2016年3月31日 (木)

香川句会報 第60回(2016.03.19)

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事前投句参加者の一句

白梅やしずかに止みし姉の脈 稲葉 千尋
少年はいつも少女を待ち早春 小西 瞬夏
海地獄春の色して茹で卵 寺町志津子
俯けばしんがりの梅ほつと開く 伊藤  幸
ちるさくら受くるあなたのからだかな 竹本  仰
白鳥帰る完全無欠な青連れて 夏谷 胡桃
前を行く人から春がこぼれます 柴田 清子
風とまりふと足元にすみれ草 中西 裕子
病窓の陽射しに俺もホーホケキョ 増田 天志
穴ひとつ掘るだけに生き春の月 銀   次
とことんに列島に花ある蕊よ父の口 KIYOAKI FILM
沈丁花光に嘘のない美(は)しさ 久保 智恵
花あしび別れすぐ来る手を上げて 野田 信章
芽起こしの風に躓く麒麟の眼 亀山祐美子
風連れてどれを買おうか植木市 髙木 繁子
やわらかく仔猫かさなる箱の中 月野ぽぽな
宅急便曲がって曲がって春の街 三枝みずほ
うつばりの黝(くろ)のはなやぎ夕朧 矢野千代子
涅槃図に三十歳(さんじゅう)の我入りしまま 高橋 晴子
とりどりに鳥宿りおり春の雨 藤川 宏樹
有難うの卒業涙の相似形 中野 佑海
うどん県遍路が合掌ちゅるるるる 町川 悠水
オレンジな一日の唇軽く拭う 桂  凛火
春愁に非ず十指を陽にかざし 谷  孝江
夢十夜百年待てと春の闇 野澤 隆夫
古書店に蹄の音す菜の花忌 若森 京子
春の土アダムとイブの匂いかな 重松 敬子
三鬼の忌金属音の蠅生る 三好つや子
千手観音(かんのん)の御手にそれぞれ白木蓮 田中 怜子
春疾風ジンギスカンが旗を振る 漆原 義典
鋭角の言葉をミモザに変換す 古澤 真翠
春の空娘はぼんやり彫るがいい 小山やす子
たんぽぽや他力本願風の道 藤田 乙女
唇に雨粒二つ三つ春 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「とことんに列島に花ある蕊よ父の口」核心をつく言葉ポツリと無口なる父。息子の心に、蕊は、いつしか、果実に育つ。

月野ぽぽな

特選句「祖祀る心音かるく春落葉(矢野千代子)」:「祖祀る心音かるく」が良かった。先祖を祀る心を日々もてることは宝。その恩恵を受ける心のありよう、心音は重くなく軽い。「春落葉」もその佇まいの良さ、またその地道な生の営みに寄せる心が上五中七と通じ合っている。

中野 佑海

特選句「うつばりの黝のはなやぎ夕朧」素封家を百年近く守って来た土間の大きな太い梁。漆や煤や手入れして黒光している。そこに住む人の思いとも渾然一体となった梁。今、その家の主たる妻の心の華やぎ。夕映えの色。桃の花色と匂いと家族の歴史総てを抱き止め悠然と繋いでいく。そんなかってあった物語性を感じます。特選句「オレンジな一日の唇軽く拭く」とっても軽快な前半、どんな楽しいことがあったのかなと想像逞しくしてしまいました。後半がまた、意味深ですよね!こんな青春な一日を若い人は年とってもですが、楽しんで欲しいと思います。増田様。また、大津から半歌仙を御指導しにおいで下さり有難うございました。増田様の名さばきで面白い歌が展開しました。また、楽しい俳句論をお聞かせください。

藤川 宏樹

句会冒頭、百余の句を一気読み。この緊張感を大事にしたいです。短時間の選句ゆえ読みづらい句は飛ばしてしまいますが、ご容赦ください。特選句「芽起こしの風に躓く麒麟の眼」首長く脚長くいかにも不安定なキリンが微風にヨロッと躓く一瞬。その眼は高いが大きく優しい。「芽起こし」から日本の一景と窺えるのにサバンナの点景が浮かび来ます。起の「芽」と〆の「眼」、対が効いています。

古澤 真翠

特選句「うつばりの黝のはなやぎ夕朧」:「黝」という蒼みを帯びた黝い梁に魅入っている作者の感動を 「夕朧」と表現なさる感性に惹かれました。「み吉野に色はありけり夕朧」という句が ふと浮かんでまいりました。

野澤 隆夫

今月も楽しい句回の場を作って頂きありがとうございました。天志さん捌きの歌仙も、少し慣れてきて面白いです。6月の伊吹島吟行合宿も原案が出され、楽しみです。特選句「エシャロット刻むパリは噂好き(重松敬子)」:「エシャロット」を『広辞苑』で調べると「…タマネギに似る。…みじん切りにして香味料として…」と、〝パリは噂好き〟が何ともお洒落。最近はフランス映画を見ることもなくなり残念。「主翼灯仄か雲海の彼岸入り(藤川宏樹)」〝雲海に仄かな主翼灯〟と、目にしたことを上手に作句できてると思った。彼岸の入りの日に飛んだのです。「古書店に蹄の音す菜の花忌」この句も好きです。土佐藩祖・山内一豊が名馬を駆って古本屋に現れたか…。〝蹄の音す〟がいい。

町川 悠水

選評を書くというのは難しいものですね。句会でぱぱっとしゃべるのは比較的易しいものの、文字に置くとなると、俳壇選者の苦労もわかるようで、皆さんのお気持ちはどのようなものか。銀次さん流を真似るというのも、粋ではあるものの、手の届かぬところにあるしなあ‥‥。ここはやはり、自分の身の丈にあったやり方でいくしかないか‥‥特選句「賑わしの作句限界春の雨(古澤真翠)」以前の埼玉でのささやかな句会では、高齢者も何人かいて100歳近い人もいました。すると、このような嘆きを聞くこともありました。でも、上出来と思える句は誰だってそうそう出来るものではないよと、慰めたりしながら一緒に楽しんだものでした。実は、限界と思う気持ちこそが尊いものであり、その身のまわりから真の佳句が生まれ出るということがあるのではありませんかね。単なる同情ではなくて、「春の雨」で特選としました。僭越ながら「賑はし」がよくはありませんかね。特選句「つくしんぼ宇宙の響き満身に(増田天志)」土筆をこのように感じ取る。私の子どもの頃の強烈な印象とよく重なり合って嬉しくなります。宇宙は、光であるとみるか、響きであるとみるか、そのどちらかでしょうが、ここは「響き」で正解でしょうね。準特選句「宅急便曲がって曲がって春の雨」がグーですね。問題句「にんげんも蛙も臍出し三鬼の忌」佳句だと思うのに、なぜかよく解らない。突っ込みを入れるなら、「にんげん」ではなく「人」なのでは?三鬼に惹かれる私なので、これを超えるような句を作らねばと思う反面、果たして出来るだろうかとも。「ちるさくら受くるあなたのからだかな」は、感銘深く選ばせていただきました。ただ、「受くる」は「看取る」ではないのかと思いながら、鑑賞を間違えているかなとも‥‥。並選ながら「主翼灯仄か雲海の彼岸入り」、「春疾風ジンギスカンが旗を振る」も印象深くいただきました。全体として、わからない句はわからないまま脇に置いて、片や辞書をめくりながら鑑賞させていただくのも、新たな地平が開けてくるようで、楽しいものです。

銀   次

今月の誤読●「人といて井戸のぞくよう梨の花(夏谷胡桃)」。八五郎(以下、八)「大家さん、こいつはどういう意味なんでやしょう」大家(以下、大)「ふむ、なになに。〈人といて〉か。こりゃ、おまえ、あれだ、人といるんだよ」八「どうしてでやす」大「人じゃなきゃ、だれといりゃあいいんだい。虎かい。そんなものといた日にゃ食い殺されちまうよ」八「だったら犬でいいんじゃないですかい」大「犬だって、機嫌が悪けりゃガブリとやられちゃうんだ」八「じゃあ、猫」大「あいつは引っかく」八「うちのおっかあも時々引っかく」大「いいよもう。人だよ、人でいいんだよ。文句があるなら大岡さまにでも訴えな。で、なんだ。〈井戸のぞく〉と。いいじゃないか、のぞいたって。だいたいニンゲンなんてものは、穴があったらのぞくようにできてんだ」八「なんで井戸なんでやすか」大「あたりめえじゃねえか。女湯のぞいたらお縄になっちまわあ」八「まあ、あっしも何度か。いや、おっとっと、そりゃいいんですがね。それでその下の〈よう〉ってのはなんでやしょうね」大「挨拶じゃねえか。よう、八っつあんとか、よう、熊さんとかの、ようだよ」八「井戸に向かって、よう、でやすか。そりゃドジだ。返事が返ってくるわけがねえ」大「そこで〈梨の〉とくるんだよ」八「食うんですかい」大「梨の、と聞いてピンとこないかい」八「さあ」大「梨の、とくりゃ、つぶてだよ。梨のつぶて。返事なんか返ってくるもんかい」八「あ、なるほど。ようと呼んでも梨のつぶてか。ですが最後の〈花〉ってのが余りやすね」大「いいんだよ。八、いいかい。返事もねえのに、井戸に向かって、ようようと大声で呼んでたらどうなるね」八「さあ、アタマがフラフラしやせんか」大「そこだよ。花を英語でいうとどうなるね」八「タンポポ」大「バカ、フラワーってんだ」八「へえ。さすがは大家さん、学がありやすね」大「あたぼうよ。でだ、ようようと呼びつづけて、アタマがフラー、フラー、フラワーとなっちまうって寸法だ」八「なるほど、合点がいきやした」

竹本 仰

特選句「少しだけ離れ坐つてゐて春意(柴田清子)」たぶん、これは、異性の距離感のことではないのかと推量します。「そこ」にあなたが「ゐて」、「ここ」に私が「ゐて」、その緊張感、あるいは緩和感が、二人の距離をずばりと言い当てている。あるいは向こうはあえて書物を取り出しめくるのかも知れない、そしてこちらは何もできずにこの空間と時間の重みを抵抗できず受け止めているのみか。「ゐ」に古語感、歴史感、うまくしみこんでいるのではと思います。特選句「うつばりの黝のはなやぎ夕朧」古い民家の闇からうす闇、そこからあかりへの、グラデーションというのみでなく、立ち上がってくる時間のなまめかしさ。思わず、うなりそうな息をのむ光景です。奥行きを、一見別種の「はなやぎ」という語に見事にとらえているなあと感心しました。しかし、この共感は人生の内面へのまなざしに向けられたものかもと。春は芽吹き、開花の時期です。それと同時に、心の病もそれと正比例にあらわれるようです。知り合いにそういう方がおられ、しかし他人事ではありません。この間、ニーチェの言葉を読んでいたら、「もっと喜ぼう。ちょっといいことがあっただけでも、うんと喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう」 というところに接し面喰いました。これは、病ではない、これこそを芽吹くというのかなと。いい季節になりました。また、来月もよろしくお願いします。

若森 京子

特選句「白鳥帰る完全無欠な青連れて」毎年、カムチャッカの方から飛んで来て帰る白鳥に不思議な自然の摂理を思うが、完全無欠な青、純粋な青を運んでいるのに納得した。特選句「春の土アダムとイブの匂いかな」春の土に人間の始めよりの匂い、全ての自然界の始動がある。「アダムとイブ」と直接書かれている。これ以上の表現はない。

小西 瞬夏

特選句「少しだけ離れ坐つてゐて春意」この距離にはどういう意味があるのだろうか。その関係性や二人の間にあった出来事などが想像される。言葉以上の世界を作っている。「少しだけ」がやや安易な気がするのだが。「~ほど」とかもう少し具象に即した手がかりがほしい。

谷 孝江

特選句「少年はいつも少女を待ち早春」「前を行く人から春がこぼれます」なんて優しくて、情緒溢れる句でしょう。心暖まる思いでいっぱいになりました。八十ン年前のわたしにもこんな事があったのでしょうか。遠い遠い一シーンに出会えた心地がします。ありがとう。今月はどれも春らしくて大好きな句ばかり。選ぶのに大変でした。唯々自分好みになりました。来月はどんな句に出会えるか楽しみです。

寺町志津子

特選句「芽起こしの風に躓く麒麟の眼」一読、心奪われた。木の芽を上方に向ける芽起こし。その風に躓く麒麟の眼。恥ずかしながらその意がしかとは分かりかねているのに、何故だろうと自問自答。その取り合わせの独自性、新鮮な詩情に、実に魅力的な風が流れ、大好きな句であった。

田中 怜子

特選句「春愁に非ず十指を陽にかざし」陽にかざした指の明るい透明感が目に浮かぶ。気持ちの転換がはかられそう。特選句「やわらかく仔猫かさなる箱の中」仔猫のやわらかさ、すーすー眠っている感じがいいですね。問題句「海地獄春の色して茹で卵」:「海地獄」と「茹で卵」の意味がわからない。

三枝みずほ

特選句「「唇に雨粒二つ三つ春」春のアンニュイな世界観が出ていて惹かれました。一つとしないで、二つ三つと並べることで、逆に一つ目の雨粒が強調され、何かの始まりを予感させられるようです。リズムも素敵な作品でした。

重松 敬子

特選句「病窓の陽射しに俺もホーホケキョ」病気の句は寂しいものが多い中、よけい目立ちます。いいですね。人生は最後までこうありたい。退院も間じかなことでしょう。特選句「穴ひとつ掘るだけに生き春の月」下五の春の月がすべてを物語っていると思います。作者の人生に対する姿勢でしょうか・・・・・

中西 裕子

特選句「銚子酌む三人官女や桃のほほ(藤川宏樹)」春らしいテ―マで、リズムも良いのでいただきました。「少年はいつも少女を待ち早春」の、少年少女は、若い人たちと、早春が似合います。「鳴動す小さき命の春布団(三枝みずほ)」は、新しい命への喜びが感じられます。「菜の花の一塊に襲はれる(柴田清子)」は、今まで菜の花のしみるような色の表現を、こんな言い方は思い付かなかったので新鮮でした。問題句「時に奇声発して老人春の鵯(ひよ)(野田信章)」は、問題句というかなんとなく笑ってしまうような句で、奇声が老人なのか鵯なのかわかりませんでした。増田さま、遠くからいらしてくださってありがとうございます。勉強になりました。

三好つや子

特選句「「春愁の指の先から塵になる」仕事も家事もしたくない・・・そんな春の無気力感が伝わってきます。指先が塵になるという言い回しに感動しました。特選句「春の土アダムとイブの匂いかな」春、さまざまな命が芽吹く大地。朽ちた植物、鳥や獣の骸が浸みこんだ土の匂いに、神話をイメージした作者の感性が素晴らしい。「にんげんも蛙も臍出し三鬼の忌」三鬼の忌と万愚節はおなじ日。三鬼的な物の見方と、いたずらっぽい嘘が軽妙にからんだ、面白い句です。

伊藤 幸

特選句「涅槃図に三十歳の我入りしまま」きらびやかな涅槃図の中に あの悩ましい程美しかった自分がそこにいて気持ちだけはそのままなのだ。今を否定はしないがあの頃に戻れたら何をどうしていただろう。時は残酷に刻み続ける。句がどうだと言う前に 作者の思いが手に取るように伝わってくる。特選句「オレンジな一日の唇軽く拭う」素晴らしい一日を終え まだ余韻に浸っている。興奮覚めやらず唇に舌で触れるとほんのり色づいた温かみが感じられ拭うのが勿体ない位。上中下一語一語に漂う新鮮な雰囲気が魅力である。

小山やす子

特選句「躰内に水の満ちゆく鳥曇り(亀山祐美子)」春先の気も体もけだるいそれでいて何もかもが蘇生するような感覚を上手く瑞々しい表現になっていると思いました。

柴田 清子

特選句「薄氷はきっと光の翅だろう(月野ぽぽな)」瞬きをすれば消えても不思議ではない〝うすらい〟を「光の翅」だと、優しく自分自身に言ひ聞かせていながら、読手には、強い断定と受け取れる。それは『光の翅』と言ふ言葉の発見が、詩的な句として立ち上って来る。さらに『きっと』が、キラリと翅を一瞬光らせた。こんな句に出会えるから俳句は止められないのかな・・・。特選句「鋭角の言葉をミモザに変換す」何を言はんとしているのか、理解しぬくいけれど、一読、好きか、嫌いかで言えば、大好きな句。鋭角の言葉が、何であるか、はっきりしていないことが、かえってミモザでなければならない気にさせられた。この句が、私の特選へと変換させたみたい!

漆原 義典

特選句「「有難うの卒業涙の相似形」卒業式は、将来への羽ばたく喜び、友との別れの悲しさなど、それぞれ感じるところがありますが、卒業式の有難うの言葉を涙の相似形と上手く表現されていると感心し特選とさせていただきました。私は俳句を表現する言葉が乏しく、私の俳句の引き出しには「相似形」という言葉はありませんでした。私は言葉を多く持っている人に憧れます。今後、俳句の引き出しに言葉を多く詰めていくように勉強していきます。

野田 信章

特選二句。「鋭角の言葉をミモザに変換す」「春の空娘はぼんやり彫るがいい」前句に冴えた感覚による発想の句姿を、後句に感受性の豊かな発想の句姿を認めて味読中である。「変換す」といい、「彫るがいい」といい、それは取りもなおさず詩的真実を求めての創る行為の美しさに共通するものがある。私的にも、この二点の希求するところに留意したい。「何もかも海が飲み込むめおと蝶」の一句は、中句にかけての景の取り方がよい。この句柄なら「何もかも海が呑み込む」と決めたいところでもある。

桂 凛火

特選句「宅急便曲がって曲がって春の街」リズムがよくて春の明るい気持ちが伝わりますね。曲がって曲がってがよかったです。いつも見ている情景がうまく切り取られていてさわやかです。問題句「三鬼の忌金属音の蠅埋生る」三鬼の忌との取り合わせがおもしろいです。ただいまひとつわたしには 三鬼の忌が動くようにも思えました。でも金属音の蠅うまるは素敵な表現ですね。

亀山祐美子

特選句『前を行く人から春がこぼれます』一読よくわかる。明るいアンニュイが春らしい。逆選『蒲公英を転がつて行く私の港」:「私の港」が意味不明。「私の舟」なら意味が通る。しかし面白みに欠ける。ここがこの句の肝。楽をした。残念。

高橋 晴子

特選句「白梅やしずかに止みし姉の脈」ふと蕪村の〝白梅に明くる夜ばかりとなりにけり〟を思いだした。悲しみが伝わってくる。問題句「被曝牛乳房の張りをわれに見す(稲葉千尋)」〝われに見す〟をもっと牛そのものの在り方に変えるといい句になると思う。

野﨑 憲子

特選二句。「穴ひとつ掘るだけに生き春の月」この省略の美しさ、春月の何と艶なることか!煮詰まってばかりの私にとって、この上もないエールと受けとめました。「とりどりに鳥宿りおり春の雨」ト音の繰り返しが雨音に聞こえてくる。昔、栗林公園を歩いていて、にわか雨に会った時、走り込んだ四阿・・ふと見上げると、梁の上に、尾長鳥が何羽も居ました。記憶を喚起させる作品に力あり。句に出逢ふ喜び確と三月尽 憲子  

(一部省略、原文通り)

半歌仙『風光る』の巻     捌き  増田天志

風光る島の自転車ハイカラさん
増田 天志
  ひらりひらりと夕べ陽炎
野﨑 憲子
夢うつつ鼻孔くすぐる春日にて
中野 佑海
  トイプードルのかしましき声
野澤 隆夫
うさぎはね雲をかき分け月に入り
藤川 宏樹
  温き酒にも寂を先取る
   佑海
紅葉かるトロッコ列車に手を振りて
郡  さと
  還暦過ぎし恋はうたかた
漆原 義典
七輪に束ごと燃やす想ひ文
銀   次
  兄さんと呼ぶプラットホーム
   憲子
こんぴらへ裏参道を駆け登る
   さと
  飛び交ふ鳥の哀しかるらん
   佑海
月涼し胡弓聞こゆる旅の宿
   さと
  鰻食ひたし四万十まで行く
町川 悠水
寅さんの古い映画のかかりをり
   さと
  無用の用はバケツにいけて
中西 裕子
禿隠し竹馬の友と花の宴
   悠水
  息づく灯り雛の寄り添ふ
   佑海

句会メモ

お陰さまで、「海程」香川句会は、第60回を迎えました。ひとえに、ご参加の方々、また、見守ってくださる読者の皆様の温かなお心によるものと存じます。有難うございます。そして今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今回は、大津より増田天志さんが参加されましたので、久々に半歌仙を巻きました。俳歴も、句柄も、それぞれに違う方のご参加なればこその、ちょっと型破りな面白い歌仙になりました。歌仙には、取り決めが様々あるのですが、それをあまり気に掛けないのが、この句会の、また良い所でもあります。増田さん、捌きを有難うございました。いつかまた是非やりたいです。

2016年3月1日 (火)

香川句会報 第59回(2016.02.20)

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事前投句参加者の一句

スイートスプリング笑って転んで子は猫に 中野 佑海
臼起し村にわんさか子等がいた 伊藤  幸
糊代の分まで生きて柚子たわわ 谷  孝江
古着屋に西日こころは野晒しや 若森 京子
おにわらび熊野古道の鍵あける 三好つや子
テロに馴れゆく耳目全開土竜打ち 野田 信章
海峡に蝶群青を覚ましゆく 竹本  仰
反骨の父存分に梅咲かせ 矢野千代子
ストールの行方スクランブル交差点 三枝みずほ
春風の土佐堀川やカヌー速し 桂  凛火
テロリスト母の子宮に還りませ 古澤 真翠
根本中堂目に炙り出す冬の霧  小山やす子
展宏さんの笑顔酔ひ顔春立ちぬ 高橋 晴子
雪あかり静寂いよよ深まれり 田中 怜子
春の闇そっと涙とフランスパン 鈴木 幸江
鶫(つぐみ)睦ぶ畑中バレンタインの日 野澤 隆夫
春節や街闊歩する北京人 漆原 義典
雪見酒旅の果つるを此処と決め 銀   次
唇にピンクを足して春の街 藤田 乙女
後手で山見る婆や春よ来い 稲葉 千尋
空函に白蝶飼うて不意にひとり 小西 瞬夏
また二人昔を啜る小豆粥 髙木 繁子
梅が香を思いきり吸い吐き出さず 寺町志津子
春一番巨船着くなり顎外す 町川 悠水
春出水唾溜りけり父の辞書 KIYOAKI FILM
シリウや大蛇(おろち)は朱き腹を見せ 重松 敬子
鯉浮かぶ言葉のいらない世界から 河野 志保
権力の尻から腐る南瓜かな 夏谷 胡桃
殺戮の止まぬ市街へ赤風船 増田 天志
海女入れて海原うっとりと光る 月野ぽぽな
裸木の無口なれども 陽は温し 中西 裕子
松籟へ応ふる詩を持たず春 亀山祐美子
大野火や十七音の風の杖 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「海はゆりかご冬のゆうやけへまた明日(谷 孝江)」:「海はゆりかご」一発の句。生き物の源、生き物の優しい母であり厳しい父である海。いつも前を見てゆく姿勢「また明日」が頼もしい。

稲葉 千尋

特選句「臼起し村にわんさか子等がいた」初めて見る季語「臼起し」により子等の歓声が聞こえてくる。子等の顔が見えてくる。「ストールの行方スクランブル交差点」ストールの女性の行方を目で追う作者が見えてくる。きっときれいな女性なんだろうと想像する。

増田 天志

特選句「空函に白蝶飼うて不意にひとり」孤独感がしみじみ。特選句「きさらぎや犬捕りもいて白濁色(若森京子)」季節感が巧みに表現されている。

桂 凛火

特選句「春の水ゆれて日輪の暗号(野﨑憲子)」とても静かな風景ですが最後の暗号で深く意味づけがされておもしろい句になっていると思います。日輪という古代語の使用も効果的ですてきな句だと思います。

KIYOAKI FILM

特選句「古着屋に西日こころは野晒しや」:「西日こころ」と「野晒しや」が良かった。「野ざらし」という漢字で覚えていたので「野晒し」が良かった。古着屋のひとの姿を思わせる。特選句「女子会の大空騒ぎバレンタイン(重松敬子)」:「女子会の」にふらあっと、となって特選にしました。「女子会」に女性の魅力を感じました。

町川 悠水

今月の句会は、世話人である野崎さんのほかは皆男性。これは初体験ながら、野崎さんの堂々のさばきは天晴れ。これで益々、海程香川句会の今後は安泰と確信しました。ここで小生の選句基準らしきものを申し上げるなら、リズムと季語があることです。例外もありますが、好みとしてそうならざるを得ません。偏見じみておりますがね。特選句「反骨の父存分に梅咲かせ」。いいですね。小生が反骨心を多少持ち合わせる人間だからでしょう。その奥行までも愉しませて貰うことができるのです。盆栽の梅でしょうが、そうでなくても立派に鑑賞できます。特選句「権力の尻から腐る南瓜かな」これもいいですね。風刺の利いたものはとかく川柳になりがちですが、これは紛れもなく俳句で秀作と思います。準特選句「テロに馴れゆく耳目全開土竜打ち」。これは小生の基準に照らし、「まさにテロ耳目‥」として貰ったらと思います。と言いますのは、前の埼玉県では菜園もやや広くあって、土竜には大層悩まされました。そこで対策も多く試みた結果、唯一成功したのは空き缶を利用した落し穴をいくつも置き、それで1匹捕獲したからなのです。そうした経験もあって申し上げた次第です。問題句「春の水ゆれて日輪の暗号」。”ゆれて”が説明になっていませんかね。佳句であるだけに「日輪の暗号あらはに春の水」ではいかがですか?

野澤 隆夫

昨日は野崎さん以外は男ばかりの「びっくりぽん」。いつだったか、男は小生だけのなんとなく詫びしいこともありましたが…。でも句会は人数、男女、年齢等に関わらず楽しいものですね。人が寄ってるだけで句会です。今月の小生の選句の秀句。「 ターバンを巻いて史書読む冬ごもり(桂 凛火)」この句に自分を当てはめました。夜に見るテレビもなく、家族はそれぞれに自分に熱中。小生は茶の間を抜け出して、寒いダイニングのテーブルに座り読書。司馬遼太郎の「坂の上の雲」の第1巻を読んでる。フード付きのヒートテックのジャパーに、ご丁寧にマフラーまで巻き付けての小生流「冬ごもり」。をイメージしました。「 河豚酒やひとりになったと友のいう」も、何か身につまされる句です。こうならないためにも、やはり趣味は継続し頑張らなければと、実感してます。

小西 瞬夏

特選句「寒稽古五人は球体のまま昏れる(若森 京子)」:「球体」とはいったい何か。ひとりひとりがまるい物体なのか、それとも5人がまとまることで一つの物体になるのか。「球体」という形の美しさ、不思議さ、完全さを思う。それが「地球」や「宇宙」の相似形にも思える。季語の「寒稽古」がうまく響いているかどうかはやや疑問。

藤川 宏樹

三句選びました。「女三人座禅の前後雛囲む[高橋晴子)」:女三人雛を囲み和らいだ語らいの空間が、座禅の清逸空間を際立たせ見せてくれます。「志氷壁きらりニュートリノ(町川悠水)」:「志氷壁」を「止水壁」と誤読、福島原発の凍土止水壁に意識が飛びました。「春一番巨船着くなり顎外す」:「顎外す」は豪華客船を見上げて口あんぐり、作者の顎と見ましたが、実は着岸し口を開けるフェリー・・・で、お手付き二つ目。「間違っていることが、フックが残る」(現代美術家 村上隆)・・・まさにそのとおり!

伊藤 幸

特選句「スイートスプリング笑って転んで子は猫に」春らしく楽しい句である。スイートスプリングの青く硬い皮の中の甘い果実と子供そして猫の取合せが何とも微笑ましい。特選句「松籟へ応ふる詩を持たず春」作者にとっての松籟とは?模索の中で迎えた春をどの様に消化すればよいのか…。端正な句の中に作者の現在の苦悩が見える。しかし一行詩にこれだけの思いを凝縮出来る作者、私の様な未熟者には計り知れない才と唯々脱帽である。

漆原 義典

特選句「唇にピンクを足して春の街」は春を待つ心を、ピンクを足すと表現し、素晴らしい句だと思います。

竹本 仰

特選句「風花仄か同胞の遠会釈(月野ぽぽな)」:兄弟姉妹の距離というのは、世間的・常識的にはそんなものなのでしょうが、うまく疎遠になってしまうというところがありますね。幼少のころ、あれだけ濃かった繋がりが、本当に見事にほぐされていきます。それはなぜなのか、とあえて問いかけてみたのが、この句なのではと思います。人がやがて離れ離れになってしまう、それは抗いがたい天然なのかも知れませんが、そうですね、特に肉親のお葬式なんかあると、この疑問がほんと瞬間に来ることがあります。この「風花仄か」が、その瞬間を、しかも伸縮性のある空間として、うまく出せているように思いました。特選句「テロリスト母の子宮に還りませ」:テロリストという言葉を有名にした一人は、石川啄木なんではないかと思います。なんせ、詩の中に堂々と出したのですから。大杉栄さんなども、この言葉で当時は政治的に利用されたのでしょうね。面白いことに、テロリストというのは、当時から女性とのつながりを強く意識させるところがあります。テロリストというあくまでも呼称なんですが、傾向として、男女の根源的な結びつきをうながす何かがあるんでしょうか。古い話で恐縮ですが、あさま山荘事件なども、あれは男部隊としてなら起こりえなかった展開をはらんでいました。あの時も、山荘にこもった過激派たちに最後の説得にと、母親を連れ出すという一幕があり、つくづく母というのはこの世界の限界に立つ倫理であるなあと、脱線しつつ感心した次第です。問題句「大野火や十七音の風の杖」:メタ俳句というのでしょうか?俳句を問う俳句?何となく山頭火の「うしろ姿のしぐれてゆくか」を思わせる、かぶく姿が面白く、舞台的に鑑賞して、快哉快哉と、叫びたくなるような句であります。こういう句への、挑戦があったということが、うれしく感じられました。以上です。まだまだ寒い日が続きます。週明けの月曜日は、久々の休日(二月初?)がとれそうなので、室戸岬へ巡礼してきます。みなさん、いつも、ありがとうございます。来月も、よろしくお願いします。

古澤 真翠

特選句「根本中堂目に炙り出す冬の霧」1200年前から続く最澄の灯明を 目に炙り出すと表現されたのでしょうか…冬の霧という結句に 謎めいた歴史の深さを感じさせられました。

若森 京子

特選句「おにわらび熊野古道の鍵あける」わらびの形象から鍵をイメージさせて熊野古道の春が始まったと。古代の人々からずっとその情感は変わる事がない。「蓮華の蜜含み囚徒の唇となる(小西瞬夏)」蓮華の蜜を吸った時の幸せ感はたとえ様のない昂揚感がある。むさぼる様な囚徒の渇いた唇になるであろう。二句共に、春の喜びが溢れて好きでした。

銀   次

今月の誤読●「ええっ何の甘露煮だったか春(増田天志)」。「〈ええっ〉、ベッキー不倫ってほんまかいな」「いまごろなに言うてんねん、あんたワイドショー見てへんのかいな」「相手、だれやのん」「ゲスの極みのなんじゃらいうバンドのボーカルやて」「ゲスって〈何の〉こっちゃ」「そやからそういうバンドの名前やがな」「ふーん、やっぱり〈甘〉いイケメンかいな」「ぜんぜん、おかっぱ頭の不細工な男や」「わからんもんやな、ベッキーがそんな男にな。そういやベッキー最近テレビの〈露〉出、少ない思てたわ」「少ないんとちゃう。謹慎中で出てへんのやがな」「ほな家の中で」「そやがな謹慎してんのやがな」「食べにも出んと家で〈煮〉炊きしてんのやろか」「せやろな。ちょっとかわいそうな気がせんでもないな」「そういや、いつ〈だったか〉忘れたけど、不倫は文化や言うたタレントいたな」「いつの話や、石田純一やろ」「あの人やったら、うち不倫してもかめへんで」「鏡見ていい。あれへんあれへん」「やっぱり〈春〉なんやね」「なんやねん、急に」「そやから猫かて春にはさかりがつくっちゅう話や」「さかりて、あんたオチが下品やな」「えらいすんまへん。下品はあんたの顔やったな」「そやそやって、なでやねん。しまいに怒るで」

中野 佑海

特選句「ダンデイな詐欺師にらんまん葱の花(矢野千代子)」どんなに恰好良く気取ってみても、所詮詐欺師は詐欺師。胡散臭さは免れません。その紛々とした、怪しさも葱の匂いとは。お笑いですね。本当はそれが、砂上の楼閣だったとしても素敵に決めて頂きたいものですね、世の男子諸君!特選句「陽炎や右脳まさぐる舌の先」なんとまた、悩ましき俳句であることか!頭の中の思い出そうとして思い出せないあの感覚をとってもうまく表現して下さって有難う。正に認知症一歩手前。情けなや。問題句「海はゆりかご冬の夕焼けへまた明日」海の中へお日様が戻って、お休みなさいをするところ。緩くて可愛くて素敵だけどもう少し短い表現で足りると思います。以上、今回も楽しい素敵な俳句を拝読させて頂き有難うございます。句会に出られずに残念でした。来月はまた、脳の活性化の為に句会に参るぞーさん!!

野田 信章

「暗暗と雨吸う足裏梅ましろ(矢野千代子」は、「足裏」に「暗暗と」では、生真面目すぎて重っ苦しい感がある。せめて「あんあんと雨吸う足裏」ぐらいの表記で「梅ましろ」との生き身の反応を果したいと思う。「裸木の無口なれども 陽は温し」は「裸木や」と切字を設定することで、自己の無口として自立させて、裸木との響合を求めたいところである。冬から春への間(あわい)としての大気の伝達がこの句のポイントである。

寺町志津子

特選句「海峡に蝶群青を覚ましゆく」景の大きさに好感。何処の海峡であろうか?「群青を覚ましゆく」の意味するところに迷い、今も釈然とした理解が出来ていないので、特選に選んでの選評は避けたい思いであるが、蝶が運んでいく季節の色合いの移ろい、はたまた、海底に眠る戦艦や戦死者の魂への鎮魂とも思え、清冽な句の姿に、ともかく好きな句であった。特選「みずうみに春が来ました戦地です」平易な言葉で、おだやかにさりげなさそうに詠まれている表現に、静かな詩情と平和への強いを感じた。「シリウスや大蛇は朱き腹を見せ」夜神楽であろう。よく見かける景の句とも思うが、夜が更けて神楽は佳境に入り、神楽定番のおろちが朱色の腹をくゆらせながら大揺れ。凍てついた冬の天空のシリウスとの対比が絵のようである。

中西 裕子

特選句は「雪あかり静寂いよよ深まれり」、でスッキリ感があり、いよよという言い方が、静かななかに、力強さを感じました。「枇杷ノ花心に触れることありし(重松敬子)」の枇杷の花も、地味ななかに存在感のある枇杷の花を取りあげていて、最近枇杷のはちみつの話をテレビで見たばかりで、気になりました。

夏谷 胡桃

特選句「海女入れて海原うっとりと光る」少し暖かく緩んだ海に海女が抱かれている。少し色っぽさもあるように感じました。特選句「テロに馴れゆく耳目全開土竜打ち」本当に毎日毎日戦争のニュースに、私たちは戦争に馴らされていくようです。そうして、戦争が勃発(意図的に)するかもしれません。「土竜打ち」があいすぎている気もしたのですが、「土竜打ち」にユーモアもあると思いました。

鈴木 幸江

特選句「糊代の分まで生きて柿たわわ」私事になるが、92歳でいまだに1日3時間だが、コーヒーショップを開いている母がいる。その母の生き様を、この句は言い得て妙だと思った。「柿たわわ」が、その人生を肯定しているようで、とても嬉しくなった。特選句「暗暗と雨吸う足裏梅ましろ」足裏は、普段お世話になっている大切な部位なのに関心は薄いところ。しかし、その待遇にも文句も言わず耐えている。雨を吸いながら頑張って生きている。勲章のように白梅が寄り添い咲いている。そんな情景が想像され、よい句だと思った。問題句「展宏さんの笑顔酔ひ顔春立ちぬ」川崎展宏の笑顔は記憶にあるような、ないような。酔った顔は想像するばかりである。しかし、それがとても明るく楽しく、元気をいただいた。問題は、「の」がない方が、リズムがでて、よいのではないかと思ったこと。

小山やす子

特選句「おにわらび熊野古道の鍵あける」比喩が面白いです。「糊城の分まで生きて柚子たわわ」は等身大に生きられたらそれで十分と思うが、糊代の分があるとは面白い発想です。

三好つや子

特選句「大野火や十七音の風の杖」野火のうねりにも似たさまざまな葛藤を、日々俳句と向き合い乗り越えてきた作者。とりわけ中七と下五の表現に共感。特選句「糊代の分まで生きて柚子たわわ」五体のあちこちに不具合があっても、今を生きている事の喜びが素直に伝わってきます。柚子の香りがするオーガニックな句。問題句「たてがみを揺らし乗り込む雪女(桂 凛火)」肉食系の雪女を想像させ、すごく面白いです。雪女の髪がたてがみのようなのか、雪女が馬に乗ったのか、という曖昧感が気になりました。

谷 孝江

特選句「反骨の父存分に梅咲かせ」かっての日本男子の原点を見る思いです。亡父の姿とも重なってまいります。まっ白な梅が凛と香っているのでしょうか。特選句「鯉浮かぶ言葉のいらない世界から」沈黙の力、思いの深さがあります。その外に「海女入れて海原うっとりと光る」日本海の荒波を見慣れてきた者には「うっとりと光る」穏やかな海が羨ましいです。終日うっとりと海原を眺めていたいもの・・・とあくせく過ごしている毎日が省り見られます。

三枝みずほ

特選句「みずうみに春が来ました戦地です(夏谷胡桃)」きれいな作品かと思いきや、下五でその色彩、風景が一変しました。口語体でさらっと言う厳しい現実に、切なさ、やるせなさを感じました。「春の水ゆれて日輪の暗号」水のゆらめき、光の屈折、輝きが暗号とは、面白い捉え方だと思いました。この自然からの暗号が解読出来たのかも、気になるところです。

高橋 晴子

特選句「海峡に蝶群青を覚ましゆく」感覚的、暗喩的で好きな句。〝覚ましゆく〟に、拡がりを感じる。問題句「テロリスト母の子宮に還りませ」どうしようもないから、こういったのだろうが、甘い!

河野 志保

特選句「海女入れて海原うっとりと光る」季語はないが「うっとりと光る」で春の海を想像した。「海女入れて」に自然と人間の一体感みたいなものを感じ、とてもひかれた。 本文

重松 敬子

特選句「春風の土佐堀川やカヌー速し」平凡な句ですが、待春の躍動感があふれ、素直に嬉しくなりました。

亀山祐美子

俳句なのか詩なのか、つぶやきなのか愚痴なのか、キャッチコピーなのか…言葉の羅列の中、目に見える、景の描ける作品を選んだ。特選句『権力の尻から腐る南瓜かな』権力を持つ者(団体)が目に見えぬところから腐ってゆく様、警告。自壊。「南瓜」のどっしり感が「権力」の動かないもどかしさ、圧力感を上手く代弁し、茶化している。 「権力」を「人類」と置き換えれば警鐘句としても成立する一句だと思う。特選句『大野火や十七音の風の杖』広大な野焼きの煙りがそこかしこから風に煽られ立ち昇り、天上人か仙人が杖をついているかのような大きな景が広がる。「十七音の風の杖」は、俳句を自己表現の手段としなければ、この風景には感動しなかった。否、迷惑感さえ募らせたかもしれない。人生の杖となる「俳句」に出会えた喜びが素直に伝わる。「風の音」ではなく「風の杖」としたことで陳腐さから逃れた。ただし、この手がいつも利くとは限らない。難しいところだ。本文

藤田 乙女

特選句「足元を猫がくぐる春のカーブ」春の暖かさと猫の温もりが重なりあって伝わってきます。「ダンディな詐欺師にらんまん葱の花」詐欺師と葱坊主の組み合わせがとてもユーモラスで楽しい気分になります。

野﨑 憲子

特選句「おにわらび熊野古道の鍵あける」平仮名表記の「おにわらび」が不気味。しかし、この蕨の親分は、十七音の天辺に鎮座して、熊野古道の奥の奥の途方もない扉を開きそうな気配であります。特選句「海峡に蝶群青を覚ましゆく」:「群青」と云えば、谷村新司の、特攻を詠ったという名曲『群青』が思い浮かびます。海峡を渡る蝶の鎮魂の調べが読む者の心の底に響いてくる名句だと思いました。問題句「春一番巨船着くなり顎外す」句会当日の作者の自句自解で「顎外す」が、フェリー船の着岸の状態を詠んだものと知りました。なるほど。私は、早春の港に大きな船が入り、びっくりした風が顎を外したのかと・・ンなこと、無いですね。今回も、チェックした作品が数多あり、最後の最後まで選句に悩みました。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

一昨日
おとといの鰭酒旨し寿(いのちなが)
町川 悠水
億年も一昨日も彼方とす
銀   次
おとといの陽炎からのメールです
野﨑 憲子
雨水
天上へひらく嘴雨水かな
野﨑 憲子
靴しみて傘折りたたみ春雨水
藤川 宏樹
かの乱歩読み終へし今朝雨水かな
野澤 隆夫
帆をあげて日の丸たてて春の海
銀   次
大寒や凛と日の丸警察署
野澤 隆夫
墓参赤旗愛し燃え尽きて
町川 悠水
時は来て白旗上げたし初句会
藤川 宏樹
小机に梅の欠けらを残しをり
銀   次
受験生ひとり机を撫でまわす
町川 悠水
嗽して机の上に風邪薬
野澤 隆夫
少年が鼻血洗へり春の川
銀   次
ぶらんこや団子ツ鼻と鷲ツ鼻
野﨑 憲子

句会メモ

今回のサンポートホール高松での句会は、春の雨の中はじまりました。句会においでくださった方々に感謝です。 見学に来て下さった藤川宏樹さんを始め、皆様男性という、句会発足6年目にして初めての不思議な楽しい時間でした。(^_-)-☆ 色々な方のご参加で、ますます句会が盛り上がって参ります。来月は、女性の方も奮ってご参加ください。

句会の二日前が雨水ということで、<袋回し句会>のお題の中にも「雨水」「一昨日」が入り、面白い句や、考えさせられる句、懐かしい句がいくつもありました。袋回しにご参加くださった藤川さんの「靴しみて傘折りたたみ」のフレーズには、春寒の思いが籠り良かったです。また、是非、ご参加ください。袋回し句会の句数は、いつもより少し少なくはありましたが、人生の一齣一齣を垣間見られるような作品に出会え感動いたしました。次回が、また、楽しみです。

2016年1月28日 (木)

香川句会報 第58回(2016.01.16)

三つの太陽.jpg

事前投句参加者の一句

    
花八ツ手式守伊之助休養す 稲葉 千尋
柩小さし水鳥はみな水に眠る 小西 瞬夏
年の瀬や皺嗄れ声の裁判所 尾崎 憲正
雪もよい蟹たべに行く愉快なバス 重松 敬子
鍋焼きをはふはふ啜る和解かな 三好つや子
岩石やガガガガガガガ蝶番 KIYOAKI FILM
風冴えて夕げの買い出し坂くだる 中西 裕子
前衛書の心なりけり冬木立 漆原 義典
左義長やあおりあおられ鳥飛翔 田中 怜子
比叡山全て承知で眠りおり 古澤 真翠
ラジオ消す世界は冬の木霊して 夏谷 胡桃
軒先に春光あちこち猫いびき 髙木 繁子
女鳥王(めとりのおうきみ)白鳥となりし夜の帳(とばり) 寺町志津子
冬雲の光瞳に溜め死者送る 小山やす子
午後という間抜けた時間冬の雷 谷 孝江
一椀は過疎の明るさせりなずな 矢野千代子
寄鍋や外は小雨になつてゐし 高橋 晴子
大銀杏大切株となりし冬 亀山祐美子
ゴム銃で狙い撃ちするオリオンへ 伊藤 幸
木葉木菟夜は袖ふるめくら縞 若森 京子
凍港や天の穴からカモメ降る 銀   次
鮮やかな冬日滅びのささくれて 竹本 仰
馬駆ける土の匂いを強くして 河野 志保
木枯しを背負って帰るワンルーム 三枝みずほ
盥にて冬の満月飼っている 増田 天志
風止まり静止画となる冬日かな 藤田 乙女
遠耳の二人の阿吽冬朝日 野田 信章
捨てたはずの本また積んで年新た 中野 佑海
源内と孵卵器のような初句会 町川 悠水
所望して七草粥のドリアなる 野澤 隆夫
水底に藻の揺る戯れごと恋の 桂 凛火
群青や鼻の穴見る初鏡 鈴木 幸江
凍蝶の砕けて遠い星に風 月野ぽぽな
鐘が鳴る夢の枯野に鐘が鳴る 野﨑 憲子

句会の窓

中野 佑海

毎回、色々な俳句談義とっても楽しくかつ為になります。さて、1月句会の選句は下記の通りです。特選句「からだじゅう手ぶらな拒絶冬の鯉」正しくまな板の上の鯉ですね。中七の表現がもうどうすることも出来ない感満載で、可笑し味すら漂わせていま す。最高の万才です。もしくは、道ならぬ恋に堕ちて、夜も日も明けぬとか!特選句「鮮やかな冬日滅びのささくれて」冬の抜ける様に澄んだ青い空。その精妙さ故に、狂ってしまった私の人生を少しずつ少しずつ元に揺り戻してくれる様な気がしてしまうのです 。それにもうすぐ、本当に明るい春がやって来るはず。問題句「水底に藻の揺れる戯れごと恋の」この句後半部分は「恋の戯れごと」ではどうしていけないのでしょうか?これは余談ですが、十二月の拙句「柿色に泥む山里離れ牛」こんな風景まだあるのかな?と 書いて選んで下さった田中怜子様。有難うございました。十一月に四国八十八カ所二十一番大龍寺から二十二番平等寺に。ザアザア降りの雨の中を杖を突いて歩いて降りた。本当に疲れて里に降りた頃、西の山の際が雨上がりの綺麗な茜色。里は薄墨色に黄昏。そ の耕作地の山影にもの凄く大きな黒い塊。大きな鳴き声だけがそれが牛だと語っている。まだ四国にはこんな隠れ里があったのだと感嘆しきり。懐かしむ間もなく足を引き摺り平等寺に倒れ込みました。四国八十八カ所は正しく大人のテーマパークです。本当に俳 句の世界は奥深いですね!!銀次さんが仰っていましたが、何でも喋れる海程香川句会は最高です。今週は寒中ど真ん中。どうぞお身体大切に。

月野ぽぽな

特選句「冬の丘剣玉老人ぽっと咲く(三好つや子)」剣玉の得意なご老人、すっとわざが決まった時なのでしょうか。生を集中の一瞬を「咲く」と言えたところが手柄です。冬もその人の人生を思わせて、ちょうどよく効いていると思います。

漆原 義典

特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」夫婦か恋人がちょっとした口喧嘩をしたのかなぁ・・そのあとのほのぼのとした和解の様子が、「はふはふ啜る」でうまく表現されている素晴らしい句だと思い特選にさせていただきました。

若森 京子

特選句「群青や鼻の穴見る初鏡」鼻の穴の暗さと作者の直視する群青との落差のコントラストの面白さが一句を広く深くしている。初鏡の季語により一年の始めの作者の意気ごみも感じられる。特選句「海寄りの難民の影臘梅に(野田信章)」庭の隅に咲く 蝋梅の香りに浸りながら、あの透明な花に色と思いを馳せるのが好きだが、私はシルクロードの荷を解いたが、今は、あの難民の悲劇をふと思った。臘梅には色々な思いが重なってくる。

野田 信章

三行メッセージ(註:句稿に掲載の参加者のお一人からの質問・・「みなさん、俳句はどのように作るのでしょうか。聞いてみたいです。季語から?言葉が降りてくるのかしら?私は最近降りてこないのです。」)に対してーこのように貴重な愚問を発する ことは実作者にとって、とても大切なことではなかろうか。私もまた似たような課題を抱えながら新年を、もたもたと歩き出したところである。メッセージの主旨の前段、後段の疑問に対する端緒はこの百二句(句稿の全句)の中にだって存在する筈である。と申 しますのも、良き作り手になりたいと思うなら、何よりも先ず良き読み手になることではないでしょうか。方法論もここのところを踏まえた上での対応を考えたいと思います。

町川 悠水

濃厚な「海程香川句会」に、まず感謝。疲れはするものの、これくらいで疲れるようでは除籍しますよと、叱られそうな気もしています。今月も交代制によって、手厚い洗礼を受けました。これにも感謝。そして忘れてならないのは、それを切り盛りしてい る世話人さんの情熱と力量。簡潔表現すれば以上ですな。では次に、見直しを含めた選句とコメントを。特選句「前衛書の心なりけり冬木立」。格調高く秀逸と見ました。ただし、「前衛の書の鑑(かがみ)なり冬木立」ではないの?と呟きたい外野席。特選句「 一椀は過疎の明るさせりなずな」。中七が巧みであり、作者の心の豊かさまで伝わってくる。準特選句「おでん屋のテレビざらつく午前二時(桂 凛火)」。いいですなあ、作者の内面とその場の光景が描き切れていて。問題句「午後という間の抜けた時間冬の雷 」。読み違えていないなら、作者の意図は「冬の雷間抜けた午後が蘇生する」ではなかったか、あるいはそれに近かったのでは?「冬の海波寂びゆくところ天国」は佳句ながら、「冬の海波・・」は「冬浪の・・」でよかったのでは?〈自戒〉短時間のうちの百の 選はきつい。一例を挙げると、「黙祷す十七日の寒稽古」は選ぶべきであったと。年齢のせいにはしたくないし、「ではどうするのじゃ」と己が己に問うている。どこかで誰かが「もっと高く翔べばいいのよ」とささやいている。ほかにも書きたいことがあります が、取敢えずここまで

増田 天志

特選句「凍蝶の砕けて遠い星に風」想像力による詩情の豊さ。

伊藤 幸

特選句「遠耳の二人の阿吽冬朝日」年輪を重ねた夫婦或いは親友同士、物言わずとも全て分かり合える。いつ迄生きられるか分からねど今日も又二人に一日が始まる。冬朝日がそれでも生きるという意欲に満ちて前向き姿勢が窺える。こうありたいと願う。 特選句「蜘蛛の巣をくぐりそこねて冬ぬくし」動の後悔、静の後悔。私なら動の後悔を選ぶであろう。結果的には動かずして今を平和に過ごす自分がいる。それはそれで良いのかも…。蜘蛛の巣と冬ぬくしの意外な取合せが微妙に合致している。

竹本 仰

特選句「夕狩や生ある物の水飲む刻」:「生」は、セイと読むのか、シヨウか。セイと読めば、生命ある側からの見方、シヨウとすれば、「死」と対概念のものとなるでしょうか。私はシヨウと読みました。つまり、これは瞬間ではなく、永続的なものとし て。シヨウあるものは、命のために水を飲むのだけれど、また、それは命のためにそのシヨウを殺める時でもあるんだと。会田綱雄の「伝説」という詩を思い出しました。輪廻転生という掟を感じさせる、荘重な、いい句だなと思いました。特選句「寒星を天に満 たして柩ゆく」:「柩」という用字がいいと思いました。昔は、ソウレンと言い、野辺の送りがほとんどだったようですが、今や葬儀は肉体労働ではなくなりました。私の個人的な宗教観との出会いは、生命はどこかに「還る」という感覚がした所からで、還ると ころがあるという思いが始まりだったでしょうか。この句は、そんな思いに重なるなあと。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」でしたか、小十郎という猟師がこれまで自分が殺してきた熊に見送られて死につつ笑っているというラストがありました。ソクラテスの弁明 だったか、ソクラテスはごく自然に、死は思ったほど辛いものでもなかろうと、自分が死刑になるのを嘆く弟子たちをかえって励ましているのには、驚かされました。宇宙(コスモス)があるということは、いいもんだなあと、また、この句にも感じました。以上 です。あと、コメント求めている方に。「俳句の作り方、あれば私にも教えてください。そういえば、この間、知り合いの方が、夜、自宅の庭につくはずのライトが点いてないと、不思議に思い庭へ降りたところ、ブロックにつまずき、これでもかという程派手に 転んで、全身傷だらけになったそうです。全治二か月。それを語るときのその方のいきいきとした表情が忘れられません。ひょっとしたら、俳句もそんなものなのかも。不思議、事件、語り・・・しかも、全身全霊。ただ、私の場合は、そんな俳句、作れません。 どちらかというと、ブロックのかわりに、季語につまずいていますね。」そして、「言葉が降りてくる」ということについて、次元の異なる話ですが、ハイデガーという方は、我々に本質について気づかせる「呼び声」というものが必ずあるとを考え、それは我々 自身の深い所に生まれる声なのですが、それを受け取るのも、また受け間違うのも、また我々なのだと言っていました。飛躍して考えると、「言葉が降りてくる」というのも、そういう我々のあり方に即したものなので、ハイデガー先生自身は多分、自分の状態に 正直であること、よく耳を澄ますことが大切だと言われているように感じます。ぐっと寒くなりましたね。いつも、ありがとうございます。みなさん、お元気で、また、来月。

三好つや子

特選句「難聴もつるうめもどき母もどき(若森京子)」冬枯れのなかで炎のような実をつけるツルウメモドキに、今の自分のもどかしい気持ちを込めた境涯句でしょうか。下五の言葉があっさりしているようで、深いです。特選句「盥にて冬の満月飼ってい る」大きな景と小さな景が一体となり、不思議な世界観を感じました。「みなさん、俳句はどのように・・」についてですが、絵の場合、クロッキーと言って人物などを数分でざっくり描く表現方法があります。私は、日々の暮らしの中で、気になる景を十七音で クロッキーし、書きだめして、時間ができたとき、意外な言葉に置き換えたりして、推敲を楽しむようにしています。香川句会は、実験的な俳句が多く、すごく刺激をもらいます。こうした刺激こそ、作句には大切だと思います。

野澤 隆夫

一月の句会、突然の息子帰国で欠席。〝一年の計は元旦にあり〟初句会が惜しかったかと…。でも半年ぶりに元気な息子を見て今年もいい年でありたいと思いました。特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」先日、ちょっとしたもめ事があり我々夫婦で何 とか対応。その席の炬燵で〝おしるこ〟を当事者と「はふはふ」ならぬ「ふうふう」啜れ、つかのまの一安心。でも翌日には腹立ちましたが…。特選句「捨てたはずの本また積んで年新た」この句も小生の年末風景。本箱の整理で捨てた本、加賀乙彦「湿原 上・ 下」(朝日新聞社・1985年)を今日も読んでます。〇 小生の作句スランプ解消法 「言葉が降りてこない」ときは、「朝日俳壇」の年度版(朝日新聞社刊)と 小沢昭一「俳句で綴る変哲半生記」(岩波書店刊)で該当月の前後を 読んで季語、言葉を探したり イメージしたりしています。 

夏谷 胡桃

特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」。田舎の楽しみは食です。そこら辺の野原からとった野草、採りたての畑の野菜、木の芽の一番鮮やかなところを頂く。贅沢な一椀にひとり満足。そんなことを思いました。問題句は「山彦や春野は血だまり溢れて る」。恐いです、八つ墓村のイメージになってしまいました。作者の意図は?:俳句を作るときは、机に向かい真っ白な紙を置かないと言葉が出てこないです。それでも、俳句脳になるのに時間がかかります。本当は、運転の時、お風呂に入りながら、料理をしな がら、俳句を考えようとしています。でも、仕事のこと、やらなくてはいけないことがグルグル頭を回り俳句を忘れてしまいます。谷川俊太郎さんが「詩を書くときは、まず頭を空っぽにする」と書いていたのを読んだことがあります。私には頭を空っぽにすると いうのが難しい。すぐに雑然とした思考が入ってきます。日々の雑事の中で俳句に向かうために、どうしたらいいか考えています。頭の切り替えをうまくできるようになりたいです。

小西 瞬夏

特選句「群青や鼻の穴見る初鏡」上五の切れがよい。「群青」が鼻の穴の色なのか、または世界に広がる色なのか。両方に視点が広がるところに、「鼻の穴見る」というナンセンスなことがくるギャップがおもしろい。なかなかない「初鏡」である。理屈を 排してなにか意味のないユーモラスな日常を意味ありげに作った。問題句「独りとはこんな軋みか髪切虫」:「髪切虫」との取り合わせはいいが「独り」と「軋み」のつなぎ方がありがち。「~とは~こんな~か」が理屈っぽい。意図が見え過ぎてしまった。「独 り」がひらがなだったらすこし意図がやわらぐ気もするが。

鈴木 幸江

特選句「岩石やガガガガガガガ蝶番」少し古くなった蝶番の存在感を小唄にしたような句だ。人の英知の結晶の蝶番、それだけのこんな句があってもいいと思った。ガガガガガガは、ガ音を含んだ、岩石と蝶番に掛り、岩石は、蝶番の枕詞のような働きをし ているところが面白いと思った。特選句「讃岐ではおっぱい山に初日射す(漆原義典)」讃岐には、乳房の形の山があり、そこには、初日が射すという。なんと、目出度い風景だろう。何故、讃岐にそんな山がよく似合うのか訳は分からないが、その訳の分からぬ ところを目出度い句に仕上げた強引な風土愛に惹かれた。根底にアニミズムもあり、いいと思った。問題句「問へばただ茫洋といま虹の脚(竹本仰)」一読、その曖昧さ加減に惹かれた。作者は、人生の意味を問うていたのだろうか、その答えが「虹の脚」だとい うのか。「いま」の解釈も難しかった。「いま」という一瞬の現象である「虹の脚」という意味だろうか。推測ばかりの共鳴句であった。:作句について: 私は、よく夜中目覚めた時、さまざまな想いに襲われる。そして、そこから前へ進むためその時の想いを 句にしたくなり、その表現を試みている。

尾崎 憲正

特選句「来し方も行く末も虚雪催(中野佑海)」暖冬で推移していたこの冬も、このところ冬型が強くなりました。県境の山並みは今日もねずみ色の雲の下にあって時々しか姿を現しません。今の世の有様、世界の未来を“虚”であると感じる作者が雪催の 空の下に居るのです。誰もがこの句に共感を持つことのない時代が来ることを祈ります。今が一番厳しい季節です。どうかご自愛ください。

田中 怜子

特選句「大銀杏大切り株となりし冬」伐採された木へのオマージュ、残念に思う気持ちも。特選句「風止まり静止画となる冬日かな」目を細めて、静止画が気分を味わっている。

銀 次

今月の誤読●「早や湯冷め兎の耳をわしづかみ(矢野千代子)」。この一見難解な句は、まぎれもなくジェイムズ・ジョイスの『フェネガンズ・ウェイク』の影響下のもとに発想されたものであり、暗示はさらに繊細で、象徴主義はより純粋で洗練されたも のとなっている。ごらんの通り、この句では「早や湯冷め」した詠み手が、それにもかかわらず「兎の耳をわしづかみ」して遊んだとなっているが、常識で判断していただきたい。そんなことをしていれば風邪をひくではないか。だがここで用いられている手法は 『フェネガンズ』同様、出来事の時間軸をずらすことによって、読者の目を不自然で複雑な時間の展開のなかで起きているように誤誘導し、よって本来の枠組みを破壊しているのである。読者がこれを読み解くには、また理解するには兎と遊ぶ→湯冷めと再構築す ることがj肝要であり、そののちシンボルの対応関係と手法の呼応関係、さらには動物界への言及箇所といった構成要素からなる一枚のタペストリーをイメージすればいいのである。さすれば読者はこの時空間の諸関係および本質的不確定性が思わぬ効果を生み出し ていることを発見するだろう。かくしてロンバルディア平原で起こったささやかな出来事が曖昧性を獲得しつつ想像力の多産的繁殖能力により液体的宇宙への入り口として機能しはじめるのである。

小山やす子

特選句「木葉木菟夜は袖ふるめくら縞」地味のようだけど洒落た句と思います。特選句「からだじゅう手ぶらな拒絶冬の鯉」ニヒルというか・・・孤独が伝わってきます。

三枝みずほ

特選句「特選句「鍋焼きをはふはふ啜る和解かな」一読してこの二人の状況、関係性が理解できて、実景が持つ説得力の強さを実感しました。こういう和解もたまにはいいですね。「ラジオ消す世界は冬の木霊して」ラジオを消した途端、冬の木霊を感じる という感性の鋭さ、静寂の世界観、自然の持つ力に共感しました。まだまだ寒い日が続きそうです。御身体どうぞご自愛ください。

古澤 真翠

特選句「重たげにカラス乗せたる冬木立(銀次)」ほっそりとした冬木立の天辺でひと休みしているカラスのシルエットに 一幅の絵を見るような句です。多くを語らずとも、作者の深い心情が見て取れるようで共感を覚えました。「俳句の作り方のご質問 」私の場合は、自分が感激したり感動した場面を思い出しながら しばらくその場面を瞼に浮かべて 浸ります。それから ぴったりくる言葉を探します。皆さんも 苦心なさっていらっしゃるのですね。安心しました。ひと月に一度、頭の体操をさせて頂く機会に 心 から感謝しています。

寺町志津子

特選句「午後という間抜けた時間冬の雷」午前の持つきりりとした緊張感に比し、午後を間抜けた時間とは言い得て妙。間抜けた時間に一瞬の緊張感が走る冬の雷。午前は、人生の前半生、午後は後半生とも思われ、人生の後半に居る私の実感とも重なり、 いただいた。「凭れる木欲し淋しい冬木ならばよし(谷孝江)」人に疲れ、仕事に疲れ、何かに寄りかかりたい時、若葉の意欲満々な元気な木ではなく、虚飾を捨てた素の木こそに安息が得られる思いに共感。「讃岐ではおっぱい山に初日射す」好きな句。なんと 大らかなで、素朴で、ほのぼのと明るいお元日の風景であろうか。読み手の気持ちをも、明るく大きくする癒しの句とも言えよう。

KIYOAKI FILM

特選句「左義長やあおりあおられ鳥飛翔」冬の空の鳥も寒さに震えているようだ。「あおりあおられ」の迫られた感に息を呑んだ。特選句「午後という間抜けた時間冬の雷」:「間抜けた」が変わっているけど、午後の気怠さに苦しんで自分は「午後という 間抜けた」に心魅かれました。

亀山祐美子

特選句「特選句『花八つ手式守伊之助休養す』季語の「花八つ手」が軍配扇を彷彿とさせる。二番手行司の「式守伊之助」を盛り上げ、「休養」の無念さへと繋ぐ。とても人間くさい一句。『盥にて冬の満月飼っている』「盥」と「冬の満月」が響きあい、 おもしろい一句。ただ、「盥にて」の「にて」で、楽をした分平凡になった。惜しい。久々に句会に出席しました。皆様の句評、余談、とても勉強になりました。席題もバラエティーに飛んでいて、苦しいながら、楽しかったです。ありがとうございました。

谷 孝江

特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」ひとつの椀の中に宇宙が詰まっています。質素で明るくて暖かで誰もが感じていたい故郷がここにあります。特選句「鐘が鳴る夢の枯野に鐘が鳴る」暗さを感じない所が大好きです。私が普段見慣れている加賀平野 の枯野とはちょっと違いハイカラさんの枯野ですね。たのしく拝見させてもらいました。

桂 凛火

特選句「馬駆ける土の匂いを強くして」馬が走るとしかいっていない単純な中になぜかすがすがしい命の息吹が感じられました。土のにおいがするだけでなく「強くして」が効いているのでしょう。気持ちの良い句で心ひかれました。問題句「群青や鼻の穴 見る初鏡」群青の意味がわからない。なんで鼻の穴を正月に眺めるのかもわからないのですがそこが面白くていただきました。すこし斜に構えたところ、うまくでたのがよかったです。

稲葉 千尋

特選句「難聴もつるうめもどき母もどき」なかなかリズムが良い。「つるうめもどき」の季語佳し。特選句「一椀は過疎の明るさせりなずな」七種の表現にも色々あるが、「過疎の明るさ」が良い。

中西 裕子

特選句「葉牡丹のおしゃまな会話つきあうよ(矢野千代子)」葉牡丹が、個人的に気になる存在です。花のような野菜のような地味なようなはでなような、毎年買います。おしゃまな会話という読みが、深いとおもいました。「蜘蛛の巣をくぐりそこねて冬ぬくし(河野志保)」の蜘蛛の糸も、あるあるっという感じです。久しぶりの参加で楽しかったです。また、出来るだけうかがいたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

藤田 乙女

特選句「汝が腕の中に横たう我が枯野(月野ぽぽな)」特選句「木枯しを背負って帰るワンルーム」一人の孤独、二人の中でも一人である孤独を二句から感じ取り、共感しました。

高橋 晴子

特選句「大銀杏大切株となりし冬」うまい!時の経過が見える。特選句「凭る木欲し淋しい冬木ならば良し」淋しいは消した方がいいが、「I」音にリズム感あり作者の心が伝わる。問題句「前衛書の心なりけり冬木立」いい句なんだけど「心なりけり」と 言ってしまえばそれまで。例えば「冬木立陽当たり翳り前衛書」位に結果として心が出ればいい。句作コメント:出来ない時は作らなくていい。自分をしっかりみつめて人の句を読むなり本でも読んでりゃいい。季語から言葉が降りてくる?全く思い違い。季語は 思いを伝える為の手段です。

野﨑 憲子

特選句「凍港や天の穴からカモメ降る」凍りついたような冬の港に動くものは鴎のみ。その鴎らが、天の穴から降りてくるという。天空の隙間から降りてきた鴎は地上を観て何を思ったか?思わず外に出て天を見上げたくなる一句です。今回は、句稿の中に 、ご参加の方からの質問「みなさん、俳句はどのように作るのでしょうか。聞いてみたいです。季語から?言葉が降りてくるのかしら?私は最近降りてこないのです。」を掲載させて頂きました。質問された夏谷胡桃さん、そして色んなコメントを寄せて下さった 方々有難うございます。私は、句作には、集中力が一番と思います。でも、疲れていたら駄目ですね。「よく眠る夢の枯野が青むまで 兜太」じっくり、ゆっくり・・ですね。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

好物は蕪の丸さと浅づけよ
中西 裕子
蕪の穴つまづく風につまづけり
亀山祐美子
水仙
水仙やジョン万次郎が黒船と
町川 悠水
水仙が目覚めし朝は摂氏五度
漆原 義典
どこからかおこげのにほひ水仙花 
野﨑 憲子
湯たんぽ
苦楽ありせめてゆたんぽ抱くように 
町川 悠水
孕み女のやうに湯婆抱いてをり
亀山祐美子
木枯に鼻をかくして耳かくす 
中西 裕子
口寄せて耳の冷たき人であり
中野 佑海
とんがって耳渦巻いて寒夜かな
野﨑 憲子
歌留多
五十六のかるた賭博か真珠湾
銀   次
カルタ会恋のうたのみ覚えけり
漆原 義典
お茶
海は雪瞽女さんに出す茶の熱さ
銀   次
娘珈琲ほうじ茶飲みし昭和妻
漆原 義典
茶々入れる見合い話のゆるき冬
中野 佑海
昼酒のはてて茶づけの小正月
亀山祐美子
お茶にするなかなか終わらぬ大そうじ
中西 裕子
寿
福寿草懐しき顔見たくなり
中野 佑海
寿(いのち)かな地軸の傾きで笑ふ 
野﨑 憲子
賀状には本名直筆寿(いのちなが)
町川 悠水

句会メモ

平成28年の初句会は、16日に、いつものサンポートホール高松の会議室で行いました。常連の野澤隆夫さんと、三枝みずほさんが、お家の用事と重なり欠席の中、久々に、登場の亀山祐美子さんの気合の入った鑑賞や笑顔が、笑顔を呼び、とても楽しかったです。今回の事前投句の句稿の余白に、投句と共に送られてきた夏谷胡桃さんからの作句に対する問いかけを載せてみました。すると、色んなコメントが寄せられ、いつにも増して、興味深い「句会の窓」となりました。

竹本仰さんからのメールの中、句会報の感想が述べられていましたので、掲載させていただきました。<特に今回のように「みなさん、俳句はどのように?」という問いかけは、様々な俳句への向き合い方をそれとなくあらわにしていて、出来ることなら、全員の回答を読みたかったところです。香川句会がすばらしいのは、このような「地平」が見られるところなのだと思います。だから、いつも、どなたかがこのような問いを発してくれることを望んでいます。今回は、佑海さんの自注が大変面白かったのと、銀次さんも「フィネガンズ・ウェイク」の読者だったことにいたく共感いたしました。そうですね、次回、私も、何か一つ、問いかけてみようかと思います。いつも、ありがとうございます。>「問いかけ」いいですね。次回からも、さらりと、深く、よろしくお願い申し上げます。楽しみにいたしております。

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