2023年4月30日 (日)

第138回「海程香川」句会(2023.04.15)

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事前投句参加者の一句

        
非戦非核と人も桜も満開 疋田恵美子
今昔のすみれ泣く声 この辺り 飯土井志乃
ふわふわと身は漂流の弥生かな 柾木はつ子
ちちははを天にならべて梅真白 月野ぽぽな
あの頃の「いつか」に触れる春の暮 山下 一夫
四月馬鹿顔を洗えばほろ苦い 新野 祐子
すれちがふ女に見覚え花木五倍子 亀山祐美子
蘆生とは考の俳号葦の角 時田 幻椏
チューリップみんな違って主人公 藤田 乙女
清明や明鏡水志光浴ぶ 島田 章平
鳥曇豆粒ほどの白チョーク 松岡 早苗
錆びた戦車がすみれを轢きて進む 風   子
春の雲息をしているひろがりぬ 中村 セミ
中学生銀杏若葉は人見知り 中野 佑海
骨へ転移とあなたげんげの道をゆく 大西 健司
うぐいすや防災地図を広げたり   管原 春み
春怒涛同じ話は聞きたくない 鈴木 幸江
いたううし るんばがてりを にのにのか 田中アパート
よか嫁御だな種芋分けあいて 樽谷 宗寛
やっとやっとマスクが取れて卒業歌 塩野 正春
ふらここの鎖ぎいぎい泣くやうに 川本 一葉
草餅をつまめば浄土ホーホケキヨ 十河 宣洋
戦争が転がってくる花筵 岡田ミツヒロ
蹲る蛇に幻肢の痛みかな 三好つや子
弁当屋に蝶のきてをりいつも午後 谷  孝江
花まつり慈愛の血統持つ娘 河田 清峰
きさらぎの傷口のよう くちびる 榎本 祐子
蒼ざめた馬よ桜しべ降るサドル すずき穂波
妣と香を汲みし遠き日甘茶佛 漆原 義典
行く春の三猿のごと黙秘せん 荒井まり子
くぐるたび母に近づく花曇り 河野 志保
白梅の憤怒のような光かな 佐孝 石画
コンビニの灯へ春愁の靴のおと 重松 敬子
春の星涙がこんな青くって 竹本  仰
節目とうありがたき区切り四月なり  野口思づゑ
初期化してわたしの余生花菜風 増田 暁子
手話の子等さらさらと春の血潮 若森 京子
春日傘閉じ落丁のよう真昼 三枝みずほ
木瓜の赤怒りと悲しみ奥に秘め 薫   香
目隠しのほどける僕と春の鹿 高木 水志
ふるさとの電車小さし葱坊主 稲   暁
<悼 宇田蓋男>彼我若かりき雨の夜神楽茫々と 野田 信章
まなじりの皺の美し若葉まとひて 森本由美子
夜桜や覚え初めの童歌 佐藤 仁美
犬ふぐり人の歩幅を知ることも 男波 弘志
陽炎草引く祖母もゆらめきて 植松 まめ
錦帯橋五つの坂や花吹雪 三好三香穂
万緑や十指にあまることばかり 寺町志津子
春雨の冷酷無残散りまくる 豊原 清明
行く春や人混みのなかに消えてゆく 銀   次
脱力の滑空しばし初燕 松本 勇二
憧れをやめてみようか桜餅 藤川 宏樹
内見のスリッパ硬しリラの花 あずお玲子
春だからつい買っちゃった障子紙 津田 将也
葱刻む音の奥処より匂い立つ 佐藤 稚鬼
水匂い戦匂いて夜の花 稲葉 千尋
砲台跡びっしり埋めし花菜の黄 山田 哲夫
自撮り棒こおまごひまご花の山 福井 明子
のんべえは家系でござる花吹雪 増田 天志
れんぎょうの黄を赤ん坊が見て笑う 吉田 和恵
接木して母に百年の計ありき 吉田亜紀子
屍(しかばね)をもう離れゆく春の蛇 淡路 放生
咲いてうつむき散って上向く椿かな 伊藤  幸
桜散る今更雨のあがりそう 石井 はな
白揚羽少年に白たへがたし 小西 瞬夏
ふと眠る風呂は羊水花疲れ 川崎千鶴子
春くれば競輪好きの父のツレ 滝澤 泰斗
旋律の解けるように秘話 さくら 桂  凜火
つちふるや異国の憂ひ運び来し 佳   凛
散りそめし花ポン菓子は舌に溶け 向井 桐華
泣くやうに笑ふ母へと花吹雪 大浦ともこ
消えゆくままの校舎の影よ花の雨 松本美智子
ユマニスト大江逝きたり 花水木 田中 怜子
屋根の無き竜宮城や水陽炎 丸亀葉七子
私なら乗れさうな花筏です 柴田 清子
花吹雪なべて戦場埋め尽くせ 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「鞦韆を漕ぐやゆるやかなる摩耗(小西瞬夏)」。 鉄鎖も摩耗するのだが、ブランコそのものが、人生なのだろう。無常、不条理な生命を、詠んでいるのか。

松本 勇二

特選句「内見のスリッパ硬しリラの花」。ちょっとした違和感を上手く掬い上げています。季語も冴えてます。少しだけ問題句「初期化してわたしの余生花菜風」。「余生を初期化する」という、明るい意気込みに共感します。少し変更し「初期化するわたしの余生花菜風」あるいは「花菜風わたしの余生初期化して」などとしますと、句意がすっきりするのではと思います。

小西 瞬夏

特選句「四月馬鹿顔を洗えばほろ苦い」。顔を洗って目をあけるとそこにはいつもの自分の顔がある。それはなんとなくほろ苦いものなのである。自嘲しながらも、とりかえのきかない自分を受け入れていると思える。

藤川 宏樹

特選句「咲いてうつむき散って上向く椿かな」。先日、小さな旅。小豆島寒霞渓の林道を入ったところ、鮮やかな花を見せた椿が点々と散っているのでした。咲くは「うつむき」散っては「上向く」、まさにその景でした。

稲葉 千尋

特選句「花吹雪なべて戦場埋め尽くせ」。本当に花吹雪舞いてウクライナをミャンマーを埋め尽くして欲しい。思いは一緒です。早くどの国にも笑顔が戻って欲しい。

伊藤  幸

特選句「<悼 宇田蓋男>彼我若かりき雨の夜神楽茫々と」。今は亡き宇田さんと観に行かれたのであろう高千穂の夜神楽。あの頃は作者も含め皆若かったと思い出は尽きない。宇田さんの屈託のない笑顔が思い出されてならない。雨の夜神楽が更に作者の哀悼の意を深めている。 特選句「手話の子等さらさらと春の血潮」。手話の子等の会話は美しい踊りのようである。さらさらという擬態語の表現が感覚的にストレートに伝わってくる。障害を乗り越え春の血潮のごと元気に夢に向かって未来を担ってほしいと切に祈る。

すずき穂波

特選句「春日傘閉じ落丁のよう真昼」。この句、「落丁」の比喩が抜群。ページが抜け落ちたとは、時空が抜け落ちたことか。存在しているはずの自分が其所にいないのだ。春の日差しから日蔭に入った瞬間に、見失った自己。「いったい私は誰?何をしているのだ?」というような倒錯感なのかもしれない。麗らかな真昼の(陽)から内的な(陰)へ、ドラスティックな映像が様々に浮かぶ句だ。

中野 佑海

特選句「草餅をつまめば浄土ホーホケキョ」。草餅の嫋やかな甘みと口触り。ちょっと口の周りに付く青い粉の存在感。まさしくお浄土。鶯の軽やかな音も聞こえてきそうな。旨ーい。特選句「鞦韆を漕ぐやゆるやかなる摩耗」。ぶらんこを漕ぐようにあちらこちらに気を遣いすり減っていく人生。もう、いい加減手放して。ぶらんこから飛び降りて。「葉桜や補助輪無しのヘルメット」。もう直ぐ自転車にはヘルメットが強制される。ヘルメットの準備期間はあるのか?気に入ったものは手に入るのか?『風光る「もう年です」を禁語とす』。はい、仰っしゃるとおりです。「チューリップみんな違って主人公」。みんな自分の人生の主人公。生きたいように生きようね。「鳥曇豆粒ほどの白チョーク」。黒板の端の小っちゃく小っちゃくなった白チョーク鳥のように羽ばたきたいとどんなに願ったことか。まだ、遅くない。飛んじゃえ飛んじゃえ。「春や恋何に恋せむ七十路女(柾木はつ子)」。まだ、まだ、ぜんぜん。恋しちゃって下さい。年齢関係ありません。情熱のみ。この世の物総て対象です。「春だからつい買っちゃった障子紙」。はい。どんどん素敵にして下さい。その行き当たりばったりこそ心の若さです。「空振りの会話ばかりの春さみし」。会話のテンポが合わないとがっくりしますよね。さあ、気を取り直して、聴くことから始めよう。「咲いてうつむき散って上向く椿かな」。ほんと椿って気遣いの人だよね。今年は肉体改造始めます。もう、うつむいて生きるのは止めた。

河野 志保

特選句「犬ふぐり人の歩幅を知ることも」。人々が歩く道の片隅に咲く犬ふぐり。見つけると駆け寄って話しかけたい気分になる。「人の歩幅を知ることも」の発見に脱帽した。作者の花への慈しみが実感のある確かさで表現された素晴らしい句。

十河 宣洋

特選句「のんべえは家系でござる花吹雪」。花吹雪の中で酒を楽しんでいる。好い心持である。私の家系ものん兵衛らしい。というのは、何代かまえの当主が家を吞み潰した。と聞いたことがある。家財を一切処分してしまった。中には刀や鎧をすべて売り払ったと聞いたことがある。特選句「消えゆくままの校舎の影よ花の雨」。廃校になったか、使われなくなった校舎。荒れるに任されている。校舎だけでなくこういう風景はままある。自分や子供たちが学んだ校舎への思いが出ている。

谷  孝江

特選句「私なら乗れさうな花筏です」。お句見せていただいてすぐ、私、この句一番好き!と思いました。とにかく好きです。こんなきれいで、かわいい花筏、そして、私も乗れさうって嬉しいです。小柄ですので、多くの人の集まる所は苦手です。もう長い事、小柄であることに引け目を感じてきました。妹も弟たちも、それなりの体格ですのに私だけ小さいのです。でも、こんなに可愛いい花筏があるのなら・・・ついつい本気で嬉しくなりました。お教え頂いた作者の方にお礼を申し上げたく存じます。この花筏でお浄土まで連れて行って・・・とお願いしたくなりました。

樽谷 宗寛

特選句「錦帯橋五つの坂や花吹雪」。古里の近くにある日本三名橋の一つ、誰もがご存知です。花吹雪の中五つの坂を登り下りされている姿、映像がしかと浮かんできました。錦川の水が澄みきり花いかだの見事さも一景です。

福井 明子

特選句「春日傘閉じ落丁のよう真昼」。まだ春なのに、日差しがきつくて日傘をさして外出。帰宅して日傘を閉じ、玄関先から家の中へ。すると、急にひんやりと光のさえぎられた薄暗さに、一瞬ためらいます。その感覚を、「落丁のような」と表現したのでしょうか。この言葉感覚に釘づけになりました。

柾木はつ子

特選句「コンビニの灯へ春愁の靴のおと」。何かを引きずっているような靴の音。この靴の主は一体どんな人?或いはひとりのことを言っているのではないかも知れない。いろいろ想像を膨らませてくれる一句です。特選句「行く春や余生といはず全生と(菅原春み)」。賛成です。たとへ百歳になってもこうありたいものです。

若森京子

特選句「春日傘閉じ落丁のよう真昼」。真昼に春日傘を閉じためくるめく瞬間を落丁と感じた作者の独自の詩的感性に惹かれた。特選句「ふと眠る風呂は羊水花疲れ」。これは実感として一日の終りの一番幸せな瞬間だ。羊水の中の赤子の様に。

津田 将也

特選句「ちちははを天にならべて梅真白」。季語の本来の意図や気持以上の効果を配慮した表現への取り組みが受け取れる。「梅真白(うめましろ)は、無垢で、純白な梅の花を五音で表した子季語だが、「清らかで品格」までをも在らしめた。特選句「やっとやっとマスクが取れて卒業歌」。政府は、新型コロナウイルスの感染法上の分類を、令和五年五月八日から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げると決めた。感染者の外出自粛や医療費負担、マスク着用などが大きく変わる。これらを踏まえ、三月には各種学校の卒業式が挙行されたが、マスクの使用などは個人に委ねた卒業式となった。句中の「やっとやっと」のリフレインが、今時(こんじ)世情への人々の願いや思いをうまく伝えており、成功している。問題句「鳥曇豆粒ほどの白チョーク」。歳時記によれば、春の部(動物)に「鳥雲に」がある。「鳥雲に入る」を略した子季語で、春になって渡り鳥が北へ帰っていく様子などを比喩的に表現した季語になっている。「鳥曇」は、春になって渡り鳥が北へ帰っていく頃の曇り空(天文)を指す。この句で「豆粒ほどの白チョーク」は、渡り鳥の様子を象徴するに措かれた詩語なので、「鳥雲に」のほうがよい。

寺町志津子

今回、幾つかのありし日の景が目に浮かぶ句出会いに、感無量の思いをいたしました。有難うございます。特選句「花冷えに軋む廊下や母の家」。父の職業柄、客人の多い実家でした。「花冷えに軋む廊下」に、父母ありし日の頃が思い出され、少し涙が出ました。特選句「葱刻む音の奥処より匂い立つ」。「花冷え」の句と同様、ありし日の実家が思い起こされ、懐かしい母の匂い、昭和の匂いも思い出しました。

男波 弘志

特選句「手話の子等さらさらと春の血潮」。脈打っているのは芯奥にあることば、生きる歓喜が鼓動している。秀作「自販機の下へ吹きこむ花の屑」。こんなところの昏みにも俳諧が蠢いている。日常を畏それる。秀作「憧れをやめてみようか桜餅」。作者は日常を疎かにはしていない。在るものから一切を観ている。桜餅が金輪際かまだそこがわららない。

吉田 和恵

特選句「死にどころ探して桜の下に来た(銀次)」。桜には鬱が宿っていて人は曳かれ、桜の木の下には多くの人が眠っているという。死にどころとしての桜の下は理想かも知れない。問題句「いたううし るんばがてりを にのにのか」「ららがはは こつりひこえけ けひめいか(田中アパート)」。斬新さは繰り返せば色褪せる。一連の表現が続いていますが、言葉以外で俳句を書くという作者の試みも知れません。それならば受け止める側の問題ということになります。どう発展して行くのか期待しています。凡人にもわかる日の来るとも。

大西 健司

特選句「四月馬鹿顔を洗えばほろ苦い」。男の哀愁だろうか、このほろ苦さが胸に沁みてくる。

佐孝 石画

特選句「目隠しのほどける僕と春の鹿」。不思議な魅力を持つ作品だ。「目隠し」という暗喩の正体がわからぬままに、生命体である「僕」と「鹿」がシンクロしていく。そこにはある種の青春性が秘められている気がする。「目隠しのほどける」とは、あるきっかけでこれまでの固定観念や視点が変わる、青年期の心理的変化を思わせる。かつて養老孟司が「知」とは「死」だと語ったことがあったが、青年はあらたな「知」を得ることで、これまでの自分の「死」を迎える。作者はこのまばゆい転生のドラマを「目隠し」という暗喩を用いて映像化したのではないか。 金子兜太先生の「青年鹿を愛せり嵐の斜面にて」に通じる、いのちの輝きをこの句に見た。

三枝みずほ

特選句「桜散る今更雨のあがりそう」。桜の散る哀愁と葉桜へと向かう生命力とが混在する作品に共鳴した。深読みするとそれは人生にも通じる。今更であることと隣り合わせで生き、それを受け入れるしかない、晴れ晴れと。

山田 哲夫

特選句「ちちははを天にならべて梅真白」。早春の真っ白に咲いた梅の花を見ていると、亡きちちははがその背景の空に見えてくるのだ。作者の心の奥底にいつも住み続けていて、何時でも何処でも自在に現れてくれるちちはは。今日はこの天の一角に並べてあげようというのだ。きっとおふたりもこの見事に真っ白に咲いた梅の花に見とれているに相違ない。「天にならべて」に作者の清々しい心の端が見えてくるようで、日頃の父母に対する作者の敬虔な思いの深さが想像されて感銘しました。

野口思づゑ

特選句『あの頃の「いつか」に触れる春の暮』。何年も前なら、いつか私も・・いつかこうなるだろう・・などと先の事を思っていたのが、気がつけば、ひょっとしたらその「いつか」は今なのではと感じる。中七の、触れる、下五の、春の暮れで、まだそれほど深刻、切迫していない、緩い気づきを良く表している。特選句「接木して母に百年の計あり」。接木しても、結果がはっきりわかるまで生きているかどうか、などというよりまず行動、というお母様のプラス思考の明るい句。下五の計あり、も巧みな言葉を持ってきている。

川本 一葉

特選句「つちふるや異国の香り運びきし」。異国の方からの視点が素晴らしいと思った。昨日からの黄砂もこの句を後押ししたように思います。

淡路 放生

特選句「白揚羽少年に白たへがたし」。世に白黒と言うことばがある。たいていの場合、白をよしとして黒をそうではないとする。果たしてそうか。少年の純の眼で見るとそうでないこともある。「白たへがたし」は白揚羽の群れに、敢然と向う。

柴田 清子

特選句「春だからつい買っちゃった障子紙」。自然体で、日常で誰もが呟いている言葉である。出来そうでありながら、誰にでもは、出来ない句。最後の障子紙で特選に決めました。

鈴木 幸江

特選句評「さよならとはじめましてに花の雨(松本美智子)」。禅の教えに“入り口は出口なり”という言葉がある。それを想った。捨てることから始まる自然(じねん)。そして、問うことが答えであるということ。“さよなら”“はじめまして”の日常会話の発生する現場に内包されている未知の無限に、花に雨降る景が答えのように表現されていてお見事。問題句評「可笑しみを溶かしておくれ花吹雪(高木水志)」。“可笑しい”は滑稽だ、変だという意味が第一義だが、“面白い”と同じような、惹かれるの意味もある。私はこの「可笑しみ」という修辞に作者はどちらに重点を置いたのか、何故か とても気になってしまった。勝手な希望としては“悲しみ”を加えて美しく、可愛らしい感性が花吹雪と共生している有様を表現して欲しいと思った。それには「溶かして」の修辞に少し違和感が残り問題句とさせていただいた。

石井 はな

特選句「つちふるや異国の憂ひ運び来し」。黄砂には国境もなく遠慮会釈なく飛んで来ます。世界のどこかで起こっている災いも、無縁ではいられません。世界が平安で有ることを祈らずにはいられません。

塩野 正春

特選句「接ぎ木して母に百年の計ありき」。おそらくですがすでに他界されたお母さんのことを思い浮かべた句と思います。接ぎ木された木がこんなに大きくなることを予想していたのか今となってはNobody knowsです。大木となって手に余る存在なのか、もしくは果実の木でしたらうれしい限り、などなど想像します。木が残っているとしたら後者でしょう。想像広がる句ですね。特選句「凸凹を指でなぞって春はあけぼの(榎本祐子)」。誰が使い始めたのか凸凹とは不思議な文字です。物理的な凸凹、指でなぞれる所なら立ち木や建物の外壁とか点字ブロック、さらにご自分の顔や躰の曲線など、いろいろあります。“ようやく春”の情景を詠みこんで素晴らしい句と思います。問題句「ふと眠る風呂は羊水花疲れ」。風呂が羊水とはすばらしい発想です。人間が生まれ出て一番安心出来る場所は羊水のなかでしょうか?ただ、この習慣は危険な行為です。そのまま逝くこともありますのでご注意の程。

竹本  仰

特選句「くぐるたび母に近づく花曇り」選評:母に近づく。でも、どうやって?という問いに、さらりと口を衝いて出てしまった歌のような句なのかと思います。小さい頃から何かと母に近づき、それが齢とともに遠ざけ、もう会うこともほど少なくなり、母からは独立したと思っていたのに、桜の通り抜けの際、ふいにその母にもっとも近づいているのを感じる。それも憂鬱な表情をした時のあの母に。いくら強く楽しくうわべは装っても、無言の素顔の母にほとんど瓜二つになった自分に驚いている。嫌がりながらも繰り返す親子劇、山本有三に『波』という作品があったのを思い出しました。こちらは父子の間のことでしたが。特選句「目隠しのほどける僕と春の鹿」選評:野生の春の鹿を見たことがありました。あの奈良の公園にいるような奇麗な鹿ではなく、ずんぐりして動きも不器用ながら山野の起伏をのりこえてゆく荒々し気な鹿です。それはただ一生懸命生きる泥くさいものではありますが、妙に胸を打つものがあります。人間の成長とは決して直線ではなく、えもいわれぬほどの凸凹の悪路においてでしょうから、ふいに成長を感じる瞬間は、この句のようなものかなあと。句の背後には何か、なまの自分と対峙しているような感じがあります。少年期の自分に何度も帰りながらしか、自分を確かめられない。そんな真実を思い出させてくれるいい句だと思います。特選句「花吹雪なべて戦場埋め尽くせ」選評:桜のもっとも軽くなる瞬間は落花のときなのでしょう。落花の直後の桜は、ざっと水に飛び込んだ後のようなすがすがしさがあり、それも見どころの一つなのだと思うのですが、そこまで桜を見るひとは小生のような変人だけかもしれません。人間の憎悪を越える何かは人間によって生み出されるものではなく、どうしてもそういう瞬間があるのだという、そんな気がします。命令形で示された単なる願望ではなく、鎮魂の響き、それも遠くからやってくるその響きを感じます。トルストイに「イワンのばか」という民話を基にした小話がありますが、どんなに悪魔が悪さをしてもそれを乗り越える愚鈍な正直さが描かれていて、そうですね、そういう眼でこの句を見ると、向こうの桜は暗くびちょびちょした暗鬱なものらしいので、そういう花吹雪として見ても面白いかと味わいました。  以上です。

今年の黄砂はすごかったですね。ここ淡路島からは普段見えている小豆島がぶ厚い壁の向こうに隠れた感じがしました。そして、海上の黄色い帯が視界の限り延びて、あらためて地球なんだなと、毎年涙眼をこすりながら暮らす向こうの人を思わせます。私の師と仰ぐ方は、児童のころ、大連におられ、終戦直後、占領軍のソ連の将校に初めて野球を教えられたそうです。その後、日本に帰国し淡路島に転住、中学でも高校でも野球で全国優勝したメンバーの一人でした。高校の教員を早期退職後は、野球の恩返しに大連に留学し、いくつかの野球チームを育て、亡くなってしまいましたが、WBCの中国もひょっとしてその中に師の一投が入ってなかったか、黄砂を見ながら、かの師のことを思い出しました。

風   子

特選句「ふるさとの電車小さし葱坊主」。琴電が郊外を通り抜けていくのを見ていつも小さいなぁ、と思います。春の午後コトコトと走る一両電車、客は5人もいるでしょうか。長閑。 「春怒涛同じ話は聞きたくない」。同感、同時にグサッと。「ふらここの鎖ぎいぎい泣くやうに」。鎖のなるブランコ、あったなぁ。「白梅の憤怒のような光かな」。そう感じる人もいるのか…。「鏡片の春光集め地より日矢(時田幻椏)」。日矢は地上からも、意外。「内見のスリッパ硬しリラの花」。何の内見か…想像させる巧みさ特選に迷った一句。

田中アパート

特選句「行く春や人混みのなかに消えてゆく」。ゴドーをさがしに?

月野ぽぽな

特選句「ふと眠る風呂は羊水花疲れ」。なんと幸せな疲れでしょう。読後に心も体も心地よさに包まれました。

高橋晴子さんが永眠されたのですね。心よりご冥福をお祈りいたします。淡路島吟行で、気ままに歩く先々で、ふと気づくと、晴子さんと歩を共にすることが多かったことを思い出しています。小柄で可愛らしいお姿と、清く誠実で男気のあるお人柄が、とても魅力的な方でした。心に染みる励ましのお言葉もたくさんいただきました。ご一緒させていただいた時間は宝物です。海原香川句会に、憲子さんに心から感謝いたします。

重松 敬子

特選句「骨へ移転とあなたげんげの道をゆく」。最近闘病の句が多く、心配しております。これは、ご本人ではなさそうですが・・・病は誰にも突然ふりかかってきます。平癒をお祈りするばかりです。

高木 水志

特選句「旋律の解けるように秘話 さくら」。桜の花びらがひらひらと舞い落ちる様子を、作者は「旋律の解けるように」様々な秘話として感じたのが、詩的で魅力だと思う。

川崎千鶴子

特選句「ユマニスト大江逝きたり 花水木」。大江健三郎が逝去された。平和と人間の尊厳を文学を通して世界に発信したノーベル賞作家だ。生活もヒューマンにあふれた作家だった。一字開けの季語「花水木」が見事。特選句「骨へ移転とあなたげんげの道をゆく」。癌が骨まで転移してしまったと医師に告げられたと妻に報告し、そのままげんげの咲く道を夫が行かれたのでしょう。この余韻がみごとで映画のワンシーンが浮かぶ。

漆原 義典

特選句「くぐるたび母に近づく花曇り」。母を詠まれている句に、私も母を想い感傷的になりました。ありがとうございました。

松岡 早苗

特選句「憧れをやめてみようか桜餅」。WBCの決勝戦を前に大谷選手が放った言葉を思い出す。「憧れ」には青春の夢やチャレンジ精神が詰まっているけれど、たまにはすっと肩の力を抜いて等身大の自分を慈しむことも大切。「桜餅」のちょっと酸味のある甘さと上五中七がうまく響き合っている。特選句「猫の尾に触れて春風のふくらみ(河野志保)」。ふわふわの猫の尻尾。見ていると尻尾自身に意志があるかのようにくねくね動いておもしろい。ふわふわした感触と動きに合わせて、ふっくら心地よい春の風が撫でてゆくよう。

あずお玲子

特選句「弁当屋に蝶のきてをりいつも午後」。常連さんがたくさんいる弁当屋さんでしょうか。お昼時は忙しくてそれどころではないのでしょうが、それを過ぎてふとガラス戸から外を見ると蝶がふらふら。そう言えば昨日も一昨日も来てたなと。春のきらきらした日差しが斜めに差し込んで、さてこちらもお昼にするか!なんて穏やかな明るい光景です。下五「いつも午後」が好いです。

野田 信章

特選句「骨へ移転とあなたげんげの道をゆく」。春の野面の擦れ違いざまの一句かと読めるが、「骨へ転移と」の片言の修辞には言外の重たさがある。野を辿りゆく知己のこの坦々とした姿を包み込む春の大気の中に作者の心情の眼差しも重なってくる句柄である。問題句「非戦非核と人も桜も満開」。「非戦非核と」叫んでいればよい時代は過ぎたぞという自虐を込めた一句かと読んだ。そのことを伝達させる定型詩としての韻律もまた大切かと次作の形で味読しているところである。喩としての桜を生かし切るためにも。<非戦非核と人も桜も満開だ>

三好つや子

特選句「白揚羽少年に白たへがたし」。この句から傷つきやすく、傷つけやすい少年の心の危うさを感受。白揚羽は、白くてほのかに蒼い思春期の深々とした心象でしょうか。とても魅力的な表現です。特選句「接木して母に百年の計あり」。先人たちの知恵が息づく接木。「この樹は、昔、おばあちゃんが苦心して接木し、こんなに大きくなったんだよ」と、孫がその子に語っている光景が目に浮かびます。閉塞感のあるこの時代、心に響きました。入選句「ユマニスト大江逝きたり 花水木」 ユマニストは大江健三郎を語るに欠かせない言葉。彼がこの世に遺したものを、花水木が賞賛しているように思われ、注目。入選句「戦争が転がってくる花筵」。花見をしながらいつしかウクライナの話になったのでしょう。誰もが戦争に無関心でいられなくなった昨今を、うまく捉えています。

高橋晴子さんの訃報を知り、海程香川アンソロジー『青むまで』で高橋さんの句と文を読み直してます。この海に育つ魚鳥空海忌 向日葵に満天の星地球病む など十五句どれも深く詠まれ、しみじみとしました。文中の最後から六行は、まさにその通りで、作句の導きのように感じました。ご冥福をお祈りします。

松本美智子

特選句「咲いてうつむき散って上向く椿かな」。椿の花の咲き方散り方を良く観察して言い表している句だと思いました。咲いているときは謙虚に・・・しかし散ってその存在感をしっかり残す。人もそのように生きたいものだと思います。

吉田亜紀子

特選句「盧生とは考の俳号葦の角」。「盧生」、この言葉から、「盧生の夢」を連想する。そして、「盧生の夢」は、「邯鄲の夢」とも言われる。昔、中国の盧生が趙の都邯鄲で黄粱を、つまり、大粟をにる短い時間に一生の夢をみたという故事を思い出させる。人生は儚いものだけれど、俳句は、ギュッと詰まった夢のように凝縮させ、充実させてゆきたい。この俳号から、そんな願いを感じた。また、「葦の角」。この季語で、この葦のように、柔軟かつ強く真っ直ぐ長い俳句人生を過ごされたのだな。と、私は推測する。特選句「彼我若かりき雨の夜神楽茫々と」。「神楽」とは、神をなぐさめるため神前で行なう音楽舞踊。作者は、故人と若い頃、雨の夜、一緒に神楽を観て過ごした。また、「茫々」という言葉から、神前で行う神楽を、どのように鑑賞したのか、想像が膨らむ。故人と神楽。とても神秘的だ。そして様々な感情が「雨」によって、明らかに表現されている。心に残る一句だ。

榎本 祐子

特選句「目隠しのほどける僕と春の鹿」。僕と春の鹿の青春性。目隠しを外したときに現れる期待と不安。「ほどける」の微妙な間が魅力。

田中 怜子

特選句「花冷えに軋む廊下や母の家(あずお玲子)」。昔は建付けの問題の隙間風があり、寒かったですね。今日、18日も花冷えです。誰も住まなくなってきているのか、いつか取り壊されるのかもしれませんね。日本のものがないがしろにされてゆく寂しさを感じます。それとともに家族関係も悔いとともに蘇ってきているのかな、と。特選句「前に春耕かなたにうごめくビルの波(伊藤 幸)」。こののどやかな広がりが蠢ビル群に飲み込まれてゆくんですね。人口減なのになんですかね。この句には悲壮感は感じられませんが。

桂  凜火

特選句「目隠しのほどける僕と春の鹿」。目隠しがほどけるだけなのに妙になまめかしいのはなぜでしょう。おそらく「目隠しのほどける僕と」の措辞がいいのですね、春琴抄を思い出しました。でも目隠しがほどけるに意味を深く読めば、それなりの理屈になるのでしょうがここは耽美的に読ませてもらいます。目の前の春の鹿は清楚で美しい風情が伝わります。素敵な世界ですね。

岡田ミツヒロ

特選句「忘れ物して遅刻して桜(山下一夫)」。世俗的な「忘れ物」「遅刻」という言葉の並列から追憶の情感の奥行へと誘う、季語の力への信頼。特選句「気づいたら明日はさびしいのだ春愁(竹本 仰)」。希望とともに語られる「明日」、しかし「明日」が輝きを放った時期は時代的にも又個人としてもすでに過ぎ去った。いま「明日」の光は薄く揺らめくさびしさ。

大浦ともこ

特選句「今昔のすみれ泣く声 この辺り」。短い一句に豊かな詩情が感じられます。”今昔” ”すみれ” ”泣く声”一文字空けての”この辺り”・・どの言葉も古くて新鮮。 特選句「桜散る今更雨のあがりそう」。少し無念そうに空を見上げている様子が見えるようです。「今更・・あがりそう」が他人事のようでユーモラス。

丸亀葉七子

特選句「接木して母に百年の計ありき」。健康家族がありありと見える。お母さまいつまでもお元気で。特選句「チューリップみんな違って主人公」。幼い児はみんなチューリップが好きだ。みすゞの詩に(みんな違ってみんな~~)のフレーズがある。チューリップのリズムとぴったり。主人公が良い。ちょっと・・「咲いてうつむき散って上向く椿かな」。着眼の良い素晴らしい良い句だ。咲いてと、省略しても中七に上向くが有るから読み手には充分に理解ができる。俳句の基本は 5・7・5 そして17音だと思う。

増田 暁子

特選句『あの頃の「いつか」に触れる春の暮』。「いつか」に触れるの中7が心に響きます。特選句「春の星涙がこんなに青くって」。青い涙に惹かれました。春の星の季語がとても効いてます。

新野 祐子

特選句「<悼 宇田蓋男>彼我若かりき雨の夜神楽茫々と」。作者は、宇田さんと若い頃からのご友人なのですね。「雨」「茫々と」に宇田さんを失った悲しみがにじみ出ています。特選句「戦争が転がってくる花筵」。「戦争が廊下の奥に立っていた」ではありませんが、一触即発の現在の社会情勢を辛辣に詠っていると思います。

疋田恵美子

特選句「ふわふわと身は漂流の弥生かな」。軽やかな浮遊感に春の喜びを。特選句「黄泉はぬかるみ朧夜の耳の底(月野ぽぽな)」。かさねて闇を、今の世相を詠んでいるのでしょうか。下語では作者の内面のようにも思われます。

中村 セミ

特選句「屍をもう離れてゆく春の蛇」。屍が何か分からないが、この蛇は長い旅を、続けまだ飽きもせずに,次の何処へ向かおうとしている。蛇は活動できる範囲で30年ともいう。冬眠が,半分占めるとして、15年のうちに、何を、見てきたのだろうか。少し気になりました。

佐藤 仁美

特選句「麦秋や高く音を引くバグパイプ(松岡早苗)」。黄金色に実った麦とバグパイプの音色は似合います。一瞬で光景が、音が、浮かびました。特選句「泣くやうに笑ふ母へと花吹雪」。顔をくしゃくしゃにして笑う、かわいいお母様と、薄いピンクの桜の取り合わせ!この幸せが、いつまでも続きますように。

佳   凛

特選句「やっとやっとマスクが取れて卒業歌」。卒業歌を高らかに歌える幸せの時.長いマスク生活、大変でした。でもお互いの目をしっかり見て、話す習慣は 良い副産物でもあります。これからは 表情の変化を楽しみ乍ら、大人も子供も過ごせる事でしょう。

薫   香

特選句「錆びた戦車がすみれを轢きて進む」。大国ではなく、小さい国が中古で購入したであろう錆びた戦車に乗り込み、狂った気持ちは小さきすみれさえも目に入らず進む様子が、戦争という狂気をこちらにしっかりと伝えます。特選句「蒼ざめた馬よ桜しべ降るサドル」。  青ざめた馬の持つ意味に驚きながら、下の句で一気に日常に引き戻されました。桜の花びらではなく、桜しべとサドルとの取り合わせがきりりとしていて素晴らしいです。

滝澤 泰斗

特選句「ちちははを天にならべて梅真白」。父が亡くなった年になってから、親父を思うことしばし。いろいろな日常の場面で、二人の共同幻想に思いが向き、息子との関係も重なって・・・結局のところわからず仕舞い。そして、母も鬼籍に入り掲句がリアルに脳裏の一角を確実に占有した。特選句「兎追いしはあの山この野山笑う(津田将也)」。亡くなった父母と共に田舎を始末して五年。望郷の念もしばし蘇る。コロナで遠ざかった墓参りへと父母が、姉が、祖父母が、叔父や叔母が呼ぶ。帰りたいけど帰れない。

山本 弥生

特選句「チューリップみんな違って主人公」。幼い時から一番親しんだチューリップの赤・白・黄色、どれも皆舞台の主役のように誇らしく咲いている。

時田 幻椏

特選句「鳥曇豆粒ほどの白チョーク」。鳥曇と豆粒ほどの白チョークの取合せが絶妙、良い句です。特選句「鞦韆を漕ぐゆるやかなる摩耗」。緩やかなる摩耗が実感、鞦韆を漕ぐアンニュイな気分が素直です。「咲いてうつむき散って上向く椿かな」。我が家の熊谷椿が、何故か全くこの通りです。「霾るや窓に許せぬ友透かし(佐孝石画)」。許せぬ友との距離感、関係性が微妙です。問題句「引き返せぬと初花の青白き(風子)」。下5の青白きが気になります。初花の意気にもう少し適した言葉が有るかも知れません。

荒井まり子

特選句「白梅の憤怒のような光かな」。長引く世の中の内外の不安。緑眩しい季節になったが、白梅が印象的で深さを感じる。

河田 清峰

特選句「おもつしよいことあるかい?晴ちやん鳥雲に(野﨑憲子)」。父似の楸邨先生と旅をして俳句一途に生きた高橋晴子女史に献杯。

植松 まめ

特選句『あの頃の「いつか」に触れる春の暮』。夕方の台所に立っていると70年代のフォークソングを聞きたくなる。昔はカッコよかった彼(今の連れ合い)が大口開けて爆睡している。あの頃に戻ってみたいがやめとこう。特選句「春怒濤同じ話は聞きたくない」。一斉地方選の真っ只中だ。昔は政治談議に興味があったが今は興味がない。棒読みの様な総理の国会答弁ああもう聞きたくない。

藤田 乙女

特選句「初期化してわたしの余生花菜風」。私も余生をそのようにとらえ日々を過ごしていきたいと思いました。

銀   次

今月の誤読●「忘れ物して遅刻して桜」。わたしはよく忘れ物をする。だから出かけるときは慎重に慎重を期す。財布は持ったか? ハンカチは? あれはこれは? といちいち触り触りし、万端怠りないことを確かめてうちを出ることにしている。それでも失敗することはママある。今日も今日とて、最初の角を曲がろうとして、手荷物の花見弁当を玄関に置き忘れてきたことを思い出した。さよう、今日は友人たちと連れだって、花見に行くことになっているのだ。わたしはその弁当係を仰せつかっていたのだ。おっと、またやっちまったか。わたしは苦笑しつつ、とって返して、弁当をしっかと胸に抱いて再びうちを出た。これで一安心。駅まで歩いて電車に乗った。一駅、二駅と過ぎて、今日はいい天気だなあ、もってこいの花見日和だと、車窓をながめて独りごちていると、痛てっ! 突然足に痛みをおぼえた。乗客のだれかが、わたしの足を踏んだのだ。だがそれにしても尋常ならざる痛さだ、と自分の足を見て驚いた。なんと、わたしは靴を履いていないのだ。やれやれ、靴まで履き忘れてくるとはわれながら情けない。でもまあ、いま気がついてよかった。いい忘れたが、わたしにはもうひとつ癖があって、それは遅刻ぐせなのだ。だから今日はそのぶんたっぷり時間をとってうちを出た。大丈夫、余裕だ。わたしは次の駅で下車し、自宅まで帰り、靴を履き、もうぜったい忘れ物がないよう確認し、またぞろ電車に乗った。靴はもちろん履いている。もよりの駅で下り、待ち合わせの場所までさわりなくたどり着いた。むろん時計は確認した。約束の時間までじゅうぶんある。友人らがきたら、挨拶代わりに「遅刻だぞ」とでもいってやろうか。……だが、それにしても遅い。……遅すぎる。……あまりにも遅すぎる。場所に間違いはなし。時間はときたら、とっくに過ぎている。それどころか日が暮れだした。まさか! と思ったのは四~五時間も経ってからのことだ。あわててポケットから手帖を取り出し、スケジュール表を確かめてみた。「花見」と書いているのは昨日の日付だった。わたしはまる一日遅刻したのだった。呆然としているわたしの鼻先を、桜の花びらが頼りなげに舞っている。

菅原 春み

特選句「花冷えに軋む廊下や母の家」。母の家の軋む廊下がありありと目に浮かびます。まして花冷えの季節に。特選句「接木して母に百年の計ありき」。接木する母上の気概と行動力にただただ眼を瞠ります。120歳はかたいかと。

亀山祐美子

特選句「内見のスリッパ硬しリラの花」。事実であるスリッパの硬さに内見者の緊張感と期待感が伝わりリラの花の明るさが未来を予見させる。

三好三香穂

「やっとやっとマスクが取れて卒業歌」「忘れ物して遅刻して桜」「のんべえは家系でござる花吹雪」今回は実感のある、川柳と言ってもいい句を選んでみました。

山下 一夫

特選句「春日傘閉じ落丁のよう真昼」。春日傘を閉じた状況の設定は人それぞれでしょうが、例えば、季節外れに強い日差しの通りを日傘を掲げて歩いてきた和装の婦人が屋内に入ったところを思い描きます。昼時であることや強い日差しを避けて、皆屋内に籠っているからか、通りも屋内もひっそりしています。そんな「落丁のような真昼」の一情景がありありと目に浮か び、なぜか懐かしさまで感じます。特選句「目隠しのほどける僕と春の鹿」。春になると鹿の雄は角、雌は冬毛が落ちて何となくみすぼらしくなるとのこと。しかしそれは来るべき再生や充実の前段階でもあります。季語のそのような含みが「目隠しのほどける僕」と良いバランスで呼応しているようです。また、ほどかれたりほどいたりするのではなく自然に「ほどける」ことや「僕」という語も季語の柔らかな響きと呼応していると思います。句意は曖昧ですが、自然の営みを背景とした穏やかな解放感が心地よいです。問題句「白揚羽少年に白たえがたし」。中七下五のイメージは湧くのですが、白揚羽に引っかかってしまいました。検索しても白揚羽そのものはヒットせず、近いものを探してみてもウスバシロチョウという羽が透明な蝶くらいしか見つかりません。どこかの地方の俗称としてあるのでしょうか。強調されている白は、白シャツや白肌着、白帽子等、大人が少年に押し付ける制度のようなものを想いますが、あえて揚羽とされているところがわからないところです。

稲   暁

特選句「白梅の憤怒のような光かな」。 作者の内部の憤怒と白梅の光が呼応して、迫力のある作品となっている。我々はもっと怒るべきなのかも知れない。 

森本由美子

特選句「コンビニの灯へ春愁の靴のおと」。今夜は何人が灯を求めて自動ドアを押し、手先を消毒し、買い物籠を下げて店内を徘徊することだろう。靴は疲れたスニーカー。店は春愁で充満する。

向井 桐華

特選句「鳥曇豆粒ほどの白チョーク」。景が浮かぶ。「豆粒ほどの」と、北の空へ雁や鴨が帰って行く曇り空とが呼応する。そこに黒板があることは容易に想像できる。作者の心情が季語に投影されていてかなしくも美しい。問題句「いたううし るんばがてりを にのにのか」。 訴えたい何かがあるのかとは思いますが、リズムだけでは俳句にならないと思います。

野﨑 憲子

特選句「水匂い戦匂いて夜の花」。櫻の夜は、水が匂う。そして戦の匂いも。戦争の業火は狭まるどころか広がっている。そこは、人類だけでなく色んな生きものの棲家でもある。もっともっと人類の足元を照らす愛語が欲しい。 「 Be water!  (ブルースリー)」

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

胎動せし子今日天晴れの卒業歌
藤川 宏樹
晴天も雨天もありし晴子の忌
島田 章平
燧灘晴れわたりたり花吹雪
野﨑 憲子
麦秋のしんがりにゐる晴れ女
亀山祐美子
別れたの晴ればれしたの本当なの
柴田 清子
百万の躑躅の谺山晴るる
大浦ともこ
春の朝いつも挨拶らんららん
薫   香
霾風や駱駝の色の朝始まる
あずお玲子
朝潟を歩けば弾むちきれ雲
野﨑 憲子
空席の埋まらぬ朝やよなぐもり
亀山祐美子
家系図の途切れ朝顔咲くところ
淡路 放生
花散らす雨聴く朝(あした)日曜日
大浦ともこ
移り香や藤の迷路を抜け出でて
銀   次
孔雀藤まるで藤純子みたい
柴田 清子
人の世は天地逆さま藤咲けり
島田 章平
白藤や僕を呼んだのは誰
野﨑 憲子
役立っているんかお前藤の花
藤川 宏樹
ビオトープに白藤純心女学園
あずお玲子
父ゆるす母はゆるせぬ藤の花
淡路 放生
言霊の指を折る黙かかり藤
亀山祐美子
活躍の花見場所取る平社員
中野 佑海
聖五月平和の鳩の羽根拾う
柴田 清子
平凡はむつかしきこと姫女苑
大浦ともこ
水平を奏づ日永のチェロの弓
あずお玲子
大谷翔平的俳人生れよ夕雲雀
野﨑憲子
蒼天に桜 龍馬に水平線
藤川 宏樹
思い橋渡る渡らぬ行く行かぬ
銀   次
橋を渡りて帰らざる春の闇
大浦ともこ
この橋を渡れば彼岸とおりやんせ
島田 章平
黒揚羽丸太橋より日暮れけり
亀山祐美子
杖ひいて傘寿の橋に来ていたり
淡路 放生
錦帯橋こむらがえりの花の宵
中野 佑海
桜蕊踏みつつ帰る朝の橋
野﨑 憲子

【通信欄】&【句会メモ】

【通信欄】

先日拝受しました「海原」代表、安西 篤様からのお葉書の一部をご紹介させていただきます。「海程香川」句会報第一三八回を有難うございました。多くの共鳴句がありましたが、好みとして次の句を挙げてみました。「骨へ転移とあなたげんげの道をゆく(大西健司)」「咲いてうつむき散って上向く椿かな(伊藤 幸)」「鞦韆を漕ぐやゆるやかなる摩耗(小西瞬夏)」一層のご発展を。

「海程香川」の仲間である髙橋晴子さんが三月尽に他界されました。ながらく透析治療をし、最近は眼や耳が遠くなっていらっしゃいましたが、二月句会迄ご参加くださっていました。晴子さんは、加藤楸邨が教鞭を取っていた青山学院女子短期大学で学び専攻科へ進まれた楸邨の直弟子で、私事乍ら私も、楸邨の句<木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ>に俳句の扉を開けてもらったので、不思議な縁を感じていました。有る時は、晴子さんが、「海程」の俳句道場へ行きたいと希望され、河田清峰さんと三人で長瀞の養浩亭まで出かけてまいりました。句会の最前列に並んで座り、兜太先生のお話をお聞きしました。始終「おもっしょいのぉ!おもっしょいのぉ!」とご満悦でしたね。晴子さんは、俳句と真摯に向き合い、愛し抜かれ、生涯独身を通されました。心からの尊敬の念と共に晴子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。「海程香川」十周年記念アンソロジー『青むまで』の晴子さんの自選句を紹介し、ご供養とさせて頂きます。                           合掌。        

 『風の中   高橋晴子 十五句』

ウイルスも人間も只生き春宵   

楸邨忌紅き実椿天を映す   

女郎蜘蛛死に態で揺れ風の中

春の月仏陀最後の旅にあり   

向日葵に満天の星地球病む 

師は今も戛戛と生きとりかぶと     

この海に育つ魚鳥空海忌     

山の田の太陽を踏み水すまし    

雷雨来て満濃池は竜の相     

天に向き弘法麦なに書きをらむ  

遍路絶え蝉絶え白き道一路    

天翔る白狐の消えて盆の月                  

座禅組む眼前千の松の芯     

風の樹に蝉も雀も人間も   

母の知らぬ我が三十年よ雑煮椀   

明日から五月です。今月から「海原」Zoom句会が始まります。超結社での句会だそうです。奮ってご参加ください。本会は、前々より第二土曜日への開催日の変更をと思っていましたので、五月より第二土曜日開催に決定しました。この機会にますます熱く多様性に満ちた句会へと進化させていきたいです。俳句愛溢れる皆様のご参加を心待ちにしています。詳しくは「句会案内」をご覧ください。

2023年4月5日 (水)

第137回「海程香川」句会(2023.03.18)

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事前投句参加者の一句

立たされたことありますか卒業す 鈴木 幸江
荒みゆくキーウは遥か春炬燵 塩野 正春
父酔えば水俣話し春立つ夜 吉田亜紀子
花贈る長くて十日癒せれば 滝澤 泰斗
麦踏んでたちまち君は青けむり 桂  凜火
他界から反戦の波春の闇 高木 水志
早春の鈴の音あおく山羊放つ 松岡 早苗
薄氷や莟のごとく過る魚 男波 弘志
雨の梅林くっ付く人に選ばれて 中野 佑海
酸素系漂白の野に酔ふ戦車 藤川 宏樹
流氷や置いてきたもの皆光る 松本 勇二
例えれば刺客ブルネイの黒き蝶 大西 健司
ステージ4妻の言葉はシクラメン 稲葉 千尋
母も踏む背ナの子も踏む春の土 福井 明子
パワースポット蝌蚪の手がでる水たまり 増田 暁子
剪定の先に海山空青し 菅原 春み
春の山肩もくびれも草書かな 川崎千鶴子
傍観は許さぬ地平葱坊主 岡田ミツヒロ
饒舌の魚の群れや水温む 佳   凛
野焼き果て静もる山やウクライナ 石井 はな
眼の端に不条理光っていて三月 河田 清峰
師系というかすむ遠景人馬跳ね 若森 京子
混じりっ気無しの純情クロッカス 植松 まめ
文旦の擦りあう百の谺かな 十河 宣洋
雲雀揚がらぬ田んぼは除染の轍のみ 新野 祐子
三月や少し背丈が伸びしかも 銀   次
早春のせゝらぎに昆虫でいる私 久保 智恵
譜面台小さくたたみ卒業す 大浦ともこ
パレットに油彩のもがき養花天 三好つや子
独善を許し得ぬまま蛇眠る 時田 幻椏
群像の真ん中におく桜かな 重松 敬子
竹炭焼き貯め男が消えた冬苺 野田 信章
自由満喫シベリアへ鳥帰る 野口思づゑ
選り分けてすみれを残す庭掃除 柾木はつ子
足跡を辿ればいつも陽炎える 榎本 祐子
愛憎もけむりになりて別かる春 三好三香穂
少年蓋男みまかりて春霞 疋田恵美子
灯台へ道の栞や水仙花 菅原香代子
歪みつつ鏡の中を歩く三月 飯土井志乃
花辛夷飛び立つほうへ顔向けて 河野 志保
春夕焼け母が海へとかえる色 竹本  仰
夕燕追う横顔の擦り傷よ 三枝みずほ
師の形見小さき雛に守られて 薫   香
啓蟄や白米甘く炊き上がる 小山やす子
タンポポと濡れているのは自衛隊 津田 将也
太陽の雑音のようレタス剥ぐ 森本由美子
眩暈いいえミモザに揺るる風でせう あずお玲子
春の夢弥勒菩薩は脚を組む 荒井まり子
冬眠の蛙掘るに鍬のためらいも 佐藤 稚鬼
ふらここを揺らし人生どのあたり 谷  孝江
たんぽぽのぽぽのところがぽぽなです 島田 章平
雪解けやただ古いものにゅうと立つ 中村 セミ
むくり起き上がるよ兵士と向日葵 樽谷 宗寛
そでく□は□きう□のて□い□で□□□□ 田中アパート
花疲れシーレ展より唄声が 上原 祥子
「初音ですね」「そんな気もする」古茶を汲む 吉田 和恵
イブニングドレスのリカちゃん雛の横 川本 一葉
ちぎれやすき少年のこゑ卒業歌 小西 瞬夏
囀りや耳穴太き裸針 山本 弥生
おいでまいおむすび山が笑い出す 漆原 義典
春海や父は蒟蒻と成りぬ 豊原 清明
明日を待つ心何色しゃぼん玉 稲   暁
目も肌も乾ききったる春の風邪 向井 桐華
同行は犬ぞ遍路の白い杖 丸亀葉七子
オーボエは遠き狼煙か春浅し 増田 天志
寝るチカラ弱く春の月やわらかく 松本美智子
春愁の雨傘透けてゐたりけり 柴田 清子
X線看入る骨の夏野の如くなり 淡路 放生
大風呂敷の父を謗りて涅槃西風 伊藤  幸
雛の黙女の黙の取り囲む 亀山祐美子
廃屋に大き神棚青き踏む 山下 一夫
水温むあとふたはりのお裁縫 佐藤 仁美
はしゃぐ子のかっぱえびせん野は春へ 藤田 乙女
連翹の一輪彼の地に花畑を 田中 怜子
伊勢よりも東は晴れて猫の恋 山田 哲夫
青鮫忌朝を投函したのです 佐孝 石画
老年や春のたゆたふ水の影 寺町志津子
海髪(うご)やさし焼玉エンジン又やさし 野﨑 憲子

句会の窓

増田 天志

特選句「麦踏んでたちまち君は青けむり」。 麦を踏むと青き踏むとのアマルガム。追憶と郷愁の一句。初恋かも。

松本 勇二

特選句「囀りや耳穴太き裸針」。取り合わせに切れ味があります。まるで江戸時代のような清々しい裁縫風景です。問題句「少年蓋男みまかりて春霞」。宇田蓋男さんが逝去されたのを「海原」46号で知りました。まさに少年のような、鶴瓶師匠のような楽しい人でした。少し手を加えて、「少年の蓋男みまかり春霞」などとしますと、調子が整うのではと思います。

福井 明子

特選句「剪定の先に海山空青し」。海・山・空―。剪定をする人の体感が視界を広げてゆきます。おおらかにシンプルに歌われた一句。生かされているという実感。しみじみとした感慨が伝わってきます。

桂  凜火

特選句「オーボエは遠き狼煙か春浅し」。戦の匂いがつき纏う落ち着かない春です。オーボエは確かに遠く低く響き狼煙のようだと共感しました。春浅しもよくあっていますね。

十河 宣洋

特選句「タンポポと濡れているのは自衛隊」。タンポポの中に匍匐している自衛隊の演習を思う。私が若い頃勤めていた地域は夜になると行軍の演習をしている自衛隊によく出合ったのを思い出した。特選句「オーボエは遠き狼煙か春浅し」。オーボエの響きを聞くと腹に響くというか全身を包むような思いがする。狼煙のように響いてくるのである。

津田 将也

特選句「はしゃぐ子のかっぱえびせん野は春へ」。ついに「かっぱえびせん」が俳句にまで登場したかの歓迎感あり。頼もしい。余計だが、伊藤園の「おーい!お茶」新俳句大会に出せば、きっと入賞に違いない。「野は春へ」の季語の働きがよく、とても新鮮。特選句「薄氷や莟のごとく過る魚」。季語の「薄氷」に対し、過(よぎ)る魚を「莟のごとく」と比喩したことを褒めたい。「薄氷」は、春先の寒さが戻ったとき、または、冬に張った氷が春になって解け出し薄く残っているとき、そのような氷を言います。

谷  孝江

特選句「ステージ4妻の言葉はシクラメン」。ご主人の暖かさが体中通り抜けました。お優しいご主人がいつも近くにいてくださるなんてお幸せです。シクラメンであったり、すみれであったり、お二人の会話が静かに続くのでしょうか。お二人の間ではたくさんの言葉なんていりません、春の日差しと小さな花ひとつあえば事足ります。ずっとずっと小さなお幸せが続きます様に。

稲葉 千尋

特選句「太陽の雑音のようレタス剝ぐ」。おそらく直感で出来た句であろう。確かにレタスを剥ぐ音は太陽からかも。特選句「ライラック億光年の忘れもの(増田天志)」。ライラックの花の美しさはどこかこの世の明るさとは違う明るさが億光年かも。

中野 佑海

特選句「海髪やさし焼玉エンジン又やさし」。海女の髪のように優しくまた、美味しい海藻。そして、焼玉エンジンのポンポンという音。懐かしいぽんぽん船。わたしが5歳ころ東浜にこの船が幾艘もあり、出入りしていたのを思い出します。父や母の優しさと共に。特選句「混じりっ気無しの純情クロッカス」。クロッカスの花と言い、葉と言い、あのツンツンしたところがまさしく純情。「落椿その落ち様の右顧左眄」。椿は咲いている時も、下向き。落ちてもそのまま崩れずに落ちる。どこまで気遣って生きるの。ちょっとは緩く生きなさいよ。「麦踏んでたちまち君は青けむり」。麦踏んでたちまち君は子供に戻りましたとさ。「春の山肩もくびれも草書かな」。春になるとそこいら中が、ムズムズとクネクネと曲がる?「文旦の擦りあう百の谺かな」文旦もあんなに大きくなるまでは、一生懸命切磋琢磨してた。「ライラック億光年の忘れもの」。ずっと前から探していたものは何だったのですか?探し物は出てきたのですか?その為にこの地球にやって来たのですか?ライラックの匂いだけを頼りに。「譜面台小さくたたみ卒業す」。この学校で出会った総ての思い出を小さく折り畳んで胸のポケットにしまって。さようなら。「あたたかき銭形砂絵雲なき日」。銭形砂絵。皆のあたたかきボランティアによって、形を保っています。「水温むあとふたはりのお裁縫」。大分日差しも春に近づき暖かくなり、進学する我が子に用意する品物。やっと、あと二針。間に合って良かったね! 春は緩いが一番。佑海 

小西 瞬夏

特選句「風車よく回る日文庫本下巻(谷 孝江)」。何の文庫本だかわからないが、下巻に突入したところである。本の中の世界にますますのめりこんでいるころだろうか。その現実の中に起こっているドラマの世界のうごめきが「風車よく回る」という実写により、より読者に迫ってくる。

小山やす子

特選句「太陽の雑音のようレタス剝ぐ」。何処かはんこう的で平和そのもの。いつまでもこうありたいですね。

榎本 祐子

特選句「パンにえくぼ小さな旅の春野にて」。ふと思い立ち、近場の野へ出かける。途中で買ったパンを持って。そのパンの小さなくぼみさえもが親しく感じる。この何気なさ、日常からすこし外れた時空での心と体の緩みが心地よい。春ですね。

樽谷 宗寛

特選句「父酔えば水俣話春立つよ」。お父様のお酒を飲まないと語れない苦しい水俣への思い春立つ夜がよい。ほっとお気持ちがほぐれたのでしょう。1953年の出来事です。公害病。『苦海浄土』は何度読んだことでしよう。人間の尊厳とは何か今も裁判が続いています。

藤川 宏樹

特選句『「初音ですね」「そんな気もする」古茶を汲む』。閑かな対話ですね。山から銀閣寺参道土産物屋二階四畳半の下宿へ下ってきた私の初「初音」体験が蘇りました。「初音」の初々しさと「古茶」の渋さが古い記憶から情景を掻き出してくれました。

佳   凛

特選句「ロシアより生れよ弥生のシュプレヒコール(野﨑憲子)」。戦争が始まって はや一年過ぎ、ロシアの人達は外部から、情報も無い中自分達の行いは、正しいと信じているのでしょうか?プロパガンダにより、洗脳されて何も声を上げる事が出来ないのか?戦争は嫌いです。早く 早く終わる事を祈っています。

川本 一葉

特選句「パワースポット蝌蚪の手が出る水たまり」。ちょっと不思議な世界。こういう情景は見たことありませんが見てみたい。特選句「おいでまいおむすび山が笑い出す」。選句してから、山笑うという季語に気づきました。讃岐らしい句で、読む側もにっこりとなる春の佳句だと思いました。

大西 健司

特選句「少年蓋男みまかりて春霞」。どなたの句だろうと思いつついただいた。少年のような宇田蓋男さんは笑福亭鶴瓶に似ている。不思議な風貌、不思議な俳句。そんな蓋男さんが亡くなられた。私にとっては兄貴分的な存在だけに、突然の別れが辛い。「三千世界や片足上げた鶴と俺」。海程の二十代特集のなかの一句。「いつも何かの真下にあり鯉の頭」。一九八四年「杭」終刊号の一句。岩切雅人さんとのコンビはいつも熱かった。俳句は心の呟きという蓋男さんの追   悼句を評価しつつも「春霞」が蓋男さんらしくないなとの思いが少しある。さようなら蓋男さん。

山田 哲夫

特選句「早春の鈴の音あおく山羊放つ」「真綿のよう春の電車のアナウンス(岡田ミツヒロ)」。この二句は共に春の来訪を耳に届く音を通して感じ取っているが、「鈴の音」に「あお」を感じ、「アナウンス」の声から「真綿」を想起する作者の感性の自由さ・新鮮さに惹かれる。実感に基づく把握は矢張り確かで説得力も強い。

高木 水志

特選句「薄氷の眼鏡で覗く地球のドン底(伊藤 幸)」。ごく薄く張っている氷を眼鏡と捉えて地球のドン底を見ている作者の俳人としての視点にすごく共感した。

柴田 清子

特選句「春夕焼母が海へとかえる色」。海へ沈む太陽を、前にしての亡くなった母への思いが、春夕焼を、さらに一歩踏み込んだ、海へとかえる色と作者の言う。母への思いの深さが、ひしひしと胸にまる句です。

増田 暁子

特選句「選り分けてすみれを残す庭掃除」。早春の庭掃除の景色ですね。すみれの可愛いさが春を呼んでいる。特選句「廃屋に大き神棚青き踏む」。人間の作ったものはいつか無くなり、それが神棚だったと言う無常感。生きるも死ぬも一生の出来事ですね。

豊原 清明

特選句「早春のせゝらぎに昆虫でいる私」。虫に親しんでいるような。アニミズムをしていると思った。最近は自然になった人の作品が減っているようなので選びました。問題句「群像の真ん中におく桜かな」。観念の桜と思った。好きな作品です。

鈴木 幸江

特選句評「囀りや耳穴太き裸針」。“耳穴の太き裸針”の持つ迫力。老眼のためか、厚物を縫うためか分からないが、どちらにしても野太い生命力が伝わってくる。それに対して小鳥のデリケートな“囀り”の生命力。存在するものの本来の在り方を学ぶ想いであった。問題句評「看護婦陰毛剃る貞心尼なら終りて弾く(淡路放生)」。貞心尼は良寛の歌の弟子。まあ、なんとなく分かるが何を弾くのだろう。ちょっと、ヒントが欲しかった。滑稽で味わい深い句。

河野 志保

特選句「トンネルを朧の中で確かめる(桂 凜火)」。作者は「トンネル」の中にいるような状況なのだろうか。「朧」を確かめそこから抜け出そうとしているのだろうか。動き出した春に作者が捉えた何かをさまざまに想像できる句だと思う。

疋田恵美子

特選句「師系というかすむ遠景人馬跳ね」。過去から未来へと続く人々のつながりや、伝統と現代の共存、下五で生命力あふれる姿が思われます。特選句「独善を許し得ぬまま蛇眠る」。人間が持つ誤解や偏見が、危害をもたらす可能性のあることを常に学ぶことの大切さを思う。

男波 弘志

特選句「譜面台小さくたたみ卒業す」。卒業式を控えて生徒諸君と歌の練習をしてきた譜面台であろう。大きく開いた楽譜を綴じ、そして譜面台を小さく畳んだ、社会へでた諸君の歌は譜面を見ながらではなく自身の心で感じた歌を奏でるのだ。もう譜面台は必要がない。特選句「群像の真ん中におく桜かな」。野外彫刻の十二使徒だろうか、それぞれの運命に翻弄された人たち、おく、という措辞から大樹に育った桜を一つのオブジェとしてみている。満開の桜が十二使徒の命運をいよいよ満たしているのだろう。

伊藤  幸

特選句「少年蓋男みまかりて春霞」。宮崎の「感性の俳人」宇田蓋男さんが昨年十二月突然逝去されたことは「海原」三月号で遺句抄及び永田タヱ子さんの追悼文で皆さんご承知とは思うがまさに宇田さんの句は永遠の少年と言ってもおかしくないほど若々しく瑞々しかった。直接原因はコロナとのこと。人生百年という時代に七十四歳とはさぞかし心残りであったろうと残念でならない。「年甲斐もなくパンジー大好き生きている 蓋男」特選句「母も踏む背ナの子も踏む春の土 」。こういう句に出会うと嬉しくてしょうがない。母親に背負われスヤスヤと幸せそうに眠っている子。ほほえましい春のワンシーンだ。背ナの子も踏むという措辞が実景として浮かび上がり佳句を成している。

松岡 早苗

特選句「パレットに油彩のもがき養花天」。花曇りの頃は、景色も気持ちもすっきりせず、もやもやっとした感じですが、そうした気分と油絵の具のぐちゃぐちゃさとの取り合わせが素敵で、視覚的にもうまく伝わってきました。「もがき」という表現も見事。特選句「雪解けやただ古いものにゅうと立つ」。「雪解けや」と来ると、その先に新鮮な春の訪れを想起しがちですが、この句の意外な展開にはっとしました。雪が解けても変わらない日常、雪が解けることで逆にあらわに見えてきた現実。明るいだけではない「雪解け」が見事に表現されていると思いました。「にゅうと立つ」という臨場感のある表現も印象的。

若森 京子

特選句「傍観は許さぬ地平葱坊主」。第三者として唯見ているだけでは駄目だ。もっと積極的になって欲しいという強い願望と下句の「地平葱坊主」の風景が、この最短詩型の中でリアルに無限に広がっていく。それは地平に立つ日常的かつ剽軽な葱坊主。季語が有効に効いて不思議な力強い一句となった。特選句「寝るチカラ弱く夏の月やわらかく」。現在の自分の実感。「寝るチカラ弱く」の表現に、まず魅かれた。春の月は、きっといつもの様にやわらかく自然を照らして呉れているのであろう。弱い人間が自然に包まれている感じ。

三枝みずほ

特選句「傍観は許さぬ地平葱坊主」。世界中にある格差や不条理、半径一メートルで起こる理不尽…日常に忙殺されて傍観していないだろうか。この作者は遙かなる地平を感じ、葱坊主の反骨のように、傍観は許さぬと断言する。問題句「青鮫忌朝を投函したのです」。朝を投函するという措辞、青鮫のもつ生命力が響き合い力強い一句となった。忌日とすると、命の明るさ、躍動感が少し損なわれないだろうか。「青鮫や」と誤読し、特選とさせて頂きたい。

松本美智子

特選句「ぎっしりと春蚕につまる憂いかな(松本勇二)」。皆さんの俳句を鑑賞しながらいろいろ調べて勉強しています。「春蚕」の季語を初めて知りました。春の「希望」と「憂鬱」真逆の気分をよく表わした句だと思います。生命の息吹に満ちた句か,と上五中七で思わせておいて,「憂い」と結び,どこか不穏な不思議な雰囲気を纏う句になっています。

佐藤 仁美

特選句「早春の鈴の音あおく山羊放つ」。まだ肌寒い野に、山羊を放つ光景が目に浮かびました。「鈴の音があおい」という表現が素敵です。特選句「太陽の雑音のようレタス剥ぐ」。 レタスを剥がす音が太陽の雑音とは!この発見が新鮮でした。

吉田亜紀子

特選句「花贈る長くて十日癒せれば」。下五にある「癒せれば」というところに素直な祈りが表現されている。「花」、すなわち、桜を贈り、病床の中、この桜の美しさに魅せられて、僅かでいい。心穏やかに過ごして欲しいと願う。桜には、生死を左右するほどの、人智を超えた不思議な力があるように私は思う。この句もその力を信じているように感じる。この短い十七音に、手を握り締めるような祈りや、その眼差しまでも、するりと捉えることが出来る。 特選句「ちぎれやすき少年のこゑ卒業歌」。卒業歌。それは、人生の分岐点に歌う歌。在校生、卒業生、共に歌う。その歌声は、「ちぎれやすき」という表現から、様々な感情、及び、アンバランスな声帯から絞りだしたものであろうと察する。更に、「こゑ」という表記で、その光景は如実となる。そして、「卒業歌」。何度も歌うものではない。一回限りの歌。この句によって、その光景、その歌声は、保存されているものと私は思う。

島田 章平

特選句はありません。【問題句】「そでく□は□きう□のて□い□で□□□□」。□は宇宙です。

三好つや子

特選句「薄氷や莟のごとく過る魚」。薄氷の下にはじまる新しい季節の営み。稚魚の動きが目に浮かび、水に生きるものの詩情を感受しました。特選句「パンにえくぼ小さな旅の春野にて(重松敬子)」。旅先で見つけた小さなベーカリーの焼きたてパンをほおばる作者。若い頃、安曇野で食べたブルーベリーパンのことを思い出し、キュンとしました。小さな旅という表現もよいと思います。入選句「むくり起き上がるよ兵士と向日葵」。正しいことを貫くウクライナ。正義の通用しない現実が哀しすぎます。入選句「連翹の一輪彼の地に花畑を」。黄一色のまばゆいこの花と、ウクライナの安寧を願う気持ちとが響き合い、心に沁みます。

吉田 和恵

特選句「春海や父は蒟蒻と成りぬ」。父とは、一度皮を剥けば蒟蒻のようなものかも。ふと納得したのでした。春の海で本来の姿に戻った父に祝福を!特選句「たんぽぽのぽぽのところがぽぽなです」。ぽぽなさんOK! たんぽぽ。

石井 はな

特選句「ステージ4妻の言葉はシクラメン」。心に沁みます。勝手な解釈ですが、ご自分の癌がステージ4で不安や悔いや色々な思いが心の中を渦巻いている、そんな時に妻の言葉がシクラメンの様に自分を包んで癒してくれる。素敵なご夫婦です。私の親しい友人は、ステージ4から寛解しました。不安や恐れは繰り返し湧いてきますが、どうぞ心やすらかにお過ごしください。

柾木はつ子

特選句「おいでまいおむすび山が笑い出す」。さぬきの観光メッセージ?それとも県外のお友達へのお誘い?方言と讃岐の山の特徴が効いていて他県の人だったらきっと行ってみたくなるだろうと思いました。特選句「ロシアより生れよ弥生のシュプレヒコール」。いつまで続くこの戦争… 遠い異国の事とは言え、私たち全世界の人々の頭上に重くのしかかって離れません。ロシアの人達がどんな状況の中で生活しているか知る由もありませんが、掲句のように只々呼びかけるしかありません。只々祈るしかありません。一日も早く終結を!

岡田ミツヒロ

特選句「ステージ4妻の言葉はシクラメン」。その言葉は燃え上がる生命の迸りであり、また揺らめく感情の発露でもありましょう。シクラメンに全てを托した。特選句「おいでまいおむすび山が笑い出す」。温もりのある言葉遣いに讃岐の風土が溢れ出す一句です。のどかで幸せな気分をいただきました。

川崎千鶴子

特選句「苺すっぱいイジメっ子きらい嫌い(松本美智子)」。「苺」と「イジメ」を組み込む力が凄い。「きらい嫌い」のリフレインに強い心情があふれています。「連れ合いと眺む山焼き燻れり」。 奥様と山焼きを観光した作者はどこかすっきりしない夫婦間の問題を抱えているのが垣間見られます。それを「燻れり」で文学的に見事に表現しています。

滝澤 泰斗

特選句「寝るチカラ弱く春の月やわらかく」。弱く、やわらかく・・・年を経るごと実感故の共感あり。全く、この句のいう通りで見事に言い当てられた感が深い。特選句「独善を許し得ぬまま蛇眠る」。上句にはいろいろな言葉が入ることを認めたうえで、独善としたことに共感しました。「師系というかすむ遠景人馬跳ね」。海程に入会して20年足らずだが、掲句の感、深い。「大風呂敷の父を謗りて涅槃西風」。親父が亡くなった年を越えて、何故か、親父を思う事多し。ある時は、前者の様な父の像。ある時は後者の様な父。尊敬と憐憫、もっと話をすべきだったと思う反面、息子とも肝心なことを話していない自分に気付く。「ロシアより生れよ弥生のシュプレヒコール」。1980年代ソビエトは、ワルシャワ条約機構国に対し、強制的にプロトコールと称したソビエト詣を命じていた。コーカサスのトビリシやキエフでは毎晩ロシアの歌とダンスに旅行者を誘い、飲めや歌えの大騒ぎだった。毎回、ウクライナの惨状の句が載るが、銘記してゆきたい。

漆原 義典

特選句「譜面台小さくたたみ卒業す」。57年の私の小学校の卒業式を思い出しました。懐かしい気持ちになる句ありがとうございました。

菅原 春み

特選句「譜面台小さくたたみ卒業す」。実体験があるためか映像まで浮かび上がってリアリティがある。細部まで描いたのがよかったかと。特選句「廃屋に大き神棚青き踏む」。季語と対照的な廃屋。しかもそこに神棚、大きなものがあるという俳味。みごとです。

河田 清峰

特選句「啓蟄や白米甘く炊き上がる」。美味しいお米を食べる喜びが生きる喜びにかえてくれる啓蟄が良かった。

あずお玲子

特選句「早春の鈴の音あおく山羊放つ」。まだ少し岩陰に残る雪と顔を出したばかりの草の匂いがする山に山羊が放たれていく。子山羊の鳴き声と首の鈴の音。その鈴の音を「あおく」と表現されているところに惹かれました。ペーターがハイジを呼んでいそうです。特選句「廃屋に大き神棚青き踏む」。実家を処分した時のことを思い出しました。母が常日頃から神棚の掃除を欠かさずにいたのを見ていたので、ぞんざいな扱いはできないなと。手順を踏んで処分した時は妙に清々しく、ちょうど春だったことも相まって青きを踏んで次に進む心境でした。

竹本  仰

特選句「譜面台小さくたたみ卒業す」:卒業にも色々あっていい。けれど、どんな片隅にも青春があって、さり気なく、しかしたしかに終えてゆく。小さいけれど、たしかな時間の手触り。これでしょう、文学の原点。特選句「ちぎれやすき少年のこゑ卒業歌」:十五歳くらいの少年の声はとてもつらい。変声期というものは女性には謎であるかもしれませんが、どうしようもなく少年を悩ませる中途半端で意外と深いゾーンなのです。役者でもこの期の人は、何をも演じられなくて、能や歌舞伎では、まったく役に立たない時期のようです。十五歳の少年は演歌など唄わせると、ミラクルな景色を見せます。荒唐無稽な少年の心、でも唄いたい、でも歌にならない。そんな中に置かれた卒業の歌、感慨深いだろうなあ。特選句「青鮫忌朝を投函したのです」:プルーストは、読書とは自身を解読することなのだと言っていたようです。兜太師の情景を読みながら、自身の朝を詠んでいる。という風に理解しました。言葉とは憧れによって支えられているものかも知れません。一種の紀行文のような印象を受けましたが、その出したものが、兜太師の手に届き、開かれてゆく、そういう風景としてとらえました。以上です。  ♡淡路島の桜の開花はいつでも遅いです。徳島に遅れること四五日でしょうか、神戸に遅れること一週間。いま、ちょうど蕾が出かけて、まだひとっ飛びの勇気が出ないというところ、猛烈な春雨がこの躊躇を吹き飛ばします。夜間の強雨のあと、散歩道の桜へ出かけようと思っています。そして私のへそ曲がりは、最初の開花を見たあと、しばらく行かず、散るころにまた見に行きます。満開だけ見る、そういう人情が嫌なんでしょうね。みなさん、今後ともよろしくお願いします。

寺町志津子

心惹かれた句「激戦地毛布にくるまれ幼子は」。ウクライナの、ことに幼子のニュースに、いつも心痛む。その事実を詠んだ句に一日も早い平和の思いを感じ、頂いた。「明日を待つ心何色しゃぼん玉」。作者と共に「明日を待つ」気持ちが生じ、ウキウキ。ヤや平板とも思いながら、楽しく明るい気分に。

飯土井志乃

特選句『「初音ですね」「そんな気もする」古茶を汲む』。映像「小津作品」そのものでありすぎる気もするけれど、昭和人間としては見逃せない。思い返せば「映画」小津作品が、俳句の世界だったのではないかと感じてならないのです。

森本由美子

特選句「パワースポット蝌蚪の手が出る水たまり」。なぜかピーンと脳が反応しました。ユニークな思考回路に敬礼です。特選句「選り分けてすみれを残す庭掃除」。うっかり熊手で根を引っ掛けてしまった株を植え直したり、蕾のままの株を励ましたり、心癒される情景が描き出されている。

佐孝 石画

特選句「ちぎれやすき少年のこゑ卒業歌」。他句が色褪せてしまうほどの、感銘を受けた。「ちぎれやすき」の比喩に、少年の声帯の震えと、何かにもがき抗いながら命を燃やし、未来へ立ち向かう青春の眩しさを見た。声をかすれさせながら、時に裏返りながら、絶唱する少年。その姿はまるで六波羅蜜寺の空也上人像声ように憑依者めいている。声変わりして間もない少年の絶唱を「ちぎれやすき」とはよく言ったものだ。そういえば、最近の歌にはファルセットを多用するものが多いような気がする。

野口思づゑ

特選句「春夕焼母が海へとかえる色」。私もそんな感慨を持って夕焼けを見たかった、とつくづくしんみりいたしました。特選句「連翹の一輪彼の地に花畑を」。連翹の鮮やかな黄色とウクライナの国旗。いつになったら花畑をゆっくり慈しむ事ができる国土が戻るのでしょうか。 「立たされたことありますか卒業す」。今までそんな事、訊ねられた事がありませんでした。「はい。あるんです」と答えたくて、選ばせていただきました。

植松 まめ

特選句「春の山肩もくびれも草書かな」。「春の夢弥勒菩薩は脚を組む」。2句とも美しい句で心が洗われるようです。疑問です。今月もこれが俳句かしらクイズかしらと思うような句がありました。現代俳句は何でもありですか? →ハイ、有りです。俳句愛からの実験句として。

塩野 正春

特選句「海髪やさし焼玉エンジン又やさし」。 この句の場合、漢字の“又”よりひらがなの“また”がいいと思う。海髪(うご)を採るために軽いエンジンの唸りで停泊している小舟の情景が目に浮かびます。焼玉エンジンを搭載していることは、きっと何代も受け継がれた船でしょうか? エンジンの軽いリズムが海髪の優しい肌触りに呼応して何とも言えない平和な情景を映しています。海髪はポン酢で食するのが最高。特選句「春の山肩もくびれも草書かな」。春山の朧なカーブを草書と表現されている。肩もくびれも、と擬人化されて美しい裸体にまで発想が飛んでしまうのは私の煩悩か?草書は余り知らないが、かなり穂先の柔らかい筆で書かれるのでしょう。春山にもそんな優しさ、妖しさがあります。平和な日本に生まれて最高の人生だ。

薫   香

特選句「眼の端に不条理光っていて三月」。冬でもなく、かといってまだ寒さが残る日もあってどっちつかずの三月。不条理を正面で受け止めきれずに、それでも目の端に光っている感じが三月にピッタリ。特選句「早春のせせらぎに昆虫でいる私」。暖かなこの世の天国のような早春のせせらぎに居ながら、かたい殻をかぶり、少しずつしか動けない様子を昆虫という単語でうまく表現していると思いました。

野田 信章

特選句「伊勢よりも東は晴れて猫の恋」。一読、鳥瞰図的に伊勢湾を隔てて展く景が見えてくる。「東は晴れて猫の恋」という修辞の構成が伊勢という祖霊の地との際立った対峙を見せている。この諧謔性のある句柄が自と東方の古代権力を中心とした文明の発展が今に至る現代文明に対しての批評性を加味した暗喩をも伝えてくれているかと読んでいる。東に住する作者の日常に立ってそのことが表現されている。

田中 怜子

特選句「海髪やさし焼玉エンジン又やさし」。すらすらと読めて、たちまち海の匂いとか、エンジンのポンポンが聞こえ、のたりのたりした瀬戸の春の海の世界に誘われました。海髪を食べたことないけど味わってみたいものです。特選句「同行は犬ぞ遍路の白い杖」。これまた春のお遍路さん、同行が犬とは。ゆく先々でお接待をうけながら、犬が目の悪いご主人を守りながら尻尾ふりふりする様子が見えます。

山本 弥生

特選句『「初音ですね」「そんな気もする」古茶を汲む』。戦前に生まれ子供の時に戦中を生き戦後に結婚した夫婦の今が幸福な刻を過す様子に私も幸福を感じさせてくれました。

向井 桐華

特選句「ステージ4妻の言葉はシクラメン」。妻を想うやさしい句。無駄な言葉が一つもない。ステージ4とシクラメンでこの句のすべてがしみじみとつたわる。問題句「そでく□は□きう□のて□い□で□□□□」。抽象画を見ているより読み解くのが困難です。

稲   暁

特選句「混じりっ気無しの純情クロッカス」。後期高齢者に近いじいさんの私が憧れてはいけない作品だと思いつつ、特選に選んでしまいました。お恥ずかしい限りです。今月も佳句が多くて選句に悩みました。よろしくお願いいたします。

三好三香穂

「傍観は許さぬ地平葱坊主」。畑にいならぶ葱坊主は、整列している兵隊さんのように見える。おそらく反戦句だと思う。我々は傍観していてはいけない。声をあげなければいけない。「文旦の擦りあう百の谺かな」。風の強い日、大きく重い文旦の実は揺れて擦り会って大きな音をたてるのでしょう。それが百の谺になるなんて。この風景は見たことがないのですが、何故か魅かれました。「太陽の雑音のようレタス剥ぐ」。太陽の恵みを受けて育ったレタス。その葉を剥ぐ音がまるで太陽の雑音の様だと。バリバリバリバリ、新鮮な捉え方です。「おいでまいおむすび山が笑いだす」。おいでまいというお米の品種は、さぬき弁の「来てください」という意味の「おいでまい」からネーミングしています。それと、さぬきのお山のおむすび🍙山との掛け合わせで、ユーモラスな作品になりました。

銀   次

今月の誤読●「パンにえくぼ小さな旅の春野にて」。わたしは歩いている。昼下がり。手にあんパンを持って、食べながら歩いている。人から見れば散歩だが、わたしはこれを小さな旅と呼んでいる。旅だと思えば、じつに味わい深い旅だ。今日は遠出して隣町まできた。コンクリートブロックの向こうから桜が顔をのぞかせている。ふむ、なかなかの名所だわい、と独りごちてパンをひとかじりする。電柱の足元に咲いたタンポポをかがんで見下ろす。うむ、ここにも春の風情が、と見入ったりする。今度は曲がったことのない角を曲がろうと決めてまた歩く。ちょうどほど良い細路地があったので、そこに入っていった。その路地に沿って細い水路が流れている。そういえば、春の小川という唱歌があったな、とのぞき込む。いるいるメダカが。いっときそれを見物して、また旅をつづける。わたしの旅はじつに愉快で心地よい。おや、細路地は行き止まりになっていて、奥は古びた民家になっている。古民家、見っけ。わたしはなんだかずいぶん得をした気になって、その庭に入っていった。庭の手入れは行き届いていて、スミレやスイセンが整然と並んでいる。暖かい風が吹いている。まるで春の野だ。わたしはそこに坐り込んでウトウト寝入ってしまった。「そんなトコでなにをしている」と声が聞こえた。薄目を開けてみると、鼻先に老婆が立っていてこちらを見ている。わたしは紙袋のなかからあんパンを取り出し、老婆に差し出した。「なんだい、それは?」と老婆がうろたえたように聞く。わたしは無言で、ほら、というふうにさらにパンを相手の顔に近づける。老婆はしょうがないなという感じでパンを手に取る。わたしは自分のパンをひとかじりする。つられたように老婆もひとかじり。いい気持ちだ。と、その庭にモグラがふいに顔を出した。わたしたちを見つけるとアタフタとモグラは穴の奥に消えた。わたしはモグラを追って、その穴に飛び込んだ。わたしがそのモグラ穴から見ていると、老婆はふいに消えたわたしを探してキョロキョロあたりを見まわしている。わたしはその様子がおかしくて口を手でおおいクスクス笑う。一通り見まわしてわたしがいないのを確認した老婆は、今度はあんパンにじっと見入る。裏にし表にし不思議そうにパンを見た老婆は、あたりにだれもいないのを確かめて再度あんパンをかじる。そしてブツブツ何事かを呟きながら玄関に入ってゆく。

菅原香代子

「譜面台小さくたたみ卒業す」。卒業の朝の静けさ、寂しさ、3年間の思い出への愛しさが伝わってきます。

時田 幻椏

気になった句「啓蟄のスリップ・オンの指に石」「立たされた事ありますか卒業す」「寝るチカラ弱く春の月やわらかく」。問題句「例えれば刺客ブルネイの黒き蝶」。ブルネイを知らず、知れば穏やかな平和な国と聞く。問題句「たんぽぽのぽぽのところがぽぽなです」。これも可なのですね。

新野 祐子

特選句「少年蓋男みまかりて春霞」。宇田蓋男さんの追悼句ですよね。宇田さんのことは存じ上げませんが「海原」3月号に遺句抄が載っていましたね。掲句「少年」「春霞」がよかったです。幾重にも棚引く美しい霞が見えてきます。

中村 セミ

特選句「流氷や置いてきたもの皆光る」。流れていく氷のカケラがいくつも過去なのに、キラキラと輝いていると、よみました。過去なのに。

上原 祥子

特選句「父酔えば水俣話春立つ夜」。父は酔うと水俣の話をするのです。その悲惨、悪夢を。春立つ夜にその聲は朗々と響くのです。水俣は終わっていない、人類在る限り語り継がれることでしょう。「麦踏んでたちまち君は青けむり」。麦踏みをして、たちまち君は姿を消すのです。春の野に青い煙となって。存在の耐えられない軽さを表現か。「他界から反戦の波春の闇」。兜太師が他界から叫んでおられるのです、存命でいらした時から変わらず反戦の声を。その聲は波となって春の闇から聞こえてくるのです。「早春の鈴の音あおく山羊放つ」。早春の鈴の音あおくという表現が新鮮で美しい。そこに山羊が放たれるのです。手垢の付いていない清々しい表現。「薄氷や莟のごとく過る魚」。春先の薄い氷が張って、莟の如き魚がその下をよぎるのです、美しい春の到来を寿ぐ句。「ためらはず素足で歩く春の泥(吉田和恵)」。春の野にまたは道端に春の泥が在って、そこに作者はためらわず、踏み込んでいくのです。その感触を楽しんでいる、春の感触を楽しんでいるという所か。「眼の端に不条理光っていて三月」。現在進行形の世界各国の戦争、抗争、人生における不条理は数限りない。不条理光っていて三月という喩が非凡。「雪解けやただ古いものにゅうと立つ」。雪解けに古き良きものがただにゅうと立っているのです。俳句かもしれないし、他の何か詩の断片かもしれない。または古い寺院かもしれない。春の到来を喜んでいる作者の姿を彷彿とさせられる句。「ひら仮名のように寄りそえば黄水仙」。ひら仮名のように柔らかく優しく寄りそえば黄水仙が咲くのです。ひら仮名のように寄りそえばという喩が良い意味でユニーク。「青鮫忌朝を投函したのです」。 兜太師の命日に作者は渾身の評を載せた選評を投函されたのでしょう。朝は希望に満ちている。俳句にも希望があると感じて、春を一層身近に感じられました。」問題句「そでく□は□きう□のて□い□で□□□□」恐れずにご自分の思う所をはっきり表現されると良いと思います。

淡路 放生

特選句「ふらここを揺らし人生どのあたり」。この句なんでもないようだが、「揺らし」が作品を引き締めている。子供の遊具を漕ぐではなく、大人と言うよりも老境の人が腰かけて揺らしている。その落ちついた空間に、ふと、自分の来し方を顧みて行き末を思ったのかも知れぬ。「人生どのあたり」に春風の中にある風景がかるく流れているようだ。

田中アパート

特選句「同行は犬ぞ遍路の白い杖」。犬は人間を裏切らない。特選句「短調だから想ひ出雛まつり(柾木はつ子)」。おもしろい。人生は短調だ。

丸亀葉七子

特選句「春の夢弥勒菩薩は脚を組む」。脚を組んで何を想う。眼前に思惟観音のお姿が浮かびあがる。春の夢が付きすぎかとも。特選句「春愁の雨傘透けてゐたりけり」。       多感ですね。透けた雨傘の向こうに閖上の町、ウクライナの町、不毛の政治、物価の高騰。傘を打つ雨粒の音が聞こえてくる。

山下 一夫

特選句「落椿その落ちざまの右顧左眄(津田将也)」。情景は椿の花が特有の落下をして転がる様子に過ぎないのですが、すごく目を惹かれました。「右顧左眄」が落ちた花の動きだけではなく強く人事を連想させること、それと並べられると「落ちざま」というやや刺激のある言葉も同じ気配を醸してくることが預かっているようです。当方は、まだまだやれるのに定年退職がきてしまいおろおろしている心境などと鑑賞。シンプルでありながら巧みな句だと思います。特選句「立たされたことありますか卒業す」。卒業という祝賀行事にすらっとした口語での一見ネガティブな投げ掛け、そっけない言いきりが印象的です。何でそんなことを聞くのだろうと考えさせられます。立たされることの多かった者の悲哀、いい子にしているばかりだったのでこんな思い出はないだろうという揶揄などを連想します。投げ掛けが「ないですか」ではなく「ありますか」というところもミソのようです。問題句「啓蟄や白米甘く炊き上がる」。上五と中七の関係がわかりませんでした。良い米の食味として甘いというのはあるのですが、啓蟄が他の節季であってもそれはそうだと思われます。いわゆる季語が動くということでしょうか。啓蟄を重視すると「甘く」が啓蟄の含意である虫がらみや光がらみにそぐわないのであろうと思われます。「わらわら」「てらてら」などいかがでしょうか。(品が悪くなってしまいました。すみません。)

野﨑 憲子

特選句「他界から反戦の波春の闇」。ロシア軍によるウクライナ侵攻から一年あまりが過ぎた今も平和への扉は開かれていない。他界からの反戦の波を私も強く感じる。<生きもの>声を五七五に表現することの大切さを痛感する。問題句「そでく□は□きう□のて□い□で□□□□」。高松の句会でも賛否両論の同一作者による一連の作品。もちろん「俳諧自由」。ただ、俳句には伝達性が大事だと私は思う。少しヒントがあれば句のパワーが激増するようにも思う。

(一部省略、原文通り)

袋回し句会

薫・香
描きつつポパイのほうれん草薫る
三枝みずほ
馬鹿ばかり言ってんじゃないの風薫る
柴田 清子
梅の香におほはれてゆく夜の底
大浦ともこ
薫香や美しき名は師の思い
薫   香
沈丁花の香孤独遊びにバスに乗る
中野 佑海
弥生
光ほどきゆく弥生のデッサン画
三枝みずほ
弥生の風が戦争を虹にした
野﨑 憲子
パトカー止まる弥生町交差点
野﨑 憲子
弥生路を帰省列車は一直線
銀   次
雨に濡れるキリンの睫毛弥生かな
大浦ともこ
てのひらへ水のあふれて弥生
野﨑 憲子
弥生の水平線から真魚が来た
野﨑 憲子
パワースポット
パワースポット円周を枝垂梅
あずお玲子
パワースポットめりめりと花開く音
薫   香
昭和というパワースポット棒っ切れ
三枝みずほ
菜の花
菜の花や月はぽぽなに日はみずほ
島田 章平
青空が痒さう菜花揺れてゐて
あずお玲子
菜の花の四、五本元気くれないか
柴田 清子
菜の花の漬物が好き京土産
薫   香
菜の花を摘む人歌を唄う人
藤川 宏樹
菜の花畑上半分は紺碧の空
銀   次
戻るならひらがな菜の花摘みし頃
大浦ともこ
菜の花が好きで見てをり母とをり
柴田 清子
三角は生きづらいだろ角出して
薫   香
春泥や子の相棒の三輪車
中野 佑海
一やれば三を忘れり春の月
藤川 宏樹
三月の背中に辿り着いてにじむ
三枝みずほ
いつの間に机上にクッキーみっつあり
銀   次
チューリップ揺らして風の三拍子
大浦ともこ
三色のスミレどの色から笑ふ
柴田 清子

【通信欄】&【句会メモ】

高松の会場初参加の2名の方も囲み10名で、終了予定の午後5時を1時間近くも過ぎ熱く楽しい句会でした。今回も会場主の藤川宏樹さんに感謝感謝です。

三月二十五日から二十七日まで秩父長瀞で開かれた第一回兜太祭に参加してまいりました。生憎の雨模様でしたが、師の墓参の時には、ぴったりと止み、あちこちに師の気配を感じる思い出深い大会でした。懐かしい皆様ともお目にかかれ大きな元気をいただいて帰りました。

五月から「海原」ズーム句会が、秋には全国大会も計画中とか、活性化を強く感じる豊かな大会でもありました。これからも一回一回の句会を大切に精進してまいります。今後ともよろしくお願いいたします。

冒頭の写真は、壺春堂(金子兜太先生のご実家)で撮影しました、「おおかみを龍神(りゅうかみ)と呼ぶ山の民(金子兜太第十三句集『東国抄』所収)」です。壺春堂は埼玉県の無形文化財に指定されていますが、補助金は出ないので、壺春堂保存の為「兜太産土の会」へのサポートを呼び掛けています。私も何度か寄付させていただきましたが、レアな記念品が届き、嬉しかったです。

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