第117回「海程香川」句会(2021.05.15)
事前投句参加者の一句
鳥雲に身の透けるまで大樹抱く | 増田 天志 |
句読点どこに打とうか昭和の日 | 谷 孝江 |
瞬けば星になりますきんぽうげ | 吉田 和恵 |
母の日や生き延びてきて水晶体 | 若森 京子 |
アマリリスわたし夕陽を飲みました | 三好三香穂 |
まくなぎやtattooの腕が抱く赤子 | 高橋美弥子 |
野にあそぶ蝶に影あり夜があり | 飯土井志乃 |
終わるとき音はいらないチューリップ | 河野 志保 |
第七ヘアピン抜けるヒュッテの風青し | 河田 清峰 |
もしツバメ翔ぶことを愛とするならば | 竹本 仰 |
マスクの人見下ろすマスクの街立夏 | 野田 信章 |
卯波かな南洋航路墓碑の島 | 田中 怜子 |
狂おしく揺れる森なり桜桃忌 | 石井 はな |
おもいきり泣いてしまえたら山東菜 | 久保 智恵 |
大口の煮付けの魚おぼろ月 | 亀山祐美子 |
スナフキンの影に名もなき若葉かな | 高木 水志 |
一つある鱗にさわるときさくら | 男波 弘志 |
立哨の十字路十字に朝燕 | 松本美智子 |
どこまで歩けば陽炎になれるだろう | 月野ぽぽな |
春夕焼鬼籍の友の点呼取る | 山本 弥生 |
前衛書飛び散る墨精卯浪かな | 漆原 義典 |
紫木蓮 女の恋の色をして | 小宮 豊和 |
やわらかきふる里訛り風薫る | 寺町志津子 |
うっせぇわ いなおっている冷奴 | 島田 章平 |
暮れ残る屋島たね爺夏ですよ | 松本 勇二 |
通うたび薔薇の香となる珈琲館 | 中野 佑海 |
妖女棲む茶碗の色のほろり割れ | 中村 セミ |
金魚の屍あがりがまちの薄埃 | 小西 瞬夏 |
春めくや雨滴のリングと鯉の口 | 佐藤 稚鬼 |
疲労ってこんなに黒い上り梁 | 豊原 清明 |
人は陽炎あめいろの石抱きしめて | 桂 凜火 |
どこまでが海市だったか海馬だったか | 伏 兎 |
春昼の法務局にて印紙買ふ | 野澤 隆夫 |
走り根脈脈北斎の大蛸 | 川崎千鶴子 |
軟弱なワルツが好きだ憲法記念日 | 滝澤 泰斗 |
短調で啼く鳥のあり夏霞 | 森本由美子 |
卯の花腐しあいつのロックは最高だった | 伊藤 幸 |
握る手を開いてみせて舞う桜 | 田中アパート |
トリケラトプスまだかまだかと子供の日 | 佐藤 仁美 |
蛇穴を出でて私は風呂を炊く | 小山やす子 |
蟻の足凄い速さで乱れるよ | 葛城 広光 |
夏空や思いどおりにならない死 | 田口 浩 |
春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌 | 増田 暁子 |
夕焼け電車ときどきバッタになる人と | 重松 敬子 |
スキャンダル女優の食むや夏みかん | 銀 次 |
青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ | 植松 まめ |
春寒し靴が合わないような日々 | 夏谷 胡桃 |
緊急事態選りに選り聖五月 | 野口思づゑ |
伯母たちに囲まれて母藤の花 | 山下 一夫 |
口鼻をおおひたれども目や立夏 | 福井 明子 |
右眼から壊れていくよ花水木 | 榎本 祐子 |
花散るやサンチョ・パンサの肩に背に | 稲 暁 |
夏シャツの鉤裂き自由からの逃走 | 新野 祐子 |
象が来てキリンがピアノ弾く朱夏 | 柴田 清子 |
黄砂降る洗面台に父の輪郭 | 佐孝 石画 |
くちなはの這ふごと包丁研いでをり | 三枝みずほ |
西陣の機屋竹の皮を脱ぐ | 荒井まり子 |
藤咲いて念写空海の眼が光る | 高橋 晴子 |
言の葉の溢れる予感柿若葉 | 藤田 乙女 |
躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫 | 藤川 宏樹 |
三本指立てて五月のミャンマーよ | 稲葉 千尋 |
いかなご干す老婆問われただけ応え | 津田 将也 |
佐保姫の音叉で合わすギターかな | 十河 宣洋 |
ラフマニノフに逃れ緑蔭に溺れ | すずき穂波 |
散骨は太平洋へ春の虹 | 菅原 春み |
チューリップ昔「斬首」のあった村 | 吉田亜紀子 |
鶏抱いて五月の少女眉あげぬ | 大西 健司 |
早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか | 鈴木 幸江 |
手鏡に水の匂ひの緑夜かな | 松岡 早苗 |
喜べることいっぱいあるよ黄金虫 | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 若森 京子
特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」この句を見てすぐにたねを氏の‶牛の舌生(なま)の観念巻き込んだ‶を思い出した。巻き込んだものが「春の鬱」と「生(なま)の観念」の違いであるが‶牛の舌〟で始まる前者の迫力の方に臨場感がある。懐かしい気持ちで頂いた。特選句「口鼻をおおひたれども目や立夏」現在は口と鼻をマスクで覆われ目だけで景色、季節の移ろいを感じている。それをストレートに気持よく書き切っている。
- 十河 宣洋
特選句「どこまでが海市だったか海馬だったか」脳の海馬の調子がおかしいのか、蜃気楼なのかという言葉遊びの様子が面白い。その境界がはっきりしないのが人生である。特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」しかけが見えていてどうしようかと思ったが、現代の風景のひとつかと思いながら取った。上司に米つきバッタの様にお辞儀をしている人を見かけるが私はあまり好きでない。問題句「夏みかん酸っぱし いまさらしづ子など(島田章平)」作者の意図するところは分かるが、いまさらがしづ子を蔑視しているようで気になります。
- 大西 健司
特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」 夏ですよ この下五の呼びかけに敬愛の情が溢れている。問題句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」おもしろいと思いつつ あえて問題句に。
- 小西 瞬夏
特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」樹と一体となり、空を飛ぶ鳥ともつながってゆくようなアニミズムの世界。
- 桂 凜火
特選句「苔の花森がまるごと発酵する(夏谷胡桃)」苔の花のみっしりした感じがよく表現されていると思いました 八ヶ岳の唐沢鉱泉のあたりをおもいだしました。特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」こんな変な人とゆくのは面白いかと思いました 夕焼け電車の設定がいいですね。
- 豊原 清明
特選句「まくなぎやtattooの腕が抱く赤子」街で、バスで、電車で、よく見かけるタトウーの若者たち。タトウーをローマ字で書くのが今風か。刺青では、合わないのか。実は僕も時たま、掌にボールペンタトウーする。消したが、皺になってしまった。問題句「ブラックに黄金週コロナ禍人災(野口思づゑ)」今はよくわからない時代なので、今を詠む時、この句のように「ブラックに」で通用する。正しく面白そうな。
- 中野 佑海
特選句「三密の表面張力花は葉に(伊藤 幸)」楽しい人達と一緒にいるだけで、お互い作用しあって、素敵な時と場を作っていけるのに。三密を回避してから、だんだん時間が色褪せていく気がする。知らない内に、花は葉になってしまった。特選句「人は陽炎あめいろの石抱きしめて」コロナ禍で、人は陽炎の様にこの世で出来ることが少なくなり、思いがあめ色の石となる。出来ない思いだけがフラフラと歩きだす。並選句「瞬けば星になりますきんぽうげ」ウインクをしたらサマンサタバサのごとく星になれたら良いよね。「母の日や生き延びてきて水晶体」母は親、夫、子そして、その時々の相手にまるで目の中の水晶体の様に合わせて、七変化。「大口の煮付けの魚おぼろ月」大口を開けているのは私です。魚の煮付け最高。春は鰆最高。「疲労ってこんなに黒い上り梁」本当パソコン肩凝るわ。肩が太い梁の様に凝って、ごりごり。「どなたかな屈託なき顔爺の春」良いよね。家の近所の爺はゆらゆら畑仕事して、いつもニコニコ。気軽に話しかけてきます。「西陣の機屋竹の皮を脱ぐ」そうなんです。実は機を操っているのは鶴ではありません。竹の中の女の子だったんです。「躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫」定年を迎えたのに、まだ、在職中の名刺持っているのはだあれ。頭の蠅と足元の生け垣にご注意あれ。「いかなご干す老婆問われただけ応え」さっきの爺の奥さんは無口です。必要最小限しか喋りません。以上。宜しくお願いします。
- 佐孝 石画
「どこまで歩けば陽炎になれるだろう」好きな幻想だが「なれるだろう」でよかったのか。「なるのだろう」の世界もあるのではなかろうか。陽炎になる希望をもって「どこまで」も歩むより、途方にくれながら、あきらめながら、とぼとぼと行くあてもなく歩くうちに、いつしか陽炎に「なる」幻想の方がグッとくるかもしれない。「人は陽炎あめいろの石抱いて」こちらも陽炎の句。出だしの「人は」という限定・断定は読み手を身構えさせてしまう危険があるかもしれない。「陽炎に人」くらいのソフトランディングにするか、いっそのこと「人」を外しても成り立つ世界かもしれない。もしそのままにするなら下五をあえて「石を抱いて」と字余りにすることで、上句の強い「は」と下の「を」相殺させる形にするとバランスが取れるかもしれない。音感も案外、字余りにした方が良い
- 小山やす子
特選句「三密の表面張力 花は葉に」季語が凄く効いていると思います。
- 伊藤 幸
特選句「まくなぎやtattooの腕が抱く赤子」先月「うつ病の少女の腕に薔薇の刺青(タトゥー)」と「海原」に拙句を投句しましたが、数段ポジティブなこの掲句を病と闘う少女に読ませたいと思います。アルファベットの文字も効いています。特選句「夫の寝息余生至福の新茶飲む(山本弥生)」年輪を重ねた穏やかな夫婦のワンシーンが昭和の映画を観ているようでコロナウイルス等別世界の出来事のようです。
- 伏 兎
特選句「蟻の足凄い速さで乱れるよ」 ふだん、せっせと餌を探し、巣に運んでいる蟻だが、異変が起きたときの慌てふためく様子は凄まじい。まるで、変異ウイルスにおののく私たちを見るようで、共鳴。特選句「さぬき野や雷の眼の赤ん坊(野﨑憲子)」一読して讃岐で生まれた空海、あるいは平賀源内のことを詠んでいるのでは、と思った。世の中を変える人物の誕生ってこんな感じなのかも知れない。入選句「一つある鱗にさわるときさくら」優しい心を持ちながら、それを決して表に出さない人のことだろうか。今回もっとも惹かれた心象句。入選句「右目から壊れていくよ花水木」頼りにしてた体のパーツが知らず知らずのうちに錆びていく淋しさが、しみじみ伝わってくる。
- 田中 怜子
特選句「暮れ残る屋島たねを爺夏ですよ」たねおさんですね。 夕方の影となった屋島を見ながら夏ですよ と語りかけるその優しさと慕情ですかね。彼も幸せですね。このように慕われて。特選句「三本指立てて五月のミャンマーよ」さらりとミャンマーの状況を描いていますが、忘れてはいけないですね。今、世界は恐ろしいです。
- 野田 信章
特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」の「春の鬱」には人間さまの「むすぼれる」「気がふさぐ」などの気分と同時に、いやそれ以上に反芻動物の牛の舌の活写を通して草木の青々と茂るさまや、そこにこもる熱気や雲気をも伝える語気がある。そこに「春愁」「春思」などの句の情趣の域を抜けた春の爽快さがある。特選句「黄砂降る洗面台に父の輪郭」は「黄砂降る」という大景の中で、彼方の山容を見定めるように映像として、洗面台に向かう父の輪郭―そのうしろ姿を捉えたところが印象的な追慕の句として読めた。
- 榎本 祐子
特選句「鶏抱いて五月の少女眉あげぬ」。「鶏を抱いて」に野趣を感じる。少女の姿が5月の風景の中で鮮明。
- 滝澤 泰斗
特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」今から50年前、ゼミの演習課題で指定された一冊がエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」。要は、ナチズムに当時の中流以下のドイツ人が従属していった現象からの考察だったが、二十歳の自分にはかなり難解だった記憶がある。そして、この一句。その書の名まえが織り込まれた一句に驚きながら、上の句の夏シャツの鉤裂きにフィットしているところに共鳴した。特選句「ラフマニノフに逃れ緑蔭に溺れ」ラフマニノフと言えば、ピアノコンチェルト2番を思い出しながら・・・日常の憂さから逃れでもするように聞き入る作者・・・そして、外に目をやれば、美しい新緑が深い陰を作る。激しいピアノの旋律にこころは現実からどんどん乖離してゆきいつしか心は緑陰に沈んでいる・・・破調ながら気分のいい景色に誘われた。「卯波かな南洋航路墓碑の島」「前衛書飛び散る墨精卯浪かな」「黒蝶の羽重き午後 卯月波(飯土井志乃)」卯波の句が三句揃った。いずれも、卯波が俳句を引き締めた。「夏怒涛折れた大樹に届きけり(石井はな)」屋久島のような海から急激にせりあがった島の大木と怒涛の波に思いが及んで共感。「象が来てキリンがピアノ弾く朱夏」朱夏の季語と動物たちの競演がうまく響き合っている前衛性に感心。「メーデーも古語か憲法記念の日(野澤隆夫)」欧米の労働組合は自分たちの権利意識が強いが故にしっかりした運動としての組合活動が活きているように見える。その意味で「連合」会長の保守に寄り添う姿勢のせいなのか、年々、メーデーに象徴される労働組合の動きの鈍さが気になるとことは作者と一致している。そして、5月3日の憲法の危うさにも言及している点に共鳴した。
- すずき穂波
特選句「蛇穴を出でて私は風呂を炊く」この風呂は外に焚き口のある、火吹き竹など使った、いにしえの風呂であって欲しいです。意志の < 自律 > としての自由の成立を詠んでおられ哲学的な句と思う。特選「春寒し靴が合わないような日々」コロナ禍の自由のきかない、心身の痛み、ヒリヒリした傷みに共感しました。
- 河野 志保
特選句「狂おしく揺れる森なり桜桃忌」六月の森はこんなふうに揺れるのだろうと思う。雨を含んだ緑が黒いほどに濃くて。太宰の生涯とも呼応して作者を捉えているようだ。
- 稲葉 千尋
特選句「卯の花腐しあいつのロックは最高だった」雨の中で聞いても、あのロックは最高だったと、惚れこんだロックはいつ聞いてもグッド!
- 夏谷 胡桃
特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」兜太先生を思い出します。だんだん点呼する名前が増えていきます。問題句「みつからぬ眼鏡ケイタイ鍵ラムネ」なぜラムネ。季語のためにつけたしたような感じもするけど面白いかも。
- 菅原 春み
特選句「鶏抱いて五月の少女眉あげぬ」ありありとした景が見え、とくに少女の眉まで描いたところが完成度が高くすばらしい。特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」緑夜のみずみずしさが匂いにまでひろがる詩的な映像です。
- 藤川 宏樹
特選句「うっせぇわ いなおっている冷奴」。「冷奴、あんたはなんで奴なん?」との問い掛けに冷奴の返事ですね。「ひやっこい」が変じたとか「奴」が四角を意味しているとか諸説色々あるようですが・・・。「あー、いちいち返事がめんどくせー!」と開き直する感じがうまく描けています。
- 野口思づゑ
特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」。「手鏡に水の匂い」からしっとりとした初夏の夜の潤いを感じました。「躑躅に蹴躓く栄達せし凡夫」「花散るやサンチョ・パンサの肩に背に」、両句の凡夫とサンチョ、モデルを同一人物と解釈することも可能で、となると、そのメッセージ性に感心しました。「いかなご干す老婆問われただけ応え」そういうそっけない態度でも、心を開けばとても暖かい老女の姿が目に浮かぶよう。「あの夏の見えざるものにまた殺られ」。「亀鳴くや茶色い時代また来るか」の句と共に、今の日本の時世に対する危機感を共有いたします。
- 福井 明子
特選句「もしツバメ翔ぶことを愛とするならば」ツバメがすーいと土の匂いを嗅ぐように幾度も低空を翔び交う季節になると、ああ、愛だなぁー、と理屈抜きに思う。営むことの基本に立ち返るような、こころに衝動をもたらす一句です。特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」いかなごを干すことを長年の業として年を重ねた老婆。それ以上、語る必要などない。寡黙な一途さを、そのたたずまいに重ねています。含蓄のある世界が広がっていると思いました。
- 増田 天志
特選句「手鏡に水の匂ひの緑野かな」この感性の世界に、浸っていたい。手鏡に、透ける貴方が、映っている。
- 山本 弥生
特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」海辺の町の生活感が良く出ていて生涯を地道な家業に徹し黙々と作業をしている老婆は問に応えている間も手は休めない。昭和の名残りを感じます。
- 新野 祐子
特選句「一つある鱗にさわるときさくら」はじめから「ひとつある鱗」がわからない。それが自分のものなのか他者のものなのか、これも不明。しかしひどく官能的だ。そこになぜ「さくら」をもってきたのか作者に聞いてみたくてしかたがない。入選句「どこまで歩けば陽炎になれるだろう」いま久々に体調がよくて、どこまでも歩きたい気分だ。なのでこの句と一心同体になっている。(体調次第で好みの句が変わるということか)。「マスクの人見下ろすマスクの街立夏」疫病が流行しマスクが季語でなくなって二年目。歴史の激動の中で私たちは絶えず句を作る。「春寒し靴が合わないような日々」靴だけはいつも快適なものでなければならないと思っているので、こんな日常があっては苦痛。「早苗田にぽちゃんと朝日遊ばんか」瑞穂の国の平和な風景、永久にと願う。
今日は葉山に登ってきました。橅の新緑の中、朴、青だも、がまずみの花などがきれい。どれも白い花です。オオルリ、キビタキ、ヒガラの声が響きわたり至福の時間でした。岩清水をおみやげにして下山しました。
- 葛城 広光
特選句「アマリリスわたし夕日を飲みました」夕日を飲むという巨大虚構かとおもいや大きな実感である。現世に肥大化したわたしがある。ただし「呑む」の方が文法的に合っているかも。特選句「苔の花森が丸ごと発酵する」苔をじっと見つめる。それがきっと丸ごと森なのだろう。森がビールになるのを待つのである。発酵という動詞が効果的である。
- 松岡 早苗
特選句「大口の煮付けの魚おぼろ月」カサゴか何かでしょうか。白身魚の甘辛い煮付けが急に食べたく なりました。少しデフォルメされたインパクトのある「大口」と「おぼろ月」の取り合わせに軽妙なリアリティが感じられ、楽しく鑑賞させていただきました。特選句「立哨の十字路十字に朝燕」。「十字路十字に」という作者の発見と、反復によるリズムの楽しさに惹かれました。元気のいい登校の挨拶も聞こえてくるようです。
- 松本 勇二
特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」鬼籍に入った方々の名を呼んでいるのであろうが、点呼を取る、と書くことでこちら側とあの世側の意志が行き交っているように思えてくる。さらっと書きながら思いは深い。
- 川崎千鶴子
特選句「トリケラトプスまだかまだかと子供の日」恐竜のトリケラトプスを配して子供の日を配合するとは見事です。「夏の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」鬱を牛の舌が巻き込むとは見事です。牛タンが食べたくなりました。「ラフマニノフに逃れ緑陰に溺れ」ラフマニノフの二番を聞いて悩みが消え、「緑陰に溺れ」が解るようで説明できませんが素晴らしいと思います。
- 田口 浩
特選句「どこまでが海市だったか海馬だったか」。「海市」とは蜃気楼のこと。唇は大蛤の意もあり、古くは大蛤が吐く気によって空中に、楼台などが現れると考えられていた。で、「海馬」とは、トド、ジュゴン、セイウチ、等いろいろ言われるが、普通は大脳にある古皮質の部分で、その形が、ギリシヤ神話のポセイドンが乗る海の怪獣(ピポカンポス)の下半身に似ているところから来ているらしい。―さて、こうなると、「どこまでが海市だったか海馬だったか」が随分ややこしくなるが、句としてはおもしろい。「右眼から壊れていくよ花水木」左眼からでなく、右眼がいい。そして「花水木」いい俳句だと思う。「壊れていくよ」が、なんとも懐かしい。「黄砂降る洗面台に父の輪郭」。「黄砂降る」から「洗面台に父の輪郭」この離れぐあいが、なんとも妙、いい感性です。「清明や井戸に放りし我が体」清明とは気が満ちる意で、二十四節気の一つ、太陽暦なら四月四日ごろに当る。「井戸に放りし我が体」香川にあるようなちまちました井戸ではなく、水の国の大きな湧き水を想像すれば、自ずからなるものが現れてこよう。「ラフマニノフに逃れ緑陰に溺れ」ラフマニノフ、ロシアの作曲家。革命後渡米、ピアノ奏者でもあるこの人の音楽に身を委ねて、「緑陰に溺れ」る、いいじゃありませんか。
- 吉田 和恵
特選句「さぬき野や雷の眼の赤ん坊」赤ん坊に見つめられたら逃げ出すしかありませんが。ところで穏やかなさぬき野にも雷は落ちるんですね。
- 高橋美弥子
特選句「アマリリスわたし夕陽を飲みました」脳内に真っ赤なアマリリスが浮かびました。アマリリスは赤だけではありませんが、夕陽とあるので少し近いかなとも思いましたが「夕陽を飲みました」という思い切った擬人化が良かったと思います。問題句「金魚の屍あがりかまちの薄埃」一読しただけではなんとなく怖いのだが、実景なのかそうではないのかまでは読みきれなかったが、何故か幼い頃の実家を思い出しました。
- 月野ぽぽな
特選句「春寒し靴が合わないような日々」日常生活の違和感を、「靴が合わない」ようなと具象化したのが手柄。春であるのに、という憂いが見えるとともに春であるという救いもある。
- 津田 将也
特選句「切なさのかたまり芍薬の蕾(佐藤仁美)」。美しい女性の立ち振る舞いや容姿を花にたとえる言葉に、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」がある。また、「美人薄命」もあり、美しい人はとかく病弱であったり、数奇な運命にもてあそばれたりで、短命な人が多いとも云う。してみると、「芍薬の蕾は切なさのかたまり」なのであると云う作者のお説、まことに納得できるのである。特選句「眠らない街を眼下に春の雷(小山やす子)」。「眠らない街を眼下に」するのは作者であるのか、はたまた春雷であるのか。私は後者がよいと考え、特選句に頂いた。立春のころの雷は、この「眠らない街」に春の到来を分け隔てなく伝えてくれるのだ。
- 増田 暁子
特選句「アマリリスわたし夕陽を飲みました」花のいろや形から夕陽を飲んでいることが分かります。とても楽しい発想で大好きです。特選句「早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか」こ の風景が目に浮かびます。「朝日遊ばんか」が素晴らしい。「山盛りのたんぽぽサラダ長生きす」 下5の「長生きす」がなぜか納得です。「卯波かな南陽航路墓碑の島」墓碑の島で兜太師の句が思い浮かび、先生の無念さが浮かびます。「金魚の屍あがりかまちの薄埃」誰も世話をしない様子が見えますね。「軟弱なワルツが好きだ憲法記念日」憲法とワルツの組み合わせが面白い。組み合わせの解釈は?「花散るやサンチョ・パンサの肩に背に」楽しい句です。サンチョ・パンサーが良いなー「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁を研ぐのは好きです。砥石を使うとき私も同じ形ですね。「リラの花永遠の他者という鍵括弧」自分以外は永遠の他者ですが、鉤括弧は特別とか会話の意味でしょうか?「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」手鏡に写るものは何か、緑夜には色とか形以外にも。
- 河田 清峰
特選句「血のうとうとして蟻がわたしを運ぶ」血のうとうとが夢見心地のわたしを運ぶに掛かってきて気持ちいい一句となっている。
- 佐藤 仁美
特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」きれいな夕焼けを見て、逝ってしまった友達の事をつい、思い出してしまうのでしょう。「点呼」で、逝った友達が一人ではないことがわかり、尚、寂しさが深まります。
- 竹本 仰
特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」鳥が生の一つの季節を終え帰ってゆく。それを支える大きな大きなめぐりに気づいた時、そんなめぐりを持たない人間の淋しさを直視し、何かを教えてほしい気持ちで大樹を抱きしめているのだろうと思いました。日常に埋没せねば生きていけない訳ですが、それでもそのような何ものにも動かされないもの、そこに向かっているのだと思いました。特選句「一つある鱗にさわるときさくら」一つある鱗は誰の鱗か?傷付きやすいおのが身を常に守ろうと身構える、そんな人間の心の動きかと思われます。そしてどうしようもなく近づかねばならないとき、心に触れえたその証しがさくらとしか言いようのない何かだった。それは本性というべきものか、そういう生命体の根っこにふれたのか、さくらという平仮名表記がその余韻をうまく表しているんではないかと味わいました。そういえば、梶井基次郎『櫻の樹の下には』の終わりは、やっと村人と桜の下で酒が飲めそうな気がした、という結びだったかと記憶しています。そんな親和力を感じさせる展開でしょうね。特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」自由からの逃走…エーリッヒ・フロムの著作の名と重なりますが、あれは自由というものの重さに耐えられず意思決定をナチスの手にゆだねたドイツ国民の在り方を例に、近代ヨーロッパ人の深い病理を指摘し現代人の生き方を追求したものであったように思い出します。与えられた自由ではなく創造的自由、この句の目指している所に遠景としてその問いかけが感じられます。束縛に抵抗しながらボロボロになっても生き方を率直に問い続けたい。そういう意気込みを思いました。兜太師の〈果樹園がシャツ一枚の俺の孤島〉を思い出させます。
- 鈴木 幸江
特選句評「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁を研ぐ仕草に蛇の動きを発見したことに感心した。次に人の日常の仕草に他の動物の動きが含まれているのだと思え、人智を超えた深い世界を感じた。
- 中村 セミ
特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」何とも云えぬ自然のままというか仕方のないものを感じる。達観者が作るとこういうことを詠むのだと思った。まるでケイトウの子規を思えた。
- 藤田 乙女
特選句「句読点どこに打とうか昭和の日」私の生まれるずっと前から始まっていた昭和、様々なことがありました。歴史を深く考えさせられる句でした。特選句「喜べることいっぱいあるよ黄金虫」。「喜べることいっぱいあるよ」はありふれた言葉だけれど「黄金虫」と取り合わせるととても生き生きした魂をうつような心を動かす句になっています。励まされ癒される句です。季語と結びついた俳句の言葉の凄さを実感します。
- 重松 敬子
特選句「散骨は太平洋へ春の虹」もし、かなうなら、すばらしいと思います。あの狭い中に入るより、広い海原を漂いたい。選択肢が増えて、これからは自分で決めてから旅立たねばなりませんね。春の虹が良い。
- 佐藤 稚鬼
特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼とる」異界との距離もなく交流。親しかった友へのザックバランの呼掛、然も点呼とは。春夕焼との取り合せの暖かさと切なさの感あり。
- 谷 孝江
特選句「金縷梅やくの字に曲がる路地が好き(重松敬子)」たのしさがあって良いのです。私たちの幼い頃はどこにでもくの字に曲る路地がありました。車の心配もなく、思いっきり遊び回ったものです。遊び馴れた路地であっても曲った先に何があるのか、ミステリアスなところがたまらなくたのしみでもありました。
- 男波 弘志
「潮まねき砂に戻そか火に落とす」大きい鋏が絶叫して、小さい鋏が諦めている。「血のうとうととして蟻がわたしを運ぶ」死を選ぶとすれば自然死しかない、医学に頼れば苦しみのまま生かされてしまう。だから身を委ねる場所を蟻、造化に任せたのだ。どちらも秀作です。
- 柴田 清子
特選句「夏空や思いどおりにならない死」夏空が、思いどおりにならない死と言う作者を大きく受け止めて包み込んでくれている。季語の斡旋と置き方がとってもいい。特選句「手鏡に水の匂ひの緑夜かな」夏の始めの夜の若葉に、静かに包み込まれている作者が魅力的です。
- 飯土井志乃
特選句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」中年男女の少し疲れた恋愛模様が炙り出されたようで思わず苦笑。切なくて楽しい。ときどきバッタになる人とは、言い得て妙!多少のゴタゴタは時が解決し、知らぬ間に元の鞘に納まっているのが常のこと。特選句「くちなはの這ふごと包丁研いでをり」包丁研ぎは台所の仕事の総仕上げ。近頃では包丁研ぎ器なる物も出現して便利に使うことも多いが、手慣れた刃に心を添えて研ぐ行為こそ似つかわしい。砥石と刃のすき間から流れ出す水の描写も美しく昔ながらの厨からなら凄みさえ感じられて秀逸。
- 寺町志津子
特選句「青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ」愛犬を亡くされたのですね。おそらく、家族同然にお飼いになっていらしたことと存じます。私にも同じ経験があり、身につまされ、作者の心情が伝わってきました。その日は青嵐が吹きすさんだ日であった由。事実を淡々と詠まれた揚句に、お哀しみの程が切々と伝わりました。
- 三枝みずほ
特選句「早苗田にぼちゃんと朝日遊ばんか」遊ばんかは朝日であり田であり産土神の声ともとれる。早苗田だからこそ、この声に生命力を感じる。原点回帰。おおらかなものに触れられた。
- 野澤 隆夫
特選句「金縷梅やくの字に曲がる路地が好き」朝夕のトイプードル🐩二匹の散歩コースと重なります。小生はコの字のマンサクコースです。「スキャンダル女優の食むや夏みかん」も特選。スキャンダル女優と夏みかんの意外性が面白い!女優の“酸っぱい!”という声が聞こえてきます。秀句
- 植松 まめ
特選句「夏シャツの鉤裂き自由からの逃走」の句。夏シャツの鉤裂きとは、青春の反抗でしょうか?「卯の花腐しあいつのロックは最高だった」も惹かれました。ロックのミュージシャンとは誰でしょうか?聞いてみたいですね。
- 吉田亜紀子
特選句「青嵐吹き荒ぶ日よ犬逝きぬ」同じような経験をしたことがある。嵐の中、激しく命が尽きていく。飼い主の心も嵐のように動揺し、衝撃を受ける。しかし、逃げることを一切せず、命と向き合う。愛犬の命の尽きていく様、作者の激しい心のうちを垣間見ることができ、愛犬の死を改めて労おうと感じた。特選句「伯母たちに囲まれて母藤の花」藤の花のあたりで、ティータイムをしているのだろうか。とても楽しい時間というのが伝わってくる。その中で、「囲まれて母」の部分で、母に焦点がぴったり合っている。とても綺麗な句だと思いました。
- 久保 智恵
特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」たねをさんと屋島へ行った頃が今でも鮮明に‼特選句「うっせいわ いなおっている冷奴」珍しい句。いなおっている冷奴が素敵な表現‼」
- 山下 一夫
特選句「脚だけの手だけのロボット昭和の日(伏 兎)」小学校低学年のとき自動車組立工場の見学があった。先生から日本の産業ロボットは世界一と事前説明があり、人型ロボットがたくさんいるのを想像して楽しみにしていたところ、「脚だけの手だけのロボット」が正体でがっかりしたことを思い出す。人知を超えんとするAIなどなく、アナログな高度経済成長の空気に満たされていた。取り合わせが巧み。特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」。「問われただけ応え」は慎重かつ賢明な美質を称えているよう。それが伴ってこその日々の営みであろう。あるいは続けざる得ないことにより育まれてきた面もあるのかも知れない。想いは「老婆」の漁村におけるはるかな年月の積み重ねに向かい、イメージ喚起力強し。絶滅しかかっている瀬戸内の風景でもある。問題句「夕焼け電車ときどきバッタになる人と」切れがあるのかないのか、あるとしてそれはどこかが不明。造語的な「夕焼け電車」で切れるとして、赤々とした夕陽が差し込む電車に中七以下の人と乗っていることとする。なぜか隣の男性を見ている女性からの視点なのだが、光線の加減で顔が仮面ライダーのようになる、何かあるとキチキチという音を発しながら逃げ出す、草食系の憎めない奴でもあるなどと連想され、シュールかつ楽しい句のようにも思う。「一つある鱗にさわるときさくら」逆鱗のことであろう。「さくら」とのとぼけ方がいい。「どこまでが海市だったか海馬だったか」海つながり、あいまいつながり。老いの実感。
初めて参加させていただきます。若々しい活気に溢れた座と感じております。当方、山口市在住の六十歳。俳句の世界ではまだ十七歳とこじつけて勇気を奮っての参加です。どうかよろしくお願いいたします。→宜しくお願いします。
- 漆原 義典
特選句「春夕焼鬼籍の友の点呼取る」中七と上五、鬼籍の友と春夕焼がよく合っています。下五の点呼取るは、今は亡き友への惜別の念がよく出ていると思います。素晴らしい句をありがとうございます。
- 松本美智子
特選句「いかなご干す老婆問われただけ応え」いかなごを干している様子を見たことはありませんが,年取ったご婦人が静かな漁村で黙々と作業している様子が目に浮かびます。私の祖母は割と明るくおしゃべりな人でしたが,祖父は笠智衆さんにそっくりでほんとに無口な人でした。しかし、まじめ一筋で農作業に打ち込んでいました。その姿を思い出します。この句を詠んでそんな実直な祖父を思い出しました。
- 高木 水志
特選句「春の鬱かつかつ巻き込む牛の舌」新生活が始まって何となく暗い気持ちになることがある。牛の舌は今まで考えたことがなかったが、のんびりとした牛の舌が気儘に動いている様子がどこか春の鬱に似ていると思った。
- 森本由美子
特選句「鳥雲に身の透けるまで大樹抱く」自然界に存在する万物はそれぞれの気を有し、お互いに支えあっている。わら一本、蟻一匹といえども。樹は人間に対して寛大な気の源のひとつかもしれない。木肌に手を触れるだけでもどれだけの安らぎを感じることができるか、身の透けるまでとは最高の表現、大樹も作者のエネルギーを吸収して新しい気に還元しているに違いない。上五も自然界の現象のひとつとして句に溶け込んでいると思う。
- 石井 はな
特選句「春寒し靴が合わないような日々」コロナ以来靴 の合わないよう な日々と感じて います。春寒し が春なのに肌寒い心許無い気分と響きあっていると思います。
- 高橋 晴子
特選句「暮れ残る屋島たね爺夏ですよ」。「たね爺さ」を高橋たねを氏と読んで「屋島も夏ですよ」の呼びかけも最短定型人に対して胸に秘めた思いを詠み「いのち騒ぐよ」(註:「海程香川」発足十周年記念誌『青むまで』のたねをさんの頁のタイトル)の人にふさわしい言葉とリズムに敬畏を感じます。おめにかかったことはないが「いのち騒ぐよ」の句のリズム感がとても心に響きます。誰の句か楽しみ。
- 三好三香穂
特選句「三密の表面張力 花は葉に」表面張力がよく効いている。コロナ禍のジリジリした緊張感が、今にも弾けそうな様がよく表現できていると思います。花は葉に…は、すこし安易かも知れないが、季節がかわってしまった詠嘆があり、これはこれでいいと思います。特選句「黄砂降る洗面台に父の輪郭」今年の黄砂は、まるで火山灰が降ったかのように濃かったですね。車などは、茶色い斑模様になりました。それを、洗面台の父…と捕らえたところが面白いと思いました。
- 野﨑 憲子
特選句「藤の花揺らして遊ぶあの世かな(河野志保)」一読、中村苑子の「春の日やあの世この世と馬車を駆り」「翁かの桃の遊びをせむと言ふ」の世界が浮かんできた。阿部完市をして「苑子俳句に中ったら、あぶない、大変だと直感した。」と言わしめた作家である。掲句の調べも藤色の幽玄の世界に遊んでいる。問題句「うっせぇわ いなおっている冷奴」<うっせぇわ>は、今、巷に流行している言葉である。こう表現すると、冷奴が腕組みをし鎮座している姿が浮かんでくる。今夜は、木綿豆腐の冷奴が無性に食べたくなった。自由度200%の問題句。
袋回し句会
梅雨
- 梅雨入りや夏井いつきの乱れ髪
- 藤川 宏樹
- 雑草の森化してゆく梅雨空き家
- 中野 佑海
- 始原への水脈のありけり梅雨の月
- 野﨑 憲子
- 梅雨入りのカワズ思わざる旱かな
- 中村 セミ
- 目に見えぬ妖怪潜むついりかな
- 三好三香穂
- 底なしの黒い大きな壷梅入(ついり)
- 柴田 清子
- 少年は獏と対峙する空梅雨
- 三枝みずほ
ドクダミ(十薬)
- 十薬や酸いも甘いもスイッチオン
- 藤川 宏樹
- 十薬の花よ夜更けて雨の音
- 柴田 清子
- ドクダミや腓(こむら)返りし我鳥に
- 中野 佑海
- 十薬やうじ虫のいる耳の底
- 三枝みずほ
- どくだみの十字がにじむ白内障
- 佐藤 稚鬼
- 十薬や風に吹かれば火の声す
- 野﨑 憲子
少年
- 黄金虫少年夕日にとけてゆく
- 野﨑 憲子
- ひとつ置き待つ少年ら床屋夏
- 藤川 宏樹
- 少年のうしろ姿が時雨けり
- 佐藤 稚鬼
黄金虫
- ぶんぶんに寄ってこられただけのこと
- 柴田 清子
- 予報士の残したマスク黄金虫
- 藤川 宏樹
- なんたつて恋はリズムよ黄金虫
- 野﨑 憲子
- 赤ん坊の蹠にとまる黄金虫
- 野﨑 憲子
自由題
- 愛犬の土葬は白き水仙下
- 佐藤 稚鬼
- 補聴器の雑音もなく沈丁花
- 佐藤 稚鬼
- 言葉には言葉を衣更へにけり
- 柴田 清子
【句会メモ】
長引くコロナ禍の中、高松での5月句会は開催されました。<句会の窓>の作品集の一部分は作者の意向によりカットいたしております。今回も、お陰様で様々な魅力あふれる作品に出逢えました。6月の句会も開けたら幸いです。
Posted at 2021年5月30日 午後 02:40 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]
第116回「海程香川」句会(2021.04.17)
事前投句参加者の一句
雨粒のたった五粒山沈む | 葛城 広光 |
春初期化川辺青きを軍人墓 | 藤川 宏樹 |
花に重さ鼻くすぐってゆくうつつ | 中野 佑海 |
翳深き銅鏡春の水揺らぐ | 大西 健司 |
地球の帯ゆるりと回り鳥帰る | 十河 宣洋 |
数千の蚯蚓の怒涛や西大寺 | 佐藤 稚鬼 |
口びるに花咲かすよに紅ひいて | 福井 明子 |
昭和群像喧嘩始まる春の宵 | 田口 浩 |
卒業期ダスティン・ホフマン懐かしむ | 野澤 隆夫 |
拾います桜ちるちる犬の糞 | 鈴木 幸江 |
放哉は酔つて候ふ 朧月 | 島田 章平 |
もうあかん花の沈みし井戸の底 | 田中アパート |
山の名を問へばヤマじゃと春野の爺 | 谷 孝江 |
春の星すくふゼリーのふるふるる | 松岡 早苗 |
吐く息の春の水辺となりにけり | 小西 瞬夏 |
おしゃべりな鏡を閉じる春の宵 | 寺町志津子 |
野焼して芭蕉剣を研ぎにけり | 豊原 清明 |
レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く | 森本由美子 |
旅鞄解けば隣の花吹雪 | 小山やす子 |
黄砂降るオリンピックは見え隠れ | 植松 まめ |
春の月出そう少女は縊りそう | 竹本 仰 |
極上の海苔を着ているにぎり飯 | 桂 凜火 |
山里の麦や菜の花薄霞 | 漆原 義典 |
打倒ウイルス本気で亀鳴けり | 野口思づゑ |
用意した言葉をなくす桜かな | 河野 志保 |
紫木蓮 女の業の色をして | 小宮 豊和 |
ふふふふふわたしのイデアは桜餅 | 夏谷 胡桃 |
みんな来て鞠になろうよ花月夜 | 石井 はな |
春どかと来て去る秩父師の墓前 | 野田 信章 |
臍の緒のゆるり絡まる桜かな | 高木 水志 |
青嵐の真ん中にある私の駅 | 重松 敬子 |
月赤し夜を流れる花筏 | 飯土井志乃 |
白魚の海より出でて虹色に | 三好三香穂 |
都市バスに春風だけが乗っていた | 伊藤 幸 |
夫のみが老いる筈なしシャボン玉 | 川崎千鶴子 |
よなぐもり帰還の父は語らずに | 増田 暁子 |
猫が過ぎ児が過ぎ風の雪柳 | 稲 暁 |
いとけなき子らの黙食松の花 | 高橋美弥子 |
残る歯は二十一本よなぐもり | 亀山祐美子 |
非日常が日常となり桃の花 | 藤田 乙女 |
お水取り川音曲がれば火の匂い | 津田 将也 |
原発は国家の柩鳥帰る | 稲葉 千尋 |
蝌蚪(かと)あかりガラスに映っている半身(からだ) | 久保 智恵 |
電球が切れて桜の刻となり | 銀 次 |
身ごもれぬ春を夫婦で締めくくる | 吉田亜紀子 |
花は葉に犬は犬の顔して歩く | 増田 天志 |
ぼたん桜立ち観の婆と打ち解けて | 山本 弥生 |
ラジオから差し伸べられし乳房雲 | 中村 セミ |
青大将ゆめのど真ん中はとぐろ | すずき穂波 |
花ひとひら風ひらひら未完の書 | 河田 清峰 |
綿々と四十六億年春の俺 | 滝澤 泰斗 |
花冷えやゴリラも寝屋に籠りたし | 田中 怜子 |
国家とはももいろきいろの亀鳴けり | 伏 兎 |
朧夜にカンブリア紀の匂いあり | 月野ぽぽな |
朝のノック山繭の青い個室 | 若森 京子 |
田に水がひろがるように呼ばれをり | 男波 弘志 |
五月雨や追悼の文まだ白紙 | 菅原 春み |
壁一面瓶を並べて花の雨 | 榎本 祐子 |
コロナ禍やもう春愁に浸れない | 新野 祐子 |
友来たる先まで咲いて花杏 | 高橋 晴子 |
まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく | 三枝みずほ |
色違え蒲公英の絮のご満悦 | 荒井まり子 |
ひとつぶずつ京のさくらの金平糖 | 松本美智子 |
寝転んでたんぽぽになってしまう昼 | 柴田 清子 |
もの忘れってこんなに明るかったのか桜 | 佐孝 石画 |
アイヌコタン春落日は沈まない | 野﨑 憲子 |
句会の窓
- 松本 勇二
特選句「ぽっと書架街の重さの寒戻る(十河宣洋)」寒の戻りに「ぽっと」書架が灯るように感じた感覚の冴えに加え、「街の重さ」の喩えも上等。
- 小西 瞬夏
特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」田に水がひろがるときの、じわじわと満ち足りてゆくさま。そんなふうに呼ばれるとき、内面で起こることを想像させられる。いつ、だれに、どんなふうに? 具体的な描写がないにもかかわらず、そのイメージの広がりが一句を成り立たせていて興味深い。
- 島田 章平
特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」そうなんです。頭痛の元は記憶。何でもかんでも覚えて、結局何にも残っていない。全部忘れて赤ちゃんに戻った時に人間に本当の明るさが戻ります。「なあ、桜の花よ」。
- 葛城 広光
特選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」鏡は道具だけではなく自分の声でもある。鏡の向こうがおしゃべりをしたら楽しいけど何か大変な事かも。
- 若森 京子
特選句「花に重さ鼻くすぐってゆくうつつ」花(桜)の句が沢山あったが、この句が一番自分の花の時期の精神状態に近かかった。花には確かに重さがある。特選句「春暑しサロメの首の置きどころ(松岡早苗)」洗礼者ヨハネの首を持って踊るサロメの姿は鬼気迫る迫力があるが作者の春の少し暑い日の瞬間の心理状態としての比喩の面白さに惹かれた。‶置きどころ‶に作者の深淵に触れた様な気がする。
- 月野ぽぽな
特選句「家族という淡い水面に夜の桜(佐孝石画)」。「家族という淡い水面」に喚起力。夜の桜がそこに深みを加えている。淡いけれど言葉を超えたところで密に繋がっている感覚が伝わってくる。
- 十河 宣洋
特選句「ふふふふふわたしのイデアは桜餅」私は桜餅と言いたい。人知れず桜餅を愛するという楽しみを書いている。私も桜餅が好きだ。よろしく。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」。家族という家族の絆が淡くなってきている?。そうではないと思うのだが抒情的に家族を表現してみた。夜の桜は家族はやはりどこかでつながっているという思い。
- 津田 将也
特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」夜桜の中での、ふわりと心体を包む浮遊感・高揚感が巧みに描かれた。「花月夜」は、桜のころの満月。すこし霞かかった空に浮かぶので、この月明かりが桜をいっそう柔らかく魅力的に演出する。特選句「身ごもれぬ春を夫婦で締めくくる」。春におけるご夫婦の妊活の不首尾を認め合いながらも、更には、夏に向けてのお二人の努力する姿勢が、明るい希望をもち、断じて暗くも重くはなく、さらっと詠まれた好句。
- すずき穂波
特選句「二階よりピアノを降らし抱卵期(男波弘志)」抱卵期、それは生きとし生けるものにとって最も優しく、且つまたエネルギッシュな時。ピアノの練習音は恵みの雨、私雨か。季語の取り合わせが絶妙で心地よい句に出逢えました。特選句「まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく」コロナ禍の商店街を思う。「まっすぐ歩いて」に薄ら寒く心許ないさびしさが出ていて今日的な俳句だと思いいただきました。問題句「野焼して芭蕉剣を研ぎにけり」アニメ?『剣が刻』からの発想でしょうか。芭蕉がアニメ化?ゲーム化?私にはわからない世界なのですが、この類いの句、近頃時々目にしますね。影響を受けるのはとてもいいことだと思いますが、そこに「何を視て」そこから先をどう自分の句にしているか?が問われていいかな…と思っています。年のせいでしょうかね?鑑賞が難しかった句です。
- 稲葉 千尋
特選句「不平不満あったとしても葱坊主(柴田清子)」葱坊主の立ち姿を見事に捉えている。人はこうあるべきだという葱坊主。
- 小山やす子
特選句「朝のノック山繭の青い個室」若々しい青春の未来を感じます。
- 増田 天志
特選句「翳深き銅鏡春の水揺らぐ」銅鏡の紋様の凹凸が深いので、その上を流れる水は、揺らぐのであろう。幻想的な詩情豊かな作品。
- 中野 佑海
特選句「極上の海苔を着ている握り飯」もうこれは断然特選でしょう!日本人に生まれて、この上ない幸せ。香しき白飯&海苔。揺らぎ無きトップの座は譲れません。特選句「ふふふふふわたしのイデアは桜餅」そうなんです。私も桜の咲く頃になると、桜餅を食べずにはいられません。あのモチモチで、たまらない桜の香りの餡このお餅。これが食べられるのも日本人に生まれたお蔭です。けれど最近なかなかお望みの桜餅を手に入れるのはふっくらお握り同様至難の業。このコロナ禍の自粛で体重増加故のダイエット。つい、食べ物の俳句に心が動きます。まだまだ修行が足りません。並選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」何ですって、この出っ張ったお腹を如何しろと、顔の皺が増えたのと、見るな鏡。いや、私が観ているのか。「ぶらんこを漕いで時間をなくしけり(月野ぽぽな)」片付けなければいけないことにさっさと着手すれば良い物を、何故か他のどうでも良い事からグダクダ始めるので、この選句も夜12時からやっています。「みんな来て鞠になろうよ花月夜」コロナ禍の事なんて忘れてみんなでワイワイやりたいよね。何時になったら、騒げるのかな。そんな事も忘れて年取ってゆくのかな。「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」幽玄の満開の桜の中に佇むと、まるで母の胎内に戻ったようで、胸の締め付けられる様な懐かしさが蘇る。「月赤し夜を流れる花筏」雪洞に照らされて月まで赤くなっている。幻想的で、花筏の流れが川から夜空にも流れて行く。花筏に乗れば月に運んでくれるかな。「捕らわれの兵へ鳴門へ花疾風(藤川宏樹)」鳴門のドイツ館。ドイツ兵も、この桜吹雪を楽しむことが出来たのかな。花吹雪は捕らわれる者にも捕らえた者にも平等に天からの贈り物。「ひとつぶずつ京のさくらの金平糖」今度は金平糖。良いよね。お菓子の原点。わたしのイデアは甘い物と桜です。「寝転んでたんぽぽになってしまう昼」たんぽぽの咲いた土手で昼寝。最高です。もうこのまま、自然の中に帰るのも時間の問題です。ある意味コロナは何処吹く風です。以上。宜しくお願いします。
- 大西 健司
特選句「いとけなき子らの黙食松の花」幼い子供たちへも我慢を強いるコロナ禍の 日々。個食、黙食、あげくにはマスクをしながらの食事。そんな日常を淡々と書いて地味ながら胸に沁みる句となった。
- 榎本 祐子
特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」爛漫の桜と月。妖しいものたちが集まって来る。この句の呼びかけに応じて、美しい糸の鞠となり異界の者たちとの交歓に酔う。変異種ウイルスで、またまた大変なことになっていますが、自然界の営みに癒されています。どうぞ、ご自愛ください。
- 豊原 清明
特選句「吐く息の春の水辺となりにけり」句稿を読んでいると、どっと疲れが湧いてくる。は音が良いと思う。問題句「春の月出そう少女は縊りそう」。とてつもなく大きな月に読める。
- 田中 怜子
特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」読んでいて私もぐらぐらと眩暈がしました。地球・宇宙は大きい。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」いろいろなできごとがあっても日常生活は淡々と過ぎる。犬のしたり顔がいいですね。
- 夏谷 胡桃
特選句「原発は国家の柩鳥帰る」原発事故というのは人類にとっても一大事なのに、矮小化されていきます。日本に多くある原発はまさに棺のようです。ディストピア感があります。特選句「花冷えやゴリラも寝屋に籠りたし」花も咲いてお客も増えたから愛想をふりまいてくれよと飼育員のお兄さんが言うけれど、まだ寒いじゃないか。空気冷たすぎ。春は眠いんだよ。
- 中村 セミ
特選句「蝌蚪あかりガラスに映っている半身」蝌蚪文字は中国の古体篆字の事である。人でも生きるでも体でもややこしい抽象的な姿の書体であり、光の作用で何とも云えぬ図というか姿を顕わしている。その光景をよみとったのだろう。
- 飯土井志乃
特選句「春どかと来て去る秩父師の墓前」在りし日の兜太師をふつふつと偲ばれます。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」現代の家族感を淡い水面と捉えた感性に惹かれました。
入会挨拶。この度、増田天志さま(滋賀県大津)のご紹介でこの句会に参加させていただきました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
- 竹本 仰
特選句「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」桜と臍の緒の取り合わせが大変面白いと思います。何かしら次の生につながってゆく気配といいましょうか、桜が終わっても、たましいはまだ続いてゆくんだという感覚がいいですね。原初へもどるというのか、リセットされてゆく、そういう透明な生命体の流れが絵のように描かれ、詩があるなあと感心しました。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」まず、家族を水面ととらえたところ、これがいいです。次に、夜の桜に、一瞬でしかない儚いでも忘れられない記憶のような面を残しているところ、これもいいです。脆いんだけれども、そこにしか生きられないんだというそんな詩情かなと思いました。昔聴いた丸山圭子さんという方の「どうぞこのまま」という唄をなぜか思い出しましたが、覚えています? 特選句「電球が切れて桜の刻となり」電球が切れるというのは、停電とは違います。あくまでここだけの事情です。しかし、切れると諦めがつきやすいものです。しばらくその闇に浸っていると、いま、桜はどうなんだろうと、同じ闇にいる生き物の感覚で、同じ呼吸で桜を感じているんだと思います。逆に言えば、切れなきゃ気がつかなかった。いわばニンゲン社会のご都合のない、まっさらな感覚を大事にしているんだと思いました。そして、「刻」という語法に何かしら人生のオフみたいな暗示も嗅いでしまいそうな、そんな感じがしました。問題句「田に水がひろがるように呼ばれをり」誰に、あるいは何に呼ばれたんだろう、というのが気になり、そのあたりの面映ゆさがたまらなくいいのです。問題句というのは、むしろそちらの問題を出された句ということですが。何か非常に深いものにつながってゆく味わいがあり、強烈な「はい!」の返事が出そうな。このボーヨー感が何なんだろうと、どう思いました? 以上です。いい句が多くて、目を通すたびに、特選句が変わってゆく、贅沢な状態になりました。それはお前の鑑賞眼の緩さだろうと言われるとそうなんでしょうが、ゆるゆるの感想、お許しください。みなさん、いつも、ありがとうございます。
- 谷 孝江
特選句「青嵐の真ん中にある私の駅」特急など多分ゆきすぎてしまう小さな小さな駅でしょうか。でも私にとっては大事な駅です。利用することも少なくなった今でも溢れるような思い出が詰まっている場所なのです。鄙びた風景画を見るような好きな句です。「私の駅」が良い。
- 三好三香穂
特選句「レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く」レタスを剥ぐ音が、あのバリバリが太陽の雑音だと⁉大きく出すぎたところが面白い。太陽の光を浴びて収穫されたレタス故。太陽の雑音といえばコロナかな?地球のコロナは雑音出しまくり、去年今年。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」日当りのよい野原のたんぽぽは満開。気持ちよく大の字になって寝転がる。まるで私がたんぽぽになったようだ。雲がよぎると少し花がすぼむ。息しているかのようにたんぽぽも開いたり閉じたり。気持ちのよい句。
- 滝澤 泰斗
特選句「原発は国家の柩鳥帰る」若いころから反戦運動に参加。とりわけ、べ平連時代はヘルメット着用に角材を持つ寸前のところまで行き、止めた。スリーマイル、チェルノブイリの事故以来、反原発が反戦に加わった。掲句のように、原発はフクシマの事故を教訓にせず、再稼働を試み、使用済み核燃料の処分方法も判らないのに、自治体の予算不足に付け込んで処分場の誘惑に駆り立てている。まさに日本列島は柩化してゆく。いずれ、地球環境が大きく変化して、越冬の鳥も飛んでこなくなる。特選句「落し穴にわざとに落ちて兄の夏帽(松本勇二)」ひとのいい兄ちゃんのイメージそのままに、そんな兄ちゃんが近所にいたことを思い出した。夏帽で、寺山修司の 我が夏帽どこまで転べども故郷 が想起されたのが下敷きになり、それが兄の夏帽という展開に好感が持てた。「淋しさの雷雨従えヌーが行く」広大なアフリカ地溝帯の景の中の雷雨は意外と小さく感じる。それが淋しく見えることがあり、水を求めて大移動するヌーの群れを追いかけている様のスケール感や良し。「二階よりピアノを降らす抱卵期」抱卵期だからピアノを弾いている人は女性というステレオタイプな見方ながら降らすという言葉が抱卵期の複雑な肉体の、あるいは精神を感じ、ユニークな一句としていただいた。「ぽっと書架街の重さの寒戻る」神田界隈の本屋を巡っている。確かに、神田には独特の街の重さのようなものを感じたことがある。この句が神田界隈ではないにしろ、どの町にも昔ながらの本屋にはこんな情緒を感じることがある。「朝のノック山繭の青い個室」朝、両親のいづれかが、思春期を迎えたか、迎える間際の娘か息子を朝起こしに行く景ともとれるし、そういう年ごろの子供の心のドアを内を優しく慮る景とも・・・かつての自分もそうであったデリケートさを察している。その独特な心理をうまくとらえたと。「五月雨や追悼の文まだ白紙」友人に頼まれたか、はたまた、自分のために書き残しておきたい気持ちなのか、親しかった友の死を受け入れられない葛藤や愛惜がストレートに伝わりました。「反骨の覚悟はありや遅桜(石井はな)」人と同化してゆく心地よさからすれば、人と違ったりすることはこころの安定を確かに損なう。そんな心情を遅咲きの桜に見立てて、それでもしっかりとした反骨の覚悟を持てと励ます。
- 鈴木 幸江
特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」最初この句は高齢化�社会の新しい日常感覚の発見として目に止まったのだが、何度も読んでいるうちに、道元の『現成公案』の一節「自己をならふとは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」を思い出した。忘れるということには、深い悟りへの導きがあることを日常生活の中で発見した一瞬の句。この句に日常生活の中の宇宙を感じた。
- 植松 まめ
特選句評。マスクが必須な今の生活ですが「 口びるに花咲かすよに紅ひいて」の句にひかれました。「寝転んでたんぽぽになってしまう」の句もほんわかとして好きです。
- 野田 信章
特選句「「いとけなき子らの黙食松の花」は、通俗的感情を突き抜けて自立している句かとも詠める。もの食むときのこの一途さ、蚕食を見下ろしているようだ。いとけなき故にか、この黙食そのものが或る種の残酷さの美を秘めて伝わってくるーそのための「松の花」の配合
- 増田 暁子
特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」誰に呼ばれたのか想像して、この世界観に浸ります。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」春陽の中寝転んでいるとたんぽぽになりますよね。映像が浮かびます。「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」地峡の帯が良いですね。「卒業期ダスティン・ホフマン懐かしむ」主題歌の音楽も一緒に頭に流れます。「いとけなき子らの黙食松の花」学校給食でしょうか、楽しいはずが残念です。「朧夜にカンブリア紀の匂いあり」朧の不思議現象ですね。以上よろしくお願い致します。素敵な句がたくさんあり、楽しんで、迷って選句しました。
- 藤川宏樹
特選句「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」山の仙人と里の若き学徒の会話でしょうか。床の間に掛けられた一幅の画を見るような、奥行きあるおおらかな景を感じます。
- 野口思づゑ
特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」鳥が群れになって飛んでいる姿を「地球の帯」それを「ゆるり」としたところが秀逸です。特選句「原発は国家の柩鳥帰る」原発を国家の柩と捉えたところに感心しました。これももう一句の特選句と同じ季語「鳥帰る」なのですが、こちらは鳥があたかもそんな国家に絶望して北に行くとも受け取れ、季語の使い方も巧みです。「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」山でなくても、花や野菜の名を尋ねているのに「ハナ」「ヤサイ」などと返事されるのは経験する事なのですが、下5の春野の爺がこの情景にピッタリです。
- 吉田亜紀子
特選句「半鐘は村の真ん中初つばめ(稲葉千尋)」つばめが春の風を受けながら村の半鐘のあたりをヒューっと飛んでいる。うららか。風景を全身で感じているような句だなと思いました。特選句「アスファルト一皮剥けば春の泥(野口思づゑ)」工事現場だろうか、アスファルトを剥がし、道を作り直す。そんな作業の光景。「アスファルト」は現代そのもの。剥がしたら春の泥があって、うごめく虫たちが活動を始めている。躍動的であり、感動的でもある。問題句「ひとつぶずつ京のさくらの金平糖」可愛いです。「ひとつぶずつ」という表記から小さい子どもを連想させる。また、私にとって、金平糖といえば織田信長。生き様や歴史を俳句に繋げてドラマチックに感じる。そして、「京」は、どんな役割を果たしているのか、楽しみで、更に知りたいとも思いました。
- 河野 志保
特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」巡る季節に穏やかな感慨。空に向けられた広い視界と鳥の姿に「地球の帯」がぴったり合う。とても気持ちの良い句だと思う。
- 伏 兎
特選句「朧夜にカンブリア紀の匂いあり」朧夜の混沌とした空気感を、生命の多様な形が生まれたカンブリア紀として捉えた、雄大さに感動が止まらない。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」桜が散り、日常に戻っていくときのさばさばとした気分が、リアルに伝わってくる。入選句「真言やビールの泡が盛り上がる(榎本祐子)」心の渇きを潤す真言。喉の渇きを潤すビール。どちらも、一言では語れない深さがあり、共感。入選句「原発は国家の柩鳥帰る」トリチウム水の放流をめぐるニュースなど、原発問題に取り組む難しさを見事に表出していると思う。
- 柴田清子
特選句「まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく」この作者の、ある日の心情を春の街に、置き替えて、春の愁いのようなものを詠っていて、好きな句です。
- 野澤 隆夫
朝から風の強い一日。昼には知人が聖火ランナーで走り、実況をネットで見て、ああ、オリンピックなんだと!「海程香川」第116回選句しました。特選句「放哉は酔つて候ふ 朧月」放哉と聞けば昭和40年代にタイムスリップ。そして、野﨑さんから紹介された、吉村昭の『海も暮れきる』(講談社文庫)。放哉もかつて小生の下宿してた土庄本町を酔っぱらてたかと。懐かしき! もう一句。「都市バスに春風だけが乗っていた」コロナ禍に爽やかな句かと。春風だけを乗せてバスが巡回してる。春だ、春だ‼ 秀句。
- 菅原 春み
特選句「吐く息の春の水辺となりにけり」春の水辺となるなんて、なんと美しいことか。こんな時期だからこそ自然と一体になる句を見ると安堵します。特選句「いとけなき子らの黙食松の花」淡々と描いているだけに子どもたちの子どもらしさが失われるのではと危惧される。季語との取り合わせも絶妙。
- 松岡 早苗
特選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」化粧を終えて鏡を閉じて、さてこれからどれほど艶っぽい夜が幕を開けるのでしょうか。ロマンティックで想像力をかきたてられます。特選句「ぽっと書架街の重さの寒戻る」寒さが戻ってきた街の、書店の灯りを詠んだのでしょうか。あるい は高台にある図書館で、本に囲まれながら春寒の街を見下ろしているのでしょうか。「街の重さの寒」という捉え方がとても新鮮で、「ぽっと書架」のじんわり温かい感じと「寒の戻り」もうまく響き合っているように思いました。
- 佐孝 石画
特選句「逃げ切った柳は風になるところ(亀山祐美子)」この句は芭蕉の「田一枚植て立去る柳かな」のオマージュと思われる。「立去る」を「逃げ切った」に変化させることで、柳の擬人化が更に強調され(原句は擬人でもないのだが)、何か意志的な焦燥感まで醸し出されてくる。何かから「逃げ切った」柳は、枝や葉を振り解きながら、その肢体は徐々に「風」へと変容していく。柳のメタモルフォーゼの途中を描くこの幻想風景には確かな肉体感覚がある。
- 寺町志津子
特選句「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」とにもかくにも、好きな句です。山裾の小さな過疎の村。幼い頃から馴染んでいる後ろの山を見上げながら、代々田んぼを耕している農家の、ぶっきらぼうながら、山も田んぼも、きっと村人の皆さんも大好きなおじいさんの暮らしぶりが目に浮かぶようで、心癒やされました。特選句「猫が過ぎ児が過ぎ風の雪柳」 “猫が過ぎ児が過ぎ”のリフレイン。風に揺れ湯雪柳。春の小さなストーリーの一場面を見ているようです。
- 桂 凜火
特選句「淋しさの雷雨従えヌーが行く」ヌーの姿が見えるようです しかも淋しさの雷雨を従えるなんて好きな味わいの句です。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」タンポポになってしなうなんてすてきですね
- 田口 浩
特選句「二階よりピアノを降らす抱卵期」どんな小鳥が卵を抱いているのだろうか。それとも<二階からピアノを降らす>を字義どおり読んで、地上の爬虫類だろうかと思いをめぐらす。しかし彼らは抱かないのではないか。とすればやはり小鳥か。否、作者自身の思いであろう。作者自身が親鳥であり卵であると読む。そうした心理、精神のはたらく春である、そのような気分のときに二階で弾かれるピアノが降ってくるのである。 仮に(そのピアノが、物思いにふける演奏者の、内部に回帰していく軌跡のような音楽もいいが・・・)。ここは、アパートの二階で音大の女性が、ラ・カンパネラでも弾いているのがいいだろう。抱卵期の作者にはそれが似つかわしい、もしそうなら休日の午後のひととき、一場の夢にひたれるかもしれない。「春の月出そう少女は縊りそう」春月は手の届くほど低く赤味をおびて、ドテッとした感じを見せてあがる。そんな月を仰ぐと、少女は首を縊ってもいいと思うのだろう。ロマンチックであり、好きな感性である。「春どかと来て去る秩父師の墓前」<春どかと来て>は師弟のもつ親しい独特の雰囲気をかもし出していよう。<秩父師の墓前>の語感に師の巨さが見える。「朝のノック山繭の青い個室」<朝のノック>に詩を感じる。爽やかであろう。「春雨や僕を切り抜く音でしょう(高木水志)」春雨の静かで細やかな雨のふる中。裁鋏のシャキ 〱 と言う音とともに、作者の分身のような型紙が切り離される。夢幻であろう。俳句のこの分野、もっとあっていい。
- 川崎千鶴子
特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」恋人に呼ばれているのでしょうか、嬉しくて「はーい」と応えているのでしょう。素晴らしい表現で羨ましいです。「徒花は・私のことかな海月浮く(久保智恵)」なんと自虐的な詩でしょう。その上「海月浮く」でだめ押しとは見事です。「レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く」採り立てのレタスは瑞々しく、太陽の恵みを受けてバリバリと大きな音がすると思いますが、その音を「太陽の雑音」と表現された素晴らしさ。感嘆です。
- 新野 祐子
特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」「逃げ切った柳は風になるところ」誰に何のあめに呼ばれているのでしょうか。柳は何から逃れたのでしょうか。二句とも読む者に鮮明な映像をもたらすとともに。さまざまな疑問を抱かせます。いろんな読み方ができる句がおもしろいですね。
- 男波 弘志
特選句「まっすぐに歩いて春の街痩せゆく」研ぎ澄まされた精神が、こころ、が街の奥深く歩をすすめる。痩せる、これは負の世界では決してない。そんな事象に左右される、痩せではないのだ、ただただ、研ぎ澄まされた眼差し、精神を感じればいい、屹立する自己それだけでいい。春がこれ程澄んだ句に逢ったのは始めてだろう。作者に感謝申し上げる。「あやとりを手首に巻いて春の木へ(三枝みずほ)」何かの儀式だろうか、春そのものが妖しく明滅している。「国家とはももいろきいろのの亀鳴けり」国家、これでも立派に作品として立ち上がっているが、何かもっと普遍的なことが言えないだろうか。
- 吉田 和恵
特選句「春どかと来て去る秩父師の墓前」私が「海程」に出会って二年で亡くなられましたので兜太先生の実像は見えていませんが、イメージとしてピタッときます。
- 高木 水志
特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」もの忘れの日常を前向きに捉える作者の生活実感を桜の質感にあわせたところが上手いと思って、気づかなかった感覚を教えられました。
- 福井 明子
特選句「原発は国家の棺鳥帰る」。「花鳥諷詠」が現実から目を背ける口実になってしまってはいけないはずである。―という『海源№27』 柳生正名氏の、「全舷半舷」を読み、今改めて表現者として、何を一句にするかを問う。この句の「国家の棺」という言葉の重さ。「鳥帰る」という季語の、長い時間のならいとして生きものが季節に身を委ね命をつないできた行為を衝突させ、問いとして差し出されたことに、ざわざわとした日常の裂け目をのぞくような、恐ろしさを感じました。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」季節の流れの中で、犬は犬の顔をして歩く。では、人は人の顔をして歩いているのだろうか。今、自分は自分のありどころを、しかと抱えて生きているのだろうか。そういう問いが、先の見えない「コロナ禍」だからこそ強く問われる一句だと思いました。
- 銀 次
今月の誤読●「散る桜なむあみだぶつと拝みます(田中アパート)」。夫が急逝したのは春先のことだった。とき子はその日以来、まったく人と会わなくなった。友人や親戚が心配して電話をしてきても出ることはなかったし、訪ねてきてもなにくれと言い訳して会おうとしなかった。ただソファーの片隅に坐ってぼーっとしているだけだった。申し訳のように炊飯して食事を摂るのが、大げさにいえば、彼女の唯一の仕事だった。そんな明け暮れがしばらくつづいた。ある日、なにげなくテレビを見ていると、画面には桜便りが映っていた。とき子はなにか啓示を受けたように、そうだ、わたしも行ってみようと思い立った。普段着のまま近所の桜並木に行ってみると、思いのほか人が多く、そこいらじゅうから笑い声が聞こえてくるように思えた。場違いなところにきてしまった。とき子は後悔した。それでも彼女は一本一本桜を見てまわった。そんななかに、なんの変哲もなく、飾り気もない一樹の桜を見つけた。なにか思うところがあったわけでもなく、特別な興趣に誘われたわけでもなく、とき子はその木に手を合わせた。人々はその姿勢に奇妙なものに出会ったかのようにとまどい、なかには、邪魔だな、と小声で悪態をついて通り過ぎる者もいた。それでも彼女はただひたすら、手を合わせた姿勢を崩さなかった。そんな日が数日つづいた。同じ木に同じように手を合わせる。とき子自身、自分がなにをしているか自覚がなかった。桜は盛りを過ぎようとしていた。風の強い日であった。渦巻くような花吹雪がとき子を包み、包み込んだまま彼女を天空に巻き上げた。夫がいた。夫は柔らかく微笑み、勇気出せよ、と一言ささやくようにいい、とき子を地上に抱き下ろした。そのときを契機に彼女は桜詣でをスパッとやめた。一年後、とき子は自宅を改装し、ちゃんこ鍋の店として開業した。どこにそんな才能があったのか、彼女の店はまたたく間に地域の名物店となり、大いに繁盛した。
- 三枝みずほ
特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」生きものぜんぶがまるく絡み合ってゆくのは花月夜ならでは。「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」桜の幹のざらつきや凹凸が臍の緒のように思えてくる。生の源に迫る描写に惹かれた。梶井基次郎や坂口安吾の短編小説に桜が描かれているが、幻想、怪奇、生死が混沌としてあるのがその世界観だろう。そう思うと特選句二句がまた深く読めて楽しい。
- 高橋美弥子
特選句「電球が切れて桜の刻となり」電球と桜の取り合わせが良いと思った。~~して~~したということを述べているのだが、詩情が感じられました。問題句「発達障害の金魚泳ぎてのどかなる(伏兎)」。「発達障害の金魚」は比喩的に捉えた。マイノリティとマジョリティが一緒に泳いでいる様子、世界。俳句で「発達障害」という直接的な表現は初めてだったのでハッとしました。
- 佐藤 稚鬼
特選句「五月雨や追悼の文まだ白紙」親しかった友あるいは恩人等、思い出が一杯で万感胸に迫って文がまとまらない。この句では、五月雨の季語から関わりの深浅が読める。白紙と云ふ空白の傷みあり。
- 山本 弥生
特選句「まっすぐに歩いて春の街痩せてゆく」春は幼稚園の入園に始まり成長と共に卒業や就職、結婚等希望に満ちた賑やかだった商店街も長引くコロナ禍で街はだん 〱 寂れていく。先の見えない昨今である。
- 河田 清峰
特選句「朝のノック山繭の青い個室」山繭のさみどり色を見詰めていると覗き見したくなります!朝のノックが良かった。
- 森本由美子
特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」きちんと毎日を営んできたつもりの人生に“しまった!”というもの忘れ現象が混ざりだす。最初のショックは大きくても時間がたてば何故かすっきり気分に。だれにでもあること、これでいいのだと味を占める。最後の桜の文字は嬰児の指紋のようです。
- 荒井まり子
特選句「国家とはももいろきいろの亀鳴けり」上五中七が面白い。コロナワクチンの接種率の先進国での低さ。女性の働きやすさはワースト2位。国会議員の当選回数で決まる大臣と。国家はもう実体の無い、脆い色合いだけなのか。
- 稲 暁
特選句「白魚の海より出でて虹色に」春に相応しい色彩感が印象的。心を和ませてくれる一句。問題句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」。「鞠になろうよ」が独自の感覚で楽しい句だが、今ひとつ説得力に欠けるような気もする。
- 石井 はな
特選句「夫のみが老いる筈なしシャボン玉」ホント自分の事は棚に上げて、あぁ夫も年寄りじみてと、つい思ってしまいます。
- 藤田 乙女
特選句「春の星すくふゼリーのふるふるる」春の星とふるふるるの表現がまるでコロナ禍で揺れている地球を感じさせるようでした。特選句「都市バスに春風だけが乗っていた」 コロナで自粛の今の日常を象徴しているようです。因みに私の住んでいる所の空港への往復のバスも運転手さんだけのバスを見かけることがほとんどです。
- 久保 智恵
特選句「打倒ウイルス本気で亀鳴けり」「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」問題句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」とても素晴らしい同調出来る句で大好きですが、整理出来たらもっと素敵だと思うのですが‼
- 小宮 豊和
力作が多いようです。すばらしい。甲乙をつけることは困難。個人的には「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」が好きである。
- 高橋 晴子
特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう昼」仰向けに寝転んで顔を空へ向けると私はたんぽぽ、いい気持ちの昼、至上の時ですね。
- 漆原 義典
特選句「散る花や寂しい空で待ち合わせ(河野志保)」春ののどかな風景心情がよく出ています。以上よろしくお願いします。
- 野﨑 憲子
特選句「紆余曲折さくらの河に帰りけり」艱難辛苦の後ようやく辿り着いた至福の境地のように感じる。二河白道ならぬ「さくらの河」が良い。櫻時は、日本人にとって非日常の世界。コロナ禍の中、人間なんてちっぽけなものよと、自然の営みは営々と続いている。特選句「青大将ゆめのど真ん中はとぐろ」この青大将は、先日他界した田中邦衛さんの事かと思った。加山雄三演じる若大将を輝かせる圧倒的な存在感の青大将だった。眼目の「とぐろ」が効いている。「蛇の腹纏きつきて家野となりぬ(武田伸一)」がふっと思い出された。問題句「花ひとひら風ひらひら未完の書」あまりにも漠然としているので問題句とさせていただいたが、人生を表現しているような、リズミカルでとても惹かれる作品。三作品とも句の姿が美しい。
袋回し句会
春
- 春の昼そっと紙噛むマドレーヌ
- 藤川 宏樹
- 深夜放送春をゆっくり繋ぎます
- 三枝みずほ
- 春耕の皺くれし掌に残りし泥の絵図
- 佐藤 稚鬼
- 毬のよに飛び出し駆ける一才(ひとつ)の春
- 三好三香穂
- どの部屋の春を灯してみてもひとり
- 柴田 清子
- 春の渚へ蹠はひらききる感情
- 野﨑 憲子
餅
- 椿餅この愛だけは貫くわ
- 柴田 清子
- ダンス部が縄跳びダンス桜餅
- 藤川 宏樹
- しりもちをついて目の前が白象
- 三枝みずほ
- 口髭の濃き男の食らう蓬餅
- 中野 佑海
- 餅肌が湯気にほんのり朧月
- 島田 章平
桃の花
- 川を出て猿が王なり桃の花
- 三枝みずほ
- 花桃や子の仕掛けたる壺に入る
- 中野 佑海
- 笑顔が欲しいだけなんですよ桃の花
- 野﨑 憲子
夏みかん
- 波打ちぎわポツンと気侭に橙戯れ
- 佐藤 稚鬼
- モンローのヒール鳴きけり夏みかん
- 藤川 宏樹
- 夏みかんまだ匂ふ手を握られる
- 柴田 清子
- 夏みかん忘れてしまへ昨日など
- 島田 章平
自由題
- 春の田圃風の向こうに山がある
- 柴田 清子
- 公園の小さなピエロつくしんぼ
- 島田 章平
- ぶらんこを大きくこいで泣きにけり
- 柴田 清子
- みどりの耳ひしめくばかり晩霞かな
- 野﨑 憲子
- 腰まがるおのが影踏み梅雨ごころ
- 佐藤 稚鬼
【句会メモ】
長引くコロナ禍の中、香川も感染者が増加しつつありますが、4月もサンポートホール高松での句会を開催することができました。参加者は8名でしたが、事前投句の合評も袋回し句会も白熱した豊かな時間を楽しむことが出来ました。マスク着用のまま、今年ももうじき夏になります。何とか凌いでまいりたいです。
Posted at 2021年5月2日 午後 05:15 by noriko in 今月の作品集 | 投稿されたコメント [0]