2018年11月29日 (木)

第89回「海程香川」句会(2018.11.17)

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事前投句参加者の一句

       
金木犀じいちゃんの夢知ってます 藤田 乙女
秋思とはいっても石に戻るだけ 河野 志保
綿虫と別れ死刑囚の手記を読む 大西 健司
セロ挟む少女の膝や水の秋 重松 敬子
僕である為のバイクだ鳥渡る 伊藤  幸
「眠れたかい」夫の一声冬隣る 高橋美弥子
一つ家に思想は二つ烏瓜 若森 京子
短日や旅立つ義母の細き足 漆原 義典
白黒に塗り潰しては夜寒かな 高木 水志
鬼ふすべ退っ引きならぬ木魚かな 河田 清峰
渡る前鷹は涼しき眼をしたり 松本 勇二
日日の些事をこなして秋茄子 田中 怜子
一羽一羽に心臓ありて鳥わたる 銀   次
石頭は突然変異ななかまど 小宮 豊和
秋虹の気化するところ正倉院 三好つや子
十本の芒になりし夕家族 竹本  仰
胡麻がはじけそう拳ゆるめるな 矢野千代子
冬の園足音だけが落ちている 柴田 清子
頬と頬触れ冬の日のこぼれをり 三枝みずほ
迎え待つ子の手をさする秋の暮 中西 裕子
命二つ柿の熟るるを見てゐたり 高橋 晴子
何故雨女どうしても行く紅葉谷 中野 佑海
老うという仕事半ばよ蓮の実 谷  孝江
子鹿がメトロノームの足跡たどる 中村 セミ
折れ釘を叩ひて伸ばす敬老日 野澤 隆夫
妹の通夜にて仰ぐ寒昴 小山やす子
冬銀河田に囲まれて映画館 菅原 春み
なべて背は嘘をつけない後の月 寺町志津子
からまるゴッホの星月夜からまる 月野ぽぽな
大の字で空を見てゐる文化の日 亀山祐美子
待ち合わせ芯まで紅葉になる私 増田 天志
火国(ひのくに)あり月と火星の中あたり 藤川 宏樹
あるときは月夜の吊し柿であり 稲葉 千尋
膝掛を美しき言葉のごと広ぐ 新野 祐子
パラサイト娘の笑顔秋の蝶 吉田 和恵
渚にて少年を待つ鵆がいる 田口  浩
赤まんますべてに光の男たち 谷  佳紀
氷雨降る肉体化する思考かな 鈴木 幸江
産土(うぶすな)に蒟蒻(こんにゃく) 九条ねぎに平和 島田 章平
水蜜桃重いものから摘んでゆく 桂  凛火
かなしみのすんだかたちとして胡桃 男波 弘志
楽しかつたです人生落ち葉笑む 野口思づゑ
老骨は無骨にあらず紅葉冷え 野田 信章
冬眠や苦水を一滴ずつ飲みぬ 豊原 清明
金剛の蝶の羽音や冬の月 野﨑 憲子

句会の窓

谷  佳紀

特選句「母が今日は一キロ歩いて鵙日和(伊藤 幸)」:「一キロ」が絶妙。この距離を歩ける、歩いたというお母さんの現状、それを見守る家族の様子、具体的に感受できる。問題句「ムクロジもニンジンボクも冷たい木(柴田清子)」 :「冷たい木」を瞬時に納得してしまえば特選句、そうだろうかと迷いや疑問が挟まれると同調しづらくなる句。私はこの感覚が好きなのだが、木を知らないのでどんな木だろうと思い始めたら同調しづらくなった。「冷たい木」が実在するので は無いから、本当はどんな木でも良いのだが、知らずとも一瞬で納得してしまう木とそうでない木があるようだ。「ニンジンボク」は特に考え込んでしまった。

藤川 宏樹

特選句「あぱあとのぱっと灯れば消える海(男波弘志)」薄暗いアパートの窓からひとり海を観ている。連れが灯した明り。海と入れ替わって自分の顔がガラスに映りハッとした瞬間が捉えられている。「あぱあとのぱっと」のフレーズと ひらがな表記が電球色のイメージを膨らませており、見事です。

増田 天志

特選句「からまるゴッホの星月夜からまる」表現に、素朴さと気骨を感じる。作品は、作者を映す等身大の鏡。創作は、自己変革を炙り出す。

島田 章平

特選句「渡る前鷹は涼しき眼をしたり」。命がけの渡り。しかし無心に前を向く。鷹には鷹に生まれた生き方がある。人それぞれにある様に。「母が今日は一キロ歩いて鵙日和」。私も入院中、病院のフロアーをリハビリで毎日歩いていま した。1周100メートル。10周で1キロ。次第に速くなるスピードは回復へのバロメーターでした。1キロ歩けた喜び。それは命の喜び。母も娘も・・・。鵙日和がさわやか。

高木 水志

特選句「セロ挟む少女の膝や水の秋」『セロ弾きのゴーシュ』を読んだことがある。何となくセロの音が優しい響きをして、水の秋に響き合っている。作者は少女の膝に注目している。大きいセロを挟んで弾く少女の一生懸命さが膝に集約 されていることが良いと思う。

野澤 隆夫

特選句「神の留守フェイクニュースの飛び火する(三好つや子)」神々が皆、出雲へ。この時とばかりフェイクニュース。それも連鎖しての飛び火だとは。面白い時事句。特選句「ここを右そこを左へ冬に入る(柴田清子)」暑い夏から短 い秋を経て冬に入るのも紆余曲折を経るもの。「ここ」、「そこ」と路地から路地を渡っていくようで面白い。問題句「産土に蒟蒻 九条ねぎに平和」これがチョット分かりにくい。産土に蒟蒻?九条ねぎに平和?護憲の考えか?妙に語呂がいい 、面白い句です。

若森 京子

特選句「秋虹の気化するところ正倉院」日本歴史の宝庫でもあり校倉づくりの正倉院の荘厳さを表現するのに〝秋虹の気化するところ〟の比喩が今迄に余り類をみない個性的な措辞であり納得出来るものであった。特選句「氷雨降る肉体化 する思考かな」スピリチュアルな世界をフィズィカル・ゾーンに変化させるそのプロセスはとても複雑で厳しいものがある。〝氷雨降る〟の季語がぴったりだと思う。

男波 弘志

寸感「ジャズにリンゴかぶり付いたのは月光(中野佑海)」店の喝采、が、聴こえてくる。「かいつぶり愈(いよいよ)かるい日々に出る(田口 浩)」最晩年のかるさ、敢えて軽み、と言わないふだん着のかるさ。「五線譜の正しき位置 に銀河置く(月野ぽぽな」五線譜には音符の秩序が並んでいる。銀河の星もある秩序で運行している。「からまるゴッホの星月夜からまる」ゴッホの肉体が剥き出しになっている。表現の切迫感はゴッホの心音だ。「鬼の子よ即答できず漕ぐばか り(矢野千代子)」自問自答こそ、最高の思惟、だからしゃべらないのだ。「渚にて少雨を待つ鵆がいる」鵆の挙動、その静謐さ、俊敏さ、こそ少年の心だ。「水蜜桃重いものから摘んでゆく」収穫の手ごたえ、どの桃にもある重量感、<重いも のから>は、そのことを言っている。

田口  浩

特選句「かなしみのすんだかたちとして胡桃」こんな事を考える。蛇が移動するとき。百足が前に進むとき。或いは蛸が這うときはどうか。と・・。これらの動きようはそれぞれに違うが、興味を持って見れば面白い。感動する人もいるだ ろう。その面白さ感動をことばで説明しようと思えば出来ないこともないが、さて面白さ感動と言うものが、深くなるだろうか?疑問である。 で、面白くない事を書く。「かなしみのすんだ」と言うのは過去の事である。その過去を「かたち」 で、またはことばで表したものが「胡桃」である。ここで「胡桃」を説明すれば、句の味わいが深くなるだろうか。蛇足である。人それぞれが、思い、見える「胡桃」で充分である。「かなしみのすんだ」事を「かたち」と言うのが、面白い。そ れを「胡桃」と言うのが、俳諧の滑稽である。とこう腑分けすると、作者に申し訳ないほど作品の味わいが薄くなった。

高橋美弥子

特選句「衣被に惚れた男であることよ(稲葉千尋)」衣被というと母との取り合わせをよく見かけますが、この句は衣被に惚れた男という非常に飄々として楽しい句だと思いました。今回は特選は大変迷いましたが、この句をいただきまし た。問題句「亀虫が紙魚に摺り寄る文化の日(吉田和恵)」まず季語が3つ入っていることを、初学のわたしはどのように理解してよいのか迷いました。季重なりが悪いというのではなく、内容は面白い句なので先輩方の見解をお聞き出来たら良 いなと思いました。→季語は、自然を句に取り込む最高のキーワードです。例え季語3個でも、無季でも、佳句は佳句。ご自由にお創り下さい。

竹本  仰

特選句「やはらかき乳房に強く平和抱く(島田章平)」この「平和」は今は子供を差し手いるのかも知れないが、かつては恋人であり、やがては孫や曽孫となるのかも知れない。乳房の「やはらかき」力に、「平和」を対峙させたところに 、「平和」のニュアンスが深く広く感じられる。なるほど、そういうものに世界は支えられてきたのかと思わせる。どこにも書かれてはいないけれど、しかしたしかな身近な歴史がそこにそうしてある。この平凡という非凡に共感した。特選句「 冬銀河田に囲まれて映画館」かつてはこういう光景が見られたが、今はもうないのでは?映画館というのは、かつては地方少年の夢の通い路であったように記憶する。そして、この句の目線は田舎に一軒の映画館を、絢爛豪華な夢の通い路だと信 じていた少年の目線であるように思う。昭和三十年代にあった、夢を取り巻く地方の構造が、ひとつの絵巻としてぱらりと広がったような。太監督や大俳優を知っていなくてもいいのだ、夢はあの暗さと期待の押し込められた空間の匂いの中にあ ったのだ、そんな濃密な時間が終わると、決まってもう外は暗く、振り返ると、田んぼを背景にぽつんと立っている映画館だ。何か大いなる出来事があったのだが、それは頭上の銀河だけが知ってくれている。今思えば、現実にあった恋愛や友情 などよりも、そこにあった夢の手触り感の方がむしろ本当のような気がする、そんな感覚は小生だけであろうか?あるいは、佳き映画館入場者の一人だっただけなのかもしれないが。特選句「金剛の蝶の羽音や冬の月」何という風景だろう?とい うのが正直な感想。それは、信じていたものに裏切られたゆえの、夢に対する郷愁というか。そんな、滅びゆくものと滅びない夢のせめぎあいがふと背景の声として感じられた、そちらへの興味として句を味わったということになるか。その点で は最も詩なのかと思う。俳句を乗りこえる俳句なんかいうものがあれば、それは詩になっているというべきなのか。ぴったりと要求通りのコースをつく、いいコントロールが俳句の模範なのかもしれないが、ここでは逆に収まり切れなさの良さを 感じ、この句の妙な羽音にはまってしまった。

中野 佑海

特選句「白黒に塗り潰しては夜寒かな」晩秋の夜。身を縮めながら、蒲団の中でああでもない。こうでもない。と、つらつら気に掛かる由無し事を考えていたら、益々体が冷えきって、こうなったら、一杯飲んでからでないと眠れないや! !年を取ると、なかなか寝付かれないものですね。おまけに自分でどうこう出来る事も、少なくなり、心配するだけが気休めです。特選句「公園の遊具原色雪催い(菅原春み)」ああ。もうすぐ雪が降って来そうな空模様だよ。この垂れてきた雲 に押し潰されそうなくらい、寒くなってきたよ!やけに公園の遊具が自分たちを主張し始めた。みんな、子供たちの帰った後は、雪とお祭り騒ぎなんだ!!勝手にどんちゃんやっとくれ。私は、炬燵が友達さ。今月も色々空想逞しく楽しませて頂 き有難うございました。参加出来なくなり、残念でした。来月は参加したいです。

稲葉 千尋

特選句「綿虫と別れ死刑囚の手記を読む」おそらくオウムの死刑囚のことと思う。綿虫のはかなさが効いている。特選句「一羽一羽に心臓ありて鳥わたる」鳥は毎日必ず見るが、当り前なのだが、一羽一羽に心臓があるが、その当り前の事 を書かれて納得しました。

鈴木 幸江

特選句評「かなしみのすんだかたちとして胡桃」私は、“すんだ”を済んだと解釈した。多くの人は、例え小さくなったとしても悲しみを抱えたまま亡くなってゆくのではないだろうか。自分のことを考えると悲しみは和らぐだろうが、試 練として人生にかかわり続け、とても済んだような境地には至らないと思っている。“胡桃”という堅く厚い皮を持ち、実を守る種の在り方から“済んだ”という状態のある種の意味が伝わって来る。敬意を持った句である。問題句評「亀虫が紙 魚に擦り寄る文化の日」私にとっては問題句というより課題句だ。こんな出来事が、現実に起こりうるのだろうか。俳句は、存在者を土台としイメージで構成してもかまわないと思ってはいるが、イメージの句とすると何故か物足りなくなってし まう。現実に起こると思うと世界が物と物との相互関係で流動している様がユーモラスに捉えられていて俄然おもしろい。書物の文字を食べてしまう紙魚と文化の日が意味深い。その紙魚を食べようとしているのか亀虫(だいたいは草食だが、肉 食もいるそうだ)が擦り寄って来る。この関係は謎だ。謎の浅さの中にこの世の深さが浮き彫りとなる。良くわからないけどいい句だ。

三好つや子

特選句「冬の園足音だけが落ちている」錆びついた噴水のある植物園を想像。枯葉の音にまぎれる人の足音に、荒涼感が漂い、心惹かれました。特選句「あるときは月光の吊るし柿であり」日光と月光が幾重にも合わさり、生まれた甘さな のでしょう。魯山人が好みそうな、究極の干し柿を私も味わってみたいです。入選句「胡麻がはじけそう拳ゆるめるな」胡麻の実がはじけるように、ほとばしる感情・・・。理性のぎりぎり感が句に込められていて、興味深いです。

桂  凛火

特選句「霧の夜の自分のかたち整わぬ(月野ぽぽな)」霧の夜のモヤモヤとした怪しい感じは皮膚感覚としてよくわかります。 そこに自分のかたち整わぬという実存への不安感を取り合わせたところに心惹かれました ただ「霧の夜の」 の「の」は必要かなと思うところもあります ただあるからいいのかもしれないですね、好きな句でした。

柴田 清子

特選句「渚にて少年を待つ鵆がいる」引く波の花となって消えてしまいさうな鵆が、少年Aを待ち続けて、今もこれから先もずっと渚で鳴いているのである。

野田 信章

「生き方はギリギリ喜劇あけび吸う(河野志保)」の句は「あけび吸う」の結句によって、悲喜一体の生き様そのものを観照させてくれる力があり、諧謔性に富んだ一句と思う。「アラスカを指差しさっと神無月(松本勇二)」の句は私に とっては地の果てと思える「アラスカ」だが、この句の行動力を伴った指向性にはこれが現代かと感じ入らせるものがある。乾いた叙情性と古風な「神無月」との配合によって意外と鮮度のある響感を覚えて読んだ、

大西 健司

特選句「頬と頬触れ冬の日のこぼれをり」特選句にするにはあまりに淡い印象の句である。ただ繊細な心のありようにひかれての特選。

河野 志保

特選句「冬の園足音だけが落ちている」聞こえるものを特定することで静寂の深さを感じさせる。足音が「落ちている」という表現に惹かれた。簡潔で余韻に満ちていると思う。落ち葉を踏む音なのだろうか、一人の公園だろうか、それと も今はいない人の足音を思い出しているのだろうかなど想像が膨らんだ。

新野 祐子

特選句「かなしみのすんだかたちとして胡桃」かなしみが「澄んだ」、それとも「済んだ」なのか、どちらでしょうか。どちらでもすっと胸に落ちますよね。ひらがな表記が胡桃の質感を際立たせているなと思いました。入選句「一羽一羽 に心臓ありて鳥わたる」動物に心臓があるのは当然ですが、揚句を読むと私の心臓も呼応します。入選句「霧の世の自分のかたち整わぬ」:「自分」ではなく「わたし」にしてはどうでしょう。濁音がないほうが詩的に響きます。

田中 怜子

特選句「短日や旅立つ義母の細き足」不思議な気持ちになります。苦労なさったのか、いろいろなことがあったけど、今はその葛藤も消えた、でも客観的になっている関係性が見える。

伊藤  幸

特選句「瓢の実や老いの才覚闊歩する(寺町志津子)」世の中まさに高齢化社会。嘆いてはなりません。「老いてますます盛ん」老いの才覚が発揮される時です。少子化を補填する為にも大いに闊歩してください。上五の瓢の実が風流で功 を奏している。特選句「赤まんますべて光の男たち」日本国土どこにでもフツウに生えているイヌタデの別称赤まんま。食用にもならぬ役に立たぬというので犬という名がついたそうだがナンノナンノ紅色に直立する姿は句のとおり全て光の男た ちですよ。奮起を期待します。

中西 裕子

特選句「冬めきぬトワイライトの鍬の光り(稲葉千尋)」早朝だか夕方かわかりませんが、働き者の鍬がうすぐらい中キラリと光る。空気も透明で冷たい。情景が美しいと思いました。

吉田 和恵

特選句「僕である為のバイクだ鳥渡る」自分の証であるバイクで自由にどこへでも行けますね。私である為の俳句・・・なんてね。特選句「何故雨女どうしても行く紅葉谷」女の意地は崇高でもあるのだ。男どもよ!問題句「カレーって香 典返しポチったら秋(藤川 宏樹)」逆立ちしても意味がわからない自分の脳力、一度でいいからこんな句を書いてみたいです。

銀   次

今月の誤読●「十本の芒となりし夕家族」。「ママ、ボクどうしたんだろう、アタマがスースーするんだよ」「あらま、この子、芒になってる。ねね、父さん、なんで、なんでこの子が芒になってるの?」「い、いや、オレにもわからん。 ここは長老、爺ちゃんに聞いてみよう」「ああ、ワシゃもう、とっくに芒になっとるからなあ。いまさらどうこうということはないんよ。なあ、婆さん」「うん。人間はいずれ芒になる運命じゃ。人生ってのは、そういうもんよ」「でも、あの子 もこの子も、孫までも芒になってるんですけど。それでいいんでしょうか、お爺さま?」「ああ、悟りじゃ。われら家族はみんな悟ったんじゃ。色即是空、空即是色。新たなる進化を遂げたのじゃ」「そうはいうけど、爺ちゃん婆ちゃん、わたし たち、この子たちを芒にさせたくはない」「爺ちゃん!」「婆ちゃん!」「これこれ、静かにおし、おまえたち。芒というのはな、秋の寒に耐え、秋の嵐に耐え、いつも飄々として風になびくのじゃ。いうなればコトをコトとせず、自然にまかせ 、自由に、奔放に生きるのじゃ。ロケンロールよ」「爺ちゃん、若い」「だがな、芒を舐めてっと」「舐めてっと?」「芒革命ということが起きる」「ススキ、カクメイ?」「芒は枯れているようで枯れてない」「うん、うん」「命あるものじゃ 」「うん」「世の中が間違った方向に行くと、われらは立ち上がる!」「立ち上がる?」「そうじゃ。芒は民衆じゃ。日本の人口より多い。そのときは革命じゃ」「おお」「世直しじゃ」「おおっ!」「でも爺ちゃん、このままじゃおいらたちい ずれ禿げちゃうの?」「うーん、ススキンヘッドじゃな、それでいけ」「それはちょっと」「じゃ、タトゥーも入れろ。アウトサイダーとして生きよ!」「あああああ、芒の毛が、というかおいらたちのアタマの毛が風にすっ飛んでゆく」「それ でよし、髪の毛がなんぼじゃ。おぬしたちこそ、いまこそ目覚めたる者、賢者なのじゃ!」「でも、禿げちゃうーーーーー!」

寺町志津子

特選句「かなしみのすんだかたちとして胡桃」今号も迷いに迷った選句。実に自由自在。そして、のびのび独創的。狭量の私の世界を飛び出す多くの句に翻弄されつつの選句。楽しかった。そんな中、特選句は最初から最後まで変わらなか った。上五、中七の「かなしみのすんだかたち」は「哀しみの済んだ形」とも「哀しみの澄んだ形」とも読めるが、「哀しみの済んだ形」として読んだ。そのかなしみ、とは何か?大切な人を見送った後のことかも知れない。そのことをも含め、 胡桃を、作者の人生の哀しみの柩として詠まれたと解釈した。季語としての胡桃の働きに、哀愁と豊かな詩情性、そして、新鮮さを感じて頂いた。

菅原 春み

特選句「折れ釘を叩ひて伸ばす敬老日」季語と叩いて伸ばす作業は取り合わせが 抜群かと。特選句「妹の通夜にて仰ぐ寒昴」 年上の親でもない、妹の通夜はなんともことばがでない。季語を仰ぐことしか考えられない。

矢野千代子

特選句「「膝掛を美しき言葉のごと広ぐ」この季節、膝掛けのぬくもりは体中へとひろがり私には欠かせない品ですが、「美しき言葉」はきれい過ぎるか、少し甘いのではと・・・。それがまた、物足りなさと曖昧さを補い、ぬくみを増し て、読み手の想いを拡げてゆくのです。

小山やす子

特選句「氷雨降る肉体化する思考かな」年を重ねるとだんだんと思考は肉体化して例えば足腰に思いが行ったりするのもその内の一つかもしれません。

三枝みずほ

特選句「膝掛を美しき言葉のごと広ぐ」風を含みながら、膝にひらりと落ちてゆく、あの瞬間を美しき言葉と表現したことに共感した。言葉も膝掛けを広げることもどちらも人の行為であり、日々こうありたいものだ。135句、刺激的で 、選句もとても勉強になります。昨今、作品を通して平和を希求する思いを深くさせられます。来月もよろしくお願い致します。

亀山祐美子

特選句『頬と頬触れ冬の日のこぼれをり』子ども同士、親子、恋人…いろいろな組み合わせの親しみ、絆の暖かさが伝わる佳句。問題句『ここを右そこを左へ冬に入る』おもしろい見方だとは思うのだが「そこを右そこを左」に時間の経過 をかんじる。以前俳句は先取り、当季雑詠。前の季節の俳句は後だしじゃんけんのようで気持ちが悪い。と言いましたが、撤回します。私は私が住む讃岐が世界の中心の狭い了見の人間です。地元の句会ならいざしらず、日本列島が縦に細長いこ とを失念しておりました。列島各地から参加の海程香川におきまして、浅了な我が身を恥じております。お許し下さいませ。皆様の句評楽しみにいたしております。

河田 清峰

特選句「なべて背は嘘をつけない後の月(寺町志津子)」冬になってやっと満月が見られます!この秋の後の月は綺麗でした!それを思い出してくれる好きな句です!

藤田 乙女

特選句「火(ひの)国(くに)あり月と火星の中あたり」古事記の国にタイムスリップしたり、宇宙のロマンを感じたり、何かとても心惹かれました。

松本 勇二

特選句「パラサイト娘の笑顔秋の蝶」パラサイト・シングルを略していると思われますが「笑顔」の斡旋でお嬢さまとの明るい生活風景が見えてきました。問題句「老うという仕事半ばよ蓮の実」老いるということを仕事と把握する大胆さ も蓮の実という季語の斡旋も良いのですが、中七の「よ」が切ったようで切れていません。「老うという仕事の半ば蓮の実」とすれば切れ味が増すように思われます。

月野ぽぽな

特選句「僕であるためのバイクだ鳥渡る」心が解放されてリラックスしている状態でいることが本当の自分。そうあるために必要なものは人それぞれ違うかもしれないが、その時の心身の感覚は共有している。「だ」の口語体が強い切れを 生んでおり、句の内容をさらにグッと押し出し効果的。季語の鳥の自由感と広い空間が句意をサポートしている。 いつもお世話になります。アメリカは昨日氷点下の感謝祭を終え、年末商戦が始まりました。ホリデーへまっしぐらで賑わいを増 していきます。どうぞよろしくお願いいたします。

重松 敬子

特選句「僕である為のバイクだ鳥渡る」この心情は俳句を友とする者にはよくわかります。あまり若くない人なのかも・・・・。季語がいいと思います。

豊原 清明

特選句「妹の通夜にて仰ぐ寒昴」妹の通夜に悲痛の中、寒昴を仰ぐ所にポエジーを感じる。後悔等、ネガティブな感情はこの一句からは感じない。人生を生きる感じがして、好ましい。問題句「セロ挟む少女の膝や水の秋」特に問題句では ありません。今月は変わった句は余り感じなかったです。特選として、「水の秋」が良いと思う。膝に着目した点が新しいと思う。「少女の膝や」ポエジーを感じる。素敵です。

谷  孝江

選ばせて頂いた十句、私の中ではどれも特選です。「五線譜の正しき位置に銀河置く」は、銀河の美しい調べが心地良く聞こえてくる様で清々しさが感じられて好きです。「正直に生きた褒美だ秋刀魚食へ(銀次)」も楽しい句と思いまし た。いろんな感性豊かな句ばかり。ありがとうございました。

小宮 豊和

「優しさは傷みあなたは秋の風(竹本 仰)」:「優しさは傷み」に強く惹かれた。「あなたは秋の風」について。「あなたは」は作者に優しい異性だから書かなくともわかる。「秋の風」は、働きがいまひとつ。この九音は入れ替え可能 である。たとえばやや平凡に「秋の杞憂かな」として「に」でつないでみる。「やさしさは傷みに秋の杞憂かな」となって句は成立する。推敲の余地は大きく秀句になる可能性大。

高橋 晴子

特選句「産土に蒟蒻 九条ねぎに平和」こんにゃくと九条ねぎの対比が面白いと思った。問題句「黄葉の靖国神社不穏な車2台(田中怜子)」不穏な車が何故不穏だと感じたか。もっと具体的にいえたらよかった。二台迄いわなくてもいい のではないか。

漆原 義典

特選句『「眠れたかい」夫の一声冬隣る』 上の句「眠れたかい」が夫婦のほのぼのとした温かさをうまく表現しています。うれしい句です。ありがとうございました。

野口思づゑ

特選句「秋思とはいっても石に戻るだけ」理想的な秋思なのでは。特選句「台風一過折れ鶴のよう白い傘(小山やす子)」もしかしたらビニール傘かもしれませんが、美しい光景になりました。

中村 セミ

特選句「霧の夜の自分のかたち整わぬ」イメージであると思うが、実際 濃い真白な霧がわき出ている夜に車で走っていた事がある。距離感も何もあったものではなく、もし、前の車が停止していたらぶつかると思える程何も分らなくなる 感覚におち入った。この句もそんな霧の中に自分を置いたとすればくねくね曲る自分の姿を客観的に見い山しそうな気がする。そういったところを面白く読ませていただいた。

野﨑 憲子

特選句「からまるゴッホの星月夜からまる」ゴッホの名画「星月夜」の絵にインスピレーションを受けての「からまる」の一語。糸杉の、空間の渦巻の、月たちの犇めくような混沌を、余計なものを削ぎ落し十七音に収斂して見事。ルドル フ・シュタイナー(高橋巌訳)の「芸術創造は、宇宙の創造行為の人間の魂による継続」なのである。そして「あまりにも力強い芸術家」になるとは、鑑賞者に対して、この宇宙のいとなみに参加するように強制しさえする、を想った。「優しさ は傷みあなたは秋の風」わたしは甘い句が好きである。そして、その甘さが、後から、ずんずん心の底に沈んでいくようなほろ苦い甘さが、たまらなく好きである。「あなたは秋の風」そのものなのである。問題句「冬銀河背中震えし犬と馬」中 七 の「背中震えし」の「震えし」が、想定内だが、「冬銀河」と「犬と馬」の取り合わせが、抜群に面白いと思った。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

タクシー
秋日和タクシーで行く泌尿器科
野澤 隆夫
タクシーに手をあげたのにふくろうが
男波 弘志
鬼柚子がタクシーの中で笑ってる
亀山祐美子
鬼柚子
鬼柚子の腰かけてゐる切り株よ
野﨑 憲子
鬼婆となり鬼柚子の風呂
鈴木 幸江
鬼ゆずにはじめての傷つけてみる
男波 弘志
鬼ゆずの窪みに吸いこまれそう
三枝みずほ
鬼ゆずや膝もて余す老婆かな
小山やす子
鬼柚子の大笑ひせり銀次来る
亀山祐美子
鬼柚子が突然海の部屋に来た
柴田 清子
鬼ゆずが欠伸している夜の談議
小山やす子
(いろは)紅葉
紅葉散るどの瞬間も風の中
三枝みずほ
誕生日には風の寄せ書き夕紅葉
野﨑 憲子
君よいまいろはもみじに同化せよ
鈴木 幸江
諦めが一番いろは紅葉冷え
柴田 清子
朱唇
祈れば川底に冬の朱唇
野﨑 憲子
首長き朱唇の座すや炭灰に
藤川 宏樹
六十歳が朱唇の切手なめる
中村 セミ
朱唇につながる流れ星が来る
田口  浩
綿虫に好かれなくてもいい朱唇
柴田 清子
湯が沸いてさらに朱唇が成就する
田口  浩
雪雷
大甕のどぶろく据えて雪雷
田口  浩
根っこには日の翼あり雪雷
野﨑 憲子
母の忌や刻違えずに雪雷
小山やす子
雪雷相性良しと言われても
藤川 宏樹
朝出たら其れっ限(きり)の人雪雷
鈴木 幸江
十一月
おしゃべりな十一月の水たまり
野﨑 憲子
指揮者以下十一月の蝶になる
田口  浩
言吃れば十一月の日溜り
野﨑 憲子
十一月のザラ紙に触る風
中村 セミ
そこここへ青雲立ちぬ十一月
藤川 宏樹
戸一枚向こうは十一月の海
柴田 清子
新しき大釜を据え十一月
小山やす子

【通信欄】&【句会メモ】

金子知佳子☆いつも「海程香川」を送っていただきありがとうございます。仏前にお供えしますと「おう!!きたか、きたか」と喜んでいる様子で私たち家族も嬉しく思っております。皆さまのご活躍を楽しみに致しております。→知佳子様、 嬉しいお便りをありがとうございます。兜太先生をますます身近に感じます。大きな元気を頂いた思いでいっぱいです。これからも、句会報を兜太先生へお送りするのを楽しみに精進します。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

竹本 仰☆いつもお世話になっております。急に寒くなりました。淡路島でも、同じです。まだ計画段階でありますが、来年、6月1日、2日、淡路島吟行の予定、みなさま、いかがでしょうか。意外と思われるかもしれませんが、淡路島は俳 句熱のかなり高いところです。ただし、海程、海原とはまったく縁なく(?)、それだからこそ、こういう吟行も一興であろうと思うのです。小生が住職を勤めるお寺は、西暦1600年ころ創立の歴史の浅い寺ではありますが、その頃に出来た とされる室町時代の様式を模した庭園は、一見の価値ありです。本堂での句会をぜひと思います。→淡路島吟行、楽しみにしています。年内にだいたいの人数の把握をされたいとの事ですね。皆様、奮ってご参加表明をお願いします。

11月句会へは、久々に徳島の小山やす子さんが参加され、大らかな笑顔の中に、鋭い鑑賞をされ、さすがベテランの貫録でした。亀山祐美子さんが見事な鬼柚子を持って参加され、鬼柚子君は、袋回しのお題となり、今は、我が家の玄関に飾 られて甘酸っぱい匂いを振りまいてくれています。<雪雷>は、小山さんの出題で、小山さんの故郷である北陸の冬の風物詩なのだそうです。

冒頭の写真は、荒川上流の長瀞の紅葉です。先生のお元気な頃の俳句道場の折に、撮影しました。

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