2022年7月3日 (日)

第129回「海程香川」句会(2022.06.18)

太陽.jfif

事前投句参加者の一句

鳥食(とりばみ)の緑蔭を出て踊るなり 淡路 放生
のんびりと蜥蜴の存在肯定し 豊原 清明
空海さんの始めの部分男梅雨 すずき穂波
白南風や新居へ移る古ピアノ 松岡 早苗
巣箱から戦覗いて今日は雨 松本 勇二
たましひの容を仮死の黄金虫 小西 瞬夏
小魚の群翻る春の海 佐藤 稚鬼
夫より目にするTシャツのゼレンスキー 野口思づゑ
民の意地風雨にあらがう蜘蛛の糸 増田 暁子
ヘビ花火九九の果てまで唸りけり 中村 セミ
枇杷熟れて婆の電話の活気づく 野澤 隆夫
消えたくて死にたくないから冷奴 鈴木 幸江
やじろべえ傾ぎ揺らいで夏に入る 石井 はな
五月雨や抽斗のなか母にほふ 菅原 春み
ほうたるの全員集合午後八時 漆原 義典
花デイゴ海の昏さを曳く深紅    風   子
まだ嘘をついている夏マトリョーシカ 河田 清峰
末席の老女霞のごとく消え 飯土井志乃
卯の花腐し昭和の一滴は青かった 若森 京子
古書市に軍事郵便あり暑し あずお玲子
ゆうやけこやけ遥か彼方の狙撃音 重松 敬子
臥す猫の尿(しと)しぼる朝梅雨に入る 高橋美弥子
脇役の台詞ひとこと新樹光 伊藤  幸
日雷雲梯もはや降りられず 山下 一夫
蛍火つーと草の根照らす妻の忌へ 野田 信章
垂直の兵の叫びと向日葵と 伏   兎
梅雨湿り経年劣化の身に添ひし 荒井まり子
黴取り剤十字に吹いて魔除けとせん 松本美智子
絵団扇の中の一僧旅にあり 男波 弘志
万緑や奥へ奥へと逢いに行く 小山やす子
身の芯に水の匂いの夏未明 柴田 清子
我もまたホモサピエンス夏帽子 寺町志津子
モテモテの話は内緒花菖蒲 桂   凜火
六月の迷彩服が目を穿つ 新野 祐子
一過性の詩心のよう梅雨夕焼 森本由美子
哀しみは誰にも言えず額の花 藤田 乙女
短夜の肉体脈打って音楽 月野ぽぽな
遠いサーカスてのひらの螢 銀   次
青芝を踏み踏む裸足フラダンス 吉田亜紀子
ハンカチ遊び生きものつぎつぎ孵る 三枝みずほ
天の川美し放哉も放生も 島田 章平
終わらないノック紫陽花まだ蕾 中野 佑海
鮎の川自信たっぷり澄んでいる 津田 将也
新品の葭簀掛け吾を昏くする 稲葉 千尋
瀧落下その後のことは誰も触れず 谷  孝江
長老となりし長男田水張る 山本 弥生
道をしへ幾度今まで分かれ道 川本 一葉
梟の腹の底まで森の闇  十河 宣洋
水無月のまま事からのサファイア婚 滝澤 泰斗
旅ひとり初夏は真青のイノセンス 増田 天志
妄想の言葉あそびや逆さ藤 三好三香穂
花散ってはなの咲くのを待ちにけり 福井 明子
プーチンの「正しい戦争」梅雨寒し 田中アパート
羊水の子のようにふわふわ早苗 川崎千鶴子
走り梅雨呟き上手の本屋さん 高木 水志
梅漬けて今生の憂さ甕の底 植松 まめ
金魚ゐて病める子のゐて保健室 大浦ともこ
一滴になるまで生きる額の花 河野 志保
山法師ひとりはいつも遅れ気味 夏谷 胡桃
ひたすらに箱根空木の遠野かな 田中 怜子
そら豆は皮が厚いと母の愚痴 菅原香代子
ぼたんの芽純文学の横たわる 久保 智恵
草を抜くそのたましいを握りしめ 佐孝 石画
無花果の多情多感で齧られる 榎本 祐子
やはらかき風や太陽芒種かな 高橋 晴子
バイバイが好きなんだ虹消えたのに 竹本  仰
夏の月徴兵の世がまた来るか 稲   暁
とぶものの影の大小芒種かな 亀山祐美子
パチッ!「とった?」「えらい!」手と血と蚊 藤川 宏樹
蝌蚪に生まれし吾無心に泳ぎをり 樽谷 宗寛
木下闇そと始めたし尻つぼめ体操 塩野 正春
解けしままの靴紐思念は桑の実へ 大西 健司
ぢりぢりと日常泰山木の花ひらく 野﨑 憲子

句会の窓

小西 瞬夏

特選句「とぶものの影の大小芒種かな」。「とぶもの」と書かれることで、それを想像し、膨らませていく。小さなものから大きなもの、虫や蝶、鳥、そして戦闘機もあるかもしれない。

増田 天志

特選句「たましひの容を仮死の黄金虫」。大切なものは、失くす瞬間に、分かるものですね。

松本 勇二

特選句「長老となりし長男田水張る」。上五中七の簡潔な把握は切れ味がありました。季語が長老で長男としての豊かな生活を表しています。

小山やす子

特選句「消えたくて死にたくないから冷奴」。不思議な俳句です、今の自分の表現できない気持ちを代弁していただいた気持ちです。

十河 宣洋

特選句「私の窪みを押せば蟇の声(河野志保)」。どのあたりの窪みか押してみたい。蟇の声も美しいと思う。特選句「滝落下その後のことは誰も触れず」。風刺である。日本人だけでないのかもしれないが、都合の悪い事は知らない顔をする。時間が経つと忘れてしまうことへの作者の想いである。

桂  凜火

特選句「まだ嘘をついている夏マトリョーシカ」。ロシアとは言っていないがロシアの行動を想起させられる。そこを離れてもマトリョーシカのもつ魅力に惹かれる。また嘘をついている夏は魅力的なフレーズだ。

福井 明子

特選句「万緑や奥へ奥へと逢いにゆく」。見えないものへの眼差しを感知し、導かれてゆくこころ、分け入ってゆくこころ。そんな一句に魅かれました。特選句「長老となりし長男田水張る」。土に根差して生きつないだ家族の長い時間が、この最短の言葉に込められています。今年も田水を張った、その感慨を感じる一句。その先へ、思いを馳せています。

佐孝 石画

特選句「瀧落下その後のことは誰も触れず」。切れの解釈が難しい句だと思う。「瀧落下」の映像シーンと、「その後のことは誰も触れず」という物語の整合性。僕は一読、瀧自身の「投身」の物語を見た。数多の水滴(群衆とも言える)が、自らの命を投げる狂気の映像。その図は法隆寺の玉虫厨子の捨身飼虎図も想起させる。またウクライナの惨事やカズワンの悲劇など、今日の社会情勢の闇があぶり出されてくる。遠くは沖縄での集団自決をも。しかしながら、読み直してみると瀧が落ちる清涼なイメージの余白に、「誰も触れず」という心地良い「無関心」が滲む、軽やかな句とも取れる。いずれにしても「その後のことは誰も触れず」という下の句が、この作品世界をミステリアスで魅惑的なものに演出し得ている。

すずき穂波

特選句「短夜の肉体脈打って音楽」。夏の夜の噎せかえるような、むさくるしい ような若さ、持っていきようのないエネルギーを音楽にぶつけている、って感じでしょうか。1960年代後半~70年代にかけて R&Bをラジオでよく聴いていたのを想い出し、特選で頂きました。他には「感情の樹海の果てて泉に空」の「果てて」の「てて」が気になりました。「感情の樹海の果て泉に空」なら理由付けにならないのだけどなぁ……と。特選に入れたかった句でした。また「無花果の多情多感で囓られる」も「で」が気になりました。「無花果の多情多感囓られる」として理由付けのような「で」を使わず、象徴をより強引に全面に出して欲しいと思いました。これも特選に入れたかった句でした。

豊原 清明

問題句「夫より目にするTシャツのゼレンスキー」。いつまでも終わらないロシアとウクライナの戦争。いまは孤立しそうなのか、ネットのニュースには嘘があり、複雑に感じる。時事句。特選句「青葉に囲まれ秩父音頭を口ずさむ(十河宣洋)」。美しい山国の空気が伝わる清涼の一句。青葉の気持ち良さ。秩父音頭の男女の交流。何故か、懐かしさが不思議。

風   子

特選句「古書市に軍事郵便あり暑し」。なんと密度の濃いお句かと感じ入りました。最後のダメ押しのような「暑し」に捉えられ、逃げられなくなりました。格好いい、揺るぎのない重さを感じます。

藤川 宏樹

特選句「ヘビ花火九九の果てまで唸りけり」。地面を這う、地味な「ヘビ花火」があることをそう言われて思い出しました。煙のもくもくと花火のうねうねに合わせ、子供らが詰まりながらも「クク・ハチジュウイチ」まで唸っていそう。九九を唱える明るい声が確かに聞こえてきています。

若森 京子

特選句「消えたくて死にたくないから冷奴」。この頓智問答のような一句。人間の生と死の刹那の狭間をうまく季語の?冷奴〟が受けている。特選句「ハンカチ遊び生きものつきつぎ孵る」。ハンカチ遊びだが手品の様に次々と生き物を孵らせている様子が、現代の様に命が軽々と消されているのに反してとても平和で好きな句です。

淡路 放生

特選句「古書市に軍事郵便あり暑し」。句は、「古書展」でなく、「古書市」と言うひなびた感じがよい。少し前なら道端に青いビニールを広げて、古本を大雑把に積んでいる風景であろう。作者は前に廻ってひやかしているうちに、黄ばんだ軍事郵便の束を見つけたのである。「暑い」は「やった!」にも通じようか。好きな作品である。

柴田 清子

特選句「晩夏光ピアノ売りたる部屋の隅(松岡早苗)」。部屋の隅に置かれていた、ピアノの喪失感が晩夏光でよりクローズアップされている。

菅原香代子

特選句「梟の腹の底まで森の闇」。真っ暗な森の奥のあやしい空気を梟でぴったりとあらわしていると思います。

中野 佑海

特選句「短夜の肉体脈打って音楽」。年取ると、耳は鳴る、喉はヘンヘン、足はぎくぎく、体中が楽器か?なる程仰っしゃる通り。特に、夏の夜は寝付かれずよけい気になる。特選句「方眼紙にあまたの目玉麦の秋(大西健司)」。方眼紙だけで目が3D画像見たようで、ふらふらするのに、その中に目が。あまり想像したくないけど、怖いもの見たい。「五月雨や抽斗のなか母にほふ」。雨模様。ふっと饐えたような、旧い香水のような、亡くなった母の箪笥の匂いが蘇る。「ほうたるの全員集合午後八時」。何故か、蛍は同じ場所に集まってくる。そして、懐かしきドリフターズの八時だよ全員集合。皆本当は集まるのが好きなんだ。「レノン忌やスイッチのあり春の雲」。懐かしきビートルズ。友と一緒に良く聞いた。あの頃の思い出が曲と共に蘇る。私はバス通だつたので、帰りのふわっと少しピンク色になった雲を見ながら、空想した。どんな人と結婚するのかなと。「一過性と詩心のよう梅雨夕焼」。曇天の空も夕方になると、茜色に染まって変化する。この時が表情を持つ。「ハンカチ遊び生きものつぎつぎ孵る」。ハンカチで色々な動物作る人尊敬します。「魑魅魍魎抑えて四ひら白い玉」。額紫陽花は封印された魔物だつたのですね。何故か、納得。「瀧落下その後のことは誰も触れず」。瀧は落ちるだけ落ちて、後は行方知れず。まるで、人の噂も75日?『パチッ!「とった?」「えらい!」手と血と蚊』。蚊が可哀相とは思いつつ、やっぱりパチンと取って、そこに血が付いていたら、ヤッターと思う自分がいます。?俳句ちっとも涌いてきません。蚊を殺した呪い。

大西 健司

特選句「古書市に軍事郵便あり暑し」。古書市で見つけた軍事郵便、なぜそんなところにあったのか不思議である。私の町でも公民館の倉庫の奥から軍事郵便が出てきたことがあり、その中には私の父の兄からの葉書もあった。それだけに感慨深いものがある。今はもうほとんど肉親もいなくなり、忘れ去られようとしているだけにこの軍事郵便が不憫である。

三枝みずほ

特選句「鳥食の緑蔭を出て踊るなり」。一読、ゾクっとする。絶対的な身分差に抗うことを知らず、許されず、腹を満たしたら本能のまま踊る。木の周りを無限ループのようにただ踊る。詩として成立しているのは緑蔭の明るさだろう。この世界観は時空を超えて現代に通じる。根深い。特選句「ぢりぢりと日常泰山木の花ひらく」。切迫感、焦燥、擦り切れてなくなりそうな身体、汗の感覚、そんな混沌とした日常に泰山木の花がひらく。

増田 暁子

特選句「たましひの容を仮死の黄金虫」。仮死でも魂がかたちに残る黄金虫。ウクライナ人の魂を思う。特選句「この坂も被曝土十薬干し連ね(野田信章)」。被曝の恐ろしさは何年経っても消え無い。下5の十薬干し連ねが上手い。「子等継がぬ軒に並べし早苗箱」。お米大好きです。「夏の月徴兵の世がまた来るか」。戦争は色んなことを思い出します。将来が殺伐としてきます。憲法の日万歳!憲子バンザイ!」。この句に全く共感です。

田中 怜子

特選句「長老となりし長男田水張る」。継ぐ人、しかも長男が田水張ってこれから田植え等いつものルーティンが粛々と行われる。田水の水のすがすがしさ、日本はこれじゃなくちゃ。代々引き継がれること、国土を守ること、よろしくお願いしたい。特選句「晩夏光ピアノ売りたる部屋の隅」。どういう事情かわからないけど、なにか終活のようでもあるし、ピアノを使っていたであろう娘さんが家から離れて・・・その他の理由もあるか、という家の歴史もあるんだな、と。

塩野 正春

特選句「金魚ゐて病める子のゐて保健室」。保健室は子供の駆け込み寺。心が病むとすぐ逃げ込むことが出来、又保健婦(保健士さん?)のやさしさに助けられます。金魚を飼っておられることがますますの安堵を与えてくれます。私も幼少の頃からだが弱く、よく保健婦さんに助けていただきました。80歳近い今でもそのことは忘れたことがありません。特選句「草を抜くそのたましいを握りしめ」。草抜きするとき、はっと命があることに気付いて力を弱めたりすることがあります。植物のありがたさを上手に表現されています。自句自解「木下闇外始めたし尻つぼめ体操」。体の不調がこんなことで改善されるとは思いませんでした。生きる力と人体の不思議を切に感じました。

月野ぽぽな

特選句「白南風や新居へ移る古ピアノ」。明るい光の中の引越し。ピアノへの思いと新居へ寄せる思いを、季語の働きによって読者に伝える、小気味好い作品。新と古の対比も自然に効果的。人を言わずとも、新居とピアノと物を提示することで、人の姿を見せその心を思わせるところも巧みです。

津田 将也

特選句「被爆銀杏耐えがたき程緑垂れ(川崎千鶴子)」。「被爆樹木」は、原爆の熱線や爆風に耐え、今も生きながらえているクスノキやイチョウなどの樹木である。長崎市では四十八本、広島市には百七十本が原爆の惨禍を伝える「被爆樹木」として認定されている。枯木同然だったこの悲鳴の木は、その後の市民の多くの救いの手と愛情に支えられ、今は樹勢を誇る巨樹となった。「耐えがたき程緑垂れ」には、市民の被爆樹木に寄せる万感の思いや願いがこもる。特選句「羊水の子のようにふわふわ早苗」。比喩を使う俳句に名句なしというが、この句は比喩により成功した別格。比喩のもたらすイメージを「早苗」に重ねてみると、僕には田植えどきの賑やかな様子が見えている。

野口思づゑ

特選句「憲法の日万歳!憲子バンザイ!」。ある年代でお名前に「憲」の字が入った方には、ご両親(名付けた方)の憲法に対する願い希望が込められていると感じます。我が憲子さんは、ご両親の期待に充分応えられ、その精神で香川句会をお世話して下さっています。「憲子バンザイ!」に私も両手を上げて共鳴、共感、賛同、そして憲子さんに感謝です。→感激です!「水無月のまま事からのサファイヤ婚」。いいですね。水無月と「まま事からの」が効いています。そしてお幸せにサファイア婚を迎えられたとは、心から祝福です。「万緑や新郎新婦メール中」。とても現代的な光景です。

野澤 隆夫

特選句「前衛書墨が舞い散る卯浪かな(漆原義典)」。「前衛書」と「卯浪」の取り合わせがぴったりです!舞い散る墨が白波たっています。特選句「金魚ゐて病める子のゐて保健室」。小・中学校の保健室の日常感が想像できます。病めるこの子は、保健室の先生に何を話してるのだろう!金魚も病める子を見つめてる。

森本由美子

特選句「古書市に軍事郵便あり暑し」。戦場から家族へ送られた検閲済みのハガキでしょうか。記憶の底に押し込めてあったものが引っ張り出されたようで、衝撃を受けました。特選句「遠いサーカス手のひらの蛍」。取り合わせが幻想を醸しだしています。風に乗ってとぎれとぎれのじんたも聞こえてきそうな。多分幻覚でしょう。

河野 志保

特選句「山法師ひとりはいつも遅れ気味」。山歩き仲間の和やかな一場面を想像した。緑の中の「山法師」はどこか神秘的。飛躍しすぎかもしれないが「遅れ気味」の人生で見つけた宝物にも思える。

川崎千鶴子

特選句「臥す猫の尿(しと)しぼる朝梅雨に入る」。重病でこの猫ちゃんは寿命が尽きそうなのではと勝手に解釈しました。きっと自力では尿を出来ないのでしょう。そこで飼い主が絞ってあげているのではと。「梅雨に入る」が寂しさを誘います。私事ですが、病のパピヨンのお尻を毎朝洗いドライヤーを掛けた日々を思い出します。

新野 祐子

特選句「巣箱から戦覗いて今日は雨」。寓話と捉えました。戦の音に鳥たちは一目散に逃げ出すでしょう。しかし鳥たちは巣箱にとどまって、愚かな人間たちの戦争を覗いています。雨だというのに殺し合いの銃撃の音がやまない。やれやれ、人間くらいダメな生きものはいないなと嘆息しています。問題句「憲法の日万歳!憲子バンザイ!」。大共感です。しかし、これが俳句と言えるのかな、と。

鈴木 幸江

特選句評:「木下闇そと始めたし尻つぼめ体操」。この一句から市井の人の生き抜く底力がじわっと伝わってきた。私の勝手に評するところの与謝蕪村句に通じるものがあり、今、人々に欲しい生き様と感じ特選句とした。

中村 セミ

特選句「たましひの容を仮死の黄金虫」。何と言う表現だろう,死んでしまう、カブト虫や,カナブン、偏光板のような、あの姿として、あるのだ、とよんでいると僕はおもった。おそれいった、面白い。

夏谷 胡桃

特選句「古書市に軍事郵便あり暑し」。軍事郵便に戦争の記憶が蘇ったのか。ジャングルの中での逃避行。どっと汗がふき出てくる。なんだか松本清張のドラマのはじまりを感じました。

川本 一葉

特選句「羊水の子のようにふわふわ早苗」。羊水と水田となるほどと思いました。そして自分はたまたま人に生まれてきたと改めて感じ入りました。たぷたぷ感と未来、素敵なお句です。※永野和代さんが今回から俳号を改められました。/P>

野田 信章

特選句「ボルシチはいのちのスープ夏至の月」。一年でいちばん昼の長い日を経て頂く一杯のスープ「ボルシチ」―赤蕪の汁で色づけした肉・野菜などのごった煮の色合いと「夏至の月」との響き合いを先ず覚えた。ここからロシア一帯の風土の厚み(きびしさ・ゆたかさなど)への想いも自ら新たなものが展けてゆくようだ。第二次世界大戦の裏返しとしての侵略を続けるプーチン政権への批判を貫きながらも、この素朴な「ボルシチ」という「いのちのスープ」を生み出したロシア一帯の風土への愛着は失しないようにしたいと思う一句である。

伏   兎

特選句「走り梅雨呟き上手の本屋さん」。本好きのスタッフのいる本屋は、本が探しやすく並べられ、手作りのPOPも洒落ている。この句から、さりげなく本をアピールしている、笑顔のエプロン姿が目に浮かび、引き込まれた。特選句「うずくまるかたちは卵みどりの夜(三枝みずほ)」。蹲ることで、何かが変わる。そんな前向き感が座五の「みどりの夜」と響き合い、心に刺さる。「鳥食(とりばみ)の緑陰を出て踊るなり」。尾を振ったり、脚を動かしたり、木や草の実を啄むときの、愛らしい仕草をみごとに捉えている。「一滴になるまで生きる額の花」。花の形が崩れずに、枯れていき「生」を全うする紫陽花が、うまく表現されていると思う。

松岡 早苗

特選句「金魚ゐて病める子のゐて保健室」。教室の賑わいとは別世界のようなしーんと静かな保健室。でも夏の木洩れ日はきらきらと明るく、かわいい金魚がのんびり泳いでいる。今日は体調が悪くて保健室で休んでいる子も、良くなったらまた元気に登校できることだろう。「保健室」のもつ穏やかな癒やしのイメージが「金魚」の一語によって端的に表現されている。特選句「バイバイが好きなんだ虹消えたのに」。消えてしまった虹にいつまでも「バイバイ」をしている幼子。「バイバイ」という動作ができることそれ自体が、その子にとってはうれしいことなのかもしれない。美しいものや大切なものが消えてなくなる寂しさ、喪失感とは未だほど遠い。だからこそそ の無邪気さがいとおしい。だって君もいつか大人になってしまうのだから。

大浦ともこ

特選句「消えたくて死にたくないから冷奴」。いたたまれない気持ちになってでも死ぬわけにもいかず・・そんな重い気分が”冷奴”という軽やかな言葉でユーモラスに表現されていて好きです。特選句「バイバイが好きなんだ虹消えたのに」。幼い子との別れの余韻が消えゆく虹に託されていて何とも言えない気持ちになります。懐かしい既視感。

あずお玲子

特選句「脇役の台詞ひとこと新樹光」。主役にも脇役にも新樹光は平等に差している。その明るさは、この脇役さんの明るい未来をも示しているようです。

稲葉 千尋

特選句「夫より目にするTシャツのゼレンスキー」。いや参りました。ゼレンスキーのTシャツに目をつけるとは、新鮮な句です。

重松 敬子

特選句「ヘビ花火九九の果てまで唸りけり」。子供の頃を思い出しました。夏の楽しみといえば、海と花火。九九の果てまでが良い。蛇の七転八倒が目に浮かびます。

滝澤 泰斗

特選句「余生とはあやふやなりし梅雨に入る(風子)」。まだ仕事をしている身からすると、余生とはどのような状況を言うのかピンとこないが、定年を迎えてから死ぬまでの時間をいうのなら、社会や世界が変化してゆく中、物価は上がるも、年金は削られる一方など、安心出来る要素が少なくなって行く。あるいは、遠い異国の戦争が食料危機を生み、オイルの価格を上げ、円を安くしてバランスを崩してゆく。まさに、日々、あやふやな中を生きている。特選句「ゆうやけこやけ遥か彼方の狙撃音」。ウクライナ侵攻を思わせるいくつかの句の中で惹かれた句。美しい夕焼けのホリゾンの彼方の銃声は明らかに狙って撃った殺人音。以下、共鳴句。「巣箱から戦覗いて今日は雨」。私の日常を切り取られた思い。「蛍火つーと草の根照らす妻の忌へ」。亡くなった妻への追慕の句だが、私にとっては母の忌と置き換えたくなりました。「白き夜の白い湖には深夜あり」。ロシアに白湖という人工湖があり、白夜のころクルーズ船に乗って旅をしたことがありました。夜中の23時頃、朝方の3時ごろの、うっすらと暗い時間があり、体内時計の感覚にずれが生じてその感覚を上手に詠んだ。

谷  孝江

特選句「ぼたんの芽純文学の横たわる」。ぼたんの芽のふくらみかけた時、一日一日と蕾の太り出してくる時のたのしさは、この上なく嬉しいものです。一日に何度となく声かけをしてきました。そして花が開いた時は誰れ彼れなく「見て、見て、」と今度は家の前を通る人々に声をかけたりしました。華やかで少しばかり淫らな感じもするぼたんです。純文学との取り合せも意外ではありません。とっても素敵な句だと思います。

菅原 春み

特選句「この坂も被爆土十薬干し連ね」。まだまだ多くある被爆土。薬効のある十薬を干すところに救いが。特選句「夏の月徴兵の世がまた来るか」。日々映像でリアルタイムに見る戦。いつまで平和が続くのでしょうか。まさに実感です。

男波 弘志

「一滴になるまで生きる額の花」。額の一字がいのち、紫陽花なら平凡な句になっていただろう。秀作です。 

久保 智恵

特選句「旅ひとり初夏は真青のイノセンス」。私には容認出来る句です。好きな句です。特選句「バイバイが好きなんだ虹消えたのに」。優しく嶺がキュンとなります。

田中アパート

問題句「憲法の日万歳!憲子バンザイ!」。バンザイ!は、どっちなんやろか。ええ方に思うことに。

飯土井志乃

問題句「消えたくて死にたくないから冷奴」。問題句だけではなくて共感句。ただ、本音だけで句として成り立つのだろうかと疑問が残りました。

高木 水志

特選句「短夜の肉体脈打って音楽」。この句を読むと、生命の木を感じる。大いなる自然の中に、人は生かされている。短夜の生々しい雰囲気と肉体が脈打ってリズミカルに躍動している様子を描いて詩になった。

吉田亜紀子

特選句「絵団扇の中の一僧旅にあり」。「絵団扇」、「一」、「僧」、「旅」。この句は、とても涼しい。そして気持ちが和らぐ句だ。手に取った団扇を指でなぞれば、絵の中の一人の僧が旅にでている。しっとりともしている。どのような絵であるかは分からないが、おそらく、色彩が淡くやわらかな団扇であろう。このようなスラリとした句を私も作れるようになりたいと思った。 特選句「終わらないノック紫陽花まだ蕾」。「終わらない」、「ノック」、この二つの言葉で野球の練習風景が浮かぶ。また、「紫陽花まだ蕾」という言葉で、視点はピッタリと二つに分かれる。ノックをする本人と見守る人だ。一つ目の本人の視点は、泥だらけになった本人の視線の先の紫陽花だ。二つ目の視点は、心配や期待といった緊張を伴う視線の端の紫陽花だ。そしてこの二つの視線の先に共通して見えるのは、両者共に「蕾」だ。すなわち、希望であろう。そして、「まだ」という言葉によって、まだまだという未熟さへの挑戦、「終わらないノック」から、人生はこれからだ。まだ希望がある。という、生きることへの強い意気込みが表わされている。読み手に響く一句である。

三好三香穂

「哀しみは誰にも言えず額の花」。誰にも言えない哀しみとは、どんなことなのでしょうか?誰かと共有出来れば、気持ちは楽になるでしょうに。しかし、そう思い込む時はあるもの。しみじみと共感しました。「草を抜くそのたましいを握りしめ」。草を抜く時、その根のかたちの様々、しぶとく抜けにくいもの、意外とスルッと抜けるもの、命のかたちに感心しながら、格闘しています。たましいととらえたところに、人の攻防、抵抗をも思い起こさせ、それを握りしめる立場、立ち位置に立たされることもありますね。

山本 弥生

特選句「思いきり若さに汚れ祭り足袋(小山やす子)」。コロナ禍にて田舎の伝統の祭りも中止となり、やっと三年振りに復活した祭りを土地に生れた若者が懸命に祭りを盛り上げている姿が目に浮かぶ。

伊藤  幸

特選句「道をしへ幾度今まで分かれ道」。作者は教職に就いておられた方だろうか。数多くの道を教師として導きつつも作者も人間。悩みつつ迷いつつ紆余曲折は数多あったであろうと思われる。今思えばそのような思い出も懐かしく愛しい人生の一頁だったのではあるまいか。

漆原 義典

特選句「そら豆は皮が厚いと母の愚痴」。母は91才で亡くなるまで、虫歯がなく全部自分の齒であることを自慢にしていました。でもそら豆の皮の厚さには同じように言っていました。母を思い出しました。68才の私も全部自分の歯で虫歯が全然なく、約60年間歯医者さんのところに行っていないことが自慢です。

亀山祐美子

今回も2022年2月24日に始まったロシアウクライナ侵攻に対する反戦歌や自然災害に対する鎮魂歌が並ぶのだが、声高に叫べは叫ぶほど後ずさりしてしまう。感情の押し付けに反感を抱く。 特選句『古書市に軍事郵便あり暑し』熱中症予防が叫ばれるほど暑い日々が続く中古書市を覗いた。赤色朱印を押された「軍事郵便」が目に止まった。戦地と家族友人を繋ぐ貴重な私信が売買されている事実に動揺が隠せない。体温が急上昇し動悸が止まらない。堪らなく暑い。検閲済みの文章に込められた感情の発露。今ある平和の礎の証。「軍事郵便」が物語る世界観に浮遊し時空を超えて想像が広がる。現在進行中の危うい世界情勢。戦後77年になんなんとする日本の平和の一日も長からむことを身勝手に切に願う。特選句『やはらかき風や太陽芒種かな』蛙鳴き田植時の梅雨入りが近づく日本らしい風情風景の芒種という期間の大らかさを詠う。人間世界の煩雑さに囚われることのない自然の豊さ伸びやかさに心が穏やかさを取り戻す佳句。「季語の説明をしてはいけない」と教わったが皮膚感覚で捉えた風と太陽の柔らかさに生きる喜びさえ感じる。平明な言葉で人生の豊さを語るお手本のような一句。?よろしくお願いいたします。皆様の句評楽しみにいたしております。

佐藤 仁美

特選句「子等継がぬ軒に並べし早苗箱(山本弥生)」。今年も田植えの季節が来たけど、あの頃のようにみんなで田植えもしなくなったのでしょうか。もう自分たちの代で終わりと言う寂しさが、明るい早苗の黄緑と対比して、より際立ちます。特選句「青芝を踏み踏む裸足フラダンス」。「ふ」の、韻をリズミカルに踏んで、フラダンスの楽しさが伝わってきます。

榎本 祐子

特選句「鳥食(とりばみ)の緑蔭を出て踊るなり」。鳥食の陰と踊るの晴れで句の奥行きを感じる。

山下 一夫

特選句「短夜の肉体脈打って音楽」。上五で軽く切れていると理解。肉体が脈打っているのは、鼓動のようにもまぐわいのようにも見える。「短夜」から暑さや切迫感、「音楽」から儚さが醸し出され、妖しく艶めかしい。特選句「思いきり若さに汚れ祭り足袋」。中七の措辞が良いが、欲張らずに「祭り足袋」一点に収れんさせているところが憎い。反って躍動する沢山の祭り足袋が見えてくる。問題句「蝌蚪に生まれし吾無心に泳ぎをり」。気持ちはわかるのですが、「人」に生まれるとは言っても「子ども」に生まれるとは言わないと思うのです。理屈っぽくてすみません。

河田 清峰

特選句「津波跡の明日葉明日に壁なくて竹本 仰)」。津波跡に海の見えない大きな壁は出来たけど明日葉には壁なく太陽が輝いている。希望を感じさせる一句。

植松 まめ

特選句「花デイゴ海の昏さを曳く深紅」。デイゴの花は太平洋戦争の沖縄の激戦を目撃し、その後のアメリカの基地となった今の沖縄をずっと見ている。「海の昏さを曳く深紅」に感動しました。特選句「卯の花腐し昭和の一滴は青かった」。我等が団塊の世代にとっての昭和は青臭い。今も青春を引きずっているその証拠にフォークソングを聴くと胸があつくなる。くたびれたとは言えまだまだ気だけは若いつもりだ。

稲   暁

特選句「万緑や奥へ奥へと逢いに行く」。万緑の奥の奥に待つのは何者なのか?夢の中のワンシーンのような不思議な印象を与える作品だと思った。

石井 はな

特選句「金魚ゐて病める子のゐて保健室」。登校しても保健室しか居場所のない子がいると聞きます。そうなら病んでいるのは子でなく社会…金魚鉢で一生を終える金魚が共感を呼びます。

高橋美弥子

特選句「身の芯に水の匂いの夏未明」。実感として共感できる部分がありました。 少し生々しい匂い。夏の未明だからこその一句と思います。問題句「シャワー全開血腥流す少女の梅雨(淡路放生)」。いろいろに読める。少女の内面にこびりつく血腥さなのか、リストカットの血なのか、生理の血なのか。いずれにせよ「少女」だから成立する。読者を煽るような一句。以上です。

一身上の都合により、長くお休みを頂いておりました。なんとか句会に参加できるまでになりましたので、あらためてよろしくお願いいたします。どうか御無礼をお許しくださいませ。

寺町志津子

特選句「蛍火つーと草の根照らす妻の忌へ」。蛍火に奥様の魂をみた作者。奥様を亡くされた哀しみがひしひしと胸に迫ってきます。問題句「木下闇そと始めたし尻つぼめ体操」。 面白いと思いましたが、最後の体操がなければ可。

竹本  仰

特選句「卯の花腐し昭和の一滴は青かった」:高校の時図書室で読んだ田宮虎彦『卯の花腐し』を思い出し、そういえば下宿生の主人公が貧しいことを言えず、ナマのうどんの玉を食ってるところを女家主に見つかってしまう、そんな場面がよみがえりました。泣くに泣けない何とも言えぬ情景に、昭和の戦前の青春がぐっと詰まってたなあ。というか、現代っ子には理解できない、隠れるようにこそこそ誰からも見られないように家の貧しい弁当を食べていた時代もあった。自分の家の弁当を開けっ広げに食うなんて、あり得ないことだった。何だそんな事、じゃない、命がけのことだったような気もする。特選句「金魚ゐて病める子のゐて保健室」:金魚と保健室の取り合わせは絶妙だと思う。ものが言えない子がだんだんと教室から追いやられ、保健室がいつしかそういう子の国境ラインのようになっていた。かつて高校演劇のコンクールで、4本続けて保健室が出てきたことがあった。決してシャウトしない、静かな演劇が成り立っていた。今とそうその状況は変わっていないだろう。ワルが暴れて学校から去る時代じゃなく、静かな子がいつのまにか学校から次々消えていった。歴史は辺境から大きく変わっていくとよく言われる。同じことだと思う。ものを言わないものほど本質をとらえている、そういう一景だと理解した。特選句「立ち止まるところが在り処草清水」:<道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ>という西行の歌があった。西行は何のもの思いをしていたのだろう。冒険をしない日の冒険家をいかに描けるか、むしろ少年はそちらの方に惹かれる、と詩人・清水哲男は書いていたが、その小休止がここに感じられる。ゲーテは、ひとは沈黙の間に変わるという。とうとう来たか、何か、かわる。何かはわからないが、かわる。ここだ。という感覚かと思った。以上です。?繰りかえし繰り返し皆さんの句を読んでいると、十句前後の選句というのがいかにも残念な。ことばの海に浸かって、いいなあ海は、という感覚になりました。ああ、読めば読むほど、自分の狭い場所がよく見えてくるようで、すると、何だかいい気持になります。みなさん、また、次回も楽しませてください。

松本美智子

特選句「月の雫舐めておほむらさきの瑠璃(あずお玲子)」。とても美しい句ですね。まるで絵本の1ページを切り取ったかのような詩情のあふれる素敵な句だと思いました。おもわず改めてオオムラサキを画像検索してしまいました。この世には素晴らしい生命が宿っていることをつくづく実感します。この世の生きとし生けるあらゆるものが、どんな大義によっても奪われる権利はないはずです。

銀    次

今月の誤読●「金魚ゐて病める子のゐて保健室」。わたしの記憶のなかの保健室はいつも白い。白いカーテンに白いシーツのかかったベッド。ところどころペンキのはげた壁も白く塗られていた。そのころのわたしはいわゆる「病弱な子」で、熱を出して、保健室で休むということがしばしばあった。喧噪の教室を離れて、オキシドールの臭いのする保健室に入るということは(同伴の学級委員の手前辛そうにしていたが)じつはわたしにとって「甘い快楽」であった。それは自分だけが特別な存在であることの証であり、特権的な扱いをされても当然という立場だったからだ。むろん後ろめたくはあったが、その背徳感も含めて甘やかな時間だった。ベッドに横たわるとスーッと天井が高くなる。目を閉じれば、微熱がわたしを包んで幻想へと誘う。そんななかでわたしは静かで透明な時間を過ごす。と、コンコンと窓をノックする音がする。誰かはわかっている。同級生のタカシだ。「おい、仮病」と声をかけてくる。むろん返事はしない。再びタカシが窓を叩く。「仮病なんだろ?」と怒ったようにいう。わたしは窓に背を向けたまま「熱があるもん」。「何度だ?」「七度二分」「へっ、そんなの熱のうちに入るかよ」「ふらふらする」「ふーん」といったまま沈黙に入る。タカシはしばらくいて、そっと帰っていく。気配でわかる。そしてまたわたしはまどろみのなかに入ってゆく。目が醒める。さっきタカシと交わした会話は夢だったのか。そう思いつつ窓辺を見ると、しおたれた野菊が一本置いてあった。教室へ帰ると、タカシはわたしのことを完全に無視して男友達とプロレスなんかの話をしている。思えば保健室以外でタカシとわたしは話したことがない。ふたりの関係がなんだったのかはいまもよくわからない。そうそう思い出した。保健室には金魚鉢があってそこにつがいの真っ赤な金魚が飼われていた。色彩といえばその金魚の赤と野菊の紫。それがわたしの保健室だった。

高橋 晴子

特選句「遠いサーカスてのひらの螢」。対称的なものを対比させてどちらも生き生きと把握している面白さ。

荒井まり子

特選句「夫より目にするTシャツのゼレンスキー」。素直の日常になっている彼を画面で目にしている日常が異常なのに。健康を願うばかりだが。早く終息を祈る。虚しい。

野﨑 憲子

特選句「一滴になるまで生きる額の花」。「額の花」は、紫陽花の原種。主に温暖な海辺の山野に自生する。「額の花」がいい。<一滴になるまで生きる>に、紫陽花のたましいを観た。長引く紛争の中、この額の花のような生き様に限りなく憧れる。問題句「憲法の日万歳!憲子バンザイ!」。私へのエールと思える一句。作者と選をしてくださった方々に大感謝!ただ、放生さんを詠まれた「天の川美し放哉も放生も」により惹かれた。これからますます楽しみにしています。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

田水張る
田水張る鍬と男(おのこ)の影ひとつ
三好三香穂
田水張る夕べ河童がやつて来た
野﨑 憲子
田水張る中へ夕日の燃えて落つ
風   子
田水張る男に妻子ありにけり
柴田 清子
空間の奥の空間田水張る
淡路 放生
紫陽花
青背負いあじさい村に夏が来る
銀   次
雨の紫陽花ジャズジャズジャズジャズ
野﨑 憲子
磴登るごと紫陽花に溺れゆく
風   子
あじさいは定形である十七字
淡路 放生
あじさゐの青薄れゆく蒙古斑
大浦ともこ
紫陽花の夜送られる送り人
藤川 宏樹
肉体
肉体は音楽どこまでも夏
野﨑 憲子
肉体の茅の輪くぐりかMRI
中野 佑海
夕焼小焼今日一日の肉体
柴田 清子
石屋から肉体の出る羽抜鶏
淡路 放生
掌に螢束の間飼はれゐる
大浦ともこ
死ぬために螢高きへ昇りゆく
風   子
肉体を出づる愛語やほうたる
野﨑 憲子
螢袋灯せるほどの恋心
中野 佑海
闇の芯にふれそうなとき螢飛ぶ
三枝みずほ
蛍狩り養父養母を掻き回す
淡路 放生
六月
沖縄の砂糖は生成り六月尽
大浦ともこ
六月のかきまぜてかきまぜて納豆
野﨑 憲子
波止へと続く六月のプラタナス
風   子
たっぷりと墨するように六月尽
中野 佑海
六月の青空水の匂ひして
風   子
考える葦六月を犯すのか
淡路 放生
六月ややっと立つ児と駅ピアノ
藤川 宏樹
六月の横丁曲がれば雨上る
銀   次

【句会メモ】

猛暑の中、コロナ禍の中、今回も9名で句座を囲むことができました。事前投句参加者は、74名。ますます多様性を帯び面白くなってまいりました。句会は4時間ですが、ふじかわ建築スタヂオの 藤川宏樹さんのご厚意で前回に続き時間をオーバーして句会を楽しむことができました。感謝です。

2022年6月4日 (土)

第128回「海程香川」句会(2022.05.21)

虹1.jpg

事前投句参加者の一句

             
じいちゃんの握った手の汗御柱祭(おんばしら) 滝澤 泰斗
大いなる平和呆けかよ春炬燵 植松 まめ
戦争が行く青草にぶつかつて 小西 瞬夏
深いリュックに詰めても五月埋まらない 竹本  仰
終の部屋霞満たしてベッド置く 森本由美子
快晴平野春耕の帯一条黒し 十河 宣洋
てのひらは平和のかたち紋白蝶 伊藤  幸
外つ国の浅沙の花の未だかな 荒井まり子
硝煙ではない海霧の国に在る 山下 一夫
難民西へ西へ麦生う野の現(うつつ) 野田 信章
春泥や軍靴を掴み手放すな 石井 はな
歎異抄を出てこぬ人よ春落葉 伏   兎
散りてなほ極楽の色花むしろ 野口思づゑ
弱虫だっていいジャガタラの花の色 柴田 清子
島の風オリーブの花結びをり 佐藤 仁美
あめんぼの日がな一日鬼ごっご 寺町志津子
愚か者と蛙の声や戦止まず 藤田 乙女
着るように新緑の母屋に入る 月野ぽぽな
産声幽か白桃の夜明けに在り 飯土井志乃
<ウクライナから避難した母が作ってくれた>
ひまわりや母のボルシチ滋味あふれ
田中 怜子
虫喰いのような記憶や亀の鳴く 榎本 祐子
神戸の犬小屋ゆっくり静寂の蛇口 豊原 清明
胡瓜揉むよう戦争しない力 三枝みずほ
徘徊や旋毛(つむじ)にふれし春の月 樽谷 宗寛
たんぽぽも月野ぽぽなも宇宙船 島田 章平
絮たんぽぽ舞ふプーチンの長机 藤川 宏樹
ふじだなの藤の驕りを離れけり 淡路 放生
調律のラから始まる薄暑かな 大浦ともこ
盾と矛は無限循環それから無 塩野 正春
旗出さぬ終の住処の昭和の日 山本 弥生
師が残せし折帖の文卯浪かな 漆原 義典
恋多き女と言はれ冷奴 永野 和代
卒寿なり立泳ぎのざまで歩むかな 佐藤 稚鬼
歳時記をぱっぱぱらりら夏来る 松岡 早苗
百千鳥ショベルの音に負けまいぞ 菅原香代子
行間に仏法僧のいる真昼 久保 智恵
好機待つごとき密集ヤマボウシ 松本 勇二
樹の言葉風の言葉や五月来る 稲   暁
図書室の窓にせまるや山の笑み 福井 明子
メニュー挟む高知新聞初鰹 河田 清峰
老鶯の儘(まま)を尽くして鳴きにけり 鈴木 幸江
万緑に吊らる蔓の橋あわわ 三好三香穂
羽毛まき散らすようかなしみの降る夏 桂  凜火
恒例の家消えへたり込む燕 川崎千鶴子
亡母の名は愛子今年の蝶のきて 谷  孝江
行く春やのろりのろりと這い尽くす 高木 水志
流木も裸体も流浪の夏来る 若森 京子
はるの沼おおきな鮒のいるうわさ 夏谷 胡桃
くるぶしの軽さ夏に体当たり 重松 敬子
葱坊主空き家の窓が開いてゐる 亀山祐美子
生き下手さ曳いてきたなあ草青む 新野 祐子
白菖蒲終わる武器供与続く すずき穂波
兄弟のことば少なし柏餅  菅原 春み
新宿にかもめが飛んだ修司の忌 銀   次
てんと虫なかよしこよしのその向こう 河野 志保
門灯より小さき星を手に守宮 あずお玲子
眠剤呑み物書き続く口乾き 高橋 晴子
どうしても揺れたい蛇が水際に 男波 弘志
初夏のお風呂よパパとお湯はじく 松本美智子
目礼の後のひかりや藤の花 佐孝 石画
自らは音消す蟻の仕事聴く 津田 将也
3秒シャトルで終わる片恋桜蘂 中野 佑海
知床の海冷たかり理不尽なり 稲葉 千尋
ときわ街積乱雲の死に場所か 中村 セミ
幼き恋の淡きひかりや蛇苺 大西 健司
影急に群青色となり立夏 風   子
散る花を愛でる危うさフェイクスピア 田中アパート
飛行機雲5月の青空縫い合わせ 増田 暁子
夏めくやジャズの流るる喫茶店 野澤 隆夫
漢方の煮詰まる匂ひ五月闇 増田 天志
ずたぼろに美しき揚羽よ戦場に 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「羽毛まき散らすようかなしみの降る夏」。羽毛飛び交う映像をかなしみと感じることの新鮮さでいただきました。

小西 瞬夏

特選句「着るように新緑の母屋に入る」。からだにまとわりつくような新緑を「着るように」と捉えた。そのように言ったことはないが、言われてみればその実感が強くある。

増田 天志

特選句「たんぽぽも月野ぽぽなも宇宙船」。たんぽぽは、絮飛ぶことから、宇宙船の発想。後者は、単なる語呂合わせではない。その人柄、才能は、なるほど、宇宙的無限大。阿弥陀さまの、この世の御姿。言い得て、妙である。

福井 明子

特選句「うつそうとしたたりの声帰らなきゃ(竹本 仰)」。かつて自分が自分であったなつかしい空間に迷い込んだ、そんな感覚から、現実に戻りゆく。忘れていた深淵を覗きました。特選句「野薊の愛しさ彼に教えてやってくれ(伊藤 幸)」。一気に吐いた一句。すとんと胸に落ちました。「野薊の愛しさ」「教えてやってくれ」誰に⁉ 全人類がみな「彼」を凝視しているのです。

若森 京子

特選句「産声幽か白桃の夜明けに在り」。白桃の赤子の様な肌を想像し、この夜明けにかすかな産声がする、と初々しい幻想的な中に命をふと感じた。特選句「胡瓜揉むよう戦争しない力」。本当に人間の本能には際限のない力がある。「胡瓜揉む力」の比喩がすばらしいと思う。

豊原 清明

特選句「戦争が行く青草にぶつかつて」。数多くの反戦句、戦争句の中の、シンプルな形。青草が好き。自然に感じた。問題句「柿若葉ミサイル一発二発三発(稲葉千尋) 」。ただ、事実を詠んでいる。ミサイルの不気味さがよく出ている。ひねったりしていないが、戦争の突発性の恐怖。

夏谷 胡桃

特選句「胡瓜揉むよう戦争しない力」。以前、八月十五日前後に戦争時代のドラマがあったように記憶します。うろ覚えですが、あるドラマの中で戦争を反対するお父さんが特高警察に連れて行かれました。その家族は町の人から村八分にあい、いじめられています。ドラマを見ていた子どもが「かわいそうだね」と言いました。わたしは心のなかで、「そういう時代が来れば、隣近所、親しい人が変貌するだろう」と思いましたが、わたしの不安は子には言いませんでした。年月がすぎて不安はますます胸の中で大きくなるこの頃です。わたしには平和を言い続ける力があるでしょうか。戦争反対を言い続けられるか。せめて、「暮しの手帖」の編集長だった花森安治の「一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたい」という言葉のように生活していきたい。「胡瓜揉む」には暮らしが出ています。その中で、「戦争しない力」を育んでいきたいと思うのです。

淡路 放生

特選句「深いリュックに詰めても五月埋まらない」。―五月は草花の季節である。生命感あふれる月と言ってもいい。その五月をリュックに詰めようと言うのである。普通のリュックでは駄目だから深いものにしようと言う。それで五月は埋まらない。作者は五月の何をと思う。ひよっとすると、この時節、プーチンとウクライナを詰めて、戦争を終りにしようと言うのだろうか?いろいろ思いがふくらむのは、作品の「深い」と言う措辞の功績にあると思う。

あずお玲子

特選句「はるの沼おおきな鮒のいるうわさ」。童話のような句。「沼」と「鮒」だけが漢字で、あとは平仮名。春の午後ののんびりと過ぎる時間やゆっくり動くおおきな鮒の尾鰭が見えるようです。 ♡この二年ネット投句を続けていましたが、選を頂く為の作句をしている自分に気づいてしまいました。もっと軽く自由に作句をしたいと思っています。独りよがりな悪い癖はバンバンご指摘ください。どうぞ宜しくお願いします。

佐孝 石画

特選句「着るように新緑の母屋に入る」。「着るように」というストレートな比喩に思わず心を引き寄せられた。しかし、後になって何を「着る」のかという問いがじんわりと生じてくる。そして、この「着るように」とは、単なる比喩ではなく、作者の安らぎへと進水していく「心象感覚」なのだと気づく。「新緑」も「母屋」ももちろん「着る」対象ではあるのだが、この新緑の母屋に辿り着くまでの安心、充足感覚こそが「着るように」なのだろう。この「母屋」は、現在居住しているものよりも、時を経て訪れた生家のものであろう。新緑の中の母屋へ向かう作者が、時空を遡りながら、自分の存在を手放しで許してくれるような安堵感に包まれてゆく幻想風景が見える。

特選句「胡瓜揉むよう戦争をしない力」。薄切りした胡瓜の断面を壊さないよう揉むのは、とても難しい。強さと優しさのバランスがとれた手の力は、外交力と似ているのかもしれない。目からウロコの反戦句。特選句「まてまてまて裸っ子まてまてまて」。バスタオルを持ち、風呂上りの幼子を追いかける父親、あるいは祖父の様子がほのぼのと伝わってくる。「まて」のリフレインが心地よい。「戦争が行く青草にぶつかって」。国の若い力を蝕む戦争の非情さが、みごとに表現されていると思う。「行間に仏法僧のいる真昼」。写経をしているのだろうか。作者の澄んだ心を感受。の幼子を知れない。

藤川 宏樹

特選句「胡瓜揉むよう戦争しない力」。胡瓜を揉むような微妙な力が戦争しない力である、という発見に共鳴しました。派手さはないがぐっと耐えてるようで、じわっと効いてきます。私の好物、胡瓜揉みゆえ、より響いてきます。

増田 暁子

特選句「着るように新緑の母屋に入る」。新緑に囲まれた家の様子を大変上手い表現ですね。特選句「自らは音消す蟻の仕事聴く」。黙って自分の仕事している蟻への賛美。聴く方も黙って。「母の日のオレンジジュース入浴剤」。オレンジジュース色の入浴剤と解釈しました。「虫食いのような記憶や亀の鳴く」。本当に虫に喰われたようにどんどん忘れる。「絮たんぽぽ舞ふプーチンの長机」。長机にはたんぽぽの絮だけでなく欲望とか色々舞っているでしょう。「小さき死屍あれば吾子かとキーウの母」。子供まで平気で殺すこんな戦争をするなんて、母はみんな泣いてます。「翌朝や子のとりどりの初夏を干す(松本美智子)」。家中の洗濯物が初夏にひらめいている。「咲く薔薇に少し嫉妬の鋏入れ(植松まめ)」。私は嫉妬ではなく称賛の鋏を入れてます。「影急に群青色となり立夏」。立夏になると木々は薄緑から群青色になってきた。影もまた。良い句がたくさんあり、選句は大変迷います。リアルの句会が待ちどうしいです。

十河 宣洋

特選句「深いリュックに詰めても五月埋まらない」。五月の湧き出るような新緑が見えてくる。躍動感が伝わってくる。♡快晴。北海道もようやく夏らしい気候になって来ました。でも朝は結構寒い感じの日があります。昨日は夕立もありました。夕立は近年珍しいです。

谷 孝江

特選句「弱虫だっていいジャガタラの花の色」。銃を向けるだけが強者でしょうか。あの薄むらさきのジャガタラ草の花が目の前に見えてきます。平和な色なのです。葱、じゃがいも、トマト、茄子、一人暮らしには多すぎるほどの野菜の中で楽しく暮らした日々のこと。少しばかり遠い日になりました。強者と弱者、誰が決めるのでしょう。近ごろのニュースで胸が痛みます。

中野 佑海

特選句「深いリュックに詰めて五月埋まらない」。いったい五月にどんな落ち度があったというのでしょう。また、その隠し場所が、リュックとは誰にも見つからないように常に持っているのですね。お疲れ様です。そろそろその胸のつかえゲロしても良いころかと。特選句「歳時記をぱっぱぱらりら夏来る」。もうヤケクソです。俳句も季語もぱらっと開いた所にあった適当な言葉を繋ぐのです。そうです。それが夏来るでした。「爺ちゃんの握った手の汗御柱祭」。諏訪大社の御柱祭。山あり谷あり人生の荒波をくぐり抜けて来たおじちゃんでも、手に汗握るスペクタクルなお祭りです。一度見てみたい。「快晴平野春耕の帯一条黒し」。今、正に田植えの準備の真っ最中。「鍵なくす記憶の糸に蜂の飛ぶ(夏谷胡桃)」。すっごく良く分かります。何故か今まで手に持っていたはずの鍵が、戸を閉めて外に出たとたん、もう手の中から消えています。また、中に入って捜索と推理の開始です。一日にどれだけ~!「パスワードメモに書き込む夕薄暑」。IDとパスワードこれいつも同じにしようと思っているのに、もう、何だったか忘れてる。一から。頭の中が夕薄暑。「たんぽぽも月野ぽぽなも宇宙船」。正しく俳句の種がいっぱい頭の中に詰まっていそうです。「調律のラから始まる薄暑かな」。イ短調の何気ない暗さかと言って、♯も♭もない、調整不要のちょっとしたノスタルジー。「行間に仏法僧のいる真昼」。昼間食事の支度、昼食、仕事の合間に気付くと鳥の鳴き声が。こんなに近くに。少し気が和む。「うっそうとしたたりの声帰らなきゃ」。あまり山の奥まで、一人で入ってはいけません。 ぱっぱぱらりらと、俳句が作りたいです。有難うございます。

鈴木 幸江

特選句評「てんと虫なかよしこよしのその向こう」。有限な人間のすることなんて高が知れている。人間は現実を見つつも、その向こうの世界にも関心を持たねばいけない気がして不安でならない。しかし、どうしたら「無」とも言える世界を真に実感できるのかと常々悩んでいる。てんとう虫が仲良くしていたとして、その行為にはどんな真の意味があるのだろうかと作者も疑問を抱いているのだろう。共鳴大である。

大西 健司

特選句「新宿にかもめが飛んだ修司の忌」。古い歌謡曲に「新宿はみなと町」というフレーズがあったことを思い出している。寺山修司が亡くなった五月のある日、新宿を歩きながら都会の空を飛ぶ鷗に思いを馳せている作者。そのとき新宿は港町になっている。寺山修司への憧憬だろう。

稲葉 千尋

特選句「メニュー挟む高知新聞初鰹」。いやまいったネ。鰹好きの小生にはたまらなく嬉しい。しかも高知新聞とは気が効いている。

樽谷 宗寛

特選句「携帯で携帯探す歯抜け鳥(寺町志津子)」。日常を巧く俳句になさり共鳴しました。歯抜け鳥がぴったりです。問題句「メニュー挟む高知新聞初鰹」。惹かれる作品ですが、助詞を入れた方が伝わり易いと思いました。

野澤 隆夫

特選句「絮たんぽぽ舞ふプーチンの長机」。テレビ放映されたあの長いテーブルはびっくりで、強烈に残ってます。わたたんぽぽもまうことでしょう!怖い!恐い!特選句「葱坊主空き家の窓が開いてゐる」。葱坊主と空き家の窓の対比が面白い!ちょっとしたホラーです。

風   子

特選句「たんぽぽも月野ぽぽなも宇宙船」。月野ぽぽなさんを存じ上げませんが、何時も素晴らしく魅力的なお句に感心しています。作者はぽぽなさんの魅力をよくご存知の方なのではないかしら…。リズムが良くて楽しく読みました。特選句「まてまてまて裸っ子まてまてまて(島田章平)」。それでも裸っ子ははしゃぎながらチョコチョコと素早く走って行くのです。あの頃そうだった私の子どもも、今は中年のおばさん、おじさんです。私は…。

塩野 正春

特選句「胡瓜もむよう戦争しない力」。胡瓜を揉むときの柔らかい力を戦争しない力に例えたことに共感します。犬の甘噛みのような、言い換えれば戦争する力にマイナスの力を働かせるような?数学や物理では実の力に対しそれと相対するマイナスの、あるいは虚の力があるはずです。社会では政治的な力学関係にあります。これらの事象をさらっと俳句で表現されています。特選句「卒寿なり立ち泳ぎのざまで歩むかな」。きっとお腰は少し曲がっておられるのでしょうが歩くときは凛として、といきたいのですが立ち泳ぎですか!。太刀魚の泳ぎでもいいですね。

菅原香代子

特選句「じいちゃんの握った手の汗御柱祭」。ほのぼのとした情景と臨場感が伝わってきます。

津田 将也

特選句「好機待つごとき密集ヤマボウシ」。掲句から、河野南畦(こうのなんけい)の「山法師群れ立つ乱の僧兵か」の句が浮かんだ。南畦は、ヤマボウシの花群が、まるで叡山へ攻め入る信長の軍勢を迎え撃つ僧兵であるかのようだ。と、その咲きざまを比喩的に詠む。してみると、掲句「ヤマボウシ」は、昨今の情勢から反撃のチャンスを窺うウクライナの抗戦兵士たちを彷彿させる。抽象表現俳句における僕の鑑賞である。特選句「新宿にかもめが飛んだ修司の忌」。寺山修司を繙けば、彼は日本の歌人(俳句・詩も)、劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、他にもマルチに活動、膨大な文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。一九三五年(昭和十年)十二月十日青森県弘前市生まれ。一九八三年(昭和五十八年)肝硬変を発症、五月四日に敗血症のため東京杉並区阿佐ヶ谷の病院に入院中死去した。行年四十七歳。彼の仕事ぶりやその生涯を思うとき、新宿の上空にまで来て飛ぶ「修司忌」のカモメの光景は、特別に感慨深く印象的だったであろう。

桂 凜火

特選句「弱気って水の明るさ聖五月(三枝みずほ)」。ほんとにそうだと思いました。弱気は何処からくるのかわからない明るさでからだを弱らせる気がしますね。

男波 弘志

「春の月違う居場所の匂いかな」。今在る場所とはなんであろうか、在ることの意味を背後の世界の匂いを感じているのだろう。「狼のにおうマスクをおおかみに落とす(淡路放生) 」。ニホンオオカミに覆われていた時、人間は人間の匂を知らなかったのだろう。何れも秀作です。宜しくお願い致します。

柴田 清子

特選句「亡母の名は愛子今年の蝶のきて」。優しすぎる母と、優しく育てられた作者が、この句の中心にゐます。「今年の蝶のきて」が、この句を佳句になるべく所以であると思った。

河田 清峰

特選句「深いリュックに詰めても五月埋まらない」。万緑の山を五月埋まらないが良かった。

永野 和代

特選は「再生といふ輝きの五月かな(風子)」。「新宿にかもめが飛んだ修司の忌」です。人間もやり直しができるんだ、という優しい気持ちになれます。修司の忌は、うまいと呟いてしまいました。これも若さを感じます。何歳になっても若さはありますから。

月野ぽぽな

特選句「還暦の鉄線花ゆれやすからむ(小西瞬夏)」。還暦の鉄線花、の「の」が働き、詩的空間を創り出しています。還暦を迎えた心、もしくは還暦に想いを馳せる心が、映したのは鉄線花。美しく力強い、高貴な印象のこの花が、揺れやすいのではないだろうか、と感受したことの提示が、還暦という人生の区切りに、ある独特の気分を付与しています。言葉にし難い感情を、そのまま言葉にしなくて良い形、ニュアンスとして匂わせるところが見所の句。「たんぽぽも月野ぽぽなも宇宙船」。の挨拶句に、微笑みました。元気をいただき感謝です。

島田 章平

特選句「ときわ街積乱雲の死に場所か」。琴電瓦町駅が木造だった頃から、高層ビルに変わり、トキワ街は大きく変遷しました。多くの映画館や商店街で賑った頃からシャッター商店街の様になるまで、憧れと失望の街でもありました。そして今、駅近のマンション街へと変わりつつあります。トキワ街の持つ魅力は、時代の波に流されながらも廃れる事はありませんでした。「死に場所」とまで言い切った作者もまたトキワ街を愛してやまなかった一人でしょう。「積乱雲」の季語に作者の人生観が溢れています。特選句「母の亡き最初の母の日の日差し(月野ぽぽな) 」。多分、今年亡くなられたお母様でしょうか。心から御冥福をお祈り致します。お母様はたとえあなたがどこに居られても、いつも貴方のそばで一緒に見守られていますよ。肉体に別れはあっても魂に別れはありません。

菅原 春み

特選句「産声幽か白桃の夜明けに在り」。産声、白桃、夜明けの織りなす景が深くこころに沁みました。疫病、戦などストレスフルな状況に置かれている今だけに、産声という希望が見えました。特選句「虫喰いのような記憶や亀の鳴く」。認知がゆがんでいく記憶の欠損を、淡々と描いているところに共感しました。あれあれ症候群の身としても身に迫る思いですが、季語がなんともしなやかでいいです。

中村 セミ

特選句「流木も裸体も流浪の夏来る」。遠くの海からやってくる流木も、あつくなっていくと,服を次々と脱ぐ踊り子の様な,私も、流されて行く夏のなかで、何をしていこうか、等などと読みました。

松岡 早苗

特選句「目礼の後のひかりや藤の花」。日常の何気ない動作と景の取り合わせがお見事。藤の花を颯とこぼれた光がさわやかでうつくしい。特選句「まてまてまて裸っ子まてまてまて」。「まてまてまて」のリズミカルな繰り返しがリアルで楽しい。風呂上がりの、おもしろがって逃げる子どもと追いかける大人の様子がありありと見える。あるあるの情景に思わず笑み。

野田 信章

特選句「弱虫だっていいジャガタラの花の色」は、「弱虫だっていい」と素直に吐露されている心情が美しく結実しているのも「ジャガタラの花の色」の物象感の配合あってのことだと読んだ。この時期の茄子の花に比して、今一つはっきりしないものが、この花ならではの本性であり本情であろう。なお、「ジャガタラ」とは年配者向きの呼称の感もあるが、その分、来し方の体験的な思念の裏打ちとしての「弱虫だっていい」との心情の厚味とも読める。私的には、「海程」の初期に出合った<誰も悪くないじゃがたらの花の憂い(樋口喜代子)>の一句が色褪めずに想起されるところである。

すずき穂波

特選句「ふじだなの藤の驕りを離れけり」。紫か、白か、藤の花序は上から下へ向かう故にか、どこかしら高貴な(或いは高慢な?)雰囲気を醸している。そこのところを「驕り」と捉えての作者の情動。「離れけり」は少し短歌的で「けり」でいいのか?…とも思うのですが情念、ほどよく、頂きました。特選句「卒寿なり立ち泳ぎのざまで歩むかな」。この作者の動作を想像してふと思ったのは、狂言の振舞い。滑稽、可笑しの最晩年万々歳って感じです。憧れます、素敵ですね。

滝澤 泰斗

特選句「難民西へ西へ麦生う野の現(うつつ)」。ウクライナ侵攻関連の句もだんだん下火になってきた。時間経過とともに情況を見つめる目の高さが上になって周囲を見渡して、情況の何たるかを把握した上の句に共感しました。とりわけ、ウクライナは旧ソ連のみならず、かつてのワルシャワ条約機構国の食糧供給に重要な役割を果たし、今や、旧東欧のみならず、アフリカ の飢餓を救う国にもなっている。その麦穂を横に見ながら、逃げ惑うウクライナ国民を思うと胸が張り裂ける思いになる。特選句「春尽くや達治母恋ふ乳母車(松岡早苗)」。紫陽花色のもののふるなり・・・ 三好達治を忘れてはいないが、懐かしい詩の一編を思い出させてくれた。「(ウクライナから避難した母が作ってくれた)ひまわりや母のボルシチ滋味あふれ」。難民は周辺国のみならず、日本の家族を頼り、やってきているニュースが流されている。ウクライナのおふくろの味は赤かぶのボルシチが定番のようだ。作る母、そのボルシチを味わくこの団らん・・・刹那の幸せかもしれないが、心の滋養にもピッタリのスープは母国のひまわりが象徴している。「小さき死屍(しし)あれば吾子かとキーウの母」。難民化せず、戦火の母国に留まる人もいる。どこからともなく飛んでくるミサイルは人を選ばない。母はいつもわが子を思っている。「新宿にかもめが飛んだ修司の忌」。類句と言ったら語弊があるが、こちらは寺山修司。寺山もカモメも、そして、浅川マキまで連想して、若き日に手にした、耳にしたグラフィティーが蘇ってうれしくなった。

河野 志保

特選句「深いリュックに詰めても五月埋まらない」。リュックに溢れんばかりの五月。緑の季節の生命力や躍動感を感じた。お出かけモード全開の句と受け取ったが合っているだろうか。難しいけれど惹かれる句。

三枝みずほ

特選句「硝煙ではない海霧の国に在る」。硝煙か海霧かどちらにしても水際の祖国であろう。視界がひらけたとき眼前の景を思う。そこは晴れているだろうか。

田中 怜子

特選句「影急に群青色となり立夏」。夕方になって急に影が青くなるのを経験してます。そしてすーっと空気も、ひややかになる。私は奈良で経験しました。寺参りの後の疲れ、バス亭で待っているときの目の前に広がる風景と涼しくなった空気です。

高木 水志

特選句「胡瓜揉むよう戦争しない力」。この句には、何気ない日常に戦争をしないという力があるという作者の祈りが籠もっている。

野口思づゑ

特選句「大いなる平和呆けかよ春炬燵」。春炬燵の季語がよく効いている。特選句「てんと虫なかよしこよしのその向こう」。以前は、童話でも恋愛小説でも、二人が結ばれればめでたしめでたしでしたが現実はその後の二人の人生はどうなるのか、ですよね。「草抜けばいつの間にやら愚痴も消ゆ」。その通りです。「葱坊主空き家の窓が開いてゐる」。ちょっとサスペンス風です。葱坊主がいいですね。「漢方の煮詰まる匂ひ五月闇」。五月闇の深さが伝わってくる。♡ 香川は暑いのでしょうか。だとしたら羨ましく感じます。シドニーは相変わらず雨が多く、当たり前なのですが冬なので寒くなり、暖房を使用しています。でも先日FUYUと表記されている美味しい富有柿を食べ、機嫌がよくなりました。→ 地球は広いですね。深秋の柿、美味しそうですね。

漆原 義典

特選句「恒例の家消えへたりこむ燕」。へたり込むが、燕の行動をおもしろく表現しています。楽しい句をありがとうございます。

三好三香穂

「咲く薔薇に少し嫉妬の鋏入れ」。女の情念に共感。句会では、少しというのが、面白くないという意見もありましたが、爆発するような嫉妬は、あまりはないのです。ちょっとしたことに軽い嫉妬を覚えることが時々あり、それを上手く誤魔化し昇華しながら生きているのが日常です。私は私。なるべく人の動向に左右されないよう心掛けていても、面白くなく感じる時はあるのです。少しの鋏で済ませるのです。

川崎千鶴子

特選句「羽毛まき散らすかなしみの降る夏」。ウクライナの侵攻と受けました。戦争の悲しみと状態を「羽毛まき散らす」と言い得た表現力に感嘆です。「飛行機雲5月の青空縫い合わせ」。青空を真っ白な飛行機雲がまるでファスナーのように右と左を「縫い合わせ」たようと素晴らしい感性に脱帽です。

飯土井志乃

特選句「羽毛まき散らすようかなしみの降る夏」。先の見えない近日。数多の人の心奥深く宿す不安感、寂寥の思いを感じ選句いたしました。

重松 敬子

特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。ウクライナの悲劇から、平和について毎日考えます。平和って掌のように、身近かなところから積み上げていかなければいけないのでしょうね、レンガも一つ欠損が出来ると全てだめになってしまいます。特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。ウクライナの悲劇から、平和について毎日考えます。平和って掌のように、身近かなところから積み上げていかなければいけないのでしょうね、レンガも一つ欠損が出来ると全てだめになってしまいます。

山下 一夫

特選句「着るように新緑の母屋に入る」。新緑に囲まれた母屋に清々しい気持ちで入っていくということだろうか。「母屋」という言葉には建物の単なる名称以上の含みが滲み出ていて句に深みを与えている。「着るように」との措辞も斬新。特選句「卒寿なり立泳ぎのざまで歩むかな」。老齢の覚束ない足取りを「立泳ぎのざま」とやや自嘲的に形容しているが、それでも歩んでいくのだという意志が感じられ、その心持ちはなかなかどうして豪胆でさえある。ご健勝をお祝いいたします。問題句「でたらめに組み合う男女蟻光る(男波弘志)」。上五中七には惹かれるのだが「蟻光る」がわからない。深層心理学的には、蜘蛛は男女のまぐわいの象徴(腕が四本脚が四本の塊になっていることから)であることから、それならわかるのだが・・・。

森本由美子

特選句「胡瓜揉むよう戦争しない力」。創造物としての人間の不完全で脆い一面を強く感じさせる。

石井 はな

特選句「樹の言葉風邪の言葉や五月来る」。暗い話題ばかりのこの頃気持ちも沈みがちですが、気持ちの良い五月の訪れを教えてくれました。

佐藤 仁美

特選句「八十歳のぼくちゃん元気菊芽挿す(河田清峰)」。どんなに年をとっても、まだ子供のままの自分が自分の中にいます。見えてる身体だけは、年相応になってますが…。「ぼくちゃん」!これからもご機嫌で、元気に過ごして下さい。特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。心に響きました。手のひらを合わせて、祈ります。どうか平和が早く来ますように!これ以上の涙は、見たくありません。

大浦ともこ

特選句「産声幽か白桃の夜明けに在り」。夜明けの白桃のしーんとした瑞々しさが新しい生命とよく似合っています。特選句「百千鳥ショベルの音に負けまいぞ」。山が削られたり鳥が住みにくくなっていくこの頃。百千鳥頑張れ!!という気持ちになりました。

久保 智恵

特選句「難民西へ西へ麦生う野の現(うつつ)」「胡瓜揉むよう戦争しない力」。二句とも、大旨。好感を持つ句が多く問題句はございません。素敵な紙上句会だと思います。

伊藤  幸

特選句「椎若葉地にもこもこと曾孫あり(野田信章)」。オノマトペ「もこもこ」が新しい生命を祝しているかの如く効を奏している。曾孫さんが誕生されたんですね。おめでとうございます。

田中アパート

特選句「夏めくやジャズの流るる喫茶店」。さあ、行くで!コロナで一年以上いきつけのコーヒー店に行っていない。店員は、みんな元気にしてるのかな。又、551の豚まんを元気づけに持っていこう。そうだ5人分。

植松 まめ

特選句「夏めくやジャズの流るる喫茶店」。もやもやとした気分が晴れぬ世の中ですが爽やかなこの句好きです。特選句「愚か者と蛙の声や戦止まず」。独裁者が始めた戦争が長期化しそうですがはやく停戦して欲しいです。

亀山祐美子

特選句『木漏日や泉は若き声上げて(稲 暁)』木漏日の柔らかな光が煌めく中の源泉。静寂の杜に尽きることなく響く溢れ出る命の音を『若き声』と表現した地味だが骨太な佳句。特選『漢方の煮詰まる匂ひ五月闇』台所で漢方を煮詰めている。只それだけの句ながら想像を掻き立ててくれる。自分自身あるいは家族のために手間のかかる漢方の薬を煮詰める心情を『五月闇』が代弁する。また健康を願う気持ちが煮詰まる『臭い』ではなく『匂ひ』に集約される佳句。問題句『くるぶしの軽さ夏に体当たり』句またがりの一句。上八文字と下八文字で一文字足らぬ構成。私なら『くるぶしの軽さ真夏に体当たり』と十七文字に整えるのだが、この人は体当たりする不安感を十六文字の不安定さで表現しようとしたのだろうか。元気で明るいはずの一句なのになぜか哀しいのは一音足らぬ機敏の成せる技なのだろうか。おもしろい一句だ。

松本美智子

特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。戦争がいつまでたっても止む気配なく,世界中に悲しみが広がる中,どうすることもできない無力感が漂い始めています。手と手を取り合って平和を,希求することは無意味で不可能なことなのか・・・紋白蝶の無垢で,はかない命に人としての矜持を託したいものです。♡4月の会報のコメントの中で拙句「退職やいつもの夫の手酌酒」に対して銀次さんから深詠みしていただいて,気恥ずかしさと嬉しさを感じております。一句から本当に想像力たくましくドラマを構築されて・・流石だなあと感銘しています。なかなか句会に参加できませんが、また,お会いしたらお礼申し上げたいと思っております。

銀    次

今月の誤読●「はるの沼おおきな鮒のいるうわさ」。実家のほど近く、歩いて十分くらいのところに大きな沼がある。鬱蒼とした木々が取り囲み、さほど遠くもない対岸が見えないほどだった。ひとり息子のわたしはどちらかというと父さんっ子だった。百姓家だった我が家は大家族で、母は仕事に家事にと朝から晩まで大忙しだった。その点、農協の職員だった父はよほどの農繁期以外はさして仕事を手伝うでもなく、わたしを連れて山や小川でよく遊んでくれた。なかでも冒頭に書いた沼で釣りをするのがふたりのお気に入りだった。四歳になったばかりのことだった。父は打ち明け話でもするように「実はな」と切り出した。「この沼にはこんなにでっけえ」と両手をいっぱいに広げ「鮒がいるんだ」。父の神妙な口ぶりに、わたしは「ウソだあ」と笑った。「ウソじゃねえ。見てろ、そのうち釣ってみせっから」。その日は春の風の心地よい穏やかな日だった。あうんの呼吸で父とわたしはミミズを掘りはじめた。さあ、釣りに行くのだ。わたしたちは沼へと向かった。だがどうしたことか、まったく釣れる気配はなかった。浮きはピクリともせず、水面は静まりかえっていた。父は無口になり、ウトウトしてきたわたしはそのうち草むらでグッスリ寝入ってしまった。「そのとき」の音はなにも聞かなかった。ただ二、三時間ほど眠って、大あくびとともに起き出したわたしのそばに父はいなかった。「父さん」と何度か呼んでみたがどこからも返事はなかった。寝ぼけ眼でキョロキョロしていたわたしの目に、水面に浮かんだ一本の竿が見えた。やがてその竿は引きずり込まれるようにスーッと水中に没した。ただ事ではない。直感したわたしは我が家にとって返した。それからの数時間は気の遠くなるような長い長い時間だった。村の若者たちや消防団に人たちが代わる代わる沼に飛び込んで父を捜した。ようやくグッタリとした父を水から引き上げたとき、誰もがもう息はないと思った。若者のひとりが「水草がからんでいて」と遭難の理由を告げようとしたしたとき、わたしは思わず「鮒だ。鮒が!」と叫んだ。なにごとかとみんなの視線が集まった。「なんだ坊主?」と問い返されてもなにもいえなかった。子どもながらにその答えの荒唐無稽さに気づいたからだ。ただ黙って父の死に顔を見ているだけだった。まさしくわたしは見ていたのだ。父の青ざめた顔と、その口びるに引っかかった釣り針と、そして口中でうごめくミミズを。  

高橋 晴子

特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。人間みんなもっている手。よく働いてくれる手、時につくづくと眺める。「てのひらは平和のかたち」無意識の心の中に皆もっている平和への思い。紋白蝶がよく効いている。早く戦争終らないのかな、こんな事で死ぬのかな、と思う。

寺町志津子

特選句「てのひらは平和のかたち紋白蝶」。掌は拳では無い。平和の形と形容した作者の発想に感銘。紋白蝶が良く利いている。

新野 祐子

特選句「羽毛まき散らすようかなしみの降る夏」。こういう比喩ができる作者の感性の豊かさに、ただただ感嘆です。

荒井まり子

特選句「再生といふ輝きの五月かな」。長引くウクライナの映像に慣れてきたのが怖い。新緑が眩しい中、復興が早く来る事を願うばかり。人間は恐ろしい。

藤田 乙女

特選句「はつなつの風に吹かれてねむり姫」。初夏の風が吹く中、気持ちよさそうに眠っている幼子の姿が目に浮かび、微笑ましくとても心が癒されました。一方、爆撃に恐怖の日々を過ごしているウクライナの幼子のことを考えると置かれている環境の違いに切ない気持ちになりました。 特選句「老鶯の儘(まま)を尽くして鳴きにけり」。無理もせず欲張らずありのままに自分の本分を全うしているように鳴いている老鶯を感じ取っているところにとても共感しました。

野﨑 憲子

特選句「図書室の窓にせまるや山の笑み」。最近、ウクライナ侵攻の映像を見るにつけ、人類の引き起こした戦争ではあるが、全ての生きもの達も巻き込んだ禍々しき戦いで、山々もきっと戦っているに違いないという思いを持つようになった。掲句の「山の笑み」に癒された。平和な日本に暮らせる幸いと共に、生きとし生けるもの全ての立ち位置について人類は真剣に考え直さなければ取り返しのつかないことになると強く感じる。この図書館は山間にあるのだろう。春の山と感応している作者の眼差しが爽やかだ。問題句「狼のにおうマスクをおおかみに落とす」。「狼のにおうマスク」・・作者は自分のことを狼と捉えているのか。とても興味深い作品だ。ただ「おおかみに落す」で私は迷宮に入ってしまった。魅力がある分、もっと別の展開にして欲しかった。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

十薬・どくだみ
十薬や卒寿で挑むトライアスロン
野﨑 憲子
どくだみや性悪女と酒を酌む
銀   次
闇深しやがて十薬浮び来る
三好三香穂
十薬由なき事を聞き流す
淡路 放生
ヨーイどん春のポストに鳩のいて
淡路 放生
整然と鳩電線に夏の雨
銀   次
伝書鳩ならぬ道草裸足の子
中野 佑海
鷹鳩に化し父さんはなんか変
藤川 宏樹
言い訳もしっかりきいて蟇
三枝みずほ
控えめにかかと体重蟇
藤川 宏樹
蟇重なり轢かれ情死遂ぐ
三好三香穂
蟇ただ影となり待ちぼうけ
野﨑 憲子
短夜や8ビートな喧嘩して
中野 佑海
蹠燃えことのは戦ぎ夜の新樹
野﨑 憲子
父の日や妻子悠々帰らぬ夜
藤川 宏樹
指圧師の義眼を洗う蛍の夜
淡路 放生
更衣
衣更あらま背たけがまた伸びた
銀   次
考えぬ葦ばかりなり衣更
淡路 放生
衣更せむとて残る二、三枚
三好三香穂
衣更へ背ナに舞妓のバイク俺
藤川 宏樹

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、ロシアのウクライナ侵攻は終息の兆しが見えません。今回も、戦争へ目を向けた作品がたくさん寄せられました。美しいこの星には、私達人類だけが住んでいるのではありません。 人類の足元を見つめる作品を世界へ向け発信することの大切さを改めて強く感じています。

2022年4月28日 (木)

第127回「海程香川」句会(2022.04.16)

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事前投句参加者の一句

師に逢う春「俳句弾圧不忘の碑」 稲葉 千尋
あやふやな平和音もなく桜散る 風   子
ねじるねじる体幹の春巻き戻す 十河 宣洋
朝晩の薬ならべて蜆汁 増田 暁子
薄暮満開ふと白鯨に乗りて 若森 京子
人のこと地のこと超えて鳥雲に 松本 勇二
サファイア婚女房の独り言さくら降る 滝澤 泰斗
ふらここの影フクシマの風尽きて 小西 瞬夏
ウクライナ無力なるわれ鹿尾菜炊く 森本由美子
花曼荼羅風曼荼羅潮満つる 亀山祐美子
ちゅーりっぷ子牛はどこへ消えたのか 植松 まめ
どこまでも続く自由詩麦の秋 重松 敬子
惑う蛇に龍になれよと陰の声 伊藤   幸
ウクライナの少女に触れにゆく落花 男波 弘志
うすらいや今生きてをり奇跡なり 野口思づゑ
一行をはみ出すここからは燕 三枝みずほ
鳥帰る砲火に捲かれ羽焼かれ 川崎千鶴子
寝転べば空はわがもの紫雲英風 稲   暁
混葬や春とは言えぬ春の来る 石井 はな
竹の秋ぽつんと立ちし生家かな 漆原 義典
まっさらな今日を燃やして夜の桜 佐孝 石画
引き攣(つ)る喉戦争ひとつとまらぬ櫻 高橋 晴子
小さき手で独りぼっちの戦士あり 久保 智恵
焚火照り卒寿の背を裏がえす 佐藤 稚鬼
つなぐ手の少女のしめり茅花径 津田 将也
スフィンクスのように笑まふ春の女 野澤 隆夫
退職を祝う花束ほどく夕 松本美智子
密室に存在のしかかる花盛り 豊原 清明
鳥帰る妙に連なるいろはにほ 樽谷 宗寛
竜宮の箱開けるごと包帯解く 中村 セミ
不滅なるペンの力よひさしの忌 新野 祐子
川向うも同じ町名花菜咲く 谷  孝江
ジェンダーを見える化すれば朧月 塩野 正春
散る花の一息に触れまた明日 高木 水志
冗談の通じぬ犬よ存在者 鈴木 幸江
少年にあくびの声や夕桜 吉田亜紀子
夫が呼ぶ空耳隣家の桜かな 小山やす子
桜蘂降るや懺悔の遠つこゑ 松岡 早苗
囀やもう声のなき兵士たち 菅原 春み
風光る淡海はおれの産湯かな 増田 天志
花莚鬼籍の人もちらほらと 桂  凜火
掌を返すてのひら四月馬鹿 河田 清峰
春蟬と首吊りの木の睦みあう 淡路 放生
私を背割する音春の雷 伏   兎
泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ 竹本  仰
春の星かの地の修羅の泪かな 田中 怜子
信長の見下ろす眼山桜 永野 和代
空の青たんぽぽの黄やウクライナ 三好三香穂
我らみないつか立ち去る花明り 河野 志保
月山へ道の栞は蕗の薹 菅原香代子
生きているくちびる粘り花の昼 月野ぽぽな
祈つても祈つてもまたリラの雨 山下 一夫
母の日カーネーションまっ赤まっ赤まっ赤 飯土井志乃
おかあさんあれは紙だよ春の月 銀   次
老獪の膝行につくしんぼの風来 すずき穂波
ウクライナ抗戦鳥鳴き草青むために 野田 信章
よしなしの文の余白の暖かし 大浦ともこ
散るために桜は用意されている 榎本 祐子
春泥の轍のにわか墓標かな 荒井まり子
ふらここやいちばん星がのぼるまで 夏谷 胡桃
ウクライナの瓦礫も照らす春の月 藤田 乙女
父の忌や故里遠し花はこべ  山本 弥生
一生を幸福とよぶなキーウ春 田中アパート
うそなきに亀鳴くポッと練りわさび 藤川 宏樹
古池や蛙飛び込めロツクンロール 島田 章平
奥羽林春胎動のくろきもの 福井 明子
一隅のひと形海髪の匂いせる 大西 健司
伝え無かった言の葉まびく豆の花 中野 佑海
泣いたって笑ったっていい桜どき 柴田 清子
選ばれし神輿担ぎの紅一点 寺町志津子
初蝶来北に戦ふ山あれば 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「白いガーゼ被せる傷跡春の雷(桂 凜火)」。時勢のせいかもしれませんが、白いガーゼを傷痕にあてることがとても輝いて感じられ、救われる一句でした。春雷もやさしさを加えています。

小西 瞬夏

特選句「我らみないつか立ち去る花明り」。「立ち去る」にさまざまな思いが重なっている。桜のもとを去る、ふるさとを去る、この世を去る…。別れを肯定的に受け止める明るさが感じられて、心を強くする。

夏谷 胡桃

特選句「月山へ道の栞は蕗の薹」。ようやく山の家のまわりにも蕗の薹がでました。日当たりのいいところはのびていますので、山にはまだ開ききらない蕗の薹があるだろうと、登りながら蕗の薹をみつけ摘んでいました。その蕗の薹を山道の栞としたのは詩的で面白いと思いました。♡盛岡は桜が咲き始めましたが、遠野の家に来たらまた寒くなり、薪ストーブを焚いてセーターを着ています。春は一進一退です。

野口思づゑ

特選句「吉里吉里忌触れば爆発する地球(新野祐子)」。『吉里吉里人』の小説の内容は現在のウクライナを連想させる。世界のあちこちでまさに一触即発ともいえるほどの今の情勢を、キリキリの音と共に巧みに表現している。特選句「散るために桜は用意されている」。桜は美しく咲き美しく散る。つまり命あるものはいずれ散る、人間も死ぬために生かされている、なので生きている時は桜のように懸命に生きよ、と句に後押しされた。「用意されている」で創造主の意志を感じる。「夜桜やロシアにロシアンルーレット(竹本 仰)」。今の状況下で、とても説得力がある。ロシアンルーレットはロシアで生まれるようにできていたのだ、と納得させられる。上5の、夜桜をどう解釈したらいいものか、まだ思案中です。

増田 天志

特選句「ちゅーりっぷ子牛はどこへ消えたのか」。まさか、チューリップの中に、子牛は、隠れているのか。メルヘンの世界を構想できる感性に、乾杯。

津田 将也

特選句「一行をはみ出すここからは燕」。指定のフォーマットからはみ出した、その一行の、もうそこは、燕の飛び交う宙世界。措辞「ここからは燕」からは、この人の物事への微妙な感じをさとる心の動きが見える。特選句「奥羽林春胎動のくろきもの」。北国にへとやってきた春の気配を「くろきもの」と重厚に捉え、その特別な風土性をも切り取った一句・・・。

塩野 正春

今回も残念ながらウクライナ情勢に重きを置いた選句になりました。早く平和が戻ることを祈っています。特選句「小さき手で一人ぼっちの戦士あり」。悲惨な光景が目に浮かびます。恐らく家族が離れ離れになったか殺されたか。この小さな戦士の行く末を追ってみたい気がする。この侵略戦争は永遠に語り継ぐ必要があります。もう一つの特選句は「鳥帰る砲火に捲かれ羽焼かれ」。それでも鳥は帰ろうとする。いつものルートで。ふらここの句を2点、採らせて頂きましたが「ふらここの影フクシマに風尽きて」「ふらここやいちばん星がのぼるまで」。昔、遊びの手段が余り無かった時代のふらここ、最近の津波に流されたもしくは残ったふらここです。「ウクライナの瓦礫も照らす春の月」。は「戦場のピアニスト」を思い起こします。 問題句「吉里吉里忌触れば爆発する地球」と「不滅なるペンの力よひさしの忌」。一句目の元となる吉里吉里人はもっとユーモアにあふれた世界を描いたものと理解します。私自身もそのあたりの生まれ(米沢付近)で方言が余りに近いのにびっくりした記憶があります。後者のペンの力は今回の戦争では無力でした。僭越ですが私の感想です。

すずき穂波

特選句「快晴の菜花畑は痛くなる」。自身が幸福であればあるほど、他者の痛みが反比例して解る作者なのでしょう。一面の黄色が目に眩しすぎる、あの映画「ひまわり」は自身の悲しみを投影してるヒマワリだけど、この俳句作品の方が、より人間の複雑な心理を表しているかも…との思いで頂きました。特選句「泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ」。全く散文ですが完璧な定型での映像化。登場人物、部屋の様子、声音まで伝わってきて、即決 いただきました。

中野 佑海

特選句「老獪の膝行につくしんぼの風来」。世の浮き沈みに合わせ逆らわず、上下左右抜かりなくへつらいて、生きていこうか。それとも、エイ儘よと、風の吹くまま、吹かれる儘。折れたら、胞子となって、増えてゆく。どちらの生き方も一理ありますが、程々にてお願いします。 特選句「うそなきに亀鳴くポッと練りわさび」。どうしてもこの場面泣かなくてはならぬ。亀の鳴くかの如く、練りわさびをチュッと出し、泣いて見せられるのか、見えぬのか。この、小細工のぬけぬけしいところが、また図太い年増なり。「ねじるねじる体幹の春巻き戻す」。春が来て、薄物に手を通したら、ヤバイ事に。捻って、3㎏痩せれたら、こんな簡単な事は無いのですが。「夜桜やロシアにロシアンルーレット」プーチンプーさんに蜂蜜壷を渡しに行く人だあれ。「鳥帰る妙に連なるいろはにほ」。V字型に雁が帰って行くその列が、所々乱れたり。「泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ」。はい、泣くほど美味しい岩手の冷麺。初めて食べたときは、感激しました。「桜とは矢吹丈なのだな明日へ」色んな苦難が明日への自分を育ててくれる。「あしたのジョー」「巨人の星」などスポーツ根性漫画は読んだ事がありません。人生生きる事は試練。確かに花見は試練?「古池や蛙飛び込め、ロックンロール」良いですね。私もご一緒して、外れたギターを啼かしましょう。「青鷺の抜き足差し足西日なか(佐藤稚鬼)」夕日の水田を、堂々と青鷺がゆっくりあるく。一瞬見惚れてしまいます。:「選ばれし神輿担ぎの紅一点」神輿も最近は女性が担げるようになったんですね。今月も力作ぞろい。楽しく読ませて頂きました。有難うございます。

若森 京子

特選句「老獪の膝行につくしんぼの風来」。上句と下句の斡旋が妙。人生を長く歩んで来た老練な風貌が見える。特選句「春泥の轍のにわか墓標かな」。この最短詩型に、現在のウクライナの映像が浮かぶ戦車の轍がそのまま墓標になっていた。

稲葉 千尋

特選句「四月日々世界が聞く名ゼレンスキー(野口思づゑ)」。本当に毎日聞く声、顔に勇気をいただくとともにわれの無力さも思う。「桜蕊降るや懺悔の遠つこゑ」。の<や>がどうかなと気になる句。

淡路 放生

特選句「古池や蛙飛び込めロックンロール」。芭蕉さんの「古池や」は共感しないが、この句はうれしい。「ロックンロール」と言う音楽を知らないし、一度も聴いたこともないのだが、「ロックンロール」この語感が実に気持ちよい、「蛙飛び込む」を、ポンと蹴飛ばして、「蛙飛び込め」は、正に現代俳句だろう。ここまで書いて、近年亡くなった、キキキリンの、クスッと笑う顔を思い出した。いい句だと思うし、好きな作品です。

重松 敬子

特選句「絵の中の秘密を探すミツバチよ(河野志保)」。後世に残る絵画は、いろいろな物語を秘めているらしい。興味があって少し調べてみたことがありその絵にまつわる歴史を知ると尚いっそう楽しさが増す気がする。ミツバチを知の象徴としたのも良い。

樽谷 宗寛

特選句「ねじるねじる体幹の春巻き戻す」。この俳句まさに今の私です。第3回フアイザーの注射で副作用があり3週間あまり調子が悪い中ねじたりまげたりを頼りに、やっと春、元気になりました。ねじるねじるねじる体幹の春がいいです。

藤川 宏樹

特選句「青蛙あをのとびつく錆鎖(小西瞬夏)」。船を止める錆びた巨大な鎖に小さな蛙が飛びつき着地。そんな様子がまざまざと浮かびました。赤の重量感と青の軽快さの対比が鮮やかです。

福井 明子

特選句『師に逢う春「俳句弾圧不忘の碑」』。戦争体験をしたあの時代の禍根を改めて今、問い直さねばなりません。「不忘」を刻む象徴的な一句だと思います。

河田 清峰

特選句「薄暮満開ふと白鯨に乗りて」。季語以上に思いを込めて満開の桜のままに白鯨を思い浮かべ乗りてとは。破調なれどちゃんまとめた素晴らしさ。私も白鯨に乗って飛んで行きたい!

 
大西 健司

特選句「泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ」。一読問題句の範疇と理解。しかしあらためて読み直すとこの句のもつ奥深さに思いをはせることが出来た。俳句というよりただのつぶやきのようだが、しみじみとした哀しみが伝わってくる。男と男の友情か、妙にリアリティがある。冷し中華を前にしてわざとおどけて見せる男の優しさがいい。こんな句があってもいいと思う。おなじように「桜とは矢吹丈なのだな明日へ(佐孝石画)」。問題句であるが、特選の句にくらべ作り物めいて消化不良。桜とは矢吹 丈それで十分のように思える。あしたのジョーの世界観がもう少し書けたらと思うが、あと一歩か。

寺町志津子

特選句「我らみないつか立ち去る花明り」。誰にも何れ来る逝去と花明かりとの対比。当たり前の真実を、静かに、気負わず詠まれていることに好感。 ♡ ご多忙の中、毎号、行き届いたお世話をありがとうございます。毎月、バラエティーに富んだ句に刺激を頂きながら、楽しく拝読いたしております。今号も、「なるほど!」「あるある」「お上手だなあ」とか「えー、そうなのか」等刺激を受けながら日本の平和な春の朝夕、その風情、日々の移り変わりの感触に頷き、感謝し、選句させていただきました。ウクライナの一日も早い平安を心から祈りつつ・・・。

島田 章平

特選句「月山へ道の栞は蕗の薹」。「月山へ」という上の句が旅情を誘う。蕗の薹の栞に誘われて行ってみたいなあ。

中村 セミ

特選句「根開きや雲よりひかり深き盆(福井明子)」。おそらく、里帰りでもしているのでしょう。故郷で、春先に、木の根本だけ、雪が溶けているのを見てた、この人は雲の隙間から光りまで、差し込んでいる。この地を離れ幾十年となるけれど、この地は私を今でも、知っているのだ。それにしても、「盆」がわからない。わからないままに魅かれる句。 

作者の福井明子さんより→拙句に心を留めていただきうれしく存じます。三 月二十四日、母の住む秋田市自宅からタクシーで秋田空港に向かう道すがら、杉林の根開きを見ました。早春の山の樹々は、樹木の根元からまるく雪を融かしてゆきます。「あ、根開きだ」。思わず心が弾みました。それは、樹木の温度。樹温の現象だと思います。北国の春は、陽の光はわずかしか望めないのです。ほとんど毎日曇天です。 束の間雲から光が差した時、樹木はまるで「入れ物がない両手で受ける」そんな切実さで、手の平のくぼみを深くして その温度を受けるのだと思いました。 そのひかりを、私の中では、樹木自体が両腕を高くかざして賜る「嵩のあるお盆」かなと思いました。樹木はまだ雪の中で佇みながらも、円形に解けた根元は眠っていた土をしだいに呼び覚まして行きます。 以前、母が教えてくれた季語「根開き」で一句作ってみようとおもいました。・・・ 実はこの句、「根開きや雲よりひかり深き盆」を母に送ると、「根開きや深き器に光あり」と手を入れ返信がありました。なるほど。そうかな。と自分が「深き盆」としたことは 陳腐であったかな、と思い、母の直した句に心が傾きました。ありがとうございます。

十河 宣洋

特選句「私を背割りにする音春の雷」。思わせぶりな表現が作者の得意になっている気分が見える。魚じゃあるまいと思って読むとやはり魚じゃないし女性でもない。春の雷に驚いた様子は出ている。特選句「古池や蛙飛び込めロックンロール」。芭蕉さんをもじったというより、兜太さんの古池についての高校生の作品を取り上げたときの内容をもじった。ロックンロールが楽しい。骨折やおばけよりいいと思うが。

柴田 清子

特選句「薄暮満開ふと白鯨に乗りて」。夕暮時のさくらに、すっかり陶酔している作者からの発想の「白鯨に乗りて」が、とってもいい。特選句「うすらいや今生きてをり奇跡なり」。人間の生死が奇跡と言う。それを「うすらい」の季語が、動かぬものにしています。特選句「春蟬と首吊りの木の睦みあう」。この句の裏には感情に動かされることのない作者が見える。魅力ある句です。

男波 弘志

「朝晩の薬ならべて蜆汁」。まるで献立のひとつになっているように並べられた薬、日常こそがいのちだと教えられる。「ためらいを水に浸して桜かな」。なにかの物に託したのがためらいだろう。厨の皿かもしれない、てのひらそのものかも知れない。水の底までもさくらが咲き満ちている。「きのう死ぬ人あり春キャベツ齧る」。訣別の音が、音声が拡がっている。日常そこから詩を見出したいと誓願する。「青蛙あをのとびつく錆鎖」。ゴツゴツした鎖の輪、それも錆びた鎖の輪、そこに飛びついてしまった青蛙、そこが可笑しい、すこぶる可笑しい、居心地の悪さを満喫している、そこがいよいよ可笑しい。全て秀作です。よろしくお願いいたします。

鈴木 幸江

特選句評「鳥帰る妙に連なるいろはにほ」。今回は、自ずから噴き出す情念の世界の佳作が多く、それは言葉以前の世界でもあり読み手によって、異なる世界像が出現することだろう。“いろはにほ”は鳥の渡りの姿を描写したのかもしれないが、そう感受した作者には言語を持つそれぞれの民族の悲しみが修辞に含蓄されているのだと思った。人間の苦しみを何か引きずっている渡り鳥の姿が思い浮かばれ現実の世界で起きている悲劇が対峙的に伝わってくる。

永野 和代

特選句「どこまでも続く自由詩麦の秋」。心は何者にも捕らえられない。詩と麦の秋との、豊穣なもの。♡俳句を始めて四年余り。俳句とは何?といつも自問しておりました。「海程香川」の句会報を読んでその答えがわかりました。俳句とは、わたくしそのものなのだと。とにかく浅学な私はたくさん作るしかないと思っております。

河野 志保

特選句「囀やもう声のない兵士たち」。囀になって届く声のない命。戦さ続く現代の哀しい春を思う。そして今までの全ての戦さに思いは広がる。余韻を持つ句だと思う。

伊藤 幸

特選句「ウクライナ抗戦鳥鳴き草青むために」。祖国を守る為降伏に応じないと最後まで戦う姿勢のウクライナ。エールを送ることくらいしかできぬ自分の無力。何かできる事はないかと思案中。

野澤 隆夫

ロシアはウクライナ兵に“投降要求”と今朝の新聞。ますますの戦争激化!今回も戦争句が多数あり、小生も同感です。特選句「ウクライナ無力なるわれ鹿尾菜炊く」。鹿尾菜。「ひじき」と読むのですね。戦争と平和の意外性‼特選句「サファイア婚女房の独り言さくら降る」。サファイアの青のように澄んで落ち着いた45周年祝すとか。ああ、そうだったのかと、奥さんの独り言!外にはうっすらと桜蘂が…。

飯土井 志乃

特選句「我らみないつか立ち去る花明り」「生きているくちびる粘り花の昼」。コロナに始まり、ウクライナ戦争といふ人の生死が人に依って大量に奪われる現実を身近にし、その動揺が各句の中に窺われ、直視するか、客観性の中にどう詠み込むか「自分の俳句」そのものを再考されたことと存じます。選句の折にはそのことに心を寄せました。特選二句には未熟のまま年を重ねた現在の私の気持に添う各二句でしたので特選とさせていただきました。

菅原 春み

特選句「ためらいを水に浸して桜かな(高木水志)」。ためらいを水に浸すということばの鮮度のよさでおもわずいただきました。特選句「春泥の轍のにわか墓標かな」。にわか墓標だけで痛ましい映像が立ち上ってきます。どことも誰ともいわない分こころが折れそうになります。

森本由美子

特選句「生きているくちびる粘り花の昼」。混沌とした今の世に人間として生まれ、存在し続けている生身を“くちびる粘り”から感じます。“花の昼”からは疎ましさと倦怠感がわずかに滲み出ています。特選句「うそなきに亀鳴くポッと練りわさび」。ウイットのある言葉遊び、つい乗せられて、つい読み返してしまいます。

風   子

特選句「おどしたりささやいたり野の蜂は(三枝みずほ)」。野に遊ぶ蜂は人恋しいのかも知れません。野に遊ぶ人は一人が好きなのかも知れません。「伝え無かった言の葉まびく豆の花」。伝え無かった言葉は消えていません。もし伝えてたらとっくに消えていたでしょうに。

榎本 祐子

特選句「一行をはみ出すここからは燕」。日常の中の捩れや裂け目を感じる句。

増田 暁子

特選句「ジェンダーを見える化すれば朧月」。そうですね。見える化すると朧月とは凄い発想、抜群です。特選句「ウクライナの瓦礫も照らす春の月」。春の月はそのうちには笑顔も照らしてほしい。「薄暮満開ふと白鯨に乗りて」。白鯨に乗るが素敵ですね。「ためらいを水に浸して桜かな」。ためらいは桜の花びらの様に流れていくのです。「鶯のアリア頭上に一等席」。我が家も一等席です。「冬の蝶優しい祖母(おばあちゃん)になりたがる」。わかります。優しいおばあちゃん。「夫が呼ぶ空耳隣家の桜かな」。桜が呼んでるのです、きっと。「花筵鬼籍の人もちらほらと」。        身内や親しい人もきっと座っているのだと、作者の優しさ。

三枝みずほ

特選句「不滅なるペンの力よひさしの忌」。ペンの力は果たしてあるのかと考えさせられる昨今だが、井上ひさしやその時代に生きた文筆家の文章には圧倒的な熱量、気迫が感じられる。憲法や戦争、戦争責任に真正面から言及する井上ひさしのペンには覚悟がある。それをペンの力というのだろう。

高木 水志

特選句「引き攣る喉戦争ひとつとまらぬ櫻」。戦争という抽象的に捉えがちなことを、自分の身体や桜を描写することで、作者なりに捉えようとしていて、葛藤の様子が見られて良いと思った。

石井 はな

特選句「げんげ田は少女の夢を生むところ(藤田乙女)」。こんな時代だからこそ沢山の夢を紡いで欲しいです。

田中アパート

特選句「泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ」。ウチのカミさんの作ったのは、冷えた中華(インスタントラーメンにモヤシ少々)、涙がこぼれないように、上を向いて喰った。時々涙が口に入ってしょっぱかった。他人はいりむこは、つらいもんだと言うた。問題句「冗談の通じぬ犬よ存在者」。我が家のポチは、犬とも思っとらん。多分、主人はオレだと。何の芸もないのに、あまえ上手で、ウチのカミさんと二人でいつも、うまいもんを喰っていやがる。それも、カミさんのひざのうえで。ケシカラン。

菅原香代子

特選句「花冷の朝珈琲とエアメール(風子)」。寒の戻りの朝暖かい珈琲のほっとした雰囲気とそれを飲みながら外国から来た手紙を読むその組み合わせが素晴らしいと思いました。

銀    次

今月の誤読●「退職やいつもの夫の手酌酒」。結婚早々のことだ。夫が晩酌の座についたとき、気を利かせてお酌をしようとしたらこう言われた。「すまない勝手にやらせてもらえないだろうか。酒だけはわがままに飲みたいんだ」。わたしは虚をつかれたようにポカンとした。それから少しだけ腹が立った。なに他人行儀なことを言ってるの。せっかくの甘い新婚生活が台無しじゃない。その腹立ちを察したのか、夫は正座して頭を下げた。「判ってくれ。ほかにはなにもない。これだけはオレの流儀を通させてくれ」。そのときからしばらくしてわたしの母方の法事があった。夫はじつに如才なく対応をしてみせた。遠縁なのに酒は注いでまわるし、杯のやりとりもちゃんとこなした。「いい旦那さんね」母はそう言ったが、わたしは内心、ふん外面だけはいいんだから、と夫を軽蔑した。いい旦那さん、か。たしかにそうだった。浮気やギャンブルに溺れるでなく、そのうえ仕事熱心で家事もよく手伝ってくれた。子どもが生まれてからはまさに模範的な主夫ぶりを発揮した。会社でも順当に出世していった。わたしは人並み以上に幸せを感じていた。だが夫の一人酒のクセは常についてまわった。それだけが不満だった。いつもお銚子一本。それを大事そうに啜りながら小一時間ほど宙を見つめ「うんうん」とうなずく。その日課だけはかわらない。そして「よし」と小声で言って、寝室に去る。それが毎日つづく。たまったもんじゃない。退職の日がきた。会社では退職祝いでさんざん飲んできただろうに、帰ってきたとたん「いつもの」と言って酒を催促した。わたしはお銚子をつけ、さあ今日こそはと夫の前に坐った。「ねえ今夜だけは注がせて」と言ったが「それはダメだ」と断られた。わたしは少し意地になった。台所に立って自分用にと酒を燗して、再び夫の前に坐った。夫は心底びっくりしたように「おまえ飲むのか」と言った。ええ、ただし手酌でね。ねえあなたふたりなのに黙ったまんま飲むの? 「そうだ」と答えが返ってきた。ねえねえ、ほんとのほんとを教えて。それで楽しい? 「ああ、もちろんだとも」。そして秘密を明かすようにこう言った。「オレはね、日記をつけてるのさ、頭のなかでね。酒はそのインクなんだ」。判ったようで判らない。けどまあいいでしょ。これから先も長いんだもの、わたしもお酒をおぼえて、この人と一緒に日記を書くんだ。

伏   兎

特選句「春蟬と首吊りの木の睦みあう」。一読して、寺山修司の「首吊りの木」の歌詞を思った。忌まわしい木と脆弱な声の春蝉とが、物哀しく響き合い心に沁みる。特選句「一行をはみ出すここからは燕」。燕の来る季節は、鳥も虫も花も緑も競い合って、生命を謳歌する。一行をはみ出すという表現にインパクトがあり、魅力的だ。「吉里吉里忌触れば爆発する地球」。井上ひさしの忌日「吉里吉里忌」をモチーフにして、ロシアの侵略を止めることのできない不条理な現状を詠んでいるように思う。「ふらここの影フクシマの風尽きて」。原発問題の深刻さがリアルに伝わり、上五に心揺さぶられた。

新野 祐子

特選句「祈っても祈ってもまたリラの雨」。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻はいつまで続くのか、泥沼化してしまうのでしょうか。毎日の報道にいたたまれない思いです。この句は作者の深い悲しみがこれ以上ないほどに表現されていて読む者の胸を打ちます。

山本 弥生

特選句「げんげ田は少女の夢を生むところ」。敗戦後の農村地帯には、げんげ田は一面に展け私達の遊び場であった。戦後の貧しい時代乍ら夢を語り合った日の事がとても懐かしく甦り老いの身に明日への希望も湧いて来ました。

豊原 清明

特選句「春泥や暗き目のアフガン帰還兵(へい)何処に(田中怜子)」。映画の「ランボーシリーズ」はベトナム帰還兵のランボーが戦争の後遺症の衝動に突き動かされ、戦争が、老後にまでつきまとう映画で、この一句を読み、ランボー最終章のスタローンの呆然とした表情を思い出す。戦争体験はないが、親や知り合いの記憶が内在している。まさに暗き目。問題句「師に逢う春『俳句弾圧不忘の碑』」。魂の句と思う。俳句弾圧、あらゆる弾圧を記憶したい。戦争は嫌なものだ。

田中 怜子

特選句「風光る淡海はおれの産湯かな」。淡海が春風を受けてきらきら光っている。気持ちがいいですね。そのような淡海が自分の産湯だなんて、大げさだ、とも言えるが、故郷愛、淡海愛がひしひし伝わるとともに、さまざまな葛藤を経て、そんな心境になってきたんだなという感じがする。私にとり多摩川が身近なのですが(産土とはいえないなー)淡海のように朗々と歌えないな、と思いました。

吉田亜紀子

特選句「囀やもう声のなき兵士たち」。「兵士」という言葉から、ロシア・ウクライナ戦争と解する。さらに、「囀」とは、歳時記『角川学芸出版編 俳句歳時記 第4版』によると、「繁殖期の鳥の雄の縄張り宣言と雌への呼びかけを兼ねた鳴き声をさし、地鳴きとは区別して用いる。」とある。これらの言葉を携えて、改めて鑑賞をしてみると、本当に残酷だ。人間にも、人間本来の生き方、暮らしがある。それが「囀」だ。それが全く出来ていない。また、「もう声のなき」の「もう」によって、救いようの無い深い嘆き、苦しみが、見事に表現されている。特選句「散る花の一息に触れまた明日」。この句は温かく優しい句だ。散る花に呼吸があるという。作者は、そんな花びらを優しくやわらかに感じている。そして、「また来年」ではなく、「また明日」とある。遠い未来の希望ではなく、すぐそこにある明日に光を持ち、丁寧に暮らしていこうという作者の暮らしぶりがとても美しい。

竹本  仰

特選句「寝転べば空はわがもの紫雲英風」選評:啄木の〈不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心〉を思い出しました。もう帰ることのできない少年の夢想の世界というか、でも実際に不来方城で寝転んでみると、旧盛岡中学からお城まで授業を抜け出して来た啄木の町を歩く当時の道のり、なかなか大胆な奴だなあと呆れるばかり。この句にもそういう懐かしの風景の匂いがふんだんにあって、昔に帰ったような夢想を感じさせます。「わがもの」が感じられにくい世の中だからかえって空や風によってリアルなものが感じられました。特選句「おかあさんあれは紙だよ春の月」選評:時々老人ホームで、紙おむつを食べてしまって喉で膨張し窒息してしまうことがあるそうです。そんなことを思いつつ、老いた母親なのかと描いて読みました。ここでは春の月とでも思い、手を合わせているんでしょうか。とりとめもない春の月の情感、とりとめもない母と子の関係、そんなものがやんわりとあるところがいいなと思います。特選句「よしなしの文の余白の暖かし」選評:徒然草の序段で、兼好法師は何を言いたかったのか。「つれづれなるままに、日暮し硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」。世の中、ナゾだらけ、ますますナゾは深まるということでしょうか。ところでタテ方向に深まらず、ふいにヨコへ向くと、まあヘンテコね、なにあなたは?どこに行くの?というような声が聞こえそうで、『不思議の国のアリス』のあのアリスの独り言の世界に通じる、本当は世界が不思議なんじゃなくて、アリスが不思議なんだという、その原点に戻ったようなおもしろさというか。「余白」に或る力を感じました。以上です。♡ ウクライナのニュースに接するたびに、ああ、われわれは戦争を知らない人間なんだと痛感します。プーチンがナチスを知らない程度には知らずに来たのでしょうね。先日、お寺で或る方にお弁当を出したところ、弁当に包みが丁寧にされていて、非常に激怒されました。こちらでそうしたわけではないのですが、弁当屋さんがお持ち帰りだと思ってしっかりくくったんでしょうね。何だ、この寺は!食うなということか!ヘンな話ですが、片や戦争があり、片や出たお弁当で怒る。という妙な対照を感じていました。そんな毎日を当然としてペコペコしてされて、そんな環境でウクライナとの距離の遠さは測り知れないんだろうな。ヘンな話で申し訳ありません。

いつも或る知人と「二人句会」というのをやっており、先月句はそのままそこからの句でした。この句会、毎月一回で、もう41回になりましたが、「海程香川」句会登場は初です。自句自解、こんなでした。「夜桜やロシアにロシアンルーレット ウクライナ侵攻を機にロシアという暗い情念をふと考えた。プーチンならずとも、ああいう暗い情熱の人間はロシアにごまんと居るだろう。ラスコーリニコフ、『桜の園』のロパーヒン、イワン・デビーソニッチ…。チェーホフ『シベリア紀行』冒頭、「親爺、シベリアはどうしてこう寒いのかね」「へえ、こいつあ、神の思し召しでさあ」とがたくり馬車の馭者がいう…。ちなみにロシアの桜はどす黒くじめじめしていたと宇野重吉が書いていた。日本人には理解しかねる風景だそうだ。 泣くほどのことかよ冷し中華だぜ 昔、無一文近くになったことがあった。大卒後三か月位だったろうか、手持ち二百五円、通帳五十六円。勇気を出し、大学七年の逆瀬川にいた極左文学青年の知人に電話し出かけた。八鹿出身の彼は図体が大きく口より先に手が出るタイプで親分肌だった。アパートで差しだされたコップ一杯の水道水がうまかった。千円札一枚をくれた。おまえ、教員にでもなったら?実はこの一言が行方を決めた。その時のやりとりの雰囲気がそのままこの句になった。後日、彼は奇しくも青雲の講師を受け、私が通り彼は落ちた。あの風貌ではなあ。とんだ恩返しになった。何となく、雰囲気は、そんなところです。なんかい句会、ににん句会、二人句会と、マンツーマンの句会を毎月三つやっており、その延長で、今回に至る、でした。

松岡 早苗

特選句「薄暮満開ふと白鯨に乗りて」。薄暮の頃、満開の桜に包まれていると、自分がふわっと白い異世界へワープしたかのような錯覚を覚えるときがあります。そんな一瞬を詠んだのでしょうか。「白鯨に乗りて」という表現が素晴らしすぎて脱帽するしかありません。特選句「寝転べば空はわがもの紫雲英風」。心地よい春風の中、紫雲英田に寝転んで遮るもののない大空を見上げる。ちっぽけな自分が解き放たれていくようです。

野田 信章

特選句「我らみないつか立ち去る花明り」。中句にかけての透徹した視点の中に点る「花明り」には「遊べや遊べ」と人生を肯定する眼差しのやさしさが満ちている。特選句「焚火照り卒寿の背を裏がえす」。焚火を囲んでのさりげない一景ながら、ここには「卒寿」という自身の存在そのものへの労りの自愛の念が裏打ちされているとおもう。「いのち・よわい・いわう」という意のこもる「寿」とは美しい語である。これらの句を拝読しているとこの短詩型は老齢期の文芸かと思いを新たにするときがある。人生経験の裏打ちと感性を大切にして俳句と付き合いたいと思う。

谷  孝江

特選句「泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ」。なんて素敵なお友だちでしょう。羨ましい限りです。どんな言葉より冷やし中華が良いですね。ちょっとしたことでも泣きたいことがいっぱいです。そんな時に冷やし中華が何と嬉しいことでしょう。めそめそするな、元気を出せの声掛けより胸の中に沁みてきます。

山下 一夫

特選句「ねじるねじる体幹の春巻き戻す」。一句の意味が分かり切れてはいないのですが、「ねじるねじる」にネジバナやそういえば春にはその系統を感じる草花が多いことなどを連想しつつ、中七以下に体幹を鍛えたりしながら若返りを試みている中高年者の姿を思い浮かべ、滑稽を感じ、新鮮味を感じます。特選句「一行をはみ出すここからは燕」。「一行」というのは俳句に違いなかろうと独断。上手く詠めても詠めなくても、溢れる想いはそこに収まり切れるわけもなく飛び立っていきます。燕の軽快なスピード感が素晴らしく若々しさを感じます。そのような作者には到底及ばぬながら、感化されて気分爽快になります。問題句「食べて寝る吾に螻蛄鳴く一歩前」。 中七以下はヒロスエの「マジで恋する5秒前」の俳句バージョンかと思われ斬新。それだけに上五がもう少し何とかならなかったかと…でも一本取られたと思っています。「ウクライナ無力なるわれ鹿尾菜炊く」。なぜか座五に深刻な状況は知りつつも日常に留まっていることのやるせなさがよく滲んでいます。「つなぐ手の少女のしめり茅花径」。中七が色っぽい。ちょっと危ない世界かも。「私を背割する音春の雷」。「背割」が効いてます。「我らみないつか立ち去る花明り」。兜太師の「海とどまりわれら流れてゆきしかな」を連想。ちょっとさみしいかも。「うそなきに亀鳴くポッと練りわさび」。わさびが効いていてユーモラスです。

大浦ともこ

特選句「我らみないつか立ち去る花明り」。無常観、無常感を淡々と詠まれていて心に響きました。花明りという季語も生を優しく照らすようで優しい。特選句「祈っても祈ってもまたリラの雨」。”祈る”というストレートな表現に嘆きが強く伝わってきます。”また”にも”リラの雨”にも静かな悲しみがこめられています。

川崎千鶴子

特選句「きのう死ぬ人あり春キャベツ囓る(菅原春み)」。「きのう死ぬ人あり」と驚く言葉に、「春キャベツ囓る」との繋がりに違和感が有りながらこのマッチングに感嘆してしまいました。素晴らしいです。特選句「どこまでも続く自由詩麦の秋」。「どこまで続く」の後にどのようなフレーズが来るかわくわくしますと、「自由詩」の言葉にため息が出ました。そして「麦の秋」と素晴らしい季語がダメ押し的に「麦畑」には脱帽です。この感性が欲しいです。

漆原 義典

特選句「どこまでも続く自由詩麦の秋」。中七の自由詩が、麦秋と重なり、爽やかさが伝わってきます。ありがとうございます。

稲   暁

特選句「祈っても祈ってもまたリラの雨」。現代の状況に対して作者の心を充たしている空しさ悲しさが、豊かな詩情とともに表現されていると思われて共感した。

亀山祐美子

特選句「掌を返すてのひら四月馬鹿」。別れの挨拶だろうか。裏切りだろうか。どちらにしても「四月馬鹿」が効いている。日常に潜むサスペンス。深読みすればするほど妄想が膨らむ。「桜咲き重たき腕と脚二本」。桜咲く頃の季節感、倦怠感が十二分に伝わる。「巣燕や嘴の他やわらかし」。命の柔らかさ巣の柔らかさに対する嘴の生命力の強さしたたかさが伝わる。「他」も平仮名表記にすればより巣燕の嘴が映えると思う。「つなぐ手の少女のしめり茅花径」。「手」「少女」「茅花径」の漢字表記が緊張感を産み「茅花径」が少女のしめりを増幅させる。面白い構成だ。作者は嫌がるかもしれないが「手をつなぐ少女のしめり茅花経」と置くとサスペンス感が増すように思う。面白い句が多かった。多かったが言葉に寄りかかったものや何処かで見たもの、気に入らないフレーズを含むものを省くと四句になった。簡潔で想いの深い句に共鳴した。皆様の句評楽しみにしております。

月野ぽぽな

特選句「空の青たんぽぽの黄やウクライナ」。ウクライナの国旗の青と黄色が鮮明です。切れ字の力を実感します。自分も同じ発想を持ったこともあり、平和を祈る心に共感です。

桂 凜火

特選句「夫が呼ぶ空耳隣家の桜かな」。とても臨場感があります。隣家の桜の距離感がいいですね。特選句「我らみないつか立ち去る花明り」。ほんとうにそうだとしみじみ思うこの頃で共感しました。

滝澤 泰斗

特選句「朝晩の薬ならべて蜆汁」。血圧降下剤から始まり、尿酸値に痛風の薬にたまに歯痛止めが加わるのが日課となって久しいが、何といっても健康維持に一番良さそうなのが蜆汁。この蜆汁持ってきたところがお手柄。特選句「ふらここの影フクシマの風尽きて」。大震災以来何年かに一度の割で誰もいない村を定期的に訪ねている。ブランコも揺れず、風まで死んだフクシマの不気味な影がそこにある。「桜前線リハビリの指すりぬける」。心身共に健康であれば、春を象徴する桜を一身に受け止めるところだろうが・・・今年は、リハビリの特別な年。気もそぞろの中、春はいつの間にか、指をすり抜けるように過ぎ去ってしまった。「大いなる尻を浮かべて河馬の春」。 ケニアのマラ川の支流の河馬の保護区に行くほどの河馬好きに、この種の句に見境がなくなります。どうしてあんなに愛嬌のある顔になってしまったんだろう。尻尾で糞を飛ばしながら、縄張りを張り合う習性。そして、掲句の大いなる尻はウクライナや、嫌なことを忘れさせる。「鳥帰る砲火に捲かれ羽焼かれ」「空の青たんぽぽの黄やウクライナ」「春泥の轍のにわか墓標かな」。朝日俳壇、東京新聞俳壇に思いのほか、ウクライナを詠んだ句は少ないところが気になっているが、「海程香川」は今月もウクライナの句の投句が多くなぜかそれだけで共鳴感が深い。とりわけ、以上の三句に共鳴。「空の青たんぽぽの黄やウクライナ」。はウクライナの国旗を連想させるが、タンポポより麦の方が臨場感があった。

荒井まり子

特選句「一行をはみ出すここからは燕」。毎日の映像にもどかしい思いが重なる。やるせなさを胸に大空へ向かって羽ばたきたい。共感。

松本美智子

特選句「ふらここの影フクシマの風尽きて」。風に揺れていたブランコがふと止まった瞬間物悲しい思いを「フクシマ」とだぶらせてうまく表現されていると思います。ブランコの影,ぎーぎーと軋む音、春の風(決してあたたかな春風だけではなく春一番かもしれない激しい風)ブランコに乗っていた小さな少年?少女?その子の過去,未来いろいろなことを想像させる一句だと思います。

高橋 晴子

特選句「冬の蝶優しい祖母(おばああちゃん)になりたがる(久保智恵)」。祖母におばあちゃんのふりがなはダメ。自分からみた孫に対する態度が見えて年取ったなという感覚が感じられ、それはそれで面白い。

三好三香穂

「春の星かの地の修羅の泪かな」。戦争を修羅と捉えたところに眼目あり。現代の武器の威力は凄まじく、一瞬にして破壊。日々の報道に心が痛い。本来なら、光溢れる美しい春の街が、かくも無残な灰色になるものか。もとの姿にするには10年以上、怨嗟は100年以上続く。

植松 まめ

特選句「どこまでも続く自由詩麦の秋」。この句から風の谷のナウシカの最終章と今のウクライナの戦争とがだぶって見えた。青い衣をまとった救い主が現れますようにと祈ることしか出来ない。特選句「月山へ道の栞は蕗の薹」。こころが洗われるような句です。月山登ってみたい。変な評ですみません。

野﨑 憲子

特選句「まっさらな今日を燃やして夜の桜」。日本には「花(櫻)時」という言葉がある。初桜から二週間あまり、余白のような時間だ。「まっさらな今日を燃やして」は、「あしたのジョー」にも通じる。矢吹丈の「まっ白な灰になるまで・・やらせてくれ」の言葉が浮かんでくる。篝火の下の夜桜。百年、千年と続てきた魂の祭。きっと他界の人たちも来ていることだろう。 問題句「離すまい東風吹けタンポポ国境へ(田中アパート)」。この奇妙なパンチのあるリズムに魅かれる。しかし詰め込み過ぎてもたつく。「東風」と「蒲公英」の季重なりも気になる。でも、蒲公英が国境を越え世界中に愛の使者のように吹き渡ってゆく映像が見えて来る。「舌頭千転」して欲しい。「信長の見下ろす眼山桜」も、何故に信長かと思ったが、崖っぷちにいる人類に必要なのは、視点の違った新しくも強烈な愛の風であると思う。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

黙祷のかうべ降り積む桜蕊
大浦ともこ
二十円の消印の黙十九春
藤川 宏樹
マリリンモンロ真正面にゐて朧
柴田 清子
おぼろなる春を横切る下駄の音
銀   次
空っぽの鳥籠揺るる朧月
大浦ともこ
過去よりも今が朧と思ふ時
風   子
電力事情は振子の先に花の冷え
中野 佑海
元妻の電話短かし花の下
淡路 放生
ぬぬっと青鬼花菜畑で感電す
野﨑 憲子
生も死も居住まい正しき桜散る
中野 佑海
武器といふ武器花咲か爺さん花にせよ
野﨑 憲子
死刑囚と執行人曲がる桜さくら
淡路 放生
さくら道雲にひかれてレストラン
藤川 宏樹
駆ける子のまたかけ戻る花の道
風   子
夕暮の花となるまで踊りけり
三枝みずほ
桜満つ国戦火なす国のあり
風   子
もう少し親身になって花は葉に
柴田 清子
麦秋や帰りはまっすぐ行けばよい
三枝みずほ
此の風にも次の風にも麦匂ふ
大浦ともこ
汝は子を捨てる気で産む麦畑
淡路 放生
青き麦横断歩道は手を上げて
中野 佑海
麦秋の向こう笠智衆と原節子
柴田 清子
自由題
一点へ急げ立夏の太陽と
三枝みずほ
この町を出る春風の停留所
柴田 清子
千年の片恋それは光の巣
野﨑 憲子
人生に次あるごとき四月馬鹿
藤川 宏樹
俳号に蝶のおもいのなくはなし
淡路 放生
どこにゐるの?霞のここよ、あなたは?
野﨑 憲子

【句会メモ】&【通信欄】

今月から2年間、「ふじかわ建築スタヂオ」での句会になります。会場には、藤川宏樹さんの絵や彫刻も飾られ芸術的雰囲気に溢れています。句会時間も、これまでは午後5時までに終了しなければならなかったのですが、時間延長も快諾してくださいました。快適な空間をご用意してくださったスタヂオ主の藤川さんのご厚意に感謝感謝です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 「海原」4・5・6月号の同人秀句鑑賞を担当させていただきました。4月号では百歳の丹羽美智子さんの「ゆっくりと昔をほどく大焚火」という句に出逢いました。彼女は、この作品を投函後に他界されたとのことでした。百歳の命終まで素晴らしい作品を創り続けられたことに深く感動いたしました。そして、個性あふれる同人諸兄の作品を拝読し鑑賞文を書きながら、何度も、「いのちの空間」という師のお言葉が浮かんできました。僭越な物言いですが、芭蕉、一茶、正岡子規、高浜虚子から現代に繋がる俳句の潮流の底に、兜太、楸邨、芭蕉、空海、と繋がる、「いのちの空間」の世界があるように感じています。そこには、他界も現世も別なく、生きとし生けるものの声が満ち溢れています。その声を世界最短定型詩に聞き留めて発信してゆくことが、世界平和への小さな渦巻きとなり人類の大いなる喜びに繋がる事を、この秀句鑑賞でなお一層強く感じました。(野﨑憲子記)

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