2021年5月2日 (日)

第116回「海程香川」句会(2021.04.17)

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事前投句参加者の一句

   
雨粒のたった五粒山沈む 葛城 広光
春初期化川辺青きを軍人墓 藤川 宏樹
花に重さ鼻くすぐってゆくうつつ 中野 佑海
翳深き銅鏡春の水揺らぐ 大西 健司
地球の帯ゆるりと回り鳥帰る 十河 宣洋
数千の蚯蚓の怒涛や西大寺 佐藤 稚鬼
口びるに花咲かすよに紅ひいて 福井 明子
昭和群像喧嘩始まる春の宵 田口  浩
卒業期ダスティン・ホフマン懐かしむ 野澤 隆夫
拾います桜ちるちる犬の糞 鈴木 幸江
放哉は酔つて候ふ 朧月 島田 章平
もうあかん花の沈みし井戸の底 田中アパート
山の名を問へばヤマじゃと春野の爺 谷  孝江
春の星すくふゼリーのふるふるる 松岡 早苗
吐く息の春の水辺となりにけり 小西 瞬夏
おしゃべりな鏡を閉じる春の宵 寺町志津子
野焼して芭蕉剣を研ぎにけり 豊原 清明
レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く 森本由美子
旅鞄解けば隣の花吹雪 小山やす子
黄砂降るオリンピックは見え隠れ 植松 まめ
春の月出そう少女は縊りそう 竹本  仰
極上の海苔を着ているにぎり飯 桂  凜火
山里の麦や菜の花薄霞 漆原 義典
打倒ウイルス本気で亀鳴けり 野口思づゑ
用意した言葉をなくす桜かな 河野 志保
紫木蓮 女の業の色をして 小宮 豊和
ふふふふふわたしのイデアは桜餅 夏谷 胡桃
みんな来て鞠になろうよ花月夜 石井 はな
春どかと来て去る秩父師の墓前 野田 信章
臍の緒のゆるり絡まる桜かな 高木 水志
青嵐の真ん中にある私の駅 重松 敬子
月赤し夜を流れる花筏 飯土井志乃
白魚の海より出でて虹色に 三好三香穂
都市バスに春風だけが乗っていた 伊藤  幸
夫のみが老いる筈なしシャボン玉 川崎千鶴子
よなぐもり帰還の父は語らずに 増田 暁子
猫が過ぎ児が過ぎ風の雪柳 稲   暁
いとけなき子らの黙食松の花 高橋美弥子
残る歯は二十一本よなぐもり 亀山祐美子
非日常が日常となり桃の花 藤田 乙女
お水取り川音曲がれば火の匂い 津田 将也
原発は国家の柩鳥帰る 稲葉 千尋
蝌蚪(かと)あかりガラスに映っている半身(からだ) 久保 智恵
電球が切れて桜の刻となり 銀   次
身ごもれぬ春を夫婦で締めくくる 吉田亜紀子
花は葉に犬は犬の顔して歩く 増田 天志
ぼたん桜立ち観の婆と打ち解けて 山本 弥生
ラジオから差し伸べられし乳房雲 中村 セミ
青大将ゆめのど真ん中はとぐろ すずき穂波
花ひとひら風ひらひら未完の書 河田 清峰
綿々と四十六億年春の俺 滝澤 泰斗
花冷えやゴリラも寝屋に籠りたし 田中 怜子
国家とはももいろきいろの亀鳴けり 伏   兎
朧夜にカンブリア紀の匂いあり 月野ぽぽな
朝のノック山繭の青い個室 若森 京子
田に水がひろがるように呼ばれをり 男波 弘志
五月雨や追悼の文まだ白紙 菅原 春み
壁一面瓶を並べて花の雨 榎本 祐子
コロナ禍やもう春愁に浸れない 新野 祐子
友来たる先まで咲いて花杏 高橋 晴子
まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく 三枝みずほ
色違え蒲公英の絮のご満悦 荒井まり子
ひとつぶずつ京のさくらの金平糖 松本美智子
寝転んでたんぽぽになってしまう昼 柴田 清子
もの忘れってこんなに明るかったのか桜 佐孝 石画
アイヌコタン春落日は沈まない 野﨑 憲子

句会の窓

松本 勇二

特選句「ぽっと書架街の重さの寒戻る(十河宣洋)」寒の戻りに「ぽっと」書架が灯るように感じた感覚の冴えに加え、「街の重さ」の喩えも上等。

小西 瞬夏

特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」田に水がひろがるときの、じわじわと満ち足りてゆくさま。そんなふうに呼ばれるとき、内面で起こることを想像させられる。いつ、だれに、どんなふうに? 具体的な描写がないにもかかわらず、そのイメージの広がりが一句を成り立たせていて興味深い。

島田 章平

特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」そうなんです。頭痛の元は記憶。何でもかんでも覚えて、結局何にも残っていない。全部忘れて赤ちゃんに戻った時に人間に本当の明るさが戻ります。「なあ、桜の花よ」。

葛城 広光

特選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」鏡は道具だけではなく自分の声でもある。鏡の向こうがおしゃべりをしたら楽しいけど何か大変な事かも。

若森 京子

特選句「花に重さ鼻くすぐってゆくうつつ」花(桜)の句が沢山あったが、この句が一番自分の花の時期の精神状態に近かかった。花には確かに重さがある。特選句「春暑しサロメの首の置きどころ(松岡早苗)」洗礼者ヨハネの首を持って踊るサロメの姿は鬼気迫る迫力があるが作者の春の少し暑い日の瞬間の心理状態としての比喩の面白さに惹かれた。‶置きどころ‶に作者の深淵に触れた様な気がする。

月野ぽぽな

特選句「家族という淡い水面に夜の桜(佐孝石画)」。「家族という淡い水面」に喚起力。夜の桜がそこに深みを加えている。淡いけれど言葉を超えたところで密に繋がっている感覚が伝わってくる。

十河 宣洋

特選句「ふふふふふわたしのイデアは桜餅」私は桜餅と言いたい。人知れず桜餅を愛するという楽しみを書いている。私も桜餅が好きだ。よろしく。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」。家族という家族の絆が淡くなってきている?。そうではないと思うのだが抒情的に家族を表現してみた。夜の桜は家族はやはりどこかでつながっているという思い。

津田 将也

特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」夜桜の中での、ふわりと心体を包む浮遊感・高揚感が巧みに描かれた。「花月夜」は、桜のころの満月。すこし霞かかった空に浮かぶので、この月明かりが桜をいっそう柔らかく魅力的に演出する。特選句「身ごもれぬ春を夫婦で締めくくる」。春におけるご夫婦の妊活の不首尾を認め合いながらも、更には、夏に向けてのお二人の努力する姿勢が、明るい希望をもち、断じて暗くも重くはなく、さらっと詠まれた好句。

すずき穂波

特選句「二階よりピアノを降らし抱卵期(男波弘志)」抱卵期、それは生きとし生けるものにとって最も優しく、且つまたエネルギッシュな時。ピアノの練習音は恵みの雨、私雨か。季語の取り合わせが絶妙で心地よい句に出逢えました。特選句「まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく」コロナ禍の商店街を思う。「まっすぐ歩いて」に薄ら寒く心許ないさびしさが出ていて今日的な俳句だと思いいただきました。問題句「野焼して芭蕉剣を研ぎにけり」アニメ?『剣が刻』からの発想でしょうか。芭蕉がアニメ化?ゲーム化?私にはわからない世界なのですが、この類いの句、近頃時々目にしますね。影響を受けるのはとてもいいことだと思いますが、そこに「何を視て」そこから先をどう自分の句にしているか?が問われていいかな…と思っています。年のせいでしょうかね?鑑賞が難しかった句です。

稲葉 千尋

特選句「不平不満あったとしても葱坊主(柴田清子)」葱坊主の立ち姿を見事に捉えている。人はこうあるべきだという葱坊主。

小山やす子

特選句「朝のノック山繭の青い個室」若々しい青春の未来を感じます。

増田 天志

特選句「翳深き銅鏡春の水揺らぐ」銅鏡の紋様の凹凸が深いので、その上を流れる水は、揺らぐのであろう。幻想的な詩情豊かな作品。

中野 佑海

特選句「極上の海苔を着ている握り飯」もうこれは断然特選でしょう!日本人に生まれて、この上ない幸せ。香しき白飯&海苔。揺らぎ無きトップの座は譲れません。特選句「ふふふふふわたしのイデアは桜餅」そうなんです。私も桜の咲く頃になると、桜餅を食べずにはいられません。あのモチモチで、たまらない桜の香りの餡このお餅。これが食べられるのも日本人に生まれたお蔭です。けれど最近なかなかお望みの桜餅を手に入れるのはふっくらお握り同様至難の業。このコロナ禍の自粛で体重増加故のダイエット。つい、食べ物の俳句に心が動きます。まだまだ修行が足りません。並選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」何ですって、この出っ張ったお腹を如何しろと、顔の皺が増えたのと、見るな鏡。いや、私が観ているのか。「ぶらんこを漕いで時間をなくしけり(月野ぽぽな)」片付けなければいけないことにさっさと着手すれば良い物を、何故か他のどうでも良い事からグダクダ始めるので、この選句も夜12時からやっています。「みんな来て鞠になろうよ花月夜」コロナ禍の事なんて忘れてみんなでワイワイやりたいよね。何時になったら、騒げるのかな。そんな事も忘れて年取ってゆくのかな。「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」幽玄の満開の桜の中に佇むと、まるで母の胎内に戻ったようで、胸の締め付けられる様な懐かしさが蘇る。「月赤し夜を流れる花筏」雪洞に照らされて月まで赤くなっている。幻想的で、花筏の流れが川から夜空にも流れて行く。花筏に乗れば月に運んでくれるかな。「捕らわれの兵へ鳴門へ花疾風(藤川宏樹)」鳴門のドイツ館。ドイツ兵も、この桜吹雪を楽しむことが出来たのかな。花吹雪は捕らわれる者にも捕らえた者にも平等に天からの贈り物。「ひとつぶずつ京のさくらの金平糖」今度は金平糖。良いよね。お菓子の原点。わたしのイデアは甘い物と桜です。「寝転んでたんぽぽになってしまう昼」たんぽぽの咲いた土手で昼寝。最高です。もうこのまま、自然の中に帰るのも時間の問題です。ある意味コロナは何処吹く風です。以上。宜しくお願いします。

大西 健司

特選句「いとけなき子らの黙食松の花」幼い子供たちへも我慢を強いるコロナ禍の 日々。個食、黙食、あげくにはマスクをしながらの食事。そんな日常を淡々と書いて地味ながら胸に沁みる句となった。

榎本 祐子

特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」爛漫の桜と月。妖しいものたちが集まって来る。この句の呼びかけに応じて、美しい糸の鞠となり異界の者たちとの交歓に酔う。変異種ウイルスで、またまた大変なことになっていますが、自然界の営みに癒されています。どうぞ、ご自愛ください。

豊原 清明

特選句「吐く息の春の水辺となりにけり」句稿を読んでいると、どっと疲れが湧いてくる。は音が良いと思う。問題句「春の月出そう少女は縊りそう」。とてつもなく大きな月に読める。

田中 怜子

特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」読んでいて私もぐらぐらと眩暈がしました。地球・宇宙は大きい。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」いろいろなできごとがあっても日常生活は淡々と過ぎる。犬のしたり顔がいいですね。

夏谷 胡桃

特選句「原発は国家の柩鳥帰る」原発事故というのは人類にとっても一大事なのに、矮小化されていきます。日本に多くある原発はまさに棺のようです。ディストピア感があります。特選句「花冷えやゴリラも寝屋に籠りたし」花も咲いてお客も増えたから愛想をふりまいてくれよと飼育員のお兄さんが言うけれど、まだ寒いじゃないか。空気冷たすぎ。春は眠いんだよ。

中村 セミ

特選句「蝌蚪あかりガラスに映っている半身」蝌蚪文字は中国の古体篆字の事である。人でも生きるでも体でもややこしい抽象的な姿の書体であり、光の作用で何とも云えぬ図というか姿を顕わしている。その光景をよみとったのだろう。

飯土井志乃

特選句「春どかと来て去る秩父師の墓前」在りし日の兜太師をふつふつと偲ばれます。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」現代の家族感を淡い水面と捉えた感性に惹かれました。 

 入会挨拶。この度、増田天志さま(滋賀県大津)のご紹介でこの句会に参加させていただきました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

竹本  仰

特選句「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」桜と臍の緒の取り合わせが大変面白いと思います。何かしら次の生につながってゆく気配といいましょうか、桜が終わっても、たましいはまだ続いてゆくんだという感覚がいいですね。原初へもどるというのか、リセットされてゆく、そういう透明な生命体の流れが絵のように描かれ、詩があるなあと感心しました。特選句「家族という淡い水面に夜の桜」まず、家族を水面ととらえたところ、これがいいです。次に、夜の桜に、一瞬でしかない儚いでも忘れられない記憶のような面を残しているところ、これもいいです。脆いんだけれども、そこにしか生きられないんだというそんな詩情かなと思いました。昔聴いた丸山圭子さんという方の「どうぞこのまま」という唄をなぜか思い出しましたが、覚えています? 特選句「電球が切れて桜の刻となり」電球が切れるというのは、停電とは違います。あくまでここだけの事情です。しかし、切れると諦めがつきやすいものです。しばらくその闇に浸っていると、いま、桜はどうなんだろうと、同じ闇にいる生き物の感覚で、同じ呼吸で桜を感じているんだと思います。逆に言えば、切れなきゃ気がつかなかった。いわばニンゲン社会のご都合のない、まっさらな感覚を大事にしているんだと思いました。そして、「刻」という語法に何かしら人生のオフみたいな暗示も嗅いでしまいそうな、そんな感じがしました。問題句「田に水がひろがるように呼ばれをり」誰に、あるいは何に呼ばれたんだろう、というのが気になり、そのあたりの面映ゆさがたまらなくいいのです。問題句というのは、むしろそちらの問題を出された句ということですが。何か非常に深いものにつながってゆく味わいがあり、強烈な「はい!」の返事が出そうな。このボーヨー感が何なんだろうと、どう思いました? 以上です。いい句が多くて、目を通すたびに、特選句が変わってゆく、贅沢な状態になりました。それはお前の鑑賞眼の緩さだろうと言われるとそうなんでしょうが、ゆるゆるの感想、お許しください。みなさん、いつも、ありがとうございます。

谷  孝江

特選句「青嵐の真ん中にある私の駅」特急など多分ゆきすぎてしまう小さな小さな駅でしょうか。でも私にとっては大事な駅です。利用することも少なくなった今でも溢れるような思い出が詰まっている場所なのです。鄙びた風景画を見るような好きな句です。「私の駅」が良い。

三好三香穂

特選句「レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く」レタスを剥ぐ音が、あのバリバリが太陽の雑音だと⁉大きく出すぎたところが面白い。太陽の光を浴びて収穫されたレタス故。太陽の雑音といえばコロナかな?地球のコロナは雑音出しまくり、去年今年。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」日当りのよい野原のたんぽぽは満開。気持ちよく大の字になって寝転がる。まるで私がたんぽぽになったようだ。雲がよぎると少し花がすぼむ。息しているかのようにたんぽぽも開いたり閉じたり。気持ちのよい句。

滝澤 泰斗

特選句「原発は国家の柩鳥帰る」若いころから反戦運動に参加。とりわけ、べ平連時代はヘルメット着用に角材を持つ寸前のところまで行き、止めた。スリーマイル、チェルノブイリの事故以来、反原発が反戦に加わった。掲句のように、原発はフクシマの事故を教訓にせず、再稼働を試み、使用済み核燃料の処分方法も判らないのに、自治体の予算不足に付け込んで処分場の誘惑に駆り立てている。まさに日本列島は柩化してゆく。いずれ、地球環境が大きく変化して、越冬の鳥も飛んでこなくなる。特選句「落し穴にわざとに落ちて兄の夏帽(松本勇二)」ひとのいい兄ちゃんのイメージそのままに、そんな兄ちゃんが近所にいたことを思い出した。夏帽で、寺山修司の 我が夏帽どこまで転べども故郷 が想起されたのが下敷きになり、それが兄の夏帽という展開に好感が持てた。「淋しさの雷雨従えヌーが行く」広大なアフリカ地溝帯の景の中の雷雨は意外と小さく感じる。それが淋しく見えることがあり、水を求めて大移動するヌーの群れを追いかけている様のスケール感や良し。「二階よりピアノを降らす抱卵期」抱卵期だからピアノを弾いている人は女性というステレオタイプな見方ながら降らすという言葉が抱卵期の複雑な肉体の、あるいは精神を感じ、ユニークな一句としていただいた。「ぽっと書架街の重さの寒戻る」神田界隈の本屋を巡っている。確かに、神田には独特の街の重さのようなものを感じたことがある。この句が神田界隈ではないにしろ、どの町にも昔ながらの本屋にはこんな情緒を感じることがある。「朝のノック山繭の青い個室」朝、両親のいづれかが、思春期を迎えたか、迎える間際の娘か息子を朝起こしに行く景ともとれるし、そういう年ごろの子供の心のドアを内を優しく慮る景とも・・・かつての自分もそうであったデリケートさを察している。その独特な心理をうまくとらえたと。「五月雨や追悼の文まだ白紙」友人に頼まれたか、はたまた、自分のために書き残しておきたい気持ちなのか、親しかった友の死を受け入れられない葛藤や愛惜がストレートに伝わりました。「反骨の覚悟はありや遅桜(石井はな)」人と同化してゆく心地よさからすれば、人と違ったりすることはこころの安定を確かに損なう。そんな心情を遅咲きの桜に見立てて、それでもしっかりとした反骨の覚悟を持てと励ます。

鈴木 幸江

特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」最初この句は高齢化�社会の新しい日常感覚の発見として目に止まったのだが、何度も読んでいるうちに、道元の『現成公案』の一節「自己をならふとは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」を思い出した。忘れるということには、深い悟りへの導きがあることを日常生活の中で発見した一瞬の句。この句に日常生活の中の宇宙を感じた。

植松 まめ

特選句評。マスクが必須な今の生活ですが「 口びるに花咲かすよに紅ひいて」の句にひかれました。「寝転んでたんぽぽになってしまう」の句もほんわかとして好きです。

野田 信章

特選句「「いとけなき子らの黙食松の花」は、通俗的感情を突き抜けて自立している句かとも詠める。もの食むときのこの一途さ、蚕食を見下ろしているようだ。いとけなき故にか、この黙食そのものが或る種の残酷さの美を秘めて伝わってくるーそのための「松の花」の配合

増田 暁子

特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」誰に呼ばれたのか想像して、この世界観に浸ります。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」春陽の中寝転んでいるとたんぽぽになりますよね。映像が浮かびます。「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」地峡の帯が良いですね。「卒業期ダスティン・ホフマン懐かしむ」主題歌の音楽も一緒に頭に流れます。「いとけなき子らの黙食松の花」学校給食でしょうか、楽しいはずが残念です。「朧夜にカンブリア紀の匂いあり」朧の不思議現象ですね。以上よろしくお願い致します。素敵な句がたくさんあり、楽しんで、迷って選句しました。

藤川宏樹

特選句「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」山の仙人と里の若き学徒の会話でしょうか。床の間に掛けられた一幅の画を見るような、奥行きあるおおらかな景を感じます。

野口思づゑ

特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」鳥が群れになって飛んでいる姿を「地球の帯」それを「ゆるり」としたところが秀逸です。特選句「原発は国家の柩鳥帰る」原発を国家の柩と捉えたところに感心しました。これももう一句の特選句と同じ季語「鳥帰る」なのですが、こちらは鳥があたかもそんな国家に絶望して北に行くとも受け取れ、季語の使い方も巧みです。「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」山でなくても、花や野菜の名を尋ねているのに「ハナ」「ヤサイ」などと返事されるのは経験する事なのですが、下5の春野の爺がこの情景にピッタリです。

吉田亜紀子

特選句「半鐘は村の真ん中初つばめ(稲葉千尋)」つばめが春の風を受けながら村の半鐘のあたりをヒューっと飛んでいる。うららか。風景を全身で感じているような句だなと思いました。特選句「アスファルト一皮剥けば春の泥(野口思づゑ)」工事現場だろうか、アスファルトを剥がし、道を作り直す。そんな作業の光景。「アスファルト」は現代そのもの。剥がしたら春の泥があって、うごめく虫たちが活動を始めている。躍動的であり、感動的でもある。問題句「ひとつぶずつ京のさくらの金平糖」可愛いです。「ひとつぶずつ」という表記から小さい子どもを連想させる。また、私にとって、金平糖といえば織田信長。生き様や歴史を俳句に繋げてドラマチックに感じる。そして、「京」は、どんな役割を果たしているのか、楽しみで、更に知りたいとも思いました。

河野 志保

特選句「地球の帯ゆるりと回り鳥帰る」巡る季節に穏やかな感慨。空に向けられた広い視界と鳥の姿に「地球の帯」がぴったり合う。とても気持ちの良い句だと思う。

伏   兎

特選句「朧夜にカンブリア紀の匂いあり」朧夜の混沌とした空気感を、生命の多様な形が生まれたカンブリア紀として捉えた、雄大さに感動が止まらない。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」桜が散り、日常に戻っていくときのさばさばとした気分が、リアルに伝わってくる。入選句「真言やビールの泡が盛り上がる(榎本祐子)」心の渇きを潤す真言。喉の渇きを潤すビール。どちらも、一言では語れない深さがあり、共感。入選句「原発は国家の柩鳥帰る」トリチウム水の放流をめぐるニュースなど、原発問題に取り組む難しさを見事に表出していると思う。

柴田清子

特選句「まっすぐ歩いて春の街痩せてゆく」この作者の、ある日の心情を春の街に、置き替えて、春の愁いのようなものを詠っていて、好きな句です。

野澤 隆夫

朝から風の強い一日。昼には知人が聖火ランナーで走り、実況をネットで見て、ああ、オリンピックなんだと!「海程香川」第116回選句しました。特選句「放哉は酔つて候ふ 朧月」放哉と聞けば昭和40年代にタイムスリップ。そして、野﨑さんから紹介された、吉村昭の『海も暮れきる』(講談社文庫)。放哉もかつて小生の下宿してた土庄本町を酔っぱらてたかと。懐かしき! もう一句。「都市バスに春風だけが乗っていた」コロナ禍に爽やかな句かと。春風だけを乗せてバスが巡回してる。春だ、春だ‼ 秀句。

菅原 春み

特選句「吐く息の春の水辺となりにけり」春の水辺となるなんて、なんと美しいことか。こんな時期だからこそ自然と一体になる句を見ると安堵します。特選句「いとけなき子らの黙食松の花」淡々と描いているだけに子どもたちの子どもらしさが失われるのではと危惧される。季語との取り合わせも絶妙。

松岡 早苗

特選句「おしゃべりな鏡を閉じる春の宵」化粧を終えて鏡を閉じて、さてこれからどれほど艶っぽい夜が幕を開けるのでしょうか。ロマンティックで想像力をかきたてられます。特選句「ぽっと書架街の重さの寒戻る」寒さが戻ってきた街の、書店の灯りを詠んだのでしょうか。あるい は高台にある図書館で、本に囲まれながら春寒の街を見下ろしているのでしょうか。「街の重さの寒」という捉え方がとても新鮮で、「ぽっと書架」のじんわり温かい感じと「寒の戻り」もうまく響き合っているように思いました。

佐孝 石画

特選句「逃げ切った柳は風になるところ(亀山祐美子)」この句は芭蕉の「田一枚植て立去る柳かな」のオマージュと思われる。「立去る」を「逃げ切った」に変化させることで、柳の擬人化が更に強調され(原句は擬人でもないのだが)、何か意志的な焦燥感まで醸し出されてくる。何かから「逃げ切った」柳は、枝や葉を振り解きながら、その肢体は徐々に「風」へと変容していく。柳のメタモルフォーゼの途中を描くこの幻想風景には確かな肉体感覚がある。

寺町志津子

特選句「山の名を問へばヤマじゃと春野の爺」とにもかくにも、好きな句です。山裾の小さな過疎の村。幼い頃から馴染んでいる後ろの山を見上げながら、代々田んぼを耕している農家の、ぶっきらぼうながら、山も田んぼも、きっと村人の皆さんも大好きなおじいさんの暮らしぶりが目に浮かぶようで、心癒やされました。特選句「猫が過ぎ児が過ぎ風の雪柳」 “猫が過ぎ児が過ぎ”のリフレイン。風に揺れ湯雪柳。春の小さなストーリーの一場面を見ているようです。

桂  凜火

特選句「淋しさの雷雨従えヌーが行く」ヌーの姿が見えるようです しかも淋しさの雷雨を従えるなんて好きな味わいの句です。特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう」タンポポになってしなうなんてすてきですね

田口  浩

特選句「二階よりピアノを降らす抱卵期」どんな小鳥が卵を抱いているのだろうか。それとも<二階からピアノを降らす>を字義どおり読んで、地上の爬虫類だろうかと思いをめぐらす。しかし彼らは抱かないのではないか。とすればやはり小鳥か。否、作者自身の思いであろう。作者自身が親鳥であり卵であると読む。そうした心理、精神のはたらく春である、そのような気分のときに二階で弾かれるピアノが降ってくるのである。 仮に(そのピアノが、物思いにふける演奏者の、内部に回帰していく軌跡のような音楽もいいが・・・)。ここは、アパートの二階で音大の女性が、ラ・カンパネラでも弾いているのがいいだろう。抱卵期の作者にはそれが似つかわしい、もしそうなら休日の午後のひととき、一場の夢にひたれるかもしれない。「春の月出そう少女は縊りそう」春月は手の届くほど低く赤味をおびて、ドテッとした感じを見せてあがる。そんな月を仰ぐと、少女は首を縊ってもいいと思うのだろう。ロマンチックであり、好きな感性である。「春どかと来て去る秩父師の墓前」<春どかと来て>は師弟のもつ親しい独特の雰囲気をかもし出していよう。<秩父師の墓前>の語感に師の巨さが見える。「朝のノック山繭の青い個室」<朝のノック>に詩を感じる。爽やかであろう。「春雨や僕を切り抜く音でしょう(高木水志)」春雨の静かで細やかな雨のふる中。裁鋏のシャキ 〱 と言う音とともに、作者の分身のような型紙が切り離される。夢幻であろう。俳句のこの分野、もっとあっていい。

川崎千鶴子

特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」恋人に呼ばれているのでしょうか、嬉しくて「はーい」と応えているのでしょう。素晴らしい表現で羨ましいです。「徒花は・私のことかな海月浮く(久保智恵)」なんと自虐的な詩でしょう。その上「海月浮く」でだめ押しとは見事です。「レタス剥ぎ太陽の雑音を聴く」採り立てのレタスは瑞々しく、太陽の恵みを受けてバリバリと大きな音がすると思いますが、その音を「太陽の雑音」と表現された素晴らしさ。感嘆です。

新野 祐子

特選句「田に水がひろがるように呼ばれをり」「逃げ切った柳は風になるところ」誰に何のあめに呼ばれているのでしょうか。柳は何から逃れたのでしょうか。二句とも読む者に鮮明な映像をもたらすとともに。さまざまな疑問を抱かせます。いろんな読み方ができる句がおもしろいですね。

男波 弘志

特選句「まっすぐに歩いて春の街痩せゆく」研ぎ澄まされた精神が、こころ、が街の奥深く歩をすすめる。痩せる、これは負の世界では決してない。そんな事象に左右される、痩せではないのだ、ただただ、研ぎ澄まされた眼差し、精神を感じればいい、屹立する自己それだけでいい。春がこれ程澄んだ句に逢ったのは始めてだろう。作者に感謝申し上げる。「あやとりを手首に巻いて春の木へ(三枝みずほ)」何かの儀式だろうか、春そのものが妖しく明滅している。「国家とはももいろきいろのの亀鳴けり」国家、これでも立派に作品として立ち上がっているが、何かもっと普遍的なことが言えないだろうか。

吉田 和恵

特選句「春どかと来て去る秩父師の墓前」私が「海程」に出会って二年で亡くなられましたので兜太先生の実像は見えていませんが、イメージとしてピタッときます。

高木 水志

特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」もの忘れの日常を前向きに捉える作者の生活実感を桜の質感にあわせたところが上手いと思って、気づかなかった感覚を教えられました。

福井 明子

特選句「原発は国家の棺鳥帰る」。「花鳥諷詠」が現実から目を背ける口実になってしまってはいけないはずである。―という『海源№27』 柳生正名氏の、「全舷半舷」を読み、今改めて表現者として、何を一句にするかを問う。この句の「国家の棺」という言葉の重さ。「鳥帰る」という季語の、長い時間のならいとして生きものが季節に身を委ね命をつないできた行為を衝突させ、問いとして差し出されたことに、ざわざわとした日常の裂け目をのぞくような、恐ろしさを感じました。特選句「花は葉に犬は犬の顔して歩く」季節の流れの中で、犬は犬の顔をして歩く。では、人は人の顔をして歩いているのだろうか。今、自分は自分のありどころを、しかと抱えて生きているのだろうか。そういう問いが、先の見えない「コロナ禍」だからこそ強く問われる一句だと思いました。

銀   次

今月の誤読●「散る桜なむあみだぶつと拝みます(田中アパート)」。夫が急逝したのは春先のことだった。とき子はその日以来、まったく人と会わなくなった。友人や親戚が心配して電話をしてきても出ることはなかったし、訪ねてきてもなにくれと言い訳して会おうとしなかった。ただソファーの片隅に坐ってぼーっとしているだけだった。申し訳のように炊飯して食事を摂るのが、大げさにいえば、彼女の唯一の仕事だった。そんな明け暮れがしばらくつづいた。ある日、なにげなくテレビを見ていると、画面には桜便りが映っていた。とき子はなにか啓示を受けたように、そうだ、わたしも行ってみようと思い立った。普段着のまま近所の桜並木に行ってみると、思いのほか人が多く、そこいらじゅうから笑い声が聞こえてくるように思えた。場違いなところにきてしまった。とき子は後悔した。それでも彼女は一本一本桜を見てまわった。そんななかに、なんの変哲もなく、飾り気もない一樹の桜を見つけた。なにか思うところがあったわけでもなく、特別な興趣に誘われたわけでもなく、とき子はその木に手を合わせた。人々はその姿勢に奇妙なものに出会ったかのようにとまどい、なかには、邪魔だな、と小声で悪態をついて通り過ぎる者もいた。それでも彼女はただひたすら、手を合わせた姿勢を崩さなかった。そんな日が数日つづいた。同じ木に同じように手を合わせる。とき子自身、自分がなにをしているか自覚がなかった。桜は盛りを過ぎようとしていた。風の強い日であった。渦巻くような花吹雪がとき子を包み、包み込んだまま彼女を天空に巻き上げた。夫がいた。夫は柔らかく微笑み、勇気出せよ、と一言ささやくようにいい、とき子を地上に抱き下ろした。そのときを契機に彼女は桜詣でをスパッとやめた。一年後、とき子は自宅を改装し、ちゃんこ鍋の店として開業した。どこにそんな才能があったのか、彼女の店はまたたく間に地域の名物店となり、大いに繁盛した。

三枝みずほ

特選句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」生きものぜんぶがまるく絡み合ってゆくのは花月夜ならでは。「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」桜の幹のざらつきや凹凸が臍の緒のように思えてくる。生の源に迫る描写に惹かれた。梶井基次郎や坂口安吾の短編小説に桜が描かれているが、幻想、怪奇、生死が混沌としてあるのがその世界観だろう。そう思うと特選句二句がまた深く読めて楽しい。

高橋美弥子

特選句「電球が切れて桜の刻となり」電球と桜の取り合わせが良いと思った。~~して~~したということを述べているのだが、詩情が感じられました。問題句「発達障害の金魚泳ぎてのどかなる(伏兎)」。「発達障害の金魚」は比喩的に捉えた。マイノリティとマジョリティが一緒に泳いでいる様子、世界。俳句で「発達障害」という直接的な表現は初めてだったのでハッとしました。

佐藤 稚鬼

特選句「五月雨や追悼の文まだ白紙」親しかった友あるいは恩人等、思い出が一杯で万感胸に迫って文がまとまらない。この句では、五月雨の季語から関わりの深浅が読める。白紙と云ふ空白の傷みあり。

山本 弥生

特選句「まっすぐに歩いて春の街痩せてゆく」春は幼稚園の入園に始まり成長と共に卒業や就職、結婚等希望に満ちた賑やかだった商店街も長引くコロナ禍で街はだん 〱 寂れていく。先の見えない昨今である。

河田 清峰

特選句「朝のノック山繭の青い個室」山繭のさみどり色を見詰めていると覗き見したくなります!朝のノックが良かった。

森本由美子

特選句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」きちんと毎日を営んできたつもりの人生に“しまった!”というもの忘れ現象が混ざりだす。最初のショックは大きくても時間がたてば何故かすっきり気分に。だれにでもあること、これでいいのだと味を占める。最後の桜の文字は嬰児の指紋のようです。

荒井まり子

特選句「国家とはももいろきいろの亀鳴けり」上五中七が面白い。コロナワクチンの接種率の先進国での低さ。女性の働きやすさはワースト2位。国会議員の当選回数で決まる大臣と。国家はもう実体の無い、脆い色合いだけなのか。

稲   暁

特選句「白魚の海より出でて虹色に」春に相応しい色彩感が印象的。心を和ませてくれる一句。問題句「みんな来て鞠になろうよ花月夜」。「鞠になろうよ」が独自の感覚で楽しい句だが、今ひとつ説得力に欠けるような気もする。

石井 はな

特選句「夫のみが老いる筈なしシャボン玉」ホント自分の事は棚に上げて、あぁ夫も年寄りじみてと、つい思ってしまいます。

藤田 乙女

特選句「春の星すくふゼリーのふるふるる」春の星とふるふるるの表現がまるでコロナ禍で揺れている地球を感じさせるようでした。特選句「都市バスに春風だけが乗っていた」 コロナで自粛の今の日常を象徴しているようです。因みに私の住んでいる所の空港への往復のバスも運転手さんだけのバスを見かけることがほとんどです。

久保 智恵

特選句「打倒ウイルス本気で亀鳴けり」「臍の緒のゆるり絡まる桜かな」問題句「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」とても素晴らしい同調出来る句で大好きですが、整理出来たらもっと素敵だと思うのですが‼  

小宮 豊和

力作が多いようです。すばらしい。甲乙をつけることは困難。個人的には「もの忘れってこんなに明るかったのか桜」が好きである。

高橋 晴子

特選句「寝転んでたんぽぽになってしまう昼」仰向けに寝転んで顔を空へ向けると私はたんぽぽ、いい気持ちの昼、至上の時ですね。

漆原 義典

特選句「散る花や寂しい空で待ち合わせ(河野志保)」春ののどかな風景心情がよく出ています。以上よろしくお願いします。

野﨑 憲子

特選句「紆余曲折さくらの河に帰りけり」艱難辛苦の後ようやく辿り着いた至福の境地のように感じる。二河白道ならぬ「さくらの河」が良い。櫻時は、日本人にとって非日常の世界。コロナ禍の中、人間なんてちっぽけなものよと、自然の営みは営々と続いている。特選句「青大将ゆめのど真ん中はとぐろ」この青大将は、先日他界した田中邦衛さんの事かと思った。加山雄三演じる若大将を輝かせる圧倒的な存在感の青大将だった。眼目の「とぐろ」が効いている。「蛇の腹纏きつきて家野となりぬ(武田伸一)」がふっと思い出された。問題句「花ひとひら風ひらひら未完の書」あまりにも漠然としているので問題句とさせていただいたが、人生を表現しているような、リズミカルでとても惹かれる作品。三作品とも句の姿が美しい。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

春の昼そっと紙噛むマドレーヌ
藤川 宏樹
深夜放送春をゆっくり繋ぎます
三枝みずほ
春耕の皺くれし掌に残りし泥の絵図
佐藤 稚鬼
毬のよに飛び出し駆ける一才(ひとつ)の春
三好三香穂
どの部屋の春を灯してみてもひとり
柴田 清子
春の渚へ蹠はひらききる感情
野﨑 憲子
椿餅この愛だけは貫くわ
柴田 清子
ダンス部が縄跳びダンス桜餅
藤川 宏樹
しりもちをついて目の前が白象
三枝みずほ
口髭の濃き男の食らう蓬餅
中野 佑海
餅肌が湯気にほんのり朧月
島田 章平
桃の花
川を出て猿が王なり桃の花
三枝みずほ
花桃や子の仕掛けたる壺に入る
中野 佑海
笑顔が欲しいだけなんですよ桃の花
野﨑 憲子
夏みかん
波打ちぎわポツンと気侭に橙戯れ
佐藤 稚鬼
モンローのヒール鳴きけり夏みかん
藤川 宏樹
夏みかんまだ匂ふ手を握られる
柴田 清子
夏みかん忘れてしまへ昨日など
島田 章平
自由題
春の田圃風の向こうに山がある
柴田 清子
公園の小さなピエロつくしんぼ
島田 章平
ぶらんこを大きくこいで泣きにけり
柴田 清子
みどりの耳ひしめくばかり晩霞かな
野﨑 憲子
腰まがるおのが影踏み梅雨ごころ
佐藤 稚鬼

【句会メモ】

長引くコロナ禍の中、香川も感染者が増加しつつありますが、4月もサンポートホール高松での句会を開催することができました。参加者は8名でしたが、事前投句の合評も袋回し句会も白熱した豊かな時間を楽しむことが出来ました。マスク着用のまま、今年ももうじき夏になります。何とか凌いでまいりたいです。

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