月もしかり。その中で一読心惹かれた句である。「あの子かしら」は、三・一・一で還らぬ魂となった我が子なのか。あるいは馴染の幼子なのか。咲き匂う紅梅、白梅の中から、あるいは向こうから、実像とも思われる子の姿が作者の眼前に現れた。「あの子かしら」が「東北の紅梅白梅」とよく響き合って、不思議な感情を湛えて胸を打ち、句は、哀切を帯びた美しい詩情を醸し出している。

三好つや子

特選句「ひと塊の闇セーターを脱ぐ途中」無難な色やデザインを好むような生き方を、知らず知らずしている自分と決別し、自由に生きようとしたときに起こる心の葛藤が、「ひと塊の闇」にうまく表現されています。特選句「シューマンのたとえばセロリ男前」シューマンの美しいピアノの曲を聴きながら、清々しい風味のセロリを食べている。そんな感じの男前です、という喩え方に共感。「如月や授乳のかたちの亡骸です」子を産み育てるだけの栄養がないまま、野良猫が出産し、命を落とすという現状が切ないです。

菅原 春み

特選句「雪国や裾絡げ行く赤い傘」色、景色が見えます。具象的なものが見えて、映像がさらに鮮やかに。「昼からの時間たぶたぶとして春」春ならではの抽象的なときの流れ。たぶたぶが面白い。選「素っぴんの女の意地や冬すみれ」この女性に寄り添いたいような気持ちです。季語もあっていていい。「雪嶺や憲法も吾も七十年」祈りに似た平和への思いを淡々と語る作者。共感します。

中西 裕子

特選句「踏青やひとりで開く野のランチ」春の青草でのランチが、春が来た雰囲気がでて楽しく思えました。気になる句は「麺工場湯気噴き吹かれ山眠る(高橋晴子)」で、山眠ると、麺工場の活気との対比なのでしょうか、イメージがわかなかったです。

山内 聡

特選句「若き日の友の横顔針供養」。針供養という季語がとても生きていて詩情の溢れる一句となっていると思いました。まだお互いに若かった頃の顔を思い出し、そして何本かの駄目になっていく針たちの年月が見事に重なっています。一枚の写真がセピア色を帯びているような時間を読み込んでいるなあ、と感服しました。

桂 凛火

特選句「大泣きの鬼は善人恵方巻」泣いた赤鬼の話はとても好きな童話です。鬼は悪いもの、こわいものと憎まれている存在でありながら実はどうかなーというそこのところが好きなのですが、この句はその感じが「善人」といい切ることであらわされていてよかったと思います。恵方巻は、「コンビニのわな」ともいわれますが現代的なものとのとりあわせもよかったと思います。

亀山祐美子

特選句「薄氷は割る癖絵馬は返す癖」誰にでも思い当たる癖です。人間の心理に根差した行動に共感を覚えます。

藤田 乙女

特選句「カモシカの振り向きざまに宙光る」カモシカが見ようとしたものは、何だったのでしょうか?人間の世界とカモシカの世界、同じ生きとし生けるものなれど、人間の方が上位?いいえ、神々しいばかりに大宇宙の光に照らされたカモシカの存在感に圧倒されました。「紙雛の折目ただしき山河かな」まず、ひな祭りの原型のひとつとも言われ、古来から行われている雛形の身を浄める厳粛な行為を想起しました。そして、大自然に対する人間の畏敬の念やその中で歴史を刻んできた人々が紙雛に託すささやかな幸せを願う思いがよく伝わってきました。

高橋 晴子

特選句「雪嶺や憲法も吾も七十年」何も言ってないが、雪嶺をもってきたことで作者の思いが伝わる。いい句だ。問題句「竜の玉権威を嫌ふボブ・ディラン」:「権威を嫌ふ」と言葉で言ってしまえば、それまでで、せっかく〝竜の玉〟を持ってきたのだから、言葉でいわないで物でいって欲しい。それが俳句です。言葉でいっている句が多すぎる。定形を破るなら、それなりのリズム感なり、何かが欲しい。何でもありもいいけど俳句は俳句の詩的存在感がある。言葉をもっと磨いて欲しい。

野﨑 憲子

特選句「告白前の潮満ち咽喉の水母かな」上五、七音が効果的で、「告白前」の作者の緊張感がズンと伝わってきます。「潮満ち咽喉の」の句跨りが大きなうねりとなって下五の「水母」に収束して行きます。「海月」ではなく「水母」が、膨らんでゆく愛語のようで、実感として伝わってまいります。問題句「ものの芽や人間だけが剥き出しに」とても惹かれた句です。「人間だけが剥き出しに」は、霊長類の長である人類の色んな側面を、見事に表現していると思いました。ただ、「ものの芽」が、発想の契機であるのですが、あまりにもそのものズバリで、そこが残念でした。しかし、心に響く作品であります。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

春一番
北国の春一番は工事中
銀   次
春一番子のちぎり絵にキリン来る
中野 佑海
シェパードの一気に駆ける春一番
野澤 隆夫
春一番眉の太さは父に似る
亀山祐美子
定年や通用口の春一番
小山やす子
あなにやし醤の町の春一番
河田 清峰
鶯や年をとるのが早すぎる
鈴木 幸江
珈琲の微糖鶯の綱渡り
柴田 清子
鶯や母からもらふ母子手帳
三枝みずほ
鶯や蕪村の頃も小さくて
男波 弘志
囀り
囀りて都会の顔となりゆけり
三枝みずほ
それもまた私しのこと囀れり
男波 弘志
囀を耳に溜めたる朝寝かな
中野 佑海
囀や赤いポストを探しをり
小山やす子
囀りや半濁音の光なか
河田 清峰
揚げたてのコロッケひとつ囀れり
野﨑 憲子
あっという間の一生でした囀れり
鈴木 幸江
くちびる
手錠せしくちびる赤き少年犯
銀   次
桃咲けりやはらかすぎるくちびるよ
柴田 清子
故あって唇ばかり乾くかな
鈴木 幸江
ふらここや紅きくちびる抱き寄せて
島田 章平
鳥の恋
礼服の腕組み軽き鳥の恋
亀山祐美子
地に落ちた覇者が漂流鳥の恋
小山やす子
電線に寄りそふ影や鳥の恋
銀   次
りんご茶の甘い裏切り鳥の恋
中野 佑海
口角揚げ君待つホーム鳥の恋
藤川 宏樹
フラダンスそれって何よ鳥の恋
河田 清峰
鳥の恋このカステラは期限切れ
野澤 隆夫
眠る
眠るとふ日向ごごちの小さき死
銀   次
B面のわたしが眠る春の雨
三枝みずほ
生きる術なくなり眠る雪女
小山やす子
高橋たねをさん
冬日向高橋たねをだけだった
男波 弘志
たねをさん梅見てペンを握ってる
中野 佑海
ポポンS用意しましたたねをさん
島田 章平
でで虫が交尾むはにかむたねをさん
小山やす子
差出人不明の葉書「たねを」さん
鈴木 幸江
春虹の伝道師ですたねをさん
野﨑 憲子
白梅や前も後ろも海見えて
河田 清峰
ふと咲けり露地に移せし梅の花
野澤 隆夫
首筋に風のくちびる梅ひらく
野﨑 憲子
梅一輪キャベツ2個程の愛放つ
中野 佑海
梅の香や思い通りにやるだけよ
藤川 宏樹
余寒
すぐ読めてしまう葉書や春寒し
男波 弘志
言われればそうですねの余寒あり
鈴木 幸江
とんでもない風の産まるる余寒かな
野﨑 憲子
旅鞄息整える余寒かな
藤川 宏樹
八朔柑
口下手に生きて八朔頬張りぬ
三枝みずほ
八朔を横にながむる人か何
河田 清峰
八朔や太陽の愛一人じめ
中野 佑海

句会メモ

今回で、香川句会は、七十回を迎えました。ご参加の皆様方のお蔭様です。ありがとうございます。18日の句会には、徳島から小山やす子さん、岡山から小西瞬夏さん、久々の町川悠水さんもご参加になり、熱く楽しい句会になりました。

<袋回し句会>は即興の良さです。まだまだ推敲の途中の句も有るかと思いますが、それもまた一興です。今回のお題に本句会の代表だった「高橋たねを」さんも登場し、句会場のどこかで、たねをさんが嬉しそうにご覧になっているように強く感じました。尚、小西瞬夏さんの<袋回し句会>の作品は、ご本人の希望により不掲載としました。 次回の、ご参加を楽しみにいたしております。

Calendar

Search

Links

Navigation