2017年8月31日 (木)

第75回「海程」香川句会(2017,08,19)

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事前投句参加者の一句

くちなはくちなはくちなはくちなはは 小西 瞬夏
もやしっ子麦わら帽の影に脚 藤川 宏樹
山霧よ木綿のようになじみおり 稲葉 千尋
ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家 谷  孝江
おはようをかわす先には蓮の花 山内  聡
風がきて星きて森という祭 月野ぽぽな
蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る 三好つや子
プールサイドの青色小瓶獏の貌 大西 健司
夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 三枝みずほ
蝉しぐれを留め山門の授乳かな 竹本  仰
難聴や玉音(ギョクオン)はもう玉虫の羽音 若森 京子
鍵盤の残響に酔う夜の秋 寺町志津子
おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る 小宮 豊和
夕立に平面となる空の都市 銀   次
行雲流水青美しきねこじやらし 高橋 晴子
健脚や赤シヤツ似合ふ生身魂 島田 章平
立葵二マイクロシーベルトの空へ 新野 祐子
遠泳の陸に続続兵馬俑 田口  浩
もの音に窓を開ければ盆の月 髙木 繁子
男滝女滝内ポケットに知らない鍵 伊藤  幸
万緑や風が紡いで行く病後 小山やす子
終戦日ブリキの玩具の強き青 重松 敬子
俺ってここに居ていいんだよね金魚 増田 天志
敗戦日焼け跡だった通学路 田中 怜子
午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝 野澤 隆夫
地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼 野田 信章
蟹のため横断歩道はありません 鈴木 幸江
幼子の噛み跡残し夜の秋 中西 裕子
びわこ周航四葩の飢えはここから 矢野千代子
髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛 河野 志保
蝶2頭くるくるまわる恋しよう 夏谷 胡桃
置きし桃触れられもせず旅立ちぬ 中野 佑海
行く道の細し八月十五日 亀山祐美子
かなかなのシャワー人体野に浮かせ 松本 勇二
夾竹桃ゆるるその日の口紅は 疋田恵美子
蜩やあの世とこの世の汽水域 菅原 春み
みんなよりひくいところにいてほたる 男波 弘志
己が傷どこで幕引く終戦日 野口思づゑ
闇に鼓動戦争知らぬ海月たち 桂  凛火
法師蝉やっと君の出番だね 漆原 義典
身丈伸ぶグラヂオラスの乳のあたり 河田 清峰
蝉しぐれ吸い込まれ行く獣道 古澤 真翠
命なきものにもあはれ水中花 藤田 乙女
性格が不一致あさがを夜ひらく 柴田 清子
原液はあまりに素直秋の蛇 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「虹は空の美しいかすり傷です(月野ぽぽな)」虹を空のかすり傷と捉える感性に脱帽。傷というマイナスに、美しいというプラスの形容詞を付けることも、対照的表現の技巧。

小西 瞬夏

特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和の匂うブリキの玩具。その中の青色が強く感じられる、ということが、終戦日の言葉にできないさまざまな思いと響きあった。青の中に、海や空でなくなった方のたましいを見たのかも しれない。いや、それは無意識の話で、作者は「今日はどうしてこんなに青が目に刺さるのだろう」と思っているだけかもしれない。

藤川 宏樹

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」仮名づかいで観賞、解釈の自由度が高まる。季語「蛍」の「ほたる」が、「灯照る(ほたる)」「火照る」「尾照る」と動詞にも受け取れる。すでに子持ちの倅がまだ幼い夏の家族旅行。 連泊の安宿から初めて泊まるホテルがよほど気に入ったか、その後「ホタ(●)ルに行きたい!」と再々せがまれたことを思い出してしまった。

男波 弘志

「くちなはくちなはくちなはくちなはは」なんか、するっとぬけてしまったかんじです。下5「くちなはが」でも面白いかと。「風が来て星来て森という祭り」森そのものが祭りに、太古の祭り、素晴らしい感性。「夏の大三角ぶ つけ合ふ個性」宇宙の壮大さと身近な人間模様の交歓、見事、珍重。「終戦日ブリキの玩具の強き青」消えない思い、それが青に象徴されている。強い思い。「母を巻く白帆のように夏の服」映画の一場面を想像した。宮崎監督復活?「び わこ周航四葩の飢えはここから」陸から水の上に乗る不安感がよく出ている。「原液はあまりに素直秋の蛇」秋の蛇のがんしゅう、それが解れば句意は鮮明。原液、その言葉を句にした手がら、珍重。「赤き星見てきし髪を洗ひけり」髪を 、星、を洗っている。星は更に赤くなった。「水平線を背に持つ魚九月来る」持つ、が生命、背びれが、魚身が水平線と一如になる。

中野 佑海

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」ポンポンという響きと楽天家が良く合っているし、嫁は主人に向かってポンポン文句を言うもんだし、それを「はいはい」と元気なら良いじゃないかと快く、一緒に40年も暮らして くれている夫の有り難さ。夫婦の基本形ですね!特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」蜩の鳴く頃、暑さも頂点を越え、いい加減嫌になったと思う頃蜩のあのちょっと思いつめたような、諦めたような鳴き声。そして、夜には静かに虫の 声も。汽水という海と川の混じり合うあたり。夏と秋、そして、お盆に帰ってきた魂の帰っていくための開かれたあの世への入口。さあ、食欲の秋だぜ!失った体力を取り戻さなきゃです。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」 くちなはって蛇のことですよね?もう一つそれがどうしたのって思うんです。それで、何回か見てたら、誤読も良い所ですが(銀次さんには敵いません)最後の所、「くちなはははは」って読めたんです。本当は「母は蛇」なんですよね? 母って怖いですし執念深いし、子供の事なかなか諦めませんもの。うん、この俳句はかなり含蓄が深いぞ!

野澤 隆夫

特選句「健脚や赤シャツ似合ふ生身魂」小生の先輩に憲法9条を守ることに命をかけてる山男がいます。ちょっと体調を崩した時期もありますが、今も彼は矍鑠(かくしゃく)と活躍。赤シャツの生身魂を彷彿させられました。特 選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」昭和16年生まれの終戦日は4歳。記憶はおぼろですが、ブリキの玩具に戦後を想い、強き青に平和の喜びを感じさせられました。問題句=気になる句「わてが何した言わはるのナメクジリ(増田天志 )」おもしろくてついつい気になる句です。大阪のおばさんの〝何した言わはるの!ばーか!〟とは言わず、〝ナメクジリ〟とお呪(まじな)いをかけてるのがクスリです

竹本 仰

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」家の中でしょうか。家族の中での居場所を問いかけているのでしょうね。それだけ、家族関係が不確かなものであり、自分の存在感を問いかけずにはいられない危機的な状態というの でしょうか。問えば問うだけ希薄に感じられる自己と、なまなましく存在感を増してくる金魚、この対比がすぐれている。この家を裏側から見ている金魚、問いかけつつしだいに抽象化していきシルエット化してしまう家族。問いかけるこ とは敗北ではない、むしろ問いかけをやめたところから敗北は始まる。そんな暗示があるようにも。特選句「母を巻く白帆のように夏の服」かつて母が愛した服を着て鏡にたしかめてみると、あろうことか、母が白帆につつまれて水葬にさ れようとしているような、そんな錯覚のまぶしさに立ちくらみがし、母が降りてきたかと思えば、降りてきた母とともに今あることへの幸福を感じるということでしょうか。会田綱雄の詩に「伝説」というのがあります。屍を食べた蟹を人 間が食べ、その人間をまた蟹が食べるという、そんな輪廻を描いたものです。そこには戦中の中国人からの教えがあり、戦死者を食って蟹は太るから日本人とは共に蟹を食うことはできないという或る道徳感を知ったところからの発想があ ったようです。この句には、母の夏の服から、同じ生き方、そして同じ死に方を受け入れていく、そんな魂のリレーを水の連想により語っているように思えました。特選句「赤き星見てきし髪を洗ひけり(小西瞬夏)」:「ガス弾の匂い残 れる黒髪を洗い梳かせて君に逢いゆく」あるいは、「燃ゆる夜は二度と来ぬゆえ幻の戦旗ひそかにたたみゆくべし」という、道浦母都子さんの短歌を連想させました。髪を洗うが、この場合、痛切な何かの体験を暗に語っているような気が しました。自分を支配してきた何らかの鮮明なものを振り捨てるというのか、やむをえぬ生き方の改変を迫られてそうしている、そんな感じでしょうか。「赤き星」が何か純粋で痛々しいと感じたからでしょうか。髪を洗うが、厳粛な儀式 めいて、いいと思いました。

田中 怜子

特選句「母を巻く白帆のように夏の服」こんな若々しい母親を誇らしげに見上げる子ども。特選句「半夏生咲く多弁は病の兆しかな」己を見つめながらどうしようもない気持ち、つらいね。

山内 聡

特選句「もやしっ子麦わら帽の影に脚」。ひょろひょろっと夏痩せのような子供がいて日中の太陽が高い時に足元にひょろひょろっとしたものと対比的に大きい麦わら帽子が影として足元に写っている。親としては何やら頼りない 子供に一瞬映ったがたくましく育っている我が子に笑顔を振り向け、それに対して子供も笑顔を振り向けている、という情景が詩的に表現されていると感じました。

若森 京子

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」口語体の一行に、「金魚」の措辞が絶妙に効いている。自分の存在感を金魚に問う。人間の哀れさが、おかしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」自然界の中に人体が白 く浮き上っているシュールな絵が見える。自然を畏れ抗う人間の姿を見るようだ。

月野ぽぽな

特選句「水さへも声を失ひ敗戦日」:「水さえも声を失う」にて、とてつもない強く深い悲しみ、喪失感を言い得た。

島田 章平

特選句「風がきて星きて森という祭」白夜の森に夕風が立ち、青白い空に星が白く光り始める。北欧の深い森に星と風の祭りが始まる。風がささやき、星が話を始める。荘厳な大地の詩。

疋田恵美子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」麓に暮らす穏やかなお姿や、作物など霧の恩恵にあずかるなど思えて良い。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ここに居ていいんです。私の素敵なお婿さんを見て下さい。

田口 浩

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」戦後七十二年、難聴にいささかの無理もない。〝玉音〟板も難聴とにくかろう。そこにはふれずに〝玉虫の羽音〟と置く。玉虫の背中を走る紫赤色の二条の線は皇室の色を思わせてくれる。 いい作品である。特選句「原液はあまりに素直秋の蛇」〝原液はあまりに素直〟は蛇の内面である。〝秋の蛇〟は冬眠に向かう蛇そのものである。そう読むと、秋の日陰の冷んやりとしたサマと、蛇の冷たさが、ある〝惑い〟となって意に なじむ。いい感性である。

古澤 真翠

特選句「蜩やあの世とこの世の汽水域」賑々しい蝉時雨から、どこからともなく物哀しい蜩に代わる頃を 汽水域という言葉で表現したことで句の深みが増したように感じました。勉強になります。

河田 清峰

特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」蜩の澄み切った声をシャワーと捉え繰り返し押し寄せる野分のような声を野に浮かせと表現したのが見事!もうひとつすきな句「老女とは言わせぬ気迫竹の春(寺町志津子)」103 歳まで生きた父を思わせる老女の気迫!竹の春の季語が活きていると思う!

矢野千代子

特選句「山霧よ木綿のようになじみおり」:「山霧」と「木綿」の配合の見事さで特選に。特選句「おおみずあお山気を月へ翔(か)け昇る」図鑑で見る「おおみずあお」は印象的。さらに中七、下五へと重層的に続く美意識がこの 蛾をより引き立てている。

稲葉 千尋

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」あのシリアの子供達の眼を画像でしか知らないが朝蟬の眼と響き合う。特選句「終戦日ブリキの玩具の強き青」ブリキの玩具、色々とあったように思う。強き青が、終戦日(いや敗戦日 )を引き立てている。「人間がどんどん減るよ草いきれ(亀山祐美子)」も大変好きな句でした。特選にしたいぐらいです。

重松 敬子

特選句「男滝女滝内ポケットに知らない鍵」面白い。幾とおりものドラマが想像出来るが、作者の発想の豊かさを評価したい。人情の機微も良く表している。

三好つや子

特選句「たましひの暦の奥から蜩(野﨑憲子)」夏の終わりの寂しい心に響く蜩の声・・・。魂の暦の奥という巧みな言い回しに、脱帽。特選句「プールサイドの青色小瓶獏の貌」睡眠薬の入っていそうな青い小瓶と、水面を漂う ようなまどろみ感をシンクロナイズさせた表現が、ホラー小説風で面白いです。入選句「風がきて星きて森という祭」精霊や魔女のいる北欧の森を想像。春から夏にかけて、ハーブやベリーを摘み、秋には木の実をしっかり食べた豚をハム やソーセージにする・・・。この句から、森と暮らす人々の祈りのようなものを感じました。

漆原 義典

特選句「午後からは発条(ぜんまい)解けて三尺寝」真夏の午後の暑さによる気だるさを、「発条解け」と、上手く表現している素晴らしい句で特選とさせて頂ききました。

柴田 清子

特選句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」:「くちなは」を、三回繰り返して、一句に仕上げる大胆さ、まずそこに感心した。次に、最後の「くちなはは」の「は」の置き方。俳句として留めるための大切な「は」であると 思うし、「くちなは」の入口であって出口でもある。私としては、今年のこの暑さよりも、もっと暑い刺激をもらった句である。特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」ため息と一緒に、洩れたようなことば、誰もが、どこかに持っ ている哀感にそそられる。最后に置いた「金魚」が、さらりと受け止めて、明るい明日を約束してくれるようでうれしい特選句。特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」おもしろく、おかしく、また、哀しくもあるこの句内容、ナメ クジリなら消化出来ると思はせるだけの不思議なムード仕立が気に入った。

野田 信章

「終戦日ブリキの玩具の強き青」の句。ここには、句材の上では何度か見てきたものだが「ブリキの玩具の強き青」の把握とその配合によって時間が凝縮されて「終戦日」そのものが甦った感がある。この原点からの再出発―読み 手にとっての課題もここに在る。「花野より振る手あまたや日暮れどき(菅原春み)」の句。花野には平地では見かけない種々の草花の色の鮮烈さがある。再読していると、この句には夕景の設定もさることながら、花野に魅入られた現の 人々に混じって亡者の顔までも見えてくる妙な現実感の在るのも句の魅力となっている。前句とは趣を異にするが八月というこの重たい月に、どことなく重なるところが在ると思えるのが私の読後感である。

河野 志保

特選句「みんなよりひくいところにいてほたる」低い所にいるとは自然の近くにいるということだろうか。他者と離れて見つけた蛍。作者の密やかな興奮を感じる。蛍との交感が独特で惹かれた。

寺町志津子

特選句「手花火や切なさを知る人が好き(重松敬子)」、とにもかくにも「好きな句」「心惹かれた句」です。ある意味、何もかも言ってしまっている、とも言えそうな句ですが、そのズバリ感に深く共鳴しました。人情の機微に 富み、哀切に満ちたデリカシイの持ち主であろう「切なさを知る人」、そのような人が好き、と言う作者こそ、繊細で心情豊かな「切なさ」を十二分にまとっている方だと容易に想像され、どなたかしら?ステキな方だなあ!いいなあ!と 嬉しくなり、理屈無く頂きました。「手花火」の季語も効果的で、良く響き合っていると思います。

鈴木 幸江

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」集金という仕事は、なかなか払ってくれない業者などもいて、かなりストレスフルな仕事だと思っている。鞄を胸に抱き、辛さを堪えて歩いている。なんとか、ここを乗り越えねばと思う心 が、思わず蜘蛛の喧嘩に目を止めたのだ。ここにも、人と自然の深い触れ合いがあり、生きることの哀しみがくどくどと書いてはいないのだが、見事に伝わってくる。上手い作品だと感心した。問題句「心臓弁牛に代わりて夏野原(小山や す子)」人工心臓弁には、牛や馬の心膜が整形され使われているそうだ。最初は、この知識が無くて、読み解こうとした。牛は夏野原の草を食み、生態系を循環させる心臓弁のようなものと解釈した。wikipedia(インターネット )で人工弁についての知識を得て、なるほどと思った。その知識なしの解釈も完全に的外れではなかったところに言語の底力を感じた。

銀  次

今月の誤読●「幼子の噛み跡残し夜の秋」。トコ……。トコトコトコ。不規則な足音が近づいてくる。わたしの「幼子の」足音だ。なぜかウットリと聞きほれる。この世にこんな美しい音楽がまたとあろうか。その子はわたしのヒ ザによじ登るように乗ってきた。マンママンママンマ。だめよ、だってさっきお食事したばかりでしょ。わが子は怒ったように、マンマ! といいつつ、わたしの二の腕にかぶりついてきた。まだ歯も揃ってない子なのに、わたしの腕にう っすらと「噛み跡を残し」た。その噛み跡に、この子は生きてるんだという実感が押し寄せて、わたしは思わずギュッとその子を抱きしめた。ヒタヒタヒタ。「夜の」気配が深まってゆく。この世界にはねえ、夜という時間があって、昼と いう時間があって、その途中あたりに朝と夕方という時間があるの。でね、夜はね、いまのわたしとあんたのようにお互いがもっとも愛を交わせる時間なの。サワサワサワ、ザザッ。風が出てきた。「秋」の風だ。なんという平穏、なんと いう安心。わたしはわが子のつけた噛み跡にキスをした。そして、おまえのほっぺにも、ありったけの愛を込めて、チュー。

小山やす子

特選は「びわこ周航四葩の飢えはここから」です。意味深です。

野口思づゑ

特選句「野鯉跳ね孫にけもののにおいかな(重松敬子)」外で遊んで帰ってきた子供、汗にまみれた独特の元気なにおいがするものだがそれをけもののにおいとし、跳ねる野鯉をまず映像として上5に置く、とても上手な句だと思 った。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心(三枝みずほ)」舌先で掬うよう食べるソフトクリーム。そのゆっくりなタイミングが本心を聞くのにとてもふさわしい。特選句「かなかなのシャワー人体野に浮かせ」かなかなのシャワ ーという英語的表現と人体という固い語と下5の組み合わせが良くマッチしている。

伊藤 幸

特選句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ(男波弘志)」日盛りの中で燃えるような空の下、喉がからからに乾いている状態を表しているのだろう。下りて来たの措辞と発想の面白さで頂いた。特選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性 」夏の大三角形の何と雄大で美しいことよ。デネブ、ベガ、アルタイル、これ等の星を擬人化し、作者の身近な身内又は友人に当てはめ、それを客観的に眺め楽しんでいる作者の姿が目に浮かぶようだ。

菅原 春み

特選句「 水さへも声を失い原爆日」このような句を歴史に残していきたい。胸に迫り、臨場感に声を失う。特選句「敗戦日焼け跡だった通学路」焼け跡の光景を見た人にしか読めない句。季語がずしりと重い。

松本 勇二

特選句「髪ばかり触ってぐずぐず蝸牛」季語の斡旋が巧みです。問題句「炎日がまっすぐ下りて来た喉だ」エネルギッシュな書き方に共感を持ちました。炎日が炎天なら一層腑に落ちたのではないでしょうか。

夏谷 胡桃

特選句「ポンポンダリア嫁はいまでも楽天家」。ポンポンダリアが弾んでいるようでいいですね。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」。今年は蜘蛛の巣が多い年でした。夫が朝早くコーヒー片手に何かを見上げています。何を 見上げているかと思ったら高い木と木の間に立派な蜘蛛の巣が。「どうやって巣をかけるのだろう」と疑問に思い、それからいろいろ調べていました。はじめの一本の蜘蛛の糸を風に飛ばして目標地点にひっかけること、蜘蛛は蜘蛛の糸を 食べて回収ししていることなど、私に教えてくれました。わたしの寝室兼仕事場に大きな蜘蛛がいました。ベッドの上に巣をはっていましたが、獲物がとれないのでしょう。場所をかえて巣をはりなおしていましいたが、前の蜘蛛の糸が消 えているのが不思議でした。蜘蛛自身が回収していると知って納得。部屋の蜘蛛はこのまま飢えてもいけないので、外にだしました。 この集金の方も蜘蛛の不思議に見入っていたのですね。

三枝みずほ

特選句「わてが何した言わはるのナメクジリ」口調からみると、目上か距離のある人との会話。大阪の路上、警察官と自転車に乗っていたおじさんとのやり取りを思い出した。それは盗難自転車ではないか、身分証はあるか等長く 質問を受けていた。おじさんは何かしたのか、もしくは何もしていないのに、尋問され続けていたのか。ナメクジリという不気味な生きものがそこにいることで、解釈が広がる作品。

谷 孝江

特選句「己が傷どこで幕引く終戦日」或る年令を重ねた者にとって八月は特別な思いで迎える月です。あの頃はみんな貧しくて、飢えていました。どうしょうもない絶望感の中から、明日へ向かおうとする気力も持ち合せていたの です。先達の尊い努力のおかげで平成に生かされているのです。感謝、感謝です。傷を嘗め合うのではなく、己の中でしっかりと受け止めてゆくことも大切ではないでしょうか。今年の八月も、もう終りに近づいてきました。

中西 裕子

特選句「にんげんの抜け殻あまた蝉しぐれ」 にんげんの脱け殻は、遺体でしょうか、戦乱で多くの犠牲者が出ても何事もないような蝉しぐれ、切ない音でしょう、悼む音でしょう、特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」 難聴と は加齢による難聴でしょうか、随分と長いときが過ぎ、玉音が羽音にしか聞こえない、でも忘れられないこと。

大西 健司

特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」どこか昭和の街角の光景を思う。集金の途中にしゃがみ込んで見ているのだろう。本格的なものではなくだれかがそのへんで戦わせているのだろう。集金鞄を抱えた男の悲哀を思う。

小宮 豊和

今回は戴かなかった句の中の洒落たフレーズが目についた。何か書きたくなるフレーズで、つい書いてしまった。勝手な熱を吹くこと乞ご容赦。こんど会ったときぶん殴らないよう願います。『例えれば群れず離れず秋の蝶(寺町 志津子)』「例えれば」を「香川句会」などに変える。『幼子の噛み跡残し夜の秋』「夜の秋」を「秋の乳房」などに変える。『満濃池夏代々の讃岐野讃岐びと[高橋晴子)』「讃岐野」は不用とする。『蜩やあの夜とこの世の汽水域』「 蜩やあの世と」を「生身魂あの世」などとする。『老女とは言わせぬ気迫竹の春』「竹の春」を「返り花」などとする。『蝉しぐれ吸い込まれゆく獣道』無季になるが「蝉しぐれ」を「山頭火」にする。以上のようなことを感じた次第であ る。無礼深謝。

新野 祐子

特選句「行雲流水青美しきねこじゃらし」野原いっぱいにねこじゃらしが風にそよいでいます。そんななかに佇むとただただ気持ちよくて、心がからっぽになります。この境地を「行雲流水」という言葉を用いた感覚のよさにはっ とさせられます。青が活きているし格調の高さに感動しました。特選句「蜘蛛ずもう集金鞄抱いて見る」少し前に新聞で、蜘蛛ずもうの記事を目にしました。世の中にこんな遊びがあるなんてと、とても興味をそそられました。ああ、切り 抜いておけばよかったな。たしかハエトリグモでしたか。「集金鞄を抱いて」もおもしろいですね。お金を賭けたりはしないでしょうが、市井の人の暮らしぶりが見えてきて好ましい。このようなささやかな平和がとわに続くよう願わずに はおれません。入選句「夏の大三角形ぶつけ合ふ個性」ヴェガ、アルタイル、デネヴと強い光を放つ星たち。夜空に見事な調和を見せています。そのもとに集まった人たちは個性が強く、それぞれ熱弁をふるっている、そんな情景が浮かび 上がります。しかし、全く別の鑑賞もできるかもしれません。あの星たちは調和しているのではなく、強烈に自己主張しているのだと。

桂 凛火

特選句「難聴や玉音はもう玉虫の羽音」玉音放送がもう遠いものであると思っていたが今年はやけに近いと思う。難聴だから聞こえにくい。いやそれより玉虫色になってきたこの世情のせいなんだろうか。しかもその玉虫は羽音を 立てて生きている。こちらは生き物の強さだが玉音がそれでは弱いのだ。理屈ではなくなんかイライラする感じが「難聴や」に集約されているようでとても魅力がある句でした。

亀山祐美子

特選句『終戦日ブリキの玩具強き青』まず「ブリキの玩具」と置いたことで、飛行機か車か船か電車か…と読み手の空想が広がる。また「強き青」と云う措辞が「終戦日」と「ブリキ」の密接な関係を幾分弱め、「新しいおもちゃ 」かもしれないと一瞬気を反らせられるのだが、「玩具」でやはり古いおもちゃの鈍い青さだと納得させられ、「終戦日」へと収束してゆく。季語の「終戦日」が効いている。物(玩具)に語らせ、有り余る感情を見事に伝える秀句である 。蛇足ながら「原爆忌」なら、悲惨過ぎて心が潰れる。「終戦日」と云う安堵感に支えられるからこそ現代から過去へ、過去から未来へと「強き青」=「平和」が語れるのだと思う。今日はこの句に出会えて嬉しい。

藤田 乙女

特選句「俺ってここに居ていいんだよね金魚」休み時間じいっと水槽の魚を見続けている子どもをよく見かけました。水槽の中の魚には、何か人の心を癒すものがあるのかもしれません。原始、水の中の生き物から誕生した人間は 、魚たちに親近感をもち、水の中に命を育んだ故郷のような安心感と懐かしさ、安らぎを感じるのでしょうか。それは、母の胎内の羊水の中にいたときへの懐古であるかもしれません。赤い金魚の映像がくっきりと目に浮かびました。そし て、自分の全存在を過去からずっと繋がれてきた命の有り様を改めて問いかけている句に強く惹かれるものを感じました。特選句「ソフトクリームそれとなく聞く本心」甘いものを食べている時は、みんな心の鎧を自然に外してしまってい るのでしょう。さらっと自分の本心を出してしまうこともありがちです。日常の人間の言動の一端をよく掴んでいる惹かれる句でした。

高橋 晴子

特選句「地にしみる朝蟬シリアの子の黒眼」何も言わなくても反戦の句と強烈に感じる。問題句「行く道の細し八月十五日」〝行く道の細し〟では八月十五日に対してもうひとつピンと来ない。

野﨑 憲子

特選句「蟹のため横断歩道はありません」一読、変てこな標語かと、思った。でも、とても大切な事を表現している。炎昼など、散歩に出ると車に挽かれた蟹がペシャンコになって転がっているのに遭遇する。人類の他のあらゆる 生きものにも当てはまることだ。それを見事に句にした事にエールを送りたい。問題句「くちなはくちなはくちなはくちなはは」こちらは、逆に、いまだに作者の意図が摑めない。句会に参加していた作者へ「この句から蛇の姿態が見えて くる」といったら、あっさり否定された。それで、ますます気になっている、楽しんでいる。今回も、興味深い作品満載で、どの句もいただきたかったです。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

露けしや薬三錠増えちまふ
亀山祐美子
露ほどのといういい露をいつ見たか
竹本  仰
露草や月懐に飼っている
中野 佑海
秋彼岸
秋彼岸渡れぬ橋の前に来る
亀山祐美子
母のこと兄口籠る秋彼岸
鈴木 幸江
秋彼岸想いは牛の歩みかな
藤川 宏樹
シベリヤに雪くる頃か秋彼岸
小宮 豊和
どっかどっかと風の足音秋彼岸
野﨑 憲子
秋彼岸捨てっちまおう携帯を
中野 佑海
汽水まで足を運んで鴎かな
山内  聡
じっと見る鴎の目つきおそろしき
小宮 豊和
冬鴎ぽちょりと昭和映画館
竹本  仰
いきなりサルビア夜は鷗の舞踏会
野﨑 憲子
失恋は秋に預けてハムエッグ
竹本  仰
恋の季節流る床屋ぞ秋の暮れ
藤川 宏樹
水底に雲の切れ端秋はじめ
島田 章平
ただ線を引く線を引く秋虹よ
野﨑 憲子
秋茜群れよわたしは突入せよ
田口  浩
秋涼し石見(いわみ)の浜に神楽舞ふ
漆原 義典
夜の秋妻を誘ひて生ビール
山内  聡
虫籠に入れた虫から死んでゆく
男波 弘志
弱いほうへ傾く気持ち虫の秋
三枝みずほ
独唱の鮮明なりし虫の声
山内  聡
忖度
八の字まゆげ忖度中の秋
亀山祐美子
忖度はしない螇蚸のよく跳べり
三枝みずほ
忖度の終はりは無言敗戦日
島田 章平
忖度といふ文化あり終戦忌
山内  聡
忖度し義兄へ送るお中元
野澤 隆夫
秋涼し忖度の言葉も過ぎ去りし
漆原 義典
生身魂
山鳩のわれを見つけよ生身魂
野﨑 憲子
生身魂寝息確かな酒五勺
小宮 豊和
生身魂産湯のごとく墓洗う
中野 佑海
極楽へと車買い替え生身魂
竹本  仰
うなづきてうなづきつづけ生身魂
亀山祐美子
評判の母のコーヒー生身魂
鈴木 幸江
失敗の数は負けぬと生身魂
島田 章平
風よ光よ八月のさざ波は愛
野﨑 憲子
走り根の八方へ這ふ晩夏かな
島田 章平
沸き立つや八大童子露に濡れ
男波 弘志
八月は毎年昭和鉄路鳴る
小宮 豊和
踊り
踊り場に妻の実況遠花火
野澤 隆夫
緩急の風巻きおこす阿波踊り
山内  聡
踊り子の月夜に濡れてゆくよ
三枝みずほ
阿波踊り閖ぬくごとく流れ出る
田口  浩
身の内の人もまじりて踊りけり
男波 弘志
踊る君見ている僕を愛と呼ぶ
鈴木 幸江
脱皮する黒猫もゐて踊りの輪
野﨑 憲子

 【通信欄】 & 【句会メモ】 

【通信欄】安西 篤さんより 「第七十四回香川句会報有難う御座いました。相変わらずのエネルギーと熱気に圧倒されます。お見事です。今回の冒頭に海程終刊に伴う決意表明もあり、あらためて地域句会の意欲を感じます。海程後 の受け皿をどうするかについては、目下検討中ですので、もうしばらくお待ちください。さて今回の作品について、前回同様三段階評価をしてみます。【☆】「手ざわりは杏子被爆の帽脱げば(若森京子)」「被爆天使の眼窩うごくは蝌蚪 ならん(野田信章)」「ももももも七月の赤ちゃんが来る(野崎憲子)」【◎】「くびくくり坂までくちなしの花匂う(大西健司)」「くすりばこ白夜の森の匂いかな(三好つや子)」「清流の華なり痣なり瑠璃峡蝶(矢野千代子)」【○ 】「風蘭をもらいし姉の余命知る(稲葉千尋)」「蛍火を待つ両脚を草にして(月野ぽぽな)」「草いきれ激し母より手暗がり(竹本仰)」「二万通の届かぬ手紙海蛍(河田清峰)」その日常性の持続が力になると思います。どうぞこの調 子で頑張って下さい。」

【句会メモ】今回も、岡山から小西瞬夏さんが浴衣姿で、淡路島からは、久々に、竹本 仰さんもご参加くださり、とても楽しく充実した句会になりました。そして、句会の後で、初めての納涼会を開きました。提案してくださった男波弘志さんが幹事もしてくださり嬉しかったです。総勢16名の賑やかな笑顔あふれる会となりました「海程」の根っこは、ますます熱く渦巻いています。私も句会から大きな元気を戴いています。単に、金子兜太師と、ご参加の皆様のお陰さまです。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。いつもは、句会後すぐに解散していたのですが、こんなにも盛り上がるならまた開いてみたいです。ご参加の皆さま大感謝です!

2017年8月10日 (木)

「海程」終刊について

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 あっという間に、2017年8月になってしまいました。

5月の「海程」全国大会の総会において、金子兜太主宰より、師が白寿を迎えられる来年9月をもって「海程」を終刊すると公式に発表がありました。 終刊の理由の第一に、ご自身の年齢のことを挙げながらも、終刊後は、主宰の立場を離れ、 俳人ー金子兜太ー個人に執着してゆきたいという師のお言葉に、ご高齢になられた今も、「私は、未だ、過程にある」という師の俳句への熱い想いを感じ、深く感動いたしました。

春の「海程」俳句道場の夕餉の宴で、師が歌われた「船頭小唄」の名調子が。あの夜の櫻吹雪と共に、私の忘れられない思い出です。「言霊の脊梁山脈のさくら(金子兜太)」を実感いたしました。

来秋、師と共に、私たちも出立の時を迎えます。幸い、「海程香川」という形での存続が認められましたので、師の「造型俳句」実践の場として、自由と混沌の漲る「海程」の句会を、香川の地から世界へ向けて発信してゆきたいと念じています。

このブログ「海程」香川句会も、「今月の作品集」の更新をメインに、これからも、世界最短定型詩の、無限の可能性を信じて、発信してまいります。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

師の動向は、竹丸様の「ブログ金子兜太」に詳しく紹介されています。わたしも、日々拝読しています。「リンク」からご覧ください。

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