2016年12月4日 (日)

第67回「海程」香川句会(2016.11.19)

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事前投句参加者の一句

        
風天やトランクと往く月の道 藤川 宏樹
月影のマリオネットや彼にビューン 中野 佑海
憂い時は厠浄めて天高し 伊藤  幸
十一月未明の扉の重きこと 町川 悠水
どんぐりの実のころころと自由主義 谷  孝江
刈田くる青鷺少年兵の貌 若森 京子
しおれても自由平等枯れないで 野口思づゑ
鰯雲われの空白さざなみす 稲葉 千尋
老眼鏡ふいに狐火見えました 三好つや子
書きかけの手帳のようなオリオン座 河野 志保
牡丹鍋せせらぎのみの無音かな 菅原 春み
保守主義の正義の御旗冬来たる 藤田 乙女
あの日から私は私吾亦紅 古澤 真翠
天に向き地に向き赤き実は冬へ 亀山祐美子
結願や銀杏黄葉の空の青 髙木 繁子
忍町へと自転車菱の実の匂い 大西 健司
蒸しパンの口の周りが冬銀河 KIYOAKI FILM
駅員に飲兵衛絡む秋の昼 野澤 隆夫
己知る烏瓜から赤くなる 寺町志津子
冬の月混ざり合わない白と白 三枝みずほ
大根の葉っぱ大笑ひしてゐる 柴田 清子
小六月笹の葉揺れる障子かな 田中 怜子
幾度もの悲恋の果てに林檎になった 銀   次
左手に檸檬右手は銃のかたちにて 小西 瞬夏
産土やかくもしづかに柚子たわわ 疋田恵美子
じゃまばかりの仔猫が消えた冬日和 中西 裕子
淋しさに影が出てゆく冬満月 小山やす子
手焙りや過ぎ越しの日への糸電話 桂  凛火
大福餅一夜遅れのスーパームーン 漆原 義典
柏一樹唯我独尊冬隣 河田 清峰
小春日や猫の昼寝の動かざる 鈴木 幸江
スーパームーン同じ気分の人と飲む 重松 敬子
ああライブ踊ってみよう一茶の忌 夏谷 胡桃
煮凝を舐め国政にすこし触れ 月野ぽぽな
春暁の唄騒騒しきは涅槃かな 竹本  仰
冬眠の前にちょっくら赤ちょうちん 増田 天志
その無法大臼歯と野路菊と 矢野千代子
冬の日や更地となりし居間厨 高橋 晴子
夕冷えの無患子困民史を蔵す 野田 信章
綿虫やきらりきらりと子宮の眼 野﨑 憲子

句会の窓

月野ぽぽな

特選句「書きかけの手紙のようなオリオン座」:「書きかけの手紙」何か書きあぐねていることがあるのでしょうか。恋心でしょうか。本当に伝えたいことは伝えにくいもので す。ふと見上げるとそこにオリオン座。そう夜空は手紙のようにも見えますね。

野澤 隆夫

今回もお世話になりまし た。新しい方も参加され、銀次さんも元気なことよかったです。特選句は「過去にやや好きな人ストーブに薬缶(柴田清子)」→そうか、昔の話か、 「やや好きな人」が思い浮かんだのだ、作者は…。と思うと「ストーブに薬缶」。意外性にビックリ。面白いです。「左手に檸檬右手は銃のかたちにて」→反戦への象徴句と感じまし た。モダンアートで横尾忠則が描くのかと。問題句は「その無法大臼歯と野路菊と」→それほどまでに道理にはずれた大臼歯と野路菊? 12月の句会、ちょうど「第九ひろしま2016」のリハーサルと同一日、翌日18日が本番、そんな関係でお休みします。

若森 京子

特選句「大福餅一夜遅れのスーパームーン」宇宙での人間の営とスーパームーンとの絡みが面白い。大福餅の措辞が上手い。特選句「夕冷えの無患子困民史を蔵す」無患子の実 は幼い頃から羽根つきに使われ親しみがある。二物のイメージが懐かしさと共に日本人の歴史を物語っている様に思えた。「マクロの暗雲飛ばすミクロの秋思(野口思づゑ)」と「ガ ラスの向こう紅葉あるいは慇懃な死か(竹本 仰)」の発想は好きだが、もう少し整理して韻律よく一句にすれなすばらしい。

中野 佑海

特選句「手焙りや過ぎ越しの日への糸電話」小寒い縁側で、火鉢に当たりながら、幼子が庭で遊んでいるのを見ている。何となく、うつらうつらと自分の幼かった頃を追体験し ている。ありありと父の声が母の温もりが間近にと、はっと孫たちの声で我に帰る。懐かしさで胸が一杯になる。そんなうるうるの家族の原風景を思い出させて頂きました。わたしも そんな糸電話欲しいな!!特選句「どんぐりの実のころころと自由主義」どんぐりは熟したらコロン。蹴られたらコロン。雨が降ろうと風が吹こうとお任せコロン。そして、時節が来 る迄じっと耐えしのび。何処ででも割って入って芽を伸ばす。大きく大きくなあれ?これって自由主義?自由になるって忍耐強いってことなのね!!

古澤 真翠

特選句「 風天やトランクと行く月の道」寅さんの風情漂う句に、ファンとして釘付けになりました。「月の道」に 死と生の混在が感じられ、作者の優しさが伝わってきました 。

小山やす子

「刈田くる靑鷺少年兵の貌」テニスコートにいつも靑鷺が飛来してくるのですが何処か生臭く威圧されるのですがこの句に出会ってなるほどと実感しました。「己知る烏瓜から 赤くなる」実に愉快で面白いです。

島田 章平

初めて【海程・香川句会】に参加させて頂きました。楽しい句会でした。個性的で物語性の句が多くありました。特選句は「天に向き地に向き赤き実は冬へ」を選句させて頂き ました。「み」を入力すると最初に「身」と変換されました。天地の間に血の通った赤い実、今はもう冬へ向かおうとしている・・輪廻再生を感じる句でした。これからも宜しくお願 い致します。

矢野千代子

特選句「刈田くる青鷺少年兵の貌」片足で浅瀬に立つ青鷺には、思索中とのイメージが濃いのですが、獲物をさがし刈田をくる青鷺を「少年兵の貌」とは。悲しみもうっすら交 錯する。

増田 天志

特選句「独り身の二人で食べる柿甘し」初ものは、先ず、遺影に供えてから、戴きます。

稲葉 千尋

特選句「大根の葉っぱ大笑ひしてゐる」言われてみるとその通りと思う。大根の葉っぱ。私も作っているが、こんな見方は初めてである。特選句「左手に檸檬右手は銃のかたち にて」この両手状態を思って見るとそうなのかも知れない。でもこんな世にしてはいけない。今月は、好きな句が多く選ぶのに苦労しました。

夏谷 胡桃

特選句「柿三つたいらげ母は呆けたふり[伊藤 幸)」。そういえば、義父も最後まで認知症なのか、呆けたふりをしているのか疑うところがありました。年を取れば、この手 がある。呆けたふりをして、好き勝手に振る舞う。この世はままならない。認知症は、呆けたふりをしてやり過ごす人間の知恵なのかもしれない。特選句「鰯雲われの空白さざなみす 」道元は迷いながらもあるがままの自分を見つめることが大事と言っていると、ラジオで聞きました。秋は季節の中でも自分の中を覗いてしまう季節です。自分の空っぽさを知って、 心ざわざわするけど、そのざわざわを見つめ楽しむくらいがいいのかも。空白は埋めなくっていいのかも。そんなことを考えました。

竹本 仰

特選句「書きかけの手帳のようなオリオン座」オリオン座というと、確固不動のような雄渾なイメージですが、これが書きかけの、つまり幻の存在のように捉えられている点が 面白いと思いました。しかも、この回想形のオリオン座、どうしようもなく臆面もなく、自分のあの時を語っているようで、何と言いますか、回想というものの行いの機微に触れると ころがあるなあと感心しました。特選句「産土やかくもしづかに柚子たわわ」以前には、通るたびにその実を誰かもいでいたであろう、道端に近い庭の柚子の木。もし、行い正しい人 であれば、この実一ついただけませんかと言い、その庭の主ともいくつかの談笑が成り立ったであろう、その柚子の木がとる人もなく、通り過ぎる人もなくたわわになっている。あの 時代の、あの空気は、あの共同体は?そんな、背景の「しづかさ」をものがたる抒情詩だと思います。むしろ、地方のこの一景が国のまぎれない姿だという気さえします。

寺町志津子

特選句「夕冷えの無患子困民史を蔵す」秩父道場に参加された方の句でしょうか、秩父困民党を題材にした句には、心に響く句が多いと感じておりますが、掲句にも感動を頂き ました。一三〇年年以上も前に起こった秩父事件。困民党の思いや行動が秩父の風土を作り、夕冷えの無患子が今なお困民史の息づかいを蔵していると捉えた作者。その新鮮で趣深い 詩情に、作者の秩父への深い愛着心、また兜太先生への敬愛のお気持ちも思われ、心に沁みました。

KIYOAKI FILM

特選句「風天やトランクと往く月の道」明らかに「男はつらいよ」の寅だと思います。寅の遺作となる、最後の作品の渥美清の姿が浮かびました。好きです!「月の道」が特に 好きです。特選句「しおれても自由平等枯れないで」:「枯れないで」が好きです。読んでいて、心地よく、響きます。個人的なことですが、「平和」を願う句作は、「へいわ」と三文 字があまり響かなく感じています。「自由平等」は好いです。平和を願う心が伝わってくる。考えさせられた、問題句。

伊藤 幸

特選句「産土やかくもしずかに柚子たわわ」先日 熊本地震で被害の大きかった南阿蘇を訪ねた。道の駅には手前の橋が崩れ通行禁止、その先のトンネルも崩れているという。 どうなっているのか皆目見当がつかない。されど休日であるに拘らず異様に静かである。柚子ではなく 柿がたわわで?ぐ人もいないと見え鈴なりであった。この句が身に沁みる。故郷 を想う気持は皆同じなのだ。 

町川 悠水

多彩な句が120も揃っているので、選をするのも一仕事。小生のオツムには難解な措辞や知性がふんだんに盛り込まれているため、叱咤激励の宿題をもらったような気分。し たがって、辞書を引きネット検索もしたことです。特選句「淋しさに影が出てゆく冬満月」虚が先行するような趣きがあり、その巧みさに感服。特選句「鰯雲われの空白さざなみす」 秀句ですが、「われの空白」はより優れた表現があるのではないか?と惜しまれる気もします。酒米をさらに研ぐように。「抽斗に?石父の文化の日」は面白いですね。ただし、外野席 から申し上げるなら「父の?石」の方がよかったのでは?「冬の日や更地となりし居間厨」も佳句で、「居間厨」の絞り込みが効いていますね。問題句「開戦忌祖父はブルースが好きだ った」は、「開戦日」でよかったのでは?と思います。季語重視の視点からは、開戦日で十分読み取れると思われ、結果的に戦争で亡くなった祖父を悼む気持ちも伝わってくると思う のですがね。「ブルース」が効いていますね。

野田 信章

「スーパームーン戦場いやに広く見え(若森京子)」の句。スーパームーンという薄暮の中を、やや赤みを帯びてのぼりゆくこの月は妙に大きくて異様でもあった。そこにふっ と覚えた一抹の不安感が捉えた想念の展開がここには在る。予て認識していた熄むことを知らない内乱等の戦いについて、さらなる危懼の念を深めることになったのが「戦場いやに広 く見え」の視覚に訴える修辞の獲得であろう。「左手に檸檬右手は銃のかたちにて」の句は日常の然り気無い動作の中で「右手は銃のかたちにて」という想念の展開が二物配合の中で 際立ちを見せている。二句共に反戦平和の意図を強引に推しつけることなく片や空を仰ぎ、片や自分の肉体を通して、静謐を保った句である。ここにこそ平和希求の確かさを見る思い がある。

藤川 宏樹

特選句「オーバーはけものの匂い遥かな息(若森京子)」句会朝、父の小言で目覚めたせいか、一読でタンスに眠る父のオーバーが浮かびました。舶来のオーバーは太い毛織と 丁寧な仕上げが魅力、遺品整理で手付かずのままでした。オーバーに野を駆ける羊獣の匂い息づかいをかぎ取った作者の感性のおかげで、父の樟脳臭いオーバーに生きたけものの匂い を重ね、脳裏に雷親父が蘇ります。「遥かな息」は想いも遥かへ連れ行きました。

柴田 清子

特選句「幾度もの悲恋の果てに林檎になった」が、一番気に入ったわ。俳句としての形式に、こだわらずに、作者の呟きが、そのままに文章の一行のようでは、あるけれど。こ の句の内容の斬新さが、とってもいい。きっとこの林檎には、恋の蜜がいっぱい。∮♪∮♪私は真赤なりんごです お国は遠い北の国・・・・・・∮♪∮♪りんごの歌なんか 思い出したわ。

野口思づゑ

特選句「冬の月混ざり合わない白と白」この白と白、色々解釈が可能だと思いますが、私は個人的にアメリカ大統領選の結果を深く嘆いているせいで、独断と偏見でアメリカの 白人と捉えました。報道の解説記事に、白人の間での分裂が選挙に反映したとありますが混ざり合わない白と白、他の様々な色、冬の月の寒さが今後社会を覆うことがないように祈り ます。「左手に檸檬右手は銃のかたちにて」口あるいは態度は爽やかな檸檬、一方心の中では銃を構えている、そのような人物あるいは権力を感じさせる微妙な句です。

大西 健司

特選句「憂い時は厠浄めて天高し」何かくさくさするときはトイレを徹底的に磨く、そんな女性がいたが、やはりこの句もそんな心情を旨くまとめている。少し古風に厠という 物言いにもひかれる。ただ季語の選択が気にかかる。厠は屋内であるだけに、少しそぐわないのでは。晴れ晴れとした気分はわかるのだが。問題句「老眼鏡ふいに狐火見えました」何 となく気にかかる句だが、老眼鏡をかけたら狐火が不意に見えたというだけでは発想のおもしろさだけにとどまってはいないか。もう一工夫欲しいところ。

小西 瞬夏

特選句「冬の月混ざり合わない白と白」白と白とは何の白なのだろう。月はもちろん、冬ならば水鳥や雪ややわらかい光など、いろいろとイメージが膨らむ。同じように見える それぞれは、やはりそれぞれの個性であり、混ざり合うことはない、という把握に驚かされた。

三好つや子

特選句「己知る烏瓜から赤くなる」一つの蔓に赤く熟した実もあれば、まだ青い実もある烏瓜。他人とのかかわりの中で気づく自分の未熟さや愚かさを、烏瓜を通して感じるこ とのできる、味わい深い句です。特選句「鰯雲われの空白さざなみす」静かなこころに、石のごときものが投げ入れられ、どんどん広がっていく波紋・・・。そんな気持ちをもてあま している作者に共感。中七と下五の言い回しに参りました。問題句「秋茄子は哲学的に夕暮れる(月野ぽぽな)」謎めいていて、とても好きな句です。上五の「は」は、「や」にする といっそう句が広がるのではないでしょうか。また、「哲学的」だと漠然としているので、どんなふうに哲学的なのか、すこし具体感があれば、と思います。

鈴木 幸江

特選句「憂い時は厠浄めて天高し」うつ病の患者に掃除を勧めている本を読んだことがある。この作品は、憂鬱な時の人間の生理へと働きかける回復法を示唆している。知恵あ る句もありがたいものだと思い特選に頂いた。特選句「過去にやや好きな人ストーブに薬缶」副詞の“やや”には、相当にと少しという二つの意味がある。私は、相当にという方で、 この句を鑑賞した。青春時代の恋心を、客観的に受け止めることができるようになったくらいその事が過去になったのだ。ストーブに薬缶という情景に懐かしさと存在感と客観性が込 められていて、今の心情が良く伝わってくる。問題句「その無法大臼歯と野路菊と」敢て意味を放棄した作品なのだろうか。無法があり、大臼歯と野路菊があると言っているのか。感 性で受け止める句としても、感受できなかった。私には、実験句としても、伝えたいことが全く分からなかった作品である。

銀   次

今月の誤読●「春暁の唄騒騒しきは涅槃かな」。私事ではあるが、わたしは子どものころから寝るのが大好きだった。おかげで学校は毎日遅刻していた。日曜日、友だちが遊び に誘いにきても「眠いからイヤ」と返事して出かけなかった。そのころ友だちからよくいわれたものだ。「寝てるのは死んでるのと同じだぞ」。わたしは夢うつつに「なら死ぬのも怖 くないや」と思ったものだ。さてこの句であるが「春暁の」の春暁はいうまでもなく孟浩然の詠んだ「春眠暁を覚えず」から取られている。なぬ、だったら春の季語だろうって? 知 るけえ。こちとら季語も字余りも気にしねえタチだかんね。ま、いいや。で、つづいて「唄騒騒しきは」とあるんだから、春眠から起きてみれば、もう音楽(ドリフの北海盆唄なんか がいいな)がガンガンかかっていて、んもう寝てられやしねえ、と見まわせば、なんとそこは「涅槃かな」というオチだ。死んじゃってたんだね。目をこらせばお釈迦さまもいればキ リストもいる。みんなして唄えや踊れやの大騒ぎだ。そりゃそうだろう。涅槃にくれば弁天さまもいれば、天照さんもいる。むこうのほうにはビーナスも半裸で踊ってる。きれいどこ ろが揃ってるんだもの、そりゃお釈迦さまだって浮かれるわな。てなわけでこの句は「天国よいとこ一度はおいで」というまことにおめでたい句なのである。えっ? 涅槃には悟りと いう意味もあるって? だ・か・ら、悟りってのはそういうことなんだってば。

重松 敬子

特選句「ああライブ踊ってみよう一茶の忌」一茶の人となりをしっつかりふまえた秀句。木々が色ずく楽しい季節に逝ったのですね。

河田 清峰

特選句「十一月電線は電線のまま(柴田清子)」電線は電線のままと言う不思議?晩秋でもなく初冬でもなく神事もなく季節の止まったような十一月に響きます。

亀山祐美子

特選句「ラジオから戦争平和大根おろし(夏谷胡桃)」上五中七の「ラジオから戦争平和」と云う世間世界の中の自分(公)と下五の「大根おろし」と云う日常(私)との対比 。凝縮された作者の憤り、不安と感謝を感じる。特選句「大根の葉っぱ大笑ひしてゐる」はからずしも「大根」二連発。その昔「春キャベツ大合唱のあいうえお」を授かったが、こち ら「大根の葉っぱ」。確かに「大笑い」以外の何ものでもない。一面の大根畑の野放図さが愉しい。並選ですが、「冬眠の前にちょっくら赤ちょうちん」俳句の言葉使いとしては「ち ょっくら」は生過ぎますが、人間臭くて好きな一句です。「ふくろうや魔女は媚薬をかきまぜる(増田天志)」私としては、媚薬はいいから「若返りの秘薬」をお願いしたい。スーパ ー十六夜綺麗でしたね。俳句で遊べる平和に感謝です。

河野 志保

特選句「淋しさに影が出てゆく冬満月」 私にはとても難解な句。月が照らした自らの影さえ、自分を離れてゆくような淋しさと受け取ったがどうだろう。または冬満月の下の 誰かの姿(影)を詠んだのかもしれない。読み返すほどにミステリアスな世界が広がり魅力が尽きなかった。

三枝みずほ

特選句「じゃまばかりの仔猫が消えた冬日和」じゃまだと思っていたものが、突然いなくなった時、それは意外に自分の心の支えやちょっとした生きがいになっていたことに気 づく時がある。「じゃま」がひらがな表記であることもよかったです。 

漆原 義典

「冬眠の前にちょっくら赤ちょうちん」を特選とさせていただきます。冬の情景をユーモラスに表現して心温かくなりました。サラリーマン諸氏の共通願望ですね。

桂  凛火

特選句「「冬の月混ざり合わない白と白」」混ざりあわない白と白は、事実を書いているようで、実はなにかがあるような・・。何かしらの違和感のようなものを感じたきもち に重ねあわされているようで、ぶっ きらぼうに書かれているようですが実は、巧み比喩なのかと思いました。わからないけれどリアリティを感じます。冬の月との取り合わせもよかっ たです。問題句「独り身の二人で食べる柿甘し」いつもは一人が当たり前なのに今日は二人で食べたから余計に甘い気がする。という気持ちが微笑ましくてよかったです。ただ「の」 「で」の助詞でやや説明になってしまったように思います

中西 裕子

特選句は「柿三つたいらげ母は呆けたふり」です。自分が柿が好きなので楽しいなと思いいただきました。でも三つは多いかな。「スーパームーン同じ気分の人と飲む」も、季 節感がありいいなと思いました。

疋田恵美子

特選句「結願や銀杏黄葉の空の青」銀杏黄葉に見上げる青空は、素晴らしく改めて感動した今年でした。お幸せなご家庭が思われます。特選句「天に向き地に向き赤き実は冬へ 」山中で見る「深山樒(しんざんしきま)」は真赤な実をつけ、冬の寒さの中でいっそ鮮やかに私達登山者を楽しませてくれます。

田中 怜子

特選句は「御仏の玉眼動きぬ冬の雷(菅原春み)」薄暗い堂の中の、時間のとまった仏像の生きている一瞬が露呈、目に浮かぶ。特選句「産土やかくもしづかに柚子たわわ」う らやましい。産土への愛着。東京に住んでいると、それなりの愛着はあるが大地には根差してない。

谷  孝江

毎回楽しい時間有難うございます。迷うことしきり、いつものように自分なりに選ばせていただきました。次回を楽しみにまっています。

高橋 晴子

特選句「己知る烏瓜から赤くなる」烏瓜と人間の対比。己を知るが面白い。特選句「左手に檸檬右手は銃のかたちにて」平和を貫く為には・・・・・。

菅原春み

特選句「 風天やトランクと往く月の道」状景がありありと浮かんだ。思わず笑えそうなしかも切ない句。特選句「夕冷えの無患子困民史を蔵す」季語が困民史と響きあってい るような。夕冷えも心憎い。問題句「綿虫やきらりきらりと子宮の眼」?

野﨑 憲子

特選句「牡丹鍋せせらぎのみの無音かな」数日前、「海程」関西合同句会の丹波篠山吟行の夜、初めて牡丹鍋を食べた。深山の気を戴くような思いだった。くつくつ煮える鍋を取り囲む、外気が見事に映し出されている。もちろん「無音」の中には、音にならない音の限りない渦巻がある。問題句「蛇紋岩撫でゆく冬眠知らざる手」一読、兜太師の「冬眠も成らずや眼光のみの蛇」を想起した。蛇紋岩は、俳句道場のある長瀞の河原のあちこちに圧倒的な存在感を持って鎮座している。その岩群を撫でて行く手の感触まで伝わってくる作品である。ただ、撫でるのは、もちろん「手」なのだが、わたしには「手」では、ちょっと物足りない。自句自解「綿虫やきらりきらりと子宮の眼」初冬のこの季節、時折、綿虫を見かける。空中を浮遊する姿を見つめていると、ふっと、未生以前の眼のように見えた。

 今月は、第二週に秩父俳句道場があり、半年ぶりに金子兜太先生にお目にかかりました。先生は、お元気でしたが、相変わらずお忙しいご様子でした。そして、ゲストの宇多喜代子さんとの対談は、軽妙で深い味わいがあり、先生もほんとうにお楽しそうでした。夕べの宴の折、今回も先生の秩父音頭が聞けて何よりでした。紅葉の脊梁山脈に響き渡るようなお声でした。詳細は、来春の『海程』に掲載されます。宇多喜代子さんのイベントでは、たくさんの興味深いお話の中、作家中上健次のご母堂の逸話が特に印象深かったです。文字も読めないお母さんが、健次の幼少期に、色んな物語を話してくれたことが、後年の、彼の文学世界の形成に大きな影響を与えたそうです。逞しさと優しさと機知を持ったお母さんの姿が眼に浮かぶようでした。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

ガラス天井
鵜の群れてガラス天井に寒雷す
野澤 隆夫
着ぶくれてガラス天井の下にゐる
柴田 清子
生臭き冬の蝶なりガラス天井
野﨑 憲子
冬ぬくし
じゃまだからあっちへお行き冬ぬくし
銀   次
思い込み激しい人です冬ぬくし
三枝みずほ
名を付けたがる人類の癖冬ぬくし
野﨑 憲子
忙しく喋る人ゐて冬ぬくし
柴田 清子
冬ぬくし激辛ラーメン脇の汗
藤川 宏樹
時雨
初しぐれ風の俄かに立ち止まる
野﨑 憲子
しぐるるや父のひとこときいてくる
河田 清峰
もう少し待つことにする夕時雨
柴田 清子
怪我
怪我癒えし秋の金魚はしらんぷり
野澤 隆夫
身に入むや誰も気付かぬ怪我をして
鈴木 幸江
ラガー走る心の怪我を胸に抱き
島田 章平
鯛焼
鯛焼や今別れたらもったいない
鈴木 幸江
ふところに鯛焼き三尾帰る道
藤川 宏樹
鯛焼き食ふその一言に救われし
三枝みずほ
鯛焼きの頭は妻に余は尻尾
野澤 隆夫
鯛焼へ行列つくる平和かな
島田 章平
冬の日や帰らぬ妻の長き旅
島田 章平
フーテンの寅とも逢わず冬の旅
河田 清峰
捨てたるを拾ひに帰る旅ならむ
銀   次
夜の旅もったいなくて眠られぬ
鈴木 幸江
冬灯
冬の灯の一つが帰るべきところ
柴田 清子
私いまひとりでいるの冬灯
河田 清峰
冬灯りしまっておいたはずなのに
銀   次
冬灯ゆっくり空気噛んでいる
野﨑 憲子
冬灯いつかは離れてゆく両手
三枝みずほ

句会メモ

今秋の俳句道場では、金子先生を始め「海程」の諸先輩が、本句会を注目してくださっていることを知り、大きな元気をいただきました。これも、ご参加の方々のお陰さまです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

今回の句会で、特に注目したのは、先月のご大病の後、禁酒禁煙中の銀次さんの作風が、また一つ進化したことです。今月は、ご自身の主宰する劇団のミュージカル上演もあり、その激務もこなされて素晴らしいです。そしてもう一つは・・昨年発表された東京新聞第一面の『平和の俳句』の中で、一番注目した「寒いほど粘るんどすえ九条ねぎ」の作者の島田章平さんが高松在住の方で、しかも、今年から『海程』に入っていることを知り、お目にかかりたいとずっと願っていました。それが、今回、叶ったことです。俳縁って素晴らしいですね。事前投句の途中からのご参加でしたが、初めての<袋回し句会>では、素敵な作品や評を出して下さいました。今回も、笑顔の絶えない楽しい句会でした。皆さま、ありがとうございます!

好評の銀次さんの【今月の誤読●】のテーマ作品「春暁の唄騒騒しきは涅槃かな」の作者である竹本仰さんから、興味深い自句自解が、句会報完成後に届きましたので以下に・・・・・ 今回、拙句「春暁の唄騒騒しきは涅槃かな」の鑑賞を銀次さんにいただいたことが、今年一番の収穫であるような。この句、変でしょうね。これ、私が初めて高野山で修行した時の、 三日目までのことです。本当に初めての修行のとき、一月後半の午前二時半起床。三時集合、三時半開始だったのです。「瑜祇道場」で行が始まり、しばらくすると、自分が向いてい た掛け軸のある壁の奥から、何か聞こえてきます。行を止めるわけにはいきませんから、そのまま……のつもりが、しだいに音がはっきりしてきました。何か、女の人が一人で唄い、 遠くからこちらへ来ているらしいのですが、真っ直ぐではなく、下の方角から、そうですね、角度30度くらいの感じで。それも、どこでも聞いたことのない変な歌なのです。しかも、 近づくにつれ、伴奏のように歌い手の数が増え、その変な意味不明な唄は重低音でよく響くのです。恐らく、二百名以上にも膨らんだでしょうか、いやに騒々しくなって。でも、この 音は、私個人にしか聞こえてないだろうという確信はありました。そこが、不思議なんですが、私にしか聞こえていないのに、たしかに聞こえているという感覚なんです。何というん でしょう、ある風景に、きれいに影の部分と陽の部分が出来て、両方が目に入っている感覚でしょうか。「遠山に日の当たりたる枯野かな」感というのか。で、「何だろう、これは? 」のまま、その不思議な明るい音楽にまかせたまま、それが妙に快いんです。心がうきうきして。何か、妙に懐かしいような。そうですね、誘われているような。ああ、わかった、わ かった、そのうち行くから、なんて楽しいんだ、きみたちは。と思うと、ある時点から、だんだん引いていきました。その日はそのことは、誰にも言わず。翌日、同じ時刻に、また同 じことが、起こりました。また、非常に快適でありました。で、さすがに二日続くと、誰かに確かめたくなり、もう62歳になるという入門の方に聞くと、そう、おたくも?と来たもの で、いろんな方に確かめて分かったのは、40代後半以上限定の、音楽だったらしいのです。内容も同じもので。しかし、三日目が終わると、もう、聞えません。その経験が、いつまで も残っていて、つい2か月ほど前、あるお坊さんに、そのことを話したら、「そりゃ大いに歓迎されてたんやと思うよ」と大変確信をもって返答されたので、そのときに、ああ、あれは 、涅槃では?という感じで、思い出されてきました。だから、銀次さんの指摘は、後半の部分が、ほとんど当たっていまして、そこが快かったです。今、思い出しても、あれ以上に強 烈なものはないですね。何だか、そうなると、大変な経験をしたのかも、と思います。実に特殊な句は、こうして、七年前から帰ってきました。以上、拙句にまつわる話でありました 。また、次回も、お願いいたします。

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