2020年4月23日 (木)

第105回「海程香川」句会(2020.04.18)

チューリップ.png

事前投句参加者の一句

 
<追悼 志村けん>悪いけど犬を頼むよ春の雪 高橋美弥子
春眠の息ひとひらひとひら翼 月野ぽぽな
清明や瞼閉じたる野の猫よ 豊原 清明
コロナの禍もしやと思ふ春の風邪 野澤 隆夫
コロナ禍いはんや悪人花見かな 田中アパート
春暁や土の天使とワルツ舞ふ 漆原 義典
夕映えを雨滴に宿し葱坊主 新野 祐子
近づく日フォルモ蝶と渡りたし 若森 京子
膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉 石井 はな
都市封鎖蝶がいっぴき大通り 夏谷 胡桃
能面の裏は深夜の桜の木 伏   兎
万愚節返事は指を丸くする 河田 清峰
脆き星魔よけのごとく辛夷咲く 森本由美子
旗振山花粉流るを見ていたり 榎本 祐子
「もう」「もう」と牛さん返事に花曇 荒井まり子
すぐ白むわたしはそめいよしのです 男波 弘志
春はここからランドセル光る朝 松本美智子
盤寿(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る 矢野千代子
男が産まれ女も産まれて春が来る 銀   次
ウイルスも人間も只生きて春宵 高橋 晴子
桜さくら一人痴呆が立ち尽くす 小宮 豊和
はさみはなす手はいちまいの花びら 三枝みずほ
春ひとり月に遊ぶの得意です 藤川 宏樹
唐突にトランペット恋の揚雲雀 中野 佑海
朧月黒猫走る押小路 田中 怜子
老い鶯火炎放射器の唇 中村 セミ
クレソンの朝右耳が淋しい 大西 健司
振り返る歳月溢れ雪柳 小山やす子
うかうかと生きて今年も花は葉に 寺町志津子
千年桜の一片であれわが喜劇 田口  浩
地球さわがし牛蛙がおんがおん 伊藤  幸
辛夷咲く辛いのならば傍らに 鈴木 幸江
山桜に頬骨がある囀りがある 久保 智恵
父母はまだ海市の中に住み古りて 増田 暁子
映画館の向こうはすすきだったのか 竹本  仰
春の夜森と呼吸をともにせり 菅原 春み
春愁というももいろのネックレス 谷  孝江
春泥に目玉むきたる牛の息 増田 天志
世界史に太字その直中にゐる 野口思づゑ
人見ればウイルスと思う街の春 稲   暁
表情という春コートの裾の揺れ 河野 志保
うぐいすの遠く近くや友の葬 重松 敬子
義歯洗う夜滝を覗き込むように 野田 信章
唇の厚さ噛み締め春のマスク 高木 水志
春満月牛を磨いて父が笑む 松本 勇二
連翹の花にはじかれさうな昼 柴田 清子
花の世のコロナばかりに過ぎゆく日 藤田 乙女
結界の解けてしまふ春の月 亀山祐美子
鴇色(ときいろ)の春があふれて持て余す 佐藤 仁美
吃音の果て流れゆく花筏 佐孝 石画
朧夜の言葉ひとつづつください 小西 瞬夏
坊主刈の我れに武器なし白マスク 稲葉 千尋
無理解の刃が開く白いシャツ 桂  凜火
大いなる妻の腰付き春の鯉 吉田 和恵
桜見ず籠りて「花は咲く」歌う 滝澤 泰斗
寒霞渓瑠璃光浄土春落葉 島田 章平
景ぬくし白鳥の声林立す 十河 宣洋
すみれよすみれお先にどうぞ 野﨑 憲子

句会の窓

大西 健司

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」静謐な時間の流れ。朧夜の言葉の美しさ。 大切な人の大切な言葉を思うとき、このひとつづつという思いが深く響いてくる。問題句「巣作りは仮縫のよう造型論(若森京子)」下五の「造形論」がよくわからない。唐突な感じがするのだがいかがなものか。「巣作りは仮縫いのよう」がいいだけに、その思いは強い。

小西 瞬夏

特選句「吃音の果て流れゆく花筏」途切れ途切れに出てきた言葉はなんだったのだろうか。言葉そのものよりも、その人との関係性を思う。緊張感のある関係性。そしてそのあと花筏が流れてゆく、というのは、その関係性に進展があったのか。終わっていくのか。どちらにしても、水の流れにしたがって、なるようになっていくのに身を任せているのだろう。

増田 天志

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」言葉の内容、情況が、脳裏に浮かばない。ただ、相手の言葉を、とても、大切に想っていることは、分かる。朧夜だから、漠然とした理解でも、許されるのだろう

榎本 祐子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」映画という虚構の世界を通して何かを提示する場所。「その向こうはすすき」だと言う。すすきの形態に現実の頼りなさが投影され、虚構の中にある真実と、現実のあやふやさが見えて面白い。

豊原 清明

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」 庶民に愛される最後の芸人の志村けんの追悼句として、いま、最も新しく共鳴しやすい。問題句「コロナの禍もしやと思ふ春の風邪」 風邪を引くと危ないと感じる。いま風邪なので、痛く身に来る句。

藤川 宏樹

句会では三〇分、頭をフル回転の袋回しが楽しみですが、二ヶ月続く中止で私の俳句脳は鈍ってしまいました。いつコロナが終息し、皆さんと袋回しを楽しめるでしょうか?特選は「柳絮飛ぶ西太后の鼻の先(寺町志津子)」。希代の悪女西太后ですが、今ならどんなマスク姿を目にできたでしょう。「西太后」を習さんや小池さんら現代の権力者に置き換え、リアルイメージで楽しめました。

稲葉 千尋

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんの死はショックでした。そして、そして、面会もできない、死体にも会えない、こんな恐しいことを知った今、季語の「春の雪」ですくわれる。

田中 怜子

特選句「夕映えを雨滴に宿し葱坊主」ネギ坊主の初々しい若草色の芽一つ一つに雨粒が夕映えを映しこんでいる映像が浮かびます。一日が終わろうとしている穏やかな情景。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」おめでとうございます。81歳の自分を褒めているような、二上山という歴史ある山に冬日が照る姿を我が身においておおらかに歌いあげている。万葉集の歌のようです。  

高木 水志

特選句「春ひとり月に遊ぶの得意です」春の月のイメージを生かして、話すような柔らかさを感じる。春の月の光を自分と重ねたことで深い意味が生まれる。

中野 佑海

特選句「千年桜の一片であれわが喜劇」壮大な千年桜。花びらの一片の様なわが人生。しかし、喜劇としてでも良い。誰かの記憶に留めて貰える様な関わりがあれば。生きてきた意味を感じる事が出来る。特選句「結界の解けてしまふ春の月」春は月。朧の掛かる辺り一面、昼とは全く違う世界が表出。金縛りに掛かったように、経済活動一辺倒のこの世の中。魔法を掛けたのは誰か知らないけど、緩い月の光が魔法を解いて行くようだ。並選:「春眠の息ひとひらひとひら翼」安らかな寝息が吸ったり吐いたりする度に翼となって夜の静寂を形づくる。「瀬戸内のばりっと見栄はる桜鯛(増田暁子)」見事に焼かれた桜鯛!ああ、お腹が鳴る。「見栄張る」がこの鯛の存在意義を示しちょっと哀しい。美味しい内にさあ食べよ!「草で編むふらここ子らの命かな(重松敬子)」草で出来たブランコ。ちょっと危うい。まるでここにいる子供達の未来まで象徴するような。「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ」土筆の先の穂に入っているのは未来を予言する言葉。さあ、今は夜明け前。明るい未来を運んでおくれ!「桜さくら一人痴呆が立ち尽くす」これは桜フェチの私です。桜は逃しません。ただ「痴呆」ではなく「阿呆」にして欲しいけど、それだと絵にならないか?「老い鶯火炎放射器の唇」はい。深く反省しております。つい口が言わなくても良いことをクドクドと。また、一人落ち込ませてしまいました。「春の夜森と呼吸をともにせり」春になると、夜も何故か森が恐く無くなるって本当?「表情という春コートの裾の揺れ」春になると説の一つ。コートの裾が歌い出す。 以上です。 ☆コロナウィルス禍がひしひしと迫って来ているのでしょうか?何処も安全な場所は無いようです。うらうらと人のいない時間に人のいない場所を散歩出来るのは有難いです。外出禁止令がでたらは考えません。

若森 京子

特選句「草で編むふらここ子らの命かな」:「草で編むふらここ」の措辞に、メルヘン的な情感があるが、下句で危機迫る一句となる。子供達の命の尊厳の句である。特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」盤寿の由来も面白いが、八十一歳の祝いである。句の景も大きく美しく作者の来し方を思う品格のある一句となった。

月野ぽぽな

特選句「春愁というももいろのネックレス」ローズクォーツのネックレスが思い浮かんだ。やわらかい色とひんやりとした感覚。春の憂いには、その中に没入してしまうような深刻さではなく、それをいくらか傍観しその翳りを自ら愛おしむようなどこか甘く気だるいナルシシズムがありそう。掲句はそれを上手く形象化している。

島田 章平

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」手のひらは心の花びら。閉じても開いてそれは私の心。開けば蝶、閉じれば桜貝。世界で一つだけの花・・。

三枝みずほ

特選句「唇の厚さ噛み締め春のマスク」言葉に出来ない、感情を押し殺す、不安等が唇を噛み締めるときの心情だろうか。不安定な精神状況下において、唇の厚さを実感する。唇の厚みは生存しているということのほのかな光のように思えた。皆さま、どうぞお身体ご自愛下さい。

鈴木 幸江

特選句評「『もう』『もう』と牛さん返事に花曇」「“もう、たくさん”“もう、たくさん”人間ばかり物を欲しがって、世界は、物で溢れ、地球を壊している」と狭い牛舎で牛さん    たちが絶唱している姿が浮かびます。それに応えるのは花曇の空のみ。この虚しさは本当に現実ですね。「すぐ白むわたしはそめいよしのです」“そめいよしの”のひらがな書きに思わず、染井吉野という和服姿の女性の姿が現れた。この不可解がとても快感で。よろしかった。“白む”には、くじけるとか、衰え弱まるという意味もある。実景(桜の木)が人の姿に化身し、わたしも、そうなのよ。あなたも、そうなの・・・。なんて共鳴させていただき、生き物と共存する喜びも味わった。問題句評「はさみはなす手はいちまいの花びら」手仕事に疲れたのか、鋏を思わず放したのだろう。鋏から解放された手は花びらとなった。美しい手の方なのだろう。本当に素敵な句だ。でも、何故か“花びら”が甘い。実感なのだろうが、その甘さが私を不安にさせたので、勝手に問題句にさせていただいた。入選句にはならなかったが、チェックした句「春眠の息ひとひらひとひら翼」「人を避けウイルスを避け灌仏会」「ウイルスも人間も只生きて春宵」「映画館の向こうはすすきだったのか」「世界史に太字その直中にゐる」「水瓶叩く悠久の睡蓮(中村セミ)」「無理解の刃が開く白いシャツ」「大いなる妻の腰付き春の鯉」 以上。

松本 勇二

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」夜の滝を覗き込むように、恐るおそる義歯を洗っている様子が哀感を纏いながら見えてくる。ウイルスにお気を付けて。

小山やす子

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」この心理よく理解出来ます。夜滝を覗くがよく効いていると思います。

夏谷 胡桃

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」。能面の裏は暗闇です。神楽で面をつけて踊ったことがあります。1点の明かりしか見えない暗闇に放り出されて、とても怖い思いをします。相手の動きもよく見えないし、自分の手足も見えない。暗闇の中で踊るには相当の練習がないとできないとわかりました。だから、この句の「深夜」はわかる。「桜の木」はなにか。桜の木は神とわたしなのかもしれない。自分と神を一体にして信じて踊る。ぼわっと桜の木が浮かび上がってくるイメージができました。お見事な句です。問題句「春の霜大宇陀銘菓きみごろも(矢野千代子)」。これはお菓子屋のコピーではないか。美味しそうだな。「きみごろも」って? さっそくネットで調べました。無性に奈良に行って、このお菓子を食べたくなりました。宣伝成功です。

野澤 隆夫

コロナ禍の真っただ中、早く終結されんと願ってますが…。先の戦争中はこんな生活が数年続いたのですから…。考えると怖いことです。今月の投句はコロナ、パンデミックの句が相当数。22句数えました。特選句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」興味深い言い回しです。小生も緊急事態宣言前に公渕公園へ家族で花見に。コロナどこ吹く風と弁当を食べワンも一緒に散策。「いはんや悪人花見かな」の一幕でした。いまでかけると石が飛んでくるのでは。特選句「世界史に太字その直中にゐる」3月から4月と私たちは「世界史」の真っただ中に生活してるのでしょうか。世界史の文章記述でコロナ、パンデミック、マスクはゴシック体で必ず表記されるかと。「コロナウイルスまだまだあくの強い親父」この句も面白い句でした。「あくの強い」がきいてます。

谷  孝江

特選句『「もういいよお」枝垂れ桜がゆれている(田口 浩)』希望に溢れた春のはずが今年は大変な事になっております。香川句会の句の中にも、たくさんのコロナウイルスの句が見られ、心が痛みます。怖くて切ない春なのですね。家の玄関先とリビングから見えるすぐ近くに枝垂れ桜が今、満開です。少しの風にでも揺れていて、例年でしたら優しくて、美しくてと眺めるのですけれど、今年の桜は「いや、いや」をしている様にも見えて淋しい花見になっています。外出禁止令が息子より出ていますので、本を読んだり、マスク作りをしたりの日々です。きっと明るく、元気で過ごせる日を信じていたいと前向きにいつも考えています。

野田 信章

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」は、先ず、コロナウイルス禍の二十五句中の一つとして読んだ。「坊主刈」とは、出家在家を問わずそれなりの決意を込めた表明の一つであろう。その我に「武器なし」とは、これまた信条の確かな言葉の響きがある。時節柄、コロナ禍を前にして、そのような我の生き様に自嘲を含みつつ、諧謔性のある一句かと読まされた。翻って 、この句は、この時節に限定せずとも、一般性をもって読めるところに強みがあるかとも思う。

佐孝 石画

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」山桜はひっそりと咲く。そして遠くに咲く。そこには漂泊感をともなった強さがある。遠くにひとり咲く山桜に視線をズームアップしていくと、こちらの日常と遠くの山桜との間に時空の歪みのようなものを感じてくる。山の一部にひそやかに笑う山桜の仄白い容貌。そこに縄文時代以前のにんげん達の貌がゆっくりと重なってくる。頬骨の張った、強くやわらかな古代人の豊かな貌とそのオーラ。そのような幻想に憑かれて呆然としていると、どこからか鳥の囀りが聞こえてくる。古代への幻想とこちらの日常を繋ぐこの囀りは、また我々が今までもこれからも「にんげん」を継続していくのだという天啓めいた思念を置き去って行ったのだ。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」:「夜滝を覗き込むように」という措辞に痺れてしまった。圧倒的俯瞰。覗き込むという行為は視覚に頼る動作ではあるのだが、光のない夜にはその視覚は無効化し、かえって聴覚ばかりを増幅させることになる。闇の中、消失点も見えない奔流する水の行方。暴力的な水流の束は、轟音の中で幻視化し、捩れ悶えながら闇の中で投身を続ける。「義歯」という不思議な体の一部。いつものように口中から外した義歯を洗おうと、洗面台にコツンと置き、ちょっとした違和感を引きずりながら、蛇口をひねり、体の一部(であったはず)の義歯を水流にあてる。作者は自分で自分の体の一部を外し洗うというこの行為の中で、「わたし」という闇をふと実感したのだろう。

桂  凜火

特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」義歯を洗うことを滝を覗き込むようにという比喩は離れているが昼間の自分を仕舞うことからの飛躍としてとても面白いと思いました。この比喩で句の世界のぐっと視界が開けます。芥川の羅生門の下人が覗き込む闇をふと思い出しましたがそれとは違う明るさや活力が感じられる。ここからなにか始まると感じられます。そこに心惹かれました。

河田 清峰

特選句「旗振山花花粉流るを見ていたり」かって旗を振って伝達していた山、そこから流れる杉花粉のおぞましさとの取り合わせが見ていたりでよくわかる。もうひとつの特選句「盤壽(ばんじゅ)吾に二上山陵冬日照る」八十一歳おめでとうと言いたい句。

河野 志保

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」強引な解釈かもしれないが、非常に感覚的な句として捉えた。花の白さと頬骨の透明感、花の揺れる様と囀りの軽やかさ、それぞれが通じ合うような新しい視点を感じた。または山桜を見ている誰かの姿や声を句にしたのかもしれない。

伊藤  幸

特選句「大いなる妻の腰付き春の鯉」鯉は逞しく長寿と聞く。長年連れ添った我妻をその鯉に喩え、大いなる腰付きとユーモアたっぷり称えた措辞に深い愛が感じられる。

田中アパート

特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳がよろしい。「左耳」でなく。

柴田 清子

特選句「映画館の向こうはすすきだったのか」:「映画館の向こう」を、私なりに、『スクリーンの裏』と解釈しての「すすきだったのか」に、異作を感じました。最後の『のか』が、特選にする大きな要因でもある。特選句「春の夜森と呼吸をともにせり」この句にある世界には、人間はもう戻れないところに来ている。内容が特選です。特選句「表情という春のコートの裾の揺れ」表情というこの言葉の使い方が、実にうまいなぁと・・・・。感心して特選にとらせてもらいました。

中村 セミ

特選句「図書館に雲の遺書あり 潦(にわたずみ)(佐孝石画)」 まづ、遺書を考えてみると、家の主人が死んで、遺書があれば財産分与が書かれているとか、俺の骨は粉にして海に撒け等書かれていると思う。では雲の財産って何だろう。それは空気中、もしくは水が溜っている池とか湖とか川も海も含めての水の流れ、つまり水の一生。水は水蒸気となり空に昇り雲となる、雲は気温によっては、あらゆる気象となり、雨・雪・雹 等々となり、地上に降りてくる。雲の財産は大自然の水の流の一部というより再生させる命のようなものだろう。なので、水の一生と考える。では、潦(にわたずみ)は、雨が降って地上にたまったり流れたりする水とあるので、分与の一部となる。この句は壮大な自然を詠んでいる上に、それが図書館にあるとまるでサスペンス映画の謎解きの様にあるところがいいし、僕はこういった句が面白いし好きだ。当然、図書館にあるのは、ヒッチコックの北北東に針路を取れ(台風の歴史)である。

石井 はな

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」志村けんさんの口調が思い出されました。春の雪の季語も、あっという間に逝ってしまったけんさんの様です。特選句「世界史に太字その直中にゐる」今のこの毎日が何年か後の歴史の教科書等では、太字で書かれる様なエポックな出来事になっているのを想像するのは、何だか空恐ろしいです。

竹本  仰

特選句「膨らめる胸は洞ろかしゃぼん玉」四月となれば、どこの職場にも学校にも、春男さん、春子さんという人がいます。スタートダッシュの勢いの良さで、そしてそれだけで終わる四月と心中する方たちのことです。それに引き続く五月病のセットの方も。これはそれを我が身に置いて考えられる方の句でしょう。この視線に何か小さくて大きい人間愛のようなものを感じました。特選句「クレソンの朝右耳が淋しい」右耳が淋しいのはなぜか?そういう入口を用意してくれた句で、その入り口に楽しませてもらいました。そして、小生なりに、それは人がいないからだ、又はほんとうのことばが無いからだと、勝手にとりました。何かを求めている朝なんだろうと。昔、如月小春さんの舞台で『おいしい水』だったか、そんな名の舞台があり、色んな悩みがありながら、朝、洗面器に顔を洗い続けて止まないという不思議なラストシーンでした。それにつづいたシーンのように見てしまいました。特選句「吃音の果て流れゆく花筏」何かほろりと来るような切なさのある句でした。ぶつかってぶつかって、色んなぶつかりの人生、ああ、それでもあの花筏なのか私。というように。かなり昔の戦前の映画で『残菊物語』というスーパーセンチメンタルな映画があり、一人の役者を育てるために身をぼろぼろにして死んでいく日蔭の女のお話でした。最後は一流の歌舞伎役者として屋形船でお披露目をしている男の晴れ姿の傍ら、身を隠し結核で死に臨みながら微笑する女。と、妙にセンチメンタルな心象をくすぐる句でした。特選句「坊主刈りの我れに武器なし白マスク」少し前は香港から、そして近くは新型コロナ禍まで、武器無しにマスクという光景を見ましたが、ああいつもそうなんだ我々は、と思わせる句でした。どう頑張って声高に繁栄を叫んでも、そういう脆い繁栄のすぐ裏に立ちつくすのは、このナマな人々なんですね。白マスクひとつが支え、いま、そういう原点を見つめる機会が訪れているのか。「汝自身を知れ」、デルフォイの神殿でご宣託を受けたかのギリシャの賢人の前に、またしても戻るほかないのか、と、思う次第です。  ☆また、句座が延ばされ、香川の方々、さびしい春でしょうね。こうやって毎回通信で句会に参加している小生にしても、その核心の炎みたいなものが少し小さくなるのは心傷むことです。ほんの時々にしか出られない小生ですが、再会の日を心待ちにしています。再見!

吉田 和恵

特選句「亡父の歩きしている春様サイレント(竹本 仰)」麗しい父と子(娘?)との関係がしっとりと偲ばれます。

松本美智子

特選句「うぐいすの遠く近くや友の葬」景色が思い浮かぶ句です。寂しさもあるが、うぐいすののどかな鳴き声に少しの希望をみいだす。友との思い出も色鮮やかによみがえってきそうです。☆感染対策でいろいろと大変な折り、お世話ありがとうございます。……近々、笑い声が響くような句会が開かれますことを祈っています。

矢野千代子

特選句「朧月黒猫走る押小路」本来地名が好きですが、<押小路>は、みごとな斡旋です。地名が際立って(私には)文句ナシの特選句。 ☆参加者がふえて大変でしょうが、よろしくお願い申します。ありがとうございます。

田口  浩

特選句「山桜に頬骨がある囀りがある」樹齢千年と言われる桜なら幾つか知っている。が「頬骨がある」この山桜は、そういう類いのものではあるまい。「囀りがある」と重ねられて、徳島の藤井寺かえあ焼山寺に向う途中に出会った、山桜がそれに近いと思った。山風に吹かれて、深い谷に散りこむ花弁が、地形の関係か、途中から又舞い上がって、向こうの山に渡るのである。この山桜には、揚句のような風情があったように思う。―実から発して虚にいたるーつまり、山桜から頬骨にいたって、囀りの世界に遊ぶ。この作品の持つ発想の力は見事であろう。「映画館の向こうはすすきだったのか」「前方を古墳とするや鸚鵡貝(伏兎)」「吃音の果て流れゆく花筏」「朧夜の言葉ひとつづつください」この四句、どれも、私の琴線にふれる。特に、「映画館」の句は中学時代の境遇が見えて懐かしい。

久保 智恵

特選句「坊主刈の我れに武器なし白マスク」時事を素直な句に。

伏   兎(三好つや子)

二十数年前、はじめて参加した句会の気持ちに戻りたく、そのときの俳号に改めました。よろしくお願いします。特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」寒からず暑からずという頃の快い眠りでの寝息が、咲きはじめの花のように、また鳥の翼のようにも感じられる表現が見事。特選句「都市封鎖蝶がいっぴき大通り」緊急事態宣言による街の不気味な静けさと、人の居ない通りをゆうゆうと過ぎる蝶との対比が面白い。入選句「草で編むふらここ子らの命かな」草遊びのほのぼのとした世界の向こうにある、ライフラインの滞りがちな環境で生きている子どもたちが目に浮かび、共感。入選句「春の夜森と呼吸をともにせり」蠱惑的な春の夜と、神秘的な春の森との一体感が、心をざわざわとさせ、惹かれた。

野口思づゑ

特選句「はさみはなす手はいちまいの花びら」鋏を使った、ただそれだけなのにその手の動きに注意を向け句にするという感性に感心しました。

佐藤 仁美

特選句「言の葉の飛び出す夜明けつくしんぼ(高木水志)」人がまだ来ない夜明けに、つくし達が目覚めて、おしゃべりを始めてる…。メルヘンを感じました。

十河 宣洋

特選句「春眠の息ひとひらひとひら翼」心地いい春の朝である。気持よく寝ている。熟睡しているというより、半睡状態。息を吐きながら蝶か鳥になったような気分。どこかへ飛んで行きたい気分である。特選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」丁寧に入れ歯を洗っている。何度も何度も汚れを落としている。少し屈んだ姿勢まで見えてくる。俳味を感じる。

寺町志津子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」。言わずもがなの世界中のコロナ禍。その惨状は、当然、世界史に深く刻まれ、時は流れゆくが、今、まさしくその惨状の中に生きている現実の実感を大きく捉えている作者に同感しました。コロナ禍の一日も早い終結を心底から祈りながら・・・。

増田 暁子

特選句「春愁というももいろのネックレス」中7下5の発想は初めです。首の周り、身体にまとわりつく春愁。今年の春の特別な春感覚ですね。特選句「鴇色の春があふれて持て余す」     鴇色の春を持て余しているこの現実にピッタリです。

滝澤 泰斗

特選句「唐突にトランペット恋の揚雲雀」二匹の揚げ雲雀が突然けたたましく上下に乱舞している映像が見えました。トランペットが良かった。これが、ピッコロのような楽器ではマンネリに堕して取れなかったと思うが・・・。問題句「霾るや元寇の世に徳政令(河田清峰)」問題句というほどの事もありませんが、今度のウィルス禍から一連の政府の動きまでかつての歴史に被せたとしたら、なかなかの出来ではないかと思えました。問題句「架空のそら架空のウイルス統計表(森本由美子)」上五の架空のそらが疑問。架空のウィルス統計表はその通り。懐疑の余地なしだが・・・ ☆コロナ禍で、お世話になった皆様の顔が、だんだん見えなくなってきた時に、ドイツ・メリケル首相の国民向け演説に触発されました。少しでも旅への憧れを持っていただければとの思いで、15年ぶりにブログを書き始めました。お読みいただければ幸いです。        

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菅原 春み

特選句「朧月黒猫走る押小路」映像のように景が見え、動きがあります。特選句「春満月牛を磨いて父が笑む」こんな時期だからこそ父の笑む姿にほっとします。牛を磨くというのも圧巻。

森本由美子

特選句「世界史に太字その真中にゐる」まさにそのとおりの毎日。次の世代は?未来は?という問いかけが背後に感じられます。

新野 祐子

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」雪柳を眺めていると、何か言い知れぬ感情が湧き上がってきます。この句を読んで、それがこれまでの人生のこもごもが雪柳の花ひとつひとつとなって目の前に現れたからなのだと納得させられました。入選句「義歯洗う夜滝を覗き込むように」ユーモラスな観察眼ですね。「夜滝」に感心しました。入選句「つちふるや光射し込む莫高窟」:「つちふる」と「光射し込む」は相反する現象ですけれど、「莫高窟」により不思議な調和が生まれていると思いました。  

今日は、木の芽雨が降っています。暖冬だったけれど、このところの肌寒さで山の木々の芽吹きが遅れています。今月もよろしくお願いします。

小宮 豊和

「映画館の向こうはすすきだったのか」ちょっと不思議な感覚をもたらす句である。原因のひとつは季語「すすき」であろう。普通四月に八月頃の植物をもってくることはまず無い。次は映画館という夢のある場所が荒れたすすき原にあるという違和感である。しかし我々は句作に関して要素を頭の中で分解し組み立てなおしている。そんなことにこだわるより良い句にすることが肝要である。作者氏は良いお手本を提出してくれたと私は考える。

高橋 晴子

特選句「能面の裏は深夜の桜の木」:「深夜の桜の木」で象徴される作者の内面、能面の裏という具体的な場所、時間の特定に、恐らく能を演じている最中だろう。華やかでいてしんとした内面に共感出来て景が見えてくるようだ。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」新型コロナウイルスでこの句が一番共鳴出来た。「がおんがおん」の擬音語が少しオーバーで冷静に今の騒ぎを感じている作者を思う。問題句「コロナ禍いはんや悪人花見かな」の「いはんや悪人」の使い方は、中途半端。花見をした位で悪人よばわりは片腹痛い。親鸞の言葉を使うのなら、その元の意味をきちんととらえていなければ全く意味をなさなくなる。

亀山祐美子

特選句「連翹の花にはじかれさうな昼」連翹の花をコロナに見立てたとすれば(コロナとは限らない何かに)『昼=日常』が脅かされる不安感恐怖感を煽ることに成功している。コロナ禍の入口時の「はじかれさうな」思いを日々深刻化する今ならどう吟むのか興味深い一句だ。今回は時節柄武漢肺炎、コロナ禍の句が暗喩を含め三十句近くある。それぞれに工夫を凝らしてはいたが報告・感想に終わり一読恐怖に打ち震えたり、膝を叩く処までにはいかない。一週前の締切なので緊迫感の欠如はいかんともし難い。時事俳句の難しい所以であろう、だから私は滅多に手を出さない。支離滅裂な駄文お許し下さい。一日も早い終息を祈るばかりです。皆様ご慈愛くださいませ。

男波 弘志

「悪いけど犬を頼むよ春の雪」肉声、日常、犬が座っている。これだけで詩になっている。「男が生まれ女が産まれて春が来る」人は夜寝るとき死に、朝起きるとき生まれる。「心配になったり陽炎になったり(月野ぽぽな)」現代詩の方向性が観える。昨日の我に飽きる。そこに今が在る。

藤田 乙女

特選句「振り返る歳月溢れ雪柳」自分の来し方への様々な思い出と溢れる想い、そして溢れるように咲き乱れる雪柳の姿とがあいまって哀感を伴いながらしみじみとした想いを感じさせられる句です。特選句「地球さわがし牛蛙がおんがおん」人間の脆弱さや愚かさ、利己主義などコロナによってあらわにされてきたものを牛蛙の視点で見ている発想と「 牛蛙がおんがおん」がコロナ拡大の大変不安な状況下で一息つかせてくれるようなユーモアも感じさせ、とても惹かれました。

漆原 義典

特選句「悪いけど犬を頼むよ春の雪」を特選とします。コロナで亡くなった志村けんの心を、下五の春の雪が物語っています。新型コロナの早期の収束を願っています。よろしくお願いします!

高橋美弥子

特選句「春の夢とろりと明日へ明け渡す(谷 孝江)」:「あ」の韻が、春の明るさを押し出す。 コロナコロナで鬱屈した心と身体に、ほんわかした風が吹きました。全体を通して、明るい句に惹かれました。問題句「無理解の刃が開く白いシャツ」:「無理解の刃」は比喩なのだと思うのですが、白いシャツとの関係性がいまひとつわかりませんでした。 

重松 敬子

特選句「春愁というももいろのネックレス」春愁のもつ艶やかさを、ずばり表現した秀句。女性の憂い顔が浮かびます。ももいろのネックレスがいい感じです。

荒井まり子

特選句『桜見ず籠りて「花は咲く」歌う』日本中が外出自粛、戦後の世代は初めての経験。東日本大震災と今回のコロナ、人の世は儚い。素直に共感。問題句「春愁というももいろのネックレス」優しい、綺麗と思ったが、意外と作者の意図は怖いかも。「地球さわがし牛蛙がおんがおん」籠りの毎日、つけっぱなしのテレビ 実感。「パーカーのフードを充つる春思かな」日常の暮しの中にふと過る思い。「パンデミックおろおろおろか戒厳令」日本中の緊急事態宣言いつまで。「山桜に頬骨がある囀りがある」頬骨を感じた事はなかった。面白い。「霾るや元寇の世に徳政令」徳政令は給付金?武漢発だものね。「春満月牛を磨いて父が笑む」日本中が浮足立っている今、ホッとする。

銀   次

今月の誤読●「亡父の歩きしている春雨サイレント」。夢の話である。わたしは映画館にいる。わたし以外は誰も居ない。それを不思議だとは思わないのはやっぱり夢だからだ。上映されている映画はずいぶん古いもので、フィルムも傷だらけだ。むかしはその傷を「銀幕の雨」だなんて呼んで、それも風情のうちに数えたものだ。観てると画面の右手から羽織袴にステッキをついた男が歩いて登場した。「あっ」と思った。それはわたしの父さんだったからだ。父さんは悠々と歩いている。カメラがそれを追いかける。父さんが中央に達したとき、やおらわたしを指さして、クイックイッと手招きした。わたしは吸い込まれるように画面のなかにいた。父さんはわたしをじっと見て、うんうんとうなずいた。わたしには話したいことがいっぱいあって、あれこれ話そうとするのだが、声が届かない。「あっ、そうか」と思った、これはサイレント映画なのだ。だがそれゆえにこそ、父さんと歩いている実感と親しみが湧くのだ。こうしてわたしは父さんと歩くことになった。するとだんだん父さんが大きくなっていくのだ。いや待てよ。これは父さんが大きくなっているのではなく、わたしが小さくなっているのだ。服装も背広からセーター、シャツに変わってる。そして最後には半ズボンのライドセルを背負った小学生のわたしになった。父さんはかがんで、わたしに一言話しかけた。父さん、なにいってるのかわからないよ! 父さんはわたしを立たせて、トンと背中をおした。わたしはスクリーンの左手にたたらを踏んで画面から消えた。……わたしは映画館にいる。……だがそれは夢だ。……もう少しその夢のなかをたゆたっていよう。銀幕の雨を見つめて。  

稲   暁

特選句「朧夜の言葉ひとつづつください」心静かに、豊かにあるべじ朧月夜。会話も一語一語しっかりと交したいという思いに共感する。問題句「人を避けウィルスを避け灌仏会(松本勇二)」人と人を遠ざけてしまう新型ウィルス。厳しい時が続いている。

野﨑 憲子

野﨑 憲子◆特選句「近づく日フォルモ蝶と渡りたし」モルフォ蝶と同種の大きな青い羽根を持つ美しい蝶とおもう。ふっと折笠美秋の「ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう」が浮かんだ。きっとフォルモ蝶が迎えに来ると感じてしまう一句である。特選句「ウイルスも人間も只生きて春宵」命を落とすかも知れない新型コロナウイルスは危険な存在であるが、細菌も、人も、大いなるいのちの中に生かされているものであることには変わりないのだ。新型ウイルスの出現は、争いの絶えない人間社会への「人類よ目覚めよ!」という、大宇宙からの警鐘のように思えてならない。問題句「男が産まれ女も産まれて春が来る」輪廻転生を想起させる作品である。現世では、どんな物語になるか、新しいドラマに「春が来る」。「男が産まれ女も産まれて」の表記が強烈で、限りなく特選に近い問題句としていただいた。今回も佳句満載でした。皆様、大きな刺激を感謝です!

(一部省略、原文通り)

【通信欄】

『沢木耕太郎セッションズ<訊いて聞く>Ⅱ  青春の言葉たち』3月10日発売。岩波書店刊 に、本句会の仲間である銀次さんこと上村良介さんと、沢木耕太郎さんの対談が収録されています。ミュージカル劇団『銀河鉄道』の主宰として四十年の長きにわたり劇団を牽引してきた銀次さんの青春を垣間見られる魅力あふれる一冊です。他に、武田鉄矢さん、立松和平さん、吉永小百合さん、尾崎豊さん。周防正行さん、大沢たかおさん等との対談も同時掲載されています。皆様も是非ご覧下さい。

「句会の窓」で紹介された滝澤泰斗さんのブログにメリケル独首相のメッセージの抜粋があり興味深いので以下に引用させていただきます。 ・・・何百万人という方々が出勤できず、子供たちは学校あるいはまた保育所に行けず、劇場や映画館やお店は閉まっています。そして、何よりも困難なことはおそらく、いつもなら当たり前の触れ合いがなくなっているということでしょう・・・・中略・・・  私たちは皆、好意と友情を示す別の方法を見つけなければなりません。スカイプや電話、Eメール、あるいはまた手紙を書くなど。郵便は配達されるのですから。自分で買い物に行けないお年寄りのための近所の助け合いの素晴らしいれ例も今話題になっています。まだまだ多くの可能性があると私は確信しています。私たちがお互いに一人にさせないことを社会として示すことになるでしょう。

非常事態宣言が全国的に発令され、今回のサンポートホール高松での句会も、やむなくお休みさせていただきました。残念です。今後、新型コロナウイルスの感染者がどのくらいになるか予測が付きませんが、終息は必ずまいります。それまで、皆様、くれぐれもお気を付けてお凌ぎください。お元気を!!

そして、こういう時だからこそ詠まずにはいられない作品が必ずあると強く感じます。次回のご参加を楽しみにいたしております。

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